「ミスター・ジャンマリオ?」
「ミスターはいいよ、レディ。ジャンマリオも言い難かったら、ジャンでもマリオでも良いからね」
笑顔を絶やさず、私にそう告げるジャンマリオ。本当に陽気で気さくな人だ。ただ、アゴヒゲはもう少し刈り込んでもいいと思った。
「では、ジャンマリオ。エルメロイⅡ世先生とは長いのですか?」
「いや、同じ時計塔出身とは言ってもロードとは世代が違っていてね。私にロードを紹介してくれたのは……降霊科出身の友人でカイリ・シシゴウと言うんだ。知っているかな?」
思わず目を大きくしてジャンマリオとエルメロイⅡ世先生を見た私だ。先生は気付いている様子だけれど、敢えて何も言わないでいてくれた。私もある程度読んでいた。どうしてジャンマリオが先生の部屋に居たのか、どうして先生が私を呼びだして、こうして彼のような有名人と会う機会を与えて下さったのかを。ズバリ、これはジャンマリオからのリクエストだ。
まず前提として、私はこちらの獅子劫界離さんとは間接的な接点はあれど、まだ会っていないのだ。獅子劫さんと直接会っているのは、スイスのエルヴァちゃんであり、カリフォルニアの『エルヴァ』だ。そして獅子劫さんの抱える悩みを解決したのも、エルヴァちゃんに獅子劫さんとの縁を大切にしろとアドヴァイスを贈ったのも、ここには居ない『エル』だった。
そして『エル』にとっては、桜ちゃんの問題を解決するよりも、獅子劫さんの問題やフィオレさんの問題を解決する方が簡単だった。その理由はどちらも刻印に関わるものだったからだ。フィオレさんの問題は脚にある刻印と魔術回路のバッティングだった。獅子劫さんの場合は刻印に込められた『呪い』だった。なら前の刻印の持つ『性能』は維持しつつ、『呪い』だけを断ち切るべく作り直せば良いだけだったのだ。フィオレさんの脚の刻印にしてもそうだ。バッテイングする部分を解析し、そこの術式を換えれば良いだけだった。ただ、こちらは魔術回路の調整もあったので少々遅くなったらしい。
そんなこちらの事情はともあれ、獅子劫さんは『エル』と『エルの分身』とも言える私や『エルヴァ』に、過分な感謝の念を懐いているらしかった。その気持ちを長年の友人であるジャンマリオさんに話したらしい。そこで思うところがあったのか、ジャンマリオさんは私と接点を持とうと考えるに至ったようだった。
「私の何を?」
「論文だよ。レディが時計塔に提出した。それをロード・バリュエレータを通して読ませて貰ってね。あれが私の天啓だったんだ」
この人……? 創造科の出身なの? そこはわからないけれど、ライネスからバリュエレータに渡ったであろう論文を、一読できる機会を与えられる程度には関係性が深いらしい。そしてあれを『天啓』とまで形容するとなると、それなりに以前は迷いがあったみたいだ。
論文の提出者は『エル』だけれど、並行世界の事や凜に『エル』の存在は、箝口令が敷かれロード・クラスでも一部の人しか知らない事だ。それもあってエルメロイⅡ世先生も、獅子劫さんの誤解……私と『エルヴァ』の混同を訂正しなかったのだと思われる。となると『エル』の存在や、ルーマニアやイルクーツクでの事を知らないジャンマリオにしてみたら、3人を同一人物と受け止めてしまうのも無理はない。
では、この出会いの機会は、何を考えての事かとなる。論文から『天啓』を得て、この人は考え方が変わったのだと思う。そして当面の悩みなり迷いなりが消え去ったのだろう。となると欲しいのはその先の事だ。
「ジャンマリオ、何に迷っていたか話して頂けますか? それを聞けば、答えが出るかも知れません」
「わかった」
そう言って、ジャンマリオは自身の中にあった迷いを教えてくれた。この時、先生が少しだけ嫌な顔をした。一通りお話を聞かせて戴いた私は、日本語で呟いた。
『箱庭病だ』
ジャンマリオが以前懐いていた願いとは、名を残せるほどの魔術師として成功したいというものだった。冠番組を持ち、これ程の知名度があり、おそらくはかなりの収入を得ているのにだ。勿論、ある道でどれだけ成功しようが、本人が別の道に価値を見出しているならそれはそれで仕方ない部分もある。
けれど彼の姓は『スピネッラ』。申し訳ないが、魔術で何十代も続く家ではないだろう。なら魔術は趣味程度に留め、今の職を活かす方向で人生設計する方が正しい。それくらい魔術はお金にならない。本当にお金持ちの道楽でしかないのだ。魔術で食べていける人なんてごく僅かだし、魔術協会の持つ学校(時計塔のようなものが数ヶ所あり、時計塔の次にプラハが有名)の教授や講師にでも採用されない限り収入なんて絶対に安定しない。
私としては今の料理番組を続けながら、レシピ本などを出して、霊地の株を買ったりする方が良いと思う。でも彼は名を残したい訳だ。魔術師なんてニッチな世界で名を残したい……。これを箱庭病と言わずして何と言う?
『もう十分、背の高さはあるでしょうに』
お。エルメロイⅡ世先生が睨んで来た。今度はドイツ語で呟いたからバレたか。まぁ良いや。それよりも大海に漕ぎ出すチカラがあり、タレントとしてメジャーデビューしているのに、超マイナーな魔術師の世界で名を残したいなんて。こういう奇妙な考えに取り憑かれる傾向は、時計塔出身の人にやたら多い気がする。研究者気質が強い分、我も強い傾向にあるけれど、話してみると根が素直で意外なまでに真面目なのだ。先代エルメロイ然り、今代の先生然りで、きっと教える側がそうだから学生もそういう風に染まるのだろうか。それとも『類友』なのか。ま、両方だろうね。
それで行き詰まった感のある自分の魔術に、新しい風を吹き込もうと魔眼を欲していた時期があったと。これは私の持論だけど、5年10年と時間を費やしたものは、その時間を正しく『重ねて』いたなら、20年30年と経っても枯れる事はない。けれど安直に得られたものは、枯れたり消え去るのも早いと思うのだ。
だけど彼は、この出発延期期間中に『エル』の論文に出会ってしまった訳だ。確かにあの論文の内容は魔眼とは異なるアプローチで、新たな能力を得る方法だ。しかも『リスクは少ないのに、大なり小なり効果は確実に望める方法』だからね。ジャンマリオが飛び付いたのは無理もないと思う。
「お話、ありがとうございます。理解しました。ジャンマリオ、できるできないは別としてあなたは、その論文の先にある道を知りたいのですね?」
「そうなんだ。何かあるだろうか?」
「あります。それもあなたにうってつけのものが」
ジャンマリオの表情に喜色が現れ、エルメロイⅡ世先生の顔に驚きが張り付く。
「そんな簡単に……あるのか?」
「ええ、ありますよ先生。ロード・バリュエレータのところのイゼルマでしたっけ? 究極の『美』を一つでなく二つ以上再現できたのなら、それはアカシックレコードに刻まれた『美』を書き換え、越えた事になる。つまり『根源』の一端を手中にしたも同然……ですよね?」
一つなら偶然やまぐれもある。けれど二つ以上用意(再現)でき、それがイゼルマ以外に不可能な事なら、それは『根源』に限りなく近い創作物と言って差し支えないだろう。スヴィン君が先生をチラッと見た。あの騒動に私は関わっていないけれど、それなりに苦労があったみたいだ。多分、あっちの世界でも『エル』は関わっていないと思う。関わったのはアドラの事件だけだろうから。
「ジャンマリオ。その『根源』へのアプローチ方法が正しいとされるなら、『美』は視覚以外から得てはダメなのですか?」
「な、何……?」
「人に拠っては視覚情報より聴覚情報の方が、より芸術性を高く感じる人も居る事でしょう。また『錬金術は台所から産まれた』とも言います。私どもアインツベルンはその錬金術の家です。何より私は『人の心を救う』という意味では、絵画や塑像より、料理の方が……美味な食事の方が上だと信じています。そして宇宙の意思は常に新たな生命を産み、育む方向で流れています。つまり産まれてきたものを、より生かし多種多様に増やす方向へ動いています。また、それらの生命は生きるために必ず外部からエネルギーを補給しなければなりません。人も動物も食べなければならないわけです。食べる事で明日への活力を得ているのですね。つまり絵画や塑像より、万物の生命や根本に近い。ジャンマリオ、繋がっていますよ。あなたは間違っていません。今まで見えていなかっただけです」
「おお! おおぉぉ……」
彼が落ち着いた後、私は1ファンとして対ゾンビなのだからガン(銃)を『Wanted Dead or Alive(拳銃無宿)』のランダル・カスタム(ソードオフしたライフル。どことなくコンテンダーっぽい)みたいにした方が良いと思った事、そしてせっかくお鍋をクリステル(フランスの十得鍋)のグラフィット・シリーズ(創業時からある光沢のステンレス鍋。後に出たヘアライン(サテン)仕上げは、L(エル)シリーズという)で揃えているのだから、ガンベルトを腰に巻いて、そこにお鍋の把手(※)をズラッと差していた方がカッコイイと話した。
※)カラフルなタイプや木目が活きたタイプなどがあり、素っ気ないステンレスに映える。そしてこの把手が鍋だけでなく、蓋にも使えるところがクリステルの凄いところだ。また把手はハンドルタイプとは別にグリップタイプもあって、グリップならお鍋の両側につけて、両手鍋として使える。本当にフランス人が作ったのかというくらい機能性に溢れたお鍋だ。ただし『底だけ三層』なので、宮崎製作所の『全面三層』に性能で劣る部分がある。けれど『これは鍋が違うな』と食べて分かる人は居ない。
「サッと抜いてカチャリとはめ込む……いいね、それ。ナイスアイデアだ」
番組の企画会議でクリステルを選んだのは映えるからだそう。それなら番組内でも積極的にアピールして、スポンサーになって貰えないかアプローチするべきだ。スタジオセットは横型のアイランド・キッチンで、その部分にシンクと作業台、ビルトインIHクッキングヒーターが備わっている。
それで背景には窓があり、その窓の左側には黒い鉄製のフライパンがザザ~ッとぶら下がっていた。重量のあるフライパンをぶら下げるのはかなり斬新だ。そしてそこにはガスのコンロがあって、焼き目が必要な肉料理に使われている。油ハネが気になるけれど、鉄のフライパンだから良いのか。
窓の右側にはトングやターナーといった小物がぶら下がっており、全体的に使い勝手の良さそうな良いキッチンだと思う。私がこの番組を気に入っている点は、こういう道具や小物のチョイスや配置にもセンスを感じるからだ。驚くなかれ包丁は全部海外向けのグローバル・プロ(※)で、ピーラーなどは貝印だったりする。これを集めて来るスタッフも凄い。
※)日本の吉田金属(新潟県燕市)から出ているハンドル一体型包丁の草分け。一体型の黎明期を支えた包丁は他に『藤次郎(新潟県燕三条)』や『グレステン(新潟県十日町)』などからも出ているが、2015年頃から一気に他のブランドも増えた。なお、この三社はジオ・プロダクトの宮崎製作所やヨシカワと同じく新潟県に会社や工場がある。やはりキャンプ用具のブランドもこの県に多い。知っている人は知っていると思うが、新潟県はお米以上に金属加工の故郷なのだ。
また、グローバル・プロはニコさんと同じものだが、私がエーデルフェルトで使っていたのはプロでなく普通のグローバルだった。そちらを選んだ理由は少し安かったからだ。それとグローバルはハマグリ刃がウリなのだけど、砥石で研ぐのがやたら難しい。研げない事もないのだけど、自分のなら研ぐというレベルだ(ハマグリ刃は仕上げ前から手首を返すので、砥石に変な癖が付く)。なので凛やルヴィアにはメーカーに送って研ぎ直してもらえと話してある。アーチャーさんに預けたら『私が研ごう』なんて言ってたが、解析したら『心が折れる』だろうなぁ。
それで倫敦に来てから幾つか包丁を揃えたのだけれど、内容は牛刀やパン切り包丁だ。パン切りとチーズスライサーはグローバルで、牛刀はミソノ(岐阜県関市)のモリブデンから選んだ。食生活が変わったなとつくづく思うが、これが倫敦で手に入る事にも驚いた。
この牛刀という包丁は別名シェフナイフとも言い、西欧での三徳包丁に当たる。なのでキッチンナイフと言うとこれを頭に思い浮かべる人がほとんどだ。けれど他の包丁を知らない訳ではなく、日本でも出刃や柳刃を持たない人が多いのと同じだ。
因みに骨スキが出刃で、筋引きが魚の場合のフィレナイフに相当する。少し違和感があるけれど、これは牛や豚と魚の構造が違うからだとしか言いようがない。そしてどちらもアバラの骨の処理をどうするかで形状が決まったのだとも言えるところが面白い。牛や豚のアバラは太く固い。だから、こそぎ落とせる骨スキが必要だった。けれど魚のアバラは細い上に取り除くのが難しい。なので身ごと切り離すのだけれど、できる限り身は残したい。そうして産まれた包丁が魚の形状に反るフィレナイフだった。
ところが西欧より圧倒的に魚を食べる日本にこういう反る包丁がない。何と日本人は包丁が反るようには作らず、手首を返して包丁の軌道の方を反らせたのだ。私は最初それを知らず、柳刃がそういう風に反るのだと勘違いして悪戦苦闘した。けれど手首を返すものだと知ると、その練習を何度もした。この魚のアバラ(ハラボネ/スダレボネ/ガンバラとも)は初めてなら三徳がやりやすいと思うが、慣れれば出刃でも柳刃でもできる。皮引き(魚の皮を剥く)は薄い包丁の方が楽なので、私は柳刃でする事が多い。
こんな具合で何を主体に食べているかで、包丁の形状が見事に変わって来るのは実に面白い。野菜や芋類の切り方にしてもそうだ。ラピュタのシータみたいに手の中で切って直接鍋の中に落とす方法(まな板を使わない、一種のそぎ切り)は、昔は野外料理が普通だった文化圏に残る方法で、インドから東(特に中華文明に影響を受けた国)は大抵まな板がある。これも魚と関係があるのだと思う。
それで私も、当然ながら『エル』もこれができる。それはマアエモ・ママやルオン・ママがそうしていたからだ。けれど、『エル』やイリヤがシロウさんから手取り足取り魚の捌き方を教わる中で、マアエモ・ママだけは本の写真を見ただけで捌き方を覚え、ルオン・ママもシロウさんのお手本を1回見ただけで覚えてしまった。苦玉も『こんな怪しげな色のもの、不審に考えない方がどうかしている』と、カンで潰さないようにしていたのだから驚きだ。あちらのお祖父様の最高傑作というこの2人は、その思考だけでなく、おそらく五感も第六感も尋常じゃない。『自然の触覚とはこの事か』とシロウさんを唸らせたのだから。
「でも、自宅ではもっぱら『Fissler(フィスラー)』の『Pro Collection(プロ・コレクション)』なんだよ。独り身なんでね、必要なものが少しあれば十分なんだ」
家ではクリステルを使わないというジャンマリオ。それをして意外と思うか、そういうものかと納得するかは受け手次第だけれど、キッチンの広さや使い勝手もあるのだと思う。幾らタレントとして稼いでいても、局から離れた場所には住めない。自宅は思ったよりも狭いのかも知れない。
なおフィスラーはドイツのメーカーで、圧力鍋でも有名だ。プロ・コレクションはそこの最上位シリーズで、お鍋の蓋を把手に引っ掛けておける。この方法が2種類ほどあって、調理中に置き場で困らないので料理に集中できるというメリットがあった。どれもお値段お高めだけれど、海外ではこれ以上のお鍋セットはアメリカの『Vita Craft(ビタクラフト)(※)』か、もしくは方向性を変えて、鋳物ホーロー鍋を使うしかないだろう(だから日本のジオ・プロダクトが異様にコスパが良いとなる)。
また、私が日本に帰った2010年頃から、『Snacky(スナッキー)』という中国生産の小型廉価シリーズが日本で出回るようになった。安かろう悪かろうとも言える部分はあるけれど、それは主にステンレスの使用量が少ないだけで、中火以下で使うというコツを知っていれば何ら問題ない。一人暮らしなら、初めてのステンレス多層鋼として良いかも知れない。
※)2006年以降、『Vita Craft』はビタクラフト・ジャパンが買い取り、生産はアメリカでも本社は日本だ。
なお、この2005年の夏にバカンスを利用してエルメロイⅡ世先生とジャンマリオは連れ立って日本を訪れた。それで何故かグレイもそこに着いて行く事になった。だからグレイの相手をしてやって欲しいと、頭を下げられ私も日本に帰る事になった。3人娘と留守はセイバーに頼んで出発したのだが、おチビちゃんもクロエちゃんも行き違いでカリフォルニアだったのはガッカリだった。だけどエルマとトロンメルが随分とお姉さんに成長していたので嬉しかった。
先生は冬木で恩人との懐かしい『最後の友好』を温められ、ジャンマリオは私の案内で河童橋や道具屋街を練り歩き、かなりの厨房道具や調理器具を買い込んでいた。そのためにコーちゃんとデート出来たのは10日ほどの滞在でたった2日だけだった。
また私はこの4年間の講師時代に5本の論文を上梓(じょうし)したのだが、最初の一本はジャンマリオを思って書き上げたものだ。タイトルは『料理と魔術』。これは後に本になって、時計塔やプラハの図書館にも置かれ、ルヴィアや凛は勿論、アインツベルン本家やエーデルフェルト本家、果てはフィオレさんまで買ってくれていた。
出版に当たって私なりに考えた魔術回路に良いレシピなんかも載せたので、業界でも珍しい超ニッチな部類の書籍となってしまった。けれど需要はあったようで、この話を持って来てくれた出版社の営業さんが言うには、その辺の魔導書よりも売れたらしい。それで出版から1年後に、口座に振り込まれた印税額を見て私はびっくりしたのだけれど、定価が定価なだけに中途半端な特許よりも得られる報酬は多かったようだ。それでエルメロイⅡ世先生が少々拗ねていたのは、また別の話だ。
やがて夕食の2時間前から、今回のオークションのカタログ配布と出品物の展示が行われる旨が天井のスピーカーから案内された。
「何が出るか、一応見ておこうかな?」
ジャンマリオは片目を瞑って私にそう言った。私も笑い返し、そこで『では後で』とジャンマリオとエルメロイⅡ世先生とに挨拶を交わして部屋を退室した。
通路に出た正にそのタイミングだ。この車両の反対側(先頭側からオルガマリー、私、エルメロイⅡ世先生の部屋の順)、オルガマリーの前に長身痩躯の英霊が立っていた。その面貌はこれまでに遭った事もないもので、アラブ系だった。勿論、エルマの『百貌』にあんな者は居ない。
「オルガマリー!」
私は転移しながら転身し、その英霊を斬ろうとした。すると目の前に見知った顔の『百貌』が4人現れ、私の干将をダークで弾いた。
「お前達!?」
「お待ち下さい。私どもはあなた様の妹御の手の者ではありません」
ん? エルマのアサシンじゃない? このタイミングでオルガマリーの部屋のドアが開いた。
「エルヴァ、早とちりです。控えなさい。『呪腕』、怪我は?」
「ギリギリでしたが、何とか無事です」
そう言った金髪の女声はアオレアールだった。私は彼女を視認してやっと状況が飲み込めた。この段で私はセイバーに『出るな』と念話を送った。
「魔神の腕とこれでオサラバかと覚悟しましたよ」
アオレアールにそう報告するアサシンに私は思いっ切り頭を下げた。アオレアールは『呪腕』とも契約していたのか……。
「時計塔に赴くあなたに『呪腕』の事まで知らせていませんでしたからね。まさか最後の最後で、オルガマリー達の警護を頼まれるとはこちらも想定外で……。それに今回はタイミングが悪かった。実はこれからあなたの部屋に行くところだったのです」
並行世界の『エル』から司令が来たのが、つい先日の事だったらしい。それよりもシャットアウトされている世界間でも、短文のメッセージなら送れるらしい。しかもかなり遅延して。その遅延があってアオレアール達が列車に乗り込んだのは、出発間際のギリギリだったらしい。香港から倫敦だったので、大変だったという。それはそうだろう。
通路での立ち話もなんだから、私はアオレアールと『呪腕』、そして『百貌』を代表して1人だけを選んで貰い、その3人を部屋に招いた。『百貌』の残りから数人がオルガマリーの部屋の前に立った。
「このドアは思った以上に……」
「ええ、堅牢な結界なのでしょう。それで廊下や列車の屋根の上だけでなく、室内にも1人配置する必要がありました。その許可を取り付ける必要から、こちらの車両まで私が来た訳です。それがなければあなたとも逢わず、隠密裏に行動できましたのに」
なるほど。彼女は私に逢わず、この警護を遂行しようとしていたらしい。おそらくそれは立場をあまり『公(おおやけ)』にしたくなかったのと、万一を考えて時計塔内部や出品者に紛れる不穏分子を炙り出したかったからなのだろう。そもそも『エル』はこの『出発延期』と『異界を走る』なんていう突然にも見えるルール変更を読んでいたろうか? 私は無理だと思う。仮に場所の変更が読めても、それが『どこ』だという情報までは得られなかったと思うのだ。となると派遣されたエージェントには現地での臨機応変さが求められる。
実は私、エルマが倫敦に遣わしている『百貌』に、今回の旅の警護は断っていた。それは私の時計塔での立場があるからだ。なのでオルガマリーには使い魔を預けてあった。まさか部屋がここまで雁字搦めに強固だとは思わなかったので、使い魔を預けてあって良かったと胸を撫で下ろしていたところだ。
考えてみて欲しい。ここまで防音が強固だと、隣室の気配もわからない。走行中ともなれば、外部からの侵入は実質不可能だ。つまりこの状況は安心の材料でなく、入り口が屋内から解錠・施錠できる自動ロックの高級マンションと同じなのだ。ましてや、列車内には魔術師がうじゃうじゃと乗り込んでいる訳だ。こうなると何かあった場合、手懸りが掴み難い。『何もかももが疑わしい』となってしまって、思考を撹乱させてしまうのだ。何より警護対象者はオルガマリーとエルメロイⅡ世先生の2人だ。それを想定して、私はスヴィン君にも使い魔を預け、車両の真ん中に陣取ったのだ。
また車両の前後には隣の車両へと渡るための通路があり、そこの小部屋でホテルボーイよろしくパーサーが陣取っている。この小部屋はマンションの管理人室のように受付窓があって、通る人を視認できるようになっているし、監視カメラも設置されているのは、先頭の機関車を見た帰りに確認していた。だから全車両のパーサー室の天井にも私の『蟲』を設置していた。だからここに来てアオレアールの存在は有り難かった。
それなのに一抹の不安が拭いきれないのは、ここが異界だからだろうか? 私はアオレアールを招きながら、見えない剣を握り締めるセイバーに事情を説明した。それを聞いてセイバーが剣を下げ、3人娘がその妖気とも言える気配を消してくれた。
「異界は異界ですが正確には『平行世界』で、『あいつら』が残したフラットアースの一つで間違いありません」
自己紹介後にセイバーとグレイが入れてくれたお茶に口を付けると、アオレアールはきっぱりそう言った。そしてグレイが羽織ったフード付きのコートを指差して……。
「アッドの意見も聞きましょう」
私が頷いた事で、セイバーがグレイを優しく促した。すると意を決したグレイが、コトリとテーブルに鳥籠のようなものを出して置いた。匣型礼装のアッドをいつも収納している檻だ。
「イ~ッヒッヒッヒッヒッ! こいつは傑作だ! このオレに用があるだって?」
「ああ、ケイ卿。あなたの知恵を借りたい。マスター達の質問に正直に答えなさい」
セイバーはカゴの隙間に見えない剣先を押し込んでいた。
「バッ、バカ、ヤメロ! 触れるだけでオレ様が消失するだろうがッ!」
「ウソを言うな。ロンゴミニアドに戻って固定されるだけだろう?」
「だからそれが、オレという自我が消えるって意味だろうがッ!? こいつ、イケイケだ。王の時より危ねぇぞ!」
そこで私は手のひらをポンと叩いた。
「あ、そうか。ここなら最悪ロンゴミニアドを開放しても?」
アオレアールとセイバーが頷いた。
「ええ、私が扱う分にはグレイへの負担はない。そしてここだと人々にも被害が出ない。エル?」
ここに来て私はセイバーが最初からその覚悟があった事に気付いた。そしてここのマナの濃さ……。
確かにここも『現象』となった彼女の影響下あるのは間違いない。だから『あいつら』が捨て置いて逃げ出したのだろうし。それでこのマナの濃さと手付かずの霊脈があるから、有意義に利用しようと魔術協会の上層部で話が纏まったのも間違いない。またその開拓にはツェッペリン号が最適だったのも想像できる。ここまでは私にもわかる。と同時に人類だけでなく死徒のような『物の怪』にも開放する事で、元の世界の安全を図ろうとしている事も。
つまりお祖父様が『千年錠の死徒』、コーバック・アルカトラスに迷宮設置候補地として挙げたのが、ここだったのだ。そうすると、きっと資源やマナなどの採集・採掘場として利用する案も進んでいる事だろう。そうなれば今後は開発が進むに連れ、霊地の価格が高騰する事が予想される。暴落しそうに考えるのは甘い。暴落を恐れて協会が情報を操作し、引き締めに掛かるのだ。
これが後年私が大儲けできた真相だけど、同時にこの引き締めが当事者であるお祖父様から出た事だと一部の情報通に知られ、そのためにお祖父様は理事を退く羽目になった。それで後任に私が指名されたのが10年後だ。
それはともかく、動きはまだない訳だから、私達は出品物の案内が始まるまでアッドを肴にまったりと待機をしていた。
時は過ぎ、私達は案内の放送に従って先頭側へ移動した。案の定、場所は4両目だった。5両目から見た時は厳重にロックしてあった扉が開いていて、担当のパーサーがカタログのパンフを配布しながら私達を中に進むよう促した。しかし私は車両を移る時に、転移魔術が使われたのを感じた。
多分、このサロンのようになった場所は最後尾の車両の一室だ。万一の場合は最後尾を切り離して魔眼は護ろうという考えだろう。サロンに集った人は少ないが、実に怪しげな風体の者ばかりだ。紋付袴姿の恰幅がいい男性は、ヒンドゥー教のガネーシャよろしくゾウさんの頭を持っていた。被り物ではないようだ。色がピンクでないところが痛いなぁ。
『キリンさんが好きです。でもゾウさんの方がもっと好き……』
日本語で呟いたらセイバーに頭を叩(はた)かれた。けれどゾウさんは少し嬉しそうな顔をした。聖堂教会の老神父も居たし、レーマン家のイヴェットも居た。彼女の顔は並行世界でも知っていたが、スラーの教室で挨拶した際にも見ていた。いつもロリータ・ファションに身を包む、なんとも騒がしい子だ。今も早速、先生とスヴィン君を捕まえてキャピキャピと話している。けれど私の頭には彼女が『Animation geek(アニメ好き)』であるとか、『Weebo(オタク)』であるとの情報はない。そこから入らないロリータ・ファションでこういう場に臨むなんて、それが個人の趣味だとしたら悶絶するくらい痛いぞ。決して本人には言わないが。
因みに私はどこぞのロイヤル・ファミリーっぽい深い青の上下を着て、付属の小さな帽子を頭にちょこんと載せていた。胸元には小さなペンダント付きの、細い金のネックレスだ。これは例のスーツ騒ぎで、お母様と選んで買ったものだ。勿論、姉(英霊)のイリヤの太鼓判付きでもある。ともすればオルガマリーに付き添うトリシャっぽい。対するオルガマリーは相変わらず、『どこでそんなの売っているのだ?』というような、ゴージャスなブラウスと角襟のボレロを合わせた格好だ。こんなのエルヴァちゃんも持っていないぞ? まぁ、オーダーメイドなのだろうけど。
それでもって、残り数名を除けば、私達以外は使い魔ばっかだった。恥ずかしがり屋さんが多いらしい。
サロン奥の部屋がオークション会場らしく、そこの正面には金髪の短髪をツンツンさせた、エキゾチックにも両目を赤い革の眼帯で覆った女性が待機していた。背後にはこれ見よがしに、眼球の漂う2本の円柱形水槽が並んでいて、オークション用らしき眼球は、もっと小さな円柱状の水槽に入っていた。それが何十本も彼女の後ろの、これまた円柱の棚に積み上げられていた。これはちょっと息を飲む。
女性は自らを『レアンドラ』と名乗った。オークションは全部彼女が差配するらしい。毛皮のコートがゴージャスだなぁ。パッと見で私は眼帯で目も見えないのに、ユーリズミックスのアニー・レノックスに似ていると思った。
『タラリラララ~ダァ~ダ、ダァ~ダ~ァ~』なんて無意識に『There Must Be an Angel (Playing with My Heart)』を口ずさんでしまった。するとレアンドラと名乗った彼女は口の端でほんの少し笑った。きっと普段はそういう『笑うなんて行為』をしない人だろうと察していただけに少々面食らった。頭のいいオルガマリーに、彼女の家庭教師も兼ねているだろうトリシャ、場数を踏んでいるグレイも呆れて私を見ていた。けれど私は内心で『勝った』と思った。
何に対して『勝った』のかなんてどうでもいい。少なからずこの場の空気は私が一度は支配した。そこに意味があるのだ。この感覚がわかるジャンマリオは『ふむ』とアゴヒゲを撫で、私の後ろに『大王』を感じたのか、先生も頷いていた(ため息を吐いただけかも知れない)。
『調子に乗っとらんで、下見をしっかりせい』
一緒に入って来た使い魔達の中からお祖父様の声がした。見てたんかよ、アンタ? 仕方なく私はレアンドラの説明を聞きながら、パンフの説明文と水槽の眼球を交互に見た。全然興味がなかった。そんな私をジッと見ていたのがイヴェットだった。
魔眼にはランクがあって、下から『ノウブル』『黄金』『宝石』『虹』となる。『ノウブル』は『Noble』と綴り、意味は『高貴』や『尊い』だ。まぁ、最低ランクでも希少ではある。このランクを人工的に作る業(わざ)を持ち、なおかつ入れ替え可能としたのがレーマン家だ。次の『黄金』は『Golden』となって更に希少だと言うが、それも個人の受け止め方だと思う。『エル』が多眼蟲に背負わせている魔眼が全部このクラス(ランク)で、彼女も私も(設備があれば)これらを作成できる。それもその人個人に向けてカスタマイズしたものをだ。つまりある程度新しい機能を持たせる事も可能だった。あちらのアインツベルン本家はそういうレベルだ。何より現頭首の『エル』が『本物の魔眼は心眼(神眼)』と言い切るくらいだから、魔眼なんて視力以外の付加価値があるだけのモノとしか考えていない。そしてその付加価値は、眼球という端末を考慮しなければ、ほとんどが全部再現可能なのだ。そういう理由から、私は魔眼にあまり興味が湧かないのだった。
そもそも胡散臭く感じない? 次のランクが『宝石(Jewelry)』なのだけど、この段でいい加減に名付けたのがよく分かる。それは貴石が黄金に勝(まさ)るなんてあり得ないからだ。これは貨幣価値だけではない。転用した場合の用途でもそうなる。だからこの意味で『虹(Rainbow)』は『決して掴む事の出来ないもの』という意味が込められているのは明白だ。となると本物の魔眼はその下の『宝石(Jewelry)』だけを指すのだと理解できる。事実、神話から残る魔眼は全部このランクだ。そして『エル』はこの内の幾つかを作る事に成功していて、それを秘密裏にエーデルフェルトや何人かのロードに売っていた。
つまり彼女のように魔眼の希少性に目を付け、人工魔眼を高額で売買をしていた者が昔から存在したという事だ。ところで、この人工魔眼を『養殖』と言ったのは『エル』だ。たい焼きなのか? だけど養殖であっても一つ120円とかでは済まないから、その昔はありとあらゆる手段の詐欺が横行していたという。このツェッペリンのオークションが画期的だったのは、それらの詐欺とは違い、本物を集め、出来る範囲で安全に配慮して移植していたからだ。そうして魔眼の詐欺は消えていった。
そんなオークションの指針を決めたのが、『真の支配人』だとされているが誰も逢った事がないという。その人が生きているのか死んでいるのか、そもそも本当に居たのかどうかも不明だけれど、少なからず今のツェッペリンは『支配人代行』という女性が仕切っているらしい。
そうなのだ。あの水槽に浮かぶ眼球も、このカタログに載る眼球も全部コテ一本で焼いたに等しい『天然』なのだ。おそらくあの聖堂教会の老神父は魔眼持ちで、それを売りたい側だろう。信仰がカネになるのは上層部だけで、何かを末端は切り売りしないと老後を生きていけない。まぁ、『観たくもないモノを見せ付けられるから』とか、『魔眼に拠って生き様までが固定されてしまうから』など切実な理由を持つ人も世の中には居ると思うけれど、少なからず老人が売買に絡む場合は老後の資金を得るためだと思う。何故なら本当に要らないなら、こんな列車がある世の中なのだから、もっと若い頃に売っていたと考えられるからだ。
例外はその魔眼を憎々しく感じていても、仕事(生業)に必要不可欠だった場合だけれど、そういう人はその機能を失うと後悔しそうな気がする。それも含めてその人の個性であり、人生だと私なんかは考えるのだけど……その受け止め方も人それぞれだろうし……。どうなのかなぁ。
「これだけですか? 『虹』の魔眼などは出品されないのですか?」
私は思わずその声のする方向を見た。