「予めパーサーに聞いておいたのだが、この停車は朝食の始まる7時までだそうだ」
「それはスヴィン君にも?」
「勿論、伝えてある」
となると、後1時間ほどか。森の中は思うほど湿気っていない。木々の根がどこから水分を得ているのか。列車は各車両のトイレやシャワーの水をどこで補給するのか。てっきり水も補給するものだと思っていたので、これは意外だった。だけど魔力の補給地にこの地を選んだだけあって、マナの濃さはさすがだった。
どこだか知らないが、少なからずここは既に英国ではない。カンだけど海を渡ったスカンジナビア半島のような気がする。というのは植生が英国とは全然違うからだ。森の樹々がほぼ松系で、この細長い松ぼっくりは間違いなくオウシュウトウヒ(Norway spruce)のものだからだ。チラホラと白樺(Silver birch)も生えている。違う森に行けば、きっとヨーロッパアカマツ(Scots pine)も生えているのだろう。
そして案の定というか、やはりというか……樹齢が200年を越えるような大木はどこにも見当たらなかった。世界七不思議の一つに数えても良いくらいなのに、誰も話題にしない真実。アジアの一部にしか200年以上生きた樹木は存在しない。これもマッドフラッドの証拠とされているのだけれど……あった! はぐれアカマツ。秋になれば周囲に松茸(ヨーロッパマツタケ)が生えて来るのだろうか?
アジアからの輸入松茸は香りがイマイチだけれど、スウェーデンやノルウェーの松茸は香りが日本のものと変わらない。便の関係で風味は若干落ちるけれど、現地で食べるとまんま同じだ。この地に土瓶蒸しという調理法や醤油が無かったのは悔やまれる。そういう惜しむ気持ちが湧く味なのだ。
だけど春先のこの季節に雪が残っていないなんて。何より森の中なのに空気が乾燥している。何だ、ここ?
そこでエルメロイⅡ世先生の方へ振り返れば、いつの間にかイヴェットも出ていて、先生と腕を組もうとおかしなやり取りをしていた。いきなり先生がしゃがんだのだ。気分か体調が? と、一瞬ギョッとした私とグレイだけれど、しゃがんだ先にあるものを見て納得した。
「見ろ、フェアリーリングだ(fairy rings)」
『fairy ring』は『fairy circle』や『elf circle』とも言い、昔からその環の中で妖精が踊ったとか、踊った後だという言い伝えがある。確かにマナが濃い森だとよく現れるが、単なる菌輪(菌環)だ。ただ、菌糸類は元々そういう習性のようなものがあるし、マナに過剰反応する点も事実としてある。また、樹齢が200年を越える樹は見掛けないが、200年以上を生きた菌糸類はあちこちにある。フランスでは直径600m、地中の菌体総重量が100トン近くにも育った菌輪が見つかり、その推定年齢は700歳だという。
けれど、日本だと菌輪は普通に見掛けるありふれた現象だ。何より松茸に血道をあげる人が多いので、『サークルの二重三重は当たり前、菌糸が伸び切らず円弧状のまま育ったものもある』なんて事を麓(ふもと)のオジサンでも知っていたりする。これは日本人がそれだけ菌糸の生体に詳しいからとも言えるし、日本の山がそれだけマナの濃いところが多数あるという意味でもある。余り大きな声では言えないが、国土が狭いのに山を拓かない理由でもある。もっと言うと、人の命よりも優先する護るべきモノがあって、それを隠しているフシがある。私なんかは目の前の菌輪よりも、そっちの方がミステリーだ。
「輪の中がハゲないで伸びているのは共生型ですか?」
フェアリーリングにもタイプがあって、その菌糸が周囲の養分を吸えば輪の中の草は萎れ枯れていく。けれど排泄物? が草の養分になって成長を促すタイプもある。目の前のこれは周囲と輪の中の草が他の場所より伸びていた。だから共生型と言ったのだが、学術的に正しい言葉なのかどうかは知らない。
「そうだな……。プロフェッサー・アインツベルン。何かの危険を感じないか?」
「ひしひしと感じていますよ、先生。ですが……」
私は振り向きながら転身し、弓を投影、手近な高い樹へ一気に駆け上がって、バルムンクを矢に変えて射た。大地がフラットだから、私でも10km先が狙えた。うん、手応えあり。ズゴーンと凄まじい爆発音と衝撃波がこっちにまで届いた。何者だったのだろう? あれだけの殺気というか、暴力の気配……。
「彼なら『何か』に気付いて動いている事でしょう。戻ってスヴィン君の報告を待ちましょう、先生」
「わかった」
スヴィン君で足りないところはアオレアールの百貌が調べるだろう。念押しの念話をアオレアールに送って、私達は列車に戻ったのだった。列車に近づくと他の客も降りて外の空気を吸っていた。何人かは衝撃波に驚いていたが、概ねは動じていなかった。やはりこういうオークションに出席するだけあって性根が座っている。やがて全員が食堂車に向かった。時刻は6時40分だった。
ナイスタイミング。朝食20分前だ。なので3人娘と余裕を持って合流し、ついでに朝食メニューが何なのかも確認もできた。昨夜よりイタリアン・テイストがキツめで、クロワッサンかチョコ味のパンを選び、それにビスケットが付くようだ。恐ろしいのはそこにまだジャムやヌテラ(チョコ味のペースト)が付くところ。典型的なブリオッシュだ。飲み物はカプチーノかコーヒー、それとお茶だけだった。いわゆるブリティッシュ・スタイルのブレックファーストはメニューのどこにも載っていなかった。
このブリオッシュ、語源はフランスのパンの一種だけれど、イタリアでは『甘い朝食』全般を指す場合があると同時に、ブランチみたいな遅い午前に食べるものという意味も含んでいる。それは元々イタリアが一日二食が普通だった点、パンにジャムやヌテラなどを塗る行為、即ち今のような『甘い朝食』が戦後から1960年代に掛けて広がった新しい文化だった点などに端を発していて、その大元の原因は第二次世界大戦の敗戦にあるのは想像に難くないだろう。
一度どん底にまで落ちてしまうと、日々の生活を取り戻すのは非常に困難だ。元々イタリアは北高・南低で経済格差のある社会だった。その格差がマフィアを産んだ。なのに、敗戦というハンデキャップを背負っての再出発だったからより格差が開いた。更に第一次の立ち回りから近隣国に恨まれていたので商業的に厳しいものがあった。フィアットがソビエトに活路を求めたのもそこに因があると言えるし、フィアットこそがイタリアと言える今の状態も、他国がフィアットだけは認めたからだ。フランス以上に文化として根付いていた自転車は、日本→台湾にマーケットを奪われ、皮革製品で名を売った『ブランド』は中国に乗っ取られ、何とも踏んだり蹴ったりな国がイタリアなのだった。
そんなだから犯罪は多い。けれどラテンの国なので、ほとんどの人は陽気で後腐れのないサッパリしたタイプだし、とても家族を大切に考える人ばかりだった。なので『エル』はこの国のいい加減さや、デタラメなところが気にならないらしくかなり好きらしい(彼女はインドも好きらしく、人のゴチャゴチャしたところでも、煩わしいと感じないようだ)。なのでイタリアとは『表』からも『裏』からも、子供の頃から取引をしていた。表は言わずと知れた食料品の売買だ。で、裏が政府から依頼されている霊脈調整だった。
詳しく言うとナポリに近いヴェスヴィオ火山やシチリア島のエトナ火山などの周囲にある霊地の調整を一手に引き受けているのだ。なので彼女はポンペイの裏手になるソレント半島のアマルフィ海岸や、シチリアのチェファルーやカターニャにも別荘を持っていた。中でもシチリアのエンナの街がお気に入りで(丘というか山の上にある街で景色がすごく良い。私も好きだ)、そこに何度も通っていた。昔、トントを救けたのはこのシチリアからナポリに向かう帰り道の途中の事だった。
どうして『エル』がその時にクルマで移動していたのかと言うと、バスも電車も時間がいい加減だし、行政すらもちゃらんぽらんだからだ。ドイツでも日本と比べるとそうだから、イタリアなんてもっと酷いものだ。例えば試験など事前の審査に受かって、免許証を受け取りに指定された日に行けば、肝心の警察署が休みで(州の休日だったらしい)、翌日に行けば『まだ出来ていないから来週来い』と言われ、翌週に行けばまだだった、なんて事がザラなのだ。行政でもこんなものだから、郵便から宅配から公共交通機関まで、すべてがいい加減なのだ。
なので新商品のサンプルなんて送るといつ届くのかわからない。だから彼女は子供の頃から基本EU圏内(特にイタリア)は、余程の事がない限りサンプルなどの荷物を載せたクルマで移動していた。これはミトもパミも同じだったが、それでも『好きな国』という『エル』がイタリア担当なのは、霊脈調整の仕事があったからだ。今はあちらの時計塔の学生でもある間桐慎一さんも、『エル』の霊脈調整を手伝っているそうだ。そのお手伝いが1回に付き日本円で数千万だというから、政府から流れるお金はその数十倍も数百倍もあるのだろう。
なおアマルフィ海岸の別荘と、エーゲ海のサントリーニ島にある別荘、スペインのコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の別荘には家族や友人とで何回か旅行した。姉のイリヤはこれ以外の別荘も行っているが、私は『エル』の中で全部行っていた。それでどこが凄かったと言えば、これはもう間違いなく、凜も絶賛したサントリーニ島なのだけど、姉のイリヤだけは観光地っぽい箱庭感のあるアマルフィ海岸だと話していた。
それはこの海岸の逸話にある。かつてギリシアの大英雄は結婚前の冒険で、妖精だった美女と出会い恋に落ちた。仲睦まじくお互いを思いやる数年間があったらしい。けれどその恋人は病気で夭折してしまった。残された彼は恋人の亡骸を、冒険先のこの美しかった海岸の岩山に埋葬した。きっと眺めが、彼のよく見ていた地中海のそれと似ていたからだ。妖精の名が『アマルフィ』だったのかどうかは今となってはわからない。けれど恋人を埋葬した英雄はヘラクレスだったという伝説は今も残っている。そして姉のイリヤは高1の春休みに、わざわざアルさんをボディガードに指名して、巫女の姉とともにここを訪れているのだ。3人でどんな会話があったのか。あの大英雄が胸中を話したのかどうか、それは知らない。だけど巫女の姉もアルさんも姉に元々一目置いていたのが、二目も三目も置くようになったのはこの旅行後だ。
(余談だが、ギリシアで写真に写る時にお気楽にピースしてはイケない。あのV字はあの国では『くたばれ』という意味になるのだ。観光地なのでアメリカで中指を立てるよりはマシだろうけど、こういうのは国ごとに色々あるから気をつけよう。それとギリシア語はラテン語ほど知られないが、やはり歴史のある国だから欧州の言語の基本となる部分はある。何より『アルファベット』の語源は、『アルファ、ベータ(と並んだもの)』だ。では『Γ(ガンマ)』が『C』かというと違和感がかなりある。だけどスズキのガンマも、RG→RGA→RGBの次のモデルだったからだ。ただしこれはグランプリ・レーサーの話しで、市販車のガンマはそれのレプリカという意味だ)
『エル』がアマルフィの別荘を手に入れたのは中3の頃で、それまではアマルフィの手前にあるポジターノのホテルを利用していたのだそうだ。つまり霊脈調整の仕事後にイタリア国内で余暇を楽しむには、前々からソレント半島南岸が自分好みの場所であると知っていた訳だ(この『好み』とは単なる嗜好だけではない。その地の空気や景色から得られる刺激が魔術回路のリフレッシュとなり、それが自分の体や神経に合う合わないなどといった諸々も含んでいる)。では、それよりもっと以前の霊脈調整の時はどこで寝泊まりしていたかというと、それがナポリにあるホテルだった。機材は同じナポリにあるイヴの営業所倉庫に預けていた。
何でもイタリアという国に、イヴが最初に進出したのがナポリだったそうだ。ローマは歴史建造物がなんたらとか、地域産業保護がかんたらとか、外国企業の進出には厳しく難しいものがあるらしい。思いっきり北だとヴェネツィアは絶対に無理だし、ミラノにせよトリノにせよ、主要な表通りはイタリア企業やブランドのオフィスだらけで空きビルも空き倉庫もない。そしてローマほどではないにせよ、すべての道がどこかに通じている。おまけにシチリアへも行きやすく他所の観光地ほどうるさくもない。ナポリはそういう丁度良い場所にあったのだ。そしてこれまた運の良い事に、霊脈調整の仕事が舞い込み、その調整場所がヴェスヴィオ火山の南側だった。
それから幾星霜。狙っていたアマルフィの高台の場所に丁度空きが出たのを、ナポリの駐在社員が見付けて報告してくれたから買ったのだという。きっとあの別荘のクローゼットや倉庫は、今も霊脈調整用の装置で溢れ返っている事だろう。
(あんな狭い海岸線を走るなら、フィアットの小型車がピッタリだろうね。今ならアルファロメオやランチャ、マセラティなんてのも乗るのかな? いや、それはないか。そこまで行けば、お祖父様に止められているフェラーリが欲しくなるだろうから……。まぁ何れにせよ、箱バンやトラックはない。それくらい道が狭いところが多い。ローマの旧市街地とタメを張る狭さだ)
なんて事を思いながら、私は2杯目のカプチーノを楽しんでいた。さっきまでアマルフィ海岸の事を思い浮かべていたので、スズキ・カプチーノまで連動して浮かんだ。きっと、狭い海岸線→小型車→でも、オープンカーが良いな→なら、ロードスター?→私にはコペンがあるじゃない!……となっていたからだ。
でも、コペンは倫敦という街で乗るから面白いのであって(屋根の開閉をサッと出来るから)、アップダウンの激しいソレント半島の海岸線となるとどうだろう? もう少しエンジンパワーが欲しいところだ。そこで思い浮かんだのが、エルマに預けているMR-Sと、いつぞやのシビックEG-6だった。この時にS2000が思い浮かばなかったのは自分でも不思議だが、ともかくこの両車、驚くべき事にS2000と同じくEUに輸出されていて、MR-S(フランス向け)の方は今でも新車で買えた。ただパーツがあるかどうか、故障した時が怖かったのと、さっきも言ったように倫敦の狭い道にどうかと迷い、最終的にコペンにしたという経緯があった。
もし日本から持っていけたのならEG-6(SiRⅡ/B16Aエンジン、170ps。欧州版はB16A2エンジン、160ps。同エンジンを積んだセダン(シビックフェリオ/EG-9)もある)か、EG-5(Si/ZCエンジン、92年限定販売)の中古を選んでいたかも知れない。というのは私、『エル』のあのEG-6を知ってから、この5代目のEG型シビックが好きになっていたからだ。今ならこの次の型のEK(EK-9/タイプRがある型)より好きだ。何ならSOHCのEG4(VTi/D15Bエンジン、130ps)でも良いくらいに思っている。投資を兼ねて第四次の世界であれこれバイクやクルマを買ったのに、このEG型シビックの存在を忘れていたなんて……。これは今も後悔している。次に第四次の世界に行くチャンスなんて来るのだろうか? あれはあれで精神的にキツイからなぁ……とまぁこんな風に生活する場所が欧州になっても、私は日本車が真っ先に頭に浮かぶタイプだった。
テーブルを囲んでいるのは昨夜と同じメンバーだからか、ウェイターも昨夜の物知りな人が付いてくれた。だから私は1杯目のカプチーノをキアロ(ミルク多め)で頼み、2杯目をスクーロ(ミルク少なめ)のウェット(泡が少ない。対義はドライ)で頼んだ。この用語は女性ならともかく、男性は知らない人も居ると思う。なので簡単に説明すると、エスプレッソ(淹れ方の違う濃いコーヒー)に温かな牛乳を5:5で入れたものがフランスのカフェ・オ・レとなり、それのイタリア版(ミルクの比率が2:8で多い)がカフェラテだ(豆乳で割ったソイラテなんてのも最近は出ている)。
ではラテとカプチーノの違いはというと、エスプレッソ+温めた牛乳(業務用エスプレッソマシンを使うので、牛乳も蒸気で常時温められている。スチームミルクと言う)でラテとなり、そこに泡立てた牛乳(これもマシンにある。こちらはフォームミルク)を足したものがカプチーノとなる訳だ。
ただし正道なカプチーノはエスプレッソ1:スチームミルク1:フォームミルク1の割合になる(醤油:砂糖:味醂=1:1:1かよ。けれどそういうコダワリが、フレンチの元となったイタリアンを産んだのだ。1を2や3に出来る人はそこそこ居るが、0から1を産み出せる人は少ない。そういう事だ)。とは言え、各自の好みはあるので、それぞれの多寡を注文の際に申し添える事が出来るカフェがほとんどだ。また、イタリアはエスプレッソ命なので、エスプレッソを使わず普通のコーヒーの場合はラテと認められず、オレ(コーヒーのミルク割り)となる。
(つまり後年出た、ドリップ式コンビニ・コーヒーのラテは、コーヒーのミルク割りでしかないという事だ)
『足りない、朝食がこれではあなたや皆んなを守るチカラが出ない』と、セイバーからはブツブツ念話が届いていた。なんだか頭の中でお経を唱えられているみたいだ。セイバー、あんまり煩いと『アーサー王は餓鬼道に堕ちた』とウィキペディアに書くぞ! (そういう『信仰』を広めるぞという意味。『エル』はアルさんのために女神ヘラの悪口をウィキペディアに書き殴っている)
(頭の中が)静かになったところで一同を見渡した。やはり全員、私の『宝具』に度肝を抜かれていた。だから言った。
「質問を受け付けますよ?」
エルメロイⅡ世先生に遠慮のあるグレイやスヴィン君は先生をチラチラ見ていて声が出なかった。だから真っ先に質問して来たのはオルガマリーだった。
「先程のあれは『英霊のチカラ』ですか?」
「はい。この身に『英霊のチカラ』を降ろす降霊術です。英霊を召喚するよりも難しい術です」
「それは私にもできますか?」
「(ルビーのようなオカシナ杖に)対応できるかどうか……本人の素養もありますね」
この時の私は自分やクロエちゃんの事を棚に上げ、カードとステッキに拠る『夢幻召喚(インストール)』が頭にあった。オルガマリーは今12歳くらいだろう。なら、カードとステッキを使えそうだ。その両方が、もし『あれば』だけれど。だけれどルビーとサファイアは、それぞれの持ち主である遠坂家とエーデルフェルト家に返却した事になっている。またカードの方も公式には『エル』を通して時計塔に返却済みだ(『エル』がそれを作れるところは秘密だ)。
するとオルガマリーは、聞き慣れない言葉を呟いた。
「デミ・サーヴァント実験……あ、あなたが降霊科の成功例……?」
デミ・サーヴァント実験? 何の事だ?
「噂だ。降霊科で英霊を降霊し自身に憑依させるという、そういう実験が過去にあったと噂されていたのだ。昨年、君が倫敦に来てからその噂が一部で再燃したのさ」
と、エルメロイⅡ世先生から補足。なるほど。英霊召喚がどうしても無理だったから、そっちに────。きっとルフレウスの前の世代の話だろう。
ちなみに私はカードの件があったので、宝石翁とエルメロイⅡ世先生には私の存在がどういうモノなのかは説明してある。なので、その情報を知らない各ロードは、様々な憶測を働かせていた。例えば創造科のバリュエレータは私を『エル』が鋳造した『人形』だと考えているし(だから寛容な部分がある)、あの人の意見で全体基礎科のトランベリオや蒼崎橙子さんもそう考えているようだ(ただ橙子さんは父と繋がりがあるので、今は真相を知っているかも知れない)。
けれど降霊科のユリフィスは、私が人形かどうかなんてまったく気にしておらず、ただただ私を一個の魔術師と認め、その降霊術や刻印修復師としての力量と知識を買っていた。そして私もユリフィスの実力を知っていたし、『人間の最初の霊と最後の霊。その差違を示せ』という、アルファメガ・ノギウスを与えられている事も知っていた。
そしてこの疑問に対して『エル』はルフレウスにこんな『答え』を出していた。
『質問者に会えれば答えなんて一発で出ます。こういう何世代も掛かりそうな難問に思える質問の答えなんて、質問者が欲しい言葉以外ありません。となれば会って思考を読むだけです。そうでなくもっと奥のある質問と言うなら、こちらの考えを適当に答えれば良いだけです。なぜならあちらは答えを知らないからです。え? その質問をお前がされていたのならですか? 私なりの考えという意味ですね? なら、最初の人間(霊)とは最初に人工進化された猿の事でしょう。野生から進化し、知恵とともに『善』を知る者となった。次に最後の人間(霊)ですが、それは善性を維持したのか、それとも悪性に染まったのか? 質問者の欲しかった答えは人類の行く末だったのではないですか? 『善』であって欲しいという願いも垣間見えますが……』
『エル』の解釈だと質問者は、まるで死ぬ間際に『国民はどうか?』なんて重臣に尋ねる、民を思う老国王のように見える。だけどルフレウスは小さく鼻で笑っただけで、『エル』に答えが合っているとも間違っているとも言わなかったそうだ。その当時の『エル』は僅か6歳だった。それでブラムさんは発破を掛けられ、ソラウさんは『エル』に俄然興味を持って急接近、無事仲良くなったという経緯があった。その頃は理事に就任する前だったと思う。そして理事になり、ケイネス先生と知り合い、今に至る訳だ。
私には『エル』の解釈が正しいのかどうかはわからない。けれど質問の内容より、その質問をした側の考えや欲しい言葉の方から考えろという『エル』の考え方はわかる。それはいつだって『人』を見ているからそうなったのだ。と同時に、ルフレウスが実は『人を見ている』人間なのだというのにも気付けた。他人を下に見ているのでなく、『他人を下にしか見ない者』が多いから、そいつらを下に見ているだけだったのだ。ルフレウスがソラウさんを見放していたのは、以前のソラウさんが家を鼻に掛け、誰彼構わず人様を下に見ていたからだった。まぁ、そこを『エル』にズバッと指摘され変わっていったのだが。
(むしろ変わらず我を通した方が見込みありと思われた可能性も指摘していた。何故なら我を通すとは、何者にも、何事にも負けない、とんでもない強さと才能が必要だからだ。それでもって大抵の人は箱庭でしか通用しない限定的なチカラを、自分の全能力だと思い込んで手酷い目に遭う。その人にも別の可能性がある事を想像できないのだ。『エル』が言うと重みが違うよね)
ともあれ並行世界だけれど、私が降霊科に席を置こうと決心したのはそういう記憶があったからと、『エル』は当然として、私にまで色位を与えるよう決議で進言したのが、ここのルフレウスだったとエルメロイⅡ世先生から聞いていたからだった。
人形であれ何であれ、ともかく私も『セイバーを召喚し』、言葉は悪いが『使役』している。結局、この実績がものをいったのだろう。また、ベルフェバン代理がルフレウスに対してそこまで動いたという意味でもある。
「プロフェッサー・アインツベルン? あの放たれた矢は?」
「矢は魔術で構築した剣を矢に改造したものです。矢の行き先は何者かが召喚した『ナニカ』に的中しました。手応えはありましたけれど、それでその『ナニカ』が消えたかどうかは怪しいです」
私は敢えて『投影』という言葉と『宝具の複製』という言葉を省いた。それはオルガマリー達が目の前に居るからだ。ならどうして転身姿を見せ矢を放ったかだ。それは幾ら賢いオルガマリーであってもまだ12歳の、世間で言うと『Year 7』か『Year 8』で『Secondary School(middle school)』の1年生か2年生だからだ。日本では小学校の6年生だが英国は違う。それに精神的に早熟なオルガマリーは今がまさに『中2病』を発症する年頃なのだった。そしてこの子は天体科のロードの娘だ。必要なのは専門分野の知識と、他分野への理解と分析だ。『魔眼』などという、安直に能力アップが得られそうな気がする甘言に乗ってはいけない。
『直死の魔眼』? フン。4km先からの宝具の矢を避けれるものか。そもそも4km先の相手の死の線や点が見えるのか? だけど私はピンポイントで魔眼持ちが視えるし、接近してきても相手だけを4km先へ転移させたり、私自身が転移して危機から逃れる事も可能だ。そもそもこの魔眼持ちの2人は個人情報が意外と知られ過ぎていた。『エル』のような、殺し合いになる前に争い事を避けるタイプは異なる手を使って相手を攻略する(この4km先というのは、地球が丸いので目標が見えなくなるギリギリを指している。けれどフラット・アースの場合はその限りでない)。
例えば点と線が視える相手になら(私の判断だと、こちらの方が能力は上だろう)、夫である男性と娘の誘拐、アサシン軍団を使ってバックの非合法組織への襲撃、これらを同時に行いつつ対話に臨むだろう(橙子さんと繋がりがあるらしいので、もし敵対しても無茶をするつもりはないだろう)。線だけの相手は狙撃だろうなぁ。それで利き腕と両足の自由を奪ってからの対話。狙撃なのは真祖が彼の傍に居るからだ。それで真祖には遠慮なく『王の財宝』を7セットブチ込むだろう(今は何セットあるのか不明)。そんな具合で、人に拠るが攻略方法はある。押し並べて魔眼持ちは個人情報と顔が割れたなら、攻略は存外容易(たやす)いものだと思う。
なのでオルガマリーに必要なのは、他者の能力に憧れる事でも羨む事でもない。それをどう受け止め、どう対抗策を練るのかにあると私は思う。そうして自分だけの魔術を発見し、それを磨き上げる事なのだ。きっと父親もそういう風に考えられるオルガマリーの姿を望んでいるはずに違いない。
そこで私はハタと気付いた。やはりオルガマリーには実母が居ないんじゃないか、と。それで常に付き添うトリシャに母親像を重ねているのではないかと。その昔、姉のイリヤは母がホムンクルスであるがゆえに、自分は人間なのかと悩んで反抗期を拗(こじ)らせていた。そんなもの、我思う故に我ありだ。何の問題もなく学園に通えたのだから、それは先生方も級友達も、皆んなが姉を一個の人間と認めていたって証拠なのだから。でなけりゃ、誰かが『あなたは人間じゃない』と指摘して来た事だろう。幸いそれは無かった。
けれど、それまであった自分の心を囲っていた柵が、成長に伴って心が大きくなった事で壊れてしまう。そういう風に思春期は心の成長が一気に起きて膨らむ頃だから、耳に余計な情報が入れば、勝手に悪い方へ悪い方へ考えたりして思い悩んだりする。蓋を開ければ、そうも解釈できるかもって程度の些細な事ばかりなのにね。でも、当の本人には天が墜ちて来るほどの重大事だからなぁ。世の12~15歳とはそういうものだ。
それできっとオルガマリーもそういう年頃になっちゃったのだ。可愛い顔をしているけれど(本当に整った顔を持つ美少女だ)、その外に跳ね返ったヘアスタイルが、この子のそんな曖昧な気持ちを現している気がしてならない。片側の編み込みが少女のままで居たい、大人になり切れない自分……跳ねたヘアがそんな本音を隠したがって背伸びしている自分……。私にはそんな風に感じられた。本人には訊(き)けないから、ここはトリシャに尋ねてみるのも良いかも知れない。そう考えていたら……。
「アインツベルン先生?」
と、スヴィン君。
「何でしょう?」
「あの、お話中にすみません。報告が……」
そうだ。森へ行ってどうだったのだ? あの相手と遭遇などしていないのか?
「いえ、遭ってはいません。僕がエルメロイⅡ世先生から頼まれたのは、ここが可怪しいから調べて欲しいとの事だったので」
そうか。彼の能力を借りて、違和感がないかどうかを探らせていたのか。となると先生は、彼にここが人工の世界(フラット・アース)の可能性があるとまでは話していなかったのか。そうなると私の方が先生よりお喋りだな。スヴィン君が続けた。
「だけど森を抜けたところで、どこまでも見通せる景色を見て変だなと。違和感を感じました」
そこで彼の報告が終わり、先生は私に向かって頷いた。私はオルガマリーを見て昨夜の星の運行を尋ねた。
「そんなの明らかよ。規模こそ違うけれど、あれはプラネタリウムだわ」
と答えてくれた。『人工の天球だとしたら、どういう文明が造ったのだか……』なんてヤレヤレのポーズでぼやきながら。ほぅ、『どういう人』でなく『どういう文明』と来るか。やっぱりそういうのも教わっているんだなぁ。
「降霊科の端くれとして情報を提供します。私はこの列車に乗ってから人魂を察知していません。森では小動物や昆虫を見掛けましたし、動物霊も見掛けました。ですが人魂は感じる事が出来ませんでした。また、車窓からの景色ですが、最初の駅周辺と地下以外で人工の建造物を見ていません」
人魂が無いとは、雑念(ノイズ)が無いという事だ。それに私はアサシンの気配がわかる。だから何kmも離れた気配が、遮蔽物のない電波のようにダイレクトに伝わったのだ。その感触から私は相手をほぼサーヴァントだと考えていた。ただ考えはしても、頭の隅にその可能性を置いているだけで、確証がある訳ではない。
エルメロイⅡ世先生は逐一頷き、グレイは『人魂』のところで頷き、オルガマリーは押し黙ったまま私の顔を見た。私も私で皆んなの顔を見た。おそらくスヴィン君は漠然とここが異空間に造られた人工の天体だと理解していて、グレイはそういうのを知らないのだと思えた。オルガマリーは確実にフラット・アースを知っている。
私は最初に考えた、ここが並行世界ならぬ平行世界で、間違いなく『あいつら』が予備に取っていた世界だと確信を得た。それにこの列車には、この旅に参加していないロードや理事の使い魔が、都合が付かずオークションに来れなかった客の使い魔とともに乗り込んでいる。
私は、ここが人工天体だと知っているのはロードや理事の一部だと考えていたが、もう少し幅広いのかも知れない。ああ……ここを開発する事業への出資者か……。見返りは……天然資源だろうか? なお、私がオルガマリーに質問した意図は、星の運行やさっきの森の配置と霊脈などを利用した、遠隔でない『後召喚』だと考えたからだった。