時刻は夕方4時。自家製ペール缶炭焼きグリルは、鉄板の方はそのままだが、網の方は既に2回も換えていた。この網焼き用グリルの上部は、メーカー問わず大概の網が乗せられるよう縁の部分が広く取られてあるから大概便利だ。つまり網を毎回洗うのでなく、百均などで安く買った網をその都度乗せ替えようという発想だ。今どきはそういう人が多いのでは?
こちらの設計はランスロットさんが中心で、ランサーが制作を手伝った。一方、ランサーの前にある鉄板用グリルは、ランサーがペール缶の大きさから逆算して、鉄板から鍛えて作ったものだ。こちらにはアーチャーさんのアイデアも入っていて、炭熾しにも使えるようになっていた。
最初に薪を焚べていたのも実はこちら側で、そこから炭を熾しに掛かったのだった。そしてこんな風にランサーやランスロットさんが定期的にグリルの新作を作るのは、熱でペール缶や一斗缶が直ぐにダメになるからだった。だけどこの二人はそれを面倒くさいとは考えていない。むしろ作る事を楽しみにしていた。
それは彼らの生きていた時代にペール缶や一斗缶、ドラム缶などが無かったからだ。エーデルフェルトの裏庭には、耐熱レンガで作った据え置き型の竈やグリル、ピザ・オーブンなども設置してあるけれど、やはりこうやって外に持ち出すとなると七輪やこういう缶のグリルが便利だったし、必要だった。
皆んな延々と飲み食いしながら、話に熱中している訳だが、この段階で二人のアーチャーさんは本日パスだろうなと皆んな何となくわかっていた。
「釣りでしょうかね?」
「多分そうだろうさ。まぁ、アイツラはちょこまかと動き過ぎだ。今日明日とのんびりさせてやろうぜ」
「ですね。釣りを切り上げたら、魚の処理と食事のためにこっちに来るでしょう」
ランサーとランスロットさんの言葉に私も頷いた。既にゾウケンくんもルビーもエーテルで人の姿になり、皆んなと一緒に飲み食いしていた。つまりそれだけ打ち解け、正体も既にバラした後だという事だ。そもそも知らなかったのは衛宮姉弟だけだったし、二人とも魔術師なのと、ここの間桐に姉弟は悪感情を持っていないところも大きかった。
何より二人は並行世界の話を聞きたがっていた。特に聖杯戦争の内容を。それらの話をエルヴァさん達が話し終えたのが、大体2時頃だ。それを士郎さんが理解できるように慎二さん達が日本語で解説して今に至るという感じだった。なおゾウケンくんが御機嫌だったのは、慎二さんが要らない事を言いやしないかと心配で、少し同調率を上げていたからだそうだ。
おかしな話だけれど、慎二さんをこんな風にしたのは来年のゾウケンくんだ。当時高2だった慎二さんにあれこれと慎二さん向きな言葉を選んで示唆を与えていたらしい。そこを『儂はその時、どう動くべきなのか』と、慎二さんに好感を持てば持つほど悩むみたい。ゾウケンくんは意外と真面目なのだ。
それはそうだよね。自分の言葉一つで、ここに居る慎二さんが、全然違う慎二さんになってしまうんだから。それと同時にその事は私にも当てはまる事だから、私を悩ませないという心遣い(心配)もあったみたいだ。この根っ子にある問題は、取りも直さず『魔術師の家に生まれたのに、魔術回路を持たずに生まれれてしまった』という部分にある。
つまり言葉は悪いけど、『障害を持って生まれた子の悩み』そのものなのだ。そして慎二さんも性根の部分はゾウケンくんそっくりにクソ真面目だから、『こんな跡を継げない身体で生まれてきてしまって申し訳ない』と先に考えちゃうんだね。だけど小さなプライドがそれを口に上らせないし、他者にツンケンしていても当たる事は無かったんだと思う。
『じゃから衛宮士郎だったのじゃろう。主体性が弱いアヤツは、慎二にとって何でも好き勝手に言える唯一の心許せる友だったのじゃ。儂はそこから更に考えたんじゃよ、エルマ。周囲に八つ当たりせなんだ慎二じゃから儂の声が届いたんじゃな……と。確かに儂からの『あぷろ~ち』の仕方にもあるじゃろう。言葉の選び方もあるじゃろう。じゃが、そういう『耳』を持つ慎二じゃったのは何故か。わかるかの?』
『そこの間桐臓硯のあり方と、家族構成?』
『正解じゃ。あちらでは鶴野が早くに隠れて(死んで)おっての。あの慎二は鶴野の弱さや脆さの影響をあまり受けておらんようなのじゃ。そして桜へも暴力を振るってはおらなんだらしい』
『それってかなり特殊なケースなんじゃ?』
『応よ。じゃから大魔導師の目に止まり、来年儂らは間桐に入ると決めたのじゃろうなぁ』
『つまり……慎二さんありきだったって事?』
『そうじゃ。そして大魔導師が儂らに語ってくれおった、あの世界での悪の悍(おぞ)ましさよ。ところがここはそうでもないように思える。ここでの儂は早々に、慎(マコト)に殺されておるようじゃしな。つまり、そんな慎と同じように、ここのエルヴァもアーデルハイドも裏で動いておるのではないかと思うのじゃ』
私はそこを考えた。
『遠坂家と衛宮家を守るため?』
『うむ、儂もそう考える。そして遠坂には一風変わったエーデルフェルト、衛宮にはこれまた妙なアインツベルンがついとるんじゃろうなぁ』
『御館様?』
『そうよなぁ。ノイントからして少し異なるのであろう。北海道に行っとる『エル』が、エルヴァをして『彼女は私ではない』と言っとったそうじゃな?』
そうなのだ。けれどお姉様は『彼女は私だ』と言ったのだ。その意味は、ここのエルヴァさんの人格はお姉様だったという意味になる。『エル様』としての人格でなく、お姉様の人格を持ってお生まれになった『エル様』。そこからして異なるから周囲の人も微妙に異なった世界になっているんだ。
だからきっとアーデルハイド様もエルヴァさんのお姉様のアーデルハイド様とは微妙に異なるのだと思う。すると、一番割を食ったのは慎(マコト)さんという事になるのかなぁ……。
『儂もなぁ、慎の事を考えると胸が痛いわい……。じゃから『エル』が近づいたんじゃなと、あ奴に託す他ないのぅ』
そうだね。どうも先生もその御積りのようだし……。以上は念話でなく、英語でもドイツ語でもない。最近ゾウケンくんから習っていたロシア語だ。『エル様』やお姉様が居ないなら誰も知らないだろうという事で、二人だけの会話の時によく使っている。ただしマルガリータさんとルヴィアさんならわかってしまう。だから自室で使うだけだった。
それをこんなキャンプ場で試したのは、一つは慎二さんに聞かせたくなかったのと、カンが鋭いエルヴァさんには単語すら聞かせられないからだった。
あの人は耳にした単語を繋ぎ合わせて、文脈と会話の内容を組み立てられるという『エル様』みたいな事をやっている事に気付けたからだ。そもそもゾウケンくんが最初からエルヴァさんを『侮るな』と話してくれていたのだ。
『あ奴の言う『オレはバカだ』ほど当てにならんものはないぞい。あ奴の地頭は『エル』やエルヴァ並みにあると考えて間違いないじゃろう。これも環境なのじゃろうか、親友のアントニーを無意識に立てておるんじゃよ。幼い頃からそうなのかどうかはわからんがな。そして己の視野の狭さを利用しとる』
『狭さを利用って?』
『そうよなぁ。言ってみれば『無知の知』じゃろうか。自分を良く見せたいとか、格好を付けたいとか、そういう些末なものに縛られんのじゃ。そう考えよると『木偶の坊』を演じておる方が、人間関係も円滑じゃろうし、情報も手に入りやすい立場にいられる。その方が得じゃと学生の頃に学んだのではないか?』
確かに。いわゆるスクールカーストというものがもし本当にあるのなら、エルヴァさんは思いっ切り上位の筈だ。だってアメフトの選手だったとか、運動は得意だとか、これまでの間に何度か聞いていたからだ。そしてアントニーさんが言うには、学生時代のエルヴァさんはモテモテで、絵に書いたようなチアの美人と付き合っていた事もあったらしいし。
だけどこの人はそれでも天狗にならなかった。それは大好きな両親と尊敬するお兄さんや、出来が良いと褒めちぎる弟さん、そしてバカだけど可愛いといつも言う二人の妹さんに囲まれて暮らして来たからだ。また、一魔術師としてクロエさんをこれまでも人間と同等か、それ以上に大切にして来た。
そこなんだと思う。クロエさんというフィルターを通して世界を見直した事で、エルヴァさんは『世界の何か』に気付けたのだと思う。そこがこの人の『深さ』になったのだ。仲間や友人を大切にする『広さ』を家族やアントニーさんから学び、『深さ』をクロエさんを通じて学んだ。そこがこの人自身を高く大きく見せているのだろう。
そのエルヴァさんとアントニーさん、アストルフォさんにクロエさんは四人で私のそばに固まっている。私はランサーとランスロットさんの真後ろで、二人がせっせと焼いている肉が焼けたら、お皿に移してヴンダーと一緒に皆さんへ回していた。そんな私やヴンダーを挟んだ反対に二人の士郎さんとイリヤさんに慎二さん。その横にルヴィアさんと二人の凛さんだった。
それがこのバーベキューの最初の並びだった。だけど今は皆んな席がバラバラで、ランスロットさんに代わってエルヴァさんが、ランサーに代わって士郎さんが、ほんの少しのお肉を焼いていた。お肉はまだまだたくさんあるけれど、皆んなお腹がいっぱいなので、ちびちびと焼いている訳だ。
こんな、そろそろお開きにしようかと思っている中でガツガツと食べているのは、セイバーさん、ランスロットさん、ランサー、アストルフォさんの英霊組だけだった。『無限の胃袋』だとか思わなかった。『エーテルで編まれる身体が魔力を欲している』のだと単純に考える事も出来たが、どうもそれも違うように感じた。
と言うのは、ランサーとランスロットさん、それとアスフォルトさんは受肉していないから、『魔力を無意識に欲している』という論が成り立つのだけど、それが先生の尽力で受肉を果たしているセイバーさんには当て嵌まらないからだった。これの意味するところを考察すれば、幾つか思い当たる事があるけれど、そのどれもがどうにもこうにも腑に落ちない。
そんな事を考えながら空いた容器やお皿を流しで洗い掛かったら、漸く二人のアーチャーさんが現れたのだった。
その川の名は『ポー』という。吸血鬼の一族とも関係なければ、イタリア北部を流れる『ポー川(アドリア海に注ぐデルタ地帯は世界遺産だ)』とも関係ない。だけど道東のこんなところにも『ポー川』があり、その流域には小規模ながらも湿原が存在し、ある意味では『最古の日本人』が九州とは別にここから広まった。
そしてその一族はやがて海(津軽海峡)を渡って東北に着き、そこに国を築いた。その子孫が蝦夷(『エゾ』ではなく『エミシ』と読む)の王となったアルテイだとされている。つまり彼らは土着の民『アイヌ』と混ざりあった大陸から渡って来た、今で言うロシア系なのだった。
アニメ映画の『もののけ姫』で例えるなら、アシタカもこの一族だったと思える。ただ狩猟民族だったかというとそれは違うような気がする。陸稲しかなかった時代に水稲を考えついたのは、湿地帯で水耕農作を編み出した人達ではなかったか? どうして日本だけ北陸より北で稲作が盛んなのだ?
東南アジアや中国を見れば稲作が可能な地域はもっと南部だ。だけど日本だけは異様なまでに北部で稲が育っている。気候の違いや土の違いだけだろうか? それを『可能だと思えた精神』と『成し遂げた成功体験』、その萌芽が標津町伊茶仁にある『伊茶仁カリカリウス遺跡』周辺から読み取れるような気がするのは私だけだろうか?
時間を持て余していた私達は標津町を抜ける前の、国道244号線(野付国道)が国道335号線(国後国道)と枝分かれするところにある『遺跡』の看板や『歴史民俗資料館』の看板を見て、『ポー川史跡自然公園』に立ち寄った。正直、知らなかったから驚いたし、勝手な想像や妄想が次から次に頭に浮かんで目眩がしたくらいだ。
竪穴式住居跡を見学した時は、火を熾す女将さんの後ろ姿や、家の周りで遊ぶ子供達の声が聞こえた気がした。東北出身の人で、時々足が長く、色白な人が見受けられるが、彼、彼女達の特徴は弥生人とは明らかに違うし、縄文人とも微妙に異なっている(北部縄文人として括られる場合もあるが)。アイヌの人にも色白で瞳の青い人が居たと聞くから、やはりロシア系の血が流れているのだろう。
もっと言えば日本書紀に載る武内宿禰が調査し、日本武尊命(倭健命)が軍を率いて戦った国が日高見国(蝦夷)であり、その王族が後の大化の改新(※)で滅んでく蘇我氏だったのではないか? また、蘇我蝦夷と言う名が与えられた入鹿の父の本当の名は『毛人』だったという。ロシアン系の血が色濃く出ていたという気がする。
※)そもそも大化の改新は兄弟喧嘩ではない。西の日本(ヤマト)が東の倭(ヤマト)と政権交代したクーデターを、万世一系を演出するためにごっちゃにして隠したものだ。魏志倭人伝に出る倭人は入れ墨があったとされるし、縄文土器や土偶にも入れ墨がある。
そんな倭(ヤマト)を大陸から九州へ渡って来た軍事民族が、建速須佐之男命の子孫である西の覇者大国主神を滅ぼした日本(ヤマト)だ。その日本(ヤマト)が東の倭(ヤマト)の追放もしくは征伐に成功したのが5~6世紀頃で、罪の意識を薄めるために日本書紀のような記述になったのだと考えられる。歴史は常に勝者の都合が良いように書かれるものだ。
なお、この日本(ヤマト)民族は、当時の朝鮮半島や中国に存在したどの民族ともDNAが一致しない。いきなり現れたのだ。(今の台湾に辺りに住んでいた日向族だったという説あり。お米のルートの謎と繋がるので信憑性は高い)。また、倭(ヤマト)民族の方は古代のシュメール人とDNAが近いという。と同時に大国主神は建速須佐之男命の子孫である前に、倭(ヤマト)を興した蝦夷(エミシ)から枝分かれした一族の族長だったという説もある(アシタカ? というのは冗談だが、ジブリがどれだけ『日本』を調べたかに驚かされる)。
話を戻すと、その北海道にやって来た祖アイヌ人や祖日本人は、今のロシアやその前のソ連はおろか、ロマノフ朝とは全く関係がない。もっともっと大昔の北海道(稚内)が、サハリン(樺太)と陸続きだった頃(約2万年以上前)にやって来た人達の子孫だ。そしてこういう歴史と地理、民族と食事場を遡って考えると、日本人のルーツに中国やその周辺国の影響がほとんど無いのだなとわかる。
この意味がわかるかな? 祖日本人は極寒の地域でも小麦より先に雑穀やお米を食べていたのだ。そんな寒冷地で育つ種籾なんて、一体誰が作ったのだ? 最初は陸稲だったかも知れないし、雑穀を育てる畑をローテーションした事でそういう土壌になっていったのかも知れない。
はぁ……。誰か一つのジャンルに拘らない、大局的・総合的な視点から過去を研究してくれる学者はいないものか。けれどそんなネクシャリズム(Nexialism。『宇宙船ビーグル号の冒険』に出てくる総合科学の事)みたいな、お金にもならない事を進んで研究する変人は、実は魔術師ばかりだったりする。
私達は『濃度とミネラルを調整すれば、塩水(海水)と血液はある程度置換できる』と千年前から知っていた。そして血液は人間の場合、腸から作られている事も。これらはルネ・カントンの海水療法や、一部の科学者や医学者が唱える腸造血説とは別物だ。私達は人造生命体を作るために『錬成』や『鋳造』以外の事もたくさん学び実験し、確認してきた。
腸内環境を整える。即ち腸を善玉菌が繁殖しやすい環境にリフォームすれば、副次的に若さが保て太り難い体質となり、健康を保てる等々、ウチ(家)も大昔からこんなことに没頭する変人ばかりだったのだ。だから私も姉のイリヤも納豆大好き、糠漬け大好き、ニンジン、ゴボウ大好き、ワカメやめかぶ大好きな人間になってしまった。
おい! 『だから間桐慎二と婚約したのか』と言ったお前、聞こえたぞ! お前、明日からケロニエロンのヌイグルミに魂を押し込めるからな。ちなみにケロニエロンはデボン紀に居たとされる、踏み潰されたフナムシみたいなヤツだ。目が可愛いんだぞ?
ともあれ、私達は一族内であっても研究分野も対象もバラバラだ。なら、他家まで含めるとどれほどの変人がこの世に居るのだろうか。そこを想像すると恐ろしいのだが、やっぱりそう考えると大局的・総合的に物事を見られる者が誰か居ないと困る訳だ。だからノーリッジ卿と並んで私も現代魔術科に出資しているのだけど、アーチボルト先生が健在な世界なのでウェイバー先生の現代魔術科の規模は小さく、スラーの学舎に専用教室が四つあるだけだった。
それとは別に、私は何でも自分で試そうとするタイプで、自分自身に術を掛けて実験するのは常だった。そして草を煮詰めて飲んでのたうち回ったり、ホムンクルス用の人造筋肉が食糧難を解決するかと焼いて食べて思いっ切り吐いた事もある。勿論、その後の改良で美味しい人造肉が作れた。その内『美味しいメイド』や『旅先での非常食となるメイド』を作ろうと考えているとママに言ったら、マアエモ・ママに泣かれ、ルオン・ママにぶっ叩かれたのが6歳頃だ。
そんな風に何でも自分でまず試した。何でもしたかった。これは物心ついた頃からの私の個性だった。自分で自分を監督しながら自分でやるしかないないじゃない、と漠然と考えたのは3歳頃だ。そして『ラインの黄金』欲しさにお祖父様の見ている前で、自分の左腕の肘から下を斧で切り飛ばしたのが5歳の時の事だ。
なので私の分割思考や人格分裂は生来の空想好きもその要因に数えられるけれど、家がホムンクルスの鋳造に長けていた事や『ラインの黄金』を求めていた事も大きな要因だったろう。魔術回路や刻印の調律や移植に保管は、お金になるから学んだもので、私は元来『人形師』になりたかったと言って間違いないだろう。
その理由は簡単だ。一人で考えるより大勢で考える方が、正解への近道だと考えたからだ。人生が短く感じられ、研究時間が足りないと思うのは誰だって同じだ。それに頭脳が明晰でいられるのは若い間だけだ。だから『(寿命を)伸ばそう』でなく『(頭脳を)増やそう』と考えたのだ。
ただ子供の頃(幼児期)から無茶(無謀ではない。思い切りが良いだけだ)なため、乳母であるマアエモ・ママを何度も泣かせてしまった。その意味で私を厳しく叱ってくれたルオン・ママにも感謝している。このルオン・ママは私が慎ちゃんとの婚約を決意した日に私付きのメイドを辞めた(もっと前から『自由になって』とお願いしていたのもあったけれど)。
今はドイツ人のパン職人さんである旦那様と、冬木でお店を開いている。またこの旦那様が面白い人で、『究極の(ドイツ)パン』を作るために世界中を旅していたような人で、インドのチャパティなんかにも詳しかったし、同じ粉物でもあるうどんやラーメンにも目がなかった。だから巫女の姉とも仲が良く、彼をルオン・ママに紹介したのも実は姉だったりするから人の繋がりとは面白いものだ。
一方、マアエモ・ママは今も私専属のメイドを自認していて、退職金を支払い、ルオン・ママと合同の退職パーティを開いてあげたのにも関わらず、自主的にビルに来ては他のメイドの家事を手伝い、お兄ちゃん(2番目の『アーチャー』)との新居から通っている。そうなのだ。ママとお兄ちゃんはこの春(あっちでは2005年)に結婚してしまったのだ。
その証としてお兄ちゃんは受肉したがっていたが、それはやはり無理だった。だけど、少なからず座である私が生きている間は安泰なのだからと、今は割り切れているようだ。ただ、私としてもママとの『子』は見たかったなぁ。だからどうにかならないかと今も研究は続けているが、こればかりは本当に難しい。
そうなるとママへの給金が発生するのだけど、そこを何度言っても無視で、雇用契約も、その日の分という現金でも受け取ってくれない。そうなるとママが本当はお祖父様の孫に当たる『エルヴァ(アルトゥールお兄様の娘。私の名の本来の持ち主)』の魂を使ったホムンクルスだったという事実を知ってしまった可能性が否めない。だから今に至っても何も言えないでいる。実に困った御仕掛けメイドが今のママなのだった。
(ドイツでのメイド長であるフリューゲルはお祖父様の実の娘だ。私の4歳上なので現在23歳なのだが、ある意味実験の結果でもあるから、お祖父様は彼女にそこまで関心がない。明らかにマアエモ・ママに対するそれとは熱量が異なっている。だから主人筋ではあれど、妹分でもある私が引き取るというような、ややこしい状況になっている。
ただ、これもアインツベルンというブランドを維持するためのブランディング戦略の一貫と理解できるので仕方ない面はある。つまりこの部分をクロちゃんは今後しっかり理解して行かなければ総裁への道は遠いという事だ。総裁は魔術が長けていれば成れるというものではない。一族を率いる政治力も物を言う。そして一族の中には、世間に名士と認識される著名人もチラホラと居る訳だ。
『総裁、あなたもいかがです?』
と、別の著名人3~4人からもロッジに誘われたり、もっと上の組織に『入りませんか?』と誘われる事も、ままあるものなのだ。ここが『お祖父様は片足アチラ側』という真相だ。
『人類どころか地球環境にも貢献しない、その他大勢の豚は殺すに限る』
『とは言え敢えて与えた人権がネックになる』
『なら、番号を振って記憶も行動パターンも仮想世界に置かせ、肉体は豚の餌に』
こういう計画がある事を私は2005年のこの当時、既に知っていた。と言うか『マトリックス三部作』に出資したスポンサーの裏に何者が居るのかを知っていた。だけど私達は魔術師だ。しかも私はある意味、秘密結社の最高峰『魔術協会』の理事だ。それも並み居るロードの面々を差し置いての序列二位だ。お祖父様と一緒にスイスや英国の田舎城で開かれる会議に出席した事も一度や二度ではない。
だからメンバーの中にはアラヤ的視点でモノを見る人もいれば、ガイア的視点でモノを言う人もいる事を知っている。なので欲に塗れた、人を人とも思わない嫌な人が存在する事も、本当に人類という種の未来の事を考えているが故に『ある程度の間引きは必要』と考えている人も居る事も知っている。
実際、地上の人が住める土地をすべて農地にしてしまっても、これ以上人口が増えれば食料は行き渡らないし、その前に飲用に向いた水が枯渇するのは明白だ。宇宙船地球号(陳腐な言い方だ)の船内で問われるべきは、『何がベストなのか』を逸早く探り当てられるかどうかなのだ。
温暖化はデタラメだが、この食糧問題と飲料水問題は切実な差し迫った問題で、この問題提起があまり大声で叫ばれないのは、この太陽系第三惑星『地球』以外に人類に向いた惑星がほぼ無い事がわかってしまっているからだとされている。さぁ、他に逃げ場もないこの宇宙船地球号で、あなたなら何をする? 言っておくが私は資本主義賛同者で反グローバリスト、反共産主義者だ。
人口削減計画? 経済に役立たない人達のメモリーチップ化? それを否定したい人は多いと思う。そんな選民思想が許されるはずがないという意見もわかる。けれどもこの世のすべての事は『思い込み』と『感情』というファクター抜きでは語れない。
この『思い込み』と『感情』とは情報分析能力の事だ。ネットの話だけではない。現実でも毎日起こっている事でしか無い。まず情報の真偽を分析する前に、これまであなたが蓄積したデータベースその物が、間違っている可能性を考えなければならない。次に間違う要因となるのは、あなたの思考へフィルターを無意識に掛けて来る両親や兄弟姉妹といった家族に、友人や交流ある人達の存在だと認識しないといけない。
そう考えられるようになれば、TVやネットに溢れる情報に、『何らかの意図が含まれて』いる事に気付けるようになる。『新聞と違いネットだから正しい』、こんな事を言い出す人は既に操作されている。バカな魚が生け簀でパクパクしているようなものだ。
だから次に必要なのはデータベースの再構築だ。となると真の情報がどこにあるのかを探す事になる。だけど意外とそれは身近にある。『嘘つきのクセ』を知っていれば、隠したかった事、言いた事の中に誘導や扇動が含まれている事などもわかって来る。そうなって来ると、再構築は早く進むし、日々の更新も楽になるだろう。
そこでだ。『生き残る側に選ばれないと思える人』は何が足りないと考える? それはとても簡単な事だ。もう倒れないと明確に言える事業を興しているかどうか、そしてその経験をもとに、そここから更にもっとレベルが上の、新たな『集金システム』を別に作れたかどうかにあるのだ。それが『新しい未来を創り出せるか人間なのかどうか』という新たな関門になる訳だ。そうなればどこかの会員があなたをそこに入りませんかと推薦してくれる。
わかる? 異世界転生のようなファンタジーじゃないのだ。選んだ人々の未来は確実に守らなきゃならない。だからこそふるいに掛けて選別しなければならないのだ。つまり選ぶ側も別の視点から選別されている。そこに考えが至らないなら、あなたはそのレベルだ。
そして事業を興すとは、この世界の根幹とも言える『人をどう動かすのか?』という重要なポイントの一端を知っているという事だ。人一人ができる事なんて高が知れている。大勢の人を動かすから人はここまで来れたのだし、進歩したのだ。資本主義自由経済も、共産主義も『人を動かすため』の手段でしか無い。それは専制君主もそうだ。
独裁政治が必ず滅びるのは、そこまで考えられない間抜けが何かの間違いで一時的に権力を得たからに過ぎない。人の歴史がそれを明らかにしている。自分は『特別じゃない』『その他大勢の人と同じ』とわかっていて当然で、だからこそ『この先人達が積み上げてきた、歴史ある世界を壊してはならない』と考えるレベルに至って漸くスタートラインだ。
だからこそ子供の頃は、選民できる大人達の思考が怖かった。そこに対抗するために宇宙開発を夢見ていたものだけれど……。今はそれもほぼ不可能だと気付いてしまった。スペースコロニーで数千人を数ヶ月生かすのが今は限界だろう。それでも100年200年と経てば……? それでは遅過ぎる事も今はわかっているのだ。
勿論、これらも情報あっての計画だ。そしてその情報は必ず三次元世界(物質世界)を駆け巡るものだから、この点では私やお祖父様も彼らとそう変わりない。だけど私は彼らには真偽の判定ができない『自然の声』が聞こえる。実は魔術師であろうと、早々幽霊などが見える訳では無い。
ここも魔術回路と同じで、元々そういうアンテナを産まれついて持ち、修行の果てに精度を高めるのがその分野の魔術師の常だ。つまりはソッチの世界で名を売る大勢の偽物の中に極稀に居る本物……そういう人とあまり変わりはない。けれど私はそういうトップレベルの人以上に視えてしまう。何故なら私が半分『自然の触覚』だからだ。
それでもってSF好きでもあるから、銀河を異にする異星人から、この世界の誰かへの精神的コンタクトを偶然傍受してしまう場合もある。このパターンが実に厄介で、クリエーターにありがちな並行世界の自分自身からのメッセージと、とても混同しやすいのだ。だけど昆虫や動物達にアクセスするとその違いがハッキリする。
そしてその『違い』が、これまで傍受したサンプルを比較解析する事で段々とわかってきた。概して宇宙からのメッセージは『愛』と『私達の精神的進化を促すお手伝いがしたい』という奉仕の精神が溢れている。だけどこれは物凄く遠いところからちょこっとしか来ないのと、おらくはとっくに精神生命体に進化した種族だろうから私達は直接会えない訳だ。
つまりそこにこそ『人類に向いた惑星がほぼ無い事がわかってしまっている』ことの原因、選民思想に陥ってしまった要因があった訳だ。だから今の私は『平行世界』の利用を考えている。人が住み、国家も経済も動いているどこかの『並行世界』ではない。この世界に寄り添う『平行世界』の事だ。
私達が全員が、チャンネルが異なるから現状だと目視できない幽霊のような精神生命体に進化するのを待つのか? たった今目の前でもがき足掻いている人々を見棄てて? それが私にはできない。だからこその『平行世界』の利用なのだ。そしてアイツラに言ってやるのだ。『ご利用は計画的に』と。
ただし、これも夢見ているだけで魔術協会など黙らせなきゃならないところは多いし、解決しないと行けない問題も山積みだ。だから、今後どうなるかは不透明だ。
だけど動かなきゃ始まらないし、残り時間はどんどん少なくなっていってる。ちなみにアオレアールと並行世界のお祖父様が、『現象となった彼女』からそれこそ都合の良い、『無人なのに資源は豊富な平行世界』を譲られている事を、この時の私はまだ知らなかった。
もし、それを知っていたなら『それは現象となった彼女が創造した世界なのではないか?』と即座に答えられたろう。それよりも『彼女』が現象に昇華したのは、家族の死だけでなく『平行世界の創造』にこそ人類の活路があると睨んだ結果なのではないかとさえ考えただろう。なおアイツラも時間の無駄だと学習したのか、それともいつでもどこでも特攻離脱できる英霊を私が握っていて、差し向けられたら終わると情報分析が終わって知ったのか……今は随分と大人しい。
票津湿原を少し見学してから、私達はバイクを止めてある駐車場に戻った。国道244号線から335号線(国後国道)に入り海岸沿いを真っ直ぐ走った。ここらから知床半島だ。首を右に向けると遠くに国後島が見える。おそらく日本で一番国境が近い場所だろう。
野付半島からだと距離的に大きく見えても視界いっぱいと言うほどでもない。ところが知床からだと斜め奥に国後が伸びているのが見えるからかなりファンタスティックだ。言ってみれば僅か20数km先に沖縄並みの島が浮かんでいるのだ。この景色の圧巻さは山から見るそれとは違う。
海沿いのツーリングはバイクには良くないだろうが、このどこかデンマークっぽい雰囲気は好みだった。やがて道は左に大きく曲がって海から離れ、山間部に入る。国道334号線、知床峠を通る知床横断道路だ。それはわかったのだが、思ったよりも羅臼町の国道335号線沿いにはガソリンスタンドが多かった。
だけど334号線の山間部にはスタンドがまったくない。なるほどと思った。知床国立公園知床羅臼ビジターセンターの前を通り過ぎ、『熊越の滝』の看板を横目で見て、ワインディングを楽しんだ私達だ。その前に峰の湯や熊の湯という無料や有料の露天風呂があるのだが、この辺りの湯は45℃~50℃はあるそうで、江戸っ子じゃない私達には端から無理そうだった。なので寄り道はせず、滝の看板まで来たという訳だ。
そこから500mほど走ったところでキュキュキュっと大きく右に曲がると言うか、Uターンするかのようにヘアピンを右に曲がったら、右ステップやマフラーをガリガリと行った。勿論、これは過剰に速度が早いからではない(法定速度プラスαなのは否定しない)。ブレーキングでのサスの沈み込みもあるが、峠道なので道路に傾斜があり、その傾斜角と曲がる方向が相反した結果である。つまり右に曲がるのに、右に路面がせり上がっているのだ。
その音が私と背中にしがみつく『私』、パミ、ミトの順で続き、お姉さんの『キャ~』という歓びの声で締め括られる。これはどのヘアピンでも同じだった。そのお姉さんのキャーキャーという姿が3~40m離れた真横と言ってもいいところに見えた。それだけヘアピンが続く道なのだ。
乗り心地重視でリアサスを柔らかめにしているのもある。滑るほどではないけれど、少しセッティングが甘かったかな。けれど、サーキットでもないのに、しかもツアラーでマフラーまで擦ったのは久しぶりだ。これがゼファーや『SR』なら、ステップを擦るなんてしょっちゅうだ。なので、私はゼファーにも『SR』どちらにもバックステップを入れている。
次の緩い左コーナーから即座に来る左ヘアピン、右ヘアピンの切り返しはお尻を浮かせて、『エイヤッ!』と気合を入れないと難しい。その理由は私達の体重が軽いから、振り子の錘(おもり)にならないからだ。こういう連続反転コーナーは筋力強化しても意味はない。
とにもかくにも素早い荷重移動がモノを言う。しかも荷重移動が早過ぎるので、250cc以下の軽いバイクなら後輪の荷重が抜け過ぎて転ぶような勢いだ。だけど『GPZ1100』のようなガソリンを満タンすれば260kgは行く重量級バイクを40数kgのチビ女が扱おうと思えば、こういう操作をしないとお話にならないのだった。
『ぬぉ~! 羅臼岳よ! 私の走りを見ろ~~~ッ!』
私はアドレナリンがドッパドパだった。が、そうも言ってられない事が起きた。
(エル~ッ! もっと速度を落としてよ~!)
パミからの念話だ。だけど悠長にしていられない。何故なら────。
(パミッ! 急いで! 斜め後ろから熊が二頭!)
(えッ!?)
『えッ?』と驚いたのはパミより私の方が先だ。気持ちよくコーナーを右に左にと走りながら、続く2台は大丈夫かなと、後ろというより横に見えるバイクを感じとれば、彼女の後ろの草むらというか藪から、結構素早くヒグマが出て来たのだ。おいおい、こんなコーナリング中での魔術行使なんて、いくら私でも無理だぞ。だけどミトの黒い『GPZ1100』がパミまで追いついてくれた。どうする! どうするの?!
『パミ~~ッ!』
叫ぶミトの後ろに跨ったお姉さんが、おもむろに弓を構えた!? そして熊の足元のアスファルトに隙かさず三本の矢を突き立てたのだ! 英霊なのは知っている。その胸に『アーチャー』を取り込んでいて、おそらくその能力が使えるだろうとも予測はしていた。だけど『何だこれ』?
お姉さんはバイクを操縦するミトの腰と、自分の後ろにあるグラブバーの両方に、自分の腰とを、いつの間にかその長い髪の毛で括りつけていたのだ。いきなりな矢に怯む熊。一瞬も感じさせない刹那の間に放たれた矢は『炎を噴き上げ』ながら地面の上で消滅した。『壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』の変形だ。
熊は我先を競い合うように樹木の中に消えていった。お見事。お姉さんは熊に怪我を負わせていない。そうだった……ここは国立公園。この道に入る前に『野生動物注意』の看板が確かに立っていたのだ。それも可愛らしい鹿が跳ねる標識だ。だから蝦夷鹿(エゾジカ)は漠然と想定していた。
こちらは北欧でもロシアでもトナカイと遭遇した事は何度もあるし、操縦するクルマとドカ~ンとぶつかり、ぶっ壊されて途方に暮れた事も一度や二度じゃない。だから甘く見ていた。こんな道で……と。まさかまさかの羆(ヒグマ)が出るなんて。ホント、ナメていた。大いに反省だ。
私達は自然と道路の左端に寄り速度を緩めた。そして暫く走ってバイクを止めた。その駐車場が知床峠展望台だった。我が姉のイリヤも、この髪の魔術は使える。だけどそれは母の扱う猛禽類からヒントを得た、『天使の詩(エンゲルリート)』という自動追尾鳥であり、変形できる自立型浮遊砲台だった。それはそれで凄い魔術なのだが、いかんせん発動までのタイムラグが大きかった。
髪を梳くように指先から魔力を流し、自毛が蓄えていた魔力を方向付け、命令を与える。抜いた後からの性能は確かに素晴らしい。だけど『今、この瞬間』となったら? それが『アーチャー』と融合したお姉さんの能力であり、底力の一端なのだろう。私は素直にそれを『素晴らしい』と思った。
自分の持てるありとあらゆるモノを、すべて自分や自分が大切に思う人が生き残るためのツールにするという発想────。活かせる能力はイコール、サヴァイヴァルへの心構えだ。それは踏んだ場数を教訓にして、記憶という過去に落とし込めず、経験として繰り返し学習しているからこそだ。
……そして無ければ創ろうなどという、常人なら考えもしないイカれた発想────。その幻想を手繰り寄せるチカラは本当に『奇跡』なのか? その裏に『強欲さ』や『貪欲さ』を感じないか? 何もない空っぽの『アーチャー』からだと感じ取れない、『生への渇望』『生きる勇気』、自分はここに居るぞという、存在意義を問うかのような『姿勢』。
これはエルヴァでなくとも惚れるな……。我が姉とはコンフリクトが起きるので相性が悪かった。そこがあって、私もこれまであまり深く知ろうとは考えなかった。けれど、巫女の姉は『味のある人』と話していた。ある意味、私でもあるエルヴァが、この人に心許せたのは、『本気で頼りになる人』だからだったのだ。
私達はヘルメットを脱いで、お姉さんにお礼を言った。すると顔を真赤にして、あたふたとものすご~く照れていた。可愛い人だ。そして羅臼岳をバックにたくさん写真を撮ったのだった。
それから再出発する事になったのだけど、ミトがお姉さんに自分の宝具から新しいヘルメットを出していた。お姉さん、咄嗟の事だったからヘルメットをそこらに投げ捨て(正確に言うと首から上だけ瞬時に霊体化したようだ)、どこかに行ってしまったらしい。日本円で7万しようが10万しようがあの危機を乗り越えるためなら安いものだ。
(エル~待って~~! こっちは『ZZR400』だよ!? 速度域が合わないんだって! こんな日本の知らない道で、すっ転びたくないよ~!)
あ~……。お姉さんの活躍で気分が昂ぶって、無意識に飛ばしていた。
(ホント抑えてあげて、エル。後ろから見ていてパミのバイク、挙動がヘンよ?)
クソッ、歌を止められた熱気バサラの気分だ。だけど仕方ない。安全運転、安全運転……。今のは私が悪かった。なのでそこからは『見返り峠』も『知床峠』もゆっくりと安全運転で走った。ミトが言うにはパミは後輪だけでなく前輪もスライドさせていたそうだ。彼女も大概バイクが巧いな。
そうして峠道が終わると下り道の前方に半島の反対側の海が見えて来た。網走でも見なかったオホーツク海だ。知らない人が多いと思うが千島列島までは太平洋で、そこから北、カムチャッカ半島とサハリン島に囲まれた海域がオホーツク海だ。つまりカムチャッカの東からアラスカまでがベーリング海で、サハリン島の西、間宮海峡より南が日本海なのだ。
そのオホーツク海の語源となった街、オホーツク(発音としてはアホーツクが近い)は、サハリン島のほぼ真上にあるロシア極東の小さな漁港のある田舎町で、その意味は『狩猟』だ。近くの川は春になると鮭が産卵のために遡上し、人々はライフルを抱えて森に中に入る。冬場はどう暮らして居るのだろう?
カムチャッカに入るための陸路の途中にある街だけど、生憎私は立ち寄った事がない。カムチャッカへは決まって飛行機で行くからだ。そんなオホーツクは極東のハバロフスク地方に属するのだけど(州などの管轄名とはまた別。地方名で呼ぶのはその方が通りが良いからだ)、この地方の最大都市ハバロフスクはもっと南の中国は黒龍江省の近くだし、最南端のウラジオストクはほぼ北朝鮮の隣だ。
日本から行くとなると色々と手続きが面倒だけれど、北海道より物価が安いし、面白いものがたくさん見られるので行って損はない。そして出来ればシベリア鉄道の寝台車に乗って、モスクワまでの6泊7日といった信じられないような長旅を堪能して欲しい。
中学に上がった頃の私は、そんな風にパミと二人でよくロシア中を旅した。だから本当はパミも魚介の食事はそう苦手ではない。ただ、日本は食材の素の味に拘り過ぎるのか、「これ、食べられるの?」という出され方が多過ぎるところが良くないなと思う。
道を大きく左に曲がるとやがてホテル街が見えて来た。いつの間にか日がかなり低くなって色がオレンジ掛かっていた。
本日のホテルは若干料金お高めだが、和洋揃って料理が美味しいと評判のホテルだった(るるぶ調べ。私はこういう旅本が大好きだ)。だからビュッフェでなくコースで頼んである。
それも冷凍物の季節外れなカニでなく、近海で揚がった魚介を使って下さいと注文まで入れていた。それに北海道と来ればイクラにウニ、カニというのも短絡的に思わない? そう言うのはウラジオストクでも食べられるし、あっちの方が安くて量も多い。お腹パンパンになるまでボイルしたタラバガニをレモンソースで食べるなんて経験も出来るのだ。
それに何より、リピーターなら知っていると思うけど、北海道でしか食べられない美味しい食べ物は、実は地元の野菜や、新鮮な乳製品、そしてブタや鶏(トリ)なのだ。なんでジンギスカンはヒツジなのだ? 開拓期の大昔じゃないぞ? どれだけ畜産農家が頑張ってきたか。
それを知りたいなら、室蘭辺りの『ヤキトリ』や(私のハサン達がアッラーの教えを無視してガツガツ食べていたアレ)、函館はハセガワストアの『やきとり弁当』や『チキンカツ弁当』はお薦めだ。特に私は『やきとり弁当』のタレと塩のミックスをお薦めする(容器の端の『串抜き』に感動する事請け合いだ)。
リーズナブルだから、ホテルの代わり映えしない食事よりも満足感が高いだろう。またパンコーナーにある、『アップルパイ』や『ちくわパン』も一度は食べておこう。ラーメン? 札幌の味噌ラーメンと函館の塩ラーメンを食べればだいたい分かる。ラーメン全般は九州のトンコツ塩が一番ラーメンらしい味がする。
そもそもラーメンに何を求めるのか? それは『身体に悪そうな物を食べてるなぁ、私』という罪悪感を打ち消してくれる、ガツンと来る濃厚な旨味だ。そしてそれをMSGでなく天然素材のスープでどう出すのかだ。そしてそんなコクのあるスープがある程度の原価で出せる天然素材は、豚の骨か煮干しくらいしかないのだ。
鶏醤油のサッパリ感もたまには良いけれど、『今日はラーメン食べたい!』となると、それは私の場合トンコツ塩、或いはトンコツ味噌となる。これは『サッポロ一番みそラーメン』筆頭に、味噌ラーメン全般が大好きなのが高じて、ブイヤベース味噌ラーメン(インスタント袋麺)をイヴから売り出した私が言うのだから間違いない(※)。
※)だけど欧州全般での売上は、同時開発したフォン・ド・ヴォーベースのフォン・ド・ヌードルの方が高かったから腹が立つ。白人は魚介がホント駄目だね。だけどフランス南部やスペイン、イタリアでも売れたからまぁまぁ満足だった。
なお、この頃の私はお姉さんが巫女の姉の粉物好きとはまた別のラーメン好きである事を知らなかった。まさか冬木から乗り出し、近隣県の有名ラーメン店を軒並み制覇していたなど。
ただし、ほとんどの野菜が美味しい北海道でも、ジャガイモだけはドイツの方が種類も多くより美味しいと思うし、ジャガバタも大通り公園のものより、モスクワの物の方が遥かに美味しいと思う。誰も知らないだろうけど。つまり北海道の魅力は、世界最高とは言えないけれど、各種揃っていながらにして『どれも平均点以上にレベルが高い』ところにある。
そんな魅力(底力)を引き出せないから、ロシアはカムチャッカやハバロフスク地方をそこまで観光地化出来ないのかも知れない。これは料理の手法の差だろうか? 和食が優れているから? 違うと思う。『より上手く』という技法や『より美味しく』といった食への欲望がそこまで湧き出さないのだ。
つまり、人口の多い白ロシアからすると、カムチャッカやハバロフスク地方といった極東が遠過ぎるというのも理由としてはあるが、寒すぎて気力が湧き難いからなのだ。冬だと北海道でも凍死者が出る場合がある。それがもっと北の大地ならどうだろうか?
真冬の布団レベルじゃないよ? 起こしに来てくれるママが活動停止してもおかしくない、細胞の一つ一つが外に出たくないと訴えて来るよなうな寒さなんだ。そんな中で仕事に行ったり技術や技法を学んだりとか、最早人間の限界を越えている。そりゃ10代のアル中が居てもおかしくはない。
まぁ、何にせよバイクを止めた私達はホテルにチェックインすると、着替えもそっちのけで即座に夕食会場に入った。時間が押していたからね。そこで地元の新鮮な魚介をタップリ堪能できた。サクラマス、トキシラズ、ホタテの貝柱、エゾバフンウニなどなどは刺し身で、マタラやキンキもムニエルやバターソテーで美味しく頂けた。
『九州より高く付くけど、別注で頼むとやっぱり良いのが当たるなぁ』
これが私の率直な感想だ。とかく北海道は観光地の宝庫だから、どこもかしこも全体がブランド化に必死だ。それはわかるけれど、季節外れの毛ガニやタラバガニを平気で出すのは止めて欲しい。そんなものより良いものがたくさんあるのだから。
何気ない『ザンギ(唐揚げの事)』でも、やたら美味しいものは存在するのだ。そんな地元民しか味わえない食材の平均的レベルの高さ、即ち懐の深さが北海道の隠れた魅力なのに。だからこそ萎びた野菜を誤魔化すかのような『スープカレー』はあまり好きではない。だけどその地方独自の、例えば『エスカロップ』や帯広の『豚丼』のような料理はかなり好きで、冬木なら自分で作るくらいだ。
ただ、やっぱりこの春の終わり頃から夏前に掛けての魚介は『季節が悪い』としか言いようがない。だけど一番良いとき(4~5月。知床産)の『エゾバフンウニ』はまさに幻の味だった。バラエティ豊かな舟盛りが子供の頃から大好きな私だけれど、このウニがあれば十分かも。それくらい美味しかった。
枝幸の毛ガニや猿払の活けホタテも今どきが旬なのだけど、毛ガニはミトやパミには食べ難いだろうから、本日のラインナップから外していた。『え~勿体ない』と思った、あなた。それはあなたがカニが『食べられる』タイプの日本人だからだ。西欧人はロシア式に剥いてくれていないと食べられない。
カニの足を全部引きちぎって一本一本殻を剥き、ふんどしを捲って甲羅も剥いて、『がに(カニのエラ部分。食べられない)』を外して、甲羅に味噌をかき集め、その味噌に剥いた『グーチョキパー』をちょんちょんと付けて『あ~カニ味噌~、濃厚で美味しい~』なんて言える人は余程のカニ好きだけだぞ?
そんなのパミやミトが言うと思う? 私がこうだよと剥いてあげてもビジュアル的に嬉しくないし、あのグロテスクな中身を見れば食欲も失せるだろう。ペルーのホヤも綺麗に剥かれて皿料理として出て来るのだし、シュールストレミングも缶に詰められた発酵食品でしかない。だから食べられる西欧人は結構居るものだ。
だけど釜揚げしたばかりの毛ガニをバラして食べられる西欧人はまず居ないだろう。そもそも西欧人の『カニも平気だよ』は、ほぐし身の入ったグラタンなら平気とか、カニカマなら大丈夫とか、そういうレベルだから。例えエルヴァがカニの剥き方を教えていたとしても、お姉さんだって毛ガニを一匹ドーンと出されたら無理だと思う。
だからソフトシェルクラブの需要が高かったりする訳だから。私以外にカニも平気と言えるのは、上海蟹を食べ慣れていそうなアオレアールか、日本慣れしているエルヴァかミントくらいなものだろう。だから野付産のホタテ貝柱は量多めで頼んであったのだ。
あ、そうそう。エルヴァが漂流して以降、それまでエルヴァと同じく私の代役(代返?)が多かったミントは、現在巫女の姉の家に居候していて、中等部に入学したちぃ姉さんの良き相談相手になっている。学生時代は私だけでなく、滅多に休まないイリヤの代行もしていた子だから、エルヴァとは違った器用さがある。
我が姉のイリヤは達筆だから、彼女の書く字を真似るのは、実は私でもエルヴァでも無理なのだ。だけどミントだけは一応それができてしまうから、イリヤからは重宝がられ随分と可愛がられていた。おそらくだけど、姉が一番気にしているナンバーズはエルヴァとミントだ。それは子供の頃からその存在を知っており、個別に深い交流があったからだ(だから日本に置いたというのもある)。
とは言え、こんな今更な段になって、私から独立した訳だから、『援助は惜しまない』『進学するなら学費は出すよ』と言ってあげたのだけれど、『大学には行かない』と返事が返って来たので、彼女の肉体と戸籍、各種免許取得の費用などを用意し、彼女が興したいと明かしてくれた事業に出資した。
その事業というのが輸入代行(ドイツやアメリカの私と提携。これを汚いとは言えないだろう。私の存在は彼女にとっての最大の武器だし、私としても長年の感謝が先で協力は惜しまない積もりだったから)、それとイヴの加工食品の日本国内販売権獲得などだった。それを軸足にして、この他にも色々手を出して行くらしいから何を本業とは決めない積もりのようだった。
オフィスの住所も巫女の姉さんの家だし、代表に電話を掛ければ、あの家へ別に引いた回線で、時々ちぃ姉さんが出る(アルバイト?)。営業車もクルマでなく彼女のバイクだ。バイク便かよ(※1)。つまり、まだまだ動き出したばかりなのだった(話が纏まったのが3月末)。
だけど販路拡大は順調のようだから軌道に乗るのも早いだろう。それに次の出荷からラベル表記を日本語にするらしいから、それをペイできるだけの手応えはあったのだと思う。なお、元々イヴというブランドは日本だと『通の知るドイツの食品メーカー』だったっぽい(※2)。
※1)彼女はエルヴァより後に免許を取得しているが、やはりクルマもバイクも一発試験の即日交付狙いだった(18歳以上なので可能。ただしクルマは路上試験があるので数日掛かる。なおエルヴァが大型自動二輪の免許を取得したのは日本に戻ってから)。そして『バイク便』の理由は彼女の手に入れたバイクが、1995年頃の『YAMAHA FZR600(4HJ)』だったからだ。
猫目やキツネ目と言えば思い出す人も居るだろうか? ツアラーに変貌した、私が北米で乗っているサンダーキャットの前の型で、いわゆる末期のレーサーレプリカだ。なのである意味では、『YZF-R6』の本当の意味でのご先祖様だった。だからスチールだけどツルツルピカピカなデルタボックスフレームや、これでもかという大径なトリプルディスクに4ピストン/2ピストン対向、国内の250ccや400ccなどのような自主規制がないから、600ccなのに馬力は3桁出ている(ジャスト100ps)。
走行距離は1万km行っていない。彼女が二人目のオーナーなのだけれど、これは掘り出し物だ。それを手直しする上でキャブ調整(元がケイヒンのダウンドラフト)やマフラーを交換してあるらしく、シャーシダイナモ(シャシダイ)でトルクをほとんど落とさず114psも出ているそうだ。装備重量は206kg。この年代でこの性能を発揮するなら軽いんじゃないかな。
見てくれは本当にカッコいい。シングルシートカウルも決まっているし、紫色のホイールも当時のヤマハらしい色だ。彼女のこれは欧州版逆輸入車らしいから、1995年頃のこれが最終版だろう。だけどこのバイクは北米だと1999年ま頃まで出ていて、私は1997年頃の青いストロボのアレンジカラーが記憶に強い。
今の私が1997年に戻れたならサンダーキャットじゃなく、絶対にこの『FZR600』にしたろう。そんな思いがあるから色の好みはあれど、ミントのこれも素直に決まっていると思った。そんなスーパースポーツを駆って高速道路をズギューンと走るのだミントは。荷物なんて港の税関から、卸先までトラック配送だから、彼女は書類の用意と簡単な立ち会いだけだ。
伝票なんかもフォーマットを送ってくれているから、こちらでPC印刷して彼女の取り分を上乗せした価格で同梱してある。だから『バイク便』な訳だ(ミントのためならこのくらいはサービスでするよ?)。なお、ミントの普段の足は私があげた『HONDA XL230』で、これは私が九州で乗った『SL230』や、この世界の凛にプレゼントした『FTR223』の兄弟車だ。
多分、今年2005年一杯で終息だと思うけれど、彼女はそれのタンクとサイドカバーをサファイア・ブルー(濃いメタリック・ブルー)とシルバーメッキに塗り替えていて、そこにGB250・クラブマンのようなウイングマークを貼り付けていた。マフラーもスクランブラーのようなサイド回しにしてあったから、レトロなオフ車感が強調されていてサマになっている。さすがは私の代返担当だっただけはある。
そんなミントのバイクが巫女の姉のバイクとともに、巫女の姉の家のガレージにズラッと並んでいる。そんな訳で姉のクルマはウチのビルの方で無償で預かっている次第だ。しかも、お兄ちゃんやアルさんからも頭を下げられているから無碍に出来ない。困ったお人だ。
それとこれは私にも言える事なのだけど、ミントにせよエルヴァにせよ、人との繋がり方が上手い。そしてそれが良い方へ良い方へと枝を広げて行く。つい最近事だ。ミントが商品を卸している相手先と契約している倉庫。そこの管理人さんが、トラックを先導するミントのバイクと身形を見て、『バイク、好きなの?』と話す仲になったらしい。
それからの僅か3週間で、『結婚する知り合いのバイクを買ってくれると嬉しい』となって、現在巫女の姉のガレージに『HONDA DREAM CB400FOUR』が置かれるようになってしまった。ミントが3オーナー目、走行距離43700km。腰上オーバーホール済み。色はバーニッシュブルー。1975年(昭和50年)1月の売買契約書や領収書(327000円の定価が書かれてある)が付いた国内モノの408cc、フルノーマル車だ。
最初のオーナーがバイクを卒業して、屋内保管で寝かせてあったのを息子さんが譲り受け、その時に初代オーナーであるお父様がオーバーホールをされて、レクチや固くなったハーネス、古くなったヒューズなど電装系を全部入れ替えてあげたのだそうだ。国内極上モノだからと、息子さんも大型免許を教習所で取得していた。だけど普段は250cc(ホーネット250らしい。それで当初の本命は国内モデルの『CB900 Hornet』だったようだ)で、そんなに乗っていなかったらしい。
このミントからの情報で、私は父様が駆け込み免許取得者(中型免許制度施行が1975年。つまりそれ以前はアメリカと同じで、簡単試験で大型バイクに乗れた)で、『Z2』や『CB750FOUR』が新車で買えるほどの収入が無かった事などを想定し、1958~1960年(昭和33年~昭和35年)頃のお生まれかなと想像していた。答えは正解で鶴野小父様の2歳ほど年上の方だった。
そして鶴野小父様も若い頃に『CB400FOUR』に乗っていた。それはライトルビーレッドの398ccモデルだった(なのでサイドカバーは黒い)。この僅か数歳の違いで免許取得の難易度がガラッと変わった時代を生きた人の心情を思えば、なんとも言えない気持ちになる。だって鶴野小父様、限定解除に8回も試験を受けたというのだ。
それが1996年の9月から公認教習所で大型免許が取得できるようになってしまった。ハーレーを売りたいアメリカからの圧力に橋本首相が屈したからだと、当時小学生だった私でも知っていた。ついでに言うとこの1996年、クリントンは二期目の大統領選挙ラリー真っ最中だった。
南部出身の彼だからこそ、北部のブルーステート(民主党支持が強い州)の票はガッツリと固めておきたかった。ハーレーのお膝元、ウィスコンシン州はそんな北部のブルーステートだ。当時、こういう目線で記事を書いている新聞は日本になかった。だから私は今もドイツとスイスからの数紙と、ロシアの新聞2紙を定期購読している。
なお、私の世界ではニューヨークのワールドトレードセンタービル『ツイン』は、お祖父様にお貸ししたアサシン達の影働きで今も健在だ。と、そんな余談は措いて、ミントにバイクを売った息子さんだ。この息子さんは私達より数歳上らしいが、彼女ができちゃった。いや彼女ができたのでなく、お腹に赤ちゃんが宿ったのだ。
それで緊急に金銭が必要になった。そんな理由があった事からミントにお声が掛かったようだ。ちなみに倉庫の管理人さんは初代オーナーであるお父様のご友人で、息子さんの事もよく知っている人だった(昔、一緒に走った仲?)。だから話が纏まるのが早かった訳だ。購入価格は2005年の4月頭で133万円だ。さてこの金額は高いか安いか? その判断は任せるが、一応内訳を言えば、車両が100万円、消費税が3万円、プラスご祝儀30万としての即金払いだったという(私の『Z2』購入秘話と似たような話だね)。
だけどもそこから管理人さんやお父様へ、またそのご友人方へと縁が広がりつつあり、新たなビジネス展開が思い付いたとミントは話してくれた。ご祝儀が効いているのだろう。金銭でなく心意気として。知らないけれど、きっとエルヴァも似たような『縁』をあの冬木や今の倫敦で広げているに違いない。引き籠もっていたら縁も結べないし、儲け話もやって来ないものなのだ。
ただ、ミントは古くとも良い物、まだまだ実用に耐える物を求めるタイプだから、旧車はどうなのかなという気はする。特にこんな親子が前オーナーという、しがらみタップリなモノは。付喪神とはそんな『しがらみ』を妖怪化したものとも言えるけれど、本当に『念』(『恩』ならともかく『恨み』)がこもっている場合もあるから、注意して欲しい。
それとは別に妙に壊れやすいクルマやバイクが存在するのも事実で、それもきちんと調べれば原因があるのだけど、誰もそこまでは調べないし、『解析能力』がある訳でもない。だから大抵オカルト話になってしまう。だけどメンテナンス時にしっかり解析すれば、ベアリングの玉が一つだけ欠けていただけとか、オイルの潤滑が悪く偏摩耗していたとか、前オーナーの定期的な走行ルートが右曲がりばかりだったとか、結構原因がわかるものだ。
また次のマシーンを手に入れる段取りが付くと、それまでよりメンテナンスが甘くなって、壊れてしまう事も良くある話だ。これも情報の誤認識なので自分なりのチェックシートを作って(エクセルで簡単に作れる)、毎回チェックすれば手放す時まできちんと動いてくれる。私はそういうチェックシートを作る行為が本当の愛情だと思っている。
※1-補足)『HONDA DREAM CB400FOUR』────。
このバイクを知る上で『HONDA DREAM CB750FOUR』と『KAWASAKI 900 Super4(Z1)』、『KAWASAKI 750RS(Z2)』の存在と、両社の立ち位置や戦略、当時の時代背景を知っておかないと始まらないだろう。まずホンダは世界に打って出る上で『Super Cub』だけでは弱いとわかっていた。特に富める国アメリカでは、アジアの敗戦国が作った『少し遊べる安物のレジャーバイク』としか見做されなかったのが現実だ。
だから新しい時代の大型スポーツバイクとして『HONDA DREAM CB450』を送り出した。レーサーでもないのにDOHCだ。国内販売でのキャッチは『オートバイの王様』『初心者にはおすすめできません』と自信を持って煽ったバイクだった。これはイケるだろうと技術者全員がそう思った。けれど期待ほどにはウケなかった。
現地からの声は『もっとデカくしてくれ』『もっと風を切るバイクを』と返って来た。だから小さな巨人・本田宗一郎は仲間の技術者達とともに『誰が乗るんだ! こんなの!?』という『HONDA DREAM CB750FOUR』を半ばヤケクソで完成させ、アメリカに送った。それがバカウケした。それで気を良くし、『HONDA DREAM CB500FOUR』と『HONDA DREAM CB350FOUR』という中間排気量を北米だけでなく欧州にも向けて再度送り出した。
これは全ての排気量で世界一になると宣言したも同然だった。これが『CB750FOUR』の出現でアメリカ戦略の練り直しを余儀なくされていたカワサキに火をつけ、名車『Z1』を生み出すチカラとなり、日本国内向け『750RS(Z2)』を放つ原動力となったのは周知の史実だ。そしてそこで『Z1』は『CB750FOUR』と並び立つ存在に評価が定まってしまった。
このカワサキの『Z1』『Z2』は脅威だった。だから反撃としてホンダは1974年に『350FOUR』をカフェレーサー仕様にした『400FOUR』に、『500FOUR』をより重厚でスマートな『550FOUR』に進化させた。これは中間排気量が受け入れられる欧州を先に固めてから、再度北米を落としに掛かろうと事だ。
この時は日本国内にまだ中型免許なんて無かった時代だ。なので408ccは四気筒の世界最小排気量車をパワーアップした程度の感覚でしか無かったのだ。ベネリが350クアトロを出してきたのはこの後だ。つまり立ち位置としては、90年代の250マルチをホンダだけが出している状態だったのだ。そこが『ヨンフォア伝説の始まり』なのだった。
中型免許の区分問題や中古価格の高騰、最高のサウンドなんて評価は後から付いて来たもので、ノーマルの静かな排気音の方が欧州ではウケていたのが実情だ。何より流れるようなエグゾーストパイプは、クルマのタコ足のデザインにまで影響を与えたほどの美しさだし、鋲打ちシートと、若々しくソリッドなライトルビーレッドとバーニッシュブルーのタンクとサイドカバーは、『メタリックカラーでなくても良いの?』と欧州メーカーのデザイナーを唸らせた程の斬新さだった。
そのタンクのメーカーロゴも、文字色がお互いのタンク色を金で縁取ったステッカーだ。つまり赤なら紺、紺なら赤だ。しかも立体でないステッカーのメーカーロゴに、『SUPER SPORT』と来た。言わずと知れた現代のレーサーレプリカ、スーパースポーツ(SS)の事だ。このあまり見掛けない少し角張ったタンクは、そのデザインの妙と相まって『惚れた』人は多いだろう。
だけどそれは日本国内だけの話ではなかった。ヨンフォアはそのメカがコストを食うからと僅か3年の期間で生産中止になった訳だが、それでも全世界で10万5千台も売れたのだ。この数字を知ったから、私は『Z1』と同じく『ヨンフォアの中古車輸入販売は商売になる』と踏んだのだ。
そしてそんな『フォーイン』の絵をノートや教科書の端に落書きしていたのが、中学生時代の鶴野小父様だった訳だ。中型免許制度施行の時に小父様は中1で、中2で中型免許向けの398cc版が出た。ライトルビーレッドとパラキートイエローのそれを出す時に、北米や欧州でもヨンフォアは2型になった(コンチのⅠかアップのⅡか、セミバックステップか前ステップかという国内の見分け方とはまた違う)。
この2型は、良くガソリンコックが変更になったというアレだ。398cc版のコックだけが変わったのではない。408ccの北米版や欧州版もこの時に変更されたのだ。また、この年は海外版のライトルビーレッドとバーニッシュブルーが在庫限りとなって、新色でライン入りのパラキートイエローとキャンディーマルーンが加わった(このライン入りには『ホンダブラック』という黒もあったという情報もあるが、私は黒いヨンフォアをカスタムペイントでしか見た事がない)。そして小父様が中等部の3年生になった年にヨンフォアは生産中止になったのだ。
悔しくて悲しくて、その時に初めて間桐臓硯に口答えをしたのだという。それはそうだろう。後1年だったんだものね。だけど臓硯は叱らず微笑んでいたのだそう。想像するにその執着心を聖杯を求める自分と重ねたのだと思う。だから高等部に進学すれば直ぐに教習所に通わせてくれたし、無事中型免許を取得すれば、『好きなのを選べ』とバイク屋さんまで一緒に行ってくれたそうだ。
それで迷いに迷い、買って貰ったのがヤマハの『SR400』だったという。ヨンフォアはどうなったの? と聞けば────、
『連れて行かれた店がヤマハだったんだよ。それにホンダに行っても、もうフォーインは置いていない訳だしさ。だからと言って中古屋巡りもあんな人と行きたいと思える? ね? それで半分仕方なくだよ。それと良い情報もあってね』
この『良い情報』が、翌1979年の信じられない中古相場だったのだ。正真正銘の走行距離が10000kmも行ってない398ccのヨンフォアが、27万8千円だったと言う。今じゃ考えられない、その真っ当な価格にも驚きなのだが、それを毎月のお小遣いを3ヶ月分貯めただけで買えたというから凄まじい。鶴野小父様、あなたどんなボンボンだ?
そんな訳で小父様が赤いヨンフォアを手に入れられたのは高2の時で、車両は中古の8000数kmだった。しかも最初期型の『SR400』との2台持ちだ。羨ましがる男子は多かったろうなぁ。そして小父様は大学に入ってからクルマと大型バイクの免許を取った。限定解除試験も、流石に7回目で心が折れそうになったらしいけれど────、
『金さえ出せば何回でも受けられるんじゃろ? 10年に1回しか受けられん訳ではあるまい。それしきで泣き言を言うでないわ』
と、叱咤激励されたそうだ。流石に60年に1回と言わなかったにせよ、臓硯って寝ても覚めても聖杯の事しか考えていなかったんだね……。けど小父様とは意外と『親子』していたんだなぁ。これは雁夜さんとは全然違う関係だった。
『それで大学を卒業した頃にフォーインが少しずつ高騰して、愛車の窓から中古屋を覗いて、え? 定価を超えたんだ? って驚いたよ』
その愛車が『ALPINA B6-2.7』に買い替える前の『BMW 2002tii』、いわゆる『丸にぃ』のインジェクション・モデルなのだった、このボンボンは。これだって当時の冬木で他に走っていなかったと思う。それくらい珍しいクルマだ。中古だったらしいけど、高かったろうなと思う。なのに小父様は『本当はターボが欲しかった』と宣(のたま)うのだ。
フロントのエアダムスカートには、反転された『turbo』の文字だ。アウトバーンで後ろから迫るマルニィは『ターボ』だと、前のドライバーはルームミラーで気付く仕掛けだ。絶対ユーロになった今じゃ売れない過激さは前車を煽るためでなく、コマーシャルだったと言ってのけた当時のBMWも凄まじい。
と言うのはこのマルニィの『ターボ』はポルシェより前に出たのだ。おまけにインタークーラーも着いていなかった。だからそんなに数も出なかったし、1~2年で終わってしまった。この『1~2年』の意味は73~74モデルが反転文字、74~75モデルが文字なしだったからだ。
おまけにこのエンジン。当時のF-1エンジンと設計が同じで、各部品をレース用に交換して、インタークーラーを取り付け、ボンネットから空気を取り込めるようにすれば、カタログの170psどころか220psが軽く出て、タービンを交換すれば300psがあっさり出るとの話だ(お祖父様のクルマ仲間の人から聞いた)。
そして大学の3年生(1983年。雁夜さんが原付き小僧?)頃に中古で『HONDA GL500』を格安で手に入れ、一人で北海道までツーリングへ出たそうだ。それもシブいチョイスだ。ちなみにだが、大抵の『間桐鶴野』はバブル真っ盛りの1987年に『ALPINA B6-2.7』を手に入れ、その後第四次聖杯戦争が近づくにつれアルコール中毒に陥っていく。
その後片腕を失うのか、肝臓がヤラれて病院生活になるのか、或いは肝硬変で死ぬパターンが多いのだが、小父様は今もピンピンしていて、父と飲み歩くか、『HONDA CB1000 SUPER FOUR(SC30/CB1300の前の型)』に乗ってふらりと何処かへ出掛けていらっしゃる。
この『HONDA CB1000 SUPER FOUR』こそが、当時三歳だった慎ちゃんを臓硯が殺そうと蟲蔵に放り込み、怒った慎一さんによって臓硯が返り討ちにあって死んだ記念のようなバイクなのだった。臓硯の死因は体内の全水分を蒸発させられたからだ。『水の間桐』『吸収と束縛』……慎一さんは既に臓硯以上の魔術師だったのだ。
あの聖杯戦争で私が『この子(女の子と思っていた)には敵わない! 負ける!』と思ったのは間違いじゃなかったのだ。そして落ち込む(恐れてはいても、それなりに臓硯との家族愛はお持ちだったし、親子仲も悪くなかった)鶴野小父様に、『好きだったんだよね、バイク。新しいのを買おうよ』と慎一さんが薦めてくれたのだそうだ。
そして全部終わって暫く経った後、鶴野小父様は家を売る時に友人に預けたり、貸ガレージに預けていたバイクやクルマを全部引き取った。慎一さんと話し合った結果らしい。だから今はウチのビルの地下駐車場にも、私のじゃない、走行距離が20000kmくらいの赤い『HONDA DREAM CB400FOUR』が止まっているのだった。
後、余談として。400~500ccのバイクは四気筒より二気筒の方が効率が良いというカワサキの主張は正しくて、ヨンフォアの影で売られていた、『CB360T』や『CJ360T(CBの廉価版。6→5速、2in1マフラー、キック始動。タンクキャップがねじ込み→蓋付きに進化するのもヨンフォアと同じ)』の方が味わい深かったりする。『CJ360T』や『CJ2250T』は日本で売られていたのかどうか知らないし、私は海外版でしか見た覚えがないのだけれど、ヨンフォアと同じ色、同じステッカーのロゴなので欧州ではそこそこ売れていたらしい。なので今も見掛ける場合があった。
そんな廉価バイクが、お祖父様の屋敷の裏庭にあるフォンデュ小屋(チーズフォンデュをするためだけの小屋。日本の人にわかるように言えば、焼肉やバーベキューをするためだけに建てた専用の小屋だ)に転がっていて、そのパラキート・イエローとオレンジ色のロゴを『綺麗だなぁ』と思った憶えがある。
その後それがどうなったのかは長い間知らないのだが、2003年頃、会社でたまたま社員の『CJ360T』に乗る機会があって、オフィスからエッペルハイムの家まで往復させて貰った事があった。その時に思ったのだ。『乗りやすいなぁ』と。保存状態や整備が良かったのもあるだろうけど『通勤には十分だ』と思えたのだ。
パミは『仕事するぞぉ~』というモチベーションを短い距離で求めるタイプだから、改造してあげたビラーゴみたいなのが合うのだけど、私は『頭をカラッポ』にしたいタイプなので、『CJ360T』のような変哲もないバイクが合っていた。旧車だから基本性能は低いが、その静かな排気音とスタイリッシュなシルエット、それと心地よいエンジン・フィーリングはちょっと捨て難い、飽きない良さがある。
姉の知り合いのベテランライダーに道の駅で『400ccのホークⅡより250ccのホークの方が味があった』と伺ったり、『学生時代に友人がホークⅢの250ccを買ったんだけれど、試しに乗らせて貰って『GL250か』と思うくらい味があった』と鶴野小父様が仰っていた事を唐突に思い出せた。
そう言えば、250ccはCBもCJも同じエンジンだった。『味』とはこのフィーリングの事を言っていたのだ。空冷の『Z250FT』は知らない。だけど水冷になった『GPX250』や『ZZR250』のエンジンなら知っている。耐久性は高そうだけれどフィーリングはあまり好きにはなれなかった。だから北米版の『Ninja 250R』に乗らなくなって日本に持ち帰ったのだ(道路を走ろうと思えば陸運局に、輸入証明やアメリカで購入した時の書類やらを全部提出しないと日本のナンバーを発行して貰えない)。
このホンダの古い方(大きい方が360の時代)の空冷二気筒は、ヤマハの空冷二気筒と並んで味があると思う。その味があるのかなと迷うから『W650』に手が出ないのだ。だって皆んなが『良い味だ』と言っても、いざ買ったら『顆粒ダシだった』なんて事は良くある話だからだ。
※2)『っぽい』と言うのは私がそれを知らなかったからで、一体誰が書いてくれたのか、巨大掲示板やレシピサイトで少し紹介されたりしていたようだ。どうもアンテナの鋭いお料理好きな人が書き込んでくれたらしく、缶詰セットを一箱送ろうかなと考えていたら、アサシンから近所の人らしいと報告がった。そこで『公園のコンビニか!』と理解した訳だ。
実はビルの建つ冬木市民公園北東入口付近には、私が持つ個人経営のコンビニエンス・ストアがあって、そこで実験的にイヴの食品を扱っているのだ。どうやらその人はそれを試して気に入ってくれたらしい。そしてその正体は市長の奥様、つまり氷室鐘さんのお母様だった。で、書き込んだのは鐘さんと美綴綾子さん、そして蒔寺楓さんらしかった。
おそらくはウチのを使って奥様が得意のフランス料理に仕立て、娘さんと友人に振る舞ったのだろう。それがやたら美味しかったから奥様に訊ね、謙遜された奥様が缶詰を見せた……そんなところだと思う。口コミの最初の段階を知った気分だ。有り難や、有り難や。
でだ、今回の異世界旅行に実は姉もミントも誘っていたのだ。だけど姉は大学弓道部がどうとか、新歓がどうだとか言い訳ばかりだった。だけど私は知っている。その本音は彼氏(並行世界の吉川弘三)とのデートがあるから(出発日だった)で、私の婚約以来、あの姉が焦っている事も。そんなのこちとらマルっとお見通しじゃい!
けれど姉は結構『惚れっぽい』タイプなのだと改めて知った次第だ。その芯にある心理は、要するに『他人に尽くすタイプ』の一言に集約されるだろう。この辺りの心理分析は巫女の姉やクロちゃんの話を参考にして、私なりの答えは出してあった。まず姉は人から傅(かしず)かれ尽くされるのが当たり前な、『元お嬢様』だったから、他者に尽くす行為が新鮮なのだった。
だから私がママ達をメイドと見做さず『娘』として接し、言い付けを守る態度が最初はおかしかったらしくよくからかってくれていたものだ。けれど穂群原の初等部に編入し、私のしている行動の方が正しいのだと周囲を見渡して気付いたらしく、少しずつ変わっていった。そしてその後、5年生に上がる頃にアハトの城からセラとリーゼリットを救い出した頃に、姉はガラッと変わった。
セラやリーゼリットを気遣うようになったのだ。そして姉はセラやリーゼリットが風邪をひいた時などは見舞いだけでなく、マアエモ・ママやルオン・ママに代わって看病さえするようになった。だからセラとリーゼリットの姉に対する忠誠心は、ちぃ姉さんのセラやリーゼリットのそれとはまったく違う。姉はそうして小さい頃に染み込んだ自分纏わり付く『世間知らずなお嬢様の殻』を破ったのだ。
つまり『惚れっぽい』のは恋愛心理でなく、『人間好き』から来たもので、『他者に尽くす』のも男性がどうこうでなく、『人が好き』だからなのだ。だから高等部で2年連続生徒会長なんてできたのだろう。それと興味が湧いた事には子供のように没頭するところも良い。特にそれが良い方向に出たのが弓道や書道に華道、そして料理だと思う。
高等部に上がってからの姉は、子供っぽさが消え、私は尊敬の念しか抱いていない。大人と混ざって、対等に仕事をしろと言えば萎縮するだろうけど、大学を卒業する頃ならきっと大丈夫だ。父も母も自慢の娘と話しているし、ちぃ姉さんやおチビちゃんも姉に続けとばかり頑張っている。
ちなみに姉の希望する職は言語に関わる職か、料理に関わる職だ。だから大学は英文科を選んでいる。ちぃ姉さんは今のところ翻訳家兼絵本作家だ。なのでこっちに来てからよく絵を描いているし、中等部でも美術部に入った。そしておチビちゃんは驚きのキャビンアテンダントだった。これは多分、エルヴァの世界のおチビちゃんの影響だ(そんな事を話し合った事もあったのだろう)。
ところで学生同士の恋愛期間の間は、デートが終わるとそれぞれが自宅に帰る訳だから、お互いのアクやクセを見ないで済む。まぁ、そこがメリットだとも言えるし、落とし穴だとも言えるだろう。なので問題はその後だ。将来の結婚を視野に入れるなら、同棲期間があっても良いという考え方はその意味からも良く分かる。
だけど姉の場合、父がそういうのを許さないだろう。なにせ母共々『我が子に夢を持ち過ぎている』から。姉だってご飯も食べればトイレにも行く普通の人間だ。それに年頃なんだから、彼氏を思って一人遊びくらいはするだろう。私なんて人造チンコを付けて巫女の姉の顔に顔射した経験があるくらいだ。
それに人形を使って別人に成りすまし、中等部時代の慎ちゃんの筆下ろしもした。また、慎ちゃんが私に隠れて腰を振っている『浮気相手』四人は、全員私だ。更に暗示を掛け、人形と入れ替え『女になった慎ちゃんがどういう声で喘ぐのか』も知ったし、私の人造マグナムで彼の前立腺も開発済みだったりする(勿論、記憶は改竄済み)。
これを今回知り合った慎二さんやゾウケンにどう暴露してやろうかと考えるとゾクゾクする。自覚しているよ、私は。コルキスのメディア以上の魔女だろうなって。だけどユリアーナとの関係は、あの頃の私だとあれしか無かったと今でも思うし、好奇心旺盛な頃の、パミやエルヴァとの関係も後悔はしていない(エルヴァの記憶も消去済み)。
『え~ッ』と思うのならまだまだ甘い。魔術師なんてそんなものだ。そもそも父が舞弥さんとそういう関係があったと知った時の姉に、『聖杯として消える母を見捨てる悼みへのリハーサル』なんて父の苦しい言い訳のような面白い事は言わなかった。『愛用のラブドールが壊れるんだから、代わりを探したり試すのは当然だろう?』と言ってやったのだ。姉にバチコ~ンと引っ叩かれたけど。
実は私と母のぎこちない関係は、『姉や父と生きていきたい』と言えなかった母への苛立ちから来ている。そういう事(アハトに逆らえないプログラム)があったにせよだ。姉は人間だから頭に来たら私でも引っ叩く(並行世界のイリヤが癇癪を起こしやすいのも、子供っぽい前に人間だからだ)。だから『この子だけはッ!』と母に引っ掻かれた時は、痛かったけれど、その人間らしい反応に嬉しかったくらいだ。
何故こんなオカシナ横道に逸れたかと言うと、ある意味、姉のイリヤは私の人身御供というか身代わりでもあるからだ。私は姉よりも奔放で、おまけに父や母が軽々に口を出せない立場にある(総裁がそれだ)。それだけでなく両親には、聖杯戦争やアハトの家の事、そして今の立場について私に対する負い目がある。
だから、父とはある程度和解できた積もりだけれど、家族としてはかなり大きな溝があるのは否めない。それもあって、姉への期待値が必要以上に高まるのだ。と同時にその期待はちぃ姉さんやおチビちゃんにも範囲が広がりつつある。『良くないな』と思っていても、立場上ズケッとは言えないのだ。
だから学園中等部に少し慣れて来たあのちぃ姉さんが、同じクラスに気になる男の子が居ると言い出してくれて嬉しかった。御存知の通り、ちぃ姉さんは年齢を誤魔化して穂群原中等部に入学した。つまり現在18歳で、今年の11月で19歳だ。ちびっこいけど。
だけど、日本語が通じるだけまだマシとも言え、人としての情緒の前に余りにも一般常識に欠けていた。だから身体を治す際に、その見た目を利用して日本の事や日本での常識を学びながら、年齢を6歳下げて暮らさないかと提案したのだ。それを了承して貰うまでの間にはかなりの葛藤があったと思う。だけれどおチビちゃんやクロちゃんの協力もあって、この春の入学に何とか漕ぎ着けた訳だ。
そんな中での『気になる男の子』発言だ。まだまだ恋愛感情には程遠いと思う。けれど他者に興味を持った事が大きい。ここにはちぃ姉さんの義弟で私の義弟でもある『士郎』が居る。現在彼はシロウさんと先生の家に居候しながら、シロウさんのお店『割烹・凜』で修行をしている。
なのでそんな彼の邪魔をして欲しくなかったし、ちぃ姉さんにも彼だけに囚われて欲しくなかった。そのための学園入学でもあったのだ。今はお互いに視野を広げ、それぞれが人としての当たり前の道を模索する時なのだ。そんな理由から、姉の延長でちぃ姉さんにまで期待を寄せようとする両親が煩わしかったのだ。
ちなみに、そんなちぃ姉さんが入学した穂群原中等部の女子制服は、私や姉のイリヤが数年前まで着ていたものと何ら変わっておらず、後ろ襟の切れ込みが初等部と少し似ているだけで、基本のシルエットはオーソドックスなセーラー服だ。初等部のような変形襟ではない。
ただし冬服が白の襟カバー付きで、夏服が茶色襟になるところと、半袖がパフスリーブになるところ、リボンのデザインが学園共通なところなどで『穂群原』らしいアイデンティティを出している。お腹周りに風が吹き込むので冬服が寒いのはセーラー服あるあるだけど、その肝心の冬服に胸当てがないので結構……いや、かなり寒い。
高等部はハイネックなブラウスなだけに、胸元をきっちり閉める夏服が暑いとかなり不評だけれど、中等部は逆に冬服の胸元がどうにかならないのかと今でもよく耳にする。というのは中に着るセーラーズはVネックだし(丸首厳禁)、合服期間や冬期の着用が許される学園指定セーターしてもVネックだから首周りは寒いままだ。
そしてマフラーや手袋などは、高等部に上がるまで禁止なのだ。そして夏服の後ろ襟だ。どうして茶色? そこも穂群原らしさだとは思うけれど、初等部時代の白襟と違って暑いんだってば。そのクセ、冬服にはない胸当てがあるから風も抜けない。見た目は可愛いからお気に入りの制服だったんだけどね。
それでもちぃ姉さんは喜んで着ているし、先日も届いたばかりの合服を着てクルクル回っていた。なので髪型を編み込みでアレンジしてあげたら大喜びだった。なおこの可愛い姉の部屋は巫女の姉の家にも用意してあり、ちぃ姉さんのセラがよく掃除に通っている。
実はこれ、ちぃ姉さんなりの優しさの表れで、おチビちゃんやクロちゃんの事も『お姉ちゃん』として心配だけど、ミントの事も相当気になっているらしいのだ。それはエルヴァやミントの存在(要はナンバーズの存在)を知った折りに、姉のイリヤや巫女の姉が彼女達をどう思っているのかを聞いた事にあったみたい。あの二人の事だから『全員妹よ』とでも言ったのだろう。
だから中等部の1年生なのに、一応高等部を卒業した事になるミントを妹と見做して『見守っている』積もりなのだ。そこを鬱陶しがらずに返事を返すミントはエルヴァと良く似ている。ちなみにあっちのエルヴァちゃんの下(もと)に居る『エル』は、私がモデルのホムンクルスじゃない。それはある意味肉体だけと言え、実はミントの人格がモデルなのだ。
またエルマ、ヴンダー、トロンメルの三姉妹は、エルヴァのバリエーションとしてデザインした。これは47番だったエルヴァを手放す上で、私に必要だった精神的な儀式(イニシエーション)も含まれている。だから三姉妹なのであって、彼女達三人を鋳造できたから、現在の47番、エルサの人格が定まったとも言える。
だからきっと今頃、エルマやヴンダーなら気付いているだろう。エルサってエルヴァとまた違うなって────。
二人のアーチャーさんが釣ってきた魚は、早めのアジ、遅めのメバルとカレイ、クロダイにアオリイカだった。遅くなったのはアオリイカが釣れ出したからだった模様。二人居ると一人が即座に締めたり血を抜いたり捌いたり出来るので、クラーボックス満杯に処理済みの魚が入っているそうだ。
イリヤさんと士郎さん姉弟はここで家に帰り、それを期に二人の凛さんやルヴィアさんも家に戻った。セイバーはアストルフォさんと話し込んでいた。後から帰るようだ。交代でこっちからはエルサさんが、衛宮に家からキャスターが来るのかは不明だった。
もうすっかり日は暮れた。そんな中でアーチャーさん達は黙々と自分達の釣果や残っている食材、肉に野菜、焼き鳥などを焼いていた。ランサーとランスロットさんは二人にビールを薦め、エルヴァさんやアントニーさんにもお酒を薦めていた。
その内、片方のアーチャーさんが目を丸くした。
『う、美味いな……』
『な。以外にイケるだろう?』
それは焼肉のタレについてだった。しかも仕込んだのは誰を隠そうランサーだ。お姉様のレシピ────。だからこちらのアーチャーさんは笑った訳だ。擦ったリンゴに醤油や味醂、砂糖を足し、アルコールを飛ばした清酒に白ワインを少し足して混ぜ合わせる。そして仕上げに洋梨の果汁ジュースを加えたものだ。
そしてミソはそれだけでお肉は食べない点だ。天然の岩塩や、胡椒を振ったお肉や焼き鳥にちょんちょんとタレに漬けて頂くのだ。もう帰った士郎さんは、焼き鳥用にと梅練りも用意していたから、これも活きるし、それは美味しいだろう。そしてどの味付けを選んでも魚にも合うところが素晴らしい。
『梅練りか?』
『うむ。私の見たところ、あいつは『そこにある物』を使う工夫が上手いようだ』
『ほぅ。では『無い物』は利用できない?』
『さてな。ここでの聖杯戦争は、ほんの数ヶ月前の事だが、私は別の世界で1年近く暮らして来たからな。あいつがどういう『衛宮士郎』だったか。もう忘れた』
『そうか? が、察するにイリヤと育つと随分と違うものだな?』
『ああ。あいつと逢った時に、私は何をしているのだと虚しくなった』
『それでか……』
何か『カッコ良い風な』ポーズで『オレ達、背中に陰を背負ってますぜ』というニュアンスのセリフを話しているが、実はこういうのを一番嫌うのが実はお姉様だったりする。お姉様は『エル様』として振る舞われる事も多かったので、その若さに見合わない濃い人生を歩んで来られた。
なので普段の会話で他者をみだりに蔑んだりしないのだが、アーチャーさんの過去についてはかなり毛嫌いされていた。特に『自ら進んで世界と契約した事』と、そこから抜け出したいがために『並行世界の衛宮士郎殺しを目論んだ事』は。『エル様』に至っては『気違いに刃物』『お似合いだ』とまでズバッと言う。
これってお兄様のアーチャー様が言うには『贋作者(フェイカー)』と喚ばれるよりも堪えるそうだ。
目線を他に向ければアントニーさんにアストルフォさんはしなだれ掛かっていて、そのアントニーさんはアストルフォさんの肩を抱いていた。かなりショッキングな絵面だけど、それは私がお二人の性別を知っているからで、数年後はアメリカでこういう、ある意味先進的な人達をよく見掛けるようになってしまった。
私達ホムンクルスは性差認識が弱いとされる。それは『主人に尽くすため』に、他者への『共感力』までもが高められているからだ。つまり『人類愛』が強く『人間大好き』なのがデフォなのだ。だからアストルフォさんと同じ様なポーズで、エルヴァさんにしなだれ掛かっているクロエさんは本能の赴くままに幸福を満喫している。
こういう言い方は何だけど、クロエさんは総合的にホムンクルスとしてのレベルが低い。それでも情緒面がここまで高いのは、エルヴァさんの話だと『キャスターが改造してくれた結果』なのだそうだ。そしてその『改造方法』がいくら解析(デバッグ)しても再現できないものらしい。
北海道に旅立つ前の『エル様』が、ご自分で解析したクロエさんのデータを私に残して下さった。だけど────、
『今の私ならキャスターがクロエに施した改良と同じ効果を得る方法を知っていますし、それをいつでも再現できますが、キャスターと同じ方法ではできませんね。神秘が色濃すぎていて……』
────だ、そうだ。そこをお料理で例えるとわかりやすいかも知れない。今にまで伝わり使い続けられる調味料の他に、現代では失われてしまった調味料がクロエさんには使われている。だからエルヴァさんには再現不可能となってしまうらしい。だけど世界は異なれど『エル様』は宗家出身の総裁だ。アインツベルンの秘術を知り抜いていらっしゃる。
だから足りない調味料がどう素材を際立たせるものなのか、それがどういう『味』を求めているのかが何となくわかるのだそうだ。そして更に、その代替となるスパイスをどう作るのかも、やはり何となく想像できるのだそうだ。それを『エル様』が持つスパイスラック(知識)で再現は可能だけれど、それはきっと『こうだったろう』という『エル様』の想像でしか無い訳だ。
とは言え、目的が『クロエさんの情緒を高め、より人間らしくする』事だとわかっていたのだから、『エル様』が私に残して下さった『レシピ』も、一概に間違っているとは言い難い訳だ。私とヴンダー、トロンメルは、それぞれが独立した存在だけれど、お互いに補完し合う部分も大いにあって、『エル様』のこれまでの『研究』を、独自に進める『権利』と、それらの結果を報告する『義務』がある。
この『義務』こそが、私達姉妹が、この最先端を行く『ボディ(素体)』と、『ラインの黄金』という特級の宝具を利用させて頂く上での『対価』なのだった。しかもこういった『ガチャリと鍵が開いた』かのような情報は、決まって後から突然頭に湧いて来るようになっていた。
昨年の夏、トロンメルとのアルバイトが終わって洋館街からエーデルフェルトに戻る時に湧いたインスピレーションと同じだ。あれで私はトロンメルに課された『役割』と『存在意義』、そして私とトロンメルが『補完し合う』存在なのだと悟った。そこに今回はヴンダーまでもが『そうである』と新たな情報が流れ、『本当の使命』が理解できた。
私達三人は『エル様』の研究の幅を広げるために、自動で動く『研究助手』だったのだ。だから宝具の中の使っていない領域がいきなり『認識』できてしまった。これはまるでお姉様が話して下さった『二次性徴に伴う頭脳の開放』だった。
『普通に生きている人には気付き難い現象です。何故なら人は日々少しずつ成長するからです。ところが『エル』みたいな脳を持つと、ある日突然一気に脳の中の回路が繋がって『霧が晴れるかのような感覚を覚えたり』、『宇宙の中の自分を認識を得られたり』────、そんな『悟りを啓くかのような体験』をする場合があるようです』
『それはお姉様も?』
『ええ。膝関節が痛くて眠れない状態で強制的に入れ替わられて……その時に。あれは後で私の得たものを記憶から読むのでなく、『エル』が自分で『体験』すべき事だったのではないかなと思います。でもあれがあったからカードとの融合……即ち半英霊となって生きる事への『覚悟の土台』みたいなものが得られた(培われた)のかも知れませんね?』
自分のモチベーションが上がるなら、お姉様のような『都合の良い解釈』も正解だろう。だけどこのイニシエーションにも似た、二次成長時の突然の『目覚め』は本当にあるらしい。何故なら凛さんもルヴィアさんもそれを体験した事があると判明したからだ。
そしてどうやら、『知能指数の高い人ほどこの目覚めを得やすい』『魔術回路がある人もこの目覚めを得やすい』、だけど『最初から知能高めで鋳造されるホムンクルスはこの気付きを得られない』という事も段々とわかって来た。そして世の中にはこの気付きをを得られない人が大半だという事もわかって来た。
というのは簡単な理由で、『成長の仕方は人それぞれ』だし、ある程度の知能を得られるか得られないかも人それぞれだからだ。自然界にあるものは『類型的に語れない』というのは頑然たる事実だ。そこを理解していないと学校の先生などにはなれないだろうし、誰かを導くなんてのも不可能だと思う。
弓道部の後輩を思い浮かべると、私は『ホムンクルスで良かったのかも』と思うようになっていた。
『全世界の国民全員、皆~んなアインツベルンのホムンクルスなら世界は平和なのになぁ』
これ、『エル様』のお言葉だ。その意味で『神様は設計ベタなアンポンタン』で『使えないヤツ』なのだそうだ。ただし本気で言っていた訳ではない。『皮肉』であり『トゲ一杯の冗談』だ。
『神になる積もりはありませんが、自分の鋳造したメイドの一人一人には幸せに生きて欲しいです。その願いに嘘偽りはありませんし、少なからずあなた達には幸せになる権利があります。もし私より先に倒れたなら、他の誰よりも私が泣きます。ですので精一杯生きて下さいね』
まだ名前も番号も無かった頃、私やヴンダーにトロンメルが目覚めた時に、そう仰ったのが『エル様』なのだった。