真由美と首絞めプレイをした翌日、ついに遥の試合の日がやってきた。
九校戦五日目、新人戦二日目。
スケジュールとしては、午前から新人戦男女クラウド・ボールの試合が予選から決勝まで行われ、昼食休憩に入る少し前から遥や雫が出場するアイス・ピラーズ・ブレイクの予選が始まる。
アイス・ピラーズ・ブレイクは氷柱の準備などで時間を要するため、今日と明日の二日間かけて予選を行い、明日の午後が決勝戦という流れになっている。
試合がある選手たちはゆっくりと会場入りする中、一高が借りているミーティングルームでは真由美や摩利、克人らなど三年生の幹部が会議を開いていた。
「森崎君は運が悪かったわね」
議題はもちろん昨日の新人戦の結果について。失望をオブラートに包んだ真由美の言葉と。
「男子は零点か」
失望を露にした摩利の呟きが続いた。
新人戦一日目の総括を行っており、スピード・シューティングの順位表を前に、そろってため息をついた。
「惜しかったんだけどね」
重苦しい雰囲気に真由美の呟きはかき消される。
女子スピード・シューティングでは表彰台を独占という快挙を果たした裏で、男子は出場した三名のうち二名が予選敗退。唯一予選を突破した森崎も、決勝トーナメント一回戦で優勝候補と呼ばれていた三高の吉祥寺真紅郎に僅差で負けてしまった。
女子と男子で明暗が分かれる結果となった一日。女子が結果を出しただけに、男子への失望は大きかった。
「三高の男子は一位と三位です。こちらは女子が一位、二位、三位。女子で稼いだ貯金がまだあります。あまり悲観しすぎるのもどうかと……」
分析班の鈴音が端末を手に持ちながら真由美に問いかける。とはいえ、沈滞ムードを拭い去るには弱い言葉だった。
「でも、ねぇ……」
真由美は頬杖をつきながらバトル・ボードの順位表へと目を移した。
「男子の不振はスピード・シューティングだけではない。バトル・ボードでも女子二名が予選通過したのに対して、男子は三名とも予選敗退だ」
克人は険しい表情で異を唱えた。
偶然ではない結果に、危機感を覚えているようだ。
「このままずるずると不振が続くようでは、今年はよくとも来年以降に差しさわりがあるやもしれん」
「それは負け癖がつくという事か?」
「そのおそれがあるだろう」
負け癖や苦手意識を持ってしまえば、それを克服するのは容易ではない。克人はそれを知っているからこそ、曖昧な言葉を使わなかった。
克人の言葉に真由美と摩利は黙り込む。
「男子の方は鍛えなおす必要があるようだ」
常勝チームを作るためには、来年以降も見据えなければならない。一高の選手たちは、自分たちが優勝できれば来年どうなっても良いという考えを持つ者はいない。克人の眼は先を見据え、九校戦後の地獄のトレーニングメニューを考えていたのだった……。
「うぉっと、さむっ……」
もし成績が悪ければ地獄の修行が待っているとは知らない遥は、妙な寒気に襲われていた。
「大丈夫ですか?」
「昨日裸で寝ていたから風邪ひいた?」
一緒に会場へと向かうほのかと雫に心配される始末。
「大丈夫大丈夫。いつも裸で寝てるし、二人が温めてくれてるんだから風邪なんか引くわけないだろ?」
遥の就寝スタイルは、何事も無ければほのか、遥、雫の順で『川』の字になって眠っている。そこにエリカや美月が加わると『太』の字になって寝たりしているが、基本的には誰かが横で寝ているため、その人物の温もりのおかげで寒いという事はない。
「でも……」
「じゃあ今日の試合が終わったら一緒にお風呂入って温めてくれる?」
「ハイッ喜んで!!」
遥の提案に即答するほのか。あまりにも食い気味だったためつい笑ってしまった。
「むぅ、何がそんなに面白いんですか~!?」
ぷんすかと頬を膨らませながら遥の腕に抱きつき、いちゃつきだす二人。そんな中、雫は目の前からやって来た男に声をかけられた。
「あの、ちょっといいですか?」
「ん?」
遥とほのかも不思議そうに男へと視線を向ける。
「北山選手ですよね? スピード・シューティング優勝おめでとうございます」
「……ありがとう、ございます」
「こっちは光井選手ですよね? バトルボード新記録おめでとうございます」
「ありがとうございます?」
まだ試合が始まる前の朝の時間帯。会場の周りの人の出入りは少なく、今も遥たちの周囲には人は見えない。
だがそれが余計に彼女たちを目立たせていたのだろう。一般人よりも目鼻立ちがよく、整った容姿の三人。
雫とほのかは昨日の活躍で一躍有名人となっていた。そんな三人が歩いていて声をかけられないはずもなく……。
「サインを書いていただけないでしょうか?」
サインを懇願され、ほのかは困惑したように遥の方を見た。
「えっと……」
サインを求められる機会などそうそうあるものではない。少なくともほのかと雫は初めての経験だった。
九校戦では一般客が選手にサインを求めることは禁止されていない。会場の関係者出入り口では出待ちがいるほど注目度の高い大会だ。
しかし、相手は高校生。サインに追われて心労が重なることも考慮され、一般席での試合の観戦中や試合後など混雑した時間帯でサインを求めるのはマナー違反とされている。
今のようにゆとりのある時間帯であればサインを求めても何ら問題ない。ただし、サインに応じるかどうかの判断は各高校に任されている。
リスク管理の観点から、そもそも一般客との接触を避ける高校があれば、交流会と称してサイン会を開く高校などもある。
第一高校では写真撮影こそ禁止しているが、サインや握手などは各自の判断に任せていた。
「はる君どうしたらいいでしょうか?」
「してあげたら?」
サインを求められるというのは光栄なことである。サイン位ならと、ほのかへ促すように言うが、了承する前に雫が男に尋ねた。
「私たち三人のサインですか?」
雫は落ち着いていた。流石は九校戦のフリークを自称するだけはあり、この状況も想定していたようだ。
「三人……? いえ、自分は北山選手と光井選手のサインが欲しいのですが……君も選手なの?」
「え?」
ほのかの驚きの声が上がる。
「はい。一応選手ですね」
「あぁそうなんですか。すみません新人戦の出場選手には疎いもので。マネージャーかなんかだと思ってました」
男の遥を見る目に違和感を覚え、途端にほのかの目が鋭くなっていく。
「あ、でも、君のは大丈夫。マイナーな選手は興味ないですし、活躍したらその時は是非サインをお願いしたいですけどね」
現代のサインはタブレット端末へ書き記すのが主流となっており、色紙や紙媒体にサインするのは珍しくなっていた。
男はタブレット端末を雫とほのかへ差し出すが、二人はそれを受け取らなかった。
「申し訳ありませんが、あなたにはサインできません」
「はい?」
「私もごめんなさい。はる君いこ」
「え、ちょっと……!」
男は放心したように手を伸ばすが、その手は空を切る。そのまま追ってくることなく姿が見えなくなった。
「いいの?」
「はい。いいんです」
「サインをするのも断るのも各自の判断って言われてるし、七草会長や十文字会頭も断ってるって言ってた」
「いや、あの二人は……」
十師族である彼らは、その立場から断っているだけであって摩利やその他の生徒たちの中にサインに応じている人もいる。摩利は女子にしかサインをしていないが……。
「ああいう人にサインしたくありません」
「私も、遥を馬鹿にしたような目で見てた」
「俺はそうとは思わなかったけどなぁ」
遥には、男は自分に対して嫉妬の感情を抱いているように映った。しかし二人は遥とは違うように見えたらしい。
「でもファンの人は大切にしなきゃ駄目だよ」
「あの人はファンじゃない」
「雫ちゃん?」
「ファンを装った悪質な人間」
「どういうこと?」
「タブレットを向けてきたとき、中にショッピングサイトのアプリがあった。あのサイトは九校戦で活躍した選手のサインだったり、際どい写真とかがたくさん売られてる。あの人の口ぶりからきっとそういうのを売ってる人に違いない」
九校戦のフリークというだけあってそういうサイトにも詳しいようだ。
「神聖な九校戦を食い物にしてる最低な人間」
「でもあの人がサインとかを売ってるって決まったわけじゃないし、決めつけは良くないよ」
「だったら遥にあんなことは言わない」
「あんなことって?」
「活躍したらサイン貰うとか……。九校戦のファンなら出場選手全員が憧れで凄い人だって思ってる。例え予選で負けたとしても、本当のファンならサインが欲しいと思うはず。でもあの人は違った」
雫はあの男の態度に怒っていた。遥が蔑ろにされたこと含めて怒りの感情が渦巻いていた。
「私もあの人は嫌いです」
「ほのかちゃんまで」
「はる君の事を悪く言うのだけは許せません」
「俺もほのかちゃんのことを悪く言われるのは嫌だから、もうあんな態度を取っちゃダメだよ?」
ほのかは遥の事となると顕著に顔に出てしまう。
さきほども、途中から不機嫌そうに声も低くなり、睨むように鋭い目を向けていた。
「……でも」
「大切な人が悪く言われるのが嫌な気持ち、ほのかちゃんならわかってくれるよね?」
「……はい。気をつけます」
「うん。偉い偉い」
頭を撫でられると笑みを戻った。雫も物欲しそうにしていると、遥から髪の毛を梳くように撫でられ破顔した。
「あのぉ……」
そこへまた新たに一人の男が声をかけてきた。
「はい、何でしょうか?」
似たような男の登場。雫とほのかは男から一歩距離を取り、半身を遥の身体に隠した。
「第一高校の北山選手と光井選手ですよね? 昨日新人戦に出ていた」
「……はい」
「そうですけど……」
男はサングラスとマスクをしており、いかにも怪しい風貌をしている。警戒したように雫とほのかは男を見つめる。
「ああ、申し訳ありません。日焼け防止でサングラスとマスクをしておりました」
二人の視線に気づいたのか、男はサングラスを取ると気弱そうな垂れ目を向けてくる。
「それと、宮守遥選手でしょうか?」
「はい。そうです」
「よかった。名前を間違えるのは失礼にあたりますからね。あの、よろしければサインをお願いできないでしょうか?」
この時代には珍しい色紙とブラックペンを取り出した。
「色紙ですか? 珍しいですね」
「そうですか? 確かに今は何でも電子化が進んで紙媒体は廃れてきていますけど、私は色紙を部屋に飾るのが趣味なんです」
「素敵な趣味ですね」
先ほどの男とは違って、この男性は遥とも気さくに話していた。そのことに気を許したのか、雫も会話に加わる。
「字には命が宿ると言われていますから。落ち込んだりしたときに部屋に飾った色紙を見て、彼らから元気をもらうんです」
彼ら……つまりは九校戦に出場した高校生の事だろう。
「それにしてもよく自分の事を知っていましたね。こう言っては何ですが、自分はまだ競技にも出ていませんし放送にも名前が出ていないので知られていないと思っていましたよ」
「ハハハっ、まさか、宮守選手は有名人ですよ」
「え?」
「あっ、いえ、色々と、はい……ハハッ」
男性は口を滑らせてしまったと言わんばかりに苦笑いを浮かべながら頭をかいた。
「有名人ってどういうことですか?」
遥と雫は空気を読んで聞かなかったことを、ほのかは大胆にも尋ねる。
「えっ、いやぁ、別に大したことではないのですが……」
「教えてください」
ほのかの真っ直ぐな眼差しに男性は狼狽え、口を開いた。
「ネットで本戦バトル・ボードの渡辺選手のアクシデントの時に颯爽と現れた男子生徒の事が話題になってましてね……誰だ誰だって話が広がっている最中に昨日の光井選手との抱擁でその流れが一気に加速しまして……」
男は続ける。
「今日のアイス・ピラーズ・ブレイク出場選手の中に同じ顔の人がいる。同一人物か? どんな選手なんだって話が広がっているんです」
「一躍有名人ですね! はる君」
「そんな嬉しそうな顔で見られてもね……」
悪名が広まっているような気がするが、ほのかは気にしていないようだ。
「渡辺選手と光井選手、どっちが宮守選手の恋人なんだ論争がありましてね。私としては光井選手と宮守選手がお似合いだと思っておりますが……」
「そんなことが……」
「ハルカが悪い」
数分前まで頭を撫でられ嬉しそうにしていた雫はもういない。ジトッとした目を遥に向けていた。
「私が……。そんなにお似合いでしょうか!?」
「えっ!? あっ、はいっ。い、今もとてもお似合いですよ」
「えへ~、だそうですよはる君」
「うん、よかったね」
お世辞を素直に聞き入れるほのか。両手を頬にあて、いやんいやんと身体をくねらせていた。
実は第三者から直接お似合いだと言われるのは初めてのことだった。感情が昂り、頬がだらしなく緩む。
有頂天のままほのかはサインに応じ、遥と雫もサインすることに。
「ありがとうございます!」
サインした方がお礼を言う始末。ほのかの艶のある可愛らしい笑顔を向けられた男性は、マスクで顔色が見えなかったが、耳はトマトのように赤くなっていった。
「いい人でした」
「よく見てると思うけど私とハルカの関係を見抜けないとはまだまだ」
「見抜かれちゃまずいんだけどね?」
男は嬉しそうに何度も頭を下げてお礼した後、今日は遥の試合を見に行くと言い残して去っていった。
三者三様の反応を残しながら、ようやく遥たちは会場へと入る。
今回は5300字だったんですけど、この程度であれば負担が少ないので毎日投稿ができそう……?
【次回の投稿は3月24日19時予定です】