あれだけの『事故』が発生したというのに、九校戦は何事もなく行われていた。
現在の時刻は夜の七時。日はすっかり落ちきり、青空は星空に代わっていた。照明に照らされた会場では、キラキラと煌めく五人の少女たちの円舞が繰り広げられている。
『新人戦ミラージバット決勝戦。第一ピリオドが終了です! 現在の一位は第一高校司波深雪選手。続いて第三高校の一色愛梨選手、第一高校里美スバル選手という順位になっております』
ミラージ・バットは地上十メートルに投影される立体映像の球体を専用のスティックで叩いて消し、その数を競う競技だ。
全部で第三ピリオドまであり、第一、第二ピリオド終了時に数分間のインターバルがある。その時間に作戦会議だったり、休憩を取る選手などがいるが、深雪とスバルはエンジニアである達也の近くで身体を休めていた。
「二人ともいい調子だ。深雪はこのままの調子で、スバルも順位は三位だがまだ巻き返せる得点差だ。焦らずいこう」
「はい、お兄様」
「わかったよ」
二人は椅子に座りながらドリンクを口にする。二人ともまだ余裕そうだ。
『えーただいま入った情報をお伝えいたします。体調不良で不戦敗となっていた第一高校の光井ほのか選手ですが、体調が戻ったとのことですので第二ピリオドから出場することになりました。第二ピリオドからは全六名による試合が行われます』
アナウンスを聞いた観客、関係者たちは一斉にざわつきだす。それは深雪やスバル、達也も例外ではない。
「ほのか……!」
「やっときたね!」
深雪とスバルは安堵の表情を浮かべ、嬉しそうに頬を緩ませる。
客席にいたエリカは、不満の声が上がる前に大声で声援を送って会場全体にほのかコールを浸透させていた。おかげでほのかが会場に姿を現すと歓迎の拍手が鳴り響くことに。
しかし、全員がほのかを歓迎するわけではない。ライバル校からは警戒の色が見える。
「まさか……試合に出てくるとは想定外だよ」
「ああ、だが今さら出場したところで脅威じゃない」
「そうかな?」
「どういうことだジョージ?」
真紅郎は神妙な面持ちになる。彼は第三高校の天幕で見るつもりだったが、将輝が深雪の姿を一目見ようとしたため関係者席の将輝の隣で試合を観戦していた。
「彼女は実力者だが、逆転しても無意味なんだぞ?」
「うん、そうだね。でも警戒すべき点はそこじゃない」
将輝は真紅郎の言葉に耳を傾ける。
「第一高校の新人戦優勝条件はミラージバットで一位、二位を取る事。一位、三位や二位、三位の場合は明日のモノリスコードのポイントにかかってくるけど、第一高校としてはああいうアクシデントがあった以上、ミラージバットでポイントを稼ぐしかない。でも今は一色さんが二位につけている」
エンジニアとしての腕前は達也に遠く及ばないが、九校戦はエンジニアの腕前だけでは決まらない。愛梨とスバルを、魔法師としての実力を比べたときに、僅差で愛梨に軍配が上がる。これは達也の調整によるバフを考慮した上でだ。
「残念だけど一色さんでも司波さんには勝てないだろう」
現時点で得点はそれほど離れていないが、試合終了時に大差を付けられていることは容易に想像できる実力差が見えていた。
「でも二位は確実だと思っていた……光井選手が来るまではね」
「そこまで警戒する存在だろうか?」
「彼女の実力を警戒してるわけじゃないよ。僕が警戒してるのは、第一高校による一色さんへの包囲網が形成されることさ」
「包囲網?」
「司波さんは優勝確実。二位を一色さんと里美選手で争っているけど、そこに光井選手が一色さんの邪魔をしてきたらどうなると思う?」
「……あっ!?」
「そう。ミラージバットは選手に直接魔法を当てたり、接触して妨害することは禁止されているけど、前に割り込んできての進路妨害だったり試合の流れの中で、魔法の影響を受けたとしてもそれはルール違反じゃない」
「つまり、光井選手が途中参加してきたのは一色を妨害するためか?」
「その可能性があるってこと。もしそれが杞憂だとしても、光井選手に気を取られて里美選手に逆転されたら意味ないし、僕たちはこのまま試合が終わることを祈るしかできないね」
真紅郎たちの心配は当然、愛梨たちも考えていた。
「愛梨、気をつけてね」
「わかっているわ。大丈夫よ」
愛梨は真紅郎たちが話していた内容と同じ事を、補佐役に就いていた栞から聞かされる。
「必ず明日につなげて見せるわ」
――昨日の電話……叔父様たちは一条くんが負けたことで十師族に並ぶ存在として一色家の存在を示す好機と捉えているみたいね。そういう考え方は好きではないけど、夢を持って日本に来たお母様のためによき戦いを見せたい。そして何より自分のために……誇りが持てるベストな試合をしてみせるわ!
休憩を終えた愛梨は再び戦場へと足を運ぶ。その後ろ姿を見た沓子は頭の後ろで手を組みながら黄昏る。
「期待される才能も大変じゃな。並の者なら重圧に圧し潰されたり、反発を覚える事もあるかもしれぬが、しかし愛梨はそれを力にしてるから強い。そういう性質が皆を惹きつける由縁じゃな」
この試合は新人戦優勝がかかった試合だけではなく、少女たちの誇りをかけた試合でもある。
「じゃが気をつけるんじゃぞ愛梨。あやつは想う力が強ければ強いほど力を発揮するエレメンツ。この場にやってきたということは、想い人は無事じゃったんだろう。想い人の無念を晴らすためにも、あやつは限界を超えてくるぞ」
沓子の予想は的中することになる。
ミラージ・バットで勝利するために必要なスキルは二つ。
一つは如何に速く球体の投影位置まで飛び上がるか。もう一つは如何に速く投影位置を把握するか、である。光球が出現するまでのコンマ数秒の間に知覚できれば大きなアドバンテージになる。
『第二ピリオドが始まりましたが、最初の得点は光井選手です! 光井選手は光球が現れる前に飛び上がり、ホログラムの光を撃ちました!』
光のエレメンツであるほのかは、常人の目には見えない光の発生を知覚することができる。更に達也の調整したCADのおかげで魔法式の処理が圧倒的に速い。
この二つが重なり、ほのかは誰よりも速くホログラムの球体の場所まで到達することが可能となっている。まさにミラージ・バットも申し子と言っても過言ではない相性の良さだ。それだけに今回の不戦敗が悔やまれるが……。
「さすがねほのか……けれど私も負けられないわ」
ほのかに続いて深雪もポイントを重ねる。
ほのかが取れば深雪が続き、それに負けじと再度ほのかが球体を叩く。六人による決勝戦はいつの間に二人だけの円舞と化していた。
ほのかの登場に嬉々とした表情だった深雪からは笑みが消え、真剣そのものだ。その目は好敵手を捉え、深雪の力を以てしても今のほのかの勢いは止められない。
「幻影魔法!?」
会場内の誰かが口にした。
ホログラムのダミーの球体が星空の下に燦燦と現れたのだ。それは肉眼ではホログラムの球体と区別がつかないほど精密で、無数の光が選手たちの頭上を照らす。
「これほど広範囲とはね……」
達也は驚いたように呟いた。
ほのかはミラージ・バットの練習中にも同じような幻影魔法でダミーの球体を出していた。しかし体力消費が激しく、冷静なペース配分が大切なミラージ・バットで余計な幻影魔法を投下するのはスタミナの浪費でしかないと達也からは止められていた。
その時は、ダミーの球体はここまで本物と見間違えるほどの精密さが無かったからだ。
「これも偽物!?」
「どれが本物なのよ!」
ほのかの魔法に選手たちは困惑の表情を浮かべる。その間もほのかはポイントを重ね、気づけば三位のスバルと二位の愛梨を超えるポイントを獲得していた。
「くッ!」
愛梨もほのかの幻影魔法に翻弄される一人だった。
数撃てば当たる戦法で、適当に球体を撃てばスタミナを持っていかれ、冷静に本物と偽物を見極めようと球体を凝視し、本物と判断した時にはもう遅い。その隙にほのかが横取りしてくる。
ほのかの独壇場に待ったをかける唯一の存在が深雪だったが、その深雪もほのかほどのハイペースで光体を撃つことができず、ドンドンと差が縮まってくる。
逆転される、そう思った瞬間に第二ピリオド終了のブザーが鳴り響いた。
ほのかを除く五名の選手の表情は暗い。ほのかも決して明るいわけではないが、会場の観客席を見渡してはため息を吐くを繰り返している。
「お兄様」
勝敗の行方はまだわからない。まだ一位を保った深雪だったが、休憩所にやってきた彼女は双眸に強い光をたたえて達也を見つめる。
「どうした深雪?」
「アレを、使わせてください」
その目が、声が、「負けたくない」という意志を伝えてきている。綺麗だけの、可愛いだけのお人形さんではない、強い意志を宿した顔が、深雪の表情に現れていた。
達也は自然と唇がほころび、目が愛し気に細められた。
「いいよ。全てはお前が望むがままに。頑張っておいで深雪」
本来は使う予定のない魔法。だが、達也ですら予想外のほのかの活躍に、深雪の感情は沸々と燃え滾っていた。
やるからには全力で。深雪は達也からCADを受け取ると可憐に微笑んだ。
「勝ってまいります」
最終ピリオド。途中出場とは思えないほど深雪とほのかのポイント差はほとんどなかった。
観客たちもほのかの圧倒的なパフォーマンスに息を呑み、声を出すのも忘れて二人の妖精へ視線を送る。
『最終ピリオドスタートです!』
アナウンスと共にほのかは広範囲に無数の幻影魔法を発動させた。またほのかの一人舞台か、そう思われたが、最終ピリオドで最初の球体を撃ったのは深雪だった。
『最終ピリオド、最初の得点は第一高校司波深雪選手です。司波選手はそのまま足場に降下し……しません!?』
極小の起動式が止まることなく、途切れることなく起動処理が繰り返される。そして深雪の身体は降下することなくフワリと空へ舞い上がった。
球体を撃った深雪の身体は空中で一旦止まり、足場へ降りていかず、空のステージに作られた、風精のリンクを優雅に滑走してそのまま次のターゲットへ向かったのを目の当たりにした時、歓声は絶句に変わった。
偽物の球体などお構いなしに、空に浮かぶ全ての光を撃つかの如く、一つ、二つ、三つ……と本物の妖精になった深雪が星空を舞う。
一角の光球を撃ったところで、凍り付いた観客の声帯は、徐々に融け始めていた。
「飛行魔法……?」
誰かの呟きは次第に会場全体へと広がる。
今や選手ですらも、呆然と上空を見上げている。囁き声に等しい呟きは、静まり返った競技場に、不思議なほど響いた。
「トーラス、シルバーの新作の?」
囁きは連鎖する。
「でも先月発表されたばかりの術式だぞ!?」
「だけどあれは紛れもなく……飛行魔法だ!」
その場に居合わせた全員の目が、空を舞う少女へ向けられていた。もはやほのかのことなど視界に入っていない。
彼らを除いては――
湖の上空で繰り広げられる天女の舞。
空を飛ぶという現代魔法の革新に、「不可能」とすら言われていた奇跡の実演に、人々は陶然と空を舞う少女を見上げていた。
――これまでだな。
達也は深雪の勝利を確信し、深雪の舞う姿を目に焼き付けていると、客席から怒号のような叫びが木霊した。
「ほのかッ!」
天女に目を奪われていた人々が一斉に声の発生源へと視線を向ける。
「はる、くん?」
「頑張れっ、ほのかちゃん!」
客席の最後列。ステージから一番離れた場所からでも鮮明に聞こえてくる声援。その声の主は車椅子に座った少年だった。
「はるくん……ッッ」
少年は少女に向かって拳を突き上げ、下品に見えるほど気障ったらしく笑う。
「よかったぁ……ふふっ……っ」
だが、これほどまでに彼女が安心する表情はなかった。
飛行魔法によって流れが深雪に傾いていたが、一人の少年の登場によってほのかの瞳には眩い光が灯り、虹彩の模様が変化した。
純愛神の加護『恋は盲目、あなたに首ったけ』が発動したのだ。
【愛する者を想う気持ちが強ければ強いほど魔法力が大幅に増大】
深雪が空を飛んだの対して、ほのかは時空を超えた――。
「な、ん、だこれ?」
「瞬間移動?」
「消えては、現れて……また消えたぞ……っ!」
その名も『光速移動』とも言うべきか。ほのかの姿が消えたかと思えば光球の傍で現れ、それを撃つとまた消える。そしてまた別の光球の近くに出現するという、光と光の間をテレポーテーションし始めた。
瞬間移動したかのように高速で移動する『移動魔法』や『加速魔法』は存在するが、ほのかのそれは高速という次元を超えていた。
達也の眼ですら移動中のほのかの姿を捉えることができず、彼女は純愛神の加護が発動している間、遥を瞳を照らす光となった。
『司波深雪選手の飛行魔法に目を奪われていましたが……光井ほのか選手の――瞬間移動魔法と言いましょうか、夜空にアーチを描くそれは飛行魔法に引けを取らない輝きを放っています!』
深雪の一人舞台から一変、今年の新人戦ミラージ・バットは混迷を極めた。
星空の下で行われる一進一退の攻防。深雪とほのかは試合終了の合図が鳴るまで熾烈な戦いを繰り広げ、会場内にいる彼ら、彼女たちが魅了という呪文から解放されたのはブザーが鳴ってからだった。
――なんて遠い存在なの? あんなに練習したというのに、すぐそこに背中が見えるというのに、ものすごく遠い……。これが練習の差? 才能の……? いえ、そんなことは、そんなはずは……お母様!?
観客たちは華々しい魔法を見せられて歓喜するが、一番近くでそれを見る選手たちは勝てるはずがないと心が折れていた。
一人、また一人と足場から飛び立つことなく唖然と立ち尽くしていく。
そんな中、愛梨はポイントこそ取れないものの、最後まで球体目指して跳躍を続けていた。例えそれが偽物の光だとしても。
そして飛んでいる最中、愛梨は客席に座る母の姿を見た。大好きな母親に恥ずかしいところは見せられないと、愛梨は自分の本気の力が、深雪やほのかにも負けない実力だと証明しようと飛び立つ。
――あの光めがけて、マジックフェンシングのように、私の剣を突き通す!
愛梨の剣は、一瞬だけ深雪とほのかを置き去りにした。
『試合しゅ~りょ~です! 最後にポイントを獲得したのは強烈な魔法を見せられた中でも、最後まで諦めなかった第三高校の一色愛梨選手だー!』
深雪が飛行魔法を発動させてから愛梨が獲得したポイントは一点だけだったが、最後に一矢報いることができ、悔いのない表情を見せる愛梨。
愛梨や深雪、ほのかを始めとする選手たちには万雷の拍手が送られる。
一位 光井ほのか
二位 司波深雪
三位 一色愛梨
と表示されていた電光掲示板は、すぐに修正された。
こうして今年の新人戦ミラージ・バットは規定により深雪が優勝、愛梨は二位という結果に終わった。
【次回の投稿は6月15日19時予定です】