村への襲撃を退けた翌日。
本格的な探索を開始する。
アシュレイたちは最初の湿地から断崖絶壁の方を巡り、レイア・イジェルファ・アクシリア・グリーナ・ミレニアの五人は村に残して捕らえた盗賊の監視をしつつ洋上の船と連絡を取る係に。
残った私たちはアシュレイたちと途中の湿地まで一緒に行き、更に奥地に向かう事に。
台地の上だというのに、地面はどこまでも湿っていた。
断崖絶壁に囲まれた高原。その上を覆っているのは草原ではなく、空を隠すほど密生したジャングル。
幾重にも枝を広げた巨木。
幹に絡みつく太い蔓。
人の胸ほどまで伸びたシダ。
そして、陽の当たらない地面には黒々とした腐葉土が積もり、その下に水が溜まっている。
雨が降れば、膨大な葉が受け止めた水が幹を伝い、根元へ落ちる。
それが水たまりを作り、小川となって断崖絶壁から流れ落ちてゆくのだ。
水は森の底へ集まり、抜けきらないまま地面を軟らかくし、いくつかの沼を作っていた。
アシュレイたちと別れた後、ルーファスはぬかるみに沈む靴を引き抜きながら周囲を見回す。
「高いところまで登ってきて、沼歩きになるとは思わなかったな」
「むしろ高いからかもね」
私がぼやきながらが頭上を見上げる。
樹冠は遥か上で重なり、昼間だというのに森の中は薄暗い。
基本裸にちかい痴女パーティーだが、これはまずいと服を着ている。
こういうジャングルだと、虫に刺される方が恐ろしいからだ。
「これだけ森が水を抱え込んでる。崖まで流れ出る前に、全部ここへ溜まるんだと思う」
「感心してる場合じゃないわよ」
私の解説にクリシィがしゃがみ込んだ。
木の根の間に溜まった泥へ指を触れる。
「足跡がある」
「何の?」
「小さい。裸足。たぶんゴブリン」
ルーファスが剣の柄に手を置く。
「ゴブリンか」
「それだけじゃない」
クリシィは別の跡を指差す。
泥に深く沈み込んだ、大きな足跡。
ゴブリンよりずっと大きい。
「こっちは?」
ジェニが問うとクリシィが頬に指をあてて考えて返事をする。
「リザードマンだと思う」
「昨日襲ってきた奴?」
「多分違う。まだできて間もない上に、奥に向かってる。
おそらく見張り。
私たちが来たので知らせに行った」
私が顔をしかめる。
どう考えても地の利は相手の方にある。
「森の中で二種類も相手したくないな」
その時だった。
ルーファスが足を止める。
「静かすぎる」
私も立ち止まりシャミナも気づく。
虫の声がない。
鳥も鳴いていない。
先ほどまであれほど耳障りだった羽虫の音さえ、消えている。
頭上から水滴が落ちた。
ぽたり。
葉を打ち、さらに下の葉へ落ちる。
ぽたり。
ぽたり。
その音だけが妙に大きく聞こえた。
「来るわ」
クリシィが言った直後、横手の茂みから矢が飛んだ。
「伏せろ!」
ルーファスが叫び、矢はジェニの剣で弾かれる。
間を置かず二本目、三本目と矢が左右から放たれるだけでなく、頭上からも飛んでくる。
「木の上!」
クリシィが叫ぶと、枝の上や太い蔓の陰に小さな影がいくつも潜んでいた。
ゴブリン。
泥色の布を体に巻き、ショートボウを構えている。
森の色に紛れて、ほとんど見分けがつかない。
「ミサイル・プロテクション!」
シャミナの精霊魔法で矢が全て外れるが、ゴブリンは気づかずに矢を射続ける。
沼地からリザードマンが現れたのがこのタイミングだった。
待ち伏せの奇襲。矢で混乱させてのリザードマンの奇襲は完ぺきだった。
相手が私たちでないのならば。
「スリープ・クラウド!」
私の魔晶石を砕いた拡大魔法が容赦なく炸裂し、ゴブリンたちが木から落ち、リザードマン数匹も目を閉じて沼に沈む。
そこを、ルーファスとジェニの剣が容赦なく貫いてゆく。
掃討にはそこそこ時間がかかったが、ゴブリン10匹にリザードマン6体は最初にしては中々の歓迎である。
「アシュレイたち大丈夫かしら?」
「大丈夫じゃない」
私の声にクリシィが軽い口調で言い放つ。
シーフとしての彼女の経験がその言葉に説得力を与えていた。
「アシュレイたちのレベルなら、こちらにまで戦闘音が聞こえるから」
「なるほど」
音を出させないというのは、攻撃側にとってメリットが大きい。
敵守備隊の壊滅を知らない可能性が増えるからで、戦闘音というのはそういう意味で敵味方にリアクションを与えてしまうのだ。
言ったそばから、雷撃音がアシュレイたちの行った方から聞こえてくる。
多分アシュレイたちのパーティーのソーサラー、セーリン・ボージュのライトニングだろう。
「……聞こえたわね」
「任せるのも手だと思うけどどうする?」
私がぼやき、クリシィがルーファスに確認を取るが、ルーファスは雷撃音の方を見たまま呟く。
「ゴブリンやリザードマンにしては待ち伏せが凝ってないか?
多分、アシュレイたちと同時に奇襲するつもりだった」
「つまり、ゴブリンやリザードマンを指揮する奴がいると?」
困った事に、そういう指揮する輩に当てがある。
しかも、結構強くて狡猾な奴が。
私がその名前を口に出す。
「ダークエルフ。いると思う?」
「居ないより居る事を想定するべきじゃない?」
「それもそうね。じゃあ、助けに行きますか」
私の言葉にジェニがつっこんでアシュレイたちへの救援が決まった。
私はシャミナに声をかける。
「じゃあ、ウォーター・ウォーキングの呪文をお願い。
水の上を走った方が早く着くわ」
「はい。ゼラ姐さま」
シャミナが目を閉じて短く精霊へ呼びかけると足元の水が淡く光った。
「ウォーター・ウォーキング」
足を踏み出し、沈まない事を確認する。
泥に靴を取られる事もなく、水面を普通の地面のように踏みしめる事ができる。
「便利ね、これ」
「走るなら転ばないでくださいよ。水の上だから痛くないとか思わないでください」
「はいはい」
「じゃあ行くぞ!」
私とシャミナの掛け合いに、ルーファスがそう言い放って走り出し、私たちも続く。
普通なら迂回しなければならない沼もそのまま突っ切り、水草を蹴散らし、浮草の上を走り、巨木の根を避けながら雷撃音のした方角へ進む。
「また音!
金属と金属がぶつかってる!」
クリシィの叫びに続いて怒鳴り声まで聞こえると戦場は近い。
「右!」
ルーファスが叫ぶとクリシィがそっちに向かって駆ける。
密生したシダの間を抜け、倒木を飛び越える。
「見えた!」
木々の隙間の先、少し開けた沼地でアシュレイたちが戦っていた。
最初に目に入ったのは死体。いや、死体だったものだった。
泥だらけの人間。
腐ったゴブリン。
鱗が剥げ落ちたリザードマン。
それらが立ち上がり、アシュレイたちを取り囲んでいる。
「ゾンビか!」
ルーファスが叫ぶ。
ざっと見て二十。
いや、沼の中からまだ上がってきており、アシュレイたちは倒木を背にして円陣を組んでいた。
セーリンが杖を振り上げ呪文を唱える。
「ライトニング!」
稲妻が一直線に走った。
三体のゾンビを貫き、その後ろの一体まで痙攣させる。
彼女の腕は悪くない。
むしろ新人を卒業しようという冒険者にしては十分に上手い。
のだが……
「相性が悪いわね」
私は離れて呟く。
戦況を見て呪文を唱える為だ。
ゾンビは痛みを感じず、腕を吹き飛ばしても、腹を焼いても動く。
殺すというより、動けなくなるまで壊さないと止まらない。
それが数で押してくる。
「アシュレイ!」
ルーファスが叫ぶ。
こちらに気づいたアシュレイが振り向く。
「ルーファスさん!?」
「伏せろ!」
「え?」
「いいから伏せろ!」
アシュレイたちが反射的にしゃがむ。
その頭上を。
「ライトニング・バインド!」
私の呪文が飛び、ゾンビの多くを魔法の電撃網で捕らえて動けなくする。
「うわっ!?」
アシュレイが叫ぶ。
「ゼラさん! 危ない!」
「当ててないでしょ!」
「そういう問題じゃないです!」
「生きてるなら問題ない!」
「問題あります!」
元気そうで、結構結構。
「ジェニ!」
「分かってる!」
ジェニが私たちを追い抜く。
ウォーター・ウォーキングで水面を蹴り、そのままゾンビの群れへ呪文を唱える。
「ホーリー・ライト!」
聖なる光に残ったゾンビたちが焼かれ、そこにルーファスとクリシィが突っ込む。
一閃。
ルーファスの剣でゾンビの胴体が横に裂けた。
隣の一体は、クリシイが蹴とばしてライトニング・バインドの網に絡めさせる。
呪文を唱えたジェニも剣を構えてルーファスたちの所に駆けてゆく。
「神官戦士って便利よねえ」
私は感心しつつ、シャミナと共にアシュレイたちの方に駆けてゆく。
視線はルーファスたちとゾンビから離さない。
ルーファスとジェニがゾンビを切り裂き、クリシィが回り込んでゾンビをルーファスとジェニの方に追い込んでゆく。
長く冒険者をやっていれば、ゾンビとの壊し方ぐらい嫌でも覚える。
「シャミナ!」
「はい!ゼラ姐さま!」
シャミナが手を広げ呪文を唱える。
「水の精霊。少しだけ貸して……シンク!」
沼が波打ち、ゾンビの足元から水が巻き上がり、ゾンビたちを沈めてゆく。
ゾンビを沈めきるほどではないが足を取る程度。その一瞬で十分。
「まだまだ!」
ルーファスが突っ込み、剣が面白いように走る。
一体。
二体。
三体。
アシュレイたちが苦労していたゾンビが、まるで薪でも割るように倒れてゆく。
「……やっぱり違うな」
アシュレイの声が聞こえた。
「感心するのは後!」
私は呪文を唱える。
「後ろ!」
アシュレイの声から泥から這い出してきたゾンビ後ろに出たのだろう。
「ホーリーライト!」
私も神聖魔法は使えるのだ。
私の呪文でゾンビが仰向けに倒れ動かなくなる。
「周りを見なさい!」
「す、すみません!」
「それ言ってる間にも来てる!」
「はい!」
「で、みんな無事?」
ため息をつきながらアシュレイたちのパーティーを確認する。
リーダーのアシュレイは無事っぽい。
ソーサラーのセーリン・ボージュは疲労困憊。ライトニングを派手に撃ったのだろう。
シープでグラスランナーペペはグラスランナーらしくいい加減だが、見た目は怪我も披露もなし。
シャーマンのホロウは、ゾンビに噛まれたのかしゃがみこんで動けず、マイリープリーストのブルーダ・グンツが回復呪文をかけていた。
最初に会った頃なら、全滅していたかもしれない。
ちゃんと冒険者になってきたという事だろう。
「残り七!」
クリシィが叫び、
「いや九!」
セーリンが訂正する。
沼から二体増えた。
「増えるならまとめる!」
私は魔晶石を取り出して砕く。
「ジェニ! 避けて!」
「もう少し早く言いなさい!」
ジェニが飛び退く。
「ファイヤー・ボール!」
爆風と水蒸気でゾンビたちが吹き飛ぶ。
三体、四体、五体。
宙を舞ったゾンビたちはもはや動けず、残ったゾンビたちはルーファスたちが始末し、最後のゾンビが泥の中へ倒れる。
「終わり!」
私の声に、アシュレイが大きく息を吐いた。
「助かりました……」
「礼は後」
クリシィが即座に言った。
「周囲警戒」
アシュレイたちの表情が引き締まる。
「はい」
いい返事。
新人なら、ここで安心して座り込む。
中堅になれば、戦闘の終わりが一番危険だと知っている。
ルーファスがアシュレイへ近づいた。
「怪我人は?」
「シャーマンのホロウが噛まれました」
「ジェニ」
「分かってる。キュアー・ポイズン」
万一を考えて、ジェニがホロウにキュアーポイズンをかけて毒を浄化する。
ホロウの方を見ているアシュレイに変わって、セーリン・ボージュが尋ねた。
「ルーファスさんたちは?」
「ゴブリン十、リザードマン六」
「……もう倒したんですか?」
「まあね」
ルーファスにかわって私が答えると、アシュレイたちが何とも言えない顔をする。
その隣でセーリンが焼け焦げたゾンビを見ながら呟いた。
「こっちは最初ゴブリンだけだったんです。でも突然地面からこいつらが……」
「地面から?」
「はい。正確には沼です」
私が沼を見る。
黒い水に、波紋で浮かぶ葉。さっきまでゾンビが這い出してきていたというのに、今は妙に静かだった。
「クリシィ?」
「うん」
私が名前を呼ぶ前から、クリシィは構えていた。
「何かいる」
アシュレイたちの顔が強張る。
「ゾンビですか?」
「違う」
水面に波紋が広がった。
一つ。大きい。また一つ。
「下がれ!」
ルーファスの声が変わった。
さっきまでとは明らかに違う。
「全員、沼から離れろ!!」
全員が一斉に後退した次の瞬間、水面が揺れた。
「うわっ!」
泥と水が飛び散るが何も起きない。
ここじゃないどこかで何かが揺れるほどの事が起った。
ずる。
ずる。ずる。
最初、その音が何なのか分からなかった。
ずる。
ずる。ずる。
ずる。ずる。ずる。
「……何?」
シャミナが呟く。
木が擦れる音にしては大きな音。
森が揺れている音。
風ではない揺れる音が巨木の枝を鳴らず。
何かが近づいてくる。
ジェニがゆっくり顔を上げた。
「嘘でしょ」
森の奥の闇の中に二つの目が浮かんだ。
いや、四つ、六つ、さらに増える。
「……九匹?」
「違う」
アシュレイの言葉にルーファスが剣を構える。
何か分かっているからこそ、顔が今までで一番真面目だった。
「一匹だ」
巨体が姿を現す。
一つの胴体に長い尾、そして九本の首。
巨大な蛇のような首が、木々の間からゆっくりと伸びてくる。
一つの首が私たちを見つけ、もう一つが低く唸った。
「ヒュドラ……」
ジェニが呟きが大きく聞こえ、アシュレイたちが固まったまま。
ヒュドラ。
怪物の中でも別格。
大型魔獣などという言葉では足りず、ドラゴンと同じところに名前を書かれる類の化け物。
「ルーファスさん」
アシュレイの声が震えていた。
「俺たち……これ、戦うんですか?」
「いや」
ルーファスは即答した。
私も同意見。
「逃げる」
「ですよね!」
アシュレイの顔に一瞬だけ安心が浮かぶが、ヒュドラの一つの首が持ち上がった。
鼻孔から白い煙。
「散開!」
ルーファスが叫ぶと次の瞬間、ヒュドラの咆哮がジャングルを震わせた。