「何か、悩み事でもあるんですか?」
窓から入る月明かりに照らされたエルサさんのお顔は、本当なら『エル様』やイリヤ様にそっくりだと考えるべきなのに、私にはお姉様にそっくりだとしか思えなかった。それは『47番』を継いだという情報から来る先入観だけではないと思う。エルサさんのお肌の色なんて、それこそお姉様の褐色とは全然違うのだ。
だけど、レモン水入りのコップを両手で包むそのポーズや仕草、眉根の小さな小さなシワの寄せ方。そんな仕草が本当、一から十までお姉様にそっくりだった。だからわかってしまう。昨日までは上手く隠されていた。だけど、私達がバーベキューに出ていた今日一日、お留守番できっと前々から考えていた事や悩まれていた事が表に出て来たのだと思う。
「あの、誰かに話せば少しは気が楽に……。私で宜しければ伺いますよ?」
そうして私はエルサさんの横に座った。
「ありがとう」
そこから私はエルサさんのお話を聞かせて頂いた────。
それは『エル様』がこれから行おうとしている壮大な計画の、ほんの一端だった。全貌まではエルサさんでもわからないらしい。なので今日本に居る、ミント様でも『わからない』だろうし、パミ様やミト様であっても『わからない』だろうとの事だった。だけど、もし『私の元がエルヴァなら、私程度はわかったかも知れない』らしい。
その計画は有り体に言えば、霊脈に時限爆弾、或いは遅効性の『毒』を仕込む事だった。大雑把に言うとこの日本には四本の、大動脈のような霊脈が流入していて、その内の北アメリカに繋がる霊脈にそれを仕掛ける積もりなのだという。その前段階の事前調査が今回の北海道ツーリングで、本格的に動くのは、おそらく間桐慎に委任した『この世界に於ける』周辺調査結果を受け、吟味した後だろうとの事だった。
「この世界にはあなたの大好きな『二人のお姉様』が居ません。それに自分の世界でもない。だから悪を倒すのに障碍となるものがありません。ですのでカリフォルニアとネバダを跨ぐシエラネバダ山脈沿いに、もう二度と他国に構っていられない程の災害を引き起こす爆弾を……」
「まさか『エル様』が!」
私が思わずそう声を荒らげたら、真っ暗なリビングから先生の声が聞こえた。いつの間にかお戻りになられていたらしい。
「エルマ、あの子は……さ。その昔、シロウの固有結界の中で『自分の宝具の中から取り出した、核爆弾』を、何の迷いもなく英雄王めがけて使った奴なのよ。それで自分とセイバーだけは空間転移で避難していたの。あの子の持つ『ラインの黄金』を宝具だと認めざるを得なかったのは、通常兵器が私達英霊に届いたからよ。何世代も掛けて練った魔術どころの騒ぎじゃなかった。きっと『ラインの黄金』の設計には、要所要所であの子の前世や前々世が関わっているだろうし、あの宝具の元となったアイデアや設計図は古代のシュメールにあったものなのよ。ギルガメッシュ王の宝物庫のようにね」
それじゃ、私やヴンダーの持つ『宝具』も、その大元はシュメールのものだった……?
「正確に言うならシューメールのウルク王朝の頃のもので、実現させた術者がウルクの巫女であった『エルヴァ』なのでしょう。つまりエルヴァ君が喚び出したキャスターって事ね」
私とエルサさんは目を大きく瞠った。正直、眠気が吹っ飛んだ。
「それと巫女だった『エルヴァ』はどういう神様に仕えていた?」
私とエルサさんは顔を見合わせ、『イシュタル……?』と自信なさげに答えた。
「その自信のなさはどこから?」
私は即座に、『ちゃんと知らなくて』と答えた。これはシュメールの神様の名をあまり知らなかったからだ。だけどエルサさんの先生に対する答えは全然違っていた。
「イシュタルっておかしくないですか? それはメソポタミアの女神で、シュメール時代はイナンナだったのでは?」
すると先生は『聖杯の知識』の翻訳ミスも考えられるけれどと前置きしながらも、もう『一柱居たでしょう?』と言ったのだ。もう一柱?
「エルヴァ君の話だと仕えて居たというより、見込まれてそうなったらしいけれど」
は? どなただ?
「答えはニンキガル。エレシュキガルと言った方が通りが良いか。イナンナだったかイシュタルだったかは一先ず措いて、要はお姉さんね。そこで妹は明けの明星・金星を司り、始まりの象徴ともされ、後のアフロディーテやヴィーナスに繋がっていく女神なの。ウルクの守護神でもあったとされているわね。対するエレシュキガルは冥府を司るとされているわ。『光と闇』『陰と陽』という対比もそうだけど、そもそも『アヌ』『アヌンナキ』『エア』の三柱が、シュメールからメソポタミアまでずっと信仰されていた主神なのよ。つまりイシュタルもエレシュキガルもその他大勢の神の一柱でしかないのね。神話ってそういうものだと言っちゃえばそれまでだけど、イシュタルとエレシュキガルから見初められる程の巫女がキャスターだったらしいのよ」
なるほど……。
「エルサ、『エル』はある意味でツクヨミ詣でに出たんじゃないの? あなたの悩みはそこ?」
この意味が最初、私はサッパリだった。だけど一柱だけが信仰される一神教や二柱だけが信仰される宗教だと、決まって対比対立構造が生まれて人心は乱れる。だから三神以上を信仰する形態に変化していくものであり、やがてそれは多神教へと至るものなのだそうだ。だけど現代は一神教の国ばかりなのは誰もが知るところだ。
「エルサ。あの子、魔術師らしく霊脈を使って人々の心の中の『拠り所』を増やそうとしているのじゃないの?」
「信仰心を変えて新たな宗教が生まれるように促している……?」
「どこまでかわからないけど、旧来の信仰心の壁を破壊にしに来てるのは間違いないでしょう。それが英霊を使っての暴力も厭わない『現象』への、『エル』なりの答えな気がする。その実験に間桐マコトが乗ったのね」
先生も上手く言えないようだけど、それを聞いてエルサさんは納得していたし、私も何かストンと来た。
「切嗣さんや臓硯の夢を、こんな風にね……。北海道か東北のどこかで落ち合う予定なのかしら?」
私はその時、今横に座るエルサさんと、二人のお姉様を足せばちょうど三人だなと変な事を考えていたのだった。結局私達が再度ベッドに向かったのは朝の4時過ぎだった。二度寝が怖くなかったのは(私にとっては超背徳な行為だ)、エルサさんが『二人の分身』にタイマーを掛けて、私の代わりにキャンプ場へ派遣すると言ってくれたからだ。
翌朝は指定された会場での和朝食だった。焼き魚は塩鮭の切り身、刺し身はイカ。そこに切り干し大根の煮物、だし巻き、納豆、お味噌汁に梅干しと白菜漬け。このお刺身は多分アカイカ(スルメイカ)だ。国後島と知床半島から野付半島辺りの海を根室海峡と言うらしいが、何故か根室半島周辺の海域は根室海峡とは言わないらしい。そこは措いて、その根室海峡はスルメイカが良く漁れるそうだ。
確かイカの本場は函館と聞いた憶えがあるし、産卵もあの辺らしい。だけど餌を求めて北上する群れが居て、根室近海、根室海峡、知床近海でもこうして活きの良いイカが手に入る。ただ漁師さんは大変だろうなと思う。イカやサンマと違って、ちょっと風に流されたら領海侵犯なのだから。
拿捕されれば私が上陸を拒んだ色丹島の収容施設行きだ。なので根室の漁師さんは、釧路や日高の漁師さんとともに半島より南部の海域で汗を流されている。日露漁業協定も毎年しっかり行って、お互いにラインの確認や漁獲情報(この種は2年ほど漁らない方が良いなどの情報)を交換しているのだ。
そんな厳しい交渉を乗り越えて必死になって漁った魚も、市場で値がつかない場合もある。それは市場が求めているかどうかの単純な話だけでなく、漁港にロシア船が魚を揚げる場合があるからだ。で、漁師さんは漁師さんの気持ちがわかるから、これを受け入れている(どこの国も受け入れるのが暗黙のルールでもあるらしい)。
どうにかならないかと思うけれど、少なからず一次産業従事者の現場が、国の方針で右往左往するのは万国共通だから、本当にどうしようもない。陸に上がればそれぞれに愛する家族が居て、その家族が食べて行けるようにグッと我慢している。その漁師さんの気持ちにロシアも日本もないのだ。
だから今朝の焼き鮭は皮も残さなかったし、イカ刺しはケンまで全部食べた。まぁ、私はお頭が入っていたら頬肉も眼の周囲も全部食べるし、イカは目玉以外はクチの周囲も食べてしまえる。活きの良いイカスミがあればイカスミチャーハンやイカスミ焼きうどんも美味しく作る自信がある。見た目は典型的な西洋人だけど、お魚料理は本当に大好きなのだ。
だからこそナマモノである魚を素材とした商品にイヴは特に注力していた。日々が計画・実行・評価・改善の繰り返しで、そこにゴールはない。私はあくまでもイヴの出資者、オーナーであって、一研究開発員でしかない。だけどそんな私のアイデアや研究部門が生み出した商品を、生産し、運び出し、売ってくれるのがミトやパミだった。
この旅はそんな彼女達への感謝を込めた、仕事から開放され、リフレッシュして貰うための特別なバケーションなのだった。だからこそ昨日からこのワードに引っ掛かっていた。それが『スタミナ』だった。一般的には持久力、精力と解釈され、そこから活力や耐久性、粘りなどが連想されると思う。
それを与えてくれる、或いは手軽に補給できるものと言えば、私は先ず何らかの……例えばニンニク成分を配合したドリンク類を思い浮かべる。次に肉類や玉子類を使った料理なのだが、この料理を欲する人を想像すると、肉体労働に従事する人達が一番しっくり来る。となると真っ先に頭に浮かぶ料理はニラレバ炒めだ。
特にレバーは内臓だから日本の人なら『ホルモン』を連想する事が多いだろう。ホルモン本来の意味は分泌された物質を指し、それの循環する様を指すものなのだが、どうしてか日本で暮らすと『ホルモン≒スタミナ』という図式が思い浮かぶようになる。
次に思い浮かぶ料理が豚バラや豚コマを使った生姜焼きや、生姜の代わりにニンニクを使い、味醂やお酒、醤油で味を整える炒めものだ。こちらも『スタミナ焼き』と称される場合が多いと思う。これに生卵や半熟目玉焼きを載せ、野菜を添えれば完璧なスタミナ料理だ。ところがこれよりも、もっとシンプルで格安なスタミナ料理が存在する。
それが立ち食いのうどん店やそば店に存在する、月見天ぷらだ。月見=生卵落とし、天ぷら=立ち食い店でしかまず見ない、衣ばかりが大きく、エビは割り箸の先っぽ程度のアレだ。だけど関西圏の格安立ち食い店ではこの組み合わせを『スタミナ』とするお店がやたら多い。もし、ここに肉が入っていたら『スタミナ・デラックス』もしくは『ホームラン』となる。
いや、お店や地域によって異なると思うし、『ホームラン』はそこに『きつね(揚げ)』も入るだろうという意見があっても受け入れる。あくまでも狭い範囲の私調べだからね。だけどこれで私の言いたかった『本質』が見えた事と思う。そうなのだ。『◯◯スタミナ』や『スタミナ~』は、単に肉体労働者向けというだけでなく、懐の寂しい庶民の味方でもあるのだ。ここを見失ってはならない。だからこそのプレート料理や丼なのだ。
そこで私の考えた『激安スタミナ丼』のレシピをご紹介しよう。この場合の『激安』とは、文字通り食材を安く入手する事にある。だからこそその食材の選択肢は地域性や、住んでいる場所に近いスーパーや市場によって大きく偏るところも考慮してある。何にでも変更可能だから一度試してみて欲しい。
○熱々のご飯。
○あなたがいつも使っている卵一個。
○ニンニク一欠~二欠と生姜親指大。どちらもみじん切り、もしくは千切りにしておく。
○3cmくらいに切った九条ネギかそぎ切りした長ネギを用意。
○これはニンニクの芽で代用しても良いし、ニラやタマネギを3cmに刻んだものでも良い。
○肉。お薦めは合い挽き肉。次点が豚小間肉(コマ肉)。切り落としはバラならバラ、ロースならロースと部位が決まっているので、お肉の一片一片が大きい。生姜焼きや味噌バター焼きならこちらが良いが、丼ならコマ肉が良い。挽き肉でなくコマ肉を使う場合、出来れば片栗粉を振って少し揉み、サッと湯通ししておく。
○味醂、酒、醤油、砂糖を合わせておく。目安は1:1:1:1だが、お好みで増やしたり減らしたりして欲しい。重要なのはこのタレは焼きダレであり掛けダレも兼ねているので、自分の家の丼の大きさを考えて。汁ダクになったら辛いぞ。
1、熱したフライパンに胡麻油を適量入れ、千切りにした生姜を入れる。次にニンニク。これらはフライパンや油に香りを移すためだから焦げるほど火は通さない。お好みで鷹の爪を入れても良い。
2、生姜とニンニクを小皿に移し、フライパンにネギやニラを入れる。これも短時間炒めるだけで良い。ただしタマネギを使う人は胡麻油を少し足して、長めに炒める。これは甘味を出すため。これらも炒め終わったら小皿に移す。
3、良い感じに香味野菜の香りがフライパンに移ったら、次に肉類を投入する。コマ肉よりそぼろの方が焦げやすいので火加減に注意。
4、お肉に火が通ったら避けておいたニンニクや生姜、香味野菜を投入し、タレと混ぜ合わせる。
5、ご飯を盛った丼にこれらを移して生卵を落とせば完成。お好みで煎り胡麻や小口に切ったネギを散らそう。
私は合い挽き肉や豚コマを使ったが、古参のハサンはこれを羊肉や鹿肉(冬木だと手に入る)で作ったりしている。豚丼を平気で食べる人も中には居るが、やはり地元だと少しでも戒律を護ろうという心理が働くらしい。特にユーラシアプレートで冬木と彼らがかつて住んでいたカスピ海沿岸が繋がっていると教えてからは。
ちなみにアラビア半島はアラビアンプレートで別の大陸だ。同じイスラムでもハサン達が少し違うのは、このプレート違いで受け取るマナが違うからだとも言えるので参考にして欲しい。ヒントを言えばエルサレムもメッカもアラビアンプレート上にある。だけどトルコやハサン達の故郷イランはユーラシアプレートだという点だ。
そしてウルクの街もユーラシアプレート上なら欧州や英国にアイルランドもユーラシアプレート上にある訳だ。これで大聖杯が北米の英霊や日本の英霊が喚べない理由がわかっただろうか? 喚べない事もないだろうが、それには大聖杯にかなり大掛かりな改造が必要になる。そのリスクは無視できないし、日本の英霊なら故郷や子孫を害する行為は控えるものだ。
と、いうような事を朝食後にパミ達に語れば、嫌が応にも二人の目はスタミナライスで輝く。そんな訳でお昼はスタミナライスで決まってしまった。身嗜みを整えチェックアウトした私達はヘルメットを被ってホテルを出発して、給油してから納沙布岬目掛けてアクセルを捻った。
根室駅前にある根室市観光物産センターには寄らなかった。その理由は余りにも駅前過ぎて、バイクが止められないと踏んだからだ。もう少し時間があるなら郷土資料館ともども観光物産センター内にある北方領土資料館に行きたかったのだが(2016年に閉館。その年に納沙布岬に移設され、年末にオープン。残念ながら私は未だに立ち寄れていない)。
根室市の真ん中を走る国道44号(根釧国道)が終わる頃に北上すれば道道35号線に出る。これを使えば納沙布岬まで行けるのだが、この道道35号線北回り(時計回り)を選んだのは、途中に北方原生花園の前を通るのと、根室半島チャシ跡群やヲンネモトチャシ跡があるからだ。根室港に弁天島が浮かぶのも良かった。
これが本州なら『そういう島もあるよね』で済むが、ここが根室とくれば意味が異なってくる。大抵どこもかしこもアイヌ語由来の地名が多い北海道で、根室という名や弁天島という名に違和感を覚えないか? イザナギが妻であるイザナミを追ったのは黄泉の国、つまり根の国だ。イザナギが息子スサノオを追放したのも根の国だ。
そしてその根の国は海の彼方の堅州国の海の底にあるという。次にイザナギ、イザナミが生んだ三柱が太陽神・天界神アマテラス。夜、或いは月の神ツクヨミ。そして海神スサノオだ。そんな海神スサノオの娘にタゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメという三女神(宗像三女神)が居り、この三柱を祀るのが弁財天(※)なのだった。
つまり三柱の女神は海神スサノオと同等に考えられ、海の守り神であった。そして根室とは、根の国へ渡る前の宿だったというのが私の解釈だ。更に宗像三女神は実は、ある一柱の女神を隠すために役職名や肩書を使って強引に三柱に分けたと言われていて、その正体は大祓詞で表される、セオリツヒメ(瀬織津比売)であるらしい。
またこの三柱(一柱)の女神は、水の神であり龍蛇の巫女であったとも言われている。そうなった理由はこの女神が元は海人族の神であり、それが古代出雲族信仰(スサノオや子孫のオオクニヌシ、オオモノヌシ)に取り入れられ、変化して行ったものだからだ。まぁ、要するにアマテラスとスサノオは姉弟でなく、醤油顔の弥生人の族長と、濃い顔をした縄文人の族長であり、この二人から三柱も女神と五柱の男神が生まれたよとの政略結婚の言い換え(神話化)なのだった。
※)安芸の宮島で有名な厳島神社も祭神は宗像三女神。神仏分離される前は弁財天様の御神体も安置されていた。宮島は尊い場所という事で稲作も畑作も禁止されていたらしく、薪の束で以って年貢としていたそうだ。なので島民は食べていくために工芸品作りに熱心だった。そこで弁天様がお持ちの琵琶(楽器)をヒントにしゃもじ(杓文字)を開発した。そうなのだ。ご飯をよそうアレ。アレは宮島が発祥なのだ。
これは推測なのだが、本来の柄杓(ひしゃく)は縦に割った瓢箪に柄を付けたものだったから、後世には先が椀型になった柄杓に変化したのだと考えられる。だが、薪は年貢で納めなければならず少ない資源である木材をどう活用するかが問題だった。そこで椀型に彫る必要もなく、木屑などの無駄を出さない杓文字が開発されたのではないかと思っている。
では、杓文字ができるまでの間、ご飯は何でよそってきたのか? これを辞書などで調べると柄杓であったと出るし、杓とはご飯や汁物をよそうものだと書かれてある。嘘つけ。ご飯を炊いた事もないのか? お櫃も何もかもが木製の時代だぞ? 洗い難いじゃないか。こんなの普通に考えればわかるだろう。適当な大きさと厚みを持つ板の角を丸めてよそってきたに決まっている。柄杓は絶対に汁物や鍋物限定だった筈なのだ。
つまり杓文字っぽいものは島民が考え出すまでに既にあったと思うのだ。だけどそれをより洗練されたカタチにしたのが宮島の杓文字だった。しかもお土産用に弁天様など様々な文字や彫りを入れて。
その縄文人の出雲族が、元は東北の蝦夷族出身なのは言うまでもない。この出雲族に肩入れしていたのが、同じ蝦夷の血を引く豪族で、関西を治めていたナガスネヒコ(長髄彦/王)であり妹のセオリツヒメ(祭祀王)だった。そしてそのセオリツヒメが嫁いだ先が、隠れアマテラスとされるニギハヤヒだった。
つまりこれは祭祀を司る王(姫)を差し出さねばならないほど、当時は出雲が追い詰められていた、或いは呪詛で侵略者日本(ヤマト)を祓おうとしたのだと考えられる。ではツクヨミはと言うと、どうもこの神は、縄文人とともに様々な道具を開発した、シュメール人の末裔だったとの説があるのだ。
(シュメールと日本、ユダヤと日本、キリストの墓、キリストの弟、秦氏、正統竹内文書、ユダヤ十二支族の中のレビ族(主神とは別にリヴァイアサンを信仰していた)などなどを調べると『日本って何だ?』となること請け合いだ。それとこの後のオオクニヌシの息子と娘、アジスキタカヒコネとシタテルヒメ兄妹の話も面白い。特に妹のシタテルヒメはセオリツヒメの焼き直しのようで、やはり龍神信仰や龍蛇信仰と絡んでいる。確かに出雲大社のしめ縄って龍のようだ。
それとオオクニヌシが国造り前に知恵を授けたという因幡の白兎。この兎に怪我を負わせたのがワニだというのだ。昔は日本にもいたのか? 海神の姫の出産も、姫の正体が巨大な蛇(うわばみ)だったという民間の話は良くあるが、古事記ではワニだとされている。更に酒蔵に掛かる杉玉はオオモノヌシが酒の神も兼ねているから)
という訳で弁天島には興味が湧いた。また、道道35号線沿い、根室港前にある神社は金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)という。こちらも香川県の金刀比羅宮を総本宮とし全国にある訳だが、その主祭神は海神スサノオの六代後である大物主(出雲大社の主神である大国主と同一神と見做されるが、大国主は大物主を娘婿に迎えているので義父にあたる)だ。つまりこちらも海神であり龍神であり蛇神でもある。
間桐臓硯が定期的に島根の出雲大社に参り、香川のこんぴらさん詣でをしていたら枯れなかった可能性もあったのかもね(龍神様や水神を祀った神社は他にもあるだろうけど)。
(なので私は、慎一さんや慎ちゃん達と出雲大社も金刀比羅神社も詣でているし、お祖父様から送られた一本100万円はくだらないアインツベルン銘の白ワインを奉納した。エルヴァはエルヴァできっかり自分の家族を金刀比羅神社に詣でさせていた。これは『水系』が流れやすい冬木に於いては重要な心掛けだ)
上記のような理由で、港に浮かぶ弁天島を拝んでから金刀比羅神社に立ち寄ってお参りしてきた。そこから10数kmで北方原生花園だ。季節になればヒオウギアヤメが咲き誇る花園だが、あいにく野付半島でもそうだったが季節が早かった。だけどのんびり草を喰(は)むポニーは何頭か見れたので良かった。
次に立ち寄ったヲンネモトチャシ跡は期待していたタイプでなく、学者が発表している通りの3~500年前の城塞跡だった。場所によりけりなのだろうけど、その時代の人心とここという場所を考えれば、主に国後島からの船を見張っていたのだと思う。縄文末期と違いアイヌの人も本州の人も質が堕ちたものだ。
私の期待しているチャシのタイプは、祭祀場跡(カムイを送るイオマンテを捧げた場(※))、部族間の取り決めをした場所の跡だった。それを解析してこの根室が根の国へ『繋がる場』という信仰があったとの確信を得たかったのだ。まぁ良い。次の納沙布岬に期待だ。そう気を取り直してバイクを走らせた。道は岬に沿って大きく右に曲がっていく。平和の塔(現オーロラタワー)のある辺りだ。
※)カムイは後世の日本人が漢字で神威と当てているから、何となく『神様の威光』のように解釈している人が多い気がするが、これは当たらずも遠からずだ。その前にアイヌの人達は本来狩猟民族で、かなり厳しい環境の中を生きて来た民族である事を思い起こして欲しい。
それは素朴で信心深い人が懐く高深度の自然崇拝と、生きとし生けるものにはカムイが宿っているという『等価の精神』『他者への敬愛』が高密度でミックスされた概念だから、猟師や漁師の人ならわかりやすいかも知れない。私はこのカムイを知る時に、最初に琉球のウミンチュなどが自分自身に課している考えみたいなものを思い浮かべた。
そのもっと前にあったのは、『カスケイド』や『ディル(ディルムッド・オディナ)』が教えてくれた考え方だった。なので釣りでの10cm以下の魚は逃すといったローカル・ルールや、釣った魚は骨と内臓以外は全部食べるという概念、お米の一粒一粒に神様が宿っているという八百万の神や付喪神の概念を先におさらいしておくとカムイの本質とイオマンテという儀式の意味がわかって来ると思う。
海からの風が一際強い。望郷の岬公園の駐車場にバイクを止めたのだが、強風で倒れないかと心配になるくらいだった。ヘルメットを脱いだ私はそそくさと髪をゴムで括ってポニーテールにした。道を挟んで納沙布金刀比羅神社がここにもあったからお参りした。そして道路を横断し直し、再度望郷の岬公園に入った。入ったと言っても道路と公園の間には柵も何もない。公園は左が芝生の広場。真ん中が通路。右が駐車場だ。
その芝生の広場の向こうに錆びで赤茶けたようなアーチ状のモニュメントがあり、そのアーチの向こうに薄っすらと炎が見えた。ロシアで良く見掛ける『永遠の火』のようだ。ロシアのそれは戦没者慰霊の炎だが、こちらは帰れぬ故郷を忘れまいとする炎だ。こんな境界を作った国は案の定民衆から見棄てられ崩壊してしまった。
だけどソビエト連邦の第二次世界大戦における戦死者は、ダントツの2700万人だった事も知っておかねばならない。この数字は後世の学者がこの数字は正しいと認めている。あの共産国家はプロパガンダはしても、中国人のようなバカげたウソやデタラメは滅多に吐かなかった。そこが民族性の違いなのだろう。
狂人スターリンはまんまと英米とヒトラーに乗せられ、2700万人もの自国の人々を犠牲にしたのだ。あの当時も今も、英米のバックに居たのは誰だったのか? 第一次世界大戦の敗戦でドイツに多額の借金を課し、ヒトラー率いるナチスに軍資金を貸し与えたのは誰だったのか? 私達は何10年も前の人々ではない。今の私達こそがそこを知るべきだろう。
そして見識を広め、深く物事を知り、世界を乱す『真の敵』『真の悪党』を知っておかなければならない。相手はその莫大な資金でマスコミやTV報道すら自分達の都合が良いように捻じ曲げて来るし、当然のように行政や政治家、大手企業すら動かして来る。『都市伝説』という用語も、その存在を隠すために造られた『逆レッテル貼り用造語』なのだ。
父はかつて『戦争は地獄だ』と私やイリヤに言った。私は心の中で『戦争? 戦場でなく?』と思った。これは考えの相違でなく、戦争という言葉から連想した事柄の順番の違いのようなもので、父はすべてを引っ括めて『戦争』と言ったのだった。そして私は止まるインフラと手に入らなくなる食料を真っ先に思い浮かべ、『本当の地獄は餓えではないのか?』と考えた訳だ。
小学生頃の話だけれど、この考えは今も変わらない。もし私が先に死んだ人達を、それもイリヤやママ達の亡骸を、煮たり焼いたりして食べなければならない日が来たら……それこそが地獄だろう。だけどママも父も、恐らくは母も、生き残る可能性の高い者を生かそうとするだろうし、私も絶対に生きると決心するだろう。餓鬼だなと思う。
幼かったあの頃がガキなのではない。餓鬼道に堕ちたとしても生き延びる心がないと総裁になんて成れないという意味だ。だけど、もしそんな食料が手に入らない状態に陥ったなら、それが小学生頃の私を生かすためだったなら、マアエモ・ママは平気で自分の足でも何でも切り落として調理していただろうなと思う。
腕を残すのはその後の料理のためだ。そういう人だ。ああいう人に育てられたから、私はギリギリ人間で居られるのだろう。そうでなければとっくに父や兄なんて私の足元にも及ばないほど、人を殺していたろうと思う。戦争で儲けようとする者達に、軍需産業に投資する者達。こいつらの氏名も家族構成も、現住所も全部割れている。ハサン達に命令すれば、心臓一刺しだ。
彼らなら命令に背かず確実に仕事をこなしてくれるだろうし、逃走時に霊体化が難しいなら私がサポートしての空間転移も可能だ。だけど私は人殺しをしない。いつも────、
1、料理の皿に霊体化したアサシンが下剤を仕込む。
2、シャワーで頭を洗い出したら別口で用意した熱湯や氷水を、霊体化したアサシンがぶっかける。
3、階段の縁にワックスを塗りたくる。書斎の引き出しなどに触れただけで炎症を起こすキノコの粉を振り掛ける。
4、寝ている間に指にカラシを塗りつけ、鼻にチューブワサビを押し込んでから霊体化即逃亡。
5、こういう嫌がらせを、時には空間転移も含めて毎日仕掛ける。
なんて事をしている。先生の依頼で並行世界の聖杯戦争に出向した際は、大抵マスターかマスターの身近な誰かをターゲットにして色んなイタズラを仕掛けている。まぁ、これはストレス発散の意味が大きいけれどもね────。
モニュメントから50mほど右に離れたところにある白い建物が北方館・望郷の家という資料館で、初めてこの地を訪れた人や、椅子取りゲームは取った者勝ち、二世・三世と代を重ねて歴史を作った者勝ちという、私みたいに捻くれた感覚を持たず、領土問題をあまり知らない人は一度は立ち寄ってみて欲しい。
国境が歩いて渡れる西欧の人間を相手にして、終戦を決意したからと国境から目を離せばどうなるのかが良く分かるだろうから。まぁ、あの時代のアメリカ・英国・ソ連相手に、敗戦国となっても一応独立の体裁を保てたのは中々のものではある。そこは評価するし、失った国土を悼む気持ちも望郷の念もわかる。
それでもシャッフルタイム終了の笛が鳴るか、音楽が終わってゲームが始まってしまったら、その一瞬にしかチャンスはない。押し出されて椅子に座れなかった者は、次のゲームまで黙って指を咥えて待つしかないのだ。それが欧州人の感性……いや、日本人以外の感性だ。酷い言い様だろうけれど────ね。
だけれど、もし原子力発電所が事故などでメルトダウンを起こして、人の住めない、近寄る事もできなくなった土地が発生した場合に、人々はその悔しさを北方領土と同じように抱けるだろうか? 私はその点にかなり懐疑的だ。その理由は国家の基盤となる領地の重みを、この国の大衆は余りにも無頓着だからだ。
『軒先貸して母屋取られる』という言葉が何故残っているのか? 『戯け(タワケ)』の語源が何だったのか? それを今の日本人はもう一度学び直す必要がある。そもそもこの領土問題は、沖縄や本土にある米軍の基地問題と同じだ。基地の領内はもはや他国であり、日本人は誰も足を踏み入れられない場所となっているのだ。
それがわかっていても政府が土地を他国の軍に明け渡すのは、そこに旨味があるからだ。その旨味が『戦力』なのか『金銭』なのか、或いは国際的なポジションを得るためなのかは為政者側の考える事ではあるけれど、少なからず『武器弾薬向こう持ち』『兵の人件費向こう持ち』『周囲がアカに染まっていくこの極東にも覇権を唱えたいならそれくらい出せ』と声に出し、態度でも示した佐藤栄作という人は大したものだ。
何も声に出せない立場に追いやられた敗戦国日本で、戦勝国英米を利用してしまおうと考えた最後の政治家ではないか? まぁ『日米安保反対』『戦争反対』とお題目のように唱えれば平和になると信じ込んでいるバカには理解できなかったみたいだが。
だけどよく考えてみて欲しい。どこの誰が自国の兵、即ち米国民の生命を懸けてまでかつての敵だった日本を護ってくれるものなのだろうか? いつかは米国の政治家もそこに気付く。『我々は日本に良いようにされていた』と。だから砂糖の次はその先を見通せる政治家を首相に据えねばならなかった。
なのに日本国民も政治家も胡散臭い『同盟という空手形』を、いつまでも信じてしまった。これはそれだけ日本人が戦後教育やメディアのプロパガンダで『愚民』に貶められてしまった結果だ。そのペナルティがプラザ合意以降のアメリカの態度に現れ、バブル崩壊後の日本の貧困化を具現化した。
まぁ、戦後の呪縛を真っ先に振り払った鼻の良い人達が、自らの懐を潤わすために取った手法が『財政破綻』だったから、まともに会社経営もした事がない『集票マシーン』と化した小粒な政治家は皆んな騙された。そんな頃に私は日本に来たものだから、『ダメだ、この国』と本気で思っていたし、聖杯戦争が終わったらスイスに帰る気満々だった。
だけどそうしなかったのは、イリヤと出逢えた事もあったが、戦争中に旅館を転々として『日本の魅力』に気付いたからだ。その歴史、その料理、その伝統文化、そこから培われる精神性……。駄目なところも多いが、その魅力も信じられないくらいたくさんあった。何より自然が豊かで美しかった。スイスの次くらいに。
それと私はロシアと仲がかなり良い方だが、それは商売上のメリットが大いにあるからだ。メリットがあるなら中国にもアメリカにも行くし、人とも逢えば契約もする。そもそも基地問題の根っ子には、その土地を有する地主の善意が、世代交代や売却に拠っていつの間にか『利権』に摩り替わっている。
この地主交代の部分と、本土と離れ過ぎているという地政学的な問題で、そこまでの雇用創出ができない点、大きなビジネスが展開できないという抜本的問題を抱えている点を見逃しての基地問題定義はかなり問題があるのがわかるだろう。踏み入れない土地である基地は、米軍という組織が仕切っている訳だが、その組織はある程度の雇用を創出し、労働者を受け入れてくれている。
だけど本土からやって来た新聞社や、基地反対派は雇用をほとんど創出しない。また、リゾート開発のピークは80年代まででありバブル崩壊前だった点にも注目だ。それはリゾートというものが、季節と期間に縛られるものであるという当たり前の事に気付いたからだ。
つまり人々の休暇が日本独自のカレンダーで決まってしまうのと、スコールの多い夏場の沖縄がちっとも快適じゃない事を、旅行好きな人達が皆んな知ってしまったから飽きられたのだ。本当の沖縄の魅力は1~3月の真冬だ。だけどその頃に休暇をガバッと取れる人は滅多に居ないのだ。
だけど兵士が休日になれば、なけなしの金を基地周辺のお店に落としていってくれる。つまり日銭が入る。沖縄は本土の人達が想像する以上に人口が少ないのだ。だから市場も漁業や農業も皆んな必死だ。だから色んな意味で限界がある。そういった飲食店に米兵がよりお金を落としてくれる名物メニューがあるかと言えばそこまででもないでしょう?
つまりアイヌ問題と同じで余りにも人が少な過ぎるので『動ける人』『アイデアを出せる人』が居ないのだ。そうなるとムーブが起きない。となると本土に『知らない』『興味がない』という人ばかりになってしまい、益々ジリ貧となってしまう訳だ。だからこそ、そこで動くべきなのが地元から送り出された国会議員な訳だけど……。
だけどこの国には余りにも主権と軍事力を軽々に他国へ預けるような政治家や、それを良しとする活動家が蔓延り過ぎる。あまつさえ基地の土地を、名義を迂回して所有する国会議員までが存在するのだ(裏から中国だけでなく、軍需産業に出資するネオコンやそれに乗っかって緊張感を高めて儲けたい者達の金が流れているのは誰だってわかる事だろう)。
こういう人達との商売には、私はイヴのオーナーとして絶対に『待った』を掛ける。国籍が異なり民族が異なっていても、ビジネスというものは、お互いが納得して双方が良い結果を得られなければ、契約は軽々と締結しないものなのだ。その辺りがどうも日本の有力者(有権者とは敢えて言わない)は甘い。
さてそれは措いて、この望郷の家の向かいの海側に、少し出っ張ったところがある。そこに行くと足元に島の名前と方角が示されている。なので興味のある人は、双眼鏡やオペラグラスを持参した方が良いだろう。その眺望は天候に大きく左右されるが、天気が良ければ北方領土の島々がよく見えると思う。
ミトが視力強化しながら島々を睨むようにして見ていた。私はその視界と視力を借りながら、頭の中では『私』が地面に手をついて計測してくれている霊脈の流れをトレースしていた。それを見たお姉さんが何かを察して、『私』に一言断ってからしゃがみ、地面に手を付く『私』の手の甲の上に、自分の右手を重ねていた。
「ああ、どういう流れ方なのかを見ていただけなのね? 深山町から大聖杯を探るより簡単ね」
へぇ……エルヴァに教えて貰ったのかな? 頭に浮かぶ視界の右端には白い灯台が見える。本当に今日は風が強い。早々に髪を括っていた私と違って、パミは髪に魔力を通して、風に抗(あらが)っていた。だから彼女は良いのだけど、私に視界の一部を貸してくれているミトは風で乱れる髪もそのままだった。
白状するが私は後天的な盲目だ。だけど魔術で空間が把握できるので、これまで困った事はない。バイクだってクルマだって普通に免許を取得していて、盲目だとバレた事は唯の一度もない。だけどここぞという時は魔術でなく眼球を通じて景色を見たい時があった。ミトが視界を貸してくれるのはそのいう理由だ。
パミが私の手を握って来た。私はコクリと頷き、魔術回路を起動した。そして『私』が探査しモニターしてくれている霊脈にアクセスし、マナを吸い上げ、私色に変換しながら『出口』方へ還していった。要した時間は正味30分といったところか。イタリアの霊脈調整の時のように即お金になるなら良いが、今回はまったく儲けの出ない魔術行使だ。
だけど時限爆弾は確実に仕込めた。後は2~3日掛けて、ゆっくりと札幌目掛けてツーリングを続行するだけだ。この後は根室の街に戻ってスタミナライスを食べて釧路まで走ろう。そう決めて秘密裏に儀式を終えた私達は、望郷の岬公園から出発したのだった。
帰りはもと来た道を引き返すのでなく、そのまま道道35線を道なりに進んだ。そうするとこの道道は半島先端をグルっと回って根室市に戻るのだ。その時に丹根沼(オンネ沼)という沼の脇を通るから、そこでも儀式の具合が読み取れるというメリットがあるのだった。
それに根室半島に付随する小さな島々も走りながら眺められる点も良かった。ただ、こういう行程だったので岬の北方館の影に隠れていた何軒かの建物に私は気付かなかった。なので知る人ぞ知るライダーハウスや、サンマ丼や鉄砲汁が食べられるお店があったと知ったのは10年近く経った後だった。もしかしたらこのツーリングの頃はなかったのかも知れないが。
それはともかく、根室市街に戻った私達は商工会議所の建物の一角にある喫茶店を無事探し当て入店した。なお駐車場が周囲に幾つかあるのでバイクはそこへ(と言うか、地方の街らしく空き地がやたら目立つ)。私達は好みのセットとドリンクを注文した。
ただし、『私』は何を考えたのかビドックライスなるものを注文し、お姉さんは海老カツスタミナライスという少しお高めなのを注文しており、少々驚いた。ビドック? ビトーク?
「フレンチのフレッシュクラッシェン(ミートボール)が添えられるそうです」
ああ、やっぱりそれで合ってたか。綴りは『Bitoke』。フランス料理の料理名というより下拵え後の名というか、ともかくミートボール(肉団子)の事だ。ドイツでも北欧でも、ミートボールがそのまま食卓に出て来る事はない。一度湯掻いて何かのソースと絡めるか、味付けしながら煮込んで出て来る。
そして姉の育ったドイツ南部や私の育ったスイスにはない。実はミートボールはロシアから入った技法で、その大本はまず間違いなく中国の肉団子だ。おそらく餃子と一緒に広まったのだと思う。だからドイツのハンブルグに行ってもハンバーグステーキは無いし、生肉のタルタルステーキが変化したものというのも大嘘だ。
ただしゼラチンを使わず、型にも入れないミートローフに変化したという説は大いに賛同する。そこからヒントを得てフランスではテリーヌ(型の名)やパテ(詰める肉主体の具材の事)になり、その言葉を耳にしてドイツからの移民がアメリカでハンバーガーパティ(パテ)を開発したのだ。なお、パテの本来の意味はパスタと同じで『小麦粉を練ったもの』だ。
出て来たビドックライスは思った通りケチャップライスにミートボールを添えたものだった。喫茶店のメニューだから原価と小売値、材料のストックを考えて、ミートボールスパゲティのパスタをライスにアレンジしたものではないかと想像したのだ。
私は『私』のそれを見て、原価を無視して自分で作るなら、刻んだホウレン草と混ぜたバターライスに、クリーム煮したミートボールを添えたらどうだろうと思った。エルヴァ的な発想だけれど(当然ながら彼女の要素は私の中にもある)、子供達にも食べやすいかな? と思ったのだ。
それでお姉さんが頼んだ海老カツスタミナライスなのだが。まずそれが普通のスタミナライスと何がどう違うのかを説明しよう。スタミナライスがご飯+トンカツ+野菜炒め+玉子だったところ、そのトンカツを3本のエビフライに替えたものが海老スタミナライスだ。では海老カツスタミナライスとは? 要はハーフ&ハーフだ。エビフライ3本にトンカツが3切れプラスされている(通常のトンカツは6等分されている)。
益々B級感が増していて、これはこれで良いなと思った。ただ、カロリーは高そうだ。ならスタミナライスなんて頼むなって話だけれど。だけれど私はスタミナライスを口に運びながら思った。この白ご飯……、ガーリックライスにしてもっと洋風に振るのも良いし、チャーハンにしたり、野菜炒めとアンを絡めて中華風にしても良いのではないかと。
だけどそれはエルヴァの話していた、『夏場の食欲不振には中華丼が一番効く』というアレだ。そこにトンカツが付けば? ほとんどスタミナライスじゃないか。私はガーンと来ていた。エルヴァの料理に対する考え方の方向性みたいなものが見えた気がして。
アレンジャーの作る料理はたいてい美味しくないものだ。それは何故かというと、その元となった料理が『何を目指していたのか?』が見えていないからだ。ただ、これは調理の手順や過程がわかっていない料理下手とはまた違う。つまり、アレンジャーを料理下手と一緒くたに『メシマズ』とは括れないという事だ。
サンマ丼を知った頃だったろうか? 『根室三大B級グルメ』なる言葉を知ったのは。それが『エスカロップ』『スタミナライス』『オリエンタルライス』だった。増えてるじゃん!? だけど私達が根室を訪れたこの頃には、まだ『オリエンタルライス』なるものは存在しなかった(と、思う)。
ここで余談だが、私が調べた『エスカロップ』の歴史を記そう────。
若い頃、横浜の洋食店で修行していた古村欣也シェフが故郷の根室にお店を開いた。それが今はなき洋食店『モンブラン』だ。その古村シェフが晩年に地元の労働者の要望に応えて考え出したのが、元祖『エスカロップ』だった。それが1963年(昭和38年)の事だ。
その二年後の1965年(昭和40年)に『モンブラン』は閉店してしまうのだが、その元祖の味を引き継いだのが、『モンブラン』で修行をしていた梅田勝利シェフで(独立は昭和38年、屋号は『ニューモンブラン』)、その『ニューモンブラン』から昭和44年に独立した滝文吾シェフが開いた『どりあん』であった。
よってこの『ニューモンブラン』と喫茶&洋食の『どりあん』が『エスカロップ』の本家とされている。そしてこの『どりあん』と『ニューモンブラン』で発祥した新料理が『オリエンタルライス』だった。この共同開発は、『エスカロップ』が地域活性化のためなのか、吉村シェフの方針なのか、どこもかしこも自由に作れたものだから、そのアンチテーゼ的に『オリエンタルライス』だけは、『モンブラン』の味を引き継ぐ『ニューモンブラン』と『どりあん』でしか食べられないらしい。
もっと言えば、お弟子さん達の『新しい名物は俺達が作る』という意気込みと、『モンブラン』への感謝みたいなのが感じられてジ~ンと来る。『オリエンタルライス』は私が未だ食べていない幻の料理だ。ドライカレーの上に焼いたハラミを載せて、ドミグラスソースを掛けたものだから簡単に作れるのだけど、奥は深いと見た。
そんな訳で、エルヴァの世界でシトナイを拾った時によっぽど根室まで足を運ぼうかと考えたのだけれど、時間の都合でサクッと帰ったからなぁ……。なお、この根室にはもう一つ珍しい一品がある。それが函館出身のGLAYやジュディマリのYUKIも紹介ていた『やきとり弁当』だった。
なんでこれが? と思ったのは、『スタミナライス』を食べ終えお勘定も済ませ、国道44号線沿いのタイエー西浜店の幟(のぼり)を見掛け、お姉さんに頼まれて三つほど買ったからだ。ホント、喰うなぁこの人。マジでイリヤなの? それはともかく疑問が湧けば即質問するのが私の良いところだ。だから店員さんにしっかり聞いた。なんとこの根室で展開するコンビニ・タイエーは、主に函館で展開するハセガワストアからの『暖簾分け』を受けてチェーン店(傘下)に入っているのだった。
そしてお姉さん、後からお店に入って来て、私が『やきとり弁当』の塩とタレを受け取る時、メニューを見て『やきとり弁当バラエティ』という豚串・鶏串・野菜串・つくね串と四本も入ったのを『うま辛タレ』で頼んでいた。そんな味があるのかと驚き、三本の内一本塩、残りはタレという注文ができないっぽいところにも驚いた。
容器の串抜き溝はハセガワより少し浅いか? どうでもいいところが気になる私だった。ちなみにお弁当は宝具で保管だ。さすがはお姉さん、『ホテルや帰りの飛行機で食べられるでしょう?』だって。もうこの魔術の特性と利便性を理解していた。まぁ、何度か見せていたしなぁ。
そうして私達はコンビニを出るとそのまま国道44号線を走って霧多布湿原を目指した。キリタップはアイヌ語で『茅を刈り取る場』という意味らしい。だけどこの『霧多布湿原』という字面は、懐炉(カイロ)感より湿布感が高いよねぇ。本当、どうでもいい事だけど。
そんな訳の分からない事を考えて、ニヤニヤしながら『GPZ1100』を走らせていた。晴ればっかりだったとは言え、そろそろ洗車しないとなぁ。でないとミトの方の黒い『GPZ1100』が結構白くなっているし、私の赤い『GPZ1100』もパミの青い『ZZR400』も大概だ。
その後、私達は国道44号線を左折し、道道506号から599号線に乗り換え、再度道道808号線に乗って、何の問題もなく霧多布湿原を横断した。この道道808号線の横断部分をMGロード(Mershy Grass Road)というらしく、対向車もないし見晴らしが良いから、バイクで走るには最高だった。
だから湿原の看板やMGロードの看板の前で何枚も写真を撮った。当然動画も。そして道道123号線、599号線、506号線と戻って、再び国道44号線に戻った。つまり展望台などに寄らなかったという事だ。それだけMGロードの景色で満足できたのだった。
(『エル』! 次の交差点を左に曲がって!)
え? お姉さんからの念話? 私は言われるままに国道44号線を左に曲がった。全員に念話を通していたのか、ミラーに映る続くミトやパミもスムースに交差点を曲がっていた。
(そのまま真っすぐで高架にのところで側道に入って)
へ~い。この道は道道123号。何か病院みたいな建物の前のややこしい交差点や、JR根室本線の越え方も的確に念話で送ってくれた。
(どこへ?)
(良いから、良いから)
本当、どこへ行くの? するとまた『左に曲がって』と念話が来た。付近の家々の隙間の向こうに海が見えた。この辺りが根室市厚岸郡だと事前の地図の下調べでわかっていたから、あの海が厚岸湾だと読めた。ちなみに厚岸は『あつぎし』でなく『あっけし』と読む。
すると駅前通りを過ぎてすぐに『森高牧場』という地元の牛乳屋さん直営のショップがあった。お姉さんはそこのソフトクリームが食べたいのだという。全員で食べたのだけど、確かに美味しかった。もう聖杯とはとっくに切れていて、英霊化している筈のお姉さん……。あんた、今何と繋がっているんだ? それって、どこからの知識だ?
様々な疑問を残し、私達はショップ前の道道425号線からすんなりと元の国道44号線に戻り、再び釧路を目指した。と言っても根室から釧路は割と近く(約120km)、この厚岸からだと今夜のホテルまでで大体40kmくらいだ。天候はこのまま好天が続くようだから、湿原は明日の午前中に回っても良い。
皆んなにその事を念話したら、このままホテルに入って少し散策したいという。まぁ、街も観たいよなぁ。
(ねぇ、『エル』? 釧路って何が有名なの?)
あれ? パミじゃなくお姉さん? 食べ物で良いのかな?
(ん~と……。根室のノリで言うならスパカツですね。私の姉なら、絶対に『さんまんま』と言うでしょうけど)
(サンマンマ?)
これは北海道物産展などにも良く並ぶ名物で、『名物に旨いものなし』という説を簡単にひっくり返す程の美味さだ。要は焼きサンマの棒寿司だ。焼きサバの棒寿司が美味しいと思える人なら、全然問題ない。私の姉は『冷えた酢飯の上に乗った、熱々の焼きサバが堪らない』らしく、いつも大根おろしを載せて食べている。
そしてこれが『握り』のテクニック皆無なので、適当に余ったご飯で寿司飯を作り、胡麻を混ぜて焼きサバの切り身を載っけて、『焼きサバ丼』なるものを自分で作っている。これがまた美味しくて、半分ご飯と焼きサバ残して、ひつまぶしみたいにダシを掛けても良いし、お茶を掛けても美味しい。そしてお湯なりお茶なりダシなりに、自分で漬けたお漬物を潜らせ、幸せそうにポリポリと、休日のお昼を済ませてしまう。
同い年の妹である私は(誕生日が一日違う)、『この人、日本に馴染めば馴染むほど御婆ちゃんくさくなるなぁ』と内心で嘆いているのだが、そういう『和風』なところが書道の先生やお華やお茶の師匠から愛され、子供の頃から可愛がられていた。特に自分の姉を失っているシロウさんは尋常でなく、ポソッと『理想のイリヤ』だと呟いたのを憶えている。
何より私の事を『史上最悪だ、お前。オレの中に残る大切なイリヤのイメージを崩しに来やがる。何かが取り憑いているとしか思えない』だと。失礼な。
(あなたのお姉さんは並行世界の私よね?)
(はい)
(ホント、エルヴァっぽいね?)
(ですねぇ。でも、エルヴァも引くほど純和風な人ですから、私からするとお姉さんの方が『イリヤなの?』って気分ですよ?)
(まぁ、私も大概変わっているからね。だって英霊になったイリヤって他に知らないでしょう?)
(ですね。義兄のアーチャーが一度同時召喚されて、そこの凛が腰を抜かしていたらしいですねど)
と、そんな風に話し合い笑い合っていた。そこから『スパカツ(※)』の話や、『釧路ラーメン』の話で盛り上がった。お姉さんはやっぱり食い気が勝るタイプらしく、中でも取り分けラーメンが大好きらしい。この事は今回の旅で何度か話してくれていた。
※)スパカツ……パスタにカツを載せミートソースを掛けたもの。熱した鉄皿で供するのが流儀。
釧路ラーメン……漁港のラーメンらしく博多の麺と似た茹で上がり時間短縮を狙ったかん水入りの細麺。ただしあっさりとした醤油味なので、スープが絡みやすい縮れ麺なのが特徴。その昔は鰹節でスープ(ダシ)を取っていたというが、今はトンコツや野菜などで複雑な旨味を引き出す事に成功。札幌ラーメン、函館ラーメン、旭川ラーメンの北海道三大ラーメンに加わり、北海道四大ラーメンの一角を占める存在に成長した。
そこでこれまで食べた色んなラーメン店の話をよく話してくれていたのだが……、だけどどうも、どこも入った記憶がないらしい。なのに天理ラーメンの味が良かったってどういう事だ? 本当、どこと繋がっている? だけどこれに対して私は異なる考えも浮かんでいた。
つまりこれは人として生きていた頃の記憶でなく、英霊として召喚された時に体験した、とっくに記録に成り果てている筈のモノではないのかと考えたのだ。生前の短かった生涯など……特に強烈だったであろう聖杯戦争の事などは強く憶えているようだ。そこはわかる。
だけど、私は何をわかっている? ガイアの正英霊、アラヤの正英霊、アラヤの守護者……記憶に制限がキツく掛かるのは? そうだった。この人はガイアの守護者だと耳にしていた。すると……小聖杯だ。胸の小聖杯がアーチャーを留め置くのと同じように、お姉さんの現世での記憶もある程度大切に護って(保管して)くれていたのだ。
『エルヴァならこの事に気付いていたろうなぁ……』
ガイアか……。アラヤと違って、この記憶の事は本人に話すと『世界の禁忌』に触れそうな気がする。だからエルヴァは、直接は何も言わず、お姉さんと上手く話を合わせてあげているのだろう。巫女の姉と似たような境遇なのに全然違う。巫女の姉は肉体こそ失ったが、小聖杯のお陰で魂魄は生きているし記憶も確かだ。
だけどお姉さんは、一度死んで英霊に昇華された存在だ。そして私が気になるのはその昇華がどう作用しているのかだ。一応、私達魔術師が知る英霊という存在は、昇華の過程で魂魄が強化された上で世界に記録されるものと考えられている。それは『矛盾』を失くすためだ。
この意味をもっと詳しくいうと、A世界で生きたA'英雄が居るなら、B世界で生きたB'も英雄に至り、死後英霊に昇華できるのかという事だ。A組のA'くんは英霊試験で100点でした。B組のB'くんも100点でした。どちらも世界学校で同率首位でした。さて、どうなる? これの答えが『統合』な訳だ。
A'≡B'なら、『座』は一つでも昇華ブーストを受けた魂魄は更に強化ブーストを受ける事となる。これは知名度や信仰の深さとは別のファクターで、その英霊の耐久性に関わってくる要素となる。わかりやすく言うと『座』に眠る本体の厚みになる訳だ。
食パン一斤の六等分と半斤の六等分ではどちらの英霊が、分霊(サーヴァント)の厚みがあるかだ。その英霊が持つ知名度に歴史などの要素もあるが、英雄王や征服王なんてどこの並行世界であろうと絶対に英霊試験合格だ。その厚みが、いわゆる魂の大きさをより確かなものとしているのだ。
だけど西暦以降、500年も600年も経った後に英霊に昇華された者は、全並行世界で英雄に至れただろうかという話だ。これは伝説が残るほどの活躍をしたかという話だけでなく、そういう立ち位置にならざるを得ない巡り合わせだったかどうかという運要素も大いに絡む。なので条件は近代に近づけば近づくほど厳しくなるのが理解できるだろう。
だが、これをある程度一気に飛び越える裏技がある。それが世界との守護者契約だった。守護者の事は今更語るまでもないだろう。そして嫌というほどこき使われる事も。それはもう、サンドイッチ用半斤10枚切りよりもっと薄い、スライスチーズ並みに本体が薄くなっても逃れられない。
そういった事を頭ではわかっていたが、それがガイア側の守護者となるとどうなるのだろうか? こればかりは私にもわからなかった。お姉さんの記憶だけでなく記録まで読んだ上で『大丈夫』と言っていたのは巫女の姉だが、本当に『読めた』のか? 願わくばエルヴァともども幸せであって欲しい。それは正直な気持ちだ。
それで本日の宿は新釧路川に近い最近の高級ホテルでなく、釧路川付近にあるかなり安いビジネスホテルを取った。朝食付きの一泊二日で一人5000円もしない。これは街に出て食べたいというお姉さんの要望もあったが、実は釧路以降の宿泊は行き当たりばったりなところもあったからだ。
これは私もミトやパミも、根っからのアウトドア人間だからというのもあった。とにかく私はジッとしていられない。学生時代は机と椅子に縛られるのがキツかった。耐えられない程ではなかったが、外に出て身体を動かさないとストレスが直ぐに溜まったものだ。
これはドイツでも同じで、ちょこちょこ動かないと死んでしまいそうな気がしていた。だから私はササッと研究開発部門の一研究員に引いたのだ。その分、営業は頑張った。私は研究員であるけれど臨時雇用契約の営業役員でもあり、叩き出す数字は毎回トップだった。その意味で、私に代わってデスクに座ってくれているミトはよく耐えている。
彼女は週末になれば、いつもふらりと牧場に出掛けゆったりのんびりと息を抜いている。それとちょこちょことしたバイクやクルマの改造で落ち着けるというのだから凄い。パミもそんな感じで自分だけのストレス解消法を持ち、会社の仕事もこなしている。だから『オリジナル』である筈の私が一番おかしいのだ。
多動(ADHD)や発達障害気味ではあるが検査をしても異常はない。どれもこれも盲目なのと同じ後天的なものだ。それは培養槽で窒息死し掛かったトラウマに拠るもので、閉所恐怖症じゃないのに身動きが取れない状態に耐えられず、一箇所に留まっていられない性格になってしまった。
だからアウトドア派と称しても、キャンプよりこういうあちこちに泊まる旅が好きだし、営業出張も大好きで全然苦にならなかった。まだまだイヴが小さかった頃、ユーラシア大陸のほとんどの国を私は回った。大手スーパーの経営母体幹部との交渉よりも、地方のスーパーや小売店へ赴いて、担当者やオーナーに試食して貰ったりしながら販路を広げるのが楽しかった。
だけどそれだけじゃ儲からないので霊脈事業(霊地開発・霊地売買・霊脈調整など)をしながら、普通の土地売買も行った。これらは全部人形を駆使して行っていた。だってこちらの正体はチビッコい小学生の女の子だからね。そんなだからアルコールに強い人形(肝臓強化型?)や、性的刺激に溺れない人形(交感神経鈍麻型?)なんてのも鋳造したものだ。
まぁ、子供の頃から何でもやった。その魔術師の血から湧き上がる好奇心は、ママ達を散々振り回しても止まる事が無かった。弾丸のように飛んでいき、シャボン玉のようにいきなり消える。そして姿をくらました私は毎回何らかの成果を手土産にして、御機嫌な顔で家に戻った。私は物語のハイディ以上の野生児だったのだ。
だけどお祖父様は『お前はそれでいい』と仰って下さった。だって私は小さな頃から賢く、品行方正で、初めて会社を興したのが幼稚園の年長さんだったという超早熟でもあったからだ。だから自分でも気付けなかったストレスやら歪みやらを抱え、それを糧やバネにして変化するために冒険をするという、お祖父様に取っては『堪らない性格』だった。つまり超ポジティヴで、人の想像の範疇を軽く飛んでいくデタラメな子供だったのだ。
連続稼働400年を越えるという、アインツベルンの宝と言っても良い『大婆』というメイドに爆竹を仕込んで、走って逃げたのが2歳を迎える少し前だった。それは培養(成長)槽から出て学習槽に移る前の、トイレット・トレーニング期間の頃の話だ。
まだオシメも外れていない乳幼児が、空間転移魔術を使って、古株のメイドの背中にお手製の爆竹を仕込んで、よたよた歩きでなくパーッと走って逃げて行ったのだ。どうして幼児の私がそんな事をしでかしたのか? それは結論から言うと、大婆の見積もりと、私のポテンシャルの乖離が大き過ぎた事と、私の認識不足だった。まさか大婆もどう見たって乳児の私が、既に自我を確立していて、頭脳がキレッキレとは思いの外だったのだ。
何をされたというと、単に経験の浅いメイドの前で、大婆が私をモデルにしてオシメの取り換えを披露しつつ、私の両足を持ちあげてそれっぽく『クチャイクチャイ』と言っていただけだ。そして女の子だから『お尻を拭く時は前から後ろへ』と指導していただけに過ぎない。だが、それが私にとっては屈辱だったのだ。爆竹はその1年越しの仕返しだった訳だ。
私の自我の確立は0歳から既にあった。母の産道を通っておらず、受精卵から育てられ、魚かおたまじゃくしみたいな頃にビーカーから培養槽に移った訳だけれど、だからといって何も私はずっと培養槽で漂っていた訳では無い。目は開いていたし、耳も聞こえていた。つまり外部からの刺激を受けつつ、『これは何だろう』と考えられる存在になっていた。
そしてある日から時折ではあるけれど、培養槽から出されてママからおっぱいを吸わせて貰うようになっていた。つまり酸素が止まって死に掛かったのは誕生日とされている日の10日ほど前の事だったのだ。もし、この時に死んでいたら私はママ達やイリヤにも出逢えなかっただろう。
まぁ、イリヤと初めて逢ったのは8歳の誕生日を迎えて3ヶ月前後経った頃だ。なのでとっくにある程度は育っていたので自分でトイレに行けていた。大婆に爆竹を仕込めたのも、さっきも言ったがトイレット・トレーニング期間中で学習槽に入る前だったからね。
今でも憶えているが、そもそもイリヤと出逢ったのがアハトの城で、お手洗いに行く時だったのだ。その廊下で『変なところに鏡があるなぁ』と一瞬思った、その鏡像が双子の姉であるイリヤだった。彼女が姉である理由は私達二人の誕生日にある。あちらは7月20日生まれで、私は翌日の21日と決められたからだ。
後でお祖父様にお聞きしたが、イリヤは普通の人と同じく母の産道を通っているが、母胎にいた頃から調整措置を受けていたので、当然ながら各種検査もされていた。なので受精日も着床日もバッチリわかっていた。一方私は受精確認後即座に母から取り出され、シャーレか何かでスイスに持ち帰られた。そこから『何日後(十月十日後?)』と出産予定日が決まった。
そして翌年の7月20日に母がイリヤを出産したと、お祖父様に連絡があったらしい。なら私も7月20日で良いじゃないかと思うのだけど────21(日)という数字は7(月)で割ると3(3は神秘学では、とてもパワーのある数字だ)になるからと、誕生日を翌21日とされてしまった。
ここで気付いて欲しいのは、培養槽育ちだった訳だから、産声なんてとっくに『ガボガボ』と人工羊水の中で出していた筈の点だ。つまり産道を通って『オギャー』と言わないと、本当の意味での誕生日が『いつ』なんて誰も決めようがないという事だ。
だけど『いつ産まれた』のかわからなければ、この先困った事もあるだろうと、マアエモ・ママがいろいろ調べた結果や占った結果をルオン・ママを通してお祖父様にお知らせした。そしてお祖父様はその案を採用した。そうして私の誕生日は7月の21日と決まったのだ。その意味で私は自分の誕生日を気に入っている。
とは言え、もう数日遅かったら獅子座だった訳だが、双子で星座が違う場合もあるのかなと気付いて不思議に思ったものだ。また、あいにく私もイリヤも蟹座で、ヘラクレスに踏んづけられた側だ。後に第五次の事を知って、これまた不思議な気分だった。獅子座だったら毛皮にされていた?
世の中には出産が夜中の0時を跨ぐ双子や三つ子も居るだろう。だけどそういうケースは今の時代だと出産が日中になるよう薬などで調整される。お医者様や看護師の方も早く家に帰りたいだろうし、調整が効くなら時間外労働はしたくないだろう。だからそういう調整を私は非道だとは思わない。
ある程度育って自分で物事を調べるようになれば、20世紀半ばまで日付を跨ぐ双子や三つ子はやはり欧州にも居た事がわかった。おそらく今は、相当医学が遅れた国の辺境でしか起こり得ない事だと思う。またお医者様も人だから、赤ん坊の将来を思ってカルテに書いた日付とは別の、揃った日付を親に告げるだろう。
これも、日本風に言い換えて考えればわかると思う。もしイリヤが4月1日生まれで、私が4月2日生まれなら、同い年なのに学年が異なるなんて事になってしまう。これは双子を取り巻く環境や周囲の意識に悪影響しか残さない。こういう例を残さないためにお役所は4月1日までを前年度としているが、産婦人科のお医者様は出産日を親と相談の上でこっそりとずらしてくれたりするものなのだ。
さて、ホテルの横にある狭い駐車場に止めてったバイクを横目に、部屋へ適当に荷物を置いた私達はお姉さんのリクエスト通り外食に出掛けた。飲食店が多いのはJR釧路駅周辺か、新釧路川を渡った国道38号線沿いだ。普通のホテルに泊まっていたならそちらだが、今回私達が選んだホテルはJR釧路駅の南側繁華街のど真ん中だったので、歩いてすぐのところに様々な飲食店が並んでいた(だから駐車場が狭かった)。
知らない人は驚くと思うが釧路のラーメン店は夕方になると閉まる。その分朝が早いのかと言えばそうでもない。どこも大体9時開店の17時閉店だ。勿論、お昼の休憩を長めにとって夕方から夜遅くまで開けるお店もあるにはあるが数は少ないようだ。
そこから読み取れるのは、一、地方ならではの、人らしい生活スタイルに当初から合わせている。二、なので顧客も日中にしか来ない。などだろうか? 欧州のお店が大体そうなのでそこは驚かなかった。だけどお姉さんだけは焦っていた。現在夕方の4時20分。私達はギリ滑り込みで、席の確保とラーメンの注文を行えたのだった。
釧路ラーメンと来れば醤油味が定番なのだが、このお店は醤油とは別に塩味があり、ミックスというのもあるらしかった。らしかったというのはメニューに載っていないからである。お姉さんは塩を頼み、醤油を頼んだ『私』とお互いに『味見』しようと提案していた。正解だと思った。
だからパミとミトも塩と醤油を頼んでシェアするものと思いきや、私が先程言った『ミックス』を頼んでいた。どう見ても外人のそれも『一見さん』が、常連しか知らないであろう、裏メニュー的存在を流暢な日本語でサラッと注文していた。ミトもパミもこと食べ物に関しては『鼻が良い』。お店に入った瞬間から、先客や先客の啜るスープを解析していたのだ。
『やるな、でも『一見さん』だよ? オーダー通るかな?』と思っていたが通った。ちなみに私が頼んだのは塩味だった。これを選んだ理由は、その方が『釧路のカツオダシ』がわかると旅本にあったからだ。麺のサイズは全員『普通』。この上に『中盛り』と『大盛り』があるのだが、全員次のお店も念頭にあった。私のお薦めコースはラーメンのはしごでなく、『釧路フィッシャーマンズワーフMOO』に寄って『さんまんま』を買って、プラプラ歩いて、その後地元の『炉端焼き屋』に入って『鳥松』で元祖『ザンギ』を食べて帰ろうというものだった(※)。
※)釧路フィッシャーマンズワーフMOO……平成元年開業の大型商業施設。道東でこの規模は凄い。釧路で迷ったらここに行けば良い。『さんまんま』は本当に美味しいので是非食べて欲しい。
炉端焼き屋……お酒を飲む人なら『そんなのどこにでもあるだろう?』と思うだろうし、実際世界中に釣りたての魚介や獲れたてのジビエを食べさせてくれるお店がある。だけど炭火でじっくり炙る本来の炉端焼きは、日本に限定しても意外と少ない(どこもガスで炙っている)。
その発祥は宮城県の仙台市にあった田舎風な作りの『炉ばた』というお店だったらしい。店主が囲炉裏で炙った魚や野菜を、でっかい杓文字(掘返べら)で客の前ににゅっと出すスタイルはここが発祥で、開業は1950年だったそうだ。そこでこういう方式に一番似合いそうな場所は? と考えると、それはもう漁港に近く野菜も美味しいところと決まってしまう。
その炭火で炙る仙台方式のゆったりした時間までも楽しめるのが、北九州や熊本、北海道や北陸の漁港に近いお店なのだ。実は時間に追われる人の多い都会だと、賓客を招いた接待以外ではあまり使わないお店となってしまっているのが炉端焼き屋だ。その理由は本物の素材や炭を求めれば高級店になってしまうからだ。
だから元祖ではないけれど、リーズナブルに、まるで『煮込み』や『おでん』を頂く感覚で美味しいものが食べられる釧路の炉端は、十分に行ってみるべき価値のあるお店だと言えるだろう。
ザンギ……下味のしっかりした鶏唐と言ってしまえばそれまでだが、特徴としてはぶつ切りにした鶏なので本来は骨付きの、色んな部位が盛られた唐揚げだ。胸肉だもも肉だと分かれていない、雑多な部位を、既に味が付いているのにタレに浸けて骨の際までしゃぶって頂くのがザンギの王道だ。そんなザンギを開発した本家がこの釧路の『鳥松』だ。
↑ こんな紹介文を見てしまったら、もはや行くしかないだろう。
どうだろう、私の考えたこのコースは? しかもそれぞれの場所が、全部釧路駅の南にあって、歩いて10分も掛からない。その事を皆んなに話したら、ラーメンをはしごする気満々だったお姉さんもノッて来た。
「良いわね。それ、全部回ろうよ」
いや、ノリノリだった。そうして私達はラーメンを完食後、お代金とお礼を言ってお店を後にした。目指すは釧路フィッシャーマンズワーフMOOだ。お目当てはサンマンマ。他にもお土産になりそうなものを買って帰る。宝具はこう使うのだよ、お姉さん。後、バーサーカーを初手で取り込み、大聖杯停止後に出すという荒業も使える。
一応、お兄ちゃんだけでなくアルさんも、巫女の姉も私の宝具が『座』となっている。だからこの三人は私が死なない限りずっとこの世に留まっていられる。ただ今回、三人はそれぞれの仕事があるから置いてきた。世界を越えても安心なのは、魔力炉心を預けてあるからと、私達が戻った時、先生のお陰であちらでは一日も過ぎていない事がわかっているからだ。