※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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129、冬木の日々~とある三景

 店の清掃を終え、戸締まりをしてから私はガレージに向かった。士郎や慎二の事は信じているが、経営者としてのチェックは外せない。とは言え、シャッターを開けて一瞥するだけで解析は終わる。なので時間はそれほど要しない。シャッターを閉めた私はアードリアンが経営する階層型駐車場の、敷地内の隅に建てられた戸別(長屋式)ガレージを後にした。

 この辺りはアパートなどのビルが多く立つ住宅地だ。なので近隣住民のクルマ所有者は大抵指定された区域での路上駐車か、日本の駅前やショッピングモールにあるような階層型駐車場を借りている。もう少し土地にゆとりのある郊外に住んでいるのなら、私が借りているような長屋式ガレージを借りる事も可能なのだろうが、何分シカゴは土地がなく、おまけにどこであろうとミシガン湖寄りが一番高いと来ていた。

 なので私が借りているガレージと同じ敷地内に建つ、階層型駐車場の一区画を借りるのにも、結構な額を毎月支払わう覚悟が必要だ。しかもこんな人の多いダウンタウンだからこそなのか、空き待ちが半年から1年がザラなのだ。では路上駐車かというとそうは簡単にいかない。指定区域は限られているし、早い者勝ちとも言い切れんパワーバランスがある事は誰だって想像がつくだろう。

 そんな訳だから、商売上必要不可欠なクルマを買う際にも本当に迷った。店の建つ場所が大当たりだっただけに(霊も寄り付きやすいが、人も寄り付きやすい)。そんな折にアードリアンが、所有する階層型駐車場に洗車場や洗車機を導入する計画がある事を聞きつけた。そこで私は彼に、生前日本や放浪中の海外で見た駐車場の話し(要は並行世界とは言え少し未来の話だ)をした。

 そうして敷地の中に洗車場や階層式よりプレミアム感のある長屋式ガレージが出来た訳だ。なのにそこに私は自分のクルマを駐めず、最近チカラを入れているデリバリー用のバイクを置いている訳だ。哀れエレメントは店の前か裏手の通りでいつも雨晒しだ。もう一箇所駐車場を借りるべきか……。

 自宅に戻るとドアにキールからのメッセージカードが挟んであった。メッセージの内容はこうだ。

 

『ボス、今夕6時から撮影する予定です。お暇ならどうぞ』

 

 キールは仕事でも料理好きが隠しきれないところがある。なので個人の趣味も料理なのだが、もう一つ音楽鑑賞も重要な趣味のようだ。料理は自分なりのレシピと合わせて、事あるごとに料理の動画を撮影して動画サイトにアップしていた。金にはならんが(広告収入が再生数と連動して収益が得られるようになるのは2012年以降だ)、彼女は『面白くて、真似して作るとウマい料理をシェアしてくれる謎の女シェフ』として既に有名だった。

 それは欧米人が想像するぶっ飛んだ和食でなく、本格的な技法や味付けを活かしたものであったり、MSG(化学調味料)に頼らない、天然の『旨味』を活かした中華料理などだったりした。彼女はそのようなそれぞれの料理の『芯(要諦)』となるものを、アメリカ人にわかりやすく解き、アメリカ人のための和食やアメリカ人のための中華を毎回提示していた。

 そして言われた通りに作ったら『美味しかった』という感想コメントで溢れ、PCの処理が追いつかずモニターが重くなるほどの人気をこの僅か数年で誇っていた。彼女は私の弟子だと言ってはくれるが、それはどこまでが本当なのだろうか? 今や時々シカゴのループ内に出向いて、顔出しNGで雑誌や新聞のインタビューに応じているほどの人気者なのだ。

 もう一つの趣味、音楽鑑賞の方も本格的なもので、金と暇さえあれば『Adams/Wabash station』にまで出向き、『220 south michigan avenue chicago il 60604』に聳(そび)える『Symphony Center』へ生演奏を聴きに行っている。そこはアメリカ5大オーケストラの一つ、有名な『シカゴ交響楽団』の本拠地であった。

 生憎、私はこの手の事に疎いのでなんともはやなのだが、キールが一昨年前『やっと次の音楽監督が決まった』と喜んでいたのは憶えている。重要な事だったのだろう。イタリア人指揮者だから『オペラが楽しみだ』とも話していたからな。とは言え『iPhone』でクラシックばかり聴くという若い女性というのも珍しいのではないだろうか。

 ともあれ『エルマ』というサーヴァントと変わらぬ能力を持つホムンクルスを鋳造してのけた、並行世界の若きアインツベルン総裁は、『異なる答えを得た』からという理由だけで私を買ってくれ、キールのような天才を寄越してくれた。少々クセのある子だが、その鬼才・異才振りは疑うべくもない。

 何より仕事(特に料理)に熱心だし、私とは異なる角度から士郎を鍛えてくれている。『衛宮士郎』ならバカにして当然の『ジャンク・フード』の中にも美味い・不味いの優劣は明確にあり、いわゆるジャンクが時間効率と技術の平坦化を目指している点をきちんと話し、そこにこそアメリカ型商売を理解する上での緒(いとぐち)があるのだと納得させたところが大きい。

 つまり逆を言えばそこに留意しながらメスを入れれば、それなりの食べ応えあるものが作れるという新しい提案だ。ハンバーガーをジャンクとして切り捨てるのでなく、カラトリー無しでお手軽に食べられるメリットから認め、レシピや手順次第で100点満点は無理でも98点には迫れ、健康的に作れる事を証明してみせた事が大きい。

 それが本日皆んなに提供したあのバーガーなのだ。あの店は割合近所だったのだが、本当のところは誰もが知るあの大手の方はもっと近いところにある。だが、キールが以前『バーガーならこっちですよ、ボス』と教えてくれたのだ。士郎や慎二が来る前の開店当初の頃の話だ。遅ればせながら私はそれであの店の味を初めて知ったのだった。

 これらのような事がこれまでも様々あったので、キールとの仕事やディスカッションは刺激が大きく楽しい事ばかりだった。だから私は『今回は何を見せてくれるのか?』と期待に胸に急いでシャワーを浴び、着替えてから下の階への外付け階段に足を掛けたのだった。

 この階段は非常階段でもあるから3~4階(4~5階)の住民で使っているのは私と、反対側の士郎くらいなものでほとんどの人はエレベータを使っている。だから余り褒められた事ではないが、3階(4階)踊り場にプランターや植木鉢が置かれている。これらは全部キールのものだ。そして植わっているのはグリーンリーフやサニーレタスといった葉物レタスにネギやショウガといった薬味系、それと各種ハーブなどだった。

 レタスがプランターで育てられるとは知らなかったので最初は驚いたものだが、彼女の知識の量はさすがで、場所さえあれば大抵のものは育てられると言い切っていた(将来、ここシカゴで本ワサビの水耕栽培をしたいそうである。需要があるのか?)。そんな知識があるものだから、彼女はアードリアンのところで働くメイド達からの人気も高い。

 またエルヴァを通じての姉妹と言っても良い、セーラ(セラを参考にエルヴァが鋳造したメイド)が、何くれと妹分のレナを気にしているので、PCメールを通じて彼女とマメにやり取りしていたり、メイド達との個別相談にも乗ってあげていたりするようだ。だからその事でアードリアンからお礼を言われても、ノータッチな私は戸惑うばかりだあった。

 インターフォンを押すとすぐさま返事があり、ドアを開けてくれたのはやはりパンナだった。キールと並んで、この世界のアインツベルン総裁が鋳造したパンナも優秀だ。アードリアンを通じてアインツベルンにスタッフが欲しいと要望を出した時は漠然としたものだったが、ノイント老は『優秀なスタッフを付けてやろう』と言ってくれただけだった。

 だがパンナが私と初めて逢った時、彼女が携えていた『スペック表』はとんでもないものだった。家事全般・炊事全般、ナニーとしての能力、帳簿・簿記能力……どれもこれも一級品で、メイドどころか執事として名家で重宝されて当然のスペックを持ち合わせていたのだ。

 

『スタッフと言わず、秘書兼夜のナニに使ってやってくれ』

 

 問い合わせたら、そんな返答が返って来た。と同時に、

 

『年季奉公明けのようなものでな。鋳造してから5年目じゃ。そろそろ自由にしてやろうと思っておった。じゃから残りの人生は楽しく生きて欲しいとな。そう思ったんじゃよ』

 

 どうもアードリアンはこの事を知っていたらしい。彼の告白に拠ると、総裁のお眼鏡に叶う候補が何人か居たらしいが、『今後はアメリカ暮らし』という条件にも怖じけず、真っ先に手を上げてくれたのがパンナだったそうだ。なので彼女だけは実年齢が少し高い。5年奉公の後に開店から今までだから……10年は行かないと思うがそれに近い年齢だろう。

 推測になるがキールは開店20数日前から今日まで、レナもほぼ同じだろう。なので現在4歳くらいだ。一応、見た目の年齢はキールが20代前半で自称21歳だ。レナは見た目が少し若く20歳前後、自称19歳。パンナは20代半ばから後半、26~28歳くらいに見える。自称25歳はどういう心理からなのか理解できんが、サバを読んでいるのだろうか?

 香り立つような美人なので誰も年齢を聞こうとはせんし、彼女は固定ファンが多い。なので大人びた25歳でも通用するとは思うが、実は開店当初からこの三人、全然歳を経ていない。流石にどうだと思うのだが気付く客が居ないのはどういう事だろうか?

 ともあれ開店当初からのファンも居れば、大学生時代にファンとなり社会人になった今も通ってくれる客も居る。となると想像が付くと思うが、彼女が三人の中で一番チップを稼いでいる事となる。一応私は『チップは要らない』と言っているのだが、ファンが勝手に彼女に残していくから凄まじい現象だ。まぁ、その分プライベートは色々忙しいみたいだな。店と他のスタッフに迷惑が掛からんのなら詮索はせんが……。

 

 そうして中に入るとライトアップされた食材の前でキールが自分で書いた台本をブツブツと呟いていた。

 

『ボス、ようこそ。ではスタートしますね』

 

 そうしてパンナが三脚に据えたカメラの録画ボタンを押した。それと同時にサングラスをしたキールがカメラに向かって挨拶し、そこから本日の料理名とキーポイントを話し始め、次に用意した食材の話に移った。円形の蛍光灯のようなライトが室内と彼女を照らしている。

 背景は綺麗に磨き上げられたキッチンだ。銀色の冷蔵庫には本日の料理の名と材料が書かれたホワイトボードが掲げられ、誰にでもわかるようになっていた。そして彼女の芸の細かいところは1人前とは別に、2人前と3人前の食材量や調味料の量も同時に併記してあるところだった。こうすると誰しもが自分の家族人員に応じて量を加減できる。

 

『こちらのように胸肉は調理開始の前に室温に戻しておいて下さい。お肉や卵類を調理に掛かる前に室温に戻すのは鉄則です。これはどんな料理研究家も必ず言う筈ですから忘れないで下さい』

 

 そして彼女偉いところは必ず1人前で作るところだった。例えば本日の鶏胸肉なら開き方や切り分け方、筋肉繊維を断ち切る説明などから開始し、余った食材の保存方法も教えてくれるところだった。この間裏方としてパンナが規定の調味料を、容量を測りながら透明なカップに移し替えていた。

 本日の料理名は『鶏胸肉のソテー、マヨソースがけ』だった。これのミソは彼女が説明で話した卵を一つ常温に戻しておくところにある。要は卵を割って卵白と黄身に分け、しっかり溶いた卵白で胸肉をコーティング。そこに小麦粉をまぶしてから焼く事で肉汁を逃さない訳だ。

 卵黄の方は溶きながらマヨネーズを投入しソースにする。この時にレモン果汁やバジルの粉などのハーブをお好みで入れても良いだろう。キールは大人だけで楽しむのならマスタードやレッドホットペッパーを入れても良いと説明していた。これは使用するマヨネーズがアメリカのものだからだ。

 もし日本のキユーピー・マヨネーズが手に入るなら、マヨだけでも良いし、隠し味にソイソース少量と、練りカラシを少量使っても良いと話していた。私としてはそのソースの方が喜ばしいな。そしてこの料理は胸の筋を断ち切るように切っているのと、卵白のコーティングが功を奏して肉汁が逃げておらんから、パサつかずジューシーでとても柔らかい。

 火加減なども、どのくらいの大きさが中火、どの辺が弱火、どれがとろ火なのかを映像に残すのでとてもわかりやすい。しかも片面何火で何分と時間まで指定している。これらも胸肉を厚さ0.何インチに切れと明確に示しているからできる事だ。こんなわかりやすい映像がウケない訳がない。

 またパンナの撮り方が実にプロっぽい。使っているカメラこそ今どきの一眼レフに付いている動画機能なのだが、彼女はこれのAF機能を外しMF(マニュアルフォーカス)で撮影していた。こうすると被写体が少々動いてもフォーカスが迷わないから、視聴者が画面を見やすいし集中できるのだ。

 そして3~4灯はある補助ライト。これは光量を稼ぐ事で被写界深度を上げ、ピントをより鮮明にするためであろう。そして料理の出来上がりは、ダイニングの隅の専用コーナーで後方からのトップライトとレフ板だけでディティールを起こしている。つまりトップライト1灯だけなのだ。これは専門家の料理フォトと同じ撮影方法だ。どこから得た知識なのだ?

 確かに総裁であるノイント老はカメラが趣味だとは聞いていたし、並行世界の総裁である『彼女』も写真や動画撮影といった趣味があり、CM関連の専門家とも付き合いがあるとも聞いている。ついでに自社サーバーに編集済みの料理動画や旅動画、グルメ(食レポ)動画をアップして顧客に還元しているとも聞いていた。

 だからとは思うが、ホワイトバランスをカメラ内蔵マイコンに読み込ませるのでなく、カラーメーターで測りその色温度や補正値を手動で設定するパンナには呆れる。つまり本当に詳しいのはキールの方で、その操作方法を先持ってパンナに教えてあるのだ。こういうのをレナにも声を掛けて機会を与えてやって欲しいが……。萎縮すると読んでいそうではある。

 ちなみに店のメニューは、最初は自分で撮った写真で、2年前は慎二と士郎に撮らせたものだ。次回はこの二人に金を払ってでも頼もう。その時にレナや士郎に慎二を立ち会わせよう。私はキール達の料理のご相伴に預かりつつ、そんな風に計画を立てたのだった。ちなみに付け合せはイリノイ産のアスパラだった。

 イリノイ州はシカゴがあるので気付き難いが、郊外に出ると農場や牧場は多い。ウィスコンシン州に負けないくらいあるのではないか? なのでスーパーに行くと野菜のほとんどが新鮮なイリノイ産だ。私がシカゴで店を出したのはそこもあった。魚介類は内陸という土地柄と、客層を考えると商売上拘ってもデメリットしかないと半ば諦めていた。

 だから必然的にデリカッセンに出すメニューは肉中心になりかねない。この偏りを少しでも是正する事。これが元の世界へ帰る際にシロウから与えられた私の使命だったのだ。それだけに、私にとっての野菜は重要であった。彼は『アーチャー』という者に対して、特別偏向した感情を持っていなかった。どこまでもニュートラルだった。

 だからアマチュアなら知りようもない野菜の鮮度や見栄えの保ち方、変色の防ぎ方などプロならではの下拵えの仕方を私に惜しみなく教えてくれた。修行の期間は短かったが、彼の妻である『魔法使い』の助力もあって私にはとても濃厚な修行であった。

 

 

 

 

 

 先生から『夏季休業に入ったら二日ほど空けておいてくれ』と頼まれたのが梅雨の鬱陶しい頃だった。それは仕事も軌道に乗り、割りと計画的に休日を取れるようになった頃でもあった。なので私は気楽に先生へ、『日にちが近づいたら知らせて欲しい』と返事を返したのを憶えていた。

 そして8月のお盆休みに入ったある日、私は『倉庫件事務所として買った』、巫女の姉の隣の家のガレージで唸っていた。家の造りが最初から鉄筋コンクリートなのは、一番最初に建った角地三区画の家が姉の家だったからだ。ここの土地は元々遠坂も間桐も噛んでおらず、一般の地主が宅地可能な元畑を他市の業者に売ったものだったらしい。その時に建築業者は区画分譲での注文建築を想定していた。

 そして実際に販売が開始される少し前に、当時冬木に来たばかりの『エル』が角地を三区画分買って二区角を庭にし、残る一区画に今は巫女の姉さんが住まう鉄筋コンクリートの家を建てた。それも味気ないコンクリ剥き出しの家でなく、外装をモルタル塗りにし、そこに各所から集めた天然石や海外のタイル、絵皿など飛び飛びに埋め込み、一番角には左官屋さんに特別注文した星座や星のシンボルマークをコテ仕上げであしらって貰っていた。

 これはどういう事かというと、当初の『エル』は日本に定住などするつもりはなく、初等部卒業か中等部卒業を機にドイツへ帰る予定だったという事だ。つまりこの家は『エル』が両親や姉のために建てた家だったのだ。だから見た目は二階部分が小さく一階が広いというバランスの取れた良い家なのだけれど、地下階が庭に飛び出るくらい広く、その庭の端には外階段で降りられる採光用テラスがあるというかなり凝った家なのだった。

 凝ったという意味は、排水設備や汚水タンクが地下階の更に下にあるからで、地上階が既に半二階のように他所より高かったからだ。そして道路に面したところに掘り下げ式のガレージが備わっていたし、庭にクルマで入れるスロープまであった。だから巫女の姉は後日庭にエアストリームを入れられたのだし、汚水を流せる専用口を設けられたのだ。

 そしてこの家はこの分譲地が一般販売される前から設計と建築工事に入っていたので、この分譲地の『シンボル的家として広告に使いたい』という申し出を了承していた。だから隣の私の家も少し高くなっていて半地下のガレージには内部階段を使う必要があった。その分ガレージのシャッターは頑丈だったし地下室を作っていない分ガレージが広かった。

 だから港から卸先に直通で送る商品と違って、細々した商品の一時保管場所としてちょうど良かったのだ。トラックも大型は難しいが4トンが入る道路に面しているから(例のバス通りだ)、私としては実に都合が良かった。以前住んでいた人も私と似たような仕事をしていた方で(輸入雑貨卸し?)、もっと大きな港のある街に越されたそうだ。

 そういう意味で倉庫のような家だから、家の中の玄関を入ってすぐの部屋は事務所だし、ガレージの半分はイヴから送られてきた商品で溢れ返っている。かれど残る半分の空間は、私の趣味であるバイク置き場であり、バイク弄りのためのドナー・バイクが数台置かれてあった。

 

 今弄っているバイクは、1台が『SUZUKI GSF750(GR7EA)』だ。いわゆるモノサスのになった(水冷Zのような)ストリートスポーツの奔(はし)りで、欧州で人気が高まって定着したストリートファイターの奔りでもある。ペットネームは『Bandit』だ。その名は国内だと250ccや400ccで知られるが、国外では400ccや500cc並みのショートホイールベースを誇るのにハイパワーな1200ccと、扱いやすくクイックな600ccが知られている。

 この『GSF750』は純国内物だが年式は1996年と古く、輸出モデルの600ccや1200ccと同じく、90年代までの『GSX-R』の角型アルミ製ダブルクレードルを鋼管のパイプフレームに置き換えた、バイクに於ける『スポーツカー』が設計コンセプトだったと聞く。つまりプロやハイアマチュア向けレーサーだった『GSX-R』の公道版(民生版)だった訳だ。

 ここが実にややこしい。そんな90年代半ばのWGPは、まだ500ccの2ストロークで競われていた頃で、『ハイスピードツアラーZZR1100』が出たばかりで、メガスポーツもアルティメットスポーツも、ましてやストリートファイターというジャンルもなかった。だから輸出版はそこそこウケても、国内版の『GSF750』は全然受け入れられなかった。

 仕方なくメーカーは教習所(教習車)や警察(白バイ)などに、あの手この手で販路を求めたが、結局発売当初から生産中止まで不人気車のままだった。それはリッターバイクが解禁になった時期とほぼ一致するし、大型免許の教習所取得が可能となった時期とも一致する。

 そしてその不人気の要因は、長い間の大型免許隔離策が、中間排気量のメリットを国内消費者をして認めさせないほど眼を曇らせてしまっていたからだとも分析できた。だけど私的にこのバイクは中古市場での流通価格が安くて美味しい『隠れ名車』だった。正直売るつもりがなく、長く乗るならかなりお得なバイクだと思う。

 また、排気量ダウンと国内の馬力規制に伴い思ったよりパワーが少なくなったので、同年頃のじゃじゃ馬と名高い『GSF1200 Bandit』よりかは大人しく乗りやすいから、そこもメリットだと思う。伊達に教習車にはなっていないって事だ。だけど1200よりもほんの少しだけホイールベースが短いから、じゃじゃ馬の片鱗は味わえる。

 また、不思議な事に『GSX-R』よりも、この頃のバイクとしてはハンドリングが良いように感じる。これはバイクのジオメトリーやバランスが良いのと(設計が良い)、レースやテーパーベアリングのマッチングや精度が良いからだと思う(細かなパーツの工作精度がグッと上がったのが90年代のこの頃だったのだろう)。

 そしてもう一つのメリットとして、ピストンやコンロッド、シリンダーを傷めない限り『GSF600』や『GSF1200』といったもっとタマ数が多い輸出版のパーツも流用できるので長く乗れる安心感もあった。ただし当初から不人気だったのと、750ccは日本限定の排気量なので、タマ数が極端に少ない。だからかなり綺麗なこれを手に入れられたのはラッキーだった。

 

 もう1台は『SUZUKI GSX750(JS1AE)』というバイクで1998年のモデルだ。良くも悪くも売れなかった『GSF750』の反省なのか、国内で販売されず欧州版のみが短期間流通していた。わかりやすく言うと『Inazuma』の750cc版だ。この二本サスの旧態依然とした油冷バイクはカワサキのゼファー750と並んで、短期間の販売だったのにも関わらず、欧州各地にそこそこ出回っていた。

 だけどこちらはザッパー系2バルブエンジンのゼファーと違って、バンディットと同じく『GSX-R』のエンジン流用だから最初から4バルブだし、ある程度の性能も最初から読めていた。そのために600cc版や650cc版は出なかった。それなのに日本国内マーケットにはストロークダウンやボアダウンしても400版を出してきた。

 

 姉であるイリヤが普通二輪車免許だった学園生時代にこの『Inazuma(400)』に乗っていたのだが、選んだ理由は『エル』がからかって言う『鈴菌に冒されている』からではない。イリヤがスズキ好きなのは、他社よりも比較的安いのに性能は1~2位をキープするからだ。そもそも本物の『鈴菌罹患者』なら『GSF』やロータリーダンパーに手を出していたと思う。

 なのに今年で大学卒業の彼女は、ここ最近『SUZUKI GSR600(GK7EA)』を通学バイクにしていた。ちなみにバイクで通学するのはクルマ(ベンツェ)だとイタズラが怖いからだ。だから雨でもない限りいつもバイクで、1~2回生の頃は『Inazuma(400)』もアルトリア姉さんから譲られた『GSX-R1000(K1)』も出していた。

 こんな風に彼女の日々の動向は掴んでいたので(心配性の『エル』が探っていた)、学園生時代に何故生産中止になっていた『Inazuma(400)』を探してまで手に入れたのかも私は知っていた。その理由は400ccとは思えないほど『大きかった』からだ。

 実は『Inazuma(400)』は欧州の750cc版や1200cc版とフレームがほぼ共通だったのだ。ただし『GSF』とはコンセプトが違うので、『GSF』が600基準のフレームに750や1200のエンジンを積んだのと違って、『Inazuma』は1200が基準で、そのフレームに750や400のエンジンを積んでいた。姉はそこに『シビレて憧れた』訳だ。

 なので私の持ってる『Inazuma(400)』の印象は『もっさり・しっとり』だけど『安定性は高い』だった。そんな理由から750ccや1200ccなら『もっさり感』は消えるだろうから期待があった。また良く見れば、この750cc版のフレームには記憶にない補強が入っていた。1200cc版ならもっと入るのだと思う。

 

 カワサキと違ってスズキは意外としつこいところがあり、油冷を諦めたのは実に2007年からの『New Bandit(水冷化)』からだった。ここに至るまでの『Old Bandit(油冷)』時代末期(車種によって異なるが大体2000年代に入ってすぐ)に鋼管丸パイプ・ダブルクレードルのフレームが、鋼管丸パイプツインスパーに変更されている。

 つまりレーサー(SS)のエンジンを流用して、街中で使いやすい『スポーツカー』というコンセプトは歪めなかった。『どう水冷に切り替えるのか?』のタイミングを測っていたところはカワサキも同じようなものなのだが、似ているようでまるで違うと思う。何故ならカワサキは先に『Ninja』を並行して出していたからだ。

 化石のように旧態依然とした空冷2バルブエンジンの『延命』こそがカワサキの使命だったのだろう(ミトや『エル』が好きな『ZR-7』がそう)。そして油冷の延命がスズキの使命だった訳だ。だけど水冷になって、フレームを再度刷新しても『Bandit』の名を大々的に持って来ていた。こういうところがスズキだなぁと思う。この『看板』は掛けかえるべきだったと私なんかは思うのだけど、どうなんだろうね?

 

 今、こちらのガレージ奥には買ったばかりの『GSX650F(Bandit650のフルカウル版/2008年に出たばかりの欧州車/並行輸入品)』と、これまた欧州からの並行輸入車である油冷の2006年式『GSF650S(ハーフカウル版)』と、以前仕事で活躍してくれたフルカウルの『YAMAHA FZR600』に、その後継として買った2006年最終型『HONDA CBR600F(F4i)』の欧州モデル(フルカウル、ロングシート)、そして『お宝』として保管している『HONDA DREAM CB400FOUR』が置いてある。

 これらは昨年この家を買った時に、巫女の姉のガレージから全部こちらに引き上げたものだ。烏滸がましいが、私自身はこちらの家のガレージの半分は、仕事の都合上必要だった倉庫と考えている。なのでマイカーは小さなワンボックス(スズキ・エブリイランディ)だったりする。これを選んだのは軽並みの大きさなのに1.3リットルのエンジンだったから。

 ただしこいつを故障か事故で乗り換えるとなったら、丁度良いワンボックスが無いので困ってしまう。巫女の姉は『その時はクルマをこっちに置けば良い』と言ってくれるが、それもまた困った提案だ。以前の隣を買うまでの同居時代も、私は遠慮が過ぎるのか『申し訳ない気持ち』が一向に拭えなかった。

 私は31番として散々『エル』の代わりを務めたが、並行世界に行ってしまった47番の『エルヴァ』と同じで、『エル』ほど堂々とはできない性分だった。なので過去何度か同居を解消しようと提案した事もあった。それも一度や二度ではない。が、毎回即却下でとうとう『二度と言うな』と思いっ切り叱られた。あの大好きな姉はそういう人だ。

 だからドイツに居る『良い人』に逢いに行く際は気持ち良く送り出しているし、その『良い人』がこちらに来てくれた時は外泊の理由をつけるために出張を入れたりしていた。そんなミエミエな事もどうなのかなと思えたから、こちらの家が空いたのを機に迷わず速効で買い求めたのだ。ただ、その際にどうしても手持ちのお金で足りなかった分を、銀行からでなく『エル』から直接借りたのは私の落ち度だった……。

 急な事だったから焦っていたのもあった。利子付きなのに私が飲んだ条件は(と言っても金額的にはかなり良心的で、そこらの銀行より安かった)、庭の隅の空きスペースに『エル』が作った雨風を凌げる箱を置く事だった。その箱の中にはもう一つの箱が入っている。

 どうもその一辺1mくらいの箱は魔術装置で、その内部は倉庫のようだった。つまり中には彼女が『取り敢えず気になったから手に入れた』というバイクやクルマがぎっしりになっているようなのだ。彼女の持つ『ラインの黄金』が満杯になったとも思えないので、入れ替え用の一時置き場なのかも知れない。

 ともあれ『実の姉にも中身が話せない秘密倉庫』が庭のレンガ塀側にある植え込みのデッドスペースにぽつねんと置かれてある。それも蓋や扉、入り口などがどこにもないピザ窯のようなスタイル・大きさで。じゃ、『中のものはどうやって出すのだ?』となる。それは彼女の宝具を通じてだった。『ラインの黄金』は術者が許可しない限り開かない。つまり私だと中身が取り出せない訳だ。なんて面白い魔術を使うのだろうか?

 そしてこんなピザ窯のような『外部倉庫』が、ドイツの家やアメリカの別荘にも置かれてあるのは想像に難くない。また、私のような『甘ちゃん』の心の隙を突いて、軽く『預かって欲しい』と押し付けたり、黙って置いていかれた親族が少なからず居るのも想像できてしまう。

 だってこの『外部倉庫』は『自らの工房の一部機能を、相手の結界内に設置する』という事に他ならないからだ。『空間転移』という手もあるけれど、忙しい彼女に相手の家の近くまで行く暇なんてない。だから結界内に『前もって設置する』のだと思う。こうすればアサシンだけでなくアルさんでも乗り込める。

 と同時にその装置は『彼女に忠実でありさえすれば』安全な緊急脱出口であり、危機を救ってくれる英霊の射出口であり、何らかの魔術の発動口でもある。そしてそれは彼女が寿命を迎えない限り(いや、『迎えても』だろう)有効だと思える。何故なら内部に自分の分身を管理人として置けば、彼女の生死も『今現在の意識』も関係ないからだ。

 つまり……総裁の座を次代に譲った彼女が遺した、次の手がこれなのだ。並行世界のルヴィアの家に置いた『鏡』の発想の延長だ。『現象』と相談、或いは共同開発した『英霊自動召喚装置』なのかも知れない。だって今代の総裁は『英霊召喚』をした事がないからだ。となると意外と彼女なりに今代の総裁を補佐している積もりなのかな?

 

 ともあれ、そんな訳で、目の前には国内向けの赤い『GSF750』と、パミが宝具で送って来た青い『GSX750』がある。『GSF750』は直して車検を受け直せばこれからも乗れるだろう。だけど『GSX750』は国内で販売されていなかった車種だ。陸運局に書類を提出すればOKとは絶対に行かないだろうな。もしかしたら運輸省から形式認定を受けないと公道を走れないかも知れない。

 いっその事400の中古を買って来て、エンジンを載せ替え、構造変更で車検を通すか? 普通に考えれば『GSF750』一択だ。こいつを直して車検を取り、『GSX750』をパーツ取りに保管しておくのが賢明だ。だけど姉のイリヤが高等部時代に乗っていた『Inazuma』。代返担当だった私にもそれなりに思い入れのあるバイクなのだ。

 それも意外と綺麗で。黒いエンジンの塗装は全然剥げていないし、フォークもフレームも錆などなくピカピカだ。『なんてものを送って来るのだ』。『何とか活かしてあげたい。日本の公道に里帰りさせてあげたい』。そう思わない筈がないほどの上物。私がパミやミトのようにドイツで暮らしているなら、おかしな改造などせずノーマルで乗るだろう。

 それくらい綺麗だ。逆に『GSF750』はフレームもタンクも塗り直して、ストリートファイターに改造するかな? 私だって伊達にバイク好きは名乗っていない。色んなアイデアが簡単に思い浮かぶ。だけどどうして『エル』は『GSF750』を私にくれたのだ? どうして同じ時期にパミは『GSX750』を送ってきたのだ? 何かのハメ技か? そんな理由とピザ窯もどきに抱く不安で、私は唸っていた訳だ。

 ただ、思い浮かぶ事が一つだけある。それは私が最近手に入れた『GSX650F(水冷/インジェクション)』と『GSF650S(油冷/キャブレター)』の存在だろう。『GSX650F』は、『FZR』の後に買った『CBR600F』も走行距離が伸びてガタが出て来たので、そろそろ引退させようと考え、散々悩んだ末に買い求めたものだった。

 何に悩んだかと言うと、それがバンディットのコンセプトだったのだ。まず、高速道路での長時間長距離走行が多い私にはフルカウルが必須だった。そしてリッターよりもコントロールしやすい中間排気量が良かった。そして油冷時代のバンディットは『街中を走るスポーツカー』がコンセプトだった。それはハーフカウルの『S』でもそうだった。

 だけど『CBR600F』のコンセプトは『万能スポーツカー』で、時には『ハイスピード・ツアラー』となり、時にはサーキットも普通に走れた。何となくホンダに対して食わず嫌いだった私に、『その用途なら』『今ならまだ手に入る(600Fは2006年まで販売)』と『エル』が薦めてくれたのだった。

 それから2年。仕事が手広くなって『CBR600F(4i)』の走行距離は6桁に届き、液晶は霞んで見えなくなっていた。ついこの間換えたばかりと思っていたフロントのブレーキローターも、またまた薄くなって来ていた。だから『そろそろ買い替えるか』と考えた訳だ。ところがいざ雑誌などで検討すると、時代は変わってフルカウルとなると『SS』ばかりで、おまけに600ccは1000ccよりもシート高が高いものばかりだった。

 排ガス規制の名の下で定番のバイクは次々と生産中止が発表され、キャブレター車が減って行った。本当に時代は変わってしまった。そんな時にスズキから『GSX650F』が出た。この『GSX-F』というシリーズは欧州では聞かない名だが、日本のスズキ・マニアなら『アクロス?』と気付くと思う。

 だけどこのシリーズには、250ccだけでなく400cc版があった事を知っている人はマニアでも少ないだろう。何故なら400ccの『GSX-F』と聞けば、まず真っ先に空冷のインパルスを思い浮かべる人がほとんどだからだ。だけど実は80年代末期の僅か2年間、空冷インパルス→水冷の『GSX400FW』を経て、水冷の『GSX-F(GK74A)』という排気量を示す数字のない400ccバイクがあったのだ。

 そしてアクロスと同じこのシリーズは、北米だとフグみたいな『GSX600F』や『GSX750F』が、そんなのありかという『Katana』を名乗ってそれなりに人気だった。カリフォルニアのロサンゼルス郊外にあるマルホランド・ドライブでは、一時このバイクがかなり走っていたらしいし、スタント用途でもよく選ばれていたと聞く。

 ちなみに私はこの北米版フグ刀を嫌いではない。それは名車『GSX750R』や『GSX600R』のストリート版(民生品)であり、早いわ、二人乗れるわ、荷物も積めるわ、安いわで四拍子揃っていたからだ。だけど今は生産終了したこれが現役だった頃、『エル』は私が『FZR』を引退させる積もりだと知ると、『GSX600F』や『GSX750F』でなく、モデル末期で国内では販売完了した『CBR600F(4i)』の逆輸入車を薦めて来た。

 その理由は乗ってみてわかった。国内の『CBR600F4i』と違って欧州版のそれは先にも言ったが、シートがセパレートでなく、荷掛けフックもちゃんとした『ハイスピード・ツアラー』だったからだ。ところが似たようなコンセプトの『GSX-F』は私に薦めなかった。そこにも理由があって、私がマイル表示を嫌っていたのもあるけれど、その最大の要因は民生品への落とし込みの上手さだった。

 やはりホンダの方がそこは段違いに上手く、低速から高速まで安心して操縦ができた。日本国内ではウケなかった『F』コンセプトだけれど、私にはぴったりだったのだ。では、今のスズキはどうなった? と、気になったから『CBR600F(4i)』の次に豪州版の『GSX650F』を自分で選んでみた(オセアニア向けと北米向けがあり、豪州や新西蘭向けはkm表示だ)。ちなみに中身は『GSX-F』ではなくバンディットだ。

 で、その性能は申し分なしだった。途中2回、レギュレーターやチャージャーの問題でリコールがあったが、それ以外は何の不満もなかった。エンジン本体はすこぶる調子が良かったし、ブレーキ・タッチも好みだった(フロントがTokiko4ポッド、リアがNissin。サスは前後KYB)。足回りはバッチリだ。

 強いて言うなら車幅はスリムなのに(スリムだから?)、上下に間延びして見えるらしく、色々な人から変わったバイクと言われていた(要はバランスが悪い)。『エル』からは『メジロパーマーみたいだ』と言われた。意味がわからなかったが、どうやら褒め言葉らしい。

 そんなこんなで、ふと『このバイクの油冷時代はどうだったのだろう』かと気になった。だから休日のツーリングや仕事用の予備に使えれば良いなと漠然と思いながらネットや雑誌の中古バイクを見ていたら、近所のショップに程度の良いこれがあった。それが2006年式の『GSF650S(油冷)』だったのだ。

 こうしてほぼ2台同時に手に入れたタイミングで、『エル』が『これ、あげる』と『GSF750』を持って来て、パミが『GSX750』を送って来た。スズキの、マイナーだけど実力のあるバイクが好きな人には堪らなく嬉しい話かも知れない。ここに『GSR600(GK7EA)』が加われば言う事なしだろう。

 ただ、フルカウルがなかったので私は『GSR600』に興味はなかったのだが、旧型の『GSF750』には興味津々だった。

 

「ミント~、お昼にしよう~」

 

 そんな折り、ガレージにある小窓から巫女の姉の声が届いた。このガレージの真上、母屋の階段室横が巫女の姉の家のキッチンなので、窓が少し開いているだけで声が良く届くのだった。お隣が引っ越して1年。迷ったけれどこの家を買って良かった。ちなみに巫女の姉の家は、元は『エル』が買っていた分譲地の三区画分で、二区画分を庭やガレージにして残り一区画分に家を建てたものだ。

 並行世界では第五次聖杯戦争前に一家惨殺事件が起きたところだ。何故か『エル』は第四次聖杯戦争中にこの分譲開始されたばかりの土地を買った。そして転売もせず真っ先に家を建てた。完成してもこちらには住まず(いわゆる『衛宮の家』に住んでいた)、次は新都に今のビルを建て始めた。

 それでこの家は、巫女の姉にずっと無償で貸していた。気分転換に使ったり、隠れ家的に使ったりもしていなかった。何故ならそういう使い方の家は、同じ深山町の洋館街に『御祖父様が手配した例の家』があったからだ。なのでここは『何かのカンが働いて』気まぐれで買ったとしか思えない扱いだったのだ。

 ここに私は魔術師としてだけでなく、西欧人としてもかなり違和感がある。それは『領地』や『領土』の『契約なき無償貸与』という『信じられない行為』だからだ。例え仲良い親戚や兄弟姉妹であっても長期間『貸す』となったら『必ず契約を交わし対価を請求する』のが私達だからだ。

 数泊なら関係性次第で無償もあり得るけれど、そうでないなら日割りで『民泊(欧州や米国では、サービス名から転用して後にエアビーという言葉に定着した)』並みの料金を請求する。だから寝かせている空き家を所有している人は余程の理由がない限り、大抵他人に貸している。それが私達西欧人の『普通』であり『当然の考え方』なのだ。

 だから家や土地も『領地』や『領土』だから、その『線』を越えれば『戦争も辞さない』。この部分の考え方は魔術師も一般の西欧人も変わらない。そもそもそこが『わかっていなかった』から、遠坂は怪しげな儀式に『この地を貸与』できたのだ。そして貸与の条件は『セカンドオーナー』という、箸にも棒にも懸からない『いい加減な称号』だ。

 更に言えば、それを言い出して上手く遠坂を乗せたのは、三枚舌の時計塔と繋がっていたゼルリッチ翁その人だ。きっとこの時の口約束が『五家ある弟子筋の一つに数えられた』『遠坂は六家目』という伝説になったのだと思う。御存知の通り、ゼルリッチ翁は見込みや見どころのある人には多少教えはしても、弟子はまず取らない人だ。

 そうとなると舌先三寸で簡単に引っ掛かった永人に翁は呆れたと思う。そもそも彼は大庄屋ではあったけれど、土地の所有権が主張できるのは小作農の人達に対してだけで、武士(この地を幕府から任されたお殿様)が絡むと話しは異なって来る。そこはゼルリッチ翁もゾォルケンもわかっていなかったと思うけれど……。

 その認識のギャップに関して『エル』は、スペインやポルトガルの宣教師派遣時代が収まったからと、黒船以降の基督教の監視の手を緩めたのは時計塔の怠慢だと指摘している。また第三次で聖堂教会の進出を見逃した時点で、ユーブスタクハイトは万死に値するとも言い切っていた。

 それは『領地』や『領土』の事を重々承知の上で総裁だった頃の『エル』が下した判断だ。それだけに家の無償貸与からは、『身内にはこんなに甘いのか』という違和感を抱かざるを得ない。まぁ『オリジナル(エル)』を前にしてそんな事は言えない立場にある私なのだけれど。(言ってしまって外にほっぽり出されたのが、かつての『エルヴァ』だ)

 

 道路に面したガレージのシャッターは最初から閉まっている。私は蛍光灯を消して家に戻り、サンダルで勝手口から隣の家に行った。そうしてあちらのキッチン脇にある勝手口をノックした。こうして庭を使うと4~5mの移動で済むのだ。ただ、そのために巫女の姉の家とこちらの家を隔てていた壁は一部取り壊す必要があったのだが。

 ともあれ中に入ると巫女の姉が、揚げたばかりの天ぷらを食卓(ダイニング・テーブル)に運んでいた。お昼はソーメンと天ぷららしい。兄(二番目のアーチャー)なら、ソーメンの付け合せはかき揚げが多いのだが、この姉はイカやエビの天ぷらを出して来る。そして『天ぷらも粉モノだ』と言い張るだけあって、姉のイリヤや『エル』も舌を巻くほどの揚げ上手だった。

『鉄板の魔術師』『フライパンの鬼』とか、この人の異名は多い。ほとんど『エル』が勝手に付けているのだが、この姉はそれらを笑って許していた。何故ならその『称号』がすべて賛辞だとわかっているからだ。『エル』やイリヤだけでなく、私も『エルヴァ』も、幼少の頃はそのたこ焼きやイカ焼きに舌鼓を打ったものだ。

 記憶を失っていた義兄が記憶を取り戻せたのも、この姉のたこ焼きを食べたからだ。俄(にわか)には信じられないが、当の義兄もアルさんも『そうだ』と言う。そもそも何でロシアにたこ焼き用の鉄板が? それも南部鉄器のかなり良いものだったとか。

『エル』の持ち込みなのは大体想像付くが、留守番で『エル』の代わりに初等部に通っていた当時の私は、その土産話を聞いても色々ツッコミどころが多過ぎて頭の中が『?』だらけだった。だけど懐かしいなよね。あの頃はまだ深山の衛宮の家住まいで、学園から帰って小腹が空たと言えば、巫女の姉がいつでも焼いてくれた。

『エル』が居ようが居まいが関係なかった。『エルヴァ』が出されているのなら、彼女も呼んで(どちらか手が空いていたら、『エル』を介さずにお互いが呼び出せる機能を貰っていた。そうすると私と『エルヴァ』は上手くお互いを補佐できたからだ)、イリヤと三人でたこ焼きをよく頂いたものだ。

『エルヴァ』がたこ焼きを落として、制服のお腹部分をソースで汚した時も、巫女の姉は叱らずすぐに洗濯をしてくれた。まぁ、あの時の『エルヴァ』は制服を(その頃の私達は、『エル』が用意してくれたとはいえ、『エル』のものでなく自前の制服を持っていた)汚してしまったからと泣くような子だったからね。少なからず巫女の姉はそんな『エルヴァ』や私を、イリヤや『エル』と同列に扱ってくれ、愛情をもって接してくれていた。そういう人なのだ。

 それからキッチン隣のダイニングに行くと、珍しく先生が来ていた。それで三人で揃ってソーメンを頂いた。

 

「いつか話されていた『空けておいて』の件ですか?」

 

 そう食後に訊ねたら、『そうだ』との返答。そして先生が仰った私に頼みたかった仕事とは────。

 

 

 

 

 

 釧路で散々食べ歩いた翌日、私達は早朝からバイクに跨り、国道391号線を使ってシラルトロ湖見学に走った。湖を眺めながら、宝具に納めたままだったホカホカの『やきとり弁当』や、昨日買っておいた熱々のままの『ザンギ』を頂くのだ。この優雅で便利な宝具の使い路を思いついた私自身を褒めたい。

 何せこの宝具の原点であり元祖である『王の財宝』を持つ王様ですら、この機能を使いこなせていなかったのだから。

 

『鮮度を保つって、王様、保温機能や冷蔵機能があるって意味じゃないですよ? 時間停止ですよ、これは』

 

 そんな風に小学生時代に話した憶えがある。食後近くの施設でお手洗いを借りた私達は、再びバイクに跨り人気のないところでセローなどのオフ車に乗り換えた。それで今度は釧路湿原展望台に向かった。そこへの行き方は事前に調べておかないと絶対に間違う事請け合いだ。走れないところの方が多いので、かなりグネグネ走った。

 2時間ほど楽しんだ後、一旦釧路に戻り、今度は国道38号線を使って帯広に向かった。お昼過ぎになるだろうが帯広で豚丼を頂いて、富良野外れにある無料キャンプ場で泊まる段取りだった。このキャンプ場は一見不便そうだが、静かだから眠るだけなら何の問題もなかった。

 また、シーズンでなければ結構空いていて、どこでテントを建てようと自由だ。それに奥の炊事場とゲート入り口付近にあるトイレ以外は外灯がないのも良い。天候次第だが夜は満天の星空が期待できる。それらがゲートのところにある台帳に記入するだけで無料で借りられるのだ。

 ただし、無料のリアカーを借りて、荷物を積み替えて『ここと決めた場所』まで芝生のウネウネした上を自分で運ばなければならない。それも雨天を計算に入れて水はけの良さそうな高台にテントを張る必要があるし、お風呂は早い内に近くの白金温泉(記帳必要。300円だったと思う)まで行かないと入れない。

 このお風呂の帰り、いつも私はノーヘルでキャンプ場まで戻りたいと思ってしまう。無理ないよね。だってお風呂上がりにヘルメットを被りたい女の子なんて居ないから。そんな訳で、今年こそ帰りはノーヘルで走ってやろうと野望を懐く私だった。

 なお、テント用具、炊飯用具などなどはいつも宝具に仕舞ってある。何なら宝具の中で寝泊まりも出来る。つまり緊急食糧も用意してあるが、帯広で食材だけを買えば、後は何の心配もなく野外泊が可能なのだった。このように宝具の中は自分の意志で区画を作り、各区画ごとに時間を止めたり流したりできた。

 この事から私は、子供の頃から時間は通常の物理法則とは異なる、生物というか魂魄を生かすための心霊現象だと思うようになった。勿論、『ラインの黄金』の複製や加工が出来る今はもっと深い事を考えているのだが────。

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