ここの土地は1ブロック丸々あって、その面積は冬木のエーデルフェルトと変わらないくらい広い。どちらも辻から辻だから、似たようなものとも言えるけれど、やはりそこはアメリカだ。それでもロスの衛星都市であるオレンジ郡は、中産階級が多く人口もそれなりにあるので、街によっては住宅がひしめき合っている。このハンティントン・ビーチもその一つで賃貸だと結構狭い家もあったりするのだ。そんな宅地のど真ん中にある、お祖父様の別宅。南東に建っている家(母屋)そのものはそこまで大きくはないけれど、土地の広さはビバリーヒルズの豪邸を5~6軒は建てられそうなくらいあった。
その広い広い土地の四隅に珍しい樹が立っていた。それは桜で、北西の角に聳(そび)えるのは大きな染井吉野だった。その昔に日本から輸入して、これを結界の起点にしていたのだ。春になると見事に咲き誇り、ご近所の人を楽しませている。とは言っても、エルやモードレッドと過ごしたあの頃は、そんな事を全然知らなかった。
そんな北西の桜の樹の脇に私とフンボルトとパミちゃんの家が建っている。家は土地で言うと北に面している形になるが、道路に面しているのは、来客用の屋外ガレージを兼ねるガレージのアプローチで、家はその後ろになる。だから家のプライバシーは護られ、桜は張り出したようになっているので、色んな角度から楽しめるようになっていた。花見が楽しめるように、敢えてそういう設計にしたのだ。
家の南側は広い庭なので、陽当りは最高と言って良いほど良好だ。むしろカリフォルニアの燦々とした陽光がこれでもかと降り注ぐので、夏は南側にキュウリのカーテンがないと暑過ぎるくらいだった。お祖父様が別宅を南東に建てた意味がよくわかった。庭を北側にする方が通年で過ごしやすいのだ。だからこの家の横にお店を出す時に(と言っても家から20メートルは離れている)、お店の南(つまり真裏)に工房を持ってきたのだ。工房なら明かり取りの窓くらいでも良い訳だし、その南に木材の乾燥室を建てても良いからだ。
ともかくそういう工夫をしないとお店の電気代(エアコン代)が馬鹿にならないのだった。何より当然ながら、家もお店も母屋(お祖父様の別宅)とは上下水道もガスも電気も別だ。モニカさんもミアータさんも支払いはこちらですると言ってくれたけれど、そこは丁重にお断りした。
アプローチの奥の屋根付きのガレージ(半分吹き抜けの2階付き)には、私のアコード・セダンCD3型とアキュラRSX(インテグラ)タイプS、ダッジ・ダコタのクアッドキャブ、それとフンボルトの997とフォードの大きなバンが止まっている。997は初デートで乗ったあのポ◯シェ・カレラだ。結婚祝いにお祖父様がフンボルトに贈ってくれたのだ。
『しまった。戴けるとわかっていたなら黒にしたのに』
こらこら、半分は私のですよ。2人で乗りなさいと赤だったんでしょう? とは言え、フンボルトも認めているけどRRの6速マニュアルは楽しい。別に怪物のような性能のポ◯シェでなくとも、この感覚はわかるだろうし楽しめると思う。強いて言うならサンフランシスコで乗った、魔力を通すと四駆になる例の改造930ターボ(こちらは4速じゃなく5速。一度チューリッヒにエルが宝具で持って行ったが、メンテ後にフェ◯ーリとともにまたこちらに戻ってきた)、あれも欲しかったけれど流石にお祖父様も、誰にも譲る気はないようだった(エルが既に断られていた。だけど貸してやるからアメリカで乗りなさいと返って来た訳だ)。
バンはフォードのEシリーズ・カーゴバン(Triton V8/5.4L)で、お店のロゴが横に入った看板車だ。お店の名は『エルヴァ&パミ・ギターズ』。自分の名を入れないところがフンボルトっぽいけれど、制作しているギターやベースのヘッドやグッズには『EPF』というロゴが入るのでそれで良いのだろう。
途中からフンボルトの足でもあった4速オートマのアコードは、凛さんや士郎さんにもよく貸している。なので、とうとう走行距離が16万マイル(約26万キロ)を越えた。先々月オーバーホールついでに、色もカリフォルニアらしい水色に塗り替え今も元気に走っている。アキュラRSXは日本で言うインテグラのDC5型だ。色は金色っぽいオレンジでヘッドライトが涙目の前期型だった。勿論タイプRと同じウイング付き。新婚の頃にスポーティなクルマがどうしても欲しくなって買ったものだ。当初はロードスターを買うつもりだったけれど、2シーターだとパミちゃんを含めた家族で乗れない。それでRSXにした。お腹が大きくなった今は運転ができないが(できない事もないが、運転すると彼が怒るので)、ガレージで時間凍結してある(今はスイスのエルのジオ・ストーム(いすゞPAネロの2ドア・ハッチバック)とジオ・トラッカー(スズキ・エスクード)も凍結してパミちゃんの中だ)。
この涙目デザインは日本のホンダファンから不評だったそうだけど、私は結構好きだった。何より新婚だった頃に、欧州で乗るならこれだねとフンボルトが話してくれたクルマがその涙目のHR-Vだったからだ。それも3ドアの金色が欲しかったそうだ。結局彼は結婚するまでレンタカーばかりでクルマを持っていなかった。だけど並行世界のフンボルト君(お兄ちゃん)はその涙目金色のHR-Vをアウディとともに持っていた。やっぱりアウディのRSは、ここぞという時の背伸びしたハッタリ用で、普段はHR-Vだったみたい。週末はローカルなポンコツカーレースに出ていたから、トランスポーターでも買えば良いのに、そこは自走でレース会場直行だった。今にして思えば、アレは四駆だったのかも知れない。そして私が知らなかっただけで、こちらのフンボルトと同じようにアウトドアも好きだったのかも。
その涙目金色のHR-Vを今のフンボルトは所有している。と言うのは彼のご両親がいらっしゃるミュンヘンから、お祖母様の家のあるネッカーズルムまで新婚の時にお送りしたからだ。つまり私がミュンヘンで中古の旧型(涙目)を買ってプレゼントしたのだ。お祖母様とパミちゃんを乗せる手前5ドアにしたのだけれど、ルーフスポイラーがないのは何とも締まらなかった。なのでそれもフランクフルトに近いオッフェンバッハ・アム・マインで取り付けて貰った(ここにはホンダのパーツ会社があるので、パーツの入荷が早い)。その四駆のHR-Vはアメリカに帰る時も手放さずに、パミちゃんの宝具に時間凍結して仕舞ってある(アメリカで売られていない車種は、生産終了後25年経たないと個人輸入も登録もできない)。
お送りしたお祖母様はパミちゃんを曾孫のように可愛がってくれ(2日ほど滞在した)、それ以来毎年新年をあちらで迎えるようになった。だけど次のお正月(2007年)は日本に来いと言われていた。生憎産月なのでお断りの電話を入れたら、『エルヴァちゃん、あなた成人よ? お産の後で良いから赤ちゃんと来なさい』と言われてしまったのだ。倫敦のエルヴァが成人式に出るそうなので、私はお産後が丁度いいみたい。おまけに彼女の振り袖を借りる事ができる(既婚で子持ちだけど)。でも、お母様には子供を抱いて欲しいので、それは了承した。だからハンティントン・ビーチに戻るのは1月末だと話したのだ。
それにそれならとフンボルトは、お店の段取りを付けてパミちゃんと2人でネッカーズルムとミュンヘンに行ってくると言ってくれた。ならそうして貰って、来年の夏にドイツと日本に4人で行こうと決めたのだ。と言うのはスイスのエルヴァちゃんが、日本にいるクロエちゃんやおチビちゃん達の航空機代を出してまで、昨年の夏と今年の夏にユリアーナちゃんと遊びに来てくれたからだ。しかもお姉さんっぽくなったエルヴァちゃんは、この春にお祖父様を伴って時計塔に行き、エルヴァや私の懸念だった時計塔内部の風通しをスッキリさせてしまった(お祖父様も例の『現象』を利用して英霊を召喚したっぽい)。だからエルヴァは最短の4年で講師を勤め上げ、日本に帰れるようだ。ずっと彼氏の吉川君を待たせているみたいなので、良かったと心底ホッとした。
私のお腹が目立ってきたのはこの夏からだけど、エルヴァちゃんもクロエちゃんもおチビちゃんも皆んな喜んで楽しみにしてくれている。何よりその夏に姉さんやエルマとトロンメルも来てくれた事が嬉しかった(姉さんは単独でふらりと倫敦にも行っているそうだ)。ただ残念だったのは、お父さんとお母様が来れなかった事。それはお母様が出産だったからだ。自称19歳(おいおい)のお母様は、今も若くて美しい(アハトが最初から19歳設定で鋳造している)。だからお父さんも張り切っちゃったみたい。こちらで散々遊び倒したクロエちゃん達も、出産の連絡が来た途端に、エルヴァちゃん達を伴って日本に帰った。後日送られて来たメールの画像には『命名、美夕』とあった。
美遊でなく美夕。何も似たような名前にしなくともと思わなくもないが、私の最初の家族にも末に妹に美遊は居たし、その子が生まれたのも私達(『エル』と『イリヤ』)が10歳の頃なので歳が離れていた。それに美夕という名は『現象となった彼女』の妹の名でもあった。それである種の儀式が完成したのか、そこから世界は平穏を徐々に取り戻したのだった。
なお、ウチのお店ではモニカさんにデザインを依頼した、オリジナルTシャツやトレーナーも置いている。中でもテレキャスターをモチーフに、デフォルメしたイラストが大胆に入ったTシャツがお気に入りなのだけど、何故か私っぽい女の子がギターを構えて弾いているイラストのTシャツが一番売れている。どうもこのイラストのキャラが地元の中学校で流行り、そこから口コミで広まったようだ。まぁ、広めた犯人(貢献者)はパミちゃんみたいだけど。
そしてミアータさんだ。モニカさんが自由に活動できるようになったあの人は、カリフォルニアだけに留まらず、あちこちの大会に出て、とうとうヴァンズとの契約を勝ち取った。今はプロのスケートボーダーとして、アメリカ中でその妙技を披露している。そんな彼女がやっと自分だけのマイ・カーを今夏手に入れた。それは『Mazda MX-5 Miata』。言わずと知れたロードスター(NC1)だ。それも真っ赤な『3rd Generation Limited』。電動ハードトップとどちらにするか悩んだそうだけど、結局リミテッドにした。私個人は初代(NA)や二代目(NB)が好きだけど、間近で見ると現行の三代目もカッコいい。やっぱり欲しいな。
それと凛さんと士郎さんだけど。御二人はご結婚されて正式な夫婦になっても、以前と同じようにここから庭を挟んで300メートル離れた(もっとあるかも知れない)母屋の2階で暮らしていた。これは凛さんに考えがあっての事だった。
まず1つ目の理由として『現象』のせいで凜がこちらに来れなかったから。なので課題はとっくに仕上がっていても、提出も採点もできない状態だったのだ。イコール、宙ぶらりんで何もできないし、元の世界への情報もない。よってこちらでの生活基盤を固めようと昨年から動き始めたのだ。次の理由は私達が昨年の春にお店をオープンした事だった。それを見て思うところが大いにあったのだと誰でも想像できる。
また開店前の準備期間から、凛さんと士郎さんは何くれと親身に手伝ってくれていた。特に士郎さんはフンボルトがギターを作るところを間近で見ていたので、かなり詳しくなっていた。それとフンボルトも私もオリジナルギターの製作販売だけではやって行けないとわかっていたので、修理や調整、関連商品販売、オリジナルグッズ販売なども考えていた。なのでオープン当初からアンプやエフェクターの修理、モデファイなんかも受け付けていたのだ。そこで光ったのが士郎さんの腕と知識だった。
この人は本当の父親の血が濃いのか、電気回路の制作にセンスがあった。少し教えただけでどんどん自分なりのアイデアを盛り込んだ回路を考え出すのだ。気になるところがあれば他所のお店に行って解析を掛けていたりもしていた。だからフンボルトと相談して、士郎さんをスタッフに迎えたのだ。勿論、彼の性格だと今勤めている牛丼屋さんをいきなり辞められない。なので半年くらい掛けて身を引いて貰った。
そんなある日の事だ。フンボルトと士郎さんの友人であるボビーが、常連になってくれそうだからと、新しいお客さんを連れてやって来た。だけどお話を聞けばアンプの修理でなく、家にある洗濯機の修理だった。それで士郎さんが出張して、いとも簡単に直してしまった。お金にはならなかったけれど、それが士郎さんのナニかを目覚めさせたようだ。また冷蔵庫のお兄さんは顔の広い人だったようで、新たなお客をたくさん連れて来てくれた。モデル時代に知り合ったロスのスタジオミュージシャンとも再会し、彼らのギターやベースのメンテも依頼されるようになった。それが功を奏し、今は時々大物ミュージシャンもふらりと寄ってくれたり、彼らなりのアイデアを披露してくれたりもしていた。
先月は何十年も続く某有名バンドのマネージャーという人から電話が入り、指定されたその日にオープンGチューニングがトレードマークのギタリストが本当にやって来た。アメリカ住まいだとは知っていたけど、雲の上の存在がフンボルトのギターを何本も何本も試して、3本も買ってくれたのだ。好きになって、ともに暮らして歩む事を決めた人の作品が、こうして認められていく。それは無上の喜びだった。フンボルトはそれで益々やる気にさせられた(Start Me Up)。
私も欧州人の血を引くので悲観論者ではないけれど、彼のような技術者は往々にして成功までの道が遠いし、成功できるかどうかも不明なのはわかっていた。また、その成功に見合った収入が得られるかどうかは不明だ。一般的に言って難しいものがある職業だと思う。そうなると内助の功のウエイトが大きい。お金で愛は買えないけれど、お金で潰れる愛はあるからね。
閑話休題。
そんなこんなで士郎さんと凛さんも、同じ家を建てるなら、家電修理・リサイクル専門のお店が開ける店舗付き住宅を建てようと決心していた。またその事をモニカさんやミアータさんが賛成し、応援もしている。何とお祖父様と掛け合って、ウチの店の横に建てても良いと許可を取り付けたのだ。以上のような理由で御二人は今も母屋の2階を借りて暮らしているのだけど、それもじき終わる。何故ならお店の隣がトンテンカンと先日まで煩かったからだ。完成引き渡しは来月だけど、見た感じ面白い作りだ。
1階(地上階)が受付カウンター兼事務所と倉庫兼ガレージで、2階にある自宅は外階段で登るようになっていた。それも倉庫部分の天井が高いので3階とまでは言わないけれど(アメリカの建築は全般的に天井が高い)、2.5階はありそうだった。凛さんのお腹が大きくなったら大変だと思うけど、敷地や景観の兼ね合いと(ウチのお店と、間口や色合いを合わせている)、長年平屋住まいだった士郎さんのたっての希望だったらしい。凛さんも前の家とかけ離れたデザインの方がいいと決めたそうだ。そこに『未練はあるのに戻れない』という心情が透けて見える気がして悲しい。
なおアンプ修理などは、自分達のお店を開いても続けてくれる事になっている。ま、家電の修理だけじゃ食べていくのは厳しいからね。何より当局からそういう免許や許可も必要だし。だけど士郎さんの気持ちの充実度は違う。それが凛さんにも伝わり、モチベーションは上がっているらしい。今夏は特に投資が当たって、結構儲けているのだ。それで以前私が予測した通り、モニカさんやミアータさんの投資分をかなり増やしてあげられ、お祖父様からの借金も全額返せた。敷地内に家を建てても良いと許可が出たのも、その実績があってこそだった。こんな風に私達は毎日が、忙しいけれどワクワクが抑えきれないほど楽しかった。
ところで私はアインツベルンの調整のせいか、半英霊だからか生理が軽かった。それと同じように悪阻(つわり)も全然なかった。強いて言うなら酸っぱいものが少し欲しくなるだけ。食べ物の好みが変わるなんて、まったくなかった。それで自分の分として小皿にスプラウトとリーフの酢の物を作っていた。蛸酢が食べたくとも、アメリカではタコとワカメがまず手に入らない。タコを気味悪がって食べない人が本当に多いのだ。だからマーケットにそういうのは売られていない。イタリアとスペインが好きで、地中海料理が平気なフンボルトは蛸酢でも『うざく(うなぎの蒲焼ときゅうりの酢の物)』でも何でも平気だった。だから前々から、エルマからパミちゃんを通して、こっちで手に入り難い食材や調味料を密輸していた。そういう理由でこの家は和食も多い。
流石に鯛や蛸に海老を捌いていると、フンボルトは『ワォ』でも、パミちゃんは『キャー』と悲鳴を上げていた。これはパミちゃんの実姉である『現象となったエルヴァ』があまり料理をしない人で、和食を作れない人だったかららしい。ましてパミちゃんは、彼女が日本に行くときはスイスに居残りばかりだった。なので玉子焼き(くらいは焼けたと私は睨んでいる)すら彼女が作っている姿を見ていなかったからだった。その反動なのかパミちゃんは料理を私から学びたがっていた。私もパミちゃんには色々教えている。お魚を怖がっていたけど、クロエちゃん達に何か言われたのか、この春からはイワシくらいなら捌けるようになった。それをオリーブオイルや小麦粉をまぶして、オーブンやフライパンで焼くのだ(アメリカ式料理法)。
きび砂糖や黒糖を少し使って甘辛く煮れば、フンボルトもパミちゃんもご飯をパクパク食べてくれる。別に私はオーガニックな食材に拘ってはいないけど、遺伝子操作されている食材は避けるし、とかく糖分の多いアメリカだからこそ、砂糖と卵はかなり選んでいる。白い砂糖より茶色や黒いミネラルの多い砂糖、ちゃんとした餌を与えられ、広い場所でのびのび育った鶏と、それらが産んだ卵。後は適度な運動とコマメな水分補給とのんびりした生活。それらがあればアメリカでも健康に生活できる。自分自身もそうだけど、フンボルトやパミちゃんにはずっと健康でいて欲しい。それが主婦の願いだ。
そして今の私は、お腹の子がすくすく育ってくれるのがとても嬉しい。この子はママの腹筋がキツいのか、最近良く蹴ってくる。だからお腹側は良いけれど、背骨側は蹴らないでとお腹を撫でながらお願いしている。今まで上半身を腹筋と背筋で支えてきた訳だけど、赤ちゃんが宿ると腹筋が使えないので背筋ばかりになる。そうなると私の場合、腰でなく肩甲骨の下から腰に掛けての筋肉が疲れる。人生で初めて体重計の針が、60kg近くになった。鏡を見れば顔の輪郭が真ん丸だ。『よっこいしょ』と椅子から立ち上がるお腹の出たオジサンの気持ちが少しわかった。まぁ、私の体重を増やしたそれは、脂肪でなく幸せの結晶なのだけれど。
そしてフンボルトが何くれと私を気遣ってくれる。お料理は自分でできるけれど、彼の出番も増えた。お掃除やお洗濯は、モニカさんやミアータさんも時々手伝ってくれるが、ミドルスクール(中学校)に通う、すっかり私の背を追い越したパミちゃんも手伝ってくれていた。誕生日を迎えたパミちゃんは14歳になった。元々背が高く大人びたところもあった子だから、クロエちゃん達と比べると、もはや高校生にしか見えない。またスタイルも抜群なので、今はこの子がマリーさんのところのモデルをしている。ついでに前の事務所にも紹介したので、ちょくちょく美味しいアルバイトが入っていた。
どうして私がこんなお節介をするのかというと、年頃なんだろうね、どこか遠慮がある気がして。お祖父様も遠慮せず、私立の良い学校に入りなさいと言っていたのに、選んだ中学が地元の公立だったのだ。確かにアメリカの公立は無償だけど、私学は有料で、なおかつ高い。しかもこの子は将来弁護士になりたいなんて話していたのだ(小学生時代は幼さのあった子だけど、頭はとても良く『エル』が指摘していたように、かなりの英才教育を受けていたようだ)。だから私学なら飛び級間違いなしだと思えた。それだけに惜しい。
でも、何を言っても全然聞かなかった。『遠慮はいらないよ?』と、私も何度か言ってあげた。けれど『勉強なんてどこでもできる』の一言だ。困った私は冬木のお母様や、チューリッヒのママに国際電話で訊ねた。すると答えはあっさり。何と『反抗期』だった。姉の時のようなわかりやすいものでなく、自分をコントロールしたプチ反抗。そういやブラがどんどんサイズアップしていた。お店にかまけ過ぎたかも。
反省した私はパミちゃんを抱きしめ、『私はあなたの姉であり、ママも同然だよ。遠慮しないで何でも言ってね』と囁いた。
『言えないよ』
『どうして? 好きな人でもできた?』
『……』
『良いよ。あの中で若くてカッコいいフンボルトと仲が良くても』
『知ってたの!?』
『だからあなたの姉でママだって言ったじゃない』
それからのパミちゃんは落ち着いた。身長や胸だけじゃない。魔術の腕も上がったし、心も成長している。だから『空想の世界』のフンボルト(中学生か高校生くらいなのかな?)とも、せいぜいキスくらいまでだと想像できた。男の子からの告白を数回受けているのに、全部断っているのも知っていた(意外と奥手なのだ)。それくらい兄でありパパであるフンボルトの幻影は大きい。でも、きっとあなたに合った、もっと良い人が現れるよ。それで彼女には悪いのだけど、倫敦に行った彼女を待ち続ける吉川クンの事を教えてあげたのだ。
『あっちのエルヴァの彼氏?』
『そう。ね? 同じでも全然違う人が好きになったりするんだよ?』
『え~』
それは少し高い視点から、人間関係というものを考えて欲しかったからだけど、それをわかった上で、フンボルトを選んだ私の方が彼女より偉いと言ってくれた。それがとても嬉しかった。
成長はパミちゃんだけじゃない。マリーさんのところのリリィ達も大きくなった。ハイスクールの3年生になったケリィは、昨年リョーコを頼って穂群原に短期留学していた。私が通っていた頃より、留学生の受け入れ枠が広くなったみたい。これは多分、同学年にエルマやトロンメルが居るからだと思う。それでケリィはトロンメルのクラスに入り、部活も軽音楽部を体験したそうだ。1ヶ月でなく1年にするべきだっと、帰ってきたケリィは笑いながら思い出をカタコトの日本語で話してくれた。留学前にマリーさんや私が日本語をレクチャーしたからね(思い出として見せてくれた級友と写っている写真は、私も着ていた懐かしい制服姿だった。結局『エルとの卒業式』は、このハンティントン・ビーチで行った。その時の写真も残してある。だけどケリィには、トロンメル達の姉(倫敦のエルヴァ)と私は別人と話してあるので見せていない)。
またそのケリィから、トロンメルがこの国に音楽留学したい希望を持っていると教えて貰った。私も彼女とのメールでその事は知っていた。だからどこの音楽大学を選ぶにしても、できる限りのバックアップはしてあげると返事を入れてあった。それでトロンメルは、ボストンのバークリー音楽大学に的を絞ったとメールをくれた。なので私の方からも、滞在先は手配すると返信しておいた。なぜならリンさんやリサさんなら快く受け入れてくれるとわかっていたからだ。
そんなケリィも、昨年の夏まで進路に迷っていた。夢は以前から聞いていたように、食品衛生や調理器具の衛生に関わる事だ。だからそういう大学に絞っている。だけど、この子は養子だ。なのでそこまで養父母に甘えて良いものかとの遠慮があったのだ。だから私がケリィの描く未来に投資すると養父母に話した。つまり出資者になったのだ。だから日本への留学費用も半額持った。出しゃばるようで申し訳ないが、気を悪くしないでくれるなら大学の費用も全額持つと話してある。
養父母も心が広く、正直な方々だ。人種(養父母は白人でケリィは黒人)の違うケリィを、ご夫妻に何ら問題はないのに養子として迎えたからだ。その後に産まれた実子と変わらずケリィへ無償の愛を注いで育てて来た。だけど中産階級のご夫妻に大学の費用までは正直厳しいと察していた。そういう学資ローンも各種あるから、実際そういうのを利用して、就職後にコツコツ返している人は多い。なら利息なしのある時払いでどうかと誘ったのだ。私としては返済不要だけど、一応のけじめとしてそういうのでどうかと申し込んだのが昨年の夏だった。
この心境は元からそうだったとも言えるし、パミちゃんを引き取ったからだとも言えた。いや、より強くなっている。何せお腹に子供がいるのに、養子を迎えたいなんて思っているからだ。双子の姉の起源は『器』、対する『エル(私達)』の起源は『蔵』。アインツベルンの女の宿命なのだ。とにかく今は母性が溢れていて、子供が欲しくて欲しくて仕方なかった。
そしてここが不思議なのだけど、無性にフンボルトに抱かれたくなるのだ。妊娠安定期だから、性欲なんて皆無に等しい。だけど養子でも良いから、もっともっと子供が欲しいと考えてしまうと、大きなお腹の中でゴロゴロしているこの子を差し置いて、また妊娠したいなんて思うのだ。この異常さも魔術師の女のサガだった。それでどうにも堪り兼ねた私は、例の空間(今は寝室に入り口がある)の彼女に相談した。勿論、狙いは魔術による禁断の精神入れ替えだ。そうすると彼女はお腹の重さと暖か味を体験できるし、私も良い気分転換になる。
『どうかな? ダメ?』
『その間、私は木陰で読書ですね?』
『そう。良い?』
『仕方ないなぁ』
そうして久々にフンボルトと5回もした。あまりにオネダリが酷かったので、流石にバレた。首の後ろの霊的なタトゥーもピアスの穴も完璧なのに。叱られはしなかったけれど、呆れられた。その後しばらく彼の腕の中で眠ったのだけど、急に涙が出て来て止まらなくなった。
『どうしたの、エルヴァ?』
『赤ちゃん……赤ちゃんが……』
精神的に満足したから、我というか素に戻ったのだ。それでペタンコなお腹が急に寂しくなった。きっと不幸にも流れてしまった女性(ひと)は、これ以上に寂しくて苦しいんだ……。それがわかった。わかったから涙が止まらなかった。空間から出る前に、お礼を言った時の彼女はとても幸せそうな顔をしていた。そして精神を元に戻すと、途端に寂しそうな顔をしていた。逆に私はズ~ンと来る重さも、背筋のこわばりも、全部が喜びだった。だから彼女に思いっきり詫びながら空間を後にした。それ以来、そういう無茶なセックスはしていない。フンボルトが言うには、彼女の方も私でなくお腹の赤ちゃんの事ばかり訊いてくるらしい。わかる、それ。だから仕事で疲れたら、彼女に会ってお話をし、お腹を見せてあげていた。
失礼と思いつつ疲れた時に会うのは、彼女のフンボルトや私に対する『思いの波動』が途轍もない癒し(ヒーリング)になるからだ。そしてそれは、私がお腹の子に対する『思いの波動』とも同じだった。きっとこれにカタチやイロがあるならまったく変わりないはずだ。そこに『私』も『彼女』もない。
『養子の件はさ、フンボルトには言わない方が良いよ。それもある種のマタニティ・ハイだって。もし本気で望むなら、きっとそういう流れと機会があると思うから。今はパミちゃんと赤ちゃんの事だけを考えましょう?』
『……そうですね』
それ以降、私は悩みもなく過ごし落ち着いていた。そしていよいよ今年も『Thanksgiving Day』を迎える週となった。
それは月曜日で看板娘がまだ学校から帰っていないお昼過ぎだった。食事とトイレ以外はいつもお店番をしているのだけど(フンボルトにはお腹が大きいのだから仕事をするなと言われている。でも妊娠は病気じゃないからね。働ける間は働きます)、この日の午後、お店の前に懐かしいバイクが2台止まった。どちらもヤマハで1台は『YZF600R(ThunderCat)』、もう1台は珍しい『SR500』だった。ライダーはどちらも女性だ。
『YZF600R』は、この北米では今だに『YZF-R6』と併売されているので驚きはしないが、色が初期型だった。それよりも『SR500』だ。そちらは78年の発売だけど、日本では今も売られている息の長いモデルだ。だけどオセアニアでは99年に終息、欧州で83年終息、北米だと81年に終息していてかなり珍しいモデルなのだった。勿論ビッグキャブでステップが前にあるタイプ(日本風に言うなら所謂Ⅰ型)だ。だというのに妙にピカピカしている。レストアが上手いのだろう。
『YZF600R』から降りて、フルフェイスのヘルメットを脱いだ、ライダースーツの女性は金髪碧眼の美人だった。そして『SR500』の女性はジージャンと黒い革のパンツで、シールド付きジェットヘルメットを脱いだその顔は、色白の私だった。
「え? 『エル』?」
チューリッヒにいるエルと間違う事もない。持っている空気、漂う魔力が違う。長身で金髪の人も魔術師だろうけど、誰だろう? 憶えがない。そんな2人がカランカランと来客を告げるベルを鳴らして入ってきた。
「幸せそうですね?」
私のマタニティ・ウェアのお腹を見て、その人はそう言った。
「『エル』……」
結婚式以来、2年ぶりだった。
「今まで何を……?」
「『現象』の阻害で弾かれましてね、こっちに入れなかったんですよ」
ああ、そういう……。それだけで諸々の理由に納得できた。私はもう1人の方について尋ねた。どうもこの人に合わせてバイクだったっぽいから。
「ん? 学園祭で逢ってなかった?」
『エル』が言う。それに金髪の人が答えた。
「すれ違いだったのかも」
そこから商談用のテーブルに着いてもらい、常設してある電気ポッドでお茶を入れた。その後、彼女達の口から真相が明らかにされたのだった。
「彼女は2年前に私がこの世界に残していった、もう1人の私です。ナンバーズではありませんので、あなたが知らないのも無理はありません。これは倫敦の彼女も同じです」
ナンバーズではない? どういう……?
「私が最初期に創った、ナンバーを振る前の人格です。ボーデンやシュラムを知りませんか?」
首を振る私に、その人はアオレアール・フォン・アインツベルンと名乗った。そして『王一诺』と中華名も教えてくれた。
「どうしてそんな名が?」
「あなたの中華料理の知識は、私からではありますが、その大本は彼女からですよ」
なんとこの人格違いの彼女は、7歳から12歳までの5年間、20歳くらいの容姿を持つ人形を使って香港の料理店で修行をしていたのだ。おかしいと思った。いくら『エル』が特別なのだと言っても、そう簡単に覚えられる筈がない。そこを変だと思いつつも敢えて考えないようにしていたら、5年もきちんと修行していたなんて……。
「今の中国を抑えているのは、彼女と『現象の彼女』が喚び出した英霊達なのですね。私としてもサッサと掌握して終わらせて欲しいところですが、『現象の彼女』が並行世界どころか、全宇宙のどこからも侵入できないようにしていて。それが功を奏して、人々は静かに目覚め、緩やかに……まさにソフトランディングの目処を付けられた訳です。私が考える方法や、予測していた方法とも異なりますが、これが『現象の彼女』の望む方法だったようです」
「この2006年からなら、2020年末の『水瓶座の時代』『風の時代』まで十分な時間があります。なので混乱も最小限で抑えられるでしょう」
何を……?
「風?」
「占星学のグレートコンジャンクション(合の状態)とグレートミューテーション(元素の切り替わり)ですよ」
「ああ……」
そうか、全部重なるのか。
最初の『水瓶座の時代』はプラトンも唱えたという、おおよそ2千年ごとに変遷する時代の様相を指す。たしか……牡牛座(タウルス)の時代が紀元前4千年から2千年頃で(占星術の始まり)、牡羊座(アリエス)の時代が紀元前2千年から紀元元年頃で『金属器文化の時代』、魚座(パイシーズ)の時代が紀元元年から2千年頃(これが今だ)が『物欲の時代』。そして次の水瓶座(アクエリアス)の時代が紀元2千年から4千年で『精神の時代』と言われている。まぁ魚座をうお座と読まずさかな座、肴座なんて読めば食欲(物欲)の時代だったなぁと確かに思う。だって次の水瓶座は水だけだからね。
グレートミューテーションは、おおよそ200年から240年の期間で星座のエレメントが切り替わる事を指し、グレートコンジャンクションは2つの惑星が合(その星座の中で並ぶ)事を指し、今回のは土星と木星が水瓶座の中で並ぶことを指している。こちらは20年ごとに起きていて、世間にも大きな事件が起きるとされているが、まぁそんな程度だ。グレートコンジャンクションもグレートミューテーションも、占星術や占星学なら全部が重要なファクターなのだろうけど、長いスパンでものを見る魔術師に20年は短い。だけど240年ごとのグレートミューテーションは大きな意味がある。
ざっとその関係を書き出すとこうなる。
1583年 魚座 水
1603年 射手座 火
1623年 獅子座 火
1643年 魚座 水
1663年 射手座 火
1682年 獅子座 火
1702年 牡羊座 火
1723年 射手座 火
1742年 獅子座 火
1762年 牡羊座 火
1782年 射手座 火
1802年 乙女座 地
1821年 牡羊座 火
1842年 山羊座 地
1861年 乙女座 地
1881年 牡牛座 地
1901年 山羊座 地
1921年 乙女座 地
1940年 牡牛座 地
1961年 山羊座 地
1981年 天秤座 風
2000年 牡牛座 地
2020年 水瓶座 風
2040年 天秤座 風
こうして見るとガラッとではないが、ジワーッとエレメント(元素)が変わっていくのがわかるだろう。そして思い出して欲しい。聖杯戦争はいつ始まった? 遠坂のエレメントは? アインツベルンや間桐のそれは?
『こうこうこういう理由でな。今ならお主であろうと勝ちの目はある』
なぁ~んて、誰かが誰かを誘い出す口実に使ったのは間違いない。そしてその後は『地』の時代だ。その『地』の時代は乙女と山羊の時代でもあった。山羊とはバフォメットに象徴される悪魔(頭に浮かんだのはアンリ・マユ)であり、乙女とはその生贄(ユスティーツァ様)の事だ。第四次で終わらせるべきだったというのも、並行世界で『エル』が第六次に備えて眠っている世界がある(先生談)のも、以上の理由からだった。次は『風』の時代なのだ。注目したいのは1981年天秤座からの風。ここからの20年、(60年代70年代の助走期間があったにせよ)80年代90年代を最高だったと考えている人は日本人だけじゃない。そこには確かに夢と希望に満ち溢れた未来があった。映画も音楽も文化がピークに達したのがその時代だった。
「要は、精神の時代……情報共有の時代?」
金髪の美人はニコリとしてこう言った。
「情報は一側面です。本質は精神。人々の欲でなく心に訴えるものが最上とされる時代が来るのです。それは音楽などの芸術に顕著でしょう。あなたも、あなたの旦那様も無意識にそれを求めているんですよ」
「47番は私と違って健全ですからね」
「あなたが乱れ過ぎなんです」
今の自分を棚に上げて言えば、『エル』が乱れているのは今更だ。だけどこの言葉から、金髪の人はかなり『エル』を識っていると感じた。私のようなナンバーズに属さない『個』。アオレアールと名乗ったが、言葉はアオレオーレ(発音はオーリィーアラァに近い)で、その意味は『光輪』だ。その前のボーデンが『大地』、シュラムが『泥』。いずれもドイツ語だけど、どういう名付け方だろうか。でも光輪と名乗る彼女は、秘められた姉である『フリューゲル(風)』を連想させた。それはもっと真面目なミト(29番)であり、もっと大人になった『姉のイリヤ』のようでもあった。
天明の大飢饉が1782~1787年。天保の大飢饉が1833~1839年です。
これがまるっと『1782年 射手座 火』、『1821年 牡羊座 火』と被ります。これがあってこの物語は、聖杯戦争の準備のせいで大飢饉が起きたとしていたのです(第一部)。
今後はアトランティスやムー、タルタリア帝国の事なども描いていきます。