フンボルト君へのブランチをアオレアールが作り終えると、交代して今度は私がキッチンに入った。宝具の空間から取り出したのは、日本の新潟県燕三条にある、お鍋専門会社と我社が開発協力した西欧人向けの北京鍋だった。サイズは大中小のスリーサイズ展開で、お鍋と同じ木柄が付いたお玉もセットになっている。
鉄鍋はシーズニングと使用後のお手入れが必要なので、どうにも主婦層からは敬遠されがちだ。しかしこの鍋は我社が開発した独自の鉄を使う事によって、シーズニングは不要だし、使い込まれ油に馴染んだ鍋のように食材がくっつかない。使用後も水で洗い流せ、そのまま放ったらかしての自然乾燥でオーケー。拭き取りも不要で絶対に錆びない。食料品部門がプロデュースする調理手順の映像や、レシピ本に掲載している写真にも使われているし、うちの商品を買って規定のポイント(シール)を貯めて頂ければ、このお鍋のセットも手に入るのだ。
このポイント用の製品には、これまでも他社のお鍋や包丁、カラトリー、各種の食器などを取り揃えてきた。けれど今後はこの北京鍋のようなオリジナル商品も扱う事となった。それはお客様へも還元をという私のポリシーと企画部とのバトルの末に産まれた妥協案だった。これを聞いてオカシイと思わない? 普通は底が深い両手鍋と片手鍋のセットからでしょうに。別に我社のロゴが入ってなくても良いけれど、小洒落たデザインの、どのご家庭にあっても困らない両手鍋と片手鍋から企画に上るべきだ。マーケットは西欧だぞ? なのに第一弾が北京鍋なの?
なら徹底的に西欧人でも困らないお手入れ要らずな北京鍋を作った。すると第一弾オリジナル調理器具のカタログには、この北京鍋のセット以外に、専用の耐熱ガラス蓋が付いた深型両手鍋、浅型両手鍋、片手鍋、『das "Bunka" Küchenmesser』『das "Santoku" Küchenmesser』などなどが掲載されていた。
さっきも言ったが北京鍋は大中小の3サイズ展開だ。当初私は30cmワンサイズで話を進めていた。で、できあがった試作品は、大が36cm、中が30cm、小が27cmだった。3cm刻みなら33cmがないのは何故だ? 27cmは小さすぎないか? けれどそんな私の疑問は無視され、こっそりと深型両手鍋、浅型両手鍋、片手鍋が開発されていた。しかもサイズは2cm刻みで、デザイン違いの種類も豊富だ。そして最後の包丁。
ドイツ語で包丁は、キッチン・メッサーという。メッサーは切る物という意味で、外科手術用のメスはメッサーを縮めた言い方だ。台所オンリーなら定冠詞は『die(女性格)』が来そうだけれど、医学が発達する前、狩猟の時代から男性でも女性でも使うのがナイフ(messer)だったから、定冠詞は『das(中性)』となる。ちなみにフォークは刺すものなのに『die(女性格)』でスプーンは『der(男性格)』だったりする。お箸は『das(中性)』でまな板も『das(中性)』。フライパンは『die(女性格)』でお鍋は『der(男性格)』だ。海外で『人形』を起動する私と違って、姉のイリヤは日本暮らしが長いからこの定冠詞をよく間違う。そりゃそうだろうと、私もツッコまない。
だけど包丁で気になったのはそこではない。カタログの説明文にある"Bunka"と"Santoku"の文字と、その写真だ。白2か青2かは知らないが、説明文にはハッキリきっかり『Wakho(和鋼)』と書かれてあるし、お手入れ方法まで書かれてある。そして写真には、表が400番、裏が1000番の貼り合わせ砥石が写っていて、それもセットに含まれると書かれてあるのだ。
そこにも驚くが、それより『文化包丁』と『三徳包丁』が別々に紹介されている事に驚いた。そこらの料理好き、いやプロの料理人に聞いてくれても構わない。『文化包丁』と『三徳包丁』は別々の理由から、これまた別の時代に発生したもので、両者が別物だとわかっている料理人や包丁屋はほとんどいないから。これも考えてみれば当たり前のことで、ご家庭の主婦向けで料理人向けでない『文化包丁』や『三徳包丁』は、地域性や流行性から来た呼び名の違いでしかなく、同一であると考える人が大勢を占めている。
だけど私の研究では、『文化包丁』の原型は江戸時代末期から明治初頭に掛けて、食材が増えた事に対する主婦層やプロの要望に地域の鍛冶屋が応える形で産まれたもので、名称は『文(明開)化』から来ていて、太平洋戦争後に産まれた三徳包丁とは明らかに異なる形状を持っていた。概ねは菜切り包丁の先端を、肉を割き、野菜の小細工がしやすいように斜めに切り落としたものか、もしくは出刃包丁の厚みを減らし軽量化したものから端を発している。前者は博多包丁などがこの形状を今も継承している。後者は舟行包丁に進化し、更に薄く軽くなり、両刃になっている。なのでそちらを総称して伊予型三徳包丁などと呼ばれている。包丁の歴史なんて余程の好き者しか研究しないから仕方ないけれど、私からすれば伊予型文化包丁、あるいは伊予型家庭包丁が正しいと思うのだ。というのは三徳の徳は『魚・肉・野菜』の対応しているという意味で、伊予型は『肉』が一般家庭に浸透する前からあったからだ。人々が牛肉を口にするようになったのは牛鍋屋ができたからではない。畜産が広まり市場に出回るようになってからだ。そして氷室→氷屋→冷蔵庫と保存方法が急激に発達していくのが、この大戦後からだ。
余談だが『関東の豚肉、関西の牛肉』という言葉も、この畜産の広がり方から来ている。広がって発達すれば流通価格は落ちる。だから関東では豚肉が安く、関西では牛肉が安く手に入ったのだ。
そしてこういう歴史的背景を知らないバカほど、『肉じゃがと言えば豚一択だ。おかしいんじゃないか、お前』『アホか。肉じゃがゆ~たら牛肉に決まっとるやんけ』となる。巨人-阪神戦のチケットが、その昔は馬鹿売れしたという。これは対立構造を作る方が儲かるという典型的な例だ。大衆は煽って踊らせると財布の紐が緩くなるものだからだ。
『人類はちっとも進化してない』
そう言った昔のあなたも、煽ってくる太鼓や歌に合わせて、櫓の廻りを踊っていた1人でしかない。
話を戻すが、以上のような事柄から、『文化包丁』と『三徳包丁』は別物だと認識すべきで、異なるものであると考えるべきなのだ。そしてドイツ語のこのカタログには、両者が別物として取り扱われていた。だから驚いたのだ。主犯はパミかミトだと思うが(特にパミ)、彼女達は記憶がリンクした部分もあるけれど8歳から別人だ。なのにこんなカタログを発行した。ドイツに居ながらどれだけ研究したのだろう? 私が気になったのはそこだったのだ。
閑話休題。
下拵えは終わった。鶏ガラを溶いたスープも、片栗粉を溶いたものもボウルに移し替え、野菜類も油通しが済んでいる。熱した鍋に再度少量の油を引いてベーコンを投入、ガーッと火を通し、スープとお酒、調味料などを入れ少し煮込む。この間に冷凍庫にあった余り物のご飯を適量チンする。次に野菜を入れ、溶いた片栗粉を投入する段で火を止めた。
チンしたご飯をお皿に盛って、できあがったアンを掛けて完成。アオレアールとの2人分の、手抜き八宝菜(中華丼)もどきだ。ブランチを終えたばかりのエルヴァとフンボルト君の分はない。一応訊いたが断られた。当然だろう。できあがったそれを見てアオレアールはニコニコし、フンボルト君は『ほぅ』という顔をし、エルヴァは『チャンプルー?』と呟いた。思わず私はニヤリとした。
きっと彼女はこのアメリカンな食材で作った『うま煮』にからチャプスイを連想し、それを私に限ってないと考えを改めチャンプルーと言ったのだ。チャプスイは広東料理の炒雜碎(チャーウチャプスイ)を苦力(クーリー)がアメリカに持ち込んで変化したもので、元は家畜の内蔵(モツ)を使った『うま煮』だった。それが長い時間でアメリカ人向けの食材を使い、アメリカ人の口に合うよう改良された。それがアメリカン中華の定番『チャプスイ』だ。
そしてそれが米軍によって再び海を渡り、沖縄に上陸した。しかもあちらの基地周辺の食堂には、元から島豆腐が使われた『チャンプルー』があった。これがアメリカ式チャプスイと混ざって、とても面白い事になっている。またこれとは別に九州では『ちゃんぽん』があるし、インドネシアには『チャプチャイ』などがある。
私は呼び名も語源も、所詮ローカライズされたもので意味はないと考えている。重要なのは手に入りやすいたくさんの具材(五目や八宝はたくさんという意味)を炒め、鶏ガラベースのスープ(ダシ)で煮込み、塩やその地の醤で味を整え、アンにしたものをご飯や麺、あるいは汁麺に掛けたものであるという点だ。そしてそのアン掛けは肉体労働者を含む庶民の食べ物で、特に決まった名もない、ありふれた料理だった点だ。
島豆腐が必須ならそれは『チャンプルー』と定義されると思うが、アメリカであろうと中国の周辺国であろうと、何が使われているかは関係ない。下がご飯なら『中華丼』、汁麺なら『ちゃんぽん』と日本が勝手に名付けただけで、それらの上は全部『五目うま煮』だ。魚介と豚肉が入っていないと、鶉の卵が入っていないと……そんな枝葉末節に拘ると本質を見失う。また本質がわかっていないと、西欧人向けには開発できない。
食事を終えた私は食器を下げると、再び少量の冷凍ご飯をチンした。中華鍋に溶き卵を落とし、鍋で踊らせ、ご飯と彼女が庭で育てているネギや角に切ったベーコンと炒めた。味付けの際に、冷蔵庫にあった『山海ぶし』を入れた。私が日本に来て、一番ショックを受けた食品が、この『山海ぶし』と『江戸むらさき』、そして味付け海苔だった。各種のお漬物にも感動したが、そちらは言ってみればピクルスやザウアークラウトとその立ち位置があまり変わらない。その意味では『山海ぶし』と『江戸むらさき』はジャムと同じとも言えるけれど、何としても『ご飯』は喰うぞという執念をそこに感じないか? そして海苔とともに『おにぎり』の具にバッチリ合うし、冷えても美味しいのだ。
私は暖炉でチーズを炙る人達の間で育ったが、元はカチコチのチーズをナイフで切り、ドライ・ソーセージと、やたら黒くて硬いパンをもそもそ食べる国の出身だった。それだけに『おにぎり』の存在は衝撃的で、読めもしない日本語で書かれた本を何度も読み返したものだ。そして『ふりかけ』の存在を飛び越える、『お茶漬け』という悪魔の存在。冷えたご飯を温め直し、なおかつ喉越しを良くするという、錬金術もかくやという豹変振りを発揮させるその手法は、ご飯でしかできないのだ。マッシュ・ポテトもハッシュド・ポテトも、トルティーヤもタコスもお湯に浸けると死ぬ。これが通常の考え方だ。そして『お茶浸け』でなく『お茶漬け』と書くその意味。それを考えるだけでご飯がお代わりできる。そんな変な外人はお前だけだとシロウさんに言われたが、目は笑っていた。あの人もそこまで考え思いを馳せる人なのだ。
できあがった梅肉チャーハンをエルヴァとフンボルト君に試して貰った。アオレアールもエルヴァからスプーンを借りて試食した。
「エルヴァ、これも美味しいよ」
「ええ。じゃこ(雑魚)を少し入れたいところです」
フンフンとアオレアールも頷いているのは、じゃこ(雑魚)チャーハンや、醤油味のじゃこ(雑魚)炒め飯というのがこの世にあるからだ。そのじゃこ(雑魚)炒め飯に鰹節を振り掛けても美味しい。俗に言う『猫まんま』に近い物だが、本来の『猫まんま』はご飯に鰹節を振り掛けたものに、お好みで醤油を少量垂らしたものを指し、ご飯を炒める事はない。けれど江戸末期や大戦後の食糧難だった時期、これらが庶民の間で流行った。つまり貧乏飯だ。だけどこれが思いの外(ほか)、美味しい。なのでバターライスにチリメンジャコと鰹節を振り掛け、醤油を垂らす食べ方も大阪の下町で残っている。例えこれらの存在を知らずとも、エルヴァ提案のじゃこを入れるという方法は、アオレアールの頭の中での計算が成り立った訳だ。
なお、うま煮掛けの話に戻るが、ご飯にとろみのあるモノを掛ける事は許されても、ご飯に汁を掛けるのはタブー視している国はそこそこある。この汁かけ飯を日本では『犬飯』とも言うけれど、お茶漬け文化があるので、家の中でする分には誰も咎めない食べ方だ。けれど外でするとはしたないと思われるので注意しよう。また掛けるのは味噌汁なので、『ミソがつく』とされ、またその汁でご飯が崩れるさまが土砂崩れを連想させるからと、マタギや木こり、牛方馬方からもタブー視されている。
なお北条氏康が氏直の二度掛けを嘆いた話と可児才蔵が福島正則に話した話は有名だけど、氏康の場合は味噌汁の量を見誤ったからだけではない。家臣の前での食事だったから、『そういうところにも目を配れよ』という助言であった可能性が高い。また、天下はほぼ織田か織田の一派で決まるだろうと読んでいたという説もある。つまりその先、北条はどう生きるべきか。織田の家臣となれば『二度目はないぞ』、そこを考えろという意味だ。
どうしてそういう読み方ができるのかと言うと、それは『汁かけ』とは別に『湯漬け』という食べ方が、上級武士や貴族といった風流な人々の間にあったからだ。信長が桶狭間の戦いの前に舞(敦盛)を一差しした後、立ったまま腹拵えをした。その時の食事がこの『湯漬け』であったという。
当時のお茶は煎茶でなく、高価な抹茶だ。なので『お茶漬け』などはなかった。また濁った味噌汁を掛けるのでなく、『湯漬け』はお湯だから、腹持ちと食事時間が考慮された食べ方でもあるし、ご飯の旨味と香の物などの食材の旨味がわかる。なので風流人に流行ったのだ。
この『湯漬け』に倣ったから、『お茶漬け』と漢字を書くのだ。また、『お茶漬け』がメニューにあるお店に入って注文すれば、掛かっているのはお茶でなくダシだ。家でもご飯に『お茶漬け海苔』を振り掛けた後、お茶でなく温めたダシを掛けよう。それだけでお店の味になるから。
つまり私が言いたいのは、二度掛けを嘆くより、『ダシ漬け』を思いつき、信長に献上できるだけの頭脳を持てという事だ。当時から鰹節はあったのだから。要は先祖の遺産でお殿様なんて祭り上げられているけれど、親子揃って暗愚なのは間違いない。アインツベルンである私はそういう話がとても気になる。
『人の迷惑顧みず、やって来ましたアインツベルン。だぁ~れが壊した大聖杯、大聖杯~♪』
姉さんが止めるので生かしているが、アハトは必ず廃棄しよう。
「まぁ~た、お前は碌でも無い事を考えているな」
おお、シロウさん達が戻った。先生がやや疲れた顔をしているのは、幽霊の人生相談に乗ったからだろう。冬木のような街全体を覆う結界なんてないアメリカだから、かなりの数をこなしたっぽい。そんな先生と対象的に凜とミヤコちゃんはネズミーを満喫したようでニコニコだった。凜はあまりにも早く魔法使いになってしまった。そして親の立場を考えられる思いやりの心がある子だ。だから羽目を外すなんてありえないし、羽を伸ばす事も余りして来なかった。そんな状況で学園を卒業し、今は時計塔の講師な訳だ。倫敦ではルヴィアがフォローしていると思うけれど、先生にしてみれば心配でならなかっただろう。そしてそれは私も同じだった。
また同時に先生は孫のミヤコちゃんの事も気に掛けている。新しい魔法使いはどうした事か、並行世界であれば『過去』にも行けた。パラドックスとかどうなるのかと思うけど、そこは何とかなるのだろう。なのでより一層の成長を願ってなのだと思うけれど、このアメリカ行きに先生は凜を誘って、ミヤコちゃんを充てがったのだろう。
「誰が碌でも無いだって? ゾンゾンするぞ」
「ゾンゾンってなんだよ?」
「ちっ。ギゾギゾのガズゴズにしてやるって意味だ」
シロウさんは首を捻って考え出した。
「それって今考えた言葉でしょう? 濁音ばかりだとイメージ悪く聞こえるようになるのは何でかしら?」
「濁音減価といって、言語学では証明された現象らしいです。こういう音に対して、最初に意味があると提唱したのはソクラテスらしいですね」
「そうなんだ?」
先生はさすがに落ち着いていて、『私の遊び』に興味を示した。
「はい。怪獣などの『恐ろしいもの』にもこの濁音や破裂音混ざりの名が多い傾向になるのは、何も日本語だけでなくどこの言語でもそうです」
「へぇ~。あんたって子供の頃から自分だけのオノマトペを作ったりしてたものね。最初は謎だったけど、今はわかる気もする。言ってみれば『発想の柔軟さ』を鍛えていたのね?」
「鍛えるというか、準備運動ですね」
「なるほど。で、何か思いついた?」
「思いつく事なんて山程ありますが、たいてい会議で却下されますね。で、数年後にそれやりましょうとなって。こっちのモチベーションはとっくに下がっていますし、次の企画をもう出している訳です」
「周囲が理解するまでにタイムラグがあるんだ?」
「はい。それが結構苦痛なんです。時々、会社を辞めて1人でお店でも開こうかなって思いますよ。まぁ、オーナーはそのまま続けますが、結婚したら相談役にでもなって、今のミトやパミとのトロイカ体制から抜ける積もりです」
「前は30歳で引退って言ってたのよね?」
「はい。ですがそれは魔術をもっと研究したいと考えていた子供の頃の話です。今は見知らぬ世界で、1から事業を興すのも面白いかなと考えています」
「慎二君を連れて?」
慎ちゃんの事を思うと、私の淡い願望も露とともに消さざるを得ない。そうなると一族の表の事業をコンサルティングして儲けさせる以外に楽しみはない。その方がハーウェイ総裁らしくて良いのだろうけど……。
「オレさ、渡った先が日本で、そこで数年暮らすとなると立ち食いの店を真っ先に開くんだ。わかるだろ?」
「仕入れは安いし、日銭が入り、人件費も嵩まないから?」
「その通りだ。その後にどこかのお店に板前として入って稼ぐ。ある程度勤めた後に、アメリカに渡ってベガスで寿司職人をやったりな」
ヨーロッパに行くよりアメリカに行く方が和食の料理人はお金が稼げる。英語はペラペラ、現地の人の好みに合わせて、どんな風にでも味付けできるシロウさんならではの言葉だ。この人の報酬はお金の上に食べた人の笑顔があるから、そんなの和食じゃないだろうというのも平気で作る。私もプルドポークの天ぷらや、チーズの天ぷら、エンダイブやチコリといった葉野菜を食べやすい量に束ね直し、味付け海苔で巻いた天ぷらを頂いた経験がある。アメリカの葉物野菜もシロウさんに掛かれば何にでも変身してしまう。酢の物、酢味噌の和えもの、BBQソース和え、カラシ甘ダレ和えと、本当に何でもありだ。
握ったスシでも刺し身でも甘ダレしか受け付けないアメリカ人は多い。なのでこんな工夫が必要となるのだ。コースと言うか本格的な懐石料理も作れる人が、そういうのも作れるところが本当に凄い。寒ブリやカンパチ、大きなヒラメにハタ、本マグロの捌き方もシロウさんに教わった。煮物・焚き物・揚げ物・和え物・酢の物と本当に色々教わった。
なのに冬木での私のビルのテナント料がまともに取れない。だから早くから釣具屋とボートハウスの副業を勧めた。悲しいかな、まともな美味しい料理にお金を払えない人が増えたのだ。それだけ日本人は貧乏になってしまった。天下り先ばかり優遇する電卓以下の官僚、自分の懐具合しか気にしない政治家。全部排除した。議員は地元有権者の掌握で軒並み落選させた。票を操作するインチキもアサシンからの報告と証拠を使って暴露し、いくつかの党を解体に追い込んだ。潰した企業はいくつだろう? けれど気の毒なのは、まともな社員だ。なのでそういう真面目な人は、より大きくまともな企業に移動させるか、ウチの極東支部で拾った。けれど自分のミスを他人に擦り付け遊んでいるような幹部社員と、アルバイトやパート、派遣社員を食い物にしていた社長は海外からも圧を掛け追い込んだ。ウィグルの新疆綿を扱っていた会社へは、ウィグル族から訴訟を起こさせ、莫大な慰謝料を支払うよう世界の世論を動かした。
兎にも角にも1年革命と並行して、この日本で明治から続いた薩長体制を私が闇から破壊したのだ。そして今、シロウさんと先生のお店は以前より繁盛していて、テナント料も入って来るようになっていた。
私やシロウさんのとの話がつまらない方向に行きそうだったので、凜に目配せし、ミヤコちゃんを連れて母屋に行って貰った。つまらない方向と言っても、激論になったり口論するような内容ではない。悪い空気や嫌な波動を人に起こさせる存在を潰すのは、いい加減しんどいよねという愚痴大会になりそうな予感がしたのだ。だけどそうはならなかった。フンボルト君とエルヴァが話を上手く変えてくれたからだ。何とこの夫妻、シロウさんに『職人魂』について訊ねてきたのだ。フンボルト君の話を一通り聴いたシロウさんはこう答えた。
「君の選んだ職とオレの選んだ職はあまりにも違う。けれどその『職人魂』は同じだと思う。それは『葛藤と妥協』の繰り返しに、どう折り合いを付けるかだ。アマチュアなら好きなだけ時間を掛けて、とことん追い込めば良い。特に君のギター造りなんて腐らないからな。けれど納期を考慮しても『これで良いのか?』と悩み、完成しても『もう数日欲しい』と悩み、どこか『未完成』と感じる品を納品する後ろめたさ……。真面目であれば真面目であるほど悩むものさ。だろう?」
「はい」
「実家が家具工房で、金属加工もやっていたんだっけ?」
「はい。金属加工は自動車のパーツ専門でしたけど」
「でも、無駄になっていない。だから独学でこんなショップが開けたんだろう? きっと君より巧い職人は、アメリカには大勢いるだろう。そして彼らも壁にぶち当たっている。それは商品を提供するまでの時間と価格のバランスが取りにくい職業だからだ。君の事だから、腕はこれからもどんどん上達するだろう。だけど最低……そうだなぁ、料理じゃないから無茶は言わないけれど、1週間から10日で1本は完成させる早さと、ウィンドウに飾ってある自信作と同じクオリティを維持しないとな。そしてそこにプラス売れる知名度が欲しい。けど、知名度は奥さんに任せな。この子ならどうにかしちまうよ。とにかく君は週に1本、年に50本は制作できるようにならないと。それがプロだぜ?」
フンボルト君は大きく頷いていた。けれどシロウさんはここでエルヴァの存在を失念している。私は自分でパソコンを組み、OSをインストールしセットアップができるだけではない。『Linux』でメールサーバを建て、コンデンサが傷めばハンダゴテ片手にそれを付け替える女だ。そして解析魔術もそこそこ使える。バイクと同じく音楽も好きなので、楽器の構造にもそれなりの知識がある。そしてそれはエルヴァも同じなのだ。
いや、バイクにそこまで興味がない分、楽器へは私以上に思い入れが深いと思う。となるとフンボルト君とのデートが、日本であったような楽器店巡りであるなら、解析しまくりだったろう。しかも彼女はお兄ちゃんの能力が使える半英霊だ。となると、そのギターやベースを作った職人の経験から技術から、ギターの構造以外も何から何まで解析したに違いない。しかもフンボルト君には魔術回路がある。おまけに夫婦だからパスも太い。とんだカンニングだ。けれどそこは責められない。2人の生活が掛かっているからね。
だけどエルヴァも甘い。フンボルト君の料理の腕や掃除の腕が、結婚式以降メキメキ上がっているなんて私に話さなきゃ良いのに。掃除はわかるよ。マメなタイプなのは知っているから。けれど、元々料理ができていたにせよ、急に上手くなるなんておかしいでしょうに。つまりそれもエルヴァからパスで学んだのだ。こっちは無意識っぽいけれど。
「あ、あと今とは違う職業も頭の隅っこで考えておこう」
「どうしてです?」
「これはオレの経験だけど、老いた時にな。お店に立てなくなっても、人に任せたくなかったんだ。なのでオレは店を畳んで、家のガレージを改造した工房で、バイクのエンジン・パーツやキャブレターのパーツを作って通信販売をやっていた。だって奥さんや子供を食わせなきゃならないんだぜ。だからそういうのをな?」
これにもフンボルト君は大いに頷き、エルヴァもハッとしていた。最後は立ち上がってシロウさんに握手を求めていたくらいだ。長年祖父や父親の背中を見て来た彼だ。シロウさんの話している職人の心構えは全部予測済みだったろう。だけどバイクのパーツは意外だったようだ。けれども、ここは本当に大切で、ほとんどの職人が老後の資金に難儀するものなのだ。何人もの職人を雇える街工場規模でも、跡取りが居て、安定した仕事を回してくれる大口の取り引き先がないと厳しいものなのだ。シロウさんは職人を育てない訳でも弟子を取らない訳でもない。独立も許すし、支援もする。けれど自分の店だけは、自分の目を隅々まで行き渡らせたい人だった。だけど歳を経て、それが無理となったから潔くお店を畳んだのだ。
エルヴァと10歳違いのフンボルト君は、30歳を越えたところだろう。後、何年工房にこもれるのか? 厳しいようだけど、そこも考えておくべき事だ。例えエルヴァがそれなりに不労収入や預金があったとしても、好きになった人の生き甲斐は奪えない。なら、別の何かを頭の隅に置くのは間違いではない。
だけど私は心配要らないと考えている。エルヴァは既に何人かの有名ギタリストが見に来たり買ってくれたと話していた。普通、オープン数年のお店でそれはない。奇跡と言っても良いだろう。だけどそれは起きた。今後はもっとそういう事が増えるだろう。何故ならフンボルト君とエルヴァの事を『神(現象となったエル)』が認めて応援しているからだ。だからフンボルト君達は絶対に成功する。それは決定事項だ。
夕方5時半、用意ができたと母屋のモニカさんから電話が入った。なので私達は庭を突っ切って歩いていった。私、フンボルト、パミちゃんの家族に、モニカさん、ミアータさん、リンさん、リサさんの4人のメイド。そして凛さんに士郎さんといつものメンバーに加え、今年はゲストの先生、シロウさん、凜にミヤコちゃん、アオレアールに、『エル』も居る。総勢15人なのでダイニングのイスは全部リビング側に運び出してあり、リビング側でパーティを楽しもうという段取りのようだ。なので料理の数々はダイニングのテーブルに並んでいるというか、好きに取りに行くバイキングのような形式だった。
ただしターキーだけは丸のまま、こちらのリビングにあるテーブルの真ん中にドドーンと置いてある。これだけで十分サンクスギビングデイの雰囲気がある。皆んながグラスを手に取った。妊婦の私と凜とミヤコちゃんは当然ソフトドリンクで、他のそれぞれはお好みのアルコールを注いだグラスを片手に持っている。そして全員で乾杯した。
「んマッ(旨っ)!?」
切り分けたターキーを一口食べて、ジャイアントロボのような声を出した『エル』が目を丸くしていた。家どうしが離れているので、今まで私が作ったものか、自分やアオレアールさんが作ったものしか口にしていなかったから気付けなかったのだろう。モニカさん、ミアータさん、リンさん、リサさんの4人のメイドが作るお料理は『アメリカのお料理ってこんなのだったっけ?』と疑問が浮かぶくらい美味しいのだ。
食材にも調味料にも気を配っているが、手に入れる場所はここカリフォルニアだから、基本の味は、お料理上手なアメリカ人主婦が作るものと傾向は似ている。けれど、ハーブの使い方などはアインツベルンのそれで、どこかエルヴァちゃんのマアエモ・ママとも似ていて私の口に良く合っていた。更に言うならこの4人はマアエモ・ママのすぐ後に、同じ型を使って鋳造されているので、気質や人間性も結構似ていた。
ただ、スイスとは異なるアメリカで暮らす訳だから、異文化に馴染む柔軟性を持ち合わせ、応用力は高められてある。単なるメイドではなく、家の修繕や庭の手入れ、クルマ修理などの知識も与えられた文字通りのハウスキーパーでもあったのだ。こういう部分が、エルヴァちゃんのマアエモ・ママや記憶に残るマアエモ・ママとも違っていて、私はルオン・ママに近いと感じていた。けれど趣味を仕事にしてしまったミアータさんを見てその考えを少し改めた。4人はお祖父様が鋳造なされたイルマだったのだ。
そのイルマを鋳造した『エル』は直ぐに気付いたようで、4人を本当に感心した目で見ていて、料理を素直に褒めていた。私と同じでねぎらいの言葉や感謝の心を忘れない『エル』だけど、ここまで他人の鋳造したホムンクルスを褒めたのは初めてではないだろうか?
「すみませんが、4人とも口腔の粘膜と髪の毛を数本提供して頂けませんか?」
食事中に何を言い出すのだ、この女は。けれど4人は素直にその『お願い』を受理した。『11代目アインツベルン総裁』という肩書きでなく、彼女の持つ『総裁の刻印』に反応したのだろう。
「お祖父様に無断で。ダメでしょう?」
すると彼女は、とある契約書の写しを私に見せてくれた。その文面とサインを見て驚いた。フンボルトとの結婚式の頃かそれ以前に、『エル』はお祖父様と『鋳造技術の相互交換』を締結していたのだ。これは『錬金術』レベルまでの技術は隠し事なく交換しようという意味だ。だけど『魔術』以上は、その術式ごとに新たに契約を交わす旨も書かれてあった。世界を異にしても、どちらもアインツベルン総裁だ。さすがにそこは強(したた)かだ。
けれど効力の凄そうな契約書だ。私の見たそれは解像度の低いカラーコピーだったけれど、お祖父様のサインの横にはアインツベルンの紋章が捺されているし、『エル』のサインの後ろにも同じ紋章が捺されていた。蝋封でない赤黒いそれは、間違いなくお互いの血だ。印鑑の文化のない西欧の契約書だけど、血で指輪の紋を捺すというのは、魔術師同士の間では本当にあった形式だ。何とも古風だけれど、ブルーブラックのインクで書かれたサインにはどちらも姓にアインツベルンを使い、どちらも同じ大きさ同じデザインの紋章を捺している。お祖父様のはこの世界の本物で、『エル』のものもあちらのお祖父様から譲り受けた本物だ。そこで『エル』も違和感を感じたのだろう。彼女の紋の後ろには、彼女が日本で作ったと思わしき印鑑が捺されていた。
「これ……?」
「ええ、私の実印です」
きっとお祖父様にはウケたに違いない。