※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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68、Illyasviel in Eppelheim 12

 フランクフルト空港の国際線出口ゲートを抜けると、スーツを身に纏ったアラブ人が待っていた。私のアサシンだ。彼の案内で私は先生にルヴィア、そして巫女の姉さんを引き連れ駐車場に向かった。

 

「ハサン、キーを貸しなさい。私が運転します」

「しかし……」

「良いから。あなたは助手席に」

 

 この紺にも見える黒い『Maybach 62 (W240)』は、会社にも貸し出さない『総裁』としての私が個人で所有するリムジンで、内装は杢目の浮かんだパイプウッドと白く染めた本革をふんだんに使った特注品だ。前席2座席、後席が足が組める広さのある対面4座席の6人乗りだから結構間延びした大きく重いクルマだけれど、それを引っ張る心臓は『AMG』にチューンを依頼した『5980cc』の『V12 twin-turbo』で、実に『650ps』以上を叩き出していた。

 これは後に出た『Maybach 57/62S』や『Maybach the Zeppelin』よりも馬力とトルクがあって、旧態依然の5速オートマなのは、その化け物みたいなトルクでミッションが壊れるからだった。高校生に上がる頃、70万ユーロ(1億円弱)も支払ってこれを作ったのは、お祖父様に『嗤われた』からだ。ヌルく『笑われた』のでも、優しく『微笑われた』のでもない。嘲(あざけ)りと蔑(さげす)み、そして失望を伴って『嗤われた』のだ。

 

『総裁ともあろう者が『S-Class』とは情けない。『Mercedes』から選ぶなら、中古で良いからせめて『600』を買え。馬鹿者が』

 

 そう言われたのだ。内心でも『Rolls-Royce Park Ward』クラスでないと『格』的に厳しいと思っていただけに悔しかった。けれど時代が悪く、『600』も『Park Ward』も新車は無かったのだ。それで『W220』の『6L V12 twin-turbo』を買えばあのザマだった。自分で買ったベンツェで叱られるなんて、こんな経験まず誰にも無いだろう。だから発表されてすぐに『Maybach 62』を注文したのだ。だけど昨年、並行世界のエルヴァちゃんが純白の『Maybach 57』を持っていると知ってショック倍増だった。あの子は私より『モノ』を知っているし、正しく教えられていた。その苛立ちが私にハンドルを握らせたのだった。

 ある程度成功してお金が貯れば、イタリアン・スポーツでなく、まずリムジンを手に入れる事。それで今まで自分を支え、応援して下さった方々や友人を、自らが主催するパーティに招く事。アメリカン・ドリームを手に入れた『成り金』と、欧州に長年根付いて来た私達とは違うのだ。あのアハトでさえ、アインツベルンとして『AMG』の手が入った『6.3リットル』の『300SEL』を持っていたくらいだ。これはもう『恥』を越えた『破死』だった。『憤死』しそう。けれどそんな憤りは微塵も見せず、安全運転でエッペルハイムの家まで走った私だった。

 

 家を目前にしたところで、『私』とミトが何やらやっていた。見事な認識阻害の結界を張って。なので気付かないフリをして通り過ぎ、念話でざっとした話を聞いた。まぁ、そういう内容なら、以前ちらりと聞いたミトの狙い通りだから良いだろう。だから私は本館で泊まると伝え、そのまま門を抜けた。係のメイドの指示に従い玄関前でクルマを止め、助手席のハサンにキーを預けた。地下の駐車場には彼が運ぶ段取りだ。私は先生達をエスコートして客間に向かった。

 2階の廊下の途中で、談笑しながらこちらに歩いて来るジークムンド様とお祖父様にパッタリ逢った。ジークムンド様もお祖父様もこういう時は流石で、私達を笑顔で迎えるや、魔法使いである先生と盟友エーデルフェルト家の次期当主であるルヴィアを最大の敬意を以てご挨拶を交わし、巫女の姉さんを『賓客の案内をありがとう』とねぎらっていた。

 

「やっと本人が来おったか」

「流石にこのお披露目に人形は使えないでしょう」

「それがわかっとるならエエよ。新商品が当たると良いな」

 

 そう仰って頂けた。そうしてお祖父様方はエレベーターで階下に降りていった。バーで飲むらしい。それを見送った私達も各々の荷物を部屋に置いてから下に降りた。こっちは遅くなったけれど、今から食事だ。

 

「貫禄ありますわねぇ。父や母はおろか先代でも、あのお二方の前では縮こまりますわよ」

「名門エーデルフェルトでも厳しい?」

「先生、私どもが先生を敬愛するのと同じです。父も母もあのお二人は敬愛していますの」

 

 それを見て巫女の姉が微笑んでいた。今でこそ私も総裁なんて呼ばれチヤホヤされているが、いくら早熟だったとしてもこのニ人の長老が、私を買って味方をしてくれたからこそだ。なので私もお二人を尊敬していた。アインツベルン百家の中で当主が長老という役職を得ている家は20家に満たない。その上に存在するのが総裁を送り出す5家の当主である。それを五大老という。これは日本の江戸時代の老中という意味ではない。長老の上に立つ長老という意味だ。

 私も総裁職を次代に譲れば、ラインハルト家付の長老の一人になる。相撲で言えば要は部屋付の親方だ。ただし名跡は確約済みだけど。私が名乗る時はこうなる。『エルヴァ・ラインハルト・ハーウェイ』と。と同時に魔術師名を『エルヴァ・エルンスト・フォン・アインツベルン』に変える積もりだ。義父で、後見人。大恩人でもある、お祖父様の名をミドルネームにして名乗るのだ。

 だってお父さんの昔の罪を揉み消してくれたのも、姉と母が正式にアインツベルンに加われるのも、全部お祖父様のお陰だからだ。

 

 私達は中華テーブルのある個室で食事を摂っていた。この回転台のある部屋は、保守的な考えを持つ西欧人の中でも特に保守的な魔術師である我が一族からは不人気らしく、こういう会合のある時でもいつも空いていた。なので料理が運ばれて来るやいなや、先生は部屋に結界を張った。

 

「どうされました、先生?」

「うん、まぁ聞いて。例のアレで、現在エルヴァの居る並行世界領域に行けない訳よ。なので暫(しばら)く行ってなかった伴世界の調査に数回出ていたのよ」

 

 伴世界とは伴銀河の『伴』と同じで、この世界に寄り添いつつ平行存在する世界の事だ。

 

「その中にあった。『アイツラ』が巣食う牧場世界が」

「牧場世界とは穏やかではありませんね? そんな基地みたいな世界があったんですか?」

「あった。そこが侵入経路だわ。中でも酷いのが昔のインドの世界観みたいに、まっ平らな世界がお盆のように浮かんでいる世界よ。そこは私から観れば『天動説』の世界なのよ。けれどそこに住まう人々は『地動説』を信じているの。発行されている地図も、地球儀も球なのにね?」

 

 宇宙を漂っているのか、密閉空間に存在するのかそこは謎だけれど、そんな人工天体が丸ごと隠されている世界って事か。

 

「でも、外から観ると星々は上空を漂うエーテルと水分子の結合体にプラズマで描かれた大掛かりなプラネタリウムだし、月はホログラム、太陽は円周状に遮光板を持った人工光源なの。それでこの遮光板は二種類あって、1番大きな外側の遮光板の反射率や透過率を変化させて、平均気温などをコントロールしているみたい」

「つまり内側の遮光板で昼夜を作っているって事ですか?」

「ええ」

 

『フラットアース』だ。この場合、天空のエーテルは分子の結着剤として利用されているのだろう。英霊の『殻』が固いのも、瞬時に実体化できるのも、この結着効果によるものだ。第五要素エーテル。もしその世界にマナがあるなら、『空』の魔術師は楽勝で扱えそうだ。もっと言えば英霊こそが、ヤツラの天敵に成り得るその証拠がそこにある気がした。

 

「それで目の良いシロウが気付いたのよ。月の模様がそのお盆世界の過去の地図になっているって」

「どういう?」

「アイツラって、いっつもそうやってヒントを忍ばせるでしょう? 月の模様もそれよ。こっちじゃ伴世界にあったアトランティスやムーが、その月の地図には全部あるのよ。そこじゃムーでなくレムリアだそうだし、やっぱり沈んだのか、それとも隠されているのか、存在は不明なんだけど。でもさお盆の世界って、言ってみれば球を平面に押しつぶした世界だから、大陸なんかはかなり歪(いびつ)なのね。そしてその月の地図はお盆全体の1/4程度しか表していないのよ。つまりその1/4の範囲が、外側にある遮光板の範囲なの。わかる?」

 

 巫女の姉さんは、むしゃむしゃと料理を味わいながら先生の顔を不思議そうに眺めていた。きっと『何を言い出すの?』なんて考えているのだろう。けれど私とルヴィアは頭の中にそのお盆世界を描いていた。

 

「内側の光を遮る遮光板より、外側は効果がキツく、その円周……円環の外が氷河期?」

「正解。つまりその円環の壁がそこでの南極なのよ」

 

 北極の上空から北半球を見るのでなく、南半球まで展開した姿なのだから、それは歪(いびつ)だろう。

 

「それでさ。円環は人工光源やホログラムの月と一緒に、何千年も掛けてゆっくり移動して氷河期や間氷河期を作りだし……そんな偽物の世界だからこそなのかしらねぇ? マナもあれば磁場とか歳差とかの仕掛けまで真面目に作ってんのよ。だから賢い人はそれを利用してエネルギーを得る装置をバンバン創ったりすんのね。するとさ『宇宙の周波数』や『響』なんかも、他の世界の人より早く理解して活用し始めるの。で、癇癪起こしてグレートリセットよ。そこでは『マッドフラッド』が数回起こされ、人類も数回入れ替わっていたわ。クローンか何かは知らないけどさ、地下にそういう巨大な人間牧場でもあるのね」

 

『マッドフラッド』とは、人工地震か何かは不明だけれど、地表全土が液状化現象を引き起こし、泥に覆われ文明が滅ぶ事を指す。こちらの球体の世界でも過去に数回あって、18世紀と19世紀にあった液状化でタルタリア文明が滅んだとされていた。

 また先生は、そこでは19世紀(1800年代)の半ばに撮影されたらしき、誰も写っていない街の写真が多数残っていたという。その写真は当時の感光剤の性能が低く、長時間露光で人が流れて消えて見えていただけというようなレベルじゃないそうだ。

 尖塔の天辺に立てたケーリュケイオン(カードゥーケウス)型(※)のアンテナからエーテルと結びついたマナを集め、それをアーチ状の電磁石で整流して、街まで電波や光に乗せて飛ばす。それを受け取る街は、運河の水路に辰砂や水銀などを溶かし、街全体を集積回路にして増幅して利用したり次の街へ余剰分を飛ばしていく。自転する地球じゃないから、そういう利用方法になった。

 

※)このアンテナはここの世界でも、寺院や教会に残っている。惑星記号の水星、雌記号に牛の角が生えたようなシンボルだ(☿)。その角はイスラムの三日月で、◯の下の十字は勿論十字架だ。けれどこれらは本来イスラムや基督教とは関係ない。そういう風に当てはめられただけの、昔からあったシンボルなのだ。ナチの鉤十字(逆卍字)や卍字もそうだ。あれは中心が北極星で、その周囲を巡る四方向の北斗七星を象ったものでしかない。そしておそらく卍字はレムリア文明のシンボルで、タルタリア文明にも伝わったシンボルだ。その名残りと龍が絡む姿を現したのものが中国にも伝わったラーメン鉢の模様だろう。では逆卍字に『憎まれ役』を押し付けたのは誰だったのか? なんとなくわかると思う。

 

「それもタルタリア文明?」

「そんな『球に住まう賢い人達』とは違うでしょうよ。巨人文明や巨石文明とも関係ないだろうし。でも……ある程度文明を獲得し、『その先』を知ろうとする人々は、そこが『球』であろうと『平面』であろうと、押し並べて『世界の仕組み』に気付いちゃう。それが人間ってものよ」

 

『その先』とは、『気付き』であり『ブレイクスルー』の事だ。どんな文明であろうと『ゼロ』の概念を獲得する前に、『たくさん』という概念を細分化する方向に進む。つまり数の数え方の獲得だ。これは『オレ』『オマエ』『それ以外』という村的で未熟な概念からの脱出でもある。こう言える証拠は私達の知る文字にも残っていて、漢数字だと『一』『ニ』『三』、ローマ数字だと『Ⅰ』『Ⅱ』『Ⅲ』などがそうだ。それが粘土板であろうと亀甲であろうと骨であろうと、大昔はそうやって何かに刻んだり彫ったりして数えたのだ。ここに『四』や『Ⅳ』という、3以上を数えるという新しい概念を得た事で人は指を使って『たくさん』を細分化できる事を思いついたのだ。

 その『思いつき』、即ち『気付き』を何度も何度も繰り返す事で私達はここまで来た。先生はその事を話しているのだ。

 

「なのにそれを脳味噌トカゲ並みに軽いアイツラは理解できないのね。冷血種が恒温種に勝てるかっての。先に文明を得ていたというアドバンテージは、どこの世界であろうといつか追い越される。それは進化の袋小路にまで行き着いた、終わりの見えている生物だからよ」

 

『進化の袋小路』の進化はダーウィンの意味でなく、『文明の進歩』或いは『精神の向上』を指して話されているのだと思われる。

 

「しかも『神秘』を『科学』で知ろうとするから何時まで経っても理解できない。『エル』、あの『繰り返される世界』はこっちの3次元空間に進出した『お盆世界』の限定的実験場だったのよ」

「そういう……?」

「そう。時間の幅を1994年頃から2005年頃まで限定する事で可能としていた世界なの」

 

 これを聞いたルヴィアが私の考えを代弁してくれた。

 

「魚座の支配構造がピークに達した時代に限定して……」

「そうよ、ルヴィア。悪徳や悪意が蔓延(はびこ)り、人々の意識が金銭欲に塗れ、妬みや嫉みが大きく膨らんだこの時代だからこそ、得られる負の精神エナジーが大きいと気付いたんでしょうね。長い歴史に付き合う必要なんてない。時間操作できるのなら、記憶を植え付けたクローンでも何でも放り込んで、そのピークを繰り返させればいい。あそこはそういうところだったの。だからあの世界丸ごと、そこで生きていた全生物ごと滅ぼしたのよ」

 

 先生とシロウさんは並行世界で延べ150億もの人々を救って来た。けれどその世界の70億に迫る人々と生きとし生けるもの全部を抹殺した。それが大魔導師としての先生の決断だった。第四次聖杯戦争の終焉から第五次聖杯戦争の終焉までを繰り返すあの世界は、アラヤによる『英霊エミヤ発生装置』ではなく、負の精神エナジーを得るためにアイツラが行っていた事だったのだ。

 

「あの滅んでいった世界は今だに私のトラウマですよ。なのに……そこも実験場だったと……」

「アラヤこそが人類の味方でしょう? アーチャー1人を得たいからと、そこまでする筈がないでしょうに」

 

 私はゲームみたいに毎回リセットされる、アラヤが構築した限定的な世界だと思いこんでいた。『並行世界領域』でなく『平行世界領域(伴世界領域)』にあるとは想像していたけれど、『そうか……あれにもアイツラが絡んでいたのか……』、そう考えた時に怒りが沸々と込み上げた。

 

「クリエイターがさ。並行世界の自分のアイデアなんかを垣間見る場合があるでしょう?」

「はい」

「そこの部分の心配は要らないから。旦那を連れて行ったのは、あの世界丸ごと『固有結界』で覆うためよ。慰めにはならないと思うけど、最低限の事はしてあったから」

 

 私は溜め息を吐いた。落胆でなく少しホッとしたのだ。

 

 ここでチューリッヒから応援に来ている大婆(おおばば)がノックをして入って来た。もちろんノックの段階で先生は結界を解いている。

 

「失礼します。お嬢様、旦那様から言伝です」

「はい。何でしょう?」

「『食ったら早う寝んか、チビ。夜更しばっかりするから背が伸びんかったんじゃぞ』だそうです」

 

 ちょ、そのまま伝えるなや! 自分で噛み砕いて、オブラートに包めよ! けれど稼働耐久限界を知るために鋳造され、お祖父様のお歳の3倍をゆうに超える、487年も継続稼働しているこの大婆様は、ラインハルト家の『宝』でもある。幼い頃に背中に爆竹を仕込んだ事もあるほどの、『頑固で返骨』で『合わない』人ではあるけれど、それはこの人なりの『哲学』と『人間観』から来たものだった。また私が『稚すぎて』、大婆様を理解できていなかったからでもある。

 その昔、培養槽から調整槽(酸素の止まったあれ)に移る前に、大婆様は私のオシメ替えを全メイドの前で行い『クサイ、クサイ』と言った。私はその頃から自我があり、身動きも取れない状態なのに足を持ち上げられ、衆目の前で股間の秘部を晒され、お尻を拭かれた事を恨んでいた。だからずっと復讐を考えていた。それで自家製の爆竹を背中に仕込んだのが2歳の頃だ。当然、マアエモ・ママにこっ酷く叱られ、お尻が4つになるんじゃないかというくらい引っ叩かれた。

 実は大婆様は、言葉も話せない赤子の私を見棄てた『親』に腹を立て、抱き上げる事も声を掛ける事もしないお祖父様に腹を立てていたのだ。メイドの前でオシメ替えしたのは、大婆以外の誰も赤ん坊を育てた経験が無いからだった。それで鼻を摘んだり、クサイとも言わず1番熱心にオシメ替えを見て、メモまで録っていたマアエモ・ママを乳母に推薦するとお祖父様に進言してくれていたのだ。

 大婆様の『クサイ』は釣られて言うような若いメイドをフルイから落とすためだった。これを聞いたのが、幼稚園に通うためにヴェルデンベルグの家にママ達と引っ越した後だった。

 それと今となっては仕方ないのだけれど、当時の大婆様はその存在も知らないのに、本気でお母様を嫌っていたらしい。『我が子を棄てた』というその『結果』が、『芯の通った』大婆様の逆鱗に触れていたのだ。お母様とお客の間で揉め事があった事は『私』からの念話で聞いていた。だから敢えて見過ごしたのではないかという考えが頭をよぎる。絶対そうじゃないだろうけど。

 なお、お祖父様は子煩悩ではあるけれど、ご自身がメイドに囲まれメイドに育てられた人なので、赤ん坊との接し方を知らない人でもあった。言葉を話すようになれば一緒に遊んでくれたりもするけれど、メイドに赤子を任せてしまう人でもあったから、アルトゥール様もブルーノ様もカール様も、赤ん坊の頃は抱き上げた事がないという話だった。

 お祖父様が子供の頃のメイドに人権なんてほとんどなかった。いや、カタチだけはあったらしいけれど、精通を迎えたお坊ちゃまへの奉仕を断われるメイドは居なかっただろう。大婆様から聞いたママからの又聞きだけれど、10代のお祖父様はそりゃ酷かったらしい。当時大婆様が目を掛けた『良い子』は、軒並み食われたのだとか。しかもお祖父様も自分の作品には手を出したくないタイプだ。だから当時お手つきしたメイドは、全員お祖父様のお父様が鋳造した人ばかりだったとか。つまりマアエモ・ママを大婆様はお祖父様から遠避けたかったから乳母に推薦したらしい。

 

『日本で暮らす事になりましたとご報告したら、手を取って喜んで下さいました。ですけど研究助手だったルオンには疑いの目を持っていましたね』

 

 マアエモ・ママの言葉だ。大婆はおそらく純潔な身体のままだろう。そしてその身に入れられた『魂』を腐らせる事もなく、今もハイティーンの見た目と若々しい感性を維持していた。

 草花を愛し、小動物を愛し、大自然そのものを愛する乙女は、自室で猫を飼っていた頃もあったという。飼わなくなったのは、見送るのが辛いからだ。猫だけではない。今まで何人のご先祖や仲間を看取って来たのだろう。二度と戻っては来れない仲間の出立を、どれだけ見送って来たのだろう。今日はお祖父様を『旦那様』と呼んでいたが、チューリッヒの屋敷なら『お館様』で、お祖父様と2人だけの時は『エーベルハルト様』でなく、本名の『エルンスト様』と呼んでいて、うっかり『お坊っちゃん』と呼ばれる事もあるとお祖父様が笑いながら教えて下さった。きっと私が皺くちゃなお婆さんになっても、この人は『お嬢様』と呼んでくれそうだ。そういう人だから、いつまでも元気でいて欲しい。

 

「大婆様」

「はい?」

「あなたこそ、早く休んで下さい。あなたはラインハルト家の宝です。若い者が至らぬのは心配でしょうが、大丈夫ですよ。これからも長生きして当家に仕えて下さいね」

「はい」

 

 柔らかな笑みでそう返した大婆が、皆んなに頭を下げ退席した。そこからも先生やルヴィア、巫女の姉さんと小一時間は話していた。

 

「ロゴス(論理)とエトス(信頼)とパトス(共感)よ。偏っちゃ見えて来ない。何事もバランス良く併せ持たないとダメなのよ」

 

 そんな先生の締め括りの言葉に頷いて、私達は各自の部屋に戻ったのだった。バスルームでシャワーを浴びながら、先生の言葉を思い出していた。

 ロゴス(論理)とエトス(信頼)とパトス(共感)ねぇ。営業職に限らず、コールセンター職員にも必要な考え方だ。食品会社を経営しているので、クレームは多くはないがそこそこある。そこのサービス人員に私はそれなりに注力していた。それなくしては『安全な食品という価値』を正しく維持できないと考えていたからだ。

 あれって私が9歳頃にシロウさんに話したんだっけ? まぁ、良いや。ルヴィアがあれで何かを感じ取ってくれたのなら。バスから出た私は相部屋だった巫女の姉さんと代わった。そうして私の慌ただしい水先案内が終わったのだった。

 

 

 

 翌朝、ジョギングに出て行く『エル』とおチビちゃん達を見送って、朝ご飯の用意をしていたら、私のセラが裏の家からやって来た。昨夜、見学に行かせた報告だろう。

 

「おはよう、セラ」

「おはようございます、お嬢様。お手伝い致しましょうか?」

 

 一瞬『ン?』と考えたけれど、あっちにはちぃイリヤのセラが居るから、リーゼリット達の分の食事の用意は大丈夫だろうとすぐに気付いた。

 

「そうね。料理をしながら聞こうかな。準備の見学はどうだった?」

「はい、とても勉強になりました。アハト様のお屋敷でもあそこまで大掛かりな事はありませんでしたから」

「なら、行かせた甲斐がったね」

「お嬢様。お嬢様は『大婆様』というメイドをご存知ですか?」

 

 ああ、いらしていたのか。

 

「お祖父様のところの重鎮のメイドだね。稼働年数が450年以上だっけ?」

「はい。今年で487年継続稼働だそうです。メイド長を73年、家宰(執事)を136年勤め上げたそうですよ」

 

 思わずセラを見た。

 

「そんな事まで話して下さったの?」

「はい」

 

『お屋敷の構造的に仕方ない面もありますが、お客様もこの場を通られます。他のメイドの作業を食い入るように見詰めるだけでなく、お困りなお客様が居ないかにも目を配りなさい。あなたがそういうところに気を配っていたら、他の者の安心感も違います』

 

『お客様はお屋敷という花壇に来られるお花ですよ。メイドは庭師です。私どもがお手伝いする事で、お客様も主(あるじ)も活き活きと咲き誇り輝くのです。エルヴァお嬢様から聞いています。イリヤスフィールお嬢様付きのセラというメイドはお花のお手入れが好きだと。あなたはそんなしかめっ面で水遣りをするのですか?』

 

「参りました。お嬢様に拾って頂く前の『顔』が、勉強だと意気込んだ事で出ていたんですね」

「長らく仕えてくれたからと言ってもさ、総裁である『エル』が敬語で話すメイドだよ。役職を外してフリーに動いて貰っているのも、その長い経験を活かして、鋳造年数の多寡や役職に関係なくメイド達を満遍なく見てあげて欲しいからなんだって」

「そういう事ですね。マアエモさんを育てた方なんですよね」

「うん。ここ300年の歴代メイド長を、全員一人前に育てた人らしいね」

 

 それどころか長老のような大勢のメイドを抱える家は、お祖父様を通して3年5年と期間を区切って自分のところの有望なメイドを、大婆様に預けたりしているそうだ。そして『エル』くらいになると、別荘はともかく、持ち家ごとにメイドを置いている。そのそれぞれのメイド長や家宰は皆んな大婆様の弟子だった。

 冬木のマアエモさん、この家のフリューゲル、ドナウエッシンゲンでトリンキンを育てた、フリューゲルの実母であるネーベルさん。この3人は家宰を兼ねるメイド長でもあった。そして冬木の副家宰はルオンさんで、副メイド長は私のセラだった。ここにスポットでお兄ちゃんが入る事で冬木のアインツベルン家は回っている。

 それに『エル』は私のセラを随分と買ってくれていた。私達が6年生の時に、何の前触れもなく突然セラを副メイド長に指名したのだ。セラとリーゼリットは、私がアハトの城へ里帰りした4年生の時に、地下の廃棄場で発見した5人のメイドの中の1人だった。里帰りは『エル』に付き添って貰っての資産確認が理由だった。

 その頃のアハトはとっくに引退して、敷地内にある小城(出城)に引っ越していた。そこへ食料や物資を運んでいたのはドナウエッシンゲン付きのメイド達だ。そんな中の誰か……おそらくネーベルさんからの報告で、地下に人の気配があるとあって、それで『エル』が動いてくれたという経緯がある。つまり私は財産の確認だったけれど、『エル』は『人が居るかどうかの確認』だったのだ。

 第四次聖杯戦争が終わって2年。日本の学校に慣れようと一所懸命だった頃だ。

 

『あのボンクラめぇ~! 廃棄処分待ちのメイドを報告していなかったのかぁ~!』

 

 そうして何十もの遺体の浮かぶプールの中から息のあった5人だけを救えた。報告を受けていた200人からのメイドは、『エル』が責任を持って他家に貸与したり預けたりした。中には養女に迎えられたり、嫁いで行った人も居た。家付きの、経口摂取でなく霊脈からマナを吸い上げ稼働していたタイプの人も『エル』が自立稼働できるように改造、もしくは新しい肉体を与えていた。そういう諸々の事を全部済ませた後に飛び込んで来たのが廃棄場の話だった。だから怒った『エル』は、アハトを私が止めるまで殴っていた。文字通り息を止める積もりだったのだろう。だってアハトなんて替えの効く端末じゃんと平気で言う子だから。

 

『イリヤと変わらない体重なんだ。なのに、なんであんなに重いパンチが繰り出せるんだろうね?』

 

 なんて自分の鼻を押さえながら切嗣が話してくれた事がある。第四次の頃、何かあったらしい。セラの事は『エル』から頼んでくれたのかな? それともセラが気にいられた? どっちだろう。

 

「セラ。私、高等部を卒業しちゃったでしょう? だからもう心配ないよ。マーヤさんもルオンさんも『エル』から結婚しろって言われているようだけど、妹達にはちぃイリヤのセラが居る。それにトントやペッコも居るわ。だから、大婆様のお傍で勉強してみない? それで帰って来たら皆んなを導いてあげて。それに交代で大婆様のとこで学べば、美遊が大人になるまでに全員直接ご指導頂けるかもよ? その頃にセラの赤ちゃんが見れると良いよね」

「お嬢様……」

 

 セラが涙を流しながら私の手を取った。だけど私はセラとリーゼリットの事を思うと今も胸が痛い。あの城の地下に居たのはセラとリーゼリットと、街に出て私に『Faber-Castell』の9000番を買って来てくれたメイドと同型の人と、あと2人だ。この5人の内、セラとリーゼリット以外は霊脈からマナを吸って活動できるタイプだった。だから第四次以降も割とピンピンしていた。リーゼリットもやつれてはいても結構元気だった。それは戦闘特化型だから、補助的に僅かながらも霊脈からマナを吸える機能を持っていたからだ。

 けれどセラは完全自立型だった。発見した時はボロボロの、骨と皮だけの姿だった。2年間も、その廃棄場にあった鋳造前の材料などを食べて生き延びていたのだ。余り考えたくないけれど、プールに浮かんだ活動を停止した仲間を食べていた可能性もあると思う。決して言えないけれど。あんな地獄から救ったから、セラの忠誠は大きく強い。

 そして巫女の姉から後や大魔導師の先生に教えられた、『イリヤスフィールとセラ達との絆』。それはどこであっても深く重いものだった。自分のセラとリーゼリットを失っている姉は、何も知らない私に『大切にしてあげてね』といつも話していた。特に『イリヤスフィールと連動していない』、『エル』の再調整で稼働年数が増えたリーゼリットにはやたら優しい。そんなだからリーゼリットが『イリヤ』と言った場合、私を指しているのか、巫女の姉を指しているのかわからなかった。それはまったく同じ調子で呼ぶからだ。どうやらそれは親愛のレベルが同レベルだから、差をつけられないかららしい。でも巫女の姉が言うには、姉の思い出のリーゼリットより知能が高いらしく、優劣を付けたくないから起きるバグのようなものだろうとの事だった。

 なのでセラがリーゼリットを叱ろうとしても私は止めていた。そんなだったから、ちぃイリヤが来て、あの子のセラやリーゼリットに会って驚いた。セラはやたら固いし、リーゼリットはロボットとしか思えない反応だったからだ。更に驚かされたのが、後からやって来たおチビちゃんやクロちゃんの言葉だ。あの子達のセラは『セラ・ママ』と言われるくらいしっかりした、けれどお近所の奥さんと井戸端会議もできる『普通の人』だった。また2人の語る『リズお姉ちゃん』も、アニメやマンガに没頭したり、お菓子ばっかり食べる人であっても、朝から掃除や洗濯をして、お買い物に1人で行けて、夜までちゃんと働く家政婦だったという。

 

『12時間寝ないとダメとかそういうのは無かったの?』

『そんなのあったっけか、クロ? お昼寝は時々していたようだけど』

『ナイナイ。昼寝も単なるサボりだって、イリヤ』

 

 本当かな? と疑っていた私と巫女の姉だけれど、エルヴァの世界でそれが正しかったと知って少なからずショックだった。あちらのお母様の錬金術はこちらのお母様よりレベルが高いのだと思い知って。

 

 

 あ、そうそう。『Faber-Castell』の9000番という人は、私だけでなく巫女の姉もちぃイリヤも知っている人だった。3人共通の思い出の人で、家庭教師専門のホムンクルスだった。アルファベットを習い始める頃に、『骨も定まらない子供の手首にはエンピツの柔らかな書き味が良い』とお城を抜け出て買って来てくれた人だ。勿論エンピツだけでなく、お手本となる小学生向けの本と、エンデの『はてしない物語』も買って来てくれた。けれどアハトの反対を押し切ってお城を出たものだから、私がアルファベットを覚えた頃に廃棄処分になってしまった。だから『はてしない物語』のドイツ語版は私の大切な本となった。

 巫女の姉の思い出だと、エンピツとアルファベットの本までで、『はてしない物語』はなかった。けれどちぃイリヤにはあった。それ以外にも数冊。だからあの子は私以上の読書好きになり、翻訳家を目指し、ゆくゆくは絵本を描きたいとまで話している。子供の時に何を読んで、どういう体験をしたのかは本当に大きい。『エル』が下の子達に何でもやらせようとする気持ちがよく分かる話だ。

 そして廃棄された『先生』は『自由があるなら教師になりたい』と話していた。それを地下に居た同型の人が『エル』の後押しで叶え、今はこの近くの小学校で国語の先生をしている。

 なおこの思い出を3人で『エル』に話せば、『人形』を3体使って全員でアハトを殴ったそうだ。風の噂だけど、今のアハトは真っ直ぐ歩けない体になったらしい。

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