※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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120、冬木の日々~道東 21

 今回の目的地は道東、知床半島と根室半島だった。その理由は私が稚内も利尻島も行った経験があった(ので飽きた)のと、私もパミもミトも、クナシル島(国後島)から北海道を臨んだ得難い経験と記憶があったからだ。私達はクリル列島(千島列島)で漁業会社も営んでいる。なので列島やカムチャッカ半島には何度か視察や観光に訪れていたのだ。

 だから今度は日本側からクリル列島(千島列島、アニメで言う北端だ)を三人で望もうというのが真の目的だった。それと知床の大自然や釧路の湿原を見ておきたいというのと、魚介だけでなく、エスカロップや北海道ならではのラーメンを、(イリヤ)お姉さんも交えて楽しもうという目的もあった。

 当然ながらクリル列島はロシア政府の特別許可が必要な地域なので、たとえロシア人でも一般人は列島やカムチャッカ半島には上陸できないし行けない。行けてもかなり限られた場所だけだろう。だけど私達は近海のカニ漁や鮭漁だけでなく、イルクーツクの霊脈の時と同じようにサハリンやカムチャッカの霊脈も扱っていた。

 つまりその開発事業の探査で新たに発見された貴金属の鉱脈や天然資源を全部ロシア政府に正規のルートを通して真面目に報告していたし、見返りとしてその旨味を十二分に享受できていた。ロシアとユーロを結ぶ二本の『ノルドストリーム(天然ガス供給パイプ)』開発も、光ファイバーの敷設や海底投入にも私達の『イヴ』が噛んでいた。

 そのように『イヴ』は単なる食料を扱う会社ではなかった。天然資源開発や霊脈開発、それに伴うインフラ事業がメインの仕事なのだった────。

 だけどそれらの私達が頑張ってきた事業は、この世界と何ら関係ない。なので顔馴染みの諜報員と出逢っても上手くやり過ごせる。ロシア人が多い港街の小樽などの道央や道南を今回外しているのはそこもあった。とは言えこの世界にシトナイの召喚があるのかないのかは、札幌へ出た頃に調べさせようとは考えていた。

 

 そんな訳で私達四人は女満別空港に颯爽と降り立った。徐々に暖かくなる4月下旬の冬木と違い、空港の出入り口を流れる風はキュッと冷気を纏わり付かせた。それをほとんどの人は『涼しい』ではなく『寒い』と感じるだろう。だけど私達西欧人には、このくらい空気が乾燥している方が気持ち良かった。

 仕事となれば東南アジアでも南米でもアフリカでも平気だが、遊びでの高温多湿な亜熱帯は中等部時代に父やイリヤと行ったタイで懲りていた。その意味でアオレアールは私とは全然違う。なんで彼女はベトナムが好きなのだろう? 蒸し蒸しと暑い中で、熱々のフォー(米粉のラーメン)をパクパク食べる姿は、本当に中身が西欧人なのかと驚かされる。

 空港内のトイレでお姉さん以外はバイクウェアに着替えていたし、着替えなどの荷物も各々の宝具に収めてあった(お姉さんのバッグはミトが収めた)。なので私は駐車場というか送迎ターミナルでパパッと2台のGPZ1100と1台のZZR400、ヘルメットを出し、装備を整えたら屈斜路湖に向かって走り出したのだった。

 パミのZZR400はともかくGPZ1100は重いという評が多く見受けられるが、実はZ1やゼファー1100とそんなに重さは変わらない。XJR1300辺りとそう変わらない気がする。これは実際の質量だけでなく、走っている時や取り回す時の重心位置にあると思う。

 おそらくだけどノーマルだと4本出しの金属マフラーが重心を分散させるZ1などの旧車の方が重いだろう。それと同じ理由で、ナナハンだとZ2やCB750のような金属のカタマリがバラけている旧車が一番重く感じられる。そういう観点から言えば、GPZ1100は走らせてしまえば軽いし、ゼファー750は取り回しもそこまで重くないと私は感じている。

 

 

 空港前を通る国道39号線を南下し、美幌町で243号線に乗り換える。39号線を逆に北上すれば網走だ。地図では市に入る前に有名な刑務所の博物館があって、そこでホッケかサンマのメインが選べ、小鉢二品が付く結構健康的で美味しそうな監獄メシが頂けるそうだけど、ご飯が白米でなく玄米だったら喜ぶのは私だけだろう。パミは玄米を嫌がるだろうしなぁ。

 そんな訳で立ち寄らず真っ直ぐ屈斜路湖を目指す事になっている。お昼はそちらで頂き、今夜は摩周湖に近い旅館で泊まる事になっていた。摩周湖を選んだのはバイカル湖に次いで透明度の高い湖と聞いていたからだ。それに展望台の数が多そうなので良い景色が見えそうだったからという理由もあった。

 ただ、道中の美幌町では、うっかり334号線に入ってしまわないように注意が必要だ。もしそっちに入って気付かずに走ってしまったら知床半島に行ってしまう。そちらは明日国立公園のビジターセンターに行ってハイキングする予定だった。

 

(知床半島は国立公園なので走れる道路が限られていて、ビジターセンターがある知床横断道路くらいしかない。また羅臼昆布の『羅臼』とはその公園内にある山や土地の名称でもある。だから知床慕情という字面を見ただけで、『あんな冷たい海の中をビロビロ~ンと漂う海藻から、あんな旨いダシが取れるなんて。最初に発見した人は何者だ?』と思うし、『どうして関東はカツオ出汁で、関西は昆布出汁が主流なのか?』 それを考えたら、『夜も眠れまへん』状態になって楽しい。なお、この『夜も眠れまへん』は昨今『夜しか眠れまへん』と派生しているが、元ネタは春日三球・照代師匠の地下鉄ネタ『夜も眠れないの』からだ(三球師匠は言葉が軟らかく上品だ)。

 

 余談ついでに……『人はこういう『おもろいコト』をどんどん忘れていくからね。だから憶えていたいんだよ』と私に言ったのは、昔の鉛筆や昭和臭溢れるグッヅを蒐集している間桐鶴野の小父様だ(1970年代の三菱ユニは、ほぼすべてのデザインを集めていた)。しかもこの人は『責任者出てこい』で知られるボヤキ漫才の巨匠、人生幸朗・生恵幸子師匠のファンでもある。だけどMANZAIブームの時の勢いだけの漫才は嫌っており、ネタのしっかりした王道のしゃべくり漫才を愛していた。

 私は後にも先にもダイヤトーンP-610に合うのは漫才だと言った人をこの鶴野の小父様以外知らない(パイオニアのPE-16は落語や小噺に合うとは聞いた憶えはある)。しかも小父様は『元祖オタク』で、『オタクの語源とマクロスの関係』なんてのもちゃんと説明できるくらい深い雑学知識があった。だけどその外見はアブラギッシュな人とは全然違って痩身のイケメンだ。穂群原学園時代は庭球部の主将を張り、二学年下だったマドンナ・禅城葵までが憧れる学園一の英才でもあったのだ。なお時臣小父様は葵小母様の二歳下で、その時臣小父様の更に一学年下にグルメ・リポーターとして有名な間桐雁夜さんが居るのが私の世界だ。またグルメと言ってもこの雁夜さんはB級も好きで『全国駅弁便覧』や『路麺の世界・関東編』、同『近畿編』『北九州編』、『縁日屋台考』なんて著書もある。私は箸巻きやまん丸焼き、東京コロッケなるものをこの本で知った次第だが、この『縁日屋台考』の共著者は言わずもがなの鶴野小父様である。少し引用しよう────。

 

 [東京コロッケ]

 この『東京』に意味はない。そもそも東京から伝わった、或いは流行り始めたという確証も、証言や文献も残っていない。ただ広まったのは昭和の40年代から50年代で、最初期は大阪万博の頃だったのは間違いないだろう。どういう食べ物かと言えば単なるジャガイモだけのミニコロッケである。どのくらいミニかと示すのなら人差し指の爪くらいだろうか? ともかくそんなミニコロッケを店主、或いは女将さんがせっせと揚げており、それを天ぷら紙を敷いた大皿に上げて行くのだ。それが屋台の中央辺りで、左には油撥ねを覆うかのようにパチンコ台が立てられている。私を含めた子供達は、代金を支払ってたった1発のパチンコ玉を購う。その玉を台の玉入れ口に親指で弾いて投入し、チューリップめがけて射出する。想像できるだろうか? パチンコ台の受皿が上下になく、下の出皿以外はなかった時代を? 椅子などなく立って、自分で1発1発玉を台に送っていた時代を?

 昭和の40年代だ。戦後を引きずった30年代の香りがそこかしこに残っていた時代なのだ。台のガラスに向かって斜に構え、007が拳銃を持ちながら腕を組むようなポーズで、大人はそうやってパチンコをしていた時代だ。その姿に憧れなかった子供は居なかったろう。しかも1発こっきりの勝負で、コロッケの数(運命)が決まる。私は9個串に挿して貰い、これまた串カツ屋さんのような並々とソースに満たされたカレー皿に串を潜らせた。この勝利の余韻が『美味さ』を引き立てる。コブシ二つ分くらいの石焼き芋が50円で買えたのが万博の頃だ。オイルショックやプラザ合意を経て、現在の物価が石焼き芋比で約六倍から八倍だ。そう考えるとジャガイモ一個にも満たない大きさのミニコロッケが6~7個で50円はかなりの贅沢であった。

 

 ~中略~

 

 私が幼児期の頃はこういう縁日には、本物なのか偽物なのか傷痍軍人が物乞いをしている姿もあったのだ。私の父は『あの者たちの中にはGHQに雇われた『落ちぶれた軍人』を演じておる者らも居る』と話していた。その真偽は幼児の私にはわからなかったが、少なからずそういった人達を大阪万博を境にあまり見なくなった。そして逆に縁日には多種多様な屋台が並ぶようになった。

 当時の私の拙い記憶をたどれば、1回50円だったこの東京コロッケは、高度成長期の物価の急上昇を思い知らせてくれた。チューリップに入れば一串8~9個のコロッケを挿して貰えた。ハズレだったら店に拠るが6~7個だ。5個というアコギな店はなかったと思う────。

 

 などと軽妙な文章が添えられ、

 

 味:基本、ソースで決まるのでハズレはない。10点満点の5から8といったところか。

 衛生度:熱を通すのでほぼ問題ない。たこ焼きやお好み焼きより安全かも。ただしそのためにもソースの二度漬けにはキビシイ。

 

 などの評価や文章が、見開きページにイラスト入りで細かく描かれてあるのだ。現在第何刷目だろうか。かなり売れている本なので興味のある人は一度手にとってみて欲しい。

 なお、幼い鶴野小父様を伴って夜店に行ったのは、鶴野小父様のお父様と赤ちゃんの雁夜さんを抱いた奥様、そして在りし日の間桐臓硯その人だ(夜店だから出掛けられた)。そして臓硯はハズレで、コロッケ7個だったそうだ。

 

『鶴野よ。7個で十分じゃろ。セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、バーサーカー、アサシン……ほれ、揃っとる。それを聖杯に漬け喰らうは間桐よ』

 

 と、コロッケを自分で挿してソースに漬けていたそうだ。第四次が始まるよりもっと前の平和な時代の思い出らしい。ソースが聖杯に見えるとは。この頃からボケていたのか? なおこの『縁日屋台考』の粉モノの頁には巫女の姉さんも参加している)

 

 

 

 また、毬藻で知られる阿寒湖も屈斜路湖や摩周湖に近い。なので明日の朝の調子を見て、少し寄り道しても良いと考えていた。それと摩周湖から知床国立公園に行く際、180度地平線という開陽台にも寄って行く予定だ。その辺りのどこか標高の高いところから国後島が眺められたら良いのだけど。

 何れにせよ、道東は見どころが多く、それぞれの場所も意外と近い。稚内や小樽を捨てて、飛行場を選べばこういうツーリングもできるのだった。さぁ、この辺りから九州でも写真やビデオを撮ってくれたあの子とタンデム開始だ。

 

 

 

 

 

『その人個人の想像できる範疇を突き抜け、埒外にまで行ってしまうと、人はそれを認識の外に置き始めます。つまり『羨む』とか『妬む』といった邪心すら抱かなくなるものなのですね』

 

 それがビル建設の動機だったという。要するに『エル様』は、幼い美遊様や世間知らずなところがあるアイリスフィール様と、世間は多少知ってはいても、常識が備わっていない切嗣様やイリヤ様を守りたいがために、『コンシェルジュ付きタワマン』の最上階だけを再現しつつ、下階を公務員という名の肉の壁で満たすという最高防壁を張るべくあの免震構造のビルを建てたのだとエルサさんは言ったのだ。

 どうも『エル様』が『怪しい者は端から排除し家族に近づけさせない』と、そう強く思うようになったのは深山町に住んでいた頃にお隣と何かがあったかららしい。

 

『氏より育ちとは言いますし、それはある意味正しいのですが、親も親族も全員『変』ならどうしようもありません。本人がその環境がオカシイと気付いて、是正しようと努力しても、肉親が蜘蛛の糸に群がる亡者さながらに足を引っ張るのですから』

 

 可哀想だがたとえその人が『目覚めたい』『抜け出したい』と考える人であっても、こちらの家族に危害が加わるなら、それはもう排除すべき対象になってしまう。それらを考えた上でのビルだったようだ。このメリットは『クレクレ』や『セコキチ』といった、ルーツを辿ったら日本外に行くんじゃないかという怪しげな人達との交流を最低限でこなせる点にある。要は逆隔離だ。

 また、ビル住まいだと日々のお買い物も料理も掃除も全部マアエモ様やルオン様を初めとしたメイドの皆さんだし、お勤め先は警備員の居る学園校内だからオカシナ人と無益な交流を結ぶ事もない。学園を買い取ってアイリスフィール様を理事長に据えたのも、お飾りでも良いから『理事長』というその肩書と、『働いている』という身分を与える事で、社会的に身の安全を確保するためだった。これも一種のフィルターだ。

 良い幼稚園に美遊様を通わせれば、保護者の格やレベルに考え方もそれなりに高くなる。つまり群れの中の状態が良い方向に行く。これも公立に通わせ、オカシナ人達と交流を持つリスクを負わせない訳だ。そしてその幼稚園の卒園児はほぼ全員が穂群原初等部を受験する。つまり理事長という肩書はアイリスフィール様の最大の武器になる訳だ。

 ついでにその仕事に『やり甲斐』や『生き甲斐』を見付けてくれれば良いなという『願い』があった事も否めない。『エル様』はこんな事を、ご自分がまだ初等部生なのに、その初等部に通いながら計画していたのだ。ビルにしたって、市役所の出張所やレセプションホール、ホテルといった公共の空間と自宅が完全に隔離され、自宅側は警備員兼管理人の佐々木小次郎さんが常駐する専用出入り口を通ってからの、直通エレベーターでしか行けない作りになっていた。

 おまけにその1階ロビー、つまり小次郎さんが常駐する管理人受付前に、応接間にも小会議室にも使えるパーティルームが3部屋もある。イリヤ様も『エル様』もそこまでしかご友人を入れないし、アイリスフィール様もママ友をそこまでしか招かなかい事を徹底されてもいた。

 

 これもわかると思う。『クレクレ』や『ドロ奥』を排除するためだ。何せそれらの3部屋に置かれたり飾られている調度品は、ほとんどが『曰く付きの品』で、特にガラスケースに陳列してある装飾品や食器類はすべて『物知らずにはわからない』品か、重度の呪物だからだ。

 と言っても本当に危険なものは別の倉庫に仕舞ってあるから、私達メイドがお掃除中に触れたとしても問題はない。それに霊の取り憑いたお皿やカップだと、あちらも寂しいのか親身に相談に乗ってくれたりもする。夜中に歩き回るビスクドールも日中は所定の位置で大人しくしているから誰も怪しまない。

 ただそんな中にオカルトとも神秘とも関係ない、『エル様』が仕込んだトラップが幾つかあった。その内の一つが黄色いお茶碗だった。この茶碗は清の時代のもので、その色もさる事ながら、絵付けされているのは『五爪の龍』だった。この意味はご存知かな? 昔の中国では黄色が一番高貴な色で五黄と言って地を指し、中心を指してもいた。なので皇帝の色が黄色だったのだ。

 僧侶の世界で紫が高貴とされるのは黄色の補色だからで、時の権力者に取り入らねばやっていけない僧侶達が憚った結果だ。このように人は面白い序列を作りたがるものだ。『黄色の衣服は着ちゃダメ』なんて皇帝が言うと思う? そう言うのは腰巾着が作るのだ。そして代が替わって悪習と噂だけが遺る。その代表例が黄色の器と『五爪の龍』だった。

 幻想種である竜ではなく、空想上の龍とは通常三本指で描かれる。何故かは知らない。ともあれ、宝珠を持つ龍の指は決まって三本指だ。ところが皇帝の化身たる龍のみは五本指で描かれる。どこかに人の特徴が残るという意味だろうか? とにかくこちらも皇帝以外が所持してはならないとされている。

 だからこの茶碗は持つ人の『格』を測って来る。それで器でないと見做されれば九族に及ぶまで一族郎党が長い年月を掛けて没落して行く。いわば呪われた茶碗な訳だ。だけど目に見える害はない。ただ財産が減っていくだけだ。しかしそんな茶碗がガラスケースに収めて飾られているのだが、所有者でなければ『格』を測られる事もないし、『格』が備わっていれば財産が目減りする事もない、至って普通のお茶碗だった。

 そしてここからが『エル様』だ。実はそれと同じ黄色い器を美遊様の猫が餌皿として使っており、別の猫は曜変天目茶碗(※)で水を飲んでいたりする。当然これらはアインツベルンの技術が再現した模造品だ。つまり『格』を問うて来る本物は倉庫の中なのだ。だけどそんな事は誰にもわからないし、普通のママさんは五爪の龍も曜変天目茶碗なんてものも知りはしない。

 けれど邪心を起こし盗難した者は本物並の賠償金を負わせられる。割って粉々にしてくれると、より一層『まだ専門家も把握していなかった幻の本物を割った』という罪を被せやすくなる。その時に請求する額面は何億だろうか? 何十億だろうか? 『エル様』はこういう『一般人が知りもしない超高額な、一個人では弁償も賠償も不可能な国宝級』のレプリカを撒き餌にするイタズラが大好きなお方だった。

 

※)現存数は三個(前田氏ゆかりのものを含め四個)と言われる、現在では再現不可能な南宋時代の焼き物。かつて足利義政が所持していて、織田信長に渡った四個(五個)目があった。が、本能寺の変で消失している。その天下人の手を渡り歩いた逸話と、所持者が必ず不幸な最期を迎えた事、茶碗としての芸術性が高かった事から(三個は国宝。前田氏ゆかりの一個は重要文化財)、その幻の曜変天目茶碗は知る人ぞ知る名椀とされている。『エル様』方はそれを再現する事に成功し、先代御館様や御親族が所持されている。売買したら一体幾らになるのか不明だが、少なからず50階に住む美遊様の猫達はそれで水を飲んでいて、私もヴンダーもトロンメルもそれを洗った事がある。

 

 また、室内を飾る観葉植物や多肉植物も舐めては行けない。水分保有量の多い植物は、呪詛が込めやすい。自宅に持ち帰った途端、老若男女を問わずその家の者を確実に呪うなんて事も可能なのだ。それが交通事故なのか急病なのか、はたまた火災なのか、それは知らないけどね。だけど今はそこまでしておらず、唯のサボテンと多肉植物となっていた。それは『エル様』が成長して、そこまで人様を排除しなくなったからと、そこまでの悪人があのビルに立ち寄る事がなかったからだ。

 この『立ち寄らない』というのは、オカシナ者と縁を結ぶ事がない『エル様』の運と、アイリスフィール様の運があっての話だ。大抵は人除けの結界を張ったりして人の近寄らない家にしてしまう。だけどそれは家族の生活や交流関係を思えば悪手でしかない。

 だからこそのパーティールームであり広い公園なのだった。ところが『他人を絶対に家に入れるな』という禁を破った人が居た。それが詳しい事情を知らなかった、並行世界からスリップしてきたばかりのイリヤ様だった。御学友の龍子さんを50階にある家にまで上げてしまい、『エル様』のカーボンフレームの自転車を壊してしまわれた。叱られはしなかったそうだが、『漏らしそうになるほど怖かった』とはクロエ様の言葉だ。

 

『だって見えるんだよ!? 魔力が黒い霧のようにお姉ちゃんから噴き出して、お姉ちゃんの後ろが異界化しているのが! あ、イリヤ、死んだって覚悟したもの』

 

 4~5年生頃の、私が鋳造される前のお話だそうだけど、これは怖い。そしてこちらのイリヤちゃん達のお友達のタツコちゃんに、お姉様が最初厳しかったのはその記憶があったからだと判明した。コルナゴというブランドの4~50万円はするフレームだったそうで、お姉様のお気に入りでもあったようだ。

 

 

 

 そしてそこからこのビルが冬木の五芒星の中心にあり、そこが市民憩いの公園で、敷地内に10数年前に建った市民ホール(芸術センター)がある事もエルサさんは皆に明かした。それは歴史の流れの違いだった。

 士郎さんの世界では慰霊碑が建ち、普段は誰も寄り付かない市民公園は、『エル様』の世界だと市の運営でなく、第三セクターが噛んでいて、その背後にはかつて間桐が存在していた。しかし資金繰りに難が出てアインツベルンが出資を肩代わりしたのだ。

 ただこれには複雑な理由がある。まずそれは、聖杯戦争で知り合った間桐慎一さんが『夢見』をする人だった事。それで近頃冬木市が買い上げている土地で、近い将来大災害が起きると『知って』しまった事。なので間桐の屋敷や財産を手放してまでして土地を買い占めていた事にある。

 以上の事を聖杯戦争中に知った『エル様』が本国の先代御館様を通して、間桐の窮地を救った結果が今の広大な公園とビル、当初の計画よりも大きくなったホールだけでなく図書館なども入った冬木市芸術センター&ホールに結実している。これにより間桐は破産を免れ、市も膨大な赤字を出さずに済み、アインツベルンは土地とビルの権利を手に入れられた訳だ。

 そこから最新設備の焼却場を建てたり浴場施設を作ったり、大きな温水プール施設を作ったりして、市のゴミ問題解決とシルバー世代の働き口増加、貧困化解消にも貢献し、果ては市役所機能のほぼすべての移設や、スイスの領事館誘致にも成功していた。

 

『『エル』は色々凄いやつだと思うよ? けど、家がビルの上って、どうなんだ? それって危なくないか?』

『ええ。兵法的には駄目ですね。ですけど、あのビル施設や公園が近隣市民の緊急避難場所に指定されていますし、非常食や防災グッズの備蓄倉庫でもあり、未遠川が増水した場合の回避用大プールも公園の地下に備わっています。それに公園の真ん前が冬木警察署と冬木消防本部です』

『あ、魔術師じゃ攻められないのか?』

 

 そう、これが『肉の壁』の真の意味だ。個人だとここまで行政と絡んだ施設は襲えないのだ。万一襲えば市の行政レベルでなく、その上の県の行政や国家からもテロ組織に認定され、世界的に指名手配されてしまうからだ。確かに高いところに陣を張るのは孫子の兵法を紐解かずとも悪手だ。

 だけどここまでにしてしまうと、戦争覚悟で海に駆逐艦や巡洋艦を浮かべて、ミサイル攻撃する以外に手はないのだった。防壁の厚さがある事や、武器を備えるだけが防御ではない。こういう考え方もあるのだ。それに、そのビルの最上階にあるペントハウスに住まうのは、おそらく第一子を身籠られたアルトリア様ご夫妻だったりする。

『ここに侵入できる?』と私のハサンに聞いても、絶対に全員が無理だと答えるだろう。それに『エル様』ならビルと郊外のアインツベルンの森を繋いでいる筈だ。つまり潜り込めても、家族こぞっての空間跳躍で確実に逃げ切る。それが可能なのはそのビルの建つ土地が霊脈の中心だからだ。

 なお、城攻めの怖いところは、内に意識が向いている時の外からの攻撃で、それが挟撃になった場合だ。そうなった時は既に遅い。それは負ける時なのだ。なので城には挟撃用の隠し出口が必ずどこかにあるものだ。逆に言えばそこが『穴』となるのだが、そういう出入り口には罠が備わっているのも定石だ。

 まず小次郎さんの居る玄関ホールが、エレベーターホールに対して内枡形虎口(城の小さな出入り口。コの字にして人や隊列を真っ直ぐ入れさせない)のようになっている。更に公園が広い上に近くのビルは警察署だから狙撃ポイントがない。また玄関ホールは十字形のビルの窪んだ部分にあるから攻撃ヘリドローンも近づけない。何より近づく前に黄金の人が何か飛ばしてくる。何もかもが計算ずくなのだった。

 

 

『あ、あのさ。そっちの間桐って……?』

『慎一、慎二の兄弟と間桐鶴野の親子です。エルやイリヤのひとつ下が弟の間桐慎二ですね。兄の慎一は慎二の3歳上で、今は時計塔です』

『あ……。そっちの僕には兄がいるんだ……』

 

 これ、話して良かったの? エルサさん……。慎二さんはとてもショックを受けた顔をしていた。余りにも急に顔色が悪くなったので、ここまで無駄な事は話すまいと黙っていたゾウケンくんまでが慎二さんを心配していた。

 

『慎二。大丈夫かえ?』

『……大丈夫。ショックというか、『やっぱりな』という気持ちもあって。それが当たっていたかという……』

『慎二という名で、何となくは気付いておったか?』

『うん。もしかして知らない兄でも居たんじゃないのかって。並行世界に兄が居たなんて……知ってたの?』

『うむ。成長した慎一にはまだ会っとらんが、生きとる世界があるとは前々から聞いておった』

『病気だったの……? それとも……まさか?』

『少なからず儂の世界では、儂がどうこうしたのでなく、元からの死産じゃった。名があるのは鶴野の勇み足よ。じゃが儂は慎一の死を惜しみ嘆いた。あれで妄執が拗れたようなものじゃ』

『ああ……つまり、死んだ赤ん坊には魔術回路が備わっていたからだね?』

『そうじゃ……。それもかなりのな……。それとな、慎二。魔術回路とは最早今の人類には尾骶骨のように必要ないものなのじゃ。それが故に、魔術回路は免疫力の弱い赤子と童子に、よう悪さをしおるんじゃ。魔術師の家ならばどの家も、この魔術回路から引き起こされる疾病や疾患に怯えるものじゃ。現代の医学ではどうにもならんのじゃから当然よな』

『魔術も発展したでしょう? そういうのも今なら回避する方法が……?』

『魔術回路は刻印と同じく家ごとやその魔術師ごとに異なるのじゃぞ? 教訓は遺せても、当て嵌まらん場合が多いんじゃ。じゃから魔術師の子の死産や早産、夭逝は近代でも割りと良くある事でもあったのじゃ』

 

 この時、凛さんやルヴィアさんも頷いていた。なおこの時のゾウケンくんが指摘した童子とは思春期の始まり頃、二次性徴の開始時期を指している。男の子なら精通が始まり、女の子なら生理が始まる頃だ。そんな頃と赤ちゃんの頃が、一番魔術回路が肉体に負荷を掛けるのが大きい頃だ。

 凛さんは過去、それで一度死に掛かっていたのではないかとお姉様は以前推測していた。どうして推測かというと、さすがの『エル様』も、こればかりは親友の凜様や先生に訊ねる事が出来なかったから、お姉様にもそういう情報がないからだった。

 

 

 

 

 国道234号線を屈斜路湖に向けて走れば、美幌峠という絶景ワインディングロードに出る。北海道といえば真っ直ぐな道を思い描く人がほとんどだと思うが、道東の美幌峠だけはスイスに帰ったような気がする、ちょっと面白い道路だ。何より右に左にと曲がりくねるヘアピンカーブが楽しいので、ツーリング目的で北海道へ行く人は、チャンスがあるなら走って欲しい。

 そろそろお腹も空いたいう頃、私達は小洒落たカフェのようなレストランに立ち寄った。そこは雑誌で見掛けた穴場的お店で、蝦夷鹿のお肉が頂けるのだ。トナカイはロシアとフィンランドで頂いた。エルク(ヘラジカ)もフィンランドとカナダで頂いた。ワピチ(アメリカアカシカ/北米でのみエルクという)もカナダで頂いた経験がある。

 それに冬木は近くの山で鹿猟が行われるので、私達三人はそれぞれ異なる鹿であっても、鹿肉には慣れていた。蝦夷鹿は明治以前と違い、今は本州の鹿と交配した雑種だとされているから余り興味は無いのだけど、ミトもパミも日本の鹿は初めてだろうから寄ってみたのだ。イリヤお姉さんに至ってはワクテカして映像担当の『私』と手を繋いで喜んでいた。

 お互いが味見できるように、選んだ料理はカツとステーキ、そしてカレーにシチューだった。まぁ、味は予想通りだ。『こんなもん』と言えばこんなもんで、価格と見合った『普通』の街洋食店並みの味だった。そもそも鹿類は何を食べても軟らかく淡白な赤身肉なのでまず外さない。ただ馬のように刺し身では頂けないので必ず火を通す必要があるというだけだ。なお本物のジンギスカン料理はマトンやラムでなく鹿肉だったのではないかというほど美味しいし匂いもない。

 イノシシはブタと違って臭いし処理も大変だけど、林道で鹿に遭ったら素手で捕まえてみたいという欲求が湧くほど解体も処理も簡単だし、冷凍すればかなり長く鹿肉を楽しめる。昔、ケイネス先生のところのディル(ディルムッド・オディナ)が一人で鹿鍋を平らげ、スポンサーである私に一切れも肉を残してくれなかった事がある。

 そういうトコだぞ? だから他の世界では血の涙を流す羽目になるんだぞ? そうさせたのはお前の父親だろうって? 違う。そいつは父とは別人だ。だってキャメロットで正式に叙された衛宮切嗣は私の父だけだ。私やパミにミトなんて本物の円卓に座って記念撮影した。持ってて良かった電池レスのフィルムカメラ。惜しいのはもっと予備フィルムを持って行くべきだったところだ。

 そんな過去のブリテンで1年過ごし、ジビエは嫌というほど頂いた。そんな様々食べたジビエの中のキング・オブ・ジビエがドラゴンの肉だった。8歳だったから味の記憶なんてもうほとんど残っていないけれど、6歳頃にオーストラリアで食べたワニ肉みたいだったのだけは憶えている。

 フロリダのココアの別荘を買い取ったのはブリテンでの1年が終わった後だったから、ワニ肉を食べてもドラゴンっぽいなとはあまり思わなかった。ホンの数年とはいえ、私も少し成長していたのだろう。まぁ、1年あっても『夢のような期間』だったから、現代に戻っての、身体も成長する『現実世界』とはまた違う。だからその分忘れやすいのだと思う。

 もしかしたら、こうして少しでも憶えていられるのは、幻想種を食べてしまったからかも知れない。そんな事を思い返しながら化粧直しや会計を済ませて店を出た。本日の宿に向かうには早過ぎるので、先に阿寒湖へ立ち寄る事にした。こうすると明日の行動が早くなるし、開陽台で余裕が出るだろう。

 それに243号線から241号線に乗り換える弟子屈町周辺は想像以上にガソリンスタンドが多いので、ここで入れておくに限るのだ。北海道は厳しい冬が待っているから、燃料の供給体制はしっかりしている。だからどんな小さな町でも必ずガソリンスタンドがある。けれどそこに行くまでの距離が本州の『それ』とは違うのだ。

 この『感覚』の切り替えが上手くできるかどうかは、その人の経験値や順応性で大きく変わる。オーストラリア横断に縦断、アメリカ合衆国横断にメキシコ縦断、アフリカ大陸横断にロシア横断……。それらを経験している私達でも、北海道は広いと感じてしまう。

 その理由はバイク旅だからというのもあるけれど、一番大きな理由は北海道が『島』だと感覚的にわかってしまうからだ。島国根性というあまり良くないニュアンスで語られる言葉も、閉塞感をずっと感じているからではないか? 隣の国と陸続きなドイツやスイスの感覚だと、言語が異なる隣国の存在に多少ストレスは感じても、閉塞感は感じない。

 だけどどこに向かって走っても、僅か数100kmで海に行き着く島国日本。それなのに人と滅多に出会わない特殊な環境。そこが頭の中の『距離感覚』に狂いを生じさせる。北海道の広さはそういう類の『狂わされた感覚』から来る広さなのだ。だけどそこが面白い。来る度に『来て良かった』と感じ、帰れば帰ったで『また行きたい』と思う場所って早々無いと思う。

 もしあるとすれば、それは故郷のスイスであり、それも東部のボーデン湖(コンスタンツ湖)とワレン湖、チューリッヒ湖に囲まれた一部の地域だ。もっと言えばザンクトガレンの南部、朝日に輝くライン川の向こうにリヒテンシュタインが見えるあそこだ。

 目を瞑れば大好きなママ達が、ジャガイモのパンケーキを焼いている『音』が聞こえ、『匂い』までが感じられる。どこかから聞こえてくる牛の啼き声で、どの乳牛の声かがわかっていた子供の頃────。少しトリップしていた私の心を現実に引き戻したのは、姉であって姉でない、英霊となってしまったイリヤの声だった。

 

『その阿寒湖には何があるの?』

 

 給油中の一コマだが、その質問にカメラを抱えた小学生くらいの『私』が『火山』の『雌阿寒岳』がどうとか、『雄阿寒岳』の『カルデラ湖』かどうとかをクソ真面目に答えていた。この子は『ナンバーズ(※)』になる前のタネで、主に私の助手を務めて貰っている、言わば外部記憶装置でもあった。

 

※)その意識次第だけれど、誰もが外部で活動したいと考えている訳では無い。私の一部として思考を手伝うだけで満足する意識がほとんどだ。ごく『たま』に外に出られて自由にできれば十分という者が多いのは、私の本質がサボリ魔だからだ。働かないで済むなら働きたくないし、毎日遊んで暮らしたい。それが本音だ。だからそうなれるよう必死に頭を働かせて、10代になる前に事業を起ち上げた。私がおチビちゃん達に厳しいのは、『ニートになりたいなら、そういう生活ができるように考えて行動を起こせよ』と思っているからだ。遊びたいならその遊べる期間の食費などを前もって稼いでおかないといけない。そのための努力すら怠り、ゴロゴロしたいと言うならそれは『楽器の弾けないキリギリス』だ。『アリとキリギリス』の話は古くから逸話があり、本来はキリギリスでなくセミ(それをセンチコガネと誰かが勘違いした)だった。そして良く読めば、遊び呆ける事を悪としているのではなく、冬に備えて蓄える事の重要性を問うているのがわかる。本当に楽器が弾けて、あくせく働く労働階級に、暫しの憩いとなる音楽が届けられるならそれも立派な職業だ。要はそうして稼いで得た物を蓄えられるか、一時の贅沢で浪費してしまうのかが問題なのだった。そうして計画的に遊べるのなら何ら問題はない。そういうのを妹達が気付いて行動してくれるのなら、ここまで私も煩く言わなかっただろう。

 それはおいて、私は『タネ』の姿を借りる時がままある。特にストレスが溜まるとそうだ。何も考えずに野山を駆け、お母様や姉の事なんか知らず、牛や豚と遊んでいたあの日々。あの時の気分に戻りたいから、子供時代の自分の姿になるのだ。それは他人からすれば歪んだ自己愛に見えるだろうけど、私にとってはストレス発散の意味の方が強い。そのままの自分だと恥ずかしいので、肌をエルヴァのように褐色にして、お揃いの制服を着て、これまたお揃いの穂群原初等部指定のランドセルを背負い、美遊と手を繋いで学園にも行ったりした。初めての頃はクロちゃんやおチビちゃんには随分驚かれたが、今は二人も『いつもの奇行』とすっかり慣れてしまっていた。何より美遊が随分喜んでくれる。なので姉にも一度はしてあげろと言ったら、『そこまで自分を棄てられない』と返された。この姉は成長するに従って、あの心惹かれた、一時はバカなのかと考える事もあった天真爛漫さが消えてつまらなくなった。

 だけど英霊のイリヤお姉さんには、その天真爛漫さが残っていて嬉しくなった。元47番のエルヴァはこのお姉さんにきっとたくさん癒やされた事と思う。巫女の姉さんから『私以上の天然さんだよ』と聞いていたけれど、本当にその通りだった。だからなのか巫女の姉さん大好きなミトもパミもこの旅を心底喜んでいるのがわかった。このツーリングを計画して良かった。

 

 到着した阿寒湖では遊覧船に乗った。これは楽しかった。バイカル湖くらい大きくなると、対岸が遠過ぎて海にしか感じないのだ。日本のこういう『箱庭感』は素晴らしいと思う。バイクを置いた岸に戻ったら、お姉さんとパミが目聡く、『まりもアイス』なるものを見付けた。抹茶味のソフトクリームの中にまりもに見立てた緑色のリンゴ・ゼリーが入っているのだが、結局全員で食べた。もう少し濃厚な味だとなお良いのだけど、まぁ観光地だからこんなものか。

 ショップの中の価格表『天ぷらそば・うどん 700円』を見て高いなぁと、そう考えていたら6~7台のバイクが駐車場に入って来た。そのバイクを見て『ええっ?』と驚いた。『CB400FOUR(398ccの黄色)』、同『CB400FOUR(398ccの赤色)』、『GT380(多分B5)』、『KH250(B4? 色は赤でサイドカバーが黒い。250cc専用色で、シートに『KH』と入る最終型の前の型だったと思う。それとタンクに『K』以外小文字の『Kawasaki』と入る最初のロードスポーツモデルだったような……)』、栗色の『Z2B(RS。AかBかはテールのラインの撥ね方でわかる。こちらは撥ねたマルーンの玉虫)(※)』と緑っぽい『Z2B(こちらは撥ねていない青玉虫。これも綺麗で美しい)』、そして『Z400FX(E1初期のタイガー)』だった。どれもこれも集合管でなくノーマルマフラーというところが渋い。

 

※)ちなみにZ1ばかり集めたり個人売買している私は、宝具の中にコレクションしてあるもの以外に、ドイツの自宅に30数台保管していて、北米ではKZやMkⅡまでネットワークを広げているので常時6~70台は保管している。それらをレストアして、ある程度のメンテナンス状況を示した書類とともに日本へ輸出したりもしていた。

 これはギターの売買と同じ手法で、今は『イヴ・コレクション』として知る人ぞ知るコレクター&マニアがアメリカに存在している事になっている。副業にもならない完全な趣味なのだけど、1年に1回、数台ずつ東京のショップに船便で送るのだが、まぁ全然儲からない。私の人件費を考えれば現地のマニアに個人で売る方がまだましだろう。

 それだけ運賃と税金は高い。だからといって宝具で送れば車両の書類作成が難しくなる。ギターなら楽器だから状態ありきだ。けれどバイクやクルマは乗り物だから、その国の法律で雁字搦めに縛られる。安全面から仕方のない事ではあるけれど、小売値がン100万円する逆輸入旧車も、現地でのプレミア価格、レストア費、灯火類の光軸合わせなどなどの整備費、輸送費などなどを差っ引けば、実はそんなに儲けは出ないものなのだ。

 対して、現地でのみ完結するプレミア物ならこの限りではない。良い例がZ2だ。日本独自の750cc縛りで生まれた、パワー劣化版、或いは排気量リミッター版だ。現代となっては世界中から逆輸入されるZ1と違い、圧倒的に流通量が少ないから年々プレミアが付き高くなっている。

 実は私もそんな日本国内もののZ2を1台とZ750FOURを1台持っている。Z2は1973年7月生産の火の玉で、いわゆるヨンパチもの(昭和48年製という意味)だ。1996年にルオンママに良い投資になると薦められ、ご近所さんから120万円で買ったものだ。これは奥さんが入院され纏まったお金が緊急で入り用になった元オーナーと知り合いだった事による幸運が招いた結果だった。

 言い値は80万だったけれど、奥さんを大切に思うお気持ちと、宝物を手放すそのお気持ちを考えて1.5倍支払った。なので二人目のオーナーが私というこのZ2は走行距離が正しく39034kmであった。しかも通り一遍の手入れがきちんとなされていて、常時屋内保管の極上品だった。その日から今日まで走行距離は全然伸びていない。今は宝具の中で時間凍結してある。ちなみに私の想像だけれど、このZ2がシロウさんや先生の世界では、藤村の雷画さんがご夫妻の資金援助のために買い取り、長年寝かされ後にシロウさんが形見分けで譲られたZ2だったのではないかと思っている。

 

 そしてもう1台のZ750FOURはルミナスグリーンのD1で1977年9月製だ。こちらも私が三人目のオーナーとわかっていて、出自も来歴も明確だ。走行距離は74812km。前オーナーが、飛ばす人なのでエンジンはすこぶる調子が良い。冬木なら真冬でもセル一発で掛かり、夏場ならアイドリングを500rpmに落としてもグズらないし止まらない。こちらは1998年に50万円で買った。

 これらやセロー、その他諸々のバイクを96~7年にポンポン買えたのは、ちょうどその頃ポルシェとフェラーリを買おうと、せっせと真面目にお金を貯めていたからだ。けれどお祖父様の『泥沼に嵌まるから止めておけ』という鶴の一声で諦めざるを得なかった。そこから良いバイクを手に入れて保管し、免許を取ったら自分で乗ろうと考えを改めた訳だ。

 それでそのZ750FOURの二人目のオーナーはカワサキマニアの私が鋳造したイルマだった。彼女がお祖父様に整備士として喚ばれ欧州へ渡る際に、旅費がないと言い出したので私が援助したのだ。そもそもあのお祖父様の事だ。行けば旅費をあっという間に稼げる仕事があるだろうし、後で返金されるのも目に見えていた。なのに彼女は私から旅費を借りたと恩に感じ、借金のカタ代わりにZ750FOURを置いて行った。

 律儀というか何と言うか。しかも彼女は私に売ったと思っていたらしく、私が大型免許取得後(だから6~7年後?)に一時冬木に戻ったイルマは、ママ達を通して私へと名義変更をしてくれていた。一人目のオーナーもわかっているので、かなり安心できるバイクだけど、あいにくZ2共々コレクションとして床の間バイクになっている。

 その理由は希少性から勿体ないと考えたからだけではない。Z1ほどパワーがないので、リムの大きさや車重の重さばかりが気になるからだった。そもそもZ1でもZ2でもリムが大きいのでコーナリングはそんなに良くないし曲がり辛い昔のバイクだ(前19インチ、リア18インチ)。なのでキャスター角が少し立つZ650(ザッパー)のステムを流用するカスタムが昔からあったという。(ただしこのカスタムをするとハンドルロックの位置が狂って効かなくなる)

 やはり空冷でもスイスイ曲がれる現代のバイクとなると、ゼファーでありZR-7であり、90年代から今に続くCB750(RC42)に限られた。ただしCB750は結構重い。だから私はゼファーの750に乗り(スポークのRSが乾燥210数kg、アルミホイールだと200数kg)、ミトはZR-7S(カウル付きは乾燥210kgだがカウル無しは230kgになる)をこよなく愛すのだ。このZR-7は日本だと本当に人気がないけれど、リアのモノサスがバイクを自在に寝かせてくれ、とても曲がりやすい。

 アルトリア姉さんがZR-7を手に入れたのも、乗り味が素直でパタパタ寝るからだ。空冷四気筒の最終進化系とまで私は思うのに、この味がわからない人が多いのには閉口する。勿論そこに至るまでの間に水冷のGPZ900R(初代Ninja)やZZR1100でハンドリングを煮詰めていった結果だというのも忘れてはいけないだろう。

 そしてこの先にあるのが巫女の姉さんやセイバーの駆るZ1000やZ750といった新生水冷Zなのだ。軽いわ速いわマスが重心に寄ってるからヒラヒラだわ、正面から見たら喧嘩を売っているようなメーターバイザーも、赤パネルのメーターもカッコ良いし、特に750のグニュっと歪んだ排気管がタコ足っぽくてイイ。

 1000のサイクロン号のようなサイレンサーも惚れ惚れする。烈華(オンナ)に似合うバイクだと思う。

 

 

 

 ヘルメットを脱いだ人達は皆んな30年くらい前から、そのバイクに乗っているという風格のある小父様方だった。和気あいあいと方言混じりで談笑されているので、同じ道内での若い頃からのバイク仲間なのだろう。元暴走族とは思えなかったし、旧車會という体(てい)でもなかった。手に入れてから30年間、この冬になると雪で乗れなくなる北海道という土地で、大切に磨いて来たのがわかる。

 

「タカちゃん、あのアイス、美味しそうだよね?」

「ウチの娘くらいかな。綺麗な娘さん達だなぁ」

「ヨウさん、どこ見てんだよ? アイスだよ、アイス」

「あれって抹茶味かな?」

 

 なんて口々に話している。イリヤお姉さんとパミが手を振ったら、小父様方がめっちゃ照れていた。きっとナナハン組が先輩格でリーダー格なのだろう。その他の人達が後輩で。先輩格の人達の意見で、皆んなして私達に愛想笑いしながら同じソフトを買い求めに行った。

 もしかしたら職場なり職種が同じ人達なのかも。それでゴールデンウィークを利用して道東をツーリングしているのだと思う。本当に仲が良さそうだ。こうして50代になっても還暦を越えてもこの方々は、こうして仲間のままなんだろうな。私はジーンと胸が熱くなった。

 それはこの方々のバイクがどれもこれも『洗車会』かという程、素晴らしくピカピカだったからだ。バイクってホイールやハンドル周りは磨けても、パネルで覆われたクルマと違うから、とにかくホコリが妙なところに溜まるのだ。それはタンクの下のハーネスやエアクリーナーの周囲、キャブの辺りだ。

 そんなところも普段から綺麗にしようと思えば、年に数回はタンクだけでなくエンジンから下ろし、フレームから洗車しないと難しい。それが出来ているという事は私並みの変人集団という意味になる。エンジン音なんて聞かなくても、セッティングから何までバッチリなのが、このキャブの綺麗さでわかってしまう。そこに痺れて憧れない私じゃない。わかるだろうか? この『本物のバイク好き』に出逢った感動が。

 チンチンと冷えていくフィンの音は空冷ならではだ。私の『Z1』や『400FOUR』もこういう音を出すし、『SR』や『ゼファー』も出す。だけどフィンの深さの違いだろうか、70年代の空冷の方がこの音は少し響くものなのだ。ズラッと並んだ空冷バイクに思わずため息が出る。

 興味が湧く湧かないも、何に惹かれるか惹かれないかも個々人の好みだろうけど、ある程度旧車も持っている身からすると、『KH250』に一番気が惹かれる。『GT380』も凄いが、2ストで北海道ツーリングは驚きだ。もしこれで本州ナンバーだったら更に驚いていたろう。

 どちらも三気筒だから真ん中のシリンダーが冷えにくい。だからスズキはラムエアシステムを装備した。ルオン・ママがフレームから新規制作してエンジンだけ流用した『GT550(ジーティ・ゴンゴー)』を持っているが、音だけで余り早くはない。むしろオイルを撒き散らす排気ガスが堪らない。だけど『カッコ良い』んだよねぇ。

 それよりももっと実用的でないのが250ccの三気筒である『KH250』だ。流れるようなタンクからテールカウルのラインに、左右非対称の三本出しマフラー。そのカッコ良さとは裏腹に、ハンドルが高過ぎてカッコ悪いのがマッハやケッチのノーマルだけど、コイツはハンドルがスワローで、ステップもバックステップだった。正直、良いなぁと思ったし、お話が聞きたかった。

 

 

『シャイゼ(汚いドイツ語)! あの人達に私のゼファーを見て貰いたかった!』

『わかるよ、それ。綺麗だものねぇ』

『けど世代も性別も人種も違うし、きっと住む場所や職業的にも二度と接点は無いだろうね』

 

 旅に出るとこういう事がある。なまじ話している言葉が理解できるから虚しい。食べ終えるのが遅かった『私』とパミが終わったので、私達は後ろ髪を引かれる思いでヘルメットを被って、自分達のバイクに跨り、クラッチを繋いだ。後ろで『あのバイク、あの娘達のだったのか?』なんて声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 ゴールデンウィークに入った初日の朝、門開きと新聞受け取りに外へ行ってくれたセイバーが、慌てた様子で玄関からドタドタと戻って来た。

 

「落ち着きなさい、セイバー。どうしたのよ?」

 

 キャスターとの朝食作りに精を出すべく台所に向かっていた姉貴が、蛇口を締めて手を拭いながらセイバーの方を振り向きながら言った。するとセイバーが隙かさず姉貴に封筒を渡していた。

 

「ん? 切手も宛名もない……? 差出人は……凛?」

 

 裏の差出人のところに遠坂の名前が書かれてあったようだ。

 

「何だ、姉貴。遠坂から果たし状か?」

「士郎、バカ言ってないで」

 

 キャスターが『何もない』とばかりに頷いたので、姉貴は封を切って中身を確認した。すると中には手紙と何かチケットのようなものが入っていた。

 

「何だ?」

 

 姉貴は左手にチケットを取り、右手に持った手紙をじっと読んでいた。

 

「以前、お世話になったエルヴァさんって居たじゃない?」

「あ、うん。その人のお姉さんが遠坂のところに……」

「そう。先生方と滞在しているわよね? そのエルヴァさんの……何て言うのかな? 大元というか姉妹というか……その人が凛や先生と相談して、これを届けてくれたみたい」

 

 そうして姉貴はオレに『これ』を手渡してくれた。それはスクラッチの宝くじで……何と100万円当たっていた。

 

「ど、どうして?」

「その当選金で『たまには息抜きして下さい』だってさ」

 

 オレ的には『貰っちゃって良いのか?』という疑問はあるけれど、どうも姉貴は貰っておこうというスタンスのようだ。察するに本来譲られたのは遠坂なのだと思う。だけどあいつは要らないとでも言ったのだろう。それで相談の上でこっちに回って来て……。

 

「それに換金する前の当たりくじだから、贈与税も何も掛からないし、そもそもこの当たり金額なら税金が掛からないらしいわ。もし申告の時にわからないようなら、いつでも訊ねて欲しいって」

「なるほど」

 

 さすがは遠坂か。

 

「じゃ?」

「うん、GW明けにも指定の銀行に行って換金しちゃいましょう。それでみんなで美味しいものでも食べましょう」

 

 良いのかなと思うけど、そういう風に決まったんだ。

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