6時間目の授業が始まった。5時間目は皆んなの表情も、お腹の具合も満足しているのが空気として伝わって来ていた。だけどそんな多幸感もこの6時間目で薄れつつあった。それと同じく皆んなから漂っていたハンバーグの残り香もだいぶ収まっていた。どの班も黒っぽいサータアンダギーやダークマターみたいにならなかったので、家庭科の先生が随分と褒めてくれていた。
他のクラスはまだハンバーグ作りが始まっていないけれど、例年だと火加減の説明をしていても焦がす班がやたら多いそうだ。やっぱり中火・弱火・トロ火の加減が皆んな中々覚えられないようだ。明日はトロンメルのクラスだけれど、大丈夫かなぁ。ま、ハンバーグぐらいはあの子も問題なく作れるけれど、先生の『課題』は他のクラスに教えるなって釘を刺されたから、何とか切り抜けて欲しいところだ。
日中最高気温は下がりつつあるけれど、雨が降っているから湿度はまだまだ高い。鼻が人より良いのはこういう時に困る。ハンバーグ臭いブラウスと胸元のリボンが、ライムの香りと混ざっていて帰ったら即行でお風呂に入るという決心をより強くさせていた。つまり今度は自分の匂いが気になって仕方なかったのだ。
だけど私にはこの後、弓道部での練習が待っている。地区大会が近いのだ。先輩方も私達も昨年のレギュラーやお姉様に続けとばかりインターハイを目指している。とりわけ2年・3年混成の『上級レギュラー(或いは1軍とも)』は燃えていた。この『女子は2チーム』という方針は、『豊作』とされる現2年生の状況と、いつぞやのイリヤ様に触発された美綴元部長、顧問の先生にコーチ、そして藤村先生の意向で決まったものだった。
本当なら2軍も混成であるべきなのだけれど、『良い2年生が多いから』と3年の先輩方が遠慮された結果そうなってしまった。そしてそうなると地区大会ですら、穂群原学園女子弓道部は2チームエントリーとなる。他校の弓道部だけでなく、ライバルは同じ道場の隣の射場で弓を引いている訳だ。それがお姉様が仰る『薬味(スパイスとは言わない)』になって、俄然私と桜を燃えさせるのだった。
どうして弓道場には、グラウンドにある部室棟のようにシャワールームがないのだろうか? この学園での唯一の不満だ。男子が居なければ給湯室で体を拭くのになぁ。そうだ。タオルをお湯で濡らして、更衣室で拭いてしまおう。そうなって来ると、練習後に着て帰るブラウスとリボンがまた気になるだろうなぁ。
そんな事を板書からの視覚情報と、声による聴覚情報を処理しながら考えていた。そんな矢先にドガシャーンと割合近くに雷が墜ちた。真面目に経済の授業を受けていた人は、女子も男子も一様に驚いていた。居眠り組は驚く人とポカンとする人とで二分されている。アサシンからの報告だと、墜ちたのは学園の避雷針でなく円蔵山の中腹だ。これは使い魔から得られる情報とも一致していた。
私も凛さんやルヴィアさんも学園の敷地内は、要所要所に使い魔や礼装を設置している。それでこういう情報用は効率を上げるためと、求めたい効果の範囲の関係で、似たようなパターンの陣を描きがちになる。そんな訳でルヴィアさんとは三ヵ所、凛さんに至っては実に五ヵ所も被っていた。仲間だからお互い苦笑しながら暗黙の了解を貫いている。
小学部、問題なし。中等部、問題なし。高等部も問題なし。そこで敷地外の使い魔をチェックした。この敷地外のどこに設置するかが私達三人のセンスの違いとなる。先生方の家々、問題なし。これなら中腹より下の家も大丈夫だろう。柳洞寺、庫裏、問題なし。僧堂、問題なし。法堂、停電。本堂、停電。送電線……いや、変圧器に墜ちた? 変圧所内のブレーカーが落ちただけなら良いのだけど。
柳洞寺はお御堂関係の建物と、僧堂や庫裏などの生活空間とで送電系統を分けている。お御堂関連は裏手の池の近くにある変圧所から220Vで配電されていて、僧堂や庫裏は100Vで配電されている。そしてその僧堂と庫裏でメーターが異なっていた。これは僧堂までが法人で、庫裏が柳洞家個人の支払いとなるからだ。
いくら宗教法人が非課税だとしても、いや非課税だからこそ、こういう部分はしっかりしている。でないときちんと申告できないからだ。つまり住職は宗教法人柳洞寺の社長みたいなもので、毎月いくらでお経を唱えるサラリーマンでもある訳だ。だけど柳洞会長のお兄さんである零観さんや他の僧侶が給料制という事はないと思う。でなきゃ托鉢なんてしないだろうし。いや、形骸化した修行として残っているだけなのかな?
それはともかくこうして見ていくと、庫裏の離れを借りている葛木先生が、一体どれくらいの電気やガス・水道を使うのかは一切不明なのが理解できると思う。そんなだから、さすがの私も家賃を払っているのか、いないのか、払っているならライフラインもコミコミなのかが、使い魔を使おうがアサシンを複数人投入しようが全然わからない。
だけどこの先生、実は倫理とは別に経済も少し担当していて、今黒板の前に立っているのはその葛木先生だったりする。担任団としては1年上の凛さんやルヴィアさんの学年所属だけれど、倫理や経済という専門教科は教えられる先生がどこの学校でも少ないので、こうして私達の学年も受け持っていた。
重宝されている分、給料がかなり良いとの噂だ。どこが『朽ちた男』だ。メチャクチャ居場所の確保が上手いじゃないか。その生い立ちから物知らずなところは確かにあるけれど、経済も受け持つだけに、結構経済観念がしっかりしていたりもするから侮れない。また、元殺人集団の出身だとしても『恩義には報いる』『約束は守る』『与えられた責務は全うする』といった基本は外さない人だった。
そんなところが『学年が上がるとわかる味のある先生』という評価に繋がって行くのだろう。先生の本当の姿を並行世界で知っちゃった凛さんとルヴィアさんはかなり複雑そうだったけれど、それでも先生が受け持つ3-Aじゃなく3-Cに行った凛さんは惜しんでいた。やっぱ、良い先生なんだよ。
だから幾ばくかを家賃として住職に納めているのではないかと私は睨んでいる。どうしてそんな情報をって? 他の世界でのキャスター攻略に役立つからだよ。それと他者のプロフィールを考察したり、その心情を慮る事って、自分の心の成長のためにも重要な事だと思うな。特に私みたいな造られた存在には……。
今、エーテルで人の体を出力しておる儂の目の前には、久方ぶりに逢う大魔導師と、やたら身体がゴツい白人(ムキムキとでも言おうかの?)、そして精悍な顔付きになった『衛宮士郎』、どこの『ほすと』じゃいという青年なった慎二が居った。場所はいつもの食堂じゃ。そんな儂らの前に、二人のアーチャーが紅茶を出してくれおった。
勿論、こちらのアーチャーは、儂に渋めのぬるい茶を出す。それでも香気はしっかり残っておるのは、アーチャーの研究の成果じゃ。
「おお……ええ香りじゃ」
「確かにお茶の香りが抜け掛かる冬なら、差し水で香りを戻す方法があると聞くが、それは抹茶を沸かす段での話で、これには当てはまらんだろう。変わった煎れ方だな?」
大魔導師が連れて来おった、新参のアーチャーの言じゃが……、
「そう深く考えんでいい。ゾウケンはぬるめの、だが香りの残る茶が好きなのでな。自ずとこうなった」
と、こちらのアーチャーが軽く答えておった。そこには何も敵対的な素振りはなかった。
「して、大魔導師殿。逢うのは昨年の秋からじゃから久方ぶりよな。息災そうで何よりじゃが、此度(こたび)は何用で?」
そう儂は問うた。すると大魔導師はいともあっさり話してくれた。
「またエルマのチカラを借りたいのよ。詳しい内容はエルマが大学から戻ったら話すわ」
は? 大学?
「誰が大学じゃい? エルマはまだ高等部の2年生じゃぞ?」
すると大魔導師は目を大きく見開き、衛宮士郎と白人の男は口を大きく開け、慎二は椅子ごとひっくり返りその顔に自分の茶をぶっかけておった。
「アチッ! アチッ、アチチチチッ!」
「お、おい、慎二。大丈夫か?」
衛宮士郎と白人の……友人なのじゃろうなぁ、ともかくその二人からの介抱を受けて、慎二は立ち直りよった。
「せ、先生! この世界の『今』って、僕達がエルマと出会う前の……彼女が穂群原の2年生だった頃の世界……?!」
「あ…………うん……。どうやら、そのようね。しまったわ……アンカーが前回の続きなんだ……」
儂とアーチャー達は顔を見合わせた。『遠坂の呪い』、ここにありじゃな……。まぁ、大魔導師のせいと言うより、弟子の『凜』が残した道標(アンカー)を、うっかり自分のものと思い込んで引っ掛かっただけなのじゃろう。
「少々聞くが、おヌシらは儂やエルマを知っとるようじゃ。並行世界の慎二よ、儂らはいつ出逢(でお)うた?」
儂は驚きの感情を飛ばして、状況確認・現況確認に頭を切り替えた。
「はい。僕が推測するに、この世界基準で来年です。お祖父様、僕はあなたから『エルマは今3年じゃ』と4年以上も前に聞いていました」
むぅ、4年以上とな? すると現在、少なく見積もって21歳。おそらくは23~24歳じゃろう。儂の理解を促そうと最小限の言葉で、その関係性と時系列の矛盾を明かしおった。この『冴えた慎二』は軽くエルマの掌握を受けておるのか、良い意味で『覚醒』しとる。となれば衛宮士郎もか。ならばそれなりに話そう。
「見事じゃ。切れるの、慎二。しかし4年も前か、エルマと逢うたのは?」
「……はい」
何という顔をしよるのじゃ。
「慎二、おヌシ……」
そうか。おヌシもおヌシだけの『ユスティーツァ』に出逢(でお)うたのかい……。それがエルマじゃったとはな。
「全国大会の予選が近いので、戻るのは7時を回ると思うが良いか?」
「はい、待つのは問題ありません。そうかぁ、2年生ですものね?」
「うむ。五人立ちの『大前』で副部長じゃぞ?」
「やるなぁ!」
「カカカ……して部長と『落ち』はこの世界の桜じゃ。ヌシの世界の桜はどうじゃ?」
儂とエルマが赴いた世界なら生きとるはずじゃし、弓道で汗を流しとるはずじゃ。
「はい、元気ですよ。今は出身大学の弓道部でコーチとして汗を流しています。あ、そうだ。これも情報として。その大学通学時の1年上に遠坂が在籍していまして、桜とも姉妹の関係を既に取り戻しています」
なんと!
「そちらの凛は時計塔に行かなんだのかえ?」
「はい。『アイツラ』の手中に堕ちた時計塔、それも英国王室のお膝元に行くのかと」
『アイツラ』と来おったぞ。
「諌めたのは慎二で、儂はそこまでおヌシに話しておったという訳じゃな?」
「はい。世の中が胡散臭く見えるのは、お前の頭が良いからだと。逃げるのも良い、戦うのも良い。だけど自分ができる事の限界は知っておけと……」
「そうか……。儂がそんな事をな……」
そうして儂は慎二の横に座る衛宮士郎と、もう一人の白人男性を見た。儂は衛宮士郎に『待て』と合図を送ってから男を促した。
『ああ、俺の名はエルヴァだ。エルヴァ・フォン・アインツベルン。こっちには女版の俺が居るんだろ?』
その言語は英語じゃった。そうか、そういう世界か。となればそれは『エル』の事じゃ。じゃが、この目の前におる男のエルヴァは、大魔導師の言葉を聞いており、真相を知っているのじゃろう。その瞳は、『逢えるのなら、そのエルヴァにも逢ってみたい』と言っておるようじゃった。じゃが、これで大筋の話は理解できた。
ひとつ。来年、儂とエルマは小奴らの世界に赴き、年齢から逆算して……おそらく第五次に介入せねばならん。
儂は大魔導師を見た。正直、やってくれたのぅという気分じゃ。ここに来た事自体はそこまで驚かん。仮にも『世界を見渡す』とも言われる第二魔法の使い手じゃ。いくら『現象』が禁じても、迂回路はあるのじゃろう。それを見つけおったというだけの話じゃ。じゃが現状での問題は別にある。
鶏が先か卵が先かという問題もあるが、そもそも小奴らの4年前の世界に儂らは行けるのか? 問題はそこじゃ。それは過去に遡るという事なのかえ? 物理でなく神秘として見た場合、『並行世界』とは並列に並んだ世界群を指し、『平行世界』とはある世界に寄り添うカタチで存在する世界を指す。
じゃが物理として考えれば『びっぐばん』は一回だけでなく、無限大の『容れ物』の中で同時多発的に、これまた無限に起きたと考えるんじゃ。そうとなれば、どこかの世界とどこかの世界は同じになる可能性が、無限であれば零とは言えんようになる。それが並行世界を考える上での基本の考え方となるのじゃ。
となると『容れ物』の中は光速の壁、即ち半径138億光年という物理法則で括られた無数の世界で満ちておる事になる。が、それらの世界の外と言おうか、光速の壁の外は光速を越えて今も膨張し続けておるので、実質の半径は現在で465億光年とされとる。そんな半径465億光年もの宇宙が、『容れ物』には無数にあると考えるのじゃ。
そして次に考えるべきは、このような『容れ物』が一つだけとは言い切れんところにある。『容れ物』を炉と置き換えれば想像がつくと思うのじゃが、果たしてこの炉までが無限に存在しとるとなればどうであろうかの? そしてこの二つ目の考え方の方が『並行世界』の存在確率が高まる事も容易に想像がつこう。
この先にある考え方が素粒子による『すりっと実験』から得られた考え方じゃ。素粒子の行動原理は通常波紋状であるが、観測者を置くと直進行動を示すというあれじゃよ。つまりこれは観測者(特異点に立つ者)が居れば、世界が分裂する可能性を否定できんという意味になる。それが宝石翁や大魔導師のような第二魔法の使い手を指すとは言わんよ。儂でもわからんものはわからんのじゃから。
エルヴァやエルマに言わせると第二魔法の使い手を料理人と捉え、炉を更に焜炉に掛けた鍋と捉えると理解しやすいそうじゃ。無限の空間に存在する無限の宇宙……。その中に僅か存在するやも知れぬ並行世界を思考する事をも、湯掻いとる馬鈴薯のように例えるのが、錬金術を基礎に置くアインツベルンよな。
じゃがここまで思考した世界は、素粒子や物理法則が同じであると仮定した世界じゃ。言ってみれば神秘で考える『並行世界』そのものじゃ。同じ炉内であろうが、隣り合った別の炉であろうが、分裂した世界であろうとな。が、素粒子の数が多いやら少ないやらあれば物理法則も変化する、そのような世界を『平行世界』と儂は考えるのじゃが、まるで『まっしゅぽてと』と『ふれんちふらい』のように湯掻いたか揚げたかの違いのようにエルヴァやエルマは話しよる。
まぁ、それで理解できとるのならそれも近道であろうよ。それでこの四つの『思考もでる』が現在の物理学者が考える最先端なんじゃよ。となれば第二魔法に於ける『並行世界の運営』とは何を指すのか、何となく見えて来んか? 少なからず四つある焜炉で五つの鍋を扱えという生易しいものではないじゃろうな。
さて、そのような余談を一先ず措いて考えるべきは、そもそも儂がエルマやエルヴァと出逢うたのが第四次だった事なのじゃ。つまり道標(アンカー)さえあれば、過去にも行けるという事になる。またそれは目の前の小奴らが証明しとる訳じゃが……。おそらくそれも限定的で、やはり道標(アンカー)ありきなのじゃろうなぁ。
そしてこの道標(アンカー)は魔法使い(観測者)が置く、観測したという証明碑(記念碑)ではないのかえ? そんな風に儂は思うんじゃが、どうじゃろうか?
ふたつ。今回、大魔導師と小奴らがここに来たのはエルマと儂とルビー、そしてアサシン達とランサーの手を借りたいからじゃ。
となると再びどこぞの世界への介入が待っておるのじゃろう。すると衛宮士郎はともかく、慎二はエルマに逢いたいと願ったからのみで連れてきたのかえ? いや、そもそも小奴はどういう慎二じゃ。こんなエエ顔をしとる慎二がおるのかい。並行世界の可能性とは、正に無限なんじゃなぁ……。
「大筋は見えて来おったが、慎二は『仕事』で赴いた場合どう動くのじゃ?」
「チカラですね? これですよ」
そう言って、慎二はジュラルミンのケースをテーブルの上に置いた。その横に衛宮も同じケースを置いた。
「なんじゃい?」
じゃが、二人が蓋を開けた瞬間にその中身を見て儂は理解した。
「転身帯!? そうか、エルマは完成させておるのか。それをおヌシらにのぅ……」
まず、転身後の姿を『変身ひ~ろ~』のように単一で固定化するのじゃ。要は『かれいど』の第二魔法に係わる機能を制限するんじゃよ。そうして杖を制御する人工精霊を入れずに、そこを術者に任せるんじゃ。たったそれだけで、慎二のような魔術師でないものまでが使えてしまう。儂がエルマに惚れたのはそこよ。こんなものを作れる魔術師が他におろうか?
「お祖父様、転身ベルトです。そんな貞操帯みたいな」
「む?『帯(たい)』とは『帯(おび)』という意味ぞ。何も間違っておらん」
「まぁ……そうですけどね」
それから儂らは皆が戻るまであれこれ話をした。アーチャーの二人が思った以上に静かなのと、とりわけ新顔が儂らのアーチャーに友好的な態度を崩さんのには少々驚いたがの。じゃが、儂ははたと閃いた。
『来年、逢っとるのではないか? そこで意気投合とまでは言わんが、それなりの仲になったのではないか?』
日本語には未来形がない。よって過去文なのか未来文なのかよくわからん表現になりよるが、これぞ『魔法よな』と妙に納得した儂じゃ。じゃが、儂の様子を見て察した大魔導師が種明かしをしてくれよった。
「彼、二番目と四番目に逢っていて、彼らと旦那から料理を学んだ経験があるのよ。それで『アーチャー慣れ』しているっていうか……」
「おお、そうじゃったのか。まさか六番目の座かえ?」
「いいえ、三番目の座よ。割合まともに構成されたタイプね。召喚者はその世界の遠坂凛だけれど、彼の今のマスターは未来のエルマなのよ。そこもあるの」
「そうか、未来の仲間じゃったのか。して、その凛は?」
「彼、天井をぶち破っていないから。彼を『まともな構成』で召喚しただけの実力は確かにあるわ。弟子に取るかどうかは現在保留中なのだけれど。ま、取っても『魔術師』としての弟子かしら」
そうは言うが、何か期待するところがあるような顔じゃ。
「慎二」
儂は再び慎二に声を掛けた。
「何でしょう?」
「桜は『遠坂』に戻ったのかえ?」
「いいえ。本人の意志を尊重した結果、間桐姓のままです。ま、何かあれば遠坂も僕もチカラを貸すのは吝(やぶさ)かではありません」
『吝(やぶさ)か』とは、吝嗇(りんしょく)の『吝』と書く。『嗇』と同じ意で、『惜しむ心』『出し惜しみ』を指し、基督教に於ける七つの罪源の根幹を成す心の有様じゃ。(一般的に傲慢・嫉妬(ねたみ)・憤怒・怠惰・強欲(貪欲)・暴食(貪食)・色欲を指すのじゃが、その根幹は全部『惜しむ心』から来ておるのは明白じゃ。拠って儂はヒトだった頃、誰よりも『奉仕』に心血を注いだ。じゃから『吝(やぶさ)』という言葉を使った慎二を眩しく思った)
「そうか」
エエ顔で笑うのぅ。歯が光っとるぞ。そこから儂はあちらで起きた第四次のあらましと、儂やエルマの行動についての話しを聞いた。また男のエルヴァやその友人のアントニー、アストルフォ、クロエの事などもじゃ。その上で来年は大魔導師とではなく、弟子の『凜』と赴く事で大魔導師の道標(アンカー)が回避できる事もわかった。
うっかり『凜』をそこに行かせるでないぞと儂は念を押したよ。さもないと、こんなエエ顔の慎二や衛宮の未来が『儂らが入れん事で』消え去る事になる。事程左様に未来とは、なんとも『でりけ~と』なものなのじゃ。また慎二も衛宮士郎も現在アメリカのシカゴ住まいで、アーチャーの持つ食堂を手伝いながら『世直し』をしており、『他の世界(並行世界)』には手を広げておらん事もわかった。
エルヴァとアントニーもアインツベルン本家の爺さんとともに『世直し』をしておるらしいのじゃが、こちらはアメリカはアメリカでもカリフォルニアの、ほぼこちらのエルヴァと同じところに住んでおるらしい事がわかった。しかも姉が二人おり、一人がイリヤスフィール、もう一人がアーデルハイドという名なのも判明した。この部分は倫敦のエルヴァに知らせておくべきじゃろう。
そうこうしておったら真一が戻ったので、儂は新顔のアーチャーに霊体化させ、慎二らを『仕事仲間』と紹介した。それで年若い真一に気遣わせてもいかんと思い、儂らは玄関に近い場所にある応接室兼会議室に移動した。その際に彼らには真一の事は夜に話すと言っておいた。
それから1時間半ほど後に、玄関から『ただいま』と声が重なって聞こえよった。凛とルヴィアじゃ。ここは大魔導師が自ら出迎え、別の応接室に入った。それから15分くらい経って再び玄関から『ただいま』と聞こえた。この時、儂はある種の『奇跡』を見た。常人の慎二が英霊であるアーチャーを置き去るような、まるで『空間転移か』と思うほどの早さで玄関に移動しおったからじゃ。
「懐かしい、穂群原の制服だ! よく似合う。可愛いよ、エルマ!」
慎二、老(ふ)けたのぅ……。と同時に、桜に手を出したりせんかった『慎二』なんじゃなと漸くわかった。つまりそう感じたから、儂とエルマは慎二に目を掛けたのじゃろう。
「きゃッ、だ、誰ですか!?」
いかん! この声はエルマでなくトロンメルじゃぞ! そうか、並行世界に行かんトロンメルは慎二の顔を知らんか、仮に知っておってもこんな青年とは思いもよらなんだか。
「ま、間違えていませんか? わ、私はトロンメル……。エルマの妹です!」
それでも咄嗟に謎の男をエルマの関係者と考えたか。まぁ、この家に暴漢なぞ入れんからの。
「え? あ、ゴ、ゴメン!」
トロンメルには災難じゃったが、ま、これで別人じゃと一発でわかったろう。儂はエルヴァや衛宮士郎が『やっちまったな?』という顔をしとる中で静かに言った。
「エルマが戻るのは7時頃じゃと言うたであろうが?」
「すみません。まさか彼女に妹が居たなんて……」
「妹も居れば倫敦に姉が居るし、その下に小学生の妹達も居るわい……」
慎二はまさに『驚愕』という表情をその顔面に貼り付けておった。その時の顔はメドゥーサが嫌っておったというペルセウスさながらの、まるでギリシア彫刻のような顔じゃった。
「やれやれじゃ……慎二、おヌシは駅に電車が到着したら、降りる者を押し除けて先に入り、じゃが、座らん『たいぷ』じゃな?」
「先に乗り込みたいだけで座席にも窓にも一切興味なし? 僕はどんな人間ですか!?」
「ほれ、居るじゃろう? バス停の一番前に居ったからと、座りたい一心で横入りしようとする老人を入れさせんくせに、じゃが後から乗る老人にどうぞとばかり自分は座らん者が」
「そんな順番(ルール)だけに拘る変人は衛宮だけです!」
その時、当の衛宮士郎は苦笑いしつつエルヴァに英語で、儂と慎二の会話の『笑いどころ』を説明しておった。む。これは気が利かなんだ。儂は皆に、これよりはできる限り英語を使えと申し付けた。いや、エルヴァを見ておってな、何となく簡単な日本語しかわかっておらんのではないかと思っておったのじゃ。そうなると一人だけ会話に入れんのはどうなのかとな。
そんな儂の気持ちを汲んでか、エルヴァは儂に感謝の意を示し、来年に儂が話すであろう事や取るであろう行動を語ってくれ、なおかつ転身帯の事もより詳しく話してくれた。慎二の転身帯は青、衛宮士郎は赤、次の予定が黄であり、それ以降は不明じゃが、五本作る予定であるとエルマが語っておったらしい。
そしてそれらを魔術師ではないが、『アヤツラ』と闘う意志のある者達(この場合は慎二や衛宮士郎の仲間となってくれる者達)に、配る事を目標としていたらしい事がわかった。これは戦力にならん者共を戦力にしてしまう逆転の一手なのじゃ。エルマから儂が聞いておる計画とも言えん当初の思いつきは、並行世界の慎二と衛宮士郎にこれを与え、二人の『夢』を実現可能にするというものじゃった。
世を斜(はす)に構えて見る癖のある慎二と、考え無しで突っ込む癖のある衛宮士郎……二人にこれを渡す。そうとなればこの転身帯は我が身を守る強力な防具となり、敵に対抗できる武器ともなる。つまり使う者次第で善にも悪にもなる。じゃが、人口精霊を外すと聞いた時に、その善悪を考える事で人は成長するものであろうし、そういう使用者に成長して欲しいとの願いもあると聞いておった。
まぁ、有り体に言えば並行世界の『儂』に歪められた慎二と、災害と運命に歪められた衛宮士郎を、姉のエルヴァや『エル』とは異なる角度から救済したいと考えたのが端緒となっておるのじゃ。じゃから髪の色に合わせた青と赤が先に出来たのじゃな。しかしここでは、まだ棚に転がっとる制作途上品でしかない。来年に二本までは完成するようじゃが……。
『大学受験が控えとる高3のエルマに何をさせよるんじゃ。のぅ? 大魔導師殿?』
儂は隣からこちらの部屋に戻った大魔導師にそう言った。凛とルヴィアは着替えてから空手の道場に行ったそうじゃ(※)。大魔導師に止むに止まれぬ事情があったのじゃろう事はわかる。エルマの能力を高く買ってくれておる事もわかる。それでも文句は言わせて貰った。
※)ロシアよりずっと続けておってな、今は二人ともエルヴァと並ぶ二段じゃ。しかもその道場の師範代が弓道部の元部長で凛やルヴィアの学友じゃったから、かなり良い人間関係の中で鍛えられとる。また月に1回くらいのペースで、手合わせと称して生徒会長も鍛錬に寄るそうじゃ。
『ああ……ごめんなさい』
そして詫びの言葉を引き出した。魔法使いから。
自慢にもならん。今の儂はルビーとともにエルマの保護者でもあるのじゃ。倫敦に渡る前のエルヴァからも頭を下げられ頼まれておった。じゃからこそ、敵と認定されかねん物言いも控えた。
『ええよ、訳があるのは察しとる。よって来年エルマと、そこを訪れようぞ。でないと『色々成り立たん』のじゃろう?』
『ええ、お願いします』
そんな話しが終わり掛かった頃にエルマが帰って来おった。儂は慎二を制した。
『今のエルマに、おヌシの記憶なぞありはせんのだ。まずは様子を見よ』
『そ、そうですね……』
耳を欹(そばた)てておると、エルマの愛らしくも涼やかなソプラノの声が聞こえた。慎二が『あ』という顔をした。わかったか。アルトとまでは言わんが、トロンメルの方が若干声が低いのじゃ。じゃから『な?』という顔を見せると、慎二は軽く、じゃがゆっくりと頷いた。
とは言えこのままじゃと可哀想じゃ。儂はエルマに声を掛けて応接室に呼び、エルマと慎二達を引き合わせた。ま、『エル』から植え付けられた『情報』がトロンメルより多く、並行世界の経験もあるエルマじゃ。即座に慎二や衛宮士郎の存在を『どこかの並行世界からの来訪者』と当たりを付けておった。何よりこの部屋には大魔導師が居るしな。
じゃから『困った事があるなら、できる範囲で手伝おう』と瞬時に考えた事くらいは儂にもわかった(でなければ捨て猫ごときで川には飛び込まん)。根本的に気の好い真面目な娘なんじゃよ。じゃが忘れてはならんのが、エルマはエルヴァを単なる姉としてだけでなく、『お手本』『人生の師匠』と考える娘でもある事じゃ。
『き、君は『一』でも『三』でもなく本物のエルマだよね……?』
涙を滲ませ、感極まった慎二から出た言葉はそれじゃった。エルマはその意味を探るように、しばし熟考しておった。やがておもむろにこう言いおった。
『はい。確かに私がエルマ本人です。それで『一』や『三』とは何でしょう?』
儂とエルマは目配せした。『ワルキューレを使っておったのじゃな』と。エルマの問いに対して慎二が答えた。
『これは君からというか、『一』から聞いたんだよ。七人に分裂する能力があるって。それでお祖父様が、使っているのはワルキューレというカードの能力で、本当は八人に分裂していて、その八番目が本体だって教えてくれた』
何じゃ? 儂はこの慎二の事を余程気に入っておったんじゃな。そこまで話しておったのか。エルマが儂のエーテルの背中をポンと叩いた。済まんのぅ。
『ああ、ワルキューレをご存知だったんですね。それなら『一』や『三』の意味がわかります。真面目で堅い子が『一』で、『三』はからかって来ました?』
『そ、そうなんだ』
『『二』や『四』『五』『六』などにも会いましたか?』
『ああ。逢ったのは『一』『二』『三』『五』『七』の五人だけど、『五』『七』は料理とか掃除が主だったな。実質動いていたのは『一』『二』『三』の三人だった。それで最後の最後に君本人だ。逢ったのはアインツベルンの城だった。今も可愛いけれど、1年後の君はもっと美人だったよ』
『お上手ですね』
儂はこの二人の会話の間、衛宮士郎の事やエルヴァの事を念話で知らせておった。エルヴァの名で随分と動揺しておった。勿論、そんな驚きはおくびにも表には出さんし、英語にも乱れはなかった。じゃが姉のエルヴァが大好きなエルマにとってはかなりのショックだったようじゃ。
(彼との子種を残せば、それってお姉様と私との赤ちゃんも同然……)
何をトチ狂ったのか、エルマはそんな思考を漏らしておった。これは儂だけでなく二階の部屋で待機しておるルビーも聞いておるじゃろう。しかも搾精するために慎二の気持ちを利用して、二週間くらい滞在させようとまでエルマの頭脳は瞬時に弾き出しておったのじゃ。儂には理解し難い毒々しくも生々しい思考じゃった。
いや、『桜』に対して『間桐の胎盤』とまで言っておった過去の儂じゃからエルマの事をどうこうは言えん。しかし『搾精(どうやるのじゃ?)』やら『慎二の気持ちを利用する(勘弁してやってくれい)』なぞを、こんなエエ娘が間髪入れずに頭に描いたのじゃぞ? 正直打ちのめされたわい。これも儂の不徳の致すところで、己の罪と胸の裡で嘆いておったよ。
じゃがすぐに(ごめんなさい……お姉様)と考えを改めておったから、頭の中では天使(エルマではないわな。エルヴァじゃろうな)が勝ったようじゃった。それからエルマは慎二達に侘び、私服に着替えたいと残して応接室を出て行った。この時の慎二の鼻の下の伸び具合は見ものじゃったわ。
自室に戻った私は胸元のリボンを解くやいなや制服のブラウスを脱ぎ捨てた。それらを黒いスカートやサブバッグに入れていたエプロンやバンダナとともに洗濯カゴに押し込んでから私服に着替えた。トップは襟のないサマーニットのようなコットンのカットソー。全体が刺繍のような編み方なので今の季節はベトつかなく涼しい。
色が生成りなところや袖がパフになっているところも気に入っている。そのくせお値段は3980円だった。行きつけのブティックで薦められたのだけど、アーシーな色違いがいくつかあったのでベージュやオリーブ色、黒や白なども揃えていた。それらはワルキューレ用と考えて揃えたものだ。
下はガウチョパンツでもサルエルパンツでも合うし、意外と私が好きな、プリーツが効いたテニススコートとも合う。このテニススコートもテニス用と限らず、運動用としてカジュアルなタイプが最近チラホラ出ているので嬉しい。そんな中から今日はレンガ色のスコートを合わせてみた。
ついでに髪は部活の時のようにポニーテールにして、ベージュの布でおでこから頭頂部を巻いてみた。これはハンバーグの香りがずっと気になっていたからだ。次にルビーを手に取り、ワルキューレのカードを使った。三人寄れば文殊の知恵ではないけれど、相談したい事ができたからだ。分裂は三人、慎二さんの言うところの『一』『二』『三』だ。三人の服装はさっきの色違いだ。
カゴを抱えていつものランドリールームに降りれば、五台ある大型ドラム式の一つと、二台ある日立の全自動の一つが回っていた。大型の方は空手の道場へ行った凛さんとルヴィアさんの衣類で、7kgの全自動はトロンメルだろう。五台もあれば全室のリネンが一度に洗濯できる大型は一つでも一般家庭だと大きい。なので凛さん達は、本日着ていた衣類以外も洗っているのだろう。
そんな大型だと水も電気代もバカにならない。なので、この小型の全自動を導入したのはお姉様だ。それが穂群原の卒業式も近いの2月だったから、出資者であるお姉様はほとんど使ってらっしゃらなかった。だけどそれはそれで悲しいからトロンメルが左、私が右側の洗濯機を使う場合が多かった。勿論専用という訳ではないので、凛さんもルヴィアさんもマルガリータさんも、単独で洗濯する時はこの小型を使っていた。
自分の洗濯物をネットで分け、右側の洗濯機に突っ込んだところで、左の洗濯機が止まった。洗剤を入れ自分の方のスイッチを入れた。その後、三人でトロンメルの衣類を取り出し、広げてシワを伸ばしたりしながらハンガーに掛けた。それらをボイラー室に掛けて行った。
「で、何を相談するの?」
来客者の過去と出逢うのはこちらにとっての来年だ。聖杯戦争の流れみたいなのはゾウケンくんに聞いて貰って、そちらは後で聞けばいい。先生の要件にしたって話しをキチンと聞かないと現段階では何とも言えない。つまりプチ反抗気味な、先日新都に行っていた『三(面白いので慎二さんを真似よう)』はそう言いたい訳だ。
ちなみに学園に行っていた方は『二』、真一くんを送った私が『一』になる。『五』と『七』はおそらく同時に出していない。先日のランドリー会議で言えば、『五』はピンク・スウェットで『七』はボイコット組だ。掃除や配膳くらいには出て来てくれたという事だろう。
「ズバリ、エルヴァさんの存在ですよ。あの方って……」
「ああ、その意味ね。それは『エル様』の並行世界存在で間違いないでしょうね」
私の言葉に『三』が返した。そこを『二』が指摘した。
「違う、違う。『私』が疑問に感じたのは、『エル様』がお姉様の死を代理で引き受けて下さった時に感じられた霊波というか霊気をあの人が身に纏っていた点です」
「あ。あなたの疑問だったんだ?」
『エルマ』としての思考は同一な筈なのに、ワルキューレのカードを使うようになってからそうとは言い難い部分がままあった。なので曖昧に感じられた部分が、こうしてワルキューレで分裂して別々に考えると判明する場合があった。今回もそうだ。そこを三人で考えゾウケンくんに念話で情報を聞き出して欲しいとお願いした。
するとエルヴァさんはあっさり答えてくれたようだ。ゾウケンくんからの答えは、彼の召喚したサーヴァントがキャスターで、真名が『エルヴァ』だったとわかった。しかもそのキャスターは、『エル様』やエルヴァさん(男性)、スイスのエルヴァちゃんの転生前だった。もっと言えば死後何度か転生しているらしく、アインツベルンと名乗る前の祖でもあるらしい。
そしてそんな神代の巫女は、ギルガメッシュ王と同時代の人だったという……。
「つまりエルヴァさんはキャスターの加護を今も受けている?」
と『三』。感慨やら感動を口に出さず、いきなり加護と核心を突くところが彼女らしい。
「ええ。それもほとんど呪いのように纏わりついていると今は感じます」
すると『二』はそう返した。
「そっか。そこが疑問というか違和感になったんだ?」
とこれは私。皆んなそれに頷く。そして次に頭に流れるのは第五次の日程についてだ。弓道部は引退しているだろうけど……。
「「「センター試験どうすんのよ?」」」
今は三人だけれど、これは私達七人全員の思いだった。
「一人一教科で手分けする?」
「五教科なら二人余るよ?」
「休憩時間ごとに毎回トイレに行って入れ替わるの?」
「精神だけ入れ替えられないの? だって受験は学園の制服でしょう? 五着も替えなんてないよ?」
「だよね。トロンメルのを借りても足りないし、お姉様のなんて……」
聖杯ならぬ聖衣だ。誰が着るのだと同士討ちしかねない。これを聖衣戦争と呼ぼう(クロエちゃんも高校生になったら着ると息巻いているけれど、あの子達は背が伸びそうだし無理だと思う。言わないけれど)。実はお姉様の置いていかれた制服などはトロンメルがギターとともに預かっていて、宝具の中なのかあの子の部屋では見つからなかった。
ただ私は、去年の学際で新品と入れ替えたお姉様の夏服を、1セットだけ今も持っている。匂いを残したかったけれど黄ばむのが嫌なので泣く泣く洗濯した。それで今は『気分が乗った日の替え』として着ていってる。当然だけど今日みたいな調理実習の日は着ないし、盗難にあったりしても嫌だから体育がある日も着ない。
そして来週の月曜日がプール開きだ。そこで、これまた新品と入れ替えたお姉様の水着が着られると思うほど私は浅慮ではない。お姉様の学年は学年色が青だったのだ。それで凛さん達が赤、私達は緑だ。これが体操服の袖のラインや水着の肩紐だけでなく、体育館シューズのサイドラインに、ズック型上履きの爪先、スリッパ型上履きの色にまで及ぶので、姉や先輩からのお下がりを譲り受けられないこの徹底した学年色は、自分の欲望を抜きにしても学園の欠点ではないかと考えている。
ところで今月頭に送られてきたメールにあったのだが、お姉様は正装したセイバーさんを伴って、先月サリーのエプソム競馬場に二回も赴いていたそうだ。時計塔からの仕事なのだと思うけれど、本場のダービー、オークス観戦だったらしい。が、どうも要人警護も兼ねていたようで、添えられた画像を見れば割りとキリッとした服装だった。
そして夜会でのお姉様はフォーマルなジャケット姿だったけど、セイバーさんは穂群原の制服だった。正確にはブラウスが違っていて、臙脂の縁がないタイプだ。きっとお姉様は1着だけ制服を持っていかれていたのだろう。それを夜会で使えるようにアレンジしてセイバーさんに貸したのだと思う。ドレス以外のフォーマルを持っていなくて、イリヤ姉さんに叱られたのは私だって知っている事だ。
なお、日本は今年ディープインパクトに湧いていて、学園でも競走馬好きな男の子が必ずどこかで話題を出している。そしてお姉様も、自分で馬をお持ちの『エル様』と同じで馬がお好きだ(『エル様』の馬は乗馬で競走馬ではない。競走馬の馬主をされているのは先代御館様だ。それで『エル様』がお好きだった競走馬はナリタブライアンとトウカイテイオー、テイエムオペラオーだったという。またメジロドーベルも応援していたそうだ。そう教えて下さったお姉様は、オグリキャップやメジロマックイーンといった芦毛の強い馬がお好きなようで、日本に戻られるとゴールドシップを応援されていた)。
「先生にマジ文句言いたい」
三人で頷きあった率直な感想だ。だけど実際に渡ったのは、こちらでの9月後半、連休頃だった。
そうこうしている内にドラム式の洗濯機が止まったので凛さんやルヴィアさんの衣類を取り出して、三人でボイラー室に掛けた。その後すぐにトロンメルから食事だと告げられたので、私はカゴを部屋に戻してから食堂に向かった。食堂には真一くんと凛さん、ルヴィアさん以外は、ゾウケンくんやお客様方も含めて皆んな揃っていた。
真一くんは私達高校生組が遅い時は、アーチャーさんやマルガリータさんと先に済ませている。これはまだ小学生の彼に、少しでも多く睡眠時間を取らせるためだった。こういう工夫はお向かいのセラさんもしていて、マルガリータさんも積極的だ。それにアーチャーさんも協力的だし、ランスロットさんも理解を示している。だけどランサーだけは『子供はもっと遊べ』というタイプなので、『遊びと学び』が両立できるランスロットさんの方が、真一くんの遊び仲間に相応しいだろう。
とは言え、真一くんにも好みや個性があって、玄関前でイリヤちゃんやクロエちゃんと会えば挨拶くらいは出来ても、遊ぼうと誘う事も誘われる事もなかった。彼はもっぱら小学校の友人と校庭で少し遊ぶくらいで、基本夕方の5時までには帰って来るような子なのだった。それに田舎育ちなので裏庭でランスロットさんとアウトドアの話しをしたり、ランサーと釣りに行く方が馴染むようだ。
それで配膳を手伝って席に着けば、エルヴァさんは思いのほか箸の扱いが上手だった。そしてこれまた意外にも、おナスとオクラの煮浸しを美味しそうに食べていた。なお、オランダ煮は調理方法の名で煮浸しは料理名だから、この軽く揚げてからフライパンで仕上げた煮浸しもオランダ煮の一種だ。そして一度揚げると、焼き目を付けても飾り切りが綺麗に残るので、中華料理の技法にも通じる部分がある。
そんなおナスの煮浸しにオクラと納豆の和え物(ゾウケンくんのリクエストっぽい)、スライストマトとキュウリのサラダ、それとラッキョウで作ったタルタルソースが添えられたアジフライが今夜の献立だった。このアジフライはルヴィアさんの大好物で、一時は学園の食堂でアジフライばかり食べていたそうだ。そんなルヴィアさん向けにアーチャーさんはピクルスでなくラッキョウでタルタルソースを作った。
このタルタルソースがお姉様も絶賛する出来栄えで、揚げ物には醤油派だったお姉様もタルタル派に転向しつつあったのだ。ただアジフライはお客様向けに急遽揚げたという感がある。また、聞けばエルヴァさんが好きな料理は肉々しいバーベキューらしいけれど(いかにもだ)、和食も中華も平気なのだそうだ。ただ、お寿司と刺し身は余程の事がない限り自分から進んで食べないらしい。
『スシとサシミはニッポンでないとなぁ。ミシガン湖が近いシカゴでも、海が目の前のハンティントンビーチでも、アメリカは魚料理がイマイチだ』
と言う。そんな情報をアーチャーさんは、もう一人のアーチャーさんから聞いてアジフライにしたらしい。なるほど、これなら絶対に気に入ると思う。ちなみにラッキョウは別名オオニラとも言い、裏庭のビニールハウスでも育てていた。それを収穫して甘酢で漬け、キュウリのピクルスの代わりにしたものが、アーチャーさんのタルタルソースだ。
それでエルヴァさんはアジフライとタルタルソースを絶賛していた。
『フライも気に入ったが、ソースが良い。このソースがあったら、倫敦ももう少しマシだったのにな』
なるほど。フィッシュアンドチップスに使うという意味か……。