ロケ撮影の第一弾が始まった。本日はオープニングとエンディングのシーンの撮影が主だ。ただ、このエンディングシーンには数パターンある。それはCMの長さが番組によって変化するからだ。ドイツのそれはあまり知らないけれど、基本は日本のそれと余り変わらないと思う。その日本の事を例にして話すと、CMは15秒や30秒のスポットと、60秒以上の尺を使うインフォマーシャル(インフォメーション+コマーシャル)に大別され、前者だと短い時間で訴求力を持たせるのは難しいので、とにかく商品名だけでも覚えて貰おうとインパクトあるCMにするのが王道だ。尺のある後者はまさに企業の訴えたい事が詰め込めるので、映画の前に流すような数分もあるバージョンや60秒に纏めたものまで様々だ。ただ長いとTVで流し難くなるし、放送料も高くなる。
そこで一社提供なら15秒のスポットを、連続ドラマ仕立にしてインフォマーシャルのような効果を持たせようというパターンも90年代のラジオから流行り始めた。裏返せば資金面からもラジオにしかできない事だ。
(『エル』は日本のFMで流れた(おそらく関西限定)サッポ◯・ビールの連続ドラマ風ラジオCMを高く評価していた。おおまかなあらすじはこうだ。舞台は大阪、下町のたこ焼き店に販路を広げようとする札幌からやって来た若き営業。そこに立ちはだかるライバルのナニワ・ビール(ドライが当たり、吹田に工場を持つあそこがモデルっぽい)の営業。頑固だけれど人情味のあるたこ焼き店の大将に、マドンナでもある看板娘。その人々が織りなす人間ドラマが、番組内の短時間なCMで連続ドラマとして流されるのだ。
とある回でずっと断られてばかりの主人公が、ナニワ・ビールの営業が請求書をマドンナに『ラブレターですわ』と渡すシーンで恐れ慄きつつも、これが大阪のノリかと1つ学ぶ。その回が特に好きだと『エル』は話していた)
今回の撮影はそのインフォマーシャル用の長尺なオープニングとエンディング、スポットの60秒を基準にして、15秒や30秒に編集するための尺合わせ的な別バージョンのオープニングやエンディングも撮影する。インフォマーシャルでしか使えないモノローグシーンなどのスタジオ撮影分は先週までに撮り終えていた。ロケ地はバーデン=ヴュルテンベルク州内のシェーナウという小さな街の郊外だ。事前に目を通したシナリオにはト書きでこんな事が書かれてあった。
『後に世界的なライダーになる少女が、休暇を利用して生まれ故郷に帰った。そこで幼い少女と出逢いドリンクを渡した。10年後、その子が世界チャンピオンに挑む』
ス、ストーリーが膨らんでいるわよ!? と、読んだ私は驚かされたものだけど、スタッフが増えるとはそういう事だと『エル』に窘められた。
『こういうプロジェクトは1から10まで自分の思う通りには行きません。こちらのコンセプトと、今後に繋げたい背景のストーリーを理解して貰えるなら、会社としてはより良くなるのであれば少々の改変はOKですから』
なるほど。
『むしろでしゃばった改悪でなく、こちらの考えを理解した上で枝葉末節まで掘り下げようという姿勢にプロ魂を感じます。ですので監督には編集でストーリーが変えられるなら、マルチエンディングも考えていて欲しいと頼んであります。なにせ役者は全員身内ですからね』
マルチエンディング!? そんな事を考えていたのか! でも15秒とかならそういう方がインパクトがありそうだ。
私達をロケ地まで送ってくれたのは、タゥ(露)という名を与えられたメイドで、『エル』でなくメイド長のフリューゲルが指示していた。しかもハンドルを握るクルマはマツダ・ランティス(Mazda 323F)の前期型ハッチバックだった。日本では不人気車だったけれど、ここドイツではそのパッケージングの良さから結構売れたクルマだ。同じように欧州で人気があったクルマに『アンフィニ MS-6(Mazda 626)』や『マツダ MX-6(Mazda MX-6 Coupé)』などがあるが、この90年代初頭の国内で不人気だったマツダ車は、私の目から見ればどれもデザインが良くエンジンも良いのが乗っていると思う。
特に同時代の『オートザム AZ-1』は、スズキのエンジンだけに今でも欲しいと思っているし、欧州のみだった後期型の『Mazda MX-6 Coupé』や、BH型ファミリアのNeoの姉妹車『Ford Laser Neo』は、今も色褪せずカッコ良いと思う。結局、販売網の多チャンネル化が失敗だっただけで、ものは良かったのだ。それだけに実に惜しい。
この『Ford Laser Neo』は、大魔道士の先生が最終型『RX-7』を手に入れる前に乗っていた(1.5S)。『エル』が言うには、本家のメイドの1人が欧州版のそれに乗っていたそうだ(GT-Xだったらしい)。立ち位置としてはファミリアNeoの上で、タコメーターが付き、後部座席が6:4で倒せ、ミラーやドアノブがボディ色だったのを憶えている。バブルが弾け、コストダウンのために内装がチャチになっった言われる国内モデルと違って、海外では実用的で汚しても気にならない下駄グルマとしてそこそこ人気だったのだとか。私は単にあの外装デザインと丸目のライトが可愛いと思っているだけだけど。
ところで、確かルヴィアの小母様がこのランティスの前の『Mazda 323 GT-X』というターボ車をお持ちだった。ラリー好きとお聞きしていただけに、そこはランエボじゃないんだと少し驚いた。そのランエボ好きなルヴィアは冬木にある家の庭で、パワーウィンドウとエアコン付きの『ダイハツ・ストーリア X-4』を乗り回している。日本一勿体ない『X-4』だろう。今後免許を取って街で乗るなら、1.0か1.3を手に入れないか?
なお、ミトも自分のクルマを出してそれで来ていた。それがなんと『Aston Martin DB9』だった。おそらく日本で買えば2千万はするだろう。彼女とパミは『エル』のようなお祖父様からの制約がないので、ポルシェやBMWなども持っているそうだ。表向きは箱バンしか乗っていない『エル』とは随分違うものだ。けれどポルシェは70年代頭のナローのキャブモデルで、BMWは3.0CSと2002tiとこれまたキャブモデルだった。彼女は本来キャブ車が好きらしく、インジェクションのDB9はハッタリ用なのだとか。今、欲しいのは『Jaguar E-Type Series I Roadster』らしい。
私達がロケ地である郊外の森を抜ける道路に着いた時には、既にライトやカメラなどの機材がセットされた後だった。クルマが止まったそこには、既に暖気は終わっているのだろう、赤い『GSX-R750R(RG)』が脇に置かれてあった。その86年式のスペシャルなバイクは、勿体ない事に『Suzuki』のロゴが全部取り去られていた。しかも良く見ればマフラーは社外品の集合管で音が凄そうだ。私は急いでちぃイリヤをロケ車に押し込み、指定された衣装に着替えさせて軽いメイクを施した。ロケ車から出ると革ツナギを着たミトがヘルメットとグローブを脇に抱えて私達を待っていた。
「ミト、もう1台あった89年の『GSX-R750R』でなく、こっちの86年式に決まったのはどうして?」
「ノスタルジック感を強く出すためですよ、お姉さん」
なるほど。86年式も89年式も、油冷時代の逸品だ。しかも86年式は私達の誕生年だ。姿が見えないのはミトに代わって出社しているからだと思うけど、『エル』のチカラの入れ具合がわかる。その事をちぃイリヤに伝え、気合を入れた。監督(ディレクター)の指示の下(プロデューサーはミトが兼ねている)、撮影が始まった。エンジンにミトが火を入れた。シーンは森を縫って走るところからだ。シングルシートのレーシーな『GSX-R750R』だからか、先日と違ってミトは『汚れた英雄』みたいな乗り方をして走り去っていった。
同じ油冷の『Inazuma』に乗る私だけれど、その排気音はもっとアグレッシヴでカッコ良かった。走り去ったミトを追うように、撮影用の強いライトが森の中で光っていくのが見えた。電源車を何台出しているのだろう?
ここから見える範囲でもカメラマンが複数人居て、風景などを撮っているし、立てられた櫓の上にもカメラマンが待機していた。空の上にはヘリコプターまで飛んでいる。ここまで本格的なロケは初めてだった。やがてミトが帰って来た。
「小さなお姉さん。夏の想定なので、多分出番はもっと日が高くなったお昼頃ですよ。それまでロケ車か私のクルマで休んでいて下さい。ロケ車にあるお菓子やドリンクも自由に頂いて下さって構いませんから」
「うん」
「それとお姉さん」
「はい?」
「先日の産業スパイの話は『エル』から?」
「ううん、聴いてない。お仕事に絡むだろうから、あなた達に聞けないし」
「お気遣いありがとうございます。けれどこれだけはご報告しておきます。無事解決しました」
よくよく聞けば、犯人は社内に居なかったのだ。物は売り物にならないけれどという前置きで『エル』がお昼用に作り置きしてあったジャムを、ミトが気に入り彼女もよく使うようになった。それを知った仲の良い社員さんに数瓶譲ったところ、家に持ち帰った。それが同棲していた彼氏が試し、気に入ったので会社に持って行った。そこに居たスパイが、ライバルの食品会社に持ち込んだ……というのが真相だった。
その『物』とは『エル』が日本から持ち込んだ『山海ぶし』から作った梅ジャムだった。アレンジしてあるとは言え、元が他社製品なのと、極端に好みの分かれる味だから『売り物にならない』と前置きしたのだ。それで持ち込まれた会社も、これは商品にならないと諦めたのだとか。
「糖分を減らせばパスタに合いそうなのに」
「梅たらこに、バターを落としての刻み海苔は『エル』がやっていました」
やっていたか。ああ、パン用の甘いジャムが余ったのか。それが流れ流れてって事かな?
私とちぃイリヤが待機するロケ車にミトが戻って来たのは、車内の時計が11時を指した頃だった。
「どうしたの? 長引いたわね?」
「ええ。森の道路を20往復くらいしたのかな? ストーリーがシンプルな分、バイクシーンはリアリティをしっかり出そうって」
「ああ……今後のCMにもそういうスポーツのリアルな面を?」
「そうです。ストーリーは言ってみればファンタジーですから、そこ以外はリアルにと」
そしてクルマが動き出し、ロケ隊はすぐ近くの街というより、村と言った方が良いような長閑(のどか)な集落に向かった。そこは川を挟んで両側に家々が建つだけの閑散としたところだった。けれど史跡というか古い男性用の修道院が集落の真ん中にあった。それ以外は本当に何もなく、ここがエッペルハイムから30分も走らないで行ける場所とはとても思えないような田舎だった。
「ハイデルベルクを越えるとこんな急に田舎になるのね?」
「ここが『特に』なんですよ。特徴のない田舎だから、意味があるんです。私が川向うの出身で、小さなお姉さんが川のこっちという設定です。それだけでこういう集落では十分遠い。祖先は同じなのに、お互い面識がなかったという理由になります。そして2人は共にバイクに才能があった」
ああ、なるほど。私も業界の隅っこに居た者だから、こういうどうでもいいような裏設定が意外と作品に奥行きを与える事を知っている。なのでCMに限らず、アニメや映画を含む映像作品には、裏設定は結構重要なスパイスだったりする事もわかる。わかるだけにマルチエンディングに持っていこうとするのは無茶に思えた。けれどこの妹達はどうにかしてしまうのだろう。
「お姉さん。遊びです。傑作は遊びの中から生まれるものですよ」
そうよねぇ。
「『Réfléchissez bien.Mais quand il est temps d’agir, arrêtez de penser et passez à autre chose』ですよ?」
『じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たなら、考えるのをやめて進め』というナポレオンの名言だ。つまり今は行動の時であり、ミトは既に監督に采配を委ねた状態なのだと言いたいらしい。
「じゃ、『エル』は次のシーンの手配とか?」
「今日は通常の業務ですが、ホッケンハイムのクライマックスなどCM関係も全部考える時期は終わっています。むしろ今週は、今度あるアインツベルン一族へのお姉さんの紹介、そっちの手配に追われているんじゃ?」
そっちだったのかぁ。やがて日が高くなると大量のライトが灯され、人工的な真夏日を作り出した。私はあちらのスタッフと一緒に、霧吹きでちぃイリヤに偽物の『流れる汗』を作っていった。
いよいよ撮影開始。陽炎の中を歩く登場シーンは取り直し1回。まぁまぁ上出来だ。ミトがドリンクを手渡すシーンは一発OK。続いての走り去るバイクを見送るシーンも一発だった。
「演技は素人だと聞いていたが、最後は哀愁があって良かったよ」
ちぃイリヤは監督から直々に褒められていた。マルチエンディング用のシーンもこの後に続いて撮影され、そちらは数回やり直しがあったけれど、ミトのリードで1時には終わった。本日の撮影はこれで終了。この後は撤収だ。帰りはミトが『DB9』で送ってくれた。途中ハイデルベルクの市街を通って貰い、ケバブ・スタンドでケバブを買って帰った。家の前でミトとは別れた。彼女はまだ会社で仕事があるらしい。なので私とちぃイリヤは、自分達が泊まっている家に入り、冷蔵庫から冷えたドリンクを出し、ケバブをレンジで温め直して遅いお昼を頂いた。
「ドイツにはロケ弁なんて風習はないだろうから、1日仕事ならケータリングなのかなぁ?」
「ロケ弁って。どこで覚えたの、そんな言葉?」
「うん? テレビだよ。でもさ、お昼過ぎまで掛かっているんだし、サンドイッチくらい出して欲しいよね?」
「そうね。けど、モデルやタレントの仕事ってこんなものよ」
「そうなんだ?」
「うん。1時に終わる仕事でもお弁当が出る日本の業界がおかしいんだって。一仕事終えたんだから、スタッフに気を使わず自由に好きなのを食べたいじゃない。『終わった~、飲みに行こうぜ』なんて言って毎回他人を拘束する事を何とも思わない人はドイツじゃ嫌われるのよ。拘束するとギャラが発生する。そんな当たり前な事をわからないまま、なぁなぁで済ますから日本はダメなんだって。高額なギャラを貰っている兄貴格やお姉さん格のタレントでもさ、毎回若手やスタッフに奢りたくないと思うよ。自分の努力で得た収入なんだから、家族や自分のために使いたい筈よ。確かに一般論として飲み会は人間関係が円滑になると言われるけれど、それは一般の会社でしょう? それでも私はメリットよりデメリットの方が大きいと思うな。強制参加なんかせず、参加したい飲み好きな人だけで行けばいいのよ」
「シビアよね、イリヤは」
ちぃイリヤはそれで良いのだ。過去の第五次で人間関係の甘さから来た、情報の偏りを反省しているのがわかるから。けれど事務所や会社の五周年や十周年とかならまだしも、そういう記念行事でもないのに、他者を振り回すのはどうなのかなって思う。世の中声の大きな人だけではないのだ。声は小さくとも、きちんと真面目に生きている人は多い。むしろ世の中に貢献しているのは、大きな声の人に振り回されてもコツコツと頑張っている真面目な人だと私は思うのだけど。
「そうは言うけどさ、本当にシビアなのは『エル』の方だよ?」
「みたいだね。クロちゃんもそう話していたし。でも、間違っていないよね?」
「……そうね」
幼い頃から大人の中で揉まれた『エル』は、確かに間違った事は滅多に言わない。けれど人間だから間違う事もある。『エル』の本当の魅力というか良さは、間違いだったと気付けば直ぐに訂正・謝罪し、反省するところだ。根は本当に真面目で素直なのだ。それだけに、素直になれない人や自分のミスを誤魔化す人、人様を貶める事でしか自分の優位性を保てない人、理不尽に暴力を振るう人を毛嫌いしている。
そしてあんな風に子供の頃から成功している、言ってみれば信念の強い子だから、一度嫌った相手には容赦ない。他の生徒は知らないと思うけれど、私は切嗣の零した愚痴を子供時代に聞いていて、どうやらあの子は学園を買い取る前に、2人ほど先生を退職に追い込んでいたらしいのだ。
私は日本に来て、9歳になる年の春から穂群原学園初等部の3年生に妹と一緒に編入した。慣れない環境、慣れない言語……ワクワクしていたあの気持ちはどこへやら。ドイツに帰りたくなって最初は何度も泣いていた。そんな私を励ましてくれていたのが妹の『エル』と、高等部を卒業した今も仲良くしてくれる2人の親友だった。1人は遠峰薫。弓道部の元部長だ。1人は鴻和子。こちらは書道部の元部長で、これまた全国レベルの腕を持つ書道家だった。
鴻和子。あなたは彼女の名をなんと読むだろう? 正解は姓が『鴻』と書いて『びしゃご』と読み、名は『かずこ』でなく『わこ』と読むのだ。県会議員のお父様も『びしゃご篤史』の名で毎回選挙に出ている。『鴻』は『おおとり』と読む場合が多いと思うけれど(『鳳』や『鵬』なんかもあるとは言え)、これを『びしゃご』と読めるなんて普通は知らないだろう。けれど私と『エル』には『それは珍しい』なんて感想は一切なかった。そもそも日本語がわかっていないから、日本人の名前は誰のであっても珍しいし、不思議でしかなかったくらいだ。その前にドイツ本国でも『Einzbern』なんて姓や『Illyasviel』なんて名前が、超の付くほど珍しいものだとすら知らなかった『おバカさん』が、初等部時代の私だったのだけれど。
『Illyasviel』……カタカナで無理矢理読むと『イリャーズヴィール』となる。『ズヴ』の部分は『スフ』に聞こえなくもない曖昧な発音だ。もっと言うと『ズ』はほとんど発音せず、『ヴィ』にアクセントが来る。なので初等部時代からの仲である薫も和子も、私を『イリヤ』でなく『イリャァ』という風に呼んでくれていた。
薫とは初等部時代に何度か同じクラスになり、彼女の紹介で私は未遠志保先輩(当時は中等部生だった)と出逢い、弓道に興味を持ち、6年生から弓道を習うようになった。一方、書道は日本語上達のために4年生から自主的に教室に通い始め、そこで仲良くなったのが和子だった。そんな和子と私は一度も同じクラスにならずに中等部に上がった。そして入学式当日に張り出されたクラス編成表には、私と和子の名前が同じ1組にあった。
閑話休題。
中等部に上がるというのは、他の小学校を卒業した人と一緒になるという事だ。そして学園の試験を通る頭脳があっても賢い訳ではない。間の悪い事にその中1の夏から、和子は突発性難聴を患い、片耳が聞こえ難くなった。元々幼い頃から難聴気味で内向的な子だった。けれど和子は『書』があるからと、全然気にしていなかった。
けれど補聴器で授業を受ける和子をからかう男子がいた。初等部出身の子が窘めても、その男子は止まらない。だけどその男子は夏休みが明けると居なくなった。ちなみに学園の経営者が代わったと発表されたのが中1の春で、新都のビルに引っ越したのが中1の夏休みだった。
私がその話の一部を知ったのは高等部に上がってからだけど、どうも『エル』は私の親友のために怒ってくれ、あのイジメっ子の親と直談判し、ガラの悪い父親を無残にもその男子の前でノシちゃったそうだ。しかもその父親はやの字が付く職業の人で金バッジだったとか。つまり構成員の中でも上位の幹部だ。そんな人を中1のチビな女の子が回し蹴り一発で倒してしまった。後日、激オコな取り巻きの子分達が『エル』を探していたらしいけれど、全員アサシンにノサれてしまったのだとか。
そうして新都をシマにしていた、とある組は大恥をかいた。それがあって皆んな組を辞めちゃったそうだ。そして元構成員と親組の構成員のほぼ全員が、今はアサシンと一緒にゴミ収集車に乗って真面目に働いているらしい。しかも前職より実入りが良いとほとんどの人から喜ばれているのだとか。意味不明だ。
切嗣は言う。
『あの頃のイリヤって、反抗期に入る前だったろう?』
『言わないでよ、黒歴史なんだから』
『いやいや、そうじゃなくて。君より早熟な『エル』だよ? どうもあれがね……そのイジメっ子の取り巻きにもさ。『これから毎日、お前とお前の親をイジメ抜く』って言ったそうだよ』
『はぁ?』
『それと組織の末端なんて、そんなにお金なんて持っていないものさ。そりゃ、真面目に働いた方が懐は温まるよ』
そういうものらしい。
ところで『エル』は今も『びしゃご篤史』に、別名義で多額の寄付をしていた。なんでも『志の高い真面目な議員さん』なのだそうだ。
『いえ、ゆくゆくは国会に送り込んで……この国は私のものです』
言ってろ。
けれどあの暴言や暴力(相手は悪者限定)、そして中2頃のクルマでの暴走(一般車の居ない夜中に峠を下るだけ)は魔術回路の痛みを誤魔化すためもあったようで、『エル』は切嗣だけには全部話していたそうだ。
「ケバブって思ったより美味しいね?」
「うん。意外だったよね?」
おそらくケバブが初めてのちぃイリヤには敢えて訂正を入れなかった。というのは本来ドネルケバブのスタンドでは、削ったお肉と野菜を混ぜてソースを掛け、ピタという薄いクレープのようなパンに包んで渡されるものだけど、ここのお店は切り込みの入ったロールパン(コッペパン)にしか見えない、厚みのあるピタに具が挟まれているからだ。私もこのパターンは初めてだった。これは珍しい。
だけど本当に美味しい。野菜は素揚げしてあり柔らかいし、ソースも5種類くらいあって好きなのを選べるところもポイントが高い。お値段は2ユーロ(260円くらい)とボリュームの割に安いし。私はベルリン1流行っているスタンドのケバブも頂いた経験があるけれど、そこと変わらないくらい美味しかった。ただしそこのパンは薄い。
ドイツは今、あちこちにケバブ・スタンドが建っている。元々トルコ系の移民が多いドイツだけれど、ここまでケバブ・スタンドが流行って増えるとは思わなかった。それ以前にたくさんあったブルスト(ソーセージ)・スタンドは最近影が薄いのが寂しい限りだ。私はそこまで詳しくないので知らなかったのだが、パンでブルストを挟んだホットドッグがドイツ生まれでなく、アメリカのもので逆輸入されたものだと、食品会社を営む妹から教えられて驚いた覚えがある。ただしアメリカで最初にホットドッグの原型を作ったのは、ドイツ系の移民だったそうだ。
『ですが姉さん、1番驚きなのは日本人です。カリーブルストなんて知らないでしょうに、キャベツのカレー炒めを付け合わせにしてソーセージを挟んでいたのです。しかも、昭和の頃は魚肉ソーセージ版もあったそうですよ』
あの細いポークウィンナーを一口齧って『マズッ! 薬品臭い!』と言っていた子が、魚肉ソーセージだけは『本気のかまぼこには負けますが、値段を考えるとコスパが良い』と褒めていた。けれど魚肉ソーセージは焼くと独特の臭みが出る。なのでキャベツやレタスなんかと炒め、カレー味にしてしまうのがカリーブルスト好きなあの子の調理方法だった。え? お金があるのに随分と安っぽいものを食べるんだなって? そうかな? 4本100円もしないチクワに、1パック40円弱のカイワレ大根を詰めて、斜めに切ってわさび醤油を添えて一品とか、鷹の爪を活かしたチクワとコンニャクのピリ辛煮にして一品とか、1パック50円以下のもやしを湯がいて酢の物にしたり、からしマヨで和えたり、ポン酢と花かつおを掛けて一品とか私も普通に作るけどね。これにイワシの天ぷらとか生姜煮や梅煮なんかがあれば十分じゃないの?
朝なんて炊きたてご飯と、味付け海苔に生タマゴ、お漬物にお味噌汁があれば満足だ。この生タマゴ。『エル』も私も子供の頃は苦手だったけれど、すき焼きで慣れた。サルモネラ菌なんかは、知らなかったので怖いと思った事すらない。要は食感が苦手だったのだ。今なら納豆タマゴも平気だけどね。それと味付け海苔派なのは、冬木が関西圏だから。やっぱり子供には焼き海苔の風味より、味付け海苔の甘さの方が嬉しいものだ。それもあって私は今も朝に味付け海苔が欠かせない体になってしまった。今はドイツだから我慢しているけれど。
また学園の高等部時代はお弁当に必ず、少しダシを利かせた玉子焼きを入れていた。それと刻んだ紅ショウガや刻んだピーマンの醤油漬けがあれば、お弁当箱のミニおにぎりが3個は食べられた。残る1個は掛けてある煎りゴマか、前日に余ったおかずを持っていって。私のお弁当はそんなものだ。サケを一切れとかサバを一切れとか入れた事もあるけれど、やはり多いので、そこは『エル』と分けていた。と言っても2人で半切れ、それで十分だった。少食だよねぇ。
その後も数回、天候と各々のスケジュール調整の果てに撮影があった。私も革ツナギを着て89年の『GSX-R750R(RK)』を走らせるシーンや、ミトの駆る『GSX-R750R(RG)』と一緒に森の中を縫って走るシーンなども撮り、残すはホッケンハイムのシーンのみとなった。そしてちぃイリヤと建機ショーでのナレーションの台本読み合わせをしながら当日を待った。
3月20日を過ぎ、いよいよ『忙しい』週に入った。まず2日後にアインツベルン本家の主要な家が集まるお披露目パーティーがある。ここで『エル』は、次の12代目でなく13代目以降の総裁候補としてクロちゃんを紹介する。そしてちぃイリヤを新しく眷属に加えた報告と、私がアハト系3代目として『エル』の眷属に加わった事の報告をする。ただ私の場合は五大老から承認を受ける必要があった。これは『勝手に8代目を名乗ったユーブスタクハイト』がそれだけ嫌われ、『ヘブンズフィールは馬鹿な失敗法』であると知れ渡っていたからだ。だけどその耳目に耐え無事終えれば、私やお母様は破門されたアハトの家の者でなく、晴れて『ラインハルト系アインツベルン』の一員だ。
そしてその日、スーツ姿の『エル』は朝食を終えると、フランクフルトの空港へクルマを出して出ていった。車種は現行の7代目アコードの顔を持ったワゴンだった。排気音はディーゼルのそれ。欧州はディーゼル車が多いので特段驚く事はないけれど、アコードにディーゼルがあり、しかもワゴンなところに少なからず驚いた。
「いえ。ディーゼルは5代目からありましたよ、お姉さん。彼女、H22A型エンジンを積んだ『Type-R(日本で言うEuro R)』の6代目(CH1)と、7代目のK24A型ガソリン・エンジンを積んだワゴン(CM2 Tourer)とN22A1型ディーゼル・エンジンを積んだセダン(CN1)とワゴン(CN2)を持っていて。遠出に使うのはさっきのワゴン(CN2)が多いです」
そう教えてくれたのはパミだった。『Type-R』ならわかるけれど、あの子がディーゼルとは。マーヤさんじゃあるまいし、そこまでホンダ党だったっけ? けれどバイクと同じで日本で好きなものとドイツで好きなものが異なって来るのだろう。不思議ではあるけれど、そこでの生活に合わせて好みやアイデンティティが変化するのはあり得なくもない気がする。
「『エル』は仕事なら、以前からディーゼルに乗っていましたよ。概ね『VW』の何かでしたけれど。でも、ロシアや東欧では、結構ホンダやトヨタにも乗っていましたよ?」
ホンダはきっとコンチェルトとかああいうのだ。同じロシアでももっと東になれば、あっちのクルマだとも聞いていた。
「トヨタ?」
「ええ、ランクルとかハイラックスとか」
ああ、そっちなのね。これは納得だ。
「それにこれは聞いた話ですが、日本ですとビジネス向けのバンがあって、どこの会社もそれに社名を入れて営業車にしているとか。こちらもそういう会社が無いわけではないですが、うちの場合そういうのは支社や営業所毎に任せていて、大抵ポロかゴルフ、ボーラやジェッタで揃えているようですね。ですけど本部は結構まちまちです」
そうなんだよ。本部の駐車場。どれが通勤用の私物なのか、会社の営業車なのかがわからないくらい車種がバラバラだったのだ。
「けれどそれもナンバープレートでわかりますから。それに……本部に全社の総合事務局と営業部、企画部、研究部があるのはご存知だと思いますが、コンスタントに成績が良い人には、クルマをプレゼントしているからバラバラなんですよ。もちろん本人の年収に応じて、選べる車種に制限はありますけれど。これは維持費と燃料代が本人持ちだからです」
ただし燃料代は、給油の際のレシートなどを提出し、出張や営業廻りで使ったのが明白なら返金されるそうだ。けれど細かな修理費は本人持ちだ。だけどメリットは大きいので、次はあれに乗ろうと頑張る社員も多いそうだ。ほんの7~8年前、事業がどんどん拡大し、支社が増え新社屋があちこちに建つ頃は、ポルシェを乗り回す社員も居たとか。そういう人が今は支社長や部門のナンバー2などに納まっているという。モチベーションアップの効果は高いようだ。
ミトは会社の黎明期に二代目『CRX』の『Type EE8』に乗っていたと教えてくれた。日本でいう『SiR(EF8)』だろうけど、欧州の排ガス規制の関係なのか160psでなく150psだったらしい。
「アルプスの山を走ると面白いクルマでしたけど、アウトバーンでは怖かったなぁ」
ホイールベースが短いから高速域でフラつきがあったそうだ。けれど『エル』から薦められた訳でもなく、自分で面白そうだと感じて手に入れたらしい。それを手直ししてパミに譲り、今はパミが持っているという。またパミはプライベートで、現行7代目シビックの赤い『Type-R(EP3)』に乗っているとも教えてくれた。
やがてミトもパミも出社した後、入れ替わるように『エル』がおチビちゃんとクロちゃんを伴って帰って来た。十何日ぶりの妹達との再会は否が応でも、『その日が近い』と気持ちを引き締めさせてくれるのに十分だった。けれど、たった2人だけで?
「うん。終業式が終わったら、速攻でエルお姉ちゃんが空港に送ってくれて。チケットの購入もお姉ちゃんだし、荷物もお姉ちゃんがこっちのお姉ちゃんに宝具で送ったって」
「それで『エル』本人は冬木?」
本人とは九州へツーリングに出ていた『エル』の事だ。ちなみに巫女の姉は私達が中学生頃にお披露目が済んでいる。
「ううん。巫女のお姉ちゃんと別の便でヘルシンキ経由だって」
「ルヴィアを?」
「そう、証人なんだって。それと、先生のリンも後から来るって」
エーデルフェルトから証人が。しかもルヴィア。つまり名代でなく、後継ぎとしての仕事だ。そして先生までもが参加って……いよいよ大事になって来た。