入室した時、何か甘い匂いがした。
「翔鶴型航空母艦2番艦、瑞鶴です」
そう感じながらも、海軍式の敬礼とともに少女はそう宣言した。執務室の座り心地のいい椅子に腰かけた、若い小太りの提督は、一瞥だけくれると手にしていた書類に目を落す。
「着任を許可する。詳細は鳳翔あたりに聞いとけ」
正直言って感じが悪い。外れに当たったかと顔には出さずに瑞鶴は思った。
「なんだ、ぐずぐずしてないでとっとと行けよ。こっちも暇じゃないんだよ」
不機嫌そうな提督の剣幕に、何故か既視感を覚え、さらには甘い匂いがより強くなったことに首をかしげる瑞鶴。そのことに男はさらに苛立ったようだ。
「たく、転属のくせに新造艦かよ!これだか「提督、今帰還したぜ」」
ノックもせず眼帯と角のようなアンテナを付けた女が入室し、そう男に声をかけた。その後ろには薄紅の和服に紺袴の女が控えている。
「天龍、よく帰った!」
「あの程度の任務でそういわれるほどでもねえって」
と、言う割には紺の学生服のような服の左半分は破れ、豊かな乳房がこぼれ落ちそうになっている状態だ。露出してしまった左上腕も擦過傷のような傷が複数ある。
「おいおい、ケガくらい直してから来いよ。高速修復材くらい好きに使えばいいじゃないか」
「さすがに資源を持ち帰らねえと話にならねえからな。ちょいと盾代わりに使ってこのザマさ。でも、こういうのも好きだろ?」
外見上は擦り傷程度にしか見えない
「・・・ああ、悪くはないな。だが沈んでもらっちゃ困るんだ。ちゃんと直せよ」
そう言いながらも執務椅子の横に立った天龍を引き寄せる提督。よろけるように身を預けた、天龍の胸に提督が顔をうずめる形になる。この状況に大外れ引いた!が瑞鶴の思考であったが、ふと天龍が瑞鶴の方を向き、その目を瑞鶴、入り口の方への順で動かす。状況について行けない瑞鶴の手が握られ、そのまま執務室の外へと連れ出される。ふと目の合った鳳翔が指を口に立てた。提督に認識されない方が好都合です、とさらに執務室から離れてから告げられ、瑞鶴は頭を抱える。どうやら配属先は噂に聞いたブラック鎮守府らしい。
「おう、鳳翔さん、資材と修復材は?」
少しののち、案内もかねてドックに来た瑞鶴と鳳翔を待っていたのは、暗い目をした駆逐艦・軽巡娘たちであった。皆一様に状態は良くない。そこに遅れて天龍がやってくる。その首元に赤く新しい「痕」が見えた。
「こちらに。1個ですよね」
「ああ、資材はこの間の残りも出してくれ。第二で使うぞ。一応しばらくは来ないとは思うけどな」
第二とは第二入渠施設―入渠施設自体、浴場としか言いようのない設備である。舞鶴第4においては入渠用大浴場が第一、その奥に第二として小浴場が存在した。
「足りますかね?」
「足りなきゃこの間の「建造」分も使う」
二人の会話について行けない瑞鶴に他の艦娘たち。
「あの、入渠できるんですか」
「そういやオレとは初対面の奴らばかりか。毎回とはいかねえが、とりあえず何とかしてる。だからさっさと入るぞ」
その言葉に艦娘たちは第二とされた入渠施設に殺到する。
「鳳翔さん、わりいけどしばらく見張り頼むわ」
「承りました」
と言いつつ、鳳翔もともに脱衣室まで入る。つられて瑞鶴も入室すると、天龍は脱ぎ散らかすように全てを放り出すと資材等の入ったバケツを持って奥へと行ってしまった。
「見張りって」
「あの方はこのエリアにはあまり興味はないですが、来ないとも限りませんので」
というと放り出された衣服を集めながら、瑞鶴にやや奥に行くように指示する。
「このあたりですか?」
入り口側から壁と中央に並行して立てられた衣類棚、その向こう側に立つ瑞鶴。
「ええ、その位置なら目立たないでしょう」
入り口は内開きのドア1枚である。入り口から死角の位置に立つように指示を受けたわけだが、その段階で鳳翔が袴を脱ぎ始める。疑問に思う瑞鶴をよそに、彼女は脱いだ袴を手に持ち脱衣棚の前に待機し始めた。
「鳳翔さ・・・」
問い掛けに鳳翔は彼女の方を向くと空いた手の人差し指を立てる。この時点でまたろくでもないことであることは分かった。周囲を見回す。大浴場の入り口はすぐそこに、そして自分同様死角の位置に第二浴場への短い通路が見える。つまりは望まれざる客が来たなら鳳翔が引きつけている間に天龍を呼んでくるのが自分の仕事というわけである。前の鎮守府ではただ単に戦力的に合わない、というだけだったが、ここでは果たしてどうなるか。噂に聞いた捨て艦などは特に回避したい代物だが…空母は修復にかなりかかるものだ、厳しいかもしれない。
死にたくはないかなぁ、と思考の海に沈み気味になっていたところで、おい、といきなり頭に手を置かれ、ひゃ、と瑞鶴は声を上げてしまう。
「それじゃ見張りにならねえぞ」
「す、すみません!」
敬礼を返しながらいつの間にか出て来た天龍に返答する。
「あの、もういいんですか」
「高速修復材も使ってるからな、あの程度ならむしろ余るくらいだ」
だから他の連中も入渠させてやれる、と天龍が続けたことに、どうやらこの女がブラック提督に従っているわけではないと今更気づく。
「難しいだろうが提督に絡まれたらともかく周りを見ろ。あいつに殴られるかもしれんが、それで済みゃラッキーだ」
「さっきの、執務室でみたいにですか」
「オレみたいなのが割って入ることになってるからな。誰もいないようならどうにかして逃げろ」
「・・・あの、さっき言ってた建造って」
「それは聞くなよ。お前はそのことは知らない」
いいな、と天龍に念押しをされた辺りで、静かに他の艦娘達が戻って来る。ちゃんとあったまったかーなどと笑いながら天龍が声をかけるが、皆表情は固いままだ。
「初雪、お前はちょっと来い」
なんだと言わんばかりの不満そうな初雪に、天龍は先を続ける。
「なに、いい場所があるんだ。提督には秘密だぜ?」
そう言って天龍と初雪がどこかへ行ってしまうと、その場は解散となった。
後日、瑞鶴や他の新入り艦娘たちは、その初雪からシャワー室(小屋)の場所を教えられた。
「天龍さんが言うにはね、ここ、記録上ないんだって。あ、これ、みんなにって」
初雪から配られた飴玉を口に放り込みながら、先行きの不安さを感じる瑞鶴であった。