八月一日。
国立魔法大学付属第一高校の駐車場には一台のバスと複数の作業車が停まっていた。
バスの中には一人を除いて九校戦に出場する生徒たちが全員揃っていた。彼らは旅行気分を味わいながら、声には出さないが時計の針を気にしているようす。
それもそのはず。指定された集合時間は疾うに過ぎていた。それでも誰一人として文句も言わずに待ち続けているのは、この場にいない人物というのが七草真由美だからである。
真由美がこの場にいないのは寝坊したとか時間を間違えたとかそういう無責任な理由ではない。
急遽、家の事情で遅れると摩利に連絡が入った。真由美は現地で合流するから出発しておいてほしいと言っていたのだが、三年生全員の希望により真由美を待つという事になった。
集合時間から一時間半が経過。
太陽が激しく自己主張する夏空の下、達也と日傘を差した摩利がバスの外で真由美の到着を待っている。
「汗臭いですか?」
「どうしたんだ急に、あまり自分を卑下するのは良くないぞ」
「そういうわけではないのですが、どうしてそんな離れて立っているのか疑問に思ったもので」
達也は自分と摩利の距離が妙に離れていることに疑問を抱いていた。
嫌われるようなことをした覚えもなく、汗の水分と成分を、皮膚と衣服から空中へ発散させる魔法を使用しているため臭うわけも無い。
摩利のパーソナルスペースを理解していたつもりだったが、避けられているような気がした達也は摩利に尋ねた。
「別に対した理由じゃないんだが……。日傘をさしているから達也君に露先が当たらないようにしてるだけなんだけどな。それとも一緒に日傘に入るかい?」
「いえ結構です」
摩利のおちょくりを軽くいなす。
達也は上手くはぐらかされたことにため息をつきながら、バスの中から出てきた人物へ視線を向けた。
「達也君が入らないなら俺が摩利ちゃんの日傘に入ろうかな」
遥がバスの中から降りてくると摩利の日傘の中に入る。突然の事に摩利は反応できないでいた。
「なっ……っ」
「ふふっ、そんなに照れなくても良いじゃんか~」
「照れてなどいない。急にお前は現れたから驚いただけだ」
真夏の熱に照らされたのか摩利の頬が赤らんだ。
達也は摩利の急変した態度を訝しがりながら、遥の大胆な行動に目を細める。
「どうしたんだ遥。トイレか?」
「いや、この炎天下の中待っているのは大変だと思ってね。はい二人にプレゼント」
「……スポーツドリンクか」
「うん、水分と塩分を取らないと熱中症になるからね。深雪ちゃんに達也君に冷たい飲み物渡したいからって言って冷やしてもらったんだよ」
この状況で不満を抱えている少女がいた。
夏だというのに霜焼けの心配をしなければいけないほどの冷気を発し、窓の外から兄の様子を見守る少女の姿があった。
遥としては快適な温度に心地よくなっていたのだが、隣に座る寒がりの雫の事を想い行動に移した。
『達也に飲み物を持っていく。ヌルイより冷たい方が達也も喜ぶだろうし冷やしてくれる?』という趣旨の言葉を少女に投げかけると、少女は破顔させながらペットボトルに入った液体を容器ごと一瞬で凍らせた。
その光景を見たほのかは『ひえっ』と駄洒落なのか恐怖なのかわからない声をあげた。
機嫌を取り戻した少女の後始末を恋人たちに任せ、遥は凍ったスポーツドリンクを達也と摩利に渡す。
「すまないな」
「すまない、じゃなくてこういう時はありがとうって言ってくれた方がこっちも嬉しいんだよ」
「……ありがとう。深雪にも感謝してると伝えておいてくれないか?」
「おっけー、はい、摩利ちゃんもどうぞ」
摩利の飲み物は達也ほどではないがひんやりと冷たく、手に持つだけで熱気が冷めていくようだった。
「ごめんなさ~い!」
サンダルのヒール音を軽快に奏でながら真由美が駆けてくる。
遥は胸の揺れを注視しながら、達也は無言で端末に表示された学生名簿の出席リストにチェックを入れた。
自分の用は済んだとばかりに達也は作業車の方へと歩いていく。
「ゴメンね達也君。私一人のせいで随分待たせちゃって」
「いえ、事情をお聞きしていますので。では失礼します」
「あっ、行っちゃった」
真由美は達也の背中から目線を切ると、鋭い目つきで睨みつける摩利と目が合う。
「遅いぞー真由美。一時間半の遅刻だ」
「ごめんごめん」
咎める言葉も謝罪もそれだけ。真由美の視線は摩利と隣にいる遥に向いた。遥を見て一瞬表情を強張らせたが、二人に悟られないようにいつも通りの柔らかい笑みを浮かべる。
「ところで二人はどうして相合傘なんてしてるの?」
「俺と摩利ちゃんはラブラブだからね」
「ば、ばかっ!! 違うぞ真由美。これは遥が勝手に入ってきたんだ!」
この三人の関係は非常に複雑である。
真由美と摩利は悪友とも呼べる親友同士だが、実は二人は遥と深い仲にある。
遥との関係を誰にも知られていないと思い込んでいる摩利。
遥と摩利が逢瀬を重ねる関係だと知る真由美。更に自分も隠れて遥と唇を重ね合う関係。
摩利は遥との関係を真由美にも秘密にしているため、過剰に反応を見せる。
「ふーん、何か怪しいわねぇ」
動揺する友の態度に真由美のいたずらっ子スイッチが入る。しかし思わぬカウンターをもらう。
「真由美ちゃんの私服素敵ですね」
「ふぇっ? あ、ありがと」
「とても可愛いです。いえ、お綺麗です」
「そうかしら?」
遥に褒められて満更でもない様子。無意識のうちに遥に対して上目遣いを向け、両腕で胸元を強調するように屈んだのを遥は見逃さなかった。
一年生は全員制服を着用しているが、二、三年の生徒は私服の者が多い。摩利も私服なのだが、真由美とは違って極力肌を隠している。
公の席では肌の露出を抑えるべし、という現代の服装マナーが染みついているようだ。
だが、今の真由美のファッションは非常に目立っていた。
両腕両肩がむき出しのサマードレス。スカート丈も膝上まで。素足にヒールの高いサンダル。おまけに少し屈むだけで胸の谷間が見えてしまうため、今時の男子には刺激の強い服装となっている。
しかし遥は見慣れた女性の肉体に、照れることなく真由美の格好を凝視する。
「今すぐ食べちゃいたいくらい似合っていますよ」
「ッッ」
「ふふっ、ではまた後で。失礼します」
摩利に聞こえないように真由美の耳元で囁いた。「また後で」という意味を誤解した真由美は、身体の疼きを隠しながらバスに乗車した。
真由美が到着し、全員揃ったバスは目的地である『富士演習場南東エリア』の会場付近のホテルへと出発した。何事もなければ昼頃には着く予定だ。尤も最初の予定では午前中に着く予定だったのだがこれ以上の説明は蛇足だろう。
走行中のバスの中ではそれぞれが自由な時間を過ごしていた。
「達也君が『ありがとう。俺はお前のような妹がいて幸せだ。この飲み物を、お前からの愛情だと思って大切に飲むことにするよ』って言ってたよ」
「本当ですか!?」
「うん、直接お礼を言いたかったみたいだけど、ホテルに着いたらたくさん甘やかしてやるとも言ってたな」
「お兄様が……」
先ほどまで不機嫌そうに冷気を振りまいていた深雪だったが、遥からの脚色された達也の言葉を聞くと、興奮したように両手で頬を抑えながら一人の世界に入っていった。
心なしか深雪の周りにはお花畑が見えた。
「遥、深雪のお兄さんは本当にそんなこと言ってたの?」
「世の中には知らない方が良いことだってあるんだよ」
「後で深雪に凍らされても知らないからね」
「その時は雫ちゃんに温めてもらうよ」
遥の隣に座る雫が呆れたように肩をすくめる。
本来遥の隣はほのかが座る予定だった。しかし今朝のやり取りで遥の隣は雫が勝ち取ったようだ。結果、ほのかは深雪の隣の席に座っていたのだが、待っている時に一番被害を受けたのは彼女なのかもしれない。
ホテルに着いたらほのかを思う存分甘やかせてみようと誓った遥である。
「それよりも、雫ちゃん」
「なに?」
「ちゅーしよ」
「っ!?」
不意にそんな言葉をかけられ瞠目する。雫は慌てて周りを見渡し聞かれていないかを確認したが、幸いなことに遥の発言を聞いたものはいなかった。
「は、ハルカ?」
「大丈夫だよ。後ろの席からは見えないよう認識阻害の魔法を張ってるし、隣はほのかちゃんだから見られても大丈夫」
「そ、そういう問題じゃなくて……っ」
狼狽するのも当たり前である。
二人の関係は誰にも知られてはいけない禁断の関係。もし遥を妬む人に見つかってしまえば火の粉が降りかかる。
「バレたら大変なことになるスリル満点のキスをしてみたいと思わない?」
「思わない」
「雫ちゃんは安全思考だもんね」
「それが普通」
「普通の人は何股もするような男を好きにならないよ」
「……ハルカが特別だもん」
「ふふっ、そんなこと言われたら嬉しくて余計にキスしたくなってきた」
真由美の露出の多い格好を見た時に遥の性欲値は急上昇していた。理性を失いおっぱじめる危険は無いが、この世界では何があるかわからない。少しでも性欲値を下げようとキスを迫る。
「もしバレたら俺に無理やりされたって言っていいから」
「やだ」
「やだって……」
遥の匂いに惑わされた雫が距離を縮める。
「もし誰かに見られても、私がハルカに頼んだって言う。だって、好きな人を守りたいと思うのはハルカだけじゃないから」
「雫ちゃん」
認識阻害の魔法によって二人の後ろに座る生徒は、遥と雫が見つめ合っていることに気づかない。しかし声までは防げないため、二人は鼻がぶつかるほどの距離で囁き合っている。
思わぬ雫の告白に遥の幸福感は限界突破する。
「キスするよ?」
「……うん」
夢にまで見た九校戦の舞台に、選手として出られるという高揚感が違うベクトルへと向かう。
雫もできる事ならキスをしたいと思っていた。自分の気持ちを押し殺し、昂る感情を必死に抑えていたというのに、遥の甘い誘惑に殺していた想いが崩壊した。
「んっ」
二人の唇が重なった。
音を出さないよう、軽く触れるだけのキス。けれど心の底から爽やかでありながら淫猥な感情が湧いてくる。
「あむっ」
「んん」
触れるだけでは満足せず、遥の唇が雫の上唇に噛みついた。
雫の身体が震え、漏れそうになる声を唇を押し付けることで封殺する。
思いっきり喘ぎたい気持ちと、唇から身体中に循環する快楽のせめぎ合い。雫の両腕が遥の腰から背中へと回る。
「ドキドキするね」
「……んふぅ、うん」
リスクに見合うだけのリターンがあった。
「ほのかちゃんが見てるよ」
「えっ?」
真ん中の通路を挟んで向かい側にほのかと深雪が座っている。その通路側にほのかが座っており、ほのかは羨ましそうな表情を向けて二人を見ていた。
「ほのかちゃんに見せつけるようにキスしよっか」
「ハルカの意地悪」
そう言いながらも雫はほのかに遠慮することなく遥の唇を味わう。
横目でほのかの姿を確認すると、赤面しながら頬を膨らませていた。やきもちを妬きながらも憧憬の表情を向ける。
調子に乗った遥は唇だけではなく舌も絡め始めた。
「はぁっ、はんむっ……んぁっ」
注意深く周囲の音に耳を傾けていれば気づく者がいただろう。しかし、車内にいる生徒はみな、外の景色に目を奪われていたり、近くの友人たちと旅行気分を満喫する者で溢れていた。誰もこんな場所で淫靡な雰囲気を出しているとは思わない。
深雪ですら浮かれ気味に妄想の世界に入っている。
だからだろう。もう少しだけなら大丈夫だろうと高を括った。
遥の手が雫の太腿から下腹部、臍と伝って徐々に上がってくる。そして雫の慎ましい胸へとたどり着く。
「ふぁっ、んんっぅ」
キスによって高められた身体に迸る快感。
胸を触られるだけなら我慢できた。だが、遥は衣服の上から雫の乳首とその周辺部位をこねくり回した。
普段は味わうことのない緊張感の中での交わり。それが想像以上に雫の身体を敏感にしていった。
ゾクゾク、とした刺激が少しずつ雫の体内を侵していき、口の中に溜まった遥の甘い唾液を飲んだ瞬間にそれが弾けた。
「ンンぁっ……」
雫の上体が大きく跳ね、狂おしく背中を反らせた。
「ぁんっ!」
そして漏れる声。
それは他に意識を向けていても反応してしまうほどの音量だった。
響き渡る艶声に一瞬車内の時間が止まる。
二人の後方にいた生徒は、確かめまでには来ないが不審がりながら遥たちの様子を伺い、ほのかの隣に座る深雪は妄想の世界から戻ってきた。
ほのかが自分へ意識を向けるように深雪に話しかけるが、深雪は軽く聞き流しながら雫の方へ視線を送る。
「今の声、雫の声よね?」
「へっ? そ、そうだったかなぁ? わ、私かも。咳するときにあはん、はんっってするから」
必死の説得虚しく深雪の視線が二人を捉えた。
「二人は何してるの、かしら?」
深雪は怪訝そうに眉をひそめながら尋ねる。
「え?」
さすがの遥も焦ったのか、額の汗を拭う。
「ちょっとしたゲームをしてたんだよ」
「ゲーム?」
「うん。じゃんけんで負けた方が勝った人の命令を聞くって簡単なゲームをね」
咄嗟に思いついた言い訳を口にする。
ほのかの目には新鮮なほどに焦る遥の姿が映っていた。
「それで、俺がじゃんけんで勝ったから『十秒間くすぐりに堪える』って命令したんだけど、雫ちゃんの脇をくすぐったら思ったよりエッチな声出しちゃったみたい。ね?」
「……うん」
雫はしおらしく頬を赤らめながら頷いた。深雪には遥の身体に隠れて雫の顔がよく見えなかったが、普段の雫ではないことが見て取れた。
「よかったら深雪ちゃんもする?」
「……私は遠慮しておきます」
「ざーんねん。深雪ちゃんに意地悪してみたかったんだけどなぁ」
「……そういうのはほのかだけにした方が良いと思います」
「そうするよ。ごめんね雫ちゃん」
「ううん。大丈夫」
危うく難を逃れる、といったところか。
周囲の人間も遥と深雪の会話に耳を傾けていたため変な誤解をされずに済みそうだ。
ほのかが甲斐甲斐しく深雪に声をかけていたおかげで、いつの間にか深雪の意識もほのかへ向いていた。
遥と雫はほのかに感謝しながら、暫くは大人しく過ごすことに。
だがしかし、一難去ってまた一難が訪れる。
毎回の誤字報告本当に感謝しています。ありがとうございます。
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【次回の投稿は1月29日19時予定です】