「ぬくったぁ」
翌朝、お布団の上で目が覚めた私の第一声だ。お布団が温(ぬく)かった訳ではない。フィンランド語で『minua nukuttaa(私は眠い)』のミアヌを省略した言い方だ。もっと眠い時は『väsyttää(眠い)』という。読みはヴァシュッターだけど、多分ほとんどのフィンランド人がこっちを使う。だけどママは私が小さい頃から『ぬくったぁ』を使わせたがった。パパには『uninen(うにねん/眠たそう)』を。どうもママの感覚だととても可愛らしく聞こえるのだとか。
いつもの部屋に行くと、当然ながらお爺ちゃんもお婆ちゃんも起きていた。2人は朝の暗い内から、毎日ジョギングをしていた。年齢的にも驚かされるけれど、お婆ちゃんの容姿もあって、そういう時間にしか外に出られないのだ。これがお婆ちゃんが迎えに来なかった理由だ。お爺ちゃんが『魔法使いになるな』と言った意味もこういうところにある。日常生活に支障の出る場合がままあるからだった。
「ひゅうばぁ ふぃおめんた(お早うございます)」
「もい(ハ~イ)、ふぃおめんた(お早う)」
朝の挨拶だけど、このフィンランド語はある日本人には琴線に触れ、ある日本人には逆鱗に触れる場合がある。
『誰がバカよ!?』
『ヴァカ(秤)でしっかり計れと言っただけですわよ?』
お婆ちゃんとお祖母ちゃんがイガミ始めたキッカケは、時計塔の寮での事(入学前の寮見学で初めて出会ったらしい)や、鉱石科での事(どちらも入学前から評判の主席候補だった)などなど色々あるようだけど、細かな誤解の積み重ねと、お互いが内心では相手の実力を認めていたからこその過剰な競争心が、その根底にあったのは間違いない。
ただ、両方の孫として言わせて貰うと、これはお祖母ちゃんの意地が悪かった。実はお祖母ちゃん、オルタ歴史の研究や魔術礼装を集める上での必要性から、結構日本語がわかっているのだ。だからわざとお婆ちゃんが勘違いするような語彙ばかり選んで、英語に混ぜて話していたらしい。『あら、お国の言葉が無意識に……失礼しましたわ』なんて言い逃れてチクチクとお婆ちゃんをからかっていたのだろう。その理由は私だってわかる。お祖母ちゃんはお婆ちゃんが気になって仕方なかったのだ。めげずに何でも言い返して、必要とあらば手も出してくる、ほぼ自分と並ぶ実力のあるお婆ちゃん。それはお祖母ちゃんが望んでも得られなかった、双子の妹さんとの関係なのだった。
だからお婆ちゃんにも妹がいて、その人がもうどうにもならない状態なのだと知った時に、お婆ちゃんに同情し泣きながら宥め、励ましたのがお祖母ちゃんだった。時計塔の学生なんて魔術師の卵の集まりだから、他人には本当に無関心で愛想がない。そんな中でお祖母ちゃんは、お婆ちゃんが一番辛い時に親身になって寄り添った。2人はそれから親友となったのだ。
だからお婆ちゃんもお祖母ちゃんにしていた『隠し事』をその時に明かした。それが『宝石剣』の完成であり、借りているアパートに匿っていた『英霊』の存在だった。お婆ちゃんはなんと、『聖杯戦争』で召喚したサーヴァントを隠し持っていたのだ。だけどその存在を自慢気に時計塔の教授や、お祖母ちゃんのようなギャフンと言わせたい相手にも明かさなかった。それは『フェア』でいたいからだ。お婆ちゃんは早くに両親を失くし、妹さんと生き別れていた。
その『桜』という名の大叔母様は、お祖母ちゃんの妹さんより長く生きていて、40歳くらいまで元気そうに見えたらしい。だけど内臓はズタボロでそこまで生きたのが奇跡だった。何があったか知らないけれど、30歳まで生きられたら良い方だと半ば諦めていたらしい。『どうして? 何か手が……』。あのお婆ちゃんとお爺ちゃんだ。そんなの何千回も何万回も考えたろうし探していた筈だ。でも無理だった。寿命を10年延ばせただけで、大したものだと考えるべきなのかも知れない。
そんな妹さんを抱えていたからか、お婆ちゃんは『フェア』でありたいと自分を戒めていた。『平等』ではない。『公平』である事に努めたのだ。だから自分が魔法に至っている事をお祖母ちゃんに打ち明け、その『宝石剣』から得られる魔力で『英霊』を支えている事も明かしたのだ。それを時計塔に打ち明けなかったのは、偏にお爺ちゃんを護るためだった。
お爺ちゃんは異様な魔術を使う人だった。そして『誰もが笑って暮らせる公平な世界』を夢見ていた。それは辛い出自がそうさせたとも言えるけれど、お爺ちゃんはタフだった。振り向かないで前に進むタイプだったのだ。それで若かりし頃のお婆ちゃんと意気投合して恋人になった経緯があったとママに聞いた。
『ミヤコ、あなたが銀行に行った時に偶然拳銃を持った強盗が入って来たのならどうします?』
『え?』
『宝石を投げつけますの? それともこっそり近づいて眠らせます?』
どちらも人としては正しいかも知れないけれど、私達魔術師の絶対的ルールである『神秘の秘匿』とは大きく反する。なら……?
『シェロの投影魔術は彼の手の中だけに留まらず、相手の体内にも出現させられますのよ。引き金に掛かる指の中にメスが出現し、銃を握る腕の中にキッチンナイフが出現し、逃げようとする足の中に剣を出現させますの。それらは皮膚を突き破り、夥しい血を流させ悪党を警察病院に送ります。ですが、警官が駆けつける前にそれらの刃物は消えているのですわ』
当時は『悪党だけを襲う、謎の切り裂きジャック現象』としてネットでも話題になったそうだ。一見残酷だけど、それはお爺ちゃんに危険な真似をさせたり、隠蔽不可能な状態に陥らせないための苦肉の策でもあったのだ。案を出したのはお婆ちゃんらしいけど、武器を持った危険な犯人と素手で戦ったり、剣を出したりするより遥かに良いのは確かだ。また、この方法はよくよく考えてみれば他の被害者を未然に防ぐ方法でもあった。何より理不尽な犠牲者を出さない事が、お爺ちゃんやお婆ちゃんの最大の願いだったのだから。
それでお爺ちゃんとお婆ちゃんと『英霊』の3人はお婆ちゃん達が時計塔を出た後、並行世界移動を利用して現実の時間を狂わせ、ほんの少しの過去や未来に行っては『世の公平』を糺した。旅費や活動費が必要ならお祖母ちゃんが援助した。
そんな事を続けていた3人は、やがてある世界で別の『英霊』と組んで、今まさに地球に墜ちて来る小惑星を破壊して、そこの世界を救った。こっちの世界では名もなき人だけど、そこの世界ではどの『英霊』や宗教家も成し得なかった、正真正銘本物の救世主だった。
『並行世界にも私も居るのであれば……行ってみたいものですわね』
お祖母ちゃんは言葉にはしなかったけれど、きっと元気で健康な妹さんに逢いたいのだ。だからそんな寂しそうなお祖母ちゃんに私は言った。
『お祖母ちゃんの夢は私が必ず実現する』って……。
朝ごはんには期待通り鮭の塩焼きが出て来た。送られた映像で観て知っていたけど、本当に皮ごと焼いて食べちゃうんだ?
「皮は気持ち悪かったら残して良いよ」
お爺ちゃんもお婆ちゃんもそう言ってくれたけど、焚き火で焼いたお魚も食べたりしているのでそこまで気にならなかった。むしろ少し焦げ目のある皮は、見た目もパリパリで何か違う食べ物のようだ。お箸で自分の食べやすい大きさにスッと切れる。なのに身はふっくらしっとり。サーモン(鮭/Lohi)特有の香りが鼻腔をくすぐり、口に運ぶとトラウト(鱒/Timen)にないコクが口中に広がる。
「美味しい……」
「だろ?」
「どうしてこんなにふっくら焼けるの?」
「ええ? 梢にもこの焼き方を教えてあったのになぁ」
そこへお婆ちゃんが言った。
「あのさぁ。どこの国の家庭用テーブルコンロにも、魚焼き用のグリルなんてないわよ」
「あ、そうだったな。煮込み用のコンロとキャセロール用のオーブンだよな」
「そうそう。京、ヒントは水分の保有量よ」
え?
「食品用のアドマイザーなんかで、少しお酢を入れた塩水を身の部分に掛けたりすんのよ」
「それはどうしようもないサーモンしか手に入らなかった場合だ。日本で手に入る鮭の切り身なら、キッチンペーパーの使い方だ」
「ああ、皮の部分だけ水気をしっかりとって?」
「そうそう。生魚の下拵えなら、塩を振った後の寝かせとキッチンペーパーでの拭き取りが大事なんだけど、こういう塩干物はそこまで汗をかかせる必要がない。つまり魚の臭み成分が既にないから、逆に水分なり追い塩なりが必要になるんだ」
そこからお爺ちゃんの薀蓄が始まった。甘鮭は手抜きの簡易塩干だから時々臭みが残る場合があるそう。なのでお爺ちゃんは塩がよく効いた鮭を買うそうだ。塩抜きなんてしなくても、ペーパーでしっかり拭けばそこまで辛くないし、むしろ日本の風土や人の身体に合っているという。
「身体に合う?」
「生命(いのち)は海から産まれたんだぜ? 塩分を身体に溜めるのも良くないが、摂らないのもダメなんだ。自分が食べて美味しいと思える量が適量なんだよ。それと運動だ。外に出て陽の光の下を歩いたり走ったりして、簡単な家事でも普段からマメに身体を動かす。それが健康の秘訣だよ。子犬でも子猫でも伸びをするし、大きくなっても走り回ってる。魚なんて年がら年中、抵抗の大きな海水で泳いでいるだろう? 自然は小さな生き物にも、ちゃんとそういう知識を与えてくれているんだ。冬に備える訳でもないのに、ブヨブヨに脂肪を溜めて肥え太るのは人間と、〆る前の家畜だけだ」
お味噌汁の具はワカメでなく赤や緑の海藻とお麩だ。メインが鮭なのでお口直し程度の畳鰯の味醂干しに白ゴマを掛けたもの。それとひじきと大豆の煮物。大根おろしと紅生姜が添えられた玉子焼き(しっとりした出汁巻きじゃなく、普通の玉子焼き)。後は青菜のお浸しとお漬物だった。畳鰯の味醂干しとひじきは、日本からよく送ってくれる。だから食べ慣れていた。私達北欧の人間は、日照時間が短いため慢性的にビタミンDが不足している。だからお爺ちゃんはお祖母ちゃんやママや私に食べて欲しいと送ってくれているのだった。
食後にシャワーを浴びた私は着替えてから、お婆ちゃんの下に行った。
「京、魔法使いになるってどういう事か、そういうのをあなたは聞きたいのでしょうけど、それを耳で聞いて理解するのは、とても難しいと思うわ」
「お婆ちゃん……」
「うん、わかっているわよ。何も出し渋っている訳じゃないから。むしろ逆。あなたには全部伝えてあげたい。だから今夜、あなたに私がこれまで体験してきた事を全部夢で見せるわ。それを観て、自分で自分の指針を決めなさい」
それでお婆ちゃんは夜のための術式構築をするから、散歩に行くか、お爺ちゃんと遊んできなさいと言った。身体を動かせという意味もあるのだろう。だけど幾ら治安が良いと聞く日本でも、不慣れな場所での独り歩きは良くないと考え、お爺ちゃんのところに行った。お爺ちゃんは大抵、敷地内の土蔵か道路を挟んだお隣りにあるガレージだ。
「お爺ちゃん?」
「おう」
お爺ちゃんはガレージにいた。増築を何度か繰り返したのか、地上階だけの建物と2階建ての建物とが幾つかくっついていて、かなりおかしなことになった建物だ。この辺りの大きな家はほとんどが平屋造りの武家屋敷なので、外から見る限りどこも2階部分がない。だけど屋根の一番高い部分の下には、天井裏のような小部屋があって、障子を開いた小さな階段室でそこに行けるようになっている家が幾つかあると聞いた。まるで忍者屋敷だけど、天井裏の倉庫なんてどこにでもあるから驚きは少ない。けれどそういう昔ながらの家が今も残る地域だから、道を挟んだ別の土地と言っても、こんな面白い構造のガレージは問題にならないのだろうか?
『あるわよ。建築基準法や消防法だけじゃなく景観なんたらとかあれやこれや。けど、その道路を挟んだお隣から向こうは文化財の指定地域から外れんのよ。だからお隣が空いた時に買ったの』
そういう事らしい。だけどクルマを止めたガレージは裏庭にあるんだよね。どうして別のを建てたのだろう?
そう考えながらお隣に行くと、見ただけで意味がわかった。これは街の景観を壊さないようにしながら改築していて、建物の一部はそこに建っていた前の家の構造を利用しているのだ。一歩中に入ると中は天井のない吹き抜けで、まるっきり工場のような作りで……そう、工場なのだ、何だか私はワクワクしてきた。
削られた金属と研削油の匂いがツンと鼻に来る。だけどその匂いの元となる大きな機械に負けないくらい大きなバイクが並んでいた。だから工場でなくガレージと言うのだろう。いやいや、吹き抜けの2階部分、そこにもバイクがこれでもかと並んでいた。ここは加工や工作が好きなお爺ちゃんのお城なのだった。
中に置くものが増えるごとにガレージの拡張を繰り返したのだろう。それでおかしな構造になったんだ。もうお歳なんだし、こなんところじゃなく、敷地の使っていない道場を壊して建てれば良かったのに。
「それが条例でできないから、こっちの土地を買ったんだよ。それに道場を壊せって言ってくれるな。若い時、あそこで『英霊』に鍛えて貰ったんだ。思い出の場所なんだよ」
「お婆ちゃんが召喚したの?」
「うん? 違う違う。その『英霊』はオレが土蔵でな」
「あ。お爺ちゃんも召喚したんだ? でもそれだとお婆ちゃんと最後は闘う事になっちゃうよ?」
「そうだよ。立場的に最初は敵同士だったんだ。ところがオレって右も左もわかっちゃいなくて、偶然召喚しちまってさ。それをあいつがあれこれと面倒をみてくれて。そっからだ」
「ああ……それが始まりだったんだ?」
「そう。強制参加もイイトコだった。当時のオレはガキンチョでなぁ。ヒトを笑顔にするにはどうしたらいいのかって毎日悩んでいた。それが料理だって教えてくれたのが、その『英霊』とお婆ちゃんだったんだよ」
ふ~ん。そういう気付きを与えてくれたのか。お婆ちゃんならわかるけど、どういう『英霊』だろう? でもそういう諸々は、今夜お婆ちゃんの術で全部わかる。だから私はお爺ちゃんの作業を見ていた。
「何をしているの?」
「ん? キャブの調整。今はガソリンのバイクも減ったし、そういうのも全部FI(フューエルインジェクション)だろう? 実はこういう旧車の細かなパーツを造っては売っているんだよ」
これはわかる。ガソリンのクルマが減ったので、フィンランドも段々ラリーが寂しくなっていてパパがプンスカと怒っていた。
「それがお爺ちゃんの仕事?」
「仕事っつうか、趣味の延長だ。婆ちゃんのお陰で蓄えもあるし、年金もあるからな。食うには困らないけど、一応な。何かしてないと落ち着かないってのもあるけど」
よく聞くと、どのバイクもマニアの人には垂涎の的らしく、1台で何百万円もするらしい。細かなパーツを造ったり、古いバイクを綺麗に仕上げたりして、マニアに売ってお金を稼いでいるそうだ。昔は日本料理のお店を開いたり、居酒屋さんを開いたりもしていたそうだけど、今はもう外で働ける年齢ではなくなったといって、こうしてガレージでバイクをイジっている。
もう一度2階を見上げた。本当に色んなバイクがある。だけどどれもこれもがお金になる訳でもなく、中には値段も付かない変なのもあって、そういうのが特にお爺ちゃんは好きなんだとか。
「これなんてかなり好きだぞ」
今イジっているバイクだ。
「なんてバイク?」
「『YAMAHA BT1100 BULLDOG(5JN)』っていうんだ。なんと60年以上も前のバイクだぞ」
イタリアがどうとか(日本製じゃないの?)、ドコドコとトロくさいところが良いとか意味不明だ。だけどそれのガソリンを送るところ? を手直ししているお爺ちゃんの横顔は、とってもいい顔だった。
「こういうのって税金とか保険とか高いんじゃないの?」
「新しく登録したらな。オレのこれは21歳の時に新車で買ったものだから、環境税とかそんなに高くないんだ」
「ふ~ん」
私はもう一度グルっと中を見回してみた。周りの壁にも工具や何かの機械だらけなのに、バイクの置いてある2階の壁は意外とスッキリして見える。何かのロゴが入ったいかにもなポスターがあるだけ。でもその2階へ行く階段の壁には何本かの釣り竿が掛かっていた。釣り竿ならお料理好きなお爺ちゃんのイメージに近いのかな? だけど楽しそうにバイクをイジっているのもお爺ちゃんなんだ。
何時間も観ていたので、ドライバーや何番のレンチ取ってくれと言われてもわかるようになった。そのお爺ちゃんがいきなり魔術を使った。魔術回路を起動したのだ。
「ど、どうしたの?」
「いかん。ミヤコ、これ。ここの数字が読めるか?」
「うん。45かな? どうしたの?」
「歳だなぁ。視力強化しても視えないんだ」
ああ……。老眼……。それでかぁ。それで今のお爺ちゃんはクルマもバイクも操縦しないってママが言ってたのか。
「免許証、返納したの?」
「うん。もう返した」
「なら、どうしてお爺ちゃんは、今もバイクを? 釣りも趣味なんでしょう?」
「うん、釣りも好きだよ。何だぁ、ミヤコ。趣味はひとつにしろってか?」
「ううん。幾つあってもいいと思うけど。でも、もう乗らないなら」
「乗らなくても好きなものに触れるのは許して欲しいなぁ」
ああ、そういう……。本当に好きなんだね。
「でも、思えば趣味がバラバラ過ぎない?」
「バラバラか。そうだな、そうも見えるよな。けど、オレの釣りの始まりって食材を得るためのものだったんだよ。魚との駆け引きとか、釣った時の醍醐味とかもわかるけど、違うんだよなぁ。ミヤコ?」
「うん?」
「実はオレ、衛宮の家の人に拾われた養子だったんだ」
「え?」
ウソ?
「やっぱり、ルヴィアは話していなかったか。あれは1995年頃かな? この街で大きな災害があってな。焼ける街の中で、当時7~8歳だったオレを救けてくれた人がいて。それでそのままその人の養子になったんだ。その人の名が『衛宮切嗣』だった。だから衛宮の姓も、時嗣の『嗣』もその人から頂いたんだよ」
「そうだったんだ……」
「うん。だけどそんな恩人が病でさ。オレを救けた後、5年しか生きられなかった。オレはその人に少しでも栄養をつけて欲しいって、そこから釣りを始めたんだよ」
「じゃ、お爺ちゃんのお料理の原点も?」
「ああ。独学だったけど、その人を元気付けたいためだった。な? 魚釣りは料理に繋がっているって言えるだろ?」
本当だ。本当にお料理に繋がっていた。
「それでバイクだけど……ガソリン車が減った今だからこそ言えるのかも知れないけど、バイクは本当の意味での趣味だと思う。元々オレはガラクタいじり(家電修理)が好きでな、日曜大工も好きだった。いや、好きというか……若い頃は自由になる金なんてなかったから、必要にかられているだけだって思い込んでいた。けど段々わかってきた。雨晒しになって錆びて行って、最後は棄てられちまうコイツラもまだまだ走りたいんだって。だって、そのために造られたものなんだぞ。そこに気付いた時に全部繋がったんだ。食材を無駄にしないで美味しく頂く気持ち、まだまだ使えそうな家電の修理、こういう古いバイクを走らせたい気持ち。全部繋がっていたんだな」
これは……。
「モッタイナイ精神?」
「ハハハ……そうだな。勿体ない精神だな。それが絶対に正しいとは言わないし、他人に押し付ける積もりも無いけど、使い捨てのような感覚は嫌いだな。それはそのモノやそれを造った人にも失礼だと思うんだよ」
「日本人だね?」
「そうなんだよ。だからオレが正しいと思う事も、他の国の人から見たらヘンな場合があるし、その逆もある。法律を犯す犯罪は駄目だけど、何が好きで何が嫌いなんてのも人それぞれだ。でも、人はそんな風にバラバラだから良いんだよ」
「うん、個性が大事って1年生でも習うよね」
「北欧はな。日本じゃ今だに掃除の時間があるぞ。これもシルバー人材に委託しようという動きもある。集団行動は日本人には必要なものだと思うんだけどなぁ」
「堅苦しくない?」
「あのな。しょっちゅう地震なんかの災害がある国なんだぞ? それなのに国土の60パーセント以上が全部山や森林だ。人は残りの僅かな土地でひしめき合って生きているんだ。そんな国で暮らすには、集団の規律ある行動は求められて当然だと思うけどな」
「あ~、だから移民が少ないのか」
「そうかもな。ま、それでも過度な同調圧力はモラルの落とし穴で害でしか無い。その意味で個人主義の必要性も十分理解できるよ」
お爺ちゃんは頭の柔らかい人だった。
「ところで、そっちは落ち着いたか? 梢が嫁いだ頃は犯罪も多かったようだけど」
「うん。今は移民も減ったから。ママがフィンランドに来る前かな? お金の価値が変わったのって」
「そうか、そんな頃か。そうだよ。お金だけでなく全部の価値が変わったんだ。だから自分の国から逃げる必要もなくなって移民が減ったんだ。こうして好きな事をして、時々困っている人に手を差し伸べる。そういう誰しもに優しい時代になったんだよ」
それを誰よりも夢見て求めて行動していたのが、お爺ちゃんでありお婆ちゃんだ。そしてそういう時代が本当に実現してしまった。お話が途切れてもお婆ちゃんが晩ごはんだよと呼びに来るまで、私はお爺ちゃんが作業する背中をずっと見ていた。
晩ごはんの後、お婆ちゃんが一緒にお風呂に入ろうと言って来た。それは私が日本のお風呂に不慣れだからだ。お婆ちゃん前で裸になるのは別に恥ずかしくない。フィンランドならパパやママと一緒にサウナに入る習慣があるからだ。だけどお湯の中に肩まで浸かるのには戸惑った。温水プールと違って息が苦しいのだ。
「夏というのもあるからね。じゃ、身体を洗おうか」
そうしてお婆ちゃんは、タオルだけで身体を洗う方法を教えてくれた。私は白人の血が濃いからだけど、お婆ちゃんも大概色白だ。顔の作りこそ日本人だなって思うけど、この白さは日本だと珍しいと思う。
「髪はルヴィア似ね。綺麗な髪だわ」
「パパも金髪だけど、何故か巻毛だよ」
「若い頃のくるくるヘヤーが遺伝したって?」
「アハハ」
私もヴァイオレットの瞳だけど、お婆ちゃんもママもそうだ。これは優性遺伝や劣性遺伝の事を知っていればかなりおかしい。だけど私達魔術師の間ではこれで正しいのだ。それは魔術回路がきちんと伝わっているという証だから。私はエーデルフェルトのお祖母ちゃんと同じで100本以上の回路がある。その他にサブセットが各40本だから、合計で180本ちょいだ。そのサブセットと同じくお婆ちゃんからの遺伝で五大属性持ちでもある(時義伯父さんも同じ)。
だけど少し頭の回る人ならわかると思う。魔術回路って劣性遺伝なのかって。その通りだ。今は科学や医学も発達しているからそうでもないけど、その昔の魔術師の子供には何かが欠損している人も多かった。それは劣性の方を活性化させるからだ。お祖母ちゃんの双子の妹さんも、ある意味その犠牲者だったのではないかと私は思っている。だけどお婆ちゃんの妹さんに関しては謎だった。
「お婆ちゃん?」
「うん?」
「お婆ちゃんの妹さんって、どうして死んだの?」
「それを聞くかぁ……。なんでまた?」
「うん……遺伝子病だったのかなと思って」
「それも今夜わかるとおもうけど……遺伝子は関係ないわ。そうね、私達の父親が時計塔に騙されていたってトコかな」
「時計塔に?」
「そう。跡取り以外は神秘の拡散を防ぐために、何も教えないで養子に出せって」
そんな事を言われていたの?
「ええ? おかしいよ。その跡取りに万一の事があったら……。エーデルフェルトはそのために『双子の魔術』を完成させたのに」
「こらこら、京。あっちのお祖母ちゃんに叱られるわよ。一応私は親族でも他家だから」
そうだった。『双子の魔術』は秘中の秘だった。
「じゃ、その養子に出せっていうのが嘘だったの?」
「そう。それで養子に出た妹は、その養子先でとんでもない魔術調整を受けてしまって……。それで寿命が縮んだのよ」
「治せなかったの?」
「うん……。まさか心臓に聖杯のカケラまで埋めていたなんて……当時の私は気付けなかった。それでね……」
「ごめんなさい、お婆ちゃん……嫌な事を聞いちゃって……」
「ううん、京なら良いわ。それで妹は『虚数属性』だったの」
「ええ!? 珍しいね?」
「珍しいけど……? あれ? エーデルフェルトに『虚数属性』の資料ってない? 私がルヴィアに渡したんだけど」
あらぁ……。
「ゴメン……自分に関係ないと思って……」
「頼むわよ……。まさかあなたに『うっかり』が?」
「どういう?」
「いえ、歴代の遠坂当主は致命的なところで『うっかり』をやらかすってね」
ああ……そういうのあるよね。
「時義伯父さんは……?」
「誰に似たんだか、それが全然ないのよ。あそこは孫も出来過ぎだってくらい出来る子ばっかだし。だからまさか京に隔世遺伝したのかなって」
それは心配になるよね。ないと思いたいけど……。
その後、クルマのある方のガレージに近い『離れ』の部屋を案内された。今朝の和室でなく洋室で、備え付けのベッドがあった。
「ベッドの方が慣れているでしょう?」
「うん。でも畳の上も面白かったよ」
「そう? さ、気持ちをリラックさせて。一応、安眠を誘うアロマを焚いたから。ダイジェストだけど、朝までどのくらい観られるかはあなた次第よ。京、そんな顔しないの。夢だから、安心して眠りなさい」
そうして私はベッドの中で夢の世界に旅立ったのだった。だけど不安は的中した。私は北欧随一の名門エーデルフェルト家の血と、魔法使いを産んだ遠坂家の血を引き、その両家の立役者だった人達の期待を一身に集め生を受けた。そしてそれはお祖母ちゃんやお婆ちゃんの思惑通りだった。
熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ、熱い、アツイ────。
私の痛みじゃない。私の苦しみじゃない。だけどその『息が苦しい』……肺が焼けている? 『足の感覚がない』……靴底が焼けて失くなり火傷を負っているんだ。それがわかった。と同時にその子が子供の頃のお爺ちゃんだともわかった。その災害の酷さも、目を背けたくなる惨劇(焦げた人があちこちに見えた)も驚愕なのだけど、そんな今にも死にそうな小さな男の子が、私の周囲360度に幾つも幾つも視えていた事が最大の驚きだった。
目の前にモニターが幾つも並んでいるんじゃない。デスクトップを切り替えるのでもない。それら微妙に異なる部分のある映像全部が一度に認識できるのだ。
『この子だけでも……』
それは焼け潰れた家に挟まった真っ黒な女性だった。伸ばした両腕に赤ちゃんらしきものがいた。私が見ても助かりそうにない。
『ごめんさなさい、ごめんなさい』
お爺ちゃんは泣きながら、その場を足を引き摺って通り過ぎた。と同時にその子を受け取って崩れてきた建物にお爺ちゃんまで挟まれてしまう場面もあったし、受け取った赤ちゃんが、息を吹き返したのか泣き始め、その子を抱えて歩くお爺ちゃんも見えた。人はいったい幾つまで物事を同時に考えられるのだろう? 私はある場面でなら『そっちじゃないあっちだよ』、ある場面なら『そっちそっち、頑張れ』と声にならない声を上げて励まし、同時に『お婆ちゃんの体験じゃなかったの!』と叫んでいた。だけどそんなバラバラな場面と映像が一部の例外を除いて、見事に収斂した。
『生きている! 生きている! ああ……ありがとう、ありがとう』
それはお爺ちゃんのお父さんになってくれた人だった。