予想外に道草を食ってしまい、遥たち三人がバトル・ボードの試合会場に着いたのは準決勝第一レースが始まっている最中だった。
エイミィは自分が出場する種目のアイス・ピラーズ・ブレイクの試合を見に行くと言い残して別れたが、おそらく午後までには一年女子メンバーの大半が遥とほのかのキス写真を見ることになるだろう。
そんな予感を抱きながら先に席を確保してくれていたエリカたちと合流した。
「なるほどねぇ、だからほのかがあんなにふわふわしてるんだ」
普段よりもほのかの表情筋が数段階緩んだ理由を知って納得のエリカ。幹比古はほのかの笑顔を見て少し頬を赤らめるほどに魅力的な女の子がそこにはいた。
「幸せそうです」
美月もほのかを見て一言呟く。
ここには達也を除くいつものメンバーが勢ぞろいしていた。達也はエンジニアとして作業があるらしく、摩利の試合までには間に合うらしい。
深雪は達也の席を確保しながら興味がなさそうな素振りをしていたが、静かに遥とほのかの唇を見比べていた。
そしてそれが遥にバレて頬をピンク色に染めながら目線を外した。深雪も年頃の女の子という事がわかった瞬間だった。
ピンク色の会話をしていると第一レースが終了。
女子バトル・ボード準決勝第二レース、摩利の試合が近づいてきて、会場の巨大スクリーンには注目選手として摩利の映像が流れている。
「きゃぁ~~摩利様~~」
「かっこいいーー!!」
真由美とは対照的な女子人気。
スタート位置周辺の観客席最前列では大量の女性応援団が群がり、黄色い声援が会場を包み込んでいた。
「相変わらず凄い声援ね」
「初日より増えてないですか?」
エリカは苦虫を噛み潰したような顔をしながら最前列を見る。
美月もあまりの大声援に苦笑いを浮かべていた。
「この準決勝は『海の七高』と謳われる七高の有力選手もいるから注目カードなんだよ」
「去年の決勝のカードだったわね」
冷静に雫が解説し、深雪が同調する。
そんな中、突然遥が立ち上がった。
「ハルカどうしたの?」
「ちょっとトイレにね」
「……もうすぐ渡辺先輩の試合始まるよ?」
「じゃあ急いで行ってこないと」
そう言うと遥は出入口の方へ歩いていく。
遥は途中で抜け出して他の女子と交流するという前科があるだけに、雫の目は不審げになるが、遥に微笑まれると許してしまう少女がいた。
遥の背中を見つめていると、入れ違いで達也がやってくる。
「お兄様こちらです」
「ああ、すまない」
作業を終えた達也は深雪の隣に座る。
「遥は?」
「たった今トイレに行くって出て行った」
「そうか」
深い意味はないらしい。空席となった遥の席を見るとすぐに視線を戻した。
「凄い人気だな」
「見かけに騙されてるだけよ」
達也の呟きにエリカが辛辣な言葉で返す。予選の時もエリカは摩利に対して厳しい言葉を向けていたが、達也は聞こえなかったふりをした。そして今回は話を逸らすことでエリカの言葉を聞き逃す。
「あそこにいるの遥じゃないか?」
達也は自分たちから離れた場所にいる遥を指さす。
「え、どこですか?」
ほのかは身を乗り出して達也が指さす方向を見るが、人の波の動きが激しくて目視できない。
様々な色が飛び交うこの場所では、遥の目立つ白色の髪の毛は目印にならなかった。
「あの最前列の……あ、落ちた」
「お兄様?」
思わず達也の腰が浮き上がるほどの衝撃に深雪すらも驚きの表情を浮かべる。
会場内の興奮が最高潮に達しようとしているが、その喧噪に紛れて達也たちの周りの女性陣が慌てふためく。
「落ちたってどういう事!?」
試合どころの騒ぎではない。
準決勝第二レースに出場する三名が水上でボートに乗ってスタートの合図を待っているにもかかわらず、彼女たちは選手に目もむけない。
「あそこじゃないですか?」
美月が指さす一帯には、スタート前だというのにそこだけ妙に騒がしく、スタート位置ではなく観客席最前列の手すりの真下を覗き込む人がいた。
「私行ってきます!」
「ほのか、もうすぐ試合が始まるから。今動いたらマナー違反」
「で、でも……」
「試合が中断しないってことは大した事じゃないと思う。試合が落ち着いたら動こう」
「ぅん……わかった」
場内の大型モニターには予定通り試合開始の合図が映し出される。
ほのかたちは試合どころではない胸騒ぎに襲われている頃、まさか観客席から落下したところを目撃されていると思いもしない遥はというと……。
(作戦通りかな?)
混雑する人の行き来を利用し、人にぶつかったふりをしてわざと観客席から試合会場に落下することに成功した遥。
少々荒業ではあったが、無事に第一目的を果たす。
「キミ、大丈夫かね!?」
「あ、すみません、人混みに押されて観客席から落ちちゃいました」
「……」
毎年小物やゴミなどが落ちてくることはあるが、人間が落ちてくることは初めてだそうで、戸惑いながらも大会運営の人間が数名遥に駆けてくる。
代表して一人が遥に声をかけるが、後ろでは警戒したように遥を見ている。
試合前の緊迫した時間、ハプニングにより試合を中断するか本部に問い合わせるが、本部から返ってきたのは『進行を妨げるな』の一言だけ。要は時間通りに試合を開始するという意味である。試合に無害な高校生一人をどうするかくらい個々の判断に任されているようだ。
遥には本部の人の言葉すら裏があるような気がしてならなかった。そんなに時間通りに進めなければならない何かがあるという事か。
単純にスケジュールの問題かもしれないが、これから起こるであろう出来事を知る遥には、きな臭い以外に感じられなかった。
「歩いて帰れるかね?」
「……落ちたときに足を挫いてしまったようです。担架をお願いできますか?」
「担架? 私が肩を貸して医務室まで連れていくよ」
「いえ、大会運営の方のお世話になると後で高校側から怒られそうなので担架をお願いします」
「……わかった。すぐに持ってこさせよう」
担架も同じようなものだが、遥が新人戦に出場する選手という事もあり、渋々だが担架の要請に応じる。
その間も試合の準備が進み、摩利たちの試合が近づいていた。
「もう少しで来るから……何してるんだ?」
「足を固定しようと思いまして。応急措置ってやつですよ」
「あぁ、確かに応急措置は大切だな」
「はい」
制服のブレザーを脱いで立ち上がる。しかしブレザーで足を固定するわけでもなく肩に羽織ったまま。
「試合始まりますね」
「そのようだ」
「例えば俺が試合エリアに侵入したテロリストで、試合が始まった瞬間にテロを起こしたらどうなりますか?」
「ハハハっ、もしそんなことをすれば私たちがキミを制圧するだろうね。私の後ろにいる人間は対人戦闘のエキスパートだし、高校生だろうと手加減はできないが……懇親会の閣下の真似事かな?」
そう言って豪快に笑い飛ばす運営関係者。
確かに遥の言葉を真に受けるほど九校戦の会場の守備体勢は薄くない。
九校戦では外部からの魔法干渉による不正を防止するため、対抗魔法に優れた魔法師を各競技場の試合エリアに配置されている。
他にも監視装置を大量に設置し、試合エリア以外から魔法を察知した場合はすぐに対処される仕組みになっている。
誰でも知っているような基礎知識だが、いま遥たちがいる試合エリアではその限りではない。
つまり遥の位置からだと魔法を使うことが可能だという事だ。
ただ、遥が魔法を使う素振りを見せようものなら、彼らは躊躇することなく遥を拘束するだろう。そして厳重注意では済まさない処罰を受けることになる。
本来であれば関係者以外の人間が試合エリアに入るだけでも処罰の対象になるのだが、今回は不慮の事故として扱われることになった。
「試合が始まったようだな」
モニターに『START』の文字が表示され、試合開始のブザーが鳴り響いた。
「なんだか申し訳ありません。注目の試合なのに俺なんかに構っていただいて」
「元々試合など見る暇もないからいいんだよ」
一瞬歓声が止み、そして再び場内が沸きあがる。
スタートから摩利と七高の選手が一気に飛び出し三高の選手が出遅れた。
観客席からは『やっぱり一高と七高の一騎打ちだ!』と興奮した声が響いてくる。
バトル・ボードのコースはスタートからの直線を走り抜けると、最初の難関として鋭角カーブが待っている。
この鋭角カーブを制したものがバトル・ボードを制すると言われるほどの難関だが、遥たちはその鋭角カーブの延長線上にいた。
競技エリアからだとコースを囲うフェンスがあるため、直接摩利や七高の選手の激走を見ることはできないが、モニターから二人がこちら側に走ってくるところが見える。
興奮の熱が迫りくる中、遥は肩に羽織ったブレザーを着なおすふりをして虚空を指でなぞった。それは警備を任された大会関係者でも見破ることができない遥だけの力。遥は誰にも気づかれることなく結界の設定を完了させた。あとは発動させるだけ。
遥が前を向くと、歓声とは異なるざわめきが会場に広がりだす。
「コーナーで七高が仕掛けた!?」
「いや、違うっ!」
「曲がりきれないぞ!」
「オーバースピード!?」
「そんな単純なミスをするか!?」
「このままじゃフェンスに激突する!!」
客席から悲鳴が聞こえてくる。
遥の傍にいた大会関係者たちも異変を察してモニターに目を向けるが、体勢を崩しながら減速せず、逆に加速したままコーナーに向かって突き進む七高の選手が映っていた。
「おいおい……」
焦りを感じさせる呟きが聞こえた。
飛ぶように空中を滑る七高の選手。ボードは水面ではなく空を切っていた。既に自分では制御不可能な状況。このまま進めばフェンスに突っ込むことになるだろう。そうなれば辿り着く先は悪夢のような大事故だ。
現在一位の摩利はコーナーの真ん中で減速魔法から加速魔法に切り替えるタイミングだった。しかし背後から迫りくる異変に気付いたのか、カーブを曲がり切ろうとしていた摩利が前方への加速の魔法をキャンセルして停止した。
それから摩利の動きは迅速かつ的確だった。
七高のボードに移動魔法をかけてボードを弾き飛ばす。そして自分に加重系統・慣性中和魔法をかけることで相手を受け止めたときの衝撃を中和するつもりのようだ。
二つの魔法をマルチキャスト。
本来ならそのまま事故を回避できたかもしれない。
だが、摩利が七高の選手を受け止めようとした時、不自然に摩利の身体が沈んだ。
「ッッ……!?」
それによって衝撃を中和する慣性中和魔法が発動される前に摩利は体勢を崩してしまった。発動途中の魔法がキャンセルになり、そのまま七高の選手と衝突。
その結果二人はもつれるようにフェンスへ向かって吹っ飛んだ。
「きゃぁああっっっ!!」
会場に響き渡る大きな悲鳴。
誰もが大惨事を予想し目を背けた瞬間、フェンスに直撃しようとする二人の身体を謎の球状の障壁が包み込んだ。
二人はフェンスに直撃することなく、その障壁内でふわふわと宙を浮いていた。まるで無重力空間にいるかのように、ゆっくりとした時間が流れている。
絶望の悲鳴から驚きへ、そして感嘆、称賛した声へと変わっていく。
一般客はその障壁が競技立ち合いの大会委員による防御魔法だと勘違いした様子。勘違いの渦が次第に大きくなっていき、それがあたかも真実であるように広がる。
遥にとっては好都合だった。
すぐに試合中断のランプが灯り、関係者が事故現場へと向かう。
「お、おいキミ!」
近くにいた関係者の制止を振り切って遥も摩利の元へ走り出す。誰よりも早い到着に注目を浴びるが、遥が近寄ると障壁が消え、中で浮かんでいた二人が地面へと落下する。
遥は地面に落ちる前に二人を抱きかかえると、七高の選手を遅れてやってきた大会委員の人に預けて摩利をお姫様抱っこのように持ち上げた。
「は、るか?」
摩利は薄れゆく意識の中で遥を確認する。
「ゆっくり休んでいてください」
「……あぁ、すまないな」
フェンスへの直撃は免れたが、七高の選手と衝突した時に腹部を痛めたようだ。幸い折れてはいないようだが、検査が必要だろう。摩利は遥の腕の中で気を失った。
七高の選手は遥のために用意されていた担架によってすぐに医務室へ運ばれ、摩利も遥によって医務室へと搬送された。
「ここは……?」
目が覚めて、最初に見えたのは知らない天井だった。
遠くから聞き覚えのある声に、意識を覚醒させていく。
「……ここはどこだ?」
「摩利っ!」
「……真由美?」
「よかった、私がわかるのね」
「何を言って……」
その言葉で自分が置かれている状況を理解した。
「ここは病院か」
「ええ、裾野基地の病院よ」
「レースはどうなった? 七高の選手は無事なのか? あたしはどれくらい気を失っていた!?」
「落ち着いて摩利」
上体を起こして真由美に迫るが、真由美は優しく慰撫する。
「今はお昼過ぎよ。七高の選手は摩利が庇ってくれたから無事。あるとしても精神的なモノだから摩利が気にする必要はないわ」
気を失って二時間少々眠っていたことになる。気怠さを感じながら身体を見下ろした。
「腹部の打撲よ。骨に異常はないわ」
「……よかった」
「数日間は安静にしててほしいってお医者様には言われてるんだけれど……」
「打撲くらいでミラージバットを休めだなんて言わないよな?」
「摩利ならそう言うと思って代理の選手は用意していないわ」
「さすがあたしの親友だ」
「もうこんな時だけ調子いいんだから」
真由美と摩利の表情に笑みがこぼれる。
「それで……レースは、どうなったんだ?」
「……七高は危険走行で失格。ウチは二高と三位決定戦に回ることになったわ。小早川さんが代わりに出てくれることになったけど、気合が入ってるから三位にはなれるんじゃないかしら」
「……小早川なら、大丈夫だな」
摩利はゆっくりとベッドに沈みこむ。
「男子は、はんぞーくんが決勝進出。アイス・ピラーズ・ブレイクは十文字君と花音ちゃんが決勝リーグに進出したわ」
「あたしだけが計算違いか……」
静かに目を閉じ、その瞼が開くまでにしばらく時間を要した。
「摩利、貴女の判断は間違っていなかったわ。そのままレースを続けていれば七高の選手に巻き込まれることなく決勝に進んでいたと思う。けれど、貴女が庇わなければ七高の選手は魔法師生命が絶たれる大怪我をしていたでしょう。これは達也君も同意見よ」
「おい、そこで何故アイツの名前が出てくるんだ?」
「……一つ、聞きたいことがあるのだけれど」
「あたしの質問を無視するな」
「摩利、あの時、第三者から魔法による妨害を受けなかった?」
真剣な眼差しで覗き込んでくる真由美の顔を見て摩利は怪訝そうに顔を歪めた。
「どういうことだ? 確かにボードが沈みこむ瞬間に足元から不自然な揺らぎを感じたが……」
「そう、あの時、貴女の足元には魔法による事象改変に特有の不連続性があった。レースに参加している摩利も、七高の選手も、三高の選手もそんな魔法は使っていなかった。残る可能性は第三者による魔法」
そこでようやく事の重大さに気づいた。
「ここでさっきの達也君の話に戻るんだけど、彼、大会委員会から試合の映像を借りて五十里君たちと水面の解析をしてみるそうよ。そこで自然現象以外の力が働いたかわかるみたい」
「アイツはいったい何者なんだ……」
「そうそう、一番の功労者である白馬の王子様にも感謝しないとね」
「白馬の王子様?」
「はるか君のことよ」
「遥だと!?」
摩利の青白い顔に赤みが宿る。あまりの反応の大きさに腹部を押さえる。
「ど、どうして遥がっ」
「あら、摩利の元に一番に駆け寄ってきたのがはるか君じゃない。もしかして知らなかった?」
「いや、気を失う前に遥の顔を見た気がするが……」
「彼、客席から落ちて偶然競技エリアにいたみたい。それで運営の人の言葉も聞かずに一目散に摩利の元に走っていったのよ」
「何やってるんだアイツは」
呆れたように眉間を手で押さえる摩利。しかしどこか嬉しそうに頬が緩んでいた。
「はるか君ったら『俺が彼女を医務室まで運びます』ってお姫様抱っこで運んだのよ」
「ッッ」
「会場中の人がそれを見て白馬の王子様がお姫様のピンチに駆け寄ってきた、だなんて言うのよ」
「あたしはお姫様なんてガラじゃないぞ」
「みんなにはそう見えたってことよ。大会運営としてもマイナスイメージより明るい話題を提供したいから美談になってるわね」
九校戦を放送する有線放送では『先輩と後輩の絆』『クリムゾン・プリンスと白馬の王子様の直接対決なるか!?』などと煽っている。
その本人はというと、大会関係者の制止を振り切り、摩利の元に駆け寄ったことが問題視されて大会本部で注意を受けていた。
加えて遥は足を挫いたと言っていたためその発言の虚偽なども問われていた。『火事場の馬鹿力』『先輩の事が心配でそれどころじゃなかった』と説明しているが、解放されるまでもうしばらくかかりそうだ。
摩利は無事でした。これによってオリジナルルート突入。
【次回の投稿は2月28日19時予定です】