ある日舎弟がTSしたけど忠犬巨乳がどぷんたぷん 作:芥目たぬき
「……?」
目が覚めて、本来ならいるはずの彼の姿がない。微睡の中にあった意識が、一気に現実に覚醒していく。
時刻は朝の6時ちょうど、いつもと同じ時間。
小さな小窓からは朝日が差し込んできていて、薄暗い部屋の中を少しだけ明るく照らしていた。
彼は……アニキは、果たしてどこにいるのだろうか?
隣同士に並べられているベッドに手を伸ばすものの、ひんやりと冷たくて、どうやら長時間戻ってきていないらしい。珍しいものだ、彼は朝はかなり弱いのだから。
———寂しいと感じる時点で、自分はもう、どうかしているのだろう。ダズの心の中に、起きて早々に憂鬱な気持ちが膨れ上がる。
朝、目が覚めて彼の寝顔を見る事に幸せを感じてしまうのだ。
こんな甘ったるい思考を持っていることに苛立ちを覚えるものの、そんなことは微塵も感じていないと上っ面だけは取り繕っている現状。
バレないようにいつも通りにしたって、腹の中ではこんなことを考えている自分がひどくおぞましい。
なにせ、自分は男なのだから。
バレたら確実に軽蔑されてしまう。
「……起きるか」
なんとなく身体に倦怠感を覚えつつもいつもと同じ時間に起きたダズは、手早く朝の準備を開始した。
服を着替えて、自身の使っていた方のベッドをソファの形に戻して、荷物を取り出す。アニキの方のベッドは、シーツを整えるだけだ。もしかしたら、二度寝するかもしれないから。
タオルと洗面具を取り出して……アニキの分も準備して、それから外に出る。
まだまだ人気がない廊下は、あいかわらず激しいエンジン音が響いていた。
広くて、しかし快適とは言えない車内。都市部に行くのも、一苦労である。
「……アニキ!」
そこに、いた。
平然とこちらに向かって歩いてきている男。寝巻きのままで眠たそうに後ろ頭をかいていて、顔色はそんなに悪そうでもない、いつも通りだ。
———あぁ、全くいやになる。
彼の姿を認識するや否や、ダズの視界は桃色に鮮やかな色を帯びたのだ。自分の感情があまりにもわかりやすすぎて、しかしそれを必死に押し殺す。
自分の感情を無視して、ダズはいつもと同じように笑顔を顔に浮かべた。
「おはようごぜぇます、アニキィ」
「おう。お前ははやいな……」
「いえ、そんな……それよりもアニキ、体調はいかがですかい?
昨日は酒も飲ん」
ひゅ
———なにか、間違ったことを言ったか?
何年も一緒にいたからこそわかる異変。普通の人ならわからないだろうその反応も、ダズからすれば察知できるもので。
……しかし、それは一瞬の出来事だった。気のせいか、それとも下手に聞かない方がいいのかと思って、ダズは言葉を続ける。
気付かない、その方がいい時もある。
「……酒も、飲みましたから。具合悪くなってませんか?」
「いや、悪くねぇよ。心配しなくていい」
「なら、よかった! もし必要なものあったら言ってくだせぇ」
じゃあ、オレは顔洗ってきやすから! と、殊更明るく言ってその場を凌ぐことにした。何か気に触れるようなことをした覚えもないのだから、ただ単に虫の居所が悪いのかもしれない。
男の横を通って洗面台に進もうと思って……しかし、数歩進んだところで彼に呼び止められた。
そして。
「なぁダズ、昨日のこと、どこまで覚えている?」
「どこまでってぇ……ええと……」
———昨日。
やっぱり、昨日なにかしたというのか?
しかし思い当たるところもなくて……酒を飲み始めて、それからしばらく後の記憶は全くない。もしかしたらその時に何かやってしまったのかもしれないが、はたして。
「……ま、まさかなにか粗相を……?」
「いやいい、おぼえてないならいいんだ! 止めて悪かった、後でオレも行く」
そう言って、彼はそそくさと部屋に戻って行ったのであった。ダズはその後ろ姿を、止めるわけでもなく見つめるしかなかった。
なぜ長時間、部屋にいなかったのか?
寝るでもなく、なにか外に用事があったのか?
ダズはそれを問いかけることもできなくて、もやもやとした不快感を無理やり飲み干すのである。
違和感は膨れ上がっていく。
数時間後。食事をとって、ゆっくりと流れる時間を過ごす。昨日と同じ、穏やかな1日だ。何もない広い車内で、ただただ目的地にたどり着くのを待ち侘びるだけ。2人で過ごすのは、とても心地がいい……はずだ。
なのに———昨日までと何かが違う空気感に、ダズは居心地の悪さと寂しさを覚えていた。
何が違うのかと言われても、説明できない。
長年一緒にいる自分だからこそ感じる、不思議な寂しさ。
「……わからないや」
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありませんぜ」
なんて形容すればいいのかわからない違和感。それを説明するわけにもいかずに、小さくため息をこぼす。
ダズは人から自分に向けられる好意や悪意にはひどく鈍いが、この男の機敏にだけは人一倍敏感であった。
特に、負の感情に関してだけは猟犬のような嗅覚を持ち合わせている。
ダズにとって人から性的な目で見られたり、悪意を持たれたりすることは、興味のない事柄である。
前者は今まで男だったためにそういったことに対して理解が及んでいないから。自分が性的な目で見られるという
そして、後者は子供の頃から、悪意に対して無痛であることを意識してきたからだ。
母親から生まれた時からずっと悪意をぶつけられ、孤児院でも嫌われ者の少年とずっと一緒にいたせいでイジメの対象と見做されていた。それ故に、防衛本能として
究極的に、自分とアニキ以外に興味を持たなかった。
他の人間に意識を向ける意味がなかったし、それは自分を守るためであった。世界が彼と自分の2人だけで完結していた方が、よっぽど幸せだった。
その一途で美しい友情は、裏返せば社会性の壊れた歪な依存体質である。互いに依存しあっているし、それを指摘するような人もいない。
与えられる好意に対してははてしなく鈍感であり、逆に少しでも距離を感じると意識してしまう。
———だから。
「(……わからない、心当たりがない……昨日、なんかしたのか? いや、聞けない……)」
心にはただただ焦りが生じてくる。
いつも通りのはずだ、なのに、何か違和感が残る。それを無視できずにじわじわと膨れ上がってしまう。
そして、ダズがそうしていればそうするほど、男の様子も不安げなものになるのだ。
「……ダズ、具合悪いのか? なにか変な違和感とか……」
「いえ、ありません、ありませんぜ!」
思わず嘘をついてしまうが、仕方がないことだろう。
ダズは長年の経験から、アニキのこれは聞かれたくないことだとわかっているのだ。だからなにも違和感がないと嘘をつかざるを得ない。
「そうか、ならいいんだが……異変あったら言えよ?」
「はい、そうさせてもらいまさぁ」
そうして、ダズは小さくため息をこぼすばかりなのであった。
* * * *
ひとつ、わかったことがある。
「……はぁ」
なにやら寂しそうに、ため息を吐くダズをこっそりと見てしまう。抱きしめたらすっぽりと腕の中に入ってしまいそうな、小柄な後ろ姿だ。
オレはどうやら、ダズのことがめちゃくちゃ好きらしい。知りたくなかったなこんな事。知らない方がよっぽど幸せだった。
「で、おぬしら喧嘩したのかのう?」
「「してねぇよ」」
ジジイの問いかけに、思わず声がハモってしまう。唐突に部屋にやってきたこいつは、開口一番そんなことを言い出したのだ。
昨日の大惨事を少しも反省していないような様子でオレたちの前に現れたコイツは、オレとダズを見比べて、それからそう言ったのだ。
つーか、何しに来たんだよコイツ。
「何しにって……そらダズちゃんの乳を拝みに……」
「帰れ」
ノックされて扉を開けたら勢いよく入ってきやがったこのジジイ。今後はちゃんと誰が訪問してきたのかを見てからじゃないとな……
「で? どうしちゃったんじゃよぉダズちゃん……落ち込んでるよね? なになに、コイツに浮気された? だからこういう厨二拗らせハーレム願望持ちムッツリ童貞はやめといた方がいブッ」
言い終わる前に、ダズの拳がジジイの顔面に突き刺さる。
遠慮も何もないそれに、びゅおっと室内に風が巻き起こるほどの衝撃。ダズの怪力から繰り出されるソレは、一般人が喰らったら間違いなく即死クラスのはずだが……
ジジイはそれを、当たり前のように顔で受け止めていて。
「……喧嘩してねぇっつの。オレが全て悪いんだ……多分」
そうしてダズは、祖父が生きているだろうことはわかっていたのだろう。特に追撃もせず、殴った拳をひっこめて落ち込み俯く。
「おぬし、マジで何やらかしたの?」
「………………し、してないし?」
……やらかしてはいるけど、オレが言わなきゃバレるはずがない。
「ほーん? よくわからんが……こりゃマジで寝取りチャンスなのでは……? ね、ダズちゃんこんなクソ彼氏なんかと別れてさぁ? ワシとラブラブチュッチュしよ? ね? 騙されてるだけだって♡」
「……百歩譲ってオレに対する言葉の諸々は許してやるよ。だがなぁ……その、アニキのことを、間違っても
オレとしては、ダズに対するセクハラ発言全てが許せないわけだが……ダズはそれ以上に、オレが彼氏扱いされているのが気に食わないようだ。
そりゃそうだよな。
だってコイツ、オレと付き合いたくないって本心で思ってるんだもん。オレなんかが彼氏扱いされるの、嫌だよなぁ……
「アニキみたいなお方が、こんなちんちくりんな女と付き合うとでも思ってるのかァ? そりゃオレァ中身は男だしそもそもありえないが、そんなこと思考することすら烏滸がましいぞテメェ」
……まるでオレの理想が高いみたいな言い方をしているが、はたしてダズはオレがどんな女だったら付き合うと思ってるのか。
「アニキが付き合うなら、まず世界一美しくて横に並んでも見合うくらいの女で、器がデカくてなによりオレが認めるヤツじゃねぇとなぁ……いや、アニキが認められるくらいのヤツだってんならもちろんオレも歓迎だが」
……びっくりするほどハードル高すぎないか?
オレはもっとこう、ダズのように身近にいて落ち着く感じの、ダズのようにかわいくて意外と家庭的で、ダズのようにちょっと天然入ってるけど意外としっかりしてて、ダズのようにワンコ系属性持ちで……
いやもう、ダズがいい。
「……はぁ」
でもそれは、叶わないのだ。どうやらコイツはオレとは付き合いたくないみたいだし。
なんでだろうなぁ……だって両思いのはずだろ?
「? あ、アニキ? どうしやした?」
「いや別に? なんともない」
オレの心も知らないで、不安そうにオレの顔色を伺ってくるダズ。
そのちょうどいいところにある頭をぽんぽんと撫でて、オレはダズの追求を誤魔化した。高さ的に撫でやすいところに頭があり、こうするとさらに犬のように撫でやすく頭頂部を差し出してくる。ふわふわとした髪の感触もとても柔らかい。
男だった頃にはダズの方が身長高かったから出来なかったけど、そういえば昔はよくしていたものだ。
「……わ、わっその、アニキっ……」
ダズの頭を撫でていれば、頬を赤らめて次第に静かになっていく。
……付き合いたくないけどオレのことは好きだもんなコイツ。こうしてみるとわかりやすいな、かわいい。
「貴様、そうやってナデポで誤魔化しとるんじゃなぁ?! このクズゥ!」
「なにも誤魔化してねぇよ」
「ケッ! これだからこの手のヤカラはダメなんじゃよゴミカスゥ」
ダズがわんこのようにされるがままになってる横でジジイが睨みつけてくるが、無視である。
「やっぱりやるんじゃよ、傾向と対策ゥ! ポセカスに対するカイネウス、アテカスに対するメドゥーサ、アポカスに対するオリオン、イキリ厨二眼帯むっつりスケベ低学歴ゴミカスに対するダズちゃん……」
そのポセカスだかアテカスだかアポカスだかは知らないが、まさかイキリ厨二眼帯むっつりスケベ低学歴ゴミカスはオレの事じゃないよな? つーか低学歴じゃねぇよ。……むっつりは否定できないけど。
その他の槍玉に挙げられた人物がどういう奴なのかはよく知らないが、とにかく悪口なのはわかる。
「お主やらかしたんじゃろ?」
「し、ししししてない」
「お主がやらかしたことを、ダズちゃんが自分が何かやったって勘違いして1人で落ち込んでるんじゃろ? ワシの観察眼(TS娘限定)を舐めないで欲しいのう?」
オレはいつも通りになんとか振る舞っているが、ダズが何故か落ち込んでいるのはそういうことなのだろう。
行為自体はバレてはないはずだ。
じゃあなんだ、コイツのいうことが正しければ、昨日のことを意識してるのがバレてるってことか? いや、鈍感なダズがそんなこと気がつくのだろうか……?
「やっぱり悪いのお主じゃん?」
「ぐぬぬっ……他のヤツに罵られるのはまだわかるが、お前にとやかく言われる筋合いだけはないだろ」
性犯罪者にだけは言われたくない。
「ちーがーいーまーすぅー? いうならばワシとダズちゃんは同じような感じ、被害者の会だよ?」
「どっからどう見ても加害者なんだよなぁ」
「たしかに常識の枠から見たらそうかもしれんけど、ワシは被害者の一人として……先達としてダズちゃんをゲス野郎の手から救ってあげようとしてるだけで、今も昔も英雄なんじゃけどぉ?」
コイツが被害者な訳がないだろう。
こんな自由気ままがすぎる男を被害者に出来るほどの人物がいたら、会ってみたいものである。
「ヘェ……会ってみたい? 会ってみたいんじゃな?」
「……いややっぱ無理、会いたくないぞ」
「しかし会ってもらわにゃ困るのじゃ〜?」
ジジイは居住まいを正すと、パチンっと可愛くもないウインクをひとつ。
そして……
「この世で一番美しくって、ヒトデナシのロクデナシ子に会いに行こうにゃん♡」
ぞっ
あまりの気味の悪さに、オレは瞬時に全身に鳥肌が立つ。どうやらダズも同じだったらしく、相当顔を引き攣らせながらもその奇行にドン引きしていた。
にゃん♡ の語尾に合わせてネコの真似をするジジイの絵面が、あまりにも気持ち悪すぎたのだ。
「……ダズ、車長さんに電話してコイツ連れてってもらえ。不法侵入だ」
「へい、わかりやしたぁ」
「待ってぇ」
車長さんは確か女性で、コイツは女性が死ぬほど苦手らしい。なぜかはわからないが、言うこと聴かせるにはちょうどいいだろう。
「あの女だけは勘弁してぇ! 怖いの! 容赦なくワシのことチクチクチクチクいじめてくるの! まーじでアルテミスのトラウマ再来レベルよ?」
「ダズ、番号わかるか?」
「フロントに繋いで、そこから転送してもらいまさぁ」
「やめてぇ!」
と、必死に懇願してくるジジイ。
仕方ない。
こんなジジイのお願いを聞く価値なんてないが……まぁとりあえず話だけでも聞いてみるか。
「ワシと共に、この車から降りてほしいんじゃ! 今から!」
「いや、無理だろ」
アホなのか?
この車は今も時速50kmで荒野の中をひたすら都市へと向けて走っているんだぞ?
確かにこのジジイの身体能力を持ってすれば降りたところで怪我もしないのだろうが、そもそもそんなことをする義理も何もない。
むしろコイツをここから突き落としてほしいくらいだ。
「いやわかる! お主の困惑もわかる、でも仕方がないんじゃよ〜」
そうしてジジイは、居心地悪そうに頭を掻きながらも理由を話し始めた。
「……ワシ、じつはもともとお主をディーテのとこに連れてくるって仕事を任されて、シャバに出されてたんじゃよね」
「ディーテって、ダズを女にした張本人だよな?」
オレたちをそいつの元に、連れていく?
———そもそも、である。
このジジイいわく、ディーテとやらがダズのことを女にしたらしい。なのでそのディーテにオレとダズは会いに行くために、都市に行こうとしていたのだ。
ジジイがいうにはディーテとやらは空にいる。
ならば、空に関して研究の進んでいる都市に行き、自分たちでなんとかディーテに会いに行こうとして……それでこの車に乗っているわけだが。
———コイツが、ディーテのもとにオレたちを連れて行く役目を持っていただと?
は?
「だってぇ、それ言ったら早くディーテのとこに連れてけって絶対にお主ら言うじゃん? だから言わずに隠しておいて、お主がもうどうしようもないってなってワシの靴舐めながら懇願してきたら、まぁ考えてやろうかなくらいに思ってたんじゃけど……」
あまりの自分都合すぎる言い分に、言葉も出ない。
こっちは真剣にどうしようかと色々考えていろんな手立てを作って動いていたというのに、こんなクズ野郎のご機嫌だけで振り回されることになっていたなんて。
……ここ数ヶ月のオレとダズの努力は一体何だったのか。
「それに、ディーテの元に連れて行ったらまたワシあそこにずっと
ま、先延ばしもできなくなっちゃったわけなんじゃけど。
ジジイは残念そうに、唇を尖らせている。
「約束せざるを得なかったんじゃよね。『パソコンを元に戻せ』って。ソレできるのディーテくらいしかおらんから、ディーテの元に帰らなきゃいけないってワケ」
……それは、おかしな話だ。
これだけ人への嫌がらせ・セクハラ行為・もろもろの犯罪・そして今自供した仕事の放棄などを散々しているくせに、なのにそんな約束ごときを守ろうとするなんて。
この倫理観が吹っ飛んでいる男が、そんな約束程度で自己意思を曲げるなんて……到底考えられない。
約束を守らなくてはならない理由でもあると言うのか?
「辻褄あわねぇこと言ってんじゃねぇぞ。お前の言動と行動がなにひとつあってねぇよ」
「いやぁわかる、お主がわからんなーって思うのもわかるよ? でもぉ、ワシにも事情ってのがあるんじゃよ」
しかも、一般常識に当てはまらないタイプの事情ってやつ。
「ワシ、人からの約束事を反故すると、ちょっと重めな罰をくらう神託持ちなんじゃよね」
「しんたく……神託?」
聞き慣れない言葉に、オレは首を傾げる。ダズも同様だったらしく、知らないと答えを返した。信託じゃないのか。
それにしても……また、神か。こいつは本当に宗教好きだな。
「信託でもチン拓でもないぞ? 神託じゃよ?」
「チン択は誰も言ってねぇよ」
神託とは———
『絶対に破ってはならないルールであり、クラピカの念の制約と誓約みたいなものであり、ケルト神話でいうゲッシュとほぼ同義のものであり、すごく不便だしめちゃくちゃだけど与えられた以上どうすることもできない、個々人に対する法則定義』
「である!」
「……意味わからねぇよ?」
「クラピカ……?」
言ってる意味がカケラもわからないが、つまりそれを破ったらダメだという自己ルールを持っているという事だろう。クラピカとやらもケルト神話とやらもよくわからないが、つまりそういうものらしい。
そういえばコイツ、なんかキンタマがぬいぐるみになってたな……アレは『人工物を破壊してはいけない』という神託だったってことだろうか。
「今回、ワシはオレンジちゃんから『なんとしてでもパソコンを元に戻せ』なーんて言われちゃってぇ。ワシとしてはもうちょい遊びたかったけどぉ、パソコン直すにはディーテしか頼れないし? ディーテのとこ帰るなら流石にお主ら連れて行かないと何しに地上降りたの? って話になるじゃん?」
コイツがオレンジちゃんと呼んでいるのは、あの麻薬王オレン・D・ジュースの事だ。確かに、昨日ジジイのせいで彼のパソコンは派手に壊れていたな。
そのディーテとやらは、男を女にするだけではなく、壊れた物すらも直すような魔法を使えるっていう事だろうか?
「わからない……治せるといいなぁ……うん、ワシちょっと不安。でもなんとかしないと神託破りになっちゃうしぃ……」
あの場では約束するしか逃げられなかった、とジジイはさめざめと泣きながらも独白する。涙がぼたぼたと床に落ちているが、正直汚いので勘弁してほしい。
……それで、だ。
「オレたちがそのディーテのとこに行くのを拒否したら、どうする?」
「いやまぁ、お主にはまず拒否権ないんじゃけどぉ?」
と、ジジイはさも当たり前のように返してくる。
「……拒否権がない?」
「無理やり連れてくワケじゃけど」
「いや、連れて行かれないようにする」
「ワシにパワーで勝てるとでも? クソザコ短小包茎粗チン野郎が?」
「関係ないだろ」
短小でも包茎でも粗チンでもないぞ、オレは。
「オレ達が、ただ黙って誘拐されるとでも?」
「んー、できれば暴れないでいてくれたらすごい助かるんじゃけどぉ」
なんせこういう運び方じゃから。
ジジイはそういうと、身体を折り畳んだ。腰から180°綺麗に折りたたまれて、まるでガラケーのようになる。その背中がベコボコと音を立てながら、形を変え始めた。
肌が気泡のように泡立ち、そしてぱちんぱちんと弾けていく。その老人のしわくちゃの肌が茹だった湯のようにボコボコと隆起する様は、ひどくグロテスクであった。
そして。
身体は変容していく。
手足は細く伸びていき、クルクルと回転を始める。内臓を守るための骨格は形状を変えていき、肋骨は搭乗箇所のような大きさに広がる。尾骶骨だったところから尻尾がうねり現れて、そしてダズとオレの身体と……そして部屋に転がっていた荷物をも引っ掴んだ。
あまりにも気持ち悪すぎるだろコイツ。
「なっなっ……なぁっ……!?」
「いやぁ……コレ、運搬用形状のワシ中々体力いるのよね。モチベーション的な意味で」
「お前っ、どこから喋ってるんだよ!?」
頭部が体内に収納されているので、口も無ければ肺もかなり収縮してしまっている。かろうじて脳味噌だったものは形状を残しているようだ。剥き出しになって、オレ達の足元を這いずっている。
「蝉と似た感じで……手足のプロペラをうまく振動させて、こう、ね?」
「バケモノ……」
「いや今更すぎんか?」
ワシが人外なんて、わりと前から周知の事実じゃったんだけど? と、いつも通りの呑気な声をプロペラという名の手足から放つジジイ。
酷くても、オレは犯罪者なだけの普通の人間だと思ってたぞ?
「皆さま、今日もイーリアス航空750便、アフロディーテ大神殿行をご利用くださいましてありがとうございます。この便の機長はワシことパリス、客室を担当いたしますのもパリスでございます。まもなく出発いたします。ワシの尾骶骨シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください。空港までの飛行時間は5時間そこそこを予定しております。ご利用の際は、お気軽に乗務員に声をおかけください。それでは、ごゆっくりおくつろぎください〜なんちって?」
この世界には空を飛ぶ人工物がないから、まだこの形状に名前はない。しかし、異世界からやってきた老人だけが、この形状についている名前を知っていた。
———すなわち、パリスドローンである。