慎二兄ちゃんはスカウト活動を幼稚園の頃からしていて、ビーバー・カブ・ボーイ・ベンチャーと10年以上続けているベテランだった。それで使い古しの割り箸を集めているのは、そういうスカウトの後輩にキャンプファイヤーや飯盒炊爨の焚きつけに使ってもらうためだった。行き付けの立ち食いで取り置きしてもらっていて、溜まった頃に回収して洗って干して団に渡しているのだ。また本人もキャンプ・マニアなので自分でも使っていた。
そういうボーイスカウトやガールスカウトという活動があるのは知っていたけれど、以前は身近にやっている人がいなかったので縁がなかった。けれどここでは美遊がガールスカウトに入っているし、間桐の兄弟、遠坂司郎という『衛宮』じゃない並行世界のお兄ちゃんがやっていた。ただお姉ちゃんが言うのには、日本だと『募金を募っていたりする不思議な団体』程度の知識しかない人が多いようだけど、海外ではわりかしメジャーで、本部はスイスにあるらしい。また東南アジアの国だとスカウトの日というのがあって、その日は学校にスカウトの制服で通ったりするそうだ。
だけどどうして冬木にって気持ちになる。そこが不思議でエルお姉ちゃんに尋ねた事があった。
『慎一さんの存在と私の存在でしょうね』
という返事だった。もともと聖杯戦争のせいで、およそ60年に一度の割合で家が倒壊したり燃えたりしていた土地だ。だから人々の防災意識が高く、ボランティア活動が盛んなのだそうだ。またどこでもこういう互助活動は、江戸時代末期や明治時代から始まるそうだけど、そこに青少年育成活動を絡めたのが『間桐臓硯』という慎二兄ちゃん達のお祖父さんだったらしい。
『どこの世界もそうだとは言いません。ですけどそういう臓硯だったから慎一さんという子孫が得られたのかも知れませんね』
これはリン(大魔導師)や凜(その弟子)も話していて、『間桐慎一』という存在はどこの世界にも確認されていないそうだ。それでついこの間までエルお姉ちゃんと美遊の並行世界存在も確認されていなかった。今はエルヴァお姉ちゃんやクロエのところに『エルヴァ』や『美遊』が居るとわかっている。また私達の元の世界の『美遊』や、クロエのところの『美遊』が、並行世界からスリップして来た子だとも判明していた。それと、ここの美遊は本当にお姉ちゃん達の妹で、瞳の色がアインツベルンらしく赤い。ママの希望で調整がかなり緩いらしく、パパの血が濃く出ているのだ。だからといって私達の知る『美遊』とそっくりになるなんてね? これも運命なのかな。
そんな風に居ないはずの人が居たりすることで、歴史が微妙に異なってくる。ましてエルお姉ちゃんみたいな行動力のある人だと、世界に与える影響が大きいからね。だけどお姉ちゃんに言わせると、慎一お兄ちゃんの方が凄いというか怖いらしい。凜の妹である桜の婚約者で、第四次聖杯戦争にバーサーカーのマスターとして出ていた人。お姉ちゃんも出ていたその聖杯戦争で何かあったのか、お姉ちゃんは今も慎一お兄ちゃんが苦手で敵わないという。
その慎一お兄ちゃんは、今は倫敦の時計塔だけれど、私とイリヤは2回ほど会っていた。それで『慎二の兄です』と言われて驚いた。慎二兄ちゃんなら男前だハンサムだと、別の言葉になるけれど、慎一お兄ちゃんのそれは違っていた。もう信じられないほどの美男子……というか美人さんだったのだ。弟の慎二兄ちゃんですら、『本当は姉ではないか』と疑うほどの美貌の持ち主で、高等部時代でも女の子と間違われるくらいだったそうだ。そんなだから『慎二の姉です』と言われても驚かなかったし、信じていたと思う。
そしてこの慎一お兄ちゃんは弟の慎二兄ちゃんが大好きで、とっても可愛がっていた。勿論、2人のお父さんも。だからなのか、お母さんのいない父子家庭だけど親子の仲も良く、3人とも人がとても良かった。そして慎二兄ちゃんは根性があった。
『初恋の人? それは決まってるよ。エル姉さんだよ。初めて出逢った日も覚えているよ』
そうなのだ。慎二兄ちゃんはエルお姉ちゃんに恋をして、思い焦がれて高等部の1年まで4~5回も告白したという。最初の告白は5年生の終わり頃で、6年生だったお姉ちゃんに校舎の裏で告白したという。告白に至った理由は卒業して居なくなる事が耐えられなかったから(初等部と中等部は同じ敷地内だし、校舎は隣だって)。だけどずっと幼馴染みだし、弟としか考えられないと断られちゃった。何より1年我慢すればまた同じ校舎だと諭されもした。それとこの頃のお姉ちゃんは慎二兄ちゃんより、凜の『重いくらいの心』の方が問題だったという。なにせ卒業式後の5年生による花道でも、『卒業しないで……』ってしがみついて泣かれたそうだから。
だからお姉ちゃんは凜に児童会長を任せると言って、胸に刺したコサージュも誇らしげに初等部を後にした。それで凜は翌年、慎二兄ちゃんと接戦の上で児童会長に当選した。こんな風に初等部時代からお姉ちゃんは、男女問わずモテたし、周囲の人に影響を残す人だった。
私達がこちらに慣れた頃、イリヤお姉ちゃんは『当時の私はエルの引き立て役でしかなかった』と悲しく豪快な思い出話をいくつも聞かせてくれた。5年生の自然学校では、オリエンテーリングで負け、飯盒炊爨で負け、秘密基地作りで負け……、6年生の臨海学校では、カッター訓練で負け、イカダ作りで負け、キャンプファイヤーのスタンツで負け、肝試しではとうとうエルお姉ちゃんに手をひいてもらって何とか帰れたという。運動会の組体操でも、塔の天辺でキチンとポーズを取っているのはエルお姉ちゃんだし、先頭でテープを切っているのもエルお姉ちゃんだった。
そんな何事にも全力投球で大活躍する人が、もの凄くチビだけど可愛くて愛嬌があったものだから5年生も4年生も憧れた。そこに追いつけ追い越せと凜と慎二兄ちゃんも頑張った。だから慎二兄ちゃん達の学年を、ここでの穂群原では『奇蹟の学年』という。そしてそこまで努力できた理由もまたしっかりある訳で。それは第四次聖杯戦争にあった。何とエルお姉ちゃんとアルトリアお姉ちゃん(当時はセイバー)の2人は凜の命の恩人で、慎二兄ちゃんも慎一お兄ちゃんからそういうのを聞いて育っていた。だから卒業間際の告白になり、『卒業しないで……』という涙の懇願になったのだ。
そこで偉いのが、慎二兄ちゃんだ。そのエルお姉ちゃんへの思いを諦めなかった。少し間を開けて中等部に上がってからと暫く待ったのだ。それで晴れて中等部1年になった兄ちゃんは、当時2年生だったお姉ちゃんを校庭の丁度いい場所で見掛けたので、これはチャンスだと一気に階段を降りたそうだ。で、校庭の隅まで行けば、3年生の男子がお姉ちゃんに告白していた。
『僕のエル姉さんに気安く声を掛けるな!』
大喧嘩になったそうだ。この頃のお姉ちゃんは既に生徒会長で、他の小学校から来た人も知っている有名人だった。そこを計算に入れていなかったと、兄ちゃんは大いに反省したそうだ。それでこれ以上纏わり付けば迷惑になると考え直し、再び間を開ける事にした。それでエルお姉ちゃんが中等部を卒業する前日、再び校舎の裏で告白した。いや、言葉を間違った。少し背が伸び、ますます綺麗になるお姉ちゃんに『夕日が綺麗だね』なんて言ってしまったのだ。そこを逆手に取られたのか手を握られ、『遅いから帰ろう』と促され、『好きだ』という間もなくバスで帰ってしまったという。哀しかったけれど並んで座ったのは初等部以来だったから、ちょっぴり嬉しかったそうだ。
それでその日以降、エルお姉ちゃんは慎二兄ちゃんをよく映画やお買い物などに誘ってくれたという。凜もいる場合があったし、凜の妹の桜が居た場合もあったそうだけど、そんな風に皆んなで集まるのも初等部の頃のようで楽しかったそうだ。これの真相はパパや巫女のお姉ちゃんから聞いた。理由はイリヤお姉ちゃんとママ、それとマーヤさんにルオンさんの反抗期にあった。イリヤお姉ちゃんはリアルタイムだけど、20歳を越えているように見える3人も鋳造年月はイリヤお姉ちゃんやエルお姉ちゃんと数年しか違わない。だから全員が思春期で反抗期だったのだ。それを『家族が崩壊しないように』と必死で自分を戒め、板挟みになっていたのがエルお姉ちゃんだったのだ。
『そりゃあ、酷かったのよ? お母様に顔を引っ掻かれたとか、イリヤに引っ叩かれたとか。あの頃は本当に大変だったんだから』
そりゃ大変だ。これを知っていたから、私はクロエ達のパパにそういうお話ができたのだ。そして家族を脅かした長いトンネルの先に光が見えたのが、その中等部の終わり頃だったのだ。だから卒業後の春休みは大いに遊んだのだ。それで育ちの良い(※)凜や慎二兄ちゃんの『立ち食い』初体験がその頃だった。では、エルお姉ちゃんはというと、初等部に編入する前に、慎一お兄さん達と立ち食いを体験済みだたったそうだ。
※)育ちが良いので、凜も慎二兄ちゃんも自分の肉親を『お父様』『お母様』『お兄様』と呼んでいた。これに近いのがお姉ちゃん達で、エルお姉ちゃんは『お母様』『お父さん』『姉さん』、巫女のお姉ちゃんとイリヤお姉ちゃんは『お母様』『切嗣』だった。このパパの名前の呼び捨てはパパがそう望んだかららしい。だからといってそれはオカシイからと、イリヤお姉ちゃんは第三者に話す場合、『お父様』『お母様』『父』『母』と使い分けている。だけど巫女のお姉ちゃんは今も『キリツグ~~』だ。でも、これがヘンだとは私もイリヤも言えなかった。だって私は『パパ』『ママ』だけど、イリヤは『お父さん』に『ママ』だ。なのでイリヤとは、『ここはイリヤお姉ちゃんを見習おう』と話してあった。
それでエルお姉ちゃん達が高1で慎二兄ちゃんが中3の夏前、当時高等部生徒会長だった高3の慎一お兄さんが、生徒会室から何気なく窓の外を見ていたその時に事件は起きた。ちょうど夏服の移行期間中で、校門前に着いたエルお姉ちゃんはひと足早く、真新しい半袖ブラウスだった。まだイリヤお姉ちゃんが生徒会長になる前の事だ。なので制服改革には少し早く、ポロシャツの人は誰も居ない頃だった。
それで余談だけれど、ここの学園は高等部女子のブラウスや初等部女子の冬服が、私達の元の世界やクロエ達の世界とは少し違った。例えば、前の小学部だとつけ襟(替え襟)の付いた上着だけれど、ここの初等部は襟のない上着の下にセーラー襟のブラウスを着て、その襟を上着の外に出すカタチだった。最初は驚いたけれど、着慣れるとこの方が体温調整がしやすいし、指定のセーターやベストと合わせられるので便利だった。困ったのは旧校内着と給食着だけど(どちらも幼稚園みたいなスモック)、幸いにもその校内着は美遊が新1年生になった春からポロシャツに替わっていた(つまり改革の最初は学園側からで、初等部からだったのだ。それを見たイリヤお姉ちゃんが高等部の改革に乗り出したとも言えるのだった)。
また高等部女子の夏服は裾をスカートに入れるタイプでなく、オーバーブラウスだった。それも左右の胸元に、ピンタックが3本づつ入った。これは真夏でも襟をきっちり上まで閉めるタイプの制服だから暑いだろうと、改革関係なく当初からそういうデザインだったそうだ。
そこはおいて、ともかくお姉ちゃんの話だけど、高等部では自転車通学を選んだお姉ちゃん達は、その脚力の差からいつもエルお姉ちゃんが校門に先着していた。なのでこの日もエルお姉ちゃんは、校門前でイリヤお姉ちゃんが追いつくのを、息を整えながら待っていた。バスからは高等部生がわらわらと降りて来ている。すると、人の流れがピークになりつつあった頃合いを見計らって、どこからか中等部の夏服姿だった慎二兄ちゃんが現れ、大勢の高等部生が居る前で叫んだのだ。
『エル姉さん! 好きです! 付き合って下さい!』と。
『おい、あいつ中等部生だぞ?』
『やるなぁ、誰だ?』
『あ! 間桐の弟だ』
『生徒会長の?』
それで大騒ぎになっちゃった。そこを人をかき分け校舎側から登場したのが慎一お兄さんで、道路側から『すみませ~ん、通して下さ~い』と現れたのが、自転車を押していたイリヤお姉ちゃんだったそうだ。それで慎一お兄さんは学生達に授業があるから校舎に入るよう促した。だけど誰もが、こういうのに食いつきたいお年頃だ。なので慎一お兄さんはエルお姉ちゃんに協力を求め、イリヤお姉ちゃんと慎二兄ちゃん以外の全員に暗示を掛けた。これは門番の先生にも、守衛室の守衛さんに対してもだ。
当然、放課後に慎二兄ちゃんは高等部の生徒会室に呼び出され、どうしてああいう真似をしたのか慎一お兄さんに問われた。
『慎二、お前がエルちゃんを好きなのはわかっている。聞きたいのはどうして、大勢の人が居る校門前だったのかだ』
『それをチャンスだと考えたんです、お兄様』
『うん? あ、既成事実化か?』
『はい』
『これはあの子の立場をキチンと話さなかった僕の落ち度だな……』
そこで慎二兄ちゃんは初めて知ったのだ。エルお姉ちゃんは、単なるアインツベルンのマスターの娘でなく、セイバーに魔力を送るマスターの1人であった事。僅か7歳にしてアインツベルン百家を率いる頭首(総裁)である事。間桐(慎一)の考えに理解を示し、新都の土地を買った際にできた莫大な借入金を肩代わりしてくれた事。その時に師匠である遠坂時臣に断りを入れて、アインツベルンというより、エルお姉ちゃん個人の眷属に間桐が入った事などをだ。これらを慎二兄ちゃんは今まで知らなかったのだった。
『お兄様、それじゃ桜ちゃんと……?』
『それは大丈夫。時臣師もエルちゃんを認めているし、水を扱えない師からも、そろそろ次の師を見付けなさいと言われていたんだよ。来年、僕は倫敦に行くから丁度良いタイミングだった。それよりも慎二、お前だよ。お前を傷付けたくないから黙っていたんだが、それが裏目に出たなぁ……。僕のせいだ、ゴメンな』
遺伝の関係なのか、慎二兄ちゃんには魔術回路がない。痕跡らしきものはあるらしけれど、魔術師にはなれない。慎二兄ちゃんの気持ちは知っているけれど、エルお姉ちゃんはそのアインツベルンの魔術師を率いる総裁だ。だから慎一お兄さんは言えずにいた。またエルお姉ちゃんも、幼馴染みの慎一お兄さんや慎二兄ちゃんの気持ちを知っているから、慎二兄ちゃんを傷付けないように気遣いながら断っていたのだった。
だけどここに来てそうも言っていられなくなった。と言うのは第12代アインツベルン総裁の候補が、お姉ちゃんより少し年上で、あちらがお姉ちゃんをお嫁に欲しがっていたからだ。だから『解決案や秘策』があると、後日慎一お兄さんにだけ伝えた。
『魔術回路がなくとも、他家を黙らせるだけの貢献を見せれば良いだけです。ざっと1億5千万ユーロ(日本円で200億近く)をアインツベルンに寄付する姿勢を見せれば。現状は『見せ金』で良いです。心意気が伝わるなら十分です。本当に必要な時は私が工面しますから』
そうなのだ。エルお姉ちゃんは、慎二兄ちゃんを嫌っても遠ざけてもいなかったのだ。弟としか考えていなかったというのも半分ウソで、それよりも、慎二兄ちゃんは魔力にあてられやすいと考えたのと、もう1つは慎一お兄さんにも明かせない、宝具『ラインの黄金』が身体にあるから、子孫が望めない身体である方がお姉ちゃんには問題だったのだ。
それでその停滞期間中に親族が動き出し、お姉ちゃんの結婚話が持ち上がっちゃった。だけどさすがはお姉ちゃんで、その問題を中等部時代に解決してしまっていた。要は自分をモデルとした、生殖可能な素体(人形=ホムンクルス)に意識を移す事をだ。そんな素体を中等部1年の頃に完成してしまったのだ。これはつまりアハトが1回しか成功しなかった、『ママ』レベルのホムンクルスをいつでも再現可能だという意味だ。ただし、この方法だと女の子しか産めないらしい。だから今も男の子が産めないか研究中なのだった。
また、ここからがお姉ちゃんだとしか言いようがないけれど、お姉ちゃんはお姉ちゃんなりに慎二兄ちゃんのチカラになろうと、あの手この手を使っていた。直接アドヴァイスやヒントを与えられないなら、他人になっちゃえば良い。男の子としての自信を与えるにしても、お姉ちゃんにはそういう方法が使える。慎二兄ちゃんが急にモテだして、知らない女の人と歩く姿を見掛けるようになったのが、ちょうどこの世界に私達が流された年の秋からだった。それらの女性の中身が全部お姉ちゃんだと知ったのは5年生の春頃で、正式な婚約が秋だった。遺伝子の相性、体や性の相性などなど全部調べ終えた後だったのだと思う。
そんな将来の義兄になる人と、バスで出逢ったのが今朝の話だ。
「その割り箸、洗ったの?」
私はリュックを指差して尋ねた。
「うん、お店の大将が今回は先に洗ってくれていたんだ。助かるよ」
ふ~ん、常連さんだしね。
「でも、高等部だとこの時間、遅刻じゃないの?」
「1時間目は英語なんだ。それで英語の先生……ウチの担任だけど、今日お見合いでさ。自習なのは先にわかっていたんだよ」
この英語の先生は藤村先生じゃない。前の世界だと私らの担任だったように、ここでも私の担任だ。これはクロエ達の世界もそう。だけどここの藤村先生は小学校教諭の免許とは別に英語教諭の免許も持っていて、産休に入るアルトリアお姉ちゃんに代わって、次の1年から数年、高等部と中等部で英語を受け持つのだとか。職員会議で決まったばかりだから、4月になって正式な発表があるまで、誰にも話せないんだけどね。なんで私が知っているのかって? それはママが食事時にペラペラ話すからさぁ。お姉ちゃん達に誰にも話すなと言われているんだよ。
だけど初等部の先生にも専門教科の免許を取ってもらい、中等部や高等部も受け持てるようにするというのは、数年前から学園が推進していた事だった。それは連携スキームがどうとか、スムースな何とかで隙間がどうとか話してくれたけれど、要は一貫校として、先生方が児童から生徒に代わっても、その成長をずっと見守っているという意味があった。もっとわかりやすく言うと、『そういうアピールポイントを強調して、受験生を減らさない』という事だった。
例えば、普通公立の小学校だと高学年の5~6年は担任が交代せずそのままの場合が多いと思うけど、私学の場合は代わる場合もあるらしい。だけどお姉ちゃんに聞いた話だと、ここの穂群原6年生は中等部進学を見据えて、6年生専門の先生が受け持つ事が多いのだとか。同じように1年生も専門の先生が受け持っていて、2年生から5年生は結構担任の先生が、学年が進むたびに入れ替わるという。だけどクラス替えは少なく、1~2年は持ち上がりで、3~5年は毎年クラスを替え、6年生は5年生からの持ち上がりになっていた。
これは5~6年生から中等部や高等部を見越して、簡単な選択授業が入ってくるからだった。それがコンピューター室での情報の授業であったり、英語の授業であったりするのだ。なのでこの世界の藤村先生は随分と重宝がられていたし、アルトリアお姉ちゃんも中等部や高等部だけでなく、6年生の英語を月に数回受け持っていたという。今の時代の先生は、本当に大変だ。
そうこうしている内に、バスは学園坂を上り切り、学園前に停車した。ブワッと吐き出される私達初等部児童や中等部の生徒。ごく僅かな高等部生は遅刻確定者だ。遅刻常連なのか、何でも体験した高等部生だからか、背の高い学生は皆んな、初等部生や中等部生に譲って最後にゆっくりと降りていた。もしかしたら、『どうせ遅刻なんだから年下の子に譲れ』という指導があるのかも知れない。下足室で美遊と別れ、自分達の階でイリヤと別れた。何とも不思議だけれど、4年の編入の時はイリヤだけでなく以前の仲間も同じクラスだったのに、5年から別のクラスだったのだ。
私はタツコやミミと同じ1組で、イリヤとスズカは2組、ナナキは3組だった。確かに皆んな話す機会は減ったけれど、仲が悪くなった訳ではない。それに以前より友達が増えた。前は隣のクラスなのに結構話せていた子、初めて同じクラスになったのにすぐに親しくなれた子、そういう子達に『そういうところがあったの?』って、新たな発見がある。だけどクラス替えで全然話さなくなった子もいた。
『自分自身と、自分達というグループを定義すればわかりますよ』
『定義?』
『要は人様からどう見られているのか、どう写っているのかです。クロちゃん本人と、お友達を含めた状態の2パターンでです。『あのグループ怖いなぁ』とか『けれど挨拶くらいだと、クロエさんは思ったより気さくで話しやすかった』とか。世の中、誰しもが社交家ではありませんし、静かな環境が好きな人もいますからね』
そんな風にお姉ちゃんに教えてもらった事がある。それはそうだよね。教室で会えば挨拶くらいは返してくれても、あまり人と話したくない人もいるだろうし、うるさいのや騒がしいのが苦手な人もいるだろう。世の中、そういうものだと思う。
だけどここで忘れちゃいけない事がある。まず私達魔術師は他人と関わる事を避ける人が多いという。それは交友関係が苦手だからでなく、お姉ちゃんが慎二兄ちゃんにそう考えたように、抵抗力のない一般の人の中には、魔術師の魔力にあてられて感情が大きく揺れる場合があるからだった。『あの人を好きかも知れない』『あの人は苦手だ』そういう軽い感情が、『あの人なしには生きていけないくらい好きだ』『あの人を殺したい』という具合に極端な感情となって現れる場合があったのだ。ただし、慎二兄ちゃんのお姉ちゃんに対するそれは、純粋なものだったらしい。だから『人とはそういうものだ』と受け止めつつも、同時に私やイリヤの魔力にあてられていないかも見極めないといけない。
魔術師とは、人のできない事ができる特権階級なのでなく、人のできないことができてしまう異端なのだ。だから日常で『隠さなきゃならない事がある』自分が、浮いていないかどうかを気付かせてくれるお手本が必要となる。それが私やイリヤの場合はミミとなる。だから今年も一緒のクラスだった私はお得だった。と同時に、どうしても私をお手本にしがちなイリヤに悪い例を示せない。弟子として、この1年間はたくさん教えて貰った。中には姉としての言葉や、私の年齢では早いと思うけど、魔術師としては知っておいた方が良い内容もあった。
まぁ、自分でもイリヤよりマセているという自覚はあるから、隠し事無く、正しい方法を聞けたのは良かった。何のお話かって? 想像通りだよ。爪はいつも綺麗に。手は洗いなさい。敏感な部分ばかり触って感度を鈍らせると、いざという時に困るぞとか。ちなみにお姉ちゃん本人(本体)は、ずっとヴァージンなんだって。それって『人形では体験済み』って事だよね? だけど自分の身を護る方法でもあるから、意識の分割方法は教わっているし、人形も1体預かっている。それで今朝からそっちの私は課題をこなすべくガレージにこもっていた。今の私だと自分と人形の2体操作が限度だ。
だけどこれを最低5体は扱えなきゃ、総裁候補にもなれないし、ホムンクルスの鋳造ができないと、総裁選考で必ず落とされるという。実はこれお姉ちゃんだけの専売特許じゃなく、マーヤさんもルオンさんも使える。でも、どちらも自分と人形の2体操作が限度らしい。そこがメイドの壁なんだとか。あ、ちなみに昨夜居なかったマーヤさんも、イリヤが言うには今朝居たそうだ。多分、昨夜の夜中遅くに帰って2度寝しているようだ。
お姉ちゃんが悲しむぞと言いたいところだけれど、実はお姉ちゃんの高等部卒業で乳母としての契約は満了なのだった。というか『恋人を見付けて幸せになって下さい』と高2頃から話してあった。それでマーヤさんはアーチャーのお兄ちゃんと、ルオンさんは焼き立てパン屋さんの職人さん(日本に住むドイツ系の若い職人さん)とそれぞれ付き合っている。まぁ、それで私は見事失恋した訳だけど、イリヤの方はシロウさんのところで居候しながら働いている、セイバーや小さいお姉ちゃんのいた世界から連れ帰った『衛宮士郎(お兄ちゃん)』に恋していた。
完全に転嫁だろうと思うけれど(この『転嫁』は、本来は奥さんの代わりに別の人とデキる事を言うらしく、そこから転じてバレた時に相手のせいにするという意味が加わったのだとか。本当か? だけど物事が変化する様を表す『転化』とは明確に違うドロドロさがそこにあるとお姉ちゃんは言う)、日々シロウさんや魔導師のリンに鍛えられているからか、『わかっている』タイプにどんどん変わっていった。だから小さいお姉ちゃん(一応義姉になる)も、『おチビちゃんのは、『お兄ちゃんへの思い』から変化した憧れだけだよ。黙って見守ってあげれば?』なんて、お姉さん目線で話している。だから私もあまり心配はしていない。
むしろこのお兄ちゃん、その世界から連れ帰った凜(弟子の凜と同じ漢字。学園には通っていない)や桜(『櫻』という名で1年でなく2年に編入していた。それはあちらが1年の2月だったから)にフラフラ~としていた。
慎二兄ちゃん曰く、『遠坂(司郎)の並行世界存在とは思えない』。
エルお姉ちゃん曰く、『どちらも選べないのは人を『モノ』のように見ているからです』。
イリヤお姉ちゃん曰く、『あんなのが弓道部なら私が叩き出す』。
小さいお姉ちゃん曰く、『長い目で見てあげて』だった。多分味方は桜に着いて来た『どうしても桜とくっつけたい』ライダーだけだと思う。それもあっての住み込みでの料理修行なのだ。朝は仕入れ、昼は賄い後にビルのお店で仕込み、夜はお店で夜中の1時頃まで働く毎日だ。
シロウさん曰く────、
『とにかく考える暇なんかアイツに与えちゃ駄目だ。下手な考え休むに似たりどころじゃない。『アーチャー』なんかになる奴ってなんなんだって長い間考えていたけど、やっとわかったよ。優先度も優先順位も考えつかず、タイムリミットが来てどちらも救えない優柔不断なバカでしかなかった。食材の鮮度や、出す料理の順番なんかでそういうのも学ばせないとな』
とバッサリだった。だからせめて料理人になって食べていけるようにと住み込みで働かせているのだとか。こんなのが早々に露呈したものだから、凜はササッと凜(姉弟子)に筋を通してリン(魔導師)に弟子入りした。これは時計塔に行かずに済むからだった。また、思った以上に才能があったらしく、これまた許可がアッサリだった。また桜が名を変えてまでして学園に編入したのもこれが理由らしい。今は凜(姉弟子)と同じクラスで、弓道部に入り、エース『遠坂司郎』に憧れ、彼の姉の『未遠(遠坂)志保』が大学から教えに来るのを待つ、イリヤお姉ちゃんみたいな人になってしまった。
これでわかったろうか? お姉ちゃんがどうしてイリヤに新しいカードを用意できたのかが。セイバー→自分のサーヴァント、ランサー→ディルムッド・オディナ、アーチャー→お兄ちゃん(当然2番目。4番目はセイバーが悲しむから見逃してあげているだけなのだとか)、ライダー→メドゥーサ、キャスター→大魔導師(封印中)orメディア(大魔導師の師匠)、アサシン→百貌、バーサーカー→アルさんだ。つまり知っている人ばかりだったのだ。
私は私で課題がたくさんあった。今のところ、鋳造する予定がないそうだけど、もし次のメイドを鋳造する時は見学させてもらえるらしい。その時はしっかり見て覚えなきゃ。第13代アインツベルン総裁への道は遠い。
昨夜の肉尽くしも凄かったけれど、本日の朝食も凄かった。セイバー1人で、お櫃を2回もお代わりしたのだ。『エル』はダシ巻き卵一切れと、マメが入って山椒の芽が乗った切り干し大根の小鉢と、茶碗蒸しをセイバーに譲っていた。
「お漬物で良いじゃない」
「セイバー、梅干しが苦手なんですよ」
「そうなの? アルトリアはパクパク食べるし、あっちのセイバーも食べてたじゃない」
「自分の分は残さず頂きますが、それ以上は……」
あらまぁ。
朝食を終えた私達は部屋で再度歯を磨き、身嗜みを整え、ウェアを羽織ってトランクを持ってロビーに向かった。お土産は昨夜の内に買ってあったし、宝具があるから日にちの心配もない。エルはミント(31番)を出しておくべきだったと嘆いていた(そうすると、買ったその場で冬木に送れるからだ)けれども。どうせ宝具に入れれば時間凍結で、生モノであっても鮮度はそのままだし腐らないのだ。(だけど気分的に嫌な人は居るだろう。特にセイバーがそうだ)
春先と言ってもまだ3月だ。宝具は開いてくれているけど、トランクは『エル』に預けるのでなく自分達で押し込む必要があった。それは『エル』のバイクにあった。今朝の由布院は寒い。それで私とセイバーの『Z』はフューエルインジェクションだけど、『エル』の『Zephyr』はキャブレターなので少々グズっていた。しかも今日は山を走ってばかりなので、ジェットの番手を換えておきたいと事前申告があったのだ。なのでこんなに朝早くからチェックアウトをしていた。
それで『エル』は自分のバイクを宝具に押し入れた。整備室のような空間があるので、そこでキャブのジェットを換えるのだ。何より宝具の中なので、『助手』を何人でも出せる。だから私とセイバーは『エル』に促されて、待ち時間の間、金鱗湖に向けて朝の散策に出た。
「風情があるわね」
「イリヤ、こういう温泉には何度か?」
「うん。日本だけじゃなく、海外の温泉にも行ってるわよ。ドイツなら、バーデン=バーデンのカラカラ、ヴィースバーデンのカイザー・フリードリヒなんかね。オーストリアはウィーンで2ヶ所、ハンガリーもブダペストで3ヶ所くらい廻ったわ。アジアなら台湾で5ヶ所くらいかな」
「そんなにも?」
「ええ。私、B級の料理も研究しているでしょう? その鼻を活かしてね。写真に撮ってリポートを添えれば本やインターネットサイトのネタになるし、ビデオに撮ってリポートを添えれば旅行動画のネタだわ。そういうのを『エル』が買い取ってくれるのよ」
『エル』はこういうのを集めて、自社サイトのコンテンツを増やしている。巫女と言ったってアルバイトみたいなものだし、B級料理研究家という肩書もあまりお金にならない。なので前々から『エル』のところと特派員契約をしていたのだ。また日本の温泉や旅館、食事などのリポートはお金になった。ドイツ語や英語でのリポートは需要が高いのだ。
20分ほどで『キャブの調整が終わった』と念話があった。戻ると暖気の終わった『Zephyr』がドロドロと迫力のある低音を響かせていた。ちなみに『Zephyr』とはギリシア神話に出る『西風』の神の名の英語読みで、ギリシア読みだと『Zephyros(ゼピュロス)』になる。『東風』が『Euros(エウロス)』で、『南風』が『Notos(ノトス)』、『北風』が『Boreas(ボレアース)』だ。これ以外にも、南西・南東・北西・北東の風の神々がいて、それらを総称して『Anemoi(アネモイ)』という。この中で『Euros(エウロス)』という綴りを見ると、ユーロの語源のように思うかも知れないけれど、あちらはフェニキアはテュロスの王の娘、『Europa(エウローペー)』が語源だ。となると自分達はフェニキア人の末裔で、牡牛(ゼウス)に拐(かどわ)かされた女の子孫なのかと不安になる。
さぁ出発だという段で、『エル』の後ろにビデオカメラを持った、こちらに来たばかりの頃のクロちゃんやおチビちゃんくらいの背丈しかない女の子が座った。う~ん……どう見ても私の『バリエーション』だなぁ。そもそも私の身体が『エル』の出力したエーテルだから、記録してあるのだろう。意識を分散させてのビデオ撮影か。いよいよ本格的に撮影を開始するのだろう。
『この県道11号線は大分県でも熊本県でも同じ11号です。旧名は別府阿蘇道路で、その昔は有料道路でした。それが無料となり、その景色の美しさから、『やまなみハイウェイ』とも呼称され親しまれています』
国道210号から県道11号に入ったところで、後ろの子がナレーションを開始した。それが念話のパスから漏れていた。音声を吹き込みながらの撮影は、おそらく編集の手間を省くためだろう。おまけにタンデムで後ろなのに、その子はカメラをヘルメット越しに覗きながら前に向けていた。魔術でバイクを操縦する『エル』が透けているのだと思う。時々甲虫を飛ばしているのは、その眼が拾う上空からの景色も利用するためだ。民生用なんて出回っておらず、軍事用の大きなドローンしかなかった頃だ。きっと3台のバイクが走る姿を真上から記録しているのだろう。
しかしグネグネとよく曲がる道だ。私の『Z1000』もセイバーの『Z750』も、ツアラーではないのでこういう道によく合う。だけど『エル』の『Zephyr』はトラディショナルなジャパニーズスタイル・ネイキッドだ。だからこそ『Z1』からのオーセンティックさを色濃く継いでいるとも言える。それは裏返せばヒラヒラ感に欠けるとも言えた。むしろカワサキはそれを狙ったのだろう。最初に出た400はΧ(カイ)になっても『G3』までは前輪17インチ、後輪18インチだった。直進安定性が求められる『1100』は前が18インチ、後ろが17インチだ。だけど『750』だけは最初から前後輪17インチだった。この意味からも『Zephyr 750』は迷いなく現代版『Z2』として成立していた。
『エル』は旅好きなバイク乗りだ。なので九州には単独で数回訪れており、『TW225E』の慣らしもこの九州で終えている。また、空手や自転車で鍛えられたお尻は、碌な鞍もなかった馬の背が平気だったアルトリアやセイバーにも負けておらず、『SEROW 225』で四国一周をこなす程だった。ところがそんな子の『XJR400R』が、降りるまでに6000kmも走っていなかったのだ。これは所有するバイクが多いからというのも理由としてあるし、海外にもバイクを置いているのでそちらの走行で満足し、日本では自転車が多かったというのもある。ブルーストロボの02年製3型(BC-RH02J)『XJR400R』は、ハンドルが少し手前になったコンドル(スワローじゃなかったと思う)で、黒いナポレオンミラーを付け、マフラーはモリワキのゼロ・チタン(これをお手本にして自家製マフラーを作り始めた)だった。
サイドカバーは2型(4HM)のようなゴールドメッキで、タンクのメーカー・エンブレムはシルバーの立体文字にしてあった。こんな調子だし、コレクションも少なからず持っていたのを知っているので嫌いなバイクではなかったと思う。『予想外に素直で乗りやすい』なんて感想も耳にしているくらいだ。ただ、リンからの課題で選んだという側面が気に食わなかったのかも知れない。『Zephyr 400』は先にトントに取られていたから尚更だ。
そして『Zephyr 750RS』は公道デビューした夏からの7ヶ月ちょいで、既に12000km以上も走っていた。月平均で1700km、1日57kmの計算だ。片道28kmもある学校や職場に通っているのではない。このペースは普通の高校生ではあり得ない。ロードバイク(自転車)でも、平気で1日200kmも300kmも走る子だけど、そんなのも今までは月に1回あるなしだったのだ。まぁ、それだけ思い入れがあるからなのだとはわかる。
参考までに……。『SR400』はナンバー登録したのが2台あって、片方は1983年製スーパーレッド(34E)のSPモデル(キャストホイール)だ。こちらは2年生に上る前にセパハン&バックステップになり、タンクもアグスタタイプに替わった。当然中古で買ったものだ。もう1台は1986年製のメイプルレッド(1JR)で、フロントもドラム・ブレーキのタイプだ。デザインもカラーバリエーションも前年の1985年と同じだけれど、バースイヤー・モデルなので大切にしている。どちらも手に入れたのが5~6年生(97~98年)頃で、高等部に上がって免許を取るまで寝かせてあったものだ。走行距離も83年製が12000km、86年製が9000kmくらいのワンオーナー車だった。その後は解体屋さんにあった78年製(2J3(500)、2H6(400))と79年製(3X6)の最初期モデルを復活させると同時に、86年製をお蔵入りさせ79年製(キャストホイール)を登録した。この初期型3台の走行距離は不明だけれど、タンクはどれも赤(マコマルーン、ブリリアントレッド)だ。そして高等部を卒業した今も、79年製(3X6)だけはナンバーを返していない。『エル』だけで15000kmは走ったそうだから、現在30000kmは越えていそうだ。キャブとマフラーを換え、フロントフォークを3mmほど突き出した以外はほぼノーマルだ。
『R1-Z』は、各『TZR』と同じく『3XC1』から『3XC3』まで数台持っているが、その内の96年に新車で買った『3XC3』のブルーイッシュホワイトカクテルを登録したのみで、イリヤが2ストをお蔵入りさせると同時に、サクッとこの子までナンバーを返してしまった。これはイリヤに合わせたのでなく、スポーツ走行はサーキットに限ると考えていたのと、250の2ストより、600や1000のSSだと本人が考えていたためだ。だから『TW225E(02年製DG09J/レディッシュイエローカクテル)』をずっと乗っていられるのだろう。
また、全10色を揃えたと豪語していた『Renaissa(4DN5、4DN6)』や各年式で集めていた『SRV250(4DN1~3)』などはコレクション用とわかるので別としても、唯一登録していた92年製の『SRV250(4DN1)』のナンバーを返したのは実に惜しいと思った。フレームまでタンクと同色だった初期型。出逢った頃からあれほど好きだと公言していたのに。『Zephyr 750RS』を公道に出したら即森の館行きだった(売らないだけマシなのかも)。
そんな私の感傷を他所に、前を走る『エル』の操縦の上手さに驚かされる。確かフォークは5mmだけ突き出していた。突き出すと若干前下がりになるけれど、キャスター角が立つ。それがタイヤの切れ込みを良くし、コーナリングの初期動作を掴みやすくするのだ。ただしバイクは前下がりの尻上がりになるから、ハンドリングに貢献どころか悪影響を及ぼす場合もある。そこをおいたとしても、この切り返しは早過ぎる。まだ気温は低く、タイヤも温まって居ない筈だ。だから車体を必要以上にバンクさせていない。リーンも軽く、ステップが擦る程でもない。だけどスムースで。こういう操縦なら、きっと後ろの子も撮影しやすいだろう。これを『SR400』や『SRV250』、『XJR400R』で学んだの?
『マスターは上手い』
『だよね?』
私とセイバーは呆れるばかりだった。
やがて道路はどこまでも続きそうな一本道になった。平日なので誰も前後を走っていない。この見渡す限りの景色が私達だけのものだった。どこか郷愁を誘う、ドイツやスコットランドで見たような、でも知らない景色。北海道も凄かったけれど、あれとも違う。日本が狭いって嘘だよ。
大地を左右に隔てる直線の遙か先に聳えるのは久住連山だ。左前には大船山、ほぼ右の真横には、玖珠富士とも言われる涌蓋山が綺麗に見えた。いや、綺麗に見えたとか言っても、そんな山なんて私もセイバーも初見だ。これらは全部『エル』の解説だ。
数キロ続いた直線が終わり、道路が大きく右に曲がって、また左に。そこから暫く走ると今度は急なカーブの連続になった。これは楽しい。
そんなカーブを満喫した頃、幾つかあった交差路で『エル』が左に曲がろうと合図をくれた。標識には国道442号線とあった。どうやらここいらが大分県と熊本県の県境らしかった。
『どこに行くのよ?』
『『久住滑空場』。別名グライダーロードですよ』
グライダー専用の飛行場らしい。そこだとバイクの写真が映えるという。また、自販機もあるから休憩しようとなった。思わぬ寄り道だけど、行けば納得だった。その後、そこから南の奥豊後グリーンロードを抜けて、国道442号線に戻り(再び大分県)、『くじゅう花公園』というところに立ち寄った。どちらもたくさん写真やビデオが撮れた。そして元の交差点から県道11号に。今度こそ熊本県で、外輪山をぐんぐんと登っていった。さっきの交差点から滑空場まで行った倍ほど走ったところで、『エル』は左にウインカーを出した。県道45号線『ミルクロード』だ。道の左右の草原で牛が放牧されていた。
『白いのを見掛けたら全力で逃げるのよ。種付けされちゃうから』
『私らはエウローペーですか?』
こういうのを即座に返してくれるのが『エル』だ。後ろの子がケラケラ笑っている。笑い方が『エル』でなく私っぽい。チラホラとすれ違うバイカーに手を振るのも忘れない。
『今週中に来れて良かったですよ』
『どうして?』
『来週から『野焼き』です。野焼きされると5月半ばまで焼け野原になって、景色が真っ黒です』
そういう計算もあったのね? さすが。それで私達は大観峰に到着した。その駐車場で、『エル』は20cm四方の鉄板を3枚出してくれた。サイドスタンドが砂利で沈まないようにだ。元々オフ車乗りのこの子はぬかるみや草で沈まないように、かまぼこ板をガムテープで繋いだものを『SEROW』や『TW』にいつも備えていた。今日は重量級の大型だから鉄板という事だ。降りてトイレ休憩後、景色を堪能し、ソフトクリームを食べた。ビデオ担当の子に名前を聞いたら『イリヤ』と答えられた。
「あなた、この子の姉のイリヤじゃなくて私の『記録』から?」
「正解」
呆れた。だけどイリヤもちぃイリヤも居らず、おチビちゃんやクロちゃんも居ない今、私はイリヤ成分を欲していた(自分もイリヤだというのはおいて)。だからとうもろこしを買ってあげた。季節外れらしいけれど美味しかった。旬だと札幌の大通公園といい勝負だという。
その後、大観峰から国道212号線で下に降った私達は、豊肥本線阿蘇駅に近いお店で『だご汁定食(だんご汁)』を頂いた。お汁は麦味噌と米味噌から選べ、ご飯も高菜ご飯と椎茸の入ったこの店オリジナルの炊き込みご飯から選べた。『エル』のお薦めで、麦味噌と炊き込みご飯を4人分と、『焼きたてスタミナホルモン』というのを頼んだ(セイバー用。ご飯も別に頼んだ)。少し早いお昼にしたのは、夜の料理が豪華だからだ。
「この子の分、払うよ?」
「良いですよ。カメラマンとして十分働いてくれていますから」
食後は、そこから県道111号を使って、南に走った。右手の阿蘇山に背を向けて県道298号に入った。米塚を観ていくそうだ。大噴火口の中に街や今の噴火口があり、古墳もあれば神社もある。そんな中を人々が大昔から集い暮らし、私達のような観光客が一喜一憂する。まるで外輪山という壁に囲われた一つの世界だ。こういうのはどこの国にもないだろう。私は亀や象に支えられた、縁の高いお盆の中に居るような気分だった。これって何だっけ?
『古代のインドの世界観ですね。亀に乗ったんはホンマに浦島太郎だけやったんでっか? もしかしたら、わてらも皆んな乗っとるんちゃいまっか?』
この妹は時々不思議な事を言う。だけど今の私の気分にピッタリだった。
『あ~。そんな事を言っていたら『黄色い芋虫号』を思い出しました』
『あなたねぇ? 一応彼氏のバイクなんだからバカにしなさんな』
この『彼氏』とは間桐慎二の事だ。驚くと思うけれど、ここの慎二は本当にいい子で、私も気に入っている。そんな男の子が、相手にするにはかなり厳し目で難易度の高い、『アインツベルン総裁』に首を縦に振らせたのだ。さすがに『射止めた』とは私も言わない。少なからず『エル』がかなり譲歩した状況だとわかるから。それでも魔術回路という魔術師に必須な要素がないというハンデがあるにも関わらず、滅気ず諦めず折れず、よく頑張ったと私は思う。
だというのに、そんな慎二が高1の時に買ったバイク(スクーター)が『Yamaha Majesty C』だった。アウトドア派でキャンプ好きな慎二らしいとも言えるけれど……。
『荷物がタップリ載せれて、エル姉さんもゆったり座れる。良いでしょう?』
だけど、君が選んだ妹は人の後ろを嫌がり、自分で操縦するタイプだ。それにマニュアルでないと。でも、そこじゃないのよ。『エル』はバイクが好きだ。好きだからこそ、業界が自らの首を締める愚かな行為を悲しんでいる。まずスクーターとは気軽に乗れるシティコミューターだ。その国その国ごとの免許制度や保険制度の兼ね合いも考慮して、浅く広くローカライズされ溶け込んでいくものだ。となると道交法まで考慮すれば、ベターな選択は90cc以上~125cc以下となる。これはアジアンだけでなくヨーロッパも同じだ。そして日本に合う1番のコミューターは、趣味性を考慮しない実用車と考えれば、イリヤも持っている『Suzuki Address V100』一択だ。『通勤快速』というキャッチに流されず、その本質を見ると2ストによる高トルク、女性にも取り回ししやすい原付きサイズ、足元に米袋が置けるフラット・フロア、半メットを取り出せばレジ袋が押し込めるイス下スペース、これこそがスクーターの強みだ。
となると、『Address 110』に必要だったのは、4スト化、水冷化、F.I.化、トルクの維持だったのだとわかる。そしてこの先に本来のメーカーが求めていた、プレミアム・コミューターへの潜在的顧客が浮き彫りになったのだ。そこを明確にせず、『文化を育てるのだ』という気概もなければコミューターの行き着く先は商業主義に毒されたものになる。
『Majesty』は意外と欧州でウケたモデルだった。それはモペットの免許しか持たない子供や、『A1(125cc以下)』免許しか持たない『若造』を排除できたからだ。欧州において大型免許を持っていないというのは、ライダー歴が5年未満という意味だ。だから250ccでもプレミアム・コミューターとして受け入れられた。なのにここ日本では車検の必要ない排気量のままで発売されてしまった。断然250cc以上で出すべきだったのに。つまりメーカーは要らぬ間口を広げてしまったのだ。
しかもアクセルを捻るだけで走れてしまう恐ろしさを考慮せず、行政はオートマ限定なんていう免許まで作ってしまった(この2005年の6月1日から)。かつてはマニュアルのバイクに乗っていたけれど、子育てや仕事が忙しくてブランクがあった。でも子供達が巣立った今、もう一度バイクに乗りたい……そんなリターン・ライダーの第一歩としてなら良いだろう。だけどこのままだとトラッカーのスカチューンと同じく、異様な改造車が蔓延るのは目に見えていた。
それを『エル』は嘆いていたのだ。だから慎二も流されるのかと諦観が先に立って早とちりしてしまった。実は慎二、マニュアルに自信がないのと、親友の遠坂司郎君(聖剣とは無縁なので、彼の身長は183cmだ)が、誕生日の関係で先に免許を取ったからそれに続いて免許を取ったに過ぎず、また司郎君がスクーターを買うと公言していたから、『Majesty C』を選んだに過ぎなかったのだ。この『Majesty C』は2003年に出た新型で、カスタム車だ。それが余計に『エル』の勘違いを生んだとも言える。
(『エル』は基本保守的だし、親しい人には不幸な目に遭って欲しくないタイプだ。なのでイリヤにも平気で嘘を吐く。実はユーロで馬力制限付きの『A2』免許が施行されるのは2006年からだ。これは慣れないヨーロッパの道路で、事故に遭って欲しくなかったパミやミトの意向を汲んで敢えて前倒しにした嘘だったのだ。だからミトはイリヤにそれっぽいバイクを貸すだろう)
そしてここが運命のイタズラで、司郎君はスクーターの購入代金が貯まるまで1年以上掛かった。だから彼が2004年に出たばっかりの『Honda PS250』を選び、先にスクーターを手に入れていた慎二が悔やんだのは致し方ない事だったのだ。『Majesty C』と『PS250』ならどちらがキャンプ向きかは言うまでもないだろう。
なお、兄の慎一は倫敦からメールで『新車で買うなら、スズキの『Volty』か『ST250』を薦めるぞ』と伝えていた。この2車種、シートが前後分割式で、後席を外せば大きな荷台スペースが確保できた。特に『Volty』はそのまま荷台になったし、ガソリンタンク容量もそこそこあるので、今も一部のアウトドア派に支持されている。そして2004年から『ST250』は『ST250 E type』が追加され、そちらにはセルだけでなく、デコンプとキックペダルが装備された。それにイリヤが触手を動かし、昨年の春頃、グラストラッカーを売って買い換えようとしていたのだ。勿論、私も『エル』も止めた。
3台のバイクは草千里に到着した。
「日本三大千里の一つです」
「三大千里って何?」
「この草千里ヶ浜、能登のなぎさドライブウェイのある千里浜、そして大阪北部の千里です。大江千里は関係ありませんよ?」
それ、人じゃない。
「で、大阪のそれは団地や万博会場が建つ前は、見渡す限り草木だらけの丘陵地帯だったそうですね。まぁ、ここも同じです」
確かにここも草だらけだ。
「じゃ、千里浜って?」
「日本海特有の目の細かな砂が延々と広がる様を指しているようですね。それでそのきめ細かな砂は、砂の中に空間を作りません。つまりタイヤが沈まないのです。だからなぎさドライブウェイという観光道路が浜にあるんですよ」
「え? 砂浜を走れるの?」
「ええ、バイクも自家用車も観光バスも走っています。それなのにシーズンともなれば浜茶屋の並ぶ、広大な海水浴場でもあります。またその砂と波のせいで、二ノ瀬、三ノ瀬、四ノ瀬と遠浅が浜辺から100m以上先まで続き、ハマグリやアサリがその昔は足の指で簡単に取れたそうです。なので夜間営業の浜焼き居酒屋も一般道となぎさドライブウェイを繋ぐ場所に建っていたりします。砂浜で夜だけ営業のお酒を出すお店は、インドのムンバイとその千里浜以外あまり聞きませんね」
「へぇ~」
ヘェヘェボタンが欲しいわ。
「それと石川県のその辺りは、スイカの名産地でもあります。鳥取と同じで砂の上で育てる必要があるからですね。と同時に、その昔はタバコの名産地でもありました。やはりタバコの樹も砂地で育てるからですよ。ですので古い民家の土蔵が実は蔵でなく、収穫したタバコの葉の乾燥室だったなんてのもあります。『あ”な”だがわ”だじの……ガハッ、ゲホッ』、全部言えないという」
「そんなところで召喚されたくありませんッ!」
ひとしきり笑いあい、写真や映像を収めた私達は草千里を出発した。その後、水源を幾つか回った後に国道325号線から国道57号線に合流し、熊本市を目指した。熊本城を見学すれば本日の行程はお終いだった。こうなると山鹿の温泉までが遠いなぁ。
このクロの冬木編とツーリング編はあと数回で終えます。その後、ドイツのイリヤ編で過去は終わり、〆は2006年現在のハンティントンビーチでのサンクスギビング編です。
その次も過去ですが、章を換えての魔眼蒐集列車編です。