「後召喚?」
「ええ。後催眠のような」
「ああ、なるほど。その意味か」
「はい。プラネタリウムを動かし、英霊召喚可能な条件を作った者が必ず居ます。召喚陣や縁となる聖遺物は事前に設置し、使い魔からの音声で召喚した者が」
そういう具合に私はエルメロイⅡ世先生に説明した。
「プロフェッサー・アインツベルン。その際の令呪は?」
「無いでしょう。あれは冬木方式限定です。そもそも100%完全な英霊なんて、まず喚べません。ですので座に眠る本体のコピー…………サーヴァントとなるわけですが、それでも冬木より自我や思考、能力に問題のあるシロモノしか喚べないでしょう」
そう考えると大師父は別格として、トランベリオの喚んだランサーは見事だった。おそらくこの召喚にはドクター・ハートレスの知識が使われているに違いない。思ったより英霊召喚の方法が拡散してしまった可能性は高い。
「もし相手にダメージがないとすれば、今後も襲ってくる可能性は?」
「大いにあります。それで予測される場所は毎回の補給ポイントです。あの森のような霊脈を利用しているでしょうから」
「そうも考えられるが、裏で糸を操る本人がこの列車に乗り込んでいる可能性もあるぞ? そいつが魔力炉心を持っていたのなら?」
「ますます、糸を引くのはアトラス院の中の『誰か』と考えるだけですよ、先生」
私はふと、本当の意味でアトラス院と因縁があるのは、オルガマリーの父親、マリスビリー・アニムスフィアではないかとこの時に考えた。そう判じた理由はアトラス院が時計塔から見た場合、同業他社でライバル関係ではあっても直接的な敵ではないからだ。それにあちらは言ってみれば錬金術の総本山だ。神秘へのアプローチが魔術とは全然違う。だから今まで敵対する事はなかった。
だけどズェピア・エルトナム・オベローン(アトラス院風に言うならズェピア・エルトナム・アトラシアになるのか……)は、カードと『エル』の存在に引っ張られ、わざわざ日本にまでひょいひょいとやって来る、『エル』並みの電波人間だった。まぁ、色んな時系列を読み込み、同時に計算しては予測や仮想を立てるのだから、ああいう一風変わった人間になるのはわかる気もする。第三者視点で言わせて貰えば、真面目な顔で理解不能なおバカな話しを延々とくっちゃべる可哀想な人だけれど。あれだけ演劇がかった話し方だと、JR冬木駅のガード下でくだを巻いている酔っぱらいと変わりない気もする。いや、こちらに前提となる知識がないと、駅のホームで時刻表をソラで延々と喋る気の毒な人か……。
もしかしたらもしかしないでも、今のアトラス院内部にはズェピアに不満を抱いている不穏分子が、かなり居るのかも知れない。うん……そんな気がするなぁ。人はそんなに器用なものではないし、人間の住まう社会は他人に対して想像以上に不寛容で冷酷だ。それは誰だって自分の範疇を越えそうな事象には近づきたくないからだ。
まして私達のように他者と異なる実態を持つ者達が、実社会でスムースに生きようと思えば、本当の自分を覆(おお)う仮面なり演技が必要だ。まぁ、これは大なり小なり誰でも必要な事かも知れないけれど。なのに時計塔とかアトラス院といった特殊な環境なんかに慣らされてしまえばねぇ……?
私がこれからの4年で心に留め置いているのが、世間一般の感覚を失わない事だった。冬木に戻っても、うっかり英語で話してしまう場合はあるだろう。元々、そういう環境で暮らしていた訳だからそこは構わない。コーちゃんだって『エルヴァ、外国語か。凄ぇな』と思うだけだろう。だけど彼や彼を取り巻く素敵な方々に神秘の事を知られる訳にはいかない。心苦しいけれど、私はその仮面を脱げない。正直、伊達直人になったような気分だ。
(伊達直人はタイガーマスクの正体だ。彼は孤児院出身で、ある日『虎の穴』というレスラー育成組織にスカウト(と言う名の拉致誘拐)され、ファイトマネーから上納金を組織に収める覆面レスラーに育て上げられたとう過去を持つ。プロレスという興行でそこまで稼げる訳がないと今ならわかるが、このマンガは1968年からの連載だった(アニメは翌1969年から放送)。当時は力道山が亡くなった5年後で、ほんの10年前まで大衆は街頭の白黒テレビに釘付けだった頃だ。おそらく石ノ森章太郎がスカルマンから仮面ライダーへアイデアが変化させたのは、タイガーマスクのマンガやアニメの影響だろう。当然009の世界観を持ち込んだ仮面ライダーの方が、悪の組織の背景が深い。
それでマンガ版の最終回が何とも味気ない。オフの日に伊達直人は橋の上で交通事故に遭った。その際、気力を振り絞って懐にあったマスクを川に投げ捨てた。孤児院の子どもたちに『タイガー≠伊達のキザ兄ちゃん』と、夢を壊してはいけないと最期まで隠し通したのだ。ある機会があって昭和の頃のマンガを幾つか読んだのだが、その余りの呆気ない終わり方に驚いたものだ。一方アニメ版は、虎の穴の幹部レスラー(キング・タイガー、ビッグ・タイガー、ブラック・タイガーの3人)を次々と倒したタイガーが、いよいよ首領のレスラー(タイガー・ザ・グレート)と戦う事となり、その試合中にマスクを剥ぎ取られてテレビを見守る子ども達の前で素顔を晒してしまう。最後は首領をトップライト(照明の枠)に吊り下げ反則の限りを尽くした。その無茶な攻撃で重い鉄枠が落ち、首領はその鉄枠の下敷きになった(おそらくテレビ放送中に死んだと思われる)。そして試合終了後、正体のバレたタイガーは何処ともなく去っていく……という、全然違う終わり方だった。それはそうと、悪役レスラーの反則技がどれもこれもレフェリー案件でなく警察案件なのがビックリだ。この辺りに現実のプロレスとの乖離があって、物語が萎んでしまっていると感じた)
そもそも私は善悪二極の対立構造は、人の産み出した安っぽい妄想だと考えている。本来人は複雑怪奇で白か黒かで割り切れるものではない。善人の中にも悪性はあるだろうし、悪人の中にも善性はあるだろう。誰もがグレーなグラデーションの中で生きていると思っている。白寄りか黒寄りなのかもケースバイケースで、状況で刻々と変化するものだと思う。その意味では、ある種の精神疾患だとしても『言峰神父』は自分自身に正直だろう。狡(ずる)いとか穢(きたな)いとかの前に、思想も信念も行動も────すべてが歪んでいても初志貫徹しているからだ。ある意味、彼に禁断の味を教えたAUOより彼は純粋でわかりやすい存在だったと考えている。
なお、私がこの様に物事を◯◯や××であると決め付けず、グラデーションで見ているのには理由がある。それは『エル』から引き継いだものだけれど(彼女は盲目なのでなく、お母様を救けるための対価として視覚を自ら封印している)、私は間違いなくテトラクラマシー(4色型色覚)を持っているからだ。それでエルマやトロンメルはペンタクラマシー(5色型色覚)保持者だ。
テトラクラマシーとは何ぞや? それは視神経の色を感じる錐体細胞がどの波長のところでピークを感じているのかで決まる。通常の現代人なら、概ね赤・緑・青のいわゆる光の三原色で色味を感じている。が、稀に2色(ディクラマシー)でしか感じられない人や3色以上で感じている人も居る訳だ(4色でテトラクラマシー、5色でペンタクラマシー)。
そしてその4色目を強く感じる錐体細胞が反応しているのは黄色だ。
元来私達脊椎生物はモノクロマシー(1色型色覚)かディクラマシー(2色型色覚)だった(犬や猫がそう)。それが類人猿となりトリクロマシー(3色型色覚)を獲得するに至ったのは、X染色体を持つ女性からだった。これは木の実や果実を見分けるために発達・獲得したものだ。つまりこの時に獲得したのが赤だとされている。だから女性は赤色に強い。口紅の微妙な色違いは、興味のあるなし関係なく男性の方が確実に区別がつかないものだ。なので色弱(大抵は錐体細胞が弱いか、先天的2色型色覚だ)は男性に多い。が、逆に女性より男性の方が動体視力が良い傾向にある。これも獲物を狙うためだ。(女性は動体視力が弱いだけでなく、急に迫り来るものに身が竦(すく)んだりする。これもお腹の子を守る本能から来ている。なので女性ドライバーはそういうものだと認識しておく必要がある)
そして私は黄色いものが苦手だった。そこの波長を感じる錐体細胞が発達し過ぎているからだろう。やたら眩しく感じるのだ。単なる黄色に目を細めないと黄色の部分のグラデーションが区別付かないのだ。けれど赤と黄色がミックスされたオレンジ(橙)色は、微妙な色合いまで目を細めずともくっきり見える。また黄色と青をミックスした緑も色鮮やかで、樹々に生える葉の色違いを明確に感じられる。エルマ達はここに青緑を感じる錐体細胞を持つので、青か緑か曖昧な孔雀の羽色(ピーコックグリーンやピーコックブルー)のグラデーションがくっきりと見えるらしい。
もしかしたら、Y染色体が未来で獲得する色覚がこの青緑の波長なのかも知れない、なんて事も想像していたが第6世代ホムンクルスはこの色覚を持っていた。隣の色の違いがよく分かるというのは、波長を細分化して感じ取っているという事だ。そしてこれは端末と脳を繋ぐ神経細胞の受容体の精度の話だ。つまり視覚だけでなく聴覚や味覚にもこのような精度があるという意味でもある。絶対音感があるとかの前に、普通の人ならギリギリとした調和のない不快な音を羅列したようにしか感じられないだろう、電化マイルス(マイルス・デイビス/特にビッチェズ・ブリュー以降)やオーネット・コールマンのようなフリージャズにも興味があるとか、バックボーンは西欧なのに、和食からエスニックまでやたら料理に拘るのも、拘るくせに痛みでしかない辛味の中の甘さや旨味を感じるのも、偏(ひとえ)にホムンクルスの血が流れているからだ。
そういう意味で私は物事を決め付けない。万人向け(社会で通るか)、特定の個人向け(社会に受け入れらないマイノリティー)かで判断するのみだ。
会議という程でもない食堂車での会談を終えると、私達はそれぞれの部屋に戻った。するとどうした事かオルガマリーがずっと着いて来る。それで彼女は最後に私の部屋に入ってドアの鍵を掛け、呪文を唱えた。防音結界と施錠強化だ。こうなると外部のインフォメーションが一切遮断され、万一の場合に困る。
「事故や火災ならスピーカーから流れるでしょう? それにアサシンの一人とリンクしています」
ん? アサシンだって?
「あ、あなた!?」
やられた。この子、オルガマリーじゃなく人形だ。
「アオレアール……?」
「正解」
「いつの間に……っていうか、いつから……?」
「入れ替わったのは食堂車から出た瞬間。オルガマリー本人とトリシャには説明済みよ。最初に言ったと思うんだけど? お祖父様経由でマリスビリー・アニムスフィアから依頼を受けていたって。それと今入れ替わった理由は、あなたに説明するためです。襲って来るのは補給ポイントと特定できたからね」
「つまり今夜のオークションと、今後の補給地での行動はオルガマリーに化けたあなたという事ですか?」
「そう。それと安心して。その間のオルガマリーとトリシャの警護は、もう一人の私が行うから」
私は驚いた。彼女はやはり『エル』に近いのか、人形の同時操作が行えるらしい。この点を質問すると、彼女の本体は宝具の中に仕舞ってあって、いつもこうやって人形を使って行動しているのだとか。
「そりゃそうでしょ? 何で眠ったままの自分を香港に置いていなきゃなんないの? 寝首を掻かれたら危ないでしょうに」
中国の政治を変えるためだけに、『エル』からの居残り命令を受けた彼女。並行世界にたった独り……。三国の英雄達にアサシンまでが居るとは言え……。
「三国の英雄が残るのを『エル』は知っていたみたいだけどね」
そして彼女はセイバーを呼びテーブルに腰掛けさせ、『宝具』から小皿と、妙に角張った白い箸を取り出した。何もない空間に穴が空くのは『エル』やエルマで見慣れた光景だ。だけど、その穴から山盛りにご飯が盛られたお茶碗と、湯気の立ち上るスープ、そして大皿でおかずが褐色の腕を通してアオレアールに手渡された。多分、厨房担当のアサシンが宝具の中に居るのだろう。
「あ、あの……?」
「今朝の朝食は物足りなかったでしょう、セイバー? 私からのサプライズです。しっかり食べて皆んなを守ってください。ご飯とスープのお代わりもありますからね」
そう言いつつ、テーブルにザーサイの盛られた小皿とミネラル・ウォーターの入ったコップを置くアオレアール。容姿も声もオルガマリーだから違和感が大きい。
「おお……。あなたに感謝を」
それで頂きますと食事を開始するセイバー。3人娘とグレイが、この急激な展開について行けずフリーズしている。私も意表を突かれ動揺しているのだろう。唐突に『生在蘇州、穿在杭州、食在広州、死在柳州』なんて言葉が頭に浮かんだ。これの意味するところは、蘇州(景色が風光明媚)で生まれて幼少期を過ごし、長じて成功すれば衣類は杭州(絹織物の産地)で揃え、広州(料理が有名)で毎食の食事を済ませ、死ぬ時は柳州産(木材の産地)の棺桶に入りたいという意味で、昔から中国人に広く知られる最高の人生を現す言葉だ。そしてその中の『食在広州』は日本語読みすれば『食は広州に在り』となる。
日本人なら中華四大料理(北京、上海、四川、広東)と分ける場合が多いと思うが、中国本国では八大料理(八大菜系/山東料理、江蘇料理、浙江料理、安徽料理、福建料理、広東料理、湖南料理、四川料理の八系統を指し、この下にまた小さなカテゴリがある。例えば北京料理や宮廷料理は山東料理の一カテゴリでしかないし、上海料理は江蘇料理の一カテゴリだ)プラス、ローカルで地方色豊かな、どの系統にも属さないアルファとなる。それで広州料理とは広東料理の事であり、この下に潮州料理、客家料理、順徳料理などがある訳だ。アオレアールこと『王一诺』は、その広東料理の料理人であった(香港も広東だ)。
セイバーが高速頷きをしながら食べ進めているのは、酢豚ならぬ酢鶏と、ニラレバ炒めだった。酢豚は『咕嚕肉』と言い、立派な広東料理だ。この他、ビーフンも広東にあるし、鶏唐も油淋鶏(元々は鳩を使う料理『油淋乳鴿』がオリジナル。揚げずに熱々の油を掛けながら作るから『油淋』という。以前イリヤさんと士郎クン姉弟をご招待した並行世界で、アーチャーさんが私に代わって作った油淋鶏は油を掛けずに、揚げてしまう『簡素版』だった)も、叉焼(焼豚)も、広東料理だ。なおカニ玉は、広東・福建料理と江蘇料理(上海料理)がミックスしたものだ。これをご飯の上に載せてアンを掛けた天津飯は日本のオリジナルだけど、八宝菜(広東料理)をご飯に掛ける中華丼的な食べ方は、広東では当たり前にあった食べ方だった。そのご飯を汁麺に換えれば長崎ちゃんぽんになる。正確に言うなら燜麺という福建料理(台湾料理はこちらに入る)が元だけど、福建と広東はお隣同士で似たような料理が結構ある。
なお、この広東料理と福建料理こそが中華料理の伝道師で周辺国に多大な影響を与えたのは間違いない(華僑には福建出身の人が多い)。ただし北京料理に属する北方の餃子は違う。これがロシアに渡ってペリメニとなり、ポーランドやスロバキアでピエルクと変化した。ピエロギはピエルクの複数形で、北米へのポーランド系移民から広がった名前だ。そんなピエルクがイタリアにまで伝わってラビオリとなり、各種パスタに変化した訳だ。
ピザの原型はフォカッチャにあると言うが、それは土台のパン生地の話で、パンの上に具を載せて焼くという発想は古代のエジプトからだ。このピザが今度は東欧・ロシア経由で福建まで伝わった。おそらくだけど、韓国のチヂミや日本のお好み焼きやイカ焼きはその発想が福建経由で来たものだ(イカという海鮮を使うところが実にそれっぽいし、イカ豚玉もそれっぽい気がする)。
勿論、発想の話で一銭洋食やキャベツ焼きがお好み焼きのルーツであるのは間違いない。だけど吉備真備が唐から持ち帰った、水で溶いた小麦粉を焼く煎餅(せんびん/せんべいのルーツでもあるらしい)が日本におけるルーツだという考えもわかる。また千利休の時代からあったという麩焼きも元ネタと言えば元ネタだろう。けれど『水溶き小麦粉に刻んだ野菜などの具を混ぜて焼いたもの』と定義すれば、それはそこまで遡らず、江戸時代末期の『文字焼き(後のもんじゃ焼き)』が直近のルーツで、このもんじゃをテイクアウトで食べやすいように考案された『どんどん焼き(関西で言う箸巻きの先輩)』が本当の意味でのお好み焼きのルーツだという説と、どんどん焼きと共時的に一銭洋食が産まれ、そこからお好み焼きに発展したという説がある(当然異説あり)。
何れにせよもんじゃまでは具を混ぜていて、どんどん焼き以降は具を上に載せて焼くように変化している。私はこのトッピングを上に載せるという発想が、イタリアから餃子の逆ルートで渡って来たものではないかと考えているのだが、どうだろう? そう考える理由は、餃子や北海道に伝わったラーメンだけは福建や広東を通さず、旧満洲から関東軍などが持ち帰ったものだからだ。つまり時代とルートが異なるのだ。
また水餃子や蒸し餃子でなく、日本が焼き餃子だらけになったのは、その基準がご飯に合うかどうかにあったからだし(だから皮が薄い)、そもそも日本で中華料理がここまで広く受け入れられたのは、ご飯に合うようアレンジして来た先人の工夫に拠るところが大きいと私は考えている。そしてその下地として、現代の私達が想像する以上に、『七輪や練炭コンロに鉄板を載せる』というスタイルが、広く一般庶民にあったのではないかとも考えている。
そして太平洋戦争の頃に、軍へ鉄の供出があったという話は真実半分ウソ半分という気がしてならない。隣組があったのは本当だろうが、あれは助け合い精神を広めたもので、密告社会を作るものではなかった筈だ。横溝正史の獄門島に描かれたように供出は寺社仏閣のようなところから始まったろうし、鉄板が2枚あるなら古い方を出せといった明文化されていない暗黙の了解があったのだと思う(※)。
※)こう考える理由は、当時を調べれば調べるほど、『軍部を悪し様に言う人=政府を悪く言う人=マルクス主義者』と透けて観えるからだ。そして純粋な心を持ちつつ出兵経験のある人ほど、戦争経験を語らない。そうなると思想の偏った破廉恥ほど声が大きくなる。そうやって戦後の社会が歪められて来たのは知能があるなら誰でもわかる事だ。
それと余談だけれど、『エル』は誰に教わったのか(おそらく雷画さん経由)、隣組の歌が全部歌える。私なんて最初が回覧板、次がお味噌や醤油の貸し借りに、料理のコツの教え合い、その次が災害や犯罪にお互いが注意しましょう(お互いがお互いの用心棒という歌詞があったと思う)、それで最後がお月さまの下では皆んな同じ所帯だみたいな歌詞だったくらいしか記憶にない。なのにあいつは『トントン遠坂凜の大爆笑』と来て、先生(妹分の凜でなく大魔導師をからかっていた)の『うっかり』を羅列して4番まで歌っていた。怖いもの知らずだ。
なお、インドネシアのチャプチャイは広東料理の八宝菜が福建の労働者を経由して伝わったものだそうだ。だから福建料理がルーツだとも言う。また、ちゃんぽんの塩ラーメンを醤油ラーメンに換えて具を減らせばサンマーメンと言えなくもない。おそらく発想の根っこは同じだろう。
対するニラレバ炒めはどこの地方の料理でもなく、貧しかった時代に一般家庭で広まった、安く上がるスタミナ料理だ。正しくは『韮菜炒猪肝』もしくは『韮菜炒牛肝』と言い、呼び名の違いは豚か牛か何の肝を使っているかの違いでしかない。だけど豚肉至上主義な中国では、これに鶏肝を使う事はあまりないらしく、『日式の韭菜爆炒雞肝は日本の家庭料理だね』とアオレアールは説明してくれた。
この食材の使い方……きっと戒律を守るタイプのアサシン向けに彼女が工夫した、鶏肝を使う場合のレシピなのだろう。本来のハラム(非合法。合法はハラーム)は、包丁からまな板、お鍋まで分けないと駄目らしいが、アオレアールがそこまで分けてあげているのかどうかまでは知らない。だけど、『エル』と同じく気を遣ってあげているのは十分にわかった。
またニラレバ炒めは、自転車で溢れていた頃の中国で流行った家庭料理で、どの系統にも属さない労働者のためのスタミナ料理だったそうだ。それが高度成長期の日本へ、国交正常化する前に入って来て街中華の定番料理になった。読んで字の如くで、元来入る野菜はニラ(韮)だけだ。根を取ったモヤシも短冊に切ったニンジンも、ピーマンも料理人ごとのアレンジが広まったものだ。そして、経済が発達してからの彼ら中国人はモツを食べなくなった。なので今は廃れて、どの家もニラレバ炒めは作らないという。その代わり北京から広まった『トマトと卵の炒めもの(蕃茄炒蛋)』が各家庭の定番になりつつあるそうだ。
私も昨年の夏にトマトと卵の炒めものを作ったが、意外とこれを凛が知らなかったのは、本国でもまだ流行り始めたばかりなので、日本にほとんど伝わっていなかった料理だったからだ。それでこの料理が水っぽくなって失敗するという人は、決まって水分の『飛ばし』が甘いからだ。まずこの料理は、トマトを下茹でして皮剥きし、それを適当な大きさに切ってゴマ油(太白胡麻油のような圧搾製法に拠るもの)で炒める。そしてそこに無塩濃縮トマトジュースを入れて煮詰め、まるでイタリアンのトマトソースのようなドロドロの状態にまで持って行く。出来上がったトマトソースを一旦器に取って、今度は溶いたタマゴに火を通す。タマゴが固まると失敗。サッと火が通るだけで良い。ここに取り出してあったトマトソースを加え、お好みでネギなどを散らせば完成だ。とにかく水分を飛ばす事。調味料も要らない。ゴマ油の風味とトマトの甘味と旨味だけで食べさせる料理なのだ。しかもこの中華トマトソース、ビーフン(福建が有名だけれど、これも広東で広く使われる食材)や素麺にも合うだろう。
ただ、蕃茄炒蛋は家庭料理なのでレシピは上記以外にも多様にあるし(地方ごとに異なるが、中国本土式と台湾式でトマトの切り方が変わる。本土は櫛切りで台湾はカレーのジャガイモみたいな切り方になる)、アレンジも自分次第だ。熟しきったトマトや皮の食感が好きなら、トマトジュースを先に煮詰めて、そこに皮剥きしていないトマトを入れても良い。仕上げに中華スープや水溶き片栗粉を使っても良いだろう。とにかく、タマゴに下味を付けるのも自由なら(下味はトマトに砂糖、タマゴに塩が多いらしい)、白身と黄身を分けて白身をメレンゲになる一歩手前まで混ぜて使うのもアリだ。要は中華料理とは美味しいと思えれば何でもアリな料理なのだ。
私はプチトマトをミートハンマーで潰して使う方法が好きで、煮詰めて水気を飛ばしたトマトジュースに、潰したトマトをミックスして下拵えとしている。下味はつけない。トマトの持つ本来の甘味を活かしたいからだ。次に胡麻油は香り付け程度に留め、オリーブオイルをメインにした油を鍋に入れて加熱、先に針状に切ったショウガと斜めに小口切りした長ネギを炒める。そこにタマゴを投入して、タマゴがドロドロのところに下拵え済みのトマトソースを加えている。この時にほんの少し胡椒と塩を振ってお皿に盛り付け、ケチャップベースの甘酢あんを掛け、九条ネギを散らして完成だ。
私なりのオリジナル・レシピだけれど、ネギやショウガなどの香りをタマゴに移す考え方は中華料理の王道的発想で、中華料理に影響を受けた、アジアン・エスニック料理全般に通ずる考え方でもある。これは『エル』を経由したアオレアールからの知識だ。だからマルガリータと仲良くなれたとも言える部分だ。ジュースを煮詰めてトマトソースにするなんてイタリアンの発想だし、そこにケチャップの甘酢あんを掛けるなんて事も、『エル』が持っているフレンチのソースからの発想が大本だと思う。
こんな風に中華料理は他国の調理方法と思想を上手く取り入れてここまで発達して来た。中でも広東料理の作り方は本当に幅広い。けれどキモとなる部分は確かにあって、そこを崩さないでどうアレンジするかに中華料理の思想というか真髄があるように私は思う。それを伝えてくれたアオレアールと、再確認させてくれたマルガリータには感謝しかない。
ところで有名な厦門(アモイ/福建省南部の港町。華僑によって閩南語の読みがそのまま広まった。広義の閩南語は台湾語も含まれる)の五目焼きビーフンと、胡麻油の香りが引き立つ五目旨煮(八宝菜)は、自分で作ってもお店で食べてもそんなに味にバラつきがない。本当に見事な美味しい料理だと思う。だけれど上海や揚州の炒麺は意外と食感がバラつくし、美味しく出来ても『コレジャナイ感』が漂う。これは私が本当に美味しい日本の焼きそばや、理想の炒麺(広東料理)を知っているからだ。
どんなものかと言うと、焼きそばはソースを使わず、白ダシと塩で味付ける。フライパンに入れる油は乾性油の紅花油かひまわり油だ。胡麻油を使わないのは、ダシの香りを残したいから。仕上げの鰹節もこちらの方が合って、エビなどの海鮮トッピングとも相性が良い。ソース焼きそばは冷めると悲しいし、作り置きだとなお悲しい。海の家や屋台だと温かい内でも味が安っぽく感じるのは、観光価格、行楽価格で味と小売値のバランスが取れていないからだ。そう考えると嶽間沢は頑張っていたと思える。
一方、炒麺の方は麺の一部を直火で焼き、残った部分は柔らかなあん掛けが好みなのだけれど、こういうのが自分で作らない限り、まずお店で食べられない。日本の場合大抵は両面に焦げ目のあるタイプ(両面黄という上海風固焼きそば)か、まったく焦げ目のないタイプ(胡麻油で焼いた街中華タイプ)、或いはパリパリのベビスターラーメンにあんを掛けたような皿うどんタイプばかりだ。そして私はこの皿うどんの麺が苦手だった。好きな人には申し訳ないのだが、あの食感がお菓子っぽいので本当に口と合わないのだ。なので素麺炒めや焼き素麺、あん掛け焼き素麺はよく作っていた。たらこスパならぬ、たらこ焼き素麺は仕上げに刻んだ紫蘇の葉と海苔を散らすと美味しいよ。
ダシと醤油の味に飽きたり、カレーやハンバーグに飽きたなら、家でも焼き素麺や焼きビーフン、八宝菜を作ってみて欲しい。途中から酢を掛けて味変しても良いし、練辛子を加えても良いだろう。横浜中華街や神戸南京町を拓いた在日華人には広東や福建出身の人が多いという。また、サイボーグ009の006こと張々湖も広東出身という設定だ。食は広州に在りは、これらの意味でも間違いない。
(福建人のジョークに『広東人は私達を食べる』というのがある。これは広東人が食に拘り何でも食べる事を第三者が指摘した時に、『ウソ、福建の人達も食べるよ』と返す言葉が歪んで広まったもの)
ちなみにセイバーの食べているニラレバ炒めは、その『日式韭菜爆炒雞肝』でなく、先程も言ったようアオレアールのレシピだ。肝なんてどうやって見分けるのだという人も居るかも知れないけれど、実は意外と簡単で、表面がブツブツしているのが豚で、ツルンとしているのが牛か鶏だ。そして鶏の肝は生だと大抵心臓(ハツ)とセットなっている(犬のポコチンみたいな部分が付いていて、それが心臓)。また肝を通る血管の穴が豚や牛より細い。
下処理はこの心臓と肝を包丁で分離し、白い脂肪や血管を取り除き、心臓を開いて中に残った血管や黒い血の塊を洗い落とすところから始まる。鶏の肝は牛や豚ほど鉄臭くないので、新鮮であれば牛乳に浸けたりせずとも洗うだけで良い。だけど肉(肝)を洗った後に、潰したニンニク、紹興酒(※)、中国の醤油などに鶏唐のように漬け込んで、仕上げに水溶き片栗粉に潜らせてあるところは流石だろう。
※)浙江省紹興市の名物酒。もち米と紹興市の鑑湖(鑒湖)という湧水、麦麹から造られる黄色いお酒。中国では醸造酒を黄酒といい、寝かせて色の濃くなったものを老酒という。紹興酒はその老酒の中の一種で、もち米・紹興市内で醸造、鑑湖の水を使っているものだけが名乗れるシャンパンのようなブランドだ。飲用だけでなく日本酒のように料理酒としても広く使われるのだが、高級品でもあるので一般家庭では調味料として使うのは難しい。
なお、ニンニクやおろしショウガの量も自由なら、紹興酒の代わりに日本酒と味醂、丸大豆の醤油で下味を付けるのも自由だ。私も肝を料理する時には、お父さんの洋酒棚やエルマのストックからくすねたウイスキーやバーボンを使う場合があった。香りのきついウイスキーやバーボンだと一発で臭みが消える。やはり肝臓とお酒はやばい関係なのだ。
また、韮菜炒◯肝(爆は強火の事)とあるように、ニラ(韮)レバ(肝)炒めが正しい名だ。もしあなたがレバニラ炒めと覚えているなら、それはあなたにレバニラと教えた人が、テレビのバカボンのパパから影響を受けて間違えて覚えているからだ。要は業界用語風にパパが言葉を入れ替えて話していたのが広まった結果だった。
この『天才バカボン』の連載が始まり、アニメ化される1960年代末期から1970年代の頭頃に掛けて、日本の街中に中華料理店が一気に増えた。その頃に八大菜系なんて言葉は無かったし、陳建民さんのような料理人が居なければ四川料理もここまで広まるのにもっと時間が掛かったかも知れない。何より四川料理が日本で広まっていなければ跋さんの親も日本に移住しなかったろう。
けれどここの世界に泰山の常連客となる言峰神父は居ない。泰山前のマンホールの蓋とともにお空に旅立ったのだ。聖杯戦争期間中だと言うのに、食事に度に毎回特定の店へ足繁く通うとは……。それを調べ上げた舞弥さんが偉いのか、マンホールのトンネル効果を利用して、殺傷力を高めつつ周辺にこれといった被害を出さなかったお父さんが偉いのか。それとも代行者の生存本能を歪め、警戒心を削ぎ取った跋さんの麻婆豆腐が凄いのか。
また、エルメロイⅡ世先生は天気の悪い日は時々肘を撫でている。ライフルで撃たれた古傷が痛むのだろう。それもお父さんが聖杯戦争中にヤっちゃった事だった。
お茶碗が小さいとはいえ、セイバーは既に5杯はご飯をお代わりしていた。これでお昼も食べるのだから、相変わらずの大食いだ。グレイがジト目でセイバーを見ている。そりゃ似た顔の人がガツガツと食べ進むのを見れば、気持ち悪いというか不気味だろう。
アオレアールはお代わりの茶碗を遣り取りする以外は、セイバーの前でA4サイズのラップトップ(ノートパソコンの事)を広げて、何かの書類を打ち込んでいた。聞けば今の中国政府に必要なリポートだという。そして昨夜リポートを作っていて、それは欧州人の口に合いそうな、中華料理の幾つかとそのレシピを画像入りで仕上げたものだという。そのリポートを今朝ジャンマリオに渡したらしい。彼女なりの『美味しかった夕食』へのお礼だそうだ。
しかし驚きなのはこの列車の個室だ。壁のコンセントだけでなく、ベッドサイドやサイドテーブル下にサービス・コンセントがあり、『IEEE 802.11g』をカバーするルーターが備え付けられ、有線LANのサービス・ケーブルまであるのだ。異世界で人っ子一人居ないのだから、ケーブルを繋いでも無線LANをオンにしても、どこのプロバイダーにもサーバにも繋がらないだろうに。子供達もTVが映らないので、持って来た携帯ゲーム機(※)で遊んでいた。
※)中古で買ってあげた『GAME BOY ADVANCE』。『DS』が出たので安かったから3台同時に買った。3人はこれでマリオばっかりしている。
「今朝、食堂車にジャンマリオが居なかったのは?」
「オークション後にパーティがあってね。それの下準備。ただ使い魔は預かっていたから、こちらの話は知っていますよ」
ああ、なるほど。けれど使い魔を預かるって……料理人として、私以上に意気投合したのかしら?
「はぁ~~~、ご馳走様でした」
日本語だった。箸を置き手を合わせ、感無量の顔で感謝を述べるセイバーに、「お粗末様でした」とこれまた日本語で返すアオレアール。私はここでアオレアールのイントネーションが、外国人が話す日本語っぽいと感じた。普段は広東語(香港語?)で、そっちに慣れきっているのだろう。アオレアールはセイバーの前の空いた食器を空間の穴に返すと、ラップトップも片付けて、今度はお茶のセットを出していた。香りから察するにジャスミンティーだ。
「実に美味でした」
再度感想を述べる私のセイバーは、何度か『衛宮士郎』に召喚された記憶を持っている。なるほど、私の弟分である士郎クンと違って、聖杯戦争の経験がある士郎クンは不勉強故に中華料理を見下し、自分の範疇を狭めていた。餃子を調べれば、ロシアン・ルートが見えて来るし、北海道のラーメンなどを調べれば、豚骨ラーメンが日本独自のものだとわかる。何故なら本場の中国では牛肉麺ばかりだからだ。
これの意味するところは、回教徒(イスラム教徒)が17世紀頃にシルクロード経由で齎したロング・パスタが原型だったという事実だ。だから甘寧省の名物・蘭州拉麺や、青海省で食べられる青海拉麺などは中国の汁あり拉麺のルーツでもある。それが四川に伝わり、汁なしと汁ありという二種類の食べ方に変化した(だから本場四川の担々麺には汁ありもある)。回教徒が旅の中で改良していったから、牛肉麺ばかりとなったのだ。
けれど満州の人々や日本兵は、その牛肉を手に入りやすい豚肉で代用できないかと考えた。それが北海道のラーメンのルーツとなった。これらは20世紀初頭の話で、九州北部の豚骨は牛骨や鶏ガラが日本全国に広まったもっと後の話だ。肉ならモツ、骨なら牛より鶏や豚となるのは原価が安いからだ。なので九州の豚骨は戦後のものと考えて間違いない。だからこそ、煮干しラーメンや鯛ダシ、あさりダシのラーメンや味噌味のラーメンは日本独自のものと言える。
なお拉麺とは『拉』の文字が示すように、手延べ麺を指す。この手延べという技法だけは400年も前から、日本にお坊さん経由で入って来ていたようだ。ソーメンがその例なのだけれど、素麺のルーツが索餅というのはないと思う。あれはまったく別の食べ物で、食に疎い学者の説でしかない。素麺のルーツはシルクロード経由のパスタが変形した拉麺だと私は考えている。
その事や八菜の事をアオレアールに尋ねると、『拉麺に対する認識は概ね間違いないけれど、八菜まで知っているなら十大麺も調べた方がいい』と言われた。中国十大麺とは、蘭州牛肉麺(甘粛省)、北京炸醬麺、山西刀削麺(山西省。黒酢の故郷)、吉林延吉冷麺(吉林省)、四川担担(四川省)、武漢熱干麺(湖北省)、河南烩麺(河南省)、杭州片儿川(浙江省)、昆山奥灶麺(江蘇省)、鎮江鍋蓋麺(江蘇省)を指し、武漢熱干麺と北京炸醬麺が汁なし麺で、河南烩麺は羊骨ベース、杭州片儿川が豚骨、昆山奥灶麺が魚介だという。また山西刀削麺の刀削麺は小麦粉を練った塊を包丁で削いだ麺の事で、きしめんに近いものらしい。
(この刀削麺が現れた頃に、それまでの拉麺を柳麺と言い換えたり、蕎麦やうどんのように切って作る麺を刀切麺と言うようになったらしい。また聞き伝えだけれど、大阪の梅田にあった王将のお店(地上階にお店があった頃の話)で『やなぎ(柳)』でラーメンのオーダーが通ったそうだ。何でもそこの店員さんが『今日も元気だ、柳が美味い』と景気付けに声をあげていたのだとか。どうも昔あったタバコの広告キャッチのモジリらしい)
つまり彼女が言うには、ラーメンは日本に渡る前に中国本土でそういうフィルターを通して来ているという意味だった。けれど食通の中国人は、華僑の貢献はあれど日本のラーメンを日式拉麺として、『それはそれ』として認めている人が多いのだとか。また蘭州牛肉麺が発祥した甘寧省は南北に長く、上は内モンゴル、北東が新疆ウイグル、南東が青海、南が四川となっていて、北部のゴビ砂漠にシルクロードの中継都市・敦煌があるのだそうだ。西欧の文化は陸路なら必ずそこを通って来ていたから、影響もかなり大きいらしい。
なお日本観光に来る中国人で、ブランド品で身を固めたチャラチャラした人や、無意味に声の大きな人は、まず間違いなく東北人で遼寧省の人が多いらしい。その北部が吉林省で、この両省が北朝鮮と接している。だから吉林延吉冷麺は冷麺なのかと納得だ。そしてこの吉林省と最北部の黒龍江省、遼寧省の三省が旧満洲だ。
(この三省を東北と言うのだが、日本の東北と同じでかなり訛りが凄いらしい。アオレアールでも何を話しているのか聞き取れない場合があるそうだ。そして東京などに住みクルマを手に入れると、決まって『88-88』や『66-66』などのナンバーを付けたがるらしい。ここはブランド好きな面が出ていて、東北人は大抵見栄張りばかりだという。また遼寧省(省都は瀋陽)は鉄道網が意外としっかりしていて、第二の都市、大連の街は黒竜江省の哈爾濱(ハルビン)と並んでオルタナティヴ歴史研究家には外せない都市となっている)
「エルヴァはチンジャオロースー(青椒肉絲)がどこの料理か知っている?」
アオレアールから、そんな事を聞かれた。
「有名なのは広東の味付けで、元は四川料理だったとか……」
「正解。広東の味付けだから日本やアメリカでもウケたのよ。ただ日本のもアメリカのも『青椒牛肉絲』だけれどね」
『絲』は肉を細く切ったという意味で、中国で単に肉といった場合は豚肉(猪肉)を指すそうだ。そしてピーマンを使うようになったのも広東のアレンジで、四川では他の野菜が多いのだとか。
「四川のは味もホイコーロー(回鍋肉)っぽいね。豚肉を細切りにするのはかさ増しだよ。内陸は貧しいから」
そういう事らしかった。