※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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111、冬木の日々 12

 冬木山の中腹にある遠坂神社中社から出発したので、到着も中社だった。早起きな禰宜や巫女さま方が掃除をされている境内を、ペコペコと頭を下げながら突っ切って、下社を出たら慎二さん達が朝ご飯を駅前で食べて行こうと言った。確かにお腹が空いた。何も食べずに出て来たからね。

 けれど先生にルヴィアさん、凛さんは先に遠坂の家に行き、家主が登校する前に逢いたいようだった。なにせこちらは私達が出発した日曜でなく月曜だったからだ。ただズレは今のところその曜日くらいで、月も4月だった。となるとここの凛さんは3年生に上がったばかりだろう。遠坂時臣の残した謎掛けを解き、屋根を抜かずに私達の知るアーチャーさんを召喚した先生の弟子……。

 そうなのだ。アーチャーさんの本来のマスターがここの凛さんなのだ。聖杯戦争が終わって、座に戻る以外行き場の失くなったアーチャーさんを、ここの凛さんは惜しんだ。それで『あなたが宝石剣を完成して、魔力供給の問題が解消されるまでこちらで預ろう』となった。その預け先がルヴィアさんと凛さんなのだった。

 これも偏にお姉様がいらっしゃったからだ。だから、もしかしたら今回でアーチャーさんとサヨナラになってしまうのかも知れない。何よりもう一人のアーチャーさんと合流したのは何故だとなるし、幾ら関係者のその後が気になったとしても、そこに私達までが行く必要なんて普通に考えたらない。

 確かにイリヤ姉さんは、お姉様の事もあって、こちらの衛宮家とアインツベルン家が気になるようだし、ゾウケンくんも間桐慎が気になっていると思う。でもそこに士郎さんはまだしも、慎二さんを連れて来るか? 何か先生には私ごときじゃわからない考えがあるのだとは思うけれど。当の慎二さんは、その態度から察するにきっと何も聞かされずにここに来たのだと思う。

 

『という訳で、シロウはこっちよ』

 

 と、駅前のバス停で降りる私達の中から士郎さんを引っ張ってバスに戻したイリヤ姉さん。日本語も通じるだろうに気を利かせたのか英語だった。

 

『え? 俺も朝定食が食いたいんですが』

『駄目。シロウは私と衛宮の家に行くんだから』

『は? なんでさ~~~!!』

 

 哀れ士郎さんはイリヤ姉さんに捕まった。ああ見えて姉さんも英霊だから、チカラが強いんだよねぇ。逆にあちらのアーチャーさんは押し出されてバスから降ろされた。これで支払った運賃はプラマイゼロだ。それと一緒に朝ご飯を食べてこいという意味でもある。これはつまり、先生とルヴィアさんに凛さんが先に遠坂邸に行って話しを通し、イリヤ姉さんが士郎さんと衛宮の家に行ってご挨拶、残る私達が先に食事を済ませろという事だろう。

 と言うのは、滞在先は以前と同じく遠坂邸で間違いないだろうけど、そうなると私達の分の食料などを買い込まないといけない訳だ。そして今はまだまだスーパーが開く時間じゃない。だからエルヴァさんやアントニーさん、クロエさん、慎二さんに、私、ランサー、ランスロットさん、あちらのアーチャーさんは食事を済ませたら、バルナバスの散歩も済ませ、お買い物してから帰って来いという事なのだろう。

 

 〈遠坂の家に何もなかったら念話を入れるから。その時はパンでも買ってアサシンに走らせて〉

 

 案の定、バスの後部座席に陣取る先生から念話が来た。だから『了解』と返しておいた。要は冷蔵庫の中身チェックと空きスペースチェックも先行してやっておくという意味だ。それで自分達の朝食分はここの凛さん次第だから、場合によっては焼き立てパンでも買ってきてという訳だ。

 なお、新都は当然だけど、マウント深山の焼き立てパンもおそらく並行世界云々を置いてもう開いているだろう。そして凛さんもルヴィアさんも大手が市販するパンを食べない。特に菓子パンは絶対に食べないのだった。それはイーストフードや添加物を口に入れないためだった。

 そういった身体に悪く、魔術回路にも良くないものは徹底的に排除しているのだ。だからお二人はポテチもフライドポテトも食べない。これはトランシ脂肪酸を避けるためと、糖質を過剰に摂取しないためでもあった。なのでパンなら特定のお店の小麦の全粒粉バゲットか食パン、或いはライ麦パンに限られたし、日本で求めるならパンよりもご飯だという考えの人達でもあった。

 

(白米より玄米というのと同じで白いパンよりも茶色い全粒粉の方がビタミンやミネラルが多い。それらよりもっと良いのが蕎麦でありライ麦だ。その蕎麦とライ麦はロシアの特産品で、アメリカの拝金主義者の魔の手を逃れた現代ロシアの食料品は、世界一添加物の少ない安全なものとなっている。また庶民の月平均の収入が日本円で5~7万だから物価が安い。真面目に働けば日本より良いものが食べられるのが2000年代のロシアだ)

 

 これは基本、人は小麦粉製品というか、水で練ったグルテンが合わないのと、日本の流通だと国内産ばかりのお米の方がより安全だからだ。パンを食べ慣れているルヴィアさんでもグルテンには気を付けている。北欧やロシアの人が、パンだけでなくお米やお蕎麦も食べるのは、主食の穀物が偏るのは良くないと歴史から学んでいるからだ(過酷な冬の問題もある)。

 そういった食の安全確保を本国から任されていたのがコック長だったニコさんだ。そのニコさんから安全に付いて学ぶ事が、マルガリータさんとアーチャーさんが正式に雇われるための条件だったのだ。当然、この何回かあった講習会はいつもの食堂で行われたので、お姉様も凛さんも私やトロンメルも聴いていた。その講習会を終えてニコさんはフィンランドに帰ったのだった。

 その後どうなったかというと、お姉様ですら防カビ剤が塗布されている輸入ものの柑橘類を避け、ソーセージやハムなどの加工肉を使う頻度が減った事で明らかだ。私もお姉様に薦められたハチミツレモンのレモンを、マウント深山の八百屋さんに頼むようになった。予め頼んでおくと欲しい量の国産(広島産)レモンが手に入るのだ。

 だから先日ルビーに出してあげたレモン水も、そういう防カビ剤が使われていない国産の皮ごとカットレモンをピッチャーに入れたものだったのだ。またハチミツの方も無添加・非加熱を謳う県内の養蜂家のものをお姉様は取り寄せていた。ここまで気を配られるのだから、きっとお姉様はお婆ちゃんになってもお肌ツルツルだろう。

 だからパンを買ってこいとなったら、私の責任は無限大に大きくなる。そんな責任感にビクビクしながら私達八人はぞろぞろと早朝6時台の新都を歩いていたのだった。

 

『この人数だと二手に別れた方が良いかも』

 

 と、慎二さん。

 

『え、どうしてですか?』

 

 と返した私の質問に、慎二さんはこんな事を言った。

 

『この時間帯はどこのチェーンもワンオペがほとんどなんだ。知ってる? レジ強盗が多発するのもこの時間帯なら、食い逃げが一番多いのもこの時間帯なんだ。それでも先払いが確定できる券売機を導入せず、ワンオペも辞めないのは、強盗や食い逃げよりも人件費の方が痛いと考える経営陣が多いからだ。そういう会社の株って、意外と値上がらないんだよね』

 

 よく調べてるなぁ……。

 

『日本はやっぱりアメリカよりも平和だからね。間抜けな方向でも……。あっちで狭いスタンド形式でもないのに後払いのワンオペだったら、散々食われた後に銃を突き付けられて、自分で相手の持ってきたバッグに売上を入れる羽目になる。日本だからできる労働者無視の悪徳経営だよ。だから普通、こういう営業形態の会社の株価は上がらないんだ。いつか何かあるってリスクの匂いがプンプンするからね。それでも今後10年20年と生き残るのなら、それは経営陣が優れているからじゃない。利用する日本人のレベルが低過ぎるんだ。こんなんじゃデフレ脱却も遠い夢だよ』

 

 これが2005年(ここは2004年)の時の話だ。私は慎二さんを二度見した。アメリカでも株で儲けているらしいけど、それはそうだろうなと納得できたエピソードだった。それで私はトロンメルが『飲食店でのアルバイトなら大手チェーンでの求人に応募せず、地域密着型のお弁当屋さんが良い』と言った意味が漸くわかったのだった。

 それで結局、私と慎二さん、それとクロエさんとエルヴァさんが、慎二さんが好きないつものお店でなく違うお店に向かった。信号を今は閑散としている繁華街側に渡り、ほんの50メートルほど冬木大橋(西側)に向かって歩く。そこから南に入るとすぐに、年期の入った木の看板のうどん屋さんがあった。

 

『ここって、マウント深山から出て公園の脇にある、少し遠坂の家に近いところにもありませんでした?』

『ああ、そっちの世界にもあるんだね? カウンターだけの立ち食いでしょう? そう、元は同じだよ。先々代が兄弟だったかな? そんなふうに聞いているよ。どっちが本店とかはないんだけど、こっちはカウンターに椅子があるのが違いかな。それと営業時間が全然違う。歓楽街が近いからこっちは夜中の13時開店の朝9時閉店だ』

 

 深夜営業専門? マウント深山に近いお店は『エル様』の慎一様がお気に入りのお店だった。となるとあちらではこの辺りよりもっと川に近い真向かいが『エル様』のビルだから……。ああ……あちらの慎二さんとよく入るうどん屋さんってここだったのか。何でも七味唐辛子が市販のものでないらしく、風味がとても良いらしい。そういうお店をこの慎二さんも知っているんだ……?

『朝定食』は朝5時から閉店の9時までの4時間限定で、掛けうどんと、ご飯、それとお好みの天ぷら2品で390円だった。慎二さんの世界ではこれ以外に掛けうどんと、ご飯、それと生卵とお漬物が付く340円の『朝定食』もあったそうだ。そんなところで世界の違いを語られてもなぁ……。

 

『だけどさ、その50円差で客層は変わるんだよ? 当然リピート率もその客層で変化する訳だしね。商売はそうやって肌で感じてニーズに応えるからこそ集客率が上がるのさ』

 

 ああ……高校生じゃ慎二さんに口で勝てないなぁ。届いた定食のうどんに七味を振れば、山椒などの香りがホワッと立つ。これか、『エル様』が気に入り、お姉様が参ったといった七味は。これは確かにどこにも売っていないぞ。当然エルヴァさんもクロエさんもそんなの知らないから見よう見まねで少し振っただけだった。天ぷらもエルヴァさんは慎二さんと、クロエさんは私と同じものだった。

 あ、それとこういうリーズナブルなお店の天ぷらは、手の空いた時に揚げて、ショーケースに並べてある。だからとっくに冷めているし衣は少しフニャッとしている。でも熱々のうどんに載せるなら、そこは問題にならない。それと選べる天ぷらに海老天は含まれない。海老天だけは別料金になる。

 そこで慎二さんはゲソ天と紅生姜の天ぷらを選んでいた。私は半分に切られた竹輪の磯辺揚げとサツマイモを選んだ。うどんのダシに浸かったサツマイモの甘さにクロエさんがびっくりしていた。無いだろ? こういう身体に良さそうな甘さの食べ物はアメリカに。まぁ、磯辺揚げはジャパニーズ・ハーブを振ったパテとでも言っておこう。海藻だからハーブじゃないけど。そう考えると、お好み焼きやたこ焼きなんかをクロエさんに食べて欲しいと思う。どんな反応を返してくれるだろう。

 それとここのダシが、少し甘めで意外と美味しい。立ち食いのレベルじゃないぞ。基本は昆布だろうけど、イリコなども使っていそうだ。それと醤油が北九州のものかな? なのに麺は京風にも似た腰のないソフトなタイプ。北九州も麺が柔らかいと聞くから、ベースはそっちで、トッピングなどを関西風の立ち食いに準拠しているのは手に入りやすさからだろう。

 こういうダシと麺に拘りのあるローカライズの仕方は、安目の価格設定でも頑張っているのがわかって嬉しくなる。そう考えると、慎二さんの話した生卵付きの朝定食は安過ぎないか? そこの月見うどんは幾らするのだろう? それにご飯とお漬物なんでしょう? 340円はオカシイぞ?

 けれど慎二さんが言うには、同じ冬木でもあちらの方がサラリーマンが目立っていたそうだ。そして私のところは学生が多く感じ、こちらはまだ早いので学生の姿はほとんど見掛けないが、会社がそこそこあるように感じるから、両方の中間くらいかも知れないとの事だった。神社から新都に出るまでのバスから観察したのだろう。よく見てるよね?

 

 ただ、うどんという食べ物を朝に頂くのはどうかなと思う。まずカロリーはそこそこでもそのカロリーを構成する栄養素が余りにも偏っている。ならお蕎麦はというと二八ならまだしも立ち食いだとほとんど小麦粉でしょう? 十割蕎麦のように血圧を下げたりという効果はほとんどないんじゃないかな? だからあれは小腹を満たす粉ものなんだよね。トッピングも生卵以外はほとんど揚げ物ばかりだし。

 じゃ、慎二さんがお気に入りのソーセージエッグはと言えば、輸入物だとかあれこれ言わなければ、まぁまぁバランスが取れている。欲を言えば小鉢のお豆腐が、充填豆腐でなくちゃんとしたお豆腐ならば良いけれど、実はこのお豆腐も、元々の大豆の9割以上が輸入大豆で、農薬まみれなアメリカ産だ。

 それは手作りを謳う良いお店でもそうだから、日本の食品はどうしようもないところまで来ている。それが少し変化して来ているのが最近のあちらだった。きっと『現象』のお陰なのだろう。だとするならここはどうなのだろう? 食後、コンビニで新聞でも買おうかと考えた私だ。

 そう思ってチラリと横目でガラス戸の外を見た。そして私は固まった。

 

『ん? 僕の顔に何か付いてる?』

 

 私はガラス戸の方向、つまり右を向いたのだが、私の右横に座ってうどんを啜っているのは慎二さんだ。

 

『ちょっと、見えない』

 

 そう言って私は慎二さんの顔を少しカウンター側に押し込んだ。

 

『ああっ!?』

『え? 何? どうしたの、エルマ?』

 

 それを私の左隣に座るクロエさんや私、更に慎二さんを飛び越えて、ガッツリとエルヴァさんが見ていた。背も高いがその分座高も高いからできた芸当だ。

 

『ウッソだろ!? シンジ、入り口を見ろ!』

 

 エルヴァさんがそう叫んだ。

 

 

 

 皆んなして『エルマ?』『エルマが二人?』なんて素っ頓狂な声を上げているが、あれは私じゃないし、トロンメルでもない。

 

「ここで良いんですか、『エル様』?」

「そう~、そこ~! 席を取って、『朝定食』を二つ頼んでいて下さ~い。え~と、天ぷらはイカ天と紅生姜で!」

 

『エル様』と呼ばれた相手の姿は見えないが、かなり離れたところから会話をしているようだ。コロコロとしたこの声は遠くからでもよく耳に届く。そして入って来た人は私の顔を見るなり噴いた。吹いたでなく文字通り噴いた。他の誰かが見間違っても、姉であるこの私だけは間違わない。

 

「ヴンダー……」

「エ、エルマ……本当にエルマ……お姉ちゃんなの……?」

「ああ……ヴンダー……」

 

 どう見ても同じ顔をした外人がお互いを見つめ合い、日本語で懐かしがっているシーンだ。一方、日本人顔の慎二さんは英語であたふたしていた。これをシュールと言わずして何という。お店の大将もエルヴァさんやクロエさんもポカ~ンだ。まぁ大体わかると思うけれど、彼女は同い年の妹、102番のヴンダーだった。私とトロンメルの間の姉妹だ。

 姉妹と書くのは103番のトロンメルから見れば、ヴンダーも姉だからだ。となるとあの外の声は、やっぱり『エル様』だ。

 

『だ、誰? そっくりなんだけど?』

『あ~、私とトロンメルは三つ子で……。その子、ヴンダーが二番目なんです。つまり私の妹の一人って事です』

『き、君って双子じゃなく三つ子だったんだ……?』

『そうです』

 

 今の話で慎二さんもエルヴァさん達も飲み込めたようだった。そしてヴンダーは先に注文を通してから皆さんに挨拶していた。そこへガラッと入って来たのが『エル様』だった。上半身は春物の白いシフォン素材の膝丈ワンピースで、アンティークなバックルが特徴の革ベルトを腰に巻いている。

 アンダーは色落ちとダメージが凄まじい、ほとんど白と言っても良いデニムのホットパンツだ(たぶん70年代初期のリーバイスの515。オレンジタブ)。どうして膝丈のワンピースの下のホットパンツがわかるのかと言えばそれはベルトを利用してワンピースをいい塩梅にたくし上げているからだ。こういう着こなしは『エル様』に似あっていて可愛い。

 そして首に無造作に掛けた二重の、パールのように石の多いネックレスは、どう見ても本物の琥珀だろう。小顔だから、大きなサングラスと麦藁編みの帽子も絶妙に似合う。何気ない小物だけれど、こういうのも高いんだろうなぁ。そんな人がン十万はしそうな茶色い革製バッグ(おそらくイタリアのフェンディ)と、白い少し小さめの新聞(競輪ダービーと競艇ニュース)を無造作に抱えていた。

 対する我が妹は2~3年後に『森ガール』と言われるジャンルのファッションだった。カントリー調でもアリスに代表されるロリータでもない。もっと妖精っぽい感じ? 森の中を迷い込んだら偶然出逢ってしまったような。要はユルいんだけど、どこかオーソドックスなところも感じられるという……アンテナが早いなぁ。まぁ『エル様』もユルめなファションだから合わせたのだろう。

 

「おっちゃん。この子、私の分も頼んでいた?」

「あ~い、伺ってますよ」

「良かった~。昨日は京都のダート、アンタレス・ステークスも東京の青葉賞ももぎ取ったから。アンタレスは三連単6-11-12で1,159,180円付いたからね。今夜はパ~ッと行こう!」

 

 何だこの人? それ、朝っぱらから言う事か? 大体、100円で1,159,180円だぁ? 幾ら買ったんだ、この豪運め……。(調べればわかると思うがここは西暦2004年だが、事象は2005年と同じだった)

 

「エル様、未成年ですよね?」

「エルマ。暫く見ない内に、つまらない人間になりましたねぇ。固いのはエルヴァだけで良いのに」

「マアエモ様、泣きますよ?」

「黙りなさい。不敬です」

 

 どうして叱る時はこうも威厳があるのかなぁ……。日本語なのに、クロエさんまでビクッとしているよ……。エルヴァさんが目で訴えてきた。『この女性か?』って。そうですよ、この方が女性版のあなたです。ガッカリするかウヒョーと思うかは知りませんが、とにかく期待は良い意味でも悪い意味でも裏切らない人ですよ。

 ここで頭の回転が早い慎二さんが気付いた。

 

『日にちのズレを利用して、万馬券ばかり買ったんじゃ……』

 

 これが英語。次に日本語でこう訊ねた。

 

「東京の青葉賞三連単は、幾ら付いたんですか?」

「青葉賞は1-10-7で10,870円。ドカーンとは来なかったですね、どこかの慎二さん」

 

 これは私が率先して訳と状況をエルヴァさん達に話した。皆んなドン引きしながら『エル様』を見たが、あの方はどこ吹く風だった。いや、『世界を渡るなんて特大の奇跡だ。ここで儲けないでどうする』とまで考えている事だろう。だってこのインチキを誰も指摘できないのだから。違反は未成年なところと、それを誤魔化して買い、換金も済ましているところだ。

 そして今週は競輪とボートで稼ごうと……。この不正を誰も断罪できないのが凄い。多分、この世界に入ったのは昨日の朝で、ホテルで一泊したのだと思う。今の段階では凜様と来たのかどうかは不明だけど、ゲートさえあればこの方の単独でも移動できるらしいから、そこはなんとも言えない。

 

『だけど、どうしてこちらへ?』

『決まってるじゃないですか。先生の魔法で年齢にも寿命にも加算されずに気ままに遊べるんですよ? ならこれを利用してパミやミトにも休暇をと』

『まさか、ドイツからパミ様やミト様を呼んでこちらに?』

『そう。あっちでの移動時間が勿体ないので、宝具を使っての密入国です。ドイツから日本へね。それで二人は今、松屋ってトコに行きましたね』

 

 ギャー!?

 

『それで納税の季節になったら、この世界には居ないんだ……』

 

 と、慎二さんがぽそっと。再び『ギャー!?』だ。これは確定申告や納税をする来年3月までには異なる世界に逃げているという意味だ。お姉様が居なくなってタガが外れたのか? そうは思いたくないけれど……。それで『エル様』は全員の食事が終わったらカウンターの上に丼を上げて、ティッシュでテーブルを拭き、それを自分のバッグに仕舞った。私達もそれを見習った。それで、これまた高そうな財布から1万円札を取り出し……。

 

「じゃ、おっちゃん。これで全員分。お釣りはチップという事で」

「多いよ、お客さん!」

「稚内の浅瀬に生える岸物の利尻昆布。その低等級ものを安く仕入れ、香川でなく北九州産のイリコと合わせ、同じく熊本辺りのメーカーの醤油で味を整えた……七味も良いですし、この味でこの価格。お釣りはおっちゃんの企業努力に敬意を表してです。海外住まいなので、次はいつ来れるかわかりませんが、本気で美味しかったですよ。今後も頑張って下さいね」

 

 こんな事をさらりと言ったのだ。大将の感激した顔は見ものだったとだけ記しておこう。まぁ、あぶく銭だしね。それから私達はバスターミナルまでゾロゾロ歩いた。

 

『お金は天下の廻り物。若い間は時間の価値も知れています。お金と時間を人様のために使うのが幸せへの一番の近道ですよ』

 

 なんて事を、もっともらしくクロエさんに語って聞かせる『エル様』。クロエさんが感心し、エルヴァさんも頷いている。それを首を捻って聞いている慎二さん。この場合、慎二さんが正しいと思う。だけど世の中に大勢いる、真面目に生きる人達。そんな真っ当な人達を騙して血を吸うような奴らを、逆に騙して全てを奪い取って来た、正に裏の裏のその裏を掻く人が『エル様』だ。

 だから、逆にクロエさんやエルヴァさんのように素直に受け取る方が正しい場合もある。そこが『エル様』の深さだ。これは慎二さんが駄目なんじゃなくて、慎二さんの尺度を『エル様』が越えているからだ。あの人の『慎二様』は長い時間でそれを学んだのだ。だから今の慎二さんには未だ見えないし理解できない。でもそれが普通だろう。

 

 

 

 ターミナルまで来るとあちらからパミ様が手を振り、ミト様がランサーと何かを話していた。ランサーがちょっかいを出したんじゃないだろうなと訝しんだら、ランサーから猛抗議の念話が来た。なんとミト様が『私のボディガードになりなさい』と、ランサーにいきなり命令して来たのだとか。

 ランサーが念話でブツブツ言っている。お二人も完全なバカンス・ファッションだ。本当に遊びだけで世界を渡る気満々なようだった。そしてその軍資金を今週こちらの世界で荒稼ぎする積もりなのだろう。と言うことは、ここよりも『エル様』世界はもっと時間が過ぎている可能性がある。

 確か昨年の学園祭の頃、お姉様は『こちらの方が『エル』の世界よりひと月ほど早い』と仰っていたのだ。つまりここは4月の終わりだけれど(ここの西暦は1年違うらしいが)、『エル様』の世界は5月で、私達の世界は6月だったから辻褄は合うという事だ。だけどその辻褄は本当なのか? この差は世界の差なのか? そう簡単に言えるものなのか? 答えが私では出ないだけになんとも不思議な感覚だ。

 そもそも移動の仕方に拠ってとか、先生の別荘がある、あの世界を経由した事で生じるズレもある……みたいな事も伺っているのだ。それが故の『止まった半年』ではなかったのか? だってあそこに居た約一週間、私達は以前配られたアミュレットもなしで、ご飯を食べ、朝夕を迎え、お風呂に入って汗を流してから眠りに就いていたのだ。それって私達に新陳代謝があり、生きているという証だ。即ちそれは……時間が経過しているって事になる。

 なのに肉体は老いず、最初の錨(アンカー)を下ろした元の世界に戻ると、数十分から数時間しか経っていない。この現象を『そういうものだ』と認識はできても、頭では全然納得できないし、理解もできない。要はどうなっているのか、さっぱりわからないのだ。先生も進化しているという事なのだけど、これって根源に行くか掴むかすると理解できるのだろうか?

 だけど、こういったところから第二魔法が、どうして二番目に『魔法』と認定されたのかがわかる気がする。

 

 

 余談だけれど、私は第一魔法を天地創造……自らの手に拠る、『自らが定義した物理法則で成り立つ新しい宇宙の創造』と考えていた。ところが今回の移動前にお姉様から受け取った最新メールで、時計塔で議論される第一魔法は『実際はもっと手前のレベルの話』で、『この宇宙空間が収まる範囲内の話』だとわかってしまった。

 即ち『無の否定』とは『【エーテル】の発見と定義、並びに体系化と運用法』だろうと。このエーテルという言葉の中に、魔術を行うのに欠かせない『マナ』などの、目には見えないし触れる事もできない未知なるエネルギー全般を含んでいるらしい。私はガックリ来た。何だかつまらないなぁと思ったのだ。時計塔の先生方は『おそらくこの魔法の第一使用者をキリストと考えている』んだって。

 現代の科学者の最先端は、レベルⅦで『自らが定義した物理法則で成り立つ新しい宇宙の創造』が可能なのではないかと議論されている。事実『エル様』はここに到るための時間短縮として、根源を利用したいと考えていらっしゃるし、先生にもそう公言している。だからお姉様からの最新メールは本当の本当にガッカリだった。やっぱり私に時計塔は合わない。

 一神教ありきな、その型に嵌った思考性が私の求める魔道と相容れない。時計塔の講師となられたお姉様には悪いのだけど……。やはり私は当初からの予定通り、日本の大学に通い、英語の教員免許を取得するのが正解だ。そうやって職を得て、神秘は個人でコツコツと研究しよう。その方が性に合っている。

 

 

 

『ミト様。ランサーをからかうのはお辞め下さい』

 

 と、ドイツ語で私が言うと。

 

「キャナゲッヒン」

 

 っと返された。これ、英語だ。中学生くらいで習う『Can I have ~?(~を下さい)』という定型文を、アメリカ英語の『Can I get ~?』で言い換えているだけだ。だけど河内のオジサンみたいに『これ、くれや』みたいに省略しているように聞こえるのは、上方漫才師のように早口だからだ。正解は『Can I get him(彼をちょうだい)』だ。

 そしてこの『have』を『get』で言い換えるのはアメリカでは普通らしく、カリフォルニアのお姉様のメールにも時々出て来るフレーズだった。なおこれがイギリス英語だと『Can I have ~?』が正しいとなり、『Could I have ~?』の方がより丁寧であるとされる。え~っと思うあなた、世界的に見れば日本語の尊敬語や謙譲語の方がややこしいんだってば。

 私はミト様の視線から真意みたいなのがわかったので、腕で大きく『X』を作って『No~~~~!!』と言った。このやり取りにどんな意味があるのか? それは『(ランサーを)からかうのは辞めるから、エルヴァさんの反応を見るために仕掛けるから手伝え』とミト様が目でサインを送って来たから、私は二重の意味で大きく『No!!』を返した訳だ。

 なおパミ様は、ターミナルに近づく私達の姿を見て腕を振る前から、アストルフォさんと手を繋いでいた。腕は組んでいない。指も絡めていない。ごく自然に仲の良い女の子同士という体裁で手を繋いでいるのだ。この誰とでも、すぐに仲良くなれるところがパミ様の特徴だ。それに自然体で応えるアストルフォさんも大概大物だ。月に行ったって本当の気がしてきたぞ。

 それはそれとして、パミ様は『エル様』の会社の『今の顔』でもあるそうだ。『最高責任経営者』という意味でなら『エル様』だけど、そこにパミ様とミト様を加えた三人のトロイカ体制は会社設立の頃かららしく、初期はミト様が『顔』だったらしい。詳しくは知らないけれど、そうやって定期的に『顔』は交代するらしい。この『顔』って広報の意味かな?

 

 

 

 それはともかく、私は遠坂邸に戻るまでに犬の散歩を済ませ、場合によればパンなり何なりのお手軽に食べられる食料を買って帰る必要がある旨を『エル様』達に話した。するとパミ様のお顔がパーッと輝き……、

 

『フント(犬)、フントどこ?!』

 

 と声を上げた。この人、犬好きだったのか! これは知らなかった……。だからエルヴァさんから預かっていたバルナバスを宝具から出してあげた。

 

『うっわ! ブサ可愛い!』

 

 と、大喜びだった。それで歩いて帰る組(私の組)とバスで深山町まで帰る組とに再び別れた。私が気になる慎二さんと積もる話があるだろうヴンダーは私の組だ。そこでエルヴァさんが迷った。どうもクロエさんは長時間歩けないらしい。

 

『いや、オレの勉強不足なんだ。クロエを鋳造した頃はハイスクールだったからな』

『そこはキャスターが……?』

『材料だろうな。下半身の骨格と筋肉を作り直さないと無理だったんだろう。情緒面と頭脳は言う事なしなんだけど』

『そうでしたか……』

 

 それは仕方ない。なにせキャスターがクロエさんに手を入れたのは聖杯戦争中な訳だし。すると『エル様』がエルヴァさんから見えない角度で、私に向かって親指を立てた。あれ? もしかしてこの人……『頼まれて』ここに来た……?

 

『先生から?』

『それもありますが、夢見でキャスターからね』

 

 そういう人だった。結局、散歩組は私、ヴンダー、慎二さん、ランサーとなった。残りの『エル様』、ミト様、パミ様、エルヴァさん、クロエさん、アントニーさん、アストルフォさん、ランスロットさん達は、食後の運動とばかり歩いて真っ直ぐ帰る組と、バスで帰る組とに更に別れていた。なので徒歩組と冬木大橋まで一緒に歩いたのだった。

 

 

 

 

 

 その門を目の前にした時。立派な青年になった、かつての少年は拳の色が変わるほど固く握りしめていた。だから私も迷った。けれどこれが双方のためになると信じて門の脇にある脇戸に手を掛けた。大きい門は来賓用、家族はその横の脇戸か門戸に付いた小さな潜り戸を使うのが日本のシキタリだ。

 

(この脇戸は道路から見て右側にある。そして門の左側には小部屋があって、そこで門番が主人が帰ったり来客があれば門戸を開けたり閉めたりして、用がない時は敵が来ないか見張っていたんだって。知ってた? しかもその門番部屋が6~7畳くらいあって土壁で屋根が高いから夏でもまぁまぁ涼しいらしいよ。中庭には道場もあるし、道場の裏手はヤブサメ(流鏑馬)っていう馬に乗りながら弓を射る専用の場所まであるから、結構な身分のお侍さんの家だったみたい。聖杯戦争で日本に来た頃はこんなの全然知らなかった。全部、エルヴァに教えて貰ったんだけどね(門番部屋で眠った事、あるんでしょうね))

 

「ちょ、ちょっと!」

「もう~~、シロウ。男の子なんだから覚悟を決めなさい」

 

 すると見事なタイミングで、脇門の扉が中から開いた。そこには学生服姿の屈んだシロウがいた。

 

「おはよう~」

 

 そう言うと、学生のシロウは私と私の後ろに立つシロウを見て10秒はカキ~ンと止まった。そして目を上から下に何往復かさせた後……。

 

「ね、姉ちゃんに、お、俺? み、未来から来たのか!?」

 

 未来と来たか。良いなぁ。このシロウはやっぱり面白い。

 

「お久しぶり。一度逢ってるでしょ。私や妹達と」

「あ。エルヴァさんだっけ、試験官の……?」

「そうそう。お菓子好きのイリヤよ」

「自分で言うか……じゃ、そっちが言ってた弟さん?」

 

 よく憶えてるわね。

 

「違うけど、そこはまた話すわ。お邪魔して良い?」

「良いけど、俺、今から学校で……」

「わかってるわよ。先に話すべきはキャスターとセイバー、それにお姉さんにでしょう? でも、お姉さんも学校かな?」

「姉ちゃんは大学だから、もう少し時間があるよ。とにかく悪い、俺、行くから」

 

 部活かな? そうだ、弓道部を辞めていないシロウなんだよね。

 

「は~い、行ってらっしゃい」

「……っしゃい」

 

 シロウ、声が小さい。気恥ずかしいのはわかるけど。で、門から家までの飛び石でシロウが私に待ったを掛けた。

 

「ちょ、待って……。本当待って……。じ、自分に遭って、ドキドキなんだよ」

「ん~……。慣れだと思うんだけど、コンフリクトもあるかも。ちょっと深呼吸しようか?」

 

 ス~ハ~ス~。

 

 深呼吸を始めたシロウをぼんやりと眺めると、本当、根っから素直なのがわかる。彼にはシンジという隅に置けない友人や、アントニーにエルヴァという兄も居ればアーチャーも居る。オーストラリアには私じゃないイリヤにアーデルハイドという姉も居る。だから大丈夫。なのに魔導師のリンが彼をここに連れて行けと言ったその理由は…………。

 

 シロウの息が少し整った。

 

「じゃ、私に続けて。あっ、えっ、いっ、うっ、えっ、おっ、あっ、おっ」

「それ学園で放送部や演劇部がやってた……」

「続ける!」

「は、はい! あっ、えっ、いっ、うっ、えっ、おっ、あっ、おっ!」

「よしっ。青巻紙赤巻紙黄巻紙! 東京特許許可局! 隣の客はよく柿食う客だ! 続けて!」

「おお! 青巻紙赤まきゃがみきみゃきぎゃみ! 東京特許許きゃ局! 隣の客はよくきゃき食う客だ!」

「よしっ!」

「良いのかよ!?」

「でも落ち着いたでしょう?」

 

 すると玄関の引き違い戸がガラガラと開き、涙目で笑っているお姉さんが現れた。しばらくその笑いが収まるのをまってから、彼女は挨拶をしてくれた。

 

「おはようございます。えっと、試験官だったエルヴァさんのお姉さんですよね? 突然、いかがされました?」

 

 それから私達は居間に通された。長い座卓は『長辺が2100mmもある特注だ』と前にエルヴァが話していた記憶がある。聖杯戦争以降、キャスターとセイバーが増えたけれど、元は姉弟の二人暮らしだった。それでもこの大きな座卓を選んだのは、タイガだけでなく、姉弟を慕って集う友人が多いからだ。

 普段は幅一間はある玄関正面の廊下にでも出すのだろう。だからこの家の廊下には、この家を二人のキリツグが手に入れた時からあったであろう古家具の階段箪笥や車長持(移動用の車輪が付いた長持)が置かれていない(※)。この理由も以前エルヴァがお姉さんから聞いていた。それは子供の頃のお姉さんが角で小指をよくブツケていたからだ。

 そんなだから古家具や骨董は中庭に面した、キリツグが使っていた和室の横の空き部屋に全部移動してあるのだとか。またこの家の蔵も掃除が行き届いて綺麗だそうで、これもお姉さんが居た事で早い内から魔術の鍛錬場所になっていたからだ。その分、門番部屋が倉庫みたいになっているところまでエルヴァは聞き出していた。

 

『正解ですね。別に魔術云々を置いても、中庭を抜けて蔵に行くより玄関を開けて目の前に倉庫がある方が便利ですから。おコタとか、大きなお鍋とか、普段使わないものをそこに収納できますからね。納戸(収納場所)も多い家ですが、火災が怖いですから死期を悟ったお父さんが母屋にあまり物を置かないように工夫されたのでしょう』

 

 との事だった。キリツグの死んだ頃って第四次の5年後だから、お姉さんは13歳でシロウは12歳だ。エルヴァは質問が上手だ。後でこれを教えて貰った時、姉弟を思うキリツグの心が見えた気がして、私も胸が熱くなったもの。私は何も知らない、知ろうともしないままバーサーカーやセラ達と冬木に来ちゃったからね。

 

※)エルヴァのお姉さんで『エル』のお姉さんでもある『イリヤ』は、あいにく私とのコンフリクトが強いのでほとんど話した記憶が無いけれど、エルヴァが言うには茶道や書道を嗜む人だから、純和風で古家具を色々と持っているらしい。それもやっぱり8歳から13歳までの5年間、あちらでのこの家で生活していたからかも知れないとの事だった。

 

 そんな長い座卓の廊下側に私とシロウが陣取り、真向かいの壁側に中央がお姉さん、その左にセイバー、そしてお湯や急須を運んで来たキャスターが右側に膝を立てた。そんなの立膝で割烹着姿のキャスターは、慣れた手付きで湯呑にお茶をいれていく。この人の故国って黒海の辺りよね?

 

「やっぱり、優れた魔術師は家事も上手だって本当ね?」

「お世辞を言われても何も出ませんよ。ま、知らぬ仲では無いですし、聖杯戦争でもドイツでもお世話を掛けたりしましたから、突然の来訪も理解できます。ですけど、この平和なタイミングで、これまた世界の異なる坊やと来たのは何故かしら?」

 

 ここからが本題だ。私はお茶を一口含み(良いお茶だ)、そうしてキャスターとイリヤさんを見た。横に座るシロウはセイバーをチラチラ見ている。

 

「まず御姉弟達にどうこうはない。ここは断言しておくわね。お話したかった相手はキャスター、あなただったから」

「私?」

「そう。あなたが居たから、あなたが二人の味方だったから今の衛宮家は平和でいられる」

 

 私がそう言うと、イリヤさんが大きく頷いてキャスターを見た。その感謝に溢れた表情を見てキャスターが頬を染めた。

 

「セイバーの実力は疑う余地もないわ。だけどセイバーに現代日本の常識を教え、彼女をこの街に溶け込ませたのもあなた」

 

 何か言いたそうなキャスターを遮って、私はシロウに言った。

 

「シロウ? エルマの転身ベルトがチーム分でき上がったら、ブレーンにキャスターを。その召喚を彼女にお願いするのよ」

 

 アーチャーだけじゃ足りない。アストルフォだけでも足りない。大きな敵に当たるなら、もっと英霊を仲間に付けないと。だけどそこで問題となるのは魔力だ。その魔力を問題なく集められ、仲間の英霊を喚べる者となると数は思いっきり絞られる。単なる魔術師と言うだけなら他にも候補は居ると思う。でも現代に順応できてブレーンにも成れる人ってどのくらい居るだろう? しかも家族と認めた仲間をちゃんと愛してくれるのは? そうなるとメディアかモルガンとなってしまう。

 そしてエルヴァ達は自分達の聖杯戦争時にはキャスターを喚んでいた。だからエルヴァとアントニーの二人はキャスターと相性が良い。理想は再びウルクの処女巫女だった彼女の召喚だけれど、ブレーンという意味でならメディアもモルガンも良い選択だと大魔導師は言ったのだ。リンはそれだけ5人によるチームを重く考えている。

 そこをシロウに考えて欲しかったのと、ここで感じた印象や感触などを、エルヴァ達と検討して欲しいというのがリンの狙いだったのだ。プラス私の思惑は、転身ベルトをメディアにも見て貰い、エルマに何らかのサジェッション(暗示/示唆)を与えてくれると良いなぁというのがある。まぁ、下手にベルトの事を知ってここのシロウに火が着いても困るから、それはどちらでも良いんだけれど。

 

「だからシロウが登校して、大学生のあなたが登校するまでの時間差を狙って訪問したって訳」

「なるほど……」

 

 予測通り異を唱えて来たのはセイバーだった。

 

「モルガンはありません。以ての外ですよ」

「それはあなたの視点よね? リンがモルガンを候補に入れたのは、妖精郷を守護する彼女よ。私としても……」

 

 そう言って私はメディアへ視線を動かした。

 

「……彼女だけれど。他のメンバーとの相性もあるからなんとも言えないわ。選ぶのは彼らであり……召喚された英霊の側でもあるから」

 

 これは言外に同じメディアでもあなたか、あなたみたいなタイプが良いという意味も含んでいる。私にしたって、お姉さんみたいなタイプもいれば、『エル』やエルヴァ達のお姉さんのような人も居る。きっと隣に座るシロウの知るイリヤも私とは違うはずだ。だからこそ人は千差万別だと言えるのだけど、この根拠は人間関係の差異から来ていると考えて間違いない。

 それが英霊……特にギリシア神話に出て来るような大昔の人だと、アーチャーみたいに座がそこまで分れていない。ほとんどの英雄が持つ座は一つだろう。だからこそ薄紙を剥がしたような存在が分霊とするならば、アルトリアのような『どの時代の』というのもあるだろうし、このメディアのように『どういう気分の時の』というのもある訳だ。

 そして英霊は枠に嵌める冬木式を使おうが、エルヴァみたいな方法を使おうが、分霊という形でしか召喚できないから、『英霊という存在が持つ側面』は分霊ごとに変化して然るべきものとなってしまう。だからこそ『英霊との接し方』が大切になって来る。エルヴァが降霊科に招かれたのは、何も英霊を抱えているからだけじゃない。こういう部分に誰よりも詳しいからだ。

 そもそも私にしたって、『エル』やエルヴァが『お兄ちゃん』と呼ぶ2番目のアーチャーと、一緒に暮らしている5番目のアーチャーは随分違うなって思うし、セイバーと付き合っているという4番目は、『え? この人もシロウ?』と私が躊躇するくらい違う。だけれど自分殺しを達成したという3番目の分霊には、今回知り合ったアントニーやエルヴァを導く彼のような存在も居る。

 となるとこれはもう、真っ直ぐ生きている人ほど『相性』という要素が重きをなして、くじ運が上がるとしか言いようがない。だからこそ少しでも『アタリ』の確率を上げるためにメディアから助言が欲しかったというのが本音だ。このプランは今日の夜にでもリンがエルマを含んだ皆んなに話すと思う。だから実質はそこからだ。

 

 大雑把にこちらの考えている事を話したところで、お姉さんが大学に向かった。

 

「シロウ、足を崩しなさいな。痺れるよ?」

 

 イリヤさんが出て行ったところで、隣のシロウにそう言ってあげた。アメリカ生活も長いでしょうに、律儀というか真面目なんだから。ちなみに彼の持つ武家屋敷は、彼の方のリンやサクラが定期的に空気の入れ替えや掃除をしに通ってくれているらしい。しかもリンはシンジの助言で時計塔には行かなかった。ただ独学だと厳しい面も多々あるから、大魔導師のリンが派遣できる人が居ないか探している最中らしい。

 来年エルマ達が行くという世界……。もう少しゲートを強固にすれば、それとエルマの腕がもう少し上がって、『現象』の影響が弱まれば、エルマでも行き来できるようになるらしい。となったら、ゾウケンも居るんだしブレーンはいいんじゃないのと思ってしまうけれど、やっぱり世界が異なると思い入れも変わってくるから、今のようなたまに会う程度が良いそうだ。だからこそブレーンが必要との事だった。

 そして私はシロウに持たせていたアタッシュケースを座卓の上に置き、中からシロウの転身ベルトとカードを取り出してメディアに検分して貰った。当然、あちらの世界で起きたカードに纏わる話をメディアにも話す。特に重要なのはベルト用のカードの元となった、エインズワース製のカードについてだ。

 そのカードのアーチャーを利用して、可愛い妹のエルヴァが肉体を得た事、セイバーのカードを触媒にしてセイバーを召喚した事、そしてキャスターのカードが彼女だった事などだ。だから私は携帯電話を取り出して、撮影してあったルビーを握った転身姿のおチビちゃんを見せてあげた。

 

「か、可愛い……。許すわ。幾らでもキャスターのカードを使って頂戴。何だったら私が手を入れて、この子向きなもっと使えるカードにしてあげるわよ」

 

 ノリノリだった。

 

「でも、あなたの妹さん? 彼女は凄いわね。やっと半英霊の意味がわかったけれど、肉体のない精神体なのに、その不安を押しのけて自分という存在を確立し、家族を得て、あなたという姉も得て……。運命に翻弄されて流されるばかりだった私だから、彼女の強さがわかる。憧れるわ……」

 

 横で聞いていたセイバーも頷いていた。

 

「彼女のような人だから、あのような『私』が召喚できたのでしょうね……」

「うん、言ってた。そう願って召喚したって」

「立派なサモナーじゃない」

 

 とメディアが感心してくれた。だからエルヴァが時計塔という魔術協会の学校に招聘されて、降霊科の一級講師に抜擢されたと教えてあげた。その事を彼女は『あの子なら当然でしょうね』と高く評価してくれた。それは私にとっても誇らしい事だった。とは言え、エルヴァは割り切りが良い方だから、葛木先生に溺れてしまって敵対行為を厭わない、視野狭窄で聴く耳を持たなくなったメディアには容赦ない。それでも最後は助けるんだけど。

 

(『エル』なら絶対に助けない。その残虐さも、カードの異常な転用も私は見ている)

 

 特にエルマがリンからのテストを受けた時だ。エルヴァがウォッチャーのクラスを取った時のあれ(この時のメディアと葛木先生を助けたのは大魔導師のリンだ。冬木とは違うところで暮らしているらしい)。あの時のエルヴァはイントネーションを変える事でマスターとなったリンと友人で仲間でもある『リン(凛)』を使い分けていたという。本当、器用な子だ。何よりそのリンに念話で送ったらしい助言が凄い。

 

『あなたはまだ若い。無理に強くあろうとする必要はありません。たった一人で生きて来て、ただ一人の血の繋がった者を思うのは当たり前の事です。むしろそういう人らしい感傷を削ぎ落とした者ほど、根源には遠いと思います』

 

 当然、聞いていたリンは疑問を呈する。『遠い』とは何だと。それをエルヴァはこんな風に返したらしい。

 

『願い、祈り、希望……人々は長い歴史の中で常に何かを懐(いだ)いて来ました。その感情は常に正に向いています。負に陥った者には破滅しかありません。人らしさを失わない事は弱さではありません。ただ、正しいだけです。そして正しい方向に向かわねば、正しい根源には向かえないのです。魔道はその時々で正負が入れ替わりますが、全体の大きな流れが負に向かう場合もあります。決して陥ってはならない負の根源というのも私はあると思うのです。リン、あなたは正しく正方向の根源に向かっていますよ』

 

 これが大魔導師のリンに言わせると、全くもってその通りなのだとか。元々講師に向いている子なんだろうね。それとこの時のイリヤ(後に遊びに来てくれた彼女。『エル』のところの小さなイリヤと仲良くなった)が召喚したアーチャーが、アントニーやエルヴァ達のアーチャーと似たタイプだった。事実、3番目だったし。また彼も現世に残りイリヤやシロウと暮らしている。

 またややこしい事に、聖杯戦争中にそこのシロウが、別のおチビちゃん達を拾ったり、ランサーを助けたりもして(そのランサーが今のエルマのランサー。それにさっきのアーチャーやサクラが召喚したライダーもエルマがいずれ譲り受けるらしい)、やっぱり『縁』って大事だなって思う。

 

 

 

 そして私は次に証拠というか、証明のためにベルトと、バックルにあるスロットから抜いたカードを見せた。勿論、オリジナルはルビーなどの魔法のステッキで行うもので、このベルトはそのステッキの機能限定版である事も明かした。

 

「つまり、これを使えば鎧を纏える?」

 

 と、セイバー。

 

「現代風に言えば外骨格機能も瞬時に得られる強化服なのでしょうね。坊や、一度見せて貰える?」

 

 と、こちらはキャスター。確かに転身姿は一度見た方が良いだろう。

 

「シロウ、見せてあげて」

「え~~~」

 

 着てみろと言われると恥ずかしいらしい。だけど三人からじっと『早くしろ』と無言の圧力を受けたシロウは、渋々ベルトを腰に巻き、バックル裏のスロットにカードを挿し込み、エルヴァがよくやる空手の『オッス』みたいに両腰で拳を握って『転身ッ!』と言った。エルマからの仕様説明だと、本当はそんな『変身』とか『転身』とか言わなくて言いそうだ。

 だけど声紋認証機能など様々な認証が盛り込まれているので、シロウはそちらを起動しているのだろう。他に指紋や血液、DNAなども登録できる。これも元々ルビーにあった機能だそうだ。おチビちゃんもルビーに血液と声紋を登録しているとか。後、フルネームに住所・電話番号などを登録すれば、自分が動けなくなった緊急時に自宅や110番、119番へルビーの音声で連絡してくれる機能があるそうだ。その際に倒れた場所などもフルオートで通報してくれるらしい。

 これをしてエルヴァは、『大師父は本気で子供向けのアイテムを作ったのだ』と指摘していた。とにかく秘密機能より、秘書機能だっけ? PDAだっけ? そっちの機能の方が凄まじいらしく、登録したお友達の名前や住所、電話番号もすらすら読み上げてくれるし、普通に電話もできる。

 しかも無線LANルーター機能も入っていて、インターネットにも繋げられ、今後のインフラにも対応できるようにするためか、内部に空きスロットが何本かあるらしい。何を考えているんだろうね、大師父は?

 

『時代そのものでしょう。ルビーがあれば携帯電話も住所録もPDAやハンドヘルド・パソコンもポケットPCも要らないのですよ?』

 

 そしてこのエルヴァの指摘した機能は、その後出たスマートフォンより遥かに便利で簡単なのだった。それは子供向け=老人向けでもあったからだ。だからエルマはベルトの転身機能の中に、強化外骨格を取り入れたそうだ。つまり一人でもお手洗いに行けたり、お料理を作ったり出来るようにだ。そこにメディアは気づいた。それだから『見せて貰える』となったのだ。

 

「これを作ったのってエルヴァさんの妹さんなのね?」

「ええ」

「斬新だわ……。デザインには言いたい事もあるけれど、この機能ならこのブサイクなバックルも仕方ないところなのかしらね。当然ここまで考えられる人なら、小型化やスリム化、高いデザイン性なんかも頭にあるだろうしね。うん、良い。良いと思うわ。その子と逢って話せる?」

「ええ、話せるわ。むしろあなたと意見交換して欲しいとまでこちらは思っているの」

 

 そうして前向きで建設的な色良い返事がもらえた。なお、シロウの転身姿にはびみょ~な顔をしていた。ただ刃物が通らず、銃弾も通らないとわかれば、セイバーだけは食いついた。

 

「この服と、焼き芋があればブリテンは……」

 

 よくわからない。

 ともあれ、日にちを改め、また後日という事で、私とシロウは衛宮邸を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 迷う。ここは赤く塗られた冬木大橋の袂(たもと)。宝具からバルナバスを出して、首輪にリードを繋ぎ、スコップとビニール袋、ティッシュなどを手に持ったところだ。安全策は深山町側の堤防だろう。けれど私の好みの散歩コースは新都側の堤防だった。だけど迷う原因は至極単純で。この世界にあちらの世界と同じ、新都と深山町の洋館街を繋ぐ歩道橋があるのかないのかそれが皆目わからないからだった。

 それならアサシンを走らせろって? その程度で彼らを? そんな可哀想な事はできないよ。だからバスターミナルから冬木大橋のここまで何か案内はないかと見ていたのだけど何もなかった。むしろ在ったのは『冬木隧道来春完成』の看板。1年ズレているというけれど、そのズレ方も変だ。事象ごとに前後に1年ズレているというか……。

 だけど何となく、世界を渡るたびに凜様が何を調べているのかが見えて来た気がする。

 

「気にせず好きな方を歩けば良いじゃねぇか。なぁ、犬っころ?」

 

 ランサーは少年時代に、王がクランという人物の館に招かれたのだが、王がうっかりお供に喚んだセタンタ(クー・フーリン)が遅れてやって来る事を伝え忘れ忠実なクランの番犬を絞め殺してしまった。だが蓋を開けると双方の誤解と行き違いだったとわかったので、彼は誤って殺してしまった番犬の子犬を自分が育てる事と、その子犬が一人前になるまで、自分が番犬代わりにクランの家を護ると誓った。

 この幼い頃からの誠実さが英雄クー・フーリンの人間性で、『犬を食べない』というゲッシュは『クランの猛犬』という渾名が有名になった後に、その渾名に報いる気持ちで誓われたものだ。また彼の出陣などを度々邪魔立てして来た戦女神モリガン(モルガン・ル・フェイと同一視もされる)を最後の最後で討ち取らずに言祝ぎ、これまで彼が付けてきた傷を癒やしたという。つまり勇猛果敢でもあるが、どこかミード(蜂蜜酒/クー・フーリンの好物とされている)のような甘い情のある人でもあったのだ。

 

「橋がなかったらここまで戻る事になるよ?」

「それもまた良いじゃねぇか。散歩ってそういうもんだろ? それにそうなりゃ、犬っころは倍歩ける」

 

 と、片目を瞑る。こういう時の彼は本当に絵になる。戦士としては細身で体重も軽い方だろう。けれどしなやかな筋肉は速筋と遅筋のバランスが取れている事が十分にわかる。お姉様と同じで、瞬間のパワーもあれば持久力も高いのだ。だからお姉様の事を恨みもせず、仲間と認めてからは何くれと気に掛けていた。それはお姉様も同じで、要は似た者同士なのだった。

 

(彼は表情筋も人一倍しなやからしく、喜怒哀楽の相がマンガみたいに極端だ。特に怒った時は鬼のように顔が歪む。これをして『ねじれ』と言うのかも知れない)

 

 私達は結局、新都側の堤防を歩いた。バルナバスの気分で堤防の下にも行く。それでも誰一人文句は言わない。ただただ雑談をしながら、お犬様の気の向くままに歩いていた。それもこれもランサーのリードが上手いからだ。こんなに気持ちよさそうなバルナバスは初めてだった。ヴンダーもランサーの犬の扱いを驚いた顔で見ていた。

 てくてく歩く私とヴンダーは、バルナバスのリードを引くランサーの後ろをついていた。春一番も終わったのだろう、4月の優しい風が山側から吹いて、私とヴンダーの背中を押していた。そんな私達の後ろを慎二さんが女の子の会話をBGMにして楽しそうに歩いていた。山菜摘みには遅いだろうけど、堤防の上の歩道と土手の境目に土筆(ツクシ)が生えていた。

 

「絶好の釣日和だよなぁ」

 

 そんな事を呟くランサー。

 

「ランサーは狩りとかしないのかい?」

 

 と、慎二さん。素朴な疑問というやつだ。

 

「昔はしてたぞ。得意だった。けど、今の日本じゃできないだろ? だから釣りなんだよ」

「そっか、そうだよね」

 

 慎二さんはそんな風に返していた。きっと千年二千年と過ぎても周囲に溶け込める、ランサーという人物に感心したのだと思う。私も彼を知れば知るほど、その適応力の高さに驚かされてばかりだ。ランスロットさんも彼に助けられている部分は多い。

 

「昔ね……」

 

 慎二さんだ。

 

「魔術回路もないのに魔術師に憧れて……それで聖杯戦争が始まる頃に、サーヴァントのマスターになりたいって思った。君やお祖父様に出逢わなかったら……僕は死んでいたろう。叔父様のように……」

 

 唐突な告白は……間桐雁夜さんの事を話したかったの? 違う、目がそうじゃないと言っている。

 

「ちっぽけで考えが浅いよね。かけっこに負けたからって人生に負けた訳じゃないのにね。でもそういうのに固執するのが未熟さなんだよ」

 

 そうか悼んでいるんだ。そして今、生きている自分に実感として感動している────そうですよ。生きているから好きなものを食べたり、人を好きになったり出来るんです。それが生を謳歌するという事ですよ。

 

「それはアーチャーさんに?」

「いや、アーデルハイドだ。彼女は賢いよ」

 

 きっと、オーストラリアに居た頃の話なのだろう。その人から後押しを貰ったのかな?

 

「ありがとう、本物のお祖父様を消してくれて。ありがとう、僕の小さな心を、桜とともに救ってくれて」

「え?」

「僕は君が好きだ、エルマ……。だけど、僕達は住む世界が異なる。だから一緒にはなれない。でも、君を思い続ける事は許して欲しい」

「慎二さん……」

 

 きっと、告白を受けた私よりも横に立つヴンダーの方が顔が赤い。無理やり証人にされたね、ヴンダー……。あなたも知っている通り、私は男の人より女の人が好きなタイプです。そしてその女の人の中でも、お姉様が大好きです。ヴンダーはまだ『エル様』なのかな? それとも今は別に好きな人が居るのかな? あなたにもトロンメルにも普通の恋をして、幸せになって欲しい。だけどそれは自分を棚に上げた虫のいい話だ。

 だからこの慎二さんの真摯な告白は、今までの『過去話風』や『異国の物語風』には聞こえず、素直に嬉しかった。だけど慎二さんの気持ちに応えるのは難しい。その最大の理由は慎二さんが指摘した通りで、住む世界が余りにも掛け離れている点、私自身が一時なら良いけれど、ずっと異性と連れ添う事が無理だと感じている点にある。でも子供は欲しいと願う、困った女でもあるのだ。

 また、お互いに夢があるだろう。私は英語教師となって穂群原に就職したい。その時、親友の桜が国語教師になっていれば最高だ。そして二人で弓道部の顧問となって、生徒達を導きたい。そのためにはあの世界から出たくない。異なる世界を終(つい)の住処(すみか)にする事はできない。

 きっと私と似たような、捨てる事の出来ない人間関係が慎二さんにもあるのだろう。だから『一緒にはなれない』となり、『思い続ける事は許して』となるのだろう。

 

「慎二さん。二人きりの時に、もう一度お話しましょう」

 

 私はそう微笑んで返した。ランサーは空気を読んで、30mくらい先でお座りするバルナバスと待ってくれていた。だからヴンダーの手を引きながら『行きましょう』とばかり慎二さんの背中を押した。不思議だね? 私は余り男の人に触れたくないタイプなのだけれど、今、慎二さんの背中を押すのは嫌じゃなかった。

 

 そして私は、『エル様』謹製のホムンクルスであると同時にアインツベルンの魔術師だ。だから接触して瞬時に慎二さんの言いたくても言えない、『一緒に居たい。けれど彼女には彼女の世界があり、友人も仲間もそちらに居る。それは僕も同じだ。だからベルトとスーツに全力投球している彼女を惑わせてはいけないし、足は引っ張れない。この告白ですら無理があった……』とまで考えていた事がわかった。

 と同時に、お姉様がウォッチャーとして入った並行世界の『間桐慎二』の遺伝子情報と、自分の遺伝子情報を掛け合わせた場合はどうなるのかを頭の隅で浮かべながら、慎二さんを焚き付けたのは先生ではないかと疑った。その理由は、このベルト作成のプロジェクトに出資してくれている人達の気持ちを、私がキチンと認識しているかの確認とも受け取れるからだ。

 世の人よりも魔術師は強(したた)かだ。そして海千山千の魔術師よりも魔法使いは強かだろう。おそらく先生はこのプロジェクトで、慎ましくしていれば……向こう10年は遊んで暮らせるだけの金銭を得られる可能性が高い。つまり私は体よく利用されているのだ。だけど学校に縛られる学生の身分では、この無償の半年は本当に有り難い。

 だってそうだ。病気でもないのに半年も学校を休んだり、勤め先を休んだらどうなるだろう? 長い人生の中で、趣味などの好きな事に没頭できる時間は、例え得られたとしても本当に短い。それを得ようと思えば、相当な収入を確保しつつ、その時間の捻出のための無理も必要不可欠となる。だからほとんどの人が、リタイア後の趣味こそが本当の趣味と受け止めているのだ。

 だというのに、若く身体もシャキシャキ動き、頭も冴えている今という時に、この半年もの時間提供は夢のまた夢、宝石のような奇跡だ。だからこそ先生の思惑が怖い。まぁ、『遊ぶも良し。けれど羽目は外さず、期限内に結果は出せ』という意味なのだろうけど。強いて言うなら、同じ合宿なら冬木以外の海が見えて山の近い街が良かったな。

 

「ヴンダー? 私達がここに来るって、あなたや『エル様』は知っていたの?」

「『エル様』は不明だけど、少なからず私は知らなかったよ? だからエルマに会えて感動したんだから」

「だよね? となると『エル様』達は純粋なバカンスで、先生が来る事だけを知っていた。それがあるから長期バカンスの予定を組んでいて……。となると、ここで私達が出逢ったのは本当に偶然だろうね」

「うん。知っての通り、私は遠坂への派遣メイドだから」

 

 そうなのだ。私が桜と仲が良いように、ヴンダーも桜様と仲が良いのだ。というかヴンダーのような第三者のお目付け役を付けないと、イケイケで無茶ばかり仕出かすのが、魔法使い遠坂凜様の妹である遠坂桜様なのだった。つまり日頃気苦労が多く、住み込みだから休日もほとんどないヴンダーに、『エル様』が与えて下さった休暇でもあったのだ。

 私、エルマがとことん魔術師なのは、桜様のヴンダーやトントさんのトロンメルのようなわかりやすい鋳造動機も目的もなかったからだ。お姉様の後顧の憂いを溶かす、ギャング壊滅に米国に渡ったというあれくらいしか最初はメイド以外のお役目がなかったのだ。『エル様』としては私達三人を旧来のメイド以上のメイドに仕上げて満足される筈だった。

 だけど私達のポテンシャルにプラスアルファを求めた時、その改良の第一弾に『エル様』は迷わずトロンメルを選んだ。次がヴンダーだ。そして私には何もなかった。これは何も特別な能力を与えるものでは無かったし、悲劇的な要因を孕んだ改良でもなかった。加えられた改良は主に情緒面を刺激する五感に関してのものだったのだから。

 結論から言うと、トロンメルは耳がよく、音楽に強い感性を示す。ヴンダーは舌だ。私より味覚が鋭く、美味しいものが食べられたなら涙を零すほどに感受性が高められている。で、私はそういうちょっとした改良がなかった。強いて言うなら嗅覚だったのかも知れないけれど、結局手を加えられる事はなかった。多分、完成した料理に塩や胡椒を振る行為が虚しく感じられたのだろう。

 宝具『ラインの黄金』は『エル様』の簡易型が、三人ともに内蔵されている。普通に生活している分には何ら問題はない。だけど完成された『ラインの黄金』の発動結果を得ようと思えば三人の内、二人が揃わないと駄目だった。そしてこの説明を受けているのは、おそらく私だけだ。

 私はお姉様を補助せよと、お姉様の世界に送られた。そしてそれは『エル様』が改良発展させた『エルヴァ版ラインの黄金』の避難・隔離でもあった。お姉様にもその事は話してある。また、あまり大ぴらにはしていないが、私の背中には『お姉様のための魔術刻印』がある。この刻印は勿論『エル様』のものの複製だ。お姉様が半英霊だから移植できないだけで(※)。

 

※)魔術刻印の心霊移植は令呪の移植並みに難易度が高いものなのだそうだ。それも対象が英霊や半英霊ともなると、私達の世界では先生も認める刻印修復師でもあるお姉様にしかできないらしい(言峰神父が居ないから)。なので私の背中から刻印をお姉様が剥離できても、お姉様自身がご自分のお背中に、物理的に刻印を定着できないのだった。いっそお腹に持って来てはいかがですかと案を出したが、この刻印は脊髄と接続するタイプなのでそれも無理らしい。なお刻印は私の脊髄とは繋がっていない。あくまでも保管用に背負っているだけだ。じゃ『エル様』が来られた時にでも移植すれば良いとなる訳だけれど、これがお姉様的には、なくても全然困らないらしい。だからお子さんができて、その子が望めばという形で現在保留中だ。

 

 

 

 それで歩道橋のあるところまで歩いたのだけど、予感通り私のお気に入りの橋はこの世界に無かった。というかその歩道橋を使う人のための、堤防に上るための階段や自転車を押すスロープすら無かった。以前こちらに来た時は、試験官(補佐)だったお姉様と、お姉様が心配だったイリヤ姉さん以外は皆さんほとんど外に出なかった。

 私にしてもお買い物と、慎(マコト)さんを釣るための夜のドライブくらいのもので、凛さんもルヴィアさんも最初の数日以外は外に出ていないはずだ。なのでこういう『橋があるのか無いのか』という、細かな部分までは観察していなかったのだ。だから戻るかとなったのだけど、一向に先生からは『何か買って来て』という連絡は来ないし、少し妙な予感がしたのでバルナバスを宝具に取り込み、私が慎二さんを、ヴンダーにはランサーを任せ、未遠川の対岸の堤防まで空間転移した。

 ジョギングしている人は居るし、散歩中のお年寄りも居るので、結界を張りながらの転移だから難易度は高い。だけどこれが人前で魔術を行使する良い練習になるんだよね。空間跳躍系の魔術を持たなくても、ランサーも魔術師なのでタイミングは測ってくれるので助かる(※)。

 

※)鮭の頭を踏む八艘飛びの逸話ってランサーじゃなかったっけ? もしかしたら、義経と鮭跳びを混同している? ともあれそういう人だから、ある意味ワープで景色が見えない私の転移魔術はつまらないらしい。また、ランサーの名誉のために。1回だと川幅を越せないが、川の真ん中に踏み場があれば2回のジャンプで対岸に跳べるそうだ。だから堤防を走って歩道橋の横っ面を蹴れば、三角跳びのようにして対岸にまで届くという。橋を壊すなよ、お気に入りなんだから。

 

 そうして無事対岸まで転移した私達は、少しだけ冬木大橋側に戻った。何故ならそこに堤防から降りる階段があるからだ。この時慎二さんから、『飛んでいる間、景色が見えないんだね?』と少々残念がられた。それを見てランサーは『な? 言っただろ』って顔をしていた。男の人ってそういうものなのかな?

 そしてその階段を降りてすぐにマウント深山がある。案の定、二人のアーチャーさんとランスロットさんがお買い物をしていた。それで私達の方のアーチャーさんに訊ねると、先生方の朝食は登校前の凛さんから許可を頂いて、ありあわせの材料で間に合ったそうだ。なので時間的な猶予ができたので、皆んなで喫茶店でお茶を頂いた後に、ゆっくりレシピを考えながらお買い物をして帰った。

 そうして遠坂邸に戻ると、イリヤ姉さん達もほどなく戻ったので、各自アーチャーさんの指示する範囲(以前と同じで来客用の区画。また『エル様』達も泊まる事になった)で部屋を決め、荷物整理と自室の清掃をした。不思議と私も凛さんもルヴィアさんも以前と同じ部屋を選んでいた。私は荷物を置くと、階下に降りて取り敢えず、広い庭にバルナバスとアダムを出してあげた。

 家に上げて良いかどうかは、ここの凛さんに聞かないとわからない。脚などをしっかり拭いて、粗相さえしなければ多分大丈夫だとは思うけれど。でも世界が異なるから、ここの凛さんが猫アレルギーだったりしたら大変だ。そういう部分の差異は歩道橋の有る無しよりも、人に拠っては重要性が高いだろう。

 

 そうして早めのお昼を頂き、またそれぞれが部屋に戻って自分達の作業に没頭していた頃、間桐慎さんが来ていたらしい。らしいというのはその時分居間に居たのが、先生と凛さん、そしてルヴィアさんの3人と、戸棚の上を飛んでいたゾウケンくんとルビーだけだったからだ。これは多分、先生が狙ったのだと思う。それで結界を張ったのだろう。でなければ私が気付かない筈がない。

 咄嗟に戸棚の上の置物と化したゾウケンくんとルビーは、後で私に吟味しろと言わんばかりに、先生と慎さんの会談をしっかり録画していたという。特にゾウケンくんは気になったようで、慎さんの体内を透視録画までしていた。なおこれらの映像は、慎さんと慎二さんのために私以外は見てはいけないと、ゾウケンくんからは口頭で、先生からは念話で釘を刺されている。

 

 それで先生とゾウケンくんの考えは────。

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