――あの方はご覧になっているのでしょうか。
試合の始まりを予告するランプが点った瞬間、深雪はフライング防止のために心を落ち着かせようと、胸元にかけた布袋に手をかざした。
袋の中には、かつて自分を銃弾から守った時に砕け散った石の欠片と、何も装飾が施されていないただのリングが入っている。
――大丈夫。何も恐れるモノはないわ。あの人が守ってくれるもの……
普段より僅かに速く鼓動する心臓に布袋を押しつけ、フッと息を吐いた。そして捉えるはフィールドにそびえ立つ計二十四本の氷柱。
深雪の目には、もはや雫など映っていなかった。己との戦いと言わんばかりに携帯端末型CADへと手を伸ばす。
――集中してるね深雪。
対する雫は、深雪の姿を二つの眼ではっきりと捉えていた。深雪の視線から自分の事を見ていないのには気づいていたが、苛立ったり不機嫌になったりはしない。
自分と深雪の実力差を理解しているからこそ、深雪が自分の事を意識していないのはわかりきっていた。
――けど私は負けない。この一戦のためにずっと前から……ハルカの期待に応えて見せる!
最初は深雪に勝ちたい一心で特訓を続けてきた。しかし今は深雪に勝つことが目的ではなく、遥の期待に応えるための手段でしかなかった。遥に褒めてもらうために……。
――ハルカにさえ見てもらえればそれでいいから。
これは優勝がかかった試合ではない。雫にとってこの試合は、遥の隣に立つべき人間を決める戦いでもあった。
十師族だけが重婚を許される存在ではなくなる。懇親会で九島烈の話によると今後、法律が改正されていけばA級魔法師も重婚が許される時代が来るかもしれない。その日に備えて、雫はこの場で自分の実力を示さなければならなかった。
――だから深雪には負けられない。私の想いを、全てこの一戦にぶつける……!
二人の熱い想いが交差する。
「第一高校の選手による決勝戦か……」
この戦いは様々な人間の注目を集めている。
二人の予選での活躍で軍関係者を始め、敵である他校の生徒らも楽しみにしていた。
――両者とも技術者は司波達也。さっきは俺の威圧にも素知らぬ態度で受け流し、まるで俺の事を格下であるかのような素振りを見せたが、この試合でお前の実力を見せてもらうぞ!
その他大勢の人間とは違った観点から試合を観戦する一条将輝。この場には見えない達也への想いを張り巡らせるが、視線は袴姿の深雪へ向いて動かない。
――だいたいどうして技術者だからといってあんな司波さんの近くに……。しかも『深雪』だって!? 司波さんとはどんな関係なんだ……この世のものとは思えないほど美しく清楚な女神としか言いようがない彼女とどんな……
「将輝?」
「はっ……?」
「考えごとかい? わかるけどね」
隣に座る吉祥寺真紅郎に声をかけられ我に返る将輝。
「この試合は司波達也の力量を測るための大切な一戦だからね。特に今回は司波さんに注目かな。高位の魔法師相手、しかも同じ技術者だ。どんな戦法を出してくるのかしっかりとこの目で見ないと」
深雪に雫。共に学生という身分では収まりきらないほどの実力を持った者同士の戦い。膠着状態になるか、それとも一瞬で決まるのか。
試合開始を告げる灯りの色が変わった。その瞬間――
――
――共振破壊!
熱波が雫の陣地を襲い、地鳴りが深雪の陣地を襲った。だが、互いの氷柱は壊れない。
深雪は自陣全域に振動と運動を抑えるエリア魔法を展開させて共振を呼ぶ前に振動を止め、雫は氷柱の温度改変を阻止する『情報強化』を発動させていた。
相手の魔法を防ぎつつ、事象改変の手を敵の氷柱に伸ばしている。一進一退の攻防に、玄人受けする展開が繰り広げられていた。
「ん?」
「どうしたの達也君?」
「……いえ」
最初の魔法発動から予想していた展開へ進まないことを疑問を抱く達也。
雫の発動した対抗魔法である『情報強化』は、氷自体の魔法による事象改変は阻止できても、周囲の加熱された空気の物理的エネルギーの影響で氷が溶けるのは阻止することができない。
つまり時間が経てば周りの温度の上昇で雫側の氷柱は溶けていく。達也はそう思っていたのだが、一向に雫の氷柱が溶ける気配を見せなかった。
「領域干渉、か」
一瞬でそのからくりに気づく。
一定エリアの事象改変の内容を、干渉力のみを持たせた魔法式で覆うことで、他者からの魔法による事象改変を防ぐ対抗魔法だ。これにより氷柱の周りを覆う熱すらも打ち消すことが可能となった。
情報強化を使って防いでいたと思っていたが、雫はいつの間にか『領域干渉』を発動させていた。
この一戦のために雫は達也に様々な対抗魔法をCADに組み込むように頼んでいた。達也は最初『情報強化』だけで良いのではないかと雫を説得していたが、雫は深雪との試合を想定し『最後まで抗いたい』『深雪に勝つなんておこがましいかもしれない。けど、少しでも深雪に追いつきたい』と逆に説得されることに。
そういう過程があって今があるのだが、達也は雫が『領域干渉』を使うことに否定的だった。その理由の一つとして『領域干渉』は『情報強化』に比べて個人の干渉力がモノをいう魔法だからだ。
『情報強化』に比べて術者には高い干渉力が要求され、相手の発動させた事象改変を防ぐためには、発動中の魔法式の干渉力を上回る干渉力が必要となる。
達也は身内贔屓ではなく客観的に見ても雫が深雪よりも高い干渉力を持っているとは思えなかった。深雪の干渉力は常識を逸脱した強さを持ち、十師族をも上回るほど。
『領域干渉』を用いたところで深雪には届かないと踏んでいた。一時的には防ぐことが可能だろうが、達也は最初からこの試合の結果が容易に想像できていた。だから雫には無駄な努力をする時間を他の事に使ってもらいたかったのだ。
しかしここで達也の誤算が生じる。
それは今の雫の魔法力を見誤っていたことだろう。遥との性行為で高められた魔法力は、一時的であれば深雪の反則的な干渉力をも凌ぐ力を得ていた。
「驚いたな。まさかこれほどとは……」
雫の干渉力は深雪の力を上回っていた。『氷炎地獄』を封殺し、自陣の氷柱を守っている。
想像以上の力に達也の口から驚きと称賛の声が漏れ、どこからそんな力が湧いてくるのかと目を細めた。
――負けない!! 今なら……深雪にも!
雫の体内から遥の精力が弾けだす。溢れ出る力を解放しようと左腕を右の袖口に突っ込んだ。引き抜いた手に握られていたのは、拳銃形態の特化型CAD。
銃口を深雪陣地の氷柱に向けて、CADの引き金を引いた。
――雫、そのCADはっ!?
左腕にはめた腕輪形態の汎用型CADとは別の二つ目のCAD。
ハイレベルな戦いになると予想していた客席からもどよめきが広がる。
「汎用型で共振破壊と領域干渉を繰り出しながら同時に特化型のCADを使うのか!?」
深雪ばかり注視していた将輝の口から驚愕に満ちた声が溢れた。
「なんだあのCADは? 一見、FLTのシルバーアーティラリーかと思ったが、一回り小さいし、シルバーフロンティア? しかしあんな型なんてあったか?」
その手の情報に詳しい真紅郎は独り言のように呟き、将輝は焦ったように雫のCADを凝視する。
「司波……お前はいったい何者なんだ……?」
誰もが『使いこなせるのか?』と疑問を抱く。
「えっ」
「本当に使えるの?」
「二つのCADを同時に?」
一高の天幕内でもこの一戦は注目されていた。学年一位三位の戦いだ。注目しないわけがなかった。
雫たちの作戦を知らない者は自分の目を疑い、驚きのあまり驚嘆の声をあげる。
――大丈夫。距離……出力……いける!
雫は想子信号波の混信を起こすことなく、二つ目のCADで起動処理を終わらせた。
その瞬間、深雪の魔法が止まった。魔法の継続処理が中断し、そこに雫の新たな魔法が襲い掛かった。
「フォノンメーザーっっ!?」
真由美があげた悲鳴に、横にいる達也は「本当によく知ってるものだ」と感心した。
振動系魔法『フォノンメーザー』。超音波の振動数を上げ、量子化して熱線とする高等魔法だ。
それが深雪の陣地、縦一列に並べられた三つの氷柱を貫通ヒット。氷柱から白色の蒸気が上がったと思えば一瞬にして氷柱を無へと帰した。
『おおーっと!!? 今大会初めて司波選手の氷に魔法がヒットしました!! しかも一瞬にして三つの氷柱を粉砕!! 北山選手の『フォノンメーザー』で一歩リードです!!』
アナウンサーによって会場内にも雫の魔法が浸透していく。
「……」
雫のCADに『フォノンメーザー』を組み込んだのは達也だ。雫からこの魔法が使えると聞いたときは驚いたが、母親にA級魔法師である北山紅音がいる事から不思議には思わなかった。
しかし、ここまで威力があるとは思いもしなかったのだろう。初めて達也の表情が崩れる。
「ここまで……」
並の術式では深雪を凌駕することはできない。だが、九校戦練習期間中の雫と今の雫は明確に魔法力が異なっていた。
それこそ禁止薬物で違法に力を手にしたと疑ってしまうほどに。
――だが深雪も動き出したな
深雪は今大会初めて氷柱が壊されたというのに冷静だった。
複数のCADを同時に操る技術は、深雪の兄の得意技。『何故兄の技を……』と、多少は動揺するかと思われたが、雫が新たな魔法を繰り出したのに合わせて、深雪も魔法を切り替えた。
「なんだ……?」
会場内の誰かが呟いた。
深雪の陣地がたちどころに白い霧に覆われ始め、霧はゆっくりと雫の陣地へと押し寄せていく。
――どれだけ雫が努力したのかは分かったわ。貴女の覚悟も……
押し寄せる霧は『冷気』。
――私も全身全霊をかけて応えるのが礼儀でしょう!
深雪は次なる魔法のために構えた。
――広域冷却魔法『ニブルヘイム』
「ニブルヘイムだと……? どこの魔界だココは……」
呻き声が摩利の口からこぼれた。達也も同じ感想だったが、それよりも練習以上の完璧なまでの魔法に感心が上回っていた。
広域冷却魔法『ニブルヘイム』。
本来、領域内の物質を均質に冷却する魔法だ。応用的な使い方としてダイヤモンドダストやドライアイス粒子、そして時に、液体窒素を含む大規模冷気塊を作り、攻撃対象にぶつけるという使用法もある。
そしていま、その威力は最大レベルに引き上げられている。
「寒気が……?」
「防壁で仕切られてるはずなのに寒い?」
ステージと客席には魔法を防ぐための防壁が張り巡らされているにもかかわらず、会場全体に冷気が漂い始めた。
そして当然、液体窒素の霧が雫をも襲う。雪山にいるかのような寒さが雫を襲い――
――雫ッッ!? 貴女……どうしてそれをッッ!!?
深雪の作戦は、液体窒素の霧が残した液体窒素の滴を相手の氷柱に付着させ、その根元に水溜りを作る事だった。
『ニブルヘイム』を解除し、再び『氷炎地獄』を発動すればどうなるのか。
氷の表面の液体窒素がインフェルノの熱で一気に気化。その膨張率およそ七百倍。
これを防ぐ術はない。轟音を立てて雫陣地の氷柱が一斉に倒れる算段だ。
これで深雪の優勝は確定。達也もそう思っていた。しかし、深雪は『氷炎地獄』を発動させない。それどころか神秘的な美貌が崩れ、羨望と嫉妬に満ちた眼差しを雫に送っていた。
「深雪さん?」
「どうしたんだ?」
客席にも伝わる深雪の異変。真由美は達也に尋ねようと横を向いた瞬間、達也すらも驚愕の表情を浮かべていた。数ヵ月ではあったが、ここまで達也が表情を崩しているのは初めて見る。
何事かと真由美は達也と深雪の視線の先を見つめるが、そこには櫓の上で雫が立っているだけで別段驚くようなものが見えなかった。
「あの……障壁は……」
「達也君?」
達也はポツリと口にする。
「障壁?」
雫の周りには深雪の魔法から守るようにオレンジ色の障壁……結界が展開されていた。おそらく液体窒素の霧の冷気から雫を守るため自動的に発動したのだろう。雫には遥が危険から身を守るために『携帯化』した石の指輪をプレゼントしている。
だが、石の事を知らない真由美は彼らの意図を知らずして勘違いしていた。
九校戦では選手を事故や怪我から保護するための魔法が大会委員によって展開される。真由美やその他大勢の目にはあの障壁は大会委員の手によって発動された障壁に見えていたが、達也と深雪にはまったくの別物に見えていた。
艶麗の美少女がするには鋭すぎる、獲物を狙う鷹のような眼光が雫に伸びる。試合が始まって初めて雫の顔を見る。
――あれはあの人の……ッ
かつて自分を守った障壁を見間違えるはずがなかった。
――どうして雫が? 雫とあの人に繋がりが……?
深雪はパニック状態に陥っていた。
『ニブルヘイム』を解除しエリア魔法すら発動できないほどに動揺している。
――どうしたの深雪? 私が勝っちゃうよ
深雪の心情を知らない雫は無防備になった氷柱へ『フォノンメーザー』を撃ち込み破壊していく。
一つ、また一つと破壊され、深雪の氷柱が残り三つとなった。対する雫の氷柱は十二本。勝負は見えたかと思えた。
しかし、雫の身体が揺らいだ。櫓の手すりにもたれかかるように身体を傾ける。
「ッッ……」
短時間のうちに共振破壊、情報強化、領域干渉、フォノンメーザーと強力な魔法を使いすぎたのが原因で貧血のような症状を引き起こし始めていた。
遥との性行為でバフがかかっているとはいえ限界はある。その限界値がもうすぐ訪れようとしていた。
――これが最後の魔法……深雪、いいよね?
これは女と女、意地と意地の戦い。
雫は最後の力を振り絞って左手に持つCADの銃口を深雪陣地の氷柱へ向けた。
――勝つのは私!
引き金を引こうとした瞬間、どこからともなく『深雪ちゃん!』という叫び声が木霊した。
「ハッッ!?」
深雪は慌ててCADを操作。ほほ無意識のまま『
――私の勝ち……?
雫のフォノンメーザーは深雪陣地最後の氷柱を貫通し、深雪の氷炎地獄によって雫の陣地の氷柱は蒸気爆発を起こした。
ステージ上を埋め尽くさんばかりの白い霧。客席からは霧のせいで何も見えない状態だ。
「はぁっ、はぁっ……」
「……」
「さすが、みゆ、き」
雫は力を出し尽くして櫓の上にへたり込む。彼女の視界には自分の陣地の氷柱は一つも見えなかった。
――負、け?
呆然と落胆する雫の視界には、霧が晴れて深雪側のステージが映った。
そこには雫の陣地同様、更地となった空間が広がり……
会場の大型モニターには【
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【次回の投稿は5月8日19時予定です】
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