この庭は館から見ると南西にあって、私の借りている家や、バゼットさん達が住まうガレージが南東寄りで、裏門の細い道路の向こうに国有林のエッペルハイムの森がある。なのでそこが借景にもなっているので、裏側から来ると本当に森の中を走る感じになるそうだ。
一方、庭の丘を挟んだ『エル』達の家が南西になり、そこら辺りから、隣町のプランクシュタットになるらしい。丘はそういう境界を現しているのかも知れなかった。そのプランクシュタットの南に位置する街がオフタースハイムで、ホッケンハイムリンクの最初期のコースはそこまで伸びていたという。今のような削られたメークインのようになる前はメークインそのもので、その前はメークインの端がオベリスクのように尖っていた。ここまではホッケンハイムの街の中で、航空写真を見れば削られる前のコースも残っている。
けれどオフタースハイムの大きな三角形は一部が291号線となり、残りは街境を示す一般道になってしまった。この森の中を走る道路はバイクでも自転車でも、走ると楽しいそうだ。
その『エル』やミトにパミの家だけど。館で北風が遮られ、冬の午後もお陽様の光がずっと家に当たるようになっていた。また館の客室も窓が全部南西向きで景観が良いという。
「でも、こっちの家が丸見えなんじゃ?」
「そこが魔術師の家ですよ。姉さん、一度3階の客間から庭を観て下さい。庭は見えても、家は最初から存在しないかのように視えませんから」
窓のガラスに魔術的措置があるのでなく、館の窓の位置と家々との距離、樹々の配置と屋根の形、それらトリックアートのような工夫で家が見えないのだそうだ。
「館の方が大きいんだから、部屋によっては見えるんじゃないの?」
「ホテルやマンションではありませんよ? 何も客室を真横に等間隔で並べる必要はないでしょう? 嵌め殺しの窓の前に出られないベランダを作ったり、窓の一部に樹が掛かっていても良いわけですし」
なるほど、面白い工夫ね。ああ、3人の家の建つ方角が結構バラついているのはそういう意味もあるのかぁ。『エル』の家は初等部時代に何度か泊まった憶えがある。今借りている家が予備という家と新しく建ってから、『エル』の家には泊まっていないけれど。お互い思春期だったしね。『あの家』が『部屋』であるなら、例え双子でも遠慮はして欲しいだろう。
巫女のイリヤの話だと、3人の家は倉庫兼ワインセラーの地下室の、更に下にある地下通路で屋敷の地下と繋がっているそうだ。そしてその通路の両側に扉がたくさんあって、工房や倉庫が空間操作でランダムに並んでいるという。さすがに中は覗いていないそうだけど、空間拡張などもされていて、きっとそこに『エル』はコレクションのバイクやクルマを置いているのだと思う。
そんな事を頭に思い浮かべながら、『エル』の家をチラリと見た。ここが館の正面玄関と一番近い。どうしてか『エル』は館の裏口をメイド以外には使わせない。勝手口という意識があるのもわかるし、厨房側から客が入って良いものではないのもわかる。けれど私が借りている家から館の食堂に行くのは、その裏口から入るのが一番早い筈だと思うんだけどなぁ。家族であろうと姉妹であろうと、冬木と違ってここではお客様な訳だ。だけどこれは『エル』というよりも、ミトやパミといった第三者の考えなのだと中1くらいに気付いた。
館の大きな扉を開いてくれたのは、顔馴染みのフリューゲルだ。この館を取り仕切る家宰であり、家政婦長(メイド長)でもある。嘘か本当かはわからないけど、何でもノインのお祖父様の隠し子で、『エル』とは義理の姉妹にあたると巫女のイリヤから聞いた。『秘密だよ』と言いつつ、そういう事をペラペラ話すなよと思うけれど、それで『匿う』理由や母親のネーベルさんと『離す』理由も見えて来た。要はお祖父様のメイド達の妬みなどから守るためだったのだ。つまり隠し子は本当の話なのだろう。
それに何より150年以上もお元気なお祖父様だから、『エル』自身から『名前も知らなければ、逢った事もない、義姉妹や義兄弟が大勢いる』『しかもそのほとんどの人が、既に天寿をまっとうしている』と聞いた事があった。ちなみに『エル』と私は、お祖父様から見れば玄孫(やしゃご/曾孫の次、孫の孫)の次の世代(来孫)と言っても良いくらい歳が離れている。
なのに養女に収まっている『エル』も大概だろう。というのはこの子、20歳にもなっていないのに、一門一族が集まれば、目上の歳の離れた従兄弟姉妹や再従兄弟姉妹、その子世代である従姪孫や再従姪孫、更に孫世代までが大勢居るのだ。そしてそれらの人々の中には快く思わない人も居た。なのにそれをお祖父様の命令だけでなく、実力でも黙らせてきたのだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様方。いらっしゃいませ、お嬢様方」
不思議な挨拶だ。言葉としては間違っていないのだけれど、『エル』はどちらのお嬢様に含まれるのだろうなんて考えてしまった。
「今回は前者ですよ。下準備もあって、私は数日前からこちらに居ましたから」
そうだったんだ?
「だからって、会社に来て勝手にパサートを持って行かないでよ。一瞬、盗まれたのかと思ったわ」
これはミト。どうやら、あのワゴンはミトとパミのクルマだったらしい。鍵が会社なのは社用なのかも。だとしたら、それは驚くだろうね。
「ようこそ、お姉さん方。お久しぶりです」
これはパミ。
「ええ、お邪魔するわね」
ミトはいつの間にか、ちぃイリヤと手を繋いでいた。この仲の良さは前回の訪問が切っ掛けになっただけでなく、巫女のイリヤとミトが取り分け仲が良いのを、ちぃイリヤが知っているからというのもあった。また、ちぃイリヤも巫女のイリヤに1番懐いている。それは『知らない場所(世界)で1から味わう苦労』を巫女のイリヤが1番知っているからだ。だから誰よりも親身になれるのだ。
私達もちぃイリヤに、わざと冷たくしている訳じゃないけれど、学園があるから中々寄り添ってあげられなかった。そんな寂しさを即座に理解し、進んで話相手になるのが巫女のイリヤだ。つまり見た目が大人な、ミトの悩みも見抜いていて、過去にきっと色々と相談に乗ってあげたのだろう。だから仲が良い。そしてそこを共通点として前回話し合って、打ち解けたのだと思う。
話しながら正面の誰も居ないガランとしたレセプション・ホールを通って、ホールの奥の大食堂も通り抜けると一番奥に小さな個室食堂が2つほど並んでいる。1つは四角いテーブルの洋食堂、もう1つは丸いテーブルの上に丸い回転台が乗った中華食堂だ。ここより奥が厨房となっていた。
入った洋食堂の窓の外には、借りている家の前に立つ樹が数本見える。レセプション・ホールは吹き抜けで、明かり取りの窓はかなり高い位置にあり、低い位置に窓はない。だから『エル』達の家は見えない。またその奥の大食堂には窓がない。あるとすればレセプション・ホールにはなかった、トイレに行くための廊下の窓だ(このトイレは大食堂を出た廊下からと、レセプション・ホールの後ろから入れる)。しかもそこから見える景色はあの丘の側面だけだ。館の作りが左右対称なので、大食堂の北側にも廊下とトイレがあるけれど、あちらの窓から見えるのはまたまた森だ。
なのにこの個室食堂からは樹の間を縫って、借りている家の一部が見えているのだ。彼女達と身内しか使わない食堂だから良いとは思うけど、これだけは言いたい。
「いっつも思うのよ。どうしてこっちにも入り口を作らなかったの?」
あのグルッと回ったのは何だったのか? どうしてそんな遠回りをさせるのか? お腹を空かせるための食事前の運動なのか?
「犯人は私です……」
おずおずと手を挙げる『エル』。そしてとっくにその『エル』を指差していたミトとパミ。そのパミが、テーブルを回す仕草をしていた。お隣の中華か!
「そっちにあった玄関を潰して、中華の小食堂に改装したの?」
「いえいえ、設計図の段階から変えていません。このままです。潰してはいませんよ。この小食堂、屋敷の反対側がメイド用の食堂なのは想像できますでしょう?」
「ええ」
「『厨房裏の勝手口は食材などを運び込むもので、お客様をお通しして良い場所ではありません。常識ですよ』とママ達から……。それでここにも玄関を付けようとしたら、『女性しか住んでいませんのに、お嬢様は不用心過ぎます。お仕えするメイド達に安心を与える、良き主人であって下さい』と……」
真犯人はマーヤさんとルオンさんだったのか! しかも、こんな理由なら『エル』でも言い返せない。文句を言えば、『運動です。若いのですから歩きましょう』なんて言われるのが落ちだ。スイスに居た頃は幼稚園児であろうと、ハイキングと称して20kmは歩かされていたという。3歳頃から乗っていた自転車やバイクにしても、転けようが泣こうが怪我がないと見れば必ず捨て置かれ、先に家に戻っているようなスパルタ教育だったという(使い魔で見張ってくれていたらしいけれど)。だけどそれも『産まれた時からやんちゃ』『何でも試そうとおかしな事ばかりする』『お館様(お祖父様)が、後継者に据えるべく養女にしたお嬢様』を一人前に育てるためだった。
これはお母様に聞いたのだけれど、マーヤさんの『エル』に対する愛情は言葉では表せるものでなく、それはもうお母様でも敵わない深さなのだとか。まぁ、ここはわかる。お母様にしてみれば『イリヤが双子?』って具合だったろうし。また、マーヤさんとルオンさんが居たからこそ、『エル』は『優しさ』を身に着けられたのだとも私にだってわかる。
『だって総裁になるために教育されて来た子でしょう? こんな事を言っては駄目なのだけれど、初めて逢った時に怖かった。だけどこの子が居るなら、これでキリツグは大丈夫って思えたわ』
冬木に行く前の僅かな印象で、8歳の子にそこまで思えた。いいえ、思わせるモノをあの子は持っていたし、信じられるチカラを発揮していたのだ。だからお母様は今も元気な訳だし、私が聖杯になる事もないのだ。だけどそれが『チカラ』と『能力』だけだったら怖いなっていうのもわかる。巫女の姉やちぃイリヤを見て言いたくはないけれど、狭いお城の『世界』だけしか知らず、アハトの都合の良い言葉だけを信じて行動する『私』。そんなの敵にもならないし、一瞬で殺されるだろう。だってどんなサーヴァントが召喚できようと、マスターを空間転移で拐って殺すか令呪を奪えば終わりだ。そんな反則のような魔術を『エル』は幼い頃から使えていたのだ。だから時計塔一のロード、エルメロイ先生を一瞬で降伏させられたのだ。
この空間転移、ここの世界じゃ、私とクロちゃん、ステッキを握ったおチビちゃん、それと『エル』達にしか使えないのだ。アインツベルンの本家に連なる人でさえ成功者は僅か数人で、時計塔のロードには誰も居ないのだ。そして冬木の大聖杯を使わない英霊召喚の成功者も、『エル』ただ1人なのだった。このファクトを覆せる魔術師は現代には存在しないし、今後も出ないだろうと言われている。
そんな状態だったから、時計塔に倣ってどこの協会も先を争うように『エル』に階位をこぞって贈った。もう卒業したと見做すから、関わらないでくれという悲鳴だ。だってそこで学んでも『空間転移』や『英霊召喚』は学べないし、仮に理論を知っていたとしても、できないと口に出せないし、学生に知られたくないからだ。だけどそんな『エル』が、倫敦の時計塔とチェコのプラハの理事でもある。
お祖父様にしたら痛快だと思うけど、『空間転移』でどこにでも逃げられ、『英霊』が傍に控える『エル』を封印指定さえできないとなれば、残るは暗殺だ。そしてアルトリア姉さんもアルさんも居ない7歳から、その悉くを躱していた、実戦派の魔術師でもあったのだ。現在は百貌のアサシンが十数名、お兄ちゃんも居れば、アルさんも居る。そしてその後ろには英雄王とアルトリア姉さんも控えている。もはやアインツベルン11代目総裁は伝説の人だった。
しかもこの世界の死徒二十七祖の序列が狂っていた。まず序列第一位のプライミッツ・マーダーが存在しない。アルさんに引き裂かれ、毛皮はネメアーの獅子のようにベストにされしまったからだ。おまけに肉は『エル』とシロウさんが調理し、アルさんや王様(英雄王)や征服王に食べられてしまった。そのプライミッツ・マーダーを飼っていた、序列第九位のアルトルージュ・ブリュンスタッドは、お裾分けと称したアルさんに、太腿の丸焼きを無理矢理食べさせられたという。
それは、彼女を守る序列第六位の黒騎士リィゾ=バール・シュトラウトが、ランスロットさんに首を刎ねられ、序列第八位の白騎士フィナ=ヴラド・スヴェルテンが、王様の宝具でこの世から永久に消え去った後だった。
第五位のORTは次元の知れない空間と空間の間に、先生の手に拠って送られてしまったし、第七位のアインナッシュはその存在ごと太陽に投げ込まれてしまった。
こんな事になった発端は、久しぶりに逢った王様と征服王に、偶然街を歩いていた『エル』が『供をせよ』と捕まったからだった。そこから他の人も電話で呼び出され、とあるお店を借り切って食えや飲めやの宴会となったらしい。2軒目に行くかとお店を出れば(行き先はシロウさんのお店)、その途中の物陰で妙な音を聞いた『エル』が駆け寄り、人を殺して食っているプライミッツ・マーダーと、笑って見ていたアルトルージュ・ブリュンスタッドを発見したのだ。
だからアルさんはアルトルージュ・ブリュンスタッドの目の前で、プライミッツ・マーダーを引き裂き殺した。しかもアルトルージュを守りに出て来た白騎士と黒騎士までが目の前で殺された。そうして『エル』はシロウさんのお店に電話を入れて席を作って貰い、厨房でアルさんに毟り剥かれた、ほとんど皮が残っていないプライミッツ・マーダーの解体と調理に掛かった訳だ。
それを死徒だと、手伝いに遅れてやって来た先生が指摘した時には、もう骨しか残っていなかったという。皆さんして『ゲェ~』とか言ったそうだけど綺麗サッパリ平らげた後だった。それで王様の音頭で腹いせの『死徒狩り』が始まったのだった。同じ斃すなら上の者から、これは鉄則だ。皆んなでヴィマーナで飛んで、丸一日で全世界を回り、二十七祖を含む死徒を軒並み斃したという。この事件が5年生の時で、翌年『エル』はバゼットさんと対決している。
『エル』は理事もしているので、魔術協会は必要な組織だと考えていた。だから時計塔に対してもとても丁寧に対応していた。問題は封印指定を発する秘儀裁示局だった。ここへ候補者リストを出させ、載せた理由を尋ねたのだ。それで指定理由のほとんどが、『妬み』と『やっかみ』だとわかった。その者にしか再現できないとは、それを調査確認する者が軒並み才能のない三流だからだ。
『永久に失われるのは惜しいから封印指定をする』
これを『嘘』だと断罪した。それほど貴重なら残す努力を見せろ、残せる新たな魔術を開発しろ。それもできないのに偉そうに『指定』だけはするってふざけるな。こう言ったのだ。そしてそれは組織にありがちな『膿』だ。だから理事会で秘儀裁示局解体の声を上げた。すると、飛んで火に入る夏の虫のごとくバゼットさんがやって来た。
ルーンで強化されたパンチとフットワークがバゼットさんの武器だ。そこへ『エル』は、強化の魔術と収縮の魔術を重ね掛けた。無理矢理の強化と収縮はバゼットさんの手足をへし折った。そこを隙かさず、血が飛び散らないよう空気一枚を隔てて空間を飛ばし、バゼットさんの脳髄そのものをシェイク(揺さぶった)した。脳髄への直接の攻撃。こんなものに耐えられる生物が居たら化け物だ。執行者最強の人は僅か11歳の女の子の前に、2秒も立っていられなかった。そうして秘儀裁示局の職員や魔術師を全員クビにし『時間凍結牢』に封印した。『そこから出すのは、第50代アインツベルン総裁である』『が、当事者に於ける延長もあり』と大々的に発布した。
そうして神秘関係者達を黙らせてから、『エル』はロシアの大霊脈開発と、中国の民主化に着手したのだった。
『ゴルバチョフは共産党の幹部ですから、大衆から忌避されていました。また共産主義の夢から醒めていない者も多かった。ですからあの失踪劇は起こるべくして起きました。エリツィンは功罪あるでしょうが、経済オンチなだけで、あの方向転換は彼くらい強引な人でないと無理だったでしょう』
『じゃが回復は厳しいぞ?』
『ええ、そこをオリガルヒの持つ金を起爆剤にしたかったのでしょうが、あの人の仕事はここまでです。そうはさせないと裏で手を回して来ると思いますが、次の大統領を決める流れにしましょう。ここも当然、オリガルヒの背後に居る者達が邪魔をしてくるでしょうけど』
『誘拐か拉致で候補者を降ろさせるか。その目的は?』
『IMFなどを通してロシアを借金漬けにするためです』
『うむ。アメリカのあやつらじゃな。では儂はどう動くべきか?』
『はい。大衆の声を聞く、ソビエト連邦時代を憂いていた政治家がどこかに必ず居ます。その人を逸早く見付けて後押しし、今の不況を解決させるべく、アインツベルンからも音頭を取って資金の注入を』
『よし、腹は決まった。それで行くぞ』
それで今の大統領が立ち、ロシアは財政破綻を免れ、他国への借金も返済できたのだった。これが私と『エル』が出逢う遥か前に、お祖父様と、総裁に就任したばかりの1年生だった『エル』とで、チューリッヒで行われた会談だった。そしてここでの第一次チェチェン紛争はお祖父様が穏便に済ませ、第二次チェチェン紛争は『エル』がアサシンに対する試金石として彼らを投入した。なのでここの地図はチェチェン共和国とイングーシ共和国がずっと独立している。そういう事があったから、後年ロシアの霊地開発を自由に行える足掛かりとなったのだった。
ちなみに私が空間転移を使えるようになったのは6年生の終わり頃だった。それも『エル』に何度も手取り足取り教わってだ。後にクロちゃんができると知ってショックだった。やがて『エル』の指導で、ステッキがあればおチビちゃんまでができるようになった。それで『エル』は教師に向いていると思ったものだけど、エルヴァが時計塔の講師になったと知って、さもありなんと納得した。
さて、メイド達が料理を次々に運んで来た。一皿ずつ出さないのは、『エル』の方針で、その方がご馳走が映えて豪華に見えるし、少しでも早くメイド達を休ませたいからだった。しかも本日はお魚料理が多い。南ドイツでこれはありえない。アルプスを越えて地中海まで行けばマグロにタイ、メカジキにホウボウ、アジにイワシやアンコウまで釣れる。エビもクルマエビ、タイショウエビ、シバエビ、テナガエビ、ロブスターにオマールエビと何でもある。ここに貝も入ってくるからイタリアにフランス南部、スペイン南部は魚介で困る事はない。
ところがこれがアルプスのこちら側になると全然だ。昔から牧畜が盛んだったので、木材加工や樹に関わる何かの仕事の合間にサッと食べられる、ジャガイモの何かとハムやソーセージ、そしてザウアークラウトとチーズの生活が長かった。そしてそれが当たり前だったから、ビールの肴にニシンの燻製や油漬け以外の魚がほぼ流通しなかったという歴史があった。
誰も買わないからお店にも並ばない。そうしてドイツ人は益々お魚を食べなくなった。アメリカ人にもお魚の苦手な人が多いのは、流通の問題もあるけれど、ドイツ系移民の子孫が多かったのもあると思う。
なのになのに、テーブルにはマグロとタイ(Dorade Royal)のカルパッチョに、サバとスズキの香草焼きと、サーモンの入ったポトフが並んでいるのだ。そして一口食べると信じられないくらい美味しい。こんなのがドイツで手に入るの?
「美味しいわ」
「オイシイよね?」
本当に美味しい。『エル』はシロウさんと出会い、お料理を教わる前から、調味料にも食材にも、良いものに拘っていた。それはマーヤさんやルオンさんの教えであり、世間一般の人でもそうだし、私達魔術師なら絶対に忘れてはならない教えだった。
内容はこうだ。腸内環境を整え、脳の、取り分け松果体にダメージを蓄積しないものを摂取する事。善玉菌の繁殖を良くするため、悪玉菌を増やす環境を、食事だけでなく普段の生活態度からも見直す事。美味しいものを食べ、美しい景色を観、綺麗な音楽を聞き、素直に感動する事。また、その感動を忘れず繰り返し楽しむ事。歳を重ね愛する人ができれば、愛し合える環境を作る事に尽力する事。そうして歳を経ても愛し合えるなら、魔術回路が衰える事もない。
以上のような事柄を『エル』は幼い頃から叩き込まれているのだった。体調の維持と健康が魔術回路に良い影響を与えるのは、魔術師なら誰でも知っている。感動する心を忘れない事や善玉菌を増やす食事が、病気を祓い、アンチエイジングに大きく関わる事は一般の人でも知っている人が居るだろう。そこにプラス第三の目とも言われる、松果体を護る生活こそが魔術師に限らず、『宇宙の意志』と繋がる重要な事だと説いているのだ。
そしてそれはシロウさんの教えと同じものだった。欧州の塩は主に岩塩だ。だけどこの家ではフランス産の天日塩を使っている。何万年も掛けて海水だけでなくミネラルも流れ去った岩塩でなく、マグネシウムなどのミネラルが含まれた天日塩。シロウさんはキロ数千円もする能登の塩を薦めてくれた。だけど『エル』は最初からそういう塩を選んで使う子だったのだ。白米より雑穀米や黒豆などを入れた豆ごはんを好み、精製され過ぎた小麦やお米に塩を避け、お味噌や納豆にチーズなどの発酵食品を摂り、そこでもきちんとした製法のものを選ぶ。牛乳も日本で多く出回る薄められたものでなく、冬木なら北海道産の良いものか、近場の牧場で買ってくる搾りたてを、スイス時代と同じように用意していた(ヴェルデンベルクの家は隣が牧場だった)。
ところがそんな子が、チキンタツタ(防腐剤など添加物ドブ漬けのチキンとキャベツ)と、立ち食いうどん(白物の塊)が大好きで、マーヤさんをかなり心配させていた。タツタは消えたけど、うどんが今も止められない。善い食べ物2、悪玉菌を増やしそうな食べ物を1という比率以下にすればギリ・セーフらしいけれど、どうなのかなぁ。
そしてそのシロウさんをして天才と言わしめたマーヤさんの味付けが、ここのメイドにも伝わっているのが凄いと思う。お米はない訳だから、マッシュポテトが添えられているのだけど、これの種類も本日の魚料理に合わせるために拘ったものなのだろう。私は冬木だと『あきたこまち』でなく地元の農家が丹精込めて育てている『ひとめぼれ』を好んで使っている。それは浸ける水の量と炊けた後の食感が、私の感覚とマッチするからだ。シロウさんも秋田の『あきたこまち』でなく、冬木で採れる『あきたこまち』と『蛇紋岩米』という幻のお米の混ざったものを使っている(そしてその比率は秘密と言って教えてくれない)。
他県にも美味しいお米があるのは知っているし、試してもみた。それでわかった事だけれど、北海道の『ななつぼし』や『ゆめぴりか』などは寒冷地向けに品種改良されたお米だ。美味しいし、食感も良い。だけどこの美味しさをがっちり掴む炊き加減が、土鍋や文化鍋なら引き出せても、炊飯器(特に電気)だと、とても難しいのだ。
『寒冷地米は浸ける水のマージンが狭いんだよ。多くても少なくても駄目。ガス炊飯器ならまだ良いけど、電子ジャーはほんの数十cc間違えるとアウトだ』
と、シロウさんは話していた。これは裏返せば柔らかめや硬めと言った好みを出しづらいという意味でもある。また、お米の中でも特に水加減が難しいのが魚沼産の本物の『こしひかり』だとも言っていた(ほとんどの新潟産『こしひかり』は、『こしひかりBL(ブレンドの意)』という別品種だ。宮城の『ひとめぼれ』も本気で炊こうと思えば難しいという)。その難しさは『ななつぼし』や『ささにしき』の比ではなく、大きな羽釜で周囲を捨てるくらいの気持ちがないと無理なのだそう。だから単一種より、ブレンド米が炊きやすいと言われる訳だ。
そしてこの天日塩とハーブで味付けしたマッシュポテトは、3種類くらいのジャガイモをブレンドしたものだ。ホクホクしているのに付け合せらしく塊感はなく、だからといってベチャッとした感じもない。魚料理の旨味を上手く引き出していた。ジャガイモの何と何の組み合わせだと聞いても、冬木じゃ手に入らない品種だろうし、もしかしたら、会社の農園で育てている品種も混ざっているのかも知れない。
「これ、シメ方からして違うわ。まさか?」
そこまでお魚が得意じゃないちぃイリヤまでが美味しいという。
「サーモンは今日、パサートを借りる時に、会社の冷蔵庫からかっぱらって来ました。ノルウェー産でウチの商品です」
『ああッ』とか『お前~』とか、パミとミトが口々に言う。
「『エル』、あなた下準備って……」
「ジェノバの漁村までバイクでひとっ走り。船が戻ったその場で買い付け、私がそこで神経締めして、血抜きをし、内臓とエラを取りました。持ち帰ったそれをペーパーで包んでラップして2日ほど熟成させてからメイドに。あ、マグロは違いますよ? これだけはジェノバでなく、日本から宝具経由でパミに送ったものです」
「だろうね。このもっちり感。どう考えても300kg級のクロマグロの赤身だよね?」
「はい」
ジェノバという事は、スイス経由でイタリアに入ったという事だ。5号線を南下してバーゼルからルツェルンを抜けるルートか、同じくバーゼルからザンクトガレンを通るルートでしかドイツからミラノに行けない。どっちが早いかは距離でなく時の運だ。きっと『エル』、チューリッヒを通らず、ルツェルンからアルプスを越えたろう。なぜならザンクトガレン経由だと、故郷のヴェルデンベルクに寄りたい気持ちが湧くだろうから。『エル』のそんな気持ちと、やった事に気付いたパミとミトは、ブチブチ言っていた文句を引っ込めてしまった。
だけど雰囲気が暗くなりそうなのをちぃイリヤが心配そうにしていたから、お魚のお礼を言って、私からパミとミトに質問した。簡単な質問だ。『ここから一番近い、知られざる観光名所』だった。
「ハイデルベルクの旧市街やマンハイムを除いてですか? それならお姉さん、お薦めはミルテンベルクの街ですよ」
「あそこは田舎街だよ? そんなところをお姉さんに紹介しちゃって良いの?」
パミとミトはそんな事を言うけれど、私的には大歓迎な答えだった。確かにミルテンベルクなんて知らないけれど、詳しく聞くと『マイン川の真珠』とも形容される、昔ながらの木組みの家が残った美しい街なのだそうだ。
「良いね、良いわよ。そういうのが見たいのよ。私はさぁ、ドイツ生まれなのに、そういうドイツらしいありふれた田舎街を全然知らないの。でもモデルの仕事でもロケは滅多に無かったし、建機のお仕事も場所が限られるでしょう? 本当、自分が育ったお城と都会や空港以外のドイツを知らないのよ」
「なら、もっと足を伸ばして、バーデン=バーデンからシュバルツ・ヴァルト(黒い森)を回ってみてはいかがです?」
「そっちはロマンティック街道なんかと変わらない気がするなぁ」
否定の意見を言ったのはミトだけど、その指摘はわからないでもない。ドイツって観光にも力を入れていて、休暇街道という道路や観光ルートが国のあちこちにあって、全部で150ルート以上指定されているのだ。今のロマンティック街道もそうだし、ここから一番近いニーベルンゲン=ジークフリート街道やファンタスティック街道などもそうだ。この他有名どころなら、ドイツ・メルヘン街道やゲーテ街道だろうか。ヴュルテンベルク・ワイン街道もここから割合近い。
そしてパミが紹介してくれたシュバルト・ヴァルトを巡るルートがファンタスティック街道だ。もっと南のボーデン湖辺りまで行くとシュヴァーベン温泉街道などもある。
「私なら、プフェルツァー・ヴァルトをお薦めしますね」
プフェルツァー・ヴァルトはバーデン=ヴュルテンベルク州の西隣にあるラインラント=プファルツ州(ニュルブルクリンクのある州)と、フランスのアルザスに跨る広い森の事だ。ライン川を挟んで東がシュヴァルツ・ヴァルト、西がプフェルツァー・ヴァルトになる。
「ここからだとマンハイム経由でライン川を越えてすぐですから。カイザースラウテルン目指して走って、そこから南が全部森です。時間帯に拠りますけど、1時間走っても2台とクルマにすれ違わない日もあります。私があそこをよくバイクで走るんですよ」
そうなんだ? クルマとのすれ違いが少ないのか。これは興味が惹かれた。というのは、日本でもオーストラリアでもアメリカでも、私は自分の運転でバイクやクルマを走らせている。だけど西欧ではいつも人の運転するクルマでしか走った事がなかったのだ。これには様々な理由があるけれど、1に私は日本に慣れ過ぎた点が上げられるだろう。ドイツ語も標識や右側通行も問題ないけれど、国土の狭さから来るゴチャゴチャ感を西欧に強く感じてしまうのだ。街から街は離れているし、郊外の交差点はランナバウトで信号に煩わされる事もない。なのにそこで信号待ちが、いかに考える時間を与えてくれるかに気付いてしまったというか……。
オーストラリアやアメリカなら、どこまでも1本道だし、悩まず行きたいところに行ける。だけどこれが欧州だと、そうは行かないと想像できてしまうのだ。まかり間違って国境を越えれば、標識も案内の言語も、道路の名も交通法規も異なって来る。そのゴチャゴチャ感は日本の比ではない。だからこそ、『森の中となれば道が狭いのは当然だ。そこですれ違いが少ないとなったら、初の欧州体験走行にもって来いではないか?』と考えてしまったのだ。
「ミトがあそこを……。パミはその真意がわかりますか?」
などと『エル』が言う。
「うん? 『エル』、どういう意味?」
パミがこう聞くのも当然だ。私とちぃイリヤも首をひねっていた。
「知識が単に与えられた記憶なのか、自分で体験して再確認できた事なのかの差です。つまり、黒い森もあの森もキノコだけじゃなく山菜の宝庫でもある訳ですよ。しかもシダ植物の若芽をアク抜きして食べるドイツ人は滅多に居ません。ワラビ、ゼンマイ、コゴミにフキノトウ、タラの芽、野生のワサビ、ゴボウもありますが、山芋も採れます。誰も知らないので採り放題なんですよ」
へぇ~! これは驚いた。ドイツにもそんなのがあるんだ?
「自然薯もあるの?」
「姉さん、あれは日本原産です。ドイツのそれは長芋の一種ですよ」
「そうなんだ……」
「こういう山菜はフランスにもカナダにも生えますが、詳しい人はやはり地元の一部の人だけで、それも親から子や孫に伝わった一部の山菜に限られる場合が多く感じます」
どうやらこれは、シロウさんから教わった事じゃないみたいね。
「ですが山間部で食の貧しかったスイスでは、山菜の存在が広く知られていて、料理によく使われます」
あ~やっぱり、『エル』の体験だ。
「中でも『クマのニンニク』や『ビール・ネギ』なんて有名ですよ?」
クマ(熊)? これをどうした事か、ちぃイリヤが知っていてうんうんと頷いていた。どういう事?
「答えは『行者ニンニク』の一種ですが、呼び名が幾つかあるのは、地域性から同じものでも呼び名が変わったり、成長度合いでも呼称が変化する地域もあるからです。また、ドイツ南部の場合は山菜を知らない人が、ベア(熊)とビア(ビール)を混同して使って広まった経緯もあったように思われます。ですので葉が大きいからベアだとか、細いからネギだじゃなく、バイエルンだと『ビール・ネギ(Bier-lauch/ビア・ラウホ。ラウホは英語でいうリーキ)』であり、スイスや黒い森の南部だと『クマのニンニク』『野生のニンニク』『森ニンニク』『魔女のタマネギ』などと数多くの呼び名がある訳です。ですが学術的正式名称は『Allium ursinum』であり、英語では『ラムソン(ramsons)』となって、カナダや英国のスーパーでも売られている場合があります」
これはわかる。日本のキノコや山菜と同じで、それを『採る人』からの少ない情報しかない訳だ。きっとマーケットなども『採った人』が伝えた地元の呼称を、そのまま商品名にして売っていたりするものだから、こんな風になったのだろう。
「日本だと、北海道や東北の山でしか採れませんが、季節になればスイスだとそこら中に生えます。そして標高の高いチロルにもありますし、アハトの城の周囲も結界を解除すれば、今時分は『行者ニンニク』が生えています。姉さんが知らず、ちぃ姉さんが知っているのも、そういう体験の差ですね」
「あ~……私が幼い頃に食べていたガーリック味のものの中には、そのドイツの行者ニンニクもあったって事ね?」
「そうです」
ちぃイリヤはセラに質問したか何かして、そのネギのような葉っぱがガーリックで味付けしたものでなく、そういう香りを発する植物なのだと知った訳だ。もっと言えば、そういう質問ができるくらいの年齢になってもあの城に居たという事だ。だからその小さな手をそっと握ってあげた。
「そういう事かぁ……」
と、落ち込むような声を上げたのがパミだった。それは落ち込むだろう。食品部門の責任者だものね。だから『エル』とミトの提案で、明日は皆んなで山菜採りに行く事になった。それもクルマでなく、どこにでも停められるバイクでだ。私としては願ったり叶ったりだけど。
「でも、お仕事は?」
そこをミトが解説してくれた。
「私とパミも実は『エル』と同じ事が、『ある程度』できます」
ミトがチラリと『エル』を見、『エル』が小さく頷いた。
「元々の私とパミは、『エル』が魔術で作ったエーテル体でした。ですので『エル』次第でどんな年齢のどんな容姿にもなれたんですね。それで10数年前の事です。ある仕事の必要性から、私は18歳くらいの容姿で出力されていました。ところが魔術の事故で、エーテル体が受肉してしまったんです。この受肉はパミもでした」
あ。事故って受肉の事だったのか……。
「じゃ……?」
「ええ。この事故に因る受肉は、『エル』の空想の産物と言っても良い私達に、『エル』の持つ『宝具』までを残して行ったんです」
「つまり、今のあなた達には『ラインの黄金』の複製も備わっているって事?」
「そうです。そこからです。もう私達は『エル』に還れない。なら別人として生きて行こうと。また幸いにも『エル』は人形遣いでもありました。そこで『宝具』を使って意識を分割し、私ならもっと年上の容姿を持つ人形に意識を入れて商談を纏めたり、子供の容姿を持つ人形に意識を入れて、失った子供時代を楽しんだりしています。当然この身体の人形もあるので、そちらを仕事に行かせ、こちらは遊びに行く事も可能となる訳です」
続けてパミも打ち明けてくれた。
「私が『エル』から仕事を任されたのは、やはり8歳の頃でした。ですけど8歳の子供が商売の話などしていたら、傍目にオカシイ訳です。ですので、たまに会社に行けばミトの妹してマスコット的に振る舞い、成長した人形の方で仕事をしていました。慣れて同時操作の人数が増えれば、『テコ入れ』と称してその営業所に別の人形を送ったりしていました」
「それである日、3人の使う人形が、本部で表彰される事になってしまって……」
「売上げ上位の1位から3位を取っちゃったんだよね。それで表彰役がミトで……」
「出張ばっかりで姿を見せない謎のセールス・ウーマンで良かったのに……。自分で自分を表彰って……」
ああ、それは何か気まずい。でも、別の容姿で別の顔なら、下手に反対も言えない立場な訳だし……。だって、最高責任者が『◯◯は表彰したくない』なんて言えないものね。だけど、さすがは『エル』の分身だ。『エル』の使う人形を含めて3人で上位独占とは。こういう具合で、3人はここまで会社を大きくしたんだろうね。
「ですけど、その時の私は3位でした」
そんな風に情けなく告白してくれたのは『エル』だった。こういう事情を知れば、『パミもミトもあなたの分身じゃない』とは言えないか。ここまで個性が異なってしまえばねぇ? しかも3人は、『本体』が無事なら人形がいくら死んでも問題ないという。きっと危険な仕事もしているのだろう。
また、子供の頃から免許を様々取って、大型トラックや建設機械も操縦していたと教えてくれた。これは巫女のイリヤも同じで、彼女も日本だけでなくドイツの免許をたくさん取っていた。それはドイツだと一度取得したライセンスは生涯に渡って有効だからだ。つまり、日本もアメリカも期限が来ても更新しないなら免許失効の憂き目に会うけれど、ドイツのそれは一生使えるので失効という問題が無いという意味だ。なので、他国に行くならドイツの免許で、国際免許を発行して貰う方が便利なのだった。
私は今回、国際免許を出して貰っているが、実年齢もあるしキャリアが5年未満なので、『エル』やパミ本人と同じ出力が35kw以下の『A2』免許に限られている。ところが『エル』やパミの持つ大人の容姿を持つ人形は、ミトと同じ5年以上のキャリアを持っている。だからバイクは無制限の『A』だし(最低年齢の16歳から5年経たないと取れない。つまり最短で21歳だ。ユーロは日本以上に免許に厳しい)、普通自動車も牽引可能な『BE』、貨物自動車も制限なしで牽引も付く『CE』で、連結商業バスの免許である『DE』まで持っていた(こちらの免許の最短は24歳だ。つまり人形は24歳以上という意味になる)。
またミトは、魔術を使ったアンチエイジングを施しているという。
「だって、イリヤお姉さん。私の身体は現在28歳。今年の誕生日で29歳ですよ? おまけにお世話になっている巫女のお姉さんが、『エル』に入って固定されたのが24~5歳の頃です。今は素なら、あの人の方が若いんです。これはショックですよ」
まぁ、そうだろう。鋳造時から19歳で固定されているお母様より老ける日が来るのを私も恐れている訳だし……。今年の誕生日で私も19歳だ。お母様の最大稼働時間(耐用年数)は、『エル』しか知らない。もし私が70歳になってもお元気なら、人様に『孫』とでも紹介するのかしら? もし、キリツグが寿命を迎えてもピンピンしていたらどうしよう? オシメを換えらえても娘だからそこは何とか耐えられるけれど、私の子供や孫がお母様をどう思うのか。それが心配でならない。
なにせ『エル』はお母様を延命処置した時に、『70歳を過ぎても排卵が止まらないようにした』と話していたのだ。つまりそれは、キリツグさえ元気なら、妹がまだ産まれる可能性があるという事に他ならない。私達と美遊の年齢差は10歳だ(この春から3年生だ)。もし両親が10年おきとか考えていたら、来年再び妹が産まれるのだろうか? 我が妹は神秘への挑戦だけでなく、神の御業にも挑戦しているのだろうか?
お母様が聖杯となって消えない、これからも一緒に居られると素直に喜び、妹に感謝したあの日の自分に言ってやりたい。感謝も良いけど、妹はとことん魔術師で、チャンスと見れば身内も実験動物のように扱うぞ……と。だって8歳のあの日まで『エル』は私やキリツグにお母様の事を知らなかったのだ。だから出逢ったばかりの頃に愛情なんてほとんどなかったに違いない。
延命処置は人道と好奇心からだったと思うのだ。だからその探究心の強さから、視力を対価にできたのだと。そもそも、宝具によって周囲がわかるから、かえって目の情報が邪魔だと言っていたのだ。当時の私は『そこまでしてくれた』と感謝しかなかったし、キリツグやお母様は今だにそうだろう。だけど、あっさりアルトリア姉さんと冬木に行っちゃうし、聖杯戦争を終わらせたし、今はバイクやクルマも操縦するのだ。となると『それはどうだろう?』と今の私は思ってしまう。
食事が終わると『エル』が私の手を取り、ミトがちぃイリヤの手を取った。
「何?」
「フリューゲルがわざと隙きを作ってくれています。今のうちに」
そうして私達は誰も居ない厨房の奥、裏の勝手口から家に戻った。圧倒的に断然早かった。しかもパミは厨房からワインを2本とハムとチーズをくすねて来ていた。
「フリューゲルがどうして?」
「ママ達に反旗を翻した訳でも、反抗や抵抗でもありませんが、理不尽だなぁと考えてはくれている訳です。なので帰りだけは、これが慣例になっていまして。ワインとおつまみも、フリューゲルが厨房にわざと置いてくれていたんですよ」
なるほど~。そういう人なんだ? 『エル』や私の4歳上だと聞いたから、今22歳か23歳だ。『エル』にとっての義姉になる訳だから、おかしな軋轢がないかと心配だったけれど、どうもそういう関係ではないみたい。私達が来た時も笑顔で迎えてくれていたし。私はフリューゲルの事は前々から知っていたけれど、それはこの家のメイド長としてのフリューゲルだった。お祖父様の隠し子で義姉であると知ったのはつい最近の事だったのだ。それで今回1人でドキドキしていた訳だ。
借りている家のリビングで、パミがワインの封を切って、椅子に座った各々にワイングラスを配った。『エル』はハムとチーズをキッチンで切っている。もう少し話そうという事だろう。お皿を抱えた『エル』が戻ったところで乾杯した。ちぃイリヤも、こう見えてワインはイケるクチだ(ある意味、私より飲み慣れている)。
「どうして食事の時にワインを出さなかったんだろう?」
「ちぃ姉さんが居たからですよ。多分、メイドがおチビちゃんと同年輩と勘違いしています。それでフリューゲルが気付いて、お詫びの2本目とこのハムを置いていたのでしょう」
「連絡ミス?」
「特に私も伝えていませんでした。なので思い込みでしょうね」
そこでミトとパミがちぃイリヤに謝った。
「私達のミスです。メイドに伝え忘れていました」
「良いよ、気にしてないから」
以前のこの子なら『レディを何だと思っているの?』なんて言ったと思うが、今はこんな感じで丸くなった。来月から中等部だから、自覚も出て来ているだろう。それだから行きの飛行機内で苦情を言っていた。それは採寸の終わった制服の出来上がりの日に、自分が冬木にいないからだった。
私のセラとこの子のセラが一緒に受け取りに行くのだけど、『お母様が何を言っても、クロちゃんやおチビちゃんに先に着せちゃ駄目だよ?』と何度も念を押すくらい楽しみにしていたのだ。今のクロちゃんもおチビちゃんも、あなたより背が高いから着れないよとは私もセラ達も言わないし言えないけどね。何よりここまで積極的になってくれたのだから、誰も何も言えなかった。それに育ちが育ちなので、学校というところに元々興味があった様子だ。なのでお母様の発案で、おチビちゃんが貸してくれた初等部の制服を喜んで着ていたし、写真にも収まっていた。
(去年の話だけれど、ほぼ同じサイズだった。今のおチビちゃんとクロちゃんは新学期に向けて制服を作り直している。それだけ背が高くなったからだ)
そして何を話そうかとテーマを決める必要はなかった。最初からミトとパミが決めてあったようで、内容はロシアでの霊脈開発の話だった。事前の予備調査を含め、ミトは全部に参加し、パミは予備調査と1回目以外に参加、『エル』は1回目と4回目、そして5回目に参加したという。そして驚きなのが巫女の姉とアルさんとお兄ちゃんだった。何と予備調査以外の残り全部に参加していたのだという。海外での仕事が多いのは知っていたけど、そっちにも行っていたなんて。
「ユグドミレニア?」
「はい。聖杯戦争のさなかに襲って来ましてね。そこに全面勝利した事から、ロシアにあるユーラシア大陸最大の霊脈の開発権をアインツベルンが取れたのです」
「そんな頃から……」
「ええ、そこからロシアとの交渉と根回しです。聖杯戦争が学年で言えば2年生の頃で、予備調査が5年生、霊脈に機材を運ぶ道を拓きに行った第1回目が6年生の時です。2回目と3回目に行けなかったのは、チェチェンと中国があったからです。それで4回目と5回目の最終が中2の時です」
そこでパミが言った。
「あの頃が1番忙しかったよね?」
「ですね。モスクワにアンテナ・ショップを出店したのが中1の頃で、私とあなたとで視察に行ったのが、霊脈開発の終わった中2の冬でした」
「だよね。モスクワで合流して。3日ほど休暇を取って、あなたとサンクトペテルブルクにも行ったね。実はあの休暇が3ヶ月ぶりだったんだ」
え~! そんなに働いていたんだ? 『エル』も少し驚いた顔をしていたけれど、サラリとこんな事を言った。
「私、モスクワと並行して、お兄ちゃんと南米のチリにも行っていました」
はぁ?
「それって中2のいつ?」
「真冬です。12月の終わりから1月に掛けてです」
「待ちなさい! 家族でオーストラリアに行っている時分じゃないの!?」
「そうですよ」
ウチは毎年、年末から年明けまでオーストラリのアデレードに家族で行くのが恒例だ。そしてこの中2の冬、絶賛反抗期中の私だけが参加していなかった。つまり『エル』には好都合だった可能性がある。双子の私が居なければ、3体に分かれてもバレないって事だ。いや、見破る自信はないけれど……何だそれ……。目眩がして来たのでミトに話を振った。
「その時にミトはどうしていたの?」
「私は別の霊脈や鉱山の仕事がありました。ですのでモスクワには行けませんでした。それにあの頃の私だと3体が目いっぱいでしたから」
つまり彼女も3体に分かれて仕事をしていたって事だ。呆れてものも言えない。
「それとニューヨークに商談で」
『エル』の4体目だった。凄いな、おい!