魔法大学付属高校にとって夏の九校戦は一大イベントだ。
九校戦には毎年十万人もの人が観戦に訪れ、有線放送の配信が一千万再生以上される魔法師の枠組みを超えたビッグイベントとなっている。
生徒たちにも九校戦に出ることを目標にする者も数多くいる。選手に選ばれなかった者は来年こそ、という想いでこれから行われる『九校戦代表チーム発足式』に憧憬の視線を送るだろう。
七月十八日
四時限目が終わり、講堂の舞台裏には九校戦メンバーに選ばれた生徒たちが集っていた。
選手たちはテーラード型のスポーツジャケットを羽織り、エンジニアの生徒は薄手のブルゾンを着て、皆緊張した面持ちで仲のいい人たちと固まっている。
端の方では、遅れたやってきた達也に対して深雪がエンジニア用のブルゾンを広げている。達也は軽く膝を屈げて袖を通すと、深雪は襟と裾を正して満足そうに微笑んでいた。
上機嫌な深雪の態度とは裏腹に、周囲の人間は冷ややかな視線を達也に向けている。
理由は明白だ。
二科生が九校戦のエンジニアに選ばれた例は過去に一度と無い。九校戦は一科生が出るべきという考えを持つ生徒が数多く存在し、未だに達也を認めていなかったり否定的な選手が多い。そういった者たちが達也を軽視していた。
そんな中、ほのかだけは深雪と達也のやり取りを見て、輝かせた目を遥に向ける。
「はる君、私もあれやりたいです」
「あれって?」
「深雪がお兄さんにやったことです」
「ここで?」
遥は発足式に出る準備を済ませていたが、ほのかの高揚感に満ちた綺麗な瞳を向けられては断ることができなかった。
ほのかは脱いだジャケットを受け取ると、深雪がやったように遥の後方に回る。
「どうぞ」
「ありがと」
袖に腕を通しジャケットを羽織る。ほのかが遥の前に移動すると、背伸びしながら肩を合わせ、襟と裾を整えた。
「少し屈んでくれますか?」
「ん? これでいい?」
「はい、ありがとうございますっ」
遥は屈むと、ほのかはわざわざネクタイを緩めて結びなおした。慣れてないのか少し手間取っていたようだが、無事結ぶことに成功。
結婚した後に、自分が旦那となる遥のネクタイを結ぶ姿を連想させたのか、ほのかの頬がだらしなく緩んでいた。
「お似合いです。はる君」
「ほのかちゃんも似合ってるよ」
「えへへ」
こちらには司波兄妹とは違った視線が突き刺さっていた。
それからまもなくして発足式は始まった。
全校生徒が見守る中、プレゼンターの真由美によって選手一人一人が紹介されていく。紹介された選手はIDチップが内蔵された徽章をユニフォームの襟元に付けてもらう。このIDチップが競技エリアに入るために必要になるため、無くさないようにしなければならない。
それを付ける役目は深雪だった。
一つ一つ気品ある所作に、徽章を付けてもらった選手だけではなく全校生徒が深雪に見惚れていた。
更に息遣いが聞こえてきそうな至近距離で微笑みかけられた男子生徒は、頬を紅くしながらも顔を崩さないよう必死に耐えていた。
遥の出番がくる。深雪は他の選手と変わらぬ笑みを浮かべて遥の襟元に徽章を付け始めた。
「今日も可愛いね」
「おめでとうございます」
「特に笑った顔なんて写真に収めたいくらい魅力的だ」
「徽章を付け終えたので元の場所にお戻りください」
相手が学年一の美少女で皆にとって高嶺の花のような存在であろうと関係なく口説く。
深雪も最初の頃は顔に出して反応していたが、今では軽くいなすまでに慣れてしまっていた。
だが、女性を口説くことに長けた会話スキルと甘いマスクによって遥の手の中に落ちてしまう女性がいるのも事実。
深雪がそうならないのは彼女自身の自制心の強さか、それとも他に意中の男性がいるのか……。
「お兄さんがエンジニアに選ばれてよかったね。カッコいいお兄さんで羨ましいよ」
「……ありがとうございます」
徽章を付け終え、講堂全体に拍手が広がっている中、繋がらない会話が最後に繋がった。やはり深雪は達也の事になると感情を隠すのが下手になる。
「じゃあまたね」
無事に発足式が終わった。
これにより本格的に九校戦への準備に移っていく。選手たちは毎日閉門時間ぎりぎりまで練習し、達也は風紀委員の仕事をしながらエンジニアとして駆けずり回っていた。
九校戦は学校中が選手たちを支援するため、運動部に所属しているエリカやレオなども色々と下働きをさせられている。
エリカは主に遥の傍にいてマネージャーのような形だったが……。壬生紗耶香もひっそりと遥の事を応援していた。
運動部はともかく、文化部に所属する生徒にとってはいつもと変わらぬ日々が続くはずだった。
例年通りであれば、運動部の邪魔をしないよう静かに活動、または活動を制限していたが、今年は文化部全体に覇気があった。特に二、三年生たちは部の垣根を超えて日が暮れるまで活動していた。
美月も美術部として文化部の一員となり先輩たちの指示に従いながら動いていたが、ある日の休憩時間に昇降口の近くを通ると見慣れぬ波動に気が付いた。
遥との性行為によって霊子放射光過敏症の症状が軽減されている。それにも関わらず美月の目を襲う痛み。思い切って眼鏡を外すと色の洪水が押し寄せてきた。
様々な色調の光が溢れる。学校に広がる謎の光。
美月は痛みに耐えながら光の波が強くなる方へ歩いていく。
「実験棟まで続いてる」
光の波動の発動源である実験棟に近づくと冷気が美月の身体を纏う。
真夏だというのに寒気すら感じる。夏に怪談話をすると涼しくなるというが、それに近いモノを感じていた。
しかし魔法科高校に怪談など入り込む隙間などない。美月はその正体を突き止めようと足音を立てないように近づいていく。
「匂い? 魔法薬学で嗅いだことがあるような……」
鎮静効果を持つという複数の香木をブレンドした香りが美月の鼻腔を擽った。この香りは薬学実験室まで続いていた。
霊的ではないことに多少の安心感を抱きながら、好奇心が勝り、美月は実験室の扉にできた隙間を覗いた。
「っっ!!?」
その瞬間、悲鳴を飲みこんだ。否、後ろから口を塞ぐように抑えられたのだ。
美月は動揺し自分の口を覆う手を噛みつこうとしたが、見覚えのある匂い、手の形に、冷静を取り戻した。
「はるんっ……っ?」
しぃー、と口に手を添えられる。愛する人の登場に美月の身体が熱くなっていた。
頬に熱を感じながら遥と一緒に扉の隙間を覗き込む。
「精霊かな」
「ンッ」
耳元で囁かれるたびに美月の口から吐息が漏れる。
耳は駄目、とばかりに身体を震わせながら遥と身体を密着させた。
薬学実験室の中では、青や水色、藍色の光の玉がいくつも飛び回っていた。
いつも美月の眼に映っている光は、散ったり集まったり絶えず流動するものばかり。しかし目の前に広がる光は意思があるように踊っていた。
美月はこれによく似た光景を見たことがある。
つい先日の事。更衣室で遥と性行為中にエリカの身体を囲っていたもの。それと似たモノを感じていた。あの時は光の正体を突き止めることができなかったが、今なら何かヒントが得られるかもしれない。
だからつい声を漏らしてしまった。
「吉田君?」
「あっ」
「え?」
遥が思わず美月の顔を見た。
状況が悪かった。普段の美月なら、術を行使してる時に声をかけることなどしなかっただろう。しかし今は好奇心と、それに傍に遥がいることの安心感と幸福感が美月の注意力を散漫にさせていた。
「誰だっ!!」
誰も来ない場所で声をかけられたのだから、条件反射で術者に使役されている光が美月に襲い掛かった。
「きゃっ!」
押し寄せてくる光の波に美月は悲鳴を上げた。だが美月の元に光が辿り着くことはなかった。
遥が美月を庇うように手を伸ばす。その指先に光が集まり、遥の指先にじゃれつくように光が跳ねていた。そして何度か跳ねると光は遥の手の中で消え去った。
誰かに使役されているモノが他人に懐くことは基本的には無い。だからこそ遥のした事に対して困惑と、憎悪に等しい感情を出して睨む男子生徒がいた。
だがしかし険悪な雰囲気を壊したのは第三者の介入だった。
「落ち着け幹比古。今お前とやり合うつもりはない」
突然の達也の登場。達也は抵抗の意思がないことを示すようホールドアップさせながら遥たちの隣に立つ。
戦意のない証に幹比古の敵意が消えた。
「ごめん達也」
「気にするな。俺も気にしていない。それに元はと言えば術者の心を乱した美月が悪い」
「ふぇっ!? 私ですか!?」
「確かに美月ちゃんが悪いね」
「は、はるか君まで!?」
遥の唇が三日月状になっているのを確認して、美月は自分が揶揄われていることに気づいた。
「酷いですはるか君っ!!」
「ごめんごめん」
距離が近い二人。幹比古は二人を見て顔を赤くしながら精霊使役のための香木や卓上炉を片付けだした。
達也は幹比古の方へ歩きながら問いかけていく。
「今のは精霊魔法だろう?」
「うん。家では神祇魔法と呼んでるけどね」
「実際に見るのは初めてだが、自然霊の喚起魔法か?」
「何故それを……達也は古式魔法も学んでるんだったね。やっぱり非じょうし……すごいんだね」
達也と幹比古の会話から美月はあの光の正体を知った。
「水霊か? 俺には霊子の塊があるということしかわからなかったが、美月にはどう見えたんだ?」
「え? 私も青系統の光の玉が見えたくらいで……」
美月は遥にも「でしたよね?」と聞くと、遥も小さく頷いた。
幹比古はそのやりとりをみて、目を見開き顔を強張らせていた。
「色の違いが見えたのかい?」
「え、あ、はい。青や水色や藍色が……」
「なんだってっ!?」
幹比古が興奮気味に美月に迫ろうと駆け寄ったが、幹比古から美月を守るように遥が立ちはだかる。
思わず遥を睨む幹比古だったが、達也に肩を掴まれ我に返っていた。
「女の子を怖がらせてはいけないよ」
「……ごめん」
「謝るのは俺じゃなくて美月ちゃんにかな」
「ごめん、柴田さん」
「い、いえっ!」
美月としては遥に抱きしめられたため悪い気はしなかった。それどころか、大義名分を得た美月はクラスメイトの前で堂々と恋人と抱き合っていた。
遥の背中に回った美月の手を見た達也は一瞬目を尖らせる。
「急にどうしたんだ?」
「ごめん達也」
「俺に謝る必要はない」
「うん。精霊の色の違いが分かる人がいるなんて思っていなかったから驚いて」
既に美月の耳には遥の鼓動以外聞こえていなかった。
ドクン、ドクンと一定のリズムで美月の身体と共鳴し、甘い匂いと包み込むような温もり。鍛え上げられた肉体に抱きしめられ、美月の感情が抑えきれなくなっていく。
遥もいつまでも抱き合っているわけにはいかないので離れようとするが、美月がそれを許さない。苦笑いを浮かべながら、達也と幹比古が水晶眼について話しているのを盗み聞きしていた。
「ところで、えっと、宮守君、だよね?」
達也との会話を終えた幹比古が遥と向き合う。
「……うん。初めまして、であってると思うんだけど、一年A組の宮守遥って言います。みやっちって呼んでくれていいから」
「一応初めましてだね。僕は吉田幹比古。幹比古でいいよ宮守君」
「みやっちでいいのにな。まぁ他の男子と同じで遥でもいいよ」
「わかった、遥。それで、えっと、二人は恋人同士ってのは本当なのかい?」
「ふぇっっ!!?」
驚倒しすぎて美月の声が裏返っていた。頬が紅潮し、頭のてっぺんから湯気が出そうなほど慌てふためているが、美月の反応とは逆に遥は笑い飛ばしていた。
「ハハッ、こんな可愛い彼女がいたら毎日が楽しいだろうね。でも俺には他に彼女がいるからね。美月ちゃんとは親しい友人ってところかな?」
「かわいっ……は、はいっ、とても親しい、友人です!」
妙に『とても親しい』が強調されていた。もはや隠すつもりがないのか、美月は遥の傍を離れない。
「クラスの女子がそんなこと噂してた気がするんだけど……それで友達なんだ」
九校戦の練習が始まってからも遥は毎日のように美月を迎えに行っている。自分の時間を削ってまで美月を大切にする遥の姿を見て、E組の女子たちは嬉嬉とした調子で二人が蜜月の仲にあるのではないかと妄想している。
最初の頃は数名しかその光景を目撃していなかったが、今ではほとんどの女子が美月を迎えに来る遥を見ようと放課後になっても教室に残っている。
そして美月を教室から連れ去るとそれぞれが興奮気味に会話を弾ませる。
密かに『美月と遥を見守る会』そして『美月の背中を応援する会』が誕生していたのだった。
それを知ってた幹比古だが、本人たちの口から直接恋人じゃないことを告げられ少し喜んでいた。
幹比古たちのような存在にとって、水晶眼の持ち主は巫女であり喉から手が出るほど欲しい人材。その彼女が誰のモノでないということに安堵していたのだ。
友達同士の距離感には見えないが、幹比古自身友人が多いわけではない。自分には知らない友人同士の距離感があるのだと一人で納得していた。
「遥はどうしてここに?」
達也も気になっていた問いかけを幹比古はする。
「九校戦の体力トレーニング中に美月ちゃんの姿が見えてね。何か様子がおかしかったから気になって後をついてきたんだよ」
「……そうなんだ。柴田さんと同じで遥も光の色がわかったのかい?」
「なんとなくだけどね、美月ちゃんみたいに青、水色、藍色じゃなくて青色としかわからなかったけど」
「っ……君は、宮守って言ったよね?」
「うん、そうだけど?」
「あの宮守家なの?」
「あの?」
遥は顔を傾げる。
達也も幹比古の含みを持たせた言葉に無意識のうちに目が鋭くなっていた。
「いや、何でもない。ただ、家の古い書物の中で宮守家の名前を見たことがあったような気がしたから、僕の気のせいだったかもしれないけどね」
「へぇ」
遥も知らない世界に興味を抱く。
この世界に転生して自分の家について詳しく調べたことは無い。魔法の資質が無い子しか生まれてこない家系だということは知っていたが、気にはしてこなかった。
初めて自分の家の歴史について興味を持った瞬間だった。
美月はもう……。
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【次回の投稿は1月21日19時予定です】投稿日程が前後するかもしれません。