ここのエントランスの床は、色合いの異なる大理石がモザイクに貼られているのだけど、そことホールに入る前のクローク・カウンター部分の床中央にあった、臙脂色のカーペットが消えていた。代わりにローマ数字のⅪ(11)が象られた、金属製の化粧板が顕わになっている。錬金術で鋳造されたのはわかるけれど、意匠が凄いので踏んで良いのか迷う。
「常識的に考えると、通路の真ん中だから踏んで良いのだとはわかるけれど……」
私が思っていた事を、エントランスで待っていてくれた巫女の姉が口にした。別便で来ているのは知っていたけれど、さっきみたいに家まで迎えに来てくれたり、こういう阿吽のタイミングで合流して来るのがこの姉の凄いところだ。軽くお礼を言ったところで、尋ねてみた。
「あなたの時には、この床、カーペットに覆われたままだったの?」
「全部が全部じゃなかったけどさ。まったくカーペットがないのは初めて見たわ」
「どうしてだろうね……?」
私は不思議だった。この間に受付はミトとパミが済ませてくれている。いるのだが、彼女達が話し掛けている相手はメイドでなく、カウンターに置かれたラスター彩の壺だった。この古いアラビアの壺は、口の上に霞のようなものを吹き出しており、その霞の中にジン(魔神や悪魔の事)の顔が浮かんでいた。どうもそのジンが受付担当らしかった。
「私とあなたとは立場が違うでしょう? 私の場合は、私という魔術師個人が11代目の翼下に加わったという報告だから。お客様もノイントのお祖父様に連なる方々だけだったの」
なるほど。私と巫女の姉が話している間に受付は終わったらしく、パミ達がこちらに近づいた。そのタイミングで好奇心に駆られたちぃイリヤとお母様が壺に話し掛けていた。壺のジンは意外にも愛想が良かった。けれど次のお客が来るので、おチビちゃんとクロちゃんが引っ張って来てくれた。
ホール入口の左右には騎士の鎧が飾られている。これも今まで置かれてなかったものだ。右が白銀で左は漆黒。ガウェイン卿とランスロット卿?
「違うわね。死徒の白騎士と黒騎士の鎧がモチーフのレプリカよ。いわばトロフィーね」
なんだそれ? けれど、その飾られた鎧の一部は凄まじい魔力を放っている。本当に何だろうか?
ホールの中は既に大勢の人が集まっていた。人、人、人、人……。老若男女、ありとあらゆる年齢層の人が、芋の子を洗うようにごった返していた。
「猛暑日のわくわくザブ~ンだわ」
「それもスライダーのタワーから観る流れる方ね」
私の視点はご覧の身長なので低い。だから人と人が重なって見える『流れる方』というのは納得だ。けれどこの姉は『スライダーのタワーから』なんて高い視点の話を持って来る。この理由はアルさんの肩に乗った事があるかどうか、髪の毛で造った鳥の視点を知っているかどうかにある。アルさんの肩となると『スライダーのタワー』は大袈裟だけれど、私とおチビちゃんは肩に乗って夜の街を歩いた事はない。けれどおチビちゃんとクロちゃん以外は錬金術が使えるので、髪の毛の使い魔が飛ばせる。けれどその使い魔の視点や視野を、自らの目と変わらないほど得られるのは巫女の姉だけだ。そしておチビちゃんはルビーがあれば、誰よりも高い視点を自分の目で視認できる。また、今のクロちゃんはおチビちゃんの視界を魔術で借りられる。
三者三様でなく五者五様だ。だから同じ『イリヤ』でも感じ方や考え方は結構違うのが私達だった。
歩き進むとパーティは立食形式なのだろう、ところどころ人と人との間に隙間が見える。きっとそこがテーブルの置かれた場所だ。イスは壁側にズラッと並んでいる。
「イリヤ、良く見て。後ろが立食で、前がテーブルを囲んで座る形式よ」
「そういうのってアリなの?」
「常識で考えるなら失礼だけど、前が来賓と五大老や長老なんかの、重要な家だと考えられるわ。でもさ。お祖父様の家に新たな家が加わると言っても、現総裁の姉妹でしょう? おめでたい事ではあるけれど、ハッキリ言っちゃうと他家には余り関係ない事だわ。だから式典は前で進めるけれど、興味ない人は後ろで好きに飲み食いしてくれって意味もあるのよ。祝ってくれれば嬉しいけれど、鯱張(しゃちほこば)って、そう肩肘張る必要もないという意思表示なのね。アリと言えばアリなのかも」
「『エル』っぽいわねぇ。きちんと形式には則るけれど、どこかに余裕というか遊びも加えると……」
「そういう事ね」
ところで私達はどこだろう? 前の方だとはわかるけれど。
「まぁ……。こんな風に座席表とテーブルのお名前と照らして席を探すのって、結婚式の披露宴みたいで面白いわね?」
私は思わずパミとミトを見た。2人も驚いていた。お母様は、パミから預かった座席表を私達に配らずに全部持っていたのだ。
「なんで、あの人が母親なんだろう?」
そう呟くと巫女の姉はとても微妙な顔をしていた。それで案の定私達のテーブルは最奥にある舞台の真ん前で、ノイントのお祖父様やルヴィアに先生と同じテーブルだった。お祖父様が笑顔で私達を手招きし、ルヴィアも手を振ってくれた。そのテーブル以外の顔触れは知らない人ばかりだ。段々と緊張が否応なしに高まる私だった。
「あ~、テステス。本日は晴天なり、本日は晴天なり」
日本語だ。周囲の人が『ギョッ』としていた。声の主はもちろん『エル』。驚きなのは魔術で増幅した声が天井から響いているところ。思わず上を見ればとんでもなく大きな魔方陣が、天井でなくそこに行くまでの空中に浮かび上がっていた。これはできそうでできないぞ。だって天井や壁には絶対に、そういう仕掛けなんてないのがわかるからだ。
なのに、なのにだ。天井から『インペリアル・マーチ』が流れ始め、空中にインペリアル級スター・デストロイヤーが何艘も艦隊を組んで宇宙空間を飛んでいる映像が映し出されるのだ。そしてそんな画面の上に例の書体と例の流れ方でテロップが。そこには私の生い立ちや『エル』との関係などが書かれてあった。そして一隻のスター・デストロイヤーが隊列に加わるシーンが。
やがてそんな艦隊の前を横切るようにデス・スターが画面一杯にパンされ、カメラの視点が司令塔にまでズーミングした。カメラは艦橋を捉え、窓にズームし、窓の中にまでズームした。そこには腕を組んで艦隊を見守る、白い衣装の『エル』が立っていた。
どんな魔術師であろうと錬金術師であろうと、触媒となる呪体やそれに類する何かを事前に用意しないと魔術は使えない。半分ホムンクルスの私だから髪の毛が触媒に使えるのだ。けれどそれらを繋いで天井一杯に広がる網を造っても、こんな映像は流せない。しかも『エル』はたった今、空中に魔術を掛けたのだ。
「宇宙世紀2005年3月。第11代アインツベルンことエルヴァ・フォン・アインツベルンは遂に真打ちを仲間にする事ができた。それが我が双子の姉、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと母である。我が姉と母は壊れたドロイド、C3P8に騙され育てられたという悲しい過去を持つが、これも偏(ひとえ)に壊れたR8ユニット、ユーブスタクハイトの罪である。本日お集まり頂いた諸兄におかれては、どうか新しき船(家)を暖かく迎えて欲しい」
どういう演出だ!? なのに会場は割れんばかりの拍手だ。皆んなこの魔術に度肝を抜かれて、ある種の催眠に掛かったか、軽い暗示で方向付けを受けたかのようになっていた。
「『エル』って帝国側なんだ?」
「ね? 心配だわ」
巫女の姉と母はこんな状況下でも呑気だった。と言うのは、既に天井にはリアルタイムに、戸惑う私が写っていたからだ。どこにカメラが? そして画面は舞台の上に立つ『エル』に切り替わり、『こちらへ』と招く声が天井から届いた。仕方なく私は舞台に向かって歩いた。足が震えそうで(きっと震えていた)、膝がカクカクしていた。
舞台に上がり『エル』の前に立つと────、
「頭が高い。総裁には稽首による伏礼が作法です。叩頭しなさい」
マジで?
「嘘ですよ。姉さん、おめでとうございます」
そう言って『エル』は私の手を、両手で包むように握ってくれた。再びの拍手だ。
「これよりは宴です」
その『エル』の言葉と同時に、舞台の左右にある扉からストームトルーパーが料理や飲み物を運んで来た。中身はアサシンだろうか。給仕のメイド達はいつの間にかレイア姫みたいな髪型で、特に『エル』のところのメイドは、ジェダイ風のローブを纏っていた。
『エル』と共にテーブルへ戻ると、お祖父様がグラスを持って、乾杯の音頭を取られた。そこからは親族との個別の挨拶はあれど、ごく普通の会食パーティだった。
ちなみにお料理は、ドイツでは珍しい鶏料理だった。ドイツがビールとソーセージの国だというのは否定しないけれど、意外にも豚肉料理が結構あって、ワインも美味しい。2種類の豚足(正確にはスネ肉)、シュバイネハクセとアイスバインは有名だし、ベルリン寄りの地方に行けばメットという豚肉のミンチを、パンなどに塗って生で食べる食べ方があったりする。ドイツ全般ではお祝い事に子豚の丸焼きが出たりするし、コショウやハーブを利かせたトンテキも家庭料理にある。私が育った南ドイツは揚げ焼きした牛肉(シュニッツェル)や煮込んだお肉(ブラーテン)が一般的だけど、豚肉料理もあった。けれど鶏肉料理はほとんど食べた憶えがない。
けれど、フランクフルトやデュッセルドルフなど中部西ドイツでは、鶏肉料理がよく食べられていて、地鶏の炭焼きなどもあれば、ハルペス・ヘンヒェンという鶏を半分に切った焼鳥がバンで売られていたりするそうだ。
(ハルプは半分という意味。焼鳥のバンは街の至るところにあるそうで、地元でのファストフードなのだとか。なおソーセージもそうだけど、こういうファストフードに『焼き物』が多いのは、自宅のキッチンを汚したくない人がドイツに多いのと、『冷たい食事』という古い習慣があったせいだ。ドイツ人は国民性なのか、家を汚したくない人と夜は静かに過ごしたいという人がやたら多く、そこが焼き物が避けられ煮込みが多くなる原因だった。シュニッツェルの揚げ焼きにしても、小麦粉などで油ハネを少しでも減らしたいからだという説もある。
それと余談だけど、デュッセルドルフは日系の人が多く住んでいて、『日本デー』というイベントなども毎年開催されるくらい日本には寛容な街だ。なので割とマトモな日本食が食べられるお店が結構あったりする。カーニバルも有名だし、隣街は刃物の街ゾーリンゲンだ。ライン川が真横を流れる綺麗な街なので、ドイツ人に聞く住みたい街ベスト5に必ず入るところでもある。ケルンも近いのでドイツ旅行終盤に予定を組んで訪れて欲しい。お味噌が必要な人は、わざわざデュッセルドルフまで来て買って帰るそうだ)
ドリンクはアルコール以外でと頼むと、てっきりアプフェルショーレ(リンゴ果汁を炭酸水で割ったもの。ドイツならどこのレストランにもメニューにあり、家でも作れるお手軽ジュース)が出て来るものと思えば、ミュンヘンで産まれたビオナーデが出て来た。これをなんと表現しよう。レモネード風味のノンアルコールビールだろうか? 炭酸飲料だけど、これはシャンパン等と同じで麦芽発酵によって出たもので、炭酸は注入されていない。だからオーガニック炭酸飲料として売られていて、ドイツではありふれた飲み物だ。同じような飲み物にベルリンのファスブラウゼがある。そちらはローカルだけど開発は何十年も先だった。ただ、開発者が子供のためにオーガニックなものをと作ったものだから大量生産できなかった。対するビオナーデはミュンヘンのビール工場が開発したものなので、ドイツ全域で売られている。
また、ファンタがドイツ産まれなのを知っている人は居ると思うけれど、オリジナルの味は第二次世界大戦で原料が輸入できなくなったドイツ・コカコーラが、代替コーラとして作ったものという悲しい歴史がある。今でこそ色んな味のあるファンタだけれど、様々な国で発売されたから、そこで産まれた味も多い。オレンジはイタリア産だし、今は日本産の味がやたら多い。そしてドイツのクリアレモン味、これがドイツ外だとスプライトと名前が変わる。アメリカでの『7Up』に対抗するためだったらしいけれど、日本だけは『7Up』もあればスプライトもあるのに、ファンタのレモン味までもがあった。
『天然の良いものがたくさんあるのに、人工の味に慣らされて行く日本人はカモですね。いや……戦後、学校給食が導入されパン食になった時点で鵜飼いの鵜でしたか。嘴(くちばし)一杯に鮎を漁ったら、もう漁るなと強制プラザ合意されて、バブルが弾けてボーナスタイム終了、なんてね』
酷い言い草は『エル』だけど、半分以上事実が混ざっていて、それを皮肉っているのだから堪らない。それより私は、今度売り出すエナジードリンクはどういう立場で出すんだと半日は問い詰めたい。それはともかく……。
「あれ? こんなので良いの? もっと、こう3代目になったとか……」
「知らせるべきは姉さんとお母様の『家』が私の下に加わったという事であって、お母様から姉さんへという継承は身内の事です。襲名披露のようなものを想像していましたか?」
「え、ええ……」
「きっと耳に入るお話が、全部私が11代に就任した時の事ばかりだからでしょうね。就任式ともなれば、それは一族一門あげての大きな行事ですけど、今回の事は自分の系列にただ家を認め加えただけの事ですよ? 私が総裁だからこうなったというだけで、どこも普通はもっと質素です。そもそも、ご両親でなくルヴィアに招待状を出した時点で気付きましょうよ。ちなみに先生のご参加は箔付けです」
そこで先生も声を上げた。
「飛行機代も宿泊代も出して貰えて、顔を出すだけでン百万の臨時収入よ」
そうなんだ……。でも、よくよく考えたらそれはそうだよね。私がお母様から受け継いだものなんて、何もないのも同然だ。郊外の森はとっくに『エル』のものだし(アハトから没収)、こちらのアハトの城も何年も前から私のものになっている。あったのはお母様の『思い』とアハトが持っていた『刻印』だけだ。そんなもの、一族全体に知らせるものでもないのは当然だった。
重要なのは公式に『エル』のところに入ったという、その事だけだったのだ。
それとこういう催し物なのでアルコールが入る事は想定内だし、ショーファー(お抱え運転手)付きのクルマでやって来る事も想定内なら、ドライバー兼ボディガードも想定内だったそう。だから後ろに立食の場を設けていたそうだ。つまり後ろはそういう方々への食事場所で、アルコールが出なかったらしい。要は臨時の部外者で無ければ、ボディガードも入れたし参加できたのだ。そしてこの種明かしは私にでなくクロちゃんに話していた事を、私が横で聞いていたものだ。
なおザウアークラウトとポテトの添えられた鶏肉料理(半身の香草焼き)は、鶏自体の味が濃厚でとても美味しかった。自分のところで養鶏場も持っているのだろうか? 持っていそうだ。それと私は無理だけど、一般的にドイツ人はやたら食べる。この鶏の半身(日本で言うモモ1本と胸半分)が1人前なのだから。しかも付け合せのザウアークラウトもマッシュポテトもやたら多い。そこにプラスして結構大きな唐揚げが2個と、黄緑色とオレンジ色のスプレッド・ペーストだ。
唐揚げは醤油やニンニクに生姜で漬け込んだ純日本風。衣は小麦粉4に片栗粉6で1度目は何の油かわからないけど、2度目は間違いなく胡麻油で揚げている。そして黄緑色のスプレッド・ペーストは間違いなく『柚子胡椒』だった。そういや、大分県に行ってたんだっけ。やるなぁ。周囲を見渡せば、唐揚げと柚子胡椒は結構好評のようだった。で、オレンジ色のスプレッド・ペーストだけど。どうやら自家製マヨネーズがベースで、そこにコチュジャンやハチミツ、味醂やお味噌を加えて練ったサムジャンに甘辛いレッドペッパーの粉末と、レモン果汁を混ぜたオリジナルらしかった。
また会食中、挨拶に来る親族もそこそこ居たが、促されて私の方からお母様とともにご挨拶に回った親族もあった。それがお祖父様を除く五大老と、何人かの長老、そして建機会社のオーナーと、次期総裁候補として名が上がっている3人だった。ここから少しその3人の候補に対する私の印象を書き記す。
まず3人はどの人も『エル』より年上で、若い方から推定で24~26歳、29~31歳、40歳前後だった。切嗣くらいのアラフォーに見える人と30前後の人は、第11代を『エル』と争った人達でもあるそうだ。ご挨拶すれば3人が3人共、いかにも名門の御曹司という物腰も柔らかな紳士だった。特にアラフォーの人と(ご結婚されていて二女の父だそうだ)、30歳前後の人は(アロイスという名らしい)は際立っていた。
それで長老たちの下馬評はそのアロイスで、今回『エル』もその人を推しているという。
「前の総裁が推すってアリなの?」
「ありますよ。前回も私を推してくれたのはお祖父様です。しかも他の大老からかなり巻き上げて儲けたらしいですね」
賭けの対象なのか! けれど次の瞬間、背筋が寒くなった。お祖父様は絶対に勝てると踏んでいたという事実に気付いて。養女が可愛いとかそういう心情的なものじゃない。『エル』なら僅か7歳でも勝つという確信があったのだ。きっと7歳の子を推したお祖父様は笑われたり呆れられた事だろう。けれど『エル』は勝ってしまった。それも凄まじいけれど……。
「参ったなぁ。あの13代目候補という子。総裁の妹だから、あなたの妹さんでもあるんでしょう? 魔術勝負だと勝てるのは今の総裁だけだろうな」
と、アロイスは見破ったのだ。つまりこの人もかなりの実力者だ。後で『エル』に詳しく聞くと、40前後の人は総裁選に出るのが趣味であり、若い者の魔術をそこで測っているところもある、純然たる魔術師なのだそうだ。そして1番若い20代半ばの人は今回初めての候補で、家のために出たそうだけど台風の目になるかも知れないとの事だった。というのは5人居た候補が3人に絞られたのは、その人が他の2名を下したからだった。
「これが魔術合戦でなく、相手をぶっ倒すだけなら、クロちゃんが圧勝なんですけどねぇ」
当然ながらそうは行かない。何より求められるのは魔術の腕というより知識であり、一族各家の研究が進むよう促し、その成果を次代に確実に残せる政治力と統率力の方がより重要だからだ。守るためには確かに武力も必要だけれど、それが出る幕は最後の最後で、大抵は政治でどうにかなるものという考えもある。何より候補筆頭のアロイスが、そのアインツベルンに1番足りないとされる武力を補う動きを見せているそうだ。
けれど『英霊召喚』という圧倒的な大魔術で、最強の武力を得ていたのが『エル』だから、どうなんだという話になる。そういう理由から、20歳で総裁を辞めると就任時からしていた宣言を、撤回して欲しいという声も一族内には多々あるそうだ。けれど『エル』は、高校卒業か20歳を目処にハーウェイの理事に移行すると前々から話していて、それは五大老にも承認されていた事だった。魔術だけでなく経済も極めたい、だから経済集団側の理事になりたいというのは子供の頃からの目標であり曲がらぬ考えだったのだ。
それはさておき、アロイスが『エル』に尋ねた時が面白かった。
「総裁、あの大男のボディガード。考えたんだけど英霊でしょう?」
「そうですよ」
「そんな者を僕に? 座とのパスを何とか切れば勝ちの目があるとか?」
「そんなモノありませんよ。あるのは絶望と想像の範疇を超える暴力だけです」
「何者です?」
それ、聞くの? 聖杯戦争じゃないから正体を明かしても問題はないだろうけど。どうするんだろう?
「正体ですか?」
「ええ」
「他言無用で。信じる信じないはあなた次第ですが、ギリシア神話最大の英雄……」
そこまでで察したアロイスは『エル』を手で制した。では何を察したのか? どう見ても考えても、隙きのない完璧さを持つ人だ。着ている服からして、『軽い』ブランド物ではなく、腕の良い仕立て職人にオーダーしたものだと私でもわかる。しかも『着こなしている』。身長は180cmくらいだろうけれど、面立ちは精悍で瞳からは強い意志を感じさせる。
『靴や帽子で見るという人も居ますが、私は財布で見る場合があります』
こう教えてくれた『エル』も、スイスの親子三代に渡る職人さんのお店で革の財布を毎回オーダーしていた。それもユーロ用、円用と大きさを変えたものを数種類ずつ。目の前の男性からもそういう『コダワリ』を感じた。代々裕福な家に産まれ育った人が持つ独特な空気と雰囲気を当たり前のように身に纏っている。どこまでも柔らかで丁寧な言葉遣いには、嫌味さのカケラも感じさせない。きっと他人を見下した事さえないだろう。実に魅力的な男性で、これで罪は罪と犯した者を厳しく断罪できるのであれば、実に総裁に相応しい人だと思えた。いや、それができる人だから『エル』も認めているのだと思う。
そして頭も良さそうだ。だからこそ、『英霊≒信仰≒知名度』と頭の中に方程式がスッと成り立ったのだろうし。でなければ『座とのパス』なんて言葉は出て来ないと思う。何よりそういう人だから、みなまで言うなとばかり『エル』を制したのだ。
今日初めて会って、私は3人の候補がどの家出身なのか、敢えて『エル』には聞いていなかった。それは3人が3人共、いかにも魔術師といった『鼻持ちならない威張りん坊』とは程遠い人達だったからだ。それだけに、幾ら推しだからといってもアロイスの名だけを教えてくれた理由が気になった。けれど、こうして近くで話してみてわかった。そして彼が本命とされる理由も。この沈着さと頭の回転の速さはお見事だ。
挨拶を終えた私は当然『エル』にあれこれ尋ねた。既に綴ったが、3人の候補の事やアロイスを推す理由などだ。
「世の中にはあんな奴が居るのですから、面白いものですね。もっとわかりやすい、嫌味で鼻持ちならないタイプなら掃いて捨てるほど居ますけれど……。腕も実力もあるのに、人が底抜けに良く、育ちの良さが隠せない。だから友人も多く信頼できる仲間も多い。まさに『約束された勝利の人生』を歩んでいます」
うん、わかる。ついでに苦労を苦労と思わず、努力を怠らないタイプだ。
「ところがそこが欠点でもあって。人間味はあるのに、『アツさ』を感じないというか……。その意味では私と逆ですね」
アルトリア姉さんが言っていた。『エル』は子供の頃の方が『もっと面白いヤツ』だったと。けれど『オトナになる事』で、文字通り『オトナしくなった』。でもそれが成長だから人は難しいとも話していた。
それと同じで、総裁向きな人は段々と『型に嵌まったような』、『完璧過ぎて向き合うにはツラい人』になるのかも知れない。というのは、『昔のアロイスは、もっと面白い人だったのに』と『エル』が呟いたからだ。
「けれど失望はしていないみたいね?」
「ええ。本人も自覚があるのでしょう。だから一族全体を『護りたい』なんて事を目指す訳で。アルさんに興味を持たせるような話し方をしたのはそこもあります」
英霊召喚させる積もりなの?
「その程度できませんとねぇ。先代より劣ると噂され恥をかくのはアロイスです」
『エル』の眼は笑っていなかった。触媒となる聖遺物も、召喚を行う術式も、その際に必要な魔力も、その後の維持に欠かせない魔力も、手順くらいは教えるが、後は自分でなんとかしろという顔だった。時計塔の一級講師でも無理だ。仮に冬木の大聖杯が今も残っていたとしても、補えるのは召喚の術式だけで、魔力はどうしようもない。『エル』の表情は一族の明日を考える厳しい意志を貼り付けていた。
「アロイスには、一族に仇成す者を安易に処分せず、こちらのカニ漁船や鉱山に回せと伝えておかないと」
私はゾッとした。けれど同時に『アロイスに殺させないため』という気もした。
「『エル』? アロイスさんって独身?」
「一応。ですけど想い人はいますよ」
「誰?」
『エル』を指差したら『慎ちゃんが居るのに?』と呆れられた。けれどそれで私はホッと安心した。それを見て『エル』も察してくれた。
「お祖父様が縁談を勝手に進めているのではないかとご心配だったのですね? 安心して下さい、それはありませんから。何よりお祖父様が慎ちゃんをお認め下さっています」
そう言って『エル』はある人物を指した。それはミトだった。
「アロイスの本命はミトですよ。こういう場では態度に出しませんが、あちらは相当お熱なようですし、ミトも満更ではないらしく、もしかしたらもしかするかもですね」
まだ2回ほど食事に行っただけらしいが(本当に始まったばかりだ)、『エル』は脈アリと見ているようだった。遠い日本にお付き合いを始めたばかりの吉川君を置いて言うのはなんだけど、アロイスは超々優良物件だ。中身は実質『エル』だろうという私個人の意見はともかく、対するミトも男性から見ると高嶺の花と言って差し支えないだろう。私は上手く行けば良いなと思った。
なお、ここで私はこのテーブルが妙にガランとしている事に気付いた。お母様とちぃイリヤとおチビちゃんにクロちゃん、そして私と『エル』しか居ないのだ。お祖父様は親族の人とお話だとわかるけれど。
「他の人は?」
なんと『エル』の指差す方を見ると、ルヴィアとパミは親族の何人かと話していた。それは何か商談中というか営業中のように見えた。パミがルヴィアを通じて親族の中にいる取引相手を紹介されているのか、逆にパミがルヴィアを紹介しているのかそこは謎だった。一方、先生は魔術協会繋がりでの知り合いと思(おぼ)しき人達と談笑中だった。そして巫女の姉さんは、知らない男性と親密に話し込んでいた。あそこだけ妙に空気が違う。
「あの男性は……?」
「遠距離交際中の相手ですよ」
彼氏がドイツに居るって本当だったのか!?
「あの2人だけは、今後どうなるのか私にも読めませんね」
「相手の人ってどういう人?」
「名はアルベルト・フォン・アインツベルン。ジークムンド様直系のお孫さんです。ただ次男の子なのでラファエル家頭首の継承権はありません。そしてアダ名が『バーサーカー』ですよ」
「バーサーカー!?」
「はい」
職業は現在、『エル』のところでの法律顧問(弁護士)なのだそうだ。至って真面目で物静かな人だそうだけど、その物静けさが誘蛾灯になるのか、学生時代からとかくイジリに来る人が多かったらしい。社会人となって数年経ったある時、パブで静かに飲んでいたら頭からビールを掛けられたという。相手は事務所の同僚。けれど悪意はありありで、前々から大人しいアルベルトさんに幼稚で無意味な行為を繰り返していた。その日も絡んでお金を巻き上げるか、タカるつもりだったのかも知れないと『エル』は話していた。
けれどその夜は度が過ぎていた。衆目のあるパブでビールを頭から掛けるなんて。キレたアルベルトさんは結界を張って、強化したジョッキで殴って昏倒させ、更にある魔術を追加で使った。そうして相手を起こし、お金を支払ってお店を出て別れたという。
「何なのよ? その追加の魔術が問題なんだとわかるけれど」
「『アルジャーノンに花束を』のラストですよ。半年くらい掛けて、知性が失われて行くようです。IQで言えば20以下にまで落ちるそうですね」
20以下だと重度の知的障害レベルだ。会話は不可能だし、常時おむつをしないと排泄行為もままならない、乳児以下の知性……。
「だからバーサーカー?」
「そうです。魔術による精神干渉の一種です。それもベースが錬金術なので不可逆なんですよ」
二度と元には戻せない、相手の知性を奪う魔術。昔は評価の低い魔術だったろうね。現代社会なら堪らなく怖い魔術だとは思うけれど、どこで使うんだという内容だし。どうやらアダ名はアルベルトさんの事でなく、その魔術に対してのようだった。そしてアルベルトさんは錬金術師として一流らしく、その事件の前から親御さんからジークムンド様に相談があって、事件後にジークムンド様からお祖父様を通じて『エル』達に届いたようだ。だからパブの証拠隠滅や、より入念な記憶操作などをミトが中心となって行い、まだ人の事務所に務めていたアルベルトさんを、『エル』が自社の顧問弁護士に引き抜いたらしい。
「引き抜いたのは優秀だったから?」
「それは当然ですが、ジークムンド様と私が同じ事を考えたからです」
それが『リセット』だった。アルベルトさんはその不可逆の魔術を使った事を後悔していた。一時の感情でカーッとなった自分を恥じていた。その行為を私怨による復讐行為だと見做していたのだ。そういう場合、真面目な人ほど自分を追い詰める。程なく弁護士事務所を辞め、引きこもるか失踪するのが目に見えていた。そうなると怖いのは、それまで歩んで積み上げた実績や人間関係を『リセット』してしまう事だった。
「一時的に逃げるのはまだ良いんですよ。戦略的撤退とも言えますから。けれど家も家族も友人関係も仕事も『リセット』してしまうと、人生に於ける武器を投げ出すに等しい行為です。別の逃げた先で新たに築けたとしても、アインツベルンの肩書き以上は望めません。だからこその証拠隠滅とアインツベルンとして生きていける居場所の提供だった訳です」
大学まで出て学んだ事や社会人になって積み上げてきた実績や交友関係を、全部棄てたくなるほど追い詰められる……。社会常識的にも、法的にも暴力は犯罪行為だろう。それを反省するのは良いとしても、悔恨で押し潰されそうになるのはどうなのか? 何よりせっかく築いた人との縁を切るなんて……。
「魔術師として優しすぎるのかな?」
「そうですね。どこかお兄ちゃんっぽいんですよ。ミトはそれで巫女の姉さんを紹介したのだと思います」
ちらりと2人の方を見れば、良い感じで笑い合っていた。私は妹達(特に『エル』)の優しさに感動していた。と同時に、そういうアフターも総裁の仕事なのかなと一瞬考え、即否定した。やはり『エル』だからだろうと思い直したからだ。
「彼(アルベルト)は面白いクルマに乗っていましてね」
「何?」
「ミツビシのパジェロ・ピニンとピアッジオのポーター・バン」
ほぅ。ピニンはデザイナーのピニンファリーナにちなんで付けられた名で、日本でいうイオの事だ。スズキのジムニー・シエラ共々ごく偶に見掛ける。ピアッジオのポーター・バンはベスパで有名なピアッジオがアペ(APE)に代わって作っている、イタリア内なら16歳から免許を取って乗れてしまう、小型のタウンカーだ。どこかで見た気がするこの小型自動車は、カーゴ(バン)とトラックがあって、狭いイタリアを飛び出して、パリの清掃局にも採用されたりしている。そしてその正体はダイハツのハイゼットをピアッジオが作っていたもので、最近は独自の進化を遂げていた。
良く見ると、ローマやミラノの裏通りや、パリの裏通りで必ず見付かるだろう。日本人がほとんど知らない、活躍する日本車の筆頭だ。
「ピニンはわかるけどポーターって。2台持ちって事はそれなりの家にお住みなんでしょう?」
「いいえ。大学進学から家を出て、一人住まいです。偶然ですが、先日のロケ地の近くですよ」
「ん?」
「大学がハイデルベルクの法学科。農家だった家を借りて、赤く塗り替えた郵便局みたいなポーターで通っていたって事です」
ああ、社会人になってからピニンを買ったって事か。きっとポーターの値段がつかないから、庭か納屋で置きっぱなのね。フランスならルノーのクリオ(ルーテシア)、ドイツならワーゲンのゴルフ。これが両国で一番良く見掛けるクルマだ。けれどそうじゃないのを選ぶ人も当然居て、アルベルトさんはそういう人なのだろう。
この後、お昼の1時頃に会食が終わってお土産を手渡して解散となった。お土産は瓶詰めの『柚子胡椒』だった。お肉の料理が多い国だから、ハマる人にはハマるだろうなぁ。けれどレッドペッパーの方はなかった。新商品のお試しだったのかな?