※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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今回はフライパン回です。それと少し未来を。


82、魔眼蒐集列車事件 Ⅲ

「こんばんわ、先生。わざわざのご足労、ありがとうございます」

「いや、構わない」

 

 この時点でグレイに現代魔術科の姫、彼女の玩具であるトリムマウの姿が見えない事に気付いていた。しかしそれはある程度想定内でもあった。と言うのはこの世界では、先生が保管している大王のマントの切れ端が『盗まれた』のか『盗まれた事を秘密にしているのか』、そもそも『盗まれていないのか』どうかが怪しいのだ。そして私の『読み』では、一度は盗まれたが列車の延期があったので返って来ている筈だった。

 列車の延期は世界の違いもあるが、一番大きな理由は『現象の事件』があったからだ。これをドクター・ハートレスは恐れた。彼はグリーンパークのどこかから『エル』と私を観ていた筈だ。そして自らが召喚した紛いモノの英霊と、私達の仲間である本物の英霊との『格の差』を思い知っただろう。その一角の私が時計塔の降霊科一級講師として採用され、現代魔術科や創造科の特別講師も委託、或いは嘱託されているという情報も彼ならとっくに得ていた事だろう。しかもこちらは筆頭理事であるアインツベルンの人間だ。

 そうなると学部長時代に権力闘争を避けていたフシがありありとあったドクター・ハートレスには荷が重い。つまりこちらも『現象の事件』から来る心理面の変化をチクチクと突いたり押したりしていたという事だ。と言うのは、私から見たドクター・ハートレスの一連の動きは、ぽっと出なのに『ロード』を名乗るエルメロイⅡ世先生の鼻を明かしたいだけにしか見えなかったからだ。だけど、そこをメルアステアに嗅ぎ付けられ、利用された可能性があった。現にそういう動きと流れになっている。それにメルアステアの下には魔眼で知られるレーマン家がある。当然今回のオークションにも参加するだろうし、その魔眼で未来予測もしてあるだろう。

 こうなるとドクター・ハートレスはただ単にどんぐりの背比べをしたいだけなのに、外部との接触を含むこれまでの動きが、全部自らに跳ね返る可能性が出てきた。だからバカでないなら、この列車を機会と考えず手を引くと私は見ていたのだ。だから動くのはメルアステアに与(くみ)するレーマン家の息が掛かった『誰か』となる。それも目的はエルメロイⅡ世先生でなく私でありセイバーだ。

 更にこの程度の事は、お祖父様もエルも、中国の『王一诺』こと『アオレアール』も、もっと言えば『エル』も予想どころか予測していて、既に手を打った後かも知れない。連絡手段のない今、それらがバッティングしそうで、そちらが私は怖かった。

 とにかく私とセイバーは旅行カバンを持って外に出た。なお、アルファ・ベータ・ガンマの3人娘は、おかしな日本語だがカバンの中のポーチの中だ。このポーチの中はラインの黄金の理論を流用した空間拡張魔術が使われていて、緊急時の食料や衣類に道具などが収まっていた。そこに3人娘に入って貰ったのだ。3人娘各々にもこの機能はあるのだけど、今回は3人共隠す必要があった。なのでこうでもしないと、連れて行くのは難しいと考えたのだ。

 

「それでスヴィン君はどうしてここに?」

「それを言いますか、アインツベルン先生。先生の授業が始まらないと僕は無一文なんですよ? だから降霊科に悪いと思いつつも、エルメロイⅡ世先生を頼って今回の仕事を……」

「へ?」

 

 あ、わかった。

 

「エルメロイⅡ世先生。時計塔の給料って25日とかじゃなく月末振り込み?」

「そうだ。それにスヴィンには君が手渡す段取りだろう? グレイのような内弟子ではなく降霊科が認めた公的な助手なのだから、そこはきちんと面倒を見てやってくれ。それに君ならそういうのを怠らないだろうと信じて、スヴィンに許可を出したんだぞ?」

 

 あっちゃ~……。

 

「スヴィン君、ごめんなさい。行き違いがあります。授業がなくとも今月分から君には給料が出ます。ただ、時計塔と言うか降霊科からの振り込みは月末らしく……。この列車の事が終わって戻ったら、きちんとお支払いしますので、それまで待って下さい」

「ああ……そういう事だったんですね。わかりました。では、お持ちしています」

 

 私はもう一度スヴィン君に謝った。

 

「本当にごめんなさい。お詫びを兼ねて今度、夕食にご招待しますね。腕によりを掛けてご馳走しますから」

 

 そう言うと、セイバーがこう付け足した。

 

「エルが勘違いしていた事をそれで許してあげて欲しい。それにスヴィン、喜びなさい。彼女の手に掛かれば、どのような食材であろうと、どの王侯貴族も褒め称えるものとなる。かつてはあの征服王ですら褒め言葉以外出なかったのだから」

 

 これを聞いてエルメロイⅡ世先生がギョッとしていた。あのウェイバー君はエルとそういう仲らしいけれど。『エル』もとんでもない命令を残していくなぁ。個人の自由意志を無視って……。記憶の継承は私以上にしっかりあるようだけど、エルはナンバーズではない。『エル』のDNAは使われているけれど、彼女は純粋なホムンクルスだ(『エル』が最後に来た昨年末頃、アオレアールに教えられた)。

 日本の家電は使えないと言いつつ、私は倫敦へスライダック(変圧器)と炊飯器、そして丸と長方形の2種類のホットプレートを持ち込んでいた。面白い事に日本製ホットプレートは海外の使用も考慮されて、300V以下なら対応するタイプが結構出回っていたからだ。ドライヤーなどはそうでもないのに、食事に使うものなら労力を惜しまず本気で作ってくるところが日本だよね。だからスライダックは保険のようなもので、ホットプレートは結構出番が多かった。

 しまったなと考えているのは炊飯器だ。倫敦という故郷に帰ると意識が変わるのか、思ったよりセイバーがご飯を欲しがらないのだ。私と同じで20cmのストウブで炊ける範囲のご飯で満足できるらしい。今の彼女はご飯よりお肉や付け合せたっぷりというモードになっていた。それもマッシュポテトのパセリ散らしでなく、クシに切ったニンジンやジャガイモのバターソテーが今のお気に入りのようだった。

 

『ニンジンもそうですが、野菜全般、日本のものの方が美味に感じます』

 

 それはあるなぁ。それとセイバーは、基本何でも好き嫌いなく食べる人だけど、酸・苦・甘・辛・鹹(かん)の五味プラス旨味(西欧人にはわかりづらい魚介の旨味)と、下拵えの重要さがわかる人でもあった。それで五味は五行と対応しているので『水』である『鹹』は主に魚介類から来る塩味を指し、『火』にあたる『苦』が対応する事になっている。きちんと書くと酸(木)・苦(火)・甘(土)・辛(金)・鹹(水)だ。そしてその『苦』の食べ物とは、モツ(内蔵)、セロリ、ゴーヤ、キュウリ、パセリ、フキ、銀杏、納豆、緑茶、珈琲、ビールなどなどだ。エールなんかもここに入ると思う。

 つまりセイバー自身は肉よりも魚介の方が潜在的に好みらしく、五法(切る・煮る・焼く・蒸す・揚げる)の中でも焼き物が好きで、中でも鉄板焼のような皆んなでガヤガヤとつつく料理が好きなようだった。だから故国の料理は雑で不味かったと言いつつも、鍋料理の思い出は結構語ってくれる。なおこの鍋料理は現代のそれでなく、該当する言葉がないのでそう私が充てているだけで、兜や鎧の胸当てなどで焼いたり煮炊きした料理の事だ。直接火で炙るのでなく、胸当てだけど鉄板を1枚カマした方が思い出深い味だったという。

 こちらの士郎クンはマイ中華鍋を持つような人だからヤキソバマンになり、鉄板焼が上手だった。そこに運命みたいな関連性を感じるが、聖剣の鞘を持たない彼の起源はおそらく『剣』でなく『火』のままだ。そして凛とセイバーの相性が良いのも、両者とも『火』の人だからだろう。

 

 ところでフライパンの元祖はただの鉄板だと知っているだろうか? 昔は鉄で細かな網やグリル用の目の大きな網を作るのが難しかった。そこもあるが、そもそも肉汁(旨味)をわざわざ下に零そうなんて誰も考えなかった。なので鉄板から肉汁(旨味)が溢れるのを避けるために、縁に返しが付けられるようになった。それが丸くなり柄が着いて今のフライパンになった訳だ。

 けれどそれらはお肉を焼くためだけのものだから、蓄熱性の高さを求めて厚さが4mmはあり、重かったので煽ったり振ったりといった技法はなかった。だからタークなんて昔ながらのフライパンはやたら重いが、『焼く』という調理法においては鉄板並みに完璧であった(そもそもフライパンが簡易鉄板であるから、振ったり煽ったりという発想がなかった)。

 対して士郎クンが手に入れた中華鍋は厚さが基本1.2mmだ。中には蓄熱性を考慮した1.6mmタイプや軽さを求めた1.0mmなんて製品もあるけれど、基本は『焼く』事でなく『炒め』たり『揚げ』たり、『合わせ』たりするものだ。だから『煽り』や『振る』という技法が当然セットだった。そもそも蓄熱性をそこまで考慮していない。コークスで『強』の上の『強』で鍋に火を当てて使うものだから、中火や弱火、とろ火なんて余り考えられていない。けれど料理の出来は『火加減』で大きく左右されるものだ。

 だからマルチな料理に対応しようとする中華鍋は、コークス(中華専用コンロ)とセットなのだ。ある程度テクニックを持ち、具材を選ぶ知識があれば、パラパラ炒飯は作れるものだ。けれどそれには最低、鉄のフライパンが必要だし、強火寄りの中火と中火寄りの強火を使い分けるテクも必要だ。つまりIHよりもガスコンロの方が作りやすいという事だ。

 けれどそれは諸刃の剣で、通常の料理は和食であろうと洋食であろうと強火なんて滅多に使わない。ほとんどが中火以下で、弱火からとろ火が多いだろう。だから中華ばかり作ったり、家族が望むからと野菜炒めなどを作る機会が多い人は火加減の基準が甘くなる。そうして中火以下で使えと指定されているテフロン加工フライパンの寿命を縮めたり、多層鋼のステンレス・フライパンで目玉焼きすら焼けないという悲惨な目に遭うのだ。

 だからこう考えよう。フライパンは鉄板の簡易進化型で鉄製以外あり得ないと。それ以外の材質のフライパンは妙に背の低いお鍋だと考えるのだ。そもそもフライパンのフライは『揚げる』という意味でなく『焼く』という意味だ。シュニッツェルのような揚げ焼きが限界で、波々と油を入れる天ぷらやフライ料理は飛び跳ねも嫌だし、そもそも火災の元だ。そちらは深さのあるお鍋が良い(お薦めはストウブや南部鉄器のような鋳鉄のお鍋)。

 また、鉄のフライパンを買いたくとも、まだまだ使えるからとか、諸々の事情でテフロンのフライパンしか使えないとかなら、テフロンが長持ちして剥がれ難い料理を作ろう。お肉は仕方ないけれど、お魚は下拵えをしっかりやって、毎回クッキングシートや魚焼きホイルを使うのだ。何よりサバの味噌煮はテフロンが一番作りやすい(次がステンレス)。こうしてガスコンロのグリル部分を魚料理で使わないようにすると、そこで別の料理が作れる(グリルパンとか便利なものが出ている)。すると匂いも油ハネもかなり少なくなり、グリル掃除や換気扇掃除が少し楽になる。

 鉄は認めるけれど、炒めものは中華鍋が良いなって考える人も居るだろう。けれど底が丸いからIHが使えないし、丸いからこそ意味のない無駄な煽りで具材を飛ばしちゃう。そもそもプロが使う中華鍋は39cmから上が多いだろう。そのくらいのサイズなら具が飛び出るのもかなり減らせると思う。大体煽ったり振ったりするのは調味料や具材を混ぜる意味と、鍋の中の具の温度管理の意味もある。要は具材の上と下を入れ替えているのであって、そんなにしょっちゅう煽ったりしないものなのだ。炒飯なんてご飯がほぐれた後は、お玉の裏でヘリに押し当てている場合が多いだろう。この時にお鍋を手前に引くように傾け、火が奥の方に当たるようにしてそこをお玉で押すのだ。実はこの『押す』という方法がパラパラ炒飯のコツだったりする(奥に傾けるのは持ち手が熱くならないようにするため)。

 また中華鍋も鉄板だと考えれば、大きい方が蓄熱性が高いし、壁がせり上がったタイプの方が具材に熱が伝わりやすい。つまり炒飯は深目な北京鍋、中華丼や焼きそばのようなあんかけ料理は浅い広東鍋が向いているという事だ。そもそも日本の街中華は広東料理にルーツがある場合がほとんどだ。けれど家庭用に向くと紹介される中華鍋は木柄付きの北京鍋が多い。つまり炒飯以外に余り向かないお鍋なのだ。それに柄が熱くない=お鍋の温度管理を肌で感じられないという事ですよ? アオレアールに聞けば、『布巾で巻けば火傷しない』とバシッと言われますからね?

 それとアオレアールは炒飯用のタマゴを溶かない人だった。ボウルにタマゴを割って、カラザを取り除き、それをいきなり油通しが終わって温まったお鍋に投入し、次に入れるご飯の重みで黄身を潰すのだという。そこに隙かさず叉焼と調味料を入れてかき混ぜ(お鍋を煽るのは数回)、傾けてお玉でご飯粒が潰れない程度の力加減でを火の強いヘリにお玉の裏で押し付け、全体に満遍なく火を通す。その後仕げの1分くらい前に刻みネギを入れて完成だ。

 ちなみにこの押し付け技法を使いつつ、ご飯がほぐれるように掻き回すと、中火以下で問題がなく、テフロン加工のフライパンでも炒飯が作れるそうだ。また彼女がタマゴを溶かない理由は白身や黄身の色合いがカラフルになるからと、食感の違いを楽しんで貰うため(中華料理のレシピのほとんどが、この『固い→普通→柔らかい』という食感の違いが一つのお皿で楽しめるようになっているそうだ)、そして完成の時期をタマゴの固まり具合で見ているからなのだとか(タマゴで火加減を見るのは基本中の基本で、これができるとタマゴ焼きを作る際にかなりゆとりが生まれる。この時に銅や鉄でなくテフロンの卵焼き器を選ぶと、もっとゆとりが生まれる。油の投入までを中火で行い、煙が出る頃に弱火にし、最初のタマゴを垂らしたところでとろ火にすれば、僅か1個の卵で4~5回は巻けてしまう。またそういう中火以下でしか使わないテフロンは、寿命がよく言われる2~3年でなく、10年近く持つものだ)。ネギが最後なのも香りと色合いを保つためだそう。ただ火の通ったネギの香ばしさも捨て難く、むしろ中国人はそちらの方を好むので、香港ではネギをもっと早く入れるそうだ。

 炒飯は香港料理じゃないけど、料理人の考え方がわかって随分参考になった。ちなみに冬木に来て彼女が作ってくれた焼きそばは絶品だった。それで彼女は家庭で中華料理を作りたいなら、縁の高さが5cmを超え7cmはありそうな、炒めもの用(ウィックパン)の鉄フライパンを選ぶべきだと教えてくれた。それもできれば厚さが0.7~1.0mmのものだと(そんな厚みのないお鍋は現実にはまず存在しないらしい。けれどそれくらい薄くないとコークスと同じ効果を家庭用コンロでは求められないという。この言葉も意味を考えると深いよねぇ)。

 

 この2005年当時は倫敦だったので知らなかったけれど、日本に帰ってしばらく経った2010年頃に出たと思わしき和平フレイズの黒皮鉄フライパン(23cmと26cm)は、縁の高さこそ低いけれど、せり上がりが急なので具材が飛び出難くく、思ったより軽いし安かった。なのでホームセンターで大小二つ同時に買った。蓋も両方のサイズで使える段差付きの安い汎用蓋を一緒に買った。

 元々私は、結婚後に伯母様がお使いのテフロン・フライパンを使っていたのだ。だけどそれが傷んで使えなくなったので新たに買おうとなった。けれど名門道場に嫁いで家計を預かる若奥さんの身としては、タークのクラシックは雲の彼方だし、プレスのタークでも高嶺の花だった。何よりそんな鉄のフライパンなんて伯母様に使えるのか? 最近出てきたセラミックの方が良いのか? という考えも頭の隅にあった。

 というのは年齢にあった。伯父様とお義父様は10歳ほど歳が離れているのだけど、伯母様とお義母様もそこまで行かずともそれなりに離れているからだ。確か伯母様が60代前半でお義母様が50代半ばだ。うちのお母様は……まぁ相変わらずで、私と同い年くらいにしか見えない(だから美夕ちゃんが産まれたのだろうけど。それと私はスイスに本当の両親が居る事になっている。この設定の良いところは士郎クンを疎かにしていない点だ。大抵の人が士郎クンを前妻の子、彼より年下の子を後妻の子と勝手に考えるからだ)。

 またお義母様が50代半ばなのは、末っ子のコーちゃんが高校生時代でも、弘一お義兄さんはとっくに社会人だったからだ。それにお義母様自身が剣道家だ。だから伯母様とお義母様のウマが合うのだとも言えた。なのでここは電話で事情を説明して、お義母様にも相談した。すると『義姉さんは経験豊富な方だから、鉄でも問題ないわ。けれど金銭的に余裕があるなら、義姉さんにセラミックのフライパンを贈ってあげて。きっと喜んで使って下さるわよ』との事だった。だから実際に買ったのは鉄のフライパン2個(ホームセンターで買った)と、セラミックのフライパン1個(新都の商店街で買った)だったのだ。

 内心ではチラッと中華鍋も浮かんだが、さすがにそれは明後日の方向に贅沢だった。それはともかく黒皮のフライパンは大正解だった。後年色んなタイプの鉄フライパンが同社からラインナップされたし、他社からも出ていたけれど、この黒皮ほど日本人向けなフライパンにはついぞお目に掛かっていない。ターク以外でここまで外はカリッとしながら中がふわふわなお好み焼きが焼けるなんて。

 

注)これも蓄熱性の問題。大きな鉄板で焼く焼きそばと、中華鍋で炒める焼きそばの食感が異なるのもこのせいだ。同じ鉄でもこうも違うのだから、アルミのテフロン・コートだとどこか生焼けっぽくなるのは当然だろう。お好み焼きが意外と家で美味しく焼けないのも同じ理由だけど、タークのクラシック(こちらは確実)と釜浅商店の両手フライパン(厚みからの想像。この釜浅商店のフライパンは制作が打ち出しの中華鍋で知られる山田工業所だ。また山田工業所からも1.2mm、1.6mm、2.3mm、3.2mmという厚みが4種もある片手フライパンが出ている。だけど厚いものは重いので、釜浅商店の両手フライパンがお薦め)は焼ける。あの側面と厚みから来る蓄熱性に答えがあり、まさに簡易鉄板の本領発揮だと私は考える。

 なお2010数年頃から流行り始めた100均のミニスキレットは小さすぎて料理に向かない。せめてニトリの小(15cm/6inch。大は19cm/8inch)くらいはないと家族個々のハンバーグも厳しい(試した)。シーズニングした小をオーブンで温め、ハンバーグと付け合せの野菜(ブロッコリーとニンジン、ポテト)は別のフライパンで作った。自分でバカではないかと思った。

 

 

 多分だけど、私はこの黒皮を死ぬまで使っているだろう。それは最初のシーズニングだけ(無理して空焼きする必要はない。油慣らし(アマニ油かひまわり油)とクズ野菜炒め程度で済む)きちんとして、後は温度を上げてから油を入れて料理をするという手順だけ毎回踏めば、3ヶ月で一々水分を飛ばして油を塗る必要もないフライパンに育つからだ。油通しもしていないよ、私は。

 それでも目玉焼きは焦げないし、くっつかないでフライパンの上を滑る。タマゴを投入後に蓋をして、1分ほどで火を止めてもいい感じに焼けている(多層鋼のステンレスならタマゴ投入後に蓋をして、いきなり火を止めても3~5分でできる。そこに準じる性能だ)。

 その後若夫婦用にと、伯父様達とお義父様方が、裏庭に離れを建ててくれた(お父さんもお金を出したっぽい)。それを機に新居のキッチンにジオプロダクトを買い揃えた。と言っても片手鍋1個、両手鍋3個(浅型・深型・普通)、ポトフ鍋1個(大)、パスタ鍋1個で、片手鍋以外は全部21~22cmだ。だけど道場主となったコーちゃんには中々理解してもらえず(初めての経営で、金銭面の遣り繰りで悩んでいた頃だ)、『たかだか料理になんでそんな高価な鍋が必要なんだ! お前、騙されてんのか!?』『騙されてない! 鋼が異なれば切れ味も違うってわかるでしょう?!』と口論になった。けれどこの時は伯母様とお義母様が味方になってくれ、事なきを得る事ができた。当時はまだエーデルフェルトの別宅に住んでいたエルマが、妹達と姉さんを引き連れ道場まで押し掛けて来たので大変だった(マルガリータさんは空気を読んでくれた)。ともかく、私がコーちゃんを病院送りにしないかと心配だったそうだけれど……。しませんって。あなたはねぇ……。そもそも口論なったのをどこで知ったの? アサシンに見張らせてるんだろうけど。けれどこの口論をお父さんに言わなかったところだけは褒めておいた。またこれが功を奏して、後の義姉達(弘一お義兄さんや弘二お義兄さんの奥さん)の援護にもなったようだ。

 男性ってホント、お料理を舐めてるよね。まぁ、三兄弟はあれ食べたいこれ食べたいと、あまり小煩い注文は言わないし、何を出しても美味しい美味しいと平らげてくれるのだから、こちらも不満なんてない。ただ、育ててくれたお義母様の苦労をイマイチわかっていないと言うか……。しかも、私がどうしても献立に迷う時に何が良いと聞くと、『あっさりしたもの』=カツのような揚げものでなく焼く程度のもの(肉野菜炒めなど)、『簡単なので良い』=鶏モモのソテーだとかカレーやハンバーグなどといった、いかにもな料理を『『簡単』を謎解釈して』言って来る場合もあった(男性あるあるだ)。

 一応私は立場上、専業主婦でパートタイマーだったから(結婚前の資産は秘密にしていた。だってロンドンに行っている間に、持っていた霊地と、投機で張っていた霊地の価格が瀑上がりしてしまって、『エル』から預かっていたお金の半分近く(約500億)を自分で稼いでしまったからだ。それを元手に結婚後も世界株式投資で少しずつ増やしていたので老後は安泰だった。そしてこういう『お金がある』という情報は、若い間は耳に入れない方が良いに決まっている。

 重要なのはお金があるからと安直な道を選ばす、モチベーションを維持しながらチャレンジを続ける精神性だからだ。それを伯父様夫妻は持っていたし、お義父様もお義母様もお持ちだった。道場はお義父様と伯父様兄弟のお父様(お祖父様)のお父様(ひいお祖父様)が、熊本から出て来て建てたものだ。そしてお祖父様を支えた奥様(お祖母様)が大阪のミナミにお店を構えていた料亭の娘さんだった。だから伯父様の家は九州の味付けと言いながらも、その実和食の王道を外さない見事な味付けも芯に残っていたのだ。この大姑様の味を伯母様が受け継ぎ、伯母様が年下の義妹(コーちゃんのお母さんの事)に伝授した。そういう歴史ある味に私は惚れたのだ。

 

 と同時にこの道場の母屋にある台所にも私は惚れた。衛宮の家(武家屋敷の事)よりも新しいが、そこは一部土間で、土で固めた竈が2箇所も残っていたのだ。その昔は門弟に食事を振る舞うために、その竈は6箇所も横に連なっていたという。その内4箇所を壊して囲炉裏部屋を延長するように床を付け、今の台所になったそうだ。この風変わりな痕跡はひいお祖父様の奥様だけでなく、夫を亡くされたひいお祖父様のお母様もこちらへ一緒に来ていたからだ(どうも熊本から出て来たのは、その亡くなられた方が元警官で、その方の伝手がこっち方面にもあったかららしい)。

 そんな理由と家族構成があったから、この家の台所に残っている道具がとんでもない事になっていた。まず土間の方は、竈と逆方向に作業台があり、そこに石造りの流しと蛇口が残っている(スイカを冷やしたり、今も使われている)。作業台にはまな板を置いたり、一口の点火装置がない(マッチで火を着ける)、ほぼ業務用のガスコンロが置かれていて、それは台所奥が囲炉裏部屋だった時代は5つもあったそうだ。そして作業台の下にお鍋とともに蒸籠(せいろ)や石臼、木製の脚などがあり、在りし日は門弟とお餅つきをしていたらしい。

 そんな具合でその時々で様相が変化し、道具も増えていった訳だから、本当に道具で溢れている。明治の頃の有次の行平鍋や包丁、熊本から持って来た包丁などが、今だにゴロゴロ残っているし、九州の焼き物が今だに幾つか残っている水屋(水屋箪笥とも。食器棚の事だ)の上には。シュウ酸アルマイトのお鍋と並んで、年季の入ったアルミの無水鍋が鎮座していた。伯母様のお姑様のらしい。

 また、この今はなき大姑様が料亭の娘さんなのはさっきも説明したが、この方が実にハイカラな人だったらしく、学生時代にヨーロッパに行ってかなり見聞を広めたそうだ。戦前だろうから1ドル360円以上だろうに。実家の料亭がかなり儲かっていたのかな? ともあれ何が言いたいのかというと、その無水鍋の横に『Cousances(クーザンス)』というブランドのフランス製鋳物ホーロー鍋があったのだ。

 このブランドが産声をあげたのは1553年で、場所は北フランスのロレーヌ地方だった。世界最古の鋳物製造メーカーだ。けれど1957年にル・クルーゼに買収されてしまった。でもクーザンスのブランドでル・クルーゼが作り続け、1980年代初頭までフランス国内では売られていたそうだ。つまり水屋の上のクーザンス・ココットは買収前のオリジナルだ。私の記憶には大婆がクーザンスを使っていた時期があった、或いは持っていたという情報はない。スイス時代の記憶を何度辿っても、ル・クルーゼが作ったものでない、クーザンスのオリジナルを私は見た憶えもない。

 なんと。この台所はパラダイスか! 私はお義母様だけでなく伯母様もお姑様だと考えている。だから亡き大姑様にも途端に親近感が湧いたものだ。

 

『大姑様がお亡くなりになられたのはいつ頃ですか?』

『弘三が中等部生の頃かしら?』

 

 ああ……スリップしてきた私が言ってはイケないのだけど、並行世界を引っ括めて考えれば、同じ空気を吸っていた頃があったのだ。直接逢ってお話を聞かせて欲しかったなぁ。

 そんな私の想いを察したのか、伯母様がこう言って下さった。

 

『エルヴァちゃん。あなたが嫌じゃなかったら、それ貰ってあげてくれる? 孫のお嫁さんが使ってくれると知ったら、きっとお義母さんも喜ぶわ』

 

 そうして私は紺色に近い深い青色のクーザンスを戴いた。娘にストウブは譲っても良いけれど、このクーザンスだけは譲れない。これは道場を継いでくれた人のお嫁さんに譲るものだ。私は強くそう考えたのだった。そんなだから、私はこの母屋の台所に立つと目を輝かせ、いつも何とも言えない気持ちになった。

 使えそうな良い包丁は全部研ぎ直したよ。壊れていた道具もできる限り直し、私で無理なら業者に修繕して貰った。それでもってお魚は捌けるし、煮物炊き物も好きだから、伯母様にも『亡くなったお義母さんと本当に気が合いそう』なんて言われて、今もずっと可愛がられている。

 また私は九州と言えば筑前は博多の一本包丁しか知らなかったけれど、このお台所で『川尻刃物』という割込包丁を初めて知った。熊本の伝統工芸品に指定されていて、博多の包丁と同じく割込と言っても型抜き(抜きもの)でなく、鍛接された(鍛造)のしっかりした包丁だという。伯母様の大姑様やその前のお姑様が残していったものだそうだけれど、私はその包丁に心を奪われた。新しい土地で道場を営むために、気持ちも新たに故郷の鍛冶屋さんに頼んで作ったものだろうとの事だった。解析を掛ければまさにその通りで、熊本を遠く離れたこの地で夫のために尽くす奥さんの心意気が見えた。

 伯父様もお義父様も奥様である伯母様やお義母様を本当に大切にする。男だらけの吉川家は、代々の女が紡ぎ、支えてきた家なのだ。私はそれを知り、益々この家の歴史と台所が好きになった。だからなのか、研ぎ直した鎌型でない船行みたいな菜切り包丁は、恐ろしいまでの切れ味を私に見せてくれた。野菜をしっかりと猫の手で押さえないと、指が飛んでいきそうな切れ味で、出刃でも何でもここのは全部船行みたいなカタチらしかった(鍛冶屋さんに拠っては四角い菜切りもあるらしい)。後で調べたらこの包丁の鍛冶屋さんはまだ残っていた。ただ、その菜切りは惜しい事に柄が腐ってボロボロだった。もう無理なのかと悲しかった。

 だから結婚後に伯母様やお義母様との女性3人で、熊本にあるご先祖様のお墓参りと、遠い親族への結婚のご報告を兼ねた旅行で熊本に行き、温泉などを堪能した後に新しいそれらの包丁を買い求めに走った。伯母様もお義母様もお料理好きだから、私の料理道具好きや包丁好きには理解を示してくれている。なのでその寄り道の提案に異を唱えられる事はなかった。お店は包丁以外の植木鋏や鋸(のこぎり)なんかも並ぶ昔ながらの鍛冶屋さんで、伯母様とお義母様は文化包丁(鎌型の菜切りにしか見えない)を求められ、私は出刃と柳刃、それと何本かの大きさが異なる文化包丁を買った。その時にダメ元で冬木から持って来た柄の腐った菜切りをお見せした。

 老人の鍛冶師が言った。『これは祖父さんの叩いたものだね。それをここまで研いで使って下さって……』と言われた。家は剣道場で、私の夫が跡継ぎで、こんな成り(ガイジンという意味)だけど、先代(伯母様の事)やお義母様に大姑様やそれ以前の方々の想いと味を守っていきたいと話せば、大いに感心して下さり、柄をその場で、しかも無料で直して下さった(その時も研ぎが上手いとか、巧いからタガネを打つ必要もない(包丁が歪んでいないという意味)と仰って戴いた。伯母様とお義母様が『自慢の嫁です』と、胸を張っていたのが擽(こそばゆ)くもあり面白かった)。

 こんな行っても1本1万数千円の包丁を(ほとんどの包丁の値札は7千円前後だった)、何十年も使うのだから鍛冶屋さんに儲けがあるのかどうかはわかってしまう。だから大変恐縮した。けれど磨り減って小さくなった菜切りは新たな柄を得て、果物ナイフとして今も元気だ(柄くらい自分でも付け替えられるが、デザインと木の色合いを揃えたかったのだ。ちなみに妊娠後、酸っぱいものが食べたいと言った私のためにコーちゃんがグレープフルーツを買ってきて切ってくれたのだけど、それがこの時の包丁で、後片付けをど忘れして錆びさせてしまった。私は『あ~あ』と内心思っただけで、研ぎ直せば良いやと考える程度だったけれど、伯母様は『エルヴァちゃんの心意気を蔑ろにするなんて』と、猛烈に怒ってらした。コーちゃんは後で伯父様にも叱られ、道場の隅でシュンとしていた)。

 そういう理由もあって、英霊の姉とアーチャーさんのためのお土産に、もう数本文化包丁を買った。お母様にエルマとトロンメル、おチビちゃん達に揃えなかったのは、何でも使えると言うには早いが、自分の好みがそろそろ出て来る腕前になっていたからだ。凛やルヴィアにしてもそうだ。おまけにあの2人はプラハを卒業後、海外暮らしを選んでいたのもあった。

 

 それと私が日本に戻ったのは22歳の秋で、その頃に弓道家になって海外に渡った(主にドイツとイタリアだった)薫と、学生時代お世話になったコーチからの推薦で、穂群原学園弓道部のコーチを引き継いでいた。その最大の理由は1にコーチがお歳を召され、コーチ職が辛くなったからと、その2におチビちゃん達3人が高等部に上がって来る年頃だったからだ。それでこのパートタイムの仕事を引き受けた。

 高1の秋(ほとんど夏)からはエルヴァちゃんが1年間の長期留学で穂群原に来てくれた。それであの子も部活に弓道を選んでくれた。みっちり教えたよ。私がコーちゃんの妻に正式になったのはその頃だ。帰国から1年が空いたのは、日本での生活ペースを取り戻す意味と、花嫁修業と後継ぎ修行の一環として伯父様達の家(母屋)でコーちゃんと同棲していたからだ。これは4年も空いたからお互いの気持ちを再度確認しろとの意向もあったと思う。ついでに若いのだしデキたらデキたで良いから、そろそろ結ばれろという意味もあったようだ。でも初夜まで私達は別の部屋でノータッチだったな。お互いそこは固いんだよねぇ。けれど正式な結婚式を遠坂神社で行い(神社での式は白いドレスのアップでなく、白打ち掛け(白無垢)の文金高島田だった。ホテルでのお披露目はドレス。人形なのか本物なのか、マアエモ・ママの横にお祖父様が普通に座っていたのには驚いた)、披露宴も終えて迎えた初夜は、えらく緊張してしまった。

 非処女とバレないかという緊張もあったけれど、やっとかというのもあってね。コーちゃんもずっと我慢していた訳だから、寝間着の前がとんでもない事になっていた。逆に私は披露宴の時にコソッとクロエちゃんから『不束者ですが……』と、三指着くアレをするんだよと囁かれ、それはそうだなといざやってみると、どうにもソレが演技っぽくて笑いそうになって布団の上で堪えていた。

 そこから彼は私の寝間着を脱がせ始めたのだけど、その間にビュッと少し漏らしていた。パンツに染みが出来たのを目視して気付いたのだけど、そこは敢えて言わなかった。そもそも私の裸はお初だったし、私が無毛なのは告白していたけれど、下着を下ろす時にかなり興奮したようだ。鼻血を吹かないかと心配なくらいだったから。

 その後、お互いが産まれたままの姿で抱きしめあえば(私はそれだけで満足だった)、私のお腹へ本格的にビュビュッだ。これってもしかして、私がコーちゃんを脱がせていれば、それだけでイってしまった可能性もある? それでもってこういう場合、女性から何を言えば良いのかな? けれど相当溜まっていたのか、彼のものは硬いままだった。だから指で少しアシストして、彼を迎えた。

 倫敦の夜以来だったから、少し痛かった。と、同時に私は涙が出た。やっと結ばれたと嬉しかったのだ。けれどその涙と、ほんの少しの布団の赤い染み(久々だったから? そういう事もあるらしい)で、彼には非処女だったとバレなかった。心底ホッとした。

 後でエルマからは口頭で、アメリカのエルヴァからはメールで、『前戯くらい、きちんとして貰え』と突っ込まれた。なんとあの血は小さな裂傷だったのだ。お互いに求めていたし、十分濡れていると思ったのに足りなかったらしい。性の営みは奥が深い……。まぁ、その後はかなり恥ずかしかったけれど、そういう内容もコーちゃんと話し合い、挿入前はお互いに愛撫し合うようになった。知識はあるのに実践が伴わない典型例だ。何よりお互いストイックなので、抱き合うだけで満足度が高いのも問題だった。だから恥を忍んでエルヴァには何度も何度もメールでレクチャーして貰った。

 そして私は、あの夫妻がとんでもないくらい好きモノなのがわかってしまった。けれどアメリカ人やヨーロッパ人と思えばそういうものかもと納得もできた(その頃は長男が居て、長女を身籠っていた頃か産まれたばかりの頃だ。その後彼女は次女も儲ける)。

 

 

 

 おチビちゃんにクロエちゃんに美遊ちゃんを引き連れ全国に行ったのは、あの子達が高2になった翌年の夏だった。エルヴァちゃんは他の弓道部員と一緒に試合に駆け付けていた。時折お父さんやお母様も、末っ子の美夕ちゃん(その頃4歳だ)と応援に来てくれていた。手応えもあって、毎日が充実していた。

 また、おチビちゃん達が高3になった春からは、エルマと桜ちゃんが教師として穂群原に帰って来た。エルマが英語教諭、桜ちゃんが国語で古典の担当だった。そして2人してご結婚と出産で忙しい藤村先生に代わって弓道部の顧問を引き継いでくれた。コーちゃんとのその口論は、だから私が25歳になり長女を身籠って少々不安定な頃(おチビちゃんが高3の頃)の話だ。日に日に大きくなるお腹を見ては、アメリカのエルヴァもそうだったのだと実感でき、それが初めての妊娠で不安になる心の支えとなった。先駆者が居るというのは本当に心強い。彼女は本当に強い。それを理解できて私は、両親や義両親、伯父様夫妻に妹達に姉と、どれだけの人が私を見守ってくれているかを実感した。お腹の重みも腰のダルさも、まさに幸せの証だった。

 そしてそういう気分的な変化はコーちゃんにしても同じで、大黒柱としての自覚ができ気負っていた事だろうし、立場が立場なだけに余計収支に目を光らせていた頃でもあった。だから私のお料理好きを知りつつも、離れのキッチンで増えていくお鍋に対して、ついつい口が出た。でもそれは本当に軽い口論だけでケンカには至っていない。そもそもお鍋くらい自分で買うよ。それに私はコーチで得られた収入を、再開した空手道場への謝礼金(3段になっても5千円。うちの道場は少し高いけれど、それでも社会人で7千円くらい)だけ残して、それ以外全額剣道場の売上に加えていたから誤解もすぐ解けた。何よりお料理とコーちゃんが大好きなのだから、言われれば何だって作るよ。それに大姑さんの教えを守っていつもお出汁を自分で作る伯母様や、それを見習っているお義母様の人柄が大好きだ(羅臼昆布と鰹節、鯖節から摂っている)。なのでもっともっとお二人からお料理や吉川家のしきたりを学びたい。それだからこそ、そこそこ道具には拘りたいんだよね。

 それから吉川三兄弟は、長男の弘一お義兄さんも、次男の弘二お義兄さんに三男のコーちゃんもそこそこ料理が作れる。腕前は所詮オトコ飯の範囲な筈だったのだけど、日本に帰ったらコーちゃんと弘二お義兄さんの腕がグッと上がっていて驚いた。私が戻ったからと、弘二お義兄さんとコーちゃんとでイトヨリとアサリのアクアパッツァを作ってくれたのだ。

 アクアパッツァはイタリア南部のシンプルな漁師メシだ。だからトマトをあまり使わず、メインのお魚から出る旨味を活かすため、白ワインとオリーブオイルだけでキメるのが王道だとされる。それだけにウロコ取りやエラ取り、内蔵処理といった下拵えが重要になる。それを二人はきちんとやっていた。このメニューを選んだのも、お義母様がまず作らない料理で、なおかつ私が好きそうだからだって。本当に嬉しかったし美味しかった。

 

 またこれは余談だけど、アルトリアは弓道部で汗を流す傍ら、高1から高3までの3年間、真面目に道場へ通っていた。コーちゃん曰く『とんでもなく強い』らしいけれど、後にアルトリアの従姉妹として紹介したセイバーには舌を巻くどころか絶句していた。試合後に残した言葉が『世界は広い』だった。だけどコーちゃんも私の居ない4年間に全国の個人で納得できる成績を残せたので、今は焦りもなにもない。むしろセイバーを知って、『ここまで行かないと全国一は難しい』と考え直したようだ(惜しくも社会人で2位が今までの最高成績だった)。

 アルトリアはエルマやトロンメル、桜ちゃん達と学園卒業後に当初の予定通り、1年間チューリッヒで過ごした。お祖父様のはからいで、エルやモードレッドと倫敦にも遊びに来てくれたので、セイバーも交えて皆んなでウェールズやコンウォルでキャンプしたりした。姉(英霊のイリヤ)も何度か来てくれた。2年目はカリフォルニアのエルヴァを頼ってハンティントンビーチでこれまた1年過ごし、その後に日本に戻った。それらで色んな事を体験したのだろう。日本に戻って再会したアルトリアはすっかり『お姉さん』になっていて、とてもしっかりしていた。

 だからセイバーがそう望んだのもあるけれど、アルトリアは再びセイバーとの共同生活を受け入れてくれ、ついでに悪霊3人娘も預かってくれた。ただし霊の『縛』を切ってくれたのは『エル』で、再び行き交う事ができるようになった後だった。

 その3人娘は日本に戻る頃は高校生くらいに成長していたので(どうなっているんだろうね?)、お父さんやお母様と相談の上、高校に通わせる事になった。ただ奇しくもおチビちゃん達と同じ学年だったので、敢えて別の高校に通わせた(当然私が授業料などを持っている)。するとセイバーに鍛えられた3人は、その高校を僅か2年で剣道強豪校に押し上げた。当然3人も、コーちゃんの弟子として道場に通っている。それが近い未来の話だった。

 

 

 

 結局私達はランベスから歩いてウエストミンスター橋を越え、ビッグ・ベン(時計塔)まで行った。そして建物に入った。すると中ではグレイがオルガマリーと従者の人を護るように待っていた。合流した私達は挨拶の後、先生の案内でくねくねと廊下を歩き、鍵が掛かった金属の扉の前まで行った。その鍵をガチャりと開けると目の前にもう一つ扉があった。

 

「これは……随分と」

 

 先生が新たな鍵を取り出して、二つ目の扉を開き、全員が通ると内側から二つの鍵を掛け直した。この厳重さは何だ? そこから奥に進むと階段があった。私達はその階段を見知らぬ地下へ向かって下った。

 

「こんなところに階段が?」

「驚くのはまだ早いぞ、ミス・アインツベルン」

 

 周囲を見渡せば先生とオルガマリーの顔は驚いていないので、知っている人は知っているのだろうか?

 

「アルビオンへの直通エレベーターがこの奥にあります」

 

 そうオルガマリーが教えてくれた。ああ、そういう事か。だけどどうしてアルビオンに?

 

「この先は一部のロードと理事しか知らない。どうも今回の、この魔眼蒐集列車のオークションにはアインツベルン理事が絡んでいるらしいぞ?」

「え? お祖父様が?」

 

 列車の支配人やその上の人達と何らかの交渉があったのかも。おそらく接点はマルガリータさんの姉妹だろう。私はそういう風に考えた。その奥に進むと確かにエレベーターが2基あった。かなり大きなエレベーターだ。先生がボタンを押すと左のエレベーターに電源が入ったので、私達はそれに乗り込んだ。そのカゴの余り安全性を考慮していない無造作な作りや、古めかしさから、採掘された呪体などを運ぶのにも使われている気がした。一部のロードしか知らないのはきな臭い感じがするけれど、組織だとそういう部分もあるだろうなと自分を納得させた。本当にカゴだから、手摺りから手を伸ばせば壁となる岩肌で腕がやられそうだ。私はバイオ4のある場面を思い出していた。

 

「先生。下に行ったらそこは村で、チェーンソーを持った包帯女が待っていたり? はたまたそのまんまでU-3みたいなのが待っていたり?」

「一体、何の話だ?」

 

 うっわ。ゲーム好きだと聞いていたのに裏切ったな。

 

「先生、新作のバイオハザードじゃ?」

 

 スヴィン君が助け舟を出してくれた。

 

「ああ、アレか。魔術師なのにああいうのが好きなのか?」

「アインツベルンなだけに、人造生命体には」

「なるほど」

 

 なのにキメラ(動物科)とは揉めるのか? という顔だった。だから言ってやった。

 

「集(たか)って来るハエは私の責任ではありません」

「……」

 

 無視すんなや、コノヤロー!

 けれど先生の気持ちもわかる。現代魔術科にそういう因縁事を持ち込んでくれるなという話だろう。何より先生は私の後ろに『ロードの1人や2人なら消しても問題ない』『何なら英国そのものを壊す』と言い切る『エル』がいる事を知っている。先生も先生の征服王から薫陶を受けただろうが、度胸だけはどうしようもなかったか。

 

 やがて私達を載せたエレベーターが停まった。腰までの高さの格子の扉を開くと、何故か燦々と太陽が輝く青空の下で、目の前には倫敦の玄関、パディントン駅が聳(そび)え建っていた。




フライパンの補足『道具に対する考え方』。

この補足は鉄のフライパンにご興味ある方に贈ります。

まずフライパンの素材には、鉄、アルミ、アルミにテフロンやフッ素コートなどの加工を施したもの、ステンレス、チタンなどがあります。なので何が自分に合うのか、何が自分の家の定番料理に合うのかを知っていないと迷う事となります。
そこでシーズニングや油慣らしなどは脇に置いて、ざっと筆者の知る範囲で、その製法から来るメリット、デメリット、その素材から来る違いなどを挙げつつご説明します。

鉄……
鉄は大昔からある素材で、網ができるまで、お肉を焼くという調理法に大きな足跡を残した道具です。その製法は大きく4つに分けられ、鍛造、打出し(叩き出し整形)、鋳物、プレスとなります。

鍛造は日本刀と同じく叩いては冷やし、カタチを整えつつ不純物を取り除いたものです。より強固に、より強靭になりますが手間が掛かるので、自ずとお値段は高目です。メーカーとしてはドイツの『turk(ターク)』。あそこのクラシックがそれです(正規に輸入開始された2005年頃にはなかったローストはプレス製法による簡易版で、柄は溶接です)。クラシックは一つ持っているとかなりのステータスになり、それが愛着にも繋がります。ですからその心の持ちようと、そこに応える強靭性がありますから一生同じものを使い続けて、子や孫に譲る事も可能です。

打出しは山田工業所の中華鍋やフライパンに代表される、機械式のハンマーで叩いて整形するものです。鍛造と違うのは真っ赤な鉄塊から叩いて造るのでなく、厚さ何mmと指定した鉄板を仕入れ、それを熱さずに整形するところです。ですので冷やす事もありません。ただアルミの行平鍋のように、何度も叩くので十分に強靭になっています。価格は思った以上に安いですが、これも一生ものに十分なります。

鋳物は溶かした鉄を型に流し込んで造るものです。南部鉄器やロッジのダッチオーブンなどが有名です。もっと薄い鋳物をホーローびきすれば、ル・クルーゼやストウブなどのホーロー鍋となります。製造に手間が掛かる分、お値段高めですが、こちらも見てくれを気にしなければ30年50年と使えます。ただしホーローもある種のコーティングなので、剥がれたり欠けたりします。このホーローを引き直せる業者があるなら、もっと使える事でしょう。
鋳物のフライパンはまず見ませんが、有名なのは錦見鋳造の『魔法のフライパン』でしょうか。2012~2013年頃までは翌々日に届くマイナー商品でした。それが2014~2015年頃にメディアで取り上げられ、ネットの口コミで広がり、現在定価で買おうと思えば3~4年待ちだそうです。Amazonなら翌日配送がありますが、あれって定価の2倍強です。鋳物のフライパン自体は、重いですが南部鉄器にもありますし、グリルやスキレットといったもっと重いタイプでも良ければ、南部鉄器にもロッジにもあります。本来の定価で買えないなら、私は迷わず『turk』を選びますね。
ただ蓄熱性や油との馴染みを考慮すると鋳物は優れた製法です。ですのでお肉をよく食べる人は、深さのあるスキレットを一つ持っていても損はないと思います。ただし同じ鋳物の重い蓋は必ずセットで手に入れましょう。それでしか出来ない料理がありますので。

そしてこの世に出回っている鉄のフライパンはまずプレスと考えて間違いありません。自分で錆止め剤を焼き切って、シーズニングしないと使えないプロ仕様として話題になったリバーライトの製品もプレスですし、プロの厨房設備を扱う業者がカタログに載せるフライパンもほぼこのプレス製法です。柄はリベットなどで取り付けられています。ですがデザイン性が高い家庭用のリバーライトや『turk』のロースト・パン(今はプレス・パンと明確に謳っていますね)はともかく、プロのあの味気も素っ気ないフライパンは価格がべらぼうに安く、お肉用やタマゴ用と使い分けたり、サイズ違いを揃える事も苦ではありません。この手の業務用としては海外ですとフランスの『deBUYER(デバイヤー)』が有名です。日本なら遠藤商事の『TKG』(ここのブランドであるTKGは、卵かけご飯の略でなく、『Total Kitchen Goods』の頭文字です)や『SA』の黒皮、中尾アルミの『King』、江部松商事の『EBM』、島本製作所の『エスエス』『味一鉄(プロ仕様に準じた家庭向けかな?)』などが有名ですね。
また、いかにもフライパンといったあのカタチを、正しくは『Omelette Pan』と言います。もしかしたら1830年代からある『deBUYER』が、最初にそう名付けた可能性もありますが、ハッキリはわかりません(あのメーカーでは柄が少し上に行ってから、手前に伸びてくる定番のカタチを『Mineral B』と言います)。この『deBUYER Mineral B』は現地ですと業務用なのでかなり安いです。なのであちらの家庭には大抵一つは『Mineral B』があります。またフランス住まいやイギリス住まいの料理好きな日本人主婦も良く選んでいますね)。

何を選ぶかはあなた次第ですが、鉄のフライパンにシーズニングや油の塗布といったお手入れは避けて通れません。またこれらの方法もどこか人によって異なる部分があって、『あれっ?』となると思います。ですが基本の部分は変わらないと思います。ただ肉食の国の人達が作ったもの、鉄板の延長である事、毎日使う料理人に好まれている点は念頭に置いて下さい。
プロ同士でもシーズニング方法が異なるのは、どちらが正しいとか間違っているとかでなく、そう学んできた、先輩から伝わったという違いでしかありません。私達一般人が知っておくべき事は、毎日フライパン料理をしない人には油ポッドは負担である、洗剤を使わずササラや亀の子タワシで汚れをお湯や水だけで流すのは抵抗のある人が居るという点です。検索しますと『G』がたからないか気になるという書き込みがありますが、あれに対する返答はこれだけです。『家をきちんと掃除しろ』。集(たか)る心配の前に、集(たか)るほどあなたの家には居るのかとゾッとしますよ。
むしろ塗布した油が酸化するほど次の出番がない方が気になります。冷凍餃子を焼くとか、焼きそば(お薦めはソースでなくゴマ油と天然塩だけで仕上げる方法。くどくないし美味しいです)を焼くとか、魚を焼く(まさにソテー)のも良いですよ。小麦粉とパン粉をまぶしてムニエルや、アロゼしながらのポワレも家でするとオツなものです(家でのフランベはお薦めしません)。鉄であろうとホイル焼きも出来ますから、恐れず何でも作りましょう。
なお、鉄のフライパンは焦げようが錆びつかせようが柄が折れようが、工具や溶接機で再生可能です。修理後は1からシーズニングすれば良いだけです。

アルミ……
ほとんどがテフロンやフッ素コート、セラミックコートされた加工品だと思います。純アルミ製はパスタとソースを絡める以外に使い途があるのかな? ですのでコート加工品を語ります。
まず、このコートが思った以上に熱に弱いです。剥げて使えなくなるのは強火でコートがヤラれたり、焦げを金タワシで擦ったり、金属の返しを使ったりするからです。弱火でしか使わないテフロンコートの卵焼き器を、筆者は20年以上使っていますが、タマゴを木製の菜箸で巻くのでどこも傷つかず、予備のリバーライトが棚で泣いています。
ですが現実的には、卵焼き器だから可能な奇跡的長寿なのであって、普通にフライパンとして使えば、保って3年、短ければ数ヶ月でしょう。使う料理を限定できるだけのフライパンを数多く持っているなら、5年は保たせる自信はあります。ですがそれこそメインの鉄フライパンの出番が減ります。何より個人的な感覚として妙なデザインのフライパンが多くて、テフロン物に物欲が湧きません。
最大の欠点はテフロンが剥げる事でなく、持つ喜びが少ないところと、焼き目がスマート過ぎるところでしょうか。この焼き目。メイラード反応が最大に起きていて香ばしい部分なのですが、フランス料理ではこの『焦げではない焼き目』にお肉のミディアムやレアのように何段階もあります。つまりそれだけ拘っているのです。私も鮭の切り身は皮がところどころ茶色く、場合によっては黒く焦げ、だけど身は固くならずしっとりふっくらした焼き加減が大好きです。バカなコダワリだと自分でも思いますが、料理の面白さはそこですからね。ですので馴染みのフレンチの、シェフの自慢の焼き目、お薦めの焼き目は一度は味わってみるべきかと思います。

ステンレス……
単層はまずないと思います。底だけ3層や全面3層がほとんどかな。デメリットは鉄以上に儀式や決まり事の厳守が必要な点です。予熱が必要なところはステンレスの鍋や鉄のフライパンと同じなのですが、この予熱時間が鉄と違って、こちらの気持ちよりもかなり長いです。つまり調理のGOサインが出るまでが長い。余熱で調理できるくらいですから、蓄熱性は高いです。ですので鉄のフライパンと変わりない料理が可能です。ですがその蓄熱性の高さが、冷め難い、温まり難いというクセとなっていて、最初に書いたようにそのクセをを克服するための種々の儀式(手順)が必須となります。

そのクセとは面でなく点で焦げる事です。要は油がステンレスの表面にいい塩梅の薄く広い油膜を張ってくれない。それがステンレスという材質の最大の欠点かも知れません。アルミやチタンの熱が集中した温度ムラから来る焦げとも違っていて、ステンレスならではというか、まるでエンジン内部にあるメタルの焼付きみたいな感じです。ですのでいくら予熱してあっても、ひき肉やコマ肉はくっつきやすいです。
勿論避ける方法もあります。その方法は予熱の終わったところで油を投入し、熱源から降ろしてテイッシュなどで底面だけでなく側面にも塗って、冷めるまで待ってから再度熱を与え少なめの油を入れて調理を開始するというものです。つまり最初に塗り込んだ油がコーティングになり、再加熱からの材料がくっつかないという原理です。ただし料理のたびに毎回『予熱→油塗り→自然冷却→再予熱』というわけのわからない事をしなければなりません。煮込みハンバーグはオシャレさを求めたのでなく、ステンレスのフライパンにくっつけないために考え出された調理法なのではないか? そんな気がします。ですがそれくらいひき肉とコマ肉は鬼門です(そもそもハンバーグという料理が日本のもので、海外にはありません。またコマ肉という薄切り肉は、お肉が高くて手が出しづらかったアジア独自の販売形態で、これまた海外にはありません。お好み焼き用の薄切り豚バラもしゃぶしゃぶ用の薄切り牛ロースもありません。あのスライサーが日本独自のものらしいです)。
また、私としてはステンレス・フライパンのマージンのなさが気になります。それは予熱時間とは真逆に、焦げるまでがエラく早いところです。これも再三言うように蓄熱性が高いからで、所要があって火を止めても、その余熱で焦げる場合があります。普段からキッチンタイマーを数個併用し、調味料を小さじなら小さじできっかり計るマメな性格の人には向いていると思います。ですので料理番組向けとも言えますね。また銀色に輝くお鍋は確実に『映え(バエ)』ますから、Youtuberやインスタグラムに投稿する人にも向いていると思います。裏返せば生活感のあるキッチンだと残念な事になります。そこもあって筆者は把手や摘みの黒いステンレス鍋があまり好きではありません。
ただ煮物や煮込みには向いていますのでカレーも良いと思います。それは洗いやすく染まらないからです。シュウ酸アルマイトもホーローも染まります。内部がテフロン加工のお鍋ですとカレーのこびり付きを取る際に、テフロンを傷める場合があります。それがステンレス鍋ですと金タワシで遠慮なくゴシゴシといけます。家もキッチンも、いつもピカピカでありたい人にもステンレスは向くでしょう。
なお、インドやパキスタンでは丸く少し反った、縁のない鉄板でカレーを作ったりしますが、ステンレスのフライパンでもああいう最小のスパイスから作るカレーが調理できます。理想(というか出来上がりの味)は鉄のフライパンですが、調理後にシーズニングをやり直す羽目になりますから、インド風のカレーはステンレスで作りましょう。

チタン……
山岳家や登山家ならいざしらず、チタンは軽さ以外のメリットがありません。面でなく点で熱くなるところはステンレス以上ですから、家庭用調理器具にまったく向かないのです。そこをコーティングで使えるようにしようと工夫しているメーカーもありますが、価格が手を出し難くしていて、正直厳しいと考えます。


以上のような事から、恐れず一度は鉄のフライパンを試してみて下さい。肉料理が全然違いますから。筆者は最近増えたカーボンスチール製のフライパンが気になっています。カーボンスチールとはナイフや包丁といった刃物に見られる炭素鋼の事です。当然ながらただの鉄より固く軽いです。ロッジのシーズンスチールスキレットが良いなと思っていますがどうでしょう?
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