走る順番はずっと先頭がミト(ZR-7S)、ちぃイリヤを後ろに乗せた『エル』(LS650Savage)が2番目、私(SR500)が3番目、パミ(SDR660)がラストだった。これはミトが『こっち方面を走りなれていて道に詳しい』というのもあるようだけど、もっと魔術師っぽい理由とバイク上級者らしい理由があった。それはツーリングの弱点を補い気遣いを実現可能にする魔術だ。
なんて大袈裟に言わなくても、要は念話なのだけれど。パミとミト間、私と『エル』間にパスが通っているのは想像付くと思う。前者は仕事の都合上そういうパスを繋いであるだろう事は読めていた。後者は何も知らない私を鍛える上で、『エル』に必要だろうとの事で初等部時代から結び始めたものだったけれど、家族としてのキスも日々しているからかなり強固なパスだとわかるだろう。そしてちぃイリヤも家族となってからこのパスの輪に入って来た。そうなるとバイクでのツーリングに於ける最大のデメリット、走りながらの会話ができないというのが消える。ヘルメット越しに大声を出したり、妙なゼスチャーをする必要もない。距離は術者の力量などで左右されると思うが、私達は1つの都市くらいの距離なら、いつでもどこでもコミュニケーションが可能だった。電波じゃないので片方がビルの地下街にいても通じる。ここが魔術のメリットだ。
次にミトとパミの話だけれど、彼女達は前後に分かれて私達を挟んでいる。ここに意味があるのだ。そもそも複数台で一緒に走る場合、先頭でペースを作る人がとても重要なのはわかると思う。それぞれの排気量や出力、技量の差が異なれば、遅い人に合わせる必要があるからだ。ところがバイクという乗り物は、その振動でミラーがかなり見にくい。後続車の様子が確認しづらいのだった。だけど最後方のパミが私や『エル』の様子を念話で送ったり、時には視覚情報を送ったりしていれば? だから私はゆったりと安心して走れた。ちぃイリヤも『エル』と話しながら走っていたのなら退屈しないだろう。
マンハイムを迂回するよう、61号線から6号線に乗り換えたら、ミトの作り出すペースが少し早くなった。速度は110kmくらいだけれど、アクセルを握る手が痺れてくるほどの振動だ。帰ったら各所のネジ類を増し締めしないと、その内パーツが落っこちそう。
『イリヤ、合格したよ』
『やったね、おめでとう』
弓道部での仲間だ(親友の薫ではない。あちらは免許を持っていない)。その子も原付免許を持っていたし、私が大型免許持ちで、普通免許時代から400ccや250ccに乗っている事も知っていた。それで自分も普通免許を取って400ccや250ccに乗りたいと思っていたのだそうだ。そこで大学受験の合格発表を待たず、受験の翌日から教習所に通い、ドイツに来る前に報告の電話があったのだ。大学も合格、免許も取れたと。それで彼女の候補は250ccならエストレヤで、400ccなら『SR』だった。
『妹のマネ?』
『半分はそう。でもエルヴァ、750に乗り換えたでしょう? なら冬木の『SR』は私だって、そう思うようになった』
だから日本に帰ったら彼女の『SR』と会えるだろう。白が欲しいと話していたっけ。だけど……。
『高速道路を使っての旅バイクじゃないですよ? 半径100km以内をトコトコ走る、お散歩バイクですから。あのエンジンから伝わる振動とキックだけの始動、2年おきの車検と税金を気にしないなら、お好きにどうぞですけど』
私がセッティングした喫茶店で、なんて事を『エル』に言われていた。
『親がさ、車検のある方が安心だって』
これには『エル』も私も感心していた。勿論、親御さんの考えにだ。そうなのだ、バイクも生モノなのだ。納車されたその日から中古となって、乗らずともオイルやガソリンは日々劣化していく。置き場所次第だけれど、1日経てばホコリも溜まるし、コマメに拭かないとエンジンやスポークが錆びていく。
メンテナンスの初歩の初歩だ。この先にオイル交換やキャブの掃除、各所のネジの点検や増し締めがある。小学生時代や中学生時代に自転車がサビサビだった人はバイクを買わない方が良い。どうせそういう人はすぐに飽きて乗らなくなり、業者に売ってしまう。それは余りにもバイクが可哀想だ。凍結の魔術が使えない普通の人こそ、マメな点検と掃除をしてあげて欲しい。
それで先頭を走るミトのバイクはピカピカだった。何年乗っているのか知らないけれど、このヤレ感のなさは凄い。アンダーカウルが追加されているのはとぐろを巻くエキパイ隠しだろう。だけれど、離れているからか不思議なほど排気音が聞こえない。だけど『エル』の音と自分の音だけはやたら良く聞こえた。ヘルメットを通して聞くからだろうか?
『あのアンダーカウル、塗装で騙されますが魔術で強化された薄い鉄製です』
『鉄? 重量増は置いといて、どういう事?』
『エル』からの念話だった。
『チャンバーです。V字になった部分でエキパイを隠していますが、グルッと回って1番と4番が左、2番と3番が右といった具合で膨張室と繋がっているようです』
え? アンダーカウルのV字部分が膨張室なの?
『はい。それも左右の側面全部が。そこで排気を膨張させて、排気干渉を消しつつ低速トルクを稼ぎ出しているのでしょうね。そして集合した後も外から見えないV字の部分でとぐろを巻かせ、最後はサイレンサーに。そりゃ、排気音は小さくもなるでしょう。その代わり、ピークパワーはかなり落ちていそうです。もしかしたら60馬力あるかないかでは?』
『面白い事をするのね?』
『ストップ&ゴーの多い街用に特化させたのだと思いますが、どうして4気筒でやろうと思ったのか。排気量の大きな2気筒や単気筒の振動が嫌いなのかな』
『前からそうだったの?』
『いえ、そういうのは感じませんでした。ですから何か私達では気付けない目的があるんでしょうね』
そこからは6号線を淡々と走った。目の前には『エル』の背中でなく、ちぃイリヤの背中。だけど目が行くのはちぃイリヤの背中でなくヘルメットだった。多分数年前の、こっちで使っていたヘルメットを貸しているのだろう。日本で見た憶えのある図柄だった。俵屋宗達の風神雷神図をモチーフにした風神だ。それが真っ黒なジェット・ヘルメットの後ろに大きく描かれていた。
あの子は雷神バージョンも持っていて、今はサーキットで使う『arai』のヘルメットでしか、このいかつい風神雷神は見ない。街中で使っている『SHOEI』の中には、まるで『AGV』にあるようなポップな図柄で女体化された雷神(?)が描かれてたものがある。誰がどう見ても仙台辺りの方言を語尾に使う例のキャラなのだが、妙にリアルなそのイラストは本人がコスプレした写真を下敷きにして、イラストに本人が描き起こしたものだった。
自分で虎縞のビキニを着、角をちょこんと頭に付けポーズをとって、デジカメでセルフ撮影してパソコンで加工。その画像を見ながら自分でエアブラシを掛けたのだ。おバカな事でも本気で取り組み、それなりのレベルのものを作ってしまうこの行動力には恐れ入る。ちなみに私は自分のサーキット用ヘルメットに、東大寺南門の金剛力士、それの阿形像をモチーフにした上半身を描いている。
『違いますよね? 東大寺じゃないでしょう? アルさんにポーズを取って貰って、その画像をイラスト起こししたんですよね?』
『ち、違うわよ!?』
『街中のは、そのイラストがおチビちゃんになってますし』
『あの子のヘラクレスって可愛くない?』
『可愛いですね』
うん、可愛いは正義なんだよ。
それで次に目が行くのがナンバープレート。別名ユーロプレートだ。クルマに付けると横長でカッコいい。なのにバイクだと2行になって大きいし、正方形に近くなってダサい。このナンバープレートのせいでユーロのバイクは後ろ姿がカッコ悪い。ところでこのプレート、同じユーロ圏でも国ごとに微妙に違う。その国オリジナルの文字配列になるのだ。共通してるのは左の青地の部分。ここにユーロの丸くなった星が黄色で入り、その下に国名の頭文字が入っている。ドイツなら『D』だ。
もっと詳しく言うと、ドイツの場合は次に来るアルファベットが車両を登録した管轄区を現している(日本で言う『横浜』や『神戸』、『なにわ』などだ)。エッペルハイムもプランクシュタットもハイデルベルク市(日本風に住所を言うとこうなる。ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡ハイデルベルク市)なので、そこのアルファベットは『HD』となる。だから会社のあるゼッケンハイムはマンハイム市の管轄なので、パサートはそこが『MA』だった。
その次に車検の有効期限のシールと州の紋章となる。問題はその次で、1~2文字のアルファベット、1~4桁の数字となっていて、ここが空きさえあれば結構好きに取れるのだ。なので『エル』は『LS650』と車両の正式名称を入れているが、全部が1行のクルマの場合、管轄区のアルファベットと繋がるように語呂合わせをしてくる人もまま見受けられる。例えばフランクフルトなら『F』なので、アルファベットで『AX』を選んで『FAX』にしたりだ。だけど2行のバイクなら、車両の正式名称を取る方法はアリだと思う。これ即ち、ハイデルベルクだと同じサベージに乗る人は後から取れないという事だからだ。私の借りているこのバイクも『HD-SR500』だ。やるね、パミ(もしかしたらミトが取ったそのままの可能性もある)。
だけどパミが言うには複数台持つ人や会社などは、個人の頭文字や会社の略称を選んで好きな数字や通し番号を使う場合が多いらしい。例えばパミ達の会社の略称は『EVE』だけど、2文字までなので『EV』にして通し番号にしたり、ミトなら『ME(Mito Von Einzbern)』と通し番号、パミなら『PE(Pami Von Einzbern)』プラス好きな数字といった具合だ。当然ながらこの好きなアルファベットと数字の組み合わせを取るには別途料金が掛かる。ただし、タブーなアルファベットや数字もある。それは『AH(アドルフ・ヒトラー)』や『HH(ハイル・ヒトラー。これを数字で表すと『88』となる)』などだ。
この『臭いものに蓋』という心理はわかるけれど、学校で手を挙げるのも真上や前は駄目というのは行き過ぎだと思う。でもそれが地続きな他国への贖罪でもある訳だ。だから知らないならどうこう言わない方が無難だ。また普通に申請すれば、管轄区で使われている順番通りの組み合わせなのは日本と同じだ。
やがてミトはカイザースラウテルンに入る前にウィンカーを出した。私達はバイパスでアウトバーン6号線にサヨナラして、州道なのか郡道なのか知らないけれど、48号線という道を南下した。6号線からの景色も素晴らしかったけれど、対向車線は日本ほどじゃないけれどクルマやバイクが、かなり連なっていた。通勤時間だものね? マンハイムやフランクフルト、シュトゥットガルトに向かうのだろう。ご苦労さまです。
それで今走っているこの48号線も景色が良い。クルマは少ないし、ところどころで出逢う集落は思い描いた通りの家が並び、集落以外は春めいた草木が辺りに広がっていたからだ。こういうありふれたドイツを見たかった。その願いが叶った私は大きく息を吸い込んだ。春の息吹は妹の出す排ガス臭かった。降りてから吸えよ、私!
そんな楽しい道を十数km走って左に入った。そこからは地面こそアスファルトだけど、景色は林道だった。午前中の木漏れ日が地面に様々な模様を描いている。ヘルメット越しにも樹々や草花の春らしい香りが感じられた。そんな道を数km進み、今度は左にあった脇道に入った。すると数百mも走らず、門柱のあるどこかの敷地に入った。その他のクルマやバイクが止まっている広場で、ミトがバイクを止めた。ちらりと見えた看板には『イヴ牧場』とあったから、会社の経営する牧場なのだと思う。
「牛さん達に食べられる前に採りましょう」
ヘルメットを脱いだミトがそう言った。やっぱりかぁ。バイクをロックして、押し潰された髪を整えた。
「ぺちゃんこだよ~」
「はいはい」
『エル』はどこからともなくブラシを出して、風の魔術を送りながらちぃイリヤの髪を整えてあげていた。それで一行は事務所に挨拶した。そこで私達はものすごい歓迎を受け、殺菌が終わったばかりの搾りたてミルクを頂いた。
「お、美味しい……」
『牛乳を噛む』という表現があるが、まさにそれだ。ミトが立ち寄った理由を、その背の高い事務員さんに説明していた。
「これ、毎日飲んだら背が高くなる?」
「勿論ですよ」
そのチャーミングな事務員さんが、ちぃイリヤにウインクしながら請け負った。シロウさんが『乳製品は体に悪い』と言ったのは、日本製はその殺菌の仕方と流通過程に問題があるからだった。スーパーなどで並ぶ牛乳は薄められているし、防腐剤が使われていそうなそれは、絞ってから何日目なのか。その表記も怪しいものだ。おまけにタンクの清掃をキチンとしているかどうか。大手のところほどそういうのが杜撰なのは、日本人なら知っているだろう。
「今朝のミルクって、ここの?」
「そうですよ、お姉さん。ヴルストもハムも卵もこの牧場に近いウチのところの製品です。チーズもここのでした」
ああ、チーズも作っているんだ?
「運んでくれたのはあなた?」
「いいえ。メイドの誰かでしょう」
パミがそう答えてくれた。
以前『エル』が話していた。国を跨いで手広く商売はしているが、牧場が手に入らない場所だと諦めると。最初から大量生産を目指していないのだ。また、余りに遠くへ運んだりもしない。生モノなら新鮮で美味しいもののカタチや見栄えを整え、運びやすい容れ物に詰める程度で、長持ちさせる加工や薬品を使わない。素材の美味しさをそのまま家庭に届けるのが『エル』達のモットーなのだった。
だから食料品部門は地産地消を目指し、牧場の自社経営に拘っていた。とは言え、缶詰やパックの商品や半加工食品にも注力していた。それでも食料品部門の売上げは、鉱山部門や通信部門のケーブル敷設が出す数字より低かったらしい。だけど食べ物は文化だ。そこを疎かにしてはいけない。
なので自社サーバのホームページに、お薦めレシピを掲載し、購入者のオリジナルレシピもバンバン取り上げていた。また、カメラを何台も使った、マルチアングルの料理動画もアップしていた。
そしてその動画サイトが凄いのだ。おまけのサービスとして、旅先の風景や食べた料理などをリポートしたカテゴリや、自転車やバイクでツーリングした時のリポートに出先で食べたものを紹介するカテゴリ、テントを張ってキャンプをしたリポートと作った料理を紹介するアウトドアのカテゴリもあり、それらが無料で視聴できるのだった。
しかも字幕の言語は多言語対応。本人は基本英語かドイツ語で話しているけど、ついクチをついて出る良くない言葉は日本語で話していた。こういう切り替えが編集を減らすと思うのでお見事だ。極寒のロシアでのキャンプや、フィンランドの森でのキャンプファイヤー、そこに映し出される風光明媚な景色。日本で温泉旅館に泊まり観光名所を歩き、旅館で食事を摂る回もあれば、お寿司をカウンターで頂く回もある。説明欄にはマナーやエチケットも書かれたそれらは、欧州だけで軒並み1億回以上の再生数があった(私が日本から視て確認済み)。
個人的に面白かったのは大阪での食べ歩きの回かな? リポーターは中等部の1~2年生頃の『エル』で、撮っているのはミトやパミじゃない。多分お兄ちゃんかアサシンの誰かだろう。場所は『なんば』で朝の7時頃だ。いきなりお店に入り食券買うシーンからそれは始まる。そこにナレーションと字幕で券売機の説明と、ボタンごとの解説が入る。
『今朝はきつねうどんとかやくご飯を選びました。きつねとは、薄く切った豆腐の水気を取りさり、芯まで火が通るよう油で、二度三度と揚げた薄揚げを、更にダシや味醂に醤油といった調味料で煮たものです。お寿司にある稲荷寿司の皮ですね。ところで日本ではきつねは神様の御使いだという信仰がありまして、その御きつね様を御稲荷様とも言います。ですので日本を観光すると神社と似た作りの稲荷神社もたくさんあります。そんな彼らの好物が、この薄揚げを甘辛く煮たものなんですね。なのでこのトッピングをきつねと言い、トッピングしたうどんをきつねうどんと言うんですよ。北陸の方だと稲荷うどんです。ですが、パスタをうどんでなく蕎麦にしたらたぬきと名前が変わります。ところが東京などですと、トッピングは同じなのだからきつね蕎麦となります。そこでメニューをよく見るとたぬき蕎麦にたぬきうどんもあります。こちらはトッピングがきつねでなく、揚げ玉になったものです。おそらく皆さんもその方がわかりやすいと思うでしょう。でも大阪の人は違います。そちらをハイカラと言って区別しています。もうこれはエスカレータのどちらを開けるべきかのローカルルールとして受け入れて下さい。幸いこのお店はメニューの出来上がり写真が店頭に貼られています。それを参考に選びましょう。ちなみに1.5ユーロで約200円です。ええ、激安でお腹いっぱいになるお薦めのファストフードですよ』
なんて事を字幕とナレーションで延々と語るのだ。それでアジアに来たらまず麺類だと説き、味の濃いラーメンでなく、ダシの効いたうどんや蕎麦の旨味を憶えて欲しいと訴える。そしてそこで昆布から採った『旨味の素』という自社製品の紹介が入り、リンクを押せばその商品のCMに切り替わるのだ。
この動画、かやくご飯の事も事細かに紹介しているし、作り方へのリンクもあれば、うどんや蕎麦の打ち方までがサイトにはあるのだった。あまりに面白いので次から次へと観てしまう。気付けば3時間くらいぶっ通しで観ていたのが高3の冬だった。つまりそこで初めて知ったのだ、妹がこんな事をして動画を溜め続けていたのを。
『同じ事は誰もが考えます。誰が先に特許を取り、稼働実績を上げるかですね』
それを2004年の12月頃に話していたのだ。7歳頃から撮り溜めたそれらの映像も今はデジタル・リマスターされ、当時の『エル』やパミがそのまま写っていた。だから『建機のマスコット』のあの子は、イヴでリポーターをしている子達なのかという鋭い問い合わせもあったそうだ。そしてこの十数年と撮り続けた映像が、良いコマーシャルであり、新たなビジネスを展開できるコンテンツでもあった訳だ。
今はそっち方向にも手を伸ばそうと、ミトなんかはキャブレターの清掃手順を撮った動画や、鉱山部門にある巨大な建機を操作するシーン、運送部門のトラックドライバーの密着リポートなども上げていた。ゆくゆくは一般の人も気軽にアップできる動画サイトを立ち上げる計画で、そこでは他社の広告を掲載する事で採算が取れるようにし、広告代の一部をアップロード者に還元できるシステムを構築中なのだそうだ。
今、私達は事務所の建物の奥にあったゲートから柵の中に入って、牧場を斜めに横切っていた。それは柵の脇にある小路を歩くと山菜の穴場に行くのに遠回りになるからだと『エル』が言ったからだった。丘陵地帯だから、牧場の放牧場はモコモコといくつもの丘が連なっていた。それでそういう丘に牛達が見える。事前に驚かさないよう静かに歩いて欲しいとミトから注意があったから、皆んな黙々と歩いていた。ただ、ちぃイリヤは声こそ出さないが、ワクワクが止まらないのが丸わかりだった。その内、3頭ほどの牛がこっちに寄って来た。
「ひゃっ!」
「小さなお姉さん。静かにしていれば何もしてこないですよ。私達に興味が湧いて寄って来ただけですから」
そうパミがちぃイリヤに説明した。寄って来た牛は乳がでかい。肉牛でなく乳牛の放牧酪農かぁ。健康そうで、何の悩みもストレスもなさそうな顔をしている。だからここの牛乳は美味しいんだろうね。
「日本も、戦後アメリカから入った舎飼いですからね。あんな狭いところで犇(ひし)めき合って。ストレス、溜まりまくりでしょう。ですがここはこういう放牧場をローテーションして使っていて、牛達の糞でビタミンとミネラルたっぷりの草が生え、また彼女らがそれらを食べて糞をし草を伸ばします。だから牛乳が濃く黄色味掛かっているんですよ」
黄色いのはビタミンAが豊富だからだそうだ。確かに遠目だとわからないけれど、あちこちに糞が落ちているし、結構臭い。だけどどの牛も健康そうで病気なんて無縁に思える。狭い畜舎だとストレスも大きいだろうし、病気が蔓延しやすい。だから飼料となる餌に抗生物質などが含まれていたりするのだ。美味しいと思えた冬木の牧場から買っている牛乳の何倍も美味しい牛乳と、その牛乳から作られるチーズ。
「スイスだけじゃないですよ? ドイツもこのような放牧酪農はそこそこあります。国を上げてこういうのを徹底してるのはニュージーランドくらいですが」
「ニュージーランド。じゃ、オーストラリアも?」
「あっちは肉牛の方が多いです。国土面積の割に草原地帯は少ないですし。ですので土壌改善から始まるので初期投資が大きいです。そこもあって利鞘の大きい肉牛なんですよ」
ああ、そういう事か。やがて柵が見えた。『エル』やミトはそこを飛び越えた。手伝って貰いながら、私やパミにちぃイリヤも放牧地から出た。そこは森というか林の前で、樹々の向こうに別の放牧地が見えた。食肉牛用か乳牛のローテーション地かはわからなかった。だけど相当広いのはわかった。越えた柵の周りにタンポポやツクシにワラビが生えていた。
「帰りは柵に沿って帰りましょう」
なるほど。そういう段取りなのね。そこで森の中に入れば小川があった。本当だ探さなくても山菜だらけだ。『エル』の話だと、この森の中にも小高い場所があり、その丘に行けば行者にんにくが採れるらしい。だけど行者にんにくは『エル』に任せた。ドイツのは違うかも知れないけど、サフランと間違って食中毒を起こすと耳にしていたからだ。
「こういうので良いの?」
「はい、それがフキノトウですよ」
持ってきていたのかなぁ。日本の軍手をちぃイリヤに渡した『エル』は、肘に掛けたビニール袋(これも日本のだろう)へ、せっせと採った山菜を詰めていた。そのまま、ちぃイリヤと丘の方へ行ったから行者にんにくを採りに行ったのだろう。意外だったのがパミとミトだ。
「いや、そういうのがあると知識にはありますけど、採った事も食べた事もないですから」
ん~……。それはそうか……。なのでコゴミを見つけたので、それを探して欲しいと頼んだ。コゴミはゼンマイと似た、くるっと先が丸まった山菜だ。見分け方は綿毛があって少し茶色いのがゼンマイで鮮やかな緑色のがコゴミ。このコゴミはアク抜き不要なので、今日にも食べられる。
やがて袋がいっぱいになったので、私達は休憩した。柵に沿った小路に出ると排気音が近づいてきた。
「この音……?」
グラトラ(グラストラッカー)そっくりだ。それらのバイクが私達の前で止まった。5~6台はありそうなそれらはジェベルとバンバンだった。あれ? でもジェベルは角目だ?
「ご存じないですか? 日本にはないのかなぁ。スズキの『DR125SE』とその後継機種の『RV125 VanVan』ですよ」
え~。このジェベルとバンバン、125ccなんだ? っていうか輸出用だったのね。オーストラリアで見掛けるアギ・モデル(農業用)じゃなく、こういうのがあるんだ? ドイツ向けなのか、欧州のいくつかの国で出ているのか知らないけれど、面白いわね。というのはこっちだと16歳で取れる免許がモペット(50cc/AM/一部の国では14歳から/3輪含む)か、125cc(125cc以下/A1/3輪含む)だから、ファミリー特約はないけれど、若者向けの熱いバイクがやたら多いのだ。
中でも有名なのは『Cagiva Mito』と『Aprilia RS125』だろう。ユーロの厳しい排ガス規制で年々馬力が落ちてるけど、今だにフルカウルの2スト・スポーツを出し続けているのだ。わかりやすく言えば『Honda NS-1』が今も売っているって感じ。私も90年代の『Suzuki RGV-γ250(SP/VJ23A/LUCKY-STRIKE)』と2002年製最終型『Aprilia RS250』を持っているし、乗っていたから『日本の2スト史』は知っている。欧州の知識はイマイチかも知れないけれど、アメリカ人が『VJ23A』に『RG500γ』のエンジンを突っ込むキットを販売していたのは知っているし、ロッシを見出したのが『Aprilia』というのも知っていた。だから『Aprilia』と言わず、イタリアの2ストは熱い。
「ボス、誰だとびっくりしましたよ」
「ごめんなさい。事務所には声を掛けてあるのよ?」
ヘルメットはお椀型かジェットヘルだし、顎紐を留めてない人も居れば冠っていない人もいた。私有地だから良いのか。パミの説明だとこの人達は牧童らしかった。住み込みの人や通いの人もいて、毎日いくつもある牛舎を開いて放牧させ、それらを掃除して回るそうだ。それが乳牛だけでなく肉牛の牧場でもだから、バイクが必要なのだ。なお搾乳の牧童は別にいるらしい。見送ったユーロプレートには『DÜW』とあった。この辺りの管区の略称だろう。
「搾乳の人が別なら人件費嵩まない?」
私はパミに訊ねた。
「そうでもありません。ここで働いて下さる人達全員が、本部で働いて下さっている社員の祖父や祖母です。ですからパートタイム代は想像以上に安いですよ」
「はい? さっきの人達、皆んな若い人ばっかりだったじゃない?」
「いいえ、あれは人形(素体)です。高齢で重い病気を抱えた人や、寝たきりだった人達に若く健康な肉体を与えて、のんびりと働いて頂く……。先程も言いましたが、皆さんの息子や娘に孫が本部で働いていてくれている訳です。つまり、アインツベルンの親族です。秘密が厳守できるなら、そういう余生があっても良いのでは?」
病気を抱えたつらいだけの晩年に新しい肉体を……か。以前、『エル』が話していた。どう見ても救からない人や、病気で生涯外に出られそうにもない人、被差別的な迫害を受けている人と契約し、秘密厳守できるなら人形(素体)の身体を与え、別人として暮らして貰っているみたいな事を。パミが言う人達は、身内の人が社員である前に一族内か一門の人だろう。だからまだわかる。だけど『エル』の場合は一般人もって事でしょう? それってどうなのかなぁ?
神秘の秘匿の話じゃなく、一見美談っぽく聞こえる内容のその先の話。暗示や人心掌握が抜群に上手い子なんだよ? 最低限の食事、最悪は魔力を送れば食事なんてしないで済む身体(人形)にもできてしまえる子だ。『エル』がどうこうでなく、そういう魔術を後々の世代に残して良いのかって話。給料なんて雀の涙で、奴隷のように扱う人が出て来ないか心配だ。信用したい気持ちはあるけど、未来のアインツベルンまではわからない。悪用しようと思えばいくらでも悪用できるのが魔術だからね。
そんな事を考えていたら、『エル』とちぃイリヤが戻って来た。袋がパンパンだ。しかもにんにく臭い。ちぃイリヤが興奮気味だ。
「大量に採れて嬉しかった?」
「それもあるけど! イリヤ、鹿さんだよ、鹿さん! それとパンが走ってた!」
何だって?
「ドイツにも鹿って居るの?」
思わず『エル』に訊ねたら、大きく頷いた。
「ヘラジカ、アカシカ、ダマジカ、ニホンジカ、ノロジカ……色んな種類が居ますよ。ちぃ姉さんが見たのはノロジカでした」
成獣でも20kgくらいの小さな鹿らしい。ニホンジカまで居るんだ? へぇ~。
「じゃ、パンって?」
「ウリボーですよ。ご自分も子供の頃、パンだと言ってたじゃないですか」
「あ~」
思い出した。冬木で初めて見てパンと間違えちゃったんだった。驚くなかれ、あの郊外の森の周囲は野生のイノシシとシカの宝庫だった。『エル』は子供の頃、アルトリア姉さんとぼたん鍋を食べた事があるという。きっと第四次の思い出だろう。だけど、そこの森にもイノシシが居るんだ?
「あなたが居るから大丈夫だと思うけれど、危なくない?」
「普段はこことは違う、もっと森の奥で暮らしています。春なので出て来たのでしょう。ですけど、牛達に変な事をしない限り、そのままですね。作物を育てている農家は遠いですし、あちらなら駆除されます。この広い森はイノシシやシカのパラダイスですよ」
そこでミトも教えてくれた。こちらの州は知らないらしいが、バーデン=ヴュルテンベルク州だと、主にシュヴァルツヴァルトの辺りで、昨年だけで2万4千件以上もの野生動物とクルマとの衝突事故があったそうだ。よくわかっていない観光客との事故もあるし、バイクとの事故も多いという。それでこちらの森を走るのだとか。
パミの解説によれば、ドイツ全土だと20万軒以上の野生動物との事故があり、その被害額は実に5億ユーロ(70億円以上)だという。
「ノロジカも、ドイツ全体で毎年100万頭は駆除されています。農業や林業に携わる一次産業従事者と、動物愛護団体、自然保護団体がせめぎ合っています。これはヨーロッパなら、どこの国でもそうですよ」
「そうなんだ……」
『イリヤ、オレ達は家畜や魚の命を奪って食べないと生きていけない。だから生命に感謝し、そういう職に就いてオレ達に代わって生き物を殺してくれる人達に感謝しないと駄目なんだ。だから『頂きます』って言うんだよ』
シロウさんの言葉だ。『どうして『イタダキマス』なんて言うの?』と日本に来たばかりの頃、不思議だった。それに対する答えだった。
『魚が人の言葉を話し包丁を入れたら『ぎゃ~』とか、『痛い』とか言ったら、オレは発狂してただろうな』
これはお料理教室が始まった頃で、『二枚おろし』や『三枚おろし』を教わった時の言葉だ。動物愛護の気持ちもわかるし、畑を荒らす害獣を駆除するのもわかる。
『私達は葛藤する事で、『人らしさ』と『贖罪』を手に入れている』
とは『エル』の言葉だけれど、どちらの立場にも立てないならそういう考えになるのは当然だろう。私達はワラビやツクシを採りながら事務所に戻ったのだった。
事務所の前には先程の牧童達が乗っていたジェベルやバンバンが止まっていた。中に姿が見えなかったから、もう帰ったのだろう。手を洗わせて貰い、お茶を頂いた。イヴのお茶で美味しかった。
そろそろお暇と帰る段になって、『エル』がバンバンに一度跨ってみろと言った。
「どうして?」
「勘です。きっとエルヴァが倫敦でこれに乗り始めます」
並行世界の妹は来月から、あちらの時計塔で講師だ。ああ……あの子がバンバンに乗るんだ? そう聞いてミトやパミも交代で、もう1台あったバンバンに跨った。それでエンジンに火を入れ、駐車場内をノーヘルで走り始めた。それを見て私も走った。結構面白い。そっか、これを選ぶのか……。
「125ccは便利だよね?」
「うん。でも私はロードばかりだったなぁ」
元の場所にバイクを止めたパミとミトだった。キーをパミが事務所に返しに行った。
「ミトはどうしてロードタイプばかりだったの?」
「名前ですよ。名前が同じだからって『Cagiva Mito』を皮切りに……」
ミトが『Mito』を持っているとは聞いていたけれど、『皮切り』という言葉に驚く。聞けば最初は50ccの『Aprilia RS50』から始めて、『A1』免許を取って『Cagiva Mito』の『Evolution I』を手に入れたという。そこから『Evolution II』や『Aprilia RS125』『Honda NSR125』『Yamaha TZR125』などなどを買い漁ったそうだ。全部2ストじゃない。
「2ストが好きだったの?」
「今でも好きですよ。でも、もう手に入らなくなって来ているでしょう? 『Aprilia RS250』はもったいないから乗れないし……」
あらららら……。前期型の『LD』を1台と、後期型の『LDA』の2台両方を秘蔵していると教えてくれた。
「私も『LDA』を持っているのよ。日本で売られていた最終型。それと『RGV-γ250』の3型と」
「うわ、良いなぁ」
それで意気投合した私とミトは、帰りに念話で話そうとなってパスを少し強めた。今までも挨拶のキスはしていたし、『エル』と同じ妹と考えていたので抵抗はない。というより『エル』とチャンネルがほぼ同じのようで、簡単に通った。
だから帰りは思い出を色々話してあげた。
私がガンマを手に入れたのは高1の初冬で、モンスター(ドゥカティ)の事故から立ち直った後、イナズマを手に入れる少し前だった。その頃にⅢ型なんてもう売っていなかった。だけどそんな矢先にルオンさんが、ラッキーストライクのそれに乗っていて、ひと目で惚れた。あの排気音とシュンと加速していく後ろ姿に痺れたのだ。だから半ば無理だろうと思いつつも、譲って欲しいと頼んだ。すると意外なほどアッサリだった。
最初は同じ鈴菌仲間であり、私を罹患させた張本人でもあるからと思っていたが、メーター読みで走行距離が3200kmの97年製って事は無いだろう。思い浮かぶのはルオンさん自身のコレクションか、『エル』のコレクションだ。
その頃の私はバイク熱が戻っていたので、アドレス、グラトラ、ルオンさんから頂いた『SV400S』、アルトリア姉さんから頂いた『GSX-R1000(K1)』を持っていた。ここからわかると思う。皆んな、事故で愛車を失った私を気遣ってくれていたのだ。だから感謝の気持ちは今も大いにある。なのに『譲って欲しい』と頼む私も大概だ。けれど結果はアッサリだった。しかも60万の分割3回ある時払い。貯金もあったけれど、そちらには手を付けず、モデルとナレーションのお仕事できっかり返せた。
この後のイナズマは先生の課題から選んだ車種だ。夏に北海道へツーリングに行こうと『エル』が言い出し、そこに私と学生メイドのトントと凜(『エル』の後ろ)が乗った。それで先生が『行くなら空冷にしなさい』と言ったのだ。シロウさんの入れ知恵だろう。『魔術を使って良いから、できる限りガソリンを使うな。ただし宝石剣や魔杖は禁止』なんて条件が課せられたのだ。だけどヒントはアルトリア姉さんが持っていた。風の魔術でバイクをフェアリングで覆い、キャブを調整しながら走るのだ。だけど私に風は使えない。『エル』とトントと凜は使える。なので凜が私のバイクに魔術を掛ける事になった。残る問題は持続性、それも魔力でなく基盤だった。
魔術はマナがあれば可能という単純なものではない。取り込んだマナをオドに変換する魔術回路と、そのオドを魔術というカタチに出力できる魔術基盤が必要なのだった。そしてその基盤は世界を覆うとも言われるけれど、それはメロンの筋のようなもので、ミクロで観れば使えない場所はあちこちにあった。宝石剣が素晴らしいのは、並行世界のマナを得られるところじゃない。並行世界だけでなく自分の世界の基盤にも接続でき、どこでもそれを使えるところにあったのだ。あれを造れば並行世界を渡れると思いがちだけど、渡るには根源が必要だ。宝石剣はそういうのじゃない。マナの枯渇した世界でも魔力を得られ、基盤の壊れた世界でも基盤が使え、必ず元の世界に戻ってこれる安全装置だったのだ。
だから4人で散々考えた。そこで『エル』が奇想天外な事を言った。霊地の土で泥団子を作ろうと言ったのだ。だけど霊地に存在する、ある特定の土は、長年マナに晒され魔力を持つ事が知られている。なら、基盤もという訳だ。それであれこれ試し、遠坂の崖の土、神社の裏手にある土、柳洞寺の裏庭に出る秘密の坂道の土が使える事が判明した。そしてそれらをミックスして作った泥団子が1個で約1時間保つ事もわかった。それをリュックに詰めて私達は出発したのだ。使ったのは僅か1回だったけれど(日本はある意味列島全部が大霊地だ)、大いに勉強なった旅だった。
まぁ、そこはおいてもイナズマは97年発売で最終は2001年だ。売れ残っていたとルオンさんが見付けてきてくれたのだけれど、最終年に発売されたのは黒とシルバーだった。なのに私のは初年度にしか無かった赤(キャンディ・アンタレス・レッド)だ。しかもバイク屋さんを通さず、ルオンさんが買ってきてくれたものだ。なのでこれもやはり『エル』が裏で動いたのだろう。
ちなみにトントは03年の『ZEPHYR 400Χ』を買った。その真っ黒でゴールドホイールのゼファーは『エル』が立て替えていて、トントは毎月2万円ずつ返しているという。これは当時1年生だったトントが、高等部を卒業する頃に完済できるようにとの配慮だった。実はトント、私達の1コ下でなく1歳年上だ。病気で2年学校に行けなかったと聞いている。
そんな事をミトに話しながら帰って来た。途中、結構大きなシカが道端に立っているのを見掛けた。