2月2日の夜も、日付の変わった2月3日も衛宮士郎はピンピンしていた。そもそも令呪が浮かんでいるのかどうかも怪しい。というのは学園には連絡を入れてあるそうだが、なんとあの学園坂で出会って以降、奴は冬木から出てしまっていた。どうやら冬木とは違う場所でアルバイトをしていたのだ。
「と、泊まり込みで?」
「みたいよ」
「聖杯戦争を知らんのか?」
「注意喚起を促す程度の話はしてあるわ。その時に前回お父さんが出ていた可能性があったとも屋上で話したのは、アーチャーも知っているでしょう?」
「うむ」
慎二はまだ眠らせたままだが、本日のダイニングには桜やライダーも加わっていた。
「奴はマスター候補にはなっていないのだろうか?」
「いえ。候補と読んでいたから、お祖父様が私を……」
桜の言葉に嘘はないだろう。となれば臓硯の命で衛宮士郎を見張っていたのは間違いない。しかしこの段になっても私はライダー以外のサーヴァントに遭遇していないし、新都にも深山町にも何ら被害や影響が出ていない。絶対に遭いそうなランサーに会っていないのも謎だし、誰よりも時間に縛られている筈のイリヤとバーサーカーが仕掛けていないのも疑問だ。これはどういう事だ?
「教会よ、アーチャー。衛宮君がどうこうと気になる、その情報がここでは役に立たないと考えを改めて」
「並行世界……」
「そう。それで儀式を何としても進めたい魔術師側はどことどこ?」
「間桐……臓硯とアインツベルン」
「そう。あなた、最初にそう話してくれたじゃない? それで私達が遭遇した動いている者はライダーだけ。となるとアインツベルンに何かあったと考えるのが自然だわ。次に聖堂教会。綺礼にも何かあったんじゃないかしら?」
「なるほど。そう考えるのが妥当だな」
「でしょう? 他のマスターやサーヴァントにも何かがあったのよ」
私はここで漸く、イリヤではないのではないかと考え始めた。
「アーチャー? 衛宮君が店子の申請をして来たのが6年生だったの。それであちらのお父さんが亡くなられたのが4年ほど前よ。つまり中学生に上がって間もない頃なの。だから私もお葬式に参列していたのね」
それだ。私はリンの言葉で何かが繋がった気がした。おそらくだが衛宮士郎とイリヤには繋がりがある。
(もしや、ここのジイさん……イリヤを救けていたのか? その可能性がある。となればアインツベルンのマスターはイリヤとは別人だ。ならこの動きにも説明が付く。衛宮士郎は最初からイリヤとグルかも知れん。冬木から出ているというのも偽装ではないか?)
そんな気がした。そして一度そう考えると、その考えが正しいという気しかしなかった。アインツベルンの目を盗むために知り合いにイリヤを預かって貰っているか、どこかの国の寄宿学校に預けているか……その線も十分考えられる。こうなると返す返すも、衛宮士郎に今一度会っておくべきだったと少し後悔した。
そんな状況が急変したのは、そこから翌々日の、慎二に掛けた催眠を解いた日からだった。
目が覚めた慎二はほんの少し周囲に目を向けた。見守る顔触れ、部屋の様子などの情報からだけで大筋を理解したのか、溜め息を吐いた。そしてライダーを見ながら桜の胸を指差した。
「大丈夫です。リンとアーチャーが取り除きましたよ」
再び安堵の溜め息を吐く慎二。私とリンは顔を見合わせた。
「どういう事よ?」
「遠坂。お前、何にも知らないんだな?」
「え?」
慎二はどこから話そうかと逡巡しながら、『そうだなぁ』と呟いた。
「ぶっちゃけて簡単に言うと、この聖杯戦争は始まる前から終わっていたのさ。もっと言うとアインツベルンvs間桐であって、遠坂は関係なかった」
「どういう意味?」
「怒るなよ? ジジイの眼中に遠坂は無かったって意味だ」
そうして慎二はその意味を説明した。前回言峰とアーチャーの奸計に拠って遠坂の先代は暗殺され、間桐から出たマスターも罠に嵌り精神崩壊した。一見痛み分けだが、臓硯にとっては歩で王将を取ったに等しい。それに桜すら手の内だ。それがどれだけリンの精神を削るのか。
「だからまともな判断ができない。現に魔術回路のない僕を下に見るのは良いけれど、桜を召喚者と考えなかっただろう?」
リンは唇を噛んだ。とは言え前回は結末が悲惨過ぎた。痛手を被ったのは遠坂や間桐だけではない。アインツベルンにしても、雇った傭兵の妻が死に傭兵自身も後年病に斃れる始末だ。残された者達はそんな悲惨な記憶を胸に刻んで、今回の儀式に臨む事となる。だからこそと言うべきか、それを良しとしなかったアインツベルンは聖杯戦争前から、この儀式を永久に終わらせるべく動いていたらしい。
何と1月の下旬には臓硯が暗殺され、2月に入る前に監督役の言峰も殺されていた。慎二が仮のマスターになったのも、アインツベルンに脅されていたからだというのが真相だった。しかもその代役の真の狙いは臓硯の分身が桜の心臓に巣食っていたからだ。つまり私とリンは知らずに慎二達を手助けしてしていたのだ。
「真相を聞かされて、僕も自分の家がとことん腐っているって事をあらためてわかった。だからジジイの死は何とも思わなかった。それよか桜だ。遠坂が引き受けてくれるなら桜を返そうと考えてはみても、心臓の分身だけはどうにもできない。それをどうにかしないと桜の未来はない。そこでキャスターとコンタクトが取れないかと考えて、学園に結界を張って気を引こうと」
話は前後し、時系列もバラバラ。どうにもこうにも各陣営の動きが見えて来ず、要領を得ない慎二の説明。だがこれは慎二自身の見え張りな性格もあるが、彼も全貌までは聞かされていないからであり、記憶の一部を何度かに分けて消されているからだと読めた。少なからず私には、慎二とアインツベルンの接触は昨年末からあったように感じた。そして、アインツベルンには複数のマスターが居り(主だった者は3人で、そこにプラスアルファ衛宮士郎だ)、バーサーカーとアサシン、そしてセイバーまでも手中にしている事が読み取れた。
(3騎とも男性とは……どうもセイバーはアルトリアではないようだ。では……?)
その『では』の答えは翌日の夜に判明した。衛宮士郎とアインツベルンが、遠坂邸を来訪したからだった。リンは物怖じせず、3人の女の子と衛宮士郎を応接室に通した。この段階でサーヴァントを連れて来ていない事は報告済みだ。なので私はお茶をいれ、堂々とお茶を配った。桜と慎二、ライダーはリビングで待機して貰った。
妙にガタイの良い、20代前半頃の自分のような衛宮士郎は、私の顔を一瞥して不思議そうな顔をしていた。髪の色と肌の色、それとこの礼装を除けば、誰からも疑念を持たれて当然だろう。しかし誰もこの件について何も口に出さなかった。口に出た言葉は意外なものだった。
「遠坂6代目当主様、これで聖杯戦争は終わったわ」
「終わった?」
リンも驚いた顔だが、私も驚いていた。いや、驚きっぱなしだった。それは出迎えた玄関口からだった。まず、アインツベルンの3人が記憶の中のイリヤ似なのは予測できたが、全員が10代後半くらいでどう見ても三つ子にしか見えない点と、私でもわかるほどの溢れ出んばかりの魔力に驚かされていたのだ。今応接室で話しを進めているのは、長椅子の真ん中に座った少女だった。彼女はアーデルハイドと名乗った。
「終わったって、どういう意味かしら?」
「事後処理は必要ですが、今回の聖杯戦争はこれで終わったという意味です。簡単に言うと残る陣営は私達とそちらだけです」
ここでリンは少しだけ困った顔をした。こんな馬鹿げた儀式はサッサと終えるに限る。何より街に被害が出ていないのは大きい。だが、『はいそうですか』とは迂闊に言えない状況だ。
「衛宮君はそちらとは?」
「義理の弟といったところです」
リンにはちんぷんかんぷんだろうが、私は瞬時にわかった。3人の中にイリヤが居るのかどうかは不明だが(見分けがつかん)、彼女達も衛宮切嗣の血を引く者達だったのだ。リンが私に合図を送った。なので私は少し息を吸い、ゆっくりと吐いた。そうしてから、自分が未来の英霊で、生前並行世界で知った第五次聖杯戦争の顛末を知っている事を明かした。
「それでマキリを先に……」
「道理で遠坂の動きが見えない筈です」
「ええ。こちらもキャスターを仲間に加えるまで、全然読めなくて……」
白い人形のような美少女達は口々にそう言った。私は『キャスターを仲間に』と話した、長椅子の左端に腰掛けていた少女に向かってこう言った。
「君がイリヤスフィールか?」
これは勘だ。この部屋の構造から、長椅子の上座にあたるのが左端だったからだ。真ん中がアーデルハイドと名乗ったのだから、残る2人に賭けたカタチだ。ついでに衛宮士郎が、彼女とは90度横のイスだったのもある。
「私の名をどうして?」
「私の知るアインツベルンは、君単独でバーサーカーのマスターだった」
「相当違うようですね。私はキャスターのマスターです」
そこから次々と少女達が名乗りを上げた。
「私は先程も紹介しましたがアーデルハイドと言います。アサシンのマスターです」
「私はアンネリース・フォン・アインツベルン。バーサーカーのマスターです」
それを聞いた私はリンを手で制し、もの言いたげな衛宮士郎に発言を促した。
「貴様もマスターだろう? 私は遠坂凛のサーヴァント、アーチャーだ」
「なら。俺は衛宮士郎。セイバーのマスターだ」
その目はとても芯のある強さだった。『芯のある』とは、単なる思い込みや、裏付けのない若さゆえの無謀な自信から来たものではないという意味だ。それはやるべき時に、やるべき事をきちんとやれる、信頼できる男の目という意味でもある。
「これまで戦場なぞに出向いた経験なんて皆無だろうに。一端(いっぱし)の目を持つのだな?」
「褒めてくれてるのか? なら、ありがとう」
私は暫し悩んだが、これだけは知りたいと思い尋ねてみる事にした。
「答えたくないなら答えなくて良い。セイバーはアーサー王か?」
一瞬驚いた顔を見せた衛宮士郎は、『違う』と答えた。
「約束なんで名前は言えないけれど、円卓の騎士なのは正解だ」
今度は私が驚く番だった。そうじゃないかと考えては居たが、いざアルトリアではないと知ると無性に侘しい気持ちが湧いた。だが、私はリンの疑問にも答えが得られるべく、そういう感傷を脇に押しやってこれまでの経緯とアインツベルンとの関係などを尋ねた。
「どこから話せば良いんだ……」
悩む衛宮士郎にイリヤが助け舟を出した。
「シロウ、私が話すわ」
そうして話し始めた内容は、ある意味予測通りであり、驚きでもあった。予測通りだったのは、やはりイリヤはジイさんに救けられていた事だ。アインツベルンの城から、イリヤを背負ったジイさんは猛吹雪の中を走ったそうだ。イリヤ曰く、それはもう大変だったそうだが、ドイツの山奥からチロルに抜けると結界も抜けたのだろう。真っ青な空が眩しい晴天だったという。城の窓から見える曇天しか知らなかったイリヤはそれだけで感動したそうだ。
そして2人はチロルからスイスに入った。それはドイツ経由でなければ、アハトの追っ手を撒けると踏んだからだ。事実その通りで、2人は無事に冬木へと戻った。そこで留守を任せていた士郎と合流し、親子3人暫(しばら)く平和に暮らしたという。時間にしたら僅か3年くらいだったらしい。そしてその時間は家族として有意義なものであったと同時に、衛宮切嗣が過去の自分を見詰め直し、イリヤや士郎の未来を考え、手を打つには十分な猶予を与えてくれた。
それはイリヤが5年生の頃だったという。お付きの者を連れて、イリヤの妹達が訪ねて来てくれたのだ。今の私なら『ああ、そこのノイント老の知るところとなったか……良かったな』だが、当時は知らない存在だ。だからイリヤから『本家』があった、そこで妹達が育てられていたと教えられて大いに驚いたという。なにせアーデルハイドにアンネリース(『エル』の存在しなかった世界だったのだと思う)という妹達の報告によると、この段階でアハトのアインツベルンが完膚なきまでに叩き潰されていたからだ。
そして2人の妹達は『ノイント老』ならイリヤに課せられた聖杯の運命を変えられると話した。ただそのためにはスイスで数年は暮らして貰う必要があるとも正直に言ってくれたらしい。イリヤは日本語がまだまだ不慣れな頃だったし、慣れ親しんだものもドイツの文化だった。対する士郎は日本の文化に親しんでいる訳だし、言語も日本語だ。そういった理由からジイさんはイリヤだけを彼女達に託し、自分と士郎が日本で待つ事にした。だがそれはサヨナラでなく、毎年夏に士郎とともにスイスへ行ったり、日本に遊びに来て貰ったりと、かなり親密な交流があったそうだ。だからアーデルハイドもアンネリースも、イリヤと同じように士郎を弟と親しみを感じ、士郎も姉であると感じていた。
やがてジイさんは弱っていった。それまで気力で封じ込めていたアンリ・マユの呪いがここに来て一気に身体を蝕んだ。結局、学校などの関係でジイさんを看取ったのは士郎だけだったが、国際電話を入れると通夜の翌々日には日本に戻れた。式は1日ズラしていたのでイリヤ達は出棺に間に合ったそうだ。なお、リンはこの葬式に焼香しただけだったので、イリヤ達には会っていない。だがリンからの報告はないが、イリヤ達とは士郎を通じて情報交換程度の消極的な同盟を組んでいた可能性はあったようだ。
リン的にはセカンド・オーナーとして冬木を守りたいのと、遠坂の再興があるから生き延びる事が最大の目的なのはどこの世界でも共通だ。そこにプラスアルファ桜の奪還であり、世界によっては聖杯戦争の永久停止だろう。そこでここでは一風変わった衛宮士郎との早くからの交流と、士郎の姉としてのイリヤを知っていたようなので、その出自がアインツベルンに通じていると想像できても、口には出さない程度の距離感を保っていた。また、母方の祖父母が健在なのも大きい。これらが功を奏して言峰とも距離を置けるリンとなったのは間違いない。
話の流れが大体見えて来たところで、私達は別室で待機してくれているライダーや慎二に桜を招き入れた。その理由は……。
「衛宮士郎、間桐慎二。貴様達は小学生頃から接点があるな?」
「衛宮……?」
「話していない。アーチャーの推理だ」
やはりな。塾か何かは知らないが、そこからだろう。
「責めている訳ではない。むしろ間桐慎二、君が義妹の桜のためにできる限りの事をしていたと認めよう」
勝者はアインツベルン&衛宮だけではない。そこにリンも慎二も加わっていた。この聖杯戦争は『過去』vs『未来』だったのだ。慎二は静かに泣いていた。そしてその背中を桜が擦っていた。
「後はタイムリミットまでに表向きの事後処理を済ませ……」
「はい。大聖杯解体の道筋を付ければ終わりです」
答えたのはアンネリースだった。
「時計塔……魔術協会は?」
「既にこちらの手中下です」
「そうか……」
アハトのアインツベルンを滅ぼし、時計塔を押さえた上で冬木に入ったのか。私はギルガメッシュの存在が気になったが、彼はバーサーカーの不意打ちで言峰より先に殺されていた。アサシンをポインターにした、令呪によるサーヴァントの空間跳躍。この3人はキャスターの元マスターを倒し、キャスターを手中に収めていた。そしてキャスターと協議した上で、そんな手を考えギルガメッシュとランサーを斃していたのだ。ギルガメッシュというリンすら知らぬ存在も、キャスターの探査で把握していたという。私が今ここで、こうして立って居られるのも、マスターがリンである事と、正体を曾孫であると知らせたからだった。
これもまた聖杯戦争の穴だった。旧来のアインツベルンや間桐、遠坂なら思いも付かないマスターだけの同盟。記憶が流れぬようパスに細工でもされれば、明かされない限りサーヴァントに知る術(すべ)はない。
(この作戦の全体像……生前のジイさんが考えたんだろうな……)
そういう気がした。今ならそこへ更にノイント老が手を加えたというのも想像がつく。御三家の子供達は共に聖杯を欲せず、この儀式の終焉をのみ願っていた。だからこそ臓硯の死、言峰の死、アインツベルンの壊滅を狙っていた。もし時臣が生きていたら、彼も狙われていた事だろう。このリンは父親の幻影を追っていなかったからだ。彼女のどこか醒めた態度の答えは、そこにあったのだ。
時は過ぎ2014年。あの第五次から10年が過ぎていた。召喚陣の中で意識を確保した私は、目の前に立つ匂い立つような美女が自らリンであると明かしてくれても、10年後であると説明を聞かされても、俄には納得できなかった。納得できなかったのは10年後だからではない。『当時の記憶を持つサーヴァントを再召喚した』事に戸惑ったのだ。
受け止め方は人それぞれだと思うが、座を得た我々は練り消しのようなものだと私は考えている。使っては減り、使っては汚れ、新たに座へ加えられる『衛宮士郎』と練られていく。全体の容量は一時的に増えるのかも知れないが、汚れて行く事と、長い時間を過ぎれば減って行く事には変わりない。いつかは摩滅して消える……そういう存在だと認識していた。
だからだ。だからこそ10年前の記憶を持つ私をピンポイントで喚び出した眼の前の美女に呆れ、無意識で食い入るように見詰めてしまった。
「私の顔に何かついている?」
「む、いや……。何と言うか、その、(色んな意味で)成長したな、リン」
「フフフ、ありがと」
それで記憶が10年前から途絶えていないと確認したリンは、私を促しガレージに向かった。
「どこに行くのだ?」
「柳洞寺の近く。キャスターと逢うわよ。そこであなたが座へ帰った後の事とか、10年前に話せなかった事とかを話しましょう」
車庫から出されたクルマはBMW・Miniの赤いジョンクーパーワークス(F56)だった。私の記憶に間違いなければ、今年の春に出たばかりの3世代目だ。しかしワークスの発売は2014年の冬だ。となると後数ヶ月で11年前となっていた訳か。この差はそれだけリンに準備が必要だったという証なのだろう。好意的にそう解釈した。
なお、後に出逢う魔法使いの凜が時計塔の講師時代に、倫敦の街を走らせていたのが初代BMW・Miniの赤いクーパーSである。しかしこの頃の私にそんな記憶はない。なので思い込みにも近いイメージから、彼女ならランボルギーニやフェラーリだと考えていたので意外だった。
「何?」
「いや、君ならランボルギーニなんかに乗っていそうだなと」
「ああ、アヴェンタドールとか? 確かにどこかの並行世界には、そういう私も居そうね? でもね、いくら不労所得があってもアヴェンタドールじゃ経費で落ちないわ。そもそも冬木だと小回りが効かないクルマは無理があるわよ。こちらは大家としてあちこち回らないとイケないの。なのでこういう小型車の方が便利なのよ。だからもう1台はフィアット・500(チンクェチェント)Cのオートマなのよ」
「なるほど」
とは言え、このMiniは3ナンバーだ。漠然とだが『引っ掛かったのは横幅か』と思った。それくらい座席間にゆとりがある。また内装の造りがそこそこ良い。欧州コンパクトカーのデキが良くなった切っ掛けは、2001年にこのBMW・Miniの初代が出てからだ。それまでの欧州Aセグメント・コンパクトカーと言えばイタ車でありフィアットだった。そう言い切れるくらい、フィアット本家やフィアットのノックダウン、OEM車はどこにでも走っていた。そこに風穴を開けたのがBMW・Miniの質感だった。
2007年に出たフィアット・500は、そんなBMW・Miniを相当研究して出したのは間違いない。これは負けられないとばかり、フランス車やアメ車など各社のクルマの質がワンランク上がったのがこの2007年頃からで、2014年の3代目ルノー・トゥインゴで出揃った感が私にはある。(初代トゥインゴはホンダ・トゥデイのデザインをオマージュしており、そのデザインは中々だ。ただし内装の質感は低い)
しかし、900ccに満たない2気筒モデルでオートマを選ぶのか。余程デキが良いのだろうな。いや、長寿だった過去のMiniやチンクェチェントを思えば、エアコンも効き、乗り心地も遥かに良いのだろう。『味』と称してそれらを女性が今も乗り続けていたのなら、それは余程の好き者に限られる。当然リンはそういうタイプではない(例外は後に出逢った『エル』だけだった)から、そのチョイスは当然と言えば当然だった。
とまぁ、こんな風に私がクルマに詳しいのは、戦場での娯楽が欧州から渡って来るクルマ雑誌しか無かったからだ。そして私が世界と契約したのも、この2014年であった。だから余計に覚えているのだろう。
やがてリンは柳洞寺の山門前にある石段下の駐車場にクルマを滑り込ませた。ここには参拝客や檀家向けに仏花や蝋燭、お線香なども扱っているお団子屋があった。今も変わらず店が続いているのには驚かされるが、リンはお店にひと声掛け、草団子を買い求めてから石段へは足を掛けずに、真逆にある店の脇道から下に向かった。
「どこへ?」
「だからキャスターの家よ。駐車場がないから、ここに止めて行くのよ」
そうして脇道を抜けた私達はとある、こぢんまりはしているが暖かそうな家の前に立った。家の周囲には何も建って居らず、竹林と畑があるだけだった。リンが言うには宅地・農地転換自由な販売地なのに、竹林被害が想定されるのでどこの建築会社も家を建ててくれず、長年抱えた不良物件なのだとか。
「遠坂の土地なのか?」
「そう。だから敷地を含めた庭分の土地と、お隣の畑の分を纏めてキャスターに売ったの。代金はイリヤ経由でアインツベルンから振り込まれて完済済みよ」
イリヤが?
「彼女は?」
「今回の召喚に合わせて呼んであるから、明日か明後日に会えるわ」
「姉妹でスイスに?」
「ううん。アーデルハイドだけがスイスで事業を興していて、アンネリースはドイツで事業を興しているの。イリヤはアメリカ」
「アメリカ? どうしてまた?」
「旦那さんの都合よ」
ああ……それはそうか。そういう年齢ではあるな。となると、アーデルハイドやアンネリースも結婚している可能性が高い。
「君は結婚せんのか?」
「したいわよ! けど、良い相手が居ないの。それに今は甥の相手が楽しいのよ」
「甥? 甥とは桜の?」
「ええ。衛宮君と結婚して、子供ができたのが3年前かな? 今は新都のガードを越えたところで居酒屋を夫婦でやってんのよ」
居酒屋か。それもまた。だが想像すると、それも合いそうだと思えるから不思議だ。
『そんなところで立ち話なんてしていないで、お入りなさいな』
声のする方へ顔を向ければ、それはインターフォンからだった。お言葉に甘え、門を抜け手入れの行き届いた鉢が並んだエントランス歩けば、カーポートにスズキのハスラーがあった。色は水色? 屋根だけが白い、おそらくは新車だろう。カーポートには空きがあるので、そこに旦那の乗るクルマが夕方に戻るのだろうか? そう考えたのは、ハスラーの奥に子供向けの小さな自転車と、主婦向けの電動アシスト自転車が見えたからだ。またハスラーと並んでポゴスティックやキックスケーターが、壁側に立て掛けられていたからでもある。おそらく子供は2人か3人。上の子は確実に男の子で幼稚園の年長か小学校の低学年に違いない。
リンが『お邪魔しますと』声を掛けつつ玄関ドアを開けば、利発そうな幼稚園前の女の子と、立って歩くのもやっとな、くりくりした目が特徴の男の子と目が合った。その目がどんどんと見開き涙を滲ませている。私は下の子を泣かせてしまうのではないかと気が気でなかった。
「ママ~、リンおばちゃんと、知らないおじさんが来たよ~」
「は~い」
女の子が声を上げ、奥から返事が届いた。
「ミカちゃん。リンお姉ちゃんよ。お姉ちゃんだからね?」
私は咄嗟に笑いを堪えた。
「甥っ子もいるんだから諦めなさい。どうぞ」
そうして出されたスリッパを履き、私とリンはリビングのソファーに案内された。やはりキャスターの正体はメディアだった。彼女はお茶を入れてくれ、それを私達に配り終えると、上の子を自分の横に座らせ、ストローを刺したヤクルトを手渡した。下の子には哺乳口がストローになったばかりの容器で冷ましたお茶を与えている。実に主婦姿が板についていた。
「旦那さんは葛木かね?」
クルマを見て、もう1台は家族で乗れるミニバンかと想像し、家の大きさを見て旦那の収入をも想像した上での推理だ。その前から葛木だろうとは考えていたが。
「正体をバラしたも同然ね? 一応、サクラとシンジには話していないけれど、リンも私もイリヤ達も気付いていてよ?」
「だろうなと思う」
この意味は私の正体が衛宮士郎であると気付いていたという事だ。
「大方の事は想像も付くでしょうし、推理もしていたと思うわ。あの聖杯戦争は衛宮切嗣が下絵を書き、そこに現アインツベルン本家が色を入れ、3人の娘が完成させた。士郎の坊やも、シンジもリンもそれを手伝っただけよ。サーヴァントを召喚したのも大聖杯の中の魔力を少しでも抜くためで、完成させる気なんて毛頭なかった」
謎を追い掛けつつ、真面目に聖杯戦争をしていたのは私と当時のリンだけだった。もっと言えば私だけだった。当時アインツベルンは、キャスターをとっくに取り込んでいた。アインツベルンの3人のマスターは、キャスターの元マスターがやらかした人買いを許さなかった。それで襲撃を掛けキャスターのマスターを殺し、彼女を開放した。そしてメディアと話し合い、彼女の『願いだけ』を叶える方向へ方針を転換したのが1月の半ばだったそうだ。
「つまり君は受肉している?」
「そうよ。聖杯も汚染を除去済み。純粋無垢なものに変わったわ。でも解体しようというのが、3人の考えでありリンの考えなの。こんなほんの少しの事で変質してしまうシロモノなんてね。解体には私も賛成だわ」
私はリンの顔を見た。
「つまりそれを私に手伝えと?」
「そうよ」
とことん私は聖杯と縁が切れんらしい。