本日は建機ショーなので私とちぃイリヤはホッケンハイム・リンクに来ている訳だけど、だからといってモデルのお仕事があるのではない。リンク中央にズラッと並んだ建機をいつもの動画スタッフが撮影し、それを事前に録ってあった私の解説音声と編集合成してビデオは完成する。つまり今回のお仕事は販促用DVD作成の一環だったのだ。マスコットキャラが私からちぃイリヤに替わる、交代挨拶のシーンも収録済みだし、並んだ建機を眺めながら歩くシーンもさっき撮った。クレーンを伸ばしたり縮めたりといった細部の稼働シーンは今現在スタッフが撮影中だ。
ただ今回は新しい試みとしてイヴ食品と契約しているCMスタッフも撮影に参加していて、彼らコマーシャル系カメラマン(商業カメラマン)が撮影したシーンもDVDのタネとして提供される事になっている。企業案内や紹介がメインの営業カメラマンとは異なる視点と切り口を期待しての事だった。
個々人には技術者としてのプライドが当然あるだろうけど、そこをぐっと飲み込んで双方の映像スタッフは協力的だった。まぁ、そうだろうね。この協力には『エル』と建機メーカーオーナーの思惑が動いているのは間違いないから。お互いが職種のジャンルという、見えない境界線を造ってしまうと、その先の伸び代はない。むしろスタッフを高く買って目を掛けているから、『エル』やオーナーはそういう事をするのだと皆んなが理解している。だから双方のスタッフは1流なんだろうね。
並んだ建機は昼までにリンクの外に出され、お昼を戴いて外に出れば建機に替わってリンクにイヴのロゴが入ったトヨタ・アイゴやプジョー107、シトロエンC1がズラッと30台くらい並んでいた。クルマのロゴはラッピングされて見えないが、この春のカー雑誌を見ていれば誰だってわかる。これら3車種はプジョーとシトロエンがトヨタと組んで新しく出した、Aセグメントのクルマだった。生産はチェコで、工場はコリーンにあるという。コリーンにはイヴの工場や倉庫もある。絶対に何か噛んでいそう。
大勢のドライバーが走らせる、隊列を組んだコンパクトカーを、建機のクレーン車のカゴに乗ったカメラマンが場外から撮影していた。まだまだ珍しいドローンも上空を飛んでいる。どうやらクルマの屋根に仕掛けがあるようだ。
「ドリンクの商品名でも描かれているのかしら?」
「はい。CMのカットに使おうかと。噴水を飛び越えたり、地下鉄駅構内を走って欲しいところですけど」
どこの遊撃手だよ。白車を自分のとこのCMに使うからと、納入価格を絶対に叩いたろうな。
「本部の社用車に?」
「その予定ですが、景品でも良いですよね?」
明日使うバイクみたいにドリンクのパッケージ・カラーにはできなかったか。時間的に厳しいよね……あ、違う。そっちはそっちで別にあって、この白いのが社用だ。で、パッケージ・カラーの方は3人がそれで本部へ通勤するんだ? うん、そうに違いない。プレゼント企画か何かの景品用は別に発注するのかしら?
「当然です。フロントがシトロエン、リアがプジョーの造形で」
売るためなら何でも考えるなぁ。けれどこの日本の軽自動車みたいに小さな、Aセグメントの兄弟車は、998cc3気筒(※1)のリッター車で非力だし作りも安っぽいけれど、往年のフィアット(※2)みたいに売れるだろうなぁと思う。
※1)この1KR-FE型エンジンはトヨタでも造っているが、元はダイハツの設計にトヨタの連続可変バルブ技術VVT-iが奢られた、とても評価の高いエコ・エンジンだ。欧州Aセグメント3兄弟以外だと、ダイハツ・ブーンやトヨタ・パッソなどのBセグメントにも使われていて、欧州ではダイハツ・ルミナス(欧州版ブーン)にも採用されている。そちらのルミナスは5ドアハッチバックだけだけれど、ストーリアと同じ1.3リットルのK3-VE型エンジンも選べるし、日本国内にはない5速マニュアルが選べるので一部の人にウケている(高等部卒業後、凜と共に時計塔へ行ったルヴィアは、ルミナスにX-4が無かったので嘆いていた)。おまけに1KR-FE型もK3-VE型もタフで壊れない。ここも大きなポイントだ。それより何より、『エル』からこのエンジンはやたら評価が高かった。『質実剛健』『必要十分』。飾る言葉に『速さ』はない。けれどタフで壊れない。
余談だけれど、昔『エル』は2歳の育成段階でお祖父様がふるい落とした馬を買った事がある。とても大レースで勝てる見込みのない馬だったそうだ。けれどその馬は『イヴ』の看板を背負って、『エル』が8歳の頃から中等部2年の14歳までの間、実に6年間も故障知らずで走り続けGⅡ以下の賞金をコンスタントに咥え込んで来た。総額で言うと中央競馬のGⅠ3勝分はゆうに稼いだという。賞金の安い欧州では異例中の異例だ。後に『エル』が牧場経営にまで手を出したのは、何も牛乳やチーズのためだけではない。この馬の引退後も考えたからだ。8歳とは聖杯戦争が切っ掛けで『エル』が日本で暮らすようになった歳だ。日本ではダービースタリオンやウイニングポストといった育成ゲームが流行った頃でもある。馬の名はサードステージに因んで『Third civilization』と言った。その名はどこから持って来た?! ドイツ系で『第三帝国』と名付けなかったのでマシかも知れないが。
愛称は『シビ』。これはメバチマグロの異称であり、キハダマグロの稚魚も指す。けれどバイクの『CB』も指しているそうだ。競走馬を引退して現在12歳。とある牧場で今も元気に暮らしていて、『エル』が行くと嬉しそうに寄って来るという。だけどその身体はハラが引き締まり、モモは張って、今も現役と変わらない凄みを保っている(私は『エル』の部屋にある写真でしか見た事がない)。
そしてそんな『エル』は競馬以上にクルマやラリーが好きだった。不祥事の多い昨今でもランエボだけは別と言うのは、『スタリオン』繋がりもあるからだと思う。あの子の部屋の本棚には『湾岸』『お豆腐屋さん』と並んで『SS』がある。この『SS』はバイク好きなら皆んな知っている『キリン』を描いた作者の作品で(当時は最初のエピソードしか知らなかったし、出ていなかった)、『エル』のツボだった。そこに出て来る『スタリオン4WD』はグループBの徒花ではない。ランエボに繋がる実験車だった。モノにはいつでもそこに至るための踏み台となった何かがある。それを無碍にできないのが『エル』だった。
それはさておき、この5ドアのルミナスはインドネシアやマレーシア(こちらはプロドゥア製マイヴィ、1.3のみ)だと大ベストセラーでそこらじゅうで走っている。この手の廉価コンパクトは、欧州でならアイゴやシトロエンC1を薦めるが、日本や東南アジアでならパッソかブーンの兄弟車のどれかから選びなさいとアドヴァイスするだろう。それにこれらはエンジンが共通なだけでなくプラットフォームも共通なので、シトロエンC1やプジョー107がミラ・ジーノなどと同じプラットフォームだと知ると驚いてしまう。
※2)後年、フィアットがパンダ以外に500まで出して来たのは、先の3車種への対抗措置だと思う。Aセグメントで3ドアハッチなら500一択だと私も思うし、5ドアハッチならBセグメントから選ぶべきだと思うけれど、前提が実用車と割り切って考えられるのなら、この兄弟車のどれかから5ドアを選ぶのも意味があると思う。内装はサクソや106より格段に良いし、お買い物車と思えば十分だ。
なおユリアーナはコルサの後、500のアバルトを買い、その後595のアバルトを追加で買った。つまり500を手放すまで2台体制だったのだ。無駄だなぁと思うけれど、そういう事をしたくなるほど面白いらしい。そんな彼女にアバルトを薦めたのは『エル』だけど、本人は1.2やツインエアよりアバルトの方が壊れにくいと話していたから、パーツの精度が高いのだと思う。
またユリアーナはF430に積まれるF136エンジンとの兄弟エンジンを載せるマセラティ・クーペやスパイダー(オープン)には手を出さなかった。やはりそこは本家のフェラーリであり、S2000のF20Cエンジンがそれだけ痺れるエンジンだかららしい。彼女も拘る人だ。一方、もっとコダワリな『エル』自身は欧州版コンパクト・カーには手を出さずバイクかサイドカーばかりだ。けれど例えスバリストでありホンダ党であっても、ロシアやポーランド製の90年代まで残っていた600派生モデルやアバルト・850TC、アバルト1000ベルリーナなどは、倉庫で大切に保管してるそうだし、名車500Fや500L、500Rも持っているらしいので、決してコンパクトカーが嫌いではないだろう。面倒くさいから普段乗りしたくないというだけで。
まぁ、コールドスタートの方法やシンクロメッシュのないシフト&クラッチ操作はバイク乗りなら大体理解できるが、実際やれとなったらかなり難しいと思うし、面倒くさいだろうとも思う。チョークの位置やスターターの位置などは覚えられても、幅の狭い靴を履かないとアクセルとブレーキを同時に踏んでしまう足元の狭さも酷いけれど、シンクロメッシュ機構がないから、シフトチェンジ毎にダブルクラッチができないとダメとか、ヒーターはエンジンルームの熱気を前に回すカタチだからやたらガソリン臭いとか、覚えなきゃならない事、耐えなきゃならない事がやたら多い。高温多湿でクーラー必須の日本で乗るなら、日本製の軽自動車の方をお薦めするよ。
現に『エル』は学園生時代、私にこういう事を話していた。
『最強の軽自動車は目一杯荷物を詰める商用の箱バンと、隘路の先にある農地に入れる4WD軽トラックですよ』
と。そうじゃない、もう少しオシャレで速いのをというと鼻で笑う。
『それ1台しか持てないなら仕方ない面もありますが、660ccで高速道路での安定性など求めても無意味ですし、乗車定員は2人~4人です。纏まったものを求めるより、尖ったのを求める方が正解ですよ。例えば往年のビートやカプチーノよりも便利で乗りやすいコペン。2人しか乗れず荷物も載せられませんが、ヘルメットを被らなくとも切符は切られません。急な雨も電動でウィ~ンですよ?』
そうなのだ。私のセラがこのコペンを持っていて、横に乗って感動したのだ。四輪バイクと思えばこれ以上に面白いのはない。しかも彼女は晴れていればオープンにした助手席にコンテナボックスを積み上げて、そこにお肉やお魚、野菜を詰めて帰って来るのだ。道交法的にどうなのだと思わなくもないが、4段積み上げてもきちんと固定ができれば高さ制限的に問題ないらしい。商店街にある果物屋さんに行くより幹線道路沿いにある果物屋さんの方が安いからと、夏場に大玉スイカを4個も積んで帰って来た時はビックリした。
『それや、本格的にオフロードが楽しめるジムニー。パジェロを持っているなら、買って損のないパジェロミニ。この2台に負けるとも劣らない縦置きエンジンで、良いフレームを持ったテリオスキッドなども良いですよ。こちらは上のテリオスがジャストサイズで、あれをメインで買っても良いですね。また、似たコンセプトのKei(※3)も素晴らしいですが、エンジンが横置きなのは残念です』
※3)これの開発コンセプトは軽規格の新感覚クロスオーバーSUVと表向きはなっているが、ルーフを低く抑えたコンパクト四躯なんて、欧州各国で盛んな草ラリーを念頭に置いて開発されたのは間違いない。だから98年の翌々年である00年に、ワゴンRプラスの1.3リットルエンジンを少しイジって突っ込んだスイフト(欧州名イグニス。初代はKeiベースだった)が出た。ここをワゴンRプラスやジムニー・シエラのように捉えたから日本ではウケなかった。だけど初代スイフトスポーツが出た時に理解した人も少なからず居たと思う。この子は軽くてコンパクトな最低地上高もきちんと考慮された、ラリーストのためのクルマだって。
そこに気付いた欧州のサンデー・ラリーストはこぞってこのクルマを買った。だから日本では早々に消えた3ドアが、欧州では最後まで売られ続けたのだ。つまりKeiのエンジン横置きとは、1.3リットルや1.5リットルのエンジンを積むためであって、王道はスイフトにあったという事だ。なので日本に於けるワークスの存在は感覚的に異質だと私も『エル』も感じていた。
けれど日常の使いかってからもっと室内を広くして欲しい、コーナーで踏ん張れるタイヤが使えサーキットでも楽しめるようにトレッドをワイドにして欲しい、そういう要望から2代目が出た。サイズが大きくなって、いかにも欧州といった感じのクルマになった訳だけど、デザインの良さはルノーやプジョーの牙城に瑕疵を付けるに十分だった。だから『エル』も私も、ついでにルオンさんも、この2代目スイフトスポーツが出るのを楽しみにしていた。
こういう風に軽自動車の積載量と居住性という二つの要素から考えると、ワゴンRがどうしてあんなに流行ったのか、ラパンがどうしてウケたのか、『エル』が箱バンが1番というのかがわかったと思う。例えばワゴンRはセラのコンテナが6個も積め、後席を倒すと12個も積めるのだ。ラパンは天井高の関係でワゴンRに負けるが、それでも結構積める。ルオンさんが日本に来たばかりの頃に変形4ドアの初期型ワゴンRに乗っていて、そんな具合に買い出しに走らせていた(勿論マニュアル・ミッション)。
変形4ドア、憶えているだろうか? 運転席の後ろ側にドアがないのだ。使い勝手は悪いけれど、あれがボディ剛性を高めていた。オプションのネットが窓ガラスの破損を防いでくれた。またカタログにはネットとの併用は不可と書かれているのに、ネットと汎用蛍光灯はメカニックの工夫で併用できた。だからルオンさんの紺色のワゴンRには両方が付き、左右のミラーもメッキのカリフォルニア・ミラー(縦長のトラック風)だった。そしてこのワゴンRは走行距離が10万kmを越えるのに、今だにエンジンは元気だ。
勿論、熱を持つイグニション系を含む電装系、エアコンのコンプレッサー、タイミングベルト、サスペンションなどなどは交換してあるし、今のビルに引っ越す前の深山町時代からあったから、当時は屋外保管だった。なので塗装はあちこち剥げている。それでもウチで1番活躍しているクルマがこのルオンさんのワゴンRだった。
感謝を込めて『エル』はルオンさんにグランドエスクードを贈っている。それでもって新型ワゴンRのカタログも渡していた。それでもルオンさんは買い物となると、このワゴンR一択だ。10年越えてもクラッチは滑っていない。ミッションなんてスコスコ入る。剥げた塗装は途中で強化魔術を掛けたから進行が止まっている。何かの縁起担ぎか全塗装はしないそうだけど、20万kmは走ってくれそうな、世界一幸せなワゴンRだと思う。
なお『エル』も軽自動車は持っていて、スバル・ヴィヴィオのRX-RA・4WD(モータースポーツ用ベースグレード。エアコンなどがない。こんなの小学生で買うなよ)とジムニー(普段乗りでなく、サンバー・トラックと同じく森の中でしか使わない)を持っている。私もお母様が日本に来て最初に買った3ドアのダイハツ・オプティ・クラシックを譲られ持っている(現段階ではガレージの奥で眠っていて、ナンバーはまだ再取得していない。これはラパンが欲しいと思っているから)。
それで当のお母様は美遊が幼稚園の頃にニッサンのモコを送り迎え用に買い求め(MRワゴンでないのは、散歩先にあったディーラーがたまたまニッサンで、そこで見掛けたモコの色を美遊がエラく気に入っていたから)、美遊が初等部に入学してからはラパンのSSに買い替えた。けれど3回ほど乗っただけでルオンさんにあげてしまった。勿体ないとは思うけれど、立場とか周囲の目とか何か色々あったらしい(私に譲ってくれなかったのもそこにある)。
まぁ、高級過ぎるクルマやスポーツカーで幼稚園の送り迎えは無茶があるし、学園の理事長が街中をかっ飛ばす訳にもいかない。まして免許持ちだと言っても、元生徒会長の娘が現役高校生のままクルマに乗るのも厳しいものがある。これは不思議だけれど、ここ冬木だとバイクに乗るより世間の目が厳しかったりするのだ。
だからお母様にもストレスがあるんだろうね。それでこっちに色々置いていて、預かっている『エル』も煩く言わないのだと思う。私? 高等部を卒業した今の私はインプレッサ・スポーツワゴンを手に入れて、届くのを待っているSLK55 AMGの2台があれば十分だよ。もしかしたらスイフトスポーツに浮気するかもだけど、何よりバイクがあるしね。
(少し未来の話だけれど、この2000年代半ば、ゴージャスでどこかカワサキっぽいGSR600が欧州で発売された。日本ではボアダウンされたGSR400だった。そのGSR400が2009年にインジェクションの見直しによって自主規制の壁を突破して61psになった。このGSR600とGSR400は日本だと全然人気が無かったし、スズキ好きなルオンさんでさえ評価が低かった。だから独身時代の最後の贅沢とばかり私がGSR400を買ったら、思いっ切り呆れられた。けれど当時Ⅱ型のZ1000や750を駆る巫女の姉とセイバーや、欧州ではホーネットの600とER-6nに乗っていた『エル』にはすこぶる評判が良く、3人とも私が手に入れる前にショップで試乗までしていた。
なお、その頃の『エル』は4発ならホンダ、2発ならカワサキと考えていたようで、後年ゼファー750に代えて手に入れたのはW800だった。勿論身長と股下の問題もあったと思うけれど、こちらは慎ちゃんと結婚して少し大人しくなったというのが真相だ。一方私は、並行世界のエルヴァと同じく魔術の事を吉川君に話すべきか秘密にするかで、2005年から2008~9年までたっぷり3年以上は悩んだ。それが解決したから、61psのGSR400を買ったのだった。
なお、この問題を解決するヒントと勇気をくれたのも『エル』だ。武道家はゲン担ぎを良くする。信心深いと言うか、篤信なのだ。迷信深いと困りものだが幸いにも吉川君はそこまで行かない。なので魔術を2~3見せれば、そういうモノがこの世にあり、秘匿するものだというのも納得してしまう。もしダメなら記憶を消すか、認識操作してしまえばいいし、後の事は私に任せて話すだけ話せと背中を押してくれたのだ。なお並行世界のエルヴァの方は元が『エル』なだけあって、自分で何とかしてしまった。普段の行いを天秤に掛けさせ、魔術の事を義両親にまで明かしたのだ。それで迷宮入りしそうな事件を幾つか解決して、お義父さんやお義兄さんを助けたらしい。やるわね。ある意味、竿姉妹になってしまうので、私としてはアメリカのエルヴァの方が話しやすい間柄だったりする。けれど、この件に関しては、倫敦に行って帰って来たエルヴァの方が同志という思いが強い。おまけにこっちでも弘三君が伯父様の道場の跡取りなので、結婚後の住まいは本家の離れとなるのはエルヴァと同じだ。また弘三君は名目上、伯父様夫妻の養子に入ったから、自ずと義両親は二組になった。お料理を頑張って来たので、幸い私は人種は異なれど可愛がられている。それでお買い物に使いなさいと、長女を出産した頃にラパン・ショコラを贈られた。男しか居ない吉川家で久し振りの女の子だったからとても喜ばれたけれど、次は跡取りの男の子をと気合を入れているのが今の私だ)
私の本体と姉さん達がホッケンハイム・リンクに向かった午前中、私はルヴィアと先生を空港まで送った。その後エッペルハイムに戻るとクルマを入れ替え、クロちゃん、おチビちゃん、お母様を拾ってマンハイムのルイーゼンパークに向かった。お母様のリクエストだ。マンハイムはそんなに大きな街ではない。だから観光名所もそんなものかというレベルだ。唯一の見どころと言っても良いマンハイム宮殿は、内部がマンハイム大学なので外から眺めて『ああ』と思う程度で十分だし、2度も3度も行くところではない。
けれどルイーゼンパークという公園とそこから並ぶ幾つかの公園だけは、何度も行く値打ちがある。お母様も好きらしく、エッペルハイムに来る度にリピートしていた。倫敦のハイドパークやニューヨークのセントラルパークほど有名ではないけれど、モスクワのロシニー・オストロフ国立公園と同じくらい落ち着く場所だ。アインツベルンの血には、スラブの血も入っていると言われるのも納得できる自分が居る。ロシアに詳しいルヴィアなんかはロシニー・オストロフ国立公園よりもっとクレムリン寄りなソコルニキ公園や、そこからクレムリンを挟んで真反対にある雀が丘の方が落ち着くらしいけれど。この辺は人それぞれだろうねぇ。
ただ私はクレムリンや赤の広場の辺りは余り好きではない。それは共産国家の名残りがどうこうの話でなく、消された前史の残滓を見付けては悲しくなるからだ。1982年というソ連時代に公開された映画『パクロフスキー門(ミハイル・カザコフ監督)』は、肝っ玉母さんとダメおやじが出るほのぼのした内容だけれど、ここに映っている屋内や室内の映像が、その残滓だらけなのだ。この映画だけではない。19世紀の写真や18世紀の絵画などにも残滓はたくさん残っている。それは巨大な蝋燭に画き換えられた電灯であり、教会とされる聖堂内の天井を這う電線でありパイプだ。『あいつら』が消した筈のフリーエネルギーの痕跡が残っているのだ。
建物そのものだとモスクワよりサンクトペテルブルグが酷い。まず昔から残る建物は玄関が偽装されていて、地階が本来の地上階だ。だから場所に拠って窓の上部分に当たる、円弧状な部分だけがまるで半地下の天窓のように地上へ顔を出している。ルヴィアが言うのには、ほんの百数年前まで人々はフリーエネルギーで電力を得ていたが、その文明を持っていた人々が泥水の洪水(マッドフラッド)に襲われほぼ全滅したのだという。今いるロシア人はおそらく新しく入植した者達の子孫なのだそうだ。そしてこれらの災害は人々の記憶にない。何故ならそれこそが当時のやり方によるグレートリセットだったからだ。
もっと言うとそうやって先住民を皆殺しにし、奴隷向きの住人を住まわせ、並行世界(平行世界)の版図を広げていたのだ。だけどここまですると世界修正が働く。それは並行世界全体に及ぶ強いチカラだ。でもカッコで括った平行世界だと、修正の影響が少ないのかも知れない。そこは私にもわからないが。
お母様とおチビちゃん達が散歩を楽しんでいる間、私はベンチに座って空港でルヴィアが手渡してくれた手紙を読んでいた。
『もし、並行世界のエルヴァさんに伝える方法がありましたなら、是非お伝え下さいまし』
という一文から始まる内容は、円卓が時計を模したもので、13番目の席とは円の中心を指すものである事。またキリストと12の使徒をも模しており、本来は黄道の12星座と太陽を指している事。英国では北斗七星を『アーサー王のクルマ(常用の馬車)』という場合もあり、北極星をアーサー王と同一視する信仰も残っている事。アーサーとはアークトゥルスを語源とする説もあり、古代ギリシア語では『熊の守護者』という意味でもある……などなどが綴ってあった。
天空は北極星を目印として、そこから伸びた仮想の軸を中心として回っている。何世紀頃(おそらく12~13世紀)に始まったものかは謎だけど、赤いドラゴンとかでなく、どこか東洋的にも感じる信仰もあったなんて。だけどルヴィアはこれらをエルヴァも知っておくべきだと考えたようだ。現象があの世界を封鎖している今、現状伝える方法はない。伝える術が得られるのは2年後か、3年後か。それだと、今、倫敦に飛び立たんとするエルヴァには情報が古い。だけどこういう気付きとなり得る知識を持つ講師や教授も居るだろう。もしそういう人達とご縁があるなら。後はエルヴァの運次第だろうか。私はベンチから青空を見上げたのだった。
翌日、いよいよCM撮影最終日だ。ミトやパミに私、そして姉のイリヤは当然なのだが、何故か『本体の私』もレーシングスーツ姿だ。ただし違う柄だった。
「どうして? ここは私に任せると……」
「勿論ですよ。走行練習なんてほとんどしていませんから。なのでレースシーンに混ざるエクストラ・スタントの1人ですよ」
ああ、そういう意味か。あのシーンは台数が多い方が迫力が出るからね。控室から出るとホッケンハイムのパドックに、ドゥカティ『999』のエグゾーストノートが、ヴバン! ヴババーン!と木霊していた。実際はL2の音だけでなく、この他のパラレル4バイクのサウンドも混ざっているので凄まじい音だ。マシーンを取り囲むメカニックは役者さんも居るが、ほとんどはこういうメカ知識を与えられたアサシン達の変装だった。
ゼッケン『12』のマシーンに私が跨ると同時に他のライダーも各々のマシーンに跨った。そこから3周練習走行だ。練習走行後は軽くミーティングをして、今度はスターティング・グリッドから。撮影はそこから始まる。私に傘を差しているレースクイーンも『私』ってどういう趣旨だ。ちらりと見ればミトには『ミト』、パミには『パミ』で、姉さんや『エル』達には役者さんだった。私も『エル』であり意識を移した人形だ。なのにレースクイーンは別の人形な『私』……。
「事前に聞いていた?」
「いえ、さっき宝具で出力されたところです。あなたを誂(からか)う意味と、リラックスを促す意味ですね」
出力後は本体と乖離するけれど、そこまでの記憶ならあるという意味だ。自分で自分を誂うのも自虐なのだろうか? そしてこうして本体から離れると、途端に『本体は何を考えているのだ?』と呆れさせられる。きっとこんな風に人格的・精神的に問題があるから、エルヴァ達は幸せで居られるのだろう。でなければ、これは狂気の沙汰だ。何十にも入れ子になった細胞という名の精神。それはコポコポと底から湧き上がり泡立つ。果ての上澄みは弾ける泡で撹拌され飛沫を飛ばす。その一滴が私達の大本だ。ここに性格という名の色を付ける。私が『エル』なら、横のレースクイーンも『エル色』で、エルヴァ達は『47番目のサンプル色』で染まっている。
「つくづく、よく発狂しないものだと……」
「我ながら思いますよね? じゃ、頑張って」
「ありがとう」
彼女が引いて、シグナルが青になるのを待った。そして撮影のためだけの仮想レースがスタートした。
先頭を切ったのはポールポジションに居たミト。バイクは同じドゥカティの『999』だが、カラーリングが違う。ゼッケンは『1番』だ。姉のイリヤは私の後方3番手。こちらは私と同じ色のマシーンでチーム仲間だ。ゼッケンは『11番』。演じるのは成長したちぃ姉さんなので、このポジションで良い。私がトレインを引っ張り、最後に発射してミトを抜かさせる。これはそういうストーリーだ。だから序盤は、ただただコケずに後を着いて来てくれれば良いのだ。
スタートから続くストーレートの後、大きな右コーナー、そこから少し緩いシケインまでほんの少し速度というか時間を稼ぐ。緩いシケインはライン取りが難しいが、ここでの選択で次の速度が乗る左コーナーが決まる。昔のホッケンハイムは高速サーキットとして有名だったけれど、事故の多さから何度もコースが改修され、02年に1周5kmもない今のような短いテクニカルコースになった経緯がある。そしてキモはこの高速左コーナーの入り方と果てにある急角度なヘアピンからの立ち上がりにあった。
ミトはこのヘアピンに白煙を撒き散らし、前後輪をスライドさせながら回った。ノッているし乗れている。
(マズイな……)
私まで調子に乗ってスライドさせれば後ろに居るイリヤまでが真似をする。だからステップと同時にブーツの爪先まで削られるのを感じながら、グリップ走行を心掛けた。その分立ち上がりでイリヤに追いつかれたが、彼女を引っ張りながら、続くシケインと二つのヘアピンでミトに追いつけた。それはシケイン後にミトが撮影を思い出せたからだろう。そして最終コーナーを曲がって、私達は撮影用クレーンが並ぶホームストレートを抜けた。
タンクにアゴまで乗せてうつ伏せになるのはこの短いストレートと、バックストレート代わりの大きく緩い左コーナーだけと言っても良い。2周目にホームストレートを抜けるとラップタイムが88秒と出ていた。F-1で73秒くらいだから、バイクの撮影用と思えばまぁまぁのペースだ。3周目に入るとロケット発射の合図が出た。監督が危険だと感じ、早めにレースシーンを終えたいと考えたのだろう。それは今の周回で私とイリヤが4番手5番手に落ちるシーンも撮影できたからに他ならない。
なので私は第1コーナーを今まで以上にうつ伏せて抜け、続く短いストレートへ繋げた。イリヤもそれに着いて来ているのを確認しつつ、シケインでの速度を計算。ブレーキングで前輪ディスクから白煙が出るのを尻目に右へ倒し込んでシケインのクッリピンポイントへ。短いS字を前輪を浮かせ気味で抜け、緩い高速左コーナーに飛び込んだ。ここで一気に速度を乗せて前のマシーンを追い抜いた。ヘアピン前のブレーキとシフトダウンで、ロックしかかった後輪が浮く。ここまでならイリヤもできる。
右に倒して我慢のヘアピンを抜けると次のシケインまで速度を乗せた。そして短いストレートの後に私はミトの後ろに張り付いて、ほぼ同時にシケインとヘアピンの複合コーナーに入った。最終コーナーで私はラインを少し膨らませ気味にした。そんな私にクロスするようにイリヤとパミが私を抜いていった。ホームストレートで並ぶ3台。少し後ろに4番手の私。全員がうつ伏せになっている中でほぼ同時にゴールラインを割った。
「良い絵が撮れたよ!」
大喜びの監督の声で撮影後に見たプレイバック。そこで確認したその差は、ホイール半分もなかった。イリヤが前だったのだ。そしてミトとホイール一つ分でパミ。私がマシーン一つ分の4位。これはヤラセでも難しい。ミトの調子、イリヤとパミの腕、私の引っ張り具合、それらが合わさった奇蹟のような映像だった。
ウイニングランでもイリヤは満足げにミトと拳を打ち付けあっていた。ここには台本も演出もあるけれど、気持ちは本物だろう。編集は突貫で来週頭からオンエアーだ。それはこの新しいドリンクを、観客席を埋めてくれたエキスト全員に配るからだ。新製品を試して貰い、口コミもOK。つまリ週末の今よりはライバル企業に漏れてもOK。そして週明けに一気にCMが流れるという寸法だ。
こうして約一ヶ月に渡った、私達のCM撮影が終わったのだった。