※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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116、冬木の日々 17

『いえ、だからそれをバイクにも仕込むんですってば』

『はぁ? ベルトの話だよな?』

『エルヴァ、『にも』だよ。身に帯びなくても魔力を通す方法を彼女は解決しているって事だよ』

『そういう……つまり、その先も考えておけって事だな?』

『はい』

 

『エルさん』とエルヴァ達の会話だけれど、『エルさん』の頭の回転が早過ぎるのか、説明を端折ったり飛ばしたりする場合が時々見受けられる。元々の話はエルヴァの持つ財布の機能を、今エルマが作ってくれているベルトに仕込めないかというものだった。

 ところがそんな事はとっくにエルマが考えてくれていて、今正にその作業をしているという事だった。それも4~5人に増えた『エルさん』と。これらリビングを狭くしている人達も全部人形なんだろうね。そんな常人には理解どころか、どう反応すれば良いのかすらわからない奇跡の魔術を目の前で繰り広げられ、僕と衛宮は、金魚のように口をパクパクさせていた。

 だけどエルヴァとアントニーは、もはや最初に話していた『エルさん』は誰だったのかすらわからないこの状態でも、冷静に議論を続けていた。

 

『風の魔術も併用すれば、フィルターを通しつつ、エアクリーナーボックスに風を溜めれます。4バルブでツインキャブのエンジンなら、片方はノーマルで、高回転域で2つ目のキャブを開いて、混合気をガンガンと。そんなエアクリの中に更にもう一つの空間拡張礼装を仕込めば、発電機やテントに着替えも積めます。そうやってライトをLED化できれば……。10年前の第四次の頃はしたくても出来なかった事です』

 

 何だって? 何と言った? エアクリーナーボックスに風を溜める? そのメリットは何だ? キャブが2つって事は片側は普段止まっているって事だ。ここはわかる。2基目のキャブが開けばパワーアップする事も想像できる。だけど風を溜めるとどうなるんだ? ダメだ。僕じゃ全然わからない……。

 

『昔、森の中を走る時、セローのライトが暗くてですね。それでバイクのジェネレーターを、コイルから巻き直していたんですよ。するとレギュレーターとレクチの発熱が大きくなってしまって。そこで風を当てて冷やしたりして……。まぁ、そういう工夫が身に付いたと言いますか。バハのライトを流用して二灯化したり、ズーマーのライトを付けたり。今の私の実験用セローは面白いですよ』

『なるほど。確かに面白い工夫だな?』

『ですから、その先に何が出来て、どう変わるのかを考えませんと。単なる技術屋で終わってはダメです。その魔術や技術で、どういった利便が得られるかです。そこまで考えないと総裁の道は遠いですよ?』

『いや、オレ、総裁なんて目指してないし』

『うっわ。男の子になった自分が、そんなガッツのない事を口にするなんて……』

 

『エルさん』にガッカリされてエルヴァは肩をすくめていた。だけど僕にはこういうアドヴァイスをくれた。

 

『シンジ、風を溜めるってのは、空気を溜めるって意味だよ。水中はどうだかわからないけど、タイヤが保つなら粉塵や煙の中も走れるって事だ。もっと言えば、彼女くらい物知りなら、空燃比も計算していて当然だ。理論値の14.7:1やそのエンジンに合った実測値になるよう、混合気をエンジンに送る環境を用意しようとする。つまり標高の高いところだけでなく、気温の高いところでも、きちんと燃焼できるように工夫している筈だ。それってレースをやってるエンジニアだけが追い求める考えじゃないんだ。そのバイクやクルマを災害現場用の車両に転用するなら必要な知識であり性能だろう? 彼女はそういうアイデアをタダで出してくれているんだよ』

 

 僕と衛宮はハッとした。火災が多いロスの山々。そんな周囲の空気も熱くなる炎の中を走れるバイクやクルマ……。エルヴァはちゃんと『エルさん』の言葉の裏にある真意を理解していた。

 

『メーカーはな、どこで走っても『ほぼ』問題が出ないようにクルマやバイクを作っているんだ。オレらより遥かに頭に良いヤツが、性能の良いコンピューターを使って設計しているのさ。けどな標高が変わると気圧が変わって空燃比も変わっちまう。それがあったから空気の『質』を一定に保つために、キャブのバイクはやたらデカいエアクリーナーボックスを持つんだ。また、瞬時に空燃比が変えられるF.I.がクルマに増えたのもそういう事だ。だからバイクもこれからどんどん変わっていくよ。何もガソリンを食うか食わないかの話だけじゃないんだ。空冷のバイクでツーリングに出たって話があったろう? それもきっと、混合気と周囲の酸素を魔術師としてどう考えるのかって事が本当の意味での課題だったんだ。いい先生に恵まれたよな?』

『そうですね。そこはその通りです』

 

 と、エルヴァの言葉を認める『エルさん』。

 

『それに……次の事も考えて欲しいです』

 

 そう言って『エルさん』は僕や衛宮を見た。

 

『聖杯戦争の相手は魔術師だけでなく、宝具を持つサーヴァントも居ます。その宝具の威力や余波は周囲の環境からして崩して来る可能性が高いです。そうとなれば移動手段からしっかり考えないといけません。ですが、その移動手段が使用できなくなったらどうします? 街を守りたいとか人々を守りたいとか……願いだけでは絶対に足りませんよ? それを口にするだけの準備や用意は整っているのかどうかという話ですから』

 

 自分の第五次の頃を思い返せば、本気で耳に痛い。言い返す言葉が何一つ思い浮かばないし、ここで言い返しても、それは夏休みの宿題をやっていなかった9月の小学生並みに惨めな言い訳だとわかってしまう。それに、この言葉で苦虫を潰したような顔をしたのは僕や衛宮だけじゃない。二人のアーチャーまでもが、キッチンから少し顔を出して難しい顔をしていた。それはそうだろう。

『エルさん』の話してくれる『工夫』や『気づき』は、実に僕や衛宮向きなんだ。そしてそれは『こういう事ができないかな?』って、僕が言い出せる人間にならなきゃいけないって事でもあるんだ。『エルさん』の話が見えないからと、ボケッとなんてしていられない。とにかくメモを取って、何度も何度も考えるべきなんだ。

 

『エルヴァがこういうのを割りとわかっている風なのはどうして?』

 

 僕はアントニーに訊ねてみた。

 

『ああ、エルヴァはライフル射撃をするからだよ。標高や気温で弾道はズレるものだからね。聞いてみなよ。彼女も絶対に子供の頃から射撃をしていた筈だから』

 

 すると『エルさん』は頷いてくれた。そこへアーチャーがやって来て、皆んなにお手製のフルーツゼリーを配り始めた。ちょっと疲れた顔をしていたエルマの顔が明るくなった。そこは女の子だよね。

 

『この子の姉は、そこがずば抜けているぞ? この私が『敵わん』と認めた相手だからな』

 

 そうエルマの肩に手を置くアーチャーは、彼女の方のアーチャーだろう。凛さんとルヴィアさんまでが誇らしげな顔で頷いていた。僕達の方のアーチャーが『ほぅ』と驚き、衛宮が困った顔をしていた。学生時代に部を辞めた事は今更だけど、弓道でそんな事まで学べるなんて僕も気付かなかったよ。

 

『エルヴァは弓道で日本一になったからね』

 

 めちゃくちゃ得意げなのはイリヤさんだ。『学び』なんて、どこにでもあるものなんだね。そしてそこに気付ける人こそが、本当の意味で才能のある人なんだろう……。

 

 

『エルマのやっているっていうジャパニーズ・アーチェリーだろう? そいつは凄い。お前の姉ちゃんは本当に凄いな』

 

 そう言ってエルヴァが褒めていた。エルマが嬉しそうだ。

 

 この日は急に増えた『エルさん』達や、イリヤさんにルヴィアさん、凛さんやヴンダーの協力があって、エルマの作業が想定以上に捗り、無事1本のベルトを完成させた。時刻は4時前だ。ただし新型(あちらの世界から何度も何度も書き直していた設計図を元にした)のプロトタイプだという。明日、それを皆んなで試して意見を聞いてから、再度手直しをして、その後に生産に入るという。

 アーチャー達が入れてくれたお茶で喉を潤していると、エルマが『帰って来た』と呟いた。

 

『何が?』

 

 と、僕。

 

『私達の大元が、ですよ』

 

 と『エルさん』達の中の一人が言った事で僕にも理解できた。

 

『お茶を頂きながらゆっくりしていろ、だって。庭で暫く遊ぶらしいです』

 

 はい?

 

『な!?』

 

 エルヴァが急に立ち上がって、リビングから中庭の見えるダイニングの窓を睨んでいた。そのダイニングではイリヤさんと凛さん、ルヴィアさんが『ああ』という表情で、同じように窓に顔を向けていた。僕にはまったく感じられないけれど、戻った『エルさん』が中庭に結界を張ったらしい。

 

『嘘でしょ? キャスター並みだよ、この結界は』

 

 アントニーの言葉にアストルフォも頷いていた。それで面白い事にその結界は僕や衛宮には全然見えないんだ。そもそも何をしているのか丸見えなんだよ。

 

『防音の結界だけ?』

『でしょうか?』

 

 と、凛さんとルヴィアさん。

 

『その結界の飛び地みたいに私が入っています。ランサー達から預かったバイクが全部あちらに……』

 

 どうやら昨日のたくさんあったバイクを、ランサー達が午前中に洗車していて、それをエルマが預かっていたらしい。今度はそれを『エルさん』がたった今回収したようだ。どんな魔術だ? エルヴァの財布の延長なんだろうけど、これは凄まじい。

 それで窓の外に2台のバイクが現れた。昨日のように急に出現したという感じだ。今日乗っていたのはとっくに回収したのだろう。三人はヘルメットを抱えながら、その2台の周囲をぐるぐると眺めていた。1台はカワサキのバリオスだとわかった。珍しい。1本サスの旧型だ。

 2本サスのⅡ型なら乗っていたクラスメイトも居たし、2004年まではスズキにもあった事を憶えている。だけどⅠ型をこんな風にねぇ……。まずバイクの左右で色が違うようだ。こちら側が赤で、あちら側が青……で、真ん中に白だろうか?

 

『フランス国旗?』

『関係あるかもな……』

 

 僕の呟きにエルヴァが答えた。

 

『視力強化してみて。あの紋章って、ルヴィア? ブルボ◯家の紋章?』

『その横はハプ◯ブルク家でしょうか……?』

 

 そこでイリヤさんが気付いた。

 

『あ、あの絵。断頭台よ』

 

 何か触れてはいけないものに触れたような気分になる……。するとアントニーが僕の肩を叩いた。

 

『何だい?』

『彼女達だよ。ゼリーを食べ終えたら全員消えた』

 

 ハッとして周囲を見れば、『エルさん』達が消えていた。エルマが困った顔で、彼女達の残した食器やカップをクロエやヴンダーとともに片付け始めていた。きっと元に戻ったのだろう。リビングのテーブルには、『ご馳走様でした。明後日以降、本生産に入ったら、またお手伝いに来ますね』と書かれたメモが置いてあった。律儀な人だ。

 

『人形ってか、コピーされた人格じゃなかったの?』

 

 思わず僕は声に出していた。これに関してはエルヴァもアントニーにもわからないようだった。ただエルマだけがそのメモを見てニコリとしていた。僕はもう一度窓の外を見た。

 

『あのもう1台は古そうですわね?』

『どちらも1992年頃のものですね。色々と皮肉が効いたトリコロールのバイクはカワサキのバリオスですが、『エル様』は確かあれをテレジアと呼んでいました。色も『liberté(自由)』『égalité(平等)』『fraternité(友愛)』の意味でなく、赤が炎で怒りの動態、青が氷で貪る静態、真ん中の白が真の正しい道みたいに話されていましたね。何だったかな? 確か仏教の『二河白道』から来ているとか……』

 

 ルヴィアさんの声に答えたのはヴンダーだったけれど……え? バリオスだからクサントスやペーダソスじゃないの? アキレウスの戦車から連想した色じゃなかったのかよ。

 

『で、ではあの百合の紋章ともう一つの紋章は?』

『そこが皮肉なのでしょう。だからバイクの名がテレジアなのだと』

『では、断頭台の横にある紋章は?』

『アインツベルン本家の紋章ですね』

『皮肉が効き過ぎですわよ!?』

 

 断頭台を落としたのは、裏で暗躍したアインツベルンという意味にも取れるものなぁ。ホイールはメッキだろうか。銅のような色だ。ラジエーターの周囲やエンジンのカバー類もそれと同じだ。

 

『どちらも『エル様』がカスタムされたものですが、あのメッキやペイントだけでなく、あちこちに手が加えられているようです』

 

 つまりエンジンにも手が入っているって事か。92年なら確かギリギリ45馬力じゃなかったっけ? その数年後に40馬力に規制されるんだ。パミという子がアクセルを何度も煽っている。けれど音は全然聞こえて来ない。やっぱり防音結界のようだ。

 

『あのメタリックレッドのもう1台は?』

 

 と、僕。

 

『あちらはヤマハのSRVだったと思います。『エル様』、あの色がお好きなもので』

 

 フレームからタンクにサイドカバーまで全部メタリックレッドなのだ。ただリムにミラー、ハンドルやマフラーは濃いガンメタだ。それでエンジンはシリンダーがつや消しの真っ黒で、スポークも真っ黒だ。ヘッドや一部のカバーが鈍い色合いのゴールドなんだけど、これが効いている。かなりオシャレな色使いじゃないだろうか?

 

 そこでパミさんが『エルさん』に何かを言っていた。すると、『エルさん』はポンと手のひらを打って、新たにもう1台のバイクを出して来た。それは250マルチで一番人気のなかったヤマハのジールだった。僕は死んだ親父の影響なのか、四社の中では何となくホンダが好きだ。

 なので250マルチも400マルチも、ホーネットとスーフォアが好きなんだけど、内心バリオスも良いなと思っていた。だけどヴンダーさんから説明を聞きながらジールを見ると、『これはこれでアリだ』と思えて来た。色使いはほぼSRVと同じだ。メッキ部分は全部ややピンク掛かったような色で、ヴンダーが言うにはシャンパンゴールドのメッキらしい。で、タンクやリアカウルはメタリックレッド。ラジエーターカバーやサイドカバー、ホイールはミラーはピンクゴールドだった。

 メーカーはメッキと梨地を使い分ける事で高級感を演出していたけれど、『エルさん』は梨地も使いながら、大きくはメッキの色合いを変える事で別の高級感を出していた。ピンクゴールドのハンドルは結構低い。だけどバリオス程でもない。バリオスはスワローの逆付けで、ジールはコンドルの逆付けなのだそうだ。

 

『何で逆付け?』

『バックステップの位置決めだったと思います。あれでゼファーやSR、SRVの位置を決めたようです』

 

 位置決めって……。

 

『どうしてそんな事を?』

『ご自分の体格から鑑みて、本当はジールが一番ご自分に向いた大きさのバイクだとご存知だからです。ですが、その事と個人の好みはまた別の事です。それとバイクは自転車みたいにハンドルを持ち替えられないからだそうですね。どの辺に座って、どういう風に握れば楽なのか、その時のステップ位置はとか色々考えられているみたいです。ですので気づけば全然違うハンドルに変わっている時もありました。特にジールは』

 

 ふ~ん。確かにジールやバリウスって、体格的には一番『エルさん』に合っていそうだものなぁ。あれでベストな位置や、使い勝手の良いポジション補助のパーツを探っているんだろう。スワローやコンドルってセパレートハンドルのように開きを調整できないからなぁ。だから有名メーカーだという理由だけでは選べないところもある。色々試しているんだな。

 

 やがて遠坂が学園から帰り、中庭で『エルさん』達と合流していた。すると『エルさん』は遠坂に自分のヘルメットを持ってこさせた。玄関で『ただいま』という声とガサゴソする気配がしたから、学生カバンを置いていったのだろう。それでヘルメットを被った遠坂をバリウス(テレジア)の後ろに乗せて、ミトさんの操るSRVとパミさんのジールとで出て行った。

 そういや遠坂って若い頃のマリア・テレジアにどことなく似ている気がする。妹が居たりとか、親父さんの死で没落していくところとかさ。ま、ここではご両親が健在らしいから、僕が思い浮かべた遠坂は自分達の世界の遠坂だけれどね。

 じゃ、間桐は何だと言われれば答えようがないけれど、アインツベルンがプロイセンと当てはめるとしっくり来るのは何故だろうね? ああ、アインツベルンの事を考えたから思い出してしまった。アーデルハイドやイリヤ達と過ごしたアデレードの日々が懐かしいや……。

 結界から出たからだろう。それでも気を遣ってか、かなり離れたところから『プァ~~~ン』と音が聞こえた。良いのか、遠坂? そんな制服のままのニケツで?

 

『ここの遠坂って違うなぁ』

 

 という僕の呟きに呼応するかのように、

 

『宝石剣を完成させるって……姉弟子は、ああいう人だからできた?』

『わかりませんわ……。ですが、あなたとはかなり異なる方ですわね』

『優雅とは程遠いけど、カッコ良い人だわ……』

 

 と凛さんとルヴィアさんが話していた。自分で『カッコ良い』なんて……まぁ、その気持ちはわかる。僕自身、以前は遠坂に憧れていたし、共通の『妹』を持つ兄と姉という事で比較的仲も良好だから、悪い感情はない。けれど聖杯戦争を通じていかに『面倒くさい奴』なのかがわかってしまって、恋心なんて一気に吹き飛んだ思い出がある。

 だからこそエルマに恋をした訳だけど、こうして凛さんや、ここの遠坂……いや、凛さんを知れば、彼女ってかなりさっぱりしている気がする。面倒くささを感じさせる暗さが無いというか。多分だけど、僕の感じ方だとエルマのところの凛さんよりもさっぱり度は上だ。そこが『カッコ良い』に繋がるのだろう。

 

『シンジ、シロウ、手伝ってくれ』

 

 アーチャーだ。促された僕と衛宮はキッチンに入ったのだった。

 

 

 

 高かったけど、フルフェイスを買っといて良かった。『いつかは……』という気持ちがあったので、お椀型のヘルメットとは別に用意してあったのだ。幾ら『エルさん』の用意が良いって言ったって限度はある。やっぱりこういうスポーツバイクだとフルフェイスでないとね。それも自前の。

 モーターみたいな甲高い音を出しながら、二人乗りのバイクは深山町をすぐに抜け、赤い冬木大橋を渡っていく。左に見える河口側の景色がとても綺麗だ。波が夕日を反射させて輝いて見えた。前で操縦する『エルさん』の後ろ髪も輝いている。大橋を越えて新都に入ると、彼女は予測していた通りのお店の前にバイクを止めた。

 

『ホンダのお店にヤマハで来ちゃったよ』

 

 と、ヘルメットを外しながらパミさん。

 

『ここはそんなに煩いことは言いませんよ』

 

 私は初めてのスクーター(YAMAHA Vino Deluxe)も、ベンリィ(HONDA BENLY 50S)もここで買った。いわゆるディーラー系でなく地方の個人店だから、中古販売と修理がメインのお店だ。だからメーカーを問わず何でも扱っていた。そもそも冬木市なんて地方の小都市だから、車屋さんにしても、メーカーを問わない軽自動車や軽トラックの修理がほとんどで、新車がそうそう売れるような街だとは思えない。

 また新型のスポーツカーや、商用バイク以上の大きな排気量のバイクは『どこそこ市の◯×店を紹介するから、そっちでお願い』と言われるのが落ちだ。つまりこのお店なら、主に扱うのは125cc以下のバイクで、おじさんがさっきまで触っていたのも、どこかの銀行の黒い箱がついたカブだった。こういうのに行員さんが乗って農家や商家を回り、今月分の積み立て金を預かったりしているのだ。

 詳しいなって? 私だっていつも大金を都市銀行とやり取りしている訳じゃない。給料として毎月幾らと決めて、大きな銀行にある『遠坂』の口座から、深山町にある信金の自分の口座に振り込み、その中から定期に回したり、学園の授業料を振り込んだりしているのだ。不労所得があったって贅沢な暮らしをしている訳じゃない。

 母にしたって、嫁入り道具だったあのボルボを今だに乗っている。そろそろ買い替えたいと零していたのを耳にしたのが、学園の入学前だ。それから2年以上経っている。生前分与で事業を引き継いだのだから、父にも母にも月幾らと決めて振り込んでいるのだが、母にしても『贅沢したい訳じゃない』と言って、禅城の家に近いスーパーへパートに出ていた。

 母は思った以上に堅実でしたたかで、決して『何もわかっていないお嬢様』ではなかった。父と合わなかったのはそこかも知れない。今は倫敦に居る父は免許を持っていないし、車やバイクにも興味のない、魔術と不動産の事以外はからっきしな人だった。要は趣味の少ない、人間関係が希薄な人なのだ。

 だから母は私が幼い頃から、色んな趣味を持ってお友達を増やしなさいと話していた。また、父もエルキドゥや先生に言われたらしく、『友人の居ない者には人生の何たるかは見えないそうだ。凛、お前は私のようになってはならない。友人を作り、幸せな人生を歩みなさい』なんて言われていた。離婚はしてしまったけれど、実は似たもの夫婦だったのよねぇ……。

 

 

 

 そんな事を思い返していたら、『エルさん』がズンズンとお店に入っていった。

 

「おっちゃん。ホンダのFTR223が欲しいのですが、今から発注すれば納車はいつ頃になりますか?」

 

 この人は……。すると『エルさん』はある一点を見詰めながら動きを止めた。

 

「…………って、これは?」

 

 バイク屋のおじさんは作業の手を止めて、『エルさん』にこう言った。

 

「いらっしゃい。目が早いね? それなら納車整備して来週末には用意できるよ」

 

 私の方へ振り向いた『エルさん』の目が『これで良いか』と、奥の方にあったバイクを指して言っていた。私は頷いた。それはキャンディグローリーレッドのFTR223だった。昨年のモデルが売れ残っていたのだ。『エルさん』は分厚い本革の財布から現金で50万くらいを取り出して、即座に支払おうとした。おまけに自賠責まで持つと言う。

 

「軽二輪ですから、陸運局に行かないとナンバーが取れません。任意保険は自分で入って下さいね」

「ちょ、ちょっと待って下さい。嬉しいですよ? 感謝もします。現金だから親の許可も要らないし、認印だけで行けるのも知っています。委任状も家にたくさん用意してあります。ですけど、私はまだ普通二輪の免許を取っていません」

 

 それはそうだろう。私はまだ教習所の予約を取ったばかりなのだ。

 

「それも夏になったら取れるのでしょう? なら、それまで家でニコニコしながらFTRを磨けば良いですよ。私なんてメーカー保証が切れるのを承知で、小学生時代からバイクを買っていましたから。ネックは民法の第5条だけです。未成年者が法的な売買契約を行う場合、法定代理人の同意が必要という点です。そこを守って、公道に出なければ10歳以下の子供が買っても問題ナッシングですよ」

 

 何でそんなレアな事を知っているのだ? 聞けば『エルさん』はその法定代理人を乳母の方に指定していて、ご両親にはバイクに乗るとも買うとも報告しなかったという。というか郊外のアインツベルンの森で(『エルさん』が森を相続しているらしい)、子供向けのモトクロッサーやトライアル車でずっと腕を磨いていたそうだ。

 しかも子供の頃はこちらでの、イリヤ先輩達と同じ家に住んでいたそうで、そこではBMXという自転車に乗って、アクロバティックな事をしていたという。それに付合わされて、双子の姉のイリヤさんは毎日傷だらけだったそうだ。だけど今は、背が低くとも逞しく頼りになる立派なお姉さんとして妹さん達から慕われているとか。

『ああ、イリヤ先輩だなぁ』という私の感想はともかく、『エルさん』という人は、何と言うか一般常識の通用しない人だった。お店のおじさんも驚いていた。ただ、幸いなことにおじさんは私を『遠坂』としてご存知だったから、その後の話と金銭のやり取りはスムースだった。契約書を受け取った私は、こうして『HONDA FTR223』を一応手に入れたのだった。良い色だったので本当に嬉しかった。

 だけど『エルさん』はお礼を言う暇も与えてくれない人でもあった。

 

「おっちゃん! そこにあるCB125Tは売り物なの?!」

 

 お店のおじさんが驚いていた。それはそうだろう。おじさんが『中々売れないで困っている』と言えば、何と『エルさん』はミトさんを呼んで『この印鑑を貸すから即買って来い』と現金を掴ませていたからだ。

 

『2001年の最終型です。これを逃したら、もうチャンスは来ないですよ?』

 

 更にお店の前に並べてあった、激安中古のセローにまで目を付け、両車両も来週末に同時納車となった。その後、私達は家に帰ったのだが、今度は中庭でジールのナンバーを外し始めたのだ。あまりにも『エルさん』の行動が謎過ぎて、私の頭は少々混乱気味だった。

 ベンリィはFTR納車の日にトラックが積んで帰る事になったので、その時までに役所に行って廃車などの書類を用意すれば良い。買い取り金は後日幾らか入れば良い。それよりもまずはお礼に外の食事にでも誘うべきなのだが、この謎行動が頭にこびりついて離れないでいた。

 

「突然どうしたの? 一体何だったの?」

 

 パミさんやミトさんが居る前で思わず日本語で訊ねてしまった。失礼だったと反省していたら『エルさん』が、私の心情を察してか静かに教えてくれた。まずCB125Tに飛びついたのは、ミトさんが先に興味を持っていたからだそうだ。こちらで試走して気に入ったらドイツに持ち帰るのだという。

 ジールのナンバーを外していたのは、パミさんにあげる約束をしていたから。元の世界に帰ったら即座に廃車手続きをするためだった。ここまではわかる。ではセローはと言うと……。

 

『1995年の2月に発売となった4JG2型のセローは私の世界ですと1994年の2月に発売だったのです』

 

 え?

 

『それに第四次聖杯戦争は1994年の11月に起こりました。そして私の乳母は私のためにと、通常なら1995年の7月に発売されたであろう、1000台限定のLIMITED EDITION(4JG3)を、1994年の11月前に用意してくれていたのです。わかりますか?』

 

 それがこの上側が青いメタリックなタンクが付いたボロボロなセローだと?

 

『ええ……。それだけなら偶然です。ですがこれ、フレームの車体番号までもが、私のと同じなんです。だから取り乱しました……』

 

 そんな事が……。けれど、そのズレも何か変な気がする。

 

『ええ。ズレ方が変ですよね? ですので以前散々調べましたよ。それでバイク全部やヤマハだけとかでなく、このセローだけが他の世界より私の世界が1年早く発売されていたとわかったのです。こんな偏った差異があったとは、先生すら気付けなかった事です。ですがその差が私と、ここの世界のアインツベルンのエルヴァさんとの差に感じませんか? だからこそ、今屋内に居るエルヴァさんの世界が知りたいのです』

 

 ああ! やっぱり……。ノスタルジーだけでなく、そんな差が如実にわかる証拠だったから焦っていたんだ。『エルさん』は先生の弟子ではないけれど、ここまで第二魔法を知っていればそれは気になって当然だろう。バタフライ効果の大本を辿っていけば何に起因するのか? ドミノ倒しの最初の1枚はどこで倒れたのか? このバイクはその『種』みたいなものが見え隠れするような発見だったのだ。

 私と凛さんの差、姉弟子の凜さんとの差……その結果はどうやって導かれたのか? 凜さんはそれを探究する第一人者だと先生に伺っている。だけどそれを見付けるには色んな事を知っていないといけない。多趣味で様々な事を知っている『エルさん』だから気付けたのだ。

 もし私に姉弟子や凛さん達に負けないアドバンテージがあるとすれば、それは私がバイクに乗る『遠坂凛』だという点だ。そして凛さんは、あの困り物のマジカルステッキのルビーを手懐ける『遠坂凛』だ。その違いをあの凛さんは以前見せてくれた。それを先生に指摘されてからの私は、その事がずっと気になっていた。

 ルビーを譲った事は後悔していない。そこで発生した金銭や宝石が宝石剣の一部になったのは間違いないのだから。だけど同じ遠坂凛なのに、どうしてここまで違うのだろうと気になっていた。姉弟子の凜さんもこの疑問が切っ掛けで色々調べるようになったのかも知れない。

 私は今までどこか本気になれない、レールの上を黙って歩いて来たかのような感覚があった。先生からの課題は問題なくこなして来たつもりだ。でも、いつかこのままだと頭打ちになる予感もしていた。その予感が拭いきれないから、両親の離婚すらも仕組まれていた事なのかと、自分のこれまでの人生を少し疑ってもいた。

 何故なら両親の離婚に拠る生前分与や桜の養子縁組などの総てが、先月末に完成した宝石剣に繋がっていたような気がしていたからだ。しかも宝石剣に掛かった費用は、それまでに蓄えていた遠坂の財産の実に1/3にもなったからだ。私はまだ17歳の子供だ。いくら大魔法使いの先生に迎えられた弟子だとしても、色んな意味でそのプレッシャーは強大なものだった。ご先祖様から預かってきた財産の1/3を宝石剣1本のために……。

 だから、元来そういう性格ではない筈なのに、悪い方へ悪い方へと考え込む事があった。ここ最近は特にそうだった。そんな悪い方向に行かないためにはどうしたら良いのか? 私はどうあるべきなのか? それをずっと悩んでいたのだ。だから『エルさん』の『世界を知りたい』という言葉に打たれたのだ。

 人なのだから、予想外の事が起きれば驚きもするし焦りもするだろう。だけど『エルさん』は探究心を忘れていない。姉弟子は姉弟子で、凛さんは凛さんだ。私が知る限りお二人とも探究心が旺盛だ。なら私は? 思い悩む事で初心を忘れていなかったか? 聖杯戦争が終わったからと、気が抜けていなかったか? やっと何かが見えて来た気がする私だった。

 

『オフ車だから当然だけど、ボロいよね~?』

『ね? ですから私もオフ車だけはメッキやペイントをしません。セローやジェベルのような取手やライトガードがないバイクには、溶接で付けたり、より持ちやすいカタチに変えたりしますけれど』

『ちょっと、何この走行距離!? 19万kmって?! 魔術的価値があるとか、思い出があるのはわかるけれど。こんなのどうするの?』

 

 パミさんと『エルさん』にミトさんだけど、このセローにガタが来ていそうなのは見ただけでわかる。

 

『そこまで酷くないですよ。むしろ走行距離の割りにキレイな方ですし、中古として売り物になるのはちゃんとメンテしてあるからです。何よりメーターを巻き戻していないという確証が得られる点と、ボロくとも外装が焼けていないのは、林道で遊んだ後、毎回洗車をして屋内保管していた証拠です。ただ、アイドリングで、エンジンが震えていますね。これはクランクだなぁ。エンジンを掛けてこういう振動を感じたら、大抵クランクにガタが来ています。まぁ、セローでこれだけ走っていたら当然ですね。久々に内燃機屋さんに頼まないと』

 

 内燃機屋? 聞かない名前だ。それはどういうお店?

 

『ああ、普通は縁が無いですものね。バイク屋さんや自動車屋さんが出来ない、エンジン内部の……シリンダー側面を削り直したり(ホーニング)、シリンダー径を大きくしたり(ボーリング)、組み上げる際に芯出ししたりしなければならないので素人では組めないクランクを組んでくれたりといった、エンジン専門のお店の事です。ディーラーの持つ修理工場は総合病院のようなものですが、それでも出来る事と出来ない事はあります。クルマなら板金に塗装が浮かぶでしょう? そういう専門職にディーラーや大型販売店でも外注するしかないケースというのはあります。まして個人経営のバイク屋さんが専用の工作機械を持っている筈がありません。これはリアサスの分解整備やメッキ加工などにも言えますね』

 

 だから外注できる、それ専門のプロが居るって事ね。

 

『そうです。町医者に掛かったら、CTはどこそこで、MRIはあの大学病院で受けてくれってあるでしょう?』

 

 ああ。やっと飲み込めた。

 

『リンはCTとかMRIを個人で持っているようなものだもんね?』

 

 パミさんだ。

 

『はい?』

『五大属性だよ』

『ああ……』

 

 上手い事言うなぁ。私を総合病院に見立てた訳ね。でも、私みたいなタイプは困ったものなのよ。父が先生……即ち並行世界の娘に土下座せんばかりに頭を下げて、私を頼んだ理由はそこにある。それぞれの属性を指導できる専門家は倫敦なりプラハに行けば居るだろう。だけど相互作用や相乗効果を考慮しながら総合的に私を指導できる人は先生以外に居ないのだ。

 だからといって『専門』のエキスパートを馬鹿にはできない。家系の属性も『火』だから、父の指導もあって私は『火』の魔術が得意だ。だけど『水』や『空』は余り得意ではない。なのでそういう専門家に診て貰う必要があった。と同時に最初に言った、五大属性の相互作用や相乗効果を診れる人も必要だった。

 先生に出逢って真名を知った時、父は『遠坂の悲願が叶っていた』とは捉えなかった。真に私を導ける人に出逢えたと考えたのだ。もし虚数で名の通った魔術師が居たら桜をその人に託す事も考えていたという。では、何故エーデルフェルトにというと、あちらの一族の中に以前『虚』の属性を持つ人が居て、資料もそれなりに揃っている事が確認できたからだ。

 この事例からもわかると思うが『大きな』『長く続く家』は『価値がある』のは間違いない。そしてその『看板』を維持する事にどれだけ真摯なのかをだ。歴代のエーデルフェルトは十分にその尊敬を受けて然るべき家なのだ。そういう家と比べたら遠坂なんて極東の田舎にある小さな町の魔術師でしかない。大切なのはそこを理解した上で、では自分達はどうするのかにある。少なからず父はそう考えられる人だった。

 

 

 店頭に『中古』として売られていた車両なだけあってエンジンはセル一発だった。なのにそのエンジンの些細な振動を感じ取っただけでクランクが変だという『エルさん』。解析の魔術を使ったのはわかるけれど、まるで透視でもしたかのような物言いだった。本当に凄まじい魔術師だ。

 

『一度エンジンをバラして確認ですね。その時にキックを付けましょう』

 

 キックペダルセットというのがあって、後で取り付けられるのだそうだ。『TW』はセル・キック併用なのに、何故かセローはキック式がセル式に替わった時にキックペダルが廃止されてしまったらしい。だけどヤマハはオプションとして残していてくれた。そこが凄いのだと『エルさん』は言う。

 また『エルさん』はご自分のコレクション(!)しているセローと、常用しているセローやブロンコには全部キックペダルを付けているらしい。当時はブロンコにキックは付かないと告知されていたらしいが、ほとんど問題なく付いたし、セローのミッションも入るそうだ。

 

『はっきり言って、重量増ですからあまり良くない事です。ですがこの『お守り(キックペダル)』は、『どこにでも行けて、どこからでも帰って来れる』という安心感があります』

 

 アインツベルンの森の中でのみ使う『森セロー』、近場の林道を走る『林道セロー』、ブロンコのミッションを流用して、四国や九州などを走ったという、純正キャリアと、社外品の16リットルタンク(225/純正7.6、Wで8.8、WEで10リットル。250/9.6~9.8)を着けた『ツーリング・セロー』、などなど用途に拠って自分で名付けたセローがあるそうだ。

 どうしてそんなに? と聞くと『セローには子供の頃の強烈な思い出があり、『TW』や『SR』が好きというのとは違った感覚がある』のだと答えてくれた。なお『エルさん』は近場を走る場合は『TW』が多いらしく、次に『SR』か『ZEPHYR750』、その次に『TW』とは逆にセローのミッションを入れたブロンコなのだそうだ。

 

(『TW』は元が『BW200』というレクリエーションバイクからの発展型なので、200でも225でも7リットルしかガソリンが入らないらしい。冒険バイクがそれで良いのかという気はするが、本当に冒険したい人はサポートカーがあるか、社外品なんて使わずタンクを自作するから関係ないのだそうだ。そもそも板金や溶接ができない人が、冒険を望んだり、タンク流用に手を出すのはかなり無茶があるという。これに関してパミさんも強く頷いていて、かつて『エルさん』はパミさんのためにアメリカンタイプのバイクをカスタムしてスクランブラーという昔風のオフロード車にしてしまったらしい。どうやらそれはフレームから溶接し直してあって、ショップに頼むレベルのものだったという。

 また、『エルさん』のセローや『TW』はカムシャフトの軸受けのメタルをベアリングに交換してあったり、給排気口を滑らかに削ってあったり、燃焼室の天井もツルツルにしてあるのだそうだ。どういう意味でそんな事をするのか、当然私にはわからないが、何かメリットがあるのだろう。大抵のバイクはステップの付け替えやハンドルの高さなどのポジションに関わる部分のみを換えるだけらしいが、セロー系だけはエンジンから弄る事が多いと教えてくれた)

 

 最近はそこにホンダの『SL230』や、ヤマハの『トリッカー』が加わるという。『どれだけ!?』と今更驚かないけれど、以前はホンダの『XL230』も試していたらしい(※)。。また、サイズが異なるが『CL400(CB400SSの前の型)』なんかも試した事があるという。それでもセローと『SR』はお蔵入りに出来なかったそうだ。

 

※)この『XL230』のお試し期間は1週間もなかったという。すぐに『SL230』に戻したそうだ。その理由はこの『SL230』にはセローとは異なる味があって、そこが捨て難いからだったそう。その味の部分が懐古趣味に走った『XL230』は薄まっていて、どうにも味気なかったらしい。

 では『SL230』の味とは何だとなると、ボアストロークから来るエンジンそのものの回転する味、フライホイールの重量から来るトルクの味、手入れがしやすく乗り手を選ばないCV型キャブレターのレスポンスの味などが良いらしい。だけど反面、ストロークが長い事と、フライホイールが重い事でモッサリ感が付き纏う点と、フレーム構造から来るピボットへのグリスアップがし難い点、ステップ位置やサイドスタンド位置が障害乗り越えを阻害する点などが不満なのだそうだ。

 その辺りは初心者向けなら何を選んでも50歩100歩なのだけど、そういう初心者向けの中でなら、セローの方がホンの少しだけトータルでマシらしい。だけど初心者向けは総じて乗りやすく、本格的なエンデューロでない限り『ごっこ遊び』には十分なのだそうだ。それに『FTR223』と同じエンジンを積む『SL230』は粘るので街乗りにも不満はなく、純正キャリアも中々の出来なので今売られている最終型(2004年)を手に入れても損はないとの事だった。

 何より『SL230』に乗るとセローの良さが再確認でき、セローに乗ると『SL230』の良いところがわかるのだという。そこはセローへの対抗馬としてホンダが真面目に作っただけはあるらしい。そして……長年セロー党だった『エルさん』にしてみれば、浮気をしているような背徳感を覚えてゾクゾクするそうだ……。どんなだ!?

 後、250cc以下からアマチュアが公道走行できるエンデューロ・マシーンを選ぶなら、スズキの『DR250R』の一択だから、今なら店頭に残っている最終型がまだ手に入ると言い、もし足が届くのなら『DR-Z400S』も捨て難いとも話し、挙げ句、スズキの単気筒エンジンのボアストロークと、同系列エンジンの変遷を知れば『そこらのニワカ鈴菌を撃退できる』と、私の肩を持って熱く語ってくれた。なんだ、この人?

 なお、このスズキの両車はエルヴァさんやアントニーさんの愛車らしく、『エルさん』はそれだけでお二人を高く評価していた。魔術の腕とか人柄とかは、バイクとは限らないが、何を大切にし所持しているか、その大切なものを『どういう基準で判断して選んだ』のかなどの背景を知るだけで、だいたいの考え方や腕が見えて来るものらしい。

 言わんとしている事はわからなくもないが、それには相当な洞察力と知識を知識で終わらせない熟知の域が必要だろう。しかもエルヴァさんとアントニーさんは、『スズキ伝承保菌者』だと謎の言葉まで被せて来る始末だ。こんなの最早、私には理解できない領域だ……)

 

 

 

 初心者な私と違って、バイクでの旅に出る機会も多いベテランの『エルさん』ともなれば、『SR』でのキック再始動はとても面倒くさいものなのだそうだ。『CL400』をお蔵入りしたのも、キックしかない事に耐えられなくなったからだという。デザインは結構気に入っていたらしいが、その程度なら『SR』で良いやとなったみたい。

 また、気持ちよくキックを下ろせるのは旅の出発日の、それもその日の朝の始動の一発だけだと断言していた。で、散々走って、振動でダメージを食らった体を休憩でやっとこ少し癒やした後の再始動が、とんでもなく辛いのだともいう。そのキックが疲れを呼び戻し、『一体自分は何をやっているんだろう?』と懐疑的になってしまうらしい。

 つまりこれは『バイクを使った旅』が目的なのか、『そこへ行く旅』自体が目的だったのかで心が揺れ動くからだそうだ。どうも『エルさん』は仕事の関係で出張がやたら多っかたから、目的の曖昧な旅が苦手なのだそうだ。同じような理由からダラダラするのも苦手で、必然交友関係も厳しく狭いものになってしまうらしい。

 そこが自分の欠点だと正直に話してくれるのだけど、子供の頃からアインツベルンの総裁で、倫敦やプラハでの魔術協会理事を兼任しているような人だから、寄って来る人達も全員が全員、心許せる人達とは行かないだろう。なのに自分の殻に閉じ籠もる事もないし、随分と社交的で、スイスには幼稚園時代の友人が居り、その人とは今も文通する仲だという。

 この辺りの事は私も先生や両親から散々言われていた事だ。社交性に欠け、他者との交流を避ける魔術師は、本業が上手く行かなくなり、やがては魔術を探究できる資金調達が断ち消えると。なのでお中元にお歳暮、暑中見舞いに年賀状、こういうのを私は欠かさない。お国が異なるからアレだけど、『エルさん』もそこは同じなのだと思う。

『エルさん』は続ける。アスファルトの焼けた真夏のキックや、キンキンにエンジンが冷えた真冬のキックは、思い出じゃなくトラウマになりかねないものだと。むしろそれ込みで『旅やツーリングを強く印象付ける』から、帰った時に安心感から来る反動で『いい旅だった』と錯覚するのではないかと、独特な考察を混じえて話してくれた。

 それと『エルさん』は自転車で100km200kmは平気で走るそうで、ドイツではマンハイム(本当はハイデルベルクの辺り)から、昔住んでいたスイスの家(ハイジの家の近くだそうだ!)まで走る場合もあるとミトさんが教えてくれた。その距離がざっと350kmから400kmだという。疲れ切ってスイスに入ってからの上りは『地獄』なのだそうだ。

 

『アルミだと脚が死にます。クロモリなら脚は残りますが、重さが心を折りに来ます。そこでカーボンですが、コンフォートなフレームを選ぶか、コンペティションなフレームを選ぶかでゴールが変わります』

 

 ゴールが変わる?

 

『翌朝をベッドで迎えるのか、牛やヤギのいる牧場なのか、です』

 

 どういう意味だ?

 

『疲れて眠ってしまうという意味ですよ』

 

 どんなだ!?

 

『ならさ。バイクでの500kmや1000kmなんてどうって事はない距離だよね? だけど体は疲れるよね? そんな何回目かの休憩の後のキック始動ってどう、リン? 私、『エル』がハンドルを握って片足をキックに掛けながら眠っているのを見た事あるもの』

 

 はぁ?

 

『私も一回ある。SRは2~300kmまでのバイクだね』

『うん。私もそう思う』

 

 ミトさんとパミさんが言うには、三人で以前、ドイツからロシアのイルクーツクまでバイクで走った事があるそうだ。その時は魔術の倉庫を利用してロシアに入る直前に、あちらで登録してあったバイクに乗り換えたのだという。そしてロシアでの用事を済ませた帰り、チェコに入る前に再び元のバイクに乗り換えたそうだ。

 その帰りの時のアウトバーンのサービスエリアで、キックを下ろすポーズのまま彫像のように『エルさん』は眠っていたそうだ。それがミトさんが目撃したもので、パミさんが目撃した場面はまた別だという。そんなマンガみたいなコトってあり得るの? だけど、あったのだろう……。

 自分で漕ぐ自転車ならわからないでもない。疲れに疲れ切った後なら、草むらで眠るのか、無事ベッドまで行けるのかは残った体力次第だ。だけどバイクでそこまで行く? これもまた神秘ではないだろうか? もしくは過眠症とか?

 

『仕事が過酷なの? それとも何かの病気じゃ?』

『違う違う。『Hitting the wall(ハンガーノック)』って知っている? 要は脳の栄養不足だよ』

 

 パミさんがそう教えてくれた。自転車レースやマラソン、トライアスロンなどで稀に見られる症状らしく、急激な運動によって体に蓄えていた栄養を失った状態を指すのだそうだ。『エルさん』は人形遣いでもあるから、同時操作や魔術の同時行使で脳に負荷が掛かり過ぎ、この状態に陥る事が今までも何度かあったらしい。

 今日もバイク屋さんに行く前は、三人でツーリングしながら、こちらでエルマさん達を手伝っていたそうだ。それを聞いて私はハッとした。間桐さんが学園に来れなくなったのも、こういう事をやり過ぎていたからなんじゃ……? 私はそういう気がした。

 だから間桐さんが心底心配になった私は、『エルさん』達に頭を下げ、屋内に入って頂いた。それで間桐さんとも知り合いらしい『エルさん』に相談に乗って貰うべく、着替える間も惜しんで制服のままリビングに入る直前の廊下で話しを始めた。廊下なのは、リビングに入ってしまうと他の人が居るからだった。

 

「先生が今朝から出ているそうですね?」

 

 気を遣ってくれたのか、『エルさん』は日本語だった。しかも声をかなり潜めてくれているし、ミトさんやパミさんを先にリビングへ促してさえいた。

 

「そうなの? そこは知らないけれど」

「一応、先生にも話してあったのになぁ。あなたと同じで心配なんでしょうね」

「まさか間桐さんのところへ?」

「それは多分、空振りだと思います。彼女は用心深い人ですから、幾つか隠れ家を持っていて、そこを転々として暮らしています。ですので、当てずっぽうで出掛けても捕まらないと思いますよ。まぁ、先生の事ですから逢えればラッキーといった程度で、空振りとわかれば別の案件でどこかに行かれた事でしょう」

 

 そして『エルさん』は私に耳打ちした。

 

「彼女はもう大丈夫ですよ。マコトさんには私が鋳造した『人形』をとっくに渡してあります。そちらを使えば彼女は、普通に暮らして子供も望めます。今はその新しい身体に早く慣れようと練習中なのと、今までの蟲で構成された身体の使い道や、これまで彼女を支えて来てくれた『ミツバチ』をどうするのかを思案中なだけです。もし彼女が望むのであれば、こちらは他の『人形』も提供できます。それだけの対価は頂きますが。そこも含めての思案期間が今だと考えて下さい。それに凛さん。マコトさんは大学受験資格を得るための勉強は続けています。彼女には彼女のペースがあるのですから、長い目で見てあげて下さい」

 

 それから『エルさん』は、以前私の思った通り、先生の指示で間桐さんに接近し今は懇意の仲になっている事をきちんと明かしてくれた。この『指示』の件は先生からも伺っていたけれど、『人形』や蟲の擬態の分割操作が脳への過負荷になりはしないかとの私の疑念を話すと、そこは間桐さん自身がかなり気を遣っていて、使用する際の目的はともかく、蟲遣いとしての使用方法には間違った点はなかったそうだ。

 また『人形』の方にはリミッターが付いているから、この先『人形』が増えても間桐さん自身の安全は確保されているのだという。だから私を安心させるべく、締め括りに再度『大丈夫』と請け負ってくれたのだった。そんな訳で私は漸く着替えるべく自室に下がれた。

 とりあえず明日の時間割に合わせ、教科書やノートを揃えてから私服に着替え掛かり、脱いだ制服のブラウスは洗濯カゴに放り入れた。今は夕方の6時。いつものクリーニング店は7時までだから、まだ間に合う。学生の一人住まいだから、来客があると洗濯物のローテーションにいつも悩む。

 女の子だから学園には毎日洗濯したてを着て行きたい。だけど日中は授業だし、学園からの帰りは二日に一回はお買い物にスーパーへ寄らなきゃだし、学生カバンなりレジ袋なりを下ろせば、教科書とノートを入れ替えたり、冷蔵庫に仕分けしなきゃならない。そして着替えればすぐさま夕ご飯の下拵えだ。

 なので私は不本意ながら、制服を含むブラウス類は毎日クリーニング店に出していた。こっちに来てからの二人のアーチャーは甲斐甲斐しくお茶をいれてくれたり、率先してお買い物やお料理をしてくれるが、『洗濯物はないか?』とは絶対に言わない。それは私が女性で、聖杯戦争時に一切アーチャーに洗濯を許さなかったからだ。

 きっとその事を元サーヴァントだった方が憶えていて、もう一人のアーチャーにも話してあるからだろう。だけど戦争中にのこのこクリーニング店に出掛ける私じゃないし、肌着類くらいは自分で洗濯していた。だけど気付けばエルヴァさんとエルマさんが私の分まで選択してくれていた。

 その真相は驚くなかれ、『どうせ洗濯機を回すのだから』と自分達の分や凛さんにルヴィアさん、先生の分まであの期間は姉妹で洗っていてくれたのだ。最初は貸し与えた自室の掃除だけだったのに、あれよあれよという間にお弁当まで作ってくれるようになっていた。保温ランチジャーには驚かされたが……。

 そんな事を思い出しながら、机の上に揃えた教科書やノートを学生カバンの中身と入れ替えようとしてハッとした。空のお弁当箱がコンニチワしている。真夏でなくて良かった。この時に私は『遠坂のうっかりは毎日が楽しかった証拠なのかもね』なんて考えていた。

 まぁ、ともかく下に降りた私は、どっちだかわからないから二人のアーチャーにお礼を言って空箱を差し出した。次に手提げの紙袋に押し込んだ洗濯物の中から下着を出して洗濯機に放り込みつつ、女性陣に声を掛けた。するとヴンダーさんが皆さんの衣類を既に集め終えていて、洗濯ネットなどに仕分けるのを手伝ってくれた。

 そしてエルマさんはと言うと、『明日、学園に着て行く予備はありますよね?』『吊るしか畳みか』と確認してくれた後、クリーニング店まで行ってくれたのだった。勿論、影でアサシンが護衛しているだろうし、『エルさん』も手を打っていそうだ。なお、戻ったエルマさんに、自分を棚に上げて心苦しいが、どうして制服を洗おうとしなかったのかを聞いてみた。

 

「あの、こんなの言って良い立場じゃないんだけど、何でもできそうなあなたがどうして制服を洗おうかとは言わなかったの?」

「そこは簡単ですよ。クリーニング店に出している事実から、こちらは次の事が想像できます。一つは仕上げ方が気に入っているクリーニング店だから。二つ、肌着や私服もあるのに、一人住まいで毎日着る学生ブラウスのアイロン掛けまでするには無理がある。三つ、生活を成り立たせるためには、食事や勉学などの中からどこかを削る必要があった。そんな中から、一番家名を汚さず、ご両親の名誉も守れるもの……それは代替方法が確保できるもの、つまり洗濯の外注であり、食堂やパンで済ませられる朝のお弁当作りだった」

 

 見事だ。ズバリそれが私がクリーニング店を利用する理由だったから。だけどエルマさんはお姉さんであるエルヴァさんの、受け売りを憶えていただけだと言った。仮にそうだとしても、そういう洞察ができる人の傍で学べば、そういう考え方や、考えを導くポイントを発見するコツなどが自然と身に付くだろう。

 

「ウチみたいな共同生活だったら、皆んなで手分けしたり手伝いながら、どうにか出来るんだけどね。一人だけなら私も厳しいわ」

「ですわね。皆さんとご一緒だから、私のような世間知らずでもアジくらいなら開けるようになり、カレーやシチューが作れるようになりましたのよ」

 

 という事を、凛さんとルヴィアさんが。ルヴィアさん、アジが開けて、カレーが作れるのか!? エーデルフェルトのお嬢様が!? だけどそれもこれもエルヴァさんがそう指導してくれたからなのだと口を揃えて言う。何故か『エルさん』はエッヘンと胸を張っていた。最早、エルヴァさんは他人なんでしょう?

『だけど』とエルマさんは言う。

 

『お姉様のお料理上手やお掃除好き、家事炊事の随所に見られる創意工夫やアレンジなどは、全部『エル様』から受け継いだものです。学園のブラウスの半袖を仕上げる、丸く膨らんだアイロン台も、『エル様』がご自分で作ったものを元に、その記憶があるお姉様が作ったものなんです。あんなアイロン台がなければ、自分達で洗って仕上げようとまでは思わないですよ』

 

『それと共同生活している家が、以前はメイドがたくさん居たエーデルフェルトの別宅なんです。そこを少しづつ私達が手伝う事で本国に戻りたいメイドを帰してあげて、今に至るという感じなんですね。ですのでランドリールームが広くて、大型の洗濯機や乾燥機、プレス機や業務用アイロンなどが揃っていたのも大きいです』

 

 そう言った後にエルマさんは少し小声で『私とヴンダーはアインツベルンの元メイドでした』と囁いた。これはきっと衛宮さんや間桐慎二さんに聞こえないようにだ。そうじゃないかと思っていた。エルマさんとヴンダーさんはホムンクルスなんじゃないかって。それも汎用型の。そこがエルマさんへアピールしまくりな慎二さんには秘密なのだろう。先生も濁していたし、打ち明けるには、今はまだ早いという段階のようだった。

 やがて先生が戻り、私達は食事を摂った。アーチャー達が用意した今夜のおかずは、豚汁とアジフライ、千切りキャベツにプチトマト、それから山菜の酢の物だった。こんなの一人だと作る気にならないぞ? だって豚汁からして具沢山で何か違う。『エルさん』が言うにはここまで具沢山だと『豚汁(とんじる)』でなく、『豚汁(ぶたじる)』なのだそうだ。

 今は『豚汁(とんじる)』も『豚汁(ぶたじる)』も同一視されているし、方言的な読み違いであると料理研究本にも書かれたりするそうだから間違いではない。だけど本来は別物で、その大元は九州の鹿児島から広まった薩摩汁と、東北の芋煮という地方の郷土料理、お寺同士で広まったけんちん汁、道々の人達が食していた味噌仕立てのごった煮(この場合は魚介でなく獣肉の猪鍋)などがそのルーツであり、それらが一般家庭に広まる際に、アレンジされ、ミックスされ今のように広まっていったらしい。

 そこに育った家庭、育った地方、子供の頃の記憶などが加味され、その人が『頭に思い浮かべる豚汁』は本当にバラバラな今の状況に至る。例えば定食屋さんの具が少ない豚汁も豚汁に間違いないし、厚揚げや焼き豆腐、サツマイモやジャガイモが入っていても、豚肉とお味噌で仕立ててあれば豚汁な訳だ。

『エルさん』は根菜が好きらしく、自分で豚汁を作る場合は、ゴボウとニンジン、それとイチョウに切った薄いダイコンとコシのある硬めのコンニャクを欠かさないという。そこにブタの小間切れを、大きさを揃えてからドサッと入れ、適当に切った厚揚げや皮がついた輪切りのサツマイモなどを入れるのだそうだ。

 それをうどん鉢のような器に盛って、小口に切った九条ネギや斜めに切った長ネギを添え、お好みで七味や山椒を振って頂く。すると、それ以外におかずなんて要らないくらい満足できるという。また、ルーツとされる各々の汁料理を思い返せば、妙に納得できる説である。

 と言うのは、元来芋煮とけんちん汁はお味噌でなく、ダシと醤油で味を整えるものだし、中でもけんちん汁は精進料理だからお肉はご法度である点。さつま汁は闘鶏の鶏を無駄なく使おうと始まったもので、獣肉を使ったごった煮が根っ子にある点を指摘した上で────、

 一つ一つのルーツが戦国時代から江戸時代の頃に成立していた事、お肉の処理方法がまだ広く知られていなかった頃である事、当然氷室以外の冷蔵庫などがなかった時代である事、などなどの要素が、これらの料理を時代とともに変形させる事を許容する柔軟さを自ずと持たせていたからとも話し────、

 その上で、精肉の流通よりも味噌で獣肉の臭みを和らげるこの料理のキモの方が先に広まっていたからという背景と、精肉が高価だった頃の名残りで、薄切りの小間切れ肉でも許されてしまう点、即ち今日の日本人が持ち合わせる味覚の原点は、少量の肉と、それよりも少し多い魚介類、更に多い野菜で培われた事を指摘してから、今日もずっと愛される家庭料理として残っているのだと朗々と説明を締め括ったからだ。

 高校を卒業したばかりの人が、こんな風に説明できるものだろうか? 間違っている可能性もあるだろうし、一概には言えない部分もあるだろう。だけどこうも堂々と話せるのは、それだけ調べ、自分でも調理し、味のベースから比較して研究した経験があるからだろう。

 ドイツでは企業のオーナーだと聞いている。この人は、いつもこんな風にプレゼンテーションをするのだろうか? 何とも底知れない人だと感心してたら、先生がクスクスと笑っていた。『エルさん』はそんな先生の含み笑いを気にする事もなく、もし豚汁のお肉に、薄切りでない分厚いトンカツ用の豚ロースを入れてしまえば、食べ応えは出ても味は大味になるばかりで、もっと野菜を摂ろうと葉物野菜をたっぷり入れれば、今度は水気が多くなって味が暈けてしまう。豚汁はある意味、究極の料理だとまで話していた。

 

『だからって、ポトフに笹掻きゴボウや、ダイコンを入れたりはしないでしょう?』

 

 と、先生。

 

『ポトフにダイコン?』

 

 これは私。私達は英語に切り替えていた。

 

『そう。お料理研究の果てにそうなったみたいな?』

 

 先生は本当に楽しそうに笑っていた。

 

『ええ。そこにサワークリームなどを掛けて頂くんですよ。美味しいですよ?』

 

 ポトフのスープは干した牛すね肉とハーブの効いたソーセージで採るんだっけか? そこにダイコンやサワークリームねぇ。アリなのかしら? いや、アリなんだろうね。

 

 

 

 

 

 翌日、完成した試作ベルトのテストは朝食時の『エル様』からの提案で、『エル様』の宝具の中で行う事になった。新しい魔術のテストに使え、武器弾薬のテストにも耐えられる一室があるのだという。

 このテスには、学園に行かなければならない凛さんは参加しない。また、凛さんから許可を取っていた先生のお手伝いで、助手として工房に降りなければならない私達の方の凛さん、ルヴィアさんも不参加だ。また、パミ様やミト様から誘われ三人で遊びに出掛けたイリヤ姉さん達もいない。

 留守居役は私達の方のアーチャーさんで、エルヴァさん達の方のアーチャーさんは私達と『エル様』の宝具の中に入った。これは誰かが残らないと宅配便などがあった場合対応できないからだ。この時、私は気付いていなかった。いや、ド忘れしていた。ランサーとランスロットさんの姿が見えない事を────。

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