新人戦ミラージ・バットは深雪の優勝で幕を閉じた。
「さすが深雪さんね」
「会長!」
一日が終わり、第一高校の天幕で片づけをしているあずさたちの元に真由美がやってきた。あずさはすぐに駆け寄ると、とんでもない仕事を押し付けてきた真由美に唇を尖らせながら愚痴をこぼす。
「会長! 会長が病院に行ってから大変だったんですからね~!?」
ものすごい剣幕だ。疲労からか少しやつれているようにも見えるが、子栗鼠のように頬を膨らませながら怒る姿に、真由美は自分の妹もデザートを勝手に食べられた時はこんな風に怒ってたなぁ、と笑いをこらえるので必死だった。
「もうっ、聞いてますか!?」
「ごめんなさいね、でもあーちゃんだから信頼して現場を任せられたのよ?」
「……」
「それと、はい、お土産」
「何ですかこれ」
「病院でもらったグレープジュースよ。部屋で冷やして飲んでね?」
「はぁ……」
真由美の表情や周りに漂う空気が、数時間前までの張りつめた雰囲気からは想像もできないほどに柔らかいものになっていることを不思議に思いながらジュースを受け取った。
「会長、何か良いことでもありましたか?」
「へっ、ど、どうしてそう思うのかしら?」
「別に大した理由はないのですが、会長の雰囲気と言いますか、表情が嬉しそうなので……」
遥と交われて幸福感に浸っているとは言えない真由美は、動揺を悟られないように「暑いわねぇ」と顔を手で扇ぎだす。
そんな二人を遠目から見ていた鈴音は、十師族であるにもかかわらず真由美の誤魔化しの下手さに呆れながらも、テーブルの上の情報端末を片付けていた。
「まあ、深雪さんが優勝したからかしらね」
「確かに飛行魔法はすごかったですけど……」
あずさの中では飛行魔法よりもそれを調整した達也の事が気になっていた。
CADを完全マニュアルで調整したり、最新技術の投入。さらには『インフェルノ』や『フォノンメーザー』など起動式が公開されていない高等魔法のプログラムの使用など、トーラス・シルバーにしかできないようなことを次々と行う達也の存在が……。
「あーちゃん?」
「ふぇ、あ、な、何でしょうか!?」
「疲れてるなら先にホテル戻ってもいいのよ、今日は大変だったんでしょう?」
「いえ、大丈夫です。それよりも、聞いてくださいよ会長!」
あずさの声が天幕に響き渡る。
「会長が病院に行った後、司波君が大問題を起こしたんですよ!」
「え?」
あずさの叫び声が、彼女の心労を物語っていた。
「達也君が……どうして?」
「理由はわかりませんけど、ミラージバットに出る深雪さんたちのCADチェックのために、大会委員の天幕に向かって、そこで係員に殴りかかったとか、暴れたとか色々情報が錯綜してるんです!」
「ええっ、それは本当なの!?」
「はい、それで十文字会頭が話を聞きに行ったり、私はCADの調整で詳しくは聞けてないんですけど、皆の空気が悪くなってるし、今もお祝いムードが何となく気まずくなってますし……」
達也が意味もなく暴力を振るったり暴れる人間ではないと思っているからこそ、真由美は頭を働かせた。
いま天幕に残っている者たちの多くは、達也と九校戦で知り合った人ばかり。中には大会が始まるまで達也の実力を疑問視する者や達也の起用に反対する者もいる。
今でこそ達也の実力が認められ、好意的な者が増えているが、その彼らの表情を見てみると微妙に変化していることに気づいた。
否、元に戻ったと言うべきかもしれない。真由美は彼らの心の揺らぎを感じ取った。
「大丈夫よ、あーちゃん」
「何がですか?」
「達也君の事よ。達也君が暴れたのが事実だとしても、きっとそれは『シスコンお兄さんが大事な妹にちょっかいをかけられて怒り狂ってしまった』だけだと思うから」
「……へ?」
「だってあーちゃん、達也君は深雪さんたちのCADを持って大会委員の天幕に行ったのよね?」
「はい」
「なら、そこで暴れた理由は『妹のCADに何かしようとしたから』としか思えないんじゃない?」
「確かに……」
「だから気にする必要は無いわ。大切な妹を守るのは兄の役目なのだから」
達也自身は自分がシスコンだという事を認めていないが、彼がシスコンだというのは周知の事実。
真由美の直球的な表現を聞いていた天幕内の生徒たちからは『シスコン……』『いつものか』『確かに、ぷぷぷっ』と、ピリピリした空気が一変した。
「これ、ホテルに持っていくのよね?」
「え、あ、はい、そうですけど」
「じゃ、私が運ぶわ」
「え、私が運ぶので大丈夫ですよ!」
「あーちゃんは今日一日頑張ったんだから少しくらい先輩に甘えなさい」
そう言うと真由美は机の上の段ボールを両手で抱えた。ウインクが様になっており、ポケーっと見ていたあずさだったが勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
「いいのよ。それじゃあまたね」
その場にいた生徒たちへそれぞれ労いの言葉をかけると、真由美は一人で天幕の外に出た。
「か、会長」
すると天幕の外には試合を終えた深雪とその横に達也が立っていた。
「あら、深雪さん。ミラージバット優勝おめでとう」
「ありがとうございます」
深雪は背筋をピンと伸ばしたまま綺麗なお辞儀を見せる。そして顔を上げると再び真由美に視線を向けてきた。
深雪の視線は何かを訴えかけているようだが、真由美にはそれが何なのかわからなかった。
「七草会長、本当に、ありがとうございます」
今度は煌びやかな黒髪が垂れるほど深いお辞儀を見せる。
深雪がここまで感謝を示すのは兄が関係していると相場が決まっている。となれば理由は先ほどの会話だろう。
「聞かれていたのね。なんだか恥ずかしいわ」
真由美はふふふっと、艶然と微笑んだ。
「深雪さんがこんな反応を見せるってことは事実だったのかしらね。シスコンお兄さん」
「俺はシスコンではないのですが……」
「いいじゃないの~、その方がみんなも達也君と接しやすいと思うわよ」
「シスコンだから安心できるという思考の方が危険なのではないでしょうか?」
「細かいことはいいじゃないの」
他の人とは違い、大会委員の天幕での話を聞いてもいつもと変わらぬ態度の真由美に、深雪も達也もいつの間にか敬意を示していた。
「深雪さんは試合の報告に来たのよね?」
「はい」
「ならさっさと終わらせちゃって祝勝会に参加しないとね。達也君も今日はご苦労様。達也君は……ホテルに戻ったらウチが借りているミーティングルームまで来てもらえる?」
「……わかりました」
「じゃ、今日はお疲れさま~深雪さんは、改めて優勝おめでとう」
終始笑顔の真由美が二人に背中を向けながらこの場を離れていく。深雪と達也は真由美の立ち振る舞いに、後ろ姿に、三連覇を目指す第一高校を牽引する者の強さと重みを感じた気がする。
夏の暑さとは異なる種類の温もりを感じた深雪は、真由美の背中に向かって再度頭を下げるのだった。
毎日恒例となっているホテルでの夕食会という名の祝勝会では、その日の主役を中心に盛り上がりを見せるのだが、今夜の主役は飛行魔法を用いてミラージ・バットを制した深雪だ。
達也がいないからか、深雪の周りには学年、男女関係なく群がっている。
「飛行魔法ってトーラス・シルバーのだよね!?」
「やっぱり空を飛ぶって気持ちいいの?」
「疲労感とかはどんな感じ?」
「夜空を舞う妖精のようでとても可憐でした!」
深雪はにこやかに笑みを浮かべているせいで周りの生徒は彼女の心境に気づいていない。もしここに達也や遥がいれば状況が変わっていたかもしれないが、彼女にとって不幸なことにその両者の姿は見えない。
普段深雪と仲のいい一年女子メンバーも、さすがに上級生を押し退けることはできないようで、深雪から少し離れたところで食事を摂っていた。
「深雪は大人気だねぇ」
「そりゃあ成功例が無いって言われてた飛行魔法を完璧に使いこなしたんだもん。魔法師なら興味がないわけないよ」
エイミィは口いっぱいに料理を詰め込みながら、スバルはジュースの入ったグラスを片手に深雪とその周囲に群がる集団に視線を送る。
深雪にはマスコミや魔法関係者の取材の申し込みが大変なことになっているようだが、もう夜も遅く深雪の体調面を配慮した結果、後日という事になった。
その根回しも真由美が行ったというのだから、深雪は彼女の優しさと気遣いに頭が下がる思いだろう。
「だーけーど、その深雪に勝ったほのかはやっぱり愛の力が大きかったわけ!?」
「へっ?」
「もうっ! 宮守君がいないからって私たちの前でも上の空になるのはへこむなぁ」
ほのかの反応にエイミィが唇を尖らせる。
どこか放心状態のほのかはさっきから焼き飯をスプーンで掬っては皿の上にこぼすを繰り返していた。
「ご、ごめん。聞いてなかった」
「まあ大切な大切な恋人が無事だったんだから仕方ないんじゃないかな?」
遥は今頃、病院のベッドの上だろう。特例としてほのかの試合中だけ外出が認められたが、本来は安静にしなければいけない状況である。
ほのかは遥の傍についていようとしたが、遥から祝勝会に出るよう言われて渋々参加している。内心では早く遥の元に行きたくてうずうずしていた。
「それで嬉しくてテレビカメラの前であんなことしちゃったんだ」
「ふぇっ、あ、あれは……か、カメラが向いてるとか知らなかったから……」
「ふーん、じゃあカメラがなかったらもっと激しいことしてたんだ」
「え、ち、ちちがうよっ!」
ほのかから遥と性行為をしている事を聞かされている彼女たちは、からかうようにほのかを弄ぶ。
「でも人前であんなえっちぃことするなんて……魔法師としての印象が悪くなったかもしれないなぁ」
「不純交遊異性だ! って抗議の電話くるかもしれないね」
「それを言うなら不純異性交遊だよエイミィ」
「あれ、そうだっけ、まあどっちでもいいじゃん!」
「うぅぅ……」
スバルとエイミィに迫られて顔を真っ赤にするほのか。そんな彼女に助け舟を出したのが、遥との性行為で艶々の肌になっている雫だった。
「二人ともあまりほのかをいじめないであげて」
「しずくぅっ」
やはり持つべきものは親友だ、とばかりにほのかは自分より背の低い雫の背中に身を委ねる。
「ほのかは性欲に正直なだけだから。この胸だってハルカに揉まれて大きくなったし、ほのかはエッチな子だから温かく見守っていてあげてほしい」
「それフォローになってないよしずくぅうっ!」
信頼していた人に裏切られ、絶望の表情を浮かべる。胸を揉まれて大きくなったかはさておき、雫の話は真実だから余計にたちが悪い。ほのかは恨めしそうに呻りながら雫を睨む。
「はははっ、まっ、ほのかだからしょうがないっか」
しかし、雫の言葉を冗談と捉えたスバルとエイミィは話を切り上げて再び料理にかぶりつく。
「あれ?」
「普通はほのかが淫乱でエッチが大好きなんて言っても信じないから、これくらい大袈裟に言った方が効果的」
「し、雫……」
「もし仮に信じられても、ほのかが淫乱って噂が広まるだけだから問題無い」
「問題ありありだよっ!」
二人だけの会話に、相変わらずほのかと雫は仲良いなぁという目を向けられる。
食事や会話に夢中で誰も気づいていないが、食事会場に設置されたモニターには新人戦四日目のハイライト映像が流れていた。
そこにはミラージ・バットの試合を終えたほのかがステージから降り、雫に支えられながらほのかを出迎えた遥と抱擁するシーンが映し出されていた。
抱き合った後には濃厚なキスシーンが……。幸い、この映像は会場の大型スクリーンと会場周辺のホテルのテレビでしか流れることがないため、全国の九校戦ファンに二人のラブラブシーンが公開されることはなかった。
後に今回の九校戦が映像媒体としてディスク化・販売され、そのタイトルが『愛と情熱の九校戦‼』となって歴代最高売り上げを記録したのだが、今の彼女たちにそれを予測するのは不可能だろう。
同時刻、真由美に呼び出された達也は夕食会には参加せず、第一高校が借りているミーティングルームへと足を運んでいた。
「司波達也、参りました」
ノックの後、声がかかって部屋に入ると、そこでは完全にたがの外れた狂躁状態となった一高の生徒たちとは対照的な、感情を胸の内に抑えこんだ上級生たちが達也を待っていた。
真由美、克人、鈴音、服部、あずさを始めとする第一高校の幹部が勢揃いしている。他にも桐原や五十里啓、花音などの姿もあった。
摩利の姿が見えないのは何故だろうと思案していると、この場では唯一微笑を浮かべている真由美と視線が重なった。
「今日はご苦労様でした。選手の頑張りはもちろんだけど、達也君には期待以上の成果を上げてくれて感謝しています」
「ありがとうございます」
モノリス・コードでのアクシデントがあったばかりで喜びを表に出すことはできないのだろうが、それにしてもこの場にいる者たちの表情は硬すぎるように見える。
真由美も表情は柔らかいものの、随分と格式張った言葉をかけてきた。達也も呼応するように形式的な答えを返す。
「お陰で当校の新人戦は現在一位です」
どこか余所余所しさすら感じる口調に、入学直後ぶりの緊張感が襲ってくる。
「そして二位の三高とは五十ポイント差。現段階で二位以上を確保できました」
新人戦も残す競技は後一つだけ。モノリス・コードが残っている。
新人戦は本戦のポイントから二分の一のポイントが獲得できるが、本戦モノリス・コードの得点は百ポイント。新人戦はその二分の一だから優勝すれば五十ポイント獲得する。
「今も言った通り、モノリスコードを棄権しても準優勝は確保できました。あとは三高の結果次第。とはいえ三高はあの一条くんと吉祥寺くんが出場しています。二人の事は知ってる?」
真由美に問われ、達也は一言「はい」とだけ答えた。
「そう……それで、あの二人が組んでトーナメントを取りこぼす可能性は低いでしょう。モノリス・コードを棄権すると新人戦優勝は、ほぼ不可能です」
第一高校がモノリス・コードを棄権し、第三高校が優勝した場合、両高の獲得ポイントは同じになる。しかし規定により、同点の場合は最終競技の成績の高い方が優勝となるのだ。つまりモノリス・コードの順位次第。
「新人戦準優勝。私たちはそれでもいいと、十分だと思っていたのだけれど……」
真由美の言葉に達也は、彼女が何を言いたがっているのかを察した。そしてこれから言われるであろう言葉に達也は表情を引き締める。
「遥くんにね、ここまで来たら優勝したいって言われちゃって……」
「は?」
何故ここで遥の名前が、と達也は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「七草会長、一つ、お訊きしてもいいですか?」
「……ええ、何かしら」
「当校はモノリスコードを棄権したわけではないのですか?」
怪我をしてプレーが続行不可能な場合であっても、その競技の登録外のメンバーとの交代は認められていない。
遥の無事は確認できたが、森崎たちは重傷だと聞いていた達也は疑問を投げかける。
「達也君も知っている通り、事情を鑑みてモノリスコードの試合スケジュールが変更になり、予選は明日の午前中に行われることになりました」
それは達也も知っていた。それは達也の質問の答えではない。
「十文字君が大会委員と話をし、特例として選手交代を許可してほしいと申し出ました」
真由美の言葉に達也は口を閉ざして耳を傾ける。
「しかし大会委員の返事は我々の申し出を棄却」
一高を陥れたいと考える連中が大会委員の中に紛れ込んでいる以上、一高の意見は通らない。
「選手交代は認めないが、必ずしも三人である必要は無いという答えが返ってきました」
「三人である必要が無い……?」
強調されていた部分を復唱する。
「はい。それと当校が決勝リーグに進出した時点で一高の新人戦優勝が確定。それ以降は消化試合となるため、エキシビジョン扱いとして試合進行しても良いとの返事がありました」
つまり、決勝リーグに進出すれば交代選手を認めるという事である。
「それでさっきの遥くんの話に戻るのだけれど、遥くんにその話をしたら、遥くんは一人で予選に出場すると言ってきたの」
「はい? 一人で?」
「ええ。私も驚いて、一人でなんて危険だと認めないつもりだったけど……」
真由美の視線が克人に向いた。
「俺が認めた」
「十文字会頭がですか?」
「ああ、宮守は七草と話をした後、二人で俺の元までやってきた。そして試合を懇願するあいつの生きた眼を見て俺が折れたというわけだ」
克人はこう見えて『漢』に弱い。遥の中の漢に克人が負けたのだ。
「七草会長は良いのですか?」
「明日元気だったらという条件付きだけど……まぁ、ねぇ?」
真由美が嬉しそうに頬を赤らめたのを達也の眼は見逃さなかった。遥の母性本能をくすぐる訴えを受けて、真由美が断れるはずもない。お礼としてたくさんの愛という名の賄賂を貰った真由美は牝の表情をしていた。
「それなら、どうして自分がここに呼ばれたのでしょうか?」
「達也君には、もし遥くんが予選を突破した時、遥くんと一緒に決勝リーグに出てほしいのよ」
真由美の言葉に達也は眉のしわを深くした。
【次回の投稿は6月18日19時予定です】