『ここよ』
キャスターが解呪の呪文を唱えて開いた障子の中は、和室なのにベッドが置かれ、そこには有機的なパイプで繋がれたイリヤスフィールが眠っていた。中に入ったお爺ちゃんが『ウォッ』と驚きの声を漏らしたのは、イリヤスフィールに対してではない。それはベッドの眠り姫を例え何があろうと護り抜くと決めたバーサーカーの気魄だった。
『霊体化を強制されていてもこれか……』
お爺ちゃんの呟きにお婆ちゃんが頷き、キャスターが答えた。
『そうなのよ。最強のボディガードとは彼の事だわ』
『だけどそれを、あなたはイリヤを眠らせる事で突破した。よくよく考えればバーサーカーってマスターありきなんだよな。狂化されているって事は、細々した作戦を全部マスターが立てなきゃなんない。それをイリヤみたいな世間知らずな子にさせるって……アインツベルンってバカなのか?』
『この子の記憶を読んだわ。するとアハトという8代目頭首は機械……つまりメカらしいの』
『キカイ?』
『坊やが夜な夜な弄っていたあれとは異なるわよ? 正しくは魔術装置と言うべきかしらね』
お爺ちゃんが『あ~』と声を出した。お婆ちゃんがお爺ちゃんに肘を当てている。
『かなり前から、衛宮君を監視していた?』
『その通りよ、お嬢さん。坊やが『この儀式の根幹となる装置を探そう』と言った時は感心したわ。だって私も召喚後真っ先にそれを探したから。けれど召喚者は名を売りたいだけの愚か者だった。いいえ。そういう業者から身寄りのない子供達を買い上げ、自分の魔術を増強するための生贄にしようとしていた』
『だから、そいつを?』
『ええ。自分で契約を切って殺した。柳洞寺に逃げ込んだのは、大聖杯の真上だからね。余剰魔力を少しでも補えればと考えたの。消えるのは覚悟していた。それでもそういう業者がいて、そういう人拐いをしている者達が存在する事を誰かに知らせたかった。そこで宗一郎様に救けられたのよ』
お爺ちゃんとお婆ちゃんは『そうだったのか……』としか言えなかった。英霊の座には、その英雄のすべてが集まる。余程異なる場合は、同一人物でも違った座を持つ場合があるけれど、このキャスターの場合、一番慈愛の心を持つ分霊がやって来たという事なのだろう。
『メカだから考えが浅かったというのはわかった。それで葛木先生はあなたの言葉を?』
『ええ、ちゃんと聞いて下さり、警察に届けて下さった。けれどそのビルは証拠隠滅のために燃やされたのよ』
『火事になったのか?』
『そう、警察が到着する前に。やったのは警察内部の者であり、聖堂教会の密偵でもあったの。わかる、坊や? 敵はそういう者達なのよ』
『だから戦力を蓄えようと?』
『ええ。坊やとはきちんと話し合うべきだったのかも……。けれど、何を信じれば良いの? だって坊やは前回の勝者の養子で、しかも間桐の者と交流がある。アインツベルンのこの子の心を解きほぐす話術を持ち、こうして遠坂のお嬢さんとも……』
お爺ちゃんが再び『あ~』と漏らした。
『第四次の事も調べていたんですか?』
これはお婆ちゃん。
『ええ、当然でしょう? お嬢さん、そこを調べないでどうするの?』
お婆ちゃんはガックリ来ていた。
『まぁ、お嬢さんはまだまだ若いから。第三次の事も調べたら、聖杯の汚染はアインツベルンが齎(もたら)したもの、坊やの養父も騙されていた事が良くわかるわ』
『ああ……。けど、どうやってそんな事が?』
『わかるのかって? それは大聖杯を解析して読んだり、警察や聖堂教会に使い魔を放ったり色々よ。お嬢さんの家の前の電信柱には、使い魔と併用した監視カメラも設置してあるわ』
お婆ちゃんが素っ頓狂な声を上げた。
『監視カメラァ~~!? あの、あなた……英霊ですよね?』
『だから何、という話になるわよ? この時代にはそういう装置がある。なら、利用しない理由なんてあるかしら?』
この人は……。この柔軟性と考え方こそがこの人のキモだ。どうしてこんな人がイアソンなんかに……。
『お嬢さんは現代の魔術師として考えれば、その歳で大したものだと思うわ。けれど、もう少し頭を柔らかくしないと、宝石剣止まりになっちゃうわよ?』
『……そんな事まで……』
『ほらほら、そこで止まらないで、私がどうしてあなたの家の前にカメラを設置したか考えないと』
そうだ。どうしてだろう?
『わからない? あなたが、この現代に於いての典型的な『魔術師』だからよ。私は必要とあらば機械も覚えようとします。あなたはどうかしら? 機械を毛嫌いしていると、その才能を潰すわよ? 自分でも自覚があるのでしょう? だから坊やに惹かれたのだろうし……』
『なッ!?』
お婆ちゃん、顔が真っ赤だった。
『キャスターさん。それでイリヤは?』
お爺ちゃんが話を戻した。
『あら、ごめんなさい。話が横道に逸れちゃったわね。容態は安定しています。問題はこの子が『聖杯の担い手』として生み出された、ホムンクルスと人間との間の子(あいのこ)だというところなの』
『間の子?』
『ええ。今どきなら何ていうのかしら? ハーフ? ミックス? ともかくこの子は母親が前回の担い手だったホムンクルスで、父親があなたの養父でもある人間なのよ。懸けるとしたら、そこだわ』
『そこ……?』
『ええ、母親を治せと言われれば私でも難しい。だってそれは『聖杯』に人の皮を被せたようなものだから。呪体や触媒、対価となる贄など、一体どれだけのものが必要か。だけども、この子は確実に半分人間なの。膨大な魔力をストックするために今は抑制されているけれど、人である方の細胞を活性化させて新陳代謝を促せば、ホムンクルスとしての聖杯に変化させる細胞を押し出せます。それが5年か10年かは今の段階だとわからないけど、このまま私が側にいれば、この子は人間として生きていける』
お爺ちゃんが喜色を顕にした。だけど感謝はしてもキャスターに触れようとはしなかった。失礼だと控えたのだ。
『あの、キャスター……さん?』
『何かしらお嬢さん?』
『良ければ私を指導して頂けませんか?』
えッ? そういう流れになるの?
『どうしてそう考えたのか、そこをお話してみて?』
『あ、はい。ご存知だと思いますが、私は五大属性持ちです』
『そうね。羨ましい事だわ』
『ですが、これといった得意がある訳でもなく……』
『随分と贅沢な悩みね。けれどわかる気もします。あなたの家庭環境を考えれば。指導してくれる人が身近に居ないのも問題だけれど、五大属性持ちを指導できる人がそもそも存在するのかという問題もある。この先、危険もあると読めているのに魔術協会に行きたいと考えているのもそこでしょう?』
『はい、そこにしか希望がないというか……』
『その希望が叶わない可能性も読んでいる訳ね……。先代はあなたのお父さんなのかしら?』
『はい』
『やり過ぎたのよ。全部揃うというのは、そういう弊害を生むの。今はこういう分けられ方なのかしら。『空』『火』『地』『風』『水』?』
『そうです』
『大昔はこうだったわ。『光』『闇』『火』『地』『風』『水』よ。お嬢さん、私は『風』の魔術師だけれど、それは私の両親や伯母が『風』以外の属性を封印してくれたからなのよ。何故かわかる?』
『い、いえ……』
『心がそうなるからよ。足りなければ人はそれを補おうと努力し、工夫もします。また、母も伯母も『風』の魔術師だった。お嬢さんの場合は、敢えてだけど『得手不得手』を自分で作る事ね。『火』の家系なのでしょう? なら『水』を自分で封印する積もりなくらい嫌いなさい。そうして『火』を今以上に極め、『地』『風』と伸ばして行きなさい。だから協会に行くのなら、『地』と『風』を学びに行くのだと認識を変えなさい。わかるかしら? 全部一度に考えるから悩むのよ? そうすれば、その動かない宝石剣も動かせるようになるでしょう』
ああ、お婆ちゃん……作れたは良いけれど、起動できなかったんだ……?
『先生、ぜひ弟子に!』
『あらあら……。私に宗一郎様のような真似はできませんよ。でも……この戦いを無事終えて、この街で生きて行く事を許してくれるのなら、教えるくらいはしましょう。それで良いかしら、セカンド・オーナー?』
お婆ちゃん、やられたね。これでキャスターは無償で暮らす言質を取ってしまった。お見事。
『坊や、そういう事であの子は時間が掛かるわ。だけど、安心して。贋の聖杯を用意したから、上手く行けばあの災害はもう起きません』
『ああ! ありがとう、ありがとう……』
キャスターがここでフードを後ろに外した。
『だけどあの災害を起こしたい一派が居ます』
エルフのような尖った耳を持つとんでもなく可愛らしい人だった。美人には違いないが、可愛いという感想が先にくる。容姿は20台半ばだから、これは凄い。また、サイドの編み込みが、余計に幼く感じさせ似合っていた。
『高校生でも通用しそう……』
『あら、そう? 嬉しい事を言ってくれるのね』
そうしてキャスターは微笑み、お婆ちゃん達に退室を促した。そして最初に来た方とは反対へ長い廊下先導して歩いた。やって来たのは木の机の並んだ大きな部屋だった。その机の上に幾つかのお椀が並んでいた。
『ここは?』
『遠坂は知らないか。ここは宿坊にある食堂だ。柳洞寺はここいらの禅宗の本部みたいなもので、修行中のお坊さんが大勢居るんだ。その人達が使う食堂だよ』
『へぇ~。でも今から配膳を?』
『お坊さんは朝が早いし、時間に厳しいからな。粥座(しゅくざ)という朝ご飯こそ7時半頃だけど、斎座(さいざ)というお昼ご飯は11時頃、薬石(やくせき)という晩ご飯は4時過ぎなんだよ』
『じゃ、今から晩ご飯なんだ?』
『そう』
そうお爺ちゃんが返事をすると、奥から大きな四角い木のお盆を抱えたセイバーが現れた。服装は着物で、その上に割烹着だ。
『もう、令呪が全然効かないの、あの子。だけど、ご飯をたらふく食べさせてあげるから賄いをしろって命令したら、こうなったわ』
お爺ちゃんが畳の上に突っ伏した。お婆ちゃんは顔を掌で覆って天を見上げた。何とも対象的だ。
『だけど、助かっているのよ。幾らお坊さん向けの質素な料理でも、これだけの数になると配膳も大変だから』
心ここにあらずなセイバーの配膳を見て、お婆ちゃんが尋ねた。
『質素過ぎない?』
『これでも修行中のお坊さんには、楽しみな食事なんだぞ? 麦飯(白米7:麦3)に、野菜が二品以上入っていてダシを使わない赤味噌汁(使う場合は昆布か干し椎茸。典部(調理担当)の僧がいる大きなお寺だと、カンピョウや干した大豆もダシにする場合がある。この淡い味付けを『淡(たん)』といい、『酸』『苦』『甘』『辛』『塩』の五味の上に来る精進料理最高の味付けとされる)。そしてこれまた野菜が二品以上の添菜(てんさい。おかず)と沢庵(おつけもの)と、全部決まっているんだよ。ああそうだ……。部活をしていない遠坂は知らないかなぁ。このお寺、事前に申し込めば部活の合宿も格安で受け入れてくれるんだ』
『本当に?』
『ああ、本当だよ。だから弓道部のレギュラー部員や陸上部なんかは良くここを利用しているよ。ただしご飯は、メニューも時間もこの通りだ』
『うへぇ~。合宿の経験あるの? それとも、柳洞君に?』
『両方だよ。おまけにあいつも高校に入ってから、『義務教育は終わった。今日よりお前も修行僧だ』なんて、父親である住職さんに言われてな。毎日こんな食事だ』
『じゃ、衛宮君がお弁当を生徒会室で摂るのは?』
『そういう事だ。多めに作っておかずを分けてやってるんだよ。育ち盛りの高校生の弁当箱が麦飯だぞ?』
そこでキャスターが言った。
『一成君、坊やには感謝しているっていつも話しているわ。それに料理が上手だって。その情報でセイバーを落とせたんだけど』
『ああ……』
これはお爺ちゃんにはショックな情報だった。
『でも、こんな質素な料理じゃ……?』
『お嬢さん、セイバーの正体とまでは言わないけど、いつの時代の英霊かは考えた? あの子、いつもいつも冷えた麦粥ばかりだったそうよ? それもこの国のお米なんて入っていない、パンでもない、本当に麦だけのお粥』
『そんな……』
『ね? 三大欲求と言うのかしら? そういうのはエゴに生きた英雄だからこそ通じるものなのね』
お婆ちゃんはキャスターをまじまじと見た。
『セイバーの国って……?』
『私の方のセイバーが居るから、あまり大きな声では言えないのだけれど特別にね? 5世紀頃のブリテンよ』
そこでお爺ちゃんが顔を上げてこう言った。
『そこで悩んだんだ。もしかして、知名度が信仰になるほど大きければ、実在しなくとも英霊に?』
キャスターが感心していた。その時、耳がピコピコして可愛かった。
『その通りよ、坊や。その内、あの子も正気に戻してあげるけれど、あの子にもこちらのセイバーにも言わないであげてね』
お爺ちゃんは大きく頷いた。
『そういや、そちらのセイバーは?』
『あの子? 今はお坊様方が休憩時間だから、あの子は作務よ』
作務って? 私の疑問をお婆ちゃんがそのまま声に出した。
『作務?』
『写経、経行など、自分で決めた修行だな。これ以外に畑仕事がある。裏に池があるって話したろ? あの少し先に畑があるんだ。そこで托鉢で賄いきれない野菜を育てているんだよ。若いお坊さんのこういう修行は午前中に終わるんだ。だからお昼の食事後から夕食までは自由時間なんだ』
『あら、休憩もあるんだ?』
『自由時間と言っても、そうは行かないよ。住職さん筆頭に、一成の兄の零観さんまでの位の人は、修行僧とは別に檀家のご供養や法事の読経、預かっているお墓の供養とか色々あるんで午前中で終わる事がない。修行僧もそこに加わる場合もあるし、残っていても自分なりの課題というか、何かしら修行をやっているもんなんだ。だけど、ここのお寺は学生や社会人の合宿なんかも受け入れている。だから、そこまで戒律が厳しくないそうだぞ』
『へぇ~』
『セイバーがやっている配膳なんかも、本当は修行の一環で、自前のお椀を用意して、そこに係が盛り付けるものなんだ。ただ、落石(夕ご飯)だから斎食(さいしょく)外と数えるのかな?』
この斎食外とは、女性であるセイバーが配膳などしても良いのかという意味と、本来修行僧は自前の椀を用いるので、それを食事時に持参して集まるものだから、これで良いのかという意味が込められていた。なお『洗鉢』と言って、最後は白湯などを入れ、食べかすや食器の汚れも全部飲み干し、器を綺麗にするそうだ。
フィンランドはそうでもないけれど、私の家ではフランスやドイツの家のように、スープ皿やシチュー皿を最後はパンで拭き取って食べてしまう習慣がある。ソースが美味しかったという意思表示になるとか、下品でマナー違反だとかいう人も居ると思うけど、その実態は水が貴重だった時代に生まれた風習だ。だけどウチは間違いなく、この『洗鉢』からだ。ママが持ち込んだとは考え難いから、きっと時計塔で、お爺ちゃんやお婆ちゃんがやっているのをお祖母ちゃんが見て覚えたのだと思う。
『斎食?』
『お坊さんの食事の事。別名『お斎(とき)』。お葬式後に出て来る仕出しの料理もお斎と言うけど、これはそこからの転用だ。だからお寿司や酒の出る『精進落し』は本来一般人向けで、お坊さんが関わっちゃいけないんだ。けど、檀家との繋がりは大切だしな』
『色々あるのねぇ?』
『だよな。だからこう聞くとわかるだろ? 家の前でお経を唱えてくれる托鉢のお坊さんにお米を渡すと喜ばれるんだ。生臭物はダメだから、お米か野菜だな。けど、柳洞寺のお米はオレん家のお米と基本同じだけどな』
『銘柄が同じって事?』
『違う違う。同じ農家から直接買っているって意味だよ。その方が安いんだ』
へぇ~。農家と契約しているんだ?
『また、面白い事をするのね?』
『いや、遠坂。ここだけはお前にもわかって欲しいぞ。あの無駄にだだっ広い200㎡を遥かに超える土地、築何年だっていう古さなのに文化財に指定されそうな作りの家。その評価額×1.4パーセントだ』
『あ! 固定資産税!?』
『そうだよ。しかも親父の遺産はほぼ空だ。これはイリヤを取り戻すために使ったんだろうなってわかるけどさ。けど、オレん家は遠坂みたいな資産家でも、誰かに貸して金を生み出す土地を持っている訳でもない。な? オレがアルバイト三昧な理由がわかったろ?』
『衛宮君って固定資産税のために……』
『だけじゃないよ。県民税に市民税、国民健康保険も支払っている。20歳になれば国民年金もそこに加わるな』
ええ~~っ!? と言っても後で聞くと、20歳未満で未就職の学生だから、県民税や市民税はほとんどタダも同然だったらしいのだけど。でも固定資産税と国民健康保険はそれなりの金額が請求されるそうだ。ここにバイクの自賠責と任意保険だから、一体幾ら稼いでいるのだろう?
『奨学金や学資ローンとか利用できなかったの?』
『できるか。頭が悪いから藤ねえ頼みで穂群原を受けたのに。それと学資やら何やら言っても、ローンは利息のつく借金だ。必ず利子を付けて返さなきゃならない。そういう状態なのに、そんな贅沢できるかよ。それよか家の周囲の土塀とか、家の外壁なんかの補修費用を貯めないとだな』
こ、これが親の居ない子供の姿……。私も唖然としたけれどお婆ちゃんも呆然としていた。キャスターなんか目尻に涙が溜まっていた。
『坊や、頑張ってね……。宗一郎様の収入では、坊やを励ますくらいしかできないけれど……』
『いえ、そのお気持ちだけで十分ですよ』
『坊やは本当に健気で良い子だわ。おまけに頭も良いし』
『オレ、バカですよ?』
ここでキャスターが指を立てた。
『いい事、坊や。宗一郎様は倫理だけでなく、学年によっては日本史や世界史にも教鞭を執っていらっしゃるわ。その宗一郎様が仰るのよ? 『衛宮みたいな個性のある生徒を測るのに、ペーパー・テストの優劣だけで決めて良いのか』って。失敗している方のアーチャーですら英霊に至れた。坊やには無限の可能性があるのよ。ね? お嬢さん?』
『はい!』
それを聞いたお爺ちゃんは複雑な顔だった。その表情の意味は、アーチャーの正体をキャスターが知っている事ではなかった。
『失敗ってどういう意味ですか?』
『怒らないで聞いて頂戴。心構えの話です。戦や事故で私の時代にも親が居なくなった子供は居たの。その子達を無事成人まで面倒をみるのは王の役目だったのね。だけどここのお坊様達と同じで、食べては行けても贅沢はさせなかった。母や私が慰問する事はあっても、余計な品や食べ物はあまり用意しなかったのよ。それはね、一度施しという名の贅沢を覚えると心がそこに依存するようになるからなのよ。アーチャーは坊やより遺産が多くあって、食べる事に困らない環境だったのね。だから自分のユメを追えたのよ。その日の食事にも事欠く人間にそんな余裕なんてあるものですか。坊や、竜牙兵が畑を荒らしてしまって……ごめんなさい』
そう言ってキャスターはお爺ちゃんにお詫びした。そしてキャスターも作務としてお坊様方の衣類は無理でも、生徒会長や先生の衣類を洗濯したり、住居の方の掃除をしている事を話していた。作務と言ったのは、先生とキャスターの住むエリアの清掃は、本人が当たり前の事だと考えているからだった。
この人、好きになった相手にはとことん尽くすタイプだ。しかも相手と親密な人も身内と考える人だった。
『こういう魔術師なんてしているでしょう? 一成君の目には怪しく映ったのでしょうね。最初は本当に会話もなくて……。それが坊やの事となると何でも話してくれて。住職様とお兄さん(零観)に、せめて一成君の晩ご飯くらいはこちらでとお話したところだったの。だから坊やにお料理を習いたいなぁなんて』
『お上手そうに思いますけど?』
『千年以上も前のコルキスの料理よ? 食材も手に入らないし、入っても宗一郎様や一成君のお口に合うかどうか、考えなくともわかるでしょう? 私はこの国の家庭料理を学びたいの』
なるほど、そう来るのか。そこから先生のところに戻り、キッチンでお爺ちゃんが実演しながら夕食を作った。メニューは、小松菜と油揚げのお浸し、シイタケのダシを使った湯豆腐、それとキンメダイの西京焼き、そこにニンジンとゴボウを軽く胡麻油で炒めたキンピラが具のお味噌汁だった。
『お寺の赤味噌だけでなく、白味噌や麹味噌まで置いてるんだもんなぁ』
『宗一郎様に喜んで頂こうとあれこれ考えているのよ。けれどその赤いお魚をどうすれば良いのか迷ってしまって……本当に助かったわ。そうそう。大聖杯の浄化が完了すれば、あの子を目覚めさせて協力を正式に仰ぐわ。坊や達もその時に来てくれるかしら?』
『わかりました』
そうしてお爺ちゃんとお婆ちゃんは柳洞寺を後にした。
バイクに乗りながらの話だ。
『生徒会長のお兄さんもお坊さまなのね?』
『ああ、零観さんな』
『出家してそういう名前に?』
『本名だよ。『五観の偈(ごかんのげ)』に思いを馳せる前段階も考えろって意味だと聞いた。つまり終身修行中って意味さ』
お婆ちゃんが首をひねった。
『『五観の偈』って?』
『ええと……意味はだな、一つ、この食事がどうしてできたのかを考え、食事が揃うまでに関わってくれた多くの人々の働きに感謝をする心を持つ事。二に、自分の行いが、この食事を頂くに価するものであるかどうか省みる事。三つ、心を正しく保ち、誤った行いを避けるために、『貪(むさぼる)』などの過った心を持たない事を誓う。四が、食とは良薬なのであり、身体を養い、正しい健康を得るために頂くものであると認識する事。五が、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるため……だったと思う』
『は? 食べる事に関係するものばかり?』
『そうだよ。日々の生活の中に修行があるという考えだからな。だから食事以外の掃除などの心構えを指す言葉もあるんだ』
『士郎、そうとう影響を受けているわね?』
『まぁ、曹洞宗だしな。そりゃ相当だろう。けど、独り住まいだと自分を律して習慣付けないと家事や炊事がままならない。だから大事な教えだと思っているよ。これは遠坂もわかるだろ?』
『まぁ、そうね。じゃ、柳洞君の一成ってどういう意味?』
『『五観の偈』とは関係ないよ。何か一つは成せという意味だ。確か……』
お婆ちゃんはハッとしていた。だってお婆ちゃんの持つ五大属性に対して、キャスターが話してくれた事に微妙に繋がっていたからだ。そしてこの時、夢の中のお婆ちゃんと、それを視ている私の中で変化があった。宇宙の成り立ちが、その行く先が急に観えたのだ。広がるように、その一点に集まるように。
『あ……根源……』
私とお婆ちゃんの呟きは誰にも聞こえなかった。だからお婆ちゃんは、お爺ちゃんの背中にヘルメットを寄せて黙っていた。排気音もあるけれど、ヘルメット越しで聴こえる筈のない、お爺ちゃんの鼓動がお婆ちゃんには届いた。祖を一つにする遠い親戚……だからお婆ちゃんは、お爺ちゃんの持つ神秘の最奥部とその運命が理解できたし視えた。
(『桜には悪いけれど、あの子じゃ士郎を護れない。これも私の運ね。自分の気持ちに正直になって、彼を愛し護って行こう』)
お婆ちゃん達は帰りに商店街に寄った。そこで足りない食材を買い求め、そこから家に帰った。桜さんが出迎え、お婆ちゃんが抱えていた食材を受け取っていた。それを冷蔵庫へ姉妹で仕舞っていた。お爺ちゃんはそれを横目にお米を研いで水に浸けた。
『あれ、そのお釜は?』
『ああ。このところバタバタしていて、使い忘れてた。遠坂は文化鍋って知らないか?』
『知らない事もないけれど、縁はないわね』
『姉さん、あれで炊くと美味しいんですよ?』
『そうなの?』
『食べればわかるよ。平日は学園があるんで、藤ねえを食わせたり、弁当を作ったりで忙しい。だから不本意ながら炊飯ジャーを使ってる。けど、バイトのない夜はこの釜でご飯を炊くんだ』
『へぇ~』
そんなに違いってあるの? そんな私の疑念を他所に、料理のできる人が3人も集まっているから、食事の用意はあれよあれよという間に終わってしまった。配膳を任せたお爺ちゃんは、お風呂を沸かしに行った。この2人だけの間は危険な香りがした。
『桜?』
『何ですか、姉さん?』
『食後、一緒にお風呂に入りましょう?』
裸だと桜さんは逃げ出せない。これはお婆ちゃんの罠だった。食卓に並んだお皿には、メインがサバとブナシメジのホイル焼き、ニンジンとダイコンと厚揚げの煮物、そのニンジンとダイコンの皮部分を使ったキンピラ、庭で育てた白菜とサツマイモのお味噌汁、そしてその白菜の外側を使った自家製のぬか漬けだ。ちなみにお味噌汁にちらした刻みネギも自家製だった。
『気合入ってますね、先パイ?』
『うん? あ、そっか。遠坂にぬか漬け出すの初めてか』
お爺ちゃんが糠床を育てているなんてお婆ちゃんは知る由もなかった。つまり先パイの凄いところは知っているぞという、桜さんなりのアピールだったのだ。だけどお爺ちゃんは全然気付かないで、お婆ちゃんの名を出すし、お婆ちゃんはお婆ちゃんでぬか漬けを自分で作る男子高校生に呆れていた。
このお爺ちゃんのぬか漬け。ママもきちんと教わっていて、糠床が家にあるけれど、パパも私も余り食べない。ごめんなさいだけど許して欲しい。スープにもパンにも合わないんだもの。和食に慣れていても、お婆ちゃん似だと言われても、やっぱり私はフィンランド人なのだった。
だけど例のお釜で炊いたご飯をお婆ちゃんは絶賛していた。そんなに変化があるのか。
食後3人で洗い物をし、お風呂に向かう女性陣を居間で見送ったお爺ちゃんは、何気なくテレビを付けた。そしてたまたま入っていたチャンネルでのニュースキャスターががなりたてる内容に度肝を抜かれていた。
『現場の上原さん、上原キャスター?』
『はい、上原です。こちら新都の再開発地区ですが御覧下さい。建設中のビルが崩れ落ち、地面には大穴が。そしてそこから煙がもくもくと立ち昇っています』
『建設途上のビルですよね? 上原さん? その地下階から火災ですか?』
『はい。冬木中央消防署の発表によりますと……』
なにこれ?
『もしかして子供を誘拐した組織のアジトなのか?』
え?
ジリリリリリーン、ジリリリリリーン。聞き慣れない音だけど、そこで鳴ったのは、お爺ちゃんの家の黒い電話の呼び出し音だった。
『はい、衛宮です』
『坊や? キャスターよ。大変なのよ。テレビを付けて。アインツベルンの森が燃えているの!』
『何だって!?』
それは予期しない同時多発テロだった。