以前も話したけれど、ウチの家は『現象になった彼女が夢で描いた理想の家=パミちゃんの宝具の中にある家』がモデルであると同時に、私とフンボルトが住みたいと思い描いた家でもあった。だから色んな部分が凝っている。この東向き(20メートル離れたお店や工房の方に向いている)の玄関アプローチとサンルームは、出てすぐ左手のところにガレージの裏口があった。少しわかり難いけれど、ガレージは家から見て北側になる。日本ではないので冬の北風が冷たいという事はない。だけど家の北側を幅のあるガレージが塞いでいるので、道路からこの家は見えない。西側にある垣根の向こうは隣の家の敷地だけれど、そこは東側(こちら側)が庭なのでお互いのプライバシーも確保できていた。
そしてお店側から家を見たなら中央が玄関で、右側がテラス、左側がサンルームになっている。アプローチの木の階段を上ってサンルームに入り奥(南)に進むと、家の南側に建てた温室とこれまた階段で繋がっていた。アオレアールと『エル』が含み笑いをしたのは、その温室を覗いて、育てている野菜を確認したからだった。
「葉物野菜だけでなく根菜類も。さすがは『土』のアインツベルン」
『土』じゃなく『地』だけど、否定はしない。『エル』は冬木郊外のアインツベルンの森を完全に緑地化し、バイクのダートコースやモトクロッサー用のジャンプコースを作る傍ら、地下からお湯が出る古びた浴場を建て替え、その周囲にログハウスや飯盒炊爨場、アスレチックなどを建てていた。そこに菜園もあって地熱で野菜がすくすく育つのだ。しかもその温泉は源泉掛け流しで、湯量も豊富なら成分もかなり良かった。魔術師の森なんかじゃなかったら一儲けできたのにとボヤくくらい、今のあっちの森は凄いことになっている。そしてそこで家族の皆んなや、彼女に仕えるアサシン達が癒やされているのも事実なのだった。
また『エル』はどうしてか、館も建て替えていた。最初は知らなかったけれど、あの世界の館は何故か他の世界のものとはデザインが全然違っていて、新しかったのだ。だから訊ねたら倉庫にするために建て替えたと話していた。なので中は『エル』のコレクションしているクルマやバイク、楽器などでぎっしりだ。
余談だけど、『エル』がクルマやバイクのメカニックとして、13~4歳頃に鋳造した人がイルマタルだった。メイド以外の職を得て自立できるホムンクルスを目指して造られた野心作だった。メカニックに必要な知識はお祖父様や、お友達の好事家から拝借したらしい。そしてそのイルマタルは3年掛けて欧州と北米で、クルマやバイクのレストアや修理をしていた。その経験と腕に惚れ込んだお祖父様は、『エル』に買い取りたいと申し出た(交換条件がマアエモ・ママとルオン・ママの買い取りだった)。だから彼女はお祖父様の家で今も働いている。
そんなイルマタルが整備して『エル』に船便で送って来たのが、オリジナルのステンレス鋼管フレームを持つバイクだった。マルケジーニやらブレンボやらオーリンズやら、有名なパーツがふんだんに使われている今風のカフェレーサーだけど、エンジンはカ◯サキの『KH500』だった。空冷2スト3気筒だ。普通なら足りない部品を探して、なんとかレストアして誰かに売ったのだろうけど、その『KH500』はエンジンだけが余ってしまった物なのだそうだ。それで『エル』にどうかと思い立ち送ったという。けれど日本では登録できないので、結局アメリカに持って行って登録したという。館のコレクションの事を考えていたら、何故かそんな事を思い出した。
家の中に入ってスリッパを出した。アメリカなので土間も式台も上がり框もない。だけど大きめのマットが敷いてあって、そこで靴を脱ぐようになっていた。
「アメリカなのに土禁(土足厳禁)なの?」
驚いたのはアオレアールだ。彼女は香港に家を持っているそうだけど、仕事の関係でほとんどホテル住まいだという。
「あなたは私の中で1番スイス時代の記憶が薄いですものね」
『エル』の言葉でそうだろうなと納得した。それはスイス(お祖父様の家でなくヴェルデンベルグの家)で、靴を脱いでいたからだ。スイスや北欧など雪の降る国だと、屋内では靴を脱ぐ習慣を持つ家が時々ある。それは床を汚したり濡らしたりしたくないからだ。そんな私が覚えている事を、アオレアールは覚えていなかった。中華名を持っていたりもするから、『エル』の中では特殊な人なのだろう。他にも居るようだけど、どこで何をしているのやら。
思うにアオレアールの本来の容姿は『エル』と同じだろう。だけど今の背が高くスラッとしたモデルのような姿を見ていると、ニースやカンヌで見掛ける大金持ちの有閑マダムにしか思えない(私の目だと、既婚の25~6歳に見える)。ところがお店でもそうだったけれど、リビングのソファーに掛けて貰えば途端に若く見えた。それはソファーに深く腰を下ろさず、背筋を伸ばしいつでも立てるような姿勢を取るからだ。貧乏性から来ていると言うより、根っからの働き者という感じ……芯が自分と似ていると思えた。まぁ、私も彼女も『エル』の派生なのだから、どこか似ているのは当然といえば当然なのだけれど。
私が身重なのを気遣って、飲み物は凛さんが用意してくれた。それを頂きながら、アオレアールから世界情勢が落ち着くまでの中国やインドの動き、アオレアール視点でのEUやロシアの動きなどを聞いた。『エル』と事前に決めてあったのか、凛さんにアトランティスや異星人の事は話さなかった。だから私もその話を蒸し返す真似はしなかった。この後、話題が料理に移った。
「得意な料理ってあるの?」
「ええ。福建料理(台湾料理や海南料理を含む)や広東料理(香港料理や澳門料理を含む)が割と。江蘇料理(上海料理)や浙江料理も多少作れますよ」
「へぇ~。海に近いところばかりね。四川や山東料理は?」
「北京料理以外は、有名な料理を1~2品食べた程度です」
「じゃ、麻婆茄子とかイケる? 作るわよ」
「良いですね。食材と調味料があるなら私も何か作りますよ」
「それがあるのよ、ここは」
それで今夜は凛さんとアオレアールが作る事になった。それは競争意識からでなく、意外にもこの短時間で意気投合したからだった。きっとそれは凛さんが大人で『わかっている人』だからだ。私もそれがあって凛さんを姉のように感じている。また凛さんも『妹』に対して埋めがたい思いがあるので、年下の私を可愛がってくれる。そういう部分がアオレアールにも伝わったのだと思う。
そこからは私と『エル』、凛さんとアオレアールの二組にわかれて話していた。それで『エル』は私の顔を覗き込んでこう言った。
「息子クンは将来絶対にキーパーソンになるでしょう」
ズバリ息子と言い当てて来た。
「そうなんですか?」
「ええ。で、その子の2年後に女の子、翌年も年子で女の子。一太郎ですから伸び伸びと、でも大切に育てましょう」
ちょっと! この子の後は女の子ばかりなんですか?
「さぁ? そこまで視ていないので、4番目5番目は知りません」
どうやら制限しない限り、5人は子供が持てそうだ。
「その子達が大きくなって、自分から望み、家族でツーリングなどを楽しむ機会でもない限り、バイクは乗らない方が良いですよ。今のあなたはお腹の子を慈しむあまり、精神の壁が薄くなって、私という大元の存在にアテられています。自分を見失わず、フンボルト君とギターの事だけを考えなさいな。物欲に塗れた『地の時代』は終わります。次は『風の時代』ですよ?」
『風の時代』か。私の事は完全にモニターされているんだろうなぁ……。
「それに18インチより21インチですよ?」
これはオフロードバイクの前輪の事だ。通常、オフロードバイクでフルサイズと言えば、前輪が21インチのものを指す。125ccなどで19インチしかないものは街乗り向けのバイクとされ、本格的なオフロードに向かないとされる。そして『SEROW』は21インチで、『TW』は18インチだった。あの太いタイヤは比較的平坦な不整地には向くけれど、岩や樹の根が飛び出て轍のようになったデコボコ道だと合わないのだ。またその太さ故にコーナーでタイヤの角を使っているような違和感を覚えたりする。どちらもパワーのないバイクだから用途は限られる。だけど小柄な女性でも足が届き、押してでも帰ってこれる安心感がどちらにもある。だから『エル』は両方に乗っている。どちらか片方とは行かないのだ。でも彼女の軍配はスペックの観点から、とっくに『SEROW』に上がっていたようだった。
そして彼女はやはり詳しかった。また、自分を卑下して(自身を物欲魔と言った)私を持ち上げている(音楽に関わっているから)が、『SEROW』や『TW』のエンジンを腰下から分解整備できる女性はそうそう居ないだろう。その知識はイルマタルがどうこうでなく、『エル』自身の努力の賜物だった。気に入ったものがあれば何でも買い求め、後年価値が上がると見れば複数ストックする。そんなだから無駄にコレクションしているものも多い。ヤマハ党なのは知っていたけど、『SR』だけで30台以上、『ブロンコ全色』なんて意味のわからないものまで時間凍結して保管しているらしかった。
だけど『SEROW』を50台近くも持っていたなんて知らなかった。新車は日本に来てからのものに限られるけれど(中でも『おんぶセロー』が好きと言っていた(4JG7)。私もよく見ていたのはそれのシアンだ)、ここ数年の普段乗りはセルが付いた最初のモデル(3RW1)の赤で、それは彼女が自分でレストアしたものだという。軒下ならまだしも、雨晒しで朽ちて行くだけのバイクを見ると堪らなくなって、何度か現金で買い取った事もあるそうだ。それで良パーツのみで組むと、20台あっても1台程度しかしゃっきりしたのができないという。次点が最良パーツの欠けたニコイチやサンコイチのものだそうだ(だから部品を取り寄せて組み直し、森の中の移動用としてアサシンや姉達に提供するか、業者に売っているという)。そして最後に2~3台どうしようもないのが残るそうだ。それは大抵事故でフレームが歪んだものだという。それでもフレームナンバーと書類は残るので分解した状態でストックしてあるそうだ。
いつそんな修理をしたり、レストアする時間が取れるのか。そこでエーテル出力だ。私が知らなかっただけで、彼女は初等部(小学部)時代からこんな調子だったという。日本に来たばかりの頃の『SEROW(4JG3)』は何度も何度も分解して組み直したらしい。
「1年間、暇を持て余していましたからね。工具はシロウさんに投影して貰って。料理だけでなくバイクの整備もあの人に教わりました」
今一つピンと来ない、要領を得ない発言だ。学園があるだろうに、1年間って何だ? それもエーテル?
「今も乗っている『TW(225/BA-DGO9J)』も3~4回は腰下から割っています。自転車でもそうで、手に入れたその日にボトムブラケットや前後輪のハブをグリスアップしないと気が済みません。バイクも同じです。前後輪のベアリング、カムシャフト受けのメタルを良質なベアリングに換え、スイングアームのピボット軸をグリスアップするだけで持ちが違いますよ」
彼女の持つロードバイクは、前輪を手で回すと1分以上も回り続ける。そのくらいハブの調整には厳しい。好きこそものの上手なれとは言うけれど、その知識は女の子のそれでは無かった。そして私が持つ整備の知識は全部『エル』が体験したものだった。まだ私が私でなく『エルヴァ』と同じだった頃、柳洞クンの家のスクーターを直した事があった。そのキャブレターの分解洗浄は『エル』が何度も何度もやってきた事だった。ジェットの詰まり、フロート室のガソリンの腐敗に変質、固着……あの嫌な臭いを我慢して、クリーナーで磨いたり、洗浄剤を溶かしたお湯で煮沸したり……。事故にでも遭って目に見える損壊でもない限り、バイクの不調の原因は、ほぼキャブレターの整備不良かバッテリーの管理不足だった。
『TW』もやはりで、『エル』は『TW200(2JL/角目ライト/前後ドラム/87~98年)』と『TW200E(BA-DGO7J/丸目ライト/98~01年。00年と01年は前ディスク)』を複数台持っていた。今乗っている『225』の初期型も好きなのだが、角目の『200』も好きだという。スカチューンされて、あちこちサビだらけのまま放っておかれた『TW』を見ると、内蔵を抜かれて棄てられたように見えるという。だからアサシンを使って持ち主を探し、『乗らないなら売ってくれ』と申し出るそうだ。そうして買い取り、手直しし、森の館で保管する。なのであの世界の冬木を含む地方の中古マーケットでは、『SR』『SEROW』『TW』のタマ数が極端に少なくなっていて価格が高騰しているという。愛情とはエゴであり、金持ちの道楽でもあったのだと妙な考えが頭に浮かんだ。
「持っている=乗っている、ですか。保管とコレクションも、あなたの中では異なるようですし」
サビの浮かんだ『200』で良いから、1台回してよとついつい思ってしまう。だけどそれならアメリカ向けの『TW』を正規に買えと言われるのは先程の通りだ。そこでもしやと思い聞いてみれば、やはり他社のストリートバイクや、往年のレーサーレプリカも『保管』していた。だけどそのほとんどは2ストだという。
「それはまたどうしてですか?」
「ストリートは別としてレーサーレプリカは、日本に来た頃ですともうブームが去って、ほとんど生産中止だったからですよ。手に入るのは最後期の馬力規制が強かったものだけ(250なら45psが40psになていた)でした。ですが2ストなら、その抜かれた牙を取り戻しやすいでしょう? それでですよ。ですので何台か手に入れた『R1-Z』は1台だけナンバーを取っていて、それにたまに乗っています。ですが、絶頂期の『TZR』とかだともったいないでしょう? 新車状態で『SPR』や『RGV-Γ』を現在も保管していますが、今となったらあれは乗れません。『イリヤ』もそれで『aprilia』の『RS250』だったのですから」
そうなのだ。姉さんも『RGV-Γ(VJ23A)』を持っているが(ラッキーストライク・カラー。ルオン・ママに無理を言って譲ってもらった)、勿体ないからと『aprilia』を後から買ったのだ。日本では98年頃に2ストは一気に消えた。だから私も第四次の世界で『R1-Z』や『DC2型インテグラ』を投資目的で買ったのだ。
ところが不思議な事に欧州では、2004年頃まで売られていて、激戦区の125cc(免許制度の兼ね合いで、この排気量に人気がある)なら他社のモデルも生き残っていた。特にイタリア向けモデル、或いはイタリアメーカーのモデルだ。『パミ』が『Cagiva』の『Mito(125ccの2スト)』に乗っていて、『ミト』と『エル』が『TW125(欧州専用)』に乗っていると聞いて笑った覚えがある。
今にして思えばだけど。日本に於けるこれらレーサーレプリカは『時代の寵児』でなく、それまでの『厳しい規制の反動』だったと私は考えている。そしてそれはメーカーとユーザーが同時に陥った共同幻想の産物でもあった。この幻想のブームを醒めた目で視ていたメーカーが『カワサキ』だろう。一部の人御用達のように見えて、その実『ZEPHYR』のようなバイクを求めていた人は結構居たと思う。ネイキッドは『ZEPHYR』前と、『ZEPHYR』後で明らかに変わった。
クルマ業界のトヨタのように、美味しいところはホンダが浚っていった(CB400 SUPER FOUR)のだけど、『エル』が『XJR』と『ZRX』で迷っていたのは知っていた。最後の決め手は先生(魔導師)の課題に答えるには『空冷(イリヤは油冷のイナズマ)』である必要があったからだった。それが結局、結果としてヤマハで揃えた形になっただけで、ライムグリーンのビキニカウル付きは『ZZR』とともにかなり好きだったと思う。『1100』や『1200R』が似合わない体型なのは本人もわかっているだろう。だから逆説的に『ZRX400』は持っている可能性がある。
「私からも尋ねますが、あなたはこちらで自転車には?」
「持っていますよ。『SURLY』の……」
「『SteamRoller』?」
「いいえ。『Cross-Check』です。カリフォルニアなら『MTB』か、こういうのでしょうね。ですけど、お買い物はクルマです」
「国土の広さとライフスタイルですか」
「はい。ピストは……言葉は悪いですが、せせこましい街にしか似合いません」
アメリカならニューヨークやボストンだ。日本も冬木なら似合うと思う。『SteamRoller』に乗って学園に通っていたあの頃が懐かしい。けれど西海岸(ウエストコースト)のこの辺りだと似合わない。それは行動範囲が広過ぎるからだ。何より走っているクルマの速度が大都市と衛星都市では全然違う。なので自転車が危ない、ほとんど自動車専用道と言ってもいい道路も多いのだ。特にロスに近いところはそうだ。
だからパミちゃんにも自転車は買ってあげたけれど、幹線道路で走るなと言ってある。どこのママだと自分でも思うけど、事故に遭ったり怪我をして欲しくない。
「だから、パミも居るしエルヴァは妊娠中なんだから、『麻辣味』はそこまで効かせないって」
「ですよね~」
耳に届いたのは凛さんとアオレアールの声だった。パミちゃんの事を考えていたので、耳に入ったっぽい。あっちはあっちで料理談義が続いていたようだ。その凛さんの楽しそうな声が、私のざわつく心を鎮めてくれた。先程から私が益体もなく、延々とさほど興味もないバイクの事を考えていたのは、ある種の現実逃避だ。それはアオレアールの存在が怖かったからだ。ひいては『エル』が怖かった。
このアメリカにも中国の政権が代わった事はニュースとして届いていた。そして新政権の暴露により、前政権だった共産党に利益供与していた上院議員や下院議員が辞職に追い込まれたのは記憶に新しい。大手メディアも幾つか入れ替わり、左派メディアは完全に消えた。そしてそれはアメリカだけでなく日本やEUも同じだった。かなり大きなスキャンダルだったけど、1年2年と過ぎると、人はそんな事を忘れていった。誰しもが、『自ら悪に堕ちる者の事など心底どうでもいい』とばかりに、そのペースは早かった。だから混乱も少なく、ケーブルTVの放送局が代わっても気にも止めなかった。
ところで一般論としてだけど、魔術師は暴力にまず屈服しない。魔術の腕が良い人は、その暴力が個人レベルでなく、組織や国家だとしても恐れない。それは証拠となる武器も使わず、集団に護衛されている標的を確実に消せるからだ。証拠がないので犯人は特定されないし、警察の俎上にも上らず、メディアもすぐに沈静化する。それでいて魔術師なんて存在を知っている耳聡い者は決まって裏稼業を営む者達だった。だからそういう連中を手懐けている『あちら側』も、魔術師には手を出さなかった。むしろ様々な『オミヤゲ』を用意して、仲間に引き入れようとしただろう事は想像に難くない。
そして『エル』は『不殺の誓い』を立てている。そんな『エル』の別人格が、国家権力の中枢にいる。これを怖いと思わない方がおかしい。アオレアールが人殺しだとは思いたくないが、それを命令せずにいられるだろうか? いや、それを行うために別人格を次々と作っていたのではないか? そして私もその1人ではないのか? そういう事を考えてしまうから、アオレアールが怖かったのだ。だから後ろ向きになる自分を戒める勇気が欲しくて、お腹をそっと撫でた。すると小さな命が『大丈夫だよ』と蹴って来た。ママに似て足癖の悪い子だ。でも、産まれる前から『愛しているよ』と、今度はもっと伝わるように撫でた。
パミちゃんが学校から戻ったのは、凛さんとアオレアールがキッチンに向かった頃だった。時計を見れば夕方の5時。日本やスイスと違って11月でも明るいけれど、部活なんてしていないのに。ちなみに公立のミドル・スクールならクラブは希望者のみの参加で、数も極端に少ない。日本で例えるなら、地元密着した校区を跨ぐ少年野球チームや女子ソフトボール・チームが近いかな。それの一校だけという感じだ。それでパミちゃんの通う学校には、バスケのチームしか無かった。
以前は内向的な部分のあった子だけど、友人も増えた今はギターを弾いたり(ウクレレも続けている)、スケートボードを楽しんだり(ミアータさんに憧れている)と、充実した毎日を送っている。成績は優秀で、先生からは『Gifted』であり『Talented』でもあると言われている。この『Gifted』や『Talented』は聞き慣れない言葉だと思うけど、アメリカでは最近になって広く知られた言葉だ(親の間でトレンド・ワードになっている)。元々は90年代前半に、そういう天賦の才を持つ子が居ると教育省が定義した事で、一般に広まった。そのための特別クラスやカリキュラムを用意する学校も2000年代になって徐々に増えている。ちなみに『Gifted』は学術的素質に対して使われ、『Talented』は芸術的素質に対して使われる言葉だ。
アインツベルンなら当たり前と言いたいけれど、パミちゃんは友人との繋がりを含む今の環境を維持した上で、自らの才能だけでなく、周囲もより良く伸ばす方法を考えられる子だった。それはパミちゃんの持つ高い共感性から来ている。
ここからは『エル』の知識だけれど、高い共感性を持つからこそ、協調性も高くなり、友人や部下達が頼りにするリーダーに自然と納まるのだ。学術的素養が高い人には、他者への共感性が低い人がいる。そんな『電卓』みたいな人は本来『Gifted』とは言わない。しかも自分より劣る他者を悪し様に罵り、悪い空気(低い波動)を周囲に撒き散らす人がまま見受けられる。こういう人は面接段階で、必ず落とすそうだ。『エル』が必要としているリーダー候補となる人材は、その部署に良い空気(高い波動)を作り出せる人だった。それが伝播しモチベーションをお互いに維持できるなら、結果としてその方が長期に渡る成功が見込めるからだ。『電卓』なんて、もっと性能が良いのが手に入れば終わりだ。それを持っておく(取り置く)理由を、その人自らが普段からの人間関係で削ぎ落としている訳だ。
「以前の国会中継なんて視ていたら、野党にそういう人が多いと感じたでしょう?」
パミちゃんとの挨拶を終えた『エル』だ。
「政策とはなんの関係もない、どうでもいいクイズを投げかけ、答えに窮するとニンマリするタイプ。人として終わっている、その恒温動物とは思えない冷血っぷり。持って生まれたバカとも言えますが、あれもレプに支配された人の特徴でもあるんですね」
そうなんだ?
「ええ。国会議員を例に出したのは悪かったですが、そうですよ」
「例が悪い?」
「ああ……。与党の中には、元社長など会社経営を経験した人が多いでしょう? でも野党、特に左派は社会経験皆無な、議員にでもならないと食っていけないバカしか居ない。つまり太宰的人間失格なんですよ。あの小説は他者への共感が低い人が増えてきたという風潮を描いているのです」
本当に?
「執筆業を選ぶ人にも左派が多いでしょう?」
中国の暴露で倒産した、各国の新聞会社の記者なんてそうだろうなぁ。
「まぁ、太宰は総じてクズですが、自分の身の回りはしっかり見て、それを文章にできる才能はあった訳ですね」
とにもかくにも、周囲のモチベーションを下げ、波動の低い言動に終止する人は、『レプティリアン』の支配下にある人だと見て間違いないらしい。そして日本版『どん底』とも言える『人間失格』を、それが書かれた両者の時代背景とともに語ってくれた。ゴリーキーの時代(ロシア革命前)、太宰の時代(敗戦の数年後)。それは『共産主義革命』という幻想を人々が懐く前夜であり、そのムードや空気を受け入れられるほど人々が疲弊していた(精神的に病んだ)時代だったのだ。
「そう。その心が病めば病むほど、極上の『負エナジー』が得られます。『共産主義』とはレプが『あちら側』を介さずに行おうとした搾取システムなんですよ。ところが『あちら側』は『あちら側』で、5億人を残して後は消すなんて……実に勿体ない。だから2012年以降の未来が途絶えるのでしょうね」
何だか急に予言を始めた。
「私は雄鶏でもしっかり育てて、美味しく頂きましょうってタイプですから。加工してしまえば雄か雌かは不明です。味付けチキンソテーのパックなんて、『日本の炭火焼きを再現しました。ヘルシーなヤキトリ味』と書いていますが、バカ売れです」
こういう奴だった。当然、もも肉は別の商品にして売っているのだろう。ひよこの粉砕を暴露してライバル他者を貶し、自分のところでは全部育て美味しく加工していると大々的に宣伝する。『善』なのか『悪』なのか意味不明だけど、本人は『膳(お膳の膳)』と言い切る。『毎日あなたの食卓に幸せをお届けする、イブ食品』。『エル』が営む食品会社のキャッチコピーだ。
「あなた、ひと様を奴隷か何かだと?」
「気付かなかっただけで、今まではそうでした。あの手この手で税金として搾取され、それらが中央銀行を通して『あちら側』へ行く。そういうシステムにされていたのです。ここは今後どうなるのか。心ある人は『NESARA/GESARA』を唱えるかも知れませんが、時期尚早でしょう。ですが、あなたは株や商売などで儲けた貨幣を現金で口座に預けず、『金』や『銀』などの貨幣の代わりになるもの、或いは『土地』などの不動産に換えなさい。まぁ、ヴィンテージのギターを買い漁っても良いですが、それはすぐに現金化できるのか、そのマーケットがいつまで存続するのかは、考えておかなければならないでしょうね」
『エル』が指した不動産は単なる土地ではない。霊脈の事を指していた。霊脈は魔術師に限らず、スピリチュアルな事を『わかっている人』からは、昔から土地よりも価値のある不動産と言われていた。そしてそのマーケットは昔から狭い。それは当たり前の事だけど、その言葉を知っていても利用できる者が極端に少なかったからだ。だけど『エル』は使えるし、私もスイスのエルもそうだし、きっとアオレアールもそうだろう。私とエルがネバダの霊脈を取った事を、お祖父様のみならず『エル』も2年前から高く評価していた。それはこの世界の価値観がガラリと変わる日が来る事を予測していたからだった。
「ところでエルヴァ。パミちゃん、何かを持って帰ってきましたよ」
「え?」
「時間から察するに学校帰りに友人から預かってきた?」
ああ、その意味か。
「ギターの修理かな。フンボルトを通すと金銭が発生するので、あの子を通す中学生がチラホラと。ま、お小遣い程度は必ず受け取りなさいとは言ってあります」
「ですよね。わからないところはあなたやフンボルト君の知識に頼らざるを得ない訳ですし。何より友情を感じているからこそ引き受けるのであって、他人(ひと)様の労力には対価が必須と中学生なら学んでおくべき事です」
「そう、そこなんです。だから安請け合いしないよう、釘を刺しています」
「それをキチンと?」
「ええ、聞き分けてくれています。本当にいい子ですよ」
それでパミちゃんが、自分の部屋からリビングに降りてきたら、『エル』はこう言った。
「ギターとバイクとどっちが欲しいですか?」
こいつ、中学生の女の子にそういう事を言うのか。しかも私には渋ったくせに。だけど『エル』が玄関前に出したバイク(ギターは既に何本も持っているのでバイクと言った)は、『Kawasaki KLR250』だった。日本だと『KL250R』という、30馬力を出している『KLX250SR』の前の型で、2馬力少ない28馬力のモデルだ。『闘う4スト』の初代と言ってもいいこれが、実はこのアメリカでは海兵隊武装偵察部隊で採用されており、2005年まで売られていたのだ。『エル』が自分のアサシンに与えているバイクでもある。
そしてそれを見たパミちゃんは大喜びだった。へぇ、好きなんだ? 意外な面を知った。プレゼントする条件は、正規の免許を取るまで、庭以外では乗らない事だった。こんな程度ならキチンと守れる子だ。ヘルメットや手袋を用意してあげないと。並行世界の冬木で手に入れた『KLX250SR』は倫敦の『エルヴァ』のものだ。なのでこれは良いなと、私までがウキウキしていた。
「エルヴァは乗っちゃダメだよ?」
「え~、貸してくださいよ」
「そんなお腹でどうするの?」
産んだ後の事を言っているのに、皆んなから反対された。頭の中ではデヴィッド・ボウイの『スターマン』が流れていた。『子供に押し付けず、好きにさせてやって。そうしたら彼らなりのブギーを楽しむから』……。
だから私は子供を産んだ後に、中古で『Kawasaki Zephyr550』を買った。エルマを経由して、それこそ日本風(ZⅡ寄り)な改造をしたのだ。タンクとシートカウルも火の玉に塗り替え、『BEET』のパーツを取り付けた。遅いバイクでも、4気筒の集合管は良い音がする。同じ4気筒でもトルク重視で高回転が不得意なクルマだとこうは行かない。例えロードスターでもハチロクでもこの音は出ない。
フンボルトもそんな私に感化されて、『Kawasaki ZRX1200R』を同じく中古で手に入れたのが2007年の4月だった。『ZRX400』の3倍の排気量は赤い流星だった。パミちゃんが高校生になって正式に免許を取った2008年は、息子のレオをモニカさんに預けて3人でツーリングに出た。多分この時だ。私が次女(長女)を受胎したのは。
次々と出来上がる中華料理は、熱々の内にモニカさんにも届けた。これは『Thanksgiving Day』の仕込みで、あの人が何も食べていない事を知っているからだ(昨年もそうだった。ミアータさんが居ないとどうも危ういところがある)。
メニューは少し甘めな麻婆茄子に青椒牛肉絲(ここまでが四川料理)、餃子(北京料理、水餃子)、檸檬鶏(鶏唐揚げのレモンソースがけ)、古老肉(酢豚。しかも牛肉で代用。ここまでが広東料理)だった。さすがの凛さんもアオレアールに舌を巻いていた。夜の6時半にお店を閉めたフンボルトと士郎さんが戻った。お店は朝11時、夜6時の7時間営業だ。これは工房に籠もる時間を少しでも長く取るためで、フンボルト自身の仕事時間は正午から夜9時の9時間労働が常だった。休憩も夕食の時だけだ。
だけど今日はこれで終わるという。それは『エル』やアオレアールから、もっとアイデアを引き出せないかと考えているからだった。なので私は食後フンボルトにお酒を薦めた。それは彼が私に合わせてずっと断酒していたからだ。これらの事情を正直に話すと『エル』とアオレアールはフンボルトだけでなく士郎さんや凛さんにも、それこそ彼女とは思えないほどの『気前良さ』で、それぞれのためになるアイデアを披露してくれたのだった。
ちなみにこの『気前良さ』は金銭面の事ではない。『アイデア』の事だ。仮にも彼女は錬金術の大家、アインツベルンの頭首である。その秘術も超一流なら、世間一般で使われる意味での錬金術にも長けていた。だから幾らでも稼げる『お金』にはあまり頓着しない。だけど『お金を生み出す秘術(コツ=アイデア)』を他人に教える事など滅多に無かった。それは『錬金術』や『魔術』の『コツ』を教えるようなものだからだ。アイデアありき、そのアイデアを実現する行動力ありきなのだ。そしてそれを『創造力』と言うのだ。
就寝前にバスから出ると(私とフンボルトは部屋に備え付けのバスルームを使っている)、フンボルトがベッドサイドに置いたソファーに腰掛け、テーブルでメモを取っていた。今夜聴いたアイデアを忘れない内に残しているのだ。
「パミちゃんは?」
「『エル』達も自分達の部屋に戻ったようだから、もう寝たかも」
「良かった。放っておくとすぐに夜更しするから」
「ハハ……僕らも子供の頃はそうだったよね?」
「ですね。ガミガミ言い過ぎかな?」
「いや。姉であり、母であり……有り難い存在だと言ってるよ。大好きだってさ」
もう……フンボルトには素直にそういう事を言うんだから……。だけど何人ものメイドに育てられ、これと決まった人が居なかったパミちゃんは『母』という存在に憧れていた。だけどそれは『現象となったエルヴァが復活させたお母様』ではなかった。出会った翌年の『母の日』から、『姉の日なんてないから代わりに』って花をくれた。だけど私の誕生日のプレゼントはフンボルトと共同だったりする。またフンボルトの誕生日も私と共同で、『父の日(アメリカには父の日の習慣がない)』には独自でプレゼントを渡していた。パミちゃんはそういう子だった。
だから可愛い『長女』の部屋は凝りに凝って、相談しながら造った。部屋の中に部屋があるなんて欧米ではありがちだけれど、北側の天井は完全に吹き抜けにして夏でも暑くないようにした。そしてその吹き抜け部分にロフトを造り、そこからもう片方の天井裏に行けるようにした。そのロフト下に造り付けの本棚と勉強机があり、ロフトの上に下に置いたベッドとは別のソファーベッドと本棚がある。勿論、その天井裏は外向きと室内(吹き抜け側)に窓があって、空気が入れ替えられるようになった三角屋根の普通の部屋だ(そこにもベッドがあるので仲の良い子が時々泊まっていく)。
更に思春期を迎えるこの子のために、私とフンボルトはパミちゃんに内緒で、クローゼットの裏に『秘密の小部屋』も造った。これがあるから天井裏が広いのだ。だけどそれは隣の部屋の上まであるからだと思っていたらしい。してやったりだ。だって家が完成しても教えず、今年の誕生日になって初めて教えてあげたのだから。
『隣ってまるっきり弟(生まれてくる赤ちゃん)の部屋だと思ってたよ』
『お姫様とは距離を空けるべきだろう?』
フンボルトの言葉でパミちゃんは涙を流していた。そこが今はどうなっているのか私は知らない。キノコが生えていたり、苔むしているとは思わないけれど、キチンと掃除しているかなぁと気になる。だけどその子だけが管理するその子だけの空間を用意すると、不思議と部屋そのものはオープンとなって、私が掃除に入ってもパミちゃんは何も言わない。これはフンボルトのアイデアだった。
『魔術師に工房が必要なのとは少し意味合いが違うけれど、僕が設計した工房で安心できるのはそこもあるんだ。君と居ると安らぐのは間違いないけど、僕にも僕だけの空間が必要だったんだね。それの応用さ』
それがあって、ガレージの2階を私のものにさせて貰った。実は私達夫婦は部屋こそ同じだけど、ベッドは別だった。それは私に『蹴り癖』があるからとも言えたけれど、お互いにセックスしない日は、隣が妙に気になって眠れない場合があったからだ。これはフンボルトと末永く添いたいからこそ真剣に話し合った。それで身体を休めたい時はあるのだから、普段は別々のベッドで眠ろうと決めた。だけど、後日どこの夫婦もこんなものだとわかった。マリーさんとタケシさんもそうだったし、凛さんと士郎さんもそうだった。
『あったりまえじゃない。なんでそんなのに一々真面目に考えるの? 士郎なんて終わった後に、一緒のベッドで眠るとイビキはかくし、屁はこくし……堪んないわ』
私もフンボルトにされた事がある。行き場を失った生ガス(下着を着けていない)が、同じ毛布なので二人の隙間、つまり頭と頭の間からムアっと立ち上るのだ。それでもって肉食の私達のガスは臭い。夜中に愛するキリコが発生する毒ガスで咽た私だ。そんなだったから、セックスはクローゼット脇に設置して貰った入り口から入って、あの空間でばかりしていた。お腹が目立つようになってからは数ヶ月セックスレスだった。これが思った以上に苦痛だったのは、話した通りだ。
翌日、学校に向かうパミちゃんを送り出して家の掃除を始めたら、あの子の部屋にギターが置きっぱだった。期限はかなりあるみたい。というのもギターがメキシコ製の白いフェンダー・ストラトで、修理箇所がフレットとフィンガーボードだったからだ。
「持ち主の子は自分でスキャロップにしようとして失敗しちゃったのか……。これを綺麗にしようとしたら、時間が掛かるぞ~」
元の加工が浅いから、鬼ヤスリ(粗目のヤスリ)で削り落として、そこから仕上げる手が使えるけれど……先にガタガタのフレットを打ち替えるかヤスリで整えないとね。できるかなぁ……。手を出したいところだけど、手を出せば怒るだろうなぁ。掃除を終えて(掃除機だけ。廊下やリビングはロボットがある)フンボルトに報告したら、『どうしても無理なら自分から言って来るよ。それまで見守ろう』と言われた。そうだよね。
「あれ? 『エル』は?」
凛さんと士郎さんは夜中に母屋に戻っている。士郎さんも出勤は11時半なので、朝はゆっくりだ。だから今の時間に居ないのはわかる。だけど『エル』は? フンボルトの前でコーヒーを啜るのがアオレアールだけだったので気になったのだ。
「パミを後ろに乗せて学校だよ」
「え?」
全然、気付かなかった。
「『エル』が戻ったら、買い物に出ましょうか?」
「何を言って……お店番が」
「それを『エル』に任せて。赤ちゃんグッズを揃えに行きましょうよ?」
やられた。どうやら、フンボルトとは話がついているらしい。それでお店の開店準備だけして、戻った『エル』に後を頼み、私はアオレアールとクルマで街に出た。そのクルマもウチのじゃない。彼女が宝具から出したのは、左ハンドルでキャンディ・アップルレッドのA80系スープラだった。彼女の説明によると、積まれた2JZ-GTE型エンジンは、摺動部(しょうどうぶ)を全部擦り合わせして、クランクシャフトの錘を削り、各シリンダーの重量バランスもバッチリ取られているという。なのにそのタービンとインタークーラーはノーマルより大きく、600psを上回る馬力を軽く叩き出すそうだ。ミッションは当然V160型6速。『エル』から借りたものを参考にして、2005年の春から半年がかりで造ったらしい。『操縦させて』と頼んだが断られた。
「お腹のこともありますが、コーナーの立ち上がりが、アクセルワークひとつで『あっち向いてホイ』ですから」
何が600psだ。シャシダイで800ps出ていたと白状してくれた。
「じゃ、ガランドウにしてスポット溶接増しから?」
「ええ。補強板から何からガチガチです。(負荷の掛かる部分の)『逃げ』がないから、(ボディが)死ぬのは早いでしょう。なので滅多に乗りません。でも、自慢じゃないですが、これを知って欲しくて」
リアスポイラーだけでなくフロントのリップスポイラーの裏まで静電気除去スプレーを吹いてあり、各所に魔力を通すステッカーが貼ってあるという。タイヤはホイールに張り付いた『海苔』みたいに薄く、横幅はボディとツライチだ。3リッターターボの重低音を響かせてスープラは発進した。そのタイミングでボスっとお腹が蹴られた。男の子だなぁ。こういうの好きなんだ……?