倫敦に3年から4年は滞在する事になるのは2004年の秋からわかっていた。だから出来る限りの手はその頃から打っていた。それでも時計塔の新年度開始は9月からだから、準備期間はそれなりにあると踏んでいたのだけれど。
『……というような理由から、早めに慣れておかれる事が吉かと思われます。ロッコ・ベルフェバン』
相変わらずのわかり辛い英文を意訳すると、こちらの希望した当初の『降霊科(ユリフィス)』(※)と『現代魔術科(ノーリッジ)』の他に、『創造科(バリュエ)』と『全体基礎科(ミスティール)』が私に授業を受け持って欲しいと、取り纏めの窓口を申し出て下さっているベルフェバン代理に掛け合って来ているらしい。これは私の希望した『降霊科(ユリフィス)』と『現代魔術科(ノーリッジ)』が貴族主義派に偏っているので、焦った民主主義派が動いた結果だった。
※)希望は『降霊科』の中の、ロッコ・ベルフェバン代理が学部長を務める『召喚科』だけど、『降霊科』は他の学科もみて欲しいと前々から私に申し出ていた。また、有り難い事に『天体科(アニムスフィア)』からも声が掛かったけれど、通り一遍の知識しかないからとそちらは断った。だけどオルガマリー・アニムスフィアには、私の授業へ自由に出入りして良いと申し添えてある。
中立派のメルアステアは傍観を決め込んでいるけれど、この動きは貴族主義派のガイウスリンクの思惑もあった。それはエルヴァちゃんと出逢った、あの『エル』と来た時の事が遠因としてある。『エル』のセイバーと凜が闘ったキメラ。あれは『動物科(キメラ)』のロード、『ガイウスリンク』の直接的な仕業ではなかったけれど、あそこのナンバー2やナンバー3が『ガイウスリンク』の裏にいる、『バルトメロイ・ローレライ』の意向を汲んで動いたのは間違いなかった。
『バルトメロイ・ローレライ』は『法政科』のロードであるだけでなく、時計塔三大貴族の一角であり、貴族主義派の筆頭でもある。つまり……そうとは決めつけられないし、そこまで辿り着けるかも怪しいのだけど、あのキメラ襲撃事件は『バルトメロイ』の失点になる可能性があった。それは同じ貴族主義派でも、ユリフィスやアニムスフィアのような『バルトメロイ』を煙たがっている陣営には朗報だったし、民主主義派にとっては美味しい情報でもあったのだ。
また誤解から戦わざるを得なくなったランサーの件に於ける失態を、『全体基礎科(ミスティール)』のロード、マグダネル・トランベリオ・エルロッドはこれを汚名返上の良い機会にしようと画策しているし(当然だ)、『創造科(バリュエ)』のロード、イノライ・バリュエレータ・アトロホルムにしても、私と私のバックにいるであろう『エル』との関係をより強固なものにしておきたいとの思惑が働いているのは明明白白だった(そもそもホムンクルスの鋳造が創造科に分類される。論文の件もあって、かつて『人形師』を育てたバリュエレータは私を欲しがっていた)。
ところが物理的に私は1人であり、現実的にも新人教員に4つも掛け持てというのは無茶がある。だから『降霊科(ユリフィス)』と『現代魔術科(ノーリッジ)』と決めつけず、選択肢に入れてはくれないかという願いがその根底にあったのだ。そこで日本の学校制度を考慮し、学園卒業後の4月から新学期の始まる9月まで、気になる授業や部会研修の見学が自由に行える特権が付与された。要はゆっくり考えてねという意味だ。これは自分の授業のカリキュラムを組む上での参考になるし、時間配分の参考にもなる。また、時計塔により早く馴染めるだろうとの配慮もあった。
そう言える理由のひとつが『全体基礎科(ミスティール)』主催の夏期特別講座の見学だ。一応時計塔も英国の学校制度に倣って8月は長期休暇だ。しかしながら時計塔は、大学よりも入学年齢がまちまちになりがちな魔術師の卵が集う専門学校であり、その母体は魔術協会に他ならない。なので何年も通えないので、この短期の講座のみで簡単な基礎を終えたい家も多いのだった。
家業や金銭など理由は様々あるだろうけど、『全体基礎科(ミスティール)』のこれはニーズに沿っているし、魔術協会の創設理念にも沿っていた。なのでこの講座の見学はとても興味が惹かれた。裏を勘繰れば、幾らでも勘繰れる。だけどそういう理由から、私はその申し出を受ける事にした。
セイバーと住む家もベルフェバン代理が手配して下さった。3月の半ばに、候補の家が画像付きで幾つかメールで送られて来て、3月末までに1つ選んで返信メールを入れるだけだった。実はこれは2回目で、1回目はエラく良いところばかりだったのだ。こんな若造に『贅沢過ぎる』と思い、急遽お祖父様を通して真意を探ったら、帰った『エル』ではなくチューリッヒに居るエルの方から長文の返答メールが届いた。
内容は『家の真意』と『アメリカに居る新婦のエルヴァに関して』、それと『現象の今後』についてだった。『家の真意』はやはりと言うか、こちらに好意を懐いて下さっているロードや理事と、こちらを探りたいロードや理事の動きが絡んだ結果だった。好意には応えるべきとも思うが、どちらも露骨過ぎる。講師になるのが『魔法使いの凜』や『エル』であるなら、そういう市内の一等地でも良いと思う。それでお互いの『格のバランス』が取れるのだから。でも私にそういうのは無いと思う。おまけに『どっちの陣営にしても、盗聴・盗撮用の礼装や装置は確実に設置されているはず』とエルが注意を促していた。親身なベルフェバン代理を擁する『降霊科』にしても一枚岩とは言い難い。何より『私の使い魔』と言っちゃうと彼女に失礼だけど、その正体が『伝説のアーサー・ペンドラゴン』であると一部の人は知っている訳だ。こうなると悪意がなくとも、研究者として興味津々だろう。
なので『降霊科』を中心として秘密を厳守できる人を選出できるのなら、ごく少数に拠るセイバーを交えた質問会を1~2回開く用意があると提案した。この提案の効果は絶大だった。『降霊科』を仕切る、ユリフィス家とソフィアリ家が本気になったのだ。アニムスフィア家やアーチボルト家もそうだ。つまり前回の『聖杯戦争』を知っており、『抑止という現象』ではない『英霊召喚』を知っている人ほど食いついた。ただ、そこにランサーを召喚した実績のある、エルロッドの名が無かったのはさすがだった。
以上のような経緯から、私が選んだのはテムズ川を越えたランベスにある時計塔の職員用住居だった。2階建ての二戸一が数棟建っていて、それの1番左端だ。ベルフェバン代理からは『隣が幼稚園なので午前中は騒がしいかも知れません』とあったけど、『可愛い声は問題ありません』と返事をした。気に入った理由は二戸一なのに間口が広く、前庭に2台は止められるカーポートがあるところ、裏庭に面したところが遊歩道を挟んで公園になっているところ、その裏庭にもクルマが1台置けるスペースがあるところ。それとこの地域が中産階級向けの住宅地だからか、近隣にスーパーが数件とショップがそこそこあるところ、屋根付きの貸しガレージやレンタル倉庫などがあったところだ。
つまりある意味、冬木と似たような便利さがそこにはあったのだ。なので早々にそこに絞り、ガスや水道に電気などなどの細かな部分も問い合わせ、問題ナッシングと判じて決めた。補足として、これらガス・水道・電気にネット回線諸々を含み家賃も全部『降霊科』持ちとなっている。だけど少し頭を捻ればわかると思う。元々は職員用の社宅なのだ。条件は知らないけれど、家賃は半額から全額が時計塔持ちで、水道光熱費が自腹というのが通常だろう。少々の出費があろうと、こうして隙きあらば恩着せがましく話をすり替えるのは魔術師だけでなく商売人の常套手段だ。親身なベルフェバン代理ですらこうなのだからオトナの世界は怖い。
そもそも職員用にしては上等でしょう? 二戸一とはいえ、アパートじゃない庭付きの家だよ? 地価の高い倫敦とは思えない待遇だ。そしてそういう職員への福利厚生が思い付く人は、ロードでなく運営側の理事に決まっている。お祖父様もエーデルフェルトの小父様も、大会社を幾つも経営なさる方々だ。覚えておこう、学校でもその他の団体でも『法人』であるなら、チカラを持つのは校長でも社長でもない。真の権力者は運営側の数人と出資者だけだ。時計塔なら理事と数人のファースト・オーナー(理事やロードも何人か被る)に限られる。本当の意味での時計塔に於ける『君主』は、その理事とファースト・オーナーを兼任する学部長だけを指す。
悪い例えだけど、エルメロイⅡ世先生が絶大な人気を誇るロードであっても、『お前、イラネ』と理事会が決めれば、明日からの席はバッサリと無くなる。それが現実だ。この辺りの話がピンと来ない人は、一般的な学校に入る業者の(偉い)人に訊けば良い。誰が入札し、誰が業者を決めるのかでなく、誰にお歳暮などを贈るのかをだ。
またそういう『君主』や理事がそこいらのロードの遥か上の存在である理由は、『時計塔の理事=魔術協会の理事』であり、それは『魔術師の世界の明日を夢見た創設者達』でもあるからだ。つまり名門中の名門で、出資金の『0』の数がどれだけとんでもなかろうが、楽々出せるだけのバックボーンを持っている家という意味だ。こういう当たり前の構造と仕組みを知っていれば、『ヒラの学部長』の暗躍なんて実はタカが知れている。問題は外部とつるんでいるかどうかなのだ。要は高役職の肩書持ちなのに、内部の裏切り者と堕してしまった者、これが痛い。私が時計塔へ行く決心をしたのは、家族を守るため『風通しを良くしたい』からだった訳だけど、それは取りも直さず『外部に与するスパイ』の摘発とその大元を探る事にあったのだ。
こういう風に向こうの細かな情勢はともかく内部構造はわかっていたし、自分の指針もしっかり決めてあったので、倫敦への引っ越しにはそう大きな問題はないように思えた(妹達の気持ちを別にして)。ところが私もまだまだ子供だった。国外への一時的移住には銀行という最大の問題があったのを失念していた。時計塔からの給与振込に対応するため、倫敦にあるどこかの銀行を適当に選んで口座を開設すれば良いだけとは行かなかった。日本の口座を一旦閉めて、倫敦の口座に全額移動しなければならないのだ。これは税金の徴収との関係で、数年に渡って国外に出る場合は行政に転出を届ける必要があるからだ。それに銀行法が絡んで来る訳だ。そして恋人や友人には倫敦へ留学なんて言ってあるがその実は就職であり、4月からは倫敦と英国に税金を支払う義務が生じるのだ。となると口座の移設は必須だ。冬木なんてローカルな、都市とも言えない中くらいの街だ。どうしよう? ある日突然、『暫く海外で暮らすから、全額下ろしたい』と言って対応して貰えるのだろうか? 私の口座には1千億以上あるんだけど……。
もう1つは免許の事だった。倫敦内の移動なら地下鉄やバスがあるけれど、日本以外はそういう公共の乗り物がいつ来るかは不明だ。現代魔術科のように違う街まで行く場合は列車かクルマ、もしくはバイクが便利だと思う。そこで私はクルマとバイクを考えた。滞在期間が1年未満なら国際免許という手もあるけれど、3~4年ともなると現地で免許を取得した方が早い。運転免許はEU準拠だから、19歳未満が選べるバイクは『A1(125cc以下)』になる。英国なら夏になって19歳になれば『A2(35kw未満/46.6ps未満)』の免許が取れる。つまりスイスやドイツで『エル』が経験した通りだ(両国の『A2』取得可能年齢は18歳だけど)。バイクを選択肢に入れたのは渋滞を避けるためだった。とにかく倫敦の渋滞は酷い。だからクルマは雨除けだ。これは雨の多い英国では絶対条件だろうね。
そこでこのクルマとバイクに関して、お祖父様にメールを送って相談してあった。4月から乗れると、メールが来たのが3月下旬だった。
また、エルからのメールは次に『アメリカに居る新婦のエルヴァに関して』と『現象の今後』の事が書かれてあった。まず、あのエルヴァを『エル』が造った理由から書かれてあった。私は当初、エルヴァちゃんのためだと思っていた。だけどそれはエルでもどちらでも良かったらしい。彼女は私のコピーである訳だけど、記憶は私以上に削られていた。私の場合は今の家族に馴染むために、後で『エル』が削った。だけど彼女の場合は幾つかの削らざるを得ない理由があった。
1にそもそも私が47番という『エル』のコピーのようなものである点。つまり彼女はコピーのコピーとなる。2に『エル』は早くからこの世界に『現象』が現れる事を予測していた点。そこで重要なのは『現象』ではなく、パミちゃんだった。彼女はパミちゃんのために造られたのだ。そしてパミちゃんが健やかに育つために、パミちゃんの慕うフンボルト君と結ばれるよう、お祖父様やエルを抱き込んで後押ししていたのだ。
勿論そこには『エル』自身が、自分の世界のフンボルト君に昔恋心を持っていた事や、奇跡の血を持つフンボルト君との子がこの世界の未来にどういう影響を及ぼすのかという実験的な意味合いもあった。お祖父様が乗ったのはこちらの理由も大きかったようだ。またエルも同じような理由から、あのゾウケン君を持ち帰った世界のウェイバー君との子を儲ける指命があったとメールで明かしてくれた。
以上のような理由から記憶が大幅に削られた。何よりコピーのコピーなので劣化する部分を最初から削除しておく意味も強かったようだ。なので彼女はミトやパミの事や、隠された姉であるフリューゲルの事などは覚えているのに、彼女達と暮らしているボーデンの事や、今は日本にいるシュラムの事は覚えていなかった。まぁ、私とてアオレアールの事を知らなかった(彼女の事は本当に記憶にない。日本で逢ってたまげた)のだから、ナンバーズも記憶がまちまちなのは想像できる。そして『エル』は彼女の音楽的素養をかなり高めていた。これはフンボルト君向けにしたと言うより、ここの彼に向いた職を見付けるきっかけになればという意味合いと、2人の子供が『響』という、今は誰も研究していない神秘を切り拓く可能性があると見たからだとメールにあった。また『エル』はエーデルフェルト邸の鏡の中に、来たるべき時に備えた彼女とエルを待機させていた。これは私の死を予感しての事もあったと思うけど、同時にナンバーズ計画が終わった事を意味していたのだ。
だから101番からは、全く別人と言っても良い『個性』を持った、エルマ(101)にトロンメル(103)、ヴンダー(102)が造られたのだ。私はヴンダーに逢っていないけれど、あの子達も当面の『仕事』からは開放されたように思う。だからエルマを残し、トロンメルをこちらに送ったのだろう。いや、トロンメルにはまだ役があった。学園卒業後にアメリカに行く事だ。トロンメルはエルマと違い、アメリカの彼女、ひいてはパミちゃんの成長を促すための存在だ。それは私が居なくなった弓道部にエルマが残るようなものだ。きっとそれはクロエちゃんやおチビちゃんに良い影響を与えるだろう。
だから私は安心して倫敦に旅立てたのだ。流石にクロエちゃんの見送りボイコットにはヘコんだ。コーちゃんのところのご家族に、凛にルヴィア、桜ちゃんにアルトリアまで見送りに来てくれているのに、クロエちゃんは本当に空港に来なかった。お父さんやお母様に叱らないであげてと言えただけマシで、私は内心かなりショックだった。
だけど現金なもので搭乗すると、その気持ちも成長の糧だと思えたし、眠っている間は卒業式の日に大泣きしてしまった夢ばかり観ていた。なので、私はもう47番じゃない。エルヴァ・フォン・アインツベルンなんだと改めて自覚した。
ヒースロー(空港)からは列車で市内に入り、駅でタクシーを拾ってランベスに向かった。実は私の選んだ家からエルメロイⅡ世先生のアパートは近い。大通りに出て東に数キロ走れば(実質2キロちょい)、先生の住むアパートだった。家屋の鍵やクルマのキーなどは職員が待機しているので直接受け取って欲しいとの事だった。
顔も知らない職員と? 少し疑問に思ったが、目的の家の近くにその人は待っていた。お顔を拝見して『えっ?』っと驚いた。
「ようこそ、アインツベルン先生とお供の方」
「あなたは……?」
何とこの方は以前本部で出逢った人だった。凛というより桜ちゃんに似たその人は、2人の腹違いの姉だった。お名前は『Annzu Tanner』、私より4~5歳くらい年上の方だった。その時、隣の玄関からチョロチョロとこちらの様子を伺う少女がいた。
「これ、ミヤコ」
へ?
「すみません。娘です。何にでも興味を持つ年頃で……」
「って事はお隣さん?」
「そうです」
何と私が選んだ家はお隣が凛のお姉さんの家だった。そうだよ、時計塔の職員だものね。二戸一だから壁を挟んだ本当の意味でのお隣さんだ。そこから自己紹介を改めて行い、アンズさんのお母様と娘のミヤコ(Miyako)ちゃんとの3人暮らしだとわかった。ミヤコちゃんの見た目の年齢から察するに、アンズさんがミヤコちゃんを産んだ年齢は相当若い頃だ。それに亡き時臣さんの年齢を考えれば、お母様もかなり若い頃にアンズさんを産んでいると思う。親娘で未婚の母っぽい。ミヤコちゃんはそうでないようにと願うばかりだ。
そして私とセイバーが凛や桜ちゃんと友人である事を明かした。今度はあちらがこの偶然に驚いていた。だけど倫敦の生活が楽しくなりそうな予感がする、嬉しいサプライズだった。因みにセイバーの名は時計塔へ『Altria Cymri』として提出してある。クルマだと『Camry』で、ウェールズ語でウェールズを指す場合は『Cymru』となる。これも倫敦に来る前から考えてある偽装の一環だった。
その後、私とセイバーは親子とわかれて家の中に入った。それで中に入ってセイバーともどもギョッとした。入ってすぐの廊下に未開封のパソコンなどが置かれているのは、頼んであっただけに驚かないが、廊下の突き当りにあるリビングにはソファーセットやテーブルがあるし、掃き出し窓(普通の背の高い引違い窓とは違った!)にはカーテンが既に掛かっていた。これはと思ってダイニングに行けば、テーブルセットと食器棚があり、中には既に最低限の食器が並んでいた。
「エル、置き手紙があります」
ダイニングのテーブルの上だった。
「はい」
『何もない状態だと不便だと思い、エルヴァちゃんと2人で最低限のものを用意しました。お好みとは異なるかも知れませんが、どうか使って下さい。なお、2階にある寝室のクローゼットには私がモデルとなって、お祖父様やマアエモ・ママが選ばれた服が入っています。エル』
『エル』もエルも、エルヴァちゃんも私も、全員が『Elva』なのでややこしいのだけど、ともかく2階の寝室に行ってクローゼットを開くと、礼服や式服、パーティドレスにイブニングドレスなどが数点ずつ掛かっていた。バッグなどの小物もあったから本当に助かる。そしてそれは隣の部屋も同じだった。そちらは私の部屋よりやや狭いけれど、やはりクローゼットにはドレスなどが掛かっているし、よく見れば可愛い木目のドレッサー(鏡台/化粧台)やチェスト、同じ木目のシングルベッドが置かれてあった。確認すれば私の部屋にもドレッサーにチェスト、クィーンサイズベッドがあった。私が明るめ、セイバーが暗めの家具で統一されている。階段を登って真正面が私の部屋で廊下を玄関側に戻るとセイバーの部屋のようだった。この部屋の割り振りは部屋の大きさとアクセスの良さから決めただけでなく、天井裏にもあるようだ。ちょうど私の部屋が1番屋根の高い部分の真下になるらしく、そこに室内階段があって、部屋というより吹き抜けになった天井裏に行けるのだった。なるほど、そこには本棚と机があった。コンセントや回線口があるなら、パソコンをそこに置いてもいい。
部屋を出て今度は短い廊下を家の裏側方向に向かって歩くと、私の部屋の逆隣にまだ部屋があった。廊下と階段分の幅を使っているので広いのかと思えば、ど真ん中にアコーデオンカーテンがあった。これは前の人が置いていった感がありありとある。
「仕切って子供部屋にしたり?」
「かも知れませんね?」
ここまででわかると思うけど、二戸一なのに2階部分だけで既に衛宮の家より広いのだ。そしてベランダなんてものは存在しない。洗濯物を表で干す事なんて無いからだ。1階に戻った私達はもう一度玄関から見直した。扉を開けるとすぐに廊下と階段。ダイニングキッチンの広さは、ほぼセイバーの部屋と私の部屋を併せたくらい。廊下に出ると突き当りがリビングで、あのアコーデオンカーテンがあった部屋の真下になる。だからトイレの下がトイレとバスルームだ。そこに洗濯機と乾燥機置き場があるのだろう。そして階段の下にも階段があって、2室ある地下室に繋がっていた。
「エル、これは?」
「ええ。奥側でしょう? 妙な感覚がありますね」
確実に出るだろう。だから空いていたのだろうか? 幼稚園の騒ぎ声なんて結界でどうとでもなる。つまり並の魔術師じゃ祓えなかったって事? 何よりこれに気付かないエルやエルヴァちゃんではないだろう。地縛霊ならどうとでもなる。幾つか持参した蟲の餌にしてもいい。だけど、もしかしたら『通り道』かも知れないと、フッと思った。死んでシフトした霊が、ひとつになる(天に還る)ための『道』。だから放っておかれた。
それだけなら良いのだけど、近隣の人々の安全を願って街中の浮遊霊を引き込んでいる可能性もあるなぁ。悪意よりそういう見えない善意のようなものを感じる。それが奇妙に感じさせるのでは?
「まぁ、様子見かな」
「はい」
再び地上階に戻ってダイニングキッチンに入った。何故かリビングより落ち着く。キッチンはそう広くないけど、セイバーと2人で料理を作る十分なスペースがあった。背の高い冷蔵庫は既にあるけど、調理器具はどうなのか、洗濯機や乾燥機などの家電は? それと水周りの小物。トイレットペーパーはあった?
それで二手に分かれて必要なものをメモに書き出した。
「買い物に出ませんとね?」
「ええ、ですがエル。クルマが小さ過ぎませんか?」
「魔術で空間を造ります。人目を遮って、カートからそこに移し替えましょう」
「それしか無いでしょうね」
前庭のカーポートには、お祖父様にお願いしたクルマとバイクが置かれてある。キーも既に預かったし、ヘルメットはその魔術を使って日本で使っていたものを持ってきてある。『TW』はランサーに進呈した。王様からの戴き物だけどそこは仕方なかった。3年や4年も乗ってあげられないなら、乗ってくれる人に譲る方がバイクのためだ。それに彼の長い足から考えると少々小さいかも知れないが、ケルトの大英雄はやたら『TW』が似合っていた。跨った姿はこのバイクを流行らせた誰よりもカッコよくてサマになる。何より、『騎乗スキルって何なんだ!?』と唸るほどランサーは上手かった。
こう聞いて『え?』と思う人は、少し考えてみて欲しい。実は倫敦に来る前、乗り納めを兼ねてセイバーにレクチャーしたのだ。それは彼女の腕がどうこうの問題ではなかった。彼女が『直感頼り』で乗り過ぎるからだった。このほぼ当たるという『直感』は、道交法に照らすとかなりヤバい能力だった。例えば彼女、一旦停止で足を着かなければ、左右も確認しない。クルマが来ているのは『勘』か『気配察知』でわかっている訳だ。だというのに、『このタイミングならイケる』と『直感』がGOサインを出すのだろう。そして反射神経と筋肉がアクセルを捻っちゃう。
わかるかな? 確かにセイバーの操縦能力は高いしウマい。だけどそれは『危険な操縦』で『社会に合わない』ものなのだった。『交通戦争』という言葉はあれど、公道は戦場ではない。法定速度を守り、道交法に則って走っているクルマやバイクは、あなたに迫り来る敵ではないのだ。頭ではセイバーもわかっていると思う。だけれど、染み付いたクセは中々コントロールできるものではない。
一方、ランサーはキチンと自分の目で左右を確認する。それで、警ら中のパトカーなり白チャリが居ないか瞬時に見抜き、居れば足を付き、大きく頭を振って左右を確認している『フリ』ができる。この教習中の生徒のように『フリ』ができるという部分が、彼の身を実社会から護っている。これをしてズルいとは言えない。無事是名馬で、事故らない、他者に迷惑を掛けないという点で彼はセイバーよりウマいのだ。以前訪れて下さったアルトリア姉さんが、私のセイバーを指して『私以上に直感力が高い』と話していたけれど、そこがこういう弊害となって現れるのだった。その悪いクセを倫敦で出して捕まったら、私はともかく、私を推して下さる方々に迷惑がかかる。そこを心配してのレクチャーだった訳だ。
この前庭側のカーポートは建物と屋根が繋がってこそいないけど、ギリギリまで迫っていて、正面に跳ね上げ式の木のドアがあった。だからガレージと言っても良いのだけど、これは誰か(お祖父様かも知れない)が後から建てたものだ。何故なら他の棟のカーポートには基本、屋根も壁もないからだった。ただ、こちらと同じように屋根付きガレージを増築、或いは別棟で建てているところも2軒だけあった。つまりそういう敷地内の増築は許されるようだった。だけど2台分あるスペースを丸々ガレージにしているところはウチだけだった。消防法や建築法に引っかからないか気になるが、今更どうしようもない。
さて、セイバーが小さ過ぎるといったクルマだけど。まず日本人なら驚くだろう。シートの掛かったそれはダイハツのコペン(L880)だったのだ。ごく少数だけど右ハンドルの軽規格のまま(つまり660cc)、ドイツに上陸し、EU圏で販売されているのだった。それをお祖父様に頼んでこの倫敦に持って来て登録して貰った。
英国→狭い倫敦市内と連想してオースチン(ローバー)のミニ、BMWのミニなんて想像するかも知れないけれど、実はそういうクルマは余り走っていない。ブリティッシュ・レイランドは過去の亡霊みたいなもので、『民族主義的過ぎる』『英国凋落の象徴』と見做す向きも多いのだ。凜が好きらしいけれど、魔法使いに陰口が叩けるロードは居ないだろう。だけど私なんかがミニに乗れば『貧乏人』とバカにする口実を与えるだけだし、一番売れているフォードのフィエスタなんかを選んでも『俗物的』と笑われるのが目に見えている。だから電動トップのコペンなのだ。ビビれ、メカ音痴な歩く化石ども。その代わり壊れたら自分で修理だ。ダイハツの代理店なんて無いからね。当然、そのための工具類もガレージに置いてある。選んだ色は『DC・ダークグリーンマイカ』でタンレザー仕様。こういう部分で英国っぽさを出してフレンドリーに装うのだ。
バイクはスズキ・バンバン125(BA-NH41A)だ。色はマーブルアステカオレンジ。これは免許の関係で200を125に落としたタイプがEUで出回っているからだった。同じように『TW』にも125があるし、『XL125V VARADERO』にもある。その前の『SHADOW125』もそうだけど、125ccのV型2気筒は珍しい。重くて遅いけど気になるエンジンだ。
欧州産のバイクを買わない理由は、壊れやすいから。コペンもそうだ。日本の軽自動車がいきなり壊れるなんて聞いた事もない。オイルとブレーキ、バッテリー関係をマメに点検・交換していれば、まず大丈夫じゃないかな?
エンジンを掛けナビ(付けて貰った)を起動すれば、近所のスーパーは2~3軒じゃなかった。うじゃうじゃある。これはいい。
「疲れていませんか?」
「飛行機の中で少し眠ったので、大丈夫ですよ。時差ボケも魔力を通したら治りました」
「それは良かった」
「せっかくの晴れです。オープンにして走りましょう」
それでトップを開けた。軽規格のクルマで電動トップは感動モノだ。通りに出て走り始めたら、道行く人々が『何だあれ?』『何、あの小さなロードスター(※)』と口にして驚いていた。
※)オープンカーは和製英語。英国では2人乗りをロードスター、4~5人乗りをドロップヘッドクーペという。アメリカではコンバーチブルだ。ドーバーを渡るとカブリオレやカブリオとなり、イタリアだとバルケッタやスパイダーとなる。語源はまちまちだけど、名付け方には『屋根(幌)が開けられる』のか、『閉じる事ができる』のかの両方の視点があるのは面白い。というのはクルマの元祖は馬車だからだ。そして初期の馬車は今でいうトラックやバスで乗用車ではない。そして大抵の馬車は、後ろに幌がああろうと御者は雨晒しだ。言い換えればアオリだけの平トラック、あれの荷台に幌を乗せるかどうかを論じているように私の場合は聞こえるのだ。
馬車が自動車になり、商用と常用にわかれ、国ごとの税によって更に細かくわかれて発展した。その中にあるごく少数のオープンカー。しかもヘルメットを被らずとも合法で風を感じられる。私がバイクよりクルマが好きというのはこういう部分にある。
結局、日用品は買い揃えられた(屋根を出せばトランクに入る程度だった)が、それらを収納する家具など大きなものは無理があった。というか迷ったので買わなかったのだ。新居あるあるなのだけど、何でもかんでも置いてごちゃごちゃさせたくないという気持ちが購買意欲を萎ませた。だからメジャーを買った。サニタリーのところにある棚とか、ああいうのをキチンと測ってから選ぼうと考え直したのだ。
「こうして考えると……アルトリア、あの子、偉いですね?」
セイバーの事ではない。エルマやトロンメルと同学年のアルトリアだ。
「ええ。友人の助力もありますが、きちんと家事や炊事を行っていましたから。あの子を残してきてしまったのは心残りです」
「……ですね。エルマとトロンメルに託すしかありません」
「はい」
セイバーはアルトリアを『未熟な過去』と見做さず、『妹』として接していた。これは私の助言もあったのだけれど、それが功を奏して2人は本当の姉妹のようになっていた。そしてその関係は、セイバーにもアルトリアにも良い影響を与えていた。バイクやクルマで熱くなった時は怖いが、接客業に就いてからセイバーは徐々に変わった。そしてアルトリアと暮らすようになって大きく変わった。
またアルトリアもセイバーには何でも話せたようで、ここに来て明るくなり友人も増え、よく笑っていた。その笑顔を誰よりも欲したのが『エミヤ』であり『セイバー』自身だった筈だ。アルトリアは空港でセイバーに抱きついて泣いていた。あの子はもう、現代を生きる普通の人間だった。
「今のあの子を見て、モードレッドはなんと言うでしょう?」
「妹のように可愛がるのでは?」
「かも知れません」
この後、外食をしてから家に帰ったのだった。
倫敦といえば名作に「Fate/In Britain」と「Brilliant Years」がありますね。どちらも大作です。
個人的にルヴィアが可愛い「Brilliant Years」が好きですが、どちらもかなり初期に書かれたので、今とは微妙に設定が異なります。ですがそういうのはどうでもよく、今読んでもやはり面白い。ああいうのが書けたらなと思いますがどうでしょう。
また「Memories of Miyako」は「教えて、衛宮先生!?」にあった諦観を意識しています。やり遂げた漢の晩年です。こういうのを交互に挟みながらこの番外章は進めたいと思います。