※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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126、冬木の日々~アデレードの思い出①

 5月2日、日曜仏滅の日の朝。目が覚めたら10時だった。さすがに昨日は飲み過ぎた。そう反省して隣のベッドを見れば、衛宮のベッドはもぬけの殻だった。これはいつもの事で、どんなに前の日が遅かろうが、少々深酒をしようが、衛宮は冬木でのルーチンを崩さなかった。良い事なのか悪い事なのか。

 それは生活力のあるしっかりした奴だとも言えるし、何とも味気ない機械みたいな奴だとも言えた。今はそこがあいつの美点だとわかっているけれど、穂群原に通っていた頃は本当に不気味だった。それが語学留学でオーストラリアに行ってから徐々にマシになった。それは精神的な病気だとハイディがキッパリ衛宮に断言し、定期的にドクターのカウンセリングを受けるようになったからだ。

 このカウンセリングを衛宮が素直に受けたのは、ハイディは勿論、イリヤがとても心配していたからだ。そしてイリヤはイリヤで、自らのそのお嬢様気質なところと物知らずなところ、義弟である筈の衛宮の心の病を、ハイディほど察しきれなかったところなどを恥じていた。

 イリヤは無垢というか純粋培養なところがあるから、見た目だけでなく自分の至らない点を変えたがっていた。だからハイディをお手本に、僅かの間にどんどんと変わっていった。ハイディ側が家庭教師なんかを用意してくれていたし、ハイディを通じてアデレードにも友人が出来たのが大きかったらしい。

 そんな理由から僕達も語学留学でオーストラリアのアデレードに行った後は日々協力していた。『協力していた』と言っても大した事じゃない。ごく普通に話し掛ける事がほとんどだ。要は日常の会話から『自分のズレているところを自覚』して貰おうという考えだ。

 それを僕達はあれこれ指摘しない。指摘してしまえば、それは嫌味で傲慢なヤツになってしまうからね。だけどそこまでしなくても、イリヤは元々頭が良いから自分でハッと気付いてくれる。何より直接会えなかった、ほぼ高3の間の丸々1年で随分とイリヤは変わっていた。だから『話し掛けるだけで良い』っていうのがハイディの考えだった。それも英語で。

 この『英語で』っていうのがミソだった。なんたって僕も衛宮もその英語を学ぶために、こうしてオーストラリアのアデレードくんだりまで来た訳だからね。それに家庭教師付きで学校に通うことを断念していたイリヤには、僕と衛宮みたいな同世代の『全く違う育ち方』を経験している存在は大きな意味があった。

『悩みどころ』も人それぞれだとはわかるけれど、元々ドイツの人なのに、もうすっかり英語がペラペラなイリヤには呆れたけれどね。何でも英語はドイツ時代から学んでいたらしいけれど、それでも生活言語じゃなかったから、100%切り替えて生活しなきゃならないんだと改めて思って新鮮だったと、再会した時に笑顔で教えてくれた。

 それに何より僕と衛宮が英語をちゃんと学ぼうと考えたのは、自分達の視野の狭さを解消したい、視野を広げたいと考えたからだ。その理由は当然あの高2の冬に体験した聖杯戦争にある。あの、それまでの自分がどれだけちっぽけな井の中の蛙だったか思い知らされた強烈な体験。それを無駄にしたくなかった。もっともっと『自分は変わっていける』と思えたんだよ。

 いや……あの出逢いがあったから、その『別れ』を糧にしようと思える自分になったというか……。ともかくその思いが強かった。だから僕は学園を卒業するまで、どんなに女の子から言い寄られようと誰とも付き合わなかった。ひたすら勉学と部活に精を出していたんだ。

 それに衛宮の事もあった。義兄であるエルヴァが心配して、倫敦からあれこれ連絡を寄越してくれているのに、英語ができないアイツはまともな返事ができていなかった。それをこれまた連絡を寄越してくれたハイディに相談した。そこからオーストラリア留学の計画が始まったと言っても良いかな? それが3年に上がった春だった。

 ハッキリ言って何事も遅いんだけど、ほぼ就職組が確定していた衛宮は数年の遅れなんて気にしていなかった。何よりハイディが、もうその頃には一緒に暮らしていたイリヤを伴って夏と冬の2回も日本に来てくれ、藤村に話をちゃんと通してくれたのが大きかった。

『姉』であり『保護者』を自認していた藤村が、ハイディやイリヤが衛宮の養父だった切嗣さんの実の娘だと知った時の顔は見ものだったよ。そこで僕はピンと来た。藤村、切嗣さんの事、好きだったんだな……。生前の切嗣さんに出逢った頃は、藤村の奴、中学卒業前か高校に入ったばかりだったろう。

 藤村もいい齢だ。この留学は良い意味で転機になると僕も口添えした。何よりハイディが医学用語を駆使して衛宮の『心の病』をきちんと藤村に理解させた事が大きかった。そうして僕達は筋を通してオーストラリアに旅立つ事ができたんだ。まぁ、準備や何やかやで(旅費や当面の生活費の調達)、出発したのはクソ寒い夏真っ盛りだったんだけどね。

 それと自慢じゃないが穂群原で学年トップ3に入る成績の僕だったけれど、この語学留学は『僕を大きくしてくれるチャンスだ』と信じて、大学への進学は夏頃既に蹴っていた。持ち上がりで3年でも担任だった藤村には『やいのやいの』と言われたが、『ゆくゆくはアメリカに渡って、予備校からMBAが取れる大学に入り直す』とゴリ押しした。

 つまりこの夏の面談で、僕はオーストラリアへ語学留学に行くと初めて藤村に明かした訳だ。これはメールでハイディと相談して決めた事だった。何より衛宮への援護射撃になったと思う。進学も就職も何も決まっていなかった衛宮が、2年の時の面談で『正義の味方』になりたいなんて『おバカな事』を藤村に話していた事は僕も知っていた。

 以前はそれを『狂ってやがる』と思ったものだけど、聖杯戦争を通じて『理不尽な災害から人々を守りたい』のだと何となくわかって来た。そしてその理不尽な災害や戦争のほぼ全てが、人の欲で仕組まれて来た事だと僕はわかってしまった。しかも僕と衛宮は魔術の粋を集めた変身(転身)スーツを手に入れてしまっている。なら『やるしかない』じゃないか。

 その第一歩が語学留学だったのだ。敵は大きく遠い(そもそも本当に敵なのか? という疑問はおいて)。そうなれば海外での活動が主となる。そんな時に『助けに来たぞ!』『もう少しだ、頑張れ!』がせめて英語で言えなけりゃ、『緊急時にハチャメチャな事をがなり立てる変な奴』で終わってしまいかねない。だからこその英語特訓だった。

 そしてその3年の夏にハイディとイリヤが遊びに冬木を訪れてくれ、そこでもじっくりと今後の事を相談した。それでハイディは『受け入れ先は安心して欲しい』とまで言ってくれたんだ。なんと彼女の養父は、実家とは別に街に数件の家を持っていたのだ。

 聖杯戦争で出逢った頃のハイディは、地元アデレードにある有名私立女子校に通うトップクラスの才媛であり、広大な農場や不動産を持つ、大金持ちの家の令嬢だったのだ。アデレードの街から見える山の向こう、アデレード・ヒルズの丘と、その向こうに広がる広大な、どこからが荒れ地(アウトバック)なのかがわからないような畑のほとんどが、ハイディの養父であるカールさんの持ち物だった。

 だから実家はそちらにあるらしいが、なにぶんそこからだとハイディに通わせたい学校が遠い。そんな理由から、アデレードの一等地の住宅街にハイディが学校に通うためだけの『勉強家』なんてものがあるのだと言う。『べんきょうか』ではない。『べんきょういえ』だ。それも全部で10部屋以上、バスが2箇所にトイレが3箇所もあり、リビングが2箇所、これまた広い芝生の庭にもバーベキュー場やプールまである豪邸だ。

 そこの空き部屋を自由に使ってくれって……。それをメールで知った僕と衛宮は思わず顔を見合わせた。『人と人との出逢いって大切だなぁ』なんて、物悲しくも浅ましい方向で考えてしまったよ。それと彼女の養親のカールさんは、金満な人によく見受けられる慈善活動家でもあった。

 だからあの時救った子供達の内、どんなに探しても身寄りが見付けられなかった子は全員、カールさんが経営している施設で引き取り、それ以外の子は親元に返したのだそうだ。僕は心底ホッとしたし、衛宮も感動して涙ぐんでいた。僕達の指針というか……何かが定まった。と同時に、『本物』を知った気分だった。

 

 そんな憧れの気持ちを抱いてオーストラリアに渡ったのだけど、行って思った。『良い国だなぁ』って。人の住めない所も多いけど、ちゃんと四季があってとっても綺麗な国だった。そして何よりアデレードという街が気に入った。後にシドニーやメルボルン、ゴールドコーストにも行ったけれど、ハイディの言う『オーストラリアのミニ・カリフォルニア』は、その通りだと思った。

 まぁ、そう思えたのは最初の年が終わろうとする頃から、新年を迎えた12月から2月だった。つまりあちらでの夏だ。それの対して行った当初のアデレードは寒かった……。気温だけで言ったら日本の冬の方が遥かに寒い。これは確かだ。だけど何を思ったのか、僕も衛宮も半袖だったんだ。だって7月だよ?

 なのにその日のアデレード空港の気温は9度くらいだったからね。周りの人は皆んなサッと羽織れる上着を手荷物で用意していたんだ。だから僕と衛宮の初英会話は、空港職員の人への謝罪だった。だって荷物のトランクから早く長袖を出さないと。それで2番めの会話はすぐ訪れた。それが空港のスタンド(ショップ)で、温かいコーヒーを注文するときだったね。

 それからアデレード空港のターミナルでハイディや迎えの人と合流し、僕達はクルマで彼女の家(本宅)まで連れて行かれた。そこでハイディの養父であるカールさんや、彼の奥さんで養母のアーブルーさんと逢った。そしてその日は歓迎会もあったから本宅で泊まったんだ。

 その日の夜はハイディやイリヤと色んな事を話せた。メールでのやりとりだけでは足りない情報や、生の声は本当に楽しかった。だから面白い話もいくつか聞けた。まず、イリヤは聖杯戦争後すぐ、ドイツに戻らずセラやリーゼリットとともにオーストラリアに行ったので、当時高3(※)だったハイディの通う学校に何度か潜り込んでいたらしい。

 なので彼女の制服姿は見ているし、替えを借りて一緒に写真にも写っているそうだ。後でチラリと見せてくれた写真には、襟が白く、身頃はシックなチェックのワンピース姿の二人が写っていた。妙に似合っていたから衛宮が照れていた。それでイリヤもハイディもカンカン帽みたいなのを手に持っていて、これは制服とセットらしい。半袖だから日本で言う夏服なんだろうけど、その写真を撮ったのが2月の終わり頃だったって言うから、改めて『南半球』を思い知らされたね。

 

※)オーストラリアの新学期は4月や9月でなく1~2月からで、学期は学校に拠るけど3~4学期制なのだそうだ。それでハイディは聖杯戦争の下準備で何度も日本に行っていたので、高等教育での出席日数が足りなかったらしい。なお、この高等教育は日本の高校とは違い、本当に大学に入るための準備教育期間だ。

 オーストラリアは大体中学校が4年制で、日本で言う高校は、ドイツのように職業訓練校か進学校にわかれるのだそうだ。そんな進学組のレールの上のかなり上位にハイディは居たのに、イリヤや衛宮を護るために彼女はそれらを捨てて日本にやって来ていたのだ。これって確定申告がどうこうと言っていた遠坂より重大な事だよ。

 勿論、国が違うから学校制度の違いもあるし、就学年齢の違いや私立ならではの特例などもあったと思うけれど、とにかくハイディは聖杯戦争のせいで通常の年末卒業でなく、翌年の下手したら粉雪が舞う頃まで学校に通っていた。だから大学受験はその年の年末に改めて受け直したそうだ。つまり僕達が高3の冬だ。勿論合格して彼女は現在大学生だ。

 これを初めて知った衛宮はかなり恐縮していた。それはそうだろう。だって、聖杯戦争の時もそうだけど、彼女は衛宮のために藤村に『シロウ君のためにも語学留学させてあげるべきだ』と口説き落としにわざわざイリヤと一緒に来てくれたんだから。だけどあの時のハイディは『皆んなが元気そうで良かった』と再会を喜んでいただけで、こんな事をおくびにも出さなかった。『やってくれるね』って感心しきりだよ、まったく。

 

 

 また、ハイディが魔術師としての教えもしっかり受けているのに、格闘技や武器の扱いも学んでいたのは、本当の父である衛宮切嗣さんの存在がアインツベルンに遺したものが大きかったからだとカールさんが教えてくれた。その意味は、イリヤの方のアインツベルンより、エルヴァが『本家』と呼ぶ家に連なる一族の人々の方が、切嗣さんのあり方に感じいったかららしい。ただ、カールさんは少し異なるカールさんらしいニュアンスでこの事を話してくれた。

 

『リアルだよ、シンジ。魔術が使えたとしてもね、それが自らの身を守る最上の手段とも言い切れない場合だってあるものなんだ。まして詠唱も準備もままならない咄嗟の場合なら。なら、どうする? どうすれば、愛する娘が無事でいてくれる? それをミスター・エミアの逸話が僕達に気付かせてくれたんだ。ね、リアルだろう?』

 

 この時のハイディは養父のカールさんの腕を抱いて『ダディ』と呟いていた。自分の事をあまり語りたがらないハイディだから、きっと血の滲むような努力を影でして来たのだろう。それにハイディがそういう事を学び始めたきっかけが、切嗣さんの存在を知ったからなんじゃないか?

 つまり自分が養子である事は知っていたが、『いつ頃』かに第四次聖杯戦争の事を知って、自分の本当の両親の事を知り、やがてイリヤやエルヴァの存在も知ってしまった……うん、そんな気がするなぁ。そして第五次で傭兵を率いて冬木に入った。待機していた救護船にはカールさんも乗っていて念話か携帯電話で常時連絡を取っていたのかもね……?

 あ~……。今になって思い返してようやくそこに気付くなんて……。いやいや、この歳になったから気付けたって事か……。ともあれその時のイリヤは僕に『わかるでしょう?』みたいなポーズを取って見せていた。そのあと、ハイディをとても優しい目で見ていたのが印象的だった。あれも思い返せば『妹を見守る姉の目』だったんだろうね。

 で、『妬かないんだな』と感心していたら、マム(養母)のアーブルーさんがイリヤを抱き寄せていた。良い人だ。またそれをセラさんが優しい顔で見守っていた。セラさんにとっても、イリヤは娘のような妹のような……色んな感情が混ざった特別な存在なんだな。

 リーゼリットさんはただただニコニコしているだけだった。あれは『家族』を見守る『メイド・ロボット』そのものだった。エルヴァからのメールで、セラさんとリーゼリットさんには明らかな性能差があったとは気付かされていたけれど、1年以上逢ってなかったから改めて『ああ……』と納得したよ。

 二人はあの白いメイド服でなく私服だった。それはこちらの家の方針なんだろう。それにイリヤも溶け込んでいて、いつの間にか『ちゃんと家族をしていた』んだ。良かったよ、本当。僕と衛宮はお邪魔虫もいいところだったなぁ。

 

 なお、このアーブルーさんの名前は『Aabroo』と綴り、オーストラリア・ネイティヴのアボリジニ起源の名前で(こういうアボリジニ起源の名前を持つオーストラリア女性はそこそこ居る)、意味は『名声』や『鏡』なのだそうだ。それを知って僕は、かつて親父が持っていた『アルピナ』というクルマの事を思い起こした。

『あなたの成功を写す鏡、アルピナ』だっけ? そういうキャッチコピーがあったんだよ。だけどそこから、ハイディの名前、アーデルハイドを名付けたのはこの素敵な御夫妻じゃなく、本家の御祖父様なんだろうなと何となく察せた。当然声にも出さないし、後で聞いたりもしなかったよ。

 

 

 そうして楽しいオーストラリアの日々が始まったんだけれど、翌日に僕は二つの事に驚いた。先ずはハイディ。彼女、お嬢様なクセに料理がやたら上手いんだ。カールさんへの対抗心? じゃないだろうけど、ハイディは子供の頃からアーブルーさんから料理をみっちり教えられていたらしい。

 それがイリヤのセラさんが舌を巻く程のものだったから二度びっくりだ。朝食に出て来た料理は、ベーコンエッグロール(テーブルロールにベーコンエッグが挟んであるサンドイッチ)、バンガーズ&マッシュ(焼いたソーセージにマッシュポテトを添えて、グレイビーソースを掛けたもの)、そしてミートパイだった。

 どれもオーストラリアの定番料理らしいけれど、そのどれもに工夫があってひと味もふた味も違っていた。和食好きの衛宮と違って洋食好きな僕の味覚にはベストマッチだった。妹の桜が僕に少しでも食べて貰おうと料理を衛宮に習っているのは知っていたけれど、衛宮の基本は和食であり洋食の腕は大した事はない。まして中華料理は舐めているのか、具材の下拵え、切り方、鍋に入れる順番……てんでダメダメなんだ。

 それなのに桜を教える上で料理を調べ直したのか、僕達が高3頃の桜の洋食は一味違っていた。つまり衛宮自身はもっと腕を上げていたって事だ。その衛宮が『これだよ!』と感動していた。僕もその気持ちが良くわかった。一見ありふれた料理なのに、塩や胡椒といった香辛料の量に、入れるタイミングなんかが抜群に良いんだろう。

 またハーブの使い方がお見事だ。なんのハーブかは知らないけれど、衛宮が知りたいのはこういう部分じゃないかな? とにかく和食好きな衛宮をして唸らせ、セラさんが舌を巻いたというハイディの腕は一級品だと思う。僕が不慣れな英語で次々と賛辞を送ってもハイディはどこか浮かない。どうして?

 その理由があの聖杯戦争でハイディや衛宮と一緒だった『セイバー』にあったんだ。これはもう個人の好みとしか言えないんだけど、どうもセイバーの舌にはハイディのオーストラリア料理より、衛宮の作る日本の家庭料理の方が好みに合ったらしい。貶されたりはしなかったそうだけど、食の進み具合とか量とかで『合わないんだなぁ』とは自覚していたそうだ。

 セイバーの正体は女の子なのに、あの伝説のアーサー王だった。それも麦粥が主食だった時代の人だ。パンよりお米……。また、濃い味付けよりシンプルだけど素材の味を引き立てる薄味の方が、素材そのものを焼くか煮るかしてそのまま食べていた時代の人にはわかりやすかったのだと思う。

 だけどこのベーコンエッグロール。パンも良いものだろうし、タマゴもベーコンも良いものだって一口齧れば一発でわかる。またタマゴ側の胡椒が土台のベーコンが持つ塩加減とマッチしていて見事なんだ。バンガーズ&マッシュも……ソーセージをオージーはバンカーって言うんだなぁ……。初めて知ったよ。

 その上に掛かった自家製のグレイビーソースかブラウンソースが、いい塩梅に薄いというかサッパリタイプで、これまたソーセージの質の高さが良くわかるようになっていた。ちなみにソーセージはラムとカンガルー肉の合い挽きだった。これが僕の初カンガルー肉体験だったんだけど正直美味しかった。

 そして控えるはミートパイ。こいつが絶品だった。かの王様からも『湖の騎士が作ってくれたパイより美味です』と褒められたそうだ。ランスロット卿ってパイが焼けたのか!? そういやあの人の国ってフランスだったな……。キャンプ場から戻ったら聞いてみよう。

 まぁそんな訳で、オージー料理とジャンルは限られるけれど、ハイディの腕は確かだったし、素材を活かす工夫ができるところも衛宮と通じるものがあって立派だと思えた。そういや昨夜のパーティーで出たオージービーフのステーキや、ローストビーフは今朝の料理の目眩ましだったのか、美味しかったけれど想像の範囲内だった。

 だけれど今朝の料理は全然違う。僕じゃ読み取れない工夫が他にもあるような感じだ。桜、たけのこグラタンみたいなので、歯応えや食感でしか工夫を出せない程度じゃまだまだだぞ? 衛宮はきっとこの料理も覚えてしまうだろうからね……って、なんで額に汗びっしょりなのさ? こいつ……朝っぱらから『解析』してるのか?!

 

 

 その翌々日だったかな? 僕達はハイディの運転するクルマで『べんきょういえ』に向かった。その5人乗りのピックアップトラックはトヨタのハイラックスで、ほぼエルヴァが冬木で乗っていたのと同じものだ。譲って貰ったものではない。だってあのクルマは衛宮が譲られ、僕の家で預かっているからだ。

 要するにこのピックアップはハイディ個人のものだった。しかも国に拠る法令の違いや州の法規の違いで、こいつを16歳から乗り回していたのだ。アデレードのあるサウスオーストラリア州は、厳密に言うと16歳で取れるのは仮免で、17歳と6ヶ月……つまり1年半はフルライセンス所持者(正規の免許)が横に乗って指導して貰わないといけない(人に拠ってはフルライセンスが取得できるまでに2~3年は掛かる。今はもっと厳しくて4年は掛かるらしい)。

 そんな彼女の仮免時代に横に乗っていたのは当然ながらカールさんだ。この仮免指導の長さは何もオーストラリア人が鈍いからじゃない。そうじゃなくてオーストラリアだからこそ覚えておかなけりゃ命に関わる事があるからだ。例えば街から100kmも離れた、携帯電話も通じないアウトバックで万一ガス欠になったらどうする?

 昼間は居ないけど、朝夕はカンガルーやエミューがそこいらを走っているのだ。しかも何の予備動作もなくいきなりクルマやバイクに飛び込んで来る。こういうのも親なら子に教えておかなきゃならない訳だ。だからハイディのハイラックスに取り付けられた少し歪んだカンガルーバーは日本みたいなファッショングッズじゃない。必須品なんだね。

 そして19歳を迎えた今は、フルライセンスの免許を取得してから1年以上経っている訳だからかなり上手い。その彼女の左横の助手席にはイリヤだ(オーストラリアは日本と同じ右ハンドルの左側通行)。さすがはイリヤと言うべきか、彼女もとっくにサウスオーストラリア州の運転免許を取得していて、このピックアップを時々借りているのだそうだ。

 ちなみに彼女が冬木郊外の森に置いていたクルマは城と一緒に、全部本家のアインツベルンが没収したらしい。だけど『救けて貰ったから文句は言えない』のだそうだ。それに『二人で乗りなさい』と、なんとベンツェのR230のSL65 AMGというのを贈られたらしい。12気筒のターボで600ps以上も出ているという。

 日本で買えば何千万だろう? それを二人の実母アイリスフィールさんのSL300と同じ、真っ白な外装に真っ赤な総革の内装で仕上げてあるという。少なからずこのサウスオーストラリア州では同じクルマを見た覚えがないらしい。豪勢な事だ。ま、その辺は二人も理解していて、二人だけでの『晴れた日』のドライブでしか乗らないのだそうだ。

 そして後席が僕と衛宮な訳だけど……僕も衛宮も将来を見据えて、日本でクルマとバイクの免許は取っていた。バイクは普通だけれど。とにかく取得はしているんだ。だけどここオーストラリアではその免許は通用しない。それでもって前席は女の子なんだ。沽券に関わると言うか何と言うか……。

 そんな僕と衛宮の間で『ヘッヘッヘッヘッ』っと、大きな黒いような茶色いような犬が、僕達の心情を察してか僕と衛宮の顔を舐めようと隙きあらば伸し掛かって来る。こいつ、この図体でまだ2歳なのだ。カールさんがブリーダーから引き取って(買い取った?)、イリヤに贈った、2004年に新犬種と認定されたばかりの『オーストラリアン・ラブラドゥードル』だった。

 名は何故か『ケリィ』というオスだ。イリヤが言うには『誰かさんそっくりで女の子のお尻ばっかり追いかける』らしい。だけど優しく大人しい性格だと思うけどな。それにこの犬種は元々、盲導犬だったラブラドールにプードルやら何やらを掛け合わせた雑種で(だからドゥードルなんて犬種名になっている)、それは盲導犬導入者のアレルギー対策だったそうだ。

 だからモフモフなのに抜け毛は少なく、カールさんは室内犬としてこのケリィをイリヤに与えていた。それも専門家が盲導犬でなく介護犬のように躾けてあるそうで、イリヤに凄く忠実だ。そこをハイディはどう思っているのと聞けば、『犬の名前がアルケイデースやヘーラクレースでなくて良かった』と言っていた。衛宮は微妙な顔だったけどね。

 そしてお約束通りに僕と衛宮は到着した『べんきょういえ』の大きさと豪華さに度肝を抜かれ、部屋の案内も手続きも済んでいる英語学校の話も上の空だった。自分を取り戻したのは、庭に面したリビングでハイディがいれてくれたお茶を頂いている頃だった。荷物も知らない間に自分達で部屋に運び込んでいたらしい。

 大きなガラス窓の向こうではプールの水がキラキラと輝き、その手前の逆光にイリヤとケリィの遊ぶ姿がシルエットになって見えていた。これは僕が夢見ていた世界だ。それが窓に映し出されている。微笑む僕が見ているイリヤは僕の娘で、同じようにイリヤを微笑んで見るハイディは、僕の妻となってくれたエルマだ。僕はその日の午後、そんな夢を見ていた。

 まぁそれは措いて、僕と衛宮はカールさんからある事を言い含められていた。それが『君達の立場も心情もわかっている積もりだし、私も協力を惜しまない。だから娘が自分の家を貸す事にも異議は唱えない。だが、幾ら娘が招いた客人だからと言っても、親として異性である君達との同居は許可できない。だから君達の方からも娘達に必ず家に帰るよう促して欲しい。例えあの子達が酔い潰れても必ず私に連絡して欲しい』というものだった。これはわかる。僕だって桜が衛宮の家に勝手に泊まったりしたら怒る。

 あ、ちなみにオーストラリアの飲酒可能年齢は18歳からだ。これは一般的に大学1年生、もしくは就職1年目であるなら達していて当然の年齢だからだ。合理的だねぇ。そんな訳でキッチンにある、銀色のエラく大型な冷蔵庫にはライトビールなのかな? そういうのが、ミネラル・ウォーターの炭酸やストレートと一緒にぎっしりだった。

 その後、レストランなどで『BYO』とあれば、それは『Bring Your Own』の略で酒類持ち込み可という意味だとか、18歳以上は『お酒を決められた場所で飲める資格』でしかなく、買うとなると『パスポートか運転免許証』の提示が必要で、そういうお店で働くとなると他に『RSA(Responsible Service of Alcohol)』という資格が必要だと釘を刺された。

 これは新都の角打ちでバイトをしていた衛宮に対しての説明だろう。要は色々細かく決まっているから気を付けろという事だ。ハイディは更に英語学校までの地図や連絡先、電話の掛け方、近いスーパーまでの地図やハイディとイリヤの携帯電話の番号、自宅の電話番号などを書いたメモを書き起こしてくれ、バスの給湯方法などなどのレクチャーまでしてくれた。

 そして夕方の5時半にハイディとイリヤはケリィを連れて男前なトラックで帰っていった。カールさんの言い付けは守っているみたいだ。それにハイディだって大学の授業があるだろうし、7月でも今はバカンスシーズンじゃない(だから僕らも受け入れて貰えた。ちなみに僕達の授業は来週から。なので今週は、ここでの生活やアデレードの街に慣れようと決めた)。

 

 そしてこのすっぽりと空いた僅か数日で、衛宮と僕はアルバイト先を決めていた。高2の頃までの僕からは信じられない行動力だ。だけど弓道部を半ば引退していた高3の夏休みからバイトは始めていたし、英語の勉強にもなるからと雑誌片手にあちこち回って拙い英語でバイト先を無事に見付ける事ができた。

 僕はオーストラリアはビクトリア州のメルボルンから最近広がってきた、とあるローカル・ハンバーガーショップのスタッフ、衛宮は驚きの『たこやき』まで扱ってるジャパニーズ・レストランのスタッフだった。それも調理スタッフとしての採用だ。『やるじゃないか!』と、その日は衛宮と、そこで買って来たというたこ焼きとビールで乾杯した。

 なお、僕達の食事については事前に『自炊』であると伝えてあった。だからハイディはスーパーの地図を残してくれたのだ。またイリヤとハイディからの配慮で、週に1~2回、セラさんやあちらのメイドが様子を伺いに来るという。まぁ、これは主に掃除やゴミ出しだろう。シーツと枕カバーは部屋に数枚ずつ備わっているし、歯ブラシやヘアケア用品なんかも持参してある。だから手を煩わせるとしたら洗濯くらいじゃないかな?

 土曜日か日曜日にはハイディとイリヤがやって来る。大概二人一緒だけれど、ハイディにどうしても外せない用事がある時はイリや一人だ。実は地図を見ればこの家のある辺りは、ハイディが通う大学のすぐ近くだ。じゃ、山を越えて実家からというとそうでもないらしい。イリヤの話だと、どうもカールさんが持つ幾つかの会社が所有する女子寮みたいなところに部屋を持っていて(入れさせられた?)、そこから通っているようなのだ。

 ただ、そこは帰りが遅くなった時の休憩場みたいなもので、無理矢理入れさせられた訳でなく、本当に一時の寝床みたいな扱いらしい。本当なら大学に近いこの『べんきょういえ』こそが彼女のものなのに。僕と衛宮はただハイディに感謝し頭を下げるだけだった。

 2万人もの学生に、3千人を超える職員や教師。ハイディはそんな南オーストラリア州随一の大学の理工学部に通っていた。それも農学部のワイン科だ。農学は理工学の一分野なのか? しかもワイン科って何だ? だけど彼女の家の広大な農地、実はあのほとんどがぶどう畑で、カールさんはワインの製造で知られた人だったのだ。

 そしてそれは本家の『御祖父様』の副業と同じものだった。副業と言ってもそちらはご先祖様から伝わる家業で、『御祖父様』の三男であるカールさんはそちらの経営にも携わっているらしい。ちなみにご長男さんは第二次世界大戦勃発頃に亡くなっていて、次男さんも戦後のアメリカで亡くなったそうだ。その次男さんの孫の世代の家の一つにエルヴァは養子で入った訳だ。その『御祖父様』って一体お何歳(いくつ)なんだ? お兄さん方とはどれだけ齢が離れていたんだ?

 それは措いて、僕達の借りている『べんきょういえ』があるこの街アデレードは、『アデレード県』の中の『アデレード市』『アデレード町』みたいなもので、本当は海から6kmほど、山からも7kmほど離れていて、冬木のような港街ではない。海に面した街はヘンリービーチサウスや、ポートアデレードだ。

 500m程の山を越えた(だから丘という)ハイディの家までは20km近く離れているから、間にキャンベルタウンやペイナー、バーンサイドという街なんかが幾つもあった。そんなアデレード市の真ん中に、学生の街アデレードがあるんだけど、ここはどこに行こうと、フィッシュ&チップスが売られていた。さすがは英国連邦加盟国だよね。

 そしてそのフィッシュ&チップスが、オーストラリアとお隣のニュージーランド両国は英国よりも遥かに美味しいと有名だったのだ。特にオーストラリアは。これはオーストラリア人が割と良く魚を食べる人達だから、下処理やがまともなのと、衛宮に言わせると『デカくて安くてウマい』魚があるからなんだそう。

 スーパーの魚コーナーに行けば、季節に応じて様々な種類の魚が『ちゃんと〆られて売られている』そうだ。『慎二、キスだぞキス。それが50cmくらいあるんだ』。そんなに大きいと天ぷらって訳には行かないよなぁ。だけどフライパンを使ってバターで焼くだけで美味しい。

 だからフィッシュ&チップスもタラ科の何かというお店だけでなく、スズキ科の高級魚バラマンディやタイの一種のスナッパーなどの身の詰まった白身魚で出して来るところもあるらしい。それで衛宮はバイトのない、英語の授業がある日に衛宮が『ウマい』と思った店に僕を案内してくれた。知らない間にウロウロしてるな、こいつ。

 怪しげなアジアン料理の店の横を通り抜けて表通りに出ればそのお店があった。店内は学生でいっぱいだ。そんな中でも衛宮は平気な顔でイマイチな発音の英語で注文を伝えていた。こいつの強みはこの物怖じしない堂々としたところだ。悪く言えば『誰も命までとらねーよ』という開き直りにも近いものがある。だけどそれが海外では『合う』んだろう。

 

『慎二はどれにする?』

 

 衛宮はメニューを指さしていた。ええ? 魚の種類から選べるのかい? その下には『Crumbed/Battered/Grilled』……。

 

『衛宮、あの下のクラムドとかって何だ?』

『ああ。クラムドはパン粉を使った生地。つまりアジフライやコロッケみたいな生地だよ。バタードはのっぺりした小麦粉の生地。こっちの方が『らしい』な。その次のグリルドはわかるだろ? 単なる焼き魚さ。これを持ち帰って、ご飯を炊いても良いかもな』

 

 幾ら僕が洋食好きでも、そんなおかずだけだと物足りないよ。揚げてあるから良いんじゃないか。結局僕達は『らしいから』って事でバラマンディをバタードで注文した。次の選択はチップス(ポテト)のサイズ(量)だった。ちなみにチップスが複数形なのは、何本も入っているからだ。以上にドリンクを頼んでオーダー完了。値段は結構良い値がした。

 皿に盛られたフィッシュ&チップスとドリンクを受け取って適当な席に座った。回転が早い。皿にはタルタルソースのカップとカットレモンが添えられていた。あと、頼めばスクラップスという『天かす』も付けて貰えるそうだ。どんだけ油が欲しいんだよ? フライはデカいし、ポテトも思った以上に太い。これは食べ方を考えないと太るぞ。

 味はと言えば、ちょっと酸味の強いタルタルソースは、フライのくどさを和らげる気がして良い感じだ。衣がカリッサクッとするは良いな。それにこの歯応え。バラマンディは正解だったね。いや、こんなファストフードでお腹がここまで満たされるなんてね。

 と、こんな風に衛宮は結構イケるお店を自分の足で開拓していた。これはどうせ食材はアデレードのものばかりだし、持ち込んだ味噌なんかも何時かは切れる。だから自分の料理に活かせるところがあるかどうかを色々試して探っているのだ。それとフィッシュ&チップスはやっぱりシンプルな料理なだけに、かなり店を選ぶらしい。

 またオーストラリアも移民国家だから、芯となる感性も味覚もてんでバラバラだ。だから他人の『ウマい』という声はあまり宛てにならないのだった。まぁ僕達日本人も大概変わっているからね。だからそういう『人と人の違い』を学んでおけというのがアーチャーからのアドヴァイスだったんだ。

 これは英語学校で聞いた話だけれど、フィッシュ&チップスやミートパイといった英国発祥の料理は北半球だとカナダが割りとイケて、南半球だとやっぱりオーストラリアが1番なんだそうだ。そしてオージーはキウイ野郎ども(鳥の名でニュージーランドの事。キューイ・フルーツじゃないけれど、語源はこの鳥かららしい)の味覚はおかしいと言う。

 何でもあちらでのフィッシュ&チップス店には、サイドメニューにアメリカンドッグやパイナップルの輪切りのフライなんてものがあり、何でもかんでもにケチャップやマスタードを掛け、更にそれを食パンに挟んで食べる人が結構いるらしい。(チップスサンドはニュージーランド人には定番だそうで、炭水化物を炭水化物で挟むのか? と疑問が湧くね。それこそ日本人が言うなという話だけれど……)。

 それと街に慣れてくるとミートパイもどこでも売っている事に気付けた。バンで移動販売もされているんだ。この人達、どれだけ好きなんだって思ったら、中身が挽き肉でなく細切れの肉になっていたりと色々工夫があるようだ。以前ハイディがカンガルーとラムの合い挽き肉で作ってくれたけれど、それはオーストラリア人が豚肉や鶏肉を余り食べないかららしい。

 と言うか、生産と流通の関係だろうね。この国は牛肉がやたら安いんだ。その次に羊肉とカンガルーだ。魚介類もカキとかいかにもなのを選ばなければ結構安い部類だろう。だから鶏肉料理は結構高級料理の部類に入るんだ。驚きだね? そんなだから割高なお米(オーストラリア産コシヒカリや玄米もある)を買わず、マッシュポテトやサラダで工夫するのが正解なんだ。

 だから衛宮は玄米と白米を混ぜて少しだけ炊き、後はおかずとスープでカバーという方向に頭を切り替えていた。僕もその方が嬉しいしね。あ、それとあいつ、イリヤやハイディに、カキフライやエビフライ、イカフライをフィッシュ&チップスと一緒に振る舞ったりしていたよ。

 オージーにイカフライって大丈夫なのか? て思うかも知れなけれど、彼女達は平気だ。ギリシア料理だった筈のカラマリ(香辛料やハーブが効いたイカフライ)が普通に食べられていて、こちらではソルト&ペッパー・カラマリという名で存在する割りとどこのレストランにもある定番メニューだ。

 まぁソルト&ペッパーというだけあってギリシアのカラマリよりシンプルだから、人に拠っては物足りないかも知れないけれど。だからこそ衛宮はイカをカラマリのようなリングに切らず、皮を剥いて、さいの目に隠し包丁を入れた板状にして揚げていた(中華のイカフライのような切り方)。

 なおゲソは僕と衛宮とハイディだけだ。いや、イリヤに意地悪しているんじゃないよ? ゲソは食べられる人と食べられない人が居てね。ドイツ育ちのイリヤは無理だったんだ。それだけさ。それと西洋人はイカだけでなくタコも駄目という人が多いけれど、たこ焼きなら大丈夫という人は結構いる。衛宮がバイト先から持ち帰ったたこ焼きなら、イリヤも平気で食べていたからね。それも足だぞ? (英語ではアーム)

 

 

 やがて9月・10月の春が来て、庭のプールを掃除して11月から入っていた。そして12月のクリスマスはイベントがあったからビーチで迎えた。気温30度オーバーの中でのサンタクロースは仕事をボイコットしても許されると思う。何よりこんな暑い季節にソリを牽かされるトナカイって虐待じゃないのか? クジラを喰うより残酷だ。

 なんてメールを桜に送ったら、『良いなぁ、こっちは寒いです』と返事が来た。『なら遠坂と一緒に来いよ。空港まで迎えに行ってやるからさ。ただし夏休みは避けろよ? その頃のオーストラリアは真冬だぞ?』と冗談半分で返してやった。そしたら本当に遠坂と春休みに来やがった。

 

「こんなシーズンに呼び出して! 飛行機代、めっちゃ高かったのよ?!」

 

 空港で怒鳴るなよ。そもそも桜へのメールの意味は『来たいなら来れば?』だ。来たら来たで受け入れはするけどさ、絶対に来いとは書いていなかったぞ? ちなみにこの頃は僕も衛宮もオーストラリアの運転免許を取っていた。だからハイディ達はベンツェSLで、僕達は借りたハイラックスだった。

 遠坂が、イリヤが運転するベンツェに度肝を抜かれていた。けど、甘いぞ? ハイディ達はお前んちや僕んちより遥かに上の大金持ちだ。それにハイディは農場の中の移動にバイクを使っているし(主にスズキの『DR200SE Trojan』で揃えている)、農作業用のトラクターも操縦できた。なので暖かくなってからハイディはイリヤと二人乗りしてバイクで来る事もあったし、それで大学に向かう事もあったんだ。

 

 ところでほとんどの人がオーストラリアのクルマ事情なんて知らないと思うし、バイク事情なんてもっと知らないだろう。まずクルマは地元だとGM傘下のホールデンというブランドが頑張っていているけれど、アメリカ資本はそこだけで後は欧州と日本のメーカーがほとんど。それと僅かにアジアンかな。まぁ、壊れにくいからって日本車に乗っている人が多い気がする。

 それが乗用車の場合。だけどアメリカにも似た牧畜や農業の国家でもあるから、しっかりピックアップトラックの文化もあってね。なのでホールデンのユート(コモドアというタクシーにも使われるセダンの後ろをぶった切った、背の低いピックアップトラック)に憧れている人が街中には多いように感じるな(ユートはいすゞや三菱も出しているね)。

 だけど乗用車みたいなユートはサーフィンみたいな遊びには良いけれど、例え四駆モデルを選んでも、牧場や農場では今一つ使えない。だからハイディは四駆で車高の高いハイラックスを選んでいるんだね。実際、農場を営んでいる人やアウトバックに行く必要がある人は、皆んなそういうのを選んでいるみたいだ。

 ああ、街中ではハイエースも良く見掛けるね。あれってここオーストラリアじゃ高級車なんだ。それに持っているだけでステータスになる。やっぱり壊れ難くて、長持ちして、何でも積めて燃費もまぁまぁと実用性が超高いからねぇ。日本ほどミニバンやパネルバンは見ない国だけど、ハイエースは別格だね。

 それとバイクだけど。僕は原付きのスクーターも小型のスクーターも見た事がない。輸入されていないのかな? 小型のバイクならたまに見掛けるけれど、それも決まってオフロードバイクだ。大きな普通のバイクとなると、ハーレーでなく日本のバイクが多いね。昔、マッドマックスって映画あったでしょう? あの感じのままなんだ。バイク見た目が今どきのに変わっただけで。

 そんなだから郊外の幹線道路に出て隣の州まで行こうとすれば、スリルを越えた恐怖を味わえるだろうね。だって映画の時代と違って、今は貨物を満載した5連結や6連結のトレイン・トラックがバンバンと国道を飛ばしているからね。その総質量って何100トンあるだろう? そんなのに掠るだけでバイクの人間は軽く死ねるよ。いやすれ違うだけで怖いな。

 だって、高速道路でもない限り下道は対向二車線なんだよ? だからすれ違っただけでこちらのクルマのハンドルが右にグイッと引っ張られるんだ。何度も言うけど、これ、本当に怖いよ~。ライン1本の真横を列車が通るようなものだからねぇ。ならバイクはって、もう言わなくてもわかるでしょう?

 とは言ってもさ、郊外のフラットダートに行けば500cc以上のオフロード・バイクが休日になれば走り回っているんだ。草レースも盛んだし。それこそハーレーでも何でも走っているよ。そうなんだよね。大抵の人は自分ちや親戚んちの農作業をシーズンになれば手伝うといった経験をしているから、オフロードバイクに慣れ親しんでいるんだ。

 ハイディもそのクチで、彼女も幼稚園頃から乗っていたらしい。だからオフロードバイクが上手いんだよね。まぁ、彼女はオンロードの普通のバイクも上手いけどね。この頃は真っ赤なカワサキのZ750(水冷Zはオーストラリアでも売られていて、ヤマハのフェーザーとともにそこそこ人気があったみたいだ)というのに乗っていて、春や秋はそれで大学にも通っていたよ。

 その前は、やっぱり赤いスズキのGSF600バンディッド(※)だったみたい。これはガレージに置いてあったからわかったんだけど、400じゃなく600のバンデッドなんてあったんだねぇ。しかもフレームが日本の400と同じなのに、エンジンだけが600ccらしい。ハイディは『欧州とオセアニアだけのモデルらしくて、意外と安かった』とか話していたよ。

 そして僕と衛宮は、身長150cm台の女の子と足の長さが変わらないという悲しい現実を思い知らされたんだ。ハイディもイリヤも足、長過ぎるだろう? 内蔵はどうなっているんだ? そんな事をフッと思うくらいだ。それとイリヤがハイディに感化されて、以前ハイディが乗っていた子供用のオフロードバイクで練習しているそうだよ。

 

※)2002年のK2モデル。『初めてのミドルサイズなのだから』と、カールさんの薦めで手に入れたものらしい。ただ当初、ハイディ自身は気軽に乗れる250ccクラスが良かったらしく、それに今までが農場でのオフロード単気筒ばっかりだったから600ccの四気筒は馴染むまで大変だったそうだ。

 そんな彼女が今は750ccの四気筒を軽々と乗りこなすんだから大概だ。なお最初がバンデッドだったのは、カールさんがご自分のバイクや農場のバイク、子供用オフロードをスズキで揃えていたからで、彼女自身はメーカーに拘りは無かったらしい。『ただ、強いて言うなら』と前置きして前期型の丸っこいフレームの方が好きだとは話していたけれど。

 僕がこの意味を理解したのは、シカゴに行ってバイクのムックを立ち読みしてからだ。彼女の600は油冷というエンジン冷却方式で、600の上に日本限定の750と、世界中のあちこちで販売されていた1200とがあったらしい。そしてどうやらその1200の前期型、つまりフレームの丸っこい方の車体バランスが極端でポンポンとウィリーしたらしい。

 さらにカールさんは一時その1200に乗っていて、子供だったハイディはそのバイクにかなり憧れていたらしいのだ。そしてその事をカールさんは知っていたから、彼女に600を薦めたらしかった。な~るほどだ。だけど彼女の600は2002年式で90年代のものとはフレームが違っていた。どう見ても彼女のバイクの方がスタイリッシュなのに、ハイディは昔の方が良いらしい。そういうものなのかな?

 そして聖杯戦争に赴く頃、彼女はバンディッドの1200でなくカワサキのZ750というバイクを自分で買い足した。これはハイディがスズキ以外にカワサキも好きだからだ。だから彼女の家の農場に務める人の農務用バイク(DR200SE Trojan)が皆んなスズキなのに、彼女のだけストックマンというカワサキ製なところからも明らかだった。

 ちなみに僕と衛宮はカールさんの口利きで、この『DR200SE Trojan』の中古を折半で買って、箱を取り付けて買い出し用にしていた。荷台が大きいから箱は安定しているし、ライトガードの上にも荷物が括り付けられるからかなり便利だった。ただ、2年ほど乗れれば良いやと安いのを買ったから、サビもあったし、シートを張り替える必要があった。

 まぁ、そんなのは的の張替えと似たようなもんだろと衛宮にやらせたけれど。すると衛宮はビニールでなく羊革を張りやがった。余談だけどこの羊革。オーストラリアではバイクやクルマのシートに使っている人が結構多いのだ。手に入れやすいからだろうね。ネジやライトガードのサビもいつの間にか綺麗になっているし。衛宮のこういうマメさは本当に感心するね。

 

 

 では国内旅行の時はどうするんだ? やっぱりクルマやバイク? ってなると思うけど、ここアデレードからは北はダーウィン、西はバース、東はブロークン・ヒルかメルボルン経由でシドニーを通って北に向かい、ダウンズヴィルやキュランダといったほどんど赤道直下まで行ける列車があるんだよね(北オーストラリアは真夏だと日中40℃越えがザラだそう)。

 街に拠れば、もっと細かな間隔で駅が存在するローカル鉄道もあるしね。だけど全体的にマイカーか、バスや飛行機で移動する人の方が多い印象かな? キャンプ場やユースホステルもあちこちにあって、仕事をリタイアした老夫婦がキャンピングカーでよく走っているよ。

 

 

 まぁ、そんなこんなで空港から僕達は『べんきょういえ』でなくハイディの家に向かった。これは僕達が借りている『べんきょういえ』には僕達というオスしか現在生息していないからだ。桜や遠坂が後10人くらい来ても余裕で泊まれる広さがあるのにね? 何とも贅沢な話さ。山を越え農場の中の道路を走って行く僕達。

 

「慎二、あんた達こんな田舎に住んでいるの?」

 

 失礼だぞ、遠坂。

 

「周り全部、ぶどう畑?」

「ワインのな。桜、この道から見える先の農場全部がハイディやイリヤの養父が持つ畑なんだ。ご両親はオーストラリアでも随一のワインナリーだぜ」

 

 やがて家に着いた。大きな家に驚いている遠坂達はそのままに、僕と衛宮は荷物を運び出し、家に運び込んだ。後の事は取り敢えずイリヤとハイディに頼み、ベンツェとハイラックスをガレージに片付けてから家に入ったんだ。すると食事の用意が既に整っていた。飛行機の到着時間がそういう時刻だったんだ。

 ダイニングテーブルに女の子達とカールさん達が揃っていた。ご挨拶も終わったらしい。なので僕達も席についた。メインディシュは骨付きのヴィールシャンク(仔牛のスネ肉の煮物。ヴィールが仔牛、シャンクがスネだ)だった。仔牛の料理はヨーロッパが本場だから、このオーストラリア料理はイリヤの好物だった(※)。

 しかもセラさんがレシピをアレンジしていて、南ドイツ風に味付けている。それをカールさんご夫妻やハイディも気に入っていて、このオージー・アインツベルン家では時々出てくる定番となっていた。ホロホロと崩れる肉はナイフ要らずだ。まぁ、一言で言って絶品だよ。

 

※)イリヤの好みにもう一つシュニッツェルというオーストリアとドイツの名物料理がある。日本人から見れば肉の薄いカツレツなんだけど、これがトンカツみたいになみなみとしたラードで揚げるんじゃなく、フライパンに少量の油を注いで焼くように揚げる料理なんだね(油が少ないから、ところどころ衣がきつね色を通り越して茶色くなる。だからこの方法を揚げ焼きという)。

 そしてここオーストラリアではチキンシュニッチェル(発音なのかそう聞こえる)と言って、鶏胸肉のシュニッツェルがあった。やっぱり作り方は揚げ焼きだ。衛宮は甘酢ソースを作って、自家製タルタルソースと別添えにしていた。要はチキン南蛮のタレとタルタルを添えたものだ。カラトリーはフォークとナイフだから自分の好みで浸して食べろって事だ。こうすると衣のサックリ感を楽しめるって訳だね。ハイディやセラさんに随分と褒められていたよ。

 

 このスネ肉の煮込み料理はオーストラリアらしく、仔牛だけでなくラムでも良く食べられいる。きっとその昔は、食肉を出荷した後の余った部位が脚だったんだろうねぇ。それはともかくイタリアンのオッソブーコや、ドイツのアイスバインより美味しいとイリヤは言う。まぁアイスバインはブタだけれど、彼女がそこまで言うのはそれだけ美味しいからだ。

 

 

 

 そうして楽しかった日々も、季節が巡り終わりの時を迎えた。エルヴァとアントニーから、倫敦からアメリカに戻ると連絡があったんだ。いよいよ僕達が語学留学を終える日がやって来た。サヨナラ・パーティの時はイリヤにはわんわん泣かれ、彼女に連れてハイディまで泣くから、僕も衛宮も大いに困ったものだ。

 十代の最後と二十代の最初をともに過ごした女の子達だ。聖杯戦争の事を除いても思い出は本当に多い。カールさんやアーブルーさんご両親からも『もっと居なよ』と引き止められたしね。それにハイディはイリヤとは違う意味で衛宮を『弟』と思っていたようだから、きっと暫く落ち込むだろうとわかっていた。だから空港から旅立つ時は僕も少し泣いたよ。

 そしてこの語学留学期間中で、衛宮の心の病は相当良くなった。ハイディが魔術で何かした可能性も否めないけど、とにかく学園時代にあった『ヤバさ』が、かなり大幅に鳴りを潜めたんだ。むしろアデレードでは、社交家でもないのに僕よりも周囲に馴染んでいたくらいだ。なので今なら、日課の運動を終えて、下の階の掃除やら何やらを手伝っているだけだと安心していられる。

 僕も軽く(部屋に備え付けられている)シャワーを浴びて、着替えて洗濯物を抱えて下に降りた。リビングに入ると、居たのはエルサさんと先生、それと二人の遠坂とルヴィアさんだけだった。

 

「おはようございます。あれ? 衛宮は?」

「衛宮君ならエルヴァ君と、アーチャー達から使い魔で頼まれた買い出しよ。昨日は飲み過ぎた?」

「す、少し……」

 

 僕は素直にそう先生に答えた。相手は魔法使いだからね。そこは気を使うよ。それに先生はゼスチャーで、エルマとヴンダーがまだ寝ている事を教えてくれ、僕にも『無理してキャンプ場に行かなくても良い』と言ってくれた。

 

「ランサーやランスロットと付き合っていたら、普通の人間はグロッキーになって当たり前よ。元々の体力が違うんだから。それでもピンピンしているエルヴァ君と衛宮君が異常なの。アントニー君とアストルフォもまだ眠っているようよ?」

「そうですか」

 

 エルヴァはさすがだな。けど、やっぱり衛宮も普段から身体を鍛えている分、スタミナがあるなと僕は思った。明日から凛さん達は先生との休みに入るからエルサさんが居るとは言え、僕達とエルマ達が留守番だ。正直、このぽっかり空いた暇な時間が嬉しかった。それは僕が精神的に弱っていたからだ。

 先程、階段を降りながら、楽しかったオーストラリアの日々を思い出していたのも、自分を勇気付けたかったからだ。その原因は『エルマに何も伝わっていないなぁ』という自覚があったからなんだ────。

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