前編
今となっては昔の事であるが、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた翁と呼ばれる男とその妻がいた。翁の名はレイリー、妻の名をシャクヤクと言ったそうな。
彼等は若い頃に色々やらかしたので、後はもうのんびり隠居でもしようと早々に竹薮の中を切り開いて住み着いていた。その場所では水も出たので井戸も作れたし、湯も出たので温泉もある。
そんな訳で、彼等は生活に困る事は特に無かったのである。シャクヤク……通称シャッキーが竹籠に衣類等を詰めて立ち上がれば、レイリーはそれを視線で追った。
「洗濯に行ってくるわ。……ついでに巨大な桃が流れて来たら、持って帰ってあげるわね」
「はははっ!いつまで私は生きたら良いんだね。……さて、それならば私は竹薮に向かうとしよう」
「あら、それなら……そろそろ水筒の新しいのが欲しいから、早目に作って欲しいわ」
「ああ、そろそろ作り替えてもいい頃だな。分かった。良さそうな竹を選んで来よう」
そうして翁が竹林にでかけると、光り輝く竹があった。不思議に思って近寄ってみると、その光は竹の1部だと分かる。
とりあえず光の少し上を切ってみるかと1振りすると、素直に落ちる竹。襲いかかって来るでも無いので、灯り取りに使えるかと中身を確認し……硬直した。
中には
二人は話合い、自分達の子供として大切に育てる事にした。とは言え子育てなんぞ無縁な男。
妻とて子供の世話なんぞ経験は無く、けれども「レイさんよりは手がかからないと思うわ」と言いつつ大半の事は対応した。けれども拾ったのはレイリーなのだからと、責任持って育てるようにさせたからか、過去には冥王と呼ばれた男でさえ四苦八苦する事になるのは当然である。
育て始めてひと月もする頃には、子供は人の子供と同じ位の大きさになっていた。あどけなく笑う少女からは蜜柑の香りが漂い、素直に懐く可愛い少女に二人は完全なる親馬鹿と化してしまう。
「本当にナミは可愛いな。嫁になど行かせたくはないよ」
「ずうっと、この家にいても、いーの?」
「勿論だよ。ここがナミの家だからね」
「レイさん、女の子は惚れた男の元へ嫁に行くものよ」
呆れを隠さないシャッキーにレイリーは顔を顰める。それ迄のデレデレした顔とはまるで別人のようだ。
これでも過去は……ゲフンゲフン。とりあえず、隠居の翁とは思えぬ眼光である。
「私を倒せる男になら、考えてやらんでもないよ」
「まァ……まだ数年は先なんだから、騒がないでちょうだい」
「何を言うんだ。ナミの成長速度を考えたら、それこそ半年もしない内に有象無象が集まって来るだろうさ。猪ならばともかく蝿では鍋にもできやしないのが問題だね」
「あのね、ふたりにおねがいがあるの」
「「なぁに?」」
「おふろ!はいろ!」
その瞬間、二人は喧嘩もやめて崩れ落ちる。げに強きは幼子の無邪気さであろうか。
荒唐無稽としか思えなかったレイリーの与太話が真実となるのは、それから僅かな未来の事である。掌サイズだった少女が、人の子のサイズになるのにひと月。
その後僅かひと月で10歳程度のサイズに成長したのである。それでも二人はただ、ひたすらに少女を愛でていたし、少女も素直に二人に懐いている。
その少女が憂いを帯びた瞳で空を見上げれば、切なくもなろうというもの。縁側に腰掛けているナミの傍にレイリーが近付くと、幼子とは思えぬ悲哀を帯びた声が響く。
「……私、この家に居てもいいのかな。迷惑かけてる気がするの」
「何があったのか、話してくれるね?」
レイリーが隣に腰を降ろして声を掛ければ小さく頷いたものの、その唇は中々音を発しようとはしない。小刻みに震えるその姿に耐えられなくなったのは、寧ろシャッキーの方だった。
「ナミちゃん、教えて」
「こ、の間……っ!村に、行ったの」
「竹とんぼとか売りに行ってくれてたわね」
「家から出すなと言ってるだろうに。蝿が集って来たらどうするつもりなんだね」
「レイさんは過保護過ぎるのよ!その時は切り伏せるか、殴り飛ばせば良いじゃないの!!……それで、どうしたの?虐められたの?始末して来てあげるから、相手を教えなさい。大丈夫、悪いようにはしないわ」
過保護と言いつつ、過激な発言をするシャッキーこそ、ナミの為ならば何をするかわからない。その上で、始末すると言ったその口で何を言うのかと翁は思うが、賢明にも言葉を噤んだ。
その代わりにナミがポツリ、ポツリと言葉を紡ぐ。賢すぎる少女には、いったい何が見えているのだろうか。
「年頃になったら、お嫁さんになるから、ずっと二人と住むのは無理って、言われたの……。私、何処にも行きたくないっ!」
「……誰に聞いたかは知らないが、ナミは貴族の娘として育てている。貴族の娘にはそれに見合う名が必要で、それがなくば誰とも会えない。会えなければ嫁に等いけないだろう」
「それは、名付けしてやらなきゃでしょうよ。……でもね、確かにナミが嫌ならお嫁になんて行かなくて良いのよ。大丈夫、世界を滅ぼしてもナミは守るから」
本気で世界でもなんでもない滅ぼしそうなシャッキーにレイリーは僅かに身を引きつつ、そっと愛しい少女を抱き締める。己の手で育てた愛しい娘を、誰にも奪わせるものかと決意した二人の暴走を止められる者が見当たらない。
この二人ならばきっと、世界でも滅ぼせる事だろう。それくらい、この二人はこの少女に溺れていた。
「私、今のナミって名前が好き。ねぇ、これだけじゃダメなの?」
「貴族として、姫としての栄光を得るには弱いね」
「そんなの、いらないもん。レイリーやシャッキーといたい!」
その言葉に二人は同時に打ち震え、ナミを強く抱きしめる。この子は天使に違いない、と……二人は確信していた。
「何処にも、行かせはしないよ。ナミは私の愛し子だ」
「そうよ、男なんて踏みつけてなんぼ。私が守ってあげるから、ずうっと!一緒に過ごしましょうね」
ここにいていいのだと言われた事で、少女は漸く笑顔を取り戻して愛らしく懐く。穏やかな日常が帰って来た。
それから更にひと月後、竹薮の中から拾われて三ヶ月が経過した頃には、ナミも妙齢の娘になった。とは言えこの時代の妙齢の娘、現代の感覚では10代半ばである。
だがナミのその状態を、放置するシャッキーでは無い。反対しごねるレイリーを殴り飛ばし、縋り付くレイリーを蹴り飛ばし、ナミの為に髪を結い上げる儀式を手配し、用意出来る最高級の裳を着せた。
この頃までに何故かやたらと金銀財宝に恵まれていたので、彼等の懐事情は良くなっており、子育てすればする程豊かになって行っていた。なのでもう、文字通り金に糸目はつけずに誂えたその姿は、元の美しさもあってか、この世のものとは思えない程の美しさ。
それにより家の中には暗い場が無い程に、光に満ちていた。レイリーとシャクヤクは、心が悪く苦しい時も、この子を見れば消えると頬を緩めて幸福に浸っていたのである。
ここに来て彼等は、年頃の娘さんだからと、外で名乗れる名をつける為に人を呼んだ。呼ばれて来た
この時、人を集めて詩歌や舞など色々な遊びを催し、三日に渡り盛大な祝宴をした。……まさかこれが、悲劇の始まりとなるとも知らずに。
その宴の席でナミを見た者達が、その余りの美しさに貴賤を問わず皆どうにかして
誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込む程に夢中になっていた。これにより、女に求婚する事を
だがしかし、それをいつまでも笑っていられるような保護者達では無い。秘密裏に処理された彼等はその生命の安否も含め不明となり、その姿を見せる者は極端に減って行った。
それでも最後に残ったのは、色好みといわれる5人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。5人の公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂と言う。
「それで、どうするつもりなの?」
「私が二人囲って、何か問題かね?」
「あら、本気で私と並べるつもりなの?」
「シャクヤク……君こそナミを手放せないだろう。今でも風呂は二人で入っているのも知っているよ、私とは駄目だと言いながらね?」
レイリーの言葉にシャクヤクは笑う。艶やかに笑ったそれが何を意味するのか、レイリーは長い付き合い故に簡単に理解出来てしまう。
そうなれば、どうやって撃退するのが正しいのか。そんな事を思いながら月見酒と洒落込むレイリーだが、足音を忍ばせてその酒を狙う子猫の存在には当然二人も気付いていた。
今宵は楽しい時間となりそうである。恐らくは三人が、心穏やかに楽しめる貴重な時間となるだろう事は想像にかたくない。
三人の家族という形はそのままに、内情だけが変わろうとしていた。強欲な大人達は、愛しい少女をみすみす手放すつもり等、皆無なのである。
ある日、庭先に五人を集めてレイリーは言った。そう、輝姫ではなく、翁が言ったのである。
「今から言う物を持って来られた者には、求婚する権利を与えてやろうと思うが……受けるかね」
そう、権利だけ。結婚させるとは言ってないのである。
それも、断りたければ断れと告げる事で強制力を奪う。つまり、反論する権利は消失している所がこの男の嫌な所だろうか。
その上で、翁は表向き単なる平民。竹職人を気取っている、ただのご隠居である。
それでも輝姫の父親だからと思い、彼等は耳を傾けた。そうしなければ、翁より怖いもう1人の方によりその姿さえ見る事は叶わないからである。
「それ迄はうちの子の
既にそれは通称である輝姫は名前としてどうなのかと言う問題が発生したが、そんな事は彼等にとってどうでもいい事である。そうしてレイリーは無慈悲に言い放った。
「石作皇子には〝仏の御石の鉢〟を。車持皇子には〝蓬莱の玉の枝〟を。右大臣阿倍御主人には〝
蓬莱の玉の枝とは、根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝と言う代物。火鼠の裘とは焼いても燃えない布である。
まぁ簡単な話、どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だという事。それでも男達は諦めなかった。
だがそれに対し、結果は伴わなかった。その結果だけ見れば全員が失敗し、けれども言葉だけは後世に残したのだから凄いと言えるだろう。
石作皇子は、大和国十市郡の山寺にあった只の鉢を持っていき嘘がばれてしまう。にもかかわらず、鉢を捨てて翁を押し退け照姫に言い寄った事から、思い嘆く事を〝
車持皇子は、玉の枝の偽物をわざわざ作った。……のだけれども、その報酬を支払われていない職人達がやってきて偽物と発覚。
その後姿を隠してしまったのである。そうして長い年月姿が見えなかった事から
阿倍は、唐の商人から火鼠の裘を購入した。この衣は本来燃えぬ筈であったが、翁が焼いてみると燃えたので贋作と分かり、阿倍に因んでやり遂げられない事を
大伴は、船で探索するが嵐に遭い、更に重病にかかり両目は二つの李のようになってしまう。それにより世間の人々がこう噂した。
「大伴の大納言は、龍の首の珠を取りなさったのか」
「いや、御目に二つ李のような珠をつけていらっしゃる」
「ああたべがたい」
と……。それにより理に合わない事を〝
石上は、大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って、子安貝らしき物を掴んだが転落して腰を打ってしまう。しかも掴んだのは燕の古い糞であり貝は無かった事から、期待外れの事を〝
その後、中納言が気弱になり病床にある事を聞いた翁が鼻で笑って言い放つ。それは大変に冷たい一言であった。
「
中納言はそれを知り、かろうじて人を通じて返事をした。その返事がこれである。
『かひはなく有りける物をわびはててしぬる命をすくひやはせぬ』
これの意味は、
これを聞いては流石の翁も少し気の毒に思った事から、少し嬉しい事を〝
この事を後に知ったナミが怒り狂い、涙したのは当然である。しかしそれが翁の怒りに火を事になったのは、ある意味当然の事とも言えただろう。
何せ、愛して守って来た存在が……他愛無い存在の為に歯向かい、涙したのだから。そんな翁を止められる者など、存在はしないだろう。