※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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118、冬木の日々 19

『エル様』や皆さんが再び『宝具』に入った後、私とゾウケンくんはアダムを混じえて本日のテスト結果について議論していた。

 

『概ね、この方向で良いのではないかえ、エルマや』

「そうだね。気分的には100点満点だよ。でも、贅沢だけど120点は欲しいなぁ」

『うむ。彼らの事だから想定しているのは、当然ながら緊急時に於ける人命救助などへの使用だ。その『緊急』というサンプルが経験豊富なゾウケンならともかく、私やエルマには圧倒的に不足している。あまりにもレアケースなんだ。私に創造力はあれど、想像力には自信がない。結論として眼の前で起きる一つ一つの困難に対処して、使用者がそこから学び、その経験を我々に知らせ、しかる後に我々が随時改良を加える他ない』

『うむ、アダムの言う通りじゃ。この先は対処法しかないじゃろう。問題は改良されるまでに掛かる時間じゃ。エルマにアダム。ゼルレッチ殿が杖に人口精霊を備え付けたのは、本来は自己改良能力を持たせるためだったのではないか? 儂はそんな気がするんじゃが……』

 

 そこで私はルビーを促した。

 

『先に言っておきますが、私は造物主からそんな機能は与えられていませんし、そういうケースの場合は自己改良しなさいとも命令されていません。記憶が封印されていたならわかりませんが、それもないと思います』

「うん、そこは信じるよ。それにゾウケンくんが話しているのは『宝石翁の計画では』という意味で、そういう能力を隠し持っているって疑っての言葉じゃないから。だけどゾウケンくん? 宝石翁ってそこまで人類に優しいの?」

『そこじゃな。人類全体……つまり『種』に対しては保全の意味もあって見守っとるようじゃが、個別には興味がないじゃろうなぁ』

「でしょう? なら、エルヴァさんの世界と私達の世界とを『ゲート』で繋ぐ事と、その『ゲート』を『現象』に見逃して貰える手段を見付ける事が必要だよね?」

『現実に即せばそうなるのぅ』

「だからさ……」

 

 そんな風にアツく話していたら、

 

「少しクールダウンしたら?」

 

 と、皆んなの前にアイスティが配られた。アダムの前には餌皿に入ったミルクだ。ヴンダーかと思ったら視界に入る腕は四本。んん? と顔を上げたら、ヴンダーと『エル様』だった。だけどどこか雰囲気が違う。『少しクールダウンしたら?』。私は先程のセリフが誰の声だったのかを考えた。

 

「もしや、お手伝いの時にメモを残して下さった?」

「はい。それは私です」

 

 やっぱり。私はこの『エル様』にある確信があった。

 

「もしや……お姉様の後に入られた『47番』の……?」

「ええ。私もエルには違いありませんが、ご存知のように私と『彼女』は微妙に異なる存在です。それは当然前任者とも……。また私は前任者が居た事も、あなたが前任者の『妹』として可愛がられていた事も情報として知っていました。ですからあなたに興味を抱いていました。メモはそのメッセージの意味です」

 

 ああ! 杖からエーテルを出していたゾウケンくんがソファーから飛び上がって驚き、ルビーに至っては重力操作が一瞬狂ったのか、天井にぶつかっていた。

 

『お、おヌシはエルヴァなのかえ?』

 

 ゾウケンくんだ。その方は顎に人差し指を当てながら首を傾げた。

 

「ああ……。前任者は名を『エルヴァ』で通しているのですね?」

『そうじゃ。儂はマキリ・ゾォルケンで通るかの?』

「はい。その情報はあります」

 

 そう言ってゾウケンくんと親しげに話され、時折私にも笑顔を向けてくれた。この方は『エル様』がお姉様の人格を再現した、新しい『47番』で、新しい『反対派』なのだ。そんな不思議な関係性なのに、少なからず私に興味を持ち、親しげな微笑みで接して下さる。その優しいお顔は、最早私の主観だと『エル様』の中のお一人ではなく『お姉様』だった。私は『お姉様!』と飛びつきそうになる自分を何とか抑えた。

 

『エルマ、『エル』のこれも魔術師の範囲なのかの?』

「そうだよ、ゾウケンくん。凄まじいけど範囲の事だってお姉様も仰っていたよ」

『そうかえ……』

 

 これの意味するところはタバコを吸ったりメガネを掛けたりする事で、人格というかモードを切り替える事を指している。契約事の多い魔術師は、その履行に常人の持つ常識や良心は持ち込めないから、一旦頭の中や感情をリセットする必要があったりする。そこが『エル様』はやたら上手いのだ。

 だからこの多重人格にも見える魔術を幼い頃から磨いて来られた。これらがあっての果ての分割思考であり、脳内百人会議なのだった。この事はゾウケンくんにも話した覚えがあるのだけど、お姉様を知り、百戦錬磨の経験があるゾウケンくんでも、ここまで複雑怪奇な別人格構築ケースはさすがに初めてだったようで、私と『47番さん』の言葉に何度も何度も驚いていたのだった。

 

『わかったようでわかっておらなんだな……。ここまでの者とは……どこの世界に行こうと『儂』では逆らえん。となればユーブスタクハイトや時臣ごときではどうにもならんわな……』

 

 そんなゾウケンくんの呟きに、『47番さん』は困ったようなお顔をしてらした。こういう仕草は『エル様』じゃない。本当にお姉様そのままだ。だけどそんな『ところ』も『エル様』の側面なのだ。お風邪を召されたかイリヤ様と些細な喧嘩をなされたか、きっとそういう気弱になられた時にだけしか見られない側面なのだ。

 総裁としての年月が『素直で』『正義感が強く』『公平で真っ直ぐ』だった少女を、『少しわかり難く』『どこか変(変態とも言う)な』人物にしてしまった。これは私の感想ではない。お義兄様のアーチャー様やアルトリア様から以前お聞きした『エル様』についての感想だ。

 

 お茶でのクールダウンから始まったお喋りは、私やゾウケンくんの好奇心を刺激しまくりで、議論もほとんど煮詰まっていたのもあって、結局その後は『47番さん』とのお話で終始し、『エル様』達が宝具から戻っても、凛さんとルヴィアさんが先生と地下室から上がって来ても続いていた。結局お開きになったのは、ここの凛さんが学園から帰宅し、パミ様やミト様、姉さん達も戻りそろそろ夕飯かという頃だった。

 食事を済ませ、お風呂を頂き、自室に戻ってから思った。ものすごく気分がスッキリして、リラックスできているのだ。その主導が『エル様』にあるのか『47番さん』にあるのかはわからないけれど、私を『気遣って下さった』のは理解できた。なのでその夜はぐっすり眠れた。

 

 

 

 その翌朝、スッキリした気分で起床できた私は少し運動しようとジャージに着替え外に出た。すると玄関からほんの少し出た外で、『エル様』とミト様、そしてパミ様が姉さんと話し合っていた。私の姿を見た姉さんが『オハヨ~♪』と上機嫌で私の腕を抱いた。

『何かあったな』と咄嗟に考えたが、これという思い浮かぶものがない。何より私が心配だと着いて来たから、アルバイトもないし毎日暇を持て余しているだろう。多少のお金は工面できるから、どこかに1~2泊で旅行にでも行けばと、薦めようかなと考えていたところだ。だから姉さんからの次の言葉に驚いた。

 

「エルマ、一週間くらい空けてもいい?」

「突然どうしました?」

「うん。ミト達に旅費を持つから北海道に行こうって誘われたの」

 

 そう来たか。私はミト様やパミ様にお礼を言った。勿論、姉さんには『楽しんで』と申し添えて。そして『エル様』に向き直った。

 

「あなたのために『新47番』を含んだ数人を残していきます。それと『お姉さん』にはタップリ楽しんで貰うために、飛行機で新千歳まで行って、北海道ではバイクでツーリングします。一週間と言われましたが、場合によれば二週間以上という事もあります。何かあれば連絡は入れますが、そこは先に承知しておいて下さい」

 

 私は頷いた。これは一週間から二週間で『ベルトを完成させましょうね』という裏の意味もあると読めたからだ。そもそも今回の『エル様』方は、あくまでも休暇でこの世界に来ているだけだった。つまりこの休暇中に遊びたい予定がたくさん待っているのだ。私を手伝ったり、エルヴァさん達と親交を結んだりといった事は、好奇心と持ち前のサービス精神から来るサプライズでしかない。

 その延長として姉さんとのツーリングを、昨日思い立ったのだと思う。ここは考えどころだ。要は『エル様』は昨日、宝具の中だけでなく、姉さん達とも一緒にいたという事だ。勿論、ずっととは思わない。短時間だけの合流だったかも知れない。だけど同時操作を行っていたか、別の『ナンバーズ』の方に任せていたのは間違いないだろう。

 そして『エル様』はランサーとランスロットさんに『付き合わせたお礼』として、釣り竿やキャンプ道具を幾つか贈る事を申し出てくれ、午前中はその手の用品店にお買い物へ行きたい旨を話して下さった。なので朝食後にランサーとランスロットさんを呼んで、『エル様』に二人をお任せしたのだった。

『お買い物後の品はこれに入れて』とランサーにいつものポーチを渡しておいた。これはまぁ、理論的にはエルヴァさんの財布と同じようなものだ。ただエルヴァさんのとは大きく違う部分もある。それが『霊体化していても所持できる』という部分だった。

 だから英霊が持つ『袋』としてかなり便利なものなのだけど、男性魔術師としてのエルヴァさんがいつも持ち歩く財布兼武器庫と違って、ポーチは私がランサーやランスロットさんへ必要に応じて貸与するカタチにしていた。その理由が最大の難点に繋がっていて、少し詳しく言うと、魔術師としての素養がかなり高いランサーでも今は英霊だから『自分で魔力を生成できない』というところにあった。

 わかるかな? 英霊という人外に死後昇華された事で、彼ら英雄は『セカイ』や『ホシ』が魔力を送らないとこの世に存在できない存在に陥ったのだ。つまり『セカイ』や『ホシ』は、この世への一時的な復活を餌にして彼らを使役している訳だ。そしてこの『餌』は死後眠り続けるしかなかった魂や、復活の後に取り戻せる生前の感覚(主に五感)や知能へ強烈な刺激を与える。

 要は、深海の底を漂うように眠っていた時は、夢すら見れないほど何も考えていなかった筈なのに、一時的な復活が失った筈の人間性や感覚に記憶を掘り起こすものだから、そこから『生きる』という本能レベルの渇望をも魂レベルから揺さぶって来る。この『刺激』は……名声はかろうじて残っても、長い年月で墓すら朽ち果てた英霊にとっては、どれだけ甘美なものだろうか? 想像すれば理解できると思う。

 相性がバッチリで話し合って相互理解ができるのなら『サーヴァント(奴隷)』なんかに貶めずとも、令呪無しで仲良くなれるって事を幼い『エル様』は、聖杯戦争を体験する中で気付いてしまった。そこからより一層降霊術を研究され、果ては世界のあり方までを考察されるに至った。その恩恵を倫敦に行かれたお姉様が享受している訳だけど、私も今回の世界移動に於ける出逢いや体験で学べたり示唆を受けた事は大いにある。それが『転生』に付いてだった。

『誰の』って? それは『エル様』やエルヴァさんの前前前前……前世のキャスターの事であり、そこから連想できる『ある可能性』に付いてだった。その件に関してはもう少し後で話そう。

 ともかく今はポーチの続きだ。ランサーは『自分で魔力を生成できない』存在になってしまったので、霊体化した瞬間にエルヴァさんのような財布だと魔力が途切れてしまう。つまり定期的に私が魔力をポーチに込めないと、魔力が切れると内部と外の実態空間とのギャップが矛盾を大きくして、中身が飛び出て来てしまうのだ。これが霊体化して走っている場合だと目も当てられない。なので使ったら返却して貰って魔力を充填し、必要な時はその都度貸すという今の方法を執っている理由だ。

 まぁ、私にしたって身体に宝具を持っていてもそれを人に貸せる筈もない。現実はこんなものだよ。むしろシャワーの時以外は常時身に帯びる必要性が高い財布にしてしまえば、この魔術が活きるとの考えを出しエルヴァさんに教えたという、エルヴァさんにとってのルオンノタル先生のアイデアに感心する。

 ちなみにルオンノタルさんは、『エル様』の乳母のうちの一人『ルオン様』の事だ。私達の世界でのルオンさんは、エルヴァちゃんの乳母ではなく御館様(エルヴァちゃんがまだ跡を継いでいないので今代様になる)の研究助手だ。そこは聞いていて不思議な気分になる。

 エルヴァさん達のルオンさんは、エルヴァさん達が高校生の頃まではアメリカのテキサスにお住まいで、エルヴァさんとアントニーさんの家庭教師を、何と小学生時代から引き受けていたらしいからだ。ただ、不思議な気分になるだけで、家庭教師という点には驚かない。それは名家の魔術師の子供なら当たり前の教育方法だったからだ。

 この家庭教師を着けての教育期間は子供の当然の権利だと考える家ほど名門だと言って差し支えない。そこから察するに先代御館様はそれなりにエルヴァさんに期するところがあり、ルオンさんからの報告でアントニーさんの事も期待していたという事になる。だから『聖杯戦争に出て、姉を助けろ』となったのだろう。

 問題は、聖杯戦争に出るのは二人一緒なのか、一人がマスターとしてサーヴァントを召喚し、残る一人は協力者というカタチなのか、姉を援助するのか、或いは救出するのか、そういう肝心なところが一切知らされなかったところにあったという。

 

『現地に行って調べれば、追々わかるだろうって事だったんだな。けど、姉ちゃんが一人でなく二人いる事とか、片方は既に爺さんの身内でオレ達の協力者だとかは事前に知っておきたかったなぁ』

 

 洞察力や想像力を試されていたのだと思うけれど、これも大概だよね。先代御館様には『エル様』もお姉様も思うところがたくさんあると機会があるごとに話されていたのも納得だ。

 

『私の知る限り、お祖父様の中ではエルヴァちゃんのお祖父様が一番マトモですよ』

 

 とはお姉様のお言葉だ。特にお姉様は『エル様』が託した『シトナイさん』を、うるさい事を言わずに受けいれて下さった点に感じいったようだ。それと趣味や音楽の好みがお二人は噛み合っていて、ジャズやクラシックだけでなく、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)やフラメンコも嗜まれるところが凄いと考えられているそうだ。

 ここの感じ方はアメリカのお姉様も同じらしく、往年の名バンドのコンサートにもよく行かれるそうだし、家族で浜辺や桟橋(ピア)に行ってイーグルスやドゥービー・ブラザーズを聞いたりしているそうだ(そういう古いロックがメタルクィーンはお好みらしい)。

 お住まいのハンティントンビーチにあるピアは夏が近づくと様々なイベントが目白押しで、夕方や夜に出向くと、CDやレコードジャケットのような風景が見られるそうだ。そこが元々スイスの山育ちだったから新鮮だし、港街の冬木にもたくさん思い出があるから堪らないとメールにあった。

 また倫敦のお姉様もメールに、天候も気候も倫敦よりアメリカの西海岸の方が上だと何度も書いていらしゃる。英国での生活は曇天や雨が多く陰気過ぎて飽きるのだそうだ。セイバーさんには悪いが、お姉様のお気持ちもわかる。事実、エルヴァさん達も倫敦はもう懲り懲りだそうで、テキサスか今のカリフォルニア南部が一番住み良いと言っていた。

 

 

 

 アウトドア店に行くために私は3台のバイクを出した。1台は本日の私の気分にぴったりな『Z900Super4(Z1A)』、オレンジタイガーだ。サイドカバーの色味が左右で異なる、先日ランスロットに貸していたバイクそのものだけど、セル一発で掛かるエンジンはすこぶる調子が良い。

 当時物のモリワキから流れる排気音はアイドリングも安定していて、『ドロドロ、ドロドロ』と一定のリズムを刻んでいた。私はバイクを支えてくれているパッセンジャーに言った。

 

「じゃ、ランサー。出ますよ。足をステップに上げて」

「ちょ、オレの足はスタンド代わりかよ!?」

 

 爪先ツンツンなのは、シート高がノーマルだからだ。この空冷2バルブのドロドロ音は最近『ZEPHYR 1100』で味わう事が多く、今跨っている『Z1A』を操縦するのは久しぶりだった。それにこれは概ねレストアが完了したので、今日乗って洗車し終わったら、コレクションとして寝かせる積もりだった。

 旧車の『Z1』は、いつもこんな風にほぼノーマルに仕上げ、コレクションに回して時間凍結していた。手に入ったら足りないパーツを補うようにカスタムし、一時は乗り回すのだけど、その後オリジナルのパーツが揃うと、ノーマルに戻しては仕舞い込み、次の『Z1』を探すのが私だった。

『Z2』には全然とまでは言わないけれど、余り興味がない。空冷750なら断然『ZEPHYR 750』だと思うし、『ZR-7』だろうと思う。もし『XJR400R』でなく『XJR750R』があったら買った可能性は高いけれど、『GSF750』や『Inazuma750』ほど興味は惹かれなかったと思う。そしてそのどれもが、上に1100や1200、1300などの最高排気量がある。

 だけど私に『XJR1300』は似合わない。『GSF1200』や『Inazuma1200』なら似合いそうだけど、それも『かろうじて』の範囲だと思う。身長153cmのちびっこい女が250kgはありそうな大型バイクに跨っていのを、交差点で見掛けたらどう思う? 『立ちゴケするなよ~。手伝いたいけど、そんな重そうなの嫌だぞ』と考えない?

 私は考えるよ。ハーレーのファットボーイに跨るおじさんにも同じように思う。『コケるなよ~、手伝えないぞ~』って。これが郊外ならまだ良いの。『暫くあっちを向いてろ』って暗示を掛けて、身体強化して『オラァ~~ッ』って起こせるから。だけど、人目があるとそうは行かないよ。ヘアゴムでフロントブレーキをロックしても、250kg以上のクラスになると私の素のチカラだと引き起こしは結構厳しいのだ。

 それにワインディングで時折見掛けるコケたバイクは、決まって引き起こしが難しい道幅の狭い坂道や、風の抜けやすい場所にあるガードレール付近のコーナー、足元の砂利が邪魔なコーナーでコケてるから。つまり刻一刻と変化するロードインフォメーション(道路状況)を、瞬時に理解し、分析、対応できていないのだ。

 だけどこういうのは何も経験不足や知識不足で起こるものでもない。標高による気圧低下や山間部ならではの日陰の気温低下、路面温度低下、それらに拠るグリップ力低下など、本人の想定範囲を越えた出来事も有り得るのが道路というのものだからだ。

 ミトもパミもそういうのはよく知っている。なので北海道へのツーリングを想定してか、二人は結構真面目に新都までの道を走っていた。私の後ろはミトで、本日は彼女がドイツで『ZR-7』の前に乗っていたフルカウルの『GPZ1100』、それの日本版を貸していた。(ミトの本当の愛機は『YAMAHA FJR1300』だが、長期休暇でもないと滅多に乗らない)

 勿論、旧車で空冷の『GPz1100』ではない。こちらは水冷で『ZZR1100』のエンジンを流用し、『GPZ900R』風のカウルを付けた、1995年発売の派生モデルだ。モデル末期にABSモデルが追加されたので、空冷の『GPz1100』との混同を避けるために、『GPZ1100ABS』や『GPZ1100 Horizont』といった呼び方もある。

 日本国内向けは1996年からで、97馬力だったかな? それがアメリカや欧州だと120馬力だったと思う。それで『ZZR1100』の欧州一般仕様やカリフォルニアを除く北米仕様が147馬力で、ドイツ仕様が100馬力なものだから、ミトは迷わず『GPZ1100』を選んでいた。

 それでこのバイクはゆうに260kg以上あるのだけど、トルクが妙に太く、こんなでっぷりしたバイクを軽々と時速250km以上に乗せてくれるパワーがあった。しかも丸パイプの鋼管フレームだからしなやかで、以前の『GPZ1000RX』より乗り味が軟らかい。これなら北米の『KAWASAKI Concourse(※)』が欧州になくても良いとはミトの弁だった。

 だけど日本や北米では全然売れなくて、『Ninja』を名乗らせて貰えなかった不遇のバイクでもあった(1995-1999)。なので中古を探しても1995年初登場時の赤ばかりで、その後の青や黒は数が少ないしABS付きなんてまず見ない希少車になっていた。しかも同じエンジンを使った『ZRX1100』が1997年に出たものだから、誰も見向きもしなくなった。抜け忍どころか伊賀にも甲賀にも入れなかった可哀想なバイクなのだ。

 それでもカワサキで消えつつあった『GPZ』の名を復活させたバイクなのと、中古で買った人が決まって『重さを除けば、ツアラーとしての性能は良かった』との感想を残すところだ。だから決して悪いバイクではない。問題は誰もが私達みたいに出先の交通事情やシチュエーション、気分によってバイクやクルマを気軽に乗り換えられないところにある。

 良いバイクだとわかっても普通の人は2台も3台も所有出来るものではないし、出先でパッとバイクを替えられない。メーカーはあらゆる人にウケたいと思って、エンジンなどの資源を使い回すが、それも開発費回収のためだと仕方ない事だ。それに労働者のためにもラインは止められない。だから『誰得?』というようなモデルでも出さざるを得ない。

 ヒットすれば万々歳、ダメなら次の製品だと前向きに考えるのは会社が健全な証拠だし、私達だってそうしている。企画会議で『そんなの売れっこない』とは絶対に誰も言わないし言えない。特にゼファーが当たったカワサキは。当然私は第四次を1995年に迎える世界で赤を、1996年で迎える世界では青と黒を手に入れていた。乗ってみないと本質は見えないからだ。

 

※)北米や欧州で販売されていたカワサキ製のスポーツ・ツアラー。別名『GTR1000』。意外だろうけどアメリカ=ハーレーとは限らない。ヨーロピアンスタイルのツアラーを欲する層も存在するのがアメリカの奥深いところだ。北米では2006年まで販売され、後継機の『KAWASAKI 1400GTR(ZZR1400をツアラーにしたもの)』にまで途切れなく売られていた。

 一方、かつては『BMW』が君臨していた、ツアラーの本場欧州では2004年で一旦終息し、2007年から『1400GTR』に移行した。これは2001年から発売された『YAMAHA FJR1300』への対抗だとされている。なお、各社がメガスポーツを出し最高速で躍起になっていた頃、ヤマハが欧州へ落とした爆弾が『FJR1300(5JW)』だ。このバイクは素晴らしく出来が良く『スーパー・スポーツ・ツアラー』なんて言われている。ところが高速巡航だけでなく、街中のゴチャゴチャした普通の道路でも素直で乗りやすい。なのでバイクを深く知るベテランほど、このバイクを選ぶ傾向にある。

 

 

 

 そしてその本質は『重さを除けば、ツアラーとしての性能は良かった』という雑誌に載っていた感想そのままだった。もっと突っ込むと『エンジンを水冷にしてフルカウルを着けたゼファー1100だ』った。だから私は『『ZRXⅡ』の1100や1200が好きなんだなぁ、日本だと軽い400の『ZRXⅡ』だね。今出ているエンジンの塗装がシブい『ZR400-F10(2005年モデル)』を買おうかなぁ』なんて考えてしまった。

『GPZ1100』はそんなバイクだ。せめて北条に仕えたとの記録がある風魔小太郎くらいには名が残って欲しい。このままだとマンガの小次郎や、赤影第三部の魔風一族以下に記憶に残らない。なお日本に訪れる観光客の中には寺社仏閣を示す地図記号の『卍』を見て『ハーケンクロイツ(逆卍字)』だと思うガイジンが居るらしい。

 ちゃんと調べて欲しいものだ。まず右回り左回りで異なっているし、元々の卍はインドから伝わった吉祥の相を漢字として伝え残したものでしかない。その吉祥の意から日本の昔の人が『極楽』を連想し、風車のように廻って見えるところから『輪廻転生』を連想したに過ぎない。だから仏閣を表す地図記号に採用した。それが真相だ。

 またナチスのハーケンクロイツは考古学者らが発見した遺跡にあった逆卍(吉祥の逆だから魔除けの意味がある)を、アーリア人の象徴だと勝手に解釈して、ナチのシンボルにしたものでしかない。ナチスは聖櫃やら聖杯やら、石仮面やら、『さたん』に『でうす』、『まりあ』の鐘やら古今東西の秘宝を集めていたらしいから、無理もない誤解かも知れない。

 

(なお、これと似たようなバイクをスズキも80年代終わりから90年代初頭に出していて、そちらを『GSX-F』シリーズという。こっちは角型断面鋼管フレームだったが、上から海外モデルは油冷の1100、750、600。日本国内は400、250とフルラインナップだった。『KATANA』のペットネームを掲げた北米モデルの750や600は結構売れていたが、400の『GSX F』、250の『ACROSS』は国内マーケットでは受け入れられなかった。特にツアラーなのにメットイン機能のせいで燃料タンクが小さく、エンジンヘッドへのアクセスが悪い『ACROSS』は珍車扱いだ。だけどこれら、特に600と750はツアラーとして中々出来が良い。ただし角型断面鋼管フレームは若干締まり過ぎで、人に拠ってはサスの交換が必要だろう。バイクはクルマでいうピロ足みたいなものだから、軟らかいブッシュでしなやかさを出すような芸当ができない。なのでバイクのサスチューンは本当に難しいのだ。なお1100が北米でも欧州でもイマイチだったのは前後16インチというどうしようもないタイヤサイズと、フロントカウルの取って付けたようなダサい電動スクリーンにある。『GSX-R』譲りのエンジンだけは良いので、欧州ではストリートファイターに改造する例がまま見受けられるが、少なからずリアのホイール交換は必須だ)

 

 

 

 何れにせよ、そんな『GPZ1100』の中から赤をミトに貸し、北海道では黒を私が使う予定だ。パミには今(2005年)も売られ続けている中型最高ツアラー『ZZR400(ZX400N)』の2003年式キャンディサンダーブルーを貸すつもりで用意してあった。日本だとこれの前の『ZX-4』や『Ninja』の弟『GPZ400R』も結構人気があったと聞く。レプリカ時代でもフルカウル・ツアラーを作っていたのはカワサキの良心だろう。きっとこの良心がゼファーに繋がったのだと思う。

 私はドイツで2003年まで売られていた、『ZZR400』の600cc版『ZZR600(※)』に乗る事も多い。そちらも色はキャンディサンダーブルーなのだけど、ミドルサイズのツアラーは身体の小さな私にはピッタリだし、フレームがガチガチに硬い割りにとても乗りやすい。ヤマハとは違う意味でハンドリングが良いのだ。締まっているのに素直というか。

 これは『ZZR1100』にも言える事で、入れた腰やズラしたお尻の加減に即応して、思った通りにハンドルが切れ込んでくれる。それで以って、切れ込み過ぎる事もないから安心して曲がって行ける。ステムの匙加減が絶妙なのだ、この『ZZR』シリーズは。それにサスは前後とも入れ替えてある。なのでパミも『ZZR400』を気に入ってくれると思う。

 なお私の後ろがランサーなのは先に話した通りだが、ミトの後ろがランスロットで、パミの後ろがイリヤさんなのをここで明かしておく。

 

※)ドイツのお隣オーストリアとギリシアには、どういう理由かは知らないが、『ZZR500』という100cc少ないタイプがある。ただ600ccで100馬力だから、EUとしてでなくその二ヵ国から個別に馬力を落とせとでも言われたのかも知れない。

 

 

「信号待ちのたんびにオレが足を出すんだぜ?」

「私もですよ。ね、イリヤ?」

「ううん、パミは自分の足で止まってくれるよ?」

 

 男性の英霊からブーブー文句が出るが、『文句があるなら空間を飛ばして眼球の裏に練りカラシを塗りたくるぞ』と言ったら黙って霊体化した。弱い犬ほどよく吠えるとは真理だな? 気分を落ちつかせるために途中でコンビニに寄った。ジュースを買おうと思ったのだ。

 するとコンビニの入口前でしゃがみ込んでタバコを吸っている高校生くらいのカモが三羽居た。パミが『バカはどこにでもいるね』とうんざりした顔をした。するとカモはコイツラの目からは超美人に見えるミトをからかった。ミトは隙かさずカモの顔面を結界で覆い、酸素を抜いていた。その間、0.5秒。ランサーやランスロットが実体化する暇も与えなかった。そしてドイツ語でこう言った。

 

『私達がコンビニから戻るまで生きていたならあなた達の勝ちよ。頑張ってね』

 

 そして振り向いて私を叱った。

 

『エル、即暴力だと足が付くわ。こんな並行世界で事件を起こしてどうするの? 同じやるなら、両腕と両足の骨を折ってクルマの多い道路に飛ばすとか、川に飛ばすとかしなさいよ』

 

 私の『些細な怒り』などはミトにすぐバレる。これは昔っからだ。私はミトに自分の単細胞さを謝った。私と同じく単細胞気味なランサーはドイツ語がわかるので私の後ろで霊体のまま震えていた。その後、私はランサーにあたった事を謝った。術を解かれたカモ三人は泡を吹いて失神していた。それで店員さんに『店先で人が倒れている』と英語で伝えてから私達はその場を去った。

 

 

 新都の『◯◯山荘』とかいうアウトドアショップの前に大きなバイクを3台並べて止めた私達6人は、アサシンに見張りを頼でお店のビルに入ったのだった。なおこのアサシンは3人で、道の駅で私達のバイクを見張っていてくれた者達だ。なのでミトがすぐに気付き、『これで、コンビニでも行って好きなアイスを買って』とお札を握らせていた。

 こういうのが鼻に付く人もいるだろうが、ミトがすると若くして成功したミセスからの心付けやおひねり、ご祝儀に見えるところが、彼女がこれまでに培って来たスキルでもあった。欧米諸国ではアメリカ以外ほとんどの国にチップの文化は残っていない。だけど働く者に取って『心付け』は嬉しいものだ。

『金持ちぶりやがって』と思うか、『私達の事も見てくれているのだな』と思うかは、本来受け取る本人次第な訳だけど、ミトは必ず良い方向に受け入れられ、労働者から感謝されてしまう。このスキルは中々得られるものではない。これもある種の特殊能力だと思うのだ。

 そもそもミトは子供の頃からイケイケな性格で、それに拠る失敗も多いのだけど、今はそういうのが鳴りを潜め、正攻法でぎっちりと攻め、裏で刈り取る私やパミみたいなタイプになっていた。きっと仲が良い巫女の姉さんが、ミトを思って行き過ぎないよう手綱を締めてくれていたのが良かったのだと思う。

 このお店では特にランスロットの欲しい物を買った。見張り番のアサシンにお礼を言った後、次に私達は海に近い大型釣具店に向かった。乾いたZ1サウンドに酔いしれながら私はフロリダの別荘に置いてある『KZ1000(A2)』を思い出していた。900ccから排気量がアップされた『KZ1000』は1978年~1979年が丸タンク、1980~1981年が角タンク(Z1000MkⅡ)となっている。

 人気は当然『MkⅡ』や、当時盛んだったスーパーバイクレースのレギュレーションに排気量を合わせた(1016cc→998cc)『Z1000J』の方が高い(個人的に『角Z』は大きなサイドカバーがダサく見える。その意味でも私は『ZRX』の方が好きだ)。このレース向けに改造した少量の『J型』を『KR1000』と言うのだが、このバイクに塗られたカラーリングとチョコンと着いたビキニカウルがファンに強烈な印象を残した。

 翌1982年、前年のチャンピオンを記念して発売されたのが『Z1000R』、いわゆる『ローソン・レプリカ』だ。またこの年に翌1983年のストックレースのルール(ホモロゲーション)が改正され、年間24台以上作られ販売されたマシーンでないとストック(既製品)とは見做さないと決まってしまった。

 これはハイカムやら集合管などのスペシャルパーツを後から取り付ける改造を規制するためだ。なのでカワサキは1982年半ばに『Z1000S(KZ1000S)』という最初から改造してあるマシーンを30台作った。内6台はカワサキがキープしたので市販されたのはルールに則った僅か24台だけで、当然私も持っていないし、お目にかかったのはたった1回だ。

 バイク大好きなお祖父様ですらお持ちじゃないのは、メインのコレクションが欧州車なのと『KZ』という呼称にある。この『KZ』は『KAWASAKI Z(究極)』の事なのだけど、欧州では『Konzentrationslager(強制収容所)』の略でもあるから、禁忌に触れるのだ。なのでカワサキも欧州では『KZ』という型番を使っていない。

 なお、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』のは、何も大脳皮質が硬化して来ているからではない。お祖父様なんてナチス(本当はユグドミレニア)に拠ってアルトゥールお兄様を失っている。だから人の感情としてそういうのを避けるのは当然だと言える。

 しかもお祖父様はそれもコントロールされたもので、今のドイツのナチ嫌いは世論を歪めるほどの全体統制だと見抜いていらっしゃる。それでも社会的立場や地位があると異論を唱えるのは難しいものだ。だからこそ余計にメディアを使った情報コントロールがハマるのだ。

 だけど私の『掌握』や『改竄』はそれに対抗できる。

 

『じゃから、お前を後継者に決めたんじゃ』

 

 とお祖父様は仰った。それでも私だって無駄な魔術は使いたくないし、滅多矢鱈に暴力は振るいたくない。なので私は自分でレストアした丸タンクの『KZ1000(A2/79年)』をアメリカから持ち出さないのだ。

 コイツは元事故車で廃車確定だった。しかも持ち主はその事故で死んでいる。オーストラリアじゃないのに、大型トレーラーと『マッドマックス』したのだ。事故の理由はメンテ不足と些細な『霊障』だった。一番最初にこのバイクを買った人がやっぱり事故死(単独転倒。ノーヘル)していて、その霊が『オレのに乗るな』と怒っていたのだ。ただし怒っていただけで呪ってはいなかった。

『Z1』に憧れた、ガソリンスタンドで真面目に働く若者は、コツコツ貯めたお金で念願の『Z』を買った。だけどその当時『Z1』は既に絶版だった。なので最新の『KZ1000』を買った。『A1』でなく『A2』の頃だ。スタンドの仲間はちょいワルでも気が好い人達ばかりで、オーナーも元バイク小僧だったから、バイクにとても理解があったそうだ。

 その日も仕事が終わった若者はオーナーの『気をつけてな』という声に手を振り、閉めたばかりのスタンドからボロい自宅アパートへ愛車で帰るところだった。彼の住む州は真っ直ぐな道ばかりだし、ヘルメットの義務がその頃は無かった。スタンドからアパートまでも、ほぼ真っすぐで帰れた。だから操縦はお世辞にも上手いとは言えなかった。

 仕事明けで疲れていた。早く帰ってシャワーを浴びてベッドに飛び込みたかった。そんな矢先に民家からバックで出て来るクルマの側面に衝突してしまった。それでクルマの反対の側面の地面に頭から落ちて死んでしまった。そこから彼のゴースト・ライフが始まったのだった。

 次々とオーナーが代わる『Z』、手直しされ、カスタムパーツに交換され、イタズラされ、盗難され……それでも『Z』は修理され綺麗に磨かれた後に中古ショップで並んだ。『マッドマックス』したのは私の前の持ち主だけで、死んだのも一番最初の人(霊)と、『マッドマックス』だけだった。

 その理由は、『あいつ、バイクを磨かないんだ。メンテもしないし』だった。事故の原因はエンジンの焼き付きだった。オイル交換もしなければ、減っていてもわからない。だから焼き付きは必然だった。だけど私がその霊と出逢ったのは、たまたまだった。いや、呼ばれたのかも。ともかく商談でアメリカに渡っていた私は、オフの日のツーリング先で迷い込んだ、鉄くずを扱う作業場で佇む彼を発見した。

 彼の見つめる先には歪んだフレームとエンジンがあった。それ以外は何もない。フォークもマフラーもタンクもハンドルもメーターもタイヤもペダルも、何もかもが無かったのだ。興味の湧いた私は、意外と誠実そうな彼(幽霊/バイクに憑いていた)と交渉した。

 

『直してあげるから、私のために働かない?』

 

 それが一昨年前の事だ。それから彼はフロリダの別荘のガレージに移り住み、毎日別荘の番をしながら私達のバイクを磨いてくれている。彼の希望も取り入れカスタム車として復活した『KZ1000(A2)』を初めて見た彼は『Good!』と叫んでいた。名前が『ジョニー』だったので、それ以来『ジョニー・バイク(B)・グッド』が彼のアダ名だ。

 シリンダーのボーリングにヘッド面欠け修正(A2時代はブロックの『ス』がそこそこあって、その『ス』がフチにあるとガスケットからオイルが滲む。カワサキのオイル滲みは定期的に交換すべきものを交換しない乗り手の問題もあるが、この『ス』の多かった頃の悪評も大きい)、トマゼリのセパハンに、日本製のバックステップ(ショップの一品物)。ヨシムラの集合管に日本製の17インチリムに特注のスポーク(スポーク長を変えて自分で変形に手組みした)。アルミ製の太い角スイングアーム……。とにかく何もない状態だったから、フレーム修正して補強溶接した後は、ああでもないこうでもないと選んだパーツを取り付けた。

『旧車はオリジナルが一番』とはよく聞きセリフだし、私も綺麗に現存する旧車に無闇なカスタムを施すのはどうかな? と思う時がある。だけどパーツも手に入り難くなった年月を越えた事故車を再生するためのカスタムは、『最愛の人をサイボーグに改造してでも復活させたい』という気持ちに繋がるような気がする。

 そしてそれがジョニーという霊を送るための供養だと思っていたのだ、私は。

 やがてバイクは完成した。ただ、バイクが完成してからの彼は、庭で数メートル走らせただけでそれ以降操縦はしていなかった。自分が下手だからこんな綺麗になったバイクを壊せないと自重しているのだ。だから彼を後ろに乗せてマイアミまでよく走ったものだ。

 そして毎日、他のバイクも含めてメンテし、黙々と磨いてくれている。これも『バイク好き』の一つのカタチだ。だけど彼が天に還る事は無かった。何でも私の下で働く方が色んなバイクに触れられて面白いので、昇天する気はまったくないのだそうだ。これも取り憑かれた状態なのだろうか?

 

 支払いは結構な額だった。だけど私はすんなり支払った。少しランサーに申し訳ない気持ちが残っていたからだ。その大型の釣具店の傍には卸売市場があり、その近くにかなり流行っているローカルな回転寿司店がある。ここと駅前の商店街にあるお寿司屋さんはどこの世界にもあるので、私のお気に入りだった。私はアーチャーに早速お昼はいらないと電話を入れ、それから皆んなで回転寿司店に入ったのだった。離れたところからアサシンの念話があった。これでバイクも安心だ

 本当ならせっかくのミトやパミの初日本旅行なのだから、新都の商店街にある老舗の寿司店に行きたいところだ。だけど3台のバイクが邪魔になる。この商店街にも駐車場はあるにはあるが、それは各商店の搬入搬出用のクルマを営業時間中に置くところで、一般の人は駐車できないのだ。それで朝の搬入搬出が終われば商店街は全面車両通行止めになる。

 つまりあの駅前商店街はクルマやバイクで行けるようなところではないのだ。だから私は新都の駅前に用事がある場合は、どこのお店に行くかで交通手段を変えていた。そもそも駅前のアーケード商店街の作りや運営方法、その駐車場の場所に商店街の組合事務所や共同トイレがある事なんて普通の人はまず知らないものだけど。

 なら、宝具にバイクを入れろって? それは一理あるけれど、あの回転寿司もドイツ住まいのミトやパミには物珍しいだろうからね。それに欧州にある寿司屋よりも遥かに美味しくて値段も手頃なのと、近々お魚の美味しい(イクラは季節はずれだけど、エゾバフンウニやサクラマス、クロガレイなどはあるだろう)北海道に行くのだからと妥協したのだ。

 そんな風に考えながら、案内されたボックス席でミトとパミにこのお店の事や回転寿司というシステムの事を説明しながら、湯呑に人数分のお茶を入れた。二人は『そんなところからお湯が? 訴えられるよ?』と心配していた。まぁ、熱々のお湯で手を洗う人はいないと思うけれど、生水を飲む習慣がない欧州育ちだと色んな意味で驚くのも無理はない。

 

(回転寿司とは言え、仮にもお寿司なのだからお茶は当たり前という図式がそもそもミトやパミの頭にない。また欧州では人が飲んで良い飲料は有料が当たり前なので、おかわり自由なところにも驚くだろうし、使い方を知らないとヤケドしそうな注ぎ口がテーブルの上にニョキッと生えている訳だから、それは『訴えられるよ?』という言葉も出るだろう)

 

 時刻は12時よりも早かったので、平日のこんな時間帯はお孫さんを連れたお年寄りか、混む前にお昼を済ませたい労働者が多い感じだ。なお、パミもミトも『サシミ』は知っているので、きちんと処理してあれば生魚は平気だ。この『サシミ』やお寿司用の『サク』に切る上での下処理の仕方を欧米人は知らない。

 いや、日本人でもクサミの素となるドリップを、塩を振らないでどう追い出すのかは、そういう業務に携わらない限り知らないだろう。答えはキッチンペーパーで丁寧に、ポンポンと吸い取る以外にないのだけれど。このペーパーが昔は木綿の手拭地のものだった。それも『布巾』といい、今は混同している人が多い『台拭き』とは明らかに区別されていた。

 なのでその昔の布巾の管理や洗浄はとても大切な事だった。食品を包んだり水気を抜くためのものなのだからそれは当たり前だ。ハンドタオルなんかと一緒に洗濯機にも入れられない。全部お湯を張った桶で手洗いし、最後に熱湯に潜らせ陽なたで干すものなのだ。けれど今は使い捨てられるキッチンペーパーがある。

 そしておそらくだけど、このキッチンペーパーの発明者は日本人で、大手製紙会社がその特許を持っていたと思う。天ぷら敷き紙や油濾し紙などと同列の食品に直接触れる紙だから、非リサイクルのバージンパルプを利用して製紙していると聞いている。ここまで拘った上質な紙は、世界中探しても日本にしかない。

 また、ペンであろうと万年筆であろうと鉛筆であろうとも、総ての筆記具に対して最高の書き味を誇る紙も日本にしか製紙できない。日本は鉄の国という学者は多いが、それは製鉄技術と言うより日本刀から来るイメージで語られるもので、私は水と紙の国だと思っている。

 確かに紙は中国伝来で日本発とは言い難い。だけどその魔改造振りと、禁忌を破っていくスタイルは日本独自のものだ。この禁忌とは何かというとトイレットペーパーにある。日本の近隣の国はどこもトイレットペーパーを流せない。これは儒教も下水技術も関係ない。『高価だった紙をトイレに流すという行為を受け入れられなかった』が故だ。

 紙が高価だったのは『身分の低いものが文字を覚える必要はない社会』だったからで、言ってみれば紙の需要が限られていた訳だ。だから逆説的に水に溶ける紙を作ろうとも考えなかったし、そういう意欲が湧くほど儲からなかったのだとも言える。ところが日本は江戸末期頃までには、庶民にまで落し紙やチリ紙が普及していた。江戸文化最大の魅力は寺子屋とこの紙の普及にあるという私の見解は、決して間違っていない筈だ。

 

 ところでドイツにある家は、筆記具で有名なラミーの1号店の割りと近くにある(旧市街にあり、トリンキンの通う大学の近くだ)。なのでウチの会社でラミーを使っている人はやたら多い。そしてミトもパミに私も、そこにカランダッシュのペンが加わるくらいで他の社員と持っているペン類は変わらない。つまりラミーの製品が多いといういう事だ。また、ミトとパミは万年筆ならペリカン一択というタイプだ。これはペリカンがカランダッシュと同じくスイスのブランドだからだ。

 だけど日本育ちで日本贔屓なところがある私は日本製万年筆を愛用し、日本に住む私からドイツに住む私の人形にまで、こういう筆記具を含んだ『日本製』をよく送っていた。軸の透けたノック式ボールペンって、実はあちらだとありそうでないのだ。だから透明軸のスケルトンが限定モデルになったりするのだ。

 なので功績のあった社員に、サラサ・クリップのセット物や書き味の良い手帳、メモ用紙などを贈るととても喜ばれる。その御蔭かブルーブラックで何かを書き殴ったメモがあれば、筆跡を見る前に『オーナーだ』とわかる社員がほとんどだ。なお、私はオーナー兼、イヴ人材派遣会社所属の霊地・霊脈担当責任者で、食品部門研究員でもあった。

 

(私は昔から会社の運営そのものはパミとミトに任せていて、長い間ミトがCSO(最高経営戦略責任者)だった、そこにパミがCEO(最高経営責任者)とCOO(最高執行責任者)を昨年から兼任していた。当然ながら手が空けばパミの仕事も手伝っている)

 

 

 

 各自2~3皿(男性陣は5~6皿)頂いた頃に、大きな窓の向こうに見える駐車場に数台のバイクが入って来た。何故か全員、私達の止めた3台と並べて止めている。お昼前でどこもかしこもまだスカスカなのに、何故に私達の横に自分達のバイクを並べる? この心理だけは何年日本に住んでもイマイチわからない。

 

『何で? 私達のを見て、あそこがバイク置き場だとでも思っちゃった?』

『ね、不思議でしょう? でも、日本だとこれはよくあります』

『そうなんだ~』

 

『そうなんだ~』って、パミ。全然興味がなさそうだ。後、お寿司は一口で食え。マグロが半分ほど口から顔を出しているぞ?

 

『あの木でできた、親指に紐を引っ掛けるサンダル。日本人はあれを並べる感覚なんじゃ?』

 

 こちらはミト。言っているのは多分下駄なんだけど、聞いている私は便所サンダルを真っ先に思い浮かべ、次いで旅館の宴会場前に並ぶスリッパを思い浮かべた。確かに。そういう身に付いた『どこでも整理整頓』が、こういう風に現れているのかも。

 

『トイレのスリッパはきちんと揃えて。次に履く人の気持ちを考えて、踵側を手前にしましょう』

 

 小学校時代の先生の顔が思い浮かんだ。こういう『躾け』に厳しかったな。編入当初に『この問題がわかる人』と言われ、人差し指を立てたら、先生に首を傾げられ、他の子が真っ直ぐ手を挙げて『ハイハイ』言うから『ヤバい! この学校!』と思って、同じクラスだったイリヤの手を引いて教室から走って逃げたのも懐かしい。

 何の事かというと『ハイハイ』が『ハイル、ハイル』と聞こえたのだ。と言うのもスイスやドイツではナチス式の敬礼に見えるから手を挙げるのはタブーで、『この指とまれ』のように人差し指を立てるからだ。それでもって私は1~2年生までスイスの小学校に通っていて、姉のイリヤはそんな経験が無かった。

 ましてや両親に『イリヤを守ってあげて』と言われていたから、アルトリア姉さんの居る高等部まで走った。途中、念話でも『この学校、ネオナチだらけだ!』と頭の中で叫んでいた。後で姉さんに思いっきり笑われたのだが。良いよな、そっちは。そういう知識が流れて来るんだから。対する私にイリヤ、ママ達やお母様は日本語をイチから覚える必要があったからねぇ。

 

 父もあの1年があったのだから、少しは日本語を教えておけよって今でも思う。全部終わってから『イリヤや僕達と一緒に日本で暮らさないかい?』って。そうしようって全部考えていたんでしょう? 違うの? どうもこの父のこういう出足の鈍さは、計画性のなさや何もかもが行き当たりばったりな感じがして『本当に魔術師殺しなんて異名を持つほどの人だったのか?』と考えてしまう。

 和解してお互いの事を理解し合えた今でもそう思う。本質はエディプスコンプレックスを拗らせた子供のままなのだ。まぁ、その憧れの対象であった父親を撃たなければならなかった事と、元が父子家庭だから母のような姉のような存在と、母となってくれた第二の親を見棄てなければならなかった点など、考慮してあげたいところは多々あるけれど。

 だけどそれを『運命』と言ってはダメだ。だってそれは『逃げ』だからだ。誰にだって不運な時はある。親を見放したり見棄てなきゃならない時もあるだろう。でも『生命』の命題は次世代の命を繫ぐ事にあるのだから、そこは達成している。しかも母という人造生命体に『夢』まで与えて。それで十分じゃないの?

 後は残りの人生を、自分達がどう生きて食べていくかにある。『楽しいと思える事』と『幸せと感じられる事』を、いくつ自分や自分に列なる人達の心やアカシックレコードに刻めるかあるのだ。人一人の成せる事なんて、この地球の何億年もの歴史の中ではたかが知れたものだけど、それでも精一杯生きたと、死に際だけでなくピンピンしている今現在、今日この日も言えるかどうかでその人の価値は決まるのだと私は思う。

 

 おダシがしっかり効いた茶碗蒸しを頂いて、お手洗いを済ませた後にお勘定を支払った。この人数で1万円行かなかった。まぁ、私らが少食なのもあるけれど、頑張っているよねぇ、このお店も。ネタの活きは良いし、仕込みも良い。そうしょっちゅうは来れないけれど、こういうお店は末永く残って欲しいものだ。

 

『良かったですね。エルヴァ殿のお陰でお寿司の良さがわかって』

『だよな。さすがにあの時代でも生魚は無かったからな。でもよ、ガキどもがパクパク食べてたのサーモンだろ? 当たらなぇのか?』

 

 ここは私がランサーに説明した。日本に輸入されるサーモンに寄生虫はいない事を。それとサーモンだけは焼いたり煮たりした方が美味しいと。なので二つほど隣のボックスで食べていた子供達が選んでいたのは炙りサーモンだった事も。

 

『しまった。次はそれを食おう。元の世界にもあの店はあるんだろう?』

 

 私は『うん』と頷いた。釣りをして寿司を食べて夜の街に繰り出して……戻っても彼は自由だなぁ。

 

『いや、バイトはするぜ? 手前ェの食い扶持とお姉ちゃん達と遊ぶ金くらいは自分で稼がないとな』

 

 そして存外真面目だった。ただしこの勤労意欲は単に『夜の蝶』と舞いたいからでもないし、現代人の抱くそれでもない。太陽神に感謝を捧げるとか、地母神に上手く良い仲になった女性との『愛』を捧げるためとか、ゲッシュ以前の信心深さから来ている。そもそもこの時代の人は戦(いくさ)も魚釣りも同列の労働でしかない。別け隔てはそこにないのだ。だけど日々それで幸せに生きていけたのだから、『人間』として必要十分だと思う。

 アルスター伝説を読めば読むほど、どうしてここまで男気があってサッパリした好漢が聖杯の招きに応じたのか? 座に眠る英雄クー・フーリンの本体が、その魔術師の目で世界の何かを見たのか、若しくは『大いなる意志』に何かを託されたのかと考えたくなる。子供の頃ならいざ知らず、今はそういう裏をついつい妄想してしまう私だ。

 そんな回転寿司店の出入り口から、裏手の釣具店との間にある駐車場にまでの僅かな距離に小さな宝くじ売り場があった。そしてそのくじ売り場は私の目には『輝いて見えた』。現在販売されているのはゴールデンウィーク前なのでドリームとは行かなかったが、地域振興の一等五千万円くじだった。

 私はおばさんの後ろにあったくじを見て、一際輝いて見える部分を指定して買った。連番20枚、バラ40枚。全60枚だ。来たぞ、これ。そんな私を見てミトが何か閃いたのか、同時期販売だったスクラッチくじを数毎、拙い日本語で買い求めていた。この時、ミトはイリヤさんの手をぎゅっと握っていたから、イリヤさんも何かを感じたっぽい。

 そのミトがおばさんから受け取ったくじも、私の目では光って見えた。

 

『ミト、コインで削ってみて。当たってるよ、それ』

 

 ミトは私を見て少し驚いた顔を見せてから頷いた。

 

『まさか。当たってんのか?』

『十中八九。実は今日は『当たりの日』でね。先生からも半額出すから当選金を山分けしようって言われてた』

 

 私に『黄金率』なんてものはない。だけど持って生まれた強運がある。なので先生は自分なりの占いで『当たりの日』だと思ったら、時々こんな風に私に買いに走らせていた。これは子供の頃からだ。そしてそれが先生とシロウさんの活動資金になっていた。

 ミトのスクラッチは100万円当たっていた。それをミトはここの凛に渡すと言った。理由は換金手続きが手間なのと、時間が惜しいからだ。何より先生から指示が出た本命は、北海道に行った頃に始まるジャンボにあったからだ。しかも売り場は札幌の某所。私の運勢も北に向かって高まっているし、ミトもパミも週末から来週にかけての幸運な方角は北と出ていたのだった。

 

『三人の運気が札幌に向かっています。そして大魔導師もそうだと答えを出した訳です。飛行機代なんて安いものです。まして、私らは今バカンスの最中です。となれば遊びの軍資金も遊びの中で稼ぎませんと』

『な~るほど。その切り分けは大事だな』

『でしょう? それにくじの事だけではないんですよ、ランサー』

『ん……? あ、出会いか?』

『そういう事です』

 

 ここで首を捻っていたイリヤさんがランサーを見上げた。

 

『よく言うだろ? 誰もがどこかで繋がっているって。それは間違いじゃないんだが……どういう風に繋がっていて、ソイツと一緒に居るとどういう事が起きるのか? って点がサッパリなのさ。だからオレらの時代の前から星を見たり自然の動きを探ったりして占っていたんだ。ほとんどが今の時代だと迷信だろうさ。けどな……』

『当たるパターンをデータ化して蓄積し始めたのが初期の『呪い師(まじないし)』ですよ。その後、それら原始自然科学を体系化して上手く扱える者が現れ、その『技術』が魔法と呼ばれるようになった訳です。そこから更に時が流れ、知識の拡散で神秘を含む原始自然科学が魔術や錬金術となったのはご存知だと思います』

 

 ここで私はランサーにもう少し待ってと手で合図を送ってイリヤさんへの話を続けた。

 

『ところで、現在の魔術師が没落しやすい理由はわかりますか?』

『いいえ。どうしてなの?』

『人と人との縁(えにし)を軽視してきたからですよ。現在のような貨幣経済の発達した社会では、荘園を持つ王侯貴族のような暮らしは、経済という神秘を知り抜いた極々少数しか居ないのです。どこそこ国の王と名乗っても、その実態ははっきり言えば、実権を持たない名誉化石でしかありません。そこを化石なりに理解しているから、政府に代わって外交に協力している姿勢を見せる訳です。ほとんどの外交に於ける重要案件なんて政府と官僚が済ませますのにね? その意味は『対マスコミ用』です。そしてその化石外交は国家と国家の縁(えにし)を深くします。その効果が高いから年間予算が化石にもつく訳ですね。そこをよ~く考えて下さい。大昔の物々交換の時代から、上手く交換できる者は人当たりがよく、他者とも仲良くやって行けるものです。ビジネスが成功するのも、商売があたるのも、その根本にある方程式は、その者の人間性に拠るところが大きいのはわかりますよね? さ、滞らず研究費が捻出できる魔術師が『人間嫌い』でやって行けますか? 工房に籠もりっぱなしの、何の社会的経歴も名誉も友人も持たない、親の遺産を食い潰すニートみたいなオッサンやオバサンが没落しない理由があります? イリヤさん、ほとんどの魔術師が現代では没落一歩手前なんですよ。そこをランサーは経験から知っているんです。ゲッシュを誓うのも『人と人との縁を裏切らない』ためですよ。ゾウケンやエルマもそこをわかっているから、懐に入った窮鳥であるシンイチが運ぶかも知れない『縁』を拾った訳です』

『お前ぇは、その窮鳥と北に行けば出逢うと読んだ訳だ?』

『そういう事です』

 

 どういう『縁』を運ぶ人なのかは不明だけれど、その人が間桐マコトやここの凛に繋がっていれば良いなと何となく思った私だった。

 

 

 

 バイクのところまで戻ると、後からお隣に止まったバイクは全部アメリカンだった。回転寿司にはそれっぽい人達が入って来なかったので別のお店に入ったのだろう。

 

『エル、あれ何?』

 

 うわぁ~、懐かしい。『HONDA JAZZ』だ。聖杯戦争で初めて見て、その小さなクルーザースタイルに驚いた覚えがある。そちらは銀線入りの黒だった。で、こちらの赤線入りは95年頃の黒だと思う。この手の原付きは雨曝しのサビサビが多いのに、綺麗に磨いてあるなぁ。

 その横が2001年頃のこれまた真っ黒な『MAGNA 50』だ。『NS-1』と並んで無駄に大きいので、ジャズのような可愛らしさはない。けれどこうして並ぶと絵になるなぁ。しかもその横が、舞弥さんが乗っていた『V-TWIN MAGNA』だから胸にキュッと来る。お元気だろうか?

 私の説明を聞いたパミがパシャパシャと持参したデジカメにジャズやマグナを収めていた。多分、このマグナのシルバーは2000年代に入ってからのものだろう。その奥が去年か今年の黒い『KAWASAKI ELIMINATOR 250V』だ。このV型のエリミと『SUZUKI INTRUDER LC250』は今もカタログモデルなのに滅多に見掛けない。

 この頃、街でよく見掛ける250ccバイクは、主にバリウスかホーネットなどの四気筒スポーツか、『TW』に『FTR223』と言ったストリート系が多く、アメリカンは少しずつ減っていき、そんな中でも『DragStar250』が多い印象だった。スクーターなら『MAJESTY C』をよく見掛けたから、ヤマハ一強時代という感がある。

 エリミとイントルーダーの人気が無かったのは、メッキが安っぽかったからだと思う。プラスチックにメッキを掛ける手法が出始め普及したがこの頃で、金属のメッキの持つ輝きや深みが、この新しいプラメッキには出せなかった。ちゃんとした金属メッキを知っている人もまだまだ多かったから、その嘘くさいメッキはバイクファンやクルマファンからかなり嫌われていたのだ。エリミの『VN250AE』エンジンや、イントルーダーの『J506』エンジンは、唯一無二で良かっただけに惜しい。

 ところがドラスタは250も400も、材料費や加工賃が高くなろうと真面目に金属にメッキ加工を施していた。その出来はプラメッキとは段違いだったのだ。後のカスタム・スクーターの爆発的ヒット(2006~2008年)もこのメッキの質感を高めたカスタムが目立っていたように思う。

 特にスズキは良心的価格でバイクを作る会社だから、この質感の低さが仇になったのだと思う(同じスズキでも、ちゃんと金属を使っているサベージ650やマローダー250の方がメッキの質感は高いだろう)。ただ、社外品のカスタムパーツで質感の高いものが出揃い、交換できるのならイントルーダーは悪くない。

 考えようによってはV型二気筒のストリートバイクなのだから、そういう方向にカスタムしても面白いかもしれない。ちなみにマローダー250はボルティーやグラストラッカーの初期モデルと同じエンジンだから、アイデア次第でもっと面白いストリートにできる可能性がある。相当センスがいると思うけれど。

 この頃の私は、国産アメリカンならバルカン・シリーズの800が一番、ドラッグスターの1100が二番だと考えていた(重いので、海外販売機種まで含めるとミトの持つ『535Virago』がベスト。後継の『DragStar 650』も良いけれど、音で飽きるからやっぱりバルカン800だな)。

 普通免許で乗るならバルカン400一択だ。その理由はこのシリーズの排気音にある。よくもまぁ、こういう気分の乗るワルツ・サウンドを作ったものだ。ハーレーとは違うけれど、これはこれで良い。スポーツスターを持つ私が言うのだから間違いない。

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