※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

45 / 129
45、Illyasviel in Eppelheim 02

「CMの詳しい内容の説明は、本部のオフィスでミトやパミを交えて行いますね」

 

 そこから条件提示・交渉、そして納得行けば契約となる訳だけど、私としてはギャラが幾らであろうと請ける積もりだった。これは本気度が違うと感じたからだ。

『エル』の持つ会社の『イヴ』にはいくつもの部門や子会社があるけれど、以前聞いた話だと売上げが一番大きなのは『温泉行楽地部門』だ。ここは表向き、欧州各地の温泉掘削やホテルなどのリゾート開発と運営を行っている事になっているけれど、裏では霊脈の開発と賃貸・売買、並びに委託管理や調整なども行っていた。この部門のエースが『エル』で、ミトが経営責任者だった。

 次に大きなのは『通信事業部』だ。光ファイバーの地上敷設や海底ケーブルの敷設、ガスパイプの敷設などを行っている訳だけど、同時に海底の霊脈調査や開発なども行っていて、そこの外部委託先に間桐慎一さんや凜の名が連なっている。凜はこの、ほとんどアルバイトと言ってもいい、年間数十日から1ヶ月程度しか働かない仕事で、毎年数億は懐に入れていた。要は売れる霊脈にするために『色』を付けるのだけど、これが魔法使いでかつ五大属性持ちのあの子にしかできない仕事だったのだ。

 だけど以上の部門はどこかで神秘と関わっている。なのでオーナーの『エル』も、『食糧・食品部門(『エル』はここの研究開発員でもある)』と『輸送配送部門』の責任者であるパミも、もっと表の事業でヒット商品を出したいと考えていた。つまりいよいよ動き出した訳だ。

 

「CMは第二弾、第三段も考えてあるの?」

「はい。第二弾は夏の撮影を予定して居ますが、材料となるビデオは私やミト達が既に撮影済みです」

「うん? 編集で様々なシーンを挿入するのね?」

「そうです」

 

 何となくここで他のスポーツにも絡めてくるのだと思えた。となると第三段や第四段はウィンター・スポーツに違いない(『エル』のもう一つの得意分野だ)。その後に、次の商品の話題作りとして、オーナーやCEOがスタントをしていたと明かすのかも。

 

「もう既に察していると思いますが、第三段と第四段はウィンター・スポーツですよ」

 

 やっぱり。

 

「それとそちらで面白いシーンが挿入ります。まずハリウッドでも撮影不可能なシーンです」

「何?」

「魏・蜀・呉の英雄達が雪の降る中を戦い、戦の後に皆んなしてイヴ・エナジーを飲むシーンです」

「え?」

「アサシンと、あちらのお父さんが良い映像をたくさん残してくれましてね。そこにCG加工を施して」

 

 話には聞いていた。悲しい『エル』の存在の話も、あちらのお祖父様に『シトナイ』という、これまた変わった私を預けてきた事や(この時に先生やシロウさんのアルトリアも見付かって、今はお二人と暮らされている。初等部時代に暮らしていた武家屋敷は、ますます神殿化されてしまった)、今はゲートが使えず、あちらに行けない状態だとも聞いていた。だけどそんなビデオを入手していたなんて。

 

「ウィンター・スポーツ編では、ちぃ姉さんがカマクラの中から、ホット・エナジーを飲みながら、そのスポーツを観ている設定です。当然、アイヌの民族衣装を着て頂いて」

 

 ああ! ホット・エナジーというのも驚きだけど(炭酸はどうなるのだ? ホットにしてイケるフレーバーなの?)、この子がシトナイ役か! 何でも考える子だなぁ。私は本人には逢っていないけれど、確かにお話を聞くだけでエキゾチックだと思うし、本人じゃなければ神秘関連も肖像権もクリア。これもまたウケそうだ。

 

「まさか労働者編なんてあって、アルさんやランスロットさんを使ったり?」

「あ、そのアイデア頂き!」

 

 だけど魏・蜀・呉の英雄ねぇ。何万人も一斉に写ったら凄いだろうな。そんなの本当にハリウッドでも撮影できない。イヴ食品が制作し、英国で放送された『アーサー王と少女(※)』以来のスケールだ。何より群像なら本物が出ていてもエキストラににか思えないだろうしね。それにドリンクならそんなに高くないと思う。つまりアジアン・マーケットを視野に入れてるのは明白ね。中国でもウケそうだわ。おまけに元手が掛かっていないところが凄い。

 

※)この放送局は『エル』がオーナー。『アーサー王と少女』はイヴ食品1社でスポンサーをし、そこで放送された3時間のスペシャル・ドラマだ。『エル』が初等部時代に制作されたものだが、放送時の視聴率はそうでもなかったらしいけれど、『大昔のブリテンがセットと思えない』『出て来るドラゴンやワイバーンが本物にしか見えない』と話題になり、後に出たDVDが初年度に全世界で1千万枚以上も売れ、今は累計1億枚を越え、今だ売れ続けるオバケ・コンテンツとなっていた。ロケ地は主に『ロード・オブ・ザ・リング』と同じニュージーランドとされていて、実際に出演した俳優やスタッフもニュージーランドに向かっている。だけどブリテンの森や空を飛び交うワイバーンなどは『エル』の宝具の中で、キャメロットや円卓もアルトリア姉さんの記憶通りに『エル』が宝具で再現した本物だった。後に出て来る『アーサー王』の絡むドラマや映画に、この作品は多大な影響を与えたとされている。

 

 

 CMのお話を一通り聞けたので、私はちぃイリヤと手を繋いで、ガレージの天井を見た。まぁ、自作らしきマフラーがこれでもかと掛かっている。そんな中にコルナゴの古いマスターが2台と、デローザのネオプリマート(きっと『エル』が持っているウーゴ・デローザが手ずから溶接したネオプリマートと同年代か、それより古い)、初期型のマグネシウム製ピナレロ・ドグマ、そしてトップチューブが捻れたピナレロ・プリンスがあった。マスターとプリンスのサイズがやや小さいので、こちらがパミのだろう。趣味が良いなぁ。

 まぁ、私にはキリツグから贈られた『Peugeot NS40(ちぃイリヤに貸している)』と『エル』から贈られた、ピンクのデローザ・ネオプリマートがあるから良いのだけど。

 次にちぃイリヤがしゃがんで眺めていたバイクを見た。

 

「この左右にポコンと出ているのはBMWだよね?」

「うん。だけど、いつ頃のだろうね? 『エル』、これは?」

「ミトのものですが、『R90S』という70年代のバイクですね。レストア中ですが、ベースとしてオイシイ時代です。これより古いとプレミアが付きますし、パーツ集めの難易度も高くなります。『R100』以降だとありふれていますからね。良い選択だと思いますよ」

「あなたのじゃ無かったんだ?」

「ハハ……私はBMWに乗るなとお祖父様から厳命されていますから」

 

 そうだった。ポルシェとフェラーリとBMWには、『乗るな』と言われているって聞いた憶えがある。確か、ポルシェとフェラーリは『ハマると抜け出せなくなる』からで、BMWはお隣のバイエルン製だからだっけ?

 

「そうです。お祖父様、ダイムラーの設立に関わっていますし。郷土愛が強いのでしょうね」

 

 ここはバイエルン州のお隣でバーデン=ヴュルテンベルク州になる。あちらがBMWとアウディの故郷なら、こちらはダイムラー(ベンツェ)とポルシェだ。州の人達が仲が悪いとは聞かないけれど、お祖父様くらいの年代の方だと対抗意識があるのかしら?

 

「無自覚に無責任な事を。アハトの城がバイエルンでしょうに? シュヴァーベン訛りを矯正していたのを忘れましたか?」

「そっちなの?」

「隣のヤツほど気に食わない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。そっちも含めてですよ」

 

 幼い頃に育ったお城はバイエルン州の最南端にあり、ほとんどオーストリアのチロル地方だった。なので日本に行くまでの私のドイツ語は高地ドイツ語を含む標準ドイツ語とは少し変わっていて、シュヴァーベン語という上部ドイツ語の亜種だったのだ。この高地ドイツ語にはオーストリア語も混ざるバイエルン語や、バイエルン州とバーデン=ヴュルテンベルク州の間のシュヴァーベン語、黒い森辺りからスイス北東部まで広がるアレマン語などが含まれる。なので私のドイツ語は意識しないとオーストリアのチロル語が混ざって来る。これは私だけでなく、ちぃイリヤにお母様にセラ達もだ。

 対する『エル』はスイス北東部出身なので、素だとアレマン語より更に変化したスイス=ドイツ語が出て来る。これが標準的なドイツ語とは似て非なるもので、単語からして異なるので、時々何を話しているのかわからない場合があった。特にそれを強く気付かされたいうか感じさせられたのが、聖杯戦争中に置いていってくれた3人だった。名前も憶えていない(あったのかどうかも不明)3人もやはり『エル』だから、頭の回転は早い。なのでこちらがわかっていないとすぐに気付き、標準ドイツ語に切り替えてくれていた。

 言っている意味がわかるだろうか? 私が『グリュースゴット(Grüß Gott)』と挨拶すれば、あちらからは『グリーズゴッテル(Griiss Goettle)』と返ってくるのだ。どちらも標準ドイツ語だと『グーテンタグ(Guten Tag)』で、意味は『こんにちは』だ。だから初めて行ったチューリッヒで、お買い物に出た時は本当に困った。お店の人が何を話しているのかわからなかったからだ。あのセラですら、眉と眉の間を摘んで俯くのだから、推して知るべしだ。

 ちなみに『エル』はこちらのシュヴァーベン語をわかっている。それはシュヴァーベン語と高地アレマン語が似ているからだ。そしてシュヴァルツヴァルト(黒い森)を『故郷』と言うのも、決まってアインツベルン本家に近い人に限られていた。何でも遠いご先祖様が、東欧から流れ着いて定住し始めた最初の地があの森だったそうだ。ただしその頃は広い丘陵地帯(1500mを超える山はない)の草原にポツポツと広葉樹の林が点在するだけだったし、シュヴァルツヴァルトなんて名前でもなかったという。黒い森とは、その広大な草原に針葉樹(主にドイツトウヒ)を植林し、それらが育ってから付いた名だ。ハムやチーズが有名なのは草原時代から牧畜が盛んだったからだ。

 そんなご先祖様が時代の流れでスイスに追いやられた。その思いがあるから『故郷=心のふるさと』なのだそうだ。この感覚はキカイのアハトにはわからない。そんなアハトに仕えていたホムンクルス(メイド)達にもわからない。だからそんなところで育った私がわかるには相当の年月を要した。穂群原に通うようになって級友達が教えてくれたようなものだろう。やれ少子化だ、核家族化だと言っても、感受性豊かな日本人は『心のふるさと』というものをよく知っていた。まぁ、私の『ふるさと』なんてあのお城の中だけだったから、人種どうこうは関係ない。余りにも特殊過ぎた。その分、初等部時代は苦労したし、『エル』が本当にあれこれカバーしてくれていた事を今も感謝している(児童会長になったのはそこもあると思う)。

 

「私が日本のバイクやクルマを集めるのも、スバリストなのも、そこが理由ですよ」

「あ、水平対向エンジン……」

「ええ。だからこんな小娘が、丸正自動車製造のライラック号を持っていたり、ウラルのサイドカーを持っていたりするんですよ。単気筒や2気筒が好きなのも、ボクサーから感性が広がったからです。それでもこうしてドイツに来れば『GSシリーズ』や『Fシリーズ』だらけです」

 

 うん、アウトバーンでも多かった。デュアル・パーパスの一種、アルプスローダー(アドヴェンチャー)はドイツで一番人気があるのだと思う。お隣のフランスもパリ・ダカールがあったから、ああいうデザインがウケていたし。それにシングルやツインは燃費もいい。そういう諸々が重なって人気があるのだ。ちなみに『Fシリーズ』はオーストリアのロータックスというエンジン・メーカーの650ccシングル・エンジンを起用したシリーズで、やっぱり『GS』タイプもあるしダカール仕様もある。これらは全部800mm以上のシート高だけど、90年代のストラーダ(ストリートの意味)は785mmで、アルトリア姉さんが持っている。あの人がどうしてそれを買ったのかいまだに不明だ。

 

「シングルに目覚めたからですよ。ドコドコ走るのも面白いと考えられるようになったというか。それと姉さん、『J424(ボルティーやグラストラッカー初期型の4バルブエンジン)』や『BJ250AE』も良いですが、『MD33E』も良いですよ?」

 

『MD』はホンダの型式だ。確か『XL230』や『FTR』に使われているエンジンだと思う。『BJ250AE』はエストレヤだろうか。確か日本に来た頃が、前輪ディスクの初期型が終わる頃で、ロングシートの『RS』が出始めた頃だったと思う。『SEROW225』や『TW225』を挙げないでそちらを出すのは、食わず嫌いは良くないよと言いたいのだろうか?

 

「姉さん的には、ホンダなら『MC10E』のクラブマンかも知れませんが、私的には『SL230』ですね。近年稀に見る傑作でした」

 

『SL230』! 思いっきり不人気なバイクだ。それを『傑作』とまで言うのか。

 

「あれのホイールを前後17インチにして、オンロードタイヤを入れて、フェンダーをタイヤに沿うカタチにすれば」

「モタードっぽい、街乗り専用にしちゃうんだ?」

「そうです。そうするとあのアップマフラーがホーネットみたいに映えるんですよ」

 

 ああ~、それは言えるかも。後に妹はそんな風にセローを改造し、完成したその日の試乗で事故に巻き込まれた。育ちの良いこの子だけれど、冗談めかして口汚い言葉を使う場合もある(主にお兄ちゃんやシロウさんに対して)。だけどその事故を誘発したドライバーにはとても冷静な態度だった。ただ、身内の私は『本気で怒っている』のがわかったし、『相手の人、終わったな』と思った。

 

「どこからそういう発想が?」

 

 カスタムの事だけでなく、他メーカーのものまで褒めるその懐の深さを指している。

 

「ロシアを走ればわかります。そしてミトもパミもロシアを走った経験があります」

 

『エル』の話によると、鉄のカーテンに仕切られた時代が終わり、自由経済以降ウラジオストク経由で日本のクルマやバイクがどんどんロシアに流れた。90年代の話だから、流れるのは70年代や80年代の中古だ。ところがそれらは過酷なロシアでも壊れにくく、自国は勿論、衛星国家であり工業国家であったチェコ製より信頼度が高かった。そして西側から徐々に流れて来る情報。バイクの『世界四大メーカー』は全部日本なのだ。だから若者が皆んな憧れた。

 また、郊外に出ればオーストラリアより死に直結した過酷な環境が、『助け合い精神』を育み、その精神が街ごとにモーター・サイクリスト・クラブを産み、バイクポストというバイク乗りなら格安か場合によっては無償で宿泊でき、修理工具が借りられる場所の設置に至ったという。

 それにほとんどの季節がバイクに乗れない訳だから、モーター・サイクリスト・クラブの集会所みたいなところにバイクに乗って寄れば、そこには地元のバイク仲間が集まり、無償で泊めてくれたり、食事を提供してくれたりするそうだ。クラブとは言わないけれど、そういう組織というか団体同士のトラブルや抗争が無い訳ではないけれど、どこもかしこもバイクに乗った旅人にはとても親切らしい。転倒したら『大丈夫か』とすぐに駆け寄ってくれるのはいつだって同じバイク乗りの人だけれど、欧米の人はクルマを停めて駆け寄る人も多い。中でもロシアのウラルより東の人は、バイクの状態だけでなく、食事や泊まる場所まで心配してくれるという。これも西側のプロパガンダで騙されている、ロシア人の実態なのだそうだ。本当のロシア人は共産主義と似つかわしくない、素朴で親切な人が多いらしい。

 

「ロシア革命はロスチャの陰謀ですよ。ただ、何千年も自由を知らず投票も知らない、善悪の判断も金銭でしか測れない歪んだ人を生み出した中国だけは、共産主義でないと人々を統制できなかったでしょうね。だって、マナーやモラルからして歪んだローカルなものですから」

 

 そんなだから、中国が真に自由主義を得るには千年は掛かったろうと『エル』は言う。『掌握』されたり『改竄』された者は、共産党から抑圧されて自制している状態と変わりないとも。確かに幾ら長い歴史があろうとも、それらはすべて王朝だった。一党独裁と何ら変わりない。そして人々はその独裁体制の中でいかに上手く生き抜くかが命題だった。なのでそんな人達に自由経済社会のマナーやモラルを求めても無意味だ。

 

「まぁ、政治は脇に置いて。タイヤは温まってこそだというのを知らないし想像できない人が欧米より日本人に多いのは、車検制度の弊害ですね。本当は自分でオイル交換やタイヤ・チェックもできない人は、運転や操縦をしては駄目ですよ。そもそもロシアに事故が多いのは実にそこにある訳で。彼らもバカではありませんから、ちゃんと寒冷地仕様のダンロップやブリジストンを履いています。それでもグリップを得られるほどタイヤは温まらないし、冬の路面凍結はどうしようもありません」

 

 その昔のヤマハとホンダのスクーター戦争で、日本のスクーターはデザインが確定した。それはタイヤの性能が低い上に、顧客に主婦層が多かったからだ。タイヤ径が小さいのは足付き性も理由としてあったけれど、その最大の理由は小径タイヤの方が温まりやすく、想定したグリップが得られやすいからだった。また、当時は50cc以下の原付きなら、義務だけでノーヘルも許された時代だった。だからメーカーは転倒を、取り分け主婦の怪我を恐れた。そしてそこそこバイクを知っている当時の『原付き小僧』は真冬でも空気をパンパンに入れ(それが空気圧管理だと信じていた。グリップが得られない場合、少し空気を抜くのは当たり前の事だ)、一時停止から左に曲がる時によく転倒したそうだ。

 

『冬で厚着だったから助かった』

 

 なぁ~んて思った人は多いだろう。小径、小回り、冷えたタイヤでの急激なバンク、そして空気はパンパン。ラッタッタ(ロードパル)にパッソル、パッソーラが、シャリーにダックスやバンバンなどのように中古市場に残らなかったのは、その販売価格から来る価値観もあるけれど、破損して廃車になったものが多かったからだと私は考えている(2ストでも主婦層向けにオイル管理がしやすく、中でも20kgものお米を足元に置いて走れる便利さ。パッソルとパッソーラが一番人気があったとは当時を知る方々の証言だ。なのに簡単にメーターを振り切る速度が出たのだ。こんな便利なモノ普通に考えれば残らない方がオカシイ)。そんな訳だから、道交法で原付きもヘルメット着用が決まった際は、売上げも落ちたと思うが、メーカーは胸を撫で下ろしたのではないだろうか。

 

 

「また、それがあったからロシアのどこも鉄道網が発達していたのですよ」

 

 これはオルタナティヴ・ヒストリーの話も含まれる。ほんの数百年前まで、そのロシアのほとんどと中国の一部はタルタリア帝国という巨大国家だったそうだ。あの万里の長城も、中国人が造ったのでなく、タルタリア帝国が蛮族の中国人が来ないように造ったものだという。そしてその帝国最盛期の最大版図は西がサンクトペテルブルクからフィンランドのカレリア地方辺りまでで、東が北海道全部と東北地方の一部だったという。

 彼らは軌道を使わない汽車を持ち、鉄の船を海に浮かべる技術を持っていた。その造船技術と造りかけの船が残っていたから、明治・大正・昭和の政府は海軍に注力できたそうだ。事実、『エル』から見せられた空母赤城の改装工事の写真は、船の部分にリベットがなく、艤装部分がリベットだらけだ。そして工事をしている人達の足場は丸太を紐で縛ったもので、危なっかしいものだった。

 

『タルタリアの技術は何故かロシアから消え失せ、日本に渡っていたんですよ。そしてタルタリアの血を引く者は、同朋と見做していた日本と戦いたくなかった。それが日露戦争の実態です。そして日本の海軍を付け上がらせ調子付かせました。これは日本と戦うなら海戦になると踏んだ、アメリカの仕込みでした』

 

 これが『エル』の考えだ。正しいのかどうか、私にはわからない。けれどきちんとした歴史のあるエーデルフェルトのルヴィアは、これらの事を『本当の事だ』という。

 

「もう1つの『BJ250AE』はエストレヤだよね?」

「はい」

「良いの?」

「あの乗り味を250ccで出せるのかというお得感のある良いバイクです。転売用に寝かせてもいますが、リザーブショックの初期型をマアエモ・ママに買って来て貰ったのは正解でしたね。30歳くらいになってから『W650』と並べて乗りたいです」

 

 初期型を持ってるのか……しかも『W650』って……。意外だなぁ。

 

 

「ねぇ、こっちのバラバラなのは何?」

 

 ちぃイリヤだ。タンクとテールやシートが外されたバイクのフレームを指差している。エンジンのインテークには丸められた布が4つ。作業机にキャブがあるから調整中なのだろう。

 

「それは『Kawasaki ZR-7S』です。アルトリア姉さんのと同じですね」

「ああ、あの青いの?」

「そうです。姉さんがキャンディライトニングブルーで、ミトのはキャンディパーシモンレッドですが、私はカウルのないキャンディワインレッドを持っていますよ」

「持ってるの?」

「はい。館の地下倉庫に置いています」

 

 へぇ~、これも持っていたとは。

 

「これって本当にゼファーと同じエンジンなの?」

 

 思わず聞いてしまった。

 

「カムカバーのデザインが違うだけで同じだと思いますよ。ボアもストロークも圧縮比も同じですし、キャブは両車とも『KEIHIN CVK32Φ』です。4馬力の差はクリーナーボックスの形状とマフラーからでしょう。ただしマフラーを換えたりクリーナーを換えたら34Φは必要になると思います」

 

 なるほどなぁ。

 

「姉さん、それよりエグゾーストパイプですよ」

 

『え?』と思っていたら、ちぃイリヤが下から覗き込んでいた。

 

「何これ~。ウネウネだ、気持ち悪~い」

 

 それで私も屈んで見たら、エンジンの下でパイプがとぐろを巻いていた。集合は4-1でなく4-2-1で2の部分に不思議なボックスが付いていた。ちぃイリヤに割り込んでエンジンが同じなのかと尋ねたのは、『乗りやすいかどうか』を知りたかったからだ。だけどこれはどういう効果が?

 

「きっと脈動を利用して低速トルクを稼ぐためでしょうね。でも上まで回したいから、パワーフィルターで吸入効率を高めてもいる訳です。楽しんでいますよね? これに『Z1』のタンクを付けてストファイにしても面白いだろうなぁ」

 

 なるほど、それは日本人の一部にしかウケない気がする。でも私は見てみたいかな? ところでミトは『エル』と同じで溶接もできるんだ? チャレンジャーだなぁ。

 

 実はこのところ私は悩んでいた。進学だけでなくバイクでもだ。『エル』と同じようにクルマの免許やバイクの大型免許を取ったは良いけれど、アルトリア姉さんから譲られた『GSX-R1000』に跨って考えてしまった。『サーキットなら良いけれど、これを街で乗るのは私には難しいのでは?』と。

 なのでルオンさんやマーヤさんにも相談した。そこで『SV650』や『CBR600F4i』を薦められ、実際に借りて冬木の街を走ってみた。それでVツインはトルクがあって良いなと思えたし(だからSV400も好きだ)、どちらも今はインジェクションなのでメンテフリーなところが良いなとも思えた。ところがいつもの道の駅に行くと気付いた。気軽にお買い物ができないのだ。例えサイドバッグを着けても、ここに寄ってあそこに寄ってととは行かない。そもそもこんなチビな女に200kgもあるバイクでは取り回しに無理がある。

 その意味で、グラストラッカーはなんて素晴らしいのだと再確認した次第だ。なので大型免許を取って8ヶ月にもなろうというのに、私は大型バイクを買えずにいた。あ~~『Inazuma1200』、手に入る内に買っておけば良かった……。シート高もそこそこだし(400が760mm、1200で780mm)、あれならバッグも似合うし、ゼファーと並んで走れたのに。だけどそんなのは後の祭りで……。

 

『自分に合うかどうかも考えずに選ぶと、後で泣くぞ? イリヤはグラストラッカーが似合う。私はそう思うがな』

 

 アルトリア姉さんの言葉だ。強面の姉さんが卒業式で涙を流していた。もう産休に入っても良い頃なのに、私と『エル』の学年が、教師になって初めて送り出す生徒だからと休まなかったのだ。3年間英語を学んだだけじゃない。2年の時と3年の時は担任でもあった(『エル』は1年の時と3年の時。つまり3年生で同じクラスだった)。進路相談にも乗って貰った。『今頃になって進学しないとか言って来やがった』と『エル』の事を怒っていた。それは姉としてだけでなく、1人の教師として、『エル』という生徒の事を真剣に考えていてくれたからだ。また『エル』もその気持ちをわかっていた。だから素直に謝っていた。こういう事情があったから、進学しなかった理由が知りたかったのだ。もう、わかってしまったけれど。アルトリア姉さんにも本当の理由を話していたら呆れただろうな。いや、『『エル』らしいな』って笑いそうな気もする。

 

 何気なく『エル』の顔を見ていたら、ホーネットの事を教えてくれた。ホーネットと言っても250でなく輸出仕様の600の事だ。『Honda CB600F Hornet』。欧州とブラジルでの正式名称で(北米は『Honda 599』)、70年代後半から80年代に掛けての名車『Honda CB900F(日本では750の方が有名だった)』と同じ名を持つ、『Honda CB900F Hornet』よりも名車の誉れが高い。欧州では98年から発売され、2000年にマイナーチェンジ、2003年に再びのマイナーチェンジを受け、今年の2005年モデルからはメーターがバイザー付きになり、フロントフォークが倒立になったという。どんどんとストリート・ファイターになっていき、益々ドイツ人向けになったそうだ。

(ストリート・ファイターはトライアンフの専売特許のように思うかも知れないけれど、あの手のカスタムはドイツ発祥だ。コケて割れたカウルを剥がし、アップハンに換えたら仲間にウケて広まっただけだとしても)

 そしてこの『CB600F Hornet』には、昨年から『CBF600(N)』というアップマフラーをダウンの集合にしただけとしか思えない廉価版が出ていて、『好きなマフラーに変えてネ』『フェアリングは色々出てると思うから好みで付けてネ』という軽い感じで売られていて、ショップで気軽に付け替えられているのだそうだ。欧州で乗るなら『FZS600』や『FZ6』が良いと言っていた『エル』も、この『CBF600(N)』には触手が動いたそうだけど、『CB600F Hornet』が倒立になったので、また迷っているのだとか(結局『エル』は、F.I.化された2007年モデルを手に入れた)。

 

「買えば良いじゃない。お金はあるんだし」

「そうなると20数歳の人形を使って、そいつで取った免許になります。良心が痛むというか……」

 

 今更でしょうに? あ、これって巫女のイリヤみたいな逆もイケる? そう思ったのはミトにある。彼女は私達と本当は同い年だ。だけど8歳か9歳頃の魔術の実験で10歳くらい成長しちゃって、それなら仕事を任せようとなって今に至るそうだ。そこにパミも抜擢されているのは、彼女が冷静沈着だからだという。

 

「その人形って、高校生くらいのもあるの?」

「ミトの事でしょう? 彼女のために作りましたよ。『失った子供時代よ、再び』……って感じで、巫女の姉さんの焼き直しですね」

 

 あ~……。初等部時代から『エル』がよく入れ替わってあげていたのも、あの人が18歳で閉じた聖杯に囚われ、やがて6~7年も掛けてゆっくりと肉体を失ったからだ。痛いのか苦しいのか、それはわからないけど、どれだけ辛い事だろうか。今のあの人の身体は『エル』が宝具で編み出すエーテルだ。だからどんな年齢・容姿にもなれてしまう。それは『エル』がそうしたのだろうと私は考えている。私もそうだけど、『エル』も彼女の事はとても気に掛けているからね。だけど持ち前の明るさで全然参った素振りを見せない。子供の頃から散々お世話になった、もう1人の『姉』だ。

 だけど高等部の修学旅行初日に入れ替わっていたとは……。浅草で写真屋さんのカメラに一緒に収まったのは彼女だった。浅草寺のクラス写真も、C組で写っているのは『エル』ではなくて彼女だ。全部の写真を買ったというお母様や、乳母のマーヤさんやルオンさんですら気付いていないという……。それとネズミーで『エル』の友人と遊んでいたのも彼女だ。私と『エル』はそのネズミーの日、他所の高校を表敬訪問していたからだ。

 

「なので、あいつの家のクローゼットには穂群原の初・中・高の制服があります」

「あなたが揃えてあげたんでしょう? お気の毒だと思って」

「まぁ、そうです。それに私の分も置いてありますよ」

「どうして?」

「ミトもパミも、家庭教師だけで学校に通っていません。ですから、学友気分を味わって頂こうと、初等部時代から一緒の服で授業を受けてあげたりしていたんですよ」

「こんな風に人形を使って?」

「はい、姉さんと学園に通っている日の夜にも」

 

『エル』らしいなぁ。無茶苦茶で普通の人のスケールから外れた事ばかりする子だけど、芯は昔から優しいままで変わっていない。ただ、な~んとなくだけど、本物の銃を突き付けられたような記憶が薄っすらとある。それとセットで、血塗れのキリツグがお母様に介抱されていたのとか。きっと幼い頃に観た怖い夢と混同しているんだろうね。だってあの頃は聖杯戦争のためにキリツグが日本に行くと聞いて、怖くて怖くて仕方なかったから。お母様とも数日逢えなくて寂しいのもあったな。だからあの子の残してくれた子達と無事に帰って来てねと毎日祈った。そうしたらキリツグは2週間も経たずに帰って来てくれた。

 

『キリツグ、『エル』は?』

『大丈夫だよ。日本で待ってくれているんだ。これからは僕達も日本で暮らすんだよ』

『本当に?』

『うん、本当だよ。家族だからね、一緒に暮らそう』

『やった~。本当の妹になってくれるんだ』

『そうだね。でも、イリヤの方が教わる事が多いかな?』

『え~。私がお姉ちゃんだよ? 教えてあげるんだから』

 

 無邪気だったなぁ、あの頃は。

 

 

「ねぇ、ねぇ、これ何?」

 

 退屈なのか、ちぃイリヤが尋ねて来た。そこで道の駅や展望台なんかに居る、何でも聞いてくるオジさんを思い出した。

 

『それ、何cc?』

 

 居ないかな? そういう人。私と『エル』は何度もそういうオジさんに遭遇していた。本当に何度もあるので、さすがにムッとしたら『エル』がこう教えてくれた。

 

『毎回違う人ですよ? それにどう見ても日本人じゃない、双子と思わしき女の子が日本語で会話している訳です。ですから興味を惹かれて、だけどバイクに詳しくないから話し掛けるために選んだ言葉がそれだっただけですよ』

 

 それで『エル』はニッコリとして『223cc(TW)ですよ』と答えている。そこから会話を進め『小父様も何かにお乗りですか?』と聞く。それで相手は『若い頃は~』なんて昔話をしてくれる。その昔話が大抵面白いのだ。ちゃんと聞いているとバイクに限らず、そのオジさんが本当に得意な事や、長年続けている趣味などを教えてくれたりもした。そうなって来ると時間も忘れて、その趣味に於ける肝要なところを教えてくれたりもする。それらは全部、『エル』が相手を乗せて話させるからだった。

 

『あなたが社交家なのはわかるけど、どうして?』

『そういう趣味や技術の細かいコツなどは、後世に残り辛いからですよ。そして儲けのタネはそういう部分にある訳です。後はいかにリプロダクションしたり、リジェネーレーションするかです。海外向けに日本人のそういう部分をアレンジして伝えれば、ヒット商品は作りやすいものです。そんな貴重なアイデアをタダでペラペラ話して下さるのですから』

 

 こういう奴だ。ただ、ハーレー乗りに代表される、あるメーカーに愛情が偏ったタイプは面倒くさい場合があると言っていた。でも『エル』はそんな宗教じみた信者達も黙らせる話術がある。そして相手のパターンは決まって『大型免許を取りなよ』、『◯◯(メーカー名)は良いぞ』となる。ハーレーの場合だとこうだ。

 

『良いですよね? 目を瞑れば思い浮かびます。あのぶった切った大木の化石にしか思えない山々の間を、どこまでも続きそうな真っ直ぐな道を走る姿が。アリゾナでの思い出ですけど』

『はぁ?』

『アメリカは州によって16歳でいきなり大型に乗れます。テキサスからフロリダまで走った事もありますよ。この長いフロントフォークは直進安定性のためで、ステップが前なのもリラックスして乗るため、サドルが重厚なのもお尻が痛くならないようにするためです。ですけど長時間だと腰が痛くなるので、最近は前屈みになって腰が少し浮かせやすいドラッガー風のハンドルが流行っていますね。ご苦労さまです。こんな一時停止や信号待ちが多く、くねくねした狭い道路だらけの日本で重いハーレー。尊敬しますよ』

 

 それでサイドバッグに、道の駅で買った野菜などを詰め込んでサッと帰るのだ。

 

『◯◯の××も良いよね。でも、チャンスがあるなら△△の□□も味わってみて欲しいな』

 

 実は本場ハーレーの国、アメリカではこういう人の方が多い。お互い好き嫌いがあって、それが異なっても当たり前という前提だ。だから相手の個性を尊重する。そこでこういう話し方になる訳だ。

 そうなると返事は『ありがとう、試してみるよ』にならざるを得ない。それで『エル』みたいにポンポン乗る人は、

 

『良かったですよ、自分の世界が広がった気分です』

 

 それか、

 

『今の私の好みでは無かったけれど、面白かったです。もう少し大人になったらもう一度考えますね』

 

 みたいになる。だから日本のハーレーオジさんをあしらった後にこういう事も話していた。

 

『どんなバイクも適材適所ですよ。しょせん道具ですから、道具ならマッチした場所を選びませんとね。幾ら趣味の乗り物だとしても、マゾではないでしょう?』

 

 それは置き場所にも悩まず、何台所有しても金銭的にも家庭的にも困らない人だけが言えるセリフだ。人が何かを選択する時、それを選んだ理由以外に、それ以外を捨てた理由もちゃんと存在していて、決まってそれに蓋をしている。だからこそ、そこを穿り返されると痛いのだ。内心ではもっと軽くて取り回しの楽なバイクが良いと思っていても、それを口には出せないものだ。そして大型バイクを持つ人がそういう楽なセカンドバイクを持ってしまうと、どちらがメインだという乗車比率に陥りやすい。

 

『タイのカブはあれで意味があります。彼らの方が健全ですよ』

 

 3人乗りどころか板を渡して5~6人乗ったりする、牛馬と変わらないくらい高価で貴重な戦力となるバイク。こういう価値観も旅行してつぶさに視てわかった事だった。

 その昔、国内では750が上限だったのは、あながち間違いではなかったと『エル』は言う。『エル』がこの手の法規に文句を言ったのは、『普通免許を500ccにするべきだった』だけだ。1000の半分でなく上限750の2/3だからだ。だから小型は250、二種が125、一種は75まで認めてペーパーテストの他に実技テストも含め、中学生以上の自転車にもテストを受けさせ、免許証を発行するべきだとも話していた。厳しいと思うが、法規がファジーで、その分自分を律せない人が日本ではやたら目立つからだ。災害の時はきちんと並べる人が、どうして渋滞だと焦るのか。公共の道路を利己的に扱えるのか。

 そして高速料金や保険料、重量税や燃料の二重課税や三重課税には皆んな黙っている。他の国ならデモやストライキが起きて当たり前だ。運送業界が声をあげないのも不思議でならないと話してもいた。

 

『冗談ですが、エアバッグに毒ガスを仕込めば、無謀運転の事故が減りますよ』

 

 いくら何でもそれは駄目でしょう?

 

『ですがサーキットでもないのに飛ばしたがるのは問題です。これも経済の先行きが不安だからですね』

 

 それは言えてるのかも知れないけれど……。

 

『まぁ、毒ガスは酷い話ですが、普通は人災が起きればその後に徹底した対策が講じられるものです。ですのに自由に贖える乗り物に異様な装備を持たせるのもナンセンスです。ここまで教習制度が徹底した国ですよ? なら、更に徹底すべきはドライバーやライダーの意識向上でしょう? CMで流せば良いんですよ。『お前はRに乗る資格があるのか?』って。それで事故を起こしたドライバーの名を流せば良いです。画面を指差して笑って差し上げるのに』

『駄目でしょッ!』

 

 フフ……子供の頃からそうだった。出だしの取っ掛かりが鈍い私の手を引いて、いつも前を行く妹。ともかく、これでもう一度バイクと向き合う気持ちが強くなった。だから焦らず、納得できるモデルに出逢うまで待とう。今は出ていなくとも、これから出て来る可能性もあるんだし。それで私の大型公道デビューは翌年の2006年、新車で買った『Suzuki GSR600』でだった。

 

 

 

 それからガレージを閉めて、裏庭を通って借りている家に戻ったのだけど。こうして夕日を浴びて輝く庭に点在する家々は、館の存在を気にしなければ、どこかの村の風景だ。スケールが違うけれど、管理事務所や宿泊施設もある本館とコテージだろうか。ただそのコテージが小屋でなく、まるまるの一軒家だから村のように感じるのだ。

 1階には暖炉のある広いリビング・ダイニングがあって、冷蔵庫や食器も備わった使いやすそうなキッチンに、バス・トイレ、洗面所に洗濯・乾燥室などなどがある。2階は寝室が6つとトイレだ。ちなみにここは庭にある家の中で一番大きいらしく、『エル』が家族向けに建てたという(客室は館にある)。ただし人口の丘で遮られ、2階の窓から見えるのはミトにパミ、『エル』の家の屋根となる。つまり丘を挟んでの裏手側だ。なのに裏のガレージから歩けば村のように感じられるのは、丘の傾斜で小路からだと『エル』の家まで全部見えるからだった。

 あちらほど大きくないけれど、こちらにも池があるし樹々の種類も豊富だ。それとこの家の奥にもう一軒家がある。

 

「『エル』、あっちの家は? 以前はなかったよね?」

「あそこは予備です。トリンキンに貸す予定が、彼女からガレージの上で良いとなってしまって」

 

 バゼットさんやボーデンという人の住まうガレージは、さっきまでのガレージより少し広く裏門からも近い。なので裏側の道路へのアクセスがかなり良いそうだ。それぞれの労働時間や学業の事を考えれば、これが正解なのだろう。

 

「それでバゼット達に一度予備の家に移って頂き、ガレージを改装、増築をしました。ガレージを一部区切って、柱を増やし、それぞれの部屋に内部の階段で行けるようにしました。まぁ、言ってみればモーテル化したようなものです」

 

 その例えはどうかと思うけど、聞けば納得だ。この方が利便性が高いと思う。それにキッチンも備わっているなら食事も自前で用意でできる。なにせメイドが揃っているので、ここでの食事は基本館だ。だから帰りが少々遅くなっても、メイドが労働時間内なら食事を頼めるだろう。

 そんな訳で、毎回ここを借りているのに、私はこの家のキッチンでお湯を沸かす以外に料理を作った経験がなかった。

 

「夕食は館?」

「ええ。今晩だけにしておきますか?」

 

 これを聞いたのは作りたい気持ち半分と、上げ膳据え膳でのんびりしたい気持ちが半分あったからだ。

 

「お気持ちはわかりますよ。食堂まで足を運ぶのは面倒くさいですから。なんなら朝食だけ運ばせましょうか? それか、朝だけメイドを寄越させ、その子に作らせるとか」

 

 迷うなぁ。きっとこれは旅館やホテルみたいに代金(対価)を支払わないからだ。そうなって来ると、ついついメイドの気持ちを考えてしまう。ちぃイリヤもそういうのを気にするようになって来た。出逢った頃は自分のセラとリーゼリット以外はどうでもいいみたいな態度だったのに。でも、私のセラに叱られて少しづつ変わって来た。そうだよ。メイド=ホムンクルスではあるけれど、彼女達はモノじゃない。1人ひとりに感情と個性があり、私達と同じく『生きて』いるの。尊敬の念を以て接すれば、尊敬を以て返してくれる。それが『人間』なんだよ。

 

「う~んと……。良いわ。館に行って頂く」

「ほぅ? 小松菜と厚揚げのお味噌汁……。春菊のお浸しに……アジの開き……」

「耳元で囁くな! そういう朝ごはんをドイツで作れるものなら出してみなさいよ!」

 

 元々野菜は好きで、『地』のアインツベルンなだけに根菜類は特に好きだ。でも日本で暮らし和食を食べ慣れると、干物や香草類も好きになった。春菊も菊菜も平気だし、小松菜のエグいのに当たっても何とも思わない。そもそも軽くお湯に通すか、流水に晒せばエグミの素であるシュウ酸は流れる(小松菜に含まれるシュウ酸は水溶性。ほうれん草のシュウ酸だと茹でないと駄目)。そういう知識を得ていたとしても、ドイツなら煮干しの代わりにソーセージでダシをとり、お味噌代わりにベーコンでコクを出すような発想の転換が求められる。ここに野菜を入れ、ハーブや香草を使って塩・胡椒で味を整える。頭の中でポトフが出来上がった。

 

「今、イリヤ、頭の中で何か作ったね?」

「間違いありません。ジュルリ……」

 

 人の頭の中を想像して、その料理で唾を飲み込むな!

 

「いよいよ、シロウさんの領域に?」

「それはあなたの妄想力が増しただけ。その内『無限の料理』が使えたりして?」

「そんな固有結界が使えたら太る一方ですよ」

 

 それでクスクスと笑いあっていたら、内線がかかって来た。どうやらミトとパミが帰って来たようだ。なので『エル』が、彼女達を呼びに出て行った。これは彼女達がカジュアルな私服に着替える間を稼ぐ意味もあるのだと思う。それで暫く待つと、案の定、着替えたミトとパミを率いてやって来た。小1時間は話したろうか。話題は主にCMの事で、ちぃイリヤに対してのレクチャーだった。

 そして食事の用意が整ったと電話があり、私達は館に移動したのだった。




読む人を選ぶバイク話はここまでです。次回は食事を摂りながらの、ロシアの霊地開発の思い出話です。巫女のイリヤも出てきます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。