私達の住むハンティントン・ビーチには、南北に真っすぐ伸びる39号線と、そこから斜めに枝分かれして、この街のシンボルともなっている桟橋(ピア)へと続くストリートの2つにショップが集中している。認識的にはどちらもメインストリートなのだけど、桟橋の道は39号線が整備される前から賑わっていたので、正式名称も『メインストリート』となっていた。
そしてその『メインストリート』沿いに、この界隈の公立小学校や中学校・高等学校が並んでいた。なのでパミちゃんの通う中学校のすぐ近くにお目当てのベビー・ショップがあった。家からスープラで5分も走っていない。お腹が大きくなければ、歩いていける距離だ。それでもクルマを出したのは、私への気遣いとクルマの調子を見るためだったとアオレアールは正直に話してくれた。
「いえね。あのクルマ、ナンバーが香港じゃなくこちらでしょう? アメリカでしか表に出せないもので」
ああ……。
「中国で活動されているのに、どうしてアメリカのナンバーを?」
「私は元々、あちらの世界での極東アジア担当だったんですね。なので『1年革命』にも参加していました」
『1年革命』とは『エル』や私が居た元の世界で起きた、中国人民の蜂起の事だ。共産党が倒され、自由経済・自由主義の政府が立つまでの1年間を指している。『エル』が仕掛けた(掌握した)らしいとは耳にしているけれど、ナンバーズの誰が参加していたのかなどの細かい部分は知らなかった。
「もしかして『1年革命』にナンバーズは参加していない?」
「いえ、数人は参加していたと思います。ですが中心メンバーは私、シュラム、ボーデン、他4名です」
「『エル』にはあなたのような、ナンバーズに属さない別人格が7人も?」
「さぁ、7人なんでしょうか? ただ、私とシュラムとボーデンの他に4人居た事、私達が最古参で、あなた達ナンバーズのプロトタイプだった事は間違いありません」
買ったベビー用品をクルマに積んで、カフェに入った。あれもこれもと彼女が全部プレゼントするというので、せめてカフェでも奢らせて欲しいと申し出たのだ。そのカフェでの会話だった。
「そんな風に元の世界では仲間が居て、極東アジアや東南アジアにインド、ロシアからEU、北米、南米といった具合で担当していたんです。ところがこっちの世界だと私1人でしょう? 幾ら『現象』の喚び出した英霊達の後押しがあると言ってもやる事が多過ぎて。それで行く先々で足を買い求めていた訳です。アメリカで乗るなら、本当はフォードGTが欲しかったのですが、経費も交通費も自分持ちだと言われていましてね」
日本で買ったロータス・エキシージも自分持ちだったという。
「それこそ経費でしょう? 『エル』は出してくれなかったんですか?」
「ええ……」
その理由が凄まじかった。共産党幹部がスイスやアメリカに逃していた隠し財産を、『エル』は総てぶん取り、お祖父様と山分けにしていたのだ。ざっと日本円に換算して数百兆に及ぶという。なのに彼女には、『現象の彼女』が消した『あちら側』の財産やビジネスを奪えと言明していたそうだ。それを全部把握し、奪い取るまでに2年を要したという。それも中国の現政府と折半にしていて、人民にも回るようにしてあるそうだ。それで経済を立て直した今後は、2016年を目処にして緩やかに各国で、今まで『あちら側』が搾取していた分をすべての人に還元できる道筋を作るという。
「ですから、アメリカの各州もゆっくりと税金などが下がりますよ」
今の彼女は、『エル』に近いほど財産を貯めたという。これは人々から『あちら側』が搾取してきた分の、2年分を彼女が先に頂き(慈善活動で使うそうだ)、平行して中国経済のために5年分を現政府に回し、その後に全世界の人々に回るよう、間口を広げるという意味だった。そんなややこしい手順を踏むのは、自らの懐を暖めたいからだけでなく(だけどどういう慈善活動をするのかをキチンと聞けば、決して私利私欲で動いてるのではないとわかる)、ゆっくりと人々を目覚めさせる意味もあるのだそうだ。また、お祖父様やエーデルフェルトに時計塔といった魔術師と揉めたくないので、霊脈事業には手を出しておらず、今後も手を出さないそうだ。それら霊脈事業は倫敦のエルヴァやスイスのエル、そして私に任せると彼女は言った。だからエーデルフェルトといった大家や、時計塔と協調して動いて欲しいと頼まれた。
「それと、エルヴァ。私達が現実と捉えているこの目に入る世界も、アラヤと同じで私達の総体意思で左右されます。総ての人が自らの波動を高め、『正のエナジー』で活動すれば、自ずと人類はより高い精神的次元に昇華されます。そこで得られる世界こそがユートピアであり、理想境であり、桃源境なんです。私達は『ムー』ではないカタチで、自分達の『ムー』を取り戻さないといけないんですよ」
言葉は悪いけど、まるで何かの宗教の勧誘を受けているようだった。だけど精神を三次元から開放し、五次元に昇華しないとイケナイというのはよく聞く話だ。アインツベルンの本家が『第三魔法』に価値を見い出さなかったのもこれがあったからだ。実は『魂の解放』や『精神の次元上昇』なんてものは、自己暗示が得意な者なら意外と簡単なのだ。『掌握』の魔術が使える者なら他人を次元上昇させられる。『魂の改竄』が使えるなら、極悪人を菩薩や聖人君子のような人にできて、強制的に悟りを開かせる事も可能だ。つまり本人が何を思おうが、精神は外部から操作可能だという事だ。だから『魂の物質化』を棄て、昔からあった精神操作の方を重んじ、更に発展させたのだ。
これらを踏まえた上でアオレアールが言った(彼女も私の心が読めるようだ)。
「私がここに1人で派遣されたのは、2年前の秋までに『レプティリアン』などが排除されていたからです。そしてあちらの世界での『レプティリアン』を含む異世界人や異星人、それに与していた『あちら側』は、彼らの持つ隠された地下で『エル』の『掌握』を受け、何人かは彼らの母星で活動するこちらのスパイとなっています。それによって『エル』は『あちら側』が秘匿していた以上の『超科学技術』や『人類の誰も今まで知らなかった神秘』を、自分の世界で独占しています」
そういう風に聞くと、『エル』が悪にしか聞こえない。だけどそういう意味では無いのだろう。低い精神性しか持たない人類には、『超科学技術』なんてまだ早いと思えるものも多いだろうし、『人類の誰も今まで知らなかった神秘』なんて、そこらの魔術師でも扱えないだろう事は想像に難くない。
「また、この作戦行動に動員された『百貌』は初期が6人、1年後が13人です。だからなのか、ここで『現象の彼女』を通して『エル』が遣わせた『百貌』も、私の専属を除いて13人でした」
13人と言うより13グループだ。そこにアオレアールが先に『現象の彼女』から与えられた1グループ、エルマが2グループ、おそらくお祖父様が最低1グループ、『ミラビリス』が複数……つまり、20グループ以上召喚されている可能性が否定できないそうだ。『百貌』、大人気だね。だけどこれが現代の正しい評価だと思う。私だってもう一度『英霊』を喚ぶチャンスがあるなら、『セイバー』か『百貌』かで迷うだろう。何故なら、『セイバー』を召喚すると決めても、必ずしもエルヴァとともに倫敦に渡った彼女が来てくれるとは限らないからだ。ところが『百貌』は、多数の人格が1人に戻れば、統合された人格となる。わかりやすく言えば、枡で『百貌』という個を掬うのでなく、お米や大豆などの穀物を『百貌』という枡で掬うのと同じなのだと思う。だから他者に合わせるのが上手い。そうなると、彼らを活かすも殺すもマスター次第となってくる。しかも……。
「13って事は、1040人から1300人って事ですよね?」
「そうです。そこにプラス80人から100人です。つまり千人をゆうに超える精鋭特殊部隊を手に入れたも同然なんですね。となると指揮を執る私の方が重要となります。なので本物の『シュラム』と『ボーデン』をモデルにして、私自身が別人格を用意する必要がありました」
アオレアール自身とは別に、『シュラム』と『ボーデン』という人格を生成して活用したと言ったのだ。そしてどうやらこの別人格を生成する能力を持つのが、アオレアール達プロトタイプの特徴らしかった。ただし、この『らしかった』は想像だ。これまでは個別に用意した人形(素体)に『ラインの黄金』を埋め込み、それを利用して別人格を生成してると考えていたのだ(エルマのケースから。あの子の場合は『ワルキューレ』のカードが、その発動条件だと想像していた)。だけどお話を伺う限りそうではないような気もした。そこをもっと突っ込んで訊くべきとも思ったが、答えてくれない気もしたので訊ねなかった。
また、私の場合は『エル』に強制的に割られたレアなケースで、ナンバーズにそういう能力は無い……と、思っている(『エル』がそういう能力を付与しない限りは)。
「……そんなだから、あっちでもこっちでもバイクやクルマを登録していて……」
私が悶々と考えている間にも話は進み、彼女は複数台バイクやクルマを持つ事にストレスを感じていると吐露していた。保管は宝具で可能でも、メンテやら何やら色々あるのは想像できる。ワールドワイドに動くって大変だなぁ……それが率直な感想だった。
「ですのでたまの休日に香港の街中を、日本から持ち込んだ赤い2004年製『ESTRELLA Custom(BJ250-D9)』と、先日手に入れた青い2006年製『W650(D6F)』(彼女はロッパンと日本語で発音した)で走るのがストレス発散になっていて……」
カワサキ党かと思えばそうではなく、その車種だけが好きなのだという。ドコドコトコトコと狭い香港の雑踏の中を、ゆっくりのんびり走って、お気に入りのお店に入って寛ぐのが彼女の休日らしい。自転車でいうとポタリングになる。それでこの人がどこかエルマっぽい理由がわかった。趣味が似ているのだ。エルマはどこか孤独を好むところがあった。それが学園のような人間関係が重要となる場ではどうなのだろうと以前はやきもきしたものだけど……。
その2車種はハーレーのあるアメリカでも似合うと彼女は言う。だけど、アメリカではアメリカかカナダで生産された車種か、事前に政府から認可を受けて販売されている車種でないと個人輸入も不可能だった。『エル』が中古の『SR500』をレストアして乗っているのも、それがかつてアメリカで正規に販売されていたものだからだ。
アオレアールが言うには、実際の乗り味は異なっても、『ゆっくりのんびり』『自由に走る』ハーレーと、『W650』や『SR500』は、その得られる満足感やプラスアルファ(そのバイクが持つ世界観や、ライダーがそれに乗って抱く世界観)が似ているという。特に『SR500』はスポーツスターと似ているらしい。一瞬『?』と思うが、それはバイクの出自にある。ハーレーでレースとくればダートトラックレースだ。そして『SR』の元は『TT』であり、後の『XT』だった。それが『500』や『550』『600テネレ』と発展していった。
また、ハーレーもそんな『XT』と対抗すべく、単気筒のダートラマシンを作っていた。それがロータックス製のエンジンを積んだハーレーで、このエンジンの採用は英国陸軍の偵察用バイク車両の入札をハーレーが勝ち取った70年代から始まり、1999年まで続いたそうだ。そんな関係で80年代から90年代に掛けてのローカルなダートトラックレースで、単気筒の他社製エンジンを積んだハーレーが走っていたのだ。そして『エル』はその古いレーサーも持っていた。その上でのアメリカの公道を走れる『SR』だった。何も日本の『SR乗り』が考える懐古趣味的なものだけでは無かったのだ。
そこまで聞くとプラスアルファの部分、『そのバイクが持つ世界観や、ライダーがそれに乗って抱く世界観』という説明にも、『なるほど』と共感できるものが生まれて来るし納得できる。だけど仕事でバイクに乗るとしたら、そこに時間短縮という概念も加味される。だからそういう『セカセカとしたツマラナイ』のに乗らなければならない時があって、それがまたストレスになるのだそうだ。
「クルマで飛ばすのは嫌いじゃないのに、バイクだと途端に嫌になるんですよ。それを『エル』に話したら、あの『YZF600R(ThunderCat)』を渡されて。最初は謎でしたが、ハンティントン・ビーチまで走ったら彼女の伝えたかった事がわかった気がします」
それは『乗る歓び』だけでなく、クルマのような『操縦する歓び』がそこにあるからだった。これを彼女はギターに例え、『トリッキーなアームが付いていても素っ気ないギターより、持っているだけでモチベーションの上がるギターの方が何倍も良い演奏ができる』と言ったのだ。これはよくわかる例えだった。また一見ツアラーなのに、後のスーパースポーツのハシリでもあり、中間排気量なので適度なヒラヒラ感もある。それが何とも楽しかったし、何より『ヤマハだなと思った』と告白してもいた。彼女はまたこんな風にも説明してくれた。
「ホンダもスズキも、自動車メーカーでもあるんですね。だけど方針や立ち位置は違っていて、バイクの世界のホンダはトヨタのようなものでしょう? カワサキがニッサンで、スズキがマツダかスバルみたいで。だからなのか、ホンダのバイクは安心感があって、カワサキには重厚感、スズキには冒険心みたいなものを私は感じます。ところがヤマハだけは何かが違う。バイクじゃなく楽器だなんて言いませんが、それを使ったライフスタイルまで提供しようとしている気がします。それは『SDR』や『SRX』といったデザインに特に顕著に現れていると感じます。レトロな方向だと、原付きスポーツ・モデルで今売られている『RZ50』なんて『YB-1 FOUR』より面白いと思います。30キロ以下でしか走れない日本だと危ないですけど」
これで私もわかった。確かに『TW225』も『SEROW225』もそうだし、『SRV250』に『ルネッサ』、『R1-Z』も、そういう『世界観を持つ』バイクだ。最近のだと『Tricker』なんてのもそうだろう。航続距離を考慮していない小さなタンクの下には、『SEROW250』と同じエンジンだ。それは旅バイクでも林道を巡るバイクでもない。自転車で例えるなら、あれはクロスバイクなのだ。ロードでもMTBでもなく、通勤・通学、ポタリングに軽いサイクリング、ともかく思いつく限りの事をするための身近な足として使って欲しいという、ヤマハからの新しい提案だったのだ(それは前輪19インチ、後輪16インチのホイール・サイズに現れていると思う(※))。だからきっと、『YZF600R』にもそういう部分があったのだろう。
そしてそんな風に、晴れやかに語る彼女の顔を見て確信した。『エル』が彼女を伴って訪れてくれた意味。それは私の様子見だけでなく、少々お疲れ気味だったアオレアールを癒やす意味もあったのだ。それと彼女は様々なものをいろいろな角度から見ていて、日本のメーカーがアジアで生産させる場合、スズキとダイハツが上手いと話していた。
※)『SEROW250』は前21、後ろ18。今年(2006年)出た『XT250X』はモタード(舗装路専用)なので前後17インチ。この意味からも『Tricker』はクロスと言える。ただ個人的見解として、この3車、タンクやサイドパネルをホイール共々オプションで交換式にして、異なるキャラクターにユーザーが好みで換えられるようにできなかったのかと思わなくもない。キャスター角や色々問題はあると思うが、この『250』3兄弟は、お互いがお互いの足を引っ張っていてどれも影が薄く感じる。今の私が日本に住んでいたなら、迷わず『D-TRACKER』を選ぶだろう。
なお『XJR400R』は本当に姉の『Inazuma』に合わせただけで、デザイン以外はあまり『エル』の好みでは無かったような気がする。あの『『ZZR250』で十分だった』という発言や、今回聞いた『世界観』から鑑みればそうとしか思えない。これは新たな発見だった。と言うのは私がその『XJR400R』が好きだったからだ。あの青い、チェッカーフラッグのような模様がタンクに入ったモデル(2002年製)が特に好きで、それこそが『エル』の『XJR400R』だった。4気筒の空冷ネイキッドでツーリングして来なさいという先生からの課題もあったにせよ、私達が免許証を取った当時の空冷4気筒普通車は、バイク屋さんで売れ残った姉の『Inazuma』か『ZEPHYR χ』、それか『XJR400R』しかなかった。中古でも店頭に並ぶ『Impulse』は水冷ばかりだったし、『CB400SUPER FOUR』も水冷で、可変リフトじゃない可変バルブだけで、切り替え回転数が少し低くなった『HYPER VTEC SPECⅡ』の時代だ。
もし水冷・ハーフカウルからも選んでいいとなったら、姉は迷わず『GSX400Sカタナ』だったろうし(『Impulse』の復活は私達がその課題のツーリングをした高2の冬だ)、ヤマハが欧州で中間排気量に活路を開いた時期なので(『Diversion』など)、『エル』も『ZRX400』を選んでいただろう。それでフッと思った。『XJR400R』は私の希望も入っていたのではないかと。と言うのは、私はたぶん『エル』よりも4気筒の集合管の音そのものが好きだったからだ。水冷の400なら『CB400SUPER FOUR』か、中古で『CB400FOUR』を引っ張って来ただろう。実質30ps出ているかどうかも怪しかった空冷の『DREAM CB400FOUR』。アレの幻影に引き摺られ、世紀末に出た水冷の『CB400FOUR』の良さを理解している人が少なかった。ところがマアエモ・ママは普段の足に『CB400FOUR』を選んでいた(その前がシリンダーにフィンが入ってからの初期型『CB400SUPER FOUR(NC31)』だった)。私と同じで背が低かったからね。
「溶接からして違いますよ。カスみたいなものしか作れない中国でも、スズキの『GN-125H』などを作っている大長江集団は結構真面目に作っています。インドやブラジルよりいい仕事をしていますよ」
だそうである。また北京での移動は、もっぱらその『GN-125H』を使っているそうだ。その理由は『壊れない』からだとか。中南米で有名な『HONDA CG125』と変わらないくらい壊れにくいらしい。アメリカで乗る機会なんてまず無いだろうけど、壊れないっていうのは良いね。ただし、外に置きっぱなしだとすぐに錆びてゴムやプラの部分が劣化するそうだ(コマメに拭くとメッキ部分は錆びないそうだ)。また、大陸オイルだから新車でももっと良いオイルに換えて、プラグの熱価とキャブの調整はした方が良いとの事だった。それだけで『ダメじゃん』と思ったけれど、それでも共産党の一党独裁時代から見ればマシになったと話していた。
「まぁ、所詮空冷の単気筒で、日本で80年代に造られていたそのままだからね。過度な期待は禁物です」
確かに。
それからも楽しいお話をたくさんして、明るい気分で家に帰った。アオレアールはガレージの空きスペースにスープラを止め、彼女と一緒に買った荷物を下ろした。誰かが移動したのだろう(フンボルトかもしれない)、パミちゃんの『Kawasaki KLR250』もいつの間にかガレージに収まっていた。シャッターを下ろして、人に見られないようにしてからクルマを宝具に閉まった。玄関を開けて荷物をリビングに運び入れてから、彼女にお礼を言った。
「お店番を交代しないと」
それで勝手口から入って工房に声を掛け、もぬけの殻の事務所を通り抜けてお店を覗いた。すると商談テーブルで『エル』が誰かと話し込んでいた。
「ただいま、代わりますよ。お客様?」
そのお客様が多いのか、エルは事務所から椅子を引っ張り出してそこに座っていた。カウンターや植物を植えた鉢に隠れて、事務所の奥からは『エル』しか見えない。だけど近づくと黒髪の女性3人と金髪の女性1人の計4人と『エル』が居る事がわかった。そして傍まで行って驚いた。
「え?」
唖然とする私に、『私、私』と答えたのは凛さんだ。だけど、とても緊張した顔だ……?
「お久しぶりと言えば良いのかしら、エルヴァ?」
「先生……?」
ニコリとされた、凛さんの前に座る女性は魔導師の先生だった。この魔力は間違いない。
「お久しぶりです、先輩」
ああ。もう1人の黒髪は、先生の弟子にして魔法使いの凜だった。先生の魔力で誤魔化されていたのか。淡い化粧なんてして、すっかりお姉さんだ。じゃ、高校生くらいに見える金髪の子は? 顔が4人ともそっくりだけど?
「ほら、京(みやこ)?」
その京と呼ばれた子が自己紹介してくれた。
「遠坂凜の孫の遠坂京です」
はい?
「お、お孫さん!?」
私は固まってしまった。いや、それは凛さんもだった。緊張と思ったのは私の勘違いで、既に聞かされていたのだろう。そのあまりな事実にフリーズしていたのだ。結婚2年目にして、子供の顔も知らないのに、すっかり大きくなった見知らぬ『孫』だ。それは固まって当然だ。
「以前、話したでしょう? 憶えていない? 弟子以外で、1人だけ魔法に至った孫がいるって。やっとこっちの世界を見付けてくれてね」
「だからといって、『死んだ』祖母や祖父と再会するとは思いませんでした」
英霊だものねぇ。
「まぁそれで弟子の凜が、そちらの凛に出した課題を見るために行くっていうから着いてきたのよ」
シロウさんと先生の間にはお子さんが4人いらっしゃった。ご長男は遠坂を継いで7代目当主だった。その方のお子さんが8代目を継いだ頃にシロウさんが大往生(天寿を全うしたという意味)し、未来の9代目を抱いて暫くして、先生も天に召された(こちらは根源を得ているので本当に死んだかどうか怪しい)という。次男さんは不動産事業を営み、桜さんの後に跡継ぎが居なくなった間桐の資産も管理していたそうだ。ご長女は国内の魔術師の家に嫁ぎ、そちらの外孫も皆んな抱いたという。それで次女の方だけど、そちらはなんとエーデルフェルトに嫁いだのだ。それは先生とその世界のルヴィアさんとの約束で、血統的実験の意味合いもあったそうだ。そうしてルヴィアさんの息子さんと、先生の娘さんの間に生まれたのが京さんという訳だ。しかも京さんはあっさりと根源を得てしまった。エーデルフェルトでは上を下への大騒ぎだったそうで、一週間ぶっ通しでパーティが開かれたという。そりゃそうだろうね。
そしてここで重要な点が1つある。それはこの眼の前に居る京さんは、師でもある2人の偉大な祖母を見送った、大人にななった京さんの過去だという点だ。だから京さんの中では、お祖父ちゃん(シロウさん)も、お祖母ちゃん(先生)もまだ生きているのだ。これが並行世界移動の摩訶不思議なところだった。そして京さんは亡くなる前の先生に、『英霊となった若いお祖母ちゃんに逢った』と話していたらしい。それが今な訳だ。
そこで私は頭を巡らせた。きっかけは『現象』で、それを調査するためにこちらに先に入っていたのではないか? その後、円蔵山を探査し、『エル』の世界の座標を掴んだ。うん、これだと思う。その世界の遠坂が何代続いているのかは不明だけど、先生は京さんの言葉で、いつか逢えると信じていた。勿論それはシロウさんも同じだ。私はこの出逢いが凛さんや士郎さんの元の世界を知る手掛かりか何かになれ良いなと思った。
「そう言えば、先生。シロウさんは?」
「一緒に来たわよ。あなたが居なかったからさ。裏に行って、遅蒔きながらフンボルト君にあなた達の結婚のお祝いをね。戻ってこないのは何か話し込んでいるんでしょう」
わざわざ結婚祝いを用意してくれていたのだ。そしてここで私はショックな事を聞いた。
「本当ですか!?」
「うん、本当。イリヤ、吉川君と付き合っているわ」
姉さん、吉川クンとってマジですか……?
「だから倫敦に行ったあの子には内緒ね? 私もそこは気を遣って、言わないでおこうと思ったのよ。けどイリヤが、あなたの事を知っちゃってね。会いたがっていたの。けど、『現象』の事もあって危険だからって断ったのよ。そうしたら、吉川君との事をあなたにだけは知らせて欲しいって」
これは混乱させたいためじゃなく、『私は私で幸せだよ』というメッセージだ。だけど倫敦のエルヴァにだけは言えないから、私に来たといったところだろう。また凜と京さんを含む先生御一行は『エル』より先にこっちの世界に入っていて、円蔵山から即プラハに行ってルヴィアと凛に逢い、その足で倫敦に行きエルヴァにも逢っていたそうだ。それらの行動は弟子の様子を見るためと、プラハと倫敦の教授陣を見定める意味もあったらしい。
並行世界の不思議さをある程度わかっている私でも、姉さんの選んだ人と、もう1人の自分(倫敦のエルヴァ)が選んだ人が同じ人だと知れば驚くし戸惑う。頭では同じ吉川クンでも、世界を跨ぐと顔の似た他人でしかないと理解していてもこうなる。凛さんが卒倒しそうになっているのも無理はない。
ともあれ『エル』の宝具の中に、畳の部屋を備えた家があるという事で、先生方も来週までこちらに残る事となった。今年の『Thanksgiving Day』はとんでもない事になりそうだった。
「同調開始(トレース・オン)────!」
俺と同じ呪文を口にしたその人の手の中には、ギターのブリッジがあった。それも真鍮のような響きと、アルミのような軽さを併せ持つ未知の合金だという。
「これが?」
「ああ。楽器用として創られた、誰も知らない金属だよフンボルト。君の奥さんは、これを錬金で開発した昔のアインツベルン総裁の知識があると思う。仮にそれが記憶もろとも消されていても、そいつを解析すれば理論を思い出すか、投影するかするだろう」
今、俺とフンボルトの目の前に立つシロウさんは、あのアーチャーさんと似ていた。大量販売するギターには禁物だけど、オーダーメイドならこれも1つのウリにしてみたらいいと投影してくれたんだ。
「だけど、アインツベルンの秘術じゃ?」
「昔のって言ったろう? それに重要なのは、その音だけじゃないんだ。オレは投影こそできても、理論がわからない。そこを奥さんに聞いてみろよ。フンボルトの血ならこれを活かせるだろうし、士郎も慣れりゃ投影できるだろう」
ギターのパーツを投影するってのもどうなのかと思うのに、この人は他所の家の秘術まで解析し投影してのけた。アーチャーさんが話してくれた、中庭を畑にしてしまった『衛宮士郎』……。それがこの人だった。
奥さん(『凜』といい、違う漢字を書く)が若くして魔法使いになったものだから、一緒に並行世界を巡って、延べで1600年近くも生きたという。よくわからないけど、他の世界での活動期間中に加齢しない方法があるらしい。しかも渡っている時間が元の世界に加算されないのだとか。それで色んな職業を体験し、信じられないようなスキルを重ねて来た人でもあったんだ。
「だから、この程度で驚くのは早いって。子供ができれば実感するよ。何でもやってみるもんだ、やってきて良かったなって。まぁ、オレは、ガラクタいじりをガラクタいじりで終わらせないタイプだったからな。道場の反対側、離れのある方の裏庭に倉庫兼ガレージを建ててな。それまでの一般的な工具じゃなく、木工の工具から始まってさ。ドリルにトリマー、ハンディ・サンダーと来て、電動ノコ作業台やマルチベルトサンダーまで置いていた。狭くなったんで、隣が空いたのをこれ幸いに、そっちにガレージを建てて。そこから金属加工の旋盤やフライス盤も置くようなって、30歳になる前にユンボも置いていた」
「は?」
「だから、お前も『衛宮士郎』なら『正義の味方』なんて幻想に振り回されたクチだろう? なら、料理と同じく全てのスキルをプロ並みに持って行こうと思っただろ?」
そこまで思い込めたのがシロウさんだった。この人のあり方をアーチャーさんから聞いて、俺は英霊にならない……いや、なれっこ無いと自覚できたんだ。とにかく生きている間に得た資格や免許が凄い。運転免許証も全部の欄に『1』を付けたという。
『何でまた?』
『そういう資格や免許は、正しい手順を踏めば他国でも使える場合がある。何よりメカが使えれば出来る事が遥かに増え、より簡単に出来るようになるからだ。土砂を退けるならブルドーザー。それをダンプに乗せるショベルカーやバックホー。そして廃棄場に運ぶダンプ。人や物資を多く避難先に運ぶならバスやトラック。ほら、武器に頼らずとも免許があれば出来る事は幾らでもある。悶々と考える暇があるなら実践的に即行動するのだ。以前も話したろう? 小学生の頃の話だ。金がないから小遣いを貯めて釣り竿を買い、それで魚を釣って調理し、弱る養父に出した男だぞ? 私や貴様が土蔵の中で悩んどる間に、あの男は中古で買った自分で直したバイクに乗って、深夜の工事現場に走って働いていた。人のために働きたい、動きたい、その本気度が違うのだ。その意味で私と貴様は五十歩百歩だ。シロウの足元にも及ばんよ』
お金のために働くのでなく、いつか役立つスキルを得るために働いていたという。だから調理師免許も船舶の免許も持っていたそうだ。エルヴァの元という『エル』が免許を取りまくっているのも、そんなシロウさんに感化されたからだそうだ。
「そのブリッジを元にして、フンボルトならより良い、自分の理想に合ったモノが見えて来るだろう。それを奥さんのエルヴァに話しなよ。あの子ならそれを現実のものとしてくれる。これは士郎にも言っておこう。他人の模倣で終わっちゃダメなんだよ。そいつを自分なりに消化し、より良いものへ昇華しなけりゃ。他人の創った『1』を『2』や『3』にして行くんだ。そうして改造や改良を続けていけば、今度は誰も考えなかった自分だけの新しい『1』が創れる。その創造力こそが人の証なんだ」
俺とフンボルトは猛烈に感動していた。
『死後を捧げて英霊になったのではない。世界の方からスカウトが来たのだ。だからリンはアイツを護るために、自らの宝具として登録したんだよ』
アーチャーさんの言葉が頭に次々と浮かんだ。なお、今回着いて来たお孫さんは、本名を『Miina Edelfelt』といい、シロウさんとリンさんだけでなく、ルヴィアさんのお孫さんでもある。それは2人の末の娘さんがエーデルフェルトに嫁いだからだった。なのでお孫さんには日本名もあって、そちらは『遠坂京(みやこ)』というらしい。またリンさんには腹違いの姉がいて、その人の子供の名が『Miyako Tanner』という。漢字は『都』だ。母親(リンさんの異母姉)が父親を偲んで名付けたそうだ。当然発想は『京都』から。
そこからお孫さんの日本名を『京』にしたのだそうだけど、当初リンさんは渋ったそうだ。それは娘さんはもうエーデルフェルトの人間だからと。だけど日本名を付けてあげて欲しいと言って来たのはルヴィアさんからだった。代々エーデルフェルト本家の跡継ぎは双子の女の子と決まっていたので、ルヴィアさんの息子さんは跡継ぎではない。だけど魔法使いの娘をお嫁に迎えた事で、その人も安泰だった。それをルヴィアさんはとても恩に感じていたそうで、お孫さんの名付けはその恩返しの意味もあったようだ。
以上の事を聞いて俺は、そのお孫さんに今まさに逢っているだろう凛が心配だった。だけどそんな流される感情を克服しないと魔法は遠いとシロウさんは言った。
「彼女を信じてやれ。驚きも戸惑いも、その場限りの一瞬さ。オレとお前が違うのと同じさ。同じ名を持ち同じ顔をしていても、並行世界を渡れば別人だよ、それよりか作業を進めろ。それで出来るなら本日は早仕舞いをしてくれ。京から報告があるから」
それは俺と凛の元の世界の事らしかった。
「男の子ってもうわかってるの?」
「はい」
ここまでお腹が大きくなれば、普通にお医者様の検査にかかれば性別はわかる。だから敢えて自己判断とは言わなかった。まぁ、言わずとも先生ならわかるだろう。
「エルヴァ。子育てってクリエイティヴなものだからね。精々楽しみなさいね? それが親の特権なんだから」
1600年も生きた人は言う事が違う。
「先生も楽しまれましたか?」
「フフ……自分への戒めもあんのよ。赤ん坊の頃は夜中に起こされるし、替えたばかりのオシメをすぐ汚すし。まして私と旦那の血のミックスよ? お互いの良いトコより、悪いトコが倍増されて遺伝してんのかってくらい、ガックリする事もあるわ。でもさ、それを引っ括めて子育てなのよ。よく言うでしょう? 子供の成長と一緒に親も成長するって。そこよ? その成長をあなたもフンボルト君も一緒に楽しむの。その気持よ」
ああ……。
「心にゆとりを持て、みたいな?」
「そこまで言わないわ。初のお産で男の子よ? どんなゆとりが持てるっていうの。誰だって振り回されるわよ。けれど、それすらも『面白いわね』って思えるかどうかなの。私は頭が固いからね。そういう点では旦那に随分助けられたわ」
この『旦那に助けられた』発言で目を見開いたのが凛さんだ。
「どんな点で助かったと思われました?」
この質問は凛さんから。口調が丁寧なのは、何人かの魔法使いを弟子に持つ大魔導師だと理解したからだ。
「そうねぇ。子供が赤ん坊の頃は、お風呂に入れるとか、ご飯を作るくらいしか出来ることはないのだけれど、少し大きくなったら、遊び友達になってくれた事が大きいわね。他にも色々手伝ってくれたけど、そこで育んだ父親と子供の関係がね? だから子供は4人居たんだけど、どの子も旦那の言う事は聞き分けていたわ。そこが本当に大きかったな」
そこをどんな具合にと尋ねたら、もっと詳しく教えて下さった。
「上から男、男、女、女の4人だったの。それで女の子は良いのよ。兄が2人居ると無茶しないし。でも男の子には振り回されたなぁ。特に次男。長男は自覚が出て来ると大人しくなったの。けれど、次男はどこまで行っても我が道を行ってね。無茶ばっかりすんのよ。中学生の頃、バイクに乗って走り回ってさ。お巡りさんに捕まって大変だったわよ」
なんと盗難車とかでなく、廃品業者から廃車を買い取り自分で直したのだ。しかも足りないパーツは、投影品で組んでいたという。それはシロウさんが手伝ったのでなく、父親から受け継いだ、その次男さんの能力だったそうだから凄まじい。夜中に家を抜け出したのでなく、自分で組んだバイクを試運転しようと家から公道に出たのがアウトだった。たまたま自転車で巡回中のお巡りさんが、家の門から3メートルも離れていないところで発見し補導した訳だ。なので先生はシロウさんに任せたという。
「だって魔術や勉強もそうだけど、自分で経験した事ほど頭に残るものでしょう? それに庭でエンジンを始動したり、軽く乗る程度なら無免でもね。けど警察が動くとさ。だから叱ったのは道路に出た事だけ。旦那なんて息子を褒めてたわ」
「褒めるってどうしてですか?」
「原付きでエイプって、今頃出ているのよね?」
「はい」
それが廃車になる頃って事だ。
「私はよくわからないけど、確かエンジンがV型だって言ってたのを覚えているわ」
これを聞いてニヤッとしたのが『エル』とアオレアールで、呆れたのが私だ。京さんは世代が違うし、凜はバイクと言ったらスクーターだったし、エンジン型式までは知らないだろう。
「こ、腰下から全部投影品……?」
「V型というより縦型と横型を組み合わせたL型でしょうから、フレームもダブルクレードルにして、横部分が前に出るように作り変えているでしょう。ケースもそうですが、クランクから各ギアにクラッチ。オルタネーターも作り変えてあると思います。そういう部分が全部投影なら叱るに叱れませんね?」
私の呟きに『エル』が答え、アオレアールが頷き、先生が『そうなのよ』と諦めモードで返事をした。これがどれだけ凄い事なのかを、私と『エル』とで凛さんや凜に説明した。京さんの時代は電動に変わっているのかも知れないが、説明を聞いて頷いていたから、若かりし頃の伯父のその先にあるものは知っていたようだった。それは刃物に限定されないメカの投影なのだ。
そこでお聞きすれば、ご長男が五大属性持ちで跡継ぎに早くから決まっていて、次男さんは火の属性だけだけど、シロウさんより投影できるものが増えていた(志保さんが居なかった世界だと以前聞いていた。その人が志保さん並みの能力を持っていたのかどうかは不明だけど、未遠の血がかなり色濃く出ているのは間違いない)。そしてご長女さんが3属性持ちで投影も可能、次女さんは桜さんと同じ虚数属性持ちだった。だから時臣さんの轍を踏むまいと、ルヴィアさんと相談の上でエーデルフェルトに嫁ぐ事が決まっていたそうだ。そうして産まれたのが京さんな訳で、彼女には日本名とは別に『ミーナ・エーデルフェルト』というフィンランドでの名もあった。その輝く金髪はルヴィアさん譲りな訳だ。
「次男は大人になって不動産屋を経営してさ、間桐の資産も管理してくれるほどになったけど、学生の頃はとにかく無茶苦茶だったわ。男の子だからバイクに乗るのもクルマに乗るのも構わないけど、おかしな改造ばっかりするのよ」
エイプは最後パラレル4気筒になり(!)、高校生時代に原付き・小型・普通・大型とステップアップして、高3の頃は『エル』と同じ『SR500』に乗っていたそうだ(『エル』が乗るようになって思い出したという)。それも前後ドラム・ブレーキの、おそらく『3WG8』か『3WG9』。私達にとってはほんの数年前のバイクだけど、その人の年齢から逆算すると25年も30年も前のバイクだ。タンクは真っ赤なアグスタ・タイプで、シングル・シートにセパハンだったとか。後にはホイールも、リム・スポークからⅠ型の7本アルミに替えてあったようだ。きっとスミスのメーターを付けたり、バックステップに替えてあったりしただろう。頭の中で想像すると随分とセンスがいい。
「うん、センスはあったわね。結婚前に間桐の家を買い取って。改装してからそこに住んでるの。孫も父親や祖父に似て好き勝手な事ばかりしているわ」
言葉は濁していたけれど、間桐の家を買い取ったのは、先生の『桜』さんが床に伏せるようになったか、亡くなったからだろう。そしてそこで先生の回想が終わったので店じまいをしながら思った。凛さんの世界を、先生か京さんがもう既に発見していると。それで凛さんの桜さんは、もう居ないのだとも。
レジを締めたら2千ドルくらいあった。結構な売り上げだ。在庫管理もあるので販売ノートを見ると、中古のギター数本とストックしてあった、割合低価格のオリジナル・ギターが1本売れていた。お客様に薀蓄を垂れて見事に売ったのだろう。『エル』ならそれくらい楽勝だ。
工房前の裏口を閉めて家に戻ろうとすると、ガレージの端っこに例の空間の入り口がある。どうやらそこが『エル』の用意した先生方の宿のようだ。もう何度も話しているのでわかると思うけど、こういう便利な魔術を開発・発展させなかった魔術師の家って何だろうか? 特にアメリカが向くというだけじゃない。ライフスタイル的にはヨーロッパにも向いているのだ。まして神秘の秘匿が優先されるなら、今後はこういう空間を活用しての結界化された家や工房しかありえない。
「こういうのを礼装化して簡易結界として売っていたり?」
「当然です。霊脈上に設置すれば、起動呪文さえ覚えれば魔術師でなくとも使えますよ。1個100万ドルのところを、あなたなら2割引きにしましょう。80万ドルでいかがです?」
日本円で9千万円近い。『彼女』の事を考えるとグラッと来るが(おそらく引っ越しも可能だろう)、『彼女』の存在はここでは話せない(以前、『エル』は『ラインの黄金』で移動しろとレプリカを頂いた。今の寝室に繋がった入り口は主にこちらになっている。だけど『エル』にモニターされている気がするのだ)。何より今の私達には少々贅沢だ。なので『もう少し商売で儲かったら』と断りを入れた。それに『エル』ならそういうのに『モニターはしていません』と保証をつけて売ると思う。それ即ち、『バックドア』は造ってあるという意味だ(つまり私は彼女の提供する何を選んでもアウト)。疑り深く、他人を信用しない百戦錬磨の魔術師相手の商売を何度も成立させてきたヤツだ。何をしてくるかわかったものじゃない。
それでなくとも、カリフォルニア州は税金が他州より高めで(全米1と言われている)、ハンティントン・ビーチを含むオレンジ郡はサンフランシスコやロスより税金は安いが、ガスや水道に電気は高いのだ。それでも、健康保険や年金など全部を合わせると日本より総支出は安いけれど(意外だろうけど)。それに各種軽減や免除の手段があって、皆んなそういうのを利用している。また、民間の保険は自分の収入に合わせて様々選べる。だからそれもそう高く感じない。何より健康を維持できるなら、相対的に無駄金を使わず、安く済むのがカリフォルニアだった(顔の広い人や情報通の人と仲良くなると、そういうのを教えてくれる。ウチはマリーさんやボビーに随分と助けられていた)。それは取りも直さず、どこであってもご近所付き合いや友人関係が大切だという意味になる。
サンルームに繋がる外玄関を抜けて内玄関に入ると、パミちゃんが今朝履いていた靴があった。きっと自室でギターを直しているのだろう。ウチは私が日本育ちなので、基本お客様のものであるお店の入り口を家族には使わせていない。各自1つ、ガレージのキーを持っているので、パミちゃんにもそちらから入って裏に抜け、家に帰って貰っている。それは私の心情や信条もあるけれど、お祖父様の結界を崩さないためのセオリーでもあった。それがあるから、お店に窃盗犯も強盗犯も来ないのだ。
ただし人を寄せる魔術は、私だけじゃなく、凛さんもモニカさんやミアータさんも使っているっぽい。善意から来た意図せぬ魔術の重ね掛けだ。桜が散らしてくれる(退魔の効果がある)から良いのだけど、ときどきどこからか浮遊霊がやって来て、お店のショーウィンドウを覗いていたりする。それはまぁ、良い。害をなさなければ好きなだけ覗けば良い。どうせ私達魔術師じゃないと、ほとんど見えないのだから。
だけどシャッターを閉めた後、どこからともなくやって来ては、演奏していくストリート・ミュージシャン達には閉口してしまう。一応閉店後から午前零時までと決めてあるようで、ご近所も気にしていないし、警察沙汰にもなっていない。なのでフンボルトが『放っておこう』と言うのでそのままなのだけど、その演奏方法というかパフォーマンス方法が変わっていて、その主宰人もギターを演奏するのだけど、それだけでなく横にもう1本置いて、『参加自由』なんて札を出しているのだそうだ。それが何故かウケて、今はミュージシャンの卵がわらわら湧いてくる状態だった。両隣は遠いか、凛さん達の新居だし、お向かいも道路を挟んで遠い。しかも結界が変な増幅をしているのだろう、生ギターが煩く感じないのだ。声も通りが良くなるのかも知れない。
そういう諸々が口コミで広まって、ローカルだけど今年の夏からある種のメッカのようになっていた。
「迷いますね?」
「うん。お店としては主宰の人と話し合ってコンテストでも開くべきかなとも思うし、だからといってそういうストリートのいい雰囲気を壊したくないってのもあってね」
アオレアールにそう答えるフンボルト。『閉口してしまう』というのは、関わるか放っておくかで迷っているからだった。私もフンボルトもこの街が好きだった。それはこの街が醸し出す『雰囲気』や『空気』に惚れ込んだからだ。となると、暖かく迎えてくれたこの街の一員として、この『雰囲気』や『空気』を壊さないかと心配にもなるのは当然だった。
食後の事だ(シロウさんは、調理に手を出さず)。凛さんと士郎さんに並んでソファーに座らせ、先生の仕切りで京さんが話し始めた。いよいよだ。