※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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78、Archer's Memories 04

 世の中をきちんと見渡せば、行方不明者が実に多い。そしてその不明になる者の運命は本人以外知る由もないのが実情だが、必ずしも不幸になっているとは限らないのもまた事実だ。ただし幸福な思いをしているのはゼロコンマ以下で、残る90%以上は不幸であるのはまず間違いない。

 そんな不幸な者の中には、すべてのチャンスが奪われ、『死』が甘美な幸福以上の存在に変貌してしまっている者も居る事だろう。そしてそういう境遇下に置かれた者は、すべからく自らの命の価値を本人が決められない。それらは決まって周囲の者が、環境が、自治体が、政府や国家が決める事になっている。本人の声など関係ない。周囲の声がそれを決めるのだ。貧困国なのか裕福な国なのか、教育が広く浸透している国なのかそうでないのかでも、その価値は変わる。本当に信じられないだろうが、日本円に直すと僅か数千円で5~6人も命が買えるところもあれば、何億支払っても追いつかないところもある。

 最後の最後の手段として人権という名の下に、人命救済制度があるのは先進国の中の僅か数国のみだ。日本の制度の場合はそれを生活保護という。こういう最終手段に乗っかってでも、この国に居座り続ける不法入国者の末裔問題を解決せず黙り込む異常な国は日本だけだろう。これが中国なら? イスラム国家だったなら?

『子供達が親と引き離されて可哀想』などと書く新聞社は潰され、書いた記者は処刑されるか投獄される。その国で産まれた『命だけ』は人権を保証するというだけで、そこはかなり良い国家なのだが? 日本という国は実に甘く、ぬるま湯に浸かった国だろうか。だから公的な移民は少ないが、不法入国したままの犯罪者はやたら多い。

 まぁ、先のイスラム国家を例に挙げずとも他国はもっと厳しいものだ。そもそも移民の受け入れとは、成功が前提条件なのだ。事業に失敗すれば出身国に帰れと追い払われるのは、当前と言うか、当たり前という認識だ。これは納める税金がバーターされた人権しか外国人には与えられないからだ。しかし年に何千万何億と税金を収める個人や、法人を持つ特定の者にはどこの国も必要以上の人権と特権を与える。これはその者が納める税金で救かる命が多いからだ。

 数人を救うのが精一杯の、一人の正義の味方より、大勢を救けられる大金を税として納められる一人の大金持ちの方が尊い。これが現実だ。実の親に売られていき、人権を奪われ、奴隷、或いは性奴として扱われる子供達を買い取り、他国へ避難させ、温かな食べ物とフカフカのベッドを与え、学校に通わせる『エル』。あの子が儲けに走る事を私は否定できない。それと同じく金持ちが時々行う慈善団体への寄付や活動を税金対策と非難する事もできない。それを偽善と断ずる前に考えて欲しい。億・兆単位でそういう活動する者を非難する者は、それができるのか? 絶対にできない筈だ。

 誰でもない、この私が言おう。正義の味方を目指す限り『衛宮士郎』は無価値なキチガイだ(それ以外の価値のある行動を起こす『衛宮士郎』も居ると知っているが)。人間一人のチカラなどタカが知れている。一人より多人数。これは小学生でもわかる原理だ。そこがわからない限り幻想に溺れ溺死するであろう事は、3番目だけでなく私でもそう思うし、間違いない事実だ。

 とは言え────税金という、血の通った宝の中身を少々抜く政治家が居ようが、吸い上げる省庁があろうが、『大勢を救ける』という大義名分がありさえすれば大方は目を瞑るものだ。しかし、省庁の官僚達が一般人が許せぬほど中身を抜くならこれは見逃せない。そのために人々は選挙に行き議員を選ぶ。その意味は一般国民だと監視の目が行き届かない官僚や職員に目を光らせるためだ。そこをわかっていない有権者や議員、職員が余りにも日本には多い。これは日本がそれだけ裕福であるという証左に他ならない。つまり蟻が集るに十分な砂糖が毎年手に入るからだ。

 しかし日本ほど裕福でない国で、ましてや自分の出身国でもないのに、そういう中を抜く者達を『許せん』と斬り棄て来た己にも価値などありはしない。私もまた処刑されて当然の、世の仕組みを知らぬ────端的に言えばキチガイだった。

『悪』を『悪』として決めるのは誰だ? そしてその基準はどこにある? 常識という名の幻想か? 社会通念か? 私の行為は常に私という狭い人間のエゴから生み出された、ちっぽけで独りよがりな正義でしか無い。だがそれは、広く社会に行き渡った文明人共通の認識に近かったと思う。またそうあるように心掛けていた。

 だが、義妹の提示する正義は常に人々から称賛され、そこに異を唱える者ほど、国境も文化も越えた明確な絶対悪と認識される類(たぐい)のものだった。多数決という共同幻想にも似たヌルい概念ではない。心ある者なら誰もが求めてやまない、人類に根付いた通奏低音の如き、完璧な正義を訴えているのだ。

 

 言いたい事がわかるだろうか? 税金も金なら、儲けも金なのだ。公共のサービスも個々の生活向上も常に金ありきなのだ。だが、税金で賄う福祉には限界があり、またこの世は金がすべてでもない。その前にあるべきものは常に人の心なのだ。そして今まさに目の前で起きている、100人もの人々を襲う危機から、たった1人を救い出せる人物、それが学生時代の私が考えていた正義の味方像だった。しかし残る99人をも確実に救い、自立できる道を指し示す事は正義の味方にはできない。そこが昔から懐(いだ)いていた私の悩みであり、矛盾であった。

 このドリンクはヒットするに違いない。そして儲けた金であの子は更に多くの人や子を救い、道を示すのだろう。この世界で私の出る幕などありはしない。今はただただ、こうして会場の警備をしながら、ドリンクの成功を願うばかりだった。

 

「少年、これで終わりだな?」

「ああ」

 

 アルさんだった。撮影を終え機材を撤収、後片付けを終えたスタッフが次々とサーキットから帰っていった。先に編集があるので、打ち上げは後日らしい。なので本日はこのまま流れ解散だ。だからサーキットが閉じると同時に私とアルさんも仕事から開放された。アサシンのリーダーが私とアルさんにも『エル』から預かっていたと金一封を配ってくれた。これで飲みに行けという意味らしい。おそらく撮影スタッフや会場のスタッフにも幾ばくか配られている筈だ。

 なので私とアルさんは、『Kneipe(クナイぺ)』へと向かった。ドイツ語でも酒場は『Bar(バー)』だが、それは酒を主体とした場合の話で、食事もできる場所という意味でならクナイペと言う。英国やアイルランドで言うところの『Pub(パブ)』と同じで、日本語に訳すなら居酒屋だ。

(パブはパブリックの省略。開放された酒屋という意味がある。居酒屋は酒屋で居座って飲めるという意味から。つまり本来の酒は持ち帰って飲むものという道徳観念と歴史的背景があり、政府や自治体といった税吏と店を営む商人の根性、庶民の渇望の鬩(せめ)ぎ合いこそが、その本質である。各国の酒税の掛け方や営業を管轄する役所を調べるとそこが見えて来るだろう。そしてアルコールの毒性や中毒性を知りつつも、その潤滑剤としての効能が絶大だったので、どの政府も禁酒に失敗するか、ハナからそういう無駄な努力をしなかった。ただ足枷として税は高目である国が多い。とは言え大抵そこでは本物が提供される。発泡酒やらリキュール類やら発泡性スピリッツやらの偽酒が堂々と罷(まか)り通り、それらがコンビニなどで気軽に買え、路上で飲める日本は三倍増醸酒の時代から何一つ変わっておらず、客観的に見た場合かなりヤバい国だ)

 

 身体が人並み外れて大きなアルさんは、飲む場所や座る場を選ぶ。とにかくゆうに2.5mを越える身長だから、巨人とまでは言わないが、普通の人から見ればかなりの巨体だ。しかしその人懐こい人柄と着飾らない性格は、決して社交家とは言えなくとも『これがあの大英雄か』と思うほど素朴で暖かでもある。伝説に残るように若い頃は酒での失敗も多かったようだが、生憎私は彼のそういう悪い面を見た憶えがなかった。兎にも角にもどこまでも静かに、愉しく酒を飲む人だ。

 スペインやイタリアといった欧州南部では、『Bar』と書いてバル(バール)と読み、そこは食事もできる居酒屋として広く浸透している。なので現代ドイツでは居酒屋という意味でバーと言っても間違いではない。しかし、カクテルやウイスキーを楽しむ専用の店はドイツ語で何と言うのであろうな?

 それはともかく、私とアルさんはそういう食事も可能なありふれた店に入り席を設けた。そんな彼が飲んでいる最中にこう言った。

 

「この撮影の間、霊の動きが静かだった。気付いていたかね、少年?」

 

 私は頷いた。『エル』的に言うなら磁場が弱まっているのだ。まだ完全に解明されている訳ではないが、心霊現象と電磁場には密接な関係があるという。また、この国はメルヘン(メルヒェン)街道なんて観光用の道路が選出され、定められたりするところでもあるから、ファンタジーや民間伝承はかなり多いし、医学用語ほどではないにせよドイツ語から来て定着している、心霊現象や超心理学の専門用語もチラホラあった。

 それは取りも直さず、とても論理的に物事を考える国民性であるがゆえにと言うか、にも係わらずと言うべきか、超常現象を身近なものと冷静に捉えている人が多いという意味でもある。オカルトや都市伝説でなく『有るものは有る』と認め、きちんとそれを調べるようとするのだ。だから著名な錬金術師や魔女の名がドイツでは数多く残っていた。だから幽霊屋敷ならぬ幽霊城の逸話なんかもかなりある。

 まぁ、どこであろうと大なり小なり古城や古い館には付き物の話だが、バイエルン州の北部、クルムバッハにあるプラッセンブルク城に現れる幽霊の話などは特に有名で目撃例も多い。幽霊の正体は城主オットー6世の未亡人クニグンデ夫人だとされている。夫を亡くした夫人はクルムバッハに近いニュルンベルク城伯アルブレヒトの庇護を求めたが、当然この庇護とは再婚の事だ。日本でも夫を亡くした武将の妻が、子連れで他の武将と再婚する事は多かったので、現代人の感覚で『あれ?』と考えてはイケない。跡取り以外は僻地に追いやったり追放する場合もあったにせよ、医学が未熟で乳幼児の致死率が高かったあの当時だと、子連れの未亡人を娶るという行為は褒められる行為でもあったのだ。

 だがクニグンデ夫人はアルブレヒトから伝えられた『二つの目が光っているから無理だ』という言葉から、オットー6世との間にできた2人の子を殺してしまった。実はアルブレヒトが言った『二つの目』とは、アルブレヒトの両親の事で世間体という意味も言外に含んでいた。それをクニグンデ夫人は勘違いし、取り返しの付かない子殺しをしてしまった。それを悔いた夫人は今もプラッセンブルク城で後悔しながら彷徨っているという怪談だ。

 そんなクルムバッハのすぐ下にバイロイトという街がある。そこにはワーグナーの子孫が建てたバイロイト祝祭劇場があり、そこでは毎年バイロイト音楽祭が開かれているのは、ワーグナーの歌劇の題材がこの南ドイツはフランケン地方に残る伝承から求めている場合が多いからだろう。だが、一番有名な楽劇『ニーベルングの指環』は第一夜のタイトル『ラインの黄金』が示すように、バイエルンのお隣のバーデン=ヴュルテンベルク州やヘッセン州が中心の伝承が題材だ。第三夜のタイトルにもなっている、英雄『ジークフリート』もこの『ニーベルングの指環』に出て来る登場人物の1人だ。ちなみに第二夜は『ワルキューレ』、第四夜は『神々の黄昏』という。そしてそんな神々の末裔であり、英雄達が属するニーベルンゲン族とはフランケン地方に伝承が多く残る一族で、巨人族の一種だともされていた。

 また、黒い森を擁するバーデン=ヴュルテンベルク州は著名な錬金術師と関係が深く、この森を延長した南端にノイント老が事業を営むスイスのバーゼルがあり、若き日にそのバーゼルの大学で医学を学んでいたのが、フィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム……別名パラケルススだ。この他にも黒い森やライン川に縁の深い神秘学者は多い。調べれば何人も該当するので驚くだろう。

 では、この黒い森やライン川周辺にどうしてこうも錬金術師や魔術師が集ったのか。それは当然、地政学もあるが霊脈にある。ブドウの実りが良く、良いワインが作れたからというのもあるだろう。だが、アルプスという霊山からのマナが程よく溶け込んだラインの水は、下流に住まう人々に新たな知恵の文化を授けた。アインツベルンの先祖や世界を席巻するあの一族が育まれたのはそんな水────ネクタルの素となったワインや、そのワインを生み出す水があったからだ。

 なお黒い森(シュヴァルツヴァルト)は、生い茂った針葉樹が上空から見ると黒く見えたからそう名付けられた。つまり気球なり飛行機なりが生み出された後にそう名付けられたのだ。そしてマッドフラッドが起きる前まではもっと広く、高低の差が大きな広葉樹の森だったという。そこへゲルマン民族の大移動前にやって来て、ドナウ文明ならぬライン文明を興したのが、アインツベルンの先祖らしい。

 マッドフラッドを生き延びた彼らは、なだらかな丘陵地帯となったその森の跡に樹々を植え育てた。木の実が採れる広葉樹でなく針葉樹だったのは、溢れた泥で地盤が緩かったからだとも、流され壊れた家屋を再建するためだったとも言う。そうして何十年も何世代も掛けて人々は復興した。その後押しを『エル』やイリヤ達のご先祖は行った訳だ。

 ではそもそもマッドフラッドとは何なのか? それは地球という生命が行う行水だという。地震が身震いなら、火山は吹き出物、そして地表が地面から湧き出る泥水で濯われるのは、地球がシャワーを浴びているに過ぎないらしい。およそ数百年(4~500年)に1回の間隔で、全土の場合もあれば地域限定で起きる場合もあるという。我々人類からしてみれば、それで人類を含んだ生命が途絶える場合もあるから堪ったものではない。

 しかしながら、そういう天変地異による災害は規模こそ異なれど、今までも起きていたし、数多くの証拠や伝承が残っている事実だ。ノアの箱舟の逸話然り、アトランティスの水没然りだ。この問題の根っ子は『ホシも生命なら、起きて当然』だと思える内容を、『そんな事はあり得ない』として、歴史書などから隠蔽抹消されて居るところなのだ。ところがそのような隠された歴史の事実を、しつこく覚えていて、文章に遺している者達が居る。それが錬金術師であり魔術師だ。

 つまりマナがそれなりに豊富で、魔術のような神秘が残っている世界では『あいつら』も隠し切れず、中にはノイント老や『エル』のように、本来ならアイツラと同じく世界を裏から牛耳る立場であるにも係わらず、逆らう場合もある訳だ。何故なら神秘と魔術が一般人から秘匿できさえすれば、魔術師に勝てる人類なんてこの世に居ないからだ。

 となると裏返せばマナが弱く、魔術師が没落、或いは消滅した世界は、『あいつら』が好き放題できる世界である可能性が高いという事になる。これには根拠があって、大魔導師のリンがそう証言していた。またフラットワールドは精神(アストラル)世界に構築された、人工世界であるとの話もある。そちらはシロウの証言だが、そこで生きる人々はある意味映画のマトリックスの中で生きる人々のようなものらしい。

 

『羽ばたく途中なんだ。滑空じゃなく翼が立った状態で鳥が空中で停止していた。バグなんだろうな。何度か見たよ』

 

 そんなものを見たらしい。またマナが弱い上に、アストラル世界だから抑止も動かず、人々は気付かぬまま奴隷にされているという。

 

『多分、何度かに分けて、精神のコピー(マトリクス)が奪われ、そこで奴隷にされているんだ。オレの感づいた範囲だと、日本人なら1984年頃と1994年頃の2回かな? そん時にどこかの世界の日本人がコピられた』

 

 この2回目の方が第四次聖杯戦争のあった頃で、世界によれば阪神淡路大震災のあった頃だ。またこの大震災こそが、本当の意味での『あいつら』の攻撃開始合図だったという。シロウが言うには、その頃から世界の様相が急に変わったと感じている人が、巷(ちまた)には多いそうだ。この場合の巷は世間という意味でなく、その世界内の日本人という意味だろう。

 なお魔術師が生き残っているマナの多い世界では大きな地震はあったが、阪神淡路大震災という災害にまでは至っていない。これは私から見れば傍迷惑な存在でしかない御三家の中の間桐が、霊脈や地脈を英霊召喚用に調整していたからだ。つまり圧がそこで抜けていた。こういうところから考えると何が正義かわからんものだ。

 それはさておき、では海外はとなると、これの答えが1984年頃だという。まさにジョージ・オーウェルのディストピア世界がそこから始まったそうだ。ところが日本だけはそこから省かれた。それは精神性の高い人が多かったからだ。

 世間があるから自分がいる。自分の前に人のため世のため。お天道様が見ているからお互いに譲り合う。そういう人が、その頃の日本にはやたら多かったそうだ。これを聞いて義妹の『エル』はこう返した。

 

『それって『ナウシカ』、『ヤマト』、『ビューティフル・ドリーマー』に『マクロス』が公開された年ですね?』

 

 と。アニメの当たり年というだけでなく、そういう精神性の高い作品が多く世に出、問われた年でもあったのだ。1974年は知らないが、1964年は東京オリンピックがあり、ビートルズが出て来た頃だ。この関連性はオタク気質な『エル』でないと気付かない。

(そんな『エル』の話だと1974年はプログレッシブ・ロックが全盛期を迎えた頃で、サーキットではポルシェ・ターボの軍団が席巻していた頃だそうだ。1954年はロックンロールが誕生した頃で、1984年はラリーのグループBが最盛期の頃だという。一見関連性が無いようだが、世の潮流がそこから大きく変わったのは間違いないのだとか)

 

 強いアメリカを体現したレーガン大統領の頃で、翌年の1985年にプラザ合意がなされ、日本の停滞、没落化が始まった。そしておそらく人である頃の私の生れが1987年頃だ。

(世界によっては歴史の流れの違いがあるから、衛宮士郎の誕生年も変わる。ただ概ねの、私を構成する要素は1987年の4月生れであると認識し、イリヤは1986年の11月であると考えている。だが『エル』は1986年の7月21日生れで、彼女の双子の姉であるイリヤは1986年7月20日が誕生日だ。そして彼女達が『ちぃイリヤ』を姉と喚ぶのは、あのイリヤが1985年の11月20日生まれだからだ。あの第五次聖杯戦争を『繰り返す世界』は、年明けが2003年であった。つまりあの世界から連れ帰った士郎は1986年の4月生まれなのだ。だがあんな『バカ』を兄とは呼びたくないとして、『エル』もイリヤも弟として遇している。まぁ、シロウや私が居る訳だし、『エル』に至ってはアインツベルン一族の総裁だからなぁ。それは未熟者をして兄とは言えんだろう)

 

『瞬く星の輝き方がヘンなんだ。ほら、水族館にドーム状の水槽の中を抜ける通路があったりするだろ? ああいうのと同じでその水槽を通して夜空の星を眺めているみたいな。それに山に登っても明らかに星が少ない。天の川なんて1/3も星がないんだ。地平線も丸くないしさ。『ああ、嘘っぱちの世界だ』って、誰でも気付くと思う』

 

 そこの人々は救けんのか? という私の質問にシロウはこう言った。

 

『そこでは宝石剣がないと魔術が使えないんだ。そして彼らが死に絶える事はない。人口調整されながら他の世界の人類が滅んでも生き永らえるだろう。『悪魔の優しさ』なのかねぇ……』

 

 我々の今居るこの世界では、近い将来、人類が宇宙に出ないと未来はない。これはここに類する並行世界全部で言える事だ。しかしその平行世界にあるアストラル世界は宇宙に出ずとも、人々が精神エナジーを搾取されながらも生き永らえる道があるという。なのでシロウは答えなかったし、私も求めなかった。まるで間桐のお陰で震災が起きなかったようなものだ。そんなものに答えようなどある筈がない。

 

 

 

「磁場が弱まったのもあるが、マナも薄い気がする。『現象』の影響だろうか?」

「そうだな。あの『エル』に、ここが突き止められたという感触があるな。まぁ、『エル』の世界だと気付いたろうから、何も起こらんと思うがな」

「そうだな……」

 

 だが、頼みもしない『手助け』はありそうな予感がする。私とアルさんはそこを危惧していた。そして何気なく彼が口に運ぶそれを見て驚いた。酒のつまみと言えばそれまでだが、実はドイツでは飲みながら食べるという風習があまりなかったりする。食事を終えてから飲むか、飲んでから食べるかだ。そして私達はまだビールしか頼んでいなかったのだ。

 

「どうした、そのソーセージは? この店のサービスか?」

「わからん。気付かずに食べていた……」

 

 間違って運ばれたのだろう。私は店員を呼んで気付かずに手を付けてしまった事を詫び、2杯目のビールを注文した。

 

「そのソーセージの分も伝票に付けてくれ。それで食いそびれているテーブルに届けてやって欲しい」

 

 そう頼んだ。ん? 気付かない間に届けられた……?

 

「アルさん。ミトが強盗を仲間にしたのは、盗ませるためでなく何かを送り付けるためでは?」

「ああ、そういう考えはあるなぁ。意図もそれが何であるかも不明だが、盗っ人を配送人にする手はありそうだ」

 

 これは聞いた話だが、お宝画像や動画を職務中にダウンロードし、バックドアから同僚のシステム・ディスクに保管するという者が居たそうだ。回線使用料は会社のもの、ディスクを圧迫するデータは同僚のシステムの中。そうやって残業の時などに、データをUSBなどで持ち帰るというお笑い犯罪だ。お笑いと言ったのは5社回れば1人くらい居そうな軽犯罪だからだ。しかし魔術師がこの方法を使うとなれば? 他人の家に時の為政者が禁書とした魔導書を、こっそり置く? いや、押し付けて密告するのだ。そうやってライバルを追い落として今の地位を……。

 

(ああ……そんな具合に中世の魔女裁判を潜り抜けたのか……)

 

 そんな風にストーンとわかってしまった。しかしアルさんは私の予想外な事を話した。

 

「少年。君の考えはわかるが、あの子達に限ってそれはないだろう」

「うん?」

「『現象』の影響かどうかは知らんが、申告する必要もない予想外の収入が増えたのではないか?」

 

 申告せずに済む収入? 宝クジか? カジノ? 競馬か何か?

 

「それを義賊宜しく、貧しい者に配ろうと?」

「うむ、私はそう考える。あの子達はそういう子らだ。法に縛られ表立った行動が取れん現代なら、それ以外考えられんぞ?」

 

 アルさんはオスカー・ワイルドの『幸福な王子』の話をしてくれた。相変わらずの読書家で何でも読むな。

 

「金箔や宝石を新たに供給してくれる者が居り、ツバメどころかワシやタカまで居る。ミト達の心臓は死んでも朽ちんだろう」

 

 元は日本人だった私だが、ねずみ小僧を思い浮かべる前に、この『幸福な王子』の話の方がしっくり来た。死んでも朽ちないか……。

 

「よくはわからんが、これも何かの儀式……法則があるような気がしてならん」

 

 私は『そうだな』と頷くだけだった。偈に恐ろしきは大元の『エル』ではあるが、あの子の使う魔術の産物であるミトやパミまでもが朽ちないハートを持っているとアルさんは指摘した。それは劣化していくだけの投影品とは違う。私は『現象』となった『エル』を思った。

 

 

 我々はホッケンハイム・リンクから出て、アウトバーンの6号線を越えた小さな街にあった店で飲んでいたのだが、そこからエッペルハイムへ帰るなら、直線で5kmあるかないかだった。クルマやバイクだとケッチュの街へ北上しそこからシュヴェツィンゲンと行き、農道を通ってエッペルハイムとなる。これはまだ近い行き方で、大きな道路しか示さないナビ通りに走れば、6号線を南下し、5号線に乗り換え、そこから北上してエッペルハイムとなる、そうすると12~13kmは走る事になる。その理由はこのホッケンハイムにはかなり大きな森があるからだった。

 すべての道路がこの森を迂回している。ここにサーキットを建てたのも騒音対策だったのだろう。それで私とアルさんは、実体化したまま森の中を歩んでいった。霊体化する方が楽なのだが、そうすると分子構造が変わるからなのか酔いが一気に醒めてしまう。それは味気なく惜しいと2人してズンズンと森の中へ分け入った。

 ここがドイツだからか、妙に冬木の郊外にあるアインツベルンの森に似ている気がする。確かあの森は、館だけでなく樹々もドイツから持って来ていたと他所の世界で聞いていた。それは似通って当然だな。(ここ、つまり『エル達』の世界での郊外の森は、館だけ建て替えられている。しかし樹々はドイツから運ばれたものだ)

 月明かりの森を進むと、凛と衛宮士郎を逃すために居残ったあの日を思い出す。凛も桜もイリヤもその後どうなったかは知らない。が、あの日の衛宮士郎が4番目の『アーチャー』で、あの時のセイバーが今の『エル』のセイバーだ。世界は本当に不思議だ。森を抜け切り、オフタースハイムまで来た。後は農道というか下道を2kmも歩けばエッペルハイムだ。

 そこでここドイツではまだまだ珍しいSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)を見掛けた。確かに最近はラダーフレームではない高級SUV(ジャンルとしてはクロスオーバーSUV。ポルシェ・カイエンやボルボ・XC90などだ)がセダンに替わって増えているが、それは未舗装路を走るためでなく、ドレスやスーツに無闇にシワを残さいない着座姿勢が取れる利便性が特定の階級層の人々にウケたからだ。また日本の軽自動車もそうなのだが、腹が支(つか)えない姿勢の方が楽だというのは、昨今のドライバーの共通認識だった。

 だが、見掛けたSUVはそういうものではなかった。かと言って無骨過ぎもしない5ドアの四駆。日本名の車種を聞けば、『ああ、あれか』と思う人も居るだろう。答えは『いすゞ・ウィザード』だ。欧州のこれはイギリス製で、英国ではボクスホール・ブランド、ドイツではオペル・ブランドで売られていた。名を『フロンテラ』という。

 

「この近所の農家の人だろうか? センスが良いな」

「少年は本当にあの手のクルマが好きなのだな?」

 

 そうなのだ。普段、大ぴらに話していないが、私は本格的なオフローダーのピックアップ・トラックやSUVが好きだった。それを知るのは同じオフローダー好きなジイさんと、『エル』やイリヤといった家族の一部だけだ。中でも働くクルマが大好きな『エル』やミトにパミは、ジイさんと並ぶ理解者だった。

 まず私がオフローダー好きになった理由を話そうか。それは単純で、やはり砂漠での活動があったからだろう。どこにでも行けて必ず帰って来れるクルマ。こんなに頼もしい存在は他にはない。ただ思うところがあって、私はジイさんが好きなランドクルーザーやハイラックスは苦手だった。特にハイラックスのピックアップ・トラックを見ると一瞬だが硬直してしまう。『砂漠の三種の神器』とは、日本製のトヨタ・ランドクルーザー、トヨタ・ハイラックスのピックアップ・トラックといったタフなクルマ、砂が噛んでも壊れないホンダ・CG125、そしてどこであろうと狂わないカシオのF91W(別名ビンラディン・モデル。時限爆弾にもよく使われる)だ。

 時計とバイクは何とも思わない。実用的だと感心するばかりだし、ランクルも良いなと思うだけだ。しかしハイラックスだけはダメだ。マシンガンを積んだあれに襲われ、仲間が大勢死んだ。AK-47シリーズ(実弾を何発も受けた)と並んで私が苦手な『モノ』である。なので私は四駆となれば、ニッサンかいすゞから選ぶ場合が多かった。とりわけ、ダットサン・トラックの流れを汲むSUV(サファリなども好きだが、今の日本での愛車は初代エクステラだ)や、最初期型でソフト・トップのミューが好きだった(この2ドアSUVは私の北米での愛車で、あちらでは『アミーゴ』という名だ)。

 そんな私を慮って、今から5~6年前のある日、ジイさんがパスファインダーの並行有入品中古を贈ってくれた事があった。今も森で使っているが、あれで火が着いた感がある。自分でイジって自分で直し、森の中を駆け抜ける。これが実に良い気分転換になり、料理と並ぶ大切な趣味となった。(ただジイさんは仲間を増やしたかっただけかも知れない。だが贈られて嬉しかったのは事実だ)

 

「少年。あれは何というクルマかね?」

「カタチから『いすゞ・ウィザード』だと思うので、多分『オペル・フロンテラ』だろうな」

「アメリカのものと違って小さいな」

「そうだな」

 

 図らずもアルさんは米国のフルサイズを知っている。それはあちらだと割と見掛ける機会が多いからだが、ジイさんやアルトリアが乗っているからでもある。ジイさんのアメリカでのクルマは、ノイント老から贈られた『フォード・エクスカージョン』だ。並行世界でエルヴァ達が使っていたアレと言えばわかるだろう。そしてアルトリアの愛車は三代目『ダッジ・ラム』という4ドア・ピックアップ・トラックだった。

 この第三世代にはSRT-10というダッジ・バイパーのV10、8.3リッターエンジンを突っ込んだ化け物トラックがあるが、アルトリアが選んだそれは5.9リッター直6のカミンズ製ディーゼルエンジンを積み、実に248馬力もの出力と685N⋅mものオバケトルクを併せ持つハイアウトプットモデルだった。しかもそれのヘビィ・デューティー仕様で、横幅も全長も、ノーマルの『1500』よりずっと大きな『3500・メガキャブ』だ。4ドア・ピックアップでサーフボードがそのまま載るクルマはまず無いだろう。アメリカでも道を選ぶ大きさなのだ。

 そしてカミンズとは日本のコマツなどとも取引のある、全米一、いや世界一と言っても良いディーゼルエンジン・メーカーだ。アメリカの建機のエンジンや、家をまるごと運ぶトラクターを牽引するヘッドには、まずこのカミンズ・エンジンが入っていると見て間違いない。そんなメーカーがモーターハウスなどを牽引するピックアップ・トラック用にと開発したエンジンが、このラムだと選べた。売れに売れるフォードのF-150やゼネラルモーターズのシルバラードに、クライスラーのラムが太刀打ちできるのは、この牽引力に優れたカミンズ・エンジン搭載モデルが選べたからだ。

 ガソリンが水より安いと形容されるアメリカで、態々(わざわざ)ディーゼルを選ぶ理由は正にそこで、このラムの威容は夜道で出逢ったバーサーカーより凄まじい。だからなのか、元バーサーカーであるアルさんは、アルトリアのラムを気に入っていた。巫女の義姉もちぃイリヤも口を揃えて言う。そんなアルさんを喚び出した経験のないイリヤが建機のマスコットをし、部屋に300トン・ダンプに掘削物を載せる化け物油圧ショベル、日立EX8000のポスターを貼る気持ちはわからなくもないと。だからちぃイリヤもイリヤの跡を継いでマスコット・モデルの契約をしたのだ。

 イリヤの建機好きは、思うに『エル』の影響だろう。とかくあの子は、某放送局の教育番組タイトルにも聞こえる『働くクルマ』が大好きだ。峠かサーキットか、オンロードかオフロードか、四輪か二輪か。そういうモードの違いなどとは違う次元で『働くクルマ』を見ていた気がする。

 例えば北米だとあの子はクライスラー・バイパーGTS(後のダッジ・バイパー。それのクーペ)を、長い間愛車としているが(勿論運転手は私かマーヤ、或いはアルトリアだ)、バイパーと並び称されるシヴォレーのコルベットは、最新モデルが出る度に買い替えていた。だがピックアップ・トラックとなると、後輪が二重になったフォードのスーパーデューティーF-550をこよなく愛していて、いつもこれだった。1999年に出たモデルを直ぐに買ったらしいから本当に好きなのだろう。ちなみにこのモデルの架台は、アオリ付きの平台が標準でなく、持ち主が自分の用途に合ったものを載せる事になっている。『エル』は大抵モバイル・オフィスを載せていた。

 そんな彼女がアルトリアにラムを薦めたのだが(おそらく『エル』はラムのSRT-10を持っていると思う)、2004年の夏にワンサイズ下の2代目ダコタの最終、クアッド・モデル(4ドア、4.7リッターV8)とその夏に出た3代目のエクステンデッドキャブ・モデル(2ドア、4.7リッターV8)を同時に買った。

 この突拍子もない行動は、後に理由がわかった時に随分と驚かされたものだ。ミソは『ワンサイズ下』というところにあり、これが70系ランドクルーザーとほぼ変わらず、ハイラックスよりほんの少し大きい程度だった。勿論、アメリカではダントツに人気があるのはフルサイズだ。しかしながら、狭い農道を通る必要がある人や、街中で丘サーファーのように走る若者には大き過ぎたし、壊れ難い日本製ピックアップに顧客が流れた。なので各社がミドルサイズの需要を見込んで1980年代から、対日本製、貿易摩擦対応策として出していた。それがフォードのレンジャー(3代目はマツダ)であり、シボレーのS-10(一部いすゞ)であり、ダッジのラム50(三菱)だった。やがてこれらのミドルサイズが認知され、2ドア・オンリーのレンジャーはアメリカでは『軽トラック』と認識され農家の人気を博し、S-10もコロラドと名を変え品を換えコンスタントに売れていた。

 そこでダッジはラム50をダコタに変えて、第三の道を歩んだ。フルサイズほど大きくないが、日本製より大きなミドルサイズとしたのだ。だからダコタにだけV6でなく、V8がラインナップされた。そしてこのダッジのマグナムV8は2003年頃まで5.2リットルだった。後に燃費や経済性を考慮されて4.7リッターになって出力が落ちた。また、4ドアのクアッドキャブが出たのが2001年頃だ。そんな僅か数年の間しか出回っていない、5.2リッターV8のクアッドキャブを、何とあちらのエルヴァが乗っていた。

 わかるだろうか? 『エル』は自分の予知に嫉妬したのだ。そしておそらくは5.2リッターV8を積んだ中古を探した事だろう。しかし出物が無かったのだと思う。そこで最終モデルと最新モデルを併せて買った。それが真相だった。

 では何故あちらのエルヴァはダコタを買ったのかだ。これも『おそらく』だが、後席を倒すか上げるかすれば簡易ベッドになり、エルヴァやエル、モードレッドの身長なら問題なく眠れたからではないか? 私はそう思う。何故なら広大なアメリカでは車中泊体験なんて誰もが通る道だし、シャワー設備を備えたスタンドや車中泊可のスーパーなどがどこにでもあるからだ。南部のトラックステーションなんて、朝っぱらから開いているステーキハウスが併設されているところもあるという。正にアメリカだ。

 倫敦に行ったというエルヴァも気になるが、アメリカに行ったエルヴァも気になる。それはきっと『エル』から分かたれたというだけでなく、あの2人が素直で真面目だからだ。

 私とアルさんは家の門を潜る少し前に、今一度夜空の星を眺めた。

 

「少年。来たな?」

「ああ」

 

 それは馬に跨った鎧の騎士で首と兜が無かった。いわゆるデュラハンと呼ばれる妖怪だが、とある魔術師が人工的に造ったものだという話もある。

 どこかの雇われ魔術師が、『エル達』を狙ったのだろうが、強固な結界に阻まれ入れなかったところに鉢合わせしたようだ。私は石斧剣を投影した。そしてそれを引っ掴むやいなや、アルさんはデュラハンを馬ごと両断した。それで終わった。その間に私は目に入った相手の使い魔を全部叩き落とすか射抜くかしていた。だが、そのタイミングで息のあった使い魔がぽたりと足元に落ちた。

 イヴのライバル企業が伝手を使ったか、アインツベルンと敵対する魔術師だったのかはわからない。だが、たった今確実に『現象』がその魔術師に鉄槌を下したのは間違いなかった。閉ざされた門の向こうで懐中電灯が光った。『エル達』だろう。私達は門を抜け、家に帰ったのだった。

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