「あちぃ」
外へと開け放たれた窓のそば、背もたれもない木製のベンチで壁にもたれかかり、天龍はそう呟いた。手には心棒の見え始めたアイスキャンディー。
「ねぇ、天龍ちゃん」
たまたま通りかかった龍田が声をかける。
「なんでぇ」
「暑いのは分かるけれど、さすがにその恰好はどうかと思うのよ」
天龍のワイシャツがベンチ横の帽子掛けに引っかけられていた。なんと彼女はその豊満な胸をさらけ出しているのだ。
なお、彼女の正装のうちのネクタイもブレザーもここにはなく、さらにはブラも視界内にはない。つまりこの前段階でなかったというわけだ。
「ねえ、さすがに下は履いているのよね?」
投げ出された素足。ブーツは放り出され、ストッキングはどこに置いてきたのか、履いてもいない。それでも天龍標準のスカートは辛うじて身に付けられていたわけだが、龍田は最後の砦たる布きれが存在するのか、非常に心配であった。さすがに天龍がそこまで放棄していたなら、何人かで集中的に「教育」した方がいいからだ。対する天龍の言葉は、
「直だと余計に暑いんでな」
すでに実践したことがあると言う告白であった。
「憲兵さん呼んだ方がいいかしら」
憲兵、の言葉に天龍の顔が歪む。
「は、ひまさらへんへいはいのお出ましか?」
忌々しそうにアイスキャンディーの残りにかぶりつきながらの返答だ。
「私が来る前に何があったか知らないけど、あなたの憲兵嫌いも相当よね」
いったいなんなの?との問いに天龍は吐き捨てる。
「新任の憲兵様とは何もねぇよ、新任の龍田さんよ」
そう、この鎮守府においては天龍はかなりの古参の艦娘であった。対する龍田はそれなりに経験を積んだ艦娘ではあったものの、一月前に異動してきた新参者というくくりの中にいた。なお、この鎮守府の『現』憲兵隊の着任も一月前である。
「ともかく、『執務室』の前で待機する姿ではないわね。そろそろ提督も赤城さんと一緒に戻られる頃なのだから、いい加減にした方がいいわよ?」
赤城、の言葉に天龍はクククと笑う。
「ああ、赤城の坊やか、そりゃちょうどいいや」
「なにがちょうどいいのよ、だいいち坊やじゃなくてお嬢さんでしょ」
「あいつ免疫ねぇから。まったく、どいつとくっついたのか知らねぇが、この程度の脂肪の塊で未だにあたふたしやがる。もう少し慣れさせねぇとな」
「あなたの言うことはたまにわからないのよね。赤城さんも私たちも艦娘よ」
複数の足音が近づき、龍田は手遅れな状況になったとため息をつく。足音の方にくるりと向きを変えると敬礼する。
「おかえりなさいませ、提督」
なんでさ、と挨拶をされた長身の男の後ろに控える女が呟いた。赤城のその言葉に少し首をかしげる龍田。そんな反応をする赤城型を目にしたことがなかったからである。そしてもう一人
「ば、ば、ばっかじゃないの!あんた何やってんのよ!」
瑞鶴である。
「よう、凛奈」
天龍は何事もないかのように返事を返してくる。
「あんた提督がとかそういう事以前に男の前でさらすってことの」
「あちぃんだよ、それに今更隠す仲でもねぇしよ」
は、と目が点なる瑞鶴と赤城。そして目じりと口端が危険な角度につりあがる龍田。
「扇風機があったはずだが、どうした?」
この時点で白い軍服の男が口を開いた。
「馬鹿のおかげでちび共のとこのエアコンさえまともに動かなくてよ」
「分かった、すぐに関係予算を組もう」
「わりいけどそいつは後回しにしてくれ、多分足りなくなる」
何だと?との男の言葉に天龍は取り出した封筒を渡す。なお、封はされていなかった。
「オレの方から上にかけあっておいた。「鳳翔」が3日後に着任する。3か月分の経費が例の予備費の半分までいっちまった」
天龍の言葉を書類からも確認した提督が問う。
「鳳翔はここに戻らんか」
「出入りできてるオレの方がおかしいと思って欲しいね」
「十分におかしくなっているのは分かっているぞ。それと俺は慎み深い方が好みだ」
「安心しなよ、もう無理は言わねぇよ。1度で十分だ」
「それはそれで惜しいのだがな。公私ともに気楽にやれそうに思ったのだが」
どことなく笑ったような顔で言う男に、嘘ではないのだろうとその場にいた者は感じた。
「馬鹿騒ぎするんならあんたとの方が楽しそうなのはオレも認めるぜ」
「何故俺だった?」
「あんたにゃ悪いが、あんただからじゃない。ちょいといい思い出の一つもありゃ良かっただけさ」
見込んだ通りに優しかったしな、と天龍は付け加える。
「重巡以上が一艦隊分に、駆逐が4、潜水艦全部となるとかなり時間がかかるな」
「仕方ねぇだろ。だから代理でも提督は女にしろって言っただろうが」
「無理を言うな。このご時世、適性があればそこの「瑞鶴」のように艦娘になってしまう女の方が多い」
古風で最新鋭な兵器を扱う艦娘たち、それを恭しく扱う本職の軍人。プロパガンダが効きすぎている弊害であった。なお、適性の告知自体は可能な限り秘密裏に行われる。親類にも吹聴しない様、本人や家族たちに言い含められる。
「は、出来る女なら提督目指せっての。なんで突撃思考なんだか」
艦娘は建造できるんだから人間様は後ろでふんぞり返ってりゃいいのに、と愚痴る天龍。
「そうは言うがな、提督になっても若さは手に入らん」
むしろそちら目当ての女性が多い。公式の記録では40代が駆逐艦の電となったこともあった。もう改造手術とかそういうものの域をはるかに超えていた。
「あー、そっちもあるか。そりゃ盲点だったわ」
「15年も続いた戦争だ。華々しく散った男どもと違って灰色の青春とやらを送らされた女も多い。若返ったついでに元凶を殴りつけようと言うのが、どうも流行らしい」
「座して老いるも地獄、進むも地獄。どうせ死ぬならさっぱりした方がいいって、そんな動機の連中も来んの?まじで辞めたくなってきた」
「お前、今辞めたら鳳翔達に刺されるぞ」
「やっぱり?」
「憲兵隊の鏑木殿の見立てだとな、榛名が一番危ないと言っていたな」
戦艦>軽巡のパワー差はいかんともしがたい。
「あー、本気出されるとまじ無理だわ。監禁されるかも」
「たしか加賀もお前の言うことしか聞かんらしいな。よくもまあ手懐けたものだ」
「あれ、オレ詰んだ?」
軽空母、正規空母、戦艦の三隻が相手だ。軽巡一隻、苦も無くひねられどこに繋がれるやら、といったところである。
「さんざんろくでもない状況で走り回って、希望見させてさあこれからというところだぞ」
「はいはい、んじゃもうひと頑張りしますか」
無駄に肉まんじゅうを揺らしながら立ち上がる。
「さてと、それじゃまた後始末には来るが、いったん戻るぜ。凛奈、行くぞ」
天龍はワイシャツを肩にかけ、ブーツを履く気はないとばかりに拾い上げた。凛奈と呼ばれた瑞鶴はあきらめたようにため息をつく。
「天龍さん、私は?」
「赤城は「新しく来る鳳翔」に引き継ぎを頼むわ。少なくともあと3日、ここの連中にちゃんと食わせてやってくれ」
3日後迎えに来る、と天龍は付け加えた。その言葉に、では厨房に戻ります、と赤城がその場を去る。
「やれやれ、龍田、仕事が増えたぞ」
この鎮守府での現在の秘書艦は龍田であった。
「あと明日の哨戒はこっちでやっておくぜ」
「良いのか?」
「昨日「ミデア」が到着して物資に余裕はあるしな。働かせてた方が余計なことも考えねぇだろ」
「了解した、当日はチャンネル39に合わせて待機するとしよう」
「じゃあな、藤村「特務」提督」
「またな、「天龍提督」」
藤村提督のその言葉に、龍田は、は?と疑問の声を上げてしまうが、ペタペタと素足の音をさせながら、天龍と瑞鶴は廊下の先へと行ってしまった後だった。
「提督、天龍ちゃんが提督ってどういうことですか!」
「言葉通りだ」
「あいつは、第13独立艦隊の司令官、天龍提督なのさ」