※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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59、Illyasviel in Eppelheim 07

 忙しい社員の間を縫って、その部屋に向かって歩いていると、ミトと変わらないくらい大きなデスクに、営業のフンボルト・ヘーゲル君がでで~んと構えているのが見えた。サボっている?

 主に本部に勤務するスタッフは事務職だけれど、3階4階には営業職の人も詰めているらしいから、下りてきているのかな?

 

「奥の部屋に居るパミに呼ばれるのを待っているのでしょう。彼、温泉行楽地部門のマネージャー(課長)からディレクター(部長)に、9月から昇進していましてね。食料品部門が今度売り出すエナジードリンクにも一枚噛んでいます。つまり姉さん達との顔合わせもあるという事です」

 

 ああ、なるほど。それによく聞けば、フンボルト君はマネージャーになってから、本部でなくハンブルクとミュンヘンの支社を行ったり来たりで、その二つにデスクがあるのだそうだ。温泉行楽地と聞くとバーデン=バーデンという感じがするし、確かにそういう温泉開発や不動産売買もしているが、本命はホテル経営と鉱石採掘事業であり、裏の仕事として霊脈管理と調整の仕事もあって、言ってみれば『エル』直属の部門だった。だからそちらのゼネラルマネージャーはプロジェクトごとの任命制で、総指揮は『エル』が執っていた。

 なお、イヴ全体ではミトが総合CEO(最高経営責任者)で、パミが総合COO(最高業務執行責任者)、『エル』がオーナー兼、総合CMO(最高マーケティング責任者)兼、温泉行楽地部門ヴァイス・プレジデント(統括本部長)兼、食料品部門研究員となるらしい。しかも『エル』曰く、これ以外の肩書も自分自身やパミやミトにあった気がするけれど覚えていないそうだ。

 ゼネラルマネージャー以上が任命制なのは、何も温泉行楽地部門だけではない。どの部門も敢えて幾つかの役職が歯抜けにしてあって、そこを人形を使った3人が回しているようだった。元は『エル』1人な訳だから、こういうのも同族経営というのだろうか?

 

「オーナー、お久し振りです」

「や、フンボルト君。お元気でしたか?」

 

 私達に気付いたフンボルト君が手を振っていた。並行世界に流され残った『妹』の『半身』が、そこの彼と結婚し、『残る半身』は私と同じ吉川弘三君と付き合っていて、来月からは時計塔で講師だという。何とも不思議な気分になるが、それが並行世界なのだった。いつかまたあちらに行って『妹達』を祝福してあげたい。

 

 やがてカチャリとドアが開くと、中から先に呼ばれていたらしき4人ほどの人が出て来た。私達の前にも人と会っていた訳だ。忙しそうね。その後に妙齢の女性が顔を覗かせ、私達を認めるや手招いた。この方はテークラ・アインツベルンさん。お歳は多分30代後半。フンボルト君と並ぶ、この会社の創立当時からの社員さんで、温泉行楽地部門と通信施設部門のCOO(最高業務執行責任者)と、イヴ人材派遣会社の社長を兼任されている方だ(イヴは有限会社だけど、部門の一部、採掘事業や人材派遣の方は株式会社だ)。

 10数年前、この会社は霊地売買と管理を主な業務とする小さな事務所だった。当時の本部はマンハイムの中心街の中にある貸事務所だった。そして『エル』は霊脈探査装置(『根』という、空間を飛び越えて、離れている霊脈同士が繋がる現象に関する理論もそこに利用されていた)とマナを数値化する装置を引っさげ、魔術協会が独占していた『いい加減な管理方法』に一石を投じ、会社をここまで大きくした。

 登記上の本社はその頃からチューリッヒにあるビルの一フロアだったらしいが、いつ頃からかそのビルも『エル』が買い取ったらしい。サイドデスクに置いていた、仕立ての良いスーツの上着に、フンボルト君が腕を通した。私達は揃ってパミの待つ部屋に入ったのだった。テークラさんがドアを閉めようとした矢先にミトも入って来た。これで揃ったようだ。私達はパミのデスクがある部屋の内部にある小会議室に入った。ここは初めて入った。全員で席に着き自己紹介しながら握手した。知った顔が多いけれど、知らない人も数人いた。特に女性はテークラさん以外怪しい。パミやミト、『エル』の操る『人形』の可能性が拭いきれなかった。

 さぁ、いよいよ契約だ。契約書は内容を確認しておいてくれと、先にコピーを渡されていた。なので何度も読み返し、ちぃイリヤにもわかりやすいよう、内容を噛み砕いて話してあった。そんな訳で私は余計に契約内容を深く理解できていた。だから何の問題もなく私達はサインした。

 

『良かった、良かった』と皆んなでニコニコしていたら、『エル』が新商品のドリンクをコップに注いで出してくれた。う~ん、スキッと爽やかで喉越しが良い。何より弱炭酸なので、キツイ炭酸や砂糖で誤魔化していないし、妙な薬品臭さもない。これ、売れるだろうなぁ。

 

 ところで、このパミの部屋は、幹部の部屋というより、そういうデスクも置いてあるダイニングキッチンという趣が強い。主に食料品部門研究員の『エル』と、食料品部門CEO(最高経営責任者)でもあるパミとの2人の部屋で、会社とは思えないほど立派なキッチンが備え付けられているのが珍しい。

 対するミトの部屋はこことは大部屋を挟んで反対側にある。それにミトは総合CEO(最高経営責任者)と運送部門CEOなどなども兼任しているので来客も多い。なので彼女のオフィスは応接室と小さな会議室を合わせたような部屋になっていた。

 

 また食料品部門の研究所は敷地内の別棟で、そちらは数十人スタッフがいるそうだ。『エル』やパミが考えたレシピをそこで再現し、商品化に向けて更に改良が加えられるのだという。今回のドリンクは『エル』でなく、そちらから上がって来た企画でスタッフの意気込みも大きい。それだけにヒットさせると、本部の皆さんが一丸となっていた。フンボルト君が呼ばれたのは、温泉行楽地部門からの増援というか応援の打ち合わせだった。要はあちらから営業スタッフを回す話だった。それは違うルートからも売り込みを掛けるという意味だった。チカラ入れてるなぁ。帰りしなに私とちぃイリヤにCMの絵コンテと台本が手渡された。撮影は来週。それまでに覚えておけって事だろう。

 

 本部ビルから出た私達は、くるりとビルを廻って、裏手の駐車場まで歩いた。すると奥の屋根がある部分に来た時はなかったポロやルポがあった。午前中の仕事を終えて帰って来た営業車だろうか。そんな並びに、フンボルト君のアウディやミトの『ZR-7』があった。マフラーがこの間のとは違う。色々試しているのね。そういや、ここに来た時はなかったよ?

 

「『エル』? さっきのミトは?」

「『人形』でしょうね。本人は今戻ったところでしょう。ほらあそこ」

 

 その『あそこ』はビルの裏口近くにある喫煙コーナーだった。出世コースを歩んで本部勤務になった人が、タバコを吸うとはとても思えないから喫煙所があることに驚いた。だけどお祖父様紹介だった古株の人の中には喫煙者も居るとの説明があった。そんな喫煙コーナー横を抜けて、ヘルメットを持って裏口に向かう後ろ姿は間違いなくミトだった。

 

「彼女は先月から、かなり忙しくしていて。私も姉さんが来る前からこの『人形』を起動していたのは、受け入れ体制を整える意味もありましたが、彼女の応援もあったからですよ」

「ふ~ん。ミトってさ、ドイツで今何体使っているの?」

「3体くらいだと思いますね」

 

 そうなんだ。

 

「バイク通勤の人って多いの?」

「どうでしょうね。これから気持ち良いシーズンになりますから、ピークで1/3ってところでしょうか? やはり仕事場へ通う訳ですから、真夏だとエアコンが欲しいでしょうし、雪が降り始めてもヒーターがあって転倒のリスクがないクルマ通勤ばかりです」

 

 それはそうだろうね。クルマが本部の敷地を出た。

 

「海底油田や海底霊脈に繋がるのを読んでいたから、最初の仕事に霊地開発や霊脈調整を選んだんでしょう?」

「はい」

「そこはわかるけどさ、どうして次の仕事が食料品だったの? あなたならバイクのメーカーを立ち上げても」

「10数年前が戦後の復興期なら立ち上げたかも知れませんね。ですが『人は食べないと生きていけない』のです。スタッフがきちんと食べていける『日銭』が確実に入る商売は、安直ですが『食べ物』だと考えたんですよ。ただ会社の経営戦略の根幹は藤沢武夫氏をお手本にしています」

 

 この藤沢武夫という人こそが、技術一辺倒で経営に疎い本田宗一郎を支え、ホンダをここまでにした人だった。日本での知名度は低いが、ビジネススクールなどでは必ず教えられる名である。宗一郎が憧れていたマン島のTTレースに、背中を押して『出よう』と言ったのもこの人だった。このTT出場が肥やしとなって、クルマや後のF1に繋がって行った。

『絵を描く』という言葉がある。将来の展望を述べたり、書類や書面に残す事を指すが、後年転じて銀行から融資を受ける際の事業計画や返済計画を述べたり書くことも指すようになった。藤沢武夫は銀行に頭を下げるのでなく、『夢』を語る人だった。『これは間違いない』『これなら融資しても焦げ付かない』、そう信じるに足る『夢』を語ったのだ。『便利』だからベンリィ号、『夢』を与えてくれるからドリーム号だ。

 

「全部、マアエモ・ママとルオン・ママからの受け売りです。ですので日本に行った時、既にこの世の人ではないと知り、哀しかったですね」

 

 バイクに関してはあまりホンダ・ホンダと言わない子だけど、クルマに関してはFF嫌いなクセにホンダ好きだったりする。それもタイプRが生まれる前の、大きくないアコードを高く評価し、コンチェルト、ドマーニなどなどの中級価格帯のものは社用車にしていた時期もあった。

 

 コンチェルトは欧州でも売られていて、マーヤさんが乗っていたらしい。社用車にしていたのはドマーニの方で、それはドイツでなくロシアでだった。ウラジオストック経由でなく、自分で運んだ純日本製で、ロシアでそれに乗る理由は『フォルクスワーゲンより頑丈で壊れず、性能が良い』からだと聞いた。『エル』の選んだ初代ドマーニはコンチェルトの後継機種で、シビック・フェリオ(EG型シビック・セダン)の姉妹車でもあり、フェリオの高級版という立ち位置だったらしい。なおこの子が中等部時代に乗り回していて、私が横に乗ったのは同じ『EG型』の黒いシビックだった。

 初代シビックは世界戦略車で、バイクで例えるならカブのような存在だったと思う。だけど、その歴史と伝説がいかに偉大だろうとも、お爺ちゃんの代から使われていそうな家宝のようなカブや、真新しいリトルカブに乗っている友人達がいくら声を大にして薦めて来ようと私は靡(なび)かなかった。それは私にはアドレスがあるからだった。

 誰がなんと言おうと、世界最強のお買い物バイクはスズキのアドレスしかあり得ない。まずカブはウィンカースイッチが右なので迷う。現代ではおかもち片手に走れないのにだ(現行車は左に移動)。またロータリーシフトに馴染まないのも頂けない。完全に停車すればトップからニュートラルに入るのは知っているし、フルボトム式と思えば足の操作はそう迷わない。けれどなまじ足でシフトするものだから、左手が無意識にクラッチレバーを求めて彷徨うのだ。だから私は自動遠心クラッチが苦手だった。

 気に入る気に入らないは、あくまでも個人の問題だから、人のものをとやかく言うつもりはない。そしてカブは主に肉食の動物の子供という意味らしく、カブスカウトのカブと同じで、小さなエンジンでもガンガン走るという意味が込められているそうだ。でもその後に出たモンキー、ゴリラ、エイプって全部お猿さんだ。これら類人猿シリーズは、ダックスなんかと同じレクリエーション用で積載性は皆無だった。シャリィにジョルカブはお買い物用に使えなくもないけれど、どうにも中途半端に感じられた。

 やっぱり私はコマネズミのように街中を走れるアドレスだな。夕方5時からのタイムセール内にスーパーをハシゴできるその速さを知って欲しい。瓶用のビールケースは難しいけれど、あれは配送して貰えば良い。けれどお肉に野菜にお魚は、後付の前カゴにメットイン、足元、後付のリアキャリアさえあればどうにかなるし、そのリアキャリアと後部座席分のスペースがあれば、缶ビールの紙ケース程度なら載らない事もない。少しオシャレな木箱をキャリアに取り付けていれば、それこそ買ったものが何でも載るし、操縦中の良い背もたれにもなる。こんな『お買い物快速』を産んだスズキは世界最高のメーカーだよ。

 

「姉さん、車内に菌を撒き散らさないで下さい。また消毒処置をしないと」

 

 失礼な!

 

「まぁ、ほとんど性能の変わらない75cc仕様や、無駄金使いにしか思えない88cc仕様に改造するなら、最初から75や90を選ぶべきです。そこを2ストの100に行った姉さんはクレバーだと私も思いますよ。ですけど、ご多分に漏れず外装は傷だらけ。そろそろ可愛い色に塗り替えるか、買い換えるかしましょうよ」

「迷ってんのよ。V125を買うかどうか」

 

 2スト99ccの『通勤快速』が、4スト124ccの『通勤特急』となって新発売されたのが先月だったのだ(2005年2月発売)。また110に手を出さなかったのはあの車格こそ気に入っていたのだけれど、足元に荷物が置けない事と、リアキャリアとシートに段差ができるところが気に入らなかったからだ。250ccクラスのスクーターがあまり好きではないのも、車格には文句ないけど、足元に荷物が置けないのが不便に思えたからだ。その観点から、私はズーマーに可能性を感じている。ロンホイ、タンク剥き出しパイプ仕様……ここに後少しの積載性があれば。こそっと二種登録するのになぁ。

 

「それ、僅か数百円ですが税収が増えるので目を瞑ってくれているだけですよ? 元生徒会長がそういう事を仰るとは……実に嘆かわしい。姉さんには正々堂々とあって欲しいのが妹としての正直な気持ちです」

「これっぽっちも思っていないでしょう? 正々堂々とすれば『何をバカ正直に』って言うんでしょう」

「Exactly」

「ムカつく~!」

 

 ちぃイリヤに笑われた。

 

「ですが、日本も所詮アジアですし、長い物に巻かれっぱなしでいるより、少々のエゴを通す方が生きやすいし人生が楽になります。『正直者は馬鹿を見る』世の中であっても、フェアでスジが綺麗に通った姿でありたいという気持ちは私にだってあります。ですがホンの数十年前までは日本もバンコクやハノイと同じでした。そこは忘れてはいけません」

 

 中等部時代一切の家族旅行を拒否していた私は、高等部に上がると麻疹(はしか)が治ったかのように積極的に家族旅行へ出た。暗黒の中等部時代を取り戻すかのように、高等部1年の間、『エル』とは2人で4回も海外旅行に出た。その中でも思い出深いのがベトナムのハノイ旅行と、タイのバンコク旅行だった。ハノイは出発地次第だけど、日本からだいたい3時間前後で行けてしまう。社会主義国家だけれど、そう堅苦しい感じはしないし、食べ物も美味しく、素朴で人情味の溢れる人が多い印象だった。だけど戦後の復興期が長引いてずっと尾を引いている感じがした。その理由がタイに行ってからわかったのだ。

 そこを一先ず置いて、『エル』のたっての希望で、私達は最初にハノイへ入った。自転車を改造した多人数で乗れる人力タクシーなどが通りのあちこちを入り乱れて走っていて、大通りにバスは滅多に走らず、自動車のタクシーなんて見なかった時代だ。裏通りの商店街の路上では、おばさん達がフォーを食べながら談笑していて、学校が終わったらしき女学生の集団が、白いアオザイの制服姿で自転車を2人乗りしていたのを良く憶えている。何故なら皆んなが皆んなそうだったからだ。

 どの子も可愛くて笑顔が素敵だった。けれど彼女達からしてみれば白人の双子が、手を振ったり写真を撮ったりしているのが面白かったらしく、全然言葉も通じないのにニコニコと結構話し込んだ。会話の内容は他愛ない事だったと思う。『エル』が自分の髪を一房持ち上げ、触らせてあげていたので、私も同じ事をした。きっと『良いなぁ』とか『綺麗だね』とか言ってくれていたのだろう。言葉が通じなくとも『悪意がない』のは伝わるものだ。

 翌日『エル』の企て(くわだて)で、どこから手に入れたのか謎な白いアオザイを着て、あの子達の下校時刻を見計らって無事再会した。それで皆んなで集合写真を撮った。お互いがお互いの名前も知らないのに自己紹介をし、自己紹介されもした。でも、耳慣れない名前だったので覚えられなかった。だけど写真用に並んだ順に名前を書いたメモがあり、その写真と一緒にアルバムに挟んである。今もって全然読めない文字なのだけど。その後、タイのバンコクに行った。

 バンコクではキリツグと合流した。たまたま仕事でこっちに来ていたのだ。ベトナムの思い出はフォーというスープと、バインミーというサンドイッチが美味しかったのと、スコール(雨期だった)でアオザイがスケスケになったのと、名前も覚えられない大勢の友人ができた事だったけれど、タイではキリツグの通訳で結構色んな事がわかった。それで変態の我が妹は、地元の高校生の制服(ブラウスとスカート)と中学生の制服(やたらダボッとしていて、裾部分にポケットのある真っ白なセーラー服。昆布巻きみたいなリボンをぶら下げる)を普通に着て歩いていた。私の分もあったのだけれど、これはさすがに断った。

 それでわかったのが、ハノイの子達と違って、バンコクの子は『掟破り』を妙に恐れている事だ。皆んなあからさまに『エル』を避けるのだ。中には声を掛けてくる子もいるが、友人に袖を引かれこちらから離れていく。仏教の戒律が生きている国だから、禁忌には厳しい面があって、この国の学生でもない『エル』の異端振りに対処できないのだろうとはキリツグの見解だった。私もそう思った。

 けれど『エル』は全然へこたれず、その格好のまま屋台で何でも買っていた。正直この時食べたタイ料理は麺類と、サラダに入っていると教わったバナナの花しか覚えていない。『エル』がお店の人に頼んで、厨房からバナナの花を持って来させたのだ。花を食べる国はそこそこあるそうだから驚かないけど、紫色の大きな花には驚いた。多分、このせいで何を食べたかあまり覚えていないのだ。

 タイ料理も美味しいなと思えたのは冬木に帰って、タイ料理のお店に行くようになってからだった。だけど食料品会社を営む『エル』は何でも食べていた。きっとこれからクルマの渋滞が増えそうなバンコクは、その頃カブやその変形の渋滞が凄かった。台湾のスクーターみたいにそこかしこにカブが走っていて、4人家族、5人家族が平気でそれに乗って移動しているのだ。それを見て『次はハノイやホーチミンにインドがこうなりますよ』と『エル』は言った。

 ハノイでのバイク免許取得は19歳か20歳になってからで、バンコクは15歳からと結構開きがある。そこが自由主義経済と社会主義の差かもしれない。『エル』やキリツグに教えられた事だけど、中国ではバイクが自転車の延長と見做され無免で乗れるのだそうだ。それだから、逆行でも何でもありだという。おまけにハノイもノーヘルだったけれど中国もノーヘルらしい。これは後日書道部の旅行でわかった事実だ。

 レストランを求めて歩いた夜のバンコクは本当にカブだらけで、ホーンがあちこちで鳴っていた。それと街の至るところに国王の肖像画やポスターがあった。政情は不安定だけど国王は慕われているようだった。

 

『お父さんが日本にいた頃の子供時代はバタバタが走っていたり?』

『そこまで歳は食ってないよ。それは僕より二周りも三周りも年上の人達の思い出だ』

 

『バタバタ』とはカブという名が付けられる前の、後付のエンジンが付いた自転車の事だった。なんでこんなの知っているのだろう? だけど雷画さんからかと直ぐに気付いた。『ポンポン船』なども知っているから面白い子だ。

 

『いやいや、イリヤ。そういうお年寄りの話をきちんと聞いて覚えるから事業に活かせるんだよ。見習った方が良いと思うよ?』

 

 そうよねぇと妙に納得したのを覚えている。そんな事を思い出していたら、クルマは家に着いたのだった。

 

 

 

『エル』がクルマを置きに、横手のガレージに行った。メイド用のガレージの方だ。へぇ、あっちに置いているのか。それを見送ってから借りている家に向かおうとすれば、裏口から自転車が入って来た。トリンキンだ。彼女と逢うのは数日ぶりだった。しかも、3~4日前に初めて逢って自己紹介しあったばかりだったのだ。

 元々顔見知りだったバゼットさんや、ボーデンとは既に何度か逢っていた。なのにトリンキンとは全然顔を合わせなかった。大学でとても忙しいらしい。

 

「ハ~イ」

 

 と声を掛けたら、手を振り返してくれた。そこでちぃイリヤが彼女に声を掛けた。

 

「時間があるなら、一緒にお茶を頂かない?」

「良いんですか?」

「どうぞ」

 

 それでこちらの家に来て貰ってお茶を振る舞った。

 

「毎日忙しいんだね?」

「いえ、講義もありますがアルバイトがあって」

「アルバイト? どうして?」

「授業料を出して頂いているので、せめてお家賃はと」

 

 思わずちぃイリヤ以上に大きな声で『え~』と言ってしまった。

 

「言ってみればあなたも『エル』でしょう?」

「それはそうですが、少し違います。私は7歳からずっとこちらで、ママはマアエモさんやルオンさんではありませんし、アイリスフィールさんでもありません」

 

 ああ、そういう事か。トリンキンにとっての『お母様』は、メイド長のフリューゲルのお母様だった。多様性を求めた結果なのかしらね。躾の良い人なのだと思えた。そこで私はトリンキンを『妹の亜種』でなく『別の人』という感覚を抱いている事に気付いた。それは何とも言えない感覚だった。

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