その日の夜、ラム村は静かだった。
正確には、村そのものは静かだった。
住人のいなくなった家々。
人の消えた広場。
風に揺れる木柵。
昼間ならば生活の跡が目につくこの村も、夜になるとただの空っぽの箱に見える。
海の方から聞こえる波の音。
ジャングルから響く虫の声。
そして……
ドォン――。
遥か奥で、何か巨大なもの同士がぶつかった音。
少し遅れて木々の倒れる音まで聞こえてくる。
「……まだやってるわね」
「元気よねえ」
私は木柵にもたれながら呟くと、隣でクリシィが答える。
ヒュドラとミスリルゴーレムは昼からずっとまだ戦っている。
遠見の水晶球で確認した限り、どちらも決定打を与えられていない。
ミスリルゴーレムは頑丈すぎてヒュドラの牙でも破壊できないが、ヒュドラは首を傷つけても再生する。結果……
殴る。
噛む。
吹き飛ばす。
戻ってくる。
それを延々繰り返している。
「ミスリルって本当に丈夫ね」
「感心するとこ、そこ?」
「古代魔術王国の結晶。
あんなのを生み出しても古代魔術王国は滅んだわ……」
「ヒュドラもその時代生きていたのかしら?」
「多分。そして、あのヒュドラも古代魔術王国の英知の結晶だと思っている」
ドォン……バキバキバキ……
木が倒れる音がこちらにまで届く。
「……明日行ったら地形変わってそう」
「あり得る」
クリシィは木柵の上に腰を乗せた。
交代の夜番。
今回は人数も多く、アシュレイたちとナイトウインド・ナイトシェード姉妹たちの冒険者に任せているので本来なら二人とも起きている必要はない。
けれど、眠れる気もしなかった。
「ゼラ」
「なに?」
「昼間さ」
「うん」
「説明長かったわよね」
「それがどうしたの?」
私はクリシィを見るとクリシィも笑うが、いつもの少し人をからかう顔。
でも、目は笑っていない。
「怯えてる?」
私はすぐには答えなかった。
ドン!!!
ヒュドラかゴーレムか分からないが沈黙を破るように響く。
「……分かる?」
「それは長い付き合いだし、同じ男の上に乗っているし?」
「そっかー」
投げやりな私の降参ポーズに、クリシィは木柵に腰掛けて足をぶらつかせる。
そこで彼女は種を明かす。
「ゼラって本当に危ない時ほどよく喋るのよ」
「そう?」
「そう」
「初めて聞いた」
「そりゃ言わなかったし。本人は気づいてないから」
「へえ」
「で、怖いの?」
今度は誤魔化せない。
視線をそらして、それを口にした。
「怖いわよ」
口にすると少し楽になる。
楽になるだけとも言うが。
「ヒュドラが?」
「違う」
「でしょうね」
「即答するのね」
「昼から見てれば分かるわよ」
クリシィがジャングルを見る。
ジャングルの闇の奥は何も見えない。
でも、あの奥にはヒュドラがいる。
そして、多分、もっと厄介な奴も。
私は告げる。
「ヒュドラは強い。
でも、強いだけなのよ」
「そうね」
「問題は、あれがボスじゃないってこと。
間違いなく、操っている奴がいる」
クリシィはしばらく沈黙したまま、森からの轟音でやっと口を開いた。
「根拠は?」
「いくつか」
私は指を折る。
「海賊」
一つ。
「ゴブリン」
二つ。
「リザードマン」
三つ。
「ゾンビ」
四つ。
「そしてヒュドラ」
五つ。
私の言葉にクリシィが腕を組んで聞いている。
だから、そのまま続ける。
「私たちは海賊たちの重要幹部、死の導師シュバードを討つためにこの地へ来た」
海賊幹部だから海賊を使うのは分かる。
ネクロマンサーだから死者を使うのも当然だろう。
「ゴブリンやリザードマンもシュバードの配下か協力者だと思っていた」
「違うの?」
クリシィの言葉に私は首を軽く振った。
「いや、多分そこまでは合ってる。
問題は……ヒュドラ」
ドン。
遠くの戦闘音が妙に耳に残る。
「ネクロマンサーが操るには系統が違う。
アンデッドじゃない。
支配系統の魔法で従属させるとしても……シュバードには多分レベルが足りない」
「ゼラなら?」
「条件次第」
クリシィの確認に即答。
クリシィも押し黙る。
その意味を理解したから。
「……つまり、ゼラと同程度の奴がいると?」
「そういうこと」
「封印されていたヒュドラをシュバードが偶然解放した可能性は?」
クリシィも質問に私は口に手を当てて呟くように返事をする。
私自身言いながらどこか穴がないかと考えつつ、考えを口に出す。
「私も最初は考えた」
「違う?」
「違うと思う」
私は闇のジャングルをを指差す。
「暴れてない」
「……あ」
クリシィも気づいた。
「野生じゃない」
「そう」
私は頷く。
あの巨体にあの力。
本当に野生なら、ジャングルはもっと壊れている。
腹が減れば、ゴブリンもリザードマンも大型獣ですら何でも食う。
「無節操にジャングルを荒らしていない。
そして、私たちを襲いに来た」
偶然じゃない。
縄張りへ入ったからでもない。
私たちを狙った。
しかも、ゴブリン、リザードマン、ゾンビと私たちを消耗させた後で。
「……待って」
クリシィが木柵から降りる。分かったらしい。
「もしかして」
「そう。最初からヒュドラを出せば良かった。それをしなかった。
先に雑兵をぶつけた。
ゴブリン。リザードマン。ゾンビ」
私が指で順番を作り、四本目の指をゆっくりと折る。
「その後にヒュドラ。
間違いなく私たちの戦力を見た」
それが、私が一番嫌な理由。
ヒュドラじゃない。ヒュドラは強いが強いだけ。
怖いのは、それを駒として使っている奴。
「つまり、ヒュドラを使役できる高レベル魔術師が敵側にいる」
クリシィの表情が消える。
彼女だから意味が分かる。
私は念を押すように繰り返す。
「最低でも私と同等の魔術師が多分私たちを見ている」
「……」
ドォン……。
遠くからヒュドラとミスリルゴーレムの戦闘音。
今までなら、頼もしく聞こえてもいた。
でも、今は違う。
ドラゴンと並ぶ怪物あのヒュドラすら、敵にとっては、ただの駒かもしれない。
「ヒュドラは強いわ。
強くて怖い。
でも、戦い方は考えられる」
バリスタ。
油。
火炎魔法。
精霊魔法。
前衛。
回復役。
全部。
相手の強さを分解して、対策を組む。
冒険者はそうやって勝つ。
だから、断言した。
「私たちが何をするか見てる」
「戦力確認?」
「間違いなく」
「ゼラがどんな魔法を使うかも?」
私はため息を吐く。
魔術師の呪文は高難易度の呪文ほどレベルが高くなる。
それを貴重な魔晶石を豪快に潰して派手に撃ったのである。
「ライトニング・バインド。
ブリザード。
ミスリルゴーレム。
テレポート。
見せ過ぎた」
「だいぶ見せたけど、仕方なかったでしょ」
「分かってる」
あそこで出し惜しみしていたら。
アシュレイたちは死んでいた。
後悔はない。
……だが……
「向こうは私たちの手札を見た」
「こっちは?」
「ほとんど見てない。ヒュドラだけ。
相手の大駒だろうけど、手札はほとんど伏せたまま」
そこが私にとって一番嫌なところ。
私はゆっくりと確認するように言う。
「もし、ヒュドラを操ってる奴が本当に私と同格なら……」
「うん」
「……向こうはヒュドラを失っても戦える」
「ゼラは?」
「私も同じ。
ミスリルゴーレムは痛いけど手札はまだある。
ルーファスやクリシィたちも居るし」
「ありがと。頼ってくれて」
「だから、私と相手の手札勝負」
手札を隠し、こちらを観察して、消耗させて、最後に大物を出してくる。
そういう相手は……先にクリシィが声に出す。
「嫌い?」
「大嫌い」
「ゼラと同じタイプだから?」
私は黙り、クリシィが笑う。
「図星」
「うるさい」
「だってゼラもやるでしょ」
「何を」
「弱い敵から順番に出して、相手の魔法使わせて、回復役疲れさせて、それから本命」
「……やるわね」
「でしょう?」
自覚して嫌な顔になる私をクリシィが笑う。
「つまり、自分と同じことする奴が向こうにいるかもしれないから怖い」
「もっと性格悪いかもしれない」
こうして話すと少しは気が楽になる。
聞きたいのだろうから、クリシィに私が怯える最大の理由を口にする事にした。
「クリシィ。ここまで話したんだから最後まで聞いてもらうわよ。
あのヒュドラ、古代魔術王国が作ったなら、何のために作ったと思う?」
「それは、あんなのだから遺跡を守る……」
クリシィの言葉が詰まった。理解したらしい。
それの意味する事は一つだ。
「多分、いや、間違いなく敵はその遺跡を見つけて開放している。
だからヒュドラを使役していると考えるべきね。
じゃあ、ヒュドラが守っていた遺跡には何が眠っていたと思う?」
そこで後ろから足音。
「古代魔術王国の遺跡なら、ろくでもない物だろうな」
私とクリシィが振り返る。
「ルーファス」
村の家々の間からルーファスが歩いてくる。
剣は持っているが鎧は着ていない。
流石に誰かを抱く訳にもいかず、どうやら眠れなくて出てきたらしい。
「いつから聞いてたの?」
「最後のところだけだ。
ヒュドラが遺跡を守ってたって話から」
「ならちょうどいいわ」
私は木柵から離れる。
「あなたにも聞いてもらおうと思ってた」
「嫌な話なんだろ?」
「ものすごく」
「じゃあ聞く」
即答。
本当にこういうところはルーファスらしい。
私はもう一度ジャングルを見る。
ドォン――。
また遠くでミスリルゴーレムとヒュドラがぶつかった。
昼から続いており、まだ終わらない。
「古代魔術王国が、あんなヒュドラをわざわざ作ったとする」
「ああ」
「ただ森を歩かせるためじゃない」
「何かを守らせるため」
ルーファスが答える。
「そう」
クリシィも口を挟む。
「で、その守っていた遺跡を誰かが見つけた」
「そしてヒュドラを支配した。
問題は、その遺跡にヒュドラ以外の物が残っていた可能性」
沈黙。
夜の虫の声、海から届く波の音、そして……
ドン。
遠くの戦闘音。
ルーファスが眉を寄せる。
「例えば?」
「魔道具」
一つ。
「古代魔法の記録」
二つ。
「ゴーレム」
三つ。
「古代魔術王国の技術」
四つ。
クリシィが嫌そうな顔をして指摘する。
「それ、ゼラが全部手に入れたものじゃないの?」
「そう。
私と同じぐらいの魔術師ってのは、私と同じ事ができると考えた方が早いわ。
転移装置。
魔法兵器。
召喚装置。
封印された魔物。
古代魔術王国の研究施設そのもの」
クリシィが両手を上げる。
「もうお腹いっぱい」
「私もよ」
「言ってるのゼラじゃない」
「だから怖いのよ」
そう。敵の正体だけじゃない。
敵が何を手に入れたのかそれが分からない。
私は続ける。
「敵が私と同格の魔術師で、古代魔術王国の遺跡まで自由に使えるなら……」
言いたくないが、でも言う。
それは、私の弱点でもあるのだから。
「……敵は私たちより手札が一つ多い」
「その一つって何だ?」
「私は、ルーファスたちを捨て駒にできない」
クリシィが黙り、ルーファスもしばらく何も言わない。
ドォン――。
戦闘音が不定期に響く。
ヒュドラはまだジャングルの奥にいて、ミスリルゴーレムもいる。
どちらもまだ倒れていない。
「なるほどな」
ルーファスがようやく言う。
「それで怖いのか」
「そう。ヒュドラじゃなくて、その後」
私は答える。
「明日ヒュドラを倒したとしても、それで終わらない」
「ああ」
「むしろ始まるかもしれない」
「そうだな」
「それだけ?」
私が見ているルーファスはいつもと同じだった。
「もっと何かないの?」
「ある」
ルーファスはジャングルを見る。
声も仕草も変わらない。
「まずヒュドラを倒す」
「……」
「その後、遺跡を探す」
「……」
「敵がいるなら見つける」
「……」
「出てきたら倒す」
「単純すぎるでしょ!」
思わず声が大きくなった。
「しっ!」
クリシィが指を立てる。
「あ」
三人で黙る。
無人村の夜、しばらくして遠くでヒュドラが吠えた。
ルーファスが小声で続ける。
「でも違うか?」
「違わないけど」
「ゼラが考えてることは正しいと思う」
「珍しく素直」
「いつも素直だ」
クリシィが横で吹き出す。
「それはない」
「お前まで言うな。クリシィ」
「長い付き合いだから」
クリシィが肩を竦め、ルーファスは私を見て続ける。
「それに、こっちの手札を見られたって言ったな」
「ええ」
「全部か?」
「全部ではない」
「ならいい」
「良くない」
「俺はまだいる」
私はルーファスを見る。
「それ、どういう意味?」
「俺は魔法じゃない」
「ああ」
クリシィも気づいた。
「敵からしたら一番読みづらいかもね。馬鹿だから」
「おい」
「冗談」
でも、クリシィの言いたいことは分かる。
ルーファスの強さは、呪文一覧みたいに見れば分かるものじゃない。
戦い、冒険し、成功したら笑い、失敗したら悔しがる人の生き様そのもの。
仲間を作り、必要なら無茶をして、それを成功させる。
それが、この男の一番読めないところで、英雄と呼ばれる人の資質。
だから私やクリシィたちもルーファスに惹かれたのだ。
「ゼラ」
「何?」
「お前が考える」
「うん」
「クリシィが探す」
「任せて」
「俺が前に出る」
「いつものね」
「ああ」
ルーファスが笑う。
「それで今まで生きてきた」
私は少しだけ肩の力が抜けたのが分かる。
ドォン――。
ジャングルの闇の中でミスリルゴーレムとヒュドラの戦いはまだ続いている。
ルーファスがあっさりと言う。
「明日。まずあれを倒す」
「簡単に言うわね」
「簡単じゃない」
「でしょうね」
「だから皆でやる」
その言葉に。
クリシィがたまらず吹きだす。
「ルーファスらしい」
「だろう」
「自分で言う?」
「事実だからな」
私はため息を吐くが、悪い気分じゃない。
木柵へ背を預け直す。
「じゃあ、明日の作戦は予定通り」
「ああ」
「ヒュドラをバリスタの射線へ誘導」
「ああ」
「首を潰して焼く」
「ああ」
「操っている奴が出てきたら?」
「その時考える」
「そこは私の仕事でしょ」
「じゃあ任せる」
「軽いわねえ」
「信じてるからな」
「……」
そういうことを何でもない顔で言う。
ずるい。
「ゼラ?」
「なんでもない」
クリシィが隣でニヤニヤしている。
無視する。
「何よ」
「別に」
「言いたいことあるなら言いなさいよ」
「同じ男の上に乗ってる仲としては、ねえ?」
「その話もう終わったでしょう!」
ルーファスが首を傾げる。
「何の話だ?」
「知らなくていい!」
今度こそ笑った。
不安は何一つ消えていないし、敵の正体も、手札も、目的も分からない。
でも、一人で考えている時よりは少しましだった。
ルーファスがジャングルを見る。
「明日勝つぞ」
「ええ」
クリシィが木柵から飛び降りる。
「じゃあ、そのために寝ない?」
「しないぞ」
「分かってる」
「終わったら……ね♡」
眠れるかは分からないけど、冒険者ならば休んでおくべき。
そして、明日ドラゴンと並ぶ怪物ヒュドラにもう一度挑む。
ドォン――。
夜のジャングルからヒュドラとミスリルゴーレムの戦う音がまだ鳴り続けていた。