※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第四部 ホムンクルス篇   作:炭団

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89、魔眼蒐集列車事件 Ⅹ

 それからオークションの始まる時間まで私達は様々な事を話した。と言うか私がアオレアールを一方的に質問攻めにしていた。それは主に『文化』と『政治(統率)』に付いてだった。中国における食生活も含めた日々の暮らしを、他国の私達は報道で知るか、現地への旅行以外では知りようがない。そして元の国家体制が『ああ(共産国家)』だったのだから、これまでの報道は管制というフィルターを通った、言わばバイアスの掛かった絞りカスみたいなものだった。アオレアールはそういう体制を内部からぶっ壊した側だから、現地の人々のナマの声や生活ぶりを知っている。

 また、中華料理もある意味管制品で、油塗れな実に不健康な食べ物だ。それは裏返すと、何でもかんでも火を通さないと危険極まりない食材だと、庶民が気付いているからではないのか? つまり国民が政府を含め、他人を信じていない。またそれを毎日食べていながら健康を保つ人々は何なのか? 何か私達外国人の耳には入って来ない秘訣というか秘密があるのか? そういうのを知りたいと思ったのだ。

 

「なるほどねぇ……。それはアレだね。目の前の落とし穴に立ち止まっている状態だね。ザッと言うと、小さな部分にだけ拘っていたら、全体は見えなくなるゾってあなたは本能で気付いているのよ」

「本質はもっと複雑って意味?」

「うん。伊達に五千年も歴史がある訳じゃないからね」

 

 五千年? 夏王朝の成立から数えると四千年じゃないの?

 

「三皇五帝の時代を一部含めているかも知れないけれど、少なからず一般の中国人は五千年の歴史があるとプロパガンダ抜きで信じているよ。そしてそれの根拠なんて、日本の神武天皇即位紀元(皇紀)程度の信憑性しかない事を私も理解している。けれど大衆の持つ集団心理は、その集団嗜好から伝承や伝説も込みになるのは、どこの民族であっても例外なく必然だからね。それに国家として考えず文化の発生として考えれば、黄河文明最初期の裴李崗文化が紀元前7000~5000年前だし、そんな黄河文明と同時期に興ったとされる遼河文明は、その頃の東北が今よりもっと温暖だったと考えれば十分あり得る話だわ。それよりももっと南で、温暖な場所にある長江文明が紀元前14000年頃からあったという説も納得できるでしょう? こうなると日本の縄文時代と一緒だよ? なのに四千年なんて決め付けられて納得できる中国人は居ないよ」

 

 この『中国四千年説』は主に日本人が信じていて、その始まりは『明星中華三味』のCM(1981年)のキャッチコピーにあるらしい。けれど遺跡の発掘がなくとも、司馬遷の史記に夏王朝の存在は記されていて伝説としての根拠はあった。そこが中国人と日本人とのギャップ千年となるそうだ。

 そもそも中国の歴史は中国大陸を舞台とした歴史を、歴代の王朝や政治体制が見栄張りなプロパガンダに利用して来たという経緯がある。唐も随も鮮卑(トルコ系)だし、元王朝の支配は言わずと知れたモンゴルで、清王朝は女真(満州族)だ。漢民族が政治体制を握ったのは、前漢と宋、明と中華民国、そして中華人民共和国だけでしかない。

 けれど、この中華人民共和国が国際社会に向けて提唱した『舞台の歴史=自国の歴史』という、少し狡い考え方を、欧州人は誰も否定できなかった。何故ならそれを否定してしまうと自分達の足元が掬われるからだ。何よりババを引かせてやったと考えていた、敗戦国日本の万世一系に勝てる論を持つ王朝が、どこの国にも無かったからでもある。

 武力で権力を握る野蛮な時代は二回の世界大戦で終焉を迎えた。現代では実権を棚に置くか、民衆の選んだ誰かに預け、自らは『象徴』として生きる道しか残されていない。そしてその『象徴』としての立場を、何百年も前から体現してしまっている画期的な成功例、かつお手本となるのが日本の皇室のあり方だった。確かに『エル』なんて、『裏の顔があろうが無かろうが、あそこまで無私で国家の安寧を願う神主は居ないし、学者として自身を律しつつ研究を続ける姿も素晴らしい。単なるポーズなんかじゃないですね。誰にでもできる様な生易しい生き方じゃないですよ』と話していた。

 彼女は織田信長や徳川家康なんかが好きなようだけれど、あの群雄割拠した戦国の時代ですら廃絶されずに生き延びた皇室をもリスペクトしていた。無茶苦茶言うし、直ぐに手が出る武闘派でもあるけれど、第11代アインツベルン総裁はそういう人物でもあったのだ。

 それはともかく、アオレアールも権力者と民衆を切り分けて考えているし、その民衆にも料理と同じく地方性を加味して考えているようだった。

 

「今の『省』一つ取ってもさ、ヨーロッパのどこの国より大きいのよ。それで以って省内の両端で方言が違って通じないワケ。だって日本の本州より大きな『省』ばかりなんだよ? しかもロシアと同じ多民族国家でしょう? 全般的に気性が荒いのも自分の意見を埋もれさせないためだし、利己主義が極まっているのも、何度も政権が交代して外国人に支配された記憶があるからなの。その弊害として中抜きや賄賂が凄まじかったり、道徳がどうたら言う割に他人の脚を引っ張ってでしか自分の優位性を保てない『小粒』も多いのだけど。けれど、客観的に考えて、前政権は13~14億の人間を良く纏めていた方だと思うよ」

 

 アオレアールはドイツ・スイス語、ドイツ語、英語、イタリア語、フランス語、ヒンディー語、アラビア語、広東語、一部の四川語、北京語(中国公用語)、日本語などが話せ、その内ドイツ・スイス語、ドイツ語、英語、イタリア語、ヒンディー語、広東語は読み書きができ、簡体字もある程度書けるそうだ。ここで面白いなと思ったのは、彼女がスペイン語を話せないところと、アラビア語やヒンディー語がわかるところだった。その前にアオレアールは私達と英語で話しているのだけれど、セイバーとグレイが実に面白い顔で聞き耳を立てていた。

 

「どうして四川語まで話せるの?」

「昔ね、お店で一緒に働いていた仲間に四川の人が居て。その人から教わったのよ」

「料理を習ったという香港のお店?」

「そう、香港だからだろうね」

「香港だから?」

「うん。広州市や深セン市でなく香港にまで出て来たのは英語も話せる人が多いからだよ。要はアメリカにでも渡って料理をしたい人だったのね」

「あ。四川語を習う見返りで英語を教えてあげたり?」

「そうそう。それとウケの良い広東料理を学ぶためでもあったから、料理には真剣だったね。思えば夢のある人だったよ」

「夢?」

「料理への創作意欲とでも言うのかな? 四川の九寨溝や稲城亜丁のような壮大な料理を作りたいと話していたよ」

 

 広西チワン族自治区の桂林や湖南省の張家界(武陵源)、安徽省の黄山は世界的にも有名な景勝地で、水墨画のモチーフになったりしているから知っている人も多いと思う。けれど九寨溝や稲城亜丁は初めて聞いた。ともに四川省にあるそうだけど、九寨溝は日本にも時々見掛ける透明度の高い青い池や湖が幾つも幾つも連なる広大な自然公園で、そのスケールは唯一無二なのだそうだ。ただ、標高が結構あって夏でも寒い日があるらしい。稲城亜丁は四川省の最南端にあって、これまた高山だらけなところらしい。山を一つ越えれば雲南省のデチェン・チベット族自治州となり、2002年にそこの中甸(ちゅうでん)県が香格里拉県に改名されたという。これは当て字で、『シャングリラ』と読むそうだ。

 シャングリラは英国のジェームズ・ヒルトンが書いた小説『失われた地平線』に出て来る架空の理想郷で、正にヒルトンはチベットの外れ、秘められた都市を描いている。そんな小説に肖(あやか)って、中甸を香格里拉県に改名したらしい。そして前政権はそこにあるソンツェリン寺などを、観光地のシンボルとしているらしいが、四川の人は省内の稲城亜丁辺りを開発されていない『最後のシャングリラ』と認識しているそうだ。

 なお、その地が原産のチベタン・マスティフという大型犬を最初に欧州へ持ち込んだ人物がアレクサンドロスⅢ世王、つまりイスカンダル大王なのだとか。本当かな? ガンダーラからシャングリラって……ヒマラヤ山脈を迂回したのはわかるけれど、あの時代と考えると本気で凄い人だ。旅行記でも残していれば……そこだけが実に惜しい。

 

「あなたは行った事があるの?」

「無いよ。けれど写真は結構出回っていてね。それを見るだけでも凄いところだなって思うよ。だってヒマラヤ山脈の端っこになるところでね。カメラマンの立つ場所が既に富士山の頂上くらい高いのよ。それで眼下の川は1000mくらい下を流れていて、その向こうに見える山は6000~7000m級ばかりだからね。蟻んこになった気分になるよ」

 

 あ、そっか。そういう写真や画像が今はあるのか。蟻んこねぇ、そりゃ当然だろう。

 

「言ってみればユーラシア大陸の秘境が集まった場所が、中国を含むあの辺りな訳か……」

「そうだね。チベットやヒマラヤを越えたブータンや、ネパールとかね。けれどその当時から暮らしている人は居たんだよ。兵士は高山病でガクッと動けなくなるのに、住んでいる人が居たんだから大王もビックリしたろうね」

 

 そうだよねぇ……。でも、大王は迂回していて山越えしてなかったと思う。

 

「その三国の時代とライダーの時代は……?」

 

 セイバーからアオレアールへの質問だ。

 

「大王がインダス川を越えたのが紀元前326年と言われていて、黄巾の乱が起きたのが西暦184年、三国鼎立が西暦229年、普に拠る再統一が西暦280年ね。だからざっと500年ちょい離れているよ」

 

 それでアオレアールは三国時代と今の中国の地図を出し、そこに適当な大きさの紙片を仮のイングランドとして置きセイバーに説明した。

 

「大きい……これが全部中国ですか?」

「ええ、現代のね。それで三国時代の領土がこれ。これでも結構大きいでしょう? 特にこの南の方。交州って言うんだけれど、今の広東省と雲南省の一部に広西チワン族自治区、ベトナムのハノイまでが領土だったのよ」

 

 セイバーは食い入るように地図を見詰めていた。

 

「どうして三国に分かれたのでしょう?」

「3人の英傑が同時代に現れたからというのもあるけれど、好戦的で人様の財産を奪ってでしか幸福を感じない原始的な騎馬民族の黄河流域の文化と、酪農や農業で平和に生きようとする人々の長江文化との対立が、一気に噴出したのが漢の滅亡だったのよ。つまり秦や漢の統一は表面上だけで、人心には騎馬民族と農耕民族の対立がずっと燻(くすぶ)っていたとも言えるのね」

 

 なるほど文化の対立か。騎馬民族の末裔と考えると東北三省の人々がガヤガヤと煩いのも納得だ。勿論、アオレアールはかなり端折って話している。長い年月の間に領土内で定住していき国民となった騎馬民族と、領土外から侵略してくる騎馬民族は意味が違うだろう。だけれど、黄河文化圏は餃子や饅頭(まんとう)などの小麦粉食品が主食で、長江文化圏はお米が主食なので、日々の生活スタイルから変わって来るなんて事が先の料理の話から見えて来る。一緒くたに『中国』とは括れない訳だ。となると蜀は?

 

「となりますと、この蜀という国はどういう文化が?」

「そこも農耕民族の文化だけれど、元は高山文化とでも言うのかな? これまた違う文化が背景にあるのよ。だから総括して言うなら、蜀と呉は民衆の親和性が高かったの。なのに愚連隊の親分が軍師の入れ知恵で山に入っちゃってさ。荊州も今の湖北省と湖南省で平和裏に分けていれば、三国時代はもっと長く続いたろうにね。今でもあるでしょう? 結局はその地方に住む人々のバックボーンとなる文化を軽視して、行政が勝手に区分けしたから乱れるんだって。そこに長年住んでいた人々の心はどうなるのか? そこまで考えないと『三分の計』は未完成なんだって。なんだって失敗して滅んだ後漢の行政区分のままだったのかなぁ?」

「それは何故でしょう?」

「思うに愚連隊の親分に正当性が無いからだろうね。筵(むしろ)織りは学が無いから困るわ」

 

 劉備玄徳が前漢の景帝の第九子、中山靖王劉勝の庶子、劉貞の末裔と自称していたのは事実らしい。血統が事実なのではない。フイていた事実があるという意味だ。また、仮に姻戚関係が事実であっても、前漢時代に劉備の先祖は漢朝への酎金という上納金を納めていなかったので、列侯(貴族)からはとっくに外されていたそうだ(前漢の末期にそういう家がたくさんあったらしい)。

 それで筵とは藁などで編んだ茣蓙(ござ)を指し、若い頃の劉備は母親とゴザを編んで売って糊口を凌いでいたそうだ。職業に貴賎なしとは言え、当時の劉備は『こんなのやってられるか!』と、母親を手伝わずワル仲間と遊び呆けていたという。そうやって知り合った他校の番長みたいなヤツが、関羽雲長と張飛益徳だったそうだ。アオレアールの口調は馬鹿にはしておらず、むしろ親しみを込めてそう話しているフシがあった(※)。

 愚連隊とはワル仲間でつるむ事を指していて、漢王朝を開いた劉邦もそういう人物だったから、逆に末裔の話は本当なのかと人々は考えたらしい。これをしてアオレアールは『ロックな人』だと言った。身長は173cmくらいで当時を思えば結構高い。けれどそれよりも関羽や張飛の方がもっと高いそうだ。そしてこの3人は個性の塊で、まるでクラプトンの居たクリームのようなのだとか。それでもピーチガーデン・オース(桃園の誓いを英語で言うな!)が生涯守られたのは、ワル仲間だからこそなのだとか。

 なお劉備の『耳が大きく腕が長い』という逸話は本当だそうだ。ただし他の人と比べたらという範囲で、異様に大きかったり長い訳でもなく、むしろ黄色人種の中でも取り分け顔が平たく、耳が前寄りにあるらしい。だから耳介が自分の目で見えたのだという。また腕にしても極端に長い訳ではない。どちらかと言うと太腿というか脚が短いのだとか。それが馬上生活に向いていたようだ。髀肉の嘆も、『脚短じけぇなオイラ』とチビな曹操と見比べてコンプレックスを感じたからだという。本当か?!

 

※)とある会議で、現代と昔は違うというのに張飛と関羽が『蜀漢は兄者のものだ』と引かなかったそうだ。そこでエルヴァちゃんのアルさんがデコピン一発で張飛を沈め、何か言いたそうな関羽達にアオレアールが四川麻婆豆腐や重慶小麺などを振る舞ったのだという。これはこれはと魏蜀の重鎮が全員で試食し、阿鼻叫喚を呈したそうだ。けれど重鎮は皆して、現代と昔は違うのだと真実理解したという。なお唐辛子が南米から中国に渡ったのは18世紀頃で、それは欧州の西欧人からだった。西欧と直接交易のあった日本はもっと古く、16世紀末から17世紀頃で、秀吉が唐辛子を朝鮮半島に持ち込んだとされるのは、中国に唐辛子が無かったからだ。なので四川や重慶にまで広まったのは比較的新しい19世紀末から20世紀初頭に掛けての時代だ。

 ちなみに麻婆豆腐の『麻』は麻辣味の『麻』ではない。麻には『痘痕(あばた。天然痘の痕)』という意味もあり、顔がボコボコした女将さん(これが『婆』を指す。婆=年寄りという意味ではない)が考案した豆腐料理という意味だそうだ。また四川は田舎なので、代表的な料理はこのように家庭料理が広まって定着したものばかりだという。アオレアールが言うには、魚香肉絲、水煮肉片、毛血旺、夫妻肺片なども家庭料理だそう。唐辛子が広まる前は泡菜や咸菜、芽菜といったお漬物と、川魚、獣肉や家畜の肉の焼き物だけだったそうだ。

 

 魚香肉絲……簡単に言うと魚料理用に唐辛子の組み合わせを換えたものを使った青椒肉絲で魚は使わない。麻辣味でなく酸辣味なのだそう。この酸辣味が極まったのが湖南料理だ。

 水煮肉片……唐辛子などを多めの油で炒めて香りを引き出し、そこに中華スープと豚肉を入れて煮込んだもの。水を使う方法もあるが、普通はスープを使うそうだ。

 毛血旺……重慶料理。アヒルの血や豚の血を使ったモツ料理。なお重慶市が四川省から独立し政府の直轄市になったのは1997年の事だ。この他の直轄市に北京、天津、上海があるが、それらに並んで重慶市が昇格したのは、内陸部振興やここが重要な工業都市だからというのもあるが、元は台湾に脱出する前の中華民国の首都だったからというのもある。けれど本意は南京大虐殺が嘘だとバレてきたので、重慶爆撃を忘れないぞというプロパガンダにあるらしい。中華民国と中華人民共和国は別国だろうとは、そこに住んでいる人々を思えば心理的に言えない。そこを突いた汚い(巧い)方法だ。なお現代の重慶市の面積は北海道より大きいそうだ。そして人口密度が高い街中の朝の風物詩が、ラーメン屋(小麺屋)の用意した道端の青い椅子で大勢の人が、真っ赤っ赤な重慶小麺を掻き込んで仕事に向かうところだそう。泰山の麻婆なみに赤いラーメンを食べてから仕事に行く……。それも毎日……。そして夜は火鍋(これも重慶が本場の名物料理)で一杯とくる訳だから、重慶市民は只者ではない。

 夫妻肺片……夫妻廃片が元の名。成都の屠殺場に務める夫に向けて、廃棄されるモツが使えないかと妻が考案した料理。この料理を作って売り出すようになって夫妻は貧乏なドン底生活から脱したそうだ。

 

 アオレアールはこの他に私向けと言って、土豆丝、新疆大盘鸡、辣子鶏という料理のレシピを教えてくれた。

 

 土豆丝……炒土豆丝とも。丝は絲の簡体文字。土豆はジャガイモの事。千切りにしたジャガイモを水に晒して余分なデンプンを取り除き、水気を切った後に唐辛子と炒めた料理。ここに麺を入れると四川風ペペロンチーノなのだとか。

 新疆大盘鸡……鸡は鶏の意味。新疆に住む中国人が、ウイグル人の文化を取り入れながら考案した四川風味付けの料理。鶏肉とジャガイモを使う煮込み料理で、四川の家庭でも定番になった料理だ。カレーの代わりにこの料理のレシピは使えると思った。子供向けにはカレー粉とお味噌を代用できるだろうし。

 辣子鶏……基本は鶏唐の麻辣炒め。これなんか、男性にお酒の肴として出すと喜ばれそう(ビールに合いそうと私でも思った)。なお、この料理と油淋鶏、日本のチキン南蛮の三種を三国の皇帝に同時に出し、彼女は何か爵位を得たらしい。

 

「特にハマったのが鶏肋の男だね。単に私が美味しいと思った鶏料理を三種類出しただけなのに、三国に準えたのかって。有名な文官まで唸っていたから勘違いだと言えなくなってね……」

 

 そういうものなのか……。けれど魏の曹操(孟徳)という人物が、鶏肉料理を好むのは本当らしい。彼は部下にKFC(北京に80年代からある)へ走らせ、これまた見事にハマったそうだ。アオレアールはその事を張遼(文遠)から聞いたという(※)。

 

※)北京に行くとアオレアールは張遼や張郃(儁乂)、徐晃(公明)といった人々と食事をともにする事が多いそうだ(旧府の洛陽は現代ではど田舎)。名高い魏の五将軍と交友があるというのは、普通に考えて凄まじい。また諸葛亮(孔明)と馬謖(幼常)の仲を取り持ち、和解に導いたともいう。と言うか復活したは良いが行き場のない馬謖を彼女が取り立て、呉の魯粛(子敬)や諸葛瑾(子瑜。蜀の諸葛亮の実兄)から与えられた大任を全うしたのだそうだ。なお馬謖は幼い頃から秀でた人だったらしく、兄達の名声もあってケイネス先生のように引けない性格になったそうだ。それがあって、街亭で負けた際に尊敬する諸葛亮に顔向けできなくなり、牢破りをして逃げたらしい。敗戦も痛いが、諸葛亮が泣いて馬謖を漢中で斬ったのは、この脱獄もあったからだという。

 このような、『え?』と思うような復活劇があちこちにあって、結構な騒ぎになったらしい。特に呉は孫権(仲謀)の兄である孫策(伯符)までが復活していたので大変だったそうだ。ただ重臣も大勢居たので皆んなして孫策を宥め、今は上海で悠々自適に暮らしているようだ。これはこの復活劇を目論んだ、現象となった『エル』の落ち度だとアオレアールは話していた。

 また復活した英傑達も、勝手に群雄割拠しろでなく、中国の今の人民や、国際社会に生きる他国の人々のための復活だと理解できるだけの頭脳が求められている。ここを即座に理解した文官が呉や魏に多かったのが救いだったそうで、真っ先に理解したのが三皇帝だったのも良かったと話していた。

 

 なお今のアオレアールは香港に家を構え(※)、有名な映画俳優や歌手とも親交があるそうだ。つまり表の顔は実業家で、香港や深セン、上海に店を出しているレストランのオーナーでもあるらしい。そのレストランは今年、日本の東京と、カリフォルニアのサンタモニカにも出店する予定だそうだ(『エル』と別れて、もうこちらで暮らす覚悟があるらしい)。化学調味料は使わず、新鮮で安全な食材を厳選して使うので少々値段は張るそうだけど、かなり繁盛しているのだとか。

 それで後日、アオレアールのお店に家族で行って来たとハンティントンビーチのエルヴァからメールが来た。サンタモニカのお店は米国人向けに味付けが変えてあるそうだけど、かなり美味しかったという。また『本場の味付けで』と頼めばそのようにしてくれるそうだから、どんなスタッフを揃えたのだろうか?

 

※)場所は香港島のヴィクトリア・ピーク(太平山)という山の斜面で、そこは半山区(ミッドレベル)という超高級住宅街の外れで、もっと高台なのだそうだ。で、彼女の家が建つところは、ご近所も全部大豪邸ばかりだという。もっと詳しく話すと、僅か1平方フィートの土地が日本円で100~150万円もするという恐ろしい場所らしく、坪で直すとザッと35~3600万円もするという。けれど北側の夜景は最高で、九龍湾の向こうには尖沙咀(チムサーチョイ)のビル群が放つ光が眩く、眼前に100万ドル(常套句。円換算で約1億円)の夜景が迫って観えるのだそうだ。けれど彼女の家は土地代から考えても1億では利かず、こっそり『中古物件だけれど、25億香港ドルはした』と教えられた。これは日本円換算で約360億円だ(どこにそんなお金が? 中国政府と絡んでいるから?)。

 それでアオレアールの説明だと、おそらくCCSでの香港編で小狼クンの実家(李家の大邸宅)があったところらしい。マジか!? でも山を下って海側に行くとやはりオフィスビルの1階に商店や飲食店が並ぶ雑多な繁華街で、有名な長い動く歩道やエスカレーターがあるのもそのセントラル(中環)らしい(彼女が以前並行世界で勤めていたお店もその辺りにあるという)。また東西を走る大通りは香港大学から太古城まであって、九龍湾に沿って通っている。この僅か数kmと湾を挟んだ尖沙咀や油麻地がほぼ香港のすべてと言えるのだとか。それは土地が高くて当然だ。

 

 けれど彼女はこの家を呉の要人に開放していて、事前予約で貸し出す別荘にもしているそうだ。その管理を任しているのが馬謖との話だった。そんな理由から彼女は香港島の家も使うが、普段は新界という中心街から外れた大帽山という山の中程に建つアパート(マンションの事。15階建てらしいが、その最上階に部屋があり、南に面したベランダから、油麻地や尖沙咀、深水捗や旺角(油麻地の北にある電脳街)といった九龍の夜景の一部が眼下に広がるという)で寝泊まりする事の方が多いという。それはそのアパートが深センにも近いし、九龍側の繁華街である油麻地にも近いからだ(この二つの場所に彼女のお店がある)。

 けれど香港MTR(地下鉄)の駅からは遠いので、駅や現地までバイクで走るそうだ。それは香港内は公共の乗り物がしっかりしており、普通は移動手段に悩まないで生活できるのに、わざわざ山の遠いところに住んでいるからだ。なんでもこのアパートはアサシン達を住まわせるために、彼女が中古で3棟一度に買い取ったものなのだそうだ。買い取れたのは誰も住んでいなかったからで、今でこそ新界は宅地開発が進んでそこそこ人気の住宅地があちこちにあるが、このアパートが建設された当時は計画が時期尚早で、どの部屋も売れなかったらしい。なので結構安く3棟買えたという。

 ちなみに彼女のバイクは香港ナンバーの付いた、カワサキ エストレヤと、カワサキ W650だそうだ。英国の残り香がまだある香港に向いていそうだ。ただ、個人輸入だそうだから、登録までに随分と手間取ったらしい。なお、クルマも数多く所有しているそうだけど、それらは宝具に仕舞っており、それは黄色い『Lotus Exige MkⅡ(日本ナンバー)』と青い『Chevrolet Corvette (C5/Z16、北米ナンバー)』、それから赤い『Toyota Supra (JZA80/北米バンバー)』だそうだ。この他、現地調達したランクルなど様々あるらしいけれど、何れにせよ香港でナンバーは取り直していないそうだ。

 と言うのは香港は一国二制度なので、中国本土とは行政が異なるからだ。道路も英国と同じ右ハンドルの左側通行だし、土地が狭いからクルマは超の付く贅沢品になる。なので関税がバカ高い。スポーツカーだと100%以上掛かるのが当たり前で、これは車両本体価格と同額かそれ以上の税金を香港政府に納める事を意味する。おまけに香港に自動車メーカーはないので、全部輸入品だ。元々の車両価格からして、輸送費が上乗せされて既に高い。ガソリン代も1リットル250円はするのだという。だからクルマを新車で買うのは大金持ちか、法人に限られるそうだ。

 そういう訳で、若い人がレクリエーション目的でクルマを所有するなんてあり得ないし、複数台持つ人もまず居ないという事になる。更に言えば香港の法律で、クルマは全部右ハンドルに限られる。そうなると法人にしたって『同じ買うなら』という心理が働くから、自ずと街で見掛けるクルマはベンツェやBMWの右ハンドル、ベントレー、ロールスロイスばかりとなるらしい。そんな訳だから、ベンツェにBMWクラスで普通のクルマ、ベントレーやロールスロイスになって『儲かっている会社』か、もしくは大成功している人となるそうだ。

 九龍半島側のネイザンロードといった若者も集うメインストリートだと、もっと多くのクルマを見掛けられるけれど、カスタム車は日本車に多く、歴史のある欧州産のクルマはノーマルか、元に戻しやすいラッピングに限られるらしい。この辺はそのクルマの歴史的背景を良くわかっていると捉えるべきで、やはり若い人がクルマを持つなんて相当難しい社会なのだ。と言うのはアパートの一室を借りるだけで、大抵の国の相場より遥かに高いからだ。

 そういう理由から、アオレアールは深センのお店名義で左ハンドルの中国製セダンを所有しているのみだという。これだと中国ナンバーを取りながら、香港ナンバーも取得して、2つ並べて取り付ければ、香港と中国を自由に往来できるという(マカオも同じ様にマカオだけのナンバーが必要になる)。その名を『本田雅阁』といい、雅阁は雅閣だ。何だそれと思ったけれど、その正体は『ホンダ・ アコード』だそうで、現行の7代目らしい。製造は廣汽本田。なんとホンダの工場が深センにほど近い広州市(※)にあって、そこで造られたクルマなのだという。白色を選んだのもお客の送り迎えを考えたからで、ベンツェやBMWを選ばなかったのは、日本より南にある広東省や香港だと壊れやすいと考えたからだとか。

 

※)広州市にはトヨタの工場もあって、そこで製造される『2AZ-FE』は地雷エンジンとして有名だ。そうなるとホンダも心配になるが、クルマの方(広州)は中華カブ(上海)の工場より質の良い工員が揃っていて、エンジンは意外とタフらしい。本当だろうか?

 

 それはさておき、贅沢をしなければ食べる事には困らないのも香港らしく、『快餐店』というお店に入ればかなり格安で食事ができるそうだ。どういう事かというと、『快餐店』はファストフードという意味なのだけど、何もハンバーガーやホットドッグを指す訳ではないからだ。つまり香港には中華料理がメインの『快餐店』があるという事だ。それが街のあちこちにあり、どこも大体24時間営業なのだとか。朝セットや昼セット、夜セットなんかもあり、例えば『トースト、目玉焼き、牛肉ラーメンにコーヒー付き』という訳のわからないモーニングセットが300円程度なのだという。ラーメンは要らないだろ!?

 けれど飲茶(飲茶は安いがほとんどが午前中だけの営業だし、家族連れが多いのだとか。これ以上のランクのお店となると一品で3~4千円といった大皿でしか注文できない並ランクの中華レストランか、大皿に切り替わった飲茶屋の夜営業になるらしい。夜営業専門のもっと高額なレストランもあるらしいけれど一人あたり3~4万は掛かるという)などより格安だし、旅費を抑えたい旅の間の、『ここぞ』という場合の食事以外に利用する分には賢い選択だという。なお『咖啡』も広東語なのだとか(日本の漢字は珈琲で部首が王)。アイスなら『凍飲咖啡』だ。

 何よりスーパーで買う分には食材が安いらしく(結構農薬まみれ)、日本食もそこそこあるという。近場にはジャスコやそごうもあるし、価格を気にしないなら日本人が経営する和食割烹のお店もあるそうだ。そしてインスタントラーメンも大量に売られていて、1番人気は日清の『出前一丁』(!?)だそうだ。なんとこのメジャーな袋麺は1968年に香港へ進出していて、1980年代から現地の味が増えたのだという。今は10種類くらいあって、聞いても日本育ちのにはわからないものばかりだった。そしてそんな『出前一丁』だけを作って出す、格安なお店まであるそうだ。

 昭和の頃には、お好み焼きの鉄板付きテーブルなどが置いてある駄菓子屋があって、そこで袋麺を『作って』と言って買えば、プラス10~30円くらいで出すお店があったらしい。勿論お込み焼きも焼きそばや焼き飯もあったそうだから、東京でいうもんじゃ焼きのお店に駄菓子屋と小型商店がくっついたようなお店なのだろう。

 もし香港に遊びに来てくれるなら、色んなところを案内してあげるとアオレアールは言ってくれた。ぜひ、『瑞士鶏翼』というチキンウイングを食べて欲しいのだとか。何故? 瑞士ってスイスの事だよね? どうしてスイス?!。笑うばかりで答えはなかった。答えを得る前に次の話題に移ったからだ。

 そこでアオレアールのアサシン達が、彼女の薦めで八極拳と洪家拳というのを学んでいるという事実が判明した。

 

「どうして八極拳?」

「私のアサシン達は新規に召喚されているから、言峰神父とは何の関わりもないのよ。それと八極拳のオリジナルは中国に渡って来た回族(イスラム教徒。アラブ人ではないし、ウイグル族のような白人の名残もない東洋系の人々)が、自分達のオリジナルな護身術に、少林門(少林拳)や武当門(太極拳、形意拳、八卦掌など)の拳法を取り入れて変化したものなのね。だからある意味、空手のご先祖様とも言えるのよ」

 

 この回族の拳法には、北京と天津を取り巻く河北省が中心地の八極拳の他に、心意六合拳、劈掛拳、査拳などがあり、七士拳、弾腿といった基本的な形を共有しているのだそうだ。また、劈掛拳、八極拳、翻子拳などを統合した通備拳なども現代中国にはあり、そんな現代中国で産まれた通背拳なども回族の人がよく嗜むという。

 

 因みに中国には数多くの拳法があるので、長江以北か以南かで分ける場合があるそう。また、出家したお坊さんが学ぶので少林拳を含む拳法の流派を北派外家拳、それ以外を北派内家拳と呼ぶ場合もあるのだとか。では長江以南はと言うと、その代表が南派少林拳から発展した洪家拳で、広東省ではめちゃくちゃ有名らしい。何でも映画の酔拳や蛇拳に出て来る形も、ほとんどこの洪家拳の形なのだとか。

 そしてこれら中国拳法を功夫(クンフー)と呼ぶのも主に広東省の人達で(功夫という文字が既に広東語なのだそう)、その意味は練習や鍛錬、訓練の蓄積、掛けた労力や時間を指す言葉だそうで、『功夫が足りない』と言う場合、それらのどれかか、或いは全部が『足りない』『(精神も含め)甘い』という意味になって、最大の侮辱となるのだそうだ。

 それに、お年寄りが朝の公園などで行う健康維持・促進のための太極拳は、国が制定した二十四式太極拳と言い、楊式太極拳の主な二十四の套路(とうろ。形)を抜き出したものなのだそう。こういう制定拳はこの他にもあり、楊式一〇八式を八十八式程度に抑えた八十八式太極拳や、二十四式太極拳の上位版となる四十八式太極拳(太極拳は陳家太極拳、楊式太極拳、呉式太極拳、武式太極拳、孫式太極拳などの門派があって、その楊式に陳家や呉式、孫式などの動きを取り入れた拳法が四十八式太極拳だ)などがあるという。その御蔭でお年寄りでも太極拳の形は地方を問わず皆んなバッチリで、中には若い頃バリバリに強かっただろう実戦太極拳の使い手も公園や広場の集団に混じっているらしい。だからケンカとなると老若男女関係なしにクンフー映画のような動きをするのだという。

 どうやらアオレアールはそういう状況(環境)から中国武術に興味を持ったらしく、以前の香港時代から個人的に学んでいたようだ。それで自分のアサシンには合うのではないかと思い、彼らに八極拳を薦めたらしい。また彼らも身体を鍛える事に異論はなく、今までの自分達にプラスアルファとなるならと、結構真剣に学んでいるのだとか。そこでアオレアール自らは八極拳の他に棍術(水滸伝で有名。また八極拳の中にあるような槍術とも通じるものがあるのだそう)と、両手剣に拠る剣術(中国拳法の各流派に形がある)を学んでいるそうだ。

 両手剣に拠る剣術なんて私にもって来いだし、槍術や棍術に、八極拳にも興味が湧く。『エル』は確か言峰神父とそのお父さんである言峰璃正神父からも八極拳を学んでいた。きっとその記憶をアオレアールは私達ナンバーズと違って強く持っているのだろう。

 そこでアオレアールに形を見せてと頼んだら、『気』が凄まじい。魔術ナシの組手をすれば『エル』でも負けるだろうし、半英霊の私でもダメージが大きそうに感じた。いや、だって震脚でこの客車が大きく揺れたのだ。これは発勁も凄いだろうなと十分に思えるものだったし、今はオルガマリーの姿なのだから、この『人形』が鍛えられている訳ではない。となるとこれは、完全な素人の肉体に拳法家の霊が取り憑いたようなものだ。そして鍛えていない事を自身がわかっている。知らないで近づいたら、私でも一発でノサれそうに感じた。

 

(ヤバいなぁ。これでオルガマリーがモデルのボディか……。これで魔術に拠る強化や加速、空間圧縮を使えば、全盛期の言峰神父やバゼットでも負けそう……。となると強化型のボディを使うと格闘技のプロ以上だろうなぁ)

 

 これが私の正直な感想だった。空間移動は大魔術だけれど、距離を縮める空間圧縮は意外と出来てしまうものなのだ。だけどアオレアールも体内に宝具があるなら空間移動も楽勝だろう。そこに『王の財宝』が収まっているかどうかまでは知らないけれど。けれど、『エル』なみに『人形』が自作できるなら、筋肉増量したタイプや、腕が4本あるような犯則改造ボディも使って来そうだ。

 

 そんな拳法の話が終わった後に、アオレアールはここのルヴィアに山東料理の木須肉を、彼女の口に合うようアレンジして伝えて欲しいと話していた。きくらげがたっぷり入るから、ビタミンDが不足しがちな北欧の人に向いているのだ。『エル』もルヴィアにタタミイワシやきくらげを毎年送っていた。学生である今のルヴィアは、長期休暇以外は冬木住まいだから大丈夫だと思うけれど、こういう心意気はホイホイ引き受けるのが私だ。

 

「わかった。戻ったらエルマにメールを送っておくね」

 

 そんな私の返事を聞いてニンマリ笑うアオレアールだった。

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