良い時間になったので、先に女性のお客様方にお風呂を使って貰った。男性のお客様は並行世界からのアメリカ組ばかりだったから、そちらは先生と同じく客間(ゲストルーム)に備え付けのお風呂を使って頂く段取りにアーチャーがしてくれていた。
ただし申し訳なかったけれど、『エルさん』には時間の許す限りダイニングで私に付き合って貰った。それはバイク談義を通じて『彼女ならではの考え方』をもっと知りたくなったからだ。ここでの第9代アインツベルン当主となったアーデルハイドと違い、彼女はアインツベルン宗家の跡取りで、代11代アインツベルン総裁なのだった。
これは彼女の分身である半英霊だったエルヴァさんがそう名乗っていた事で、後で先生から『その通りだ』と知らされた事でもある。今まで個人的な知己は無かったけれど、私が彼女の個人的なプロフィールや数々の噂を知っていたのは、お察しの通りで先生を通じてだった。
それに『子供の頃から聖杯戦争に出ていて、それを止めたり、事業に成功している子でもあるから普通の尺度で考えてはダメ』と言われつつも、『根っこは真面目で素直な子』とも聞かされていた。なのでバイクの話を緒(いとぐち)にして、この機会にあれこれ聞こうと考えていた訳だ。
また私がそういう考えに至ったのは、試験官だった凛さんやルヴィアさんの存在と、エルヴァさんにイリヤさんの存在だった。エルヴァさんは流石でその物腰や話し方から察せられるように、とても立派な人だった。だからこの人から影響を受けたであろう、凛さんやルヴィアさんも素敵な方だと思えた。姉弟子である凜さんが弟子に迎えたのも、むべなるかな……と思えた。
ただ、イリヤさんだけは別だった。正直最初は『こんな子供っぽい人がイリヤ先輩の並行世界存在?』とマイナス的に捉えていたのだ。けれど裏でエルヴァさんを支えるべくあれこれ動いていた事や、間桐さんの気持ちを楽にさせるような言葉を選んでいた事も後で知って、『この人も根っこは同じなんだ』と考えを改めた次第だ。
今回も来て下さっているが、やはり言葉数こそ少ないが(その分、お菓子の空袋がゴミ箱をパンパンにする)、一歩離れて全体を見て、要所要所で的確な行動を取ったり、言葉を出していた。こういう部分をエルヴァさんは愛しているのだと、私は再確認できたのだった。そこのギャップだ。そんな枝葉末節に目を奪われれば、本質の中にある軸というか芯を見失う。そういう事を悟らせてくれたイリヤさんに、実は私、結構感謝しているのだった。
そんな人が『エルはエルヴァよりもシビアかな……?』と話していたので、少しだけ怖くもあった。けれどイリヤ先輩のところが『安全』だと知ったからなのか、僅か1~2ヶ月の間に間桐さんの良き相談相手に収まっていた。そうなのだ。一番不安定なのが間桐さんなのだった。とうとう学園も辞めてしまったし……。だけどここ最近は少し変わって来てい。それが『エルさん』の効果なら、まさに先生の読み通りだった訳だ。
その『エルさん』だけど────。
『どこのバイクメーカーも、人々の利便性を高めた上でプラスαの『走る歓び』を追求しています。つまりクルマと同じでその商品の魅力は、人々の営む社会とは切っても切り離せない部分がとても大きいものなのです。つまり人々の暮らしに直結する物流を支えるビジネスバイクやトラックが消える事は今後も無いという事です。となると都市から都市を結ぶ大型トラックが、環境問題を理由に、ディーゼルを辞めてガソリンになると思えますか? ランニングコストを無視して、いつか電動になると思えますか?』
『400ccという他国には見られない不思議な区切り、こんなガラパゴス法にいつまでメーカーは合わせてくれると思えますか? 主要な国はどこも、モペッド(50cc以下)と125cc未満、それ以上という具合です。勿論、国ごとに多少の差はあります。それは道路事情や人々の収入、物価などでも変化するでしょうし、保険の区分で左右されるかも知れません。ですが主にビジネス用途が多い125cc前後と、レクリエーション用途が多いそれ以上の排気量という区分の方が、世の中が円滑に廻ります。これは先進国も発展途上国も同じです』
『立法府が国家百年の計を見通せないのは、政治家も官僚達全員も部品に陥っていても当面は回ってしまう欠陥社会へと、大衆とメディアが持っていったからです。特にそう先導したGHQの罪は重いですね。私達はこの21世紀のみならず、次の22世紀も、その次の23世紀も、連綿と神秘を継承し守護する役目があります。つまり変遷する社会に飲まれず、先を見通す『目』と『頭』を常日頃から養っておかねばならないという事です。ですので、少なからずアインツベルンもマキリも、親族を政界に送り出していた時期がありました。時計塔の教授や君主(ロード)の家も大抵そうです』
そういう実情だから、ヤマハなら『SR』の終焉が、400ccという中型排気量の終わりだろうとの事だった。そしてその事をヤマハを含めた各社が理解しているから、今のストリートバイクの隆盛があるのだという。シティコミューターでしかないビッグスクーターのブームはすぐに消えて、ストリートバイクの中古が5年10年後には値上がりするだろうも。
また、『エルさん』の世界のように、ここの時計塔が政治の世界にまで食い込んでいないなら、世界はグローバリストとグルーバル企業、そこに傅(かしず)く政治家とが牛耳るだろうとの事だった。つまりEUの意向に小粒な政治家が乗せられて、2007~2009年に更に厳しい排ガス規制が掛かるだろうと予言したのだ。
そこに関して後日イリヤ先輩に尋ねれば、『バイクは知らないけれど、少なからずスイスのエルヴァはそういう世界の動きを読んで動いているみたいだし、何れアーデルハイドや妹達もそう動くようになるだろう』と話してくれた。
『妹だけで80人強というのも驚きですが、その直列電池ボックス計画を、バーサーカーの運用のみならず、聖杯戦争後の人的武器、戦力として使おうとの考えはお見事です。ここのアハトはそこまで狂っていなかったのですね。だからアーデルハイドの計画に乗って、時代に着いていけない自分は引退した訳です。また、彼女の方からもそういう引き際を用意してあげたのでしょう。それは『妹達』もアーデルハイドに恭順を示す筈です』
つまり『エルさん』の見解だと、ドイツのアーデルハイドさんはアインツベルンの100年200年先の未来を描き、周囲を説得し納得させたらしいのだ。それも聖杯戦争前に。そこを見破る『エルさん』と、そんな計画を立てて実行していたアーデルハイドさんに私は感服した。感心したのではない。この人達には勝てないと、心の中で敗北を認め屈服したのだ。
でだ────。
「たまにそういう女性の話を耳にしますので、一般論としてならそこまで驚きはしませんが……」
この意味はレトロなスタイルと、キックしかない始動方法を『儀式』として受け入れられるかどうかを指している。どういう意味かというと、これまた一般論として、女性は男性より体格的にも体力的にも劣っている。だけど男性がまずしないだろう、お出掛け前のメイクや、その日着ていく衣類には細心の注意を払っているのが女性という生き物だからだ。
そのお出掛け前のルーティン(準備)にキックが加わっても、今更だと思えるタイプなのかどうかだった。それって全女性の中の何%くらいだろう? 既に魔術師というマイノリティー側に足を踏み入れているのに、そこにバイク、しかもよりによってキックしかない『SR』を加えるのかという意味を含んでいた。だから……。
「それがよもや『遠坂凛』だったとは……。『SR』自体は否定しません。私も好きですから。ですがバイクに乗る『遠坂凛』なら『HONDA CB400SS』を選ぶ気がしたのになぁ」
という言葉が続けて出たのだと思う。だけど先生の仰る通り、『エルさん』は期待通り、斜め上からの発想を盛り込んで来ていた。『HONDA CB400SS』……。はい?
「どういう意味? 『CB400SS』は知ってるけれど、どうして私がそちらを選ぶと思ったの?」
「『気に入った』という前提ありきですが、リセールバリューを余り考慮せずとも済む立場にあるのと、マイノリティーではあっても2003年以降のセル・キック併用は大変便利だからですよ。あなたはそう考える事ができる『遠坂凛』だと思っていたのです」
ここは馬鹿にされたと短絡的に捉えず、好意的に解釈した。と言うのは次の言葉にある。
「それにうちの姉がオレンジ色の『SUZUKI Grasstracker(2002年4バルブ)』に乗っているのですが、そちらもセル・キック併用でしてね。やはり大変便利だと話しています。あの人は普段、お洒落な革製のサイドバッグをぶら下げて、そこに道の駅で買った大根や、魚屋さんで買ったサンマやサバを突っ込んで走っていますよ」
ああ、大根にサンマ……。これはイリヤ先輩がバイク乗りならやりそうな事だ。ふむ、彼女の姉のイリヤさんは、イリヤ先輩と似たタイプなのね。となるとお菓子のイメージが付き纏うあの人が特殊なのかしら? まぁ、そこが反動なのでしょうね。魔術回路のために様々な肉体的改造を受けて児童並みの体型でしかなかった、哀しいイリヤさんのお話は先生に伺っている。
英霊の、エルヴァさんの姉のイリヤさんもその中の一人だ。だからこそ、今回も『妹であるエルマさんが心配で着いて来た』のは早々にわかった。つまり本質的に『イリヤスフィール』という人は家族思いで、身内と思った人には甘いのだ。そこはどうやら『怖い』と感じた『エルさん』も同じようだった。
「お買い物目的のスーパー巡りは『SUZUKI Address V100』の真っ黒な50周年記念モデルで、タイムサービスをハシゴして、前カゴもキャリアに付けたリアカゴも、シート下から足元までもが荷物満載で、まさに特売快速。そんな過積載車両で転倒せずにコーナーを抜けて行く姿は圧巻です。あの人、少しお尻を後ろにズラして、足も後ろに引き、シートの前部分に片ももを当て、それをニーグリップ代わりにして安定を図るんですよ? ついでに言うと踝(くるぶし)でもしっかりとボディを挟んで。あんなロードバイクのような乗り方は教えて居ないのになぁ……? まぁ、何れにせよお見事なものです。そんな人がですよ? 2年連続の元生徒会長だったのですから堪りません」
「え!? そっちの世界だとお姉さんが生徒会長だったの?」
「そうです」
この妹にしてこの姉ありか……。ロードバイクって自転車よね? そういう乗り方をするのはスクーターに、膝で挟めるタンクが無いからね? 踝でも挟むって凄いわ。イリヤ先輩よりもアグレッシヴな人みたい……。
「その姉がですね、お察しの通りスズキ党なのですが、レーシーな2ストやマルチな4ストが好みですので、単気筒400の『Tempter』には手を出さなかった訳です。その理由は、遠出もせず近場だけを走るのなら『Grasstracker』があれば十分だというのと、お買い物用として最強の『Address V100』があるからです。30km制限もなく、二段階右折の必要もなく、二輪通行禁止の自動車専用道路でない限り、アンダーパスでもオーバーパスでも大抵走れます。また、自賠責はともかく任意保険は大型に乗ろうと原付きに乗ろうと、そう大差ありません。また得てして燃費もいいです。なら、お買い物や通勤通学は原付二種、つまり小型から選ぶ方が賢い選択だと思います。その次の126ccから250ccまでの軽二輪は、車で言うところの大昔の軽自動車と同じ扱いで車検がありません。ですが安全のためにも点検整備は必要ですし、保険もきちんと入る必要があります。それなのに諸々の費用をや維持費を含めると、車検のある251ccから400ccまでの普通自動二輪や、それ以上の大型自動二輪と軽二輪は実はそんなに変わりありません。うちの姉も私もそこをわかった上で『腰掛け』として普通自動二輪の免許を取得しています。好みは人それぞれですから何に乗ろうと否定はしませんが、自分の好みの傾向や、ライフスタイルと沿っているかどうかは考えましょう。ご自分が所有しているバイクも、集めたカタログも、ホーネット以外は全部単気筒だったって事に気付いていましたか?」
そこは『うん』だ。潜在的に単気筒が好きなのは自覚していた。だからこそ『いつかはSR』だったのだ。普通自動二輪の免許が欲しいのも『SR』に乗りたいがためだ。それだけにキックを何度も試させて貰えたのは嬉しかったし勉強になった。それに彼女があの手この手で『SR』を諦めさせようとしていたのは、私の『覚悟』を測っていたのだと気付いてもいた。
だから覚悟をもって『SR』に乗りたいし、500の中古もこの先は考えていきたいと思った。その事を話したら、
『ファッションや憧れだけでは乗り続けられないですよ。冬はエンジンが掛からないですし、トイレも近い。夏だと信号待ちでタンクの下からモアっと熱気が襲って来て、ウェアの下が汗でダラダラになります』
と、『女の子には本当にキツい』事を再度強調し、
『ペットを飼うよりバイクのお世話は大変』
だと、メンテナンスの重要性も教えてくれた。そして、
『それでもSRを選んでくれるなら、同好の士としてこれほど嬉しい事はありません』
とまで言って、いい笑顔で笑ってくれたのだった。その後、こちらで入る人が全員上がったようなので、お湯を張り替え、彼女と一緒にお風呂に入った。イリヤ先輩で慣れているので、お風呂はごく自然に和気あいあいムードになった。そこで『SR』好きになった理由を教えてくれた。それは子供の頃、ある人から『大きくなったらGB250CLUBMANに乗ってはどうか』と言われたかららしい。
そこでクラブマンを色々調べる内に『SR』の存在に行き着いたのだそうだ。そしてセルからキックへと退化したその『SR』はヨーロッパでも結構走っていた事に気付いた。それで『ああ、アレかぁ』となって俄然興味が湧いたそうだ。それから免許を取るまでは乗らないと家の人と約束した上で、お金に飽かせて次々と『SR』を買い集め、時間凍結できる『倉庫』に収めて行ったのだという。
「そんな具合でしたから、最初に買ったのはシートのベルトが失くなった94年のブルーイッシュブラックの500(3WG6)だったのは覚えていても、それ以降のは増えるに従って倉庫がグチャグチャになって、自分でもよくわかっていません。コレクションとして『並べてしまった』からでしょうね。強く印象に残っているのは、95年の『SR400S リミテッドエディション(3HT7)』と98年の『20th ANNIVERSARY』(3WG8・3HT9)と99年のワインレッドとブラックのツートーン(ダークパープリッシュレッドカクテル3/3HTA)ですね」
との事で、やはりドラムブレーキの2型に思い入れがあるようだった。
「それ以外でしたら、中古で手に入れた1983年製スーパーレッド(34E/走行距離12000km強)と1986年製のメイプルレッド(1JR/走行距離9000kmちょい)、それとメイドが贈ってくれたカスタム車両ですね。これの年式は多分1984年製で赤いサンバーストのSR400LTD(34F)と同年のものです(走行距離不明)。タンクもシートもマフラーやメーター類も全部入れ替えてあって、タンクはアルミのノートンタイプ、シートはシングルタイプで車検証も一人乗りで登録してあるものです。1986年が私の誕生年なのですが、ドンピシャなメイプルレッド(1JR)と、83年のスーパーレッド(34E)、それとアルミタンクのカスタムの3台は色々弄りもしましたが、今も大切にしていますよ」
ははぁ~ん。さすがはアインツベルンのお嬢様ね。メイドが何人か居るんだ? でも、主(あるじ)にカスタムバイクを贈れるメイドというのも凄いな。
「ですがそれで初期型にハマりましてね。そのすぐ後に解体屋さんで78年製(2J3/500と2H6/400)、それと79年製(3X6/キャストホイール)を見付けて、復活させました。CV型キャブ(コンスタント・バキューム)とVM型キャブ(バリアブル・マニホールド)の違いやメンテ方法はこれで覚え直したようなものです」
『覚え直す』ね……。これが5~6年生頃の話だと言うから、根っからバイクやメカが好きなのだろう。確か3歳頃から乗っていると聞いていたし。
「それでその初期型の中の500は、VMキャブに加速ポンプが付いていて、パーツは無いわ、全然エンジンは掛からないわで何度も折れそうになりました。加速ポンプ付きの500で動態保存してある『SR』もこれからはどんどん消えますから大切にしたいです」
この初期型500(2J3/3X4)のキャブレターには、ポンプで燃料をプシュッと増量させる機構が付いている。これは始動性を上げ、発進加速を良くするために、アクセルを開けた時に混合気を濃く(リッチに)する装置を指す。ところがこのレーシーな装置が、日常使いではもう少し薄い(リーン)な方が良い場合がある。
特に冬場の始動だ。何度もキックしている内にプラグがガソリンでビシャビシャになりプラグを外して拭かないと再始動できない状態になってしまうのだ。これらの事は2型頃までの『SR』の本には隅っこに囲みでよく書かれてあった。また学校で詳しい男の子に聞けば答えがすぐに返って来た。
『え? 遠坂、バイクに興味あるの?』なんて最初は驚かれたが、『そのためにお金を貯めている』『誕生日が遅いから困っている』と話したら、色々と親切に教えてくれる人が周囲に増えた。それに何より何かを隠そうとする態度が受け入れられてしまった。つまり『ああ、それでかぁ』となって魔術の事を詮索する人が居なくなったのだ。
この事を先生にご報告すれば、正解だと言われた。アメを隠したいなら、横にチョコを置けば良いという事だ。それに先生はああ見えて大型自動二輪の免許を持っている。生前は夫であるシロウさんの影響で、英霊となって現世に残るようになってからも取り直していた。
まぁ、私としてはシロウさんの正体がどこかの『衛宮君』と知った事が最大のショックだったけれど、すぐにイリヤ先輩の代わりも先生がしていたのだと気づけたのでショックが消えるのも早かった。結果としてはより一層イリヤ先輩と仲良くなれたので今はそれで良しだ。
そもそも私は両親があんな風だし、実の妹もどこか他人のようだしで、その虚しさ埋めるために、魔術だけでなく趣味も勉強も全開で生きようと子供の頃から決心していた。それでバイクに目覚めたら、今まであった孤独感がスッと消えていった。なので今の私は学園だと、『優等生なのに話しやすく、結構イケナイ事も知っていてお姉さんみたいだ』と言われていた。そう言って下さる皆さんよりも私は誕生日が遅いのですが……?
だけど『お姉さん』と言われて悪い気はしなかった。そう思えたら桜に対する気持ちも、あの子の姉となったルヴィアに対するわだかまりも溶けていった。そしてそんな心境になっていたから、聖杯戦争で試験官の凛さんやルヴィアさんと逢っても、そこまで動揺しなかった。
とはいえ、その時に試験官であるお二人の護衛という名目でやって来たエルヴァさんが、『エルさん』にとってはミトさんやパミさんと同じような存在だったとは、言われない事には気付けなかった。容姿がそっくりなのも『イリヤ先輩の並行世界の関係者』と漠然と思うだけだったのだ。
比較的心にゆとりを持って望めたと思えた聖杯戦争だったけれど、やはりそれなりに緊張していて、どこか抜けていたのだと思う。だから姉弟子である『凜さん』が何度かここを訪れている事は知っていたけれど、まさかまさか1年のズレがそんな風にズレていたとは気付けなかったし、思いもよらなかったのだ。
「銀行口座を教えて下されば、お近付きの印にお好きなバイクをプレゼントしますよ?」
そんな事を湯船の中で突然言われたのだ。
「遠慮はなさらず。どうせあぶく銭ですから」
ここは現在西暦2004年の4月で、先々月の2月に聖杯戦争が終わったところだ。
確定申告前なのにいい加減にして欲しいというのは脇に置いても────、
『エルさん』の世界(姉弟子や先生の世界でもある)や、試験官だった凛さんやルヴィアさん、エルヴァさんやエルマさんの世界が1年ズレた現在2005年の世界だと事前に聞いていたとしても────、
だから実質的に凛さんやルヴィアさんと同じ学年で、イリヤ先輩と『エルさん』やエルヴァさんが同い年と知ったとしても────、
宝くじや公営賭博は、あちらの方が1年早く『結果がわかる』なんて誰が気付く?
だけど『エルさん』はそこに気付ける人だった。あの先生ですら『見逃す以外ないわ……』と諦めたのだ。ご自分の術がまんまと利用されているのにも関わらず。
そうして『エルさん』はここで1年以上遊んで暮らせる大金をゲットしたし、これからも得る算段が付いていた。だから『お近付きの印にバイク』となったのだった。『同好の士が得られて嬉しい』というのも本音であり真実だろう。だけど『それで良いの? 遠坂凛?』と自問自答する羽目になった。
とは言え最後は受けざるを得なかった。だって脱衣場で『受け取って下さい』と懇願する彼女は、まんま素っ裸のイリヤ先輩そのものだったからだ。実は私も間桐さんはどうこう言えない立場にあった。というのはイリヤ先輩が大好きだったからだ。
そんな先輩にそっくりな『エルさん』は、私が集めた250cc以下のバイクのカタログの中から、『これでキャブの勉強も出来ますよ』と『HONDA FTR223』を薦めてくれた。私が『SR』を自分で買うと決めている事と、『BENLY 50S』を買った理由を見破っていたのだ。
シャスタホワイトという白い色は自分の好みだけれど、『BENLY 50S』を選んだ理由はケイヒンのPB型(PB3G)キャブレターがよく見えるからだった。『FTR223』はVE型(VE3DA)という、これまたオーソドックスなキャブレターが使われている。なので勉強になる点、MD33E型エンジンが数値以上に低速トルクが強く使い勝手が良い点、そしてあの大きなゼッケンプレートが失くなれば『FTR223』は想像以上にスタイリッシュでカッコ良い点、キチンとメンテすれば今後15年~20年は軽く乗れる点、そして抜群に燃費が良い点を挙げていた。
「私はイエローの『TW』というイメージが既に固まっていますが、あなたはこれからです。『FTR223』は良いと思いますよ」
との事だった。『イメージが固まる』とは、『黄色いTWはアインツベルンの妹さんの方』と街の人が皆んな知っているという意味らしい。それで『オレンジ色のグラストラッカーならお姉さんの方』と認知されている訳だ。そういう憶えられ方は魔術師として正直どうなのだと思わなくもないが、バイクが社会に溶け込むためのツールとして上手く役立っている。
こういう部分は見習うべきだろう。なので私は今年出ているキャンディブレイズオレンジか、昨年のキャンディグローリーレッドという色が良いなと思った。そのどちらかの『FTR』なら、それに跨る私を見て『遠坂さんだ』と噂されても構わないと思えた。
お風呂は私達が最後なので、下着姿で栓を抜いて浴槽を洗った。それを彼女も同じ下着姿で手伝ってくれ、私の許可を得た後でフェイスタオルやバスタオルで浴槽や浴室の乾拭きをしていた。こういうのはその家ごとの『やり方』というのがあるだろうし、バスタオルで浴槽を拭く事に抵抗を感じる人も居るだろう。そこがわかっているからこその『許可の催促』だ。
とは言え、アインツベルンの総裁はこういう事を自らするのかと、少々面食らってしまった。浴室の小窓は少し開けておいて、翌朝の洗面時に閉めている。少し汗が滲んでしまったので、洗濯したてのフェイスタオルを2枚取り出して、1枚を彼女に渡した。その後、綾子と一緒にヴェルデで買ったパジャマを着てから、ダイニングに戻った。
するとアーチャーが流れるような手付きで、氷で汗をかいたグラスにアイスティーを注いでくれた。
「え~と、あなた……?」
するとアーチャーは鼻で軽く笑い、私の元サーヴァントの方だと言った。
「それを飲んだら、二人とも部屋に戻り給え。もう12時を回ったぞ? 『エル』はともかく、リン。君は明日も学園だろう?」
「そうね。ありがとう」
そうして私と『エルさん』はお茶を頂いた後、それぞれの部屋に下がったのだった。あ……。あのちらりと見えた『SR』は何だったの?
翌朝起きた私は、来客もある事だしと先に制服に着替えてから洗面を済ませた。この2階にある洗面所は先生の元の世界のご実家にはなく、知る限りの他の世界にもないそうで、今のところ私の家と姉弟子の凜さんの家にしかないそうだ。ついでに言うと凜さんの家には洗面所だけでなくトイレもあるという。
つまり、ここは父が桜と私のために改装して設けてくれた場所なのだ。トイレのあるなしも、その世界での父の心境なのだろう。桜をずっと手元に残した凜さんのお父様、結局養子には出したが、遠縁のエーデルフェルトを頼った私の父……。その差だ。
だけどその差が大きく『流れ』を変えた。その意味を魔法使いの弟子である私は、しっかりと受け止めなければならない。そのために貧乏くじを引かされた間桐慎(まこと)さんに胸が痛むが、それは狂った間桐臓硯が行った罪であって私達『遠坂』の罪ではない。
そこを履き違えたりはしないが────、
『遠坂先輩。私、先輩が好きです。強くて凛々しく、前を見続けるあなたが……』
あの言葉が今もずっと頭から離れない。甘いのかも知れないが、私は間桐さんを敵だと思った事は一度もなかった。舐めていた訳でも、見下していた訳でもない。ただ、歳を経て増える知識に拠って、『間桐慎』という一学年下の女の子への同情心が深まった。それだけだ。
だけど、異なる世界の間桐慎二という男性を知り、杖になってしまったゾウケンを知れば、益々間桐慎が気の毒に思えてならなかった。ここの間桐臓硯は気が早かったのだろう。そして私の父も。桜の養子先がエーデルフェルトに決まったのは私が2歳になる頃だった。つまり桜は赤ちゃんだ……。
なのでルヴィアの妹に綺麗に収まった。拙い日本語で書かれた国際郵便を受け取って感激はしても、桜はとっくにエーデルフェルトだと私は受け止めていた。『kirsikka Edelfelt(キルシッカ・エーデルフェルト)』……それがあの子の今の名前だ。
なお、『kirsikka(キルシッカ)』はサクランボという意味になり、桜の木は『Kirsikkapuu(キルシッカプー)』となるらしい。今の養父母(つまりルヴィアと双子の妹さんのご両親)は、母国語であるフィンランド語が、他国とかなり異なる言語である事と、特に日本人には『可愛らしくも面白く聞こえる』事をご存知だった。だからキルシッカに決めたのだとルヴィアは手紙に書いてくれていた(この手紙は小学校に上がってから受け取った。英語だったので父に翻訳してもらったのだ)。
まぁ、私も元妹の名が『きるしっかぷぅ』になっていたら驚きだし、子供の頃なら笑ってしまう自信がある。と同時に他国の事、しかも感性とも感覚ともいって良い言語の違いを考慮して、元の名の意味を残しつつ新しい名を与えてくれたエーデルフェルト家に、父にそう言われたのもあったが強く感謝していた。
色々考える事はあったけれど、長じてそれらの疑問も謎も次々と氷解していった。当時の父には魔術協会に、私と桜という二人の子供を登録して『ゴリ押しして通させる』だけの実力がなかった事も今は理解している。これで私がもし男の子だったら、もしくは逆に桜が男の子だったら、まだ家族でいられた未来が少しはあった事もわかっている。
だけど女の子ばかりの姉妹で、どちらにも魔術的な才能があったなら、私か桜を養子に出すしか父に選択肢はなかったのだ。それで私が5歳になった頃────、赤ちゃんだった桜の顔を忘れ掛かった頃に、間桐から養子縁組の依頼みたいなものがあったそうだ。けれど桜はとっくに居ないし、父と母は仮面の夫婦を演じていた頃だ。
そんな理由から焦った間桐臓硯は第四次聖杯戦争の2年前、1~2年掛けて間桐慎二に魔術的な肉体改造を施した。戦争中に出会った先生は後に仰った。この世界の臓硯は焦り過ぎで、父はうっかりでなくせっかちだったと。そのせいなのか私には他世界で見られるような『うっかり癖』がない。ただし、父に似て少々せっかちだ。
とは言え、父は父で家族を愛していたし、私や桜の事も大切に思ってくれていた事は間違いなかった。父が私への指導を辞め、仮面夫婦に終止符を打ったのは聖杯戦争も切っ掛けだったが、キャスターとして入った先生と出逢えた事も大きな理由だった。
今更だけど、先生の真名は『遠坂凜』だ。ただしそれは通称のようなもので戸籍上の本名は私と同じく別だと思う。魔術の五大属性を持って生まれた私は、産声を上げたその日から死に掛かっていた。神秘に向いた稀有な才能は、父の予測を超えるほどの『魔』を私の身に振り掛けて行ったのだ。
赤ん坊だった私は母に抱かれる前に泣き止み、一度呼吸を止めていた。お医者様のお陰ですぐに蘇生は出来たけれど、退院できたのは誕生日から6~7ヶ月も経った後だったという。きっと桜が年子なのはそこに理由がある。要は私は無事に成長できない可能性があると思われたのだ。
この件に関して両親を恨んではいない。『魔』を呼び寄せるとは、何も魔物が惹かれて襲って来るという意味ではない。病弱という意味でもない。先にギフトを渡したのだから、それなりの見返りを寄越せという意味の方が大きいと思う。先生も仰っていた。他の世界での桜が養子に出るのが遅いのは、私が小学校に上がるまで父が安心できなかったからだ……と。
またよりによって桜は、五大に含まれない特殊な虚無の属性、その内の『虚数』とも言われる『虚』を持って生まれて来たのだ。遠坂は家系属性が『火』で、父も祖父も魔術属性は『火』だ。そこに『火、風、地、水、空』の五大属性を持つ私が生まれるのも奇跡なら、妹が『虚』の属性を持って生まれるのも奇跡だ。
これが母に流れる『禅城』の血だというなら、私や桜はどんな子を生むのだろう……? これが北欧の名門エーデルフェルト家と、遠坂家と並ぶ間桐家が桜を欲した真相だ。だけどエーデルフェルトは真っ当で情の厚い家だった。跡取りには成れないが、必ず一人前に育て幸せになって貰うと言って来たからだ────。
階下に降りたら『エルさん』とエルヴァさんが、朝から英語で何かの議論をしていた。お二人とも運動の後なのかジャージ姿だった。エルヴァさんはどこにでもあるグレーのスエットにTシャツだけど、『エルさん』の着ているそれは穂群原学園の体操服だった。それもイリヤ先輩と同じ青い学年色の。
いや、ここって1年ズレてるんじゃないの? なのに体操服は青だったの? ってかその前に、何であなたは母校の体操服を卒業後も着ているの? ゼッケンの『えるう"ぁ』って何だよ? そこは『アインツベルン』じゃないのか? だけど落ち着いて考えれば、同学年にお姉さんがいるなら姓でなく名で書くのもわからなくもないか。平仮名は好み?
『グッモーニン』
と私が声を掛ければ、
『モーニン』
『モルゲン』
どちらも『グッド』を飛ばして来た(ドイツ語だとグーテン)。ドイツ語にそんなカジュアルな言い回しってあるの?
『ですから、空間拡張とは結界の中に限定的な異界を召喚する事と同義なんですってば。縦横高さの三次元に四次元的要素を加えると言った方が理解しやすいですか?』
『そうなるのか?』
『厳密に言えば後者は違います。やはり魔術的に考えるなら魔力の通った結界内に、あなたなりのあなたしか知らない異界を召喚したと考える方が正しいです。それでこの先に固有結界があり、さらなる先に平行世界や並行世界の召喚がある訳です』
『第二魔法も結界術の延長線上にあるって言うのか?』
『私はそう考えています。根源なんて求めなくとも行ける筈です』
朝っぱらから何を話しているのだ。だけど『エルさん』の発想は本当に面白いし、いつかは先生や姉弟子とは異なる方法で並行世界に行ってしまいそうだ。それはさておき、続々というよりバラバラと皆さんが降りて来て、先に朝食の用意をしていたアーチャーが『エルさん』を見て、エルマさんを見てから、ダイニングとリビングに朝食を並べ始めた。
この配膳はエルマさんとヴンダーさんも手伝っていた。私がランサーとランスロットが居ない事に気付いたのは、登校の途中の事だ。そこでアーチャーが食事前に『エルさん』とエルマさんに送った合図の意味がわかった。二人の英霊が昨夜戻らなかったのは、『エルさん』かエルマさんが何か頼んだからだったのだ。
『いやいや、衛宮。あるんだよ、それが。アメリカだと『SUZUKI DR200SE』って言うんだ』
『それが『DJEBEL 200』なのか?』
『そう。他に『DR200S』っていう、『DJEBEL 200』の前にあった『SX200R』そのまんまのがまだ出回っていた。日本ではとっくに販売が終わったバイクなのにね?』
『慎二、良く知っていたなぁ』
『アメリカは広いからさ。前々からタンク容量の多い移動手段を色々考えていたんだよ。『エルさん』はモトクロッサーで腕を磨けと言ってたろう? なら、日常使いはこんなのでも良いんじゃないか? というのは『DR』と同じエンジンだった『SX』に『DJEBEL』や『DF』って、日本だと長距離を走れる旅バイクとして有名だったらしいんだ。今話した二車種はどちらも12リットル以上ガソリンが入るから、十分隣の州まで走れるよ。まぁ、流石にシカゴからウィスコンシン州に走ったら、ミルウォーキーまでは行けても、スペリオール湖を臨むには途中給油は避けられないだろうけど』
へぇ~、慎二さんはノートパソコン持って来ているのだろう。それで検索して、日本の掲示板などを調べていたらしい。自分の部屋に『LAN』を引く際に、客間にも引いておいて正解だった。次は無線LANルーターも設置しよう。その話にアストルフォさんも乗って、『自分もバイクを買う』と話していた。
食事を終え、身嗜みを整え終えればアーチャーがお弁当を持たせてくれた。どっちのアーチャーか全然わからない。そもそも今朝のいつから作ってくれていたの? だけどそこは素直にお礼を言ってお弁当を受け取った。エルヴァが作ってくれていたホンの数ヶ月前が懐かしい────。
『ジェベルのタンクをバンバン200に積むと、航続距離の伸びた『TW』みたいで便利でしょうね。シートの前側に少し加工が必要ですが、タンクに掛からない短めのシートに換えれば、あの一升瓶マフラーもカッコ良いかも知れません』
ここの遠坂が学園に向けて出て行った後、アインツベルンのお嬢様はまたまたマニアックな事を言い始めた。洋食の朝食を頂いた後の事だ。相変わらず食器などの洗い物はエルマとヴンダーが行っていた。だというのにお嬢様は何一つ手伝おうとはしない。彼女はオーストラリアでお世話になったハイディやイリヤによく似ている。
こうして近くで見ているとエルマやキャスターよりも似ていると思えた。それはそうだろう。それが『並行世界存在』というものだろうし。本日からエルマは僕達のために再びベルト作りに励んでくれる予定だ。杖になったお祖父様は、世界移動で一時的に止まっていた作業時間を少しでも取り戻すべく、昨日からアダムやルビーと何度も打ち合わせをしてくれていた。
そしてエルヴァとアントニーは今まで溜め込んで来た魔術的アイデアを、総裁でもあるお嬢様ととことん話し合う腹積もりらしい。そういうのは僕も衛宮もからっきしだった。何をしようとしているのか理解はできるのに、自分では何も浮かばず出来もしない僕は、自分がアントニオ・サリエリになったかのような気分だった。
あの聖杯戦争で僕達を色んな意味で圧倒してくれたエルマが、再会した時、『絶対に相手にならない』と断言していた『お姉様』こと、今は倫敦にお住まいだというエルヴァさん。そしてそのエルヴァさんの魔術的な大本(師匠という意味だろうか?)であるアインツベルンの総裁、『エルさん』。
その実力は疑うべくもないのに、『きっと僕はあまりにも高い山の麓にいて、全貌が見えないだけなんだ』と自己分析まで出来ているのに、どうにもこうにもこのテーブルを挟んだ向かいに座るお嬢様に苦手意識があった。嫌っている訳でも、相性が悪いとか、生理的に受け付けないとかでもない。とにかく苦手だ。
勿論態度には出さないし、話せば話すほど発想の面白い人だともわかる。だけど何て言うのだろう。僕の思い付きそうな事は既に10も20もやっていて、でも本当はその2ランクも3ランクも上の事を楽々こなしている……。つまり、僕達には何段階もレベルを下げて合わせてくれている感が否めないんだ。
そこが鼻につくって訳じゃないけれど、世の中は広いねぇと受け止めざるを得ない事実に焦燥感を覚えると言うか……。こういうのは、恥を忍んでお祖父様に訊ねる方が良い気がする。だから僕はお祖父様に頭の中で問い合わせてみた。いわゆる念話ってやつだ。なぜか僕は『あのお祖父様なら出来て当然』と思えたのだった。
〈何じゃ、慎二。メグロや陸王なら自分で買え。儂ならそれくらいの遺産をお主に残すよう手配を終えとる筈じゃぞ?〉
(誰もバイクの話なんてしていません!)
成功だ。もしや杖の機能で出来るんじゃないかって思ったら案の定だった。いや、僕から何か相談があるかもと、アンテナを張ってくれていたのかも。
〈そこは慎二の自己分析の通りじゃろ。彼我の差は赤子と大人の差以上じゃ。それを認めるのは男の沽券に係わるじゃろうが、認めん事には真実の差は見えんものでもある。認めるとは目標を見定める事でもあるんじゃ。その上で相手の実力を冷静に分析するんじゃな。さすれば穴とまでは言わんが、お主なりの『ここまでなら行ける』と思える部分も見えて来よう。未熟な事は恥ではない。自らの狭い殻に閉じ籠もり、知ろうとせぬ事が恥なんじゃ。そして何故知ろうとせぬのか、何故後悔しか産まん今の方法が良いと信じ込むのか、そこを自己分析出来たのなら、慎二は儂を十分越えとるよ〉
(お祖父様……)
〈ほれ、顔を上げ胸を張らんかい。若いお主はこの先も思い悩む事があろう。じゃが慎二。仲間に恵まれ、広い世の中を渡る今のお主なら大丈夫じゃ。エルマの事……、間桐慎の事……。お主なら必ず乗り越えられよう〉
(え……?)
お祖父様、何だ? 今一瞬、何を戸惑った?
〈それよりな、慎二。『エル』ならばミトやパミとともに食後直ぐに単車で出て行きおった。お主と居間におるのはあ奴の置いていった、身代わりの『人形』じゃよ〉
(はぁ!?)
〈とは言え、エルヴァの質問にきちんと答え、示唆を与えるだけの性能はある。何より慎二や衛宮士郎では、何時入れ替わったかもわからん代物じゃ〉
じゃ、今目の前にいる『エル』は偽物……? もうそれは遥か高い山でなく、成層圏を越えた宇宙だった。
私とパミとミトは、今三人で各自のバイクを駆って、天橋立に向かっていた。これはパミとミトの希望があってのミニ・ツーリングだった。子供の頃にまだ『セイバー』だったアルトリア姉さんの操縦する『CBR900RR Fireblade(SC28)』の後ろに乗って、あの第四次を駆け抜けた日々……あの時にもパミやミトは私の傍にいてくれた。
姉さんらしい朝焼けのような色の『CBR900RR後期型』も懐かしいが、幻想のカムランの丘を走った『SEROW 225W(4JG2)』も忘れられない。私の『SEROW 225W LIMITED EDITION(4JG3)』に瑕疵を残してくれた大王からも色々学べた。弟子ではないけどケイネス・エルメロイ先生や、若き日のウェイバー先生に遠坂時臣の小父様からもたくさん学んだ。
そんな楽しかった『1年間のあの日々』も、もう10年以上も前の事だ。だからパミやミトがどういう気持ちで、今の日本を走りたいのかが良くわかっていた。だからこそ、『あの頃の冬木』と、そう景色の変わらないここで一緒に走ろうと考えたのだ。
奇しくもパミが選んだのは私が学園時代に乗っていた『XJR400R』だった。ミトはマアエモ・ママが好きだった『CB400 FOUR(NC36)』だ。これなら400ccのコレクションを、そこまで出す必要もなかった。だけど私はパミとミトに報いたかった。姉妹以上に一心同体だった二人に。
私は『YAMAHA SRX600(3SX1)』のアクセルを捻った。ドドドルーンと『SR500』よりも大きな608ccのエンジンが唸りを上げる。この『3SX1』はSRX最終の4型(1990年。翌1991年から店頭在庫が捌けるまでのモデルを5型という場合があるが、引っ括めて4型でも通る)で名前も、それまでの『SRX-6』でなく『SRX600』だし、見た目のデザインも大きく変わっていた(※)。
※)
1型/SRX-6(1JK/1985年)、SRX-4(1JL/1985年)。
2型/SRX-6(2NX/1987年)、SRX-4(2NY/1987年)。
3型/SRX-6(3VG1/1988年)、SRX-4(3HU1/1988年)。
ここまでがキックスターター。フロントダブルディスク、リアダブルサス。
これ以降はセルスターター。フロントシングルディスク、リアモノサス。
4型/SRX600(3SX1/1990年)、SRX400(3VN1/1990年)。
5型/SRX600(3SX2/1991年)、SRX400(3VN2~3VN5/1991~1996年)。
1986年、SRX-6が欧州に輸出開始。ドイツ向けやスイス向けの1型がそこそこ出回った。お祖父様はそんな1型を、デザインが良いとコレクションしていた。それを知ったのは中学に上がった頃だ。なお400ccは日本専売なので海外では見ない。
中古市場で見掛けるのは、圧倒的に1~3型が多いが、合うタイヤが年々減って来ているので実用には前後17インチになった4型以降が良いとされる。しかしデザインは1~3型というファンがほとんどだ。しかし程度の良いものはマニアが所有しているので中古で流れる事は滅多にない。
また、タンクにエア抜きはあるが、水抜きは無いので形状的にタンク下部のシート側部分が錆びやすい。青空駐車で放置すると必ずその部分が錆びていつか穴が空く。なお400の5型(3VN5)は聖杯戦争の翌々年、1996年の夏頃までお店で注文できた。なので私はギリギリそれら400の5型を、何台か手に入れる事ができた。
私は『SR400』や『SR500』も好きだが、このスタイリッシュな『SRX-4』『SRX-6』『SRX400』『SRX600』も好きだった。だから手に入る内に何台も買い集めていた。そんな中から選んだ、大型免許を取ってからカスタムし始めた、この1990年製『SRX600』は、フロントフォークもリアのサスもスウェーデン製の黄色いアレに換えてあるし、ついでにブレーキもマスターシリンダーもイタリアのアレ仕様にしてある。ちなみにフロントのローターはダブルの花型ディスクだから少し過剰装備かも知れない。
マフラーは見た目こそノーマルだが、車体下部のタイコの部分を溶接で拡張して、音が低音から響くようにしてあった。勿論、魔術を使った例の触媒も入っているので、キャブがFCRの二連なのに(タンクは錬金術で新たに作った)排気ガスは至ってクリーンだ。オイルクーラーは社外品のもっと大型のものに交換してあって、渋滞にハマっても全然大丈夫だ。
メーターパネルとフレームはガンブルーで染めてある。タンクとサイドカバーの一部は深い青のメッキだ。それに合わせて、クラッチやアクセル、ブレーキなどのケーブル類のアウターはイエローに統一している。そのタンクに輝く音叉マークは七色のメッキで飾ってあった。こういった新しい手法のカラーメッキは傷付きやすく剥げやすいものだ。
だけどそこを固定化しての錬金術だ。私のカスタムはいつもこんな調子で、おかしな改造はあまりしない。ポジションに関わるハンドル形状に位置、ステップ位置やシフトの角度には拘るが、カラーリングやメッキ加工にはとことん拘る事にしている。これは『ZEPHYR 750RS』もそうだ。
(近づいてよく見れば、フレームは黒でなく、少し光沢のあるガンブルーだ。キーホルダーをパウダーと雷管を抜いた『30-06』なんかにすればカッコいいぞ。なお余談だが、起源弾はアダムの肋骨に準えた『儀式』だ。なのでその術式を少しイジれば、ベッドの枕元に散らかっている抜け毛でも多少は効果が出る。この事は毛髪の魔術が使える姉も気付いている。またエルヴァさんも自分の剃ったムダ毛や抜け毛を、目ヤニや耳垢で練ったものを弾頭に仕込んだ魔弾を作っているっぽい。あの人は私の『蔵』とは起源が異なるのだろうか? そこが気になる)
だってその方が『自分だけの1台』という気がしない? 売っているパーツを取っ替え引っ替えしても、それは『自分だけの1台』とは言えないと私は思うのだ。それと同じようにフレームの色を変えるにしたって、シャンパンゴールドやブラスゴールドにメッキしろよと思うんだよね。今どき赤とか青に塗るってあり得ないと思うのだ。
その答えの一つが『ZEPHYR 750RS』で、もう一つがドイツに置いてある『SR500』で、この『SRX600』なのだった。今アメリカで弄っているトリプルディスクの『SR500』は、いつものルビーのようなキャンディアップルレッドでなく、もっと深みと奥行きのある色にしたいと考えている。排気量も650ccくらいに上げたいとも思っていた。
とは言え今は地元の冬木で、カスタム用のドナー車にしか使えないバイクが何台か溜まって来ていた。一つはパーツがかなり欠損した1986年製の『FTR250』だ。これもひょんな事から手に入れたものなのだが、欠損箇所がやたら多いので、ノーマル風には戻せないのだった(そもそも私は角目が嫌いなのでそこまでノーマルに戻したい訳ではない)。せっかくのバースイヤーモデルなのに、スカチューンのようにしか手の施しようがない有様だ。
ただ、走行距離(26728km)やローターの減り、ブレーキパッドの減り、全体のヤレ感を見る限りワンオーナー車に間違いない。また解析を掛けたら欠損は、プレイバイクとしてダートを走らせていたからだと判明した。よって保安部品などを壊れるたびに外しては違うものに交換していたらしい。
つまり欠損はこのバイクを手放す時に、オークションで売れそうな社外パーツを取り外したからだとわかった。こうなって来ると、『XLR』や『XR』に続いた良いエンジンを積んでいただけにどうにかしたいと思っている。『BAJA』みたいな二連ライトのフラットトラック風ストリートバイクも面白いと思うのだけど、本当、どうしよう……?
それとは別に、以前慎一さんから譲り受けた『YAMAHA Zeal(3YX)』や知り合いから買い取って整備した、『SUZUKI Bandit250VZ(GJ77A)』などは、当初の予定通り無事クロちゃんに譲れたけれど、またまた1986年製の『YAMAHA FZ250 PHAZER(1HX)』を、つい先日アサシンが書類付き3万円で買い取って来ていた。
どうも特殊清掃業務で顔見知りになった大家さんから、引き取れないかと相談を受けていたらしい。ぱっと見たところ、重大な欠損はなさそうだから、多分直せるだろう。どなたかの遺品だろうけどそこは気にならない。だけど今更なバイクだし、シート高が750mmと低いから、クロちゃんかイリヤちゃんにと思っても『ZeaL』があれば要らないだろうしなぁ。
そもそも私が250cc以下から選ぶならオフロード・タイプからだと考えるタイプなので、250ccマルチにそこまで興味がない。そして何より中東や南米で活躍する日本メーカーの看板を背負った、途上国向けモデルはタフだし、燃費は良いし、修理も簡単だ。
例えばブラジルで出回ってる『YAMAHA TDM225』というオフロードバイクを知っているだろうか? あのアルプスローダー、キング・オブ・マウンテンロードの名を冠するこれは、排気量がたったの225ccだ。しかも6速ミッションで今現在も売られ続けている息の長いモデルだ。
要はちょっとカッコ良くなった『SEROW 225』なのだけど、これが今も売られ続けているのだ。ポルトガル語やスペイン語で調べないと出て来ない。試した事はないが、このエンジンとミッションは2005年以前の『SEROW 225』を延命できると思う。と言うのは国によっては『XT225』と名乗っているからだった。
現地で2回ほど乗ったが、宝具に入れて持って帰らなかったのは、絶対に日本では登録できないと思ったからと、シート高が高いからだった。まぁ、海外向けだし、シートが高いのはオフ車あるあるだ。ヤマハなら私も『TT250R』や『TT250R Raid』、2ストの『DT230 LANZA』などを新車のまま時間凍結して持っているが、全然乗らないのは見た瞬間に『カッコ良い、けど大きくなっても足が届かない』と直感でわかってしまったからだ。
そんなだから、ドイツでは『DT125』『DT125R』『DT125WR』『DT125 TRAIL』『DT125X』などを置いている。これだとオフロード・ブーツを履けば何とか片足が地面に着くからだ。特に17インチ化された2004年の『DT125X』というモタードはシート高がマシなので、ブーツを履かない街乗りにも良い。2ストで速いし、EUの規制で落とさたパワーもちょっとイジれば取り戻せるからね。
ただこれが日本では通らないのが痛い。ショップ次第で欧州からの逆車が日本でも買えるけれど(買った)、チャンバーを換えるな、キャブを換えるなとママ達に厳命されている。そんな煩わしいリスクを負わなくとも、トコトコ走る四大メーカーから出ている農業用(アギ)バイクは、個人輸入でも登録できると思う。
だけど日本にも『SEROW』はあるし、『TW』もあれば、スズキやホンダからも足の届くトコトコバイクは色々出ている。なので農業用はそうまでして乗りたいものでもない。『SL230』があるのだから『FTR223』や『VanVan 200』を新たに買って改造する方が建設的だろう。おそらくエルヴァもそう考えての『VanVan 125』だと思う(※1)。
なお、この逆輸入車の『DT125X』はアホみたいに速い。遊びでトランスポーター代わりのお買い物車デュトロに積んでサーキットに行けば、エンジョイタイムでリッターSSに何とか千切られない程度に着いていけた。勿論『R1-Z(3XC3)』や『ZXR400(L5)』ほどの手応えは無いし、いつもの『YZF-R6(5MT)』や『CBR600RR(PC37)』(※2)とは比べるまでもない。それでも面白かった。2ストはやっぱり面白いよ。
※1)彼女は子供の頃から賢く堅実だ。その分面白みに欠け、と同時にやや冒険心に欠ける嫌いもある。少なからず47番の頃はそうだった。だけど姉となり、お手本たらねばと生きる今はどうだろうね。その答えの一端が『DT125X』でなく『VanVan 125』を選ばせたのではないかと睨んでいるのだけど、どうだろうか? 欧州版だから昨年と同じイエロー、グリーン、淡いブルー、ホワイトなどのカラフルな色でフロントフェンダーのみ白いタイプだろう。私なら全部ホワイトというタイプを選びそうだけど、彼女なら『TW』を思ってイエローにしていそうだ。
なお2004年モデルと2005年モデルの違いはタンクに付くロゴの違いだけで、2004年は『VanVan』で2005年はスズキの『S』マークだけとなるだけだった(この年の終わり頃にブラックと濃いブルーが追加される)。一方、日本の『VanVan 200』は『Z』の頃で、2005年のトライバルパターンよりも、その前年2004年の初代旧ロゴがあしらわれた、パールクリスタルレッドの方が私は好きだった。赤は褪せると印刷用語の『金赤(朱色っぽい)』になる場合が多いのだけれど、この赤は褪せ難くとても良い赤だと思う。フェンダーのブラックも引き締まって良い。
※2)『R1-Z(3XC3)』の最終型で使っているのは2台あって、内1台が公道用(フレームはガンメタでタンクやシートカウルはシャンパンゴールド)、残るもう1台がキャブやチャンバーを換え、社外品のカウルを付けたこれだ(ブルーイッシュホワイトカクテル)。
サーキット用はカラーリング以外を相当イジっているので、おそらく65ps以上はは出ていると思う。主に走行ラインとブレーキングを見直すのに使っているマシーンだ。対する公道用はチャンバーもキャブもノーマルだけど、ハンドルはブレースバー付きのやや短めなオフロード用だし、カラーリングは先の通り、メッキしまくりだ。
実はこのバイク、こっそり中学校時代から乗っていて、ストファイというよりアクロバット・マシーンとして使っていた。タンクの上で立つとか当たり前で、逆立ちまでしていた、正に中二病全開の頃のブラック(黒歴史)マシーンなのだった。念を押して言う。EG6は真面目に作ったクルマだ。この『R1-Z』こそが私の恥ずかしい過去そのものだったのだ。
だけどこのバイクがあったから、ママが夜な夜な暴走しようが、お母様に引っ掛かれ、イリヤに引っ叩かれようが耐えられたのだ。でなければ一家離散になっていたかも……。なにせ父親は万年中二病で役に立たないし、お兄ちゃんも見て見ぬ振りを決め込んでキッチンの隅っこで包丁を研ぐくらいしか出来ないし……本当、大変だったのだ。
なお私は3XC1、3XC2、3XC3、『TDR250(2YK)』、『TZR』の1KT、3MA(後方排気)、3XV(V型)と全部コレクションしているし、純レーサーの『TZ』も複数台持っている。それでも『R1-Z』を選ぶのは、これがある意味で一番『RZ』らしいからだ。
なおエルヴァがゾウケンを拾った世界で『R1-Z(3XC3)』を4台ほど(プラス、他のバイクやクルマなど。全部新品だ)を、手に入れている事は知っていた。だけどエルマに預けている事を、当の本人もエルマも綺麗さっぱり忘れていた。当然その事に私は気付いていたが、教えたのは『現象』が弱まって直接行けるようになった2008~9年頃だ。それらを売却して得た臨時ボーナスは彼女の新生活への良い資金になったのは言うまでもないだろう。
次の『ZXR400(L5)』は、ほぼノーマルだ。こちらはまだサーキットを走った事が無かったイリヤの、『GSX-R400』と揃えたもの。その走行を見て、どうして『Monster400』で転んだのか、どうして『私は2ストの方が合うと思う』と言うのかがわかった。二気筒のモンスターは彼女の想定外にエンブレが効き過ぎたのだ。
『YZF-R6(5MT)』と『CBR600RR(PC37)』の2台は、イリヤの『GSX-R750』や『GSX-R1000』と走るために買ったものだ。日本のライセンスは取っているが、レースに出た事はない。ドイツでは『YZF-R1(5VY)』と『YZF-R6(5SL)』を走らせていて、600ccのローカルレースには数回出ていた。なお『CBR600RR(PC37)』と『YZF-R1(5VY)』はお試しで手に入れたもので、走行会で走らせるだけで満足していた。
ともあれ『600』というバイクは、とにかく足着き性が最悪で、レーシングスーツをピシッと着て、底の厚いブーツを履かないと足が全然届かない。だけどピットを出たら、インするまで絶対に地面に足を着かない、つまりコケないと自分を叱咤激励できるからその意味での効果は高いようだ。
余談だけど、私が日本で乗っている『YZF-R6(5MT)』は、EU向けの『5MTB』で赤黒のモデルだ。2002年のこの頃、まだ日本版というのはなく、全部逆輸入車だったのだ。翌2003年にドイツで『5SL1』という黄黒の『YZF-R6(5SL)』を買った。そこで打ち止めにしようと思っっていたのに、2005年に再びモデル末期の『YZF-R6(5SL)』を買ってしまった。それが『5SLW』、つまりフランス版ロッシ限定カラーモデルだ。
私はある機会があって、ロッシのサインをタンクに書いて貰った。つまり限定スペシャルカラー『YZF-R46』の直筆サイン入りだ。そこがプラシーボなのか私的にはこの『5SL』が大好きで大満足していた。だから暫く我慢していた。だけどパミにストレスが溜まってそうだと言われ、翌々年の2006年に『2C01』という赤白の『YZF-R6(2C0)』を買い足した。
この『2C0』は、あれだけ満足していた『5SL』を一気に色褪せさせた。もう『Z』にヤラれたブラックバードの気分だった。しかもヤマハならこれだろと言えるストロボイエローはアメリカ限定で、漸く出て来た日本版はブラック一色だった。フザケているのか? 正直そう思った。
それはこの頃の『YZF-R6』が世界的に人気で、北米では『5SL』をリメイクした『4P6』が、『YZF-R6S』として3年間『2C0』と併売されていたからだ。この廉価路線は2009年に『FZ-6R(XJ6F)』に引き継がれた。それだけ年次改良され続ける『YZF-R6』が高額になってしまったという事なのだろう。
私は『マーケット(市場)とカスタマー(顧客)の乖離が大きくなった。600の終焉は近いな』と感じた。だからこれ以降、私はヤマハの600ccスーパースポーツには手を出していない。
以上のような件と『SR』『TW』好きな面からヤマハ党なところがあった事は否めない私だが、大型免許取得以降『ZEPHYR 750RS』を日本での『ちょっと気取った靴』にしている訳だから、北米では『ZZR600』と名乗る、黒と赤とライムグリーンに塗り分けた『ZX-6R(ZX600J)』と、真っ赤な『YZF600R(ThunderCat/4WE)』をスニーカーにしていた。
どちらも2002年に格安で買ったもので、必ずツナギを着てブーツを履いて乗っている。この2台はフロリダはココアの別荘でなく、ロスのマリブに近い別荘に置いている。場所が場所なので魔術装置や礼装が満載なのだが、裏返すと『そういう事を』するための実験車でもあった。
アメリカはどの州でも少し走れば人目が避けられるので、魔術の実験に適しているのだ。とは言え、中西部の田舎だと生活が楽しくない。その妥協点がマリブから山に入った場所にある自分で建てた別荘だった。そこは私の『工房』でもあるから、お兄ちゃん(2番目のアーチャー)以外の家族には知らせていない。
それでこの2台を実験車に選んだ理由は、どちらも『枯れたバイク』だったからだ。まず1994年に発売された『ThunderCat』は、発売以降2007年まで北米ではバリバリの現役車だった。どちらかと言えばツアラーと見做されるこのバイクは、まだスーパースポーツというジャンルが生まれる前から存在し、煮詰められ北米や欧州のファンに揉まれ愛されて来たバイクでもあった。それはフルカウルなのに、しっかりしたタンデムシートとグラブバー、荷掛けフックが付いていたからだ。
それと同じ存在に並んだのが『ZZR600』こと、北米版『ZX-6R(ZX600J)』だった。2000年発売のこのスーパースポーツも、割合『座れる』タンデムと、グラブバーが付いていた。『ThunderCat』の頃よりも時代が下り、純然としたスポーツツアラーより、もっとレーシングライクな『走れる』バイクがウケるように変化した。これはスポーツツアラー好きが多い欧州にも少し現れた傾向だった。
つまりそれは、ごく僅かな『サーキット大好きガチ勢』以外は、カッコ良く性能もバッチリ高く、けど何でも使える汎用性の高いスポーツバイクをこそ求めていたという事だ。だからツアラーモデルの『ZZR600』という看板を敢えて背負い、中身は『旧ZX-6R』という『J型』が、『B型』や『C型』が出た後も継続販売された訳だ(2006年まで)。
しかも私はこの『ZZR600』のエンジンを、欧州版の『ZX-6R/636A』という636ccのエンジンに換装していた。狙いは中低速のトルクをもっと増やすためだ。カワサキが正式に636ccを併売するようになたのは、この『636A』からだ(A・B・Cの三世代)。
『ThunderCat』はノーマル色の真っ赤なタイプで、外装は特に弄っていない。だけど北米版『ZZR600』はエンジンを換装する時に外装を塗り替えていた。基本色は黒に近いガンメタで、アンダーカウルの一番下、コーナーでフルバンクした時にしか見えない部分が蛍光のライムグリーンで縁取られたキャンディアップルレッドのファイアーパターンのなっている。
タンクの上部とリアカウルは、このファイアーパターンがもっと広がったカタチになっていて、そこに『川崎重工業汎用機』と隷書体で入っている。これは姉のイリヤに書いて貰ったものをスキャナーで取り込み、PC処理してから銅板に転写し、それを成型してエンブレムにしたものだ。
学園を日本番のミントに任せてしまえば、はっきり言って私は暇人だ。以前はそこに47番のエルヴァもいた。だから高3の1年間はかなり無理をさせた。そんな訳で今のミントには休暇として暇を出し、マリブの別荘を貸してあった。それで今回の並行世界移動の前にハンティントンビーチに引っ越したとメールがあって、そこがエルヴァさんとアントニーさんが暮らしているアパートだと気付き驚いている次第だ。
そこは一先ず措いて、その『ZZR600』のガンメタのカウルには、墨のようなマットブラックで梵字のタラーク(寅)を大きく描いてある。何故『寅』なのかというと私の誕生日1986年7月21日(昭和61年)の年の干支が十二支だと寅で、干支が丙寅となり、日の十二支も寅で干支も丙寅だからだ。陰陽五行だと丙は陽の火を現し、十二支の寅は陽の木で、相生(木生火)となる。
しかも九星で言うところの五黄の寅だ(五黄土星と干支の寅が重なる事を指す)。この36年に1回しか巡って来ない五黄の寅は『周囲を圧倒するほどの強大な運とチカラを持つ』とされる五黄土星の運気と、『強い正義感と信念を持ち、どんな困難も克服できる強靭な精神と行動力を併せ持つ』とされる寅年が合わさったものらしく、そこに21日の寅と丙寅が重なるからとんでもない豪運なのだそうだ。
これが日本の歴から来る運勢だけでなく、グレゴリオ暦で調べても占っても強運だから大概だ。姉のイリヤスフィールと1日違いの誕生日がこういう豪運を運んでくれた。名ばかりの寅は道を空けろ、大河。ここにおわすは本物の寅だ。というのは冗談でも、感謝の気持ちとお守り代わりの意味を込めてタラーク(寅)という梵字を描いた訳だ。
またタラークは虚空蔵菩薩の象徴でもある。なお、十三参りはこの方の知恵を授かるための行事だ。私とイリヤは着物を着てちゃんとお参りに行ったぞ。その時の説明を私は憶えていて、この菩薩様の化身が『明けの明星』とされている事もきちんと覚えていた。が、しかし西欧での『明けの明星』はルシファー(サタン)の象徴でもある。つまり私はこの『ZZR600』を身を捩(よじ)らすように走らせねばならない。
S30だけが『Z』ではないのだ。『Z』と来ればバイク好きは『カワサキ』となり、『ニンジャ』となるのだ。だからその黒い梵字の上に大きく縦書きの楷書で『忍者』と銀メッキで入れたのだ(下書き文字はイリヤ)。また、私は『世界の向こう側』へ消えたドラゴンの血を引く女でもある。ラグナセカでジャンプし、コークスクリューでフォークが捻れるほどの切り返しをするバイク乗りでもある。『スピードの向こう側』なんかちょろいわ。でしょ?
そんな戯言はともかく、こんな風に手広くあれこれしていれば、自ずと顔が広くなり次々と縁が生まれるものだ。そしてその縁が深まれば、やがて趣味のような個人情報まで周知される事になる。そうして友人知人を伝って勝手に流れて来る情報や物が自然と身の回りに増える事になる。
今回はそれが『FZ250 PHAZER』というバイクだった訳だけど、アサシンの彼のように自分の趣味でもないのに、情に絆(ほだ)され買い取って来てしまう場合もある。だけど、私はそこをキツく言えない。この現代社会で私に仕える事によって、彼らにも彼らの付き合いができ、縁が広がって行く訳だ。そこは認めてあげないないと。結局、人を使うってそういう事だからね。
そんな訳で、私が現在使っている18チームにも及ぶ百貌は(『現象』のせいで急激に増えた。以前は6チームだったのに)、各個性がてんでバラバラだった。まずイマーム担当(教団の導師)が結構異なっているし、傾向と言うか、集団が持つ色(カラー)もかなり異なっていた。幾つか似たパターンもあるけれど、概ねはバラバラと言って差し支えないだろう。
『お兄ちゃん達みたいに、座が違うのか?』と調べてみてもそうでもない。『自分が誰だかわからない』って、こちらが想像する以上に根が深いというのが実感だ。今までも好きに使ってくれと直したバイクをあげたり(90年代半ばからだから、アメリカンやストリートが多い)、お中元で溜まった素麺(意外とムスリムでも食べられる)をお裾分けしていたけれど、さすがに18チームは多い。
それでもバイク修理が出来るようになったアサシンもちらほら出て来たので、あれこれ教えたり工具を揃えてあげたりした甲斐はあった。不逞外人のヤードを襲って工具をかっぱらうくらいも、今は自主的にしてくれているので、窃盗団が激減したのは本当に良かった。
ちなみに昨夜ランサーとランスロットが帰らなかったのは、私のハサン達(特に古参の者達)が彼ら二人を誘って、この世界のヤードを襲撃したからだ。窃盗犯は全員警察に突き出し、盗難車両も綺麗なら警察へ届けたと報告を受けている。ただし工具や道具は私のハサンが総て回収しているだろう。これは修理が必要な車両やパーツにバラされたものもだ。
と言うのは、要修理な損壊車両やパーツにバラされたものは自分達で分けて業者に売るなり、オークションに掛けるなり自由にお金に換えて良い事にしてあったからだ。彼らはそれらを修理し、海を越えての密輸や密売を行っている。私がそうさせたのだ。何故ならここまで人数が増えると、収入面からもそこは目を瞑ってあげるしかなかったからだ。
なお、この古参のハサンとは、時臣小父様の元サーヴァントだったハサンだけを指す場合と、縁あって後年私が仲間に迎えた5騎のハサンを含めた6騎を指す場合がある。残る12騎は、この『現象事件』で新たに仲間に加わった人達で、古参から新人とか新米と呼ばれている。
それでアオレアールもほぼ同時期に、12~14騎のハサンを迎えていた。『現象』の大盤振る舞いだ。だけど百貌はそれだけ役に立つ。もはや私になくてはならない貴重な人材で、大切な仲間だった。そこはアオレアールもエルマも同じだろう。またエルマはエルヴァの良いところばかりを見習っているので、彼女のハサン達はとても伸び伸びしているように感じた。
というのは、どこのティーダバーだというような、いわゆるスカチューンが流行る前の試行錯誤が垣間見える、少し懐かしい『TW200』や『TW225』、それ風な『FTR223』に乗っているエルマのハサンを数回見掛けたからだ。私が日本に来たのが1994年の秋だ。それから11年。色々なタイプが流行っては消えていった。
8歳だった私も、この7月で19歳になる訳だから。時が経つのは早いものだね。そしてエルマ、ヴンダー、トロンメルという三人のホムンクルスには、第6世代の集大成として様々な知識を与えた。そこが活かされたという事だろう。どれだけ自分のハサンに『教育』をしたのだあの子は? だって見掛けたバイクは全部きちんとメンテされている事がわかったから。これは立派な事だ。
例えば『SR』なら『XT』時代にあったハブのOリングが端折られたりしているので、長持ちさせるならそのOリングを買って来て自分でハメないといけない。これはピボットのグリスアップと同じくらい大切な事で、『SR』乗りなら皆んな知っている事だ。
そしてこのようにバイク毎にメンテ上欠かせない、押さえておくべき肝所(かんどころ/勘所とも)がある。そこをあの子のハサンはきちんと教わってるように見えたのだ。つまり『専科百般』を現代に合うよう、拡大させ伸ばしているのだ。王様が贈ったという、エルヴァの『TW』は今ランサーが主に使っているらしいが、それをメンテしたり部品交換しているのはバイク屋さんでなく、エルマか彼女のハサンだろう。
それがわかっていたから、エルヴァも安心してバイクを置いて行ったのだ。でなければ、一旦登録を外し、エルマの宝具へ収めさせていた筈だからだ。ゾウケンをステッキにした魔術師は、礼装制作だけでなくメカ全般に強いのだ。だから家事や炊事は後から覚えたものであり、エルヴァが教えたものだ。
物事を大袈裟に捉え、立ち止まる傾向にあった47番の背中を押せる『英霊の姉』。47番が持つ引き出しをどんどん開けて、気付かせつつ吸収していく『妹』。そこにトロンメルも入るから、良い『姉妹』だよ、あの四人は本当────。
それから所々で休憩という名の寄り道をして天橋立に着いたのはお昼頃だった。昼食は要らないとアーチャーに電話を入れてあったので、適当に海鮮の食事を摂ってから展望台に登った。
「どこのホテルに泊ったの?」
とパミ。
「ホテルじゃなくて旅館だったよ。でもどこだあったかなぁ? 姉さんやランサーとあそこに見える松の木の下を歩いたのと、部屋に露天風呂があったのと、朝のおかかの梅干しが美味しかったのは憶えているけれど……」
展望台からだと、どこの旅館に泊まったのか全然わからなかった。だけど松林の下を歩いたのは思い出せた。だから展望台から降りたら、松林の下を三人でのんびりと歩いたのだった。