お姉ちゃん達はママを歓迎して、家に招き入れた。でも……。
「案内状には本館の方での宿泊をお願いしてあったはずですが?」
「うん、その意図と趣旨はわかっているの。けれど、あちらもお客様が大勢いらしていて……気後れしちゃうと言うか……」
「ハァ……仕方ありませんね。では、こちらをお使い下さい」
「ええ、ありがとう。『エル』ちゃん」
その後、お兄ちゃんが入り、アルさんは一旦霊体化してから中で実体化した。さっきまでと違って、リビングが急に狭くなった。天井は十分高いんだけど、さすがにね? それでもって小さいお姉ちゃんはススッとアルさんにくっつきにいった。それを見て苦笑いするイリヤ。今はもうアルさんを怖がる事もないけれど、カードの黒化英霊と戦っていた頃の自分を思い出したのだろう。
「姉さん、お母様のお相手を願います。お兄ちゃんは夕食の用意を。人数は姉さんに聞いて下さい」
そしてお姉ちゃんは本館に駆けて行った。
「どうしたの、エルお姉ちゃんは?」
私がそう言うと、小さいお姉ちゃんもイリヤも同じ仕草で首を捻っていた。すると冷蔵庫の中をチェックしていたアーチャーのお兄ちゃんが、キッチンから声を出した。
「アイリスフィール、何があった? もしや、心無い親族に何か言われたのか?」
ママが首を振ったら、イリヤお姉ちゃんが言った。
「終わったなぁ、その人」
「え?」
私だけでなくイリヤも小さいお姉ちゃんも、アルさんやお兄ちゃんもハテナマークを頭の上に浮かべていた。
「お母様はこの見た目でしょう? 長老方のアイドルなのよ。冬木だとわからないだろうけど、海外には『エル』からだけでなく、長老方から贈られた別荘とかクルマがあってね。切嗣がため息を吐いている状態なの。だからお母様に来ない方が良いよって言ったのに」
ママとお姉ちゃん以外の全員が目をパチクリとさせた。その後、アルさんが笑って、お兄ちゃんが少し困った顔をした。
「こう言っては何だが、それだけでは君の『終わったな』という発言の意味が通じんぞ?」
「だから20歳前後の物凄い美人に、知らずに浮ついた声を掛けた親族の男性が居たって事でしょう? 『エル』が飛び出ていったのは、何も知らないその親族を守るためと、もしかしたら既にお越しになっているかも知れない長老を止めるためよ?」
これで皆んなわかった。口々に『あ~』とか声が漏れている。ママは口元に手を当てて『フフフ』と他人事のように笑っていた。私はここで考えた。ママがこっちにやって来たのは逃げて来たからだ。となるとしつこく言い寄る男の人が居たのは確定。それでアルさんとお兄ちゃんは、偶然庭でパッタリ逢っただけだ。
この2人の英霊が真っ直ぐこっちの家に来たのは、お披露目当日の警護が次の仕事なのだと思う。多分、きっとアサシンさん達と組んでサーキット場での警護もあるんだろう。これはエルお姉ちゃんを守れという事でなく、長老方を守れという意味だ。
「お母様? お祖父様はまだだと思いますが、他の長老は誰かいらしていて?」
「ええ。ジークムンド様が……」
げっ。エルお姉ちゃんやノイントのお祖父様の家であるラインハルト家と並ぶ名門、ラファエル家の現当主であり五大老の1人だ。実は私とイリヤはお姉ちゃんに言われて、既にこの方とお目通しを済ませていた。総裁であるお姉ちゃんでも、きちんと筋を通す相手がこの長老だった。お宅にご挨拶でご訪問した際、私とイリヤは笑顔で迎えられ、『困った事があれば何でも言いなさい』なんて声を掛けて貰ったのだけれど、それはお姉ちゃんが先に私を『後継者』だと紹介してくれたからだ。アインツベルン一門の中でも上の上。ノイントのお祖父様とタメ口で話せる数人の中の1人なのだとか(子供の頃から可愛がられていたというエルお姉ちゃんでも、この方にはとても丁寧な言葉遣いしかしないそうだ。私は簡単な単語くらいしかドイツ語がわからないので、後でママに教えてもらった)。
ママと話すためにイリヤお姉ちゃんはさっきからずっとリビングだ。だからアーチャーのお兄ちゃんはキッチンに戻って、晩ご飯の下拵えをお姉ちゃんに代わって続けた。
「お母様、相手から寄って来る場合は仕方ない面もあると思いますが、もう少し落ち着かれて下さい」
「ごめんなさい、イリヤちゃん」
別にお姉ちゃんも叱っている訳ではないのだけれど、18歳の娘としたら困ってしまうだろうね。私とイリヤがこっちの世界に割とすぐに馴染んだのはママが居たからだ。これまでの体験でわかったけれど、基本ママはどこの世界でも、フワフワとした天然さんで、あまり変わらない。ううん。正直に言うと、『クロエ達のママ≒私達の元のママ≧今のママ』だ。天然度が少しヒドい。だからその分、お姉ちゃん達がしっかりしていったのだとも言えるし、ママもお姉ちゃん達に甘えている部分があるんだと思う。これは小さいお姉ちゃんも巫女のお姉ちゃんも話していて、それぞれが『私のお母様より天然』だと意見が一致していた。
「イリヤちゃん、見て、見て。ジュネーヴショーで、新型のロードスターが発表されたんだって。今年の秋か冬に出るのかしら?」
ママはイリヤお姉ちゃんと話しながら、クルマの雑誌を手にとってパラパラと眺めていた。現在は2005年の3月下旬だ(NCロードスターの発表も2005年の3月だった。きっとその速報記事だったのだと思う)。ママのロードスター狂いは家族皆んなの知るところだから、誰も何も言わなかった。
「春に発表されて秋ですか? そんな気もしますね」
「お母様、また買うの?」
大人になって少し他人行儀な話し方になったイリヤお姉ちゃん。小さいお姉ちゃんは巫女のお姉ちゃんと同じような話し方だ。そこから下の私にイリヤと美遊は『ママ呼び』だから随分と違う。
「どうかしらねぇ。排気量が上がって少し大きく重くなっているのね。実物を見て考えるわ」
ママはロードスターだけで6~7台は持っている。以前はベンツェの300SLだったそうだけれど、貴重なクルマだからと今は森の館で保管していた。そう薦めたのはマーヤさんで、ロードスターはルオンさんと2人で薦めたらしい。エルお姉ちゃんが言うには、何でも以前のママは物凄くヘタクソだったそうだ。300SLも『降ろさせた』のだとか。けれど今のママはマーヤさんやルオンさんとお揃いで、サーキット走行用のロードスターを持っていて時々レースにも出ている。昔と違って今は安心して見ていられるそうだ。
実際イリヤも『とても上手』と話している。ただし、『自分のママ(お母様)』の横に乗った経験のある人は2人のお姉ちゃんと美遊を別としたら、これだけ姉妹が居るのに私の妹のイリヤしか居なかった。私は仕方ないとしても、小さいお姉ちゃんも巫女のお姉ちゃんも経験がないのには驚いたよ。けれど皆んな『今のママ』の横は体験している。ギャーッとクルマを横に向けながらカーブを曲がっていくのも全然怖くない。小さいお姉ちゃんも私も『上手なママ』しか知らないのだ。
ここでエルお姉ちゃんが帰って来た。揉め事は無事に終わったらしい。と言うかお姉ちゃんの初動が早かったので、ジークムンドさんが沸騰する前に何とか相手の人をつかまえられたのだとか。それでジークムンドさんを交えて、その人にママの立場を話して事なきを得たそうだ。やっぱりこういうイベントに今回が初参加の人だったらしい。そっちの当主に叱られて『シュン』としていたとか。この意味はイリヤには言えないけれど、その人はママを『そういう役目を与えられたホムンクルス』だと考えてしまったという事だ。やっぱりメイド服じゃないホムンクルスは目立つそうで、私達のような存在(人との間に産まれた)を知らない人も、新参だと存在するという意味でもあった。だからお姉ちゃんは素直にママに謝っていた。最初からこっちにしておくべきだったと。
95年2月 R LIMITED
96年1月 VR LIMITED、コンビネーションA (ワインレッド。幌はタン色、内装もタン色の革)
99年1月 10周年記念モデル (ここからNB)
00年7月 RS-Ⅱ (ウイング付き。普段の足)
01年5月 マツダスピード ロードスター (RSベース)
01年 NR-A (サーキット用。英霊のイリヤさんが普段から乗っているのもこれ)
03年10月 クーペ・Type A (思っていたのと違うと言って、エルお姉ちゃんに売却)
03年12月 ターボ (こちらも合わなかったようで、エルお姉ちゃんに売却)
そんな反省中のエルお姉ちゃんに確認したら、ママのロードスターは8台だった。ここにパパから贈られたシルバーのSLRマクラーレンや、エルお姉ちゃんが贈った993のカレラ4、Z3のMロードスター(993とZ3はお祖父様の目をかい潜るためだとイリヤお姉ちゃんは話している。つまりママから借りて乗るためだ)、それと学園に乗っていく、真っ白なE39のM5(自分で買ったそうだけど、お姉ちゃん達は信じていない)、S2000やNSXが地下の駐車場に置いてある。これ以外にもお姉ちゃん達のクルマやパパのクルマにマーヤさんやルオンさんのクルマも置かれているのだけれど、まだまだ空きスペースが残っているからあの駐車場も大概だ。
ただし、地面と隙間のないクルマを駐車するのは、魔術が使えないと無理なんだそうだ。それは地下4階なので、地上へのスロープがキツいからだった。だからパパはオフロードばかりだし、地下3階の間桐も置いてあるのはSUVばかりなんだって。
「ロードスターはベルリンの壁が崩壊した年に産まれたクルマです。ヤマハの『SR』と同じで遅いし性能も知れています。ですがトルクバンドを外さないでシフトできたか、コーナー手前の減速はすんなりできたか、ハンドルは抉(こじ)っていないか、アクセルワークはどうだったのか。そういうのを常に教えてくれるクルマです。長くカタログモデルとして存在して欲しいですし、初心者ほど乗って欲しいクルマですね」
お姉ちゃんのその言葉にママが頷いていた。
93年12月 J LIMITED II (イエロー、中古購入。並行世界の英霊のイリヤさんが同じのを持っていて車体番号も同じらしい)
94年12月 G LIMITED (日本に来て初めて買ったロードスター)
95年2月 R LIMITED (内装が赤)
95年12月 VR LIMITED コンビネーションB (グリーン。幌もグリーン。内装はブラック。コンビネーションAも持っているらしい)
96年12月 R2 LIMITED & B2 LIMITED (意地で買ったらしい)
97年8月 SR LIMITED (サヨナラ・リミテッド)
スッと渡されたメモに書かれた、お姉ちゃんが森の館で時間凍結の魔術でコレクションしている初代(NA)ロードスターの限定車だ。聖杯戦争がここでは94年の11月だったから、限定車も1.8リッターばかりになる。これ以外に95年頃の『Vスペシャル タイプII』を数台持っていて、そちらは黒(ブリリアントブラック)と白(シャストホワイト)と緑(ネオグリーン)だ。
これだけ集めたのは『好きだった』『後年高く売れる』と見越していたのと、『人気のMX-5(ミアータ)が海外で買うより遥かに安かった』から。どんな特別仕様車でも、当時は250万くらいだったそうだ。一方ドイツでは一番安いタイプでも日本円換算で300万はしたという。なおこの『ミアータ(Miata)』って古いドイツ語で『贈り物/報酬』という意味らしい。今のドイツ語なら『贈り物』は『ゲシェンク(Geschenk/英語のGift)』で『報酬』は『ベローネン(Belohnen/英語でReward)』だ。
99年1月 10周年記念車 (イノセントブルーマイカ)
00年1月 NR LIMITED
00年12月 YS LIMITED (1.6リッター。ハンドルなどにチタン色の入った限定車。これのブラックがお気に入り)
01年2月 web-tuned@Roadster (インターネットで自由にカスタマイズできた。3台所有)
01年5月 マツダスピード ロードスター (RSベース)
01年12月 MV LIMITED
02年12月 SGリミテッド
03年10月 クーペ・Type A (ママからの買い取り)
03年12月 ターボ (ママからの買い取り)
こっちのリストは森で保管してある2代目(NB)だ。端っこに、『04年 RS-Ⅱ (ストラトブルーマイカ)』と追記されているのは、並行世界のエルヴァお姉ちゃんと、あっちのママが乗っているロードスターだ。エルお姉ちゃん自身は、普段遣いのロードスターは持っていない。だけどイリヤお姉ちゃんと赤い1.6リッター(NB)を共有していて、それに時々乗っている。前に持っていた赤いMR-Sはエルヴァお姉ちゃんにあげちゃったそうだし、フォーマル用の黒いSLK350(6速マニュアル。イリヤお姉ちゃんは7速オートの白いSLK55AMGだ。どちらも自動でオープンカーになる)は滅多に乗らない。いつも古めかしい黒いシビックか、この間塗り替えたばかりの現金輸送車みたいなバンだった。
それはクルマよりバイクが好きなのと、ドイツの道路が好きだかららしい。そこは私にもわかる。この家の敷地から道路に出ても信号なんてどこにも見えないし、もう少し大きな街に行かないときっと立っていないと思う。アウトバーンに入れば当然信号なんてない訳だし、一時停止が必要な角も見晴らしがとても良い。フランクフルト・アム・マインやマンハイムといった都会でも、ロンドンやミラノに比べるとスカスカで、東京や名古屋に大阪を思えば、ロサンゼルスやニューヨークもかなり走りやすいのだとか。信号が赤なのにツッコんで来るクルマを見ると、『アジアだなぁ』と思うそうだ。
それとエルお姉ちゃんは、ミトお姉ちゃんから譲られたロードスター(NA)1.8リッターのドイツ仕様をこっちで乗っている。ミトお姉ちゃんはその前の1.6リッターも会社を起ち上げてすぐに買ったそうだ。けれどそれはヨーロッパの排ガス規制と安全規制で日本仕様より馬力が少なく、トルクもなかったらしい。なのでマツダが1.8リッターを出したら、すぐに飛びついて買い替えた。それがエルお姉ちゃんの持っているロードスターだ。(ミトお姉ちゃんは、2代目(NB)の1.8リッターとドイツ版のMR-S、そしてオペルのスピードスターに、MGのMGFというオープンカーを持っている)。
そんなロードスターにドイツで乗って、エルお姉ちゃんは思うそうだ。『サイドブレーキが適正な位置にある』って。これは日本仕様や英国仕様の右ハンドル車にはない特徴で、サイドブレーキのレバーがコンソールボックスの向こう側でなく自分の太ももの側にきちんとあるという意味だ。これは当初の計画でのターゲットがアメリカだったのがわかる、顕著な事例なのだそうだ。つまりロードスターは、マツダの予測を超えてヨーロッパでも人気が出てしまった『稀有な存在』なんだとか。けれど経営危機の傷がまだまだ瘉えずにいたから、取り敢えず出したのが2代目で、次に出る3代目がアメリカやヨーロッパだけでなく日本にも向けた、本気のモデル・チェンジなのだとか。
ちなみにこの経営危機を産んだ原因は多チャンネル化にあって、それが経営陣から出て来た案なのか、コンサルティングに吹き込まれたものなのかは不明だけれど、その人達は無能だとお姉ちゃんはバッサリ断言していた。そのくらい当時のマツダはいいクルマを作っていたのだそうだ。中でもこの初代ユーノス・ロードスター(MX-5)と、ユーノス・プレッソ(MX-3)のデザインが特に好きだったらしい。まぁ、プレッソなんて言われても知らないんだけどさ。
「私個人はドアノブが気になりますが、そこが問題ないなら、お母様。初期ロットを避けて手に入れるのも良いと思いますよ?」
ママとお姉ちゃんのお話は続いていた。どうやらママは迷っているようだ。それはこの家の車庫にママが昨年手に入れた、モーガン・プラス8があるからだった。ママに贈ったのはノイントのお祖父様だけど、これがどうにもママのツボだった。なのでこっちではそれにしか乗っていないという。そのプラス8はターボが付いたオランダのドンカーブートよりマシらしいけれど、この手のクラシック・スタイルで異様に軽いクルマは、一度ハマるとイタリア製のスポーツカーが色褪せるほどなのだとか。
けれどエルお姉ちゃんはスイス時代に、お祖父様の操るケーターハムかどこかのクルマの横で怖い思いをしたそうだ。その記憶があるので、もっと安全な現代のオープンカーであるロードスターを薦めている訳だ。そしてそれをイリヤお姉ちゃんもわかっているから、さっきからふんふんとエルお姉ちゃんの提案に頷いていた。
『ある意味、バイクと同じで、心とお財布に余裕のある人しか乗れないクルマがオープン2シーターですね』
そんな風にお姉ちゃんは以前話していた。私もそうだと思う。人は2人で荷物は乗らない。なのに駐車スペースは普通車1台分が必要になり、駐車場を借りるとなればハイエースや大きな四駆と同じ金額だ。それにオープンだから、青空駐車だとイタズラや盗難が怖い。バイクと同じとはこういう意味だ。
そろそろご飯ができあがるかなと思う頃に、ミトのお姉ちゃんとパミのお姉ちゃんが帰って来た。明日のお披露目に備えて、早めに仕事をあがったそうだ。
「いつも出るのが早いよね? ドイツって何時頃からお仕事が始まるの?」
帰って来た2人が着替え終え、ダイニングの席に着いたところで私は尋ねた。人数が人数なので、リビング組とダイニング組とでわかれての食事だ。
「そこの営業形態によるけれど、だいたいは8時か9時だよ。なに? オトナになったらドイツで働く?」
答えてくれたのはパミお姉ちゃん。これの意味するところは『総裁になったら『人形』を使っての二重生活は必須だよ』だ。そういう諸々を考えれば、日本の事はイリヤに任せて私はドイツで暮らす方が有利だ。そう考えてドイツ語の勉強をしているのだ。
「うん。こっちで生活する方が良いかなって思ってる」
私がそう答えると、パミお姉ちゃんは優しい顔でこう言った。
「日本でも夜更ししないで早起きの習慣があるなら、ドイツは楽だよ。どこの会社も労働時間が週に40時間程度だから」
1日の労働時間が8時間だとすると、8×5で満たしちゃう。つまり週休2日が当たり前なんだ。そしてそれは商店の従業員にも当てはまるから、どこのお店も遅くまでやっていない。例外は信号の多い(人口の多い)街の、お酒を出すお店くらいらしい。それでイヴは部門や部署で変わるけれど、どこもだいたい週36時間労働で、かなりフレキシブルなのだそうだ。
「チェコの工場でも1日6時間勤務で3時間おきに30分から1時間休憩だね。ダラダラ働かれても光熱費が掛かるだけで困るよ。そもそも人が集中できるのは3時間が限度だからね」
工場の稼働は機械を止められないところは別として、基本1日12時間で、どこも必ず交代制なのだそうだ。
「質が良いものを作るためには集中力が必要なんだよ。だから工場は時間に厳しいよ。絶対残業させないし、それを強いる監督役や工場長は徹底的に潰すから」
ここでエルお姉ちゃんが片目を瞑りながら言った。
「そうなると人件費が嵩みますよね?」
これの意味は、6時間労働でも労働者が生活できるように、8時間労働と同等かそれ以上の賃金を支払う必要があるよねという意味だ。
「それがペイできる売り上げを得るには、他社より少々高いプライスでも確実に売れる魅力ある商品を開発できたのかどうかですね。だからこそウチの会社は企画がより重要なわけです」
そう答えたパミお姉ちゃんに、エルお姉ちゃんは満足げな顔をしていた。
「クロちゃん。誰だって少しでも楽にお金を得たいものです。そうして私は霊脈調整や霊地売買で得た資本を、労働環境改善の風潮を作るために投資して来ました。そして多岐に渡る商品を確実に売り、インフラ工事を請け負い、事業を拡大成長させ続けました。今のイヴで働く労働者は誰も辞めませんし、スキルアップのための転職者も少ないです。皆んな、ウチで満足しているからです。そしてそれは確実に劣悪な企業を淘汰するチカラとなり、社会や国家の構造を換えるチカラとなるのです。そうなると一企業であっても国家との取り引きが優位に行なえます。ベーリング海や北方領土、カムチャッカの霊脈や霊地を握っているのが私なら、今言った場所の漁業権を握っているのも私です。こういう漁場は南米やアフリカ周辺にもあります。北極海の油田にガス、千島列島や樺太に眠る希土類に希少金属、高価な貴金属に貴石。これらもロシア政府と私どもが協力して掘っています。そうして旧社会の支配者層を支えてきたシンジケートを次々と追い落とし、表向きは買収や吸収という体裁を取り、裏ではアサシンを遣って奪ってきました。もう、この世界ではおかしな病気を流行らせませんし、グレートリセットも二度と起こさせません」
何を話してるのか悩んでいたら突然エルお姉ちゃんが立ち上がって、少し空いている場所に移動した。そうすると何もないところから2人のセラと2人のリーゼリットが現れた。イリヤお姉ちゃんと小さいお姉ちゃんのセラとリーゼリットだ。
「お披露目には参加できませんが、私の『目』を貸しますので別室で見守ってあげて下さい」
どちらのセラとリーゼリットも感謝していた。日本からドイツ……こんな長距離を宝具と宝具の間で移動できるんだ? しかも冬木に残ったのも『人形』なら、ここに居るのも『人形』のお姉ちゃんだ。これが総裁の実力なんだ……と、私は内心で震えた。
食事の後、『エル』は年少組をバスに向かわせ、この家の裏にある予備の家の鍵をセラ達に預けていた。これからの数日、あちらを使えという意味だ。現在、本館には何人かの賓客が既にフライングで入っているらしい。なので私は2人のセラだけでも本館に行かせられないかを尋ねた。
これは『エル』のメイド達の応援でなく(邪魔になるだけ)、後学のためにこの大掛かりなパーティの準備を見学できないかという意味だ。マーヤさんやルオンさんは何度も経験しているが、あいにくとセラ達にはそういう経験がない。なので特別に頼んでみたのだ。するとフリューゲルに念話を送ってくれ、4人全員は難しいけれど、どちらかのセラ1人なら良いとの返事を取ってくれた。だから私のセラが他の3人の『目』と『耳』となるよう、パスを調整して本館に向かわせた。あちらではタゥが付いてくれるそうだ。
また、お兄ちゃんやアルさんも、今夜から寝ずの番で警戒にあたる事になっていたらしく、アサシンがそろそろ時間だと迎えに来ていた。そうしてアルさんとお兄ちゃんが出ていって、3人組もバスから出て来た。ここのバス、西欧には珍しいジャグジー付きの大きなバスタブがあり、シャワーも4つくらいある。なのでシャワーだけでも4人まで同時に入れるのだ。それに泡を立てなければ、日本のお風呂のようにも使えた。
ただしボイラーと繋がったタンクからの給湯式だから追い焚きはできない。これはドイツに限らず西欧に戸建用の風呂沸かし機(浴槽と並べて、或いは壁を挟んで設置する専用の装置)なんてないからだ。また、この当時は電気式ヒーターなどもなかった。なので常時お湯を沸かせ、タンクが満杯になれば自動停止するガスボイラーがあるだけで凄いと言えた。これは本館の客室が全部『エル』達が経営するホテルと同じ設備を備えていて、その業者に庭に建つ家々の設備も任せたからできた事だった(北欧からのお客様向けに一部サウナ付きの部屋もある)。
ちなみにアハトのお城で暮らしていた頃は、大きな浴槽を備えたお風呂があった。それはガスや電気でなく、毎回魔術で沸かしていた。ただのプールと言って差し支えないだろう。そしてこれを瞬時に41度や43度といった指定温度に沸かせるメイドが数人いた。この湯沸かし名人は勿論『火』の属性持ちだ。当時の私は何も考えずに浴槽を使い、毎回お付きのメイドに髪や身体を洗って貰っていた。
なので日本に行って『エル』と初めて一緒にお風呂に入って、イスに座ってぼ~っとしていたら、もしかすると身体の洗い方を知らないのかと尋ねられ、頷いたら思いっ切り呆れられた苦い思い出と、シャンプーハットという素晴らしい存在に感動した思い出がある(なので私はハットを6年生まで手放せなかった)。
また、ちぃイリヤがいつもクロちゃん達と一緒に入るのも実はここにあった。最初は私や巫女の姉が一緒に入って教えていたりしたものだけど、そこは18歳なので飲み込みが早くシャンプーハットは早々と卒業というか、ほとんど必要なかった。悔しいけれどそこは仕方ない。
ところが彼女にも意外な面があって、それは私がすっかり忘れていた事だった。要は幼い頃からメイドと一緒だから、誰かが傍に居ないと怖くて目を瞑れないのだ。お湯やシャンプーが目に入るから目を瞑る。そんな当たり前の事ができないのは1人だと不安になるからだった。それを聞いて、『そうだった』と思い出した訳だ。
そして中学生ともなれば宿泊行事もある。そうなると私や巫女の姉はそこに居ない。だからその練習を兼ねてクロちゃんやおチビちゃんに頼んだりしていたのだけど、他人が居るのは気にならないらしく(私は子供の頃、知らない人の前で裸になるのはかなり抵抗があった。今は温泉旅行などで慣れてしまったけれど)、むしろ1人で入るのが嫌だという。同じ『イリヤ』でも随分と違うものだ。
『そこが並行世界の面白いところで、コンフリクトを起こさない理由でもあるんだろうね。私は『英霊の彼女』と起きたと聞いて驚いたよ。まぁ、英霊化した事でそうなった特例とも言えるんだけどね』
『どういう意味?』
『聞いた話だけどさ、ホムンクルスはコンクリフトを起こさないんだって。つまり私達は半分そういう存在でしょう? だから彼女は英霊化した事で波長というか、そういうのが変化したのかなって『エル』がね。それと彼女、『小聖杯』の中に『アーチャー』が居るそうよ。彼が彼女のためにその能力を全部与えたから英霊になったんだろうって』
あっちから戻って巫女の姉が話してくれたこの説に私は納得した。そういう事情があったので余り話せなかったけれど、巫女の姉が言うところによると、とっても気さくでちぃイリヤより子供っぽく(お菓子が大好き)、素直な人らしい。
『あっちの『エルヴァ』が、あなたっぽいしっかりした部分を持ちながら、甘えっ子なところもあるから、良いバランスだと思うな。実際、持ちつ持たれつで仲が良かったよ。こっちから送ったトロンメルも馴染んでいたし』
フワフワしているのにこの姉の観察眼は鋭かった(鋭さ当社比2倍)。何と言うか……冴えている時の姿が、これまた冴えた時のお母様にそっくりなのだ。それだけに私は『同じイリヤ』なのかと思ってしまう。つくづく『エル』の影響が大きいんだろうね。
子供達と入れ替わってお母様がお風呂に向かわれた。3人は2階の部屋に。今夜からちぃイリヤはクロちゃん達と同じ部屋だ。お泊り会気分なのか、3人で手を繋いで階段を上っていった。それを私だけでなくミトやパミも暖かな目で見送っていた。
「ああいう妹が欲しいなぁ」
「パミ、3人の誰を指して言ってるの?」
パミの呟きにミトが疑問を投げ掛けた。
「それはイリヤちゃんでしょう。小さいお姉さんと言えば失礼だし、クロちゃんと言えば『エル』が怒りそうだし」
「怒りはしないけど……あ~!」
今度はパミの言葉に『エル』が反応した。それで何かに気付いたようだ。私もこれは何となくわかった。だから言ってみた。
「本当は同い年なのに、3人の中でいつも妹分だったから、それで妹が欲しくなった?」
「それですよ、お姉さん」
どうやら正解だったようで、パミはあっさりと白状した。それで4人で笑い合っていたのだけど、私を除く3人が一斉に立ち上がって身構えた。この雰囲気は……。
「侵入者?」
「はい。見事なまでに罠に掛かったので、魔術師ではありませんね」
「なら、アルさん達に任せておけば」
「いえ、罠に掛かったと話しましたでしょう? 対魔術師用に私達3人で作った罠なので、助けに行かないとそいつが死にます」
どんな罠だ? それで『エル』とミトが、その罠の解除に空間転移で消え去った。思わず残ってくれたパミを見たら、『待ちましょう』と静かに言った。
この家の敷地はエッパルハイムの1番外側にあって、街を囲むように走る道路の向こうは全部ジャガイモ畑だった。なので侵入経路は限られていた。そんな限られた経路のど真ん中に、『悪意を持った者だけを引き摺り込む落とし穴』があった。郵便屋さんや配送業者なら掛からない。そもそも対魔術師用だから一般人が掛かる筈がないのだ。
「『悪意』への感度を高め過ぎた?」
「それか、魔術回路持ちなだけのコソドロか」
「偶然って事?」
「それしか考えつきません」
『エル』の言葉に納得した。『悪意』へのフィルターは3人で何度も調整したので間違いはないだろう。魔術師の末裔なのか、たまたま回路を持って生まれた初代なのかは不明だけれど、『悪意』も持ち合わせていた。となるとお披露目とは関係ないだろうけど、参加者の誰かを追って来た金銭目当てのドロボウの線が濃厚だ。
「フライングしたお客を追って?」
「かも知れません。さぞかし良いクルマに乗って来たのでしょうね」
「クルマの認識阻害を怠った? お母様に声を掛けた人が怪しいね?」
「ですね。断定はできませんけれど」
仮にそうだったとしても本人には直接言えないだろう。不始末の張本人だと『総裁』が断定したら、その家の親家の当主に内密で話すのが礼儀だから。直接本人に『エル』が話したり、五大老の誰かに話してしまう事はまずない。万一そのような場合になると、その人はそちらの一族から放逐されるか、最悪死が確定してしまうからだ。裏返せば『死を賜る場合』にこそ五大老の誰かに話すものなのだ。それくらい『エル』や長老の立場は重いものだった。
そして何が不始末なのかと言うと、今回は『魔術師の集い』だ。そしてそれは決して他人に知られてはいけない『裏の顔』だ。そしてそれ用のクルマが別口であるなら良いが、いつもの『表の顔』で使っているクルマなら正体に繋がる可能性がある。それは絶対に避けなければならない。だからといって、やっとこういう会合に参加できる資格を得た新参者を、少々の罪で一々切っていたら、一族の末端は立ち消えになる。だからこそ『総裁自ら』が、こうして裏で動くしかないのだ。親家の当主には事後報告で良いのだ。こうして恩義を売る事で、末端は着いて来るものだし、忠誠心も強くなるものだからだ。
宝具の中にも似た亜空間の檻に、その者は乗っていたクルマごと囚われていた。手と足には全自動で相手を拘束し、使い魔型の自動魔錠があった。檻は防音だから何かを叫んでもどこにも届かない。だけど私と『エル』はその男を見てニヤけてしまった。黒いシャツに黒いズボン。ネクタイは黄色でジャケットは緑。そしてクルマはクリーム色のフィアット500だった。一発でファンだとわかる姿だ。おまけに思考を読めば、最近フランス国内を騒がせている怪盗だった。
「こいつが? 職業まで真似るって、どれだけマニアなの?」
「ほとぼりが冷めるまで、ドイツを抜けて東欧に逃げようとしていた矢先にお金を持っていそうなヤツが居るぞとなって……」
「ああ、やっぱり。魔術回路持ちで、レベルは低いですが魔術使いですね。それで警察の網を潜っていたようです」
私と『エル』は再度顔を見合わせた。そして肩を叩きあって笑った。そしてミートボール・スパゲッティを争うようにジャンケンの応酬を繰り返した。するとここぞというところで『井戸』を出され、私が負けた。つまり私があの男を自由にできる。これは私達3人の暗黙のルールで、『勝った方が譲る』事になっているからだ。要はいかに負けるかが、私達のジャンケンだった。
なお、この『井戸ありジャンケン』はドイツのローカル・ジャンケンで、グー・チョキ・パーの他に少し開いたグーがあり、それが『井戸』となるというものだ。元はフランスの方法で、ドイツの西寄りの州でも広く使われていた。そのルールと言うか妙味は、石もハサミもその重さで井戸に落ちるが(負け)、紙なら井戸の蓋になる(勝ち)という、2種に勝つ第4の要素の存在だった。そしてドイツでのジャンケンは必ず2人で行うものでもあった。
なので、『最初はグー! ジャンケンポン!』とパミを交えて3人でした時にたまげた。そんな日本の方法や掛け声なんて知らなかったからだ。
それで勝った私は男を『掌握』し、『私達だけの怪盗(隠し手駒)』にした。コードネームは『雄ウサギⅢ世』だ(雄ウサギのフランス語はアン・ラパン(un lapin)。雌ならユンヌ・ラピーヌ(une lapine)だ)。クルマと一緒に表に出た私達は、アサシンに男とクルマを預けた。この近所にある彼らのアジトでしばらく匿って貰うためだ。そうして私と『エル』は家に戻ったのだった。
なぁ~にが『私達だけの怪盗(隠し手駒)』にしただ。ミトのヤツ、ドロボウの顔を見た瞬間に顔を真っ赤にして。ああいうのがタイプだったのか。確かに高身長でいかにもフランス系なイケメンだったけれど、アニメみたいにハートを盗まれてどうするっての。だから私達の後ろからやって来る、夜に溶け込むような濃紺のマイバッハ62に気付けないんだよ。
そもそもそういう侵入・盗難はアサシンの方が確実だ。霊体化もできるし、確実に証拠を残さず遂行できるんだから。なら、これからの時代に必要な人材はハッカーでしょうに。あっちの世界のエルマなんて何人かのアサシンにPCを与え、ツールの使い方を教えていたぞ?
それはともかく、念の為にそのクルマへ探査魔術を掛けたら、案の定ルヴィアと『私』、巫女の姉さんに先生だった。なので『怪盗の事』や『お母様に言い寄った男性の事』、『お披露目の進行具合』『CMの撮影状況』などを報告した。すると『このまま本館でルヴィアとともに泊まるので、お披露目の日以外はこれまで通りあなたが動け』と念話で返事が来た。きっと何か考えがあるのだろう。
家に戻ると洗い髪を纏めた姉さんとパミが仲良く寛いでいた。
「お母様もお部屋に入られたわ。あなた達もお風呂に入って来たら?」
「はい」
そう返事をして私とミトは、下着と寝間着を持ってバスに向かった。と言っても湯船に浸かるのでなく、シャワーを浴びるだけだ。ぬるま湯から始め、徐々に熱くし、ボディを洗うと少しぬるくして、デリケートゾーンをお湯だけで洗い、次は髪を洗ってトリートメント、髪の水気を取ってタオルで頭を巻けば、今度はもう一度熱いお湯で芯から温まって、最後は水でお肌を一気に引き締めて完了。
「マメだね?」
「いや、普通はこう洗うでしょう?」
「いや、どこから洗うかの順番の話じゃなく、丁寧に洗うな~って意味」
バスから出て、リビングに行けば誰も居なかった。姉さんは部屋に下がったようだし、パミも自分のところに戻ったようだ。なのでソファーまでアイスティーを運んで、寛ぎながら喉を潤した。するとひと口飲んでグラスを置いたミトがこんな事を言い始めた。
「新しい事業を起こしたくてね。それでアインツベルンと関係ない人材が欲しかったんだ」
「辞めるの?」
「まさか。プライベートな副業よ。更生を兼ねた」
「コードネームは?」
「冗談よ。新しい名前で、特技を活かした仕事をね。今でも3~4人集めてあったの。今は人材派遣の方に登録させていたけれど、夏までにはもっと特殊な専門家集団を作りたいの」
「ん?」
「だからイヴの名を使っても良いけれど、そっちよりもっと特殊な、でもアサシン達やバゼットとは違った仕事をね」
「魔術や神秘に関わらない、けれど特殊なって意味か……」
きっと隙間的な何かを見付けたのだろう。それなら文句はない。
「もし何なら、ルヴィアにも声を掛けようか?」
「そうね。それも良いかも」
そんな事を話している内に夜は更けきったのだった。