家屋に挟まれた映像は、もう暗くなっている。それ以外の収斂してからの映像はどれも似たようなものだった。例外は私の感覚的に、もっと遠いところにある映像だった。そこではお爺ちゃんの腕を引っ張って歩く女の子がいた(※)。少し気になったけれど、でもそれは『あったかもしれない可能性』だ。だから遠くに感じた。現実は病院で養子の話を持ち掛けられ、退院後に親子として暮らすようになった。それだけだ。
※)この遠い映像の女の子を追える魔法使いが、お婆ちゃんでなく後に出会うお弟子さんの凜さんだった。
お爺ちゃんのお父さんは、時々泊まりでどこかに出かけるけれど、それ以外は概ね穏やかな日々が流れるだけだった。だけどお爺ちゃんの心の中で燻っているモノが成長とともに大きくなっていた。
『ジイサン、魔術を教えてくれ』
とうとう言った。何も知らないから言える言葉。お爺ちゃんのお父さんが魔術師なのはわかっていた。まして私の年齢からすれば、あの災害が『聖杯戦争』に因る何らかのアクシデントだったと容易に気付ける。何より『そういう時期』にこの街に居て、お祖父ちゃんのような被災者を救けた魔術師。間違いなく『参加者』だ。
『ダメだ。魔術なんてものは覚えなくていい』
案の定だ。この人は後悔している。災害を誘発させた儀式に参加してしまった事を後悔しているのがありありとわかった。それにこの人は『優しい人』だった。普遍的な『愛』の幅が広く深いのだ(だからお爺ちゃんも人類愛が過剰に深い人になったと言える)。また、もう1つの理由もあるだろう。それはこの人とお爺ちゃんの血が繋がっていない点にある。弟子にして基礎を教えるくらいならできるけど、『火』の魔術師は『水』の魔術師を教え導けない。それは実証できないからだ。何よりお爺ちゃんを救うため、この人はお祖父ちゃんの身体に何かを埋めた。それが何かはわからなかったけれど、お爺ちゃんの身体を癒すと同時に歪めたのはわかった。何故なら、あれだけの火傷を跡形もなく癒やす呪体や礼装なんかを子供の身体に埋めればどうなるか。誰だって想像が付くと思う。
だけどお爺ちゃんは諦めず、遂に養父を説き伏せた。そしてその異様な魔術を改めて私も理解した。
『士郎、投影でなく強化を覚えなさい。そちらの方が向いているだろう』
お爺ちゃんのお父さんも迷ったと思う。その投影魔術は世に知られるものとは余りにも異なっている。何分どころか何時間も消えない幻想。それが埋めた呪体か礼装で、お爺ちゃんの魔術回路や魔術属性が歪められた結果得られた魔術である可能性が高い事を理解しているようだ。勿論、歪められたのはそれだけでなく、その人の生きる命題とも言える『起源』からして歪められたのだけど。だけどそこにある本質。その先に得られる神秘。それが『固有結界』であると気付けたかどうかは怪しい。
それでもこの『優しい人』は、日々の生活の中でお爺ちゃんを我が子のように愛すようになっていた。だから……思った通り、魔術を諦めさせる方向に持って行った。修養後せっかく開いた回路を毎回閉じさせ、次の修養でまた1から回路を開かせていたのだ。だから切り替えスイッチもできていない。個人差はあるけど、逃げも隠れもできない、神経に直接キーンと来る痛みと苦しみ(ある人が、『麻酔なしの虫歯治療、それの100倍』と表現した)。
そんなの普通、諦めない? なのに子供の頃のお爺ちゃんはそれが『魔術を使う代償』であって、『当たり前の事』だと受け入れ、自ら進んでその間違った修行を続けていた。ここはお爺ちゃんのお父さんの計算違いだった。あの災害でそれまでの記憶のほとんどを失ったようだけど、この心構えと覚悟の持ち方はお爺ちゃんの身に染み付いた『本来の家』のものだと私は思った。養子だった事すら知らない私と違って、実の娘のママならたぶん知っている筈だ。これは私の想像だけど、お爺ちゃんの実家も、西欧の魔術とは限らないかも知れないけど、何か神秘に携わる家だったに違いない。
そしてその日が来た。日本人には珍しい赤毛が揺れた。
「諦めたのかよ?」
「う……ん。正義の味方は期間限定なんだ……」
「じゃ、オレが引き継ぐ。皆んなが笑顔でいられる世界にするよ」
「ああ……安心した」
お爺ちゃんは、永遠の別れを迎えた恩人にそう誓った。世界一の料理人になると。
中学生になったお爺ちゃんは、お父さんの残してくれた遺産を少しでも使わないように努めて、新聞配達のアルバイトを始めた。またその配達で大人の人が使うオートバイに心が惹かれているようだった。本当は飲食店で働きたかったようだけど、中学生には無理があった。どこも雇ってくれなかったのだ。そうして入った僅かなアルバイト代を、お爺ちゃんは月々のお小遣いなんかにせず、いつも料理の本や食材の購入に充てていた。当然、自分なりの料理研究のためだ。裏庭に菜園を作り始めたのもこの頃だった。
私もママから少しは料理を習っている。だから大根や白菜といった冬の野菜が、何品もの料理の材料になるのはわかる。ところがお爺ちゃんはタマネギみたいな少しクセのある野菜1個で5品も6品もおかずを作っちゃう。レシピを増やす練習でもあるみたいだけど、1人暮らしだから食材を無駄にしないためでもあったみたい。
お祖母ちゃんが子供の頃と違って、今のフィンランドにも野菜はたくさんある。日本にはない野菜もあるし、日本と同じのもある。ただしナスは直径10cm、キュウリも6~7cmはある。大きい分、余りやすい。そこをママが工夫して使い切るんだけど、お爺ちゃんの教育なんだなってわかった気がした。
ちなみに野菜売り場で日本より多いのは、ジャガイモの種類とベリー類、そしてキノコ。椎茸はフィンランド語でもシイタケだけど(日本から入った?)、この他の種類もたくさん売られている。ブロッコリーにカリフラワーと並んでロマネスコもある。これは日本だと滅多に無いと思う。そのフラクタルな造形に初めて触れたママもびっくりしたそうだ。それとマメ。私達はマメをよく食べる。袋で買って料理の食材としてだけでなく、おやつとして生でポリポリ食べている。これにはママも呆れ、『せめて塩茹でしろよ』と思ったらしい。だけどパパと私はエダマメを初めて食べた時に思ったね。『ポリポリ感が足りない』って。
でも、お爺ちゃんが必ずどこかにサヤインゲンやお豆腐を使った一品を入れてくるので(卵や鶏肉、お魚と並ぶ重要なタンパク源)、日本人の感覚だと柔らかい方が馴染むのかもね。
魔術の修行と料理の研究を重ねていって、そうこうしている内にお爺ちゃんは高校生になった。ちなみに頭の柔らかいお爺ちゃんは、早々にお父さんの教えてくれた方法が変だと気付き、お父さんがどうしてデタラメを教えたのかにも気付いた。そんな人だからスイッチも自力で見付けてしまった。
ところで私も受験生だったので(この休み前に無事合格)、興味本位からママに学生時代の事をあれこれ聞いたんだよね。それはママが私立の学校だったから。これはフィンランドだけじゃないと思うんだけど、私達の感覚では私立は寄宿制の大金持ちな子弟が、そこの理念に賛同して入る特別なところだ。だから費用はもの凄く高い。なのにママは私立だったというから驚いたんだ。でもよく聞けば日本は何か違う。そこでパパが教えてくれた。
『私も初めは驚いたけれど、これは固定観念だったと気付いた。日本は私立のバリエーションが豊かなんだ。商業主義的な悪い面もあるけれど、そこまで堅苦しくない、公立と変わりない私立もあるみたいなんだ。まぁ、そういう学校のほとんどが公立の試験に落ちる子が通う底辺校とされる場合が多いようだけど』
『え? そんな人がどうして? じゃ、ママの学校は就職コース? 何を習っていたの? お料理?』
この受け止め方はお国の違いだと察して欲しい。
『いや、普通の進学目的の学校だよ』
『もの凄い伝統校だとか?』
『いやいや。答えを言うと、日本はほとんどの9年生(中学3年生)が、進学目的の学校に行くんだ。教育内容の違いだね。就職目的の学校は、先の学校を卒業した後に入る事になる』
『……3年』
『そうだミーナ。若い頃の貴重な3年をロスする。しかもそれに合わせたかのように、大学も様々なランクのものがたくさんある。就職に備えた専門学校に行かない人は、ランクの低い意味のない大学に行く。ここで更に4年のロスだ。わかるかい? 日本は世界有数の先進国で経済大国だけれど、その実態は一部のエリートが叩き出した数字だ。コジュエには悪い言い方だけれど、ほとんどの日本人はこの7年ものロスタイムからもわかる通り、効率の悪い仕事しかできない。社会貢献もできなければ数字を出す仕事もできないんだ。そしてそれを本人が自覚し意識改革しても一人前になる頃は30歳だ。会社は彼らの成長をじっと待ち補填し続けなきゃいけない。つまり一部の会社を除いて、日本企業の大半は取引相手にならない。いつ潰れてもおかしくない、小さな会社が日本に多いのもこういう背景があるんだよ』
大問題なのだけど、ママはパパと出逢うまでそんな考え方があるとは知らなかった。私も日本がそんなところだとは知らなかったので驚いた。『カゴの鳥』という言葉が頭に浮かんだのは、取り巻く環境がヌルいだけでなく、敢えてそうされている不当なものを感じさせた。とは言え、そういう風に思ったのは私が外の人間だからだ。カゴの中からだとそれが見えないのだろう。そしてそれはお爺ちゃんも一緒だった。この高校時代のお爺ちゃんは、同級生と同じく何も考えていないように見えた。それでも料理に燃えているだけマシなのかも知れない。何故なら進路相談で、後見人のお孫さんで姉代わりでもある先生に『料理人になる』と話していたから。先生はお爺ちゃんに親身だったから、進路をそれなりに考えていたお爺ちゃんに安心していた。
その進路相談は2年生の終わり頃にあったのだけど、その前の1年生時代を少し話そう。それまでの黒い制服から茶色い制服になったお爺ちゃん。そんな真新しい制服を着てホムロハラというガクエン(学校とは言わないらしい)の門を潜った春、そこでお爺ちゃんはお婆ちゃんに出逢った。若いお婆ちゃんはなんと生徒代表として舞台の上で入学の心構えみたいなのを話していたのだ。お婆ちゃんってデキる人だったんだ? これは知らなかった。それはお祖母ちゃんもママも話してくれなかったからだ。まぁ、お祖母ちゃんはわかる。自慢話をしない人だし。ママも謙虚な人だから、話題に出なかっただけなのだと思う。
ところでお爺ちゃん目線のお婆ちゃんへの第一印象は、『随分可愛い子だな』だった。この感情が伝わっただけで顔が熱くなった。だって、壇上で堂々と話すお婆ちゃんはこの時15歳になって2ヶ月後くらい。つまり入学待ちの今の私より8ヶ月以上幼いのだ。面立ちは私と似ているけど、黒髪が襟の大きな白いブラウスに映えて可愛い。アジア人らしくより幼く見えた。ちなみにこのお婆ちゃんの着ている制服をママは着ていない。それは絢芽伯母さんの次の学年から制服が変わったからだ。ママの卒業アルバム(こんな製本されたものがあるのも日本だけのような気がする。私達の場合、仲のいい子と画像データを交換するくらいだ)を見させて貰った時に、それを知った。
『制服があるんだね? 私立だから?』
『ううん。日本は公立でも決まっている学校が多いわよ。でも私は前の制服の方が好きだったな』
そういう流れから情報を得た訳だ。フィンランドには制服なんてないから興味津々だったのだ。私は夢から覚めたらお婆ちゃんにアルバムを見せて貰おうとこの時に思った。
それはともかくお爺ちゃんはクラブに弓道部を選んだ。いや、選んだは語弊がある。その姉代わりの先生がクラブの担当で、お爺ちゃんを強引に入れたのだ。これもお爺ちゃんを思ってだ。なにせ料理に燃えているお爺ちゃんはクラブなんて入らず、さっさと帰ってアルバイトがしたかったのだ。高校生になってやっと、調理人の見習い求人が見込めるからだ。お爺ちゃんは自分の作った料理で絶望の淵に立つ人に、ヤル気と笑顔を取り戻させたいと純粋に願っていた。もう諦めるしかないギリギリの絶望で救われた恩を、同じように苦しんでいる人に返したいと考えたのだ。
だから中学時代からの親友と芝居を打って、火傷したからとクラブをパッと辞めちゃった。先生がとても残念がっていたけれど、最後は納得していた。実際、お爺ちゃんはこの弓道というのに向いていて才能があった。先生はそれを見抜いていたのだ。でもお爺ちゃんには、『世界一の料理人になる』『困った人に勇気とヤル気を与える料理を作る』という、亡くなったお父さんに誓った大きな目標がある。だからクラブを無駄、停滞した無益な時間だと考えていた。
この『若さゆえの焦り』が、パパの言う『7年のロス』を避ける方向に動いている事に着目だ。それとお爺ちゃんが後年バイク好きになり、弓道が上手だった点にも注目したい。以前ママが『正調な魔術師とは言い難いけど、お父さんは表の属性より裏の属性の方が強く出ている』と話していた。そんなお爺ちゃんの表の魔術属性は『剣』で裏が『風』だ。元々は『火』だったのが『剣』に変質した理由は、お爺ちゃんのお父さんが埋めた『ナニか』に因るものだと想像がつく。きっと裏が強く出ているのもそのせいだと思う。そしてバイクが好きなのも。では、料理や釣りは? これは『起源』だろうね。私はこの段階で『起源』の変質もあると睨んでいた。
そして2年生の冬、年が明けて後数ヶ月で3年生になるという頃に『聖杯戦争』が起きた。
そのお人形のような白い少女は、もう1月も終わろうかという、暗くて寒い夜にアルバイト帰りのお爺ちゃんを待っていた。
『早く喚ばないと死んじゃうよ?』
『いつ、どこで、誰が、何を、どうした。きちんと伝えないと相手にはわからないぞ』
料理のオーダーを間違うと大変だ。食材もロスするし、作り直す時間もロスする。お爺ちゃんは成長していた。
『え?』
『だから、『え』じゃないよ。こんな暗くて寒い中をさ、女の子が1人で。お家の人が心配するぞと言いたいところだけど、人まちがいじゃなければオレを待ってたんだろう? 要件があるならきちんと聞くからちゃんと話そう。そうだ、家に試作のお汁粉があるんだ。温まるぞ? 食っていかないか?』
『え~!?』
そしてお爺ちゃんはその子を連れ帰り(ほとんど家の前だった)、お汁粉を振る舞った。それは電話番号を聞き出し、お家の人に迎えに来て貰うためだった。温かくて甘いお汁粉に女の子は大喜びだった。
『お兄ちゃん、優しいんだね?』
『あんな寒いところで待ってたんだろ? 心配にもなるさ。それと君は見た目が外国人なのに日本語がやたら上手い。もしかして、死んだ親父と関係ある?』
少女はコクリと頷いた。
『やっぱりか。オレ、親父……と言っても養父なんだけど、あの人が生前何をしていたか全然知らないんだ。と言うのはオレ、10年前に起きた災害の被災者でさ。もう死ぬしかないってギリギリのところで親父が救けてくれて……』
『あ……。その人はどうして死んだの?』
『病気だったんだ。オレを救けた5年後に亡くなった』
お爺ちゃんのカンなのか、お爺ちゃんは少女にお父さんの事を色々と話した。
『じゃ、海外に?』
『だと思うよ。どことは聞いていないけど、密航がどうとか言っていたのを覚えているから。大抵2ヶ月くらいで帰ってくるんだけど、帰った時はいつもガックリしていたよ。当時はオレも子供だったからわかっていなかった。けど、今ならわかる気がする。親父、本当の家族に会いに行ってたんじゃないかって。……なぁ、そろそろ本音で話そう。君は親父の家族か?』
少女は再び頷いた。お爺ちゃんは頭を巡らせた。
(まさか……産まれたばかりの赤ん坊と、この子の母親を置き去りにして日本に来ていた? 外道かよ?)
『親父は何をしたんだ? そっちの国で莫大な借金でもあったのか?』
『しゃ、借金!?』
『もしそうなら……産まれたばかりの赤ん坊だった君と、君の母親を棄てて逃げてきたって事だろ? あの……外道。一発殴らないと気が済まない』
そう言ってお爺ちゃんは立ち上って奥から遺影を持って来た。そして額装を外し、裸の写真をテーブルの上に置いた。少女にボールペンを渡し、自分もペンを取った。
『死んじまったからこういう事しかできないけど……。親父のバカヤロウ!』
お爺ちゃんはお父さんお遺影にペンで『バカ』と書いた。
『遠慮はいらない。君も書け』
これが少女にウケた。
『キリツグのバカー! この裏切り者ー!』
そこから10分くらい2人で落書きをしていた。
『死んじゃえ、キリツグー!』
『いや、もう死んでるから』
『あ……』
そこで少女はハタと動きを止めて静々と泣き始めた。お爺ちゃんはそこから4~50分くらい掛けて少女の名前と、『聖杯戦争』の大体のあらましや中身を聞き出す事に成功した。聖杯に選ばれた7人の魔術師が、それぞれサーヴァントという『英霊』の一形態を召喚し、彼らを兵器として争う儀式。その後、少女の迎えが来たのでその人達に少女を預け、お爺ちゃんはモソモソと遅い夕食を1人寂しく食べていた。
『『英霊』は良いとして……争うのが儀式ね。イリヤ、まだ何か隠しているな。きっとそれが根幹か』
長年のアルバイトで大人に揉まれたお爺ちゃんは、結構鋭かった。だけど細々したところは抜けている。電話もしていないのに家の人がどうして迎えに来たのか、どうやってサーヴァントを召喚するのかを聞いていなかったのだ。どうも自分が参加者になるかもしれないとまでは考えられなかったようだ。だけどアインツベルンの名と、マキリ、トオサカの名は聞き出していた。
『マキリト・オサカ? 何者だ?』
ただし『マキリトオサカ』と繋げて考えていた。
それから数日後。お爺ちゃんは自転車に乗ってガクエンに行った。教科書やノートの入ったカバンは前カゴに入れて、リュックを背負い、後ろの荷台にも何かの荷物を括り付けていた。放課後、お爺ちゃんは弓道場にあるミニキッチンでお汁粉を作っていた。
『ああ、今年も衛宮のお汁粉の季節が来たんだなぁ』
お爺ちゃん、退部したお詫びと称して、時々作った料理を部員や先生に振る舞っていたらしい(要は試食要員)。だけどそれが人間関係を円滑にしているのは言うまでもない。
『士郎、お弁当を作ってよ~』
『藤ねえ。それは何度も断っているだろう? そういう依怙贔屓は良くないし、そっちの都合にオレの都合が合うわけない。藤ねえが腹を空かす時間、平日ならオレは授業だ。休日はアルバイト。わかるだろ? それと先月の食費がまだだ。早く払ってくれ』
『え~、士郎の奢りって事で……』
『じゃ、雷画さんから取り立てる。身内の人が大勢いる前でな。チョークを持つ指が残ると良いが……』
教師を脅していた! 先生は半泣きになりながら3万円納めていた。だけど……。
『藤ねえ、お代わりあるからな』
と、先生の耳にポソっと告げた。こういうところがお爺ちゃんだ。ところでお爺ちゃんがここまで言えるのは、本当の後見人である、その雷画さんとお爺ちゃんの仲が良いからだった。雷画さんは少し危うい職業の人だけれど、趣味人で中でもオートバイが好きな人だった。日々成長するお爺ちゃんも、この頃は免許を取っていたしバイクも持っていた。そこで意気投合し、暇さえあれば2人でふらりと走っていたのだった。この頃のお爺ちゃんのバイクは『HONDA CD250U』と言って、大きな荷台が付いた1人乗りだった。中古で買って自分で手直ししたバイクだ。商用なので人気がない上に、雷画さんの口利きもあってかなり安く手に入ったらしい。
『衛宮、僕ももう帰るけど、適当に終わらせてお前も帰れよ』
『ああ。ありがとう、慎二。けど、使った食器は洗っとかないとな』
それでお爺ちゃんは、友人の副部長さんから鍵を預かって後片付けをしていた。寸胴鍋のお汁粉は作り過ぎたのか、最後に片手鍋くらいの量が残っていた。どうしたものかと思いつつ小鍋に残りを移して寸胴鍋を洗うお爺ちゃん。その時だ。遠くから金属同士がぶつかり合うような音が耳に入った。
『ん? 何だ? まだ誰か残っているのか?』
そして様子を見に外へ出た。そこでお爺ちゃんは見てしまった。それは暗くなったグラウンドだ。赤い英霊と青い英霊が闘っていた。それをグラウンド近くにあった植え込みから、そっと覗いていた。お爺ちゃんは瞬時に聡った。人を超えたその動き、槍と双剣というアナログな武器、こいつらがサーヴァントなんだと。次に若い頃は夜目が利き視力が良かったと自慢していたお爺ちゃんは、サーヴァントの他に赤いコートを着た女性がグラウンドに居る事に気付いた。
(……遠坂?)
お婆ちゃんだった。私もこの時に幾つかの事に気付いている。主に赤い英霊に付いてだけど。
「お婆ちゃん、並行世界のお爺ちゃんを喚んでるのかぁ。やるなぁ」
私はマスターではないのでステータスは見えない。ついでに言うと『並行世界』の存在を知っているので、どこかで英霊に至るお爺ちゃんも居るのだろうと軽く考えていた。だけどお爺ちゃんが唯一無二で、お婆ちゃんが惚れ込んだ才能を持っている事を、この時はまだちゃんとわかっていなかった。
青いサーヴァントの動きがどんどん早くなる。夢とわかっている私には単なる録画みたいなものだから、視力強化なんてしなくとも、『もっとゆっくり』と考えるだけでスロー再生ができた。一時停止も思いのままだ。赤いサーヴァントの双剣が次々と弾かれ、暗闇に消えていった。
『28本な……。弓兵風情がやるじゃねぇか。聞いてやるぜ。お前ぇ、どこの英雄だ?』
(うっわ……。『お前、どこ中よ』みたいなあんな恥ずかしいセリフ、言うやつ居るんだな)
どうでもいい事を考える人だなぁ。
『なるほど君はわかりやすいな? 『ランサー』として召喚される資格を持つ英雄で、その俊敏さは三指に入るだろうよ。しかもその『朱槍』だ』
(誰だ? あんな外人が前田慶次郎だったら面白いけどな)
それ誰ですか、お爺ちゃん。
『よく言った。ならば我が必殺の一撃を喰らえ』
妙な構えを取った青いサーヴァントに大量のマナが集まり、槍に魔力が溜まっていく。
(あ! そうか! あの災害はあいつらのああいう武器で!? クッソ~~、あの野郎!)
怒っている?
『おい!』
ウソ、ここで声をあげてどうするの?!
『誰だ!』
『お前じゃない。おい、遠坂!』
お爺ちゃんの魔術回路が起動した。
『え? 衛宮……君?』
『お前達だろう? 10年前に街を焼いて500人も罪のない人達を殺したのは!』
あ! マキリトオサカがマキリとトオサカにここで……。
『おい、ガキ。邪魔するなら殺……ゲフッ?』
青い男は血を吐いてその場に倒れた。刃渡りが30cmはありそうなキッチンナイフが体中のあちこちから生えていた。偶然だった。怒りで何も考えていないから、できてしまった。そしてそれは近代兵器も効かない最高の神秘の一つを、一介の魔術師が打ち破った瞬間だった。英霊と言えど内臓からの攻撃には耐えられないなんて誰も知らなかったのだ。これがただのキッチンナイフだったら、通らなかった。だけどお爺ちゃんのそれは『投影魔術』だ。だから通ってしまった。赤い男が目を瞠ってお爺ちゃんを見た。
『遠坂! お前の親だろ! オレ達の街を焼き、大勢の人を殺し、オレの本当の親や、居たかも知れない兄弟や近所の人を焼き尽くしたのは!』
『ま、待って衛宮君! 何を言っているの?』
『だから前回のサーヴァントだろ?! こういう特殊な武器で戦って、切り札で街を焼いたんだ!』
『ぅ……どこまで知っているの?』
『トボケんな! 遠坂と言えば御三家の一角だ! 言ってみれば主催者側だろ! 人殺しめ!』
お婆ちゃんがよろめいた。こういう発想はなかったらしい……。ん?
『待って、衛宮君。その前回の聖杯戦争で私は父を失くしているの。サーヴァントが街を焼いたっていうの?』
『そうとしか考えられないだろ? 空に変なのが浮かんでいた。あそこから零れる真っ黒な泥が街を焼いたんだ。あれは誰かの切り札だろ? 確かに遠坂の親父さんが召喚したサーヴァントじゃないかも知れない。けど、お前の家は主催者側じゃないか。そして、今もこうしてお前までもが英霊を召喚して参加している。言い逃れできないぞ!』
ここで赤い英霊が声をあげた。
『リン、一々取り合わんでいい。こいつの口を封じるしかあるまい』
次の瞬間、赤い男のお腹から包丁が突き出ていた。
『何ッ!?』
『お前がオレに近づく前に、オレは遠坂を殺せる。大人しくしていろ』
『な、なんて魔術……』
お婆ちゃん達主従は、お爺ちゃんに完全に飲まれてしまった。隙きあらば刻印を起動してのガンドだけど、刻印がある方の腕を落とされたら魔術師としての遠坂が終わる。私はやっとお爺ちゃんの恐ろしさがわかった。この魔術は余りにも危険過ぎる。魔術師の天敵……『魔術師殺し』だ。
この膠着状態はどうなるのかとヤキモキしたけれど、それを解いたのはお婆ちゃんからだった。青いハリネズミが消えたのだ。
『あ、令呪?』
『だな』
お爺ちゃんが何かを考えた。
『遠坂、令呪って?』
ある意味観念しているお婆ちゃんは袖を少し捲くって、手の甲を見せた。
『あ。これか?』
お爺ちゃんの手の甲にも薄い文様が浮かんでいた。
『衛宮君もマスター?』
『いや、オレは召喚していない。どうしてオレに?』
『さぁ、聖杯に選ばれたんじゃない? でも、衛宮君が最後のマスター候補だったみたいね』
『なら遠坂。休戦だ。相談したい事がある』
『相談? 何を?』
『良いから、弓道場で話そう』
それでお爺ちゃんは赤い主従を引き連れ道場に戻った。
『遠坂、お汁粉が余ってるんだ。食うか?』
『あ。今日、皆んなに?』
『そう。それで帰りが遅くなってああなった』
お爺ちゃんの差し入れや振る舞いは、ガクエンの生徒ならかなりの人が知っているようだった。
温め直されたお汁粉を一口食べて、お婆ちゃんは『ホゥ~』っと息を吐いた。
『美味しいわ』
『そいつは良かった』
『リン、この程度の料理なら誰でも作れるぞ?』
赤い男が茶々を入れた。
『なぁ? その小豆、どこ産だと思う?』
『む? 丹羽か備中か?』
『大納言と中納言の区別もつかないのか。そいつは『えりも』だよ。珍しいだろ?』
『北海道産か?』
『そう。寸胴で大量に作ったからな。少量なら丹波だろうけど、量が多い時は北海道産だ。『きたのおとめ』や『しゅまり』なら何度か使ったけれど、『えりも』は初めてだったから先日から試作していたんだ。結構イケたよ』
私はこの段階で並行世界の髪が真っ白になった人に幻滅した。西欧の英雄しか喚べないのに、ここに参加できた理由はこの人が抑止だからだ。それはイコール、死後を世界に売ったという事だ。バカだなぁ。おまけに個人情報ダダ漏れだし。
『で、相談って?』
これはマズいとお婆ちゃんが話を反らした。
『この儀式の根幹。それが知りたい』
主従は顔を見合わせた。
『根幹って?』
『おいおい。トボケんなよ。7人の魔術師が集って争うのが儀式っておかしくないか?』
『え? でも勝てば何でも願いが叶う聖杯が手に入るのよ』
お爺ちゃんが首を捻った。
『遠坂ってそういう一方的な情報を信じるタイプ? 確か、本来は60年ごとに開催だろ? 単純計算だけど、サーヴァント1体につき8年半分の魔力が必要だ。今回早まった理由はわからないけど、大元の装置に何か不具合が出てないか?』
『大元の装置?』
『おい、マジか。普通そういうのがあるだろうって考えないか? それと、何でこんなに長い期間を掛けてまでやるんだ? 本当の目的はサーヴァントを使っての『ナニカ』じゃないのか? そこを聞きたかったんだ』
ダメだ。お婆ちゃん、目が真ん丸だ。この頃はお爺ちゃんの方が冴えてるなぁ。
『ゴメン……知らない……』
お爺ちゃんがため息を吐いた。
『なら、あんたも聞いてくれ』
それでお爺ちゃんはサーヴァントを見た。
『何だ?』
『遠坂、ハメられてないか?』
『何ッ?』
『情報断絶。親父さんの急死はお気の毒だったけど、そこにつけ込まれてないか?』
お婆ちゃんとそのサーヴァントはハッとしていた。
『御三家と言ったって、こうしてサーヴァントを喚ぶ限りは仲間じゃないだろ? いつか倒さないとこの儀式で得られるものを独占できない。なら、戦う前から仕込まないか? 遠坂、お前は頭が良いんだから、オレの言ってる意味がわかるだろ。何年も何年も掛けて、遠坂という家のチカラを削ぎ落とされていないか?』
あ。お婆ちゃんの妹さんが養子に出た理由……時計塔の仕業と言うより、その家が時計塔を動かした? しまった……妹さんはどこに養子に出た? 御三家のどこかじゃないの?