『[\\ \\]って事は1986年製ですね? バースイヤーモデルですか?』
『だから、何でZippoの刻印を見ただけでわかるんだよ、お前は? タバコを吸わないんだろ?』
『ああ、答えは簡単です。[・]が50年代から60年代、[|]が60年代半ばから70年代頭、その次が[/]、創業50周年の82年から[\]で、その次がアルファベットにローマ数字、今はアルファベットにアラビア数字だと大雑把に知っているからです。私の父がジッポーを含めたオイルライターのコレクターなんですよね』
『おいおい。そっちはオヤジからして何か違うな?』
『まぁ、今はビルのペントハウス脇の業務用クリーナーが設置してある専用喫煙室で、猫を撫でながらタバコを吸っているような人です。副流煙被害を受ける猫が可哀想ですね』
お昼を頂いた後、僕達は休憩を取っていた。とにかくエルマとお祖父様、それとアダムの手綱を締めないと、何時までも作業を止めないんだ。どうもここ数日の間に『ヤル気』をかなり貯めていたみたいで、あのエルヴァの助手が追いつかないから、人形という『エルさん』までもが手伝っていたくらいだ。
アントニーとアストルフォが手を出せずに居るほど内容は難しいものらしい。となると僕と衛宮なんかは静かに見守る以外無い。それが朝の9時から昼の1時までだった。本当、声を掛けないとお昼抜きで続けていたんじゃないかな? それで2時から3時まで休憩して、その後は5時で一旦終わらせようと話していたところだ。
それで先程のはエルヴァと『エルさん』の休憩中の会話だけど、それを聞いている衛宮が目を丸くしていた。これは聞いていて僕も驚いた。『エルさん』のジッポーの製造年まで知っているというアンテナの広さや、範囲にではない。そんなのこの人なら『有り得る話』でしかない。それよりも幽霊としての存在でしか話した事がない、『魔術師殺し』とまで異名を誇った人の『その後』が、まるで縁側で日向ぼっこするお爺さんのように聞こえたからだ。
たしかに衛宮は晩年のオヤジさんを思い返す時『ジイさん』と呼ぶ場合があった。だけどそれも聖杯の呪いにヤラれていたからだと今ならわかっている。となると『エルさん』は第四次聖杯戦争での流れをまったく変えたのだと想像できてしまう。当時は7~8歳だろう。だけどこの人がアインツベルンの総裁に就任したのは、日本に来る前だとも聞いていた。
だからこそ、その後の歴史が奇想天外で、何を聞いても面白いのだった。例えばそれは『エルさん』の家族構成だ。まさか下に三人も妹さんが居るなんて。しかも一番下の子は現在穂群原学園初等部の3年生だという。『学園に附属小学校が!?』『僕は倫敦だとお祖父様に聞いているけれど、そこの衛宮はどうなったんだ?』と、気になる事ばかりだった。
と、同時に『エルさん』は小学校の習字が3年生から始まる事や、4年生からクラブ活動が、5年生から委員会が始まるなどの、もうすっかり忘れてしまっている『僕らに取ってはどうでもいい情報』まで混ぜ込んで話すのだ。だけど衛宮はその雑音と言って良い情報を嬉しそうに聞いていた。
『そうか、その美遊っていう妹さんは習字を楽しみにしているんだな』
『はい。この子の上の子達が今6年生なものですから、一緒に通えるこの1年を、幼いなりにとても大切に考えています。明日も同じ日が来るとは限らない事を、あの年齢で理解できているのは偉いと思いますね』
そこか……そこを衛宮は『ジイさんの子供』という表面的な感情移入以外の部分でも聞いていたんだな。何と言えば良いんだろう。衛宮は普段、機械的にしか動けない奴だけど、リアルな時の流れみたいなのはきちんと肌で感じている。そこがこいつの変なところなのだった。
『遠坂司郎。それがあなたの本名です。またこの姓から察する通り、あなたは遠坂凛さんの遠縁にあたります』
なんて爆弾を落として来る『エルさん』。だけど衛宮は至極冷静だった。そしてその『遠坂司郎』には姉がいて、その名を『遠坂志保』、または『未遠志保』と言うらしい事も教えてくれた。元々冬木に根ざす遠坂一族は平安時代に都に出て安倍晴明の弟子となった『遠坂時貞』が、その陰陽道と秘技を護るために遠坂神社を創建した事から始まったのだそうだ。
『間桐より古いんだ? じゃ、遠坂の六代って何だ?』
と、これは僕。
『大聖杯設置のために日本にマキリとやって来たアインツベルンと、見聞役のゼルリッチ翁を逗留させてくれた冬木村の庄屋さんが凛さんのご先祖の筈です。つまり神社側の遠坂と分かれた家系で、西欧魔術にハマった分家と言うか新宅ですね』
この新宅とは新しく建てた家という意味と、地方での分家を指す言葉の意味の二通りがある。この場合、本家が神社側の遠坂だから、魔術を受け継ぐ遠坂の家は、分家の分家も良いところだろう。庄屋だったそうだから、江戸時代からの土地持ちで、侍と農民との間を取り持つ顔役でもあったようだ。
『ズバリ聞くよ? その志保さんが未遠と名を換えたのは、その秘技を受け継いだ証を得られたからかい?』
衛宮がハッとした顔をし、『エルさん』はニヤリと笑った。だから僕はそれは何だと促した。答えは『一度見たものを、精神的な蔵に収め、それをいつでも好きな時に再現できる』というものだった。
『固有結界か!?』
『シロウの投影魔術ってそこから?』
エルヴァが叫び、アントニーが気付いた。それに対して『エルさん』が頷いた。
『そうか、その事を知っていたから、固有結界を召喚術の一種ではないかと言ったんだな?』
『そうです。死徒などの精霊種が行う固有結界とは明らかに異なります。それも召喚というより、世界と世界を繋ぐ門を開くようなものに近いと感じます』
『なるほどな』
そういう事か。それは第二魔法も召喚術ではないかと言い出す訳だ。きっとそれを根拠として理論を何度も考察したんだろう。
『ලෝකය ලස්සනය』
上の『 』内の文字が表記されているだろうか? もし何も出ないならそれは機器に内蔵された言語の制限だから心配しなくてもいい。『 』の中にはシンハラ語のシンハラ文字が描かれている。タミル語だとこうだ。『உலகம் அழகானது』。ドイツ語だとこう。『die Welt ist schön』。英語だとこうだ。『the world is beautiful』。
日本語には誰でも訳せると思うが、念のために言うと『世界は美しい』だ。そんな素敵な言葉が、駐車場に置いてあったバイクのカウルに、シンハラ文字で描いてあったのだ。スリランカでしか見ない、かなりの少数言語だよ? それを訳せるパミも大概だが(お茶の買付で覚えたらしく、簡単な言葉なら読めるそうだ。いつの間に……?)、それをバイクのカウルに描く人って何者だ?
すると『エル』がそのバイクの反対側に回って教えてくれた。カウルの反対側には『العالم جميل』と描かれてあった。アラビア文字だった。
「私のハサンです」
え?
「この隣のバイクも?」
「はい。ほら」
『エル』が『ほら』と、こっそり後ろ向きで指した先には売店があって、そこでアイスクリームを美味しそうに食べている三人のアラブ人が居た。私とパミは事情を察してサッと後ろを向いた。三人は『エル』のアサシンだったのだ。私達は彼らを気遣って自分達のバイクの方に歩いて行った。
ここは『エル』が言うには『道の駅』という休憩所らしい。そこでお手洗いを借りていたのだ。普通の道路なのにアウトバーンみたいな休憩所があるなんて。しかも無料だからパミが個室で声を出して驚いていた。。
「あれって『HONDA NX250』……なのかな?」
「はい。日本だと『AX-1』と言います。日本に来る前にマアエモ・ママが推していたバイクですよ」
ああ、聖杯戦争中の移動用に……。そうか、これだったのか。
「ええ。結局『CBR900R』と『SEROW』に決まったのは知っての通りです。何故アサシンがという理由は、250ccのこれと、『NX650 Dominator』にそっくりな125ccの、『NX125』が私、結構好きでして……」
ああ……。
「アサシンに買ってあげたんだ?」
「微妙に違うというか……まぁ、結果はそうですけど、あの三人はあなた方もお世話になった筈ですよ?」
うん? あ!
「あの三人もあなたが譲り受けたっていうトオサカのアサシン?」
「はい。あの横に並んで置いてあった黄色と赤のバイクも彼らのものです」
へぇ。
「あれは知らないわね」
「それはそうでしょう。あれは『YAMAHA BRONCO』。『XT225(SEROW)』を元にした日本専売品です。正確に話すと、日本に来た時、『AX-1』の最終型がまだ売られていたんですね。それを買った時に、『乗れる人が乗って』ともう1台買ったのです。それを彼が今も大切に使ってくれているのと、他に当時バイクに興味があると話してくれた10数人のハサンに『SEROW』を揃えたのですが、97年のいっときにしか出ていなかった『BRONCO』を、私が気に入ってたくさん買ったのを彼らの中の何人かが知っていて。それで自分でお金を貯めて中古で買ったらしいです」
「なるほど」
だから『微妙に違い』『結果はそう』なった訳だ。なお、コレクターな『エル』は『AX-1』を2台持っているらしく、1台は新車で買ったもので、もう1台は87年のロスマンズ・カラーだという。よくそんなの手に入ったものだ。でも、確かにあのカンパニョーロのようなホイールはオシャレだと私も思う。
そして『BRONCO』の方は特注カラーを含めた全12色を揃えているらしい。しかもそれ以外に、レギュラーカラーだった黄色を2台と銀色を1台持っているそうだ。きっとその黄色が『エル』のメインなんだろうね。似たような色の『TW』や『XT225』と並んでよく乗っていると話していたし、そもそもあの子は黄色が大好きだ。
また、『NX125』だけでなく『SUZUKI DJEBEL 125』も結構好きらしく、派生車種の『DF125E』も持っているらしい。何だそれと聞けば、オーストラリアやニュージーランドで見掛ける農業バイク、『SUZUKI DR200SE Trojan』の日本版、それの125ccタイプだった。これは珍しい。欧州では『HONDA Super Cub』と同じくらい見ないバイクだ。
とは言え、さっきから迷彩柄の『Trojan』も『Cub』も、そこかしこで見掛けるのだけど。日本は本当に独特だなぁ。聖杯戦争の頃はやたらチョッパーを見掛けた。だけど今はそんなのを全然見掛けない。その代わり『エル』とパミがドイツで乗っている『TW』をよく見かける。それも妙な改造をした。
『エル』はドイツだと私やパミと同じ『YAMAHA FZ6』や、『SR500』に『SUZUKI LS-650(サベージ 650)』、これまた私と同じ『KAWASAKI ZR-7S』に乗る事が多いのに。国によって『モード』が変わって、好きなものが変化するって本当の事だったんだ?
だけどその感覚が混ざる事もあるらしく、『エル』はドイツにカウルのない方の『ZR-7』を置いていて、そちらは『MACH IV(H2)』のようなデザインにして大切に保管していた。それもドイツらしい基本の色を昏いカッパーのメッキにして(アンティーク・カッパー)、そこに72年型のようなレインボーラインを入れている。そのラインは上がライトなガンメタ(ニッケルメッキ)で、下がダークなガンメタ・メッキだった。ラインを縁取る部分はシルバーメッキだ。それで『KAWASAKI』のロゴは自作のステッカーで鱗地にシルバーにしてある。そこに白の縁取りだ。
(本当は『Z750GP』のような赤いローソン・レプリカ・カラーにしたかったらしい。だけどそれこそ『ZRX1100』や『ZRX1200R』で出来る事だと気付いて、『H2』のレインボーラインにしたという。別のアイデアもあるらしいので、『ZR-7S』を買うかもしれないと言っていた)
このセンスが良いのか悪いのかよくわからない、本人は年齢的にまだ乗れないバイクを、どうした事か『売ってくれ』『同じものを作れないか?』と尋ねて来る人が、何人か出ていた。それで『エル』は仕方なく取引先の人の『ZR-7』を同じ仕様にした。勿論色合いはご本人と相談の上でだ。
そしてそれがこれまたどういう経緯かバイク雑誌に取り上げられ、結構噂になってしまった。それでその雑誌をイルマが見て、誰のカスタムだと調べて、お祖父様に報告しちゃったのだ。で、今まで何をしても叱られるか小言を言われる『エル』個人に、バイクの外装カスタムの依頼がお祖父様から入って来た。それを仕上げたのが昨年の秋だったかな?
そこからは口コミが広まって、とうとうマンハイムの会社を突き止める人まで現れた。だけど行ってみれば、そこはバイクショップやペイントショップでなく食品会社だ。おまけに一部で『ZR-7』の人気が高まりつつあるとかないとか。どういうブームだ?
『エル』はそういう凝り性なところがある。もっと言えばそういう『のめり込む性格』だと知っていたから、食品を扱っていても卸売のみで小売事業はしない、商品紹介のアンテナショップを開いても飲食業には手を出さないって三人で決めたのだ。それに今なんて運送や配送、インフラ事業の方が売上が高いしね。
それはともかく、『ショップの人の苦労がわかった。自分のだから楽しいのであって、人のなんてそこまで真剣にできないよ。でも金銭が発生するから責任感でやるんだけど、労力の割に儲からないし。霊脈を弄ったり、食品品開発している方が何倍も楽しいし儲かる。もう人からの依頼なんて受けない』って憮然としていた。
それはそうだろう。『エル』は何を考えたのか、日本の『ZEPHYR』や『ZRX』のタンクを流用して、より格好良くなるように溶接で切り貼りしていたからだ。そこまで相手の要望を聞くって、どれだけサービス精神旺盛なのだ。なお、『エル』が錬金術を使った鍍金ばかりするのは、流体を扱う塗装に苦手意識があるのと、下地作りや磨きが面倒くさいからだ。また、あの時計塔のケイネス先生に塗装で負けたからでもある。
この先生は流体の扱いが上手いというだけでなく、意外と手先が器用な人なのだった。長年鉱石科の講師を務めているだけに金属にも詳しい。勿論、こういうバイクとは無縁だし、バイクには乗らない人だけれど、溶接も教えれば上手にできそうな人でもある。何をしても卒なくこなすのはさすが『元神童』だった。
とは言え、『エル』のメッキは抜群だった。こっちは先生でも敵わないという。あのお姉さんにドイツで乗って頂いた『SR500』の端っこが黒ずんでくすんだアンティーク調の銅色も、塗装でなく全部メッキなのだ。よくあんな面倒くさい事をするもんだと驚くよ。
やがて彼ら(アサシンら)のアイスクリームが消えて、良い頃合いになったので『道の駅』から出た。すると、三台のオフロードバイクが跡を追って来ているのがミラー越しに見えた。
(あれって、オフ車なのにタコメーターがあったね?)
パミからの念話だ。『エル』の言う『AX-1』の事らしい。前を走る『エル』の『SRX600』が眩しいな。メッキだらけだから午後の太陽を思っきり反射しているのだ。ガードというのかな? 光の当たらない場所に入ったので助かった。だけどそんなタイミングで『プァアアァ~~ン』とF1みたいな音が響いた。
(何の音?)
(これも日本にしかない特殊なバイクです。250ccの四気筒ですよ)
(ええ!? たったの250ccなのに四気筒?!)
パミと『エル』だ。250ccで四気筒……? これは私も驚いた。そう思ったら漸く、音のヌシと擦れ違った。お、遅い? ああ、回転でパワーを稼いでいる訳ね。ストロークも短いだろうから、トルクが細そう。
〈遅いんじゃないの?〉
(ご覧の通り、遅いですよ。あの音に痺れる人が選ぶバイクです。モーターみたいに回してトルクとパワーを絞り出すバイクですから、発進ももたつきますし、特性もピーキーですね。例えるなら軽自動車に無理矢理DOHCのV10やV12を押し込んだような存在です。つまりその精密さと官能的な音を楽しむバイクです。ですけど、そのピーキーさが許容できて、マメなシフトが楽しいと思える人なら、回しきれるバイクですから爽快感はかなりありますよ)
ああ、なるほど。600や1000だとサーキットにでも行かないと速度が出過ぎちゃうものね。そういうニーズが日本にはあるんだ? さすがバイク王国日本だわ。昨日遊んだトリッカーだっけ。単気筒エンジンのちゃんと使えるバイクも作れるのに、コストと重量の嵩(かさ)む四気筒にしちゃうんだね。でもどうしてそんな小排気量の四気筒なんて生まれて来たんだろう?
〈どうして250ccで四気筒なんて?〉
(4ストに拘ったホンダが、60年代に125の五気筒や、250の六気筒エンジンをレース用に走らせた実績があるからですよ。ヘイルウッドやアゴスチーニがアグスタに跨っていた頃です)
お祖父様が『イェーイ!』と絶好調の頃だ。
(それと大型で六気筒のバイクを最初に市販したのはホンダとカワサキ、そしてイタリアのベネリです。どちらも海に囲まれた、狭い道が多い国であり、その昔は自転車大国でもありました。トマトソースとケチャップくらい国民性は異なりますが、ベースは似通う部分もあるのですね)
なるほど。
(またそういう高回転エンジンこそがホンダだというのを日本人が刷り込まれて居ますからね。その結果が80年代のF-1です。今のF-1がつまらないのは、妙ちきりんなルールでホンダを縛って追い出したいからです。そこからデタラメな温暖化などのエコ詐欺と絡めて、自国の自動車産業を守ろうと、余計におかしなルールにするのは目に見えています。断言しますよ。タバコ会社のスポンサーも数年以内で撤退します)
『エル』は日本で育ったからか、どうにも日本贔屓なところがある。だけれど環境詐欺は元来、ディーゼル主体のEUのクルマを売りたいがためのインチキから始まったものと知ってしまえば、その先も読めるものだ。私とパミはドイツを含んだEUの産業を守りたい。
だからこそ、温暖化などの環境問題がインチキだというデータも、私達の『イヴ』がとっくに調べ上げて証拠も揃えてあったのだ。その上で環境問題を解決する触媒を売りに出した。技術は売らず、触媒を仕込んだボックスを売り出したのだ。そしてそれは今やほとんどのメーカーが取り付けていた。私達が大儲けしているもう一つの柱がこの触媒だった。
それと『エル』が作ったこの触媒で各自動車メーカーを味方に付けつつ、裏からEU議会を脅しつけたりもした。つまり議会を裏から操っていた『人間でないアイツラ』を、私達は次々と『assassinate(アサシネート/暗殺という意味。アサシンから作られた言葉だ)』したのだ。
『エル』や私達が南米やアフリカに度々行くのも、EUやアメリカから逃亡した『アイツラ』トカゲを抹殺するためだった。王様がヘビを嫌う理由もヘビ人間やトカゲ人間といった、私達人類を人工進化させ、裏で牛耳る『アイツラ』を嫌っていたからだ。
(『エル』も250の四気筒って持ってるの?)
と、これはパミ。
(ありますよ。戻ったら出してあげましょうか?)
(うん!)
へぇ、これは楽しみだ。
(それと『エル』?)
またまたパミだ。
(何ですか?)
(さっきからチラチラ走ってる『Cub』なんだけど。スズキやヤマハも『Cub』を作っているの?)
すると『SUZUKI』は『Birdie』、『YAMAHA』は『Mate』だと『エル』から即座に訂正が入った。しかもクドクドと『Cub』と『Mate』と『Birdie』の違いをパミは説明されていた。私も気になっていたんだ。『YAMAHA』とか『SUZUKI』とか描かれた『Cub』を見掛けたから。うっかり言わなくて良かったよ……。
だけどそのくどいお説教から、『エル』が郵便配達用の『Mate』が好きな事はわかった。赤く塗れないからショッキングピンクにしたいという事も。『エル』は何でも持っているなぁ。
そんな四気筒バイクの名を『エル』は『Jinme』と『Kujira』と言った。
(Jinme?)
(ええ。神の馬です。バイクに跨ってタンクの左が青、真ん中が白、右が赤とトリコロールにしてあって、左のロゴが『Xanthus』、右のロゴには『Balios』です)
ギリシア神話だ。真ん中の白は間違いなく『Pēdasos(ペーダソス)』だ。このペーダソスと『Pegasus(ペーガソス)』との関係はわからないが、寿命はあったとされるから同じ『天馬』ではないだろう。因んで名付けられたのだと思う。ただ、ここでアキレウスの戦車を曳くあの馬を想像するようでは甘い。『エル』はもっと捻ってくる。
とは言え、神話にはアキレウスが三頭の馬をどういう順番に戦車に繋いだのかは出て来ない。ただ、真ん中がペーダソスだったとあるだけだ。そしてアメリカのエルヴァとエルマやランサー達は、そのアキレウスの戦車を見ている。
〈どっちも『Zephyros』の子だよね?〉
(ハハッ……わかりましたか?)
当たった。そうなのだ。もう一つのギリシア神話に、トロイア王ラーオメドーンと精霊との間にできた長男(王太子)ブーコリオーンの子の名がペーダソスで、トロイア戦争の時に長男ペーダソスや次男のアイセーポスを討ち取ったのが、ギリシア軍のヘーラクレースとされている。
また、西風の神もご多分に漏れないヤリチンで、何を思ってか怪鳥『Harpyia(英語でいうハーピー)』とヤッてしまった。それで生まれた仔が二頭の神馬、『Xanthus』と『Balios』だ。そして西風の神の名が『Zephyros(ゼピュロス)』。英語読みで『Zephyr(ゼファー)』。きっとこれだろう。
(皆さん、お元気ですか? 失礼します)
〈は?〉
(懐かCMで見たセフィーロのコマーシャルです)
どうやら日本で流れていたニッサンのクルマのCMらしい。車名の『Cefiro(セーフィロ)』はスペイン語で、セフィーロとは発音しない。そしてその意味は、これまた英語の『Zephyr』だった。そんなCMの事を私やパミが知るわけない。だけど『Zephyr』とは神の名である他に『そよ風(微風)』という意味がある事を私とパミは知っている。
だから『ZEPHYR』が懐古趣味から発案された、遅くても良いから風を感じられる楽しいバイクを目指して作られたのは間違いない。だからネイキッドバイクなのは理に適っている。それで幾つか想定した目標の中に『Z1』が入っていたというだけで、2本マフラーや異径メーターからも、当初はそこまで寄せようとは考えていなかったと思われる。
ところが実際にお金を出すお客の方はどこまでも現代版『Z1』を求めた。それがファイアーボールなどのカラーだ。また日本が400なら欧州や北米では550が先行販売されていた。後に750や1100が出たのも世界中のファンが求めたからだ。カウルの付いたバイクだけがバイクじゃない。
そんな当たり前の事をアカシにある会社は思い出させてくれたのだ。だから『エル』は750だけでなく、ランサーに貸した1100までもファイアーボールにしていた。あれこそがファン心理なのだろう。
後、豆知識として。ドイツ語圏のバイク好きは『ZEPHYR』を『C4』と表す場合がある。これは私達ドイツ人の耳に『ZEPHYR』は『C4(ツェフォァ)』と聞こえなくもないからだ。またこれは『エル』から聞いたのだけど、日本では大昔の『HONDA Dream CB400FOUR』を『ヨンフォア(400ccの四気筒から)』や『フォーイン(4into1から)』と親しみを込めて呼んでいたそうだ。
先程も述べたが、『ZEPHYR』は90年代の初頭からEUや北米に輸出されてどこの国でも好評だった。だけど96年のケルンショーでお披露目された『ZRX1100』に随時置き換えられていった、結構短命な機種だったのだ。だけど、やはりあのレトロなスタイルを好む層と、750や550の扱いやすさを好む人はどこにでも居て、英国だと97~8年に『ZEPHYR』が消えたのにも関わらず、倫敦ではよく見掛けた記憶がある。
幸いドイツでは2000年まで販売されていて、多分これは日本を除けば北米と並ぶ販売期間の長さだ。つまりEU諸国の中で私達ドイツが一番『ZEPHYR』を愛していたのは間違いないと言える。だけど全体的な装備の古臭さは否めない。そんな理由から生まれたのが私の愛機『ZR-7S』な訳だ。日本では全然人気がなかった事も知っている。けれどこれほど扱いやすくて実用性の高いバイクは早々ないと思うな。
それでカウルのない『ZR-7』が出た世紀末に、私はバイク屋へいの一番で注文した。だというのに、いざ納車を受けたら、初期ロットのほとんど最後だったらしい。皆んな進化した『ZEPHYR』を待っていたのだ。だから私は、次は550ccの『ZR-5』が出ないかなと期待していたくらいだ。
で、『エル』が何処かから『ZEPHYR 550』の中古を引っ張って来てくれたので、私達は『ZR-7』と550エンジンを載せ替えてみた。一人で走らせるだけでなく、まだ中学生くらいのパミや『エル』を後ろに乗せて試してもみた。結果は、550ccだと『役不足(力不足)』で、750ccだとピッタリだった。
『エル』とパミは『750ccにしては馬力がないのと、キャブの反応がいい感じに鈍いので600ccくらいの排気量に思える。扱いやすいと感じるのはそこと、このデザインなのではないか』と指摘していた。私もそうだと思った。またEU圏内各国の、ライダーの年齢と経験値から算出された、段階的な馬力規制に一番対応していたマシーンが、『ZEPHYR 750』とこの『ZR-7』だった点も見逃せない。
どちらのバイクも、キャブをちょっとイジるだけでどうにでも対応出来たのだ。裏返せばジェットやニードルを交換するだけで、76馬力まで出たのである(日本の純正で68馬力。国によっては50馬力や27馬力にまで落とされていた。当然、『エル』も私もキャブをイジって76馬力仕様にしてあった)。
『Z1』なども持っていて、SSでサーキットも走る『エル』が、今も『ZEPHYR 750』が最高と言うのは、こういう事を『経験』し、『体感』してきたからだ。そういう事の積み重ねがライダーを育てるのだ。だから私も、今後他のバイクを買ったとしても、『ZR-7S』だけはずっと持ち続けている気がしていた。
なお、この時の『ZEPHYR 550』はパミのものとなり、今もあの子専用の屋敷の地下にあるガレージに置いてある。コツコツとカスタムしているらしいが、私はまだ完成品を見ていない。まぁその内見れるだろう。
(その昔、カワサキにザンザスというバイクがありました)
名付けたのはカワサキだったのか!?
(で、その250cc四気筒のサイドカバーには断頭台と双頭の鷲と百合を描いています)
皮肉が効き過ぎ!!
(しかも、そのテレジア号の断頭台の横にはアインツベルンの紋章を)
おい! この意味、説明しなくてもわかるよね? タンクを真上から見た色から来るイメージを茶化しているのだ。そしてついでにヨーロッパ全体の歴史を馬鹿にしている。テレジア号って絶対にマリア・テレジアから取った名だよね? 本当に怖いもの知らずだ。テレジアって誰だと思った人は肖像画などを調べてみて。とんでもない美人が出て来るから。
若い頃の彼女はおそらく私の知る西欧人の中でも1~2位を競う美人だ。また、人に拠っては彼女の妹であるマリア・アンナの方が美人だと思うかもしれない。どちらにせよ、歴史の中でこの美人姉妹は揉まれに揉まれた。そんな中でも強く生きたからマリア・テレジアの名は今に残るのだ。
ちなみにナスビ顔な王家はスペインの方で、テレジアの居たオーストリアはテレジアの母親か祖母の代からマシなのだった(でないとテレジアみたいな美人は生まれてこない)。だけどテレジアの娘であるマリー・アントワネットは若干顔が長い(断頭台の意味はそういう事だ)。中々ナスビの呪いは抜け出せないのだった。
(『Jinme』はわかったけど、『Kujira』は何?)
と、パミ。絶対こいつ『KAWASAKI JINME』って名前で脳にインプットした。
(『Kujira』は『Delfin(デルフィン)』の事で、その『Delfin』をモチーフにしたバイクだから、私がそう呼んでいるだけです。別名『Meerschwein』です)
メーア・シュバイン? 私達ドイツ系の人間は大きな湖を『der See』と呼び、川の流れつく海を『das Meer』と呼びわけている。なお、冠詞に『die』と付く海は北海とバルト海だけだ。それはドイツの地図を見ればわかるだろう。また日本語の漢字でデルフィンを海豚と表す事がわかった。そしてそのデルフィンが跳ねる姿がモチーフなのは本当らしい。
(へぇ~。海豚。可愛いね?)
パミは牧場の子豚を可愛いと言いつつ、親の脚(シュバイネハクセ)を美味しい美味しいと食べる女だ。まぁ、私もブリテンではイノシシみたいなブタをよく食べたよ。ご馳走だったしね。
(先日、人様から譲り受けたのを妹にプレゼントしたのですが、もう1台私個人のものがありますから、パミにあげましょうか?)
(欲しい、欲しい!)
おいおい。それ、ドイツで登録できるの?
〈それは良いけどさ、『エル』。ドイツでも走れそうな125ccに4ストの二気筒ってない?〉
こう聞いた理由は、私達の感覚だと、その125ccという排気量が日常の足だからだ。ただ2ストは何台かあるし、4ストの単気筒じゃつまらないと思っての質問だ。
(ありますよ、ほぼ中古ですが。まず欧州ですと『HONDA XL125V VARADERO』『VT125 SHADOW』、『YAMAHA XV125Virago』『XVS125 DragStar』がありますね。日本ですと『HONDA CD125T』と『CB125T』です。『CB125T』を見付けてドイツでカスタムしますか?)
なるほど。日本で中古を買ってドイツで乗ると……。あの触媒があるからユーロの排ガス規制も通る……フムフム。これはアリだね。ん? どうしてそんなのが良いんだって? 人と被らないし、家から会社まで近いから、そういう小さなバイクの方が楽なんだよね。
こう考えるに至った理由は、会社までの距離がクルマを使うほどではないとか、二人以上乗る必要もないのだからガソリン代が勿体ないとか、その点からもバイクが適しているから、などなど幾つかあるけれど、一番大きな理由は見た目通りの年齢で生きている、パミや『エル』が羨ましかったというのが大きかも知れない。
年齢を誤魔化して生きている私と違って、パミも『エル』も16歳でバイクの免許を取った。これはドイツの方が人形だ、日本の方が本物の『エル』だとかの話じゃない。そういう免許を取得するというようなイベントすらが、私の場合はデタラメであって、そこにそこはかとない後ろめたさがあるという意味だ。だから、より仕事熱心になるのだ。
そこで125ccだ。通勤にそういう初心者向けのバイクを使う事で、自分を戒めつつ初心を大切にしたいというか……。パミと『エル』がドイツで最初に『自分達のために買ったバイク』が『YAMAHA TW125』だった。日本ではそれの225cc版を買うとも話していた。パミに薦めたのは『エル』だ。『エル』のはイエロー、パミのはブルーだった。
これは正確に言うと日本で売られている225cc版とは異なっていて、もっと前の北米モデルと同じ200cc版のデザインのままだった。家に届いた時、正直野暮ったいバイクだなと思った。だけどライン川の畔にあるような砂地や、シュヴァルツヴァルトの草原や牧場、雪解けで泥濘んだ高地(南部)ドイツにはぴったりだと思った。
また北米ではそういう使われ方をするそうで、農業用のアギバイクみたいに考えられているらしい。ところがそんな『泥臭さ』が英国では敬遠され、昨年の2004年で販売が終わっていた。一方『エル』の説明に拠ると、日本では大人気なのだそうだ。その理由の一つが、北極まで日本人冒険家がこのバイクで行ったという実績と、アドヴェンチャーバイクとして出来が良かったという点、だけどそこを評価する人はごく少数の評論家だけで、96~97年頃までは中古が低価格で流れる不人気バイクだったという点も見逃せないという。
そんな諸々の理由から、このタイヤが大きく少し変わったアドヴェンチャーバイクを、カスタムの素材として目を付ける人々が徐々に増えた。冒険バイクとしてでなく、街中に埋もれがちな自分達を『ここに居るんだ』と主張したい者達や、現代のコンクリートジャングルを冒険したい者達の、『立体キャンバス』となっていったのだった。
またそこに応えるようにとあるショップがこのバイクを、そういう者達に向けて『ある型』にカスタムした。更にそんな折り、当時の若者の流行の兆しをTVドラマのプロデューサーが嗅ぎつけ、人気アイドルが演じる主人公が乗るバイクとしてそのカスタム・ショップのバイクを起用した。
(ドラマの放送は2000年。つまりアンテナの敏感な若者達は2~3年は早く動き出してたし、ヤマハもその兆しに応えるべく行動していた)
たった1年だ。1997年から1998年のたった1年でヤマハはその角目の『TW200』のヘッドライトを、後の主人公のような丸目に換えた(4CS後期→5LB)。更に2002年になると200ccから225ccに排気量を上げた新型を出してきた。日本の『エル』が買ったのもその新型で、タンクの色は同じイエローだという。
そんな風にメーカーの方針というか方策が切り替わるほど、その『ある型』のカスタムが日本では流行った訳だ。社員を食わせなきゃならない会社が、エンジニアの意向を無視して売上に走るのは理解できる。だけどガチの登山靴の靴紐を外して街中で履くのが流行ったからと、皆んなが皆んなそれを真似する必要はないと思う。
元は登山靴であった事を忘れ、紐を外し(クリーナー外しやマフラー交換の事)て燃調が合わないなんてボヤくのは言語道断だと『エル』は言う。しかも中古で流れる『TW』はオイルが換えてあればマシな方で、タペット調整(バルブクリアランス調整)はされていない、カムチェーンもクラッチも調整されていないおかしなのばかりだという。
『エル』もパミもそういうのはきっちり点検し調整している。でないと『TWはレバーで足りないクラッチの引き代を、クラッチ側で行わないといけない構造で、その度にクラッチ側のガスケット代が飛ぶ』なんて言葉は出て来ない筈だからだ。まぁ、燃調なんてキャブを少し触ったら合わせられるものだけど、わかっていない人が触って、ニードルを折ったり、ダイヤフラムを破いたりする人がチラホラ居るそうだ。
カスタムするのは良いけれど、最低限のメンテをして、調子は整えてあげて欲しいと私でも思う。『餌(ガソリンやオイル)をあげないと動かなくなるのは理解できても、正しい混合気を送り込める環境に持って行かないと死んでしまう、少し飼うのが難しいペットとは考えないんですね』とも話していた。
単気筒なんて簡単だろうに。つまり『ファッション』なのね。長く乗る気もないし、バイクやクルマがずっと遺すべき文化的遺産だとも考えられない訳だ。『買う』と言うのは、いっときの『使用権』を得る事であり、セカンドオーナーにきちんとした状態で譲り渡す『義務』が生じるのだ。少なからず私達西欧人はそう考える。
そんな人達がバイク王国のこれからを担う若者だと思うと悲しくなるのだそうだ。この先はネットの発達で情報に踊らされて、一つの事に集中できないし、知識も足りない人達がもっと増える未来が待っているという。『エル』は『三ない運動は子供は守れたかも知れませんが、確実に遺すべき文化と精神性を殺しました。そして守られた子供達は、基幹産業が疲弊した社会に放り出され、就職難で嘆いているのがまさに今です』と嘆いていた。
それで普段は妙な改造をしない『エル』が、ここドイツでは角目を丸目に換え、もう少しトルクを稼げるマフラーに付け替えていた。それでバッテリーやエアクリーナーを一旦外し、フレームに入る大きさのアモボックス(弾薬箱)に収納して積むという、訳の分からない改造をしていた。どうもこれはある程度の深さのある水に入って走るためだったようだ。
まぁ、その計画は頓挫したみたいだけど。あの子もそういう失敗はあるよ。でもロッポンギやアカサカは知らないけどさ、あの子とパミはニューヨークにサンフランシスコ、シドニーにアデレード、パリにケルンにウィーンにモスクワ、ナイロビにカンパラ、サンチャゴにブエノスアイレス……。世界中を『TW』で走って商談を纏めて来るからね。ガソリンはアサシンのクルマが運ぶか、宝具の中にガソリン缶を置くんだけどさ。
あのCM撮影の後、『エル』とパミは仕事でザンビアへ行った。その時はルサカの街からビクトリアの滝まで『TW』で走ったという。ナンバーはどうしたって? そんなの決まっているよ。お金と魔術だよ。それとこの3年間の走行距離は、パミで3万km越え、『エル』で5万km越えだ。ところが日本で使っている『TW』は1万を少し越えたくらいだという。
これは、『今日はあれ、明日はこれ』と毎日違うのに乗るからと、日本では日本の価値観で動かざるを得ないから、自ずと『TW』では遠出しないからだという。これはドイツでも言えて、さすがの『エル』もドイツでは馬力の強いバイクを避けている。そういう免許しかまだ取得できない年齢だからだ。
(1996年から年齢(経験)に応じて段階的に取得するよう義務付けられた。ところが『エル』は日本だと『ZEPHYR 750RS』や『ZEPHYR 1100』に乗り、アメリカだと『SPORTSTER XL883R』に乗っているという。それも国際免許でなくその地の免許を正式に取得してだ。これなんか本当に不思議な現象だと思う。何故なら、そこに住んでいる事になっているからだ)
また3年で5万kmは過走行とは言えない。だってそれは平均して1日45kmという事だからだ。それ以上の距離を職場との往復で費やすドイツ人は多いし、自転車通勤や通学で費やす日本人も居るだろう。実際『エル』は、高校の3年間を自転車で1万km以上走っているそうだし、ロードバイクの中には地球一周分に相当する4万km以上を走ったものもあるという。
だから日頃のメンテナンスが大事だと心から考えている訳だ。私が『ZR-7S』を愛車にしているのも、自分でメンテ出来る枯れたバイクだからだ。リアのサスも1本だから楽だしね。なお『エル』が話していた250ccの四気筒、それの『KAWASAKI』の方は『BALIUS』というのが本当の名前で、やはりリアサスが1本なのだそうだ(A5)。後に2本になった時にガッカリしたという。
何か理由があるのだと思うけど、その話は私も聞いて不思議に思った。また『YAMAHA』の方が2本だったのも解せないという。あれと最初の『SRX』は1本で行くべきデザインだろうとの事だった。実車を見てないので何ともだけど、今『エル』が操る『SRX600』は確かにモノサスが似合っている。
ただ、第四次聖杯戦争で日本に行った頃は、少し前にそれまでのレーシーなバイクのブームが世界的に終わり、クラシックでトラディショナルなスタイルが復活を果たした頃だ。チョッパーがたくさん走っていたのは憶えているし、その流れの延長に『TW』のカスタムがあったのも想像できていた。
〈どうして日本人は、そういうレーシーな4スト四気筒のバイクを、ストリートファイターにしなかったんだろうね?〉
(トラッドなものが好きで『ZEPHYR 750RS』なんかに乗っている私が言うのはなんですが、日本の免許制度と車検制度がネックだったからですよ。それがもっと緩やかだったら『GSX-R1100』や『GSX-R750』、『CBR900RR』をストファイにカスタムしたかった人は居たと思いますよ。現に私、『R1-Z』という2ストでストファイを作りましたから)
やってたんかい!?
因みに『エル』の『TW』は、エンジンを腰下から割って、3回オーバーホールしている。フロントフォークもスイングアームにブレーキローターも交換済みで、元のパーツはフレーム以外残っていないのではないかというくらい交換してある。これは私の『ZR-7S』も同じで、既に2回エンジンを割っていた。
また、パミは前世紀の遺物『YAMAHA Virago 125(XV125)』というのも持っていて、それのフロントフォークを詰めて、三叉を立たせスクランブラー風にしていた。このバイクは私の『Virago 535(XV535)』を見て手に入れたものだが、同時にカスタムしたいというパミに、『エル』が薦めたバイクでもあった。
と言うのはモノサスは近未来感が出てしまってオールディーな風味が得られないからなのだそうだ。つまりクラシックでトラディショナルな味を出したいなら、ツインサスから選ぶべきで、『TW』や『SEROW』のようなモノサスでのチョッパーやトラッカー、ボバー、スクランブラーなどへのカスタムはイマイチに感じてしまうかららしい。
だからそこで手に入れたのが、ボロボロの『Virago 125(XV125)』だった訳だ。確かにこの方がクラシック感が出ていて似合っていた。その分、三叉辺りにお金が掛かっていそうだ。ホイールのスポークも『エル』が組み直している。そこにオフロードのブロックタイヤだ。
『今から畑かい?』
『うん。晩御飯用のじゃがいもを掘りに』
こんな冗談をご近所の農家さんとパミはやり取りしていた。それくらいこのカスタムは『顔なじみ』になっていたのだ。ただし遠出は出来ない。家と会社の往復だけだ。これは遠くの街だと警察と何かあったら困るからだ。そういう訳でタンクもまったく別の、細長い原付きみたいなものに換えてあった。
それでこの全体を銅メッキしたタンクとエアクリーナーカバーの上には『音叉を咥えた鳳凰』がマンガチックに描かれ……というか音叉を咥えた火の鳥が、猿田彦やロビタなど主要キャラクターを見守っている構図になっていて、その全体はバイクに跨って上から見ない限りわからないようになっていた。『エル』が絵が上手なのは知っていたけど、ヤバいよこれ。
しかもパミはテヅカのマンガが好きで、中でも『プライム・ローズ』という作品は自分でドイツ語翻訳したり、コスプレするくらい好きなのだった。ちなみにパミを『オタク』にしたのは、我が社に勤務する『エル』の秘書さんだ。また『プライム・ローズ』の主人公は、白人の女の子なのだが、本来の歴史ではダラスに暮らすテキサンだ。しかも名を『エミヤ』という。借りて読んだら無茶苦茶面白かった。そんなエミヤが剣を掲げる姿が、ゼッケンプレート風のサイドカバーに描かれている。しかも左右で別ポーズだ。
タンクの両側には『山葉発動機』と漢字で描かれた真鍮製の銘板が貼り付けられてあった。その出来は本当に素晴らしいもので、パミは完成した時、『エル』に抱きついていた。それはそうだろうね。正直私も欲しいくらいだ。
また『エル』は『エル』で、『DT125』にハーフカウルを付けていた。その名が『Neu Zyklon』というらしい。昨日の『YAMAHA tricker』は『Tentlaw』と呼んでいた。『Neu Zyklon』とは『新サイクロン』という意味で、私は知らなかったがパミは『カメンライダー』のバイクだと教えてくれた。となると『Tentlaw』もそういうのだな。
『エル』はどこか男の子っぽい部分があって、時々、普通の女の子には理解しづらいヒーロー物の話をする事があった。しかも唐突に言うから、パミからは『電波人間』と揶揄される事も度々だ。だけど並行世界の男の人な『ヘル・エルヴァ』に逢って、そういう長年の疑問が解けた。きっと本人も男性の自分という存在を、どこかで感じていたのだと思う。
ともあれ私達は欧州人で日本の人達とは感覚が異なる。そんな異なりを気付かせてくれるのが、日本に残って、日本の文化に親しんでいる『エル』なのだった。だから話していて『へぇ~』と思う事は多い。
(彼女がフランス版のような丸目の『ZRX』が良いという感覚もその辺にあるのだろう。日本の呼び方だと『ZRXⅡ』だっけ? カウルがないとアウトバーンで疲れるでしょうに。でも日本だと合うんでしょうね)
勿論の事だが、私は『ZR-7S』以外も持っているし乗っている。それはバイクだけでなく、クルマも色々だ。それらを家の地下のガレージに保管していた。バイクで12~3台、クルマで5~6台だろうか。何でそんなに持っているのかと聞かれれば、それはそれだけ頑張って稼いでいるからだとしか言いようがない。
それでそんなガレージの中からチョイスしたバイクやクルマを休日に乗って、工場の様子を見に行ったり、会社が保有する牧場を巡るんだよ。それが私の楽しみなんだね。仕事じゃないのかって? 仕事じゃないよ。そこに行くまでが楽しいの。それに私は仕事を嫌っていない。むしろ楽しいと思っているし、面白い事もたくさんあるから不満はない。
でもね、ホンの数分の通勤時間でも気分がノる方法があるならそうしたい。それが私なんだよね。だから125ccが欲しいワケ。それで私は家の、バイクリフトやキャブの同調機(バキュームゲージ)まであるバイク専用ガレージ(木造だから小屋と言われている)に、最終型の『KAWASAKI ZRX1200S(E4/※)』と『KAWASAKI ZZR1200(C2)』『YAMAHA FJR1300(5JW)』『KAWASAKI Z1000(ZR1000-A2)』などを置いている。
どれもこれもカウル付きで、ツアラーが多い。その中のZ1000は日本に居る巫女のお姉さんの『ZR1000-A1』に合わせて買ったものだ。お姉さんと同じパールブレイジングオレンジでなく、敢えて翌年度のパッションレッドを選んだ。その理由は、お姉さんの事は大好きだし慕っては居るけれど、私とお姉さんは別人だよって意味があるから(それが良かったのか悪かったのか、どうした事かその後、Z1000で女性に良い色だなと思うのは出ていない)。
※)ビキニカウルのRは2007年まで店頭にあった。だけどハーフカウルのSは2004年後半から急激に店頭から消え、私の赤いのも最終型だとされている。また、フランスには1100の時と同じように丸目の1200Nまであるのだけれど、これらも今年で最後だと雑誌に書いてあった。きっとZ1000でそれまでの顧客をカバーする戦略なのだと思う。そしてどうやら『エル』がこのカウルのないフランス版『ZRX1200N』を持っているようなのだ。日本で乗る積もりなのかな? なお、お姉さんはファイアクラッカーレッドという色の日本版カウル付き400cc『ZRX(ZR400-F5)』をお持ちなのだけど、奇しくもそれが、『エル』が『ZR-7』で再現したいと話していた『Z750GP』と似た色なのだった。
それで性能も乗り味も大満足のZ1000だけれど、それだけに僅か数分の通勤に使うには勿体ないんだよね。モチベーションを上げたり、気分転換したりするための儀式とも言える『重要な時間』をそんな数分で終えたくないし、味気ないものに『慣れ』たくなかったというのもあるし……。わかるでしょう?
そんな理由で前々からモベッドじゃない、でも600ほど大きくもなく保険が安く済むバイクを探していたって訳。実は『エル』が400ばかり見せてくれたり、こうして乗せてくれるのもその意味があったんだよ。
で、実際こうして『CB400F』を借りて乗っていたら、確かに良いバイクだと思うし、『エル』がカウルを気にしない理由もわかった。けれど、もう少しお気楽さが欲しいなって思っちゃてね……。
〈『エル』? 125からだと北米のチョッパーみたいなタイプが多いよね。それはそれで良いんだけど、トラディショナルなバイクはその『CB125T』や『CD125T』だけかな?〉
(そうですね。実用的なビジネスバイクですから遅いですけどね。まぁ、そこを措いたといても、手続きや登録云々が煩雑になるのが目に見えている日本のバイクを個人で持って帰るなら、折角なのですから、せめて250cc以上は欲しいところですね)
そっか……。やっぱり掛かる手間暇と合わないか。こうなったら『MZ』辺りで探すかな?
(ですが、ミト。もしV型が良くて、トラディショナルなタイプが良いなら、お薦めが3台ありますよ)
〈3台も? それは何?〉
(『HONDA VTR』と『YAMAHA SRV』、それから『YAMAHA Renaissa』です。水冷の『VTR』なら、メンテさえちゃんとしていれば2~30万kmは走ってくれます。『SRV』と『Renaissa』は、もっとオールディーな空冷タイプですが、私、これにはちょっとウルサイですからね)
ほぅ? どうやら名前に『SR』が付くからなのか結構好きみたいだぞ? これは色々持っていそうだ。好きならこういう出先でも『乗れるモノ』を持って来るのが『エル』だ。俄然、トオサカの家に着くのが楽しみになったわ。そうこうしている川向うに見える遠くの丘に風見鶏が見えて来たのだった。
それで赤い橋を渡っている時にそれは起きた。ゆっくりと左車線を走る私達を右側から追い越すスポーツカーをパミが睨んでいた。その顔はきっと私も同じだ。明らかに雰囲気が可怪しい。するといきなり『エル』がドア越しにガンドを放ったのだ。そのタイミングでアサシン達が私達を囲むように並走を始めた。橋を渡り切ったら、そのクルマはUターンして側道に入りどこかに行った。
〈何だったの? 不穏な感じがしたけれど〉
(私達の安全走行が気に食わなかったのか、あのドライバーは追い越した後に前に回って急ブレーキを掛けようとしていました。ですから横に来た際にガンドを放ってやったのです。橋の下の河川敷(海浜)公園の公衆トイレに慌てて行っても、間に合わないでしょう。ご自慢の愛車がクソ塗れです)
そういう事か。不殺を誓い、必要以上の罰を与えないよう自分自身を戒めている『エル』とパミなら、こうならざるを得ない。どうしようもないなぁ。また相手もお気の毒様だ。急激な腹痛と屈辱が人為的なものであったなんて、きっと一生掛かっても理解できないだろう。
そもそも、サーキット外の『エル』は、緊急事態でもなければ法律に則って走るタイプだ。まぁ、大抵のドイツ人やスイス人はそうなのだけど。さぁ、そろそろ着くかしら?
マスターであるエルマがゾウケン達と根を詰めていたろう間、オレとランスは昨夜遅かった罰として借りていたバイクと、『エル』が昨日見せていたバイク3~40台を新都にある洗車場で洗っていた。これらは『あの二人に怒っていてもこの程度で許してやって欲しい』と『エル』からエルマに預けたものだった。
メッセージと一緒にエルマの宝具へ一方的に送って来たんだと。凄ぇ事するよな、アイツは。けど蓋を開けりゃ、オレとランスがアサシン達とやってた事を知ったらエルマは全然怒らず、むしろ労ってくれた。まぁそうなるわな。街に潜む不良外人を懲らしめれば、結果としてここのトオサカの嬢ちゃんや街の人達のためになるんだし。
全部洗い終え、水滴を拭き終わったところでエルマに念話で伝えた。そうしたらすぐに飛んで来てくれた。そんでバイクを回収したら、再び空間転移で戻っていった。
「便所にでも行くフリをして飛んで来たんだろうなぁ」
「ですね。さぁ、戻りますか」
「ああ」
そうしてオレらは洗車場から橋まで出て歩道を歩いていた。そこで何度も味わった『気配』を感じたので車道を見た。すると案の定、『エル』と他の二人の嬢ちゃん、そんでアサシンが三人がバイクで走って来やがった。そこをエラい速度を出しているクルマが迫って来た。
時たま出るモノやサーヴァントの性能を、自分のチカラだと勘違いする頭のオカシイ野郎だった。得てしてこの手の手合は肝の小さな野郎と決まっている。車道に出ようかと思ったら、『エル』ともう一人の嬢ちゃんが、何か呪いをぶち当てて行った。終わったな、アイツ。間違いなく、この先『イイコト』しか起こらないよう呪われたに違いない。
腕自慢のオレだってこれだけはわかる。今のような世の中じゃ、証拠も残さず『呪う』ヤツの方が怖ぇぜ?
お昼休み。机の下からお弁当箱を取り出した。これがもう楽しみで楽しみで仕方なかった。先生やエルマさん達が来てからずっと思っていたのだ。アーチャーのお料理がやたら美味しいと。念のために言うが、英霊は既に人としての生を終えた存在だから、その後は何を学んでも残らないとされているのだ。
だけどそれって全体だけを見て出て来た意見じゃないの? 一分霊を現世に繋ぎ止められたのなら、その分霊だけは経験を積み学習を重ねて行くんじゃ? きっとこれだ。そして問題は座に帰ったら、これまでの経験が記録となって『薄まって』しまうのだろう。そこを指しての『は何を学んでも残らない』なのだと思う。
「遠坂さん。お弁当、ご一緒しても良いですヵ?」
この語尾がカタカナに聞こえる声のヌシは三枝さんだ。昨年の2-Aから、ずっと同じクラスの控えめな有名人だ。彼女個人は大人しく本当に控えめな女の子だ。下に弟さんが大勢いる大家族の長女だから、家事や炊事の造詣が深く聞いていてためになる人なのだ。
おまけにどうした事か、妙に私を慕って来る。だけどそれは単に憧れてくれている事がわかっているので昨年の2学期からお弁当(気が向けば自分で作る日もある)やパンの日は、こうして一緒に頂く時もあった。元来彼女には同じ部活の、気のおけない仲の良い友人が居るのだが、その人達は食堂派なので、食券も買わないのに食堂に居座る行為に後ろめたさを感じているのだった。
その二人が本当の意味での有名人で、三枝さんまでカウントされて『お騒がせ三人娘』とか言われてお気の毒だった。でもその二人も人間的にはとても暖かい人達で、『お騒がせ』な事をしでかしても『またか』で済むところもあった。その二人が蒔寺楓さんで、もう一人が氷室鐘さんだった。
三人は陸上部で、蒔寺さんは『穂群の黒豹』と異名を取るほどの短距離のエースだ。氷室さんはハイジャンパー。三枝さんはマネージャーだ。それで蒔寺さんの家は詠鳥庵という呉服屋さんで、母も祖母も先代の間桐の当主も通う老舗だった。そんな老舗の一人娘が蒔寺さんなのだけど、この人の意外性は一番の『お騒がせ』なのに、歴史や骨董に詳しい事だった。だから、アンティークな食器が好きな私は、時々彼女と一緒に骨董市へ行ったりする仲でもあった。
『お騒がせ三人娘』の残るもう一人の氷室さんは、現冬木市長の娘さんで、育ちが良い。だというのに詰めが甘いというか、よくドジを踏む。その結果が『お騒がせ』に発展するので、いつも騒がしい蒔寺さんとセットで、憎めない問題児扱いされていた。
つまり三枝さんは、ただ仲が良いだけで一緒くたに数えられている被害者なのだ。だけど最近、私が新たな四人目として数えられつつあった。不本意だし不服だ。でも、聖杯戦争が終わって以降、『遠坂さんは以前より話しやすくなった』なんて言われている。
「あれ? 遠坂さん、このお弁当は……?」
「うん。私が作ったんじゃないんですよ」
「以前のような、ご親戚の人ですヵ?」
「そう」
ああ、この味付けはエルヴァを思い起こさせる。これが離れていた間のアーチャーの成果なのね? だけどアーチャーはあっちで春から1年暮らしたと話していた。年号のズレとは別の時間のズレ。そこが並行世界であり、世界間を渡るという事なのだろう。
また三枝さんは魔眼とはまでは言わないけれど、天然で『視える体質』の人だった。だから私が魔術師だと悟られないよう注意が必要な相手なのだけど、幸い彼女は魔道とはまったく無縁な人だった。おまけに『視えているモノ』が何なのかもわかっていない。そこを突いて、私は『あなたと同じく視えるタイプ』と告白し、少しだけ彼女より『何が視えているのかがわかる人』を装った。当然、蒔寺さん達が気味悪がったり怖がったりしては可哀想だからと口止めして。
そこから私は、三枝さんと気を使わないで済む仲になった。実際、彼女や蒔寺さん(意外にも和食がかなり上手い)からお料理のコツを聞けたりしてお得になった。食後、お弁当箱を片付けお手洗いで歯を磨いて教室に戻れば、割合よく話す男子が声を掛けて来た。彼の手にはバイク雑誌だ。
「遠坂、ごめん。意見を聞かせて?」
「何です?」
「これ、どう思う?」
彼が指差している写真には、ホンダFTRのカスタムが写っていた。『エルさん』が運んだのか、そういう流れが来ているのね。ある種の運命論にも近い流れ。これが見えないなら魔術師にも経営者にも向かない。私は『エルさん』の言う通りに、彼女に甘える事にした。『FTR223』をねだろう。
だってそれが『エルさん』の視た流れなのだ。占いじゃないけれど、きっと『FTR』は私のラッキーアイテムなのだ。
「まだ、普通二輪免許も取っていない私に聞くのね? そうね、全体的なパーツの色味は良いかな? バッテリーはあまり小型化しない方が良いと思うけれど」
ショップのカスタムだろう。タンクの塗装が綺麗だ。とにかくシンプルさを求めたという感じ。メーターも灯火類もやたら小さい。レバー類やミラーもセンスよく纏まっている。だけどスカチューンにコダワリ過ぎている気がする。どっちみち『FTR』は完全なバテリーレスには出来ないんだから、アルミのケースなんかで覆う方が良いと思う。
「走るのはダートじゃなくアスファルトの上でしょう? なら、もう少し『遊びのバイク』らしさがあっても良いような」
「なるほど」
そこから『こっちのページのこれをここ』『そっちのページのをこういう風に』と自分の好みと組み合わせを披露した。
「助かった。ありがとう、遠坂。やっぱ、センス良いな」
「そういうトコロまで優等生なんだよな」
と、いつの間にか集まった男子が口々に言う。
「あのね? 優等生はお昼休みにバイクの話なんてしないわよ。ほら、予冷が鳴った。席に戻って」
そうして私は午後の授業を受けたのだった。