※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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127、冬木の日々~シカゴの思い出②

「起きんか」

 

 ……ん?

 

「起きんか、エルマ。そろそろ昼じゃぞ?」

 

 あ。

 

「ゾウケンくん? おはよう」

「お早うではないわ。もう昼じゃぞ?」

 

 私は窓の光と枕元の時計を見て驚いた。

 

「ウソ?!」

「嘘ではないぞい。よう寝たのぅ。ま、ベルト作りで疲れておったのに、いきなりのバーベキューじゃったからな」

「あ~、あっちは?」

 

 そうだ。サイトは正午までに撤収しないと……。

 

「エルサの分身がランサー達を手伝いに行っとる。じゃから後片付けもとっくに終わっとろう」

 

 私はホッとしつつ、食事の準備を誰がしているのか気になった。だけどヴンダーも居るし、エルサさんにクロエさんも居る。なので私はパジャマを脱いでシャワーを浴びにバスルームへ行った。

 

「ぬぅ。脱ぎ散らかして行きおってからに……」

 

 と、ゾウケンくんの声が背中から聞こえた。ルビーと一緒に脱いだ服を拾ってカゴに入れてくれているのだろう。温かなシャワーを浴びながら、心の中で『お爺ちゃん』と『姉のような妹』にお礼をした。

 

 

 

「慎二……? って、寝てるのか、こいつ……?」

 

 アーチャーさん達との買い物を済ませた俺とエルヴァが家に戻ると、居間の隅にあった椅子で慎二が眠っていたんだ。視線を感じたんで振り向けば先生が目で『眠らせてあげなさい』と言っていた。

 

「恋しい人を思って寝不足なんだよ」

 

 アントニーやエルヴァに遠慮してか、アストルフォが日本語で教えてくれた。俺はそれで納得した。アストルフォは英霊だ何だと言う前に、『昔の人なのに超先進的』でロス界隈でも『LGB(レズ・ゲイ・バイセクシャル)』な人達やトランスジェンダーな人とすぐに仲良くなっていたらしい(LGBTとTが付く前からだったとか)。

 それがシカゴに来てもそうだった。要は『寛容』で『他人の心の襞』を読み取るのが上手いんだな。アーチャーさんの受売りだけど、『あいつは日本語で言う『あって七癖』という感覚を知っている』から、『欧州で暮らすより今のアメリカ西海岸やシカゴなどの都市で暮らす方が向いている』のだそうだ。

 どうもその辺もあってテキサスからカリフォルニアに出て来たらしい。勿論、仕事の都合もあるだろうけど。ちなみに俺と慎二もシカゴに来たばかりの頃は数人の人達から『隠れゲイ』だと思われていた。その最大の原因は慎二がいつも俺の部屋でメシを喰ったり酒を飲んだりしていくからだ。

 だけどそれは、俺が料理を作るのが好きな事と、いつも料理に何かしらの工夫を試しているから、慎二からの歯に衣を着せない感想を聞きたいからというのが大きかった。それに慎二は元が坊っちゃんだから、良いものを食べ慣れていて味覚が鋭いんだ。また頭が良いから、『こういう味付けが◯◯には合う』なんて分析もできる。しかも食材費は慎二の方が多く持ってくれている場合が多いくらいだった。

 だから俺としてもアデレード時代からの役割分担みたいなものという感覚だったんだ。要は慎二、本業の仕事以外の金儲けが上手かった。投資やら、ちょっとした仲介やら、何かしらの副業をいつも持っていた。それを俺にも回してくれたりするから、実はこっちとしても大いに助かっていた。つまり食事の用意はそのお礼もあったんだよ。

 その『場』での流行りとかを見るのが上手いから、シカゴでもアーチャーさんの許可を得て、本来のアメリカらしい家庭料理をメニューに取り入れたり、デリバリー・ビジネスを展開したりと手広くやっていた。だからアーチャーさんのお店も慎二のお陰で売上が伸びていたんだ。要するに俺達に給料を払える分をアーチャーさんはゆうに稼げていたって事だ。

 まぁ、その前にアーチャーさんが自分のデリカッセン&レストランでので売上以上に、裏仕事で稼いで来るんだが。それとあの人の顔の広さは尋常じゃない。どこそこのビルの何階に◯◯婆さんが住んでいるとか、近隣の人達の事をほとんど把握してるし、アンダーカバー(銃を隠し持つ事)バレバレな本物のギャングとごく自然に立ち話をしていたりする。

 聖杯戦争中は気付かなかったけれど、既に俺はアデレードでハイディやイリヤ達からアーチャーさんの正体を聞かされていた。『なんで気付かないの?』と慎二にまで呆れられたけど。だけど今も不思議だ。何をどうしたら『英霊』になんてなってしまったのだろう、と。

 

『フン……。アデレードは正解だったか』

『はい。あっちにはイリヤもハイディも居ますが、アインツベルン総裁の息子さんが健在ですから』

『なるほどな。その人の教えか』

 

 そんな言葉が厨房裏から聞こえた時もあったけれど、まぁ、俺は俺だし、俺以上には動けないしできない。根性論も良いけど、そこまで子供じゃないしな。だからこそスーツを着ない時の俺は、普通で良いんだと思っている。あれは使い所を誤っちゃいけない反則級の秘密兵器だ。だろう?

 

 

 

 シカゴの空気に慣れた頃、新年を迎えた翌月の事だ。アーチャーさんは俺と慎二に、あるチケットを手渡してくれた。

 

「アデレードでも乗っていたのだろう? 客から貰った。行ってこい」

 

 それは2007年から国際自動車工業連合会認定となった『Chicago Auto Show』の入場チケットだった。場所はマコーミックプレイス。204600平方メートルもある広大な会場だ。期間は2月9日から18日まで。時間は毎朝10時から夜の10時までで、最終日だけ夜8時までとなり、チケットは通常大人1枚10ドルと格安な全米随一のオートショーだった。

 その頃の俺と慎二は、いつか再びオーストラリアで暮らしたいと思っていたので、その時のビジネス展開も漠然と考えていた。それが輸入車のカスタムパーツ販売だった。飲食業は『そういうのはな、アイデアと開店資金だけ出して、今の僕達みたいな若いのに任せるんだよ』と慎二に言われた。

 

『齢を食ったら、趣味で食べて行ける分だけ稼げれば良いのさ。僕達にとってのカールさんやアーチャーみたいに、後進に働く場所を提供できないと』

 

 いつかカールさんは俺に、

 

『そのままじゃ、先を考えていない薄っぺらく空回りな正義で人生を過ごす事になる。同じ悩むなら明日を見据えて、もっとできる事はないかと考えたいし、悩みたいだろう? どのみち誰だって人生では悩むものなんだ。だからこそ、今の自分がどこまでできるのか、10年後の自分は何ができるのかを考えなきゃならないんだ。

 そうして自分にできる事を増やし、仲間を増やしていくんだよ。シロウ、自分ひとりでできる事なんてタカが知れている。君がサボらずコツコツと頑張れるタイプなのも理解している。だけど先ずは自分自身の目に届く範囲、手の届く範囲からだ。リビング、トイレット、バスルーム……どこからだって良い。コツコツと動けば少しずつ家の中は綺麗になる。

 だけれど、隣の家の事まで心配するにはまだ君は若く物知らず過ぎる。とんでもない経験をしたからと、そればかりに囚われても楽しくないだろう? それに隣の家の人も、ご近所さんも皆んなそれぞれの人生があって夢がある。その夢を守るのは君じゃない。彼ら自身だ。だってその夢は彼らのものだからね。だから、君はご近所さんとしてそっと手助けしてあげるだけで良いんだよ』

 

『気負い過ぎ』だと指摘された。それが俺の『心の病』だったんだ。慎二の言葉、カールさんの言葉……俺はとことん狭かったんだ。

 

 

 マコーミックプレイスはハイウェイの出口に近いシカゴの中心街、ミシガン湖の真ん前にある。チケットが指定する日に俺達はオフを貰ってショーに乗り込んだ。このショーは単なる新車の展示会じゃない。バイクもあればカスタムカーもあるし、パレードなんかの催し物もたくさんある、とても規模の大きなものだった。

 俺達はクルマをザッっと見たら、即座にトラックの会場とバイクの会場に移動した。トラックは今後のためだ。オーストラリアでは、大手の運送会社こそアメリカのトラックを使っているが、個人所有の4WDトラックは三菱キャンターなんかが数多く走っていた。荷台を改造してキャンプ用なんかに改造している訳だ。

 そしてこの改造は後何10年経っても失くならないだろう。だからそういうトラックの改造パーツを売って行く事で、齢を取った後のビジネスにしようというのが慎二の考えだった。先に手を付けてくれると嬉しいので、この事はカールさんやハイディ達にも打ち明けていた。

 また慎二は俺が必要に駆られて欲しいといったバイクも、二つ返事で『半額出そう』と言ってくれ、交代で買い出しやバイトにとあちこちを走っていた。そんな留学二年目で、慎二は知らない間に一人でメルボルンにも走っていた。やがてハイディからバンディッドを借り出して、今度は二人乗りでシドニーまで走ったりもした。

『よく借りられたな』と思っていたから、『二人の間に何かあったか?』と考えもしたけれど、それは俺の杞憂だったようで、二人の間に特別な空気は無かった。イリヤにはクスクスと笑われたけれど。ともかくそんなこんなで俺達はシカゴでも『小用を頼まれて欲しい。乗れるか?』って事で、アーチャーさんから中古の『TW』を与えられた。

 何故オフ車? 岡持ちは? そうしたら翌週に、お手製の荷台とワンタッチで取り外せるカゴが『TW』に取り付けてあった。投影品だって言うから本気で驚いた。太いロードタイヤを履いた『TW』で料理をデリバリーするのは、主に慎二だった。だから俺よりも慎二の方が乗るのが上手くなった。

 そして慎二はシカゴに来て3年目の今年早々、貯めたお金で青い中古のカワサキ『Z750S』を買っていた。2005年に発売され、2006モデルで消えた『Z750』のツーリング・モデルだ。俺は『ん? ハイディと一緒のバイク?』と訝しんだけど、『乗りやすいし、性能が良いんだよ』と軽く躱された。本当に彼女とは何もなかったのか?

 とは言えこのバイク、ハイディのバイクと違ってメーターが二連(タコとスピードがアナログ風の別体で見やすい)だった。また座席が前後繋がっているので、まだ旅の荷物が乗りそうに思えた。まぁ、結局スポーツバイクは自分以外の人を一人乗せるのが限界で、荷物を運ぶものじゃない。

 そうなると日本以外では見ないけど、ホンダのジャイロみたいなのが一番良いと俺には思えた。だってこっちのスーパーは最低なんだ。店員がガムを噛みながらレジを打っているとか、愛想がないのもまだ許せる。だけど客が最低だ。パッケージを剥いて試食するわ、何が嫌なのかすぐに返品するんだ。

 最悪なのは果物コーナーだ。まだ熟していないのや、齧りかけのリンゴが陳列カゴの上に乗っかっているんだぞ? それって試食なのか? アーチャーさんに言わせると、『価格が安い=客の質も悪い』なのだそうだ。だからスーパーのはしごは当然なのだとか。

 慎二に言わせると、

 

『ヨーロッパで爪弾きにあった、暴力と力仕事以外できない低脳が造った国だからね。攫(さら)われたり、拐(かど)わかされ奴隷船に詰め込まれた黒人の子孫や、ネイティブの人には立派な人も多いけど、代々白人だっていうだけで偉そうな、WASP気取りのヤツなんて馬鹿ばっかりだろ? 勿論、白人にも良い人は居るさ。それに今の時代の移民なんて中南米からの犯罪者ばかりだし。移民の方が良い人が多いなんて言うつもりもない。だけどやっぱりね……色々問題が多過ぎるよ、この国は。エルヴァやアントニーには悪いけど、あんまり好きな国じゃないな』

 

 って具合になる。そもそも自分達の儲けのために、色んな国に『戦争が起こるよう』に仕向けるのがアメリカだ。だけど、それでも『同じ人間じゃないか』『わかり合える時が来る』と考えてしまう俺は甘いのかな?

 

 俺の対応が悪くて慎二に火が着いたのか、その時は日本にも文句を言っていた。

 

『日常会話の文法がメチャクチャ。主語は飛ばすわ、『てにをは』を気分で替えるわ。こんなだと日本に興味を持ってくれた外国の人達に申し訳ないよ』

 

 高校時代の慎二からは絶対に聞けなかった、実に真っ当な文句だ。確かに俺達は話し言葉と、文字に起こして文章にした場合がかなり異なっている。ところが、色んなものを結構端折り気味なアメリカ人でも、文法は割りとしっかりしていたりするのだ。昔はグラマーなんてって思っていたから藤ねえによく叱られたが、一周回って『文法は大事だな』と思う今日このごろの俺だったりする。

 だから俺も慎二から日本語がおかしいと叱られたら素直に謝る事にしている。海外生活が長くなったから、たまにしか使わない日本語を、より大切に考えているんだと思う。あいつは本当に変わったよな。だからあの時のディナーには牛タン・ステーキをご馳走してやった。

 実は俺、オーストラリアではハイディんちのメイドさん達とできるだけ一緒に買い物に出ていたんだ。と言うのはあっちは卸売にも顔が利いて出入り自由だったからだ。ここは慎二も勘違いしていると思う。オージー・ビーフはそんなに安くない。良い部位はやっぱり高いんだ。それよりも魚はもっと高い。

 だから日にちと時間が合えば卸売に着いて行って、できる限り安く買っていたんだ。だから少し遠い卸売を回るためにバイクが必要だったんだ。狙いは少し小ぶりな魚やモツだ。西欧の人も豪州の人もモツは食べないんだよ。だから牛タン1本、日本円で300円くらいで手に入っていた。

 そして内蔵を食わないのはアメリカでも同じだから、アーチャーさんと卸売に行けばナマズやスズキ、サーモンにキタカワカマスなどが手に入る。ミシガン湖で漁れるんだ。高いけどな。ただ、モツだけはいつでも安く買えた。ホント、白人は食わないからな。だからアーチャーさんは俺にモツの処理の仕方やモツのレシピをたくさん教えてくれた。

 

『イタリアやフランスに行けばモツ料理も普通にある。安く手に入るのだから使わない手はない。私の店では少し甘辛のソース煮を出しているだろう? あれはどて煮をもとに考えたのだ。モツカレーに入れても良いしな』

 

 このモツカレーはカレーライスのライス抜きと考えれば良い。パンかライスかは客が自由に選べるんだ。それにこれってかなりお酒と合う。だから結構人気のメニューなんだよ。それは措いて、まぁ、野菜まで含めるとアデレードの方が安いし品揃えも良かったかな? 『食の街、グルメ都市・シカゴ』は間違いじゃないけど、毎日ピザとか食べてられないしな。

 だから色々とアーチャーさんの教えを請いながら工夫していたよ。牛のテールでダシを取って、良く洗ったモツを柔らかくなるまで煮込んで、モツ丼を作ったり、タン塩丼を作ったりとか。タンは下処理する前は『牛の舌』そのままだから、慎二の居ない間に処理しなきゃならない。だから結構キツいんだ(※)。でもあいつもさ、せっかく何でも食べられるようになったんだから、そこは頑張るよ。

 

※)皮を剥くのが大変だから、少し凍らせた状態でタンの表面を包丁で削ぐんだ。その後食べやすい大きさにトリミングしながら揃えるように切って行くんだ。網焼きなんてできないから全部フライパンで焼くだけなんだけどさ、ハーブを混ぜたバターで焼くと高級品に感じるから中々良いぞ。お薦めの焼き方だ。

 

 

 

 ショーを一通り見終わったその後、俺と慎二は真っ直ぐ寝床のアパートに戻った。5階建てで1階にアーチャーさんの店やその他の店舗が入っている。大家さんはエルヴァの親戚の人で、名前をアードリアン・アインツベルンと言った。カールさんの従弟にあたる人だ。そしてアーチャーさんとも懇意の人だった。

 アードリアンさんはシカゴの郊外に豪邸を持っていて、そこで何十人ものメイドさん(ホムンクルス)達と暮らしているカッコ良い人だ。スイスに居るらしいエルヴァやハイディ達の『お祖父様』はアインツベルンの総裁で、その人からの『指令』を直接受け取れる、アインツベルン本家のかなり偉い人らしい。

 言ってみればアメリカに於ける司令官みたいなもので、エルヴァ達やアーチャーさんにしかできない『仕事』を回してくれている人だ。俺と慎二も一応面識はあるが、『そういう仕事』は俺達には来ない。ま、今の俺達だとまだまだ見習いみたいなもんだしな。

 それだけに、そういう仕事を高校生頃には既に任されていたというハイディには驚かされる。あのエルヴァやアントニーでさえも、時計塔から戻るまで仕事の依頼は無かったって言うんだから。ただ英霊であるアストルフォには早くから仕事があったみたいだ。その時に総裁からエルヴァ達も直々にスカウトされたという。

『一族だから手伝え』じゃないんだ。才能があって『使える』と判断されないと駄目なんだ。そしてアードリアンさんやアーチャーさんがここまで話してくれたのも、俺と慎二が『転身スーツ』を持っているからだった。もしあれが無かったら、俺と慎二はここまで目を掛けて貰えなかっただろう。

 

『士郎、慎二。貴様らの思いの丈がどんなに熱かろうが、その強い正義感が真っ当で正しかろうが、現場で役に立たなければ意味はない。包丁が握れるからと誰しもが一流の料理人になれる訳では無いのだ。『努力をすれば』『その努力を惜しまず続けていれば』、そんな甘いものではない事は今の貴様らにもわかるだろう? だからこそ今は私の店を手伝いながら学べ。そこからだ』

 

 そのアーチャーさんの言葉は、俺と慎二がアードリアンさんと初めて会った時に話してくれたものだ。昔の俺なら何も考えずにカッとなっていただろう。けれどそれは見通しの甘い『子供の考え』なんだと今ならわかる。それにここが我慢のしどころだった。だって『総裁』のやっていることこそが、俺が目指すべき『本物の正義』だったからだ。

 アデレードでもカールさんに感じた、頭の良い慎二でも舌を巻く『世界情勢と国際社会を見据えた本物』。そんな人達と細くとも繋がりが持てた。それは俺にとって大きなものだった。アーチャーさんもエルヴァもそこを強調して何度も、俺にわかるように話してくれた。

 

『シロウ、親父を超えろ。現実を知ればわかるだろう? 一匹狼の親父には土台無理な夢だったんだ。本物の『正義の味方』になりたいなら、俺達と一緒に居ろ。決して一人で抱え込むな。迷ったらシンジだけでなく、オレ達にもメールを寄越せ。シロウが迷っているなら俺は地球の裏側からでも駆けつけるからな』

 

 これはアデレードに行っていた頃に、エルヴァからのメールに書かれてあった言葉だ。

 

 

 

 そんなエルヴァが午後からハイラックスでやって来た。このハイラックスのダブルキャビンは俺が冬木で預かっているものじゃない。エルヴァがカリフォルニアで新たに買ったものだ。これで来たという事は泊まり込みの仕事だろう。寝泊まりはアードリアンさんのところだが、シカゴに来た時はいつも義弟の俺に顔を見せてくれる心配性な兄貴がエルヴァだった。

 で、久し振りに逢ったから、お店の客がまばらになったら早上がりさせて貰って、部屋で近況報告がてらオートショーの事やら色々話していた。するとその内、話は冬木の事になり、桜の話になった。それで俺は姉である遠坂と一緒に、元気で暮らしているよと伝えた。するとエルヴァが随分と驚いた顔をするんだ。

 

『どうしたんだ、エルヴァ?』

『サクラは元気で何よりだ。だけどリンがフユキに居るだって?』

『そうだよ。言ってなかったか?』

『聞いていない。ってかオレもお前に話していなかった。リンは2006年の秋から時計塔の鉱石科だぞ? オレもアントニーも何度かリンと構内で逢っているんだ。シロウ、リンがサクラとずっと暮らしているって本当か?』

『本当だよ。その年の春の休暇を利用して、桜と二人でアデレードまで遊びに来てくれたんだぞ? それなのにどうして遠坂が? その後から行ったって事?』

 

 桜の事もあるし、時計塔と英国政府の関係も見えないしで、慎二は遠坂に散々釘を刺していた。だから結局遠坂は時計塔行きを断念して日本の大学を受けたんだ。なのに、どういう事だ?

 

『シロウ、手が空いてからで良いから、シンジにも声を掛けておいてくれ。お前とシンジが逢っていた方が本物……。つまり時計塔に行っている方が……』

『ニセモノって事?』

『多分な。カラクリは術者が操作する『人形』か、自由意志をもたせた『ホムンクルス』だろう』

 

 この意味は人形にせよ人造人間にせよ、裏にいる術者が自らの『制作物』に五大属性を扱える魔術回路を与え、鉱石科でトップを張れる腕を持たせた事だとエルヴァは言う。

 

『ヤバいな。爺さんの手の者なら良いが、そうじゃないヤツが時計塔内部の何かを調べようとして、リンの名を騙っているのか……? 想像する事が全部当て嵌まりそうで参るな……』

 

 だけど俺は何となくだが、時計塔や遠坂を調べたいんじゃなくて、エルヴァやアントニーを調べているんじゃないかって気がした。つまり聖杯戦争での事や、これまでの足跡や動きとか。それをエルヴァに話したら、

 

『オレとアントニーを追っているってか? シロウ、良い読みだ。その線はあり得るな』

 

 と、返してくれた。そんなタイミングで俺の携帯に慎二から電話が掛かってきた。iPhoneは昨年の1月に出ていたが、俺は評判を集めて調べた上で、第二世代か第三世代で買い替えようと考えていた。けれどガジェット好きな慎二は初代の16GBモデルを既に使っていた。便利そうだけど『余計に金を支払わされている感、タップリだ』とボヤいていた(※)。

 

※)国民すべての通話内容やメールにネット履歴を、アメリカの政府機関が監視している事をアーチャーさんはアードリアンさんから聞いたという。なので、お二人の緊急通話は魔術道具(礼装)を使っているとの事だった。

 

 それで慎二からの電話は下に降りてエルヴァと一緒に店に来いというものだった。どうやらアーチャーさんが食事を用意してくれたらしい。なので奥の部屋のTVはつけたまま、戸締まりをして部屋を出た。アパートと言ってもそれはアメリカ表現で、日本だと十分マンションだ。ただし、築何年だ? 世界恐慌のあった1930頃から建っていたって話もある。そしてここは幽霊ビルとしても有名だった。

 俺は冬木にいた頃、使っていない部屋の電灯は全部消していたし、藤ねえや桜が居なければテレビさえ点けなかった。それはアデレードの『べんきょういえ』でも同じだった。そんな俺が、ここシカゴではテレビを毎日つけっぱなしにしている。その理由は、テレビ前に置いたロッキングチェアに居座る爺さん(かつての養父ではない)がグズるからだ。

 そしてこの『爺さん』、言わずもがなの幽霊だ。テレビさえあれば俺にも慎二にも危害を加えない。こちらの生活に何も干渉して来ず、大人しい性格だった。しかも普通の人には姿も何も見えないから(慎二は聖杯戦争頃から幽霊などの超常現象が見えるそうだ)、急な来客でも全然問題なかった。

 だから俺、水道光熱費と退去時の清掃以外は家賃がまったくのタダだった。ちなみに隣の慎二の部屋は、家賃が月250ドルだった。言っておくがこれは超絶な格安だ。外見はボロいマンションでも、屋内はそこそこ綺麗だし、入居者の部屋も全部リフォームしてある。

 それにここいらがダウンタウンと言っても、中心街のマコーミックプレイス辺りまで、直線で7kmほどしか離れていない。だからスタジオ・タイプ(日本で言うLDKワンルーム)でも一部屋/月700ドルはする。夫婦や家族世帯向きな1ベッドルーム(1LDK)や2ベッドルーム(2LDK)なら、月1000~1500ドル以上は当たり前だから、他のマンションならどれだけ払う事になるかだいたい想像がつくだろう。

 それなのに1ベッドルームを、俺はタダで慎二は250ドル(この頃のレートで日本円換算して3万しない)で借りている訳だ。その理由は俺が幽霊と同居してからこのビルの霊現象がピタリと止んで、入居者が増えたからだ。確かに幽霊との同居は一部屋潰れるというデメリットもあるけど、でもそれは日中の事で、夜はロッキングチェアで朝まで寝てくれているから、俺は自分のベッドで何の問題もなく普通に眠れた。

 それとこの爺さんが結構強力な霊らしく(ヌシみたいな存在らしい)、この爺さんとアーチャーさんが居れば、おかしな幽霊はこのビルに入って来れないそうだ。なおこのマンションの地階倉庫の幾つかには、ヤク中で死んだ白人男性と、喧嘩に巻き込まれて死んだ黒人男性、流れ弾で死んだ白人女性の幽霊が押し込められているそうだ。

 またこのヤク中を倉庫に封印したのは爺さんとアーチャーさんで、黒人男性と白人女性の幽霊を『夜中の散歩は許すが、日中はここで寝ていてくれ』と倉庫に誘ったのがエルヴァだ。ジャンキーはオーバードーズで死んでもジャンキーなままだったから爺さんもおちおちテレビを見ていられないと、前々から怒っていたらしい。で、とうとう封印されたって訳だ。

 対する黒人男性と白人女性は至って大人しく常識人だ。それにこの世に未練があるのでなく、エルヴァが言うには『お迎え』が来るのを待っているような状態らしく、夜の散歩を許し、たまのお茶会(お店に来る)を開いてあげるのも『生きている者が、死者に見せてあげられる最期の優しさ』だからって事だった。

 

『シロウ。送ってくれる人も居ない人生って寂しいもんだぜ?』

 

 アーチャーさんの正体を俺は既に聞かされていた。それはこことは異なる、どこかの並行世界での昔話だ。『正義の味方』を目指した衛宮士郎は、聖杯戦争後遠坂から誘われた時計塔留学も蹴って、冬木を飛び出した。そしてあちこちで日銭を稼ぎながら『正義とは何か?』を探し求めたのだという。北米・南米・欧州と、地球を太陽の昇る方角へと旅したそうだ。

 そして途中でアラビア半島に行き着き、そこで『人前での魔術行使』という禁忌を犯してしまって、追われる者となってしまったそうだ。だから真っ直ぐに冬木へと逃亡した。だけど何とかたどり着いた冬木には誰も居なかった。アーチャーさんにとっての『藤ねえ』も『桜』も『慎二』も居なかったそうだ。

 その原因をアーチャーさんは話してくれなかったが、俺が思うに多分知り合いは全員死んでいる。だって世話になった知り合いが全員居ないんだ。ご近所だけでなく、警察に行ったりして調べた筈なんだ。それで俺には話せない結果がわかってしまったんだと思う。

 

『将来、◯◯になりたいと願い、努力する事は個人の自由だが────。士郎。お前は『ユメ』と『願い』の区別はつけろ。分不相応な『願い』を外に向かって絶対にするな』

 

 と、とても厳しい目で言われた。一般人が神社仏閣で『世界平和』を願うのと、仮にも一応魔術師と自覚し、回路が備わって居る者が、誰ともなしに願うのとでは意味が異なって来るのだとアーチャーさんは話してくれた。それにその願いの強さが、自分を捻じ曲げるほどの強さを伴い、妄想や妄執にまで行けば『終わる』だろうとの事だった。それはそうだろうなと、俺でも思った。

 

(この人は、そこまで行ってしまった『衛宮士郎』なんだ。だから本気で俺の事を心配してくれている)

 

 カッコ良いとかの前に、そういう感謝の気持ちが俺にはあった。

 

 

 

 俺とエルヴァはエレべーターじゃなく階段を降りた。それは俺の部屋が一番端で、非常用を兼ねた階段が近いのと、体力維持のためだった。朝は良いが、夜ともなればランニングも危険なシカゴ。慎二がアデレードを恋しがるのはそこもある。少しずつマシになっているが、やっぱりシカゴは危ない街だ。

 店の前にはアーチャーさんのホンダ・エレメントが停まっている。日本じゃ知らない人が多いと思うけど、こいつはアメリカ製で、その小振りなところと、使い勝っての良さで、都会を中心に結構人気のあるバン型のクルマだった。あ、それとどうした事か愛犬家にも人気がある。多分、内装の掃除が簡単なのとサイドが観音開き、リアが上下分割だからだ。

 だから食材の仕入れや買い出しの多いアーチャーさんも買ったのだと思う。とは言っても、ほとんどの食材は量が量なので卸業者からの配送だから、ちょこっとした買い物用だな。

 

『エルヴァのクルマは?』

『店の前じゃ邪魔になるからな。礼装付けて、マンションの裏手だ』

 

 盗難対策はバッチリって訳だ。さすがだな。ここがシカゴの下町だからなのか、子供が外で遊ぶ姿は絶対に見ない。マンションにも子供が居る世帯は入っているのにな。だけどそれはシカゴ以外のイリノイでも、テキサスでもカリフォルニアでも同じだとエルヴァは言う。やっぱり犯罪が多いんだ。銃社会なのも自警手段として浸透しているからだ。

 女性でも子供でも、拳銃なら軽く引き金引くだけで犯罪を犯そうとする相手を圧倒できる。体格差や体力差を消すから西部劇のような時代から銃は『イコライザー』と呼ばれていた。シカゴのあるイリノイ州もカリフォルニア州もブルーステート(民主党支持)だから、銃規制はかなり厳しい。

 日本に居た頃は『そんなの当たり前だろう』と思っていたが、アメリカより銃規制が厳しいオーストラリアが、そうなった理由は、1996年の4月28日にタスマニア州南部のポートアーサーという観光地で死者35人、負傷者15人にも及ぶ、たった一人の犯人に拠る乱射事件(あちらでは大量殺人事件という)が起きた事で、一気に規制強化へと議会が傾いたからだ。

 だけどそんなオーストラリアでもガンショップはあるし、ちゃんとしたライセンスを得たなら銃が買えたり所持できるし、決まった場所でスポーツとしての射撃が楽しめる。おそらく民主党もそういう『ルールある所持を目指している』のだと思っていた。

 

『違うぞ? そこが日本人の発想なんだ。銃規制とは自警手段を市民から奪う、犯罪助長の悪法なんだぞ? 自分がルールを守れるからって、相手がルールを守ってくれる保証なんてどこにもないんだ。ギャングやYAKUZA(本当にそう言った)が、それを守るという信頼はどこから来るんだ?』

 

 とエルヴァに指摘されて飛び上がるほど驚いた。アメリカでは家族以外は基本他人を信用しない。それが大層な肩書を持つ政府の機関であってもだ。だから小さな政府が成り立ち、民間の保険会社が成り立つ。年金も健康・医療保険も全部民間の中から自分で選べるし、掛かり付けの医者や病院も自分で選べるのだ。

 

『よくYAKUZAが街中で対立組織の事務所を撃ったとかニュースが飛び込むが、それはまだ理解できるんだ。けれど他人の店ん中で対立組織の者でなく一般人を撃ったとなったら話は別だ。テキサスでやってみろ。周りの客が全員銃を抜いてそいつを制圧する。つまり犯人を絶対に逃さないし、法で裁くよう持って行く『勇気』が皆んなにあるんだ。何故なら俺達も皆んな銃を持っているからだ。理想だけじゃ被害は防げない。犯罪を犯そうとするヤツが、鼻クソほど気にもとめない一般人が反撃して撃って来るという事が最大の抑止なんだよ』

 

『けどな』と、エルヴァは続ける。

 

『銃なんてものは撃たないで済むなら断然その方が良いし、そんなモノを持つ必要のない社会が理想なのもわかるよ。けどな……そこまで言ってしまうと、シロウ? 正義の味方なんて存在しない世の中が理想だとなってしまう。そうだな……レディ・ファーストでも良いし、転んだ子供を助け起こしたり、老人の荷物を持ってあげるってのでも良い。そういう『小さな親切』を皆んなが見失わずに持っている事。それが本当の意味での理想なんだろうな』

 

 これは良くわかる話だった。つまり俺は、人間としてでなく自分が『銃』や『剣』になって、人様の役に立ちたいと願っていたメカ(機械)でしかなかったのだ。これって『Fireman(消防士)』を目指して頑張ったのに、火災のない街になったら解雇され、『Fireman(クビになった男)』と呼ばれるようになったというブラックジョークよりキツい。

 

『無敵の防弾スーツを自分だけ着込んで、周囲の誰も法律で所持できない刀剣類を投影できるお前は、市民と警察の目を盗んで銃を隠し持つギャングと同じだ。お前の心ん中なんて関係ない。お前が危険の中から他人を救けても、剣やナイフを握っている姿を目撃されてしまえば、犯罪者同士の仲間割れにしか見えないんだ。そこ、わかってるか?』

 

『お前の心ん中なんて関係ない』……。エルヴァの言葉が頭の中で谺(こだま)した。そういう事がエルヴァとあったので、実は俺、慎二ほどアメリカを嫌ってない。オーストラリアでハイディから学び、エルヴァから教えられて気付いたというか。ここシカゴにも『良い人』は大勢いる。

 慎二は『ワルチング・マチルダ(国家ではないがオーストラリアを代表する愛唱歌)』は歌えても、『ゴッド・ブレス・アメリカ(こちらも今では、事実上アメリカ合衆国第二の国歌だ)』は歌えない。けど俺は歌詞をちゃんと覚えていた。これはたまに訪れてくれるエルヴァが、折りに触れスラングとともに教えてくれるからだ。オーストラリアの英語は基本キングス・イングリッシュで、アメリカほど崩れていない。

 けれどアメリカン・イングリッシュはスラングやミームが公用の立場をすぐに獲得するから、日本の学校で学んだ英語とは全然違っていたんだ。エルヴァはそこにテキサス・ローカルなスラングも混ぜてくるから酷いもんだ。言ってみればそれは大阪弁の中の河内弁みたいなもので、テレビで見掛けた漫才などの上方弁より馴染みのないものだった。

 遠坂が英国好きで、米国式英語を教える学園の英語教師と揉めたという噂が昔あった。今となったらその噂は本当だったんじゃないかと思う。そして意外と慎二とも遠坂が話せていたのは、二人の価値観の差が英国と豪州ほどの差しか無かったからじゃないかとさえ思う。

 

 

 

 もう道路に出していた看板はなく、ドアには『closed』と札が出ていた。そんなお店の中には。パートやアルバイトの人達の姿はなく、キールにパンナ、レナといった馴染みの従業員の顔触れだけがあった。確か三人ともホムンクルスで、レナだけが、エルヴァとアントニーの合作だそうだ。

 エルヴァにはその前にクロエというアシスタントが存在し、彼女もまたエルヴァが作った(鋳造というらしい)ホムンクルスだった。それってもう神様の領域じゃないのか? だけどエルヴァも並みの魔術師じゃないからな(本人は『Bottom』だとか『Left Behind』だとか言ってるが、俺からすれば一流も一流だろう)。

 そしてエルヴァは『キールとパンナの性能が高過ぎる』と話していた。だから俺も『誰が作ったんだ?』と、何気なく聞いたんだが、それは教えてくれなかった。多分、名前を出せない本家の人なんだろうけど。で、確かにその二人は才能がある。例えばキールはアーチャーさんのアシスタントとして、いつも厨房に入っていて、ハッキリ言って俺は彼女の下の更にアシスタントといった立場だった。

 そうなる理由は、この人、異様なまでに料理のセンスが高かったからだ。頭の中に入っていると思しきレシピも異様に幅広く、生半可じゃなかった。世界中の定番料理は大抵作れるのは間違いない。だからいつもアーチャーさんと店のメニューを考えている。ライスが余り気味な日に、賄いだと言って俺にカツ丼を作ってくれた時は心底驚いた。

 また小麦粉や野菜が余った時は、お客にパンケーキや洋風お好み焼きを振る舞ったりしていた。バーベキュー・ソースにテリヤキ・ソース(※1)をミックスした、ピーマンやブロッコリーなどを混ぜた関西タイプのお好み焼きだ。そしてその日の俺への賄いは小麦粉液が足りなくなったのか、広島タイプのような生地の少ない重ね焼きだった。

 甘くなりがちなソースに、醤油を少し足しているのもセンスが良い。こういう事が度々あって『今の俺じゃ、キールに勝てない』と素直に思った。何故なら、この人は自分でチャイナタウンにに出向いて(※2)、中華鍋や中華包丁を買ってくる人だからだ。

 

※1)アメリカ人にとってのテリヤキは俺達の知る照り焼きとはかなり違う。かなり甘いのだ。このテリヤキ・ソースの元となった味は販路を海外にも求めた大手醤油メーカーのキッコーマンが、アメリカ人にも醤油が受け入れられるよう考えた『肉(BBQ)の美味しい食べ方』という販促レシピにあったもので、それが1950年代だったという。

 それが日系人のレストランなどが取り入れる事で、10数年掛けてアメリカ中に広まったものだ。その日系人の経営するハンバーガーショップのテリヤキバーガーにインスパイアされて、新進気鋭のモスでテリヤキバーガーが出たのは結構知る人ぞ知る情報だ(1973年)。ちなみにフランスの有名シェフ達が、醤油の数滴が肉の旨味を引き立てる事に気付き始めたのもこの頃だ。

 だからマックは1980年代にフランス人シェフの協力を仰いで、独自のテリヤキバーガーを開発した。このようなテリヤキは、日本本来の照り焼きよりも甘く少々くどい。けれど女性や子供、アメリカ人にはウケた。それは味の輪郭がボヤけないように、モスは生姜や味噌を使い、マックは胡椒などを上手く組み合わせているからだ。

 そんな訳で本来はテリヤキ・ソース=バーベキュー・ソースなのに、今はまた違う、やはり醤油が使われたバーベキュー・ソースがアメリカに存在する。キールはそれをミックスし、スパイスか何かを混ぜた上で自分のソースを作っていたという事だ。

 

※2)そんなに大きくはないが、シカゴにもチャイナタウンはある。場所はマコーミック・プレイス前のドクター・マーチン・ルーサー・キング・ジュニア通りを(牧師の敬称はドクターだ)北上し道なりに西へ曲がって、1kmほど行った五差路の辺りだ。そこの裏通りに入ると華僑御用達の道具屋街があって料理の道具が色々手に入るのだ。

 それと俺達はシカゴの南部に住んでいるんだが、もっと北のアーリントンハイツという場所には日本人街もあって、キールはそこで行平鍋を手に入れたらしい。行った事がないんで道具屋街があるのかどうかは知らないけど、個人商店はあるようだ。

 

 こんな風にキールは料理に関しては労力を惜しまず何でもする。教わる事が多い、とても頼りになる先輩だった。ちなみに彼女の名前はチキンのあれや、カクテルの名前からでなく、船の竜骨からの命名らしい。そしてキールが言うには、お世話になるところで、屋台骨のような存在になれって事らしい。

 

『造物主の願いが籠もった名前だから、この名前は好きだよ』

 

 と、目をキラキラさせて言う。今回は留守番しているエルヴァのところのクロエも、エルヴァの事をこういう風に話していた。ホムンクルスにとっての鋳造者(造物主)は、雛が親鳥を思う気持ち以上の偏向性があるそうだ。それがどの程度で収まるのかも個人差があって、それこそ『鋳造してみないとわからない』ものらしい。

 決してエルヴァはクロエを含め、この店に勤める三人の事も『モノ扱い』しないけれど、どうも『鋳造』とか『高性能』とかそういう言葉の端々で『嗚呼』と思ってしまう。優秀だとかそういうもっと違った言い方はできないのかと思うんだけど、『彼女達の基本的なスキルは全部、鋳造者が植え付けたものだぞ?』とエルヴァに明かされ愕然とした。

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